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このところ、お天気が良くて、
ぽかぽかと暖かい日が続いている。

お昼ご飯を食べた後で、
あれこれヤボ用を兼ねた近所のお散歩へ出掛ける。

背中を照らす日差しは、ほとんど暑いくらいで
寒い間ちぢこまっていた身体がのびのびと広がって、喜んでいる。

ぬわっし、ぬわっし、と大きなストライドで歩く。

今年はなかなか咲きあぐねていた桜も
ここ数日で一気につぼみがほぐれて、この調子なら
週末にはミュウの大好きなおむすびを(父親が)作って(おかずは母の担当ですっ)
お花見に行けるなー、昨日おとーさんとスーパーに行って花ソーセージ買ったし……

……と、ずっと向こうに電動車イスらしい人が見えた。

遠いので、やたらずんぐりと大きな白い塊のように見えるのだけど、
その白い塊が頭を載せて、くる、くる、と向きを変えながら移動する動きは
ミュウの周辺で見慣れた電動車イスのものだった。

信号をこちら側に渡ってこようとしている。

信号を渡った先(それは、ちょうど私のいる歩道の入り口にあたる)には
ちょっと傾斜のきつい個所があり、そこは路面が痛んで凸凹になっている。
いつもミュウの車イスを押して通る際の要注意箇所なので
大丈夫かなぁ、電動車イスってどのくらいの馬力があるんだったっけ? 
などと思いながら見ていると、

いたってスムーズな動きで信号を渡ると、
くいっと一旦車道に逸れて(ちゃんと難所だと知っていて避けたのね)
改めてこっちの歩道に入ってきた。

さすがー。やるなぁ……。

なんにせよミュウが基準になっている私は、
電動であれ手動であれ、車イスを自分の体の一部のように操る人たちの
鮮やかな手さばきには、いつも見惚れてしまう。

それに、電動って馬力あるんだなぁ……。

最近はいつも父親が押してくれるけど、
ミュウが小さい頃に散歩に来た時だって、
あそこの凸凹坂を押して上がるのはキツかったよ……

……てなことを思っている場合では、実はなくて、
電動車イスというのはデカいんである。
そして私が歩いている歩道は狭い。

私から見て右手はヨソ様の家やらなんやらゴチャついている。
左手はつつじ(さつき?)の植え込み。

まだ距離はあるけど、向こうからやってくる白い人の幅を目測すると、
この歩道の幅の3分の2以上を占めているように見える。どうする?

どちらかというと右寄りを歩いていた私は、
歩きながら、とっさに右に寄ってみる。……あ、でも、
車イスが左に寄ると植え込みにひっかかるか……?

じゃあ……と今度は私が左に避けようとするのを見て、
その人が車イスを私から見て右に寄せるような動きをした。
あ、でも、そっちには、どこかの庭への大きな段差があるじゃんっ。

どうする??

これ全部、ほんの数秒間の出来事なんだけれど、私はたぶん、その数秒間の間、
頭で考えることがイチイチそのまま「吹き出し」になるような
単純な身体の動きをしていたんじゃないかと思う。

ちょうど、道で出会いがしらにぶつかりそうになった人同士が
互いに避けようとしては同じ方向に避けて、またぶつかりそうになって
思わず苦笑いしながら、互いに相手の出方を図ってみる時のような
独特の“間”みたいなものが、距離を隔てているものの、その人と私の間に生じた。

……と、この辺りですれ違おうとすると狭いけど、
私がもうちょっと先に行ってしまえば、右手に小さな出っ張りがあるのに気付き、
左に避けかけた地点から、右手の出っ張りに向けて、とっとっとっと数歩ホップ。

我ながら、ちょっと滑稽な身体の動きになって、
ついテレ笑いが出る。

そこへ、その人がスイスイと進んできた。

なんだか福々しい顔をしたオッサンだった。
全身を車イスごと大きな白いタオルでくるまれているので
まるで大きな柔らかい大福モチみたいに見える。

テレて笑ったままの顔を向けたのを
大福モチは恵比寿さんみたいな大きな笑顔で受けて、
「えらい、すんませんなぁ」

「いえいえー。こちらこそ、すみませーん」
頭でもぼりぼり掻きそうな気分で、返した。

そのまま、また背中に日差しを受けて、歩く。

いましがたの自分の口調が「開けて」いたことに、
自分でちょっとびっくりしていた。

私は見知らぬ人に対してあんまり「開けている」という人じゃなく、
どちらかというと腕組みして自分を固く閉ざしているみたいな万年思春期オバサンなので。

大きなストライドで、ぬわっし、ぬわっし、と歩きながら、
なんていうか、間って、あるんだよね……と考える。

たまたま互いに相手の動きを読もうとした“間”があったこととか、
そこで私の動きがいかにも滑稽になったことだとか、

その人の全身がたまたまタオルで覆われて大福みたいに見えたこととか、
その人の福々しい顔とか、その顔が笑うと恵比寿さんみたいになったこととか、
そういう場面で挨拶し慣れている人の軽やかで柔らかい口調とか、
なんでこの辺で関西弁なんだか知らないけどオッサンの思いがけない関西弁だとか、

それから、たぶん、
たまたま今日の空がみごとに晴れ渡っていたこととか、ポカポカ暖かかったこととか、
長く寒かった冬が終わって、その人もミュウも気軽に外に出られる季節がきたことだとか、
たまたま前の日に花ソーセージを買ってたこととか

たぶん、そういう、“たまたま”があれこれみんな寄って集まって、
その瞬間にしかありえない、不思議な“間”……みたいなもの……?

――いや、理屈はいいんだ、そんなの。どうでも。
だって今日は、ほ~んと、あったかい。

春がきたよ、ミュウ。
2011.04.08 / Top↑
ウチの娘は強情だ。

飲み物にしろ食べ物にしろ、
「要らない」と言ったら絶対に口を開けない。
断固、ゼッタイに拒絶する。

でも、親としては、
どうしても、お茶だけは飲んでほしい時がある。

熱を出している時の水分補給はもちろんだけど、
夕食後の抗けいれん薬を飲んだ後なんかにも、
歯磨きをする前にお茶を飲んで口の中の薬を流してほしい。

ミュウは、わずかにとろみをつけたお茶を
幼児用のマグマグ(ストロー・タイプ)で飲む。

ついでながら、恐ろしく長い時間をかけて飲む。

長い時間じっとマグマグと娘の頭を支えて耐える能力が母親は乏しいので、
万事において忍耐力と寛容が妻よりも勝る父親が担当してくれる。

すぐにネを上げる母親にはミュウも信頼が持てないらしく、
「今日はお母さんと飲もう!」などとマグマグを持って行くと
「おとーさーん、おかーさんがあんなことを言ってるぅ」と目で父親に助けを求める。

しかし、傍目には分かりにくくても、
ミュウにお茶を飲ませるのがいかにしんどい仕事かは知っていて
日ごろから申し訳なく感じているだけに、

「いやだ、いらない」と拒絶を続ける娘に父親が手を焼いていたりすると、
母親としては、せめてもの援軍として駆けつけることにしている。
そして、「ミュウ、ほら、ほんのちょっとだけでいいから。
ね、一口だけ、飲も、ね、ね」などと、2人がかりで、なだめすかす。

たま~に、2人がかりの懇願口調に何を思うのか、
「まぁ、そうまで言うんだったら……」という顔で
ストローをしぶしぶ口に受け入れてくれることがある。

で、そういう時、
こいつは本当に「一口だけ」ちゅっと吸ってみせると、ストローを吐き出すんである。

あとは脅そうがすかそうが、2度と口をあけない。
「一口というから一口だけ飲んでやったぞ」と澄ましている。

だから、私は
この子は「1」だけは分かっている、と前からずっと思っている。

「ひとつ」vs「たくさん」または「すこし」vs「たくさん」という
分かり方をしているのかもしれない、と思ったりもする。

で、この週末――。

例によって、夕食後の薬を飲んだ後でミュウがお茶を拒否。
夕食の片づけものを放って父親の救援に駆け付けた母は、
なんてことない思いつきで、娘に言ってみた。

「ミュウさん。じゃぁ、こうしよう。5口だけ。(ここで手をかざし、1つずつ指を折って見せながら)
ちゅ、ごっくん。ちゅ、ごっくん。ちゅ、ごっくん。ちゅ、ごっくん。ちゅ、ごっくん。
これだけでいいよ。5口だけ。それで手を打とう。どう?」

すると、いつもと違う戦略に心が動いたか、
ミュウはしぶしぶながら、まれに見る素直さでストローを口に含んだ。

ちゅ、と一口。……ごっくん。
「はい、いちー」(指を折る)

ちゅ、ごっくん。
「にー」(指を折る)

ちゅ、ごっくん。
「……」

……ちゅ……? 困惑し、横目で母親をチラっと見る。

(えへへ……あんまり素直に飲んでくれるもんだからさ、つい……)
「さんー」

ちゅ……ちゅ……ちゅ……横目が「あれぇ?」と言う。
「よーん」

ちゅ、ちゅ、ちゅ、ちゅ……目が「こらぁ」と言う。
「ごー」

その瞬間、ミュウはストローを口から出した。

その瞬間、私は確信したね。この子は「1」だけじゃない……。
でも、「1」だけ、だろうと、「5」も、だろうと、まぁ、そんなのは、どうだっていい。

我が家には、時々こういう、なんだかうまく説明できないけど、
「おとーさん、今の、見た?」「うん。見た、見た!」的な出来事が起こる。

たった今、あたしたち、ちょっと面白いものを見たよね!
夫婦とも、そんなハレの気分になるような。

23になった娘は、そんな両親を
「あほくさ……」と眺めているのかもしれないけど、

ミュウさん、未だに新しいあんたを発見できる瞬間が、
父と母には、他では絶対に得られない、極上の娯楽なのだよ。

だって、ねー、おとーさん、ウチの子、えらいよねー。すごいよねー。ねー。うふ、ふ。
2011.01.25 / Top↑
この前、娘を園に迎えに行く途中、
事故で道路が渋滞して、いつもより20分も遅くなってしまった。

部屋に入ったら、
テレビの前で車いすに座っている娘は
鼻も目も真っ赤に泣き腫らしていた。

ミュウは金曜日には、どうかすると師長さんを大声で呼びつけて
「あたしは今日、家に帰ることになっている?」と確認してもらっていた時期もあるので
(彼女には言葉はないけど、今の師長さんとは、かなり細かく会話が成立します)

てっきり迎えが遅くなったから泣かせてしまったのかと思って
夫婦で娘に向かってしきりに謝っていたら、

娘と一緒にテレビを見ていた身障の女性が「おかーさん、ちがうよ」。

なんでも、1年だか1年半だか短い間働いて、この春辞めた元職員の男性が
今日、園に来て、つい、さっき帰ったのだとのこと。

働いていた頃にミュウのことをずいぶん気にとめてかわいがってくれた人で
ミュウは再開を大層喜んだ。

その人もミュウとの再会を喜んでくれたそうな。
そして、その人が帰る時に、ミュウは大号泣したのだという。

(最近のマスコミは、ただ涙を流すことを大げさに「号泣」と称しますが、
ウチの娘が泣く時には、本来の「号」の意味通り、わぁわぁ大声で号泣を放ちます)

「ふ~ん。そうだったのかぁ。で、その人って、だれ?」と訊くと、
その女性が「たぶん、お母さんの知らない人」
「あ……そう……。ふ~ん。そっかぁ。
ミュウ、泣いたかぁ。別れが悲しかったんだぁ」

こういう時、親としては、ちょっと複雑な気分にはなる。

迎えが遅くなったから泣かせたんだと早とちりしてしまったのは、
とっくに大人になったミュウを前に、親の自意識過剰だったのね……。

これは、ちょっとバツが悪いし、ちょっとヘコむ。

でも、ヘコみつつ、どこか、猛烈に嬉しい。

こんなにも重い障害があり、言葉という表現手段を持たない娘が
親の知らないところにちゃんと自分の暮らしを築いていて、そこで
親の知らない人と、それほどの繋がりを作っているということ。

それは、やっぱり、すごいじゃないか。
それって、なんだか、わくわくするじゃないか。

今までも、どこかで親の知らないミュウの知り合いに声をかけられると、
「親の知らないミュウの知り合い」に心躍ったことは何度かあった。

でも、これは、また、それ以上に、
ああ、この子は自分の力でそれだけの広い世界を作り生きているんだなぁ、
言葉を持たないこの子を受け止めてくれる人がちゃんといるんだなぁ、
その人と再会して別れるのが、こんなにも悲しいほど、
ミュウはその人が大好きだったんだなぁ……。

ミュウ、あんた、すごい人間だねぇ……。

泣き疲れてブスッと泣き腫らした娘の顔を見ながら、つくづく思う。

そして、会う機会も話す機会もなかった、その元職員さんに、
心から、ありがとう、と、つぶやく。

だって、それは、
この子をいつか社会に託して逝く勇気があるか
それだけ総体としての人間を信じられるか、と
ずっと自分に問い続けている私にとって、

私の方こそ大声あげて泣きたいほど、
嬉しく勇気の湧いてくる話だったからさ。
2010.11.26 / Top↑
ちょっと前、某SNSの納豆コミュニティにハマっていたことがある

私自身はたいして好きなわけでもなく
ミュウが納豆大好き人間だから覗いてみただけなのだけれども

みんなが納豆に注ぐ情熱が実にまぶしくて、
つい、やってみたくなるのだな、これが。

どうせやるなら……と思わせるだけ、
ここに集う納豆好きはマニアックでもある。

とはいえ、初回はなかなか勇気もいることとて、
ウソだろ、それ……と思わずひるんでしまう食べ方の中から
まぁ、やってみてもいいか……と思える許容範囲を夫婦で相談しつつ絞っていくと
とりあえず「納豆チーズ・トースト」が楽しそうだった。

そこで、納豆もチーズも共に大好きなミュウと一緒に食べてみることに。

時は休日のお昼。

朝から「今日のお昼は納豆チーズ・トーストだよ!」と父も母も騒ぐのだが、
ミュウにはイマイチぴんときていない模様。

まぁ、騒いでいる親の方も確たるイメージには乏しいわけだし。

車椅子で食卓の定位置についたミュウの前に材料をすべて運び、
トースターのワゴンもテーブルの傍にセット。

皿の上に食パンを取り出し、スライスチーズを載せる母の手つきを
大して興味もなさそうに見ていたミュウの目は、

母がパックの中でタレと合わせてかき混ぜた納豆を
おもむろにその上にスプーンで広げ始めるや、

「おや?」と俄かに焦点を結び、
次いで見開かれて「え?」と言った。目が。

え? え? えぇぇー? 

見る見る釘付けになった目は、
それから「なんてこと、するんだ?」と困惑し、
もの問いたげに母の顔を見た。

うっふっふ。まぁ、待ってなさいって。

チーズと納豆をのっけた食パンは母から父の手に渡り、
父の手でオーブントースターに……。

思ったほど臭くないね。
どれくらい焼けばいいかな?
もうちょっとカリカリにならんかな。

はしゃぎ気味に焼け具合を確かめる親たちを
ちょっと距離を置いて冷静に眺めるミュウ。

「はいよ、納豆チーズ・トースト、できたよっ」

皿に移して目の前に差し出すと
ミュウは車椅子で、ろくろっ首になった。

「えー? なんでー? ミュウの好きな納豆なのに」

いいよ、じゃぁ、お父さんとお母さんで食べるから。

親が二つ折りにした、そいつに齧りつくのを
ミュウは薄気味悪そうに、ナナメ目線で……。

父にはイマイチだったが、
母はそれなりにクリーミーで旨いと思った。

母がどんどん食べるうち
ミュウの目つきが、ちょっとずつ変わる。

「――食べる?」

バツ悪そうに小さな声で「ハ」
「やっぱり、あたしもちょっと食べてみたい……」てか。

小さくちぎったのを口に入れてやると、
遠くを見るような目つきで慎重に味わい、
「あら、割と……」という顔。

「もっと食べる?」
「ハ」

でも、結局5口だった。
彼女はその後、納豆抜きのチーズ・トーストを所望した。

「納豆はやっぱり普通にゴハンで食べたい人ォ?」

おそらく同意見だったらしい父が聞くと、
ミュウは、くそまじめな顔で答えた。

「ハ!!」
2010.11.09 / Top↑
お隣りから美味しそうなカボチャをいただいたので、スープを作ることにした。

子どもの頃には台所で一緒に切ったり混ぜたりコネたり、「お手伝い」が大好きだったのに、
最近は誘ってもちっともノッてくれなくなった娘が、珍しく手伝ってやってもいいという。

鍋で煮たカボチャをミキサーに入れて、
娘にスイッチを押してもらうことにする。

これは幼児期からお気に入りの「お手伝い」の一つなので
何度もやって分かってはいるはずなのだけど、
娘は、突然大きな音がすると、全身が激しく緊張することがあるので、
一応、「ぐぎゅーん、というからね」と予告しつつ、
娘の手をとり、指をスイッチの上に導く。

が、
指先には一向に力が入る気配がない……。

で、つい、言ってしまった。
「怖いことないよ。もう何度もやったじゃない」

すると、娘は目を一瞬ギラッとさせ、
ひとつ大仰なため息をついてから、指先に力を込めた。

ふん。怖いわけ、ないじゃない。

間違いなく、その瞬間、
言葉を持たないウチの娘は、全身から発するオーラで、そう言った。

そして、ミキサーの最初の第一声に本当は一瞬ひるんだくせに、
「なにさ、こんなの」的ながんばりで、手を引っ込めなかった。

ほぉ。なかなか、やるじゃん。

……そういえば、最近、こいつは、どうかした拍子に
こういう、わざとらしいタメ息をついてみせるようになった。

例えば、「寒くない?」「ここ痛くない?」みたいなことを
母親がつい小うるさく訊いてしまうような時とかに――。

ふ~ん、なるほどぉ……

で、軽い気持ちで言ってみた。

「ミュウ、あんた、お母さんに
私をもう子ども扱いしないで、と言いたいの?」

娘は「扱いしな」のところで顔を上げ、
「ハ!」と、ものすごく、きっぱりと言った。

……あは。

そっかぁ。
分かったよ、ミュウ。
お母さん、なるべく気をつけるよ。

柄の長いサラダ用の木製スプーンで
娘と一緒にミキサーからカボチャを鍋にかき出しながら、
母としては胸の内で、ちょっとした感慨にふける。

そっかぁ。あんた、大きくなったんだねぇ……。
おっと、いけない。こんな言い方をしたのでは、また叱られる。
あんた、オトナになったんだねぇ……。

なるほど、あのタメ息は、
「うっせーばばあ」なのかぁ……。そっかぁ……。

……と、
娘の背後から聞こえていたテレビの番組が変わり、
明石家さんまの声が聞こえてくる。

――お?

娘が耳と目をそばだてる。

「お? あの声は……」と、その目が言っている。
次いで「あれは、さんま!」。喜んでしまった。

次の瞬間、無責任にも握っていたスプーンを放し、
「あたし、テレビ見にいく。ねー、おかーさん、テレビ、テレビ」

「……で、カボチャのスープはどーすんの?」
「さんまっ、さんまっ、テレビっ、テレビっ」
「じゃぁ、スープはお母さんが一人で作るんですか」
「ハ」

なんじゃ、それは。

車椅子をテレビの前までお運び申し上げ、
ひゃあひゃあ喜ぶ声を背に、母は台所に戻り、鍋のカボチャをかきまぜる。

カボチャのオレンジ色と牛乳の白が混じり合うマーブル模様を眺めていると、
下を向いたまま、顔が、ひとりでに、にまにましてくる。

ったく。な~にが、「うっせーばばあ」なんだか……。
2010.08.30 / Top↑