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以下の2本の記事によると、

自殺幇助合法化がうまくいっているモデルとして引き合いに出されるオランダで
自殺幇助のロビーグループ the SVL 財団のチェアマンが10ヶ月の禁固刑に。

80歳のパーキンソン病の女性が自殺幇助を希望していたが、
主治医も精神科医も拒否。

2007年に女性の息子がSVLにコンタクトを取り、
チェアマン(名前は出てきていません)が息子にペントバルビタールを渡し、
女性はその薬で自殺した。

(DutchNews.comの方はフェノバルビタールとしているのですが、
フェノバルビタールならウチの娘に処方されたことだってある一般的な抗けいれん剤だし、
これまでの自殺幇助事件で使われているのもAFPが書いているペントバルビタールなので、
おそらくDutchNewsの方は間違いではないでしょうか)

財団には罰金25000ユーロ。
他に8人がsuspended。(具体的に何を意味するのか私には?)

オランダの尊厳死法では医師以外に幇助行為が禁じられている。

子どもたちは女性が致死薬を飲むのに手を貸したが
罪には問われていない。

オランダの安楽死を監視する機関の発表では
2008年には2146人が安楽死。152人が幇助自殺。
33件では、安楽死と自殺幇助が行われた。

(死に至る行為が他者に行われた場合を尊厳死、
自分で行われた場合を自殺幇助として分類)

合計で2331人となり、
2007年の2120人よりも200人の増加。

10件において法律違反が疑われて調査に。

多くの場合、がん患者で、ほとんどの人が自宅で亡くなった。

2002年にできたオランダの尊厳死法では
医師により不治と診断された病気で耐えがたい痛みがある場合のみに認められており、
患者が自己決定能力があるうちにその意思表示をしておくことが必要。

安楽死を監視するコミッションが5つあり、
医師、法律家、倫理の専門家それぞれ1人から成る。
安楽死のケースはそれらコミッションのいずれかに報告しなければならない。





なお、
現Compassion & Choice の前身Hemlock Societyの創設者で
あちこちで自殺者が参考にして問題となっている自殺指南書”Final Exit” の著者でもある
Derek Humphryがこのニュースを自分のブログで取り上げていました。

More euthanasia reported in the Netherlands
ASSISTED-SUICIDE BLOG (Derek Humphry), May 29, 2009
2009.05.31 / Top↑
アスピリンを常用したからといって心臓麻痺と脳卒中の予防になるのは、既に発作を起こした既往歴のある人だけ。このところ、健康な人もスタチンを飲め、アスピリンを飲め、と姦しかったから。ほら、やっぱり科学者の言うことはコロコロ変わる……というか、仮に予防効果が多少はあるとしたって、健康体でどうしてアスピリンやスタチンを飲まされなければならないのだ? と素人は思う。こういうのが本当に予防医学なのか。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8072215.stm

脳卒中の後遺症に苦しむ兄の自殺を幇助したとして逮捕されたJune Hartleyさんの裁判続報。Felony ではなくてaccessory として有罪を認めたとのこと。記事のトーンからすると、悪意によるものではないので実刑にはならないのではないか、というニュアンス。弁護士が「慈悲による特異な状況での行為。Felonyにするべきではない」と「慈悲」という言葉を使っているのが気になるのと、記事に対する読者コメントに自殺幇助合法化に向かってまっしぐらという世論がありありと。ターミナルでなくても、痛みに苦しんでいるのでなくても、医師でなくても、なんでもありで自殺幇助を認めろと自分が言っているということに、この人たちは気づいていない
http://www.lodinews.com/articles/2009/05/29/news/1_hartley_090529.txt

コネチカットMiddleburyの高齢女性の死はGeorgia州の警察情報に照らしてFENとの関連が濃厚に。
http://www.courant.com/news/custom/topnews/hc-web-middlebury-suicide-0529may30,0,6692915.story

WA州の尊厳死法適用第1例のFlemmingさんと反対運動をしていたALS患者のPaytonさんが同日に亡くなったことについて、「そのアイロニー」として書いた記事。自殺幇助合法化運動が集めた資金が、反対運動が集めた資金の5倍にも及んでいた、と。当時、州外から膨大な資金が流入していることは読んだ記憶があるけど、どういうところから出ているのだろう、そのお金は。
http://www.associatedcontent.com/article/1790746/linda_fleming_john_peyton_and_assisted.html?cat=62
2009.05.30 / Top↑
前々回のエントリーで引用した
こびと症の人とジャーナリストの論争から
個人的な体験について考えたこと。

ずっと昔、娘がお世話になっている身障センターの整形外科の先生方が
子どもの障害を知ったばかりの親が集まる母子入園での診察で
まだ動揺の大きな親たちに向かって、何の配慮もなく
「この子はどうせ一生歩かないよ」などと放言しては傷つけることを
批判する文章を書いたことがある。

(発達小児科の先生方には、もうちょっと親の心情に対する配慮があった)

私が書いたものを読まれたからかどうかは分からないけれど、
その数年後に娘が骨折した時に何人かの整形外科医と話をした際には、
「申し訳ないけれど、ミュウさんが立って歩くことは、この先もないと思うので」
「こう言っては大変申し訳ないですが、ミュウさんは歩かないので」と
どなたも「歩かない」と口にするたびに、いちいち無用の気を使われるのに、
ほとほと情けない気持ちになった。

「歩かない」と言うのが気に食わないから詫びろと求めたのではなかった。

重症児の親になって10年以上も経てば、
我が子が一生歩かないだろうことくらい単なる事実として受け止めている。
実際、歩かないのだから、歩かないと医師から言われることに何の不都合もない。
「この先も歩かないことを考えたら、リスクのある手術で足をまっすぐにする益はない」と
普通に言ってもらって全然かまわない。
「確かに、この子は歩きませんからリスクの方が大きいですね」と同意するだけだ。

けれど今の私が「この子は生涯歩かない」と言われても
余計な感情をかきたてられることなく単なる事実として受け止められるのは、
それまでの10年以上もの年月の間に様々な体験を積み、知識を身につけ、
様々な葛藤や心の波立ちを繰り返しながら障害のある子どもの親として成長し、
心の、少なくとも表層部分は渋皮のように鍛えられてきたからだ。

生まれて間もない我が子に障害があると知ったばかりの親の心は
生まれたての雛のように無防備で柔らかなのです。

因幡の白兎のように赤剥けて血がにじみヒリヒリしている。

そこに塩を擦り込むのは
本当は「歩かない」とか「歩けない」という言葉ではない。
その赤剥けの心に配慮しない無神経の方。

私たち親が分かって欲しいのは、そのことなのに、
それだけのことが、どうしてこんなに伝わらないのだろう……?

ずっと、そのことを考え続けている。

         ――――――――

母性神話や障害児の母親に対する美化が
子育てや介護の負担に苦しむ母親に、悲鳴の口封じになっているということについて

私たちは「しんどいけど可愛い」という順番でしか、ものを言うことを許されない。
そろそろ「可愛いけど、しんどい」という順番で、ものを言い始めてもいいのではないか。
という表現で伝えようとしたことがある。

もちろん諸々の周辺的解説付きで、ずっと前に文章にしたものだけど、数年前に
ある精神障害者の地域生活支援センターの職員さんたちと
子育て支援について話していた時に
同じ文脈でこの表現を使ったことがあった。

その場にいた子育て中の女性スタッフは「それ、すごく分かる」と涙を浮かべ、
我が子の子育てを妻に任せている男性スタッフは反発もあらわに
「なぜ言葉の順番の問題なのか、分からない」と首をかしげた。

分かって欲しい、と一心に念じて言葉に乗せる思いは
すでに同じ思いを知っている人には、まっすぐに伝わっていくのに
分かっていないからこそ一番分かってもらいたい相手の心には届かない。

子育て支援の必要を感じてその議論の場を設定した、
精神障害者支援について素晴らしい見識と業績を持った支援のプロにすら伝わらない。

むしろ心よりも手前に張り巡らされた厚い壁に跳ね返されてしまう。

いつも、そう感じるのは、どうしてなのだろう。
ずっと考えている。

         ―――――――――
 
差別を受ける立場から差別する側に対して異議申し立てが行われた場合に、
それが「言葉の言い替え」や「政治的に正しい言動」の次元に矮小化されてしまって、
「なんで言葉や声しか届かないのだろう。心が届かないのだろう」と
異議申し立ての声を上げた側は歯噛みするほどもどかしい思いをする……というのは
実はよくある話なのだろうと思う。

本当に、スタノヴィッチの解説のように
進化の過程で組み込まれた自律的認知系TASSを
それとは独立して働く分析的認知系によって乗り越えることで
この問題は解決できるのだろうか。

他者の人生の一回性や当事者性を理解することを拒絶するのがTASSだとして、
分析的な思考によって、それは乗り越えられるのだろうか。

他者の痛みをリアルに想像することは難しいし、
できるとしても、せいぜい所詮、想像することだけではないのだろうか。
そもそも、その「想像」は本当に可能なのだろうか。

……と、こびと症を見た時の違和感を分析的思考で乗り越えよ、とする
スタノヴィッチの解説に引っかかって、実は3日ほど、このことばかり考えていた。

で、とりあえず、たいしたことに思い至ったわけじゃなくて、
実はただ当初のスタノヴィッチ説を再確認しただけなのだけど、

そうか、彼が乗り越えろと言っているのは、
こびと症の人を見た時の違和感そのものではなくて、
違和感があるのは事実だから仕方がないだろうと、そこで終わる態度なのだ、と。

人生の一回性や当事者性も他者はリアルに体験することはできない。
つまり他者の痛みを直に自分が経験することはできない。
その感覚の限界は変えようがない。

スタノヴィッチが言っているのは、
「その変えようのなさをどうするか」という問いではなく、
「その変えようのなさを前に自分はどうするか」という問いこそが問題なのだ……なんだな、と。

そう考えれば、
せめて「歩かない」の前に詫びてみようかと考えてくれたドクターたちは
少なくとも分析的思考で努力をしてくれたということになる。

しかも、あの当時、ふんぞり返って患者にも看護師にも平気で暴言を吐き、
手術室で看護師のやることが気に入らなければメスが飛んだという逸話すらある医師が
患者の母親に「申し訳ないけど」と、とりあえず詫びようと考え、
それを若手の医師らにも指導・徹底してくれたのだとしたら、
それは、ずいぶん落差の大きなジャンプだったことだろう。

その努力を努力と認めずに「分かってないッ」と否定したのは
今度はこちらの分析的思考が不足していたのかもしれない。

「ああ、少なくとも努力をしてもらえたのだ」と捉えることができれば、
もう少し、その先を分かってもらおうと私も働きかけることができたのかもしれない。

「なぜ順番の問題になるのか分からない」と首をかしげた男性に、
それは順番の問題ではないのだと辛抱強く説明し、
「分からない」で終わるのは、そこでドアを閉めることですよ、と
働きかけることができたのかもしれない。

そこで「やっぱり男には伝わらない」と諦めて黙ったのは
私もそこでドアを閉めてしまったのだろう。

20数年間の医療との付き合いで
私の中には医療や医師に対する偏見がかなり強固に出来上がって
それこそTASS的な反応を示してしまうところに至ってしまったけど、

障害のある子どもの母親として
自分が体験した痛みや、今も自分のうちにある思いを伝えるための言葉を
やっぱり自分なりに探し続けてみる以外にはないのだろうな、と改めて思う。

アナバチにならないための自分なりの方策として。

そして重症障害児・者の認知能力についても

「分からないと証明できない」ことは
「分からないと証明できた」のと同じではない、
依然として「分かっているかもしれないし、分かっていないかもしれない」なのであれば、
その人への侵襲を検討する際には「分かっているかもしれない」を前提にすることが
倫理的な判断というものではないか、とも主張し続けていくことにしよう。

ちょっと大げさだけど、
私たちをアナバチ化しようとするNBICテクノクラートへの私なりの抵抗として。

どうせ分からないと思われている人たちが実は分かっていることを
証明する必要すら感じないほど確かに“知っている”者として。
2009.05.30 / Top↑
前のエントリーの続きになります。


もう1つ、スタノヴィッチが挙げた2つの認知系のせめぎあいの例で
「お、面白い」と思ったのは、

進化的に都合がよいように組み込まれた自律的認知系TASSでは
正方向の情報は受け入れやすく、負の方向の情報は受け入れにくい、という話。

「AはBである」という情報には目が向きやすいし飲み込みやすいのだけど、
「AはBではない」という情報には目が向きにくく、
提示されても前者ほどには、すんなり飲み込めない。

なるほど、だから、一般大衆を科学とテクノの簡単解決でイケイケに乗せていって
その方向自体への疑問を抱かせないためには
「このビタミンを飲めば、この病気が予防できる」
「この遺伝子の変異があれば、この病気の確率が高い」
「この研究が進めば、この病気は治る」など
「AはBである」とか「AをすればBになる」というタイプの情報が
次から次へと矢継ぎ早に提供されていくだけでいいわけか……と。

そのイケイケの勢いの中で
「クローン肉が安全でないというエビデンスは見当たらない」といわれれば
「クローン肉は安全ではない」という否定と
「エビデンスは見当たらない」という否定には
TASSが拒否する方向に認知を働かせるものだから、
TASSに受け入れやすい「クローン肉は安全である」という情報に
頭の中で勝手に書き換えられて、

その情報を論理的・分析的・科学的に理解すると、それは実は
「クローン肉は完全には安全でないかもしれない」とか
「クローン肉には完全に安全でない可能性もある」ということでもある……
という事実は頭から消えてしまうのね、きっと……。

重症障害があって言葉で意思を表現することができない人の認知についても

「分かっていることが証明できない」ということは
依然として「分かっているかもしれないし、分かっていないかもしれない」であるに過ぎないのに、
なぜか、そこで「だから分かっていないことが証明できた」かのように飛躍し、
「この人はどうせ分かっていない」と、非常に非科学的な論理にすり替えられてしまう。

それでも、多くの人がその論理の非科学性に気づかずに
医師が「分かっていると証明できないから、この患者は分かっていない」と判断するのは
相手が医師だというだけで科学的なアセスメントなのだと思い込んでしまう。

これも「分かっていることが証明できない」が「AがBではない」タイプの情報であるために
TASSにとって受け入れにくく、したがって

「AでないことがBである」タイプの情報に置き換えられると、
そこに起きている飛躍が見過ごされやすいのかもしれない。

……など、提示される、いわば「人間の認知の隙」みたいなものの事例が
私にとって、すこぶる興味深かったのは、
Ashley事件でみんながたぶらかされてしまったカラクリを
それらがイチイチ説明してくれるようにも思えたから。

Ashley療法論争で
Diekema医師の説明は最初から一貫性がなく矛盾だらけだったのに
世界中の人たちが「どこかおかしい」と感じつつも巧妙に誘導され騙されてしまったのも
もしかしたらD医師が生まれ持っているらしいペテン師の天分というものが、
このような”認知の隙”に付け込むワザに本能的に長けているからかもしれない。

そして、この指摘は、たぶん、当ブログが前から主張している
”ない”研究は”ない”ことが見えなくなってしまう落とし穴にも
まっすぐ通じていくような気がする。

しかし、スタノヴィッチがこの本を書いたのは
自分の頭でものを考え懐疑するという態度を失うのは怖いことなのだぞ、
それでは知的テクノクラートにいいように振り回され利用されてしまうぞ、と警告するためだ。

TASSだけにコントロールされて
単純で硬直的な行動パターンがルーティーンとして定着し
疑問を感じるとか内省するといった柔軟な心の働きを失った状態のことを
誰かが「アナバチ性」と呼んだのだそうな。

餌のコオロギを毒針で麻痺させておいてから
いったん穴に入って中を確認したうえでコオロギを引っ張り込む習性のあるアナバチは、
中に入っている間にコオロギを移動させられると、
入り口まで運んでから、また中に入っていく、
また離しておくと、また入り口まで運んでから中に入っていく。
頭の中が空っぽのアナバチは何度でもそれを繰り返すんだと。

だから、分析的な心でTASSの専横に対抗しようということを
スタノヴィッチは「ロボットの反逆」というのかぁ……。

その辺りにはもっと深い思索があるようだったけど、
私にはここが限界で、白状すると、途中で面倒くさくなって読むのを諦めた。

ただ、彼が反逆しろといっているのは前のエントリーで引用した前書きからすれば、
遺伝子の利己的な思惑に対してのみではなく、たぶん、
TASSに飲み込みやすい話と論法で一般大衆をたぶらかしてアナバチ化・知的プロレタリアート化して
支配・利用・搾取・使い捨て、切捨てにしようと企む知的エリートたちに対してなのだ……
ということが妙に生々しく印象に残った。



2009.05.30 / Top↑
「心は遺伝子の論理で決まるのか -二重過程モデルで見るヒトの合理性―」
キース・E・スタノヴィッチ、椋田直子訳 みすず書房、2008

なぜ読もうと思ったのか、もう覚えていないのだけど、
県立図書館にリクエストしておいたのが、すっかり忘れた頃になって届いたので読んでみた。

もともと無知な文系頭なのだから理解できない部分も沢山ある一方で、
理解できるところには面白い話がゴロゴロしていた。

例によって細部については間違っているところはあると思いますが、
自分なりの捉え方と言葉で大胆かつ雑駁にまとめてみると、
この本の要旨とは

人間は遺伝子が複製を繰り返して生き延びるための乗り物に過ぎないという
ドーキンス理論をベースに、

人間の認知には2つの系があって、
1つは遺伝子が生き延びるために最適な条件を選ぼうとする進化的に適した認知の系で、
これを著者は自律的システムセットTASSなどと呼ぶ。

もう1つが自分という個体にとって最適な条件を
いわば理や知でもって分析的に選ぼうとする認知の系。

で、この2つの系がせめぎあっているために
人間は必ずしも常に合理的な行動をとることができないのだ……という例を
いくつも提示・解説し、その2つのせめぎあいを理解することによって
人間が遺伝子の利己的な利益に屈しない(著者は「ロボットの反逆」と呼ぶ)ためには
後者の系をいかに利用していくべきかを考える……という話。

全体に、この人もまた、心とか情動の問題を置き去りにしたまま
認知とか知能とか合理だけで人間の行動を説明しようとしているのには
ぜんぜんついていけなかったのだけど

2つの系のせめぎあいの例が、いろいろ、めっぽう面白かった。

その中に障害に対する認知の話(P.206-208)があって、
これには目のウロコを1枚落としてもらった。

ジャーナリストのジョン・リチャードソンが書いた
「小さな世界 - こびと症の人々、愛、悩みの真実」という本の中にある
著者とこびと症の女性との手紙での論争の話。

リチャードソンがこびと症の人々の大会に出向いた時に、
参集している彼らの姿をwrong(「変」と訳してあります)と感じたと書いたことから、

こびと症の女性アンドレアがそれを批判し、
それに対してリチャードソンが
「嘘をつきたくなかったからありのままに書いた、
病気の症状への恐れそのものは自然なものだ」と主張。
それから手紙でのやり取りが続くのですが、

「もちろん、ちがっているものを見た第一印象で、いろいろな理由から不安になるのは分かります。──自分自身との違いを怖れるとか、未知のものを怖れるとか。でも、皆それを乗り越えます。……私が知りたいのは、あなたがこの考えを変えるつもりがないのかどうかです。もし、変えるつもりがないのであれば、これ以上文通を続けることはできません」

「こうしたことは、幼い頃にハードワイア接続されています。……美の基準と、その基準から外れる例はつねに存在します。ごく単純な規範的思考です。しかし、外見をまったく見るなというのは、人間をやめろというのと同じことです」

「違いを受け入れるのは、からだを無視するのとはべつのことです。違いが変に思えない状態に到達することなのです」

リチャードソンはやがて
アンドレアが求めているのは単に「政治的に正しい」答えじゃないか、とウンザリし、

「統計の部屋なるものがあったとして、見渡したところ1万5000人が「平均的」体格で、こびと症の人がひとりだとしたら、どちらが変に見えるでしょうか。幼児番組のやさしくて正直な司会者、ミスター・ロジャース流にいうならば、どちらがなじんでいないでしょうか。繰り返しますが、私は「変だ」とはいっていません。「変に見える」といっているのです。最初は。爬虫類なみのこの脳内で。私の、爬虫類なみの脳内で」

著者はここで
リチャードソンが「ハードワイア接続されている」というのは
脳内のTASSだから仕方がないという主張だが
アンドレアは彼に対してTASSを組み替えろと求めているのではないのだ、というのです。

TASSの組み換えなど不可能だということくらいアンドレアにも分かっている、
彼女が求めているのは、TASSを認めてそれと同一視するのではなく、
分析的な心を使ってTASSを乗り越えて欲しい、ということであり、
自分の本能的反応を擁護することに熱心になるあまり、
リチャードソンはアンドレアが望んでいることを正しく理解できなくなっている、と。

私たちが進化の途上にあった時代の環境においては、アンドレアのような人たちが変に見えて、それなりの扱いを受けることだけに生物学的意味があった。しかし、私たちが自分の持てる分析的システムにTASASを制御させるとき、文化は前進する。アンドレアの友人たちと同じように私たちも「第一印象では不安になっても、それを乗り越え」て、「違いが変に見えない状態に到達する」ことができる。ただしそのためには、数世紀をかけて生み出された文化的ツールを使い、分析的心でよく考えることが必要である。



例えば
あのNorman Fostがシアトル子ども病院生命倫理カンファで
「無益な治療」論の正当化に引っ張り出した
「重症児は太古の昔から殺されてきたのだ」という理屈──。

いまだに「自然に任されたら淘汰されたはずの存在」だからと
出生・着床前遺伝子診断を正当化する理屈──。

そういう物言いを念頭において、このスタノヴィッチの解説を
以下の、この本の前書きの最初の数行と合わせて考えると見えてくるものがある。

本書を書こうと思い立ったのは、ある悪夢のような未来像にとりつかれていたからだった。それは、知的エリート層だけが現代科学の持つ意味を理解している、ユートピアならぬ「ディストピア(暗黒郷)」の姿である。悪夢の世界の知的エリート層は、自分たち以外の人間にはこうした意味を理解吸収する力がない、と暗黙のうちに、あるいははっきり言葉にして決め付けている。そのかわり一般の人々には、科学以前の昔から伝えられた物語──概念上の方向展開を強いられず、したがって不安に駆られることもないお伽噺──が与えられる。要するに、社会的、経済的プロレタリアートがいなくなったと思ったらなんのことはない、知的プロレタリアートが登場していた、という科学的唯物論が支配する未来世界のイメージである。

なるほど、むしろTASSで納得しやすい話を持ち出せば
世論は操作しやすいわけか……。

「障害児は太古から殺されてきたのだ」とは、
山森氏が「ベーシック・インカム入門」で書いていた
福祉切捨てに反対する人を黙らせるための恫喝「財源はどうする!」と同じなのですね。

それにしても、この前書きに書かれている科学的唯物論が支配するディストピアって、
トランスニューマニストらが描いてみせる未来図そのものじゃないか……。
2009.05.30 / Top↑
自閉症なのに診断されていない子どもがたくさんいる
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8072127.stm

マラリアの寄生虫に現在最も有効が薬が効かなくなりつつあると世界初のエビデンス。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/8073118.stm

映画「おくりびと」金曜日に米国主要都市で封切りとあって、NYTimesのレビュー。物語の展開がミエミエで、退屈、メロドラマチックな凡作、とぼろかす。(私は、それなりによかったと思ったけどなぁ。死んだ後の体は有効利用可能な資源みたいに捉える自分たちの感覚を、この映画でちょっと振り返ってみるとか……してみたら?)
http://movies.nytimes.com/2009/05/29/movies/29depa.html?th&emc=th

認知症患者に一般的に処方されているアリセプトなどコリンエステラーゼ阻害薬が一部の患者には副作用のリスク大きい、と。
http://www.medicalnewstoday.com:80/articles/151720.php

米国民主党Kennedy議員を中心に、国民皆保険を実現する医療改革。雇用主が社員の保健の一部を負担する形で政府運営の保健で?? まだ草案段階。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/05/28/AR2009052803772.html

Sotomayor判事の指名への疑問の1つが中絶についてのスタンスだったらしく、判事はObama大統領と同じく女性の権利を尊重する、とホワイトハウスから。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/05/28/AR2009052803937.html

こちらはSotomayor氏が意地悪くて口で弁護士をやりこめる癖がある、と。
http://www.nytimes.com/2009/05/29/us/politics/29judge.html?_r=1&th&emc=th

英国のCafcassの責任者が判事に呼び出されて、Baby Peter事件以降の児童保護事例で事務処理の遅さを叱られている。子どもを保護したものの、その後の法律上の手続きが進まないケースが多いため。(しかし、世論のブーイングを受けた判事のパフォーマンスとしか見えない。)
http://business.timesonline.co.uk/tol/business/law/article6382832.ece?&EMC-Bltn=NKVGQA

Baby Peter(これまでBaby Pとされてきた)事件で、母親が5年以上の不定期刑となりそうなことに、あちこちからクレームが出ており、Lady Scotlandが介入、検事が裁判所に刑期延長を要請? (この事件への対応、前にも感じたけど、衝撃は分かるものの対応に筋の通らないところがチラチラする。ポピュリズムで原理原則がなし崩しになっていって、本当にそれでいいんかい?)
http://www.guardian.co.uk/society/2009/may/27/baby-p-lady-scotland-sentences

Baby Peter事件に関するGuardian報道の一覧ページ。記事の多さが衝撃と余波の大きさを物語っている。誰か調べたい人がいたら、このページから入ると概要つかみやすいかも。
http://www.guardian.co.uk/society/baby-p

先週のLancetでチーフ・エディターが英国児童保護コミッションを早急に作れ、と。
http://www.medicalnewstoday.com:80/articles/151802.php

米国コネチカット州で去年亡くなった高齢女性について、ある家を捜索せよとの通報があり、自然死との見方を何者かによる自殺幇助事件に切り替えて、警察が捜査を開始。その家にあったPCの情報による。記事ではFENの関与が匂わされている。
http://www.wfsb.com/news/19593387/detail.html

米国のナーシングホームでの銃乱射事件(入所者ら8人死亡)の裁判で、検察は死刑を求刑する模様。
http://www.daytondailynews.com:80/news/nation-world-news/death-penalty-sought-in-nc-nursing-home-shootings-137630.html

未熟児に音楽を聞かせると苦痛の軽減になる。(20年以上前に重症の仮死状態で生まれた娘は、保育器の側に置いたラジカセでいつも童謡をかけてもらっていた。心から、ありがたかった。あの当時、そんなNICUは珍しかったのだということを、ずっと後になって知った。本来なら親に抱かれて歌ってもらったり、声をかけてもらうのだから、なるべく普通の体験をさせてあげたい、なるべく普通の環境に近づけてあげたい。たとえそれが痛みを軽減するわけでなくとも、音楽くらい聞かせてあげてください。なるべく沢山声をかけてあげてください。本人が苦痛でないなら沢山触れてあげてください)
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8068749.stm

日本の研究者が遺伝子改変で作った紫外線で緑に光るサルについて、Guardianが霊長類に欠陥遺伝子を導入することの倫理問題が指摘されそうだと。ヨーロッパの動物実験指針では禁じている。人間の難病状態を実際に作り出せるのかどうかの証明が必要となりそう。
http://www.guardian.co.uk/science/2009/may/27/genetically-modified-gm-monkeys-germline
2009.05.29 / Top↑
Illinois州で5月18日、
しかるべき手続きなくして
ガーディアンの同意により障害のある成人に不妊手術を行うことを禁じる法案が
議会を通過し、知事に送られた、とのこと。

ここでいう「しかるべき手続き」とは
裁判所の命令をとることなどで、

多くの州が障害者の不妊手術にはガーディアンが同意するだけでは足りず、
裁判所による命令を必要としている中、

16 の州がその要件を欠いたままになっており
IL州はそのうちの1つ。

この法規制を求めて活動してきたアドボケイト Equip for Equality は、
もっと前にできておくべきだった法律だが、
去年のK.E.Jケースが画期的なインパクトを与えた、と。

Northwestern大学の the Medical Humanities & Bioethics Programの助教授で
Equp for Equality と協働してきたKatie Watson氏も

「2008年以前は、ガーディアンと医師とが内密理に合意して
水面下で障害者の不妊手術が行なわれていたのだから、
今回の法規制の意味するところは大きい。

KEJ訴訟における上訴裁判所の判断の原理を法規制として組みなおしたもので、
障害者自身に法定で意見を聞く場を設けるなど、
当事者の利益に焦点を当てたものとなっている」と。


今回付け加えられた「しかるべき手続き」としては

・成人の不妊手術を求めるガーディアンは裁判所に命令申請を行うこと
・法定代理人(guardian ad litem) の選任
・本人の医学的、心理学的評価
・本人が不妊手術に同意できる能力について裁判所による判定
・事実と法解釈(?)の詳細まで含んだ裁判所の命令書


Illinois Legislation on Sterilization Passed
What sorts of people, May 18, 2009


この件について報告している、上記 What Sorts ブログのWilson氏は

今回のIllinois州の快挙は
Ashley事件に反応して活動した多くの人の努力の賜物、と書いています。

障害者に対する侵襲的医療介入については(無益な治療の判断においても)
Ashley事件以後のニュースで追いかけてきた限りにおいては
裁判所の考え方で一定のスタンダードが示されつつあるように思います。
(詳細は文末のリンクを参照してください)

例えば、以下のような点など。

・ 裁判所の命令の必要。
・ 本人の意思決定能力と意思の客観的な確認・証明。
・「明確かつ説得力のあるエビデンスを提示」することによって
本人利益を証明する重大な証明責任が介入を求める側に課せられる。
・ 侵襲度の低い他の選択肢の徹底的な検証。

2003年のDiekema論文も、ほぼ、この線に沿った内容になっています。

だからこそ、2004年のAshleyケースでの判断においても、
現在シアトル子ども病院がゴリ押ししようと画策している
重症児への成長抑制療法の一般化においても、
裁判所の判断を不要とし、(恣意的操作可能な)病院内倫理委でよいとする主張は
言語道断に重症児の権利を踏みにじるものだとしか思えません。

ワシントン大学病院のICマニュアルでも
WPASの報告書でも、
本人の身体的な全体性と尊厳に関わるような
侵襲度が高く不可逆な医療介入については
不妊手術と同様の慎重な手続きが必要だとされているのですから。


【イリノイのK.E.J.ケースに関するエントリー】



【その他、障害者の医療における代理決定原則に関するエントリー】


2009.05.29 / Top↑
第1例目の自殺者が障害のために働けなくなった人だったというのは
前のエントリーを書いた時に初めて出てきた情報だったので
情報源とされる22日のNY Times の記事を読んでみた。

裁判書類と弁護人よると、Linda Flemmingさんは離婚しており、
5900ドルの負債を抱えて2007年に破産申請している。

Flemmingさんは元ソーシャルワーカーで
破産申請時、障害があるために働くことができず、
月額643ドルの障害者手当てを受給して助成付き住宅で暮らしていた。

また友人によると、がん告知を受ける数日前に
1982年製のOldsmobileステーションワゴンを買ったばかりだった。

C&Cのトップ Robb Miller氏は
Flemmingさんと話した際に彼女の破産については知らなかったが
彼女の状況にC&Cとして支援を懸念する材料は見当たらなかったし、
2人の子どもと元夫も本人から相談を受け決断を支持していた、と。



このNY Timesの記事の書き方やトーンを
23日のエントリーで取り上げた SP-i の記事の書き方やトーンと比べると、
とても興味深いものがあります。

23日のエントリーでも指摘しましたが、
S-Piが C&C について
終末期のより良いケアと選択のアドボケイト」と説明している一方、

NY Timesは
尊厳死法の成立に向け運動したアドボカシー・グループ」と、ずばり。

また、NYT は Flemmingさんが元ソーシャルワーカーだとはっきり書き、
障害のために働けなくて手当と住宅助成に頼っていたことも書いていますが、

S-Piは「ホームレスや精神障害者の支援を行ってきた」という曖昧な書き方で
元ソーシャルワーカーだった事実を書いていません。

私も最初にこの箇所を読んだ時には
「? ボランティアだったの? じゃぁ、生活費は?」と疑問に思いましたが、

S-Piの記事が全体に C&C 寄りの立場で書かれていることを考えると、
これは、もしかしたらそれが職業だったことを明確に書いてしまうと、
失業していたことまで書かなければならなくなるため
曖昧な書き方をしたのではないでしょうか。

つまりC&Cは
Flemmingさんの破産については知らなかったかもしれないが
失業して障害者手当てで暮らしていたことは知っていた。
そして、そのことはリリースで隠したのです。

これは、考えてみれば、とてもコワイことです。

NY Timesの記事ではWA州保健局から
「個々のケースの詳細はプライバシーに関わるので明らかにできない」との見解が示されています。

今後、第2例、第3例と続いていった時に、
それが障害のある人であったり、貧しいために医療・療養費に事欠く人であったりしても
そうした事情は表に出てこないことになります。

しかも、第1例目の報道を読む限り、
希望者にはC&Cが最初からぴたりと寄り添って、
幇助自殺を遂げるまで濃厚な“支援”を行うのであろうことも予想されます。


第1例目の事実関係を以下にまとめておきます。

Linda Flemming さん。66歳の女性。

元ソーシャルワーカー。
障害があるため働けず、障害者手当てを受給し助成住宅で暮らしていた。

一ヶ月前にステージ4のすい臓ガンとの診断を受ける。

その直後に第1回目の口頭での自殺幇助希望。
最終的な書面での希望を行ったのは5月15日。
21日に自宅で家族とペットの犬、医師立会いの下、自分で薬を飲んで自殺。

C&Cがプレスリリースにより報告。
22日にメディアが報じた段階でWA州保健局は未確認。
(医師の報告義務には30日の猶予があるためと思われる)
2009.05.29 / Top↑

こちらのビデオは
WA州の尊厳死法が成立する前の去年 6月19日の ALS 患者 John Payton 氏のインタビュー。
(映像下の英文タイトルをクリックするとYouTubeが開きます)

氏は余命数ヶ月とされながら、その数ヶ月を自殺幇助合法化反対運動に生きた人。

ここでも、
自殺幇助合法化に賛成する人たちは「でも QOL はどうなるんだ」と言っていますが? と質問され、

暖かい家族と友人がいて、そういう人たちからのサポートがあり、
私の QOL はぜんぜん低くはありません。

もちろん、私のように家族や友人に恵まれていない人は気の毒だし、
気持ちも分からないでもないけれど、

そういう人に必要なのは死を選択することではなく
暖かい支援と思いやりではないでしょうか」と答えています。

(2回しか聞いていないので、だいたい、こんな内容ということで)


その Payton氏は、地元紙 Kitsap Sun によると、先週、
WA尊厳死法で初の医師による自殺幇助で Linda Flemming さんが亡くなった同じ日に、
ALS患者のホームで穏やかに息を引き取ったとのこと。

最後の苦しい息の下で話したことも、おおむね去年のインタビューと同じだったようです。
自殺幇助の合法化は障害のある人、貧しい人に特に危険が大きいと懸念もしていた、とのこと。

Linda Flemmingさんは離婚して07年に破産。
障害のために働けず,障害者手当てをもらって暮らしていたとのこと。
これ、ちょっと重要な情報ですね)

Payton氏を看取った緩和ケア・ナースは、
これまでに、自分の家族が Flemmingさんと同じ、すい臓がんで亡くなるのを看取ったことが2度あり、
ホスピスと緩和ケアで十分な安楽ケア、痛みのコントロール、症状管理は可能だ、と。



今日現在、上記のYouTubeのビデオに寄せられた最新のコメントのいくつかは
自殺幇助を支持する人たちによるもののようですが、
あまりにも酷い内容で、胸が悪くなります。

こいつ、痛みがあったら、こんなこと言ってられないぜ。なんて自分勝手でエラソーな奴なんだ。こんな奴、もう死んでたらいい。苦しんで死んでたらいいと思う。そうしたら自分が間違っていたと分かっただろうし。

こいつの病気、ぜんぶヤラセだよ。

ははははははははは。涙が出そうだよ。ははははは。この、どあほが、へぇ、そうかい、そんな状態でもQOLは悪くないってか。勝手に何でも言ってろよ。

“im completely paralyzed””thank you for doing what your doing””thank you I have now happily jerked one off to your cow face, thanks for making a difference you blond fuck haggy bimbo”


いったい人間の社会はどうなってしまったというんだろう。
障害者に対する ヘイト・クライム が増えている……という話を生々しく思い出します。

ここにぶちまけられているのは、まさしく ヘイト。

でも、一体なぜ、ここまで――?
2009.05.28 / Top↑
いつもお世話になっている Patricia Bauerさんのブログ記事から。

米国医師会ジャーナルJAMAに掲載の論文(Peter A. Benn & Audrey R Chapman)が
一年以内には商業利用がスタートすると思われる非侵襲出生前診断テストについて
重大な倫理問題を懸念。

まず現在の不十分な医療制度を変革する必要がある、と。

指摘されている問題点として

・現在の胎児ダウン症候群のスクリーニングにおいても、妊婦はそれがことによってはさらに侵襲度の高いテストに繋がったり、中絶にすら結びつく可能性があることなど知らされていない。

・非侵襲テストは営利研究機関や保険会社、政府の保健機関など、このようなテストによって経済的な利益を得る機関によって“奨励されかねない”。その結果、患者個人の選択が担保されない可能性がある。

・テストで検知可能な遺伝的障害のある人の人口が減っていけば、テストで障害が分かってなお妊娠を継続することに対する社会的な許容度に微妙な影響が生じる可能性がある。そのような周囲の姿勢の変化によって障害のある人々や家族に対する理解と支援が得られにくくなり、遺伝的な障害に対するスティグマが強化される。


結論としては、

出生前診断の安全性と精度を向上させる点を評価し、広く使用されることを奨励しつつ、
遺伝カウンセリング、それら一連のテスト使用に関する再評価、監督の強化を求める内容。

FDAに規制を求めると同時に、
実施規定や患者と医療職双方への教育、最低限のスタンダードを作る専門家機関の設置を提言。



購読していないとフル・テキストは読めないようですが、
この記事を読むだけでは

安全性と精度の向上を評価して広く実施しようという点と、
倫理問題がいろいろ懸念されるという点の、
いずれに重きを置いた論調になっているのか、よく分かりません。

それにしても1年以内に商業利用開始……。

なんにしても、倫理問題が指摘され、批判されつつも、
現実には、そんなの知らぬ存ぜぬ勢いで、あっという間に既成事実化されていく。
2009.05.28 / Top↑
Obama大統領が最高裁判事に
ヒスパニック系の女性判事 Sonia Sotomayor氏を指名したことは
今朝、日本でもニュースにもなっていましたが、

それに反対する共和党陣営などから
Ⅰ型糖尿病患者であるSotomayor氏にそんな要職が勤まるのか、と
疑問の声が出てメディアで論争になり、
米国糖尿病協会からプレスリリースが出される騒ぎにまでなっていることは
触れられていませんでした。

私は詳しい政治的な信条などについて知らないので
背景にあるものは、もっと複雑なのだろうとは思いますが、

リリースは5月26日付で、
糖尿病の患者がそれぞれその人の持っている力によって評価され、
糖尿病に関するステレオタイプや誤解に基づいて評価されることがないよう求めています。



また、このところのSotomayor氏の糖尿病関連のメディア報道については
Patricia Bauerさんのブログがまとめています。

Selected coverage, comments on Judge Sotomayor’s diabetes
PATRICAEBAUER NEWS & COMMENTRY ON DIABILITY ISSUES, May 26, 2009


ふっと頭に浮かんだ。

そういえば、生徒とセックスしたとして逮捕されて有罪になる先生って
なぜか女性教師ばかりのような気がする。

最高裁判事に選任されたのがヒスパニックの女性じゃなくて白人男性だったら
糖尿病であることは問題にならなかったのでは……。
2009.05.28 / Top↑
FDAが成人を対象に認可したRisperdal の自閉症やADHDの子どもへの適応外処方が
米国の小児科医療でルーティーン化しており、

特に男児が胸の膨らむ副作用で乳房切除術を受けるに至るケースが続出。
訴訟も起きている。

記事にリンクされている CBS のビデオでは
14歳で胸が膨らんだ男児は自分のことを女だと思い込んでしまった、とのこと。

この記事、ちょっと興味深いところは、
いわゆる反ワクチン・キレート療法派のブログが書いているもので、したがって、

「Risperdal を平気で子どもに使っている親に
我々のことを“反ワクチン”だの“キレーショニスト”なんて呼ばわる資格があるのか、
そっちこそ我が子を危険に晒す“リスパーダリスト”じゃないか」と
批判への反撃に使っている。



Ashleyの父親は2007年初頭に書いたブログで
背を高くするためにホルモン療法を受ける男児で胸が膨らむ副作用が問題となっているが、
このようなケースでもAshleyに行ったのと同じように
予め乳房芽を切除しておくとよい、と提案しています。

ここで指摘されているRisperdalの副作用についても
彼の提案は当てはまります。

Ashleyの父親やシアトル子ども病院の医師らが言うように
乳房が小さなうちに乳房芽なるものを切除することが実際に
リスクも苦痛も小さく、利益が大きい場合には倫理的に妥当なものなのであれば

このような場合の予防策として誰かが、
例えばNorman Fostのようなトランスヒューマニズム寄りの急進的な小児科医などが、持ち出してきて

「胸が大きくなる程度の副作用なら乳房芽切除で対応できる。
その程度の副作用リスクよりも症状を緩和する利益のほうが大きい」と説いても
不思議はないと思うのだけれど、この2年強の間、そういう声は聞いたことがない。

それは、とりもなおさず、
「本来大きくなるべきでない胸が大きくなる薬の副作用の防止策として
予め小さなうちに胸の組織の一部を外科手術によって切除しておく」という行為が
医療の慣行から見て一般に倫理的だとされる範疇を超えているからでしょう。

それならば大きくなるべき胸が正常に発達することを防止する策として
6歳の女児に行われた乳房切除の、一体どこが倫理的に妥当だというのか。

CBSのビデオでは
「少年たちはpainfulな乳房切除術を受けなければならなかった」という
表現が使われ、術後の痛々しい傷跡の写真が使われています。

正常に発達していた健康な体の一部を外科手術で抉り取られて、
Ashleyの体にはこれと同じ傷跡が残っているのだ……ということの生々しさを
Ashley事件を論じる人はきちんと受け止めていなければならない、と思う。


2009.05.28 / Top↑

(映像部分のクリックは無効のようですが、映像下の英文タイトルをクリックすると開きます)



曲はミュージカル”キャッツ”から”メモリー”。

最初はちょっと緊張気味かも。
でも間奏の後、爆発する歌声。やっぱりすごい。

それに、前回よりも自信を持って、この人、いい顔になった。



2009.05.27 / Top↑
糖尿病が爆発的に増加するだろうと懸念されている。特にアジアの若年層で。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/8069431.stm

マウスのゲノム読解完了。75%まで人間のゲノムに似ていると。(たしかTHニストたち、チンパンジーのゲノムが95%まで人間と同じだから人間並みの権利を認める必要があるという論法を使ってなかったっけか。じゃぁ、次はマウスにも人間に準じた権利を、という話にでもなるのか?)
http://news.bbc.co.uk/2/hi/science/nature/8069235.stm

CA州の高等裁判所、同性婚禁止を支持。
http://www.nytimes.com/2009/05/27/us/27marriage.html?_r=1&th&emc=th

小児癌の子どもの兄弟の疎外感。
http://www.medicalnewstoday.com:80/articles/151338.php

カリフォルニア大デイヴィス校の研究で、幼稚園から小学校低学年にかけて注意散漫な子どもは高校生になって成績がよくない。Pediatrics誌に。(最近こういう研究がやたら目に付くのが気になる。頭のよい子どもを作ることが、まるで医学・科学研究の目的になったかのように)
http://www.medicalnewstoday.com:80/articles/151377.php

27枚の写真でたどるキム・ジョン・イルの生涯。
http://www.guardian.co.uk/world/gallery/2008/sep/12/kim-north-korea?picture=337564442

オーストラリアの首都圏で警察がパブやバーの一斉取り締まりをやったところ、とあるバーでは酔いつぶれた13歳少女が正体不明でぶっ倒れているのを発見。そのほかに未成年27人を保護。
http://www.canberratimes.com.au:80/news/local/news/general/girl-13-found-slumped-in-bar-after-police-raid/1523967.aspx?src=enews
2009.05.27 / Top↑
米国で自殺装置を考案して150人以上の自殺を幇助し、
去年6月から仮釈放中の Jack Kevorkian 医師(81)の生涯を描いた
Neal Nicol著の伝記本を元に、

同医師の映画を作ろうという企画がずいぶん前からハリウッドで進行しており、
現在アル・パチーノに出演交渉が行われている。

監督はBarry Levinson。


去年は選挙に出るなどと息巻いておられましたが、

(ちなみに、こちらの記事だと、K医師の釈放は一昨年。
 去年というのはReuterの間違い。幇助した人数も20人ばかり増えている……)

最近のK医師の言動としては
2月に違法な自殺幇助でFEN幹部が逮捕された際に、
FENのやり方を批判していました。

【5月28日追記】
続報あり、アル・パチーノ契約したとのこと。
2009.05.27 / Top↑
3日ほど前から目に付いているのですが、
なぜかメジャーなメディアが扱わず、大きく報じられずにいるニュース。

スイス在住のルーマニア人でうつ病を患っていた Andrei Haberさんの自殺について
親族からDignitasで死ぬと計画していたと当局への通報があり、

Haberさんが重病でもなければ激しい痛みを伴う不治の病でもなく、
死にたいのは心理的な動機でしかなかったとして、
判事も「その事実が本件でははっきりしている」と
捜査を命じた、とスイスのメディアが報道している、と。

スイスの安楽死法ではターミナルな状態の患者以外に自殺幇助は認められていない、と。

(ここは、ちょっと混乱があるようです。
どこかで、そういう条件はないと読んだような気がして
これまでの記事を振り返ってみたところ、こちらのTimesの記事
スイスの法律ではターミナルであることを条件付けていない」とされていました)

Dignitasの内部事情について元職員だった Soraya Wernliさんが
1月にDaily Mailに語ったところでは、
もはやDignitasは命を終える思いやりに満ちた場所ではなく
決まった手順で自殺までの処理を進めていくだけで
障害者や終末期の病気の人たちをお金儲けに利用する殺人装置でしかない、と。

彼女によれば、創設者のLudwig Mineli氏はかつて
「もし自分の思いを実現できるなら
街角でソフトドリンクやチョコレートを買うように簡単に
自殺用バルビツレートを買える自動販売機を設置するのにな」と言ったとか。

Wernliさんは2005年にDignitasを退職し、
その後はDignitasで行われている虐待を暴き、
閉鎖に追い込むための活動を続けている。


WernliさんのDignitas批判は
病気の夫と健康な妻を一緒に自殺させることをDignitasが検討中との
4月のニュースの際にも出てきていました。


何があって退職したのか、なにしろ元職員の証言というのは
ちょっと割り引いて聞いたほうがいいかもしれませんが、

このところ、うつ病の人精神障害者の自殺幇助事件が続いているだけに、
多くの人の自殺を幇助し続けるDignitasで何が行われているのか、
ぜひとも詳細を明らかにしてもらいたいところです。

なお、Haberさんは自殺する前にカナダの友人を訪れており、
その友人らの詳しい証言などがこちらの記事に。

なお、この記事によると、
Haberさんはソフトウエアのエンジニアだったとのこと。
2009.05.27 / Top↑
マイク・タイソンの4歳の娘さんがエクササイズ・マシーンで遊んでいる時に付属のコードで首を吊った状態になり、病院に運ばれるも人工呼吸器をつけ重態。
http://blog.taragana.com/n/tysons-daughter-on-life-support-after-found-hanging-65950/

専門医に患者を紹介するシステムが患者を商品にしている、というNY Timesのエッセイ。たぶん。
http://www.nytimes.com/2009/05/26/health/26essa.html?_r=1&th&emc=th

大麻は長期に服用すればMSに効くかも、という治験。
http://www.guardian.co.uk/society/2004/sep/11/health.drugs

読む気力がないので内容が分からないけど、フランスのサイエントロジー教会が詐欺で訴えられている。
http://www.guardian.co.uk/world/2009/may/25/scientology-france-fraud

右手親指はどうして左手側にくっついているのか。発達の初期の細胞分化の秘密を分子生物学が解明? (言われてみれば確かに不思議。考えたことなかったけど。「天使と悪魔」の中にあった、最先端科学者は自然の摂理の美しさに神を信じるようになる……という言葉を思い出した。)
http://www.medicalnewstoday.com:80/articles/151244.php
2009.05.26 / Top↑
前のエントリーのBBC記事
英国人は科学者から出てくる癌予防アドバイスにいい加減ウンザリ」を読んで思い出したので、

先週、Ashley事件がらみの調べ物で見つけて
(英語ブログでは、まだAshley事件をシコシコやっているもので)
「ぶわっ」と笑わせてもらったトランスヒューマニストGeorge Dvorskyからの
「永遠に生きる確率を劇的に向上させる8つのヒント」。

なにしろ、トランスヒューマニストというのは今の調子で科学が進んでいけば、
Kurtzweilの言う特異点がやってきて
人類はほぼ永遠の健康と生命を手にすると信じているので。

ただ、さしものカナダ・トランスヒューマニスト協会会長Dvorskyも
今ここに生きている我々が“その時”に間に合うかどうかは心もとないらしくて、
それぞれが最大の努力をして自己責任でそれまで生き延びよ、と説く。

じっと我慢して生き延びつつ、
科学が大いなるブレークスルーを重ねる、その驚異の時代まで生きることさえできれば、

腎臓病? だいじょうぶ。あなたのES細胞で再生腎臓を作りましょう。
癌? 安心なさい。ちょっと細胞の遺伝子をいじれば治ります。
アルツハイマーですか? 人工神経でいきましょう……てなもんよ。

で、それまで個々に生き延びるために
「これをやりなさい、これはやってはいけません」という8項目とは、

1.正しいものを食べなさい。

食は医であるからして、“正しい”ものとは、まずワイン。
抗酸化作用があって老化の元となるフリーラディカルをやっつける。

ワインがダメな人は、

くるみ
ざくろ
ひまわりの種
ブラックベリー
クラムベリー
ブルーベリー
ドライ・アプリコット
生姜
ラズベリー
プルーン

あ、植物繊維もたっぷりね。
あと、魚を中心にオメガ3、6、9あたりの脂肪酸も大切よ。
体内の解毒には水分をたっぷり取るのも忘れずに。

2.悪い食べ物は避けること

「体にいいとされるものを、ぜ~んぶ食べるだけじゃダメ。
体を害して老化を促進する食べ物も避けないと」

キーワードは「ほどほどに」。

脂肪、塩分、糖分の、いわゆる余分3兄弟の取りすぎは避けましょう。
残留農薬が多いリンゴ、ピーマン、桃、ほうれん草、イチゴは、
どうしても食べたかったら、よ~く洗ってから。

3.低カロリーの食事を。

目先が苦しいことは、ずっと先に実るのだからね。

4.サプリもしっかり。

「サプリはアグレッシブに摂ること」と
毎日何百錠ものサプリを飲んでいるKurzweilが言っているんだから間違いない。

飲むのは、ビタミン13種類はゼッタイ。
ミネラル17種も必須。
あと、オメガ3と6の脂肪酸。

5.運動してアクティブな毎日を

6.危険な活動を避けること。

いくら健康に気をつけても、毎日の生活に危険は潜んでいるからね。

避けたいのは、死ぬ確率が高い順に、

バイクの事故
転落事故
食中毒
溺死
火事
病気の合併症
陸上交通
花火
その他の交通手段。

7.不老不死の推進運動に参加・協力し、地元で活動を起こすこと。

 (これは、まぁ、THニスト協会へのオルグですね。要は)

8.死体の冷凍カプセルを、AlcorまたはCryonicsと契約しておくこと

万が一、“その時”まで生き延びられない時を想定して、ね。
未来の文明は、必ずや、あなたを無事に生き返らせてくれるからね。



な~んか……ね。

トランスヒューマニストってのは
基本的にやっぱり、ものすご~くハッピーな人たちなんだろう、ね。


「お父さん、ボクは何のために生きているんだろう」
「おまえ、それは、もっと健康になるためだよ」

「いったい何のために生まれてきたんだろう」
「そんなの長生きするために決まっているじゃないか」
2009.05.26 / Top↑
あはは。まったく、そうだよね……。
このタイトル見ただけで、大笑いしてしまった。

……といっても、記事を読んでみると、
BBCによってちょっと意訳されたタイトルのようなので、
標題はさらにspitzibaraが懇切丁寧な解釈を加えてみたものですが。


世界癌研究基金(WCRF)の調査で2400人にアンケートしたところ、

半数以上が「科学者の言うことはコロコロ変わる」。
4分の1以上が「いつも言うことが変わってるから、一番いいのは完全に無視すること」。

でも、とWCRFが反論して言うには
そうは言っても野菜と果物を食べましょうとか
健康的な食生活と運動、体重チェックというような大筋では
科学的がん予防アドバイスは10年は変わっていないぞ、と。

その他にも、研究結果が報告されるたびに
1つひとつの研究結果に過剰反応をして
あたかも特定の食物だけで予防できるかのように受け取るから
コロコロ変わるように受け止めてしまうのではないか、と分析されているのですが、

そりゃ、多少はメディアの責任もあるでしょうが、
一つ一つの研究を報告される科学者の方々のトーンだって十分扇情的で、
「かもしれない」という巧妙な言い方を駆使しつつ、
「これを食べれば」的に誇大な効果を期待させる文言だと思いますけど。

万能細胞がいくつか作成されたという段階に過ぎないのに
やれ再生臓器だ、アルツハイマーもパーキンソンも治せる、と見果てぬ夢を描きまくり
世の一般人の期待をいたずらに煽っているのも科学者の方々だし。



BBCがタイトルで意訳しているように、

(ちなみに、記事にくっついている写真は、
「メタボ腹越しに、タバコを挟んだ指でビールを持つ手」)

一般国民のこの反応が示しているのは、たぶん、
「エライ科学者の先生方ほど我々一般の愚民大衆は健康至上主義じゃないっすよ」
ということなんでは──?

そんなに必死こいて情報集めて体にいいものばっかり食べてよ、
体に悪いものは一切食べないように我慢してよぉ、遺伝子まで調べて
まだ元気だっつう胃ィやらオッパイやら、わざわざ取っちゃってよぉ、
それで病気を予防して長生きしたって、

認知症になれば「家族と社会のために死ぬ義務」があると言われるわ、
歳をとったら心臓麻痺やら脳卒中だって起こるだろうし
体もだんだん衰えるんだから不自由にもなるだろうけど、
そしたら「スイスに行って死ぬならどうぞ、連れて行く家族を罪には問いません
病院に入ったら「無益な治療だから栄養も水分もなし、餓死しろ」とか言われるんだよ。

年寄りを大事にしない世の中に長生きして
いったい何のいいことがあるのよ?

誰のための健康至上主義だっての。

私ら、別に、そんなにセコセコ必死こいて長生きしなくったって、
そこそこ楽しく、そこそこ健康に暮らして、まぁ、そこそこ生きて、そこそこで死ぬ。
それでいいんじゃねぇの?

そこそこ生きるんでいいからさ、
その代わり、死ぬまではちゃんと面倒みてもらえると有難いんだけどね。

本当はね。
病気予防に必死こいて長生きするよりもね。

なんで、科学者のセンセイてのは、
これっくらいのことが、わかんないのかね。

ビール、うまいよ。ほれ。



……て、写真のメタボ腹を見てたら
どこからともなく聞こえてきた声を聞こえるままに訳してみた。
2009.05.26 / Top↑
オーストラリアで実験的に、高学位のナース・プラクティショナーを責任者として、常勤換算で15人職員を擁する簡易診療所に200万ドル投入。年間3万件の診療を行えるのでは、との見込み。(たしかオーストラリアの診療待ちも英国並みに長かったから、その対策?)
http://www.canberratimes.com.au:80/news/local/news/general/heat-on-nurseled-clinic-to-succeed/1521621.aspx?src=enews

あの衝撃の歌姫Susan Boyleさん、例の番組で順調に勝ち進んでおり、土曜日に最終決勝戦に。
http://www.guardian.co.uk/media/2009/may/25/susan-boyle-in-final

自閉症児と家族向けサマー・キャンプ。行動療法中心に。南カリフォルニア。夏休みの間の支援って、日本でも少なくて親子が煮詰まる。
http://www.medicalnewstoday.com:80/articles/151150.php

Obama大統領が胚性幹細胞研究への連邦政府の助成金を解禁して科学者を狂喜させたのもつかの間、NIHが準備中の倫理指針はどうやら厳格なものになりそうで、現在進行中の研究すら最初からやり直すことになる可能性も、と科学者ら懸念。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/05/24/AR2009052402141.html

昨日もどこかでこの話題は見た。イラクで米兵の自殺が多発しているらしい。昨日見かけたのは「最大の敵は兵士の自殺」みたいなタイトルだった。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/05/24/AR2009052402142.html

患者が意識のある状態で脳腫瘍を取り除く手術をして、Webcastを通じてその映像をインターネットで公開する……って、なんのため? と思ったら、病院の宣伝だと。その感覚、どこか根本的に間違ってない? 競争に勝ち残ることが何より大事な価値になった医療現場の感覚……。あ、でも慈恵医大青戸病院の事件を思えば、患者にとっても一定の安全保障になるのかな……。いや、やっぱり別問題ですよね。
http://www.nytimes.com/2009/05/25/health/25hospital.html?_r=1&th&emc=th
2009.05.25 / Top↑
かなり前のことになりますが、テレビで
“日本人初のママさん宇宙飛行士”山崎直子さんの記者会見を見ていたら
「ミッションの間、家事はどなたが?」という質問が飛び出したのには
今の時代にまだこんなバカな質問をする男性記者がいるのかと
食事中の箸が思わず口元で止まってしまって、

日本国政府も「男女共同参画型社会」を云々するのなら
まずはこういう時代遅れのメディアの”常識”から教育し直してよね……と考えた。

その数日後、某所において
最近あちこちで話題になっている介護職不足とそれに伴う処遇改善の必要について
現時点で国が考えていることを厚労省の官僚が説明する場面に居合わせた。

その後、3%の介護報酬アップが発表されましたが、
これはそれ以前のこと。

官僚の説明の後に会場の介護職の男性から手が上がって、
「たちまち来年度の介護報酬の改定で報酬が上がるかどうかの議論も
気にはならないわけではないけれど、自分たちとしては
将来的にも介護職として働きながら
子どもを育て家族の介護などもしなければならない。
介護の仕事をしながら、そんなふうに家庭を営んでいけるような
息の長い支援というものも考えてもらいたい」

それに対して、その官僚の回答は
「それは部局が違う。
子育て・介護すなわち家庭と仕事の両立という問題では
女性の子育て支援、就労支援の担当になるので」と、いくつか省内の部局を挙げて
「そちらに問い合わせていただきたい」。

──え? 唖然としてしまった。

子育て支援・介護者支援はすなわち女性支援……って、
本当に日本国厚生労働省としての見解なの──?

それって、アンタの個人的な”常識”じゃないの──?

男女共同参画社会を論じさせたら、この同じ官僚だって多分こんなバカな発言はしないと思う。
介護保険の担当者として介護保険を論じる時にも
「介護は女性の仕事か」と突っ込まれるような失言はしないはず。

だけど、子育て支援は別問題だと、とっさに捉えてしまったのは
縄張り意識の破れ目から彼の個人的な”常識”が覗いてしまったのだろうと思う。

「子育てをしない男を父親とは呼ばない」と、あざといポスターを作った厚労省の官僚が
個人としての腹の中では「でも子育ては、やっぱり女の仕事だから」と
根強い”常識”を温存しつつ、場面によって、その2つのスタンダードを使い分けている。

彼の失言が物語っているのは
介護を巡るダブルスタンダード・美意識の根深さ。

そして、彼の発言を聞いても、
おそらく誰もそれが“官僚の失言”だとは気がつかないことが
この社会におけるダブルスタンダードの根強さを、さらに物語っている。

介護の社会化が言われ、子育て支援が言われ、障害児の親への支援が言われる一方で
「愛情さえあれば子育ても介護も苦にならないはず」との美意識が
無言のうちに社会からの規範として介護者自身に内在化されている。

そんなダブルスタンダードの存在が同時に、
支援を必要とする人から悲鳴を口封じして、
助けを求めるSOSの声を奪っている……と
当ブログはずっと訴えてきました。

そろそろ「子育ても介護も女性の仕事」という”常識”を
本気で捨ててはどうでしょうか。

そして、国は本気になって、男女を問わず、
基本的な家事・育児・介護の能力をきっちりと身につけた大人を育てる教育をする。

そしたら「ウンチのオムツだけは男には替えられない」などと
非科学的なことを言い訳にする男もいなくなるし、

障害のある子どもの子育てを妻に全面的に押し付けておいて
「ボクの面倒はちっとも見てくれないで、妻はグチと文句ばっかり」と幼児並みのタワゴトをほざいて
子育ての責任ごと家庭を放り出すような無責任な男も減る。

男性独居高齢者がろくに料理も掃除もできないからといって
ちょっとやる気にさえなれば無用なはずのヘルパーを派遣する必要もない。

高齢者を虐待する筆頭に上がるのは息子介護者だというのは有名な話で、
男性は家事・介護能力が低いことがストレスになるのが原因だと
よく専門家が分析していることはもちろん、

私はここにはもう1つ、別の要因があると推測していて、それは、
「介護みたいな汚いお世話仕事はもともと女の仕事」だと思い込んできた男性が
いざ自分が介護者役割を担わざるを得なくなった時に、
「なんで男の自分がこんなことをやらないといけないんだ」という不満を
潜在的に抱えているからではないか、

それが
介護のストレスを溜め込んでしまった時に
一気に爆発してしまうのではないか、ということ。

政府が本気で子育て支援や介護費用の削減を考えるのなら
国民全員が性別を問わず大人になったら誰でもある程度の
家事、子育て、介護ができるような教育を整備し
「家事も子育ても介護も女の仕事」という常識を根絶やしにすべく
意識啓発に努めるのが一番の早道なのでは──?

そういう社会なら、
夫婦や家族がともに子育てや介護の負担を担えるキャパシティがまず今より大きくなるし、

誰もがすることであるだけに社会全体に負担感がある程度共有・理解されて
非現実的な理想像や美意識の押し付けが解消され、
負担に対する社会の風通しもよくなって、

苦しい時には苦しいと率直に悲鳴を上げ、
自責や罪悪感に縛られることなくSOSを出して助けを求めることができる。

それは子どもや高齢者への虐待の防止にも繋がる……。

そんな気がするのですが。


2009.05.25 / Top↑
まずは、お知らせ

::::::::::::::::::::
東京大学READ「経済と障害の研究」公開講座

ベーシック・インカムの課題と可能性
::::::::::::::::::::

日時:7月4日(土)13時―17時
場所:東京大学本郷キャンパス 経済学研究科棟 第1教室
http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam01_08_01_j.html

講演・山森亮さん(『ベーシック・インカム入門』著者、同志社大学教員、経済学)
「ベーシック・インカムの課題と可能性:
  障害者運動の思想から何を引き継げるか」

課題提起
川越敏司さん(はこだて未来大学教員、経済学)
澤田康幸さん(東京大学教員、経済学)

情報保障
手話通訳・文字通訳あり
点字レジュメ、拡大文字レジュメは事前にお問い合わせください。

講座終了後に懇親会を予定しています。懇親会への参加を希望される方は、事前にお
申し込みください。

懇親会申込・お問い合わせ先
read.koukai@gamil.com

主催・東京大学READ「経済と障害の研究」
http://www.read-tu.jp/index/


山森氏の「ベーシックインカム入門」は何ヶ月か前に読んだ。

私はつい最近まで何も知らなかったので、
ネオリベ社会の行き詰まりで出てきた概念だとばかり思っていたベーシックインカム(BI)が
実は200年もの歴史を持つ思想だということや、

(米国キング牧師らの公民権運動や
イタリアのフェミニズムの運動や
日本の青い芝の会の活動が求めていたのもBIだとか)

これまで経済学の中でBIがどのように議論されてきたかという背景、
日本の福祉施策が実は就労促進のワークフェアでしかないことや
福祉国家が宿命的に持っている命の序列化と切り捨ての指摘、
それゆえにBIが持つ今日的意義など、とても興味深かった。

BIとは何ぞや、という話は、
初めてBI本を読んでみた時のエントリーがこちらに。


特に介護の問題と照らして個人的に印象的だったのは、
イタリア・パドアの女性たちが家事労働に賃金を求めて1971年に出した文書の一節で、

家事労働は資本主義社会内部に未だ存在する唯一の奴隷労働である。(中略)

いわゆる「家庭内」労働が女性に「自然に」帰属する属性であるという考え方を私たち女性は拒否する。それゆえ主婦への賃金の支払いのような目的を拒否する。反対に、はっきりと言おう。家の掃除、洗濯、アイロンがけ、裁縫、料理、子どもの世話、年寄りと病人の介護、これら女性によって今まで行われてきた全ての労働は、他と同様の労働であると。これらは男性によっても女性によっても等しく担われうるし、家庭というゲットーに結び付けられる必然性はない。

私たちはまた、これらの問題(子ども、年寄り、病人)のいくつかを、国家によるゲットーを作ることで解決しようとする資本主義的あるいは改良主義的試みも拒否する。

これは日本の介護保険について
樋口恵子さんたち「高齢社会を良くする女性の会」が今なお主張し続けていることだ。

それでも介護の社会化を謳った介護保険が
わずか数年で「財源がもたない」という話になれば
社会化どころかノーマライゼーションだの脱施設だのという美名の下に
介護負担はまたぞろ家庭に(つまり女性に)押し戻されて
もはや同居家族がいればヘルパーの生活援助も認められない。

それから終末期医療や障害児・者への医療と教育で言われる「社会的コスト」に関しては、

ノーベル経済学者賞を受賞した経済学者のステイグリッツはアメリカを例にとり、財政赤字の責を福祉などの社会扶助支出に帰するのは誤解に基づく議論だと指摘しているが、日本の社会扶助支出はGDP比でそのアメリカよりも低いのである。日本で、私たちがもし財政再建のため福祉支出を削らなくてはいけないと思い込まされているとするならば、それは「誤解」か、あるいは何か別のことへの予算支出を隠ぺいするためのスケープゴートに福祉がされているに過ぎない。(P. 40)

奇妙なのは、お金がかかる話すべてに財源をどうするかという質問がされるわけではないことである。国会の会期が延長されても、あるいは国会を解散して総選挙をやっても、核武装をしようと思っても、銀行に公的資金を投入するのにも、年金記録を照合するのにも、すべてお金がかかる。だからといってこうしたケースでは「財源はどうする!」と詰め寄られることはまずない。

こうした中で特定の話題(生活保護などの福祉給付やベーシックインカムなど)にのみ財源問題が持ち出されるあり方を見ていると、財源の議論を持ち出す動機は往々にして財源をどう調達するかについて議論したいのではなく、単に相手を黙らせたいだけであると思わざるを得ない。(P.222)


まったく同じことが医療のコストについても言えるはずだと
当ブログでもずっと考えてきた。



本当に医療費を押し上げているのは
常に数値が示されて「コストがかかる」とあげつらわれる
終末期の患者さんたちや障害児・者なのか。

その一方に、
莫大なコストがかかるはずなのにコスト計算がされることのない
最先端医療やトランスヒューマニスティックな研究があるのではないのか──。
2009.05.25 / Top↑
妊娠と出産によりアフリカの女性が毎年536000人、女性の半数以上が命を落としている。
http://www.nytimes.com/2009/05/24/health/24birth.html?_r=1&th&emc=th


Iowa州知事、子どもの医療保険加入助成策S-CHIPの対象拡大を含む法案に署名。
http://www.medicalnewstoday.com:80/articles/151075.php

政治家が自分ちのテレビや便座の購入費まで政治家としての活動費に計上していたケースが次々に明るみに出て問題になっている英国の議員の一人が、私的な生活まで穿り返すのは選挙区の国民の「嫉妬」だ、何しろ私は大きな家に住んでいるから……とラジオで発言して、のちに謝罪。
http://www.guardian.co.uk/politics/2009/may/21/mps-expenses-anthony-steen

時間と学費の節約を狙って大学教育を4年から3年に変更しようという声。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/05/22/AR2009052203681.html
2009.05.24 / Top↑
米国の学校での教師による虐待問題について読んでいたら
英国で去年の Baby P事件をきっかけに問題になっている児童保護行政の失態の数々を思い出した。

ずっと前に米国の IDEA (障害のある個人教育法)を
ちょろっとだけ読みかじったことがあって、

その時、IDEAって、読み方によっては、現場で障害児に関与した専門家それぞれが
それぞれに「自分がやるべきことについては、ほら、このように然るべくやりましたよ」と
証拠固めをする書類整備システム、

つまりは“みんなで責任逃れをするための書類整備システム”として
読めないこともないような気がした。

もちろん、私はIDEAをちゃんと読みこんだわけでもなければ
そういう問題の専門家でもないから無知な素人の無責任な感想に過ぎないけど、
当時、米国の中・高の教師2人にその感想を述べてみたところ、2人はほぼ同意見だった。

その時以来、これはもしかしたら、
今の日本のいろんな分野で広がっているのと同じことなのかもしれない……と考える。

自分の責任の範囲で求められる仕事はちゃんとやったぞ、と
証拠を残すための書類仕事が煩雑で、その膨大な書類作りに追われるために、
本来の仕事とじっくり向かい合う余裕がなくなる。

記録に残し、書類が整備されていなければ
何も仕事をしなかったとみなされて責任を問われるので、やるしかないのだけど、

ばたばた追われているうちに本来の仕事が何なんだったかを見失い
書類を書くことが仕事のような錯覚を起こす、

ついでに、中には
書類上さえ、きっちりしていれば、あとはどうでもいいのだと勘違いする人も出てくる……
もしかしたら現場の管理職あたりが、そういう勘違いをしがちでもあって……
そうしたら本来の仕事を熱心にやっている人ほど評価が低くなる……
結局、資質も意識も高い人ほど「バカバカしくてやってられない」気分になる……

みんなが自分の守備範囲を固めることしか頭になくなって、
助け合うなんてもちろんのこと、全体のことを眺めたり構っている余裕もない……なんて状況──。

で、その結果、置き去りにされてしまうのは
本来の仕事として、しっかり向かい合う対象であったはずの
子どもや生徒であったり患者であったり高齢者や障害者――。

Baby P事件に関する調査報告が使った
「専門家が誰か一人でも自分の責任の範囲を超えて関与していれば」という表現
考えたのも、やっぱり、このことだった。

市場原理の競争が産んだ「管理を強化して効率化を」という原理(こういうのがミーム?)を
グローバリゼーションが世界中にわっと広げていって、

それが保健医療とか教育とか福祉とか、
単なる商品ではなく人間を相手にするゆえに話がそれほど単純でない分野にまで
一律に導入、浸透させてしまったものだから、

誰もゆとりを持って本来の能力や機能を発揮することができないような
実はものすごく非効率な(ほとんど機能不全の)システムがはびこってしまった……
なんてことはないのだろうか?

それでもシステムは簡単に元には戻せないし戻したくもないと考える
「管理による効率」感覚でイケイケの世界が居心地も都合もよい人たちには

今のシステムを維持し、もっと進めていくことを前提に問題を簡単解決するためには
むしろ手っ取り早く邪魔くさいバリアになっている存在を切り落としていけばいい……
というふうに世の中が捉えられているのだとしたら──?

例えば、世界中の保健医療の施策をコスト効率によってのみ点検して成績をつけ、
成果が目に見えるコスト効率のよい施策優先に組み替えていこうと
医療における「管理の強化による効率化」をさらに強力に推し進めていく
ゲイツ財団やワシントン大学IHMEのように──?
2009.05.24 / Top↑
英国のBaby P事件で、母親と恋人、家主が収監された。恋人はPeter君の死と2歳の女児レイプの罪で12年の懲役。母親と家主については、社会への危険とみなされなくなるまでということで今のところ未定期。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/england/london/8055340.stm

Oregonのウツ病女性がテキサスで自殺した件の続報。メキシコから毒物を持ち込んで女性に飲ませた疑いで逮捕されたラスベガスの男性に、仮釈放はない、と。
http://www.forbes.com/feeds/ap/2009/05/22/ap6457383.html
http://www.lasvegassun.com/news/2009/may/22/las-vegas-man-allegedly-brought-assisted-suicide-d/
2009.05.23 / Top↑
英米のメディアがこぞって報じていますが、
さすがに地元紙のこちらが一番詳しいようです。

Sequim woman first known assisted-suicide patient in state
The Seattle Post-Intelligencer, May 22, 2009


昨年11月に住民投票で決まり、
今年3月に施行されたWashington州の尊厳死法により
21日に医師に幇助を受けて自殺したのは
Seattleの北にある Sequim というの町の女性 Linda Fleming さん(66)。

死の自己決定権のアドボケイトである Compassion & Choiceが発表した。
(この点に私は強い違和感を覚えるのだけれど)

自殺幇助を行った医師には30日以内に州の保健局への届出が義務付けられており、
22日時点で州保健局はまだ確認していない。

Flemingさんはホームレスや精神障害者の支援をしてきた女性で、
一月ほど前にステージ4のすい臓癌を診断された。
その直後に、口頭で自殺幇助を希望したという。

WA州の尊厳死法では15日間の間を置いて口頭で2回、
その後に証人2人の立会いの下で書面で希望することが求められている。

Flemingさんが最後の書面によるリクエストを行ったのは5月15日。
その6日後の21日、自宅アパートで家族と犬、医師にかこまれて、自分で薬を飲み自殺した。

癌の進行とともに痛みが激しくなって、
最後は意識を落とすほど痛み止めの薬を増やさなければならなくなるのがイヤだったという。

記事にある、死の前のFlemingさんの発言を以下に。

「痛みが耐えがたくなりました。
これからもっとひどくなる痛みです」

「私はスピリチュアルな人間なので
意識があって清明で、ちゃんと分かっている状態で死ぬということが
私にとっては大事だったのです」

「ずっと望んでいたような生き方が最近になってやっとできるようになったところでした。
それなのに、もう生きられないことになってしまって、
癌は最悪のタイミングでやってきました」

「強い痛み止めを使われると、死ぬ時に保っていたい意識状態が維持できなくなります。
でも痛み止めを増やすしかないのも分かっています。
尊厳死法のおかげで私の個人的な信念に沿った死に方を選ぶことができて嬉しい」

保健局が把握しているところでは、
これまでに少なくとも致死薬の処方6件が薬局で購入された、とのこと。

Oregonでは尊厳死法ができてからの12年間で
約400人が医師による幇助を受けて自殺している。

           ―――――――

記事を読んで、とても単純に疑問に思ったのは、

WA州の尊厳死法の規定では、確か
2人の医師によって余命が6ヶ月以内であることが確認されなければならないはず。

癌だと分かった患者さんが、その診断の直後に口頭で自殺幇助を求めた場合に、
いかにステージ4であっても余命6ヶ月以内だと言い切れるものなんだろうか?

すい臓癌は治療が難しくて転機が悲惨なものになりやすいと聞いたことがあるけど、
どちらかといえば余命よりも、そちらへの配慮が先に立ったということはないのだろうか。

万が一にも第1例目から「余命6ヶ月以内」要件がおろそかにされたとしたら
やっぱり由々しい「すべり坂」だと思うのだけど。

それに、全米に尊厳死法を広げていく運動をしている C&C から
第1例目が公表されて、それがプロパガンダに利用されるというのが気に食わないし、

地元紙で、Ashley事件でも偏向を感じさせたSeattle Post-Intelligencerが
「この法律はターミナルな患者さんにコントロールと尊厳を与え
それによって心の平安をもたらすものです」というC&C医療ディレクターの発言を紹介しつつ
C&Cのことを「終末期のより良いケアと選択」のアドボケイトだと書いているのも、
まったく気に入らない。

それにしても、

終末期の延命治療中止と脳死臓器移植法の改正について熱心に報道している日本のメディアは、
英米を中心にした自殺幇助合法化の動きを、なんで無視し続けるのだろう――?
2009.05.23 / Top↑
米国の学校、特に障害児教育での教師の体罰・虐待が問題になっているようです。
Patricia Bauerさんのブログなどから以下に。

GAO report details school abuse of students with disabilities
PatricaEBauer NEWS & COMMENTRY ON DISABILITY ISSUES, May 20, 2009

米国政府説明責任局(Government Accountability Office: GAO)からの報告書。
障害児を中心に、学校での抑制・監禁などの虐待が起こっている。
死亡例がこれまでに少なくとも20件。

報告書で指摘されている主な点として

・緊急事態の回避策として行われたものではない。
・教師に十分な知識がなく研修が不足している。
・抑制と隔離(監禁)を報告させているのはCAとTA州のみ。その2つの州だけで今年度中に3万件が報告されている。
・椅子に縛り付ける、ガムテープで猿轡。長時間の監禁で首を吊った13歳も。
・GAOの調査対象となった教師の半数はいまなお教育者として雇われている。
・教師の言うことを聞かないという程度のことで行われている。


②[http://www.patriciaebauer.com/2009/05/20/info-restraint-hearing/ Additional information from restraint hearing]
PatricaEBauer NEWS & COMMENTRY ON DISABILITY ISSUES , May 20, 2009

19日に米国下院の教育・労働委員会で行われた
学校での抑制と隔離などの虐待に関するヒアリングの詳細。


Georgia special ed teacher, aide charged with child cruelty
PatricaEBauer NEWS & COMMENTRY ON DISABILITY ISSUES, May 21, 2009

自閉症の男児をガムテープで椅子に縛りつけたり、
目の見えない女児を「おしゃべりするから」と机の下に閉じ込めたりした
Atlanta のWoodstock 高校Special educationの教師と助手を
児童虐待の容疑で逮捕。

警察ではこうした行為が複数回あったようだ、と。


④こちらは AP の記事で
Report: Discipline by teachers can turn deadly
AP, May 19, 2009

2002年のTexas州での死亡事例。

Cedric Napleonくん。14歳。体重129ポンド(60キロ弱)
教室で騒いでいたところを、教師に床に倒されて、上にのしかかられた。
教師は体重230ポンド(約100キロ)。

息ができないと訴えているのに教師は相手にせず、
体を離した時には死んでいた。

Cedric君の養母は議会のヒアリングで
「こういうことが先生の仕事だというんのなら、教育制度そのものが大いにおかしい」と

他の記事では
「同じことを私が家でやったら、私は逮捕されますよ」とも。

議会でのヒアリングには、
7歳のアスペルガーの子が興奮した際に、
教師が子どもの腕を背中に捻じ曲げて、抱え挙げ、頭から地面に落としたという
ちょっと信じがたいような証言も。

この一家はschool district (日本の教育委員会に当たる)を訴えて
26万ドルの賠償を認められた、とのこと。

          ――――――――――

確かに、かなり、すさまじい内容で、
記事を読んでいると、まるで米国の障害児教育には
オニみたいな悪徳教師ばっかりかと思えてくる。

でも、まさか、そんなはずもないだろう……と思えば、

感情的に教師たたきに走っても何の解決にもならないのだから、
冷静に現場の問題点を洗い出して整理してもらいたいな、と思う。

理念先行でインクルージョンを急ぐことの弊害が起きてはいないのか。

発達障害のある子どもの急増が言われる一方で、
教育現場での手当てが間に合っていないのではないか。

障害児教育の予算をカットしておいて
問題の責任だけを現場に押し付けるようなことが起きてはいないのか。

ここでもまた、教師に「研修」を受けさせて
教師を「指導・教育」して十分な知識と技能を身につけさせれば
どんな障害像の子どもを何人担当させても
虐待まがいの行動なしに授業ができるはず……なんてことはありえなくて、

現場への現実的、具体的で有効な支援
つまるところは予算、人手がもっと必要……という話ではないのか。

ただ、こうして大きな問題になって
メディアが騒いで、まずはヒステリックな教師たたきが起こったら、
次には、その揺り戻しが必ずあるし、

そこへゼニの話が出てくれば、
「だから障害児には社会的コストがかかる」というスティグマが
また強化されることに繋がるのかなぁ……。

イヤな話だなぁ……。


          
2009.05.22 / Top↑
何日か前に仕事の関係の検索をしていた時にひょっこり出会って、
読むなり、鷲掴みされてしまった文章。

日々の暮らしの中で、人々は、自分ではどうしようもないことに出会う。

 選べない親、成育環境、身体条件、容貌、性格、経済状態、人間関係、失恋、自己嫌悪、関係者の死、差別、葛藤、障害、欲望、自信喪失、離婚、病気、事故、破産、失業・・・。

 背負いきれない荷物を背負って、それでも人は生きている。ある時は怯える心と寂しさをオブラートに包み、ある時は抗うべくもない現実を丸ごと飲み込んで、人は生きている。

国連障害者の権利条約、日本政府代表団の顧問を務めた
東俊裕氏(弁護士・障害当事者)が

熊本学園大学のホームページ教員紹介プロフィールで書かれている
学生へのメッセージ「障害当事者から見た世界 - 福祉・人権の視点から-」冒頭の部分。

ちょうど、精神障害のある女性の自殺幇助でFENから逮捕者が出たり、
オレゴンのウツ病患者がわざわざテキサスまでいって幇助自殺していたり、
そういう事件を考えていたところだった。

どん! と衝撃が腹にきて、
この数行に自分が丸ごと鷲摑みされた感じがした。

「障害が耐え難いから死にたい、死は自己決定できる権利だ」という人たちに、
この数行の静かな言葉が、はらわたに響くような大声で
「それは違う」と言っている。

この人自身が、自分のはらわたから絞り出した深い声で
それは違う。死ぬな──と言っている。


メッセージはこの後、次のように続く。

これからの君たちに暗い話をしても、と思う反面、同時代の人々の生き様に関心を向け、同じ目線から時代を見据えることの中に真の学びがあると思う。

 君たちが学ぼうとする福祉の世界は、君たちから見ると、日常とはかけ離れた世界に映るであろう。しかし、障害のある人の世界とそうでない人の世界は決して別物ではない。一般社会の矛盾を映し出すのが障害のある人の世界であり、置かれた状況である。逆に障害のある人が幸になることは、社会全体を豊かにすることでもある。

 学ぶということは専門性を身につけることでもある。しかし、福祉の専門性は、時にパターナリズムに陥る。障害当事者の主体性を担保し、専門家との対等な関係を築き、福祉施策の方向性を基礎づけるのが人権である。


東教授のプロフィールページはこちら
2009.05.22 / Top↑
抗がん剤治療を拒否している13歳のDaniel君母子のニュースを
19日にNewsweekも取り上げていました。



宗教上の信条が関わるこのようなケースで
「親の決定権」や「子の最善の利益」をどう考えるかという点について
かなり突っ込んだ内容の面白い記事ではあるのですが、

ここで触れたいのは記事の内容よりも、
この中に引用されているDiekema医師の発言。

赤信号を無視してはいけません。
人を銃で撃ってはいけません。
それと同じように命を救う治療も拒否してはいけません。

親が子どもに重大な害をもたらす大きなリスクのある決定をしたと
裁判所がみなした場合には、裁判所は介入して子どもを守ることができるのです。


ったく、よく言うよ。

州法にも病院のマニュアルにも
裁判所の命令が不可欠だと明示されている子宮摘出を
裁判所に行かずに6歳の子どもにこっそりやってしまったのは、アンタでしょーが。
2009.05.22 / Top↑
アイルランドのカトリック教会運営の学校、児童施設で1930年代から聖職者である職員による性的・身体的・心理的虐待が常習化していた件について、9年にわたる調査の報告書。虐待行為があったと特定された人物は800人にも上る。さらにアイルランド政府が虐待行為を把握していながら、カトリック教会との間で隠蔽工作を行っていたことも明らかに。
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/world/ireland/article6328015.ece?&EMC-Bltn=KQYAPA
http://www.guardian.co.uk/world/2009/may/20/child-abuse-catholic-schools-ireland
http://www.nytimes.com/2009/05/21/world/europe/21ireland.html?_r=1&th&emc=th

インドネシアでオランウータンの雌が死んだばかりの我が子を食べるという、これまでに見られなかった行動に出た。1ヶ月はさんで2例、観察。ストレスの大きい環境の影響か、と。(こういう話を聞くと、ウィル・スミスの映画「アイ・アム・レジェンド」を思い出す。環境ホルモンや薬の安易な利用など科学とテクノロジーのおかげで、実は人間を含めて生き物がどんどん凶暴になっていっている……なんてことは?)
http://news.bbc.co.uk/earth/hi/earth_news/newsid_8058000/8058365.stm

IVFで生まれた双子は自然に生まれた双子よりも小さいうちの健康度が低い。ちょっとびっくりするのは、生殖補助医療で生まれる子どもの4分の1が凍結胚からだ、と。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8057210.stm

ダウン症の人が癌になりにくいことは知られているが、そのメカニズムは染色体が多いことによって癌細胞の成長が抑制されるため。癌予防の研究に役立つかも、と。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8055342.stm
2009.05.21 / Top↑