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(補遺に上げる記事は、タイトルとかリード部分を読んだだけというものが大半になります)


今度は抗不安薬 benzodiazepines(Xanax, Ativan, Valium,  Klonopin)に、長期服用に伴う依存性と副作用の問題が浮上。2004年からの4年間で処方数が1000万件も増加し、2008年には8500万件に。2004年にはPTSDの兵士66000人への処方も。製薬会社の収益もうなぎ上りらしい。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/06/29/AR2009062903105.html

新生児から取った血液サンプルが親に断りもなく保存されて、研究利用されている。プライバシーの問題が指摘されている。米国。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/06/29/AR2009062903118.html

米国でいったん退院した高齢者や慢性病患者の再入院が医療費の負担としてクローズアップされている。要因としては、病院と地域医療の連携体制の不備、退院支援の不足など。それなら最初から在院日数をゆっくりとって、ちゃんと療養してから帰ってもらったほうが結局は安上がりだった……という話にはならないのかな? そういう患者のことを病院は flier と呼ぶんだ、と。ニュアンスまでは分からないけど、なんとなく迷惑そうな、冷たい感じ。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/06/29/AR2009062903134.html

オーストラリアで2007年に自閉症の7歳児を餓死させたネグレクト事件で母親が殺人罪で有罪に。父親は過失致死。死亡時、女児の体重は9キロしかなく、ホロコーストの犠牲者のようだった、と。
http://www.theaustralian.news.com.au/story/0,25197,25678182-26103,00.html

オーストラリアでも、機能不全家庭の子供の保護に州が十分機能を果たしていない、との指摘。
http://www.canberratimes.com.au:80/news/national/national/general/states-fail-on-child-protection-report-says/1553185.aspx?src=enews

オーストラリア首都キャンベラで、緊急性の低いelectiveな手術の1割は1年以上の待ち。平均で72日間の待ち。
http://www.canberratimes.com.au/news/local/news/general/surgery-queues-longest-in-nation/1554374.aspx?src=enews

EUの議長国というのか、を7月からスウェーデンが務めるのだけど、スウェーデン人の記者が、90年代からの自国の経済破綻と、それに伴う医療を含む社会保障制度の破綻について書いている。もはやスウェーデン・モデルは存在しない、スウェーデンの夢はついえた、と。
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2009/jun/29/swedish-economy-social-state

英国のNHSでは40歳までしか受けられないため、IVFを受けるために何百もの夫婦が欧州本土へ出かけている。たしか、他にも2回までとか、肥満していたら駄目とか、いろいろ条件があったような……。肥満の規制は、議論があっただけだったっけ? 定かではない。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8124010.stm

スイスで大規模な児童ポルノのウェブサイトを運営していた一味を摘発。表向きは音楽サイトだけど秘密のコードで児童ポルノのビデオ・サイトに入れる仕組み。このネットワーク、78カ国に広がっている。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/country_profiles/8123450.stm

子どものころに肉体的な虐待を受けたら、大人になってから癌になる確率が49%も高くなる。……精神的な虐待でもありそうな話だとは思うけど、一方、こういう調査って、どうやってその他の要因を排除して相関を結論付けるんだろう……?
http://www.medicalnewstoday.com:80/articles/155538.php
2009.06.30 / Top↑
C&Cの前身であるHemlock Societyの創設者 Derek Humphryのブログで
最近のスイスの報道から。

2001年の47歳男性の自殺幇助事件で最高裁が
74歳の医師 Peter Baumannを計画的殺人の罪で4年間の懲役刑に。

自殺希望の男性には精神疾患があったにも関わらず、
Baumann医師は自分の「理解と思いやりと共感」に基づいて行動し、
本人の意思決定能力を十分に確認することを怠った、との判断。

このニュースについてDerek Humphryの感想は、 sad, sad, sad。

Swill doctor’s compassion lands him in prison
Assisted-Suicide Blog, June 26, 2009


現在スイス当局がDignitasに対する規制を検討していることを考えると、
この判決の影響は大きいかも。
2009.06.30 / Top↑
去年3月に米国大統領生命倫理評議会がまとめた論考集「人間の尊厳と生命倫理」。

Human Dignity and Bioethics: Essays Commissioned by the President’s Council on Bioethics
The President’s Council on Bioethics
Washington, D.C.
March 2008 

とりあえず、Introductionの2章を読んだところなのですが、
2章はまだよく理解できていなくて、理解できるには、あと3回くらい読まないとダメかも。

1章の方もまだよく分かっていないのですが、
2章よりは分かりやすかったし、言いたいことも出てきたので
内容と、今の段階で思うことを以下に、メモとして、ざっと。


まずShulmanは、生命倫理の世界で論争になっている人間の尊厳が
どのような主張にでも使える曖昧な概念であることを指摘します。

例えば、
生命の終わりの例で「アルツハイマー病の高齢患者の心臓病治療をどうするか」
生命の始まりの例で「助かっても重篤な知的障害を負うであろう未熟児の救命」
“能力の強化”の例で「辛い記憶を忘れられる薬ができたら、その投与は倫理的に許されるか」

そのいずれの問題でも、賛成・反対・個人の自己決定権の3つの立場それぞれに
「尊厳」を持ち出して主張することが可能だ、と。

では、その尊厳は、そもそもどこから出てきた概念なのか、という点について

1.ギリシア・ローマの古代に、人並みはずれて優れた能力や功績に与えられた名誉・尊敬。
2.人間は神の姿に似せられて作られたとする聖書の教え。
3.18世紀カントの道徳哲学。人間の合理的な自律性に尊厳があり、
 なんびとも他者の目的の手段として利用してはならない、とする考え。
4.20世紀の憲法や国際条約に使用されている尊厳。

3については前のエントリーでも紹介した
What SortsブログのSinger批判でも出てきていた
「自己統治するものとしての人間に内在するものとして尊厳がある」という考え方で、
だから、パーソン論のように、一定の知的能力があることが要件となって、
自己統治できない人間の場合は、外から他者が最善の利益を検討してあげましょう、
という話にもなるのでしょうか。

4については、Schulmanは
1945年の国連憲章以後は、人間の尊厳について理論的な基本合意ができたというよりも
むしろ大戦下での人権侵害を繰り返さない実際的な目的を持った、
ぶっちゃけてしまえばホロコーストを繰り返さないための旗印のようなものだった、と。
(旗印という表現はspitzibaraの解釈)

で、その4つのいずれも(詳細はイマイチ理解できていないのですが)
現代のこれだけ科学とテクノロジーが進んだ時代の生命倫理の論争で役に立つかといえば、
やはり曖昧すぎて、それ自体では使えんだろう、と。

じゃぁ、どうするんだ? というところで
Schulmanが一応とりあえずの提案として述べているのが、
Humanityとして人間の尊厳をとらえてみてはどうだろう、と。

ここでのhumanity は、たぶん、「人道的であること」ではなくて、
「人が人であって、人以外のものではないこと」とでもいった内容ではないかと思います。

科学とテクノロジーの進歩で人間の不完全な自然(our imperfect nature)は
どんどん克服され、強化され、いかようにも変容可能となり、
人間の性質(自然)そのものが操作できるようになってきた中で
しかし、この部分だけは人間が人間たることの侵されざる本質であるがゆえに
バイオテクノロジーでも手を加えてはならない……というコアな部分があるはずで、
それを人間の尊厳なのだと考えてはどうか、と。

      ――――――

なんだか、Peter Singer から
それは人間の思い上がりだ、 speciesism (人類による他の種への差別)だと
批判が出そうですねぇ……というのと、

今現在、クローン人間を作って何が悪い、という人や
人工生命を作ろうとしている人までいることを思えば、
その humanity だって、これまた曖昧で
いかようにも定義可能だとも言えるのでは……というのはすぐに思ったのですが、

1つ、ものすごく引っかかった表現があって、

But in this extraordinary and unprecedented era of biotechnological progress, whose fruits we have scarcely begun to harvest, the campaign to conquer nature has at long last begun to turn inward toward human nature itself.

というところの、 the campaign to conquer nature 自然を征服しようとの取り組み。

それから、ずっと後のところに、上にも引っ張った our imperfect nature 。

こんなふうに、科学とテクノを
「人間の外なる自然を征服」し
「人間の内なる不完全な自然を克服する」手段だと捉えるところから始まる限り、
ここまではOKだけど、ここからは人間の本質に関わるからダメという線は引けないで、
いくところまで、どこまでもいくしかなくなるんじゃないのだろうか……。

それを感じているからこそ、Shulman氏も最後のところで
運がよければ、手遅れにならないうちに、そのラインを引けるだろうし、と言っている……?

         ――――――

頭ではわかっていたことのはずなのに、
やっぱり欧米の感覚では自然は「征服」すべきものなのね……というのが
この文章を読んで、改めて衝撃だった。

NY Timesが映画「おくりびと」を退屈なメロドラマだと酷評しているのを読んだ時にも、
この映画は最初から、ストーリー展開を追いかけて見るような映画じゃないでしょーが……
と毒づきつつ、我と彼との生命観の違いを突きつけられたような気分だった。

若くて死んだり、病気で死んだり事故で死んだり自殺で死んだりと、
人の様々な死に方を点描しつつ、いくつも点描されているからこそ
あの映画全体として描かれるのは

一人の人間の死は他の多くの死の1つに過ぎないし、
一人の人間の生だって所詮は多くの人間の生の1つに過ぎないのだけれど、
その一つ一つはみんな大きな自然のいのちの営みの中にあって、
その大きないのちと繋がって、個々のいのちがここにある……と捉える文化。

個々のいのちが大切なのは、
その個々のいのちが他よりも優越しているからでも
他よりも社会にとって意味があるからでもなく、
個々のいのちが全て、もっと大きないのちとつながり、
その中に内包されて、そこにあるから、という文化──。

ストーリーを追いかけるんじゃなしに、
そういう文化の奥深さをこそ、アンタたちは感じたらどーよ……と
NY Timesの「おくりびと」評にムカつく私の日本人的感性では
自然というのは、やっぱり征服するべき対象というよりも
あまりにも大きく人間の力や計らいを超えたところにあって
征服なんてできるはずもないもの……なんだろうな、と思う。

ちょっと万能細胞がいくつかできたからといって、
ちょっとヒトゲノムが解読できたからって、
それくらいのことで征服できると考えられるほど、ケチなものじゃない。

せいぜいが調和してく対象……いや、きっと対象ですらなくて、
自分がその一部であるところのもの、かな、やっぱり感覚的には。

敵対しているんじゃなくて、繋がっている。そこに自分が内包されている。

だから、人間にとっての不自由や不便もひっくるめて自然はありのままに完全で、
その一部としてここにある私という命も不完全なまま
自然の一部としてここにあることをもって完全でもある──。

Schulmanさんには、な~にを寝とぼけたタワケを、って言われるのだろうなぁ。

でも、な~んだか、なぁ。まだうまく言えないのだけど、

米国のほとんど狂気の沙汰のような科学とテクノ万歳文化の極端と、
がむしゃらな知能偏重、
「頭がよくなければ人じゃない」
「頭さえよくなればハッピーになれる」
「欲望はいくらでも満たせる」
「欲望を満たせないことは悪」的な突っ走り方を見ていると、

そんなにマナジリを決していないで、
もうちょっと、ほら、体の力を抜いて、ゆるゆるといこうよ、
ゆるゆると、のびのびと、おおどかに……と言いたくなる。

もちろん、アメリカの科学者や科学とテクノの利権に群がる人たちに
日本人の自然観・生命観の中から何かを学ぶつもりが、あるわけはないし、

日本にしても、
「国際競争力をつけて生き残るために」の掛け声は
科学とテクノでも経済のネオリベ・グローバリズムと同じで、
世界中がいずれ現在の米国の狂騒に巻き込まれていく宿命なのだろうから、
そこにさらに慈善資本の功利主義グローバル・ヘルスが世界を席巻しつつあることを思えば
日本だけが後戻りできるわけも、一人独自の道を行けるわけでもないのだろうし。

やっぱり科学とテクノの簡単解決万歳でイケイケ文化に向かっていくのも
もう避けがたい宿命なのかもしれないけど。

でも、その一方で、
日本独自の死生観とか自然観に基づく
日本独自の生命倫理というものがあって、
それを1つの選択肢として提示できるとしたら……と考えてみたりする。
2009.06.30 / Top↑
Diekema & Fost成長抑制論文が
障害学や障害当事者らからの「尊厳を侵す」との批判を
「尊厳は定義なしに使っても無益な概念」だと一蹴していることが
ずっと気持ちに引っかかっていて、ぐるぐる考えている。

ここ数日いろんな人から教えてもらったり助けてもらって、
いくつか分かってきたことや考えたこともあるので、
まだ整理はうまくできていないけど、ここに一応まとめておこうと思って。


①英語圏の生命倫理学では「尊厳」が無益な概念かどうか、ずっと論争になっていて、
ことの発端は2001年にRuth Macklinという人が書いたこちらの論文だとのこと。

Dignity is a useless concept
Editorial, BMJ 2003; 327:1419-1420 (20 December)

どうも「人間の尊厳」とは結局「人格の尊重」とか「自己決定権の尊重」のことだとする主張のようなのだけど、
論文そのものを読んだわけではないし、それがどういうことなのかも、まだイマイチよく分かっていません。

リンク・ページの下部に、掲載直後の数ヶ月にBMJに寄せられた多数の論文が紹介されていて、
タイトルだけを眺めても、かなりの反論が出ている模様。

なんだか、とんでもなく、ややこしい論争なんだなぁ……。
軽い気持ちで「尊厳の定義って?」と疑問を持ったことが悔やまれてしまう。

ただ、DiekemaとFostが尊厳なんて“useless concept”だと引用符をつけているのが
この論争でのMacklinの主張を持ち出したつもりなら、
成長抑制の倫理的妥当性を論じるに当たって尊厳は無益な概念に過ぎないとする彼らの主張にも、
Macklinの論文に対すると同じだけの反論が可能になるということは言えるかもしれない。

この論争をまとめたものとして、
去年、大統領生命倫理評議会から論考集が出されていると教えてもらって、
現在イントロダクション2章分を読んだところ。
これについてはまた別エントリーで。


②もう1つ教えてもらったのが、去年7月の
国連人権理事会特別報告官の報告

この報告書において
「侵襲的で非可逆的な医療が同意なしに障害者に対して行われている」ことが
拷問や虐待として指摘されている点や、

障害者権利条約17条で全ての障害者に対して
「身体的精神的インテグリティ(不可侵性完全性)が尊重される権利が認められている」と
特筆されていることからも、

「尊厳」は定義されていないにしても、
障害を理由にホルモン大量投与による成長抑制を行うことは
身体的インテグリティの侵害であり虐待だと言えるのではないか──。

……とここまで考えて、思い出した。

③去年NYで開かれた認知障害カンファでSingerがAshleyケースを取り上げた時に、
What Sortsブログで、この疑問そのものの議論があったのでした。


カント流に「自己統治できる人だけが尊厳を有する」と考えて
知的障害者に尊厳を認めず、他者から判断できる利益の検討のみでよいと
Singerのように主張するならば、
知的障害者は自己統治ができないことをまず証明しなければならない、と。


④その際に、障害者への虐待を研究してきたカナダ、アルベルタ大学のDick Sobsey氏が
子どもの権利条約を引いて、Singerに見事な反論を行っていました。

これは本当にブラボーな批判なので、関心のある方はぜひ。



⑤そういえば、Ashley療法論争では
Art Caplanなども即座に「障害児にも成長する権利はある」と
具体的に「成長する権利」をあげて批判していたんだった。

だから、DiekemaもFostも、「尊厳を侵す」という批判だけでなく
「成長する権利を侵害している」との批判にも答えなければならないはずなのだけど、

成長抑制の2つの論文とも、この点については
「重症児が背が低いことから蒙る害というものが考えられるだろうか?」
「重症児は背が低いことによる社会心理的な不利益を体験することがない」などと、
書いている部分が、その反論のつもりなのかもしれない。

でも、これ、「利益を検討するより害を避ける方が優先」という慎重論である「害原則」の
逆利用・悪用に過ぎないと思う。

「害原則」というのはDiekema医師自身も
「最善の利益」は医療における意思決定では実は不適切だとして、
それに代わる原則として採用すべきだと主張しているもので、
「いかに利益になるか」ではなく「いかに害を避けるか」を優先する観点。


1月の成長抑制ワーキング・グループでは
身長が低いことでスティグマが強化されて、そのスティグマによって
さらなる侵襲への正当化に繋がる悪循環が起こる「害」が指摘されていたと思うのですが、

これらの論文の「害」は、「害」というよりも
「知的障害が重いからどうせ本人には感じられない」との偏見に過ぎない。


⑤どうも、やっぱり「最善の利益」とか「利益 vs リスクまたは害」検討というのは
どこか、まずいことを言いくるめるためのマヤカシのような気がする。

これについては去年3月にこちらのエントリーにも書いているのですが、

そもそも「利益 vs リスクまたは害」検討というのは
それ以前に「条件さえクリアすれば可」という前提から始まっていて、
本当はそれ以前にあるはずの「無条件に不可か、それとも条件によって可か」という検討段階が
すっとばされていて、「可とする」ことが前提になっているのがマヤカシだと思うし。

ちなみに、Ashleyケースの擁護に出てきたFraderという人が
「最善の利益」はポルノと同じで、見る人によってどうにでもなる、と言っています。



⑥あと、知的障害者への医療介入をめぐる法的判断などを当ブログで読んできた中で
考えておきたいこととして、本人利益の証明責任には必ず
「明白で説得力のあるエビデンスを提示することによって」という条件がくっついていること。

この文言はDiekema医師自身が
2003年に書いた知的障害者への強制的不妊手術に関する論文で使用しているのですが、
AshleyケースにおけるDiekema医師の正当化がこの条件を満たしていたことはない、と思う。


⑦で、総じて、成長抑制論文の「尊厳は無益な概念」という主張について思うのは

本当は「尊厳」の定義の問題ではなくて、
「尊厳」概念を否定する人たちに対抗するために
「尊厳」の定義が必要になっている事態のほうの問題であり、
もしかしたら「必要になっている」と思わされてしまう「向こう側」の戦略そのものを
問題にするべき話なのかもしれない、ということ。

つまり自分たちが説明責任、証明責任を果たせていないことから目を逸らせるために
批判する側にあたかも説明責任があるかのように転化して
批判封じの恫喝をぶちかましてみせているわけだから、

その恫喝に屈しないためには
「いや、説明責任を果たすべきなのはそちらである」との姿勢を崩さず
「そして、あなた方はまだこの点を説明していない」と指摘し続けること──。

なにしろ、ここでもまた、
ない研究は、ないことそのものが見えない、よって何故ないのかも見えなくなってしまうのと同じく、
ない説明は、その説明がないことそのものが見えなくなって
なぜ、その説明はないのかという背景が隠蔽されてしまっているのだから。
2009.06.29 / Top↑
マイケル・ジャクソンの死因調査が、心臓発作当時マイケル・ジャクソンと一緒にいた医師に及んでいる。この科学とテクノ万歳文化の中で、金のある人がその金で個人的に医師を雇うと、どういうことが可能になるのか……?
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/06/27/AR2009062702361.html

米国と英国の高齢者にテストをしたら、米国の高齢者の方が認知機能が高かった、と。こういう調査をやることには、一体どういう意味があるんだろう?
http://www.medicalnewstoday.com/articles/155369.php

A事件関連。カナダの障害当事者ジャーナリストのHelen Hendersonが、DiekemaとFostの成長抑制論文に批判記事を書いている。気になるのはコメント。「歩かないなら体重が軽いのが本人利益」「当事者じゃないのに批判する資格なし」2007年当時とまったく同じ。いや、多分、当時の衝撃がもはや薄れて、抵抗なく、そう考える人が増えているのだろうと思う。
http://www.healthzone.ca/health/article/655497
2009.06.28 / Top↑
8年間使ったアパートの一室の貸借契約が2007年の夏に切れて以来、
Dignitasは、周辺住民からの抵抗で、きちんと居場所を定めることができず、
転々としていたらしいのだけど、

やっとWitzbergという町に落ち着くことになったとか。

Witzbergの当局は渋い顔なのだけど、
特別な許可が必要なクリニックではないため、法的にはどうすることもできず、
せいぜい活動には目を光らせる、と。


Assisted suicide group finds new home
WRS WorldRadio.CH, June 25, 2009
2009.06.28 / Top↑
米国WA州のBellinghamという地域で24日、
尊厳死法について議論するランチョン討議が開かれ、

オプト・アウトしている病院の幹部、
Whatcom郡医師会の会長
それからC&Cの理事が
シンポを行った模様。

その中でC&Cの Arline Hickley氏が
「非常に難しい問題です。
選択肢があることそのものが一種の緩和ケアなのです」と。



しかし、この見解は、それ自体が、
自殺幇助希望者の動機が、ターミナルな病状の苦痛ではなく
Oregon州の調査から出てきているように、先行きの苦痛に対する先取り不安であることを認めており、

それが言えるのであれば、
「十分な緩和ケアが保障されることによって、自殺幇助は無用」という論理が
同時に、というよりも、それよりも先に成立するはずでは?


他に、この記事で「うへぇ。これぞアメリカ的形式主義」と度肝を抜かれたのは

尊厳死法でオプトアウトしている病院の医師は
もちろん患者に自殺目的の致死薬を処方することはしないし、
他所で処方された患者にも”病院の敷地内でその薬を飲むことは認めない”けれども、
「飲む前と飲んだ後のケアは、うちの病院でもやります」と。

これは形式主義じゃなくて、人道主義──?


それから、医師会の会長も
害を与えないというヒポクラテスの誓いを立てたから、
医師会としては毒物を処方する医師が誰かという情報を患者に教えることはできないが、
オプトアウトした医師の情報は医師会として持っているから(教える)、と。



このシンポについては、後で見つけた、こちらのSPiの記事のほうが詳細でした。

2009.06.28 / Top↑
昨日、参議院で臓器移植法改正審議が始まったというニュースの中で
A案提出者の方が「各国と同じように移植ができるように」といわれるのを聞いて
前と同じように「じゃぁ、米国の医療で起こっている恐ろしい諸々を
まず、きちんと報告したらどうなんですか」とムカついていたところ、

今朝の朝日新聞に大阪府立大の森岡正博氏が書いてくださっていた。
(森岡先生、本当にありがとうございます)

臓器移植法A案可決 先進国に見る荒涼
森岡正博
朝日新聞 2009年6月27日朝刊


米国で、救急搬送されてきた障害者に救命よりも臓器摘出を優先させたNavarro事件が起こったり
停止から75秒しか待たずに心臓を摘出する子ども病院があったり、
カナダで、重症障害新生児から臓器提供を前提に呼吸器が外されたKaylee事件が起こったり、

というニュースに触れるたびに、脳死者からだけではなく、
臓器提供を前提に心臓死を起こさせることが事実上認められているとしか思えない状況に、
その法的根拠がなんなのか、ということに疑問を感じてきましたが、

森岡先生の記事によると、昨年12月に
米国大統領生命倫理評議会が「死の決定をめぐる論争」というレポートを大統領に答申。

報告書は脳死概念が揺らいでいることを認めたうえで人工的心停止後移植に注目している、と。

これは、まさに
当ブログでも何度か取り上げてきたTroug、Veatch、Fostらの
「どうせ脳死者は死んでいないことは皆わかっているんだから、いっそ
本人さえ事前にその意思表示をしてさえいれば
生きている人からでも臓器を摘出していいことにしよう」という主張。
(詳細は文末にリンク)

森岡氏は
「本人あるいは家族の希望に基づいて」人工呼吸器を取り外し、
心停止から2~5分待った上で待機していた移植チームが臓器を摘出する、
この方法が92年に確立して「ピッツバーグ方式」と呼ばれており、
2007年に793例も実施されたと書いている。

その「ピッツバーグ方式」の実施が可となる法的根拠というのが
私には、まだよく分からなくて、

それはもしかしたら医療についての判断は州が行うことになっていることと
関係しているのかもしれないのだけど、

なんとなく米国の医療というのは
法規制よりも既成事実が先行しているような気がしてならない。

(で、病院内倫理委がその正当化の装置としての役割を担っていくような嫌な予感がする)

だってね、大統領生命倫理評議会の答申では
「脳に重大な損傷があるが、まだ若干の脳機能が残っている者」の人工的心臓停止後摘出が前提だし
例えば去年3月にRobert VeatchがBoston Globeで言っていたのも
「永続的植物状態になった場合には死亡宣告してもらうか
脳の機能を部分的に残したまま意識がない状態を延々と続けるかを選べるようにして、
死亡宣告で臓器提供を可能としよう」という話だというのに、

現実に医療現場で早々と起こっているのは
NavarroやKayleeのような重症障害児・者を「臓器提供のために死なせる」という行為。
(Kaylee事件はカナダですが、こういうケースで家族と病院側に対立がなければ
事例そのものが表に出ないことを考えると、報道は氷山の一角だと思う)

議論されている対象者像と、実際に臓器目的で死なされている人の障害像は
実は大きくズレて、現実の対象者の線引きがずいぶん前倒しされている。

ちょうど英米でターミナルで耐えがたい痛みがある人の自殺幇助合法化が議論される一方で
実際には重い身体障害を負った23歳の若者の自殺幇助や
視力低下を苦にする高齢者の自殺幇助まで行われていて
それを許容する議論と空気がじわじわと広がっているのと同じように。

それから、森岡氏は
人工的心臓死後臓器移植が安楽死や尊厳死と繋がることの懸念を挙げておられて、

特に英米で自殺幇助合法化への動きが急加速していることも含めて
本当に、その懸念はつくづく大きいのだ、と私も思う。

しかも米国では、そこに「無益な治療法」が噛んでくるのも怖い。

現在、少なくとも3州で成立している「無益な治療法」が広がっていけば
治療中止の決定権は病院にあるのだから
VeatchやFostが言っている事前の本人の意思表示など
あってもなくても同じことになってしまう。


米国の医療では、こういう諸々が起こっていて、
臓器移植でも自殺幇助合法化でも無益な治療でも生殖補助医療でも「すべり坂」だらけ。

脳死と植物状態の線引きも、植物状態と重症の認知障害との線引きも、
重症の認知障害と重症の身体障害との線引きも、なにもかもあやふやな議論が平気で横行している。


A案提出者のいう「各国と同じように臓器移植ができるように」が
もしも米国の医療をスタンダードにしているのであれば、
こういう現状をきちんと明らかにすることが先ではないのか、と、やっぱり思う。

まさかA案提出に関わった移植医療の専門医が「ピッツバーグ方式」を知らないはずも
「死亡提供者ルール」廃止論を知らないはずもないのだから。



【死亡提供者ルール廃止の主張に関連するエントリー】
脳死の次は植物状態死?(2007/9/10)
臓器移植で「死亡提供者ルール」廃止せよと(2008/3/11)
「脳死」概念は医学的には誤りだとNorman Fost(2009/6/8)
2009.06.27 / Top↑
映画 My Sister’s Keeper の NY Times レビュー。 an honest manipulation ……そういう表現をするのかぁ……。
http://movies.nytimes.com/2009/06/26/movies/26sister.html?th&emc=th

ES細胞研究に卵子を提供してくれる女性に、NY州が金銭的な報酬を支払うことに。全米で初めて。最高1万ドルまで。貧しい女性への搾取に繋がる、との批判も。そういえばNorman Fostが、小児を実験の被験者とすることについても、金銭的な報酬さえ払えばよかろう、と言っていたな。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/06/25/AR2009062501931.html

1時間半のベビーシッターを頼まれた15歳の少年が、なぐる、噛み付く、髪をむしるなど68もの傷を負わせて2歳児を殺害。顔面殴打で脳損傷を起こしていたほどの暴行。去年7月の英国の事件。殺人で有罪に。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/england/manchester/8120560.stm

世界中の死者の25人に1人で、死因がアルコール摂取に関係していると、カナダの研究者。貧困層ほどアルコールの影響が大。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8118475.stm

中国が国民のインターネットアクセスを制限にかかっているという話がこのところ出ている。ここでは、性に関する医学研究情報へのアクセスをブロックするつもりらしい、と。ポルノ防止で……って?
http://www.nytimes.com/2009/06/26/world/asia/26china.html?_r=1&th&emc=th
2009.06.26 / Top↑
私の情報収集はインターネット上のメディア情報が中心になっているため、
何かの弾みに引っかかってこなければ、なかなか学術論文は目に付かないのですが、
どうやら、いろいろ書かれていたようです。

よかった、ちょっと安心した。

ブクマしておくだけでは散逸してしまうので、個人的なメモも兼ねてエントリーに。

(もしも、この中の論文のいずれかを「持ってるよ」という方がありましたら、
 お手数ですが、コピーを譲っていただけませんか。

これまでに当ブログで購入したり収集したものもあるので、
そのうちAshley事件関連論文のリンク集も取りまとめようとは思っています)


The Ashley treatment: two viewpoints.
Shannon SE, Savage TA.
Pediatr Nurs. 2007 Mar-Apr

アブストラクトなし。
著者はワシントン大学の Biobehavioral Nursing and Health Systems の職員。
当時から、いろんな人が“動員”されていたんですね……?


Ashley X.
Kirschner KL, Brashler R, Savage TA.
Am J Phys Med Rehabil. 2007. Dec.

We conclude with critical questions for physiatrists and other disability specialists who are in a unique position to examine medical controversies involving people with disabilities.


Forever a child: analysis of the Ashley case
Terry L. Campbell A.
Pediatr Nurs. 2008 Mar.

Open discussion of all possible motivators and ethical concerns helps ensure robust decisions are reached. Children's nurses have an important role in acting as advocates for the child.

うん。確かに、患者一人ひとりのことについては
看護職のほうが医師よりもよく知っていると思う。
でも、介護職なら、もっとよく分かっていたりもする。


The Ashley Treatment:furthering the anthropology of/on disability
Battles HT, Manderson L.
Med Anthropol. 2008 Jul-Sep

A事件にかこつけて、だから医療文化人類学の研究がもっと必要、という話?



The paper below discusses the main objections to the treatment. It concludes that the most serious concern raised by the case is that it may set a worrying precedent if the moral principle employed in justification of the treatment is applied again to endorse it in similar circumstances. Finally, it raises the possibility that that same moral principle may even be invoked to justify more radical interventions than those that were actually performed in the Ashley treatment.

今回の成長抑制論文の「尊厳は無意味な概念」という箇所に私は今とてもこだわっているので
「道徳的な原則でもってこの医療介入を正当化する悪しき前例には、すべり坂が懸念される」との論旨は
YES!!!! という感じ。



もしも親が裁判所にAshley療法の許可を求めた場合に、どういう判断がされるだろうか。
親が明白で説得力のあるエビデンスによって、それが子の利益であると論証することができれば、
認められる可能性はあるが、しかし、このような極端な要望に対して、
裁判所は慎重であることが望ましい……という論旨。

いや、でも、イリノイのK.E.J ケースの判断
Diekema医師自身が論文で整理している考え方からしても、
裁判所がそう簡単に認めるとは私には思えないけど。

ともあれ、この著者はWPASの調査を連邦政府レベルの調査だと思い込んでいることに、
改めて、そういえばWPASの調査権限って連邦政府から委任された形なんだよね……と思うと、

合同記者会見までして公表した合意を病院に反故にされても黙ってすっこんで、
それどころか、のうのうと口をぬぐって一般化のお先棒を担いでいるWPASに
それはなんという障害者への裏切り行為かと、目の前がくらくらするほどの憤りを覚えるよ。私は。

         ―――――――――

今回の成長抑制論文だけでなく、
ちょっと某所で仕入れたウラ情報では
子ども病院の成長抑制ワーキング・グループも論文を書いて
既に Hastinges Center Report に送っているとのこと。

ちかぢか掲載になるのでしょうし、
これまでの経緯からして、WGの論文は一般化の正当化に決まっているのだから、

もっとあちこちから批判・反論が出てくれないと。
2009.06.26 / Top↑
遅ればせながら「納棺夫日記」(文春文庫 増補改訂)を読んだ。
今考えているあれこれとの関連で、あちこち興味深かった。

「みぞれ」に当たる言葉が英語にはないという話で、

……要するに英語圏では、みぞれのような雨でもなければ雪でもないといったあいまいな事象は用語として定着しなかったのであろう。刻々と変化してゆく現象を言葉としてとらえることは、英語圏の人の苦手とするところである。
 そのことは生死をとらえるときにも同じことが言える。西洋の思想では、生か死であって〈生死〉というとらえ方はない。(P.38)

 しかし、〈生〉にのみ価値を置く今日の我々は、自分だけは変わらないとする我執のため、この〈無常〉という言葉も死語に近い状態となっている。(p.45)

 科学が、宇宙や生命の謎を解き明かそうとしている時代に、霊魂を信じるアニミズムが数千年まえと変わりなく人々の心に巣くっている。そのことは、迷信や俗信の裏に霊魂の実在を信じる人間の自我が、絶ちがたく存在しているということにほかならない。(p.83)


著者の青木新門氏は、第3章で、
自分が納棺夫として死と向き合う中でウジのような小さな生命の上に見た〈ひかり〉を
臨死体験者が見た〈ひかり〉や、親鸞が不可思議光と名づけた〈ひかり〉と重ね合わせて、
深い思索を行っているのですが、
その〈ひかり〉をめぐって、

まず生への執着がなくなり、同時に死への恐怖もなくなり、安らかな清らかな気持ちになり、すべてを許す心になり、あらゆるものへの感謝の気持ちがあふれ出る状態となる。
この光に出会うと、おのずからそうなるのである。(P.102)

源信、法然、明恵、道元、一遍、親鸞、これら高僧たちはおしなべて、十歳未満で父母との別離に出会っている。蓮如も、幼い日に母との別離があった。こうした幼い日の悲しみの光は、いつまでも残り、その人生に大きな影響を与えてゆく。(p.122)

そして生と死のせめぎ合いから生じる〈生死〉の光を浴びて、詩人たちが生まれてくる。(P.123)

──救いようもない者たちよ、みんな光の中にいるのだ。今はただ、煩悩に遮られて見えないだけである。しかし大悲(光)は永遠に輝いて、私たちを照らし続けている。だから念仏を称えていればよいのだ── (p.138、 親鸞の言葉を訳したもの)


「悲しみの光」という言葉で思い出したのは、
紀野一義さんが、たぶん「私の歎異抄」で書いていたのだと思うのだけど、

他力の心というのは、持とうと意識して持てるものではなくて、

思い通りにいかない苦しいこと悲しいことの中で長い年月の間ずうっと打ちのめされて侘びさせられて
もうこれ以上はどうにも耐えられない……と追い詰められた、ぎりぎりのところで、
つい念仏が口をついて出る……といった形で、自力の心が消えて心が他力にひるがえる――。

他力の心とは、そういうものなのだ……というようなこと。

トランスヒューマニストらが不老不死への夢を語る言葉を読んで
「ああ、これは我執ではないのか」と思ったことが何度もあり、

人はこんなふうに、ひたすら欲望をかなえていけば本当に幸福になれるのだろうか、
そんなものじゃないだろう、

欲望をただ次々に満足させていくだけでは人は本当は幸福にはなれず、
むしろ、あるところからは、その欲望を手放していくことによってしか
真に幸福を得ることはできないんじゃないのか……ということを
ずっと考えている。

自殺幇助の合法化を求める人たちの言葉にも、やはり
強烈な生への執着と自分への執着を感じて、
そういう言葉にばかり触れ続けていると、どこか息苦しくなり、
そこから逃げようとして、なのか、なんとなく、逆に、

ほどく、 ほどける
ゆるめる、 ゆるむ
解く、 解ける
離す、 離れる
開く、 開ける
ばらく、 ばらける
広げる、 広がる
ほぐす、 ほぐれる

放す
任せる
預ける
ゆだねる

……といった言葉とかイメージを求めて、
頭と心が、うろうろし始める。ような気がする。

私がそういう方向に何がしかの解を求めようとするのはやはり、
無意識のうちに仏教的な感性や日本人特有の自然観を自分のうちに取り込んでいるからなのなかぁ……
という思いも、ずっとあったのだけど、

青木氏が書いている言葉が体にも心にもしっくりと沿ってくるのも
日本人の感性ゆえなんだろうか……。


でも、そうすると、
トランスヒューマニストにはどうやら自称仏教徒が多いことが
ちょっと不可解なことのようにも思われてくるので、

そのあたりのことを、時々ぼんやり、ぐるぐる考えている。

            ―――――
 
この文庫本の序文を書いたのが吉村昭氏であり、
そもそも青木氏の書くものに最初に興味を持ったのも吉村氏だったということが
何よりも印象的だった。

吉村昭さんの小説は好きで、いくらか読んだし、
妻である津村節子さんの若いころの作品に描かれている氏の分身も
強烈な印象(特に骨だけで泳ぐ魚に魅入られる話とか)を残していて、

吉村昭という人は死に魅入られた作家だったんだと
自分の中で勝手に思い込んでいる。

その吉村氏が、青木氏が見てきた世界、青木氏から見える世界にひきつけられたのは、
なるほど至極しぜんなことだな、と感じて、
「納棺夫日記」を読みながら、

自分で点滴の管を引き抜いたという吉村氏の最期のことをずっと考えていた。

津村節子さんがその時のことを書いた短い文章は
どこかの雑誌で読んだ記憶があるのだけど、
まとまった形で書かれた本があるなら読んでみたいと思いながら、
まだ果たせていない。

──読もう。
2009.06.26 / Top↑
Cari Loderさん(48)はロンドン大学教育学部の元講師。
かつて数種類の薬を併用するとMSの治療になることを偶然に発見し、
自ら進んでその治験に参加した“パイオニア”。

そのLoderさんが6月8日にSurreyの自宅で
ヘリウム自殺。

予めFinal Exitの指南書を買って読み、
頭にかぶるフードはインターネットで購入していたとのこと。

誰の助けも得ていないとする遺書があったが
警察は手を貸したものがいると見て捜査。
近所の80歳の男性を逮捕した。(現在保釈中。)

自殺幇助合法化に向けて活動する“圧力団体”(Times)Friends at the End (Fate)のメンバーで
GPでもある Dr. Libby Wilsonが死の前にLoderさんと話しており、
症状が進んでからのことを考えると恐ろしくて、それよりも
永遠の眠りに付かせてくれる薬を飲む方を選びたい、と言っていた、と。

「私はこれまでずっと自立してきたし、自分の生活は自分で決めてやってきた。
障害はあっても、ここで一人で暮らしてきたのよ」と言っており、
絶対にケアホームなんかには入らないと決めていた、とも。

Loderさんの自殺について
自殺幇助合法化を求めて活動する人たちからは
「自殺幇助が合法化されていないために、Loderさんは死ななくてもいい時期に
死期を早めて自殺しなければならなかったのだ」
「いざという時には医師が死なせてくれるという安心感があれば
彼女は安心して、もっと先までがんばって生きることができたのに」などという声が。

Disease pioneer’s helium suicide
The Times, June 21, 2009


この記事で私が注目したいのは、

・ 自殺の前にFATEの関係者がLoderさんと明らかに接触していること。
米WA州の尊厳死法適用の最初の2例でC&Cが当初から希望者の支援に入っていたことを思い出します。
しかも、この事件では、それがGPだというのだから恐ろしい。

・ Loderさんが語ったとされる自殺の動機は
例の、事故で首から下が不随になった23歳の元ラグビー選手の
「セカンドクラスの人間として生きるのは耐えられない」といった
自殺の動機と基本的には同じで、

いわば“障害者の中のエリート”として生きてきたLoderさんが
もっと重度の障害者と自分との間に無意識のうちに線引きをしていたということでは?

で、健常者だった人が「障害者になるなんて死んだ方がマシ」といい
障害がある人が「もっと重度の障害者になるなんて死んだ方がマシ」といって
自殺することを容認・擁護する社会というのは、
おそらくは彼らの障害観を共有している、ということでしょう。

それならば、その障害観が自殺幇助合法化議論だけでなく
無益な治療論や障害胎児・新生児への対応、“臓器不足”問題にも
影響していくのは必至──。

私はAshley事件の最も大きな罪悪の1つは
重症重複障害児・者とその他の障害児・者の間に明確な線引きを行ったことだと思う

今の医療倫理の動向の中で、その線引きが意味することの重大さを思うと、
本来前例となるはずのなかった偶発的な事件だと思われるだけに
なんという取り返しの付かないことをしてくれたのだ! と、お腹の底がかっと熱くなる)

・Loderさんの死が、自殺幇助が合法化されていないことによって不当に早められたとする
 合法化推進派からの非難の声は、
 「議会で今行われている審議で法律を明確化してくれないなら
 もっと先でいいと考えていた自殺を早めて、スイスで一人で死んでやる」
というDebby Purdyさんの言い草とまったく同じで、
ほとんど子どもが駄々をこねるような脅迫じゃないか、と思う。

でも、死の自己決定権を主張している人が
誰かの自己選択による自殺に対して人が罪悪感を持つことを前提に
こんな恫喝めいた台詞を吐くというのも変な話。
 
2009.06.26 / Top↑
Jodi Picoult原作の映画 My Sister’s Keeper でUSA Today のMovies の記事。キャメロン・ディアスが母親役を演じることに、本人はどうなのよ、という話が中心ではあるのだけれど、それにしても「癌の姉のために妹に臓器提供を強要する母親の役」以上に物語の説明がないのも、どうなのよ。妹は初めからその目的で体外受精と遺伝子診断で作られたのであり、それこそがテーマなんだというのに。
http://www.usatoday.com/life/movies/news/2009-06-24-cameron-diaz_N.htm?csp=DailyBriefing

FBIが5000万ドルものメディケアの不正請求を暴き、53人を起訴。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8117561.stm

医療改革に不可欠なのは選択、競争、インセンティブ。NY TimesのOp Ed。
http://www.nytimes.com/2009/06/25/opinion/25enthoven.html?_r=1&th&emc=th

英国では診断の遅れとその後の治療の不備で、医療の質さえ高ければまだ生きられたはずの75歳以上の癌患者が毎年15000人も死んでいる。比較の基準にされているのはヨーロッパと米国のベストな医療。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8117561.stm

州知事さんたちがObama大統領に、「医療改革の必要については認識を同じくしているが、そのために既に苦しい州の財布に余計な負担をかけたり、州独自に始めている革新的な事業の邪魔をしないように」。改革議論への参画を要求。こちらも知事の乱?
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/06/24/AR2009062403609.html

ヘロインやコカインの濫用は犯罪としてではなく、病気として治療しましょう、と国連の担当部局から。
http://www.guardian.co.uk/world/2009/jun/24/united-nations-report-drug-use

ひざの全置換手術、高齢者でコストパフォーマンス良い、と。ほらね。こういう研究がこれからどんどん出てくるんじゃないのかな。この治療はこういう人にはコスト効率がいいけど、こういう人には良くない……良くないということは、たぶん、その治療は受けられなくなるということ。しかも、誰も、その研究の科学的妥当性とか結果の信頼性をなぜかあまり問わないままに。まぁ、日本のリハビリでは、もうとっくに起こっていることなんだけど。
http://www.medicalnewstoday.com:80/articles/155057.php

ADHDではない子どもよりもADHDの子どもに多く見られる遺伝子の変異が沢山わかった。
http://www.medicalnewstoday.com:80/articles/155087.php

またスタチン。今度はアルツハイマー病の進行を抑えるんだと。
http://www.medicalnewstoday.com:80/articles/155083.php

25歳以下の女性への子宮がんのスクリーニングは、間違ってポジで出てしまった時のリスクが大きすぎるので、子宮がん検診が推奨される年齢を20歳以上に変更しようとの案はボツ。英国。
http://timesonline-emails.co.uk:80/go.asp?/bTNL001/mFHLAWA/qOZ3JWA/uM9ZZ6/xPSKBWA
2009.06.25 / Top↑
自分の国の医療制度だって詳細となるとさっぱり分からないのだから
さらに複雑怪奇と見える米国の医療制度のことが、
私などに分かるはずもないのだけど、

Obama大統領が医療制度改革は公約に上げていたし、
就任演説の時に「科学の力を借りて医療改革を行う」みたいなことを言ったのもずっと引っかかっていて
いよいよ医療制度改革案がいろいろ取りざたされているらしいニュースを読むと、
やっぱり気になってしまう。

で、実際に詳しく解説されたものを読んでも理解できないので
こういう分かりやすいものに飛びついてしまうのだけれど、



ずっと昔から皆保険は「社会主義医療」だと反対してきた共和党の立場からの批判なので、
それはそれとして読むとして。

Obama民主党案が目指す皆保険ビジョンというのは
全国民の健康・医療データの全てを国がオンラインで管理して、
科学的なエビデンスに基づくコストパフォーマンス判断を行い、
個々人に最適な医療を受けてもらおう、という仕組み。

こんな仕組みでは高齢者は切り捨てられて、
治療するよりも自殺幇助を受けなさいという話になる。

Obama大統領の巨額の経済刺激策の中に
The Federal Coordinating Council for Comparative Effectiveness Research(190-192)
という研究があるが、

それは「もう治る望みがなくなった人には
最新テクノロジーや高価な薬を使っても意味がないから
そういう治療をやめることでコストを削減しましょう」という方向に
誘導するための研究である。

実際に英国のNHSでは、
このCEが患者への治療を拒否する言い訳に使われているんだぞ。

退職者アドボケイトのAARP は一体何をボケっとしているのだ???
会員である高齢者の利益を守るべく、さっさと戦わんかいっ。

だいたい、こんな感じの記事。

事実関係が、この記事の通りだとすると、
ゲイツ財団がIHMEを通じてグローバル・ヘルスでやろうとしているのと同じことを
Obama大統領は米国の医療でやろうとしているということ──?

確かに、それでこそ
「科学の偉業によって医療を効率化する」といった
就任演説での約束にふさわしいのかもしれないけど──。


もちろん、この記事を読めば、
でも、だからといって、貧乏で健康保険に入れないような人たちは
みんなで面倒を見る必要などなくて個人で勝手に死ねばいいという話でもないだろう、とは思うのだけど、

ただ、その一方にあるのが、
国民に広く浅く医療を保証するためには科学とテクノロジーを駆使して、
科学とテクノロジー資源の最も効率的な配分方法を考えるしかない……という話なんだとしたら、

高齢者も障害者も、医療のコストパフォーマンスを持ち出されたら
そんなものが良いはずは金輪際ないのだから

どっちに転んでも、
貧しい病人(ゼニも手もかかる高齢者も障害者も)を待っているのは
「じゃぁ、せめて、苦しむ前に自殺幇助してくだせぇ」と言いたくなる現実なのかなぁ……。

あ、もちろん、そこは”死の自己決定権”を行使して
”自己責任・自己選択”として”尊厳死”を選ぶわけですけど。

だってね、私はなんとなく予感がする――。
これから医療の現場では「カウンセリング体制」が充実してくるんだろうな、という予感が――。



ちなみに、自殺幇助が既に合法化されたOregon州では、
「抗がん剤治療はダメだけど自殺幇助はOK」とメディケアという話が現実になっています。



2009.06.25 / Top↑
現在、米国の障害者向け公的保健制度メディケイドでは
基本的には在宅ケアが認められず、
重度の人はナーシングホーム入所しか選択肢がない。

そこで記事冒頭に紹介されているMSの女性のように
19年間会計士として働きながらアパート暮らしをしてきたような人でも
2年前に失業して収入が途絶え、メディケイドに頼ることになると
いきなりナーシングホームで暮らす以外に道がなくなる。

こういう状況については10年前に最高裁が
差別であり、米国障害者法に違反するとの判断を示しており、
メディケイドで介護を受けながら地域で暮らすことも選択できるように
障害当事者らは何年も前から the Community Choice Act の実現を訴えている。

州ごとに何らかの努力は行われているようで
48000人が施設入所しているミズーリ州では
メディケアの介護費用の45%を地域サービスに回しており、
(しかし、在宅サービスの待機リストは4000人)

入所者97000人のイリノイ州ではメディケアの介護費用の30%が地域サービスに。

アリゾナでは64%が回されているが
なんとテネシー州では2007年に地域サービスに回った予算は1%のみ。

Obama大統領は上院議員時代にはこの法案提出のスポンサーの一人に名を連ねたが、
(大統領選の時には「実現に向けて努力する」みたいなことを言っていたような……)

ホワイトハウスのサイトの表現が最近になって
当初の「大統領はCCAを支持する」というものから
「各州がサービスを施設から地域にシフトするよう促進する現在の努力を続ける」に変更された。



こういう米国の在宅介護支援の不足のニュースを読んで、うっかり、
あ、なんだ、アメリカもひどいんだな、日本と違わないじゃん……と
考えるかもしれない人のために、

こちらに1例として、
24時間介護を必要とする脊髄性筋萎縮症の11歳の女の子のケースを紹介したエントリーを。


父親は連邦政府の官僚で、一家が暮らしているのはWashington DC。
連邦政府が職員にかけてくれる医療保険と娘さんに支給されるメディケイドで
これだけの在宅ケアが実現している。

ただ、折からの不況で、このたび
毎日朝7時から夜7時まで12時間の訪問看護が医療保険からはずされることになった。

母親は記事の中で
「じゃぁ、私に毎日24時間、休日なしで娘のケアをしろということなんですか。
そんなこと無理です。そんなことができる人なんて、どこにもいませんよ」と腹を立てている。

もちろん中央官僚の家庭だから恵まれているのも事実だろうけれど、
この家には、他に2人の女の子がいて、その2人はなんと養子。

24時間介護の必要な障害のある子どもがいて、
それでもなお2人も養子を育てられる家庭が、日本のどこにあるだろう?

「私に24時間、子どもの介護をしろというんですか?
 そんなことができる人なんか、どこにもいませんよ」と
堂々と言い放てる日本の障害児の母親が、どこにいるだろう?

きっとベースラインそのものが全然違うところにある──。

在宅介護サービスが「ひどい」「足りない」という声を聞くからといって、
日本と同じだと思い込んではいけないんだろうな……という気がする。



【関連エントリー】
Obama政権の障害者施策方針(2009/1/23)
2009.06.25 / Top↑
肥満の女性がバリアトリック減量手術を受けると、がん予防効果がある。男性には効果なし。……だからって、奨励するんすか、手術? 
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8113148.stm

義肢(腕)だから商品イメージに合わないと倉庫勤務にまわされた、と女性が勤務先のアパレル会社を提訴。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/england/london/8116231.stm

障害のある子どもを私学に行かせた親は、その私学のspecial educationにかかったお金の払い戻しを受ける権利がある、と最高裁が結論。前にIDEAのことをちょっと読みかじった時に、これは当たり前のことと理解してしまっていたのだけど、裁判になってたんだ……。ちゃんと読みたい記事なのだけど、お疲れモードなのでパス。
htttp://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/06/22/AR2009062200817.html

ワシントンDCのホロコーストミュージアムで警備員を射殺した犯人、88歳。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/06/22/AR2009062202283.html
2009.06.24 / Top↑
前のエントリーをアップした直後に見つけた記事が
同じくDignitasでの幇助自殺者の病気リストの記事に関して、
「自殺幇助」が「死の幇助」に言い換えられていることに注意、と指摘していたので。

Daily Telegraph紙の宗教欄の編集長 George Pitcherという人が書いたものですが、
Pitcher氏によると、

assisted dying とは長くホスピス運動の中で
医療的介入と安楽な死とのデリケートなバランスを模索しつつ
使われてきた言葉だとのこと。

Pitcherは、今回の英国議会での議論においても
Dignitasで自殺した人の21,2%は死病でなかったとの情報を吟味し、
賢明な判断をするよう、議員に呼びかけています。

Exposed: The Death Loards with a taste for killing
The Daily Telegraph, June 22, 2009


ホスピス関係者が長い時間と努力の末に
緩和ケアの理念と実践を根付かせてきた中で使われてきた言葉が

緩和ケアを尽くすことなく
さっさと見切りをつけて医療によって患者を殺す行為の推進に利用されるとしたら、

それは、いくらなんでも許しがたい……というほどの憤りを感じる。


            ―――――


もう1つ、ついでに、
Dignity in Dying というアドボケイト団体の名称から感じたことを。

例のAshley事件のDiekema医師が最近書いた成長抑制論文
「尊厳は定義なしに使われても無益な概念」だとして
成長抑制は重症児の尊厳を侵すものだとの批判を一蹴しているので、

生命倫理で「尊厳」という概念がどのように議論されてきたのか、
ちょっと知りたいと思い、教えてもらった文献を
とりあえず読み始めたところなのですが、

そこで感じている、そこはかとない予感が
堂々と「尊厳」を名前に含めた、この「死の自己決定権」アドボケイトのDignity in Dyingと重なった。

生命倫理の「尊厳」の議論は、もしかしたら、
こんなに進んだ科学とテクノの可能性を人間に応用する文脈でのみ議論され、
たぶん、どちらかというと否定する声が優勢なのだとしても、

尊厳のある死に方をする自己決定権があるのだから自由に死なせろという文脈での「尊厳」を
議論に持ち込み、定義をあげつらった挙句に、どちらかというと否定するという話は
実はあまりないのではないか……と。

ここでも、また、ある議論しか見えない、
ない議論は、ないことそのものが見えない、という話──?

スミマセン。ろくに読んでもないのに。
予感が当たるかどうかは、もうちょっと読み進んでから、また。
2009.06.24 / Top↑
月曜日にこれまでにDignitasで自殺した英国人114人の病名リストで紹介した
Guardianの記事を読んだ時に、

英国の尊厳死アドボケイト Dignity in DyingのSarah Wootton氏からの
「自殺幇助」は認められないが「死の幇助(assisted dying)」は規制して認めるべきとの見解を読んで、
assisted dying という表現がとても引っかかって、もやもやしていたら、

英国で American Studies を教えるKevin Yuillという人から
その点についての批判が出てきた。


Yuill氏がこの記事に引用しているWootton氏のそれぞれの定義は

「自殺」は「治療や解決が可能な絶望感、無力感、精神障害が動機になっているもの」で、
「幇助死」は「自分がターミナルだと知っている人の合理的な決断であって、
本人にとっては解決が存在しない」。

Yuill氏はこれを、以下の理由で単なる言葉の言い換えだと批判し、

・ Oregon州での調査で自殺幇助希望者の動機は苦痛とは無関係だとのデータが出ている。
・「余命6ヶ月」というのは曖昧な規定であるだけでなく、
ターミナルな人には「あなたの余命は無意味です」とのメッセージになるし、
余命6ヶ月に当たらない人にとっては「あなたの苦悩はほんものではない」というメッセージになる。

その上で、次のように主張。

1961年の英国の自殺法は、
自殺未遂にも自殺者の家族にも寛大である一方、
自殺そのものを容認してはいない。

幇助死と言葉を言い換えたところで、自殺幇助の合法化は結局、
この自殺法の基本姿勢を変えて、英国社会が
自殺という行為そのものの容認に転換することを意味する。

しかし、結論部分はともかくとして、私には
Wootton氏の「幇助自殺」と「幇助死」の定義に対するYuill氏の批判は、
いまいちバシッと成立していないような気がする。

Yuill氏の批判は定義の批判というより「幇助死」を認めろという主張への反論でしかなく、
その反論も、あまりにも、いろんなものが未整理のまま論じられているのだけど、

実はWootton氏の定義は、彼が言うような単なる言葉の言い換えどころか、
それよりもはるかに重大なマヤカシなのでは?

私なりにその辺を整理してみると、問題点は大体以下のあたりかな、と。

①1つは、これまで「自殺幇助」という言葉で
対象の違う様々な行為が議論されていることの危うさ

これは、やはり、きちんと分ける必要があると思うので
Wootton氏がターミナルで耐えがたい苦痛がある人に対する医師による積極的安楽死と、
その他を分けていることそのものは間違っていないと思う。


②ただ、確かにWootton氏の定義には巧妙な摩り替えがあって、
自殺幇助合法化の議論で本来「自殺幇助」と呼ばれてきたものが実は
彼女の言う「幇助死」の方だったのだという点。

つまり、こういうことです。

ターミナルな人への自殺幇助(assisted suicide) → 死の幇助 (assisted dying)
なんでもありの自殺支援             → 自殺幇助 (assisted suicide)


「自殺幇助」の内容の混乱に乗じて、

本来の「自殺幇助」議論の対象であったものを「自殺幇助」ならぬ「死の幇助 / 幇助死」に、
「自殺幇助」議論に不当に紛れ込まされていた「なんでもありの自殺支援」を「自殺幇助」にと
Wootton氏は摩り替えてしまっているのだから、

Yuill氏がいうような単なる「言葉の言い換え」どころではなく
むしろ、とんでもないマジック、だまし絵そのものの離れ業。


③assisted dying という表現は assisted-suicide という本来の表現よりも、
dying が含まれているだけ「死の自己決定権」とか「死ぬ権利」との距離が近い感じがする。

しかし現在の議論で「死の自己決定権」を主張する人たちが認めろと要求しているのは
彼女の再定義の「死の幇助」(本来の議論では「自殺幇助」)ではなく、むしろ
彼女の再定義の「自殺幇助」(本来の議論では「なんでもありの“すべり坂”自殺支援」)の方なので、

両者の定義がWootton氏のものに替われば、
2者の距離がおのずと近くなる点でも、これは詐欺的操作だよね、とも思う。

私個人的には、
「積極的安楽死」と「死の自己決定権」とは実は逆方向のものなんじゃないかという気がしているので
この2者の距離がこんなに言葉の操作一つで縮まってしまうというのには、ものすごく抵抗を感じる。


④「自殺幇助」議論の中にごちゃごちゃ紛れ込んでいるものを、きっちり分けた上で、
 じゃぁ、本来の「自殺幇助」を合法化するかどうかを議論しましょう……というのが
今の欧米の議論の主流なのだろう(であってほしい)と思うのですが、

私はそこのところに、実はもう1つ、問題のすり替え、というか
“議論の段階のすっとばし“が起こっているような気がして、

本来は「ターミナルで耐えがたい苦痛のある人に
過剰な医療で無意味な延命をすることは控えましょう」という議論だったはずのものが、
その段階の議論を尽くすことなしに、どうして
積極的に手を貸して死なせるところに一足飛びに飛躍するかなぁ……と。

まず、この消極的安楽死の段階でしっかり議論すべきことが
まだまだいっぱい残っているのだとしたら、

ターミナルで耐えがたい痛みがある人を対象として
医師による毒物投与を議論すること自体が

合法化の前に既にして起こっている“すべり坂”以外のなんでもないじゃないか──。


          ――――――

もう1つ、Yuill氏の記事について気になることとして、

Yuill氏は最後のところで、ひょっこり死刑廃止論を持ち出してきて、
「生きるに値しない命があるとしたら、それはまず凶悪な犯罪を犯した者だろう」と。

これ、こういう形で繋げていいのかなぁ……。

死刑廃止議論については何も知らないから私は何もいえないのだけど、
この人が本当に言いたいのが、もしかして、文末のこの数行なのだとしたら、
それに自殺幇助合法化反対議論を援用して、こういう文章を書くというのは、
遠慮すべき行為なんじゃないのかなぁ。

これを読んで、ふと重なったのは

もともと動物愛護論をぶっていたPeter Singerが
自説をぶっているうちに自分の主張を強固にするために知的障害者を持ち出して
「人間だというだけで動物よりも知能が低い知的障害者が大事にされているんだから
せめて知能の高い動物には権利を尊重しろ」と主張し、

その前半部分に批判が集中したことで
この論理の前半と後半が切り離されて独り歩きを始めたために、
Singer自身は知的障害児・者については何も知らないくせに、
いつのまにか知的障害児・者安楽死論者として名をはせてしまった……

……と、(Singerの著作は恥ずかしながら2冊しか読んでないのだけど、
勝手な独断と偏見で私には)思えること。
2009.06.24 / Top↑
NC州では、
エセ科学と州当局が主導したプログラムによって
優生委員会の了承の元に、20世紀中に7600人以上が不妊手術を強制された。

プログラムは1929年から1970年まで続き、
NC以外にも31の州で優生法が成立した。

多くの州が40年代にはだんだんと行わなくなっていった中、
NC州は逆に不妊手術を増やしていった。

そうした歴史への反省として、
2年前には州の歴史博物館に優生思想の時代の展示を開始したが

今度はRaleighのダウンタウン、最初の優生会議が行われた場所の近くに、
強制的不妊手術の歴史的事実を記したマーカー(碑というよりもパネル状のもの?)が設置され、
月曜日に除幕式が行われた。

NC州全域に設置された史跡のマーカー1538のうちの1つで、
このマーカーにかかる製作費用は1475ドル。

除幕した州の議員は優生手術の犠牲者のアドボケイトで
NCは他の州よりも多くの努力をしてきたと述べているが、
いまだに補償は行われていない。

Marker recalls eugenics victims
It will be unveiled at ceremony in Raleigh,
Winston-Salem Journal, June 21, 2009


これを読んで目を引かれたのは
優生プログラムの開始が1929年だったという点。
1926年の世界恐慌の直後ということになる。

やっぱり、すごく符合するんだなぁ……と思う。

世界的な不況──。
ヘイトクライムの急増──。
その突出した形としての民族差別、障害者差別、女性差別──。
あちこちで起きている戦争。さらに起こるかもしれない戦争──。
そして、エセ科学の横行──。

(人間の脳やDNAについて、
ほんのわずかなことが解明できたからといって、
それで、すぐにも人間の全てが説明できたり、
体も心も頭も思い通りにコントロールできるかのように
世論を煽り立てるのも立派なエセ科学だと私は思うし)

そして、かつて専門家の権威でそのエセ科学の正当性をでっち上げた
優生委員会に当たる存在として、

今では例の生命倫理とか医療倫理だとかいうご都合主義の御用学問があり、

誰かの必要によって操作可能と思われる(Ashley事件がその証左かも)倫理委員会なる仕組みも
アリバイ作りの装置として、でっち上げられている。

そっくりだ……。

使える科学技術のレベルが断然違うだけで──。
2009.06.23 / Top↑
米国ではプライマリー・ケアのドクターが不足しているらしくて、それが医療改革の足を引っ張っている、と。専門医になって富裕層を相手におショーバイするのが一番ラクでいい生活できるから? 何年も前に高齢者医療の専門医がいないから、総合病院で高齢者に適切な医療が行われていないという話が出ていたけど、そういうのが解消に向かうんじゃなくて、もっと問題は深刻になっているということみたい。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/06/19/AR2009061903583.html

Obama大統領の医療制度改革で、製薬会社がメディケアの薬代を値下げすることに合意。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/06/19/AR2009061900280.html

DCのホロコーストミュージアムで射殺された警備員の葬儀で、人種差別が根強く残っていることを閣僚ら憂慮。今朝の朝日新聞も米国のヘイトクライムの急増を取り上げていたけど、ハッピーでない人が多くなって、差別が激しくなって、ヘイトクライムが増加している。人種差別だけじゃない。女性差別、障害者差別、高齢者、子ども、病者、貧者、時には何も理由などなくても。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/06/19/AR2009061900532.html

フィラデルフィアの病院の癌ユニットで、6年間に行われた116件の前立腺がんの手術のうち92件が失敗。でも、そのたびに外部監査官が書類の書き直しでOKにしていたらしい。医師の経歴に傷が付かないように? ここまで酷いかどうかは別にして、これに類する話、日本でもありそうな気がする。私、個人的に1つ知っているぞ。何十人もの患者の命や安全よりも、医師の名誉が優先される話。
http://www.nytimes.com/2009/06/21/health/21radiation.html?_r=1&th&emc=th

米国民は民間保健に対抗できるだけの官製医療保険を望んでいる、との世論調査。
http://www.nytimes.com/2009/06/21/health/policy/21poll.html?_r=1&th&emc=th

病休中のアップル社の幹部(チーフ・エグゼキュティブって社長です?)がどうやら2ヶ月前に肝臓移植を受けていたらしい。米国の臓器移植には優先順位のスキャンダルがいくつもある。私はこれともう一冊しか読んでいないけど、どちらも驚愕の内容だった。
http://www.nytimes.com/2009/06/21/business/21apple.html?_r=1&th&emc=th

ヒポクラテスの誓いを立てた以上、患者の死に手を貸すことはできない、と自殺幇助に反対する医師のエッセイ。Guardianに。
http://www.guardian.co.uk/society/joepublic/2009/jun/22/assisted-suicide-uk-nhs

国際捕鯨委員会が始まった。前にここで日本が途中で席を立って国際的な非難を浴びた時も、日本では報道されず、ずっと後になってグリーンピースの抗議行動が激しくなった時に初めて、それまでのいきさつ抜きの被害者の立場で報道されたのには、違和感があった。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/science/nature/8112055.stm
2009.06.22 / Top↑
2002年の最初の1例めからこれまでにDignitasで幇助を受けて自殺した英国人
115人のうち直近の1人を除く114人分の病気の情報を
Guardianが入手。

病気や障害は22種類で、
114人の英国人のうち36人は様々な形態の癌。
27人が運動神経の病気。
17人がMS。

しかし、
クローン病の人が2人。
四肢麻痺の人が2人。
透析や移植で治療の可能性がある腎臓病の人が3人。
1人はリューマチ……と、
ターミナルとはいえない病気の人も含まれている。

英国GP学会の会長Steve Field教授は
「このリストには、ぞっとしますよ。
確かに中には大変な苦しみや悲惨を経験される病気もありますが、
こういう病気を抱えて生きている患者さんは沢山おられる、という病気もあるし、
まだ何年も生産的で有意義な人生を送ることができる病気も含まれている」と。

英国医学会倫理委員会会長も、英国医師会倫理委員会会長も、それぞれに
Dignitasが自殺希望者の状態を適切なアセスメントを行わず、
まだ治療可能な人の自殺を幇助したことは重大な問題、と。

また、この記事では
去年 the Journal of Medical Ethics に発表された調査にも言及されており、
それによるとDignitasで自殺した様々な国籍の人のうち21.2%は死病ではなかった、と。

当ブログでも繰り返し触れてきた
事故で首から下が不随になった23歳のラグビー選手の自殺も特筆されています。

意思決定能力のある成人でターミナルな人の尊厳死のアドボケイト
Dingnity in DyingのSarah Woottonさんは
自殺幇助は予防すべきだが、死の幇助は規制したうえで認められるべきで
その2つをきちんと区別して法を明確化する必要がある、と。

来週英国医師会の年次大会で、
自殺のために身近な人を海外に連れて行く行為の合法化と
UK国内でターミナルな人が死を幇助してもらう権利について
議論が行われる予定。


訳すのが面倒なので、原文のまま、リストを以下に。

Conditions of first 114 Britons to die, starting in late 2002; no details are yet available of a recent 115th
Aids 1
Cancer 36
Cauda equina syndrome 1
Cerebellar ataxia 2
Huntington's chorea 2
Chronic obstructive lung disease 1
Friedreich's ataxia 1
Heart problems 1
Inclusion body myositis 1
Kidney disease 3
Motor neurone disease 27
Crohn's disease 2
Multiple sclerosis 17
Multiple diseases 3
Multiple luxation 1
Multiple system atrophy 3
Non-treatable epilepsy 1
Parkinson's 3
Pick's disease 1
Progressive supranuclear palsy 4
Rheumatoid arthritis 1
Tetraplegia 2
2009.06.22 / Top↑
兄弟への臓器提供のために人工授精によって生まれてくる子ども
いわゆる「救済者兄弟」をテーマにしたジョディ・ピコーの小説
My Sister’s Keeper(邦訳タイトル「私の中のあなた」)が
キャメロン・ディアス主演で映画化され、
この金曜日に米国で封切りとのこと。

PG-13指定になっています。

Yahoo!のサイトはこちら
(予告ビデオあり)

NY Timesが昨日書いていた長~い記事はこちら
あまりに長いので最初しか読んでいませんが、ピコー自身にフォーカスしたもののようです。


当ブログで取り上げたエントリーは以下に。
ネタバレを含みます。物語を知らずに映画を見ようと思われる方にはお勧めしません)
「わたしのなかのあなた」から
「わたしのなかのあなた」から 2
「わたしのなかのあなた」から 3


【救済者兄弟 関連エントリー】
救済者兄弟:兄弟への臓器提供のために遺伝子診断と生殖補助技術で生まれる子ども



また、ピコーの近刊はロングフル・バース訴訟を取り上げていて、
こちらも読もうと思いつつ、まだ読めていませんが、
その近刊関連エントリーはこちらに。

       ―――――――

映画といえば、知的障害者への差別意識・発言があまりにも露骨だとして
米国で批判が高まり、上映反対運動などを当ブログでも追いかけた
Tropical Thunder が、ずいぶん前から近所のレンタル店の棚にあるのですが、
どうも、いまいち見ようという気にならない……。

たぶん、見終わった後で
この前の臓器移植法改正の投票であっさりA案可決というニュースを聞いた
あの直後のような気分になるように思えて……。
2009.06.22 / Top↑
先月、米国心臓協会脳卒中部門の介護者支援のエントリーで書いたように、
5月は米国の脳卒中啓発月間(スタートは1984年)でした。

National Stroke Association (NSA)のサイトを見ると、
今年の啓発の柱は3本で、「予防」「早期発見」「脳卒中サバイバーと介護者への支援」。

一方、日本脳卒中協会によると、
日本でも2002年から5月25~31日は脳卒中啓発週間とされているのですが、
こちらのサイトにある啓発週間情報を見てみると、
「予防」と「早期発見」のみで
「本人と介護者への支援」という視点がすっぽり抜けています。

これまでにも、あちこちのエントリーで書いてきましたが、
日本のいわゆる“専門家”の考える「支援」は
実は「指導」であり「教育」であって、肝心の「支援」がないのでは、と
私はずっと感じてきたので、

5月の脳卒中月間を機に、
NSAよりもさらに脳卒中サバイバーと介護者の支援に力を入れている
American Stroke Association(ASA)から出された
「大切な人が脳卒中を起こしたら介護者として心得ておきたい15の心得」を紹介したく、仮訳してみました。

(医療保険制度が日本と大きく異なっている点は理解して読む必要があるとは思いますが、
リハビリ制限に関しては日本でも有効なアドバイスです。)

大切な人が脳卒中を起こしたら介護者として心得ておきたい15の知恵

1.知らないことは尋ねましょう。あなたの大切な人が飲む薬について、副作用も含めて、きちんと把握しておきましょう。疑問に思うことは医師や看護師、セラピストに尋ねましょう。脳卒中の直後や回復期の医療について、またリハビリテーションについても、はっきりと説明を受け、資料をもらいましょう。

2.脳卒中を繰り返さないためリスクを減らしましょう。一度脳卒中を起こした人が治療の注意を守らなければ再び脳卒中を起こす確率が高くなります。健康的な食事、運動、正しい服薬、定期的な検診が大切です。

3.回復は様々な要因で変わります。脳卒中が起きた部位、脳が受けたダメージ、患者さんの意欲や介護者のサポート、リハビリテーションの質と量、脳卒中を起こす前の健康状態など、回復には様々な要因が関わっています。脳卒中はどれ1つとして同じではなく、脳卒中サバイバーも1人として同じではありません。回復を他の人と比べないようにしましょう。

4.回復は短期、長期の両方で考えましょう。通常、最初の3~4週間で最も早い回復は起こりますが、中には発作後1年または2年が経った後になって、まだ大きな回復を見せる人もあります。

5.症状によってはリハビリテーションを。次のような兆候があったら、理学療法士または作業療法士の支援が必要と考えましょう:めまいがある。バランスを崩して転倒する。日常生活で歩行や移動が困難。止まって休憩しないと6分以上歩き続けられない。それまで楽しんでいた娯楽や家族との外出を楽しまなくなった。日常生活動作に手助けが必要となった。

6.転倒をあなどらないで。脳卒中の後での転倒は誰にでもあることです。ひどく転んだ時や、転んだ後に強い痛み、あざ、出血があったら、救急病院で診てもらいましょう。怪我のない、ちょっとした転倒でも、半年間に2回以上あるような場合には医師や理学療法士に相談しましょう。

7.機能の回復具合を測るとリハビリ内容を変えることができます。機能回復の度合いによって、急性期リハをどれだけ受けられるかが変わります。急性期リハでは、機能的自立度計測スコア(FIMS)によって機能回復の程度を測り、ポイントを毎週上げることが求められているのです。項目には日常動作や移動、意思疎通スキルも含まれており、通常は一日に1~2ポイント上げるのが目標となります。

8.能力に変化があればサービスも変わります。脳卒中前よりも身体機能が低下していればメディケアでリハビリテーションを受けられます。前回のリハビリを受けて後に運動機能、言語機能、自助能力が改善しても、また、その逆に低下しても、その後のサービスを増してもらえる可能性があります。

9.態度や行動の変化をチェック。ご本人が自分の感情をコントロールできにくくなっていないか、気をつけてチェックしましょう。そういう兆候があれば、医師に相談して対応するための計画を立てましょう。

10.ウツは回復の敵。そうなる前に止めましょう。時期のばらつきはありますが、脳卒中後にウツ状態になる人は3~5割もいると言われており、よくあることです。しかし脳卒中後のウツ状態は回復やリハビリテーションに大きく影響します。ウツかなと思ったら医師に相談して対応するための計画を立てましょう。

11.支援を求めましょう。脳卒中サバイバーや介護者支援グループなど、地域には家族やあなた自身を支援する資源があります。地域の情報を得るためには、ケース・マネージャー、ソーシャルワーカー、退院支援担当者との繋がりを切らないようにしましょう。

12.保険の支払いについて把握しましょう。医師やケース・マネージャー、ソーシャルワーカーに相談して、リハビリテーションがどのくらいの期間に渡って保険で支払われるか把握しましょう。リハ・サービスは症例によって大きく違うことがあります。あなたの保険ではどのくらいの期間支払われるのか、自費でどのくらい支払うことになるのか、把握しておきましょう。

13.必要なら協力を求め、自ら行動を。「医療上の必要」の不足を理由に保険会社がリハビリテーションを拒否した場合は、主治医に介入を求めましょう。保険者に記録を送ってもらい、必要なら自分で保険会社に電話をしましょう。

14.自分の権利を知っておきましょう。あなたの大切な人の受ける医療とリハビリテーションの記録を公開してもらう権利が、あなたにはあります。カルテの記述や脳の画像も含め、医療記録のコピーをもらう権利もあります。

15.自分を大切にしましょう。他の家族や友人、近所の人に協力を求めて自分自身のための時間を作り、介護からの休憩を取りましょう。きちんと食事をとり、毎日運動やウォーキングで体を動かして、ちゃんと休みましょう。

仮訳:児玉真美
「世界の介護と医療の情報を読む」より(「介護保険情報」2009年6月号p.104-105掲載のものを一部改定)

(原文はその後、あちこちで見るたびにタイトル本文ともに少しずつ違っているのですが、
上記の仮訳は4月29日にMedical News Todayに掲載された
15 Tips Caregivers Should know After A Loved One Has Had A Stroke を使用)

脳卒中に限らず、広く慢性病患者や障害児・者と介護者に必要なのは
正しい知識・技術と情報を「指導」と「教育」によって与えられることだけでなく、
それらを現実に使いこなしながら日々を暮らす力をつけることであり、
そのエンパワメントをサポートしてくれる支援なのだということ。

そのためには専門家の「支援」の視点が医療の中に留まって、
その高みから患者の体だけを眺めているというのではなくて
患者の生活や人生の側に視点を移して、
患者の側に寄り添ってみることから始めて欲しいという
個人的な願いをこめて。

       -------

ASAのサイトは、例えば「脳卒中後の生活」カテゴリーだけでも、
医療機関や最新治療・代替医療、リハビリ、後遺障害、支援テクノロジーに関する豊富な情報のほか、
「片手で野菜を切る方法」「片手で運転する方法」など日常生活のヒント集、
金銭面でのアドバイスのページ、受けられる支援に関する情報ページなど

いわば「サバイバーと介護者をエンパワーするための情報」の宝庫となっています。



2009.06.22 / Top↑
別に子どもに何も残すなとは言わないから、
億万長者たちは資産の大半を慈善に寄付するべきだよね。

ゼニは一番持っている人から、一番持っていない人に流れなければならないと思うんだ。
それに、慈善って、やってみたら分かるけど、楽しいよ。

自分も楽しいし、子どもだってその方が幸せだし、
それに世界がもっと幸せになれるし。

……と Bill Gates 氏が オスロで開かれたWorld Economic Forum で6月3日に。

この記事によると、ゲイツ財団のこれまでで最大の功績は
ポリオの撲滅が実現まであとわずかというところまで来ていることに象徴されるように
ワクチン開発と普及の支援。

ゲイツ財団は今、AIDSのワクチンが10年から15年後にはできるのではないかと
その研究に力を(つまりお金を)注いでいる。

ちょっと気になる箇所として
ワクチンとは別に、
1つ有望視されているAIDSの予防法(emerging prevention method)があるらしいのだけど、
それは「ワクチンができるまで、女性が使うことができる」感染予防方法。

なんだか、このあたりから
根底に白人男性赤首的価値観が色濃い科学とテクノの文化の香りが
ほのかに漂ってくるような気がするのだけど、気のせいかしら。



この記事は、ちょっと前に見つけて
ゲイツさんが楽しいのは「ゼニを豪気に出してあげる」という行為が楽しいんじゃなくて
それによって世界の保健医療の施策に影響力を持ち、
WHOやUNICEFF、世界銀行や先進国政府すら顔色を伺うほどの権力を握ることが
楽しいだけなんじゃないですか?

……と斜め読みで打っちゃっておいたのですが、

前の2つのエントリーで取り上げた記事を読んでから
ついでにちょっと紹介しておきたくなった。

経済のグローバリゼーションがIT技術の登場で急加速したことを思うと
そのIT技術の生みの親が保健医療でもグローバリゼーションを先導しているというのは
とても象徴的なんだろうなぁ……と思う。

そして、グローバリゼーションがネオリベラリズムを推し進めて
今のような世界人口の1%以外は誰も穏やかに安心して暮らせないような、
力の強い者がブルドーザーのように力任せに力の弱い者を踏みにじり、
なぎ倒していく状況を作ってしまったように、

グローバル・ヘルスでも、
それと同じことが起こっていくのではないのか、と嫌な予感がしてならない。

それにしても、
先進国がアフリカに捨てに行っている有害ITごみを
安全に処理する方法の研究とかには、ゲイツさん、興味ないのかな。


2009.06.21 / Top↑
前のエントリーで紹介したIHMEの研究に関連して
なんとも面白いものを見つけた。

Gates’ funding surge reorders the world of global health
By Robert Fortner
Crosscut, June 18, 2009

著者のRobert Fortnerという人物は元マイクロソフトの社員で
こちらのエントリーで紹介した記事を書いた去年の夏には
Bill Gatesが科学研究にかける熱意がいかにすばらしいかについて本を執筆中で、

記事のトーンもまるで
「世界の帝王たるGates様はこんなにも世界のみんなの健康を案じてくださっているぞ」だった。

今回見つけた上記記事の著者紹介によると、
あの本は書き上げて無事に出版したらしい。

そのFortner氏がIHMEの研究結果について
前のエントリーで読んだWashington大学の記事とはまた別のトーンで書いているのが、
もう、ぞくぞくするほど面白い。

まず、前の時もそうだったけど、
FortnerはIHMEがゲイツ財団の私的研究機関だという事実をまるで隠そうとしない。
というか、IHMEの存在そのものがゲイツ財団の中に位置づけられていて
Fortner自身はGates氏に自己同視して文章を書いているので
IHMEだろうが所長のMurrayだろうがLancet だろうが、みんな上から目線。
ここが、なんとも楽しい記事なのですね。

そのFortner氏が上から目線で分析するところによると、
5月にLancetが「ゲイツ財団はグローバル・ヘルスのために何をしたのか」と問うた、
その答えが今回のIHMEの研究報告である。

何をしたかって、
ゲイツ財団が呼びかけて、自らも多くを拠出したからこそ
(ピークは2007年の12億5000万ドル)
途上国への医療援助は10年間で4倍にもなったのである。

しかし、その弊害として
The Global Vaccine Access Initiative(GAVI)と
The Global Fund to Fight AIDS, Tuberculosis and Malariaという
2大・超金持ち組織が出現してしまった。

それまで世界の医療を牛耳ってきたWHO、UNICEFや世界銀行も
一応そこに理事としてゲイツ財団と一緒に名前は連ねているけれども、投票権はないし
この2つは基本的にWHOなどの国際機関からの影響力を排除した組織である。

今やWHOもUNICEFも「資金をくだせぇ」と頭を下げては
援助の対象たる途上国を相手に、資金を奪い合わなければならない事態となっている。
昔、有力政府とつるんでブイブイ言わしたガバナンス能力など、もう残っちゃいない。

そこで今こそ脚光を浴びるのがIHMEなのだ。

当初は科学者らから「ゲイツは自前のWHOを作るつもりか」と批判されたし
Murrayの医療経済学理論(これがDALY)も以前はあちこちで冷や飯を食わされてきたが
国際機関がガバナンスを失った現在、
ゲイツ財団が資金を出してIHMEを設立しMurrayを所長に招いて
科学的に医療援助のコストパフォーマンスを点検し
アカウンタビリティを追求しようとしていることは

まさに、先見の明による偉業でなくしてなんだろう(とは、さすがに書いていないけど)。

そればかりか、この不況の折だというのに、
ゲイツ様は自らの痛みも省みず、さらなる増額にまで踏み切られたのだぞ。

なんと、すばらしい我らが将軍さま……。
(いや、実際にそう書いてるわけじゃないですけどね、本当に、こんなトーンなんですってば)


でね、私、思うに、

トランスヒューマニズムが実は米国政府の夢であったり、
予防医学という名前の科学とテクノ万歳文化の洗脳が起こっていたり、
欧米を中心に無益な治療概念がじわじわ広がっていたり、
自殺幇助の合法化も着実に実現されていっていたり、
科学とテクノと無益な治療法と尊厳死とあらゆるものが
障害児・者を産まないこと、切り捨てることに繋がっていたり、

もっといえば、
日本で臓器移植法改正 A案があっさり可決されてしまったり、ということも、

実はみ~んな、
この慈善ネオリベ・医療グローバリズムとでもいうべき
広くて大きな傘の中で起こっているんじゃないのかなぁ……と。

グローバル経済で起こったことをグローバル・ヘルスが後追いする形で――。
2009.06.20 / Top↑

民間からの史上初めての援助資金の増大を受けて
開発途上国への保健医療の援助資金の総額は1990年の56億ドルから
2007年の218億ドルへと、10年間で4倍に膨らんだ。

しかし、
必ずしも最も貧しく最も病気が多発している国に最も多く届いているわけではなく、
既に経済大国となったインドと中国にまで援助が行われている。

またエイズ対策に多くの資金が流れている一方で、
結核とマラリア対策にはその3分の2しか回っていないなど、
説明のつかない不均衡が見られ、配分がうまくいっているとはいえない。

これは、グローバル・ヘルス資金が増大しているにも関わらず
民間からの慈善によって集められた資金であるために
誰もきちんとトラッキングを行ってこなかったことによるものであり、

「これまで数えた人のない金をきちんと系統的に数えてみようとする今回のような試みによって、
保健医療の資源は透明度を増し、より有効活用されるようになると思います」と
IHMEの所長 Dr. Christopher Murray

ちなみに、この研究によると
最も大きな額の資金提供をしているのは米国政府と米国拠点の民間チャリティで
2007年全体の医療開発援助の半分以上を拠出。

歳入に占める割合でいくと
スウェーデン、ルクセンブルグ、ノルウェイ、アイルランドに続いて米国が5位。
(結構小さな国が上位を占めているといるのに胸を打たれた……)

ゲイツ財団からの資金はもちろん民間財団としてはトップで
全体のほとんど4%に達している。

Global health funding soars, boosted by unprecedented private giving
University of Washington – Health Science/UW News, Community Relations & Marketing, June 18, 2009


ただし、これは、当のWashington大学のサイトからの情報であることに注意。


でね、
その世界中のグローバル・ヘルスの財布の管理を
なんでゲイツ財団の私的研究機関に等しいIHMEが
勝手に担ってしまおう……という話になるのかなぁ……。

もう1つ、ちょっと分からないなぁ、と思うのは
ゲイツ財団から直接的に開発途上国への医療支援に流れていくお金は
医療支援全体の4%かもしれないけど、

このIHMEの研究資金やシアトル子ども病院の死産・早産撲滅運動その他キャンペーンはもちろん、
マラリア治療の研究機関やAIDSの研究機関や、その他、
もう世界中の科学・医学研究のネットワークに
人体にくまなく届けられていく血液のように浸透しているわけですね。

世界中の科学・医学研究に費やされる資金の総額なんて
どこかで分かるのかどうか知らないけど、
その中に占めるゲイツ財団の資金もなかなかバカにならないはず。

というか、実際の金額や資金の割合そのものよりも、
一慈善家が世界中の医療施策にここまで直接的に間接的に影響できる事態が
既にできてしまっていることそのものが、

いいの、本当に、そういうので──? 

慈善だから、愛があってやることだから、いいの──?
思いやりにあふれた立派な行いだから、いいの──?

なんだか、この世の中、
愛や思いやりが、どんどん怖いものになっていく気がするんだけど。
2009.06.20 / Top↑
これはちょっと面白い視点。自分で意思決定をする能力をなくした患者の終末期医療では担当医師が治療差し控えの決定をしていることが多いが、医師は案外法律に暗いので、自分がやっていることが本当に合法なのか、知っていなかったりする。で、医師にきちんと代理決定の手続きなどに関する法律を学んでもらうことで、終末期のケアが改善されるのでは、と。英国のニュース。(後でよく考えてみたら、医師は関連法律を知っているとの前提で医療は成り立っているはずなのに……。あ、でも、そういえば、あの射水のドクターも脳死の定義すらロクに知らないで呼吸器はずしてたよね……)
http://www.medicalnewstoday.com:80/articles/154366.php

オーバードースの危険性があるとして痛み止めの認可を取り消したら、患者や医師らにいたく不評だったのだけど、自殺・事故死が350件も減少した、と。まともに読んでないから、ちゃんと書いてあるのかもしれないけど、因果関係、証明できるのかな。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8107546.stm

リタリンが子どもにとって安全なのなら、健康な大人が脳機能を向上させるために飲んだってかまわないじゃないか、と。Manchester大学の生命倫理学者 John Harris。すでに用いている大学生は沢山いる、と。頭がいいだけのトンデモヒューマニスティック・バカがここにも一人。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8106957.stm

米:これ、前にも科学者の内部告発でニュースになっていたけど、ついに政府機関が調査した模様。FDAに報告される多数の医療機器の不備や事故について、FDAの調査がまったく追いついていないまま放置されていることの危険性をGAOが指摘。その直前にProPublicaとChicago Tribune も調査を始めていたという。調査ジャーナリズムを死なせてはならないと考えている人も多い。このGAOって、この前、米国の学校で教師による障害児への虐待が行われていると報告をまとめたところ。こういうお役所、日本だとどこに当たるんだろう? 政府の諸々の仕事のアカウンタビリティを監督する部局って?
http://www.propublica.org/feature/device-complaints-slip-through-the-cracks-at-fda-617

菅谷さんが無罪になった直後だけに、酷さが際立って感じられる。米最高裁が、有罪が確定した後の囚人にDNA検査を受ける憲法上の権利を認めず。一律に憲法根拠の保障はしない、個別に権利を認める判断は州に、という話だと思うのだけど。これまでに全米で17人の死刑囚を含む240人が一転無罪となっているが、こうも科学で覆されると、司法制度に対する信頼そのものが揺らいで困る、という感じも漂っていないこともないような……。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/06/18/AR2009061801610.html

上の最高裁の決定をNY Times が社説で批判。あいた口がふさがらない。そりゃ、そうでしょう。
http://www.nytimes.com/2009/06/19/opinion/19fri1.html?_r=1&th&emc=th

米上院が250年間続いた奴隷制度を謝罪する決議を全会一致で採択。下院は去年出したらしい。ただし謝罪は保障の問題とは切り離してあるので、その点はまだ不透明。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/06/18/AR2009061803877.html

大西洋の真上で機長が死亡。副機長二人が遺体を席から下ろして操縦を代わり、見事に予定通りに飛行、目的地の空港に着陸、通常のアナウンス。乗客はまったく異常に気づかなかった、と。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/06/18/AR2009061801801.html
2009.06.19 / Top↑
以下、4月21日のエントリーの再掲に、
最後に1つ最近のエントリーへのリンクを追加しました。

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夕方のニュースで日本の脳死・臓器移植法改正の問題が取り上げられていたのを機に、
当ブログ開設からの2年間に取り上げた臓器移植関連の海外ニュースをまとめてみました。

日本ではあまり報道されることはありませんが、
世界では(といっても読んでいるのが英語ニュースなので英米が中心になりますが)
こんなことが起こっている……というのを知った上で考えるのと
知らないままで考えるのとでは、
かなり話は違ってくるのではないかと
夕方のニュースを見ながら思ったので。


【Navarro事件 関連エントリー】



【Hannah事件 関連エントリー】



【Kaylee事件 関連エントリー】



【救済者兄弟 関連エントリー】
救済者兄弟:兄弟への臓器提供のために遺伝子診断と生殖補助技術で生まれる子ども



【その他 臓器移植関連エントリー】










2009.06.19 / Top↑
これもまた、脳死・臓器移植法改正 A案可決で、
どうしても再掲したくなった、ついこの4月のカナダの事件。

以下、4月13日のエントリーの再掲になります。

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2人の父親、特に片方が
病院の前で定期的に記者会見を行うがごときメディアへの露出振り。
しかも、饒舌な割りにちょっと支離滅裂で、
事実関係も含めて、よく分からない事件ではあるのですが、

おおよそ、こういう事件だったのではないかと思われるところをまとめてみると、

Jason Wallace と Crystal Vitelli夫妻は、
生まれたばかりの娘Kayleeが重病なため、
トロントの子ども病院でずっと付き添っているうちに

Kayleeよりも少し遅く生まれたLilianの両親
Kevin O’Connor とMelanie Bernard夫妻と出会い、親しくなった。

Kayleeは重症のJoubert 症候群
人工呼吸器をつけているが、いずれにしても長くは生きない。
生き延びたとしても重い障害を負うことが確実視されている。

片やLilianは心臓病で、すぐに移植すれば命が助かる。

そこでKayleeの両親はLilianの両親に
「じゃぁ、うちの子の心臓をあげよう」と申し出た。

それだけでなく、
表に出たがりだったらしい父親2人がメディアにせっせと露出したものだから
たちまちのうちに「美しい命の贈り物」の美談ができあがり、
Jason Wallaceは国民的ヒーローに。

そして4月7日。
近親者がベッドを取り囲んでお別れのセレモニーを行った後に
いよいよKayleeの呼吸器が取り外された。

ところが、Kayleeは死ななかった。
自力で呼吸を続けたばかりか、写真のように元気に生きている。

(再掲したら写真が消えてしまったのですが、
Kayleeちゃんの写真は文末の続報リンクにあります)

8日以降、それでもまだメディアの取材を受けるべく姿を現すWallaceのいうことは
どんどん支離滅裂になってきている感じがするのですが、
以下の記事から、だいたい彼が言わんとしているのは、こんなところか。

どうせ死ぬし、生き延びても重症障害児になるんだったら、
いっそ誰かの命を救って死ぬほうが、この子の命には価値があると思えた。
そういう形で尊厳のある死に方をさせてやりたかった。

でも、呼吸器をはずしても、こんなに元気そうだなんて、ショックだ。

医師は最初の日から「QOLが低い」と、そればっかり言っていたし
診断された直後には栄養と水分を断って死なせるのも選択肢だと言ったり
呼吸器をはずしても死なないと分かった晩にも
「お父さんはもう余計なことを言わずに黙って、
娘さんに尊厳のある死を迎えさせてあげなさい」と失礼なことを言うので
セキュリティがやってくる大喧嘩になった。

結局、医師は娘の心臓が移植に適した状態から外れていくにつれて診断を二転三転させ、
親はそれに振り回されたってことだ。
もう何がなんだかワケが分からない。

自然に死なせてやりたかったのだけど、
このまま元気になるのだったら娘は家につれて帰ってやりたい。
だけど、死ぬんだったら、次に子どもを作る時には出生前遺伝子診断を受ける。
生む前に分かっていたら、この子は生まなかったのに。


この事件で疑問視されている問題は

この移植の判断の妥当性
病院側は最初からLillianはリストのトップだったというが
メディアが煽った世論からのプレッシャーで政治的判断があったのでは、との疑惑。

公平な臓器移植の優先順位の原則
臓器移植はドナーの気持ちではなく「ニーズが切迫している順に」という優先順位の原則は?

・ Kayleeの診断の正確さ
重症と診断されていたはずのKayleeが呼吸器をはずしても元気に生きていることから
医師は「考えていたよりも軽症だったかも」と。




Rushing to judge others
The Toronto Star (editorial), April 10, 2009



イマイチよく分からない感じのする事件なので、
自分としてどう考えるかについては、とりあえず保留なのだけど、
なんということもなく、これを関連エントリーとして挙げておきたい気分になった。

葬式(2009/3/29)


2009.06.19 / Top↑
脳死・臓器移植法改正で、A案があっさりと可決された衝撃の中で
テレビで中山議員の「これで日本の移植医療が海外と同じレベルになる」という発言を聞き、
どうしてもこの記事を再掲したくなった。

以下、去年10月14日のエントリーの再掲になります。


我々が自己選択・自己決定によって臓器を提供しようと考えるのは
死のラインが不動だという前提があってのことなのだけれど、
なんと医学においては、そのラインが動くのだよ、と
William SaletanはWashington Post に書いています。

なにしろNew England Journal of Medicineでの報告によると
Denver子ども病院では
心臓の機能不全による死を宣告された乳幼児から
停止して75秒後に心臓を摘出するのをプロトコルとしているのだ、と。

しかも、機能不全とされた、その心臓は、
別の子どもの体内に移植すれば即、正常に動き始める心臓であるわけで……。

昨今、脳死を待たずに心臓死からの臓器摘出が行われるようになってきて、

心臓死の「死」は心臓が不可逆的に止まることだったはずなのに、
そしてまた、以前はともかく今日では2分以上、中には5分以上経っても
外部刺激で拍動が再開するケースだってあるというのに、

最後の拍動から5分待つ移植医もいれば
2分待つという医師もいる。

そしてDenver子ども病院は
60秒以上たつと心臓は自力では拍動を再開しないことが分かっているとして
75秒しか待たない、と。

Denver子ども病院チームを率いるDr. Boucekの言い分は
1. 別の子どもの体内で動いたからといって、元の患者の体内で動いたとは限らない。
2. 赤ん坊の両親が蘇生を許可しないと決めたのだから、その子の心臓は死んだのである。

上記NEJM誌の報告の最後に倫理学者が提案しているのは
蘇生するかしないかだけでなく、どの時点で臓器をとってもいいかまで
それぞれの家族に決めさせればよいだろう、と。

脳死にしますか?
心臓死?
それとも永続的植物状態でも?
あなたが死んだと決める時がその子の死になります、
お好みのままに──。

The Doctors Who Are Redefining Life and Death
By William Saletan
The Washington Post, October 5, 2008


ここにまた「死亡提供者ルール」の廃止を説くRobert Truogが登場して
Denver子ども病院のプロトコルを支持しています。

Truogの言い分は

我々は既に生きた人間から臓器を摘出しているし、
それによって死なせているのだ、それを認めようではないか。
その患者が「壊滅的な神経の損傷」を負っていて
事前意思や代理決定者によってインフォームドコンセントを与えているのならば
倫理的になんら問題はない。
終末期医療の延命停止と同じことに過ぎない。
脳死からの摘出と同じセーフガードがあれば濫用は防げる。
世論調査によればドナーが死んでいようがいまいが世間だって気にしていないし。

しかし、「壊滅的な」損傷についても
Denverチームがドナーの選別に使っている「無益futility」という基準も
これもまた定義がいかようにでも動くのではないか、とSaletanは疑問を投げかけます。

人の生死にかかわる決定をそんなふうに移り変わる世論に基づいて行っていいのか、
臓器の不足を補いたいために基準が緩められていくことはないのか、

死や心臓停止、個人による臓器の所有の概念が不動だからこそ
我々は自分の意思で臓器提供を決めるのではないのか、とも。

      ――――――

この記事を読んで、とても単純に疑問なのだけれど、
心停止から75秒で心臓を「摘出」するという
「摘出」とは具体的にどの段階の行為を指すのだろう。

まさか血管や神経を切り離して心臓本体を取り出すまでが75秒なのか
それともその赤ん坊の胸にメスを入れるまでが75秒なのか、
それとも75秒待ってみてから臓器摘出の決断をするのか、
いったい75秒後の「摘出」というのはどういう行為を指しているのだろう。

私はつい
ドナーとなる赤ん坊もレシピアントとなる赤ん坊も既にそれぞれ手術室に運ばれて、
ドナーには臓器を保存するための薬剤の投与などの処置が既に行われ
いつでもメスが入れられる待機状態でスタッフが取り囲んで
(または既に胸を開いた状態で拍動する心臓をむき出しに)
心臓のモニターをみんなで固唾を呑んで見守りながら
止まるのは今か今かと待っている……という、恐ろしい図を頭に描いてしまった。

心停止の75秒後に起こることが上記のいずれであるにしても
両親の腕の中で亡くなるという形での家族とのお別れなど
「死」の瞬間にはできないことになりそうだから、
(それとも心停止後75秒間だけ抱いていさせてくれるというのか?)
前もってまだ心臓が動いている段階で
家族はお別れをすることになるのでしょうか。
 
2009.06.18 / Top↑