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医師の権威や忙しそうな様子を前にした時に、高齢患者とその家族は受動的になる、とスウェーデンでの調査結果。:日本では、なおさら。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/169011.php

11月は米国の介護者月間。家族介護者に向け、10のヒント。:一昨日、昨日と仕事で介護保険関係の大きな研究大会を覗いてきた。何人かのスピーカーが「介護者への支援」の必要を口にしていた。日本でも、やっと少しずつ介護者支援の必要が言われるようになってきたんだな、と感じて嬉しかった。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/168898.php

米下院がこのたびの医療保険制度改革に、官製介護保険を盛り込むことも検討しているらしい。 The Community Living Services and Support Act (CLASS)。その一方、ナーシングホームの費用は増大の一途。:前に障害当事者たちが求めていたCommunity Choice Actというのは、一体どうなったんだっけ? 英国は、7月に出た緑書でNHSの介護版、NCSの創設を既に決めている。財源の3案について現在パブコメを募集中。緑書はこちら
http://www.medicalnewstoday.com/articles/169123.php

スタンフォード大の研究者らが、ES細胞から初期段階の精子と卵子を作った。不妊治療の研究のため、とのこと。
http://www.guardian.co.uk/science/2009/oct/28/infertility-stem-cell-research

ロシアでエイズの感染が手におえない広がりを見せている。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8329122.stm

カレーに使われる香辛料ターメリックに、がん細胞を殺す成分がある、と。:朝からカレーを食べようとかいうコマーシャルが増えているけど、さらに増えるかな。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8328377.stm
2009.10.31 / Top↑
先ごろ、ナーシングホームで高齢者と触法精神障害者とが雑居状態になっている問題で
調査を行って行政を動かしたばかりのChicago Tribune紙が

そのシリーズの一貫で、40000件のナーシングホーム監査報告書をチェックしたところ、

イリノイ州のナーシングホームで、
インフォームドコンセントもなく、
それどころか適応の症状や診断すらないのに
入所者が精神病薬を飲まされている事例が多数あることが発覚。

Tribune紙は2001年から少なくとも1200件の同種の違法行為があった、と。

副作用で身体の震えや無気力、転倒による怪我や、
ことによっては死にもつながりかねない。

イリノイだけではなく全米のナーシングホームの問題である可能性の指摘も。



よく分からないのは、これ、
監査報告書をメディアがチェックしただけで
これだけの違法な精神病薬の投与がぼろぼろと明るみに出たという話ですよね。

じゃぁ、その監査って……?
2009.10.31 / Top↑
ちょっと背景の知識を欠いているので、一部に推測が入ってしまうのですが、

日本の障害者運動が導入を求めてきた
英国の障害者へのダイレクトペイメント・システム
(日本の介護保険や自立支援法のようにサービスを直接利用者に給付するのではなく、
現金給付にして、利用者が直接自分でサービスを選んで購入する、という方法)について、

英国ではどうやら高齢者へも導入が検討されているらしく、
高齢者アドボケイトの Age Concern と Help the Aged から
必ずしも全ての高齢者に使い勝手が良いシステムだとはいえない、との声が出ています。

高齢者の介護ニーズは多くの場合、入院と共に突然に発生するために、

特に病院からの退院時に在宅生活に備えて介護サービスが問題となっても、
家に帰ってからの生活がどういうものになるか、
高齢者本人にも想像がつかないこともある。

また高齢者では若年層の障害者に比べて状態の変化が起こりやすく、
そのたびごとに、きめ細かく介護サービスの内容を調整する必要がある。

そのため、一部の高齢者はダイレクトペイメントの導入を歓迎している一方で、
戸惑いを感じている高齢者もいる、と。

この制度を導入して成功させようとするなら、政府は
高齢者がサービス購入に際して十分な説明を受けて決定できるよう(informed decision)
必要に応じてサポートする体制を作る必要がある、とも。


ちなみに、
英国の高齢者チャリティとして私もここ数年何度かサイトを覗いたり
「介護保険情報」誌の連載で触れたりしてきたAge Concern と Help the Aged。

両者の関係が私には全くわからないままだったのですが、
このたび統合して1つの団体になるそうです。

それは強力な団体が出来ることでしょう。



この記事が目を引いたのは、
一昨日、昨日と仕事で某所へ行き、さまざまな介護関連の議論を聞いた中で、
一時さかんに議論された介護保険と障害者ケアとの統合の問題が
またぞろ蒸し返されようとしている気配を感じたからかもしれません。

もっとも、統合すべきだと主張される方々の中には
地域で高齢者も障害者も包括的にケアしていくシステムを
現場で実際に地道に模索・実践してこられた方々もおられて、

何年も前のあの統合議論のように財源論からのみ言っておられるわけではないことは重々分かった上で、
それでもやっぱり抵抗感と警戒感を覚えつつ複雑な思いで聞いてしまったので。


どう考えても、
一旦は抵抗にあって引っ込めざるを得なかった介護保険との統合をいずれ実現するために、
制度の整合性を優先させて作られたことがミエミエの障害者自立支援法は
民主党が廃止すると明言していますが、

民主党は、その後どうしようとしているのか、という点や
それに対する障害者運動の対応について
早稲田大学の岡部耕造氏がまとめてくださっているサイトがこちらに。
2009.10.31 / Top↑
以前からいくつかのエントリーで追いかけているように
スイス当局は急増するDignitasへの「自殺ツーリズム」に困惑し、
全面禁止も含めた規制強化策を検討しているところですが、

このたび、①規制強化、②禁止 の2つについて
3月1日までパブコメを募集することにしたとのこと。

法務大臣は

スイスが国として外国から自殺希望者を引き寄せたいわけではないし、
自殺はあくまでもターミナルな病状の人にとっての最後の手段であって、
慢性病や精神障害者に行われるのは濫用。

政府としては緩和ケアを向上させ、自殺防止に努めたい、と。





2009.10.29 / Top↑
米国における
新型インフル大流行時に「呼吸器を使わせない患者」基準作りについて9月に書きましたが、

そのNY 市のガイドラインを含め、
「誰を死なせるか」「それを誰が決めるか」
秘密裏に進む各病院でのルール作りをNY Timesが取り上げています。
Worst Case: Choosing Who Survives in a Flu Epidemic
The NY Times, October 24, 2009


5月には
政府、医療機関、米軍関係者などの専門家が集まって作ったタスクフォースの
「豚インフル・パンデミックが起きた際に治療をしない患者のリスト」について
APが報じていたようです。

いつもお世話になっているBauerさんのブログによると、
そのタスクフォースの「豚インフルのパンデミックの際に治療してもらえない人」リストとは

・85歳以上の高齢者
・“重症の知的損傷”のある人
・進行した心臓病、糖尿病による肺疾患を含む重症の慢性病
・重症の外傷のある人



……という話を拾って
ここまででエントリーを立てようかと思っていたら、
今度は「ワクチン足りないなら女に男と同じ量やることはない」と言い出した輩がいる。

そこらへんのオッサンじゃないですよ。

れっきとしたジョンズ・ホプキンスの分子マイクロバイオロジーと免疫学の助教授と、
Society for Women’s Health Researchの会長がNY Times で。

製造が追いつかなくて豚インフルのワクチンが足りないというなら、
女性は男性よりも少ないワクチンの量でいいことにして、
それだけ接種できる人を増やそう、と提案している。

もちろん、女性に接種を受けるなというわけじゃない、
特に妊婦がかかると重症化することが明らかになっているのだから、
妊婦は守られなければならない。

しかし、いくつかの研究によって
女性の方が男性よりも抗体反応が強いとされているのだから、
この生物学上の性差を考慮すれば、女性には男性よりも少量でいいのではないか。

このワクチンの副作用は男性よりも女性に出やすいとされているので、
量が少ない方が女性をワクチンの軽微な副作用から守ってあげることにもなるし、と。

Do Women Need Such Big Flu Shots?
The NY Times, October 27, 2009


しかし、解せないのは、この2人、文中で以下のようにはっきり書いているのです。

Whether vaccines work differently in males than in females is not known. Clearly, more research on sex-dependent immune responses is needed.

ワクチンの効き方が男女間で違うかどうかは分かっていない。
免疫反応における性差については、明らかに、もっと研究が必要である。

それでどうして、こんなことを主張できるのかと思うのだけれど、
彼らはこれに続いて、

NIHは豚インフル・ワクチンの治験で年齢による効果の差だけを考慮して
ワクチンは一般に男性よりも女性で効き目があるとのエビデンスを考慮していない。

当局は、最終的には米国人全員のワクチンが製造できるから大丈夫と自信を持っているが
もしもそうだとしても、女性に必要以上のワクチンを使わなければ
途上国の人たちに回してあげることだってできるのだから、
女性には男性よりも少ない量でよいことにしよう、と書く。

いつのまにか、
現在のガイドラインの「男性と同じ量」は「女性には必要以上の量」だと決め付けられている。

そこのところは「分かっていない」「もっと研究が必要」だと、あんたら自身が書いてんでしょーが。

子どもならともかく、いい年をした大人が、しかも曲がりなりにも科学者としてショーバイ張ってる人が、
どうして、ここまで論理性のない非科学的な文章を恥ずかしげもなく書けるのか、さっぱり……。

これでもワクチンが足りないとなったら、次は
「黒人は白人よりも少ない量で効果がある」という調査結果でも、どこからか引っ張り出してくるんでしょうか。


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この記事の2人の医師があまりにも論理性を欠いたまま
強引に自分たちの主張を進めていくヤリクチは
2006年のGunther & Diekema 論文にそっくりだ。

ホルモン大量投与による成長抑制療法は novel and untested だと彼らは自分たちで書いたし、
「この年齢の子どもでは症例がないので、効果も副作用も想像するしかない」とも書いた。

そう書きながら、いつのまにか「利益の方が害よりも大きい」と決め付けられて、
成長抑制は親が望む限りにおいて倫理的に認められるとの結論が導かれた。

そして、あの論文の論理性の欠落は多くの人によって見過ごされた。

それは、ひとえに「効果も副作用も未知数だけど、いいじゃん、どうせ重症児なんだから」という
著者らの差別意識を読者の多くも共有していたからだと私は考えている。

上記2人の医師の論理性のなさ、その主張の非科学性も
NYTの多くの読者には見過ごされてしまうのかな。
2009.10.28 / Top↑
Melinda Gates氏が議会関連のブログ・インタビューで
PEPFAR(the United States President’s Emergency Plan for AIDS Relief)を策定したとして
Bush前大統領の功績を讃え、

Obama大統領についても、グローバル・ヘルスへの関与だけでなく、
政権が交代したからといって、(ゲイツ財団が?)一から方針見直しをする必要はないと
いってくれている心の広さとを高く評価した。

また、議会も政府もグローバル・ヘルスには多くの資金を割くべきである。
2001年には15億ドルだったものが去年は80億ドルにも増加したが
妊産婦と子どもの死亡率を下げる努力はまだ不足している、と。

来週ゲイツ夫妻はワシントンDCを訪れて、
グローバル・ヘルス向上への米国の努力の効果を示すキャンペーンに参加する。
グローバル・ヘルスにおける米国の努力は実を結んでいる、とゲイツ夫人。



いかに善意と愛に満ち、
いかに人格的にも優れた人であったとしても、

一組の夫婦が、
これほどの発言権と影響力を持つことに
疑問を抱く人が、どうしてこんなに少ないのだろう。

こういうニュースに触れると、
私はいつでも「ハリー・ポッター」を思う。

だって、この夫婦って「善意のヴォルデモート」さんじゃない……?

(なぜそんなことを考えるのかという詳細については「ゲイツ財団とUW・IHME」の書庫に。)
2009.10.28 / Top↑
The British Medical Journalに発表された調査で、
イングランドとウェールズにおいて2008年に
胎児がダウン症と診断されたケースは1843例で
1990年の1075例に比べて48%も増加。

そのまま生まれていれば出生数も48%増加しているはずのところ、
実際には752人から743人へと1%減少している。

出生前診断でダウン症と知らされて中絶を選択する人の割合は、
これはずっと変わらず92%。

過去20年間で出生前診断の使用頻度が上がってきたことが要因だろう、と。

実際にダウン症の確率が高いといわれて生むことを選択したBatha夫妻の
インタビューがあって、夫妻が言っていることの概要は、

確率は170分の1といわれた。
ダウン症児が生まれるのは、起こりうる最悪の事態のように思い込まされてしまう。

でも、正しい知識を身につけてよく考えてみれば、
ダウン症の子どもは、みんなとちょっと違っているだけ、ちっとゆっくりなだけ。

妊娠中に検査があるから、余計にこういうことが起こると大変なことだと感じてしまう。

ちゃんとした情報もないけれど、そういう情報があれば役に立つし、
子どもがダウン症だという事実を受け入れて生きていこうとする人も増えるだろう。

ダウン症協会からも
親がダウン症についてきちんとした知識を持っていれば、
中絶を選ぶ人は減るだろうし、

これから検査の精度が上がって、より早期に発見されるようになることを考えると、
検査を受ける夫婦が、誘導のないカウンセリングを受ける機会があり、
ダウン症に関する正確で最先端の情報を身につける機会があることが、
より重要となってくる、と。

Steep rise in Down’s pregnancies
The BBC, October 27, 2009


2009.10.28 / Top↑
昨日、英国の若者たちのギャングで
少女らが銃隠しのパシリに使われ、レイプされているニュースを紹介したと思ったら、

今度は米国でFBIが3日間に渡って1600人を投入して
全米の児童買春の一斉摘発に乗り出したところ、
逮捕者700人、保護した子ども52人。
中には10歳の子どもまで。

米国では年間200万人の子どもたちが家出をしており、
そういう子どもたちが言葉巧みに売春組織に引き込まれる。

子どもたちは完全に商品として扱われて、
児童買春ネットワークを通じて全米に配送されていたらしい。

FBIの担当者は「これは21世紀の奴隷制だ」と。

2009.10.28 / Top↑
2009年10月27日の補遺

こりもせず英国上院に出されたAlderdice卿らの自殺幇助合法化法案は否決されたらしい。メディアが全く騒がなかったから、最初から問題外だったみたいだけど。まぁ、よかった。
http://www.indcatholicnews.com/news.php?viewStory=15055

HPVワクチンを接種した女児はセックスに慎重になる、との調査結果。:そんなワクチンを打つのは、これで安全だとセックスを奨励するようなものだという批判が出ているからね。それには、即座にこういう調査が実施されて「科学的な反証」が出てくる。研究のゼニの出所は容易に想像もつく。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8326026.stm

障害ネタでウケている脳性まひ・パレスチナ生まれの女性コメディアンが、West Bankの難民の障害児たちにコメディアンめざし指導。悲しい話って、あんがい可笑しいのよ、と視点の転換を。:という話だと思う。日本で言えば、ホーキンス(だった?)青山さんか。http://www.guardian.co.uk/stage/2009/oct/26/disabled-palestinian-standup-comedy-maysoon-zayid

フランスでサイエントロジーに詐欺罪。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/8327569.stm


ここから日本語情報

夏の脳死・臓器移植法改正議論の際に見つけて、見失っていた、WHOの指針の詳細説明サイト。A案支持者らが言っていたのやメディアの報道と、えらく中身が違うぞ、という話。
http://d.hatena.ne.jp/minajump/20090524/1243155469

ヨルダンで失業貧困層狙う臓器密売が増加。
http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2656079/4762841

フランスで、死んだ夫の冷凍精子による人工授精、却下。
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2653912/4764069
2009.10.28 / Top↑
英国ロンドン大学が、GP、病院勤務医、緩和ケアと集中治療の専門医に
自分が担当して亡くなった直近の患者への医療について匿名でアンケートをとったところ、

患者の死を早めると分かっている決定を行ったが
死を早めることを目的としたものではなかった、と答えた医師は全体の29%。

はっきりと、または部分的にでも、
死を早める意図を持って、その決定を行ったとする医師は全体の7%。

ところが自殺幇助合法化を支持している医師では
その割合が18%にあがる。

宗教上の信条を持たない医師では11%。

また、そのような決定が行われる場所として
最も確率が高いのは病院で、その中でも集中治療室。
医師が患者を治療している場所がケアホームやホスピスだと
病院や集中治療室ほど、そうした決定は行われにくい。

宗教上の信条がある医師は死を早める意図での決定を行う確率が低く
同様に、自殺幇助合法化に反対の医師もこうした措置をとる確率が低い。

死を早める決定を最も行いがちなのは
緩和ケアの専門医ではない病院勤務の男性医師または
宗教的には中立である男性医師。

もっとも、患者又は家族の同意を得た上でのことであり
それ以上の治療がもはや無益な場合のこと。

調査の対象となった医師のうち、
自殺幇助合法化に強く反対と、どちらかといえば反対を合わせると3分の2で、
一般の人では85%が賛成しているといわれていることとの間には開きがある。

(ここですごく引っかかるのだけど、一般人が支持している自殺幇助の条件が
「もしも重病になったり、重い障害を負ったり、耐え難い苦痛がある時には」となっている)

The National Council for Palliative CareのSimon Chapman氏は
現在のところ、ろくに緩和ケアの研修も受けたことがない医師が
終末期の医療を担当していることが問題で、
緩和ケアのトレーニングを全ての医師の養成・研究に組み入れる必要がある、と。

今回の調査では
医師の個人的な信条によって終末期ケアが異なることが明らかになったものの、
特に弱者である人たちがその他の人たちと違う扱いを受けてはいないことが
明らかになったのは良いことだ、とも。



いや、でも、
高齢者や障害者への医師らの差別的な姿勢だって「個人的な信条」のうちに含まれるとしても、
この調査では、そこのところは区別されていないのだから、

この調査結果は
高齢者や障害者がみんなと同じ扱いを受けているというエビデンスにはならない。
2009.10.27 / Top↑
若者のギャング化が社会問題になっているロンドンで、
そのギャングの一員になりたいがためにメンバーとセックスを引き受け、
そのまま複数のメンバーにレイプされる少女が増えている。

一人の幹部とセックスすれば守ってもらえると思って承知するが、
実際に行ってみたら複数のメンバーが待ち構えている。

しかし、児童保護の担当者らがショックを受けるのは、
ギャングに加えてもらうために、そんなことは当たり前だと少女らが受け止めていること。

また、女性はギャングの中で武器の運び屋として使われて、
時には殺人目的の銃を直接届け、犯行後に銃の始末をやらされることも。

今年、暴行、薬、武器携帯で逮捕された女性は去年よりも急増して25人で、
年齢は14歳から39歳。

事態の深刻化を受けて内務省、首都圏の警察、チャリティなどが連携することを決め、
ギャングと接触のありそうな若い女性への家庭訪問などが検討されている。

若者の支援チャリティの専門家は

These girls are very much second-class citizens within the gangs but they see it as normal. That’s the bit that is most disturbing.

ギャングの中でこういう少女たちは一段低い身分として扱われているのに、
本人たちがそれを当たり前のことだと受け止めているのです。

一番気がかりなのは、そこのところですね。



これ読んで、堀田氏の論文を思い出した。

Glannon & Ross の親から子への生体間臓器提供を巡る議論で
ドナーが女性代名詞で受けられて、いつのまにか母親からの提供が当然視されていた。

それに続いて、もうずっと前にトランスヒューマニストの奇妙な文法について書いた
以下のエントリーも思い出された。


Ashley事件で擁護にしゃしゃり出てきたTHニストのJames Hughesが
その著書“Citizen Cyborg”で、人間を he で受け、チンパンジーを she で受けていたこと。

彼は著書の中で
TH型超人類未来社会での生き物のヒエラルキーを提示しており、
チンパンジーは障害者と同じカテゴリーに入れられています。

もう1つ、このエントリーで拾った話題として、
「進化に不適合な遺伝子を減らした功績で」馬鹿げた死に方をした人に贈られる、という
由々しき理念を標榜するダーウィン賞なるものが世の中には実在しているらしいのですが、

この賞の解説文の中でも、受賞者一般を受ける代名詞は、なぜか she。

科学とテクノでイケイケ文化の中には(ダーウィン賞の理念は優生思想そのものです)
女性を second-class citizenと位置づけて、同時にそれを逆に転じて、
second-class citizen と見下す対象には女性代名詞を当てはめるという慣行が
どうやら既に出来上がっているのではないでしょうか。


そういうことのあれこれや、
このブログを始めてからニュースを通じて見聞きしている、
世界中のあちこちで、ものすごい勢いで広がっていくレイプや、

大人から子どもへの虐待、ネグレクト、搾取の広がり
障害者へのあからさまな空気の冷え込みなどを考え合わせると、

世界中が、ものすごい勢いで、ありとあらゆる差別を強化しているように思えてなりません。


そういえば去年、事故で全身麻痺になった23歳の元ラグビー選手
「障害を負って second-class existence として生きていくなんて耐えられない」といって
スイスのDignitasへ行って自殺した事件もありました。

あの事件では両親がスイスへ付き添っていきましたが、
その行為は英国では違法であるにもかかわらず「起訴しても公共のためにもならない」として
検察は、捜査はしたものの起訴を見送りました。


ありとあらゆる差別の激化と、それを容認する空気の広がりは、
弱肉強食のグローバリズムやネオリベラリズム、能力至上の科学とテクノ価値観、
生命倫理によるその合理化と決して無縁ではない……という気がする。
2009.10.27 / Top↑
前のエントリーで触れたように、
「ドナー神話」や男女間の臓器提供の差やドナーの自発性などについて、
このたび、いろんな分野の方々に教えていただきました。

その情報がいずれも大変貴重なものなので、
メモとしてまとめておこうと思います。

まず、その理由はともかく、
ドナーになるのは男性よりも女性が多いことは
日本でも欧米でも事実のようです。

日本の臓器移植におけるドナー、レシピエントの男女数は
日本移植学会のサイト内で腎臓、肝臓、すい臓について報告されているとのこと。
(ざっと試みたのですが、私はすい臓に関するデータしか見つけられませんでした。
今の段階では、差があるという事実が確認できたことで私には十分なので、当面、放置)

海外の論文はこちら。

Roger Dobson, More women than men become living organ donors IN British
Medical Journal, 325: 19 (2002) 851

Kayler, Liise K et. al. Gender Imbalance in Living Donor Renal Transplantation,
Transplantation, 27 January 2002 - Volume 73 - Issue 2 - pp 248-252

         ―――――

その他、この問題に関連するドナーの心理については

「臓器移植のメンタルヘルス」川野雅資 (中央法規出版、2001)

② 日本家族社会学会第12回大会のテーマセッションC
「家族愛」の名のもとに - 生体肝移植をめぐって -
武藤香織、鈴木清子、細田満和子

③ 生体肝移植ドナー調査から見えてきた移植医療における研究課題
倉田真由美、武藤香織
滋賀医科大学看護学ジャーナル5巻1号

④ 小特集2 「「家族愛」の名のもとに:生体肝移植をめぐって」『家族社会学研究』14(2)
武藤香織2003「「家族愛」の名のもとに――生体肝移植と家族」『家族社会学研究』14(2)
鈴木清子2003「患者・家族からみた生体肝移植医療」『家族社会学研究』14(2)
細田満和子2003「生体肝移植医療――不確実性と家族愛による擬制」『家族社会学研究』14(2)
清水準一2003「生体肝移植におけるトピックはドナー調査にみる今後の課題」『家族社会学研究』14(2)
(この特集へのリンクも見つけたのですが、どうも既に切れているようでした)


臓器提供決意後の腎ドナー心理
http://www6.plala.or.jp/brainx/2006-5.htm#20060531

夫婦間腎移植で自発性に疑義
http://www6.plala.or.jp/brainx/2006-11.htm#20061127

遺族に対するグリーフケアとしての移植の効能を調査した日本の資料は
同じく守田氏のサイトから、こちらに。
http://www6.plala.or.jp/brainx/2004-9.htm#20040910B


守田氏からは
「移植医療により延命できQOLが向上する」との主張そのものが神話である、という
目からウロコのご指摘と共に、

欧米では「臓器提供が遺族のグリーフケアになる」といわれている事に触れた日本の資料があり、
日本ではまず、こうした脳死からの提供についてのグリーフケア神話があって、
その先に生体間の移植におけるドナーの心理的利益神話がくっついていくのではないかとの
ご指摘をいただきました。

欧米の「グリーフケア神話」については、私は全く知らなかったのですが、
脳死提供ルールは既に心臓死後提供(DCD)プロトコルの導入で揺らいでいて、
さらに死亡提供ルールを見直して植物状態でも臓器をとってもいいことにしようと
生命倫理学者らが言い始めていることや、

「無益な治療」概念・「死の自己決定権」概念の広がりが
そうした移植医療における動向と重なっていく可能性を考えると、
たしかに尊厳死と移植医療が繋がっていく接点のところで
この「グリーフケア神話」は、とても都合よく機能するよなぁ……と。

みなさん、ありがとうございました。
2009.10.26 / Top↑
このところ映画「私の中のあなた」についてあれこれ考えたことから、
生体間の臓器提供はドナーに自己評価の向上をもたらすというのは
「ドナー神話」であり「母性神話」の再生産ではないのかという気がして、

そんなことを素人のお気楽さ、大胆さで某MLに投稿してみたら、
様々な分野の専門家から、いろいろ教えていただきました。

その中に、
生体間臓器提供の自発性に関連した、米国における、とても気になる論争があったので
その論争を取り上げて論じた堀田義太郎氏の論文を読んでみました。

生体間臓器提供の倫理問題 - 自発性への問い
大阪大学大学院医学系研究科 堀田義太郎
「医学哲学 医学倫理」 2006年 第24号

なお堀田氏が取り上げている論争は以下に。

Glannon, W. & Ross, L. F. 2002, “Do Genetic Relationships Create Moral Obligations in Organ Transplantation?” Cambridge Quarterly of Healthcare Ethics, 11.
――, 2005, “Response to “Intrafamilial Organ Donation Is Often an Altruistic Act” by Aaron Spital (CQ Vol 12, No 1) and “Donor Benefit Is the Key to Justified Living Organ Donation” by Aaron Spital (CQ Vol 13, No 1),” Cambridge Quarterly of Healthcare Ethics, 14.
Spital, A. 2001 “Ethical Issues in Living Related Donors,” Shelton & Balint (eds.) The Ethics of Organ Transplantation, Elsevier Science Ltd.
――, A. 2003, “Response to “Do Genetic Relationships Create Moral Obligations in Organ Transplantation ?” by Walter Glannon and Lainie Friedman Ross (CQ Vol 11, No 2))” Cambridge Quarterly of Healthcare Ethics, 12.
――, 2004. “Donor Benefit Is the Key to Justified Living Organ Donation,” Cambridge Quarterly of Healthcare Ethics, 13.
――, 2005, “Reply to Glannon and Ross,” Cambridge Quarterly of Healthcare Ethics, 14.

実際の前後関係はこの論争のほうが先ですが、
ここに登場しているRoss とは、当ブログでも何度も取り上げてきた
Ashley事件ともシアトル子ども病院とも縁の深い、あのLainie Freidman Ross。
(Ross関連エントリーは文末にリンク)

この論争について教えてもらった時には
親から子への臓器提供における「心理的な利益」すなわち当ブログで「ドナー神話」と考える説が
提供の自発性にいかに影響しているかということについての論争だろうと
私は勝手に思い込んでいたのですが、なんと、なんと、

親から子への生体間臓器提供は「道徳的な義務」なのだから
他人からの匿名の臓器提供のような利他的な行為と同じように賞賛に値するわけではない……
と主張したGlannon & Ross に対して、

いや、いくら義務だといっても、そこまで言っては言いすぎだろう、
親が当然として子に提供するのも義務とはいえ、そこに愛もあるのだから賞賛してあげたっていい、と
Spital が反論して論争になったというのだから、

沢木耕太郎氏が映画レビューで「親からの提供では選択など問題外」としたことに
目を吊り上げてしまった無知な日本人の私としては、「げげぇっ」と、仰天する。

どうやら親から子への臓器提供は、米国の生命倫理では「道徳的義務」なのらしい。

日本の状況や情報だけで考えると信じられないような事態が
英語圏の生命倫理では既に現実となっていることは、
このブログをやりながら何度も見てきたはずなのに、
それでも、思いがけない米国の生命倫理のぶっとび方には、
まだ、こうして驚かされてしまう。

上記のような認識を元に、例えば病院の倫理委が臓器提供を受容する条件として、
Glannon&Rossは「レシピエントの利益 vs ドナーのリスク」検討でよいとするのに対して、
Spitalはドナー1人における「利益 vs リスク」の検討をすべきだと主張する。

(映画では分かりにくいけど、小説「わたしのなかのあなた」では
この点がアナの裁判の争点だった)

堀田氏の論文は、この論争の両者の立場が対立しているように見えて、
その実、両者とも生体間臓器移植のドナーを近親者に限定することを容認している点で、
最初から生体間臓器提供における任意の自発性原則を無視している、と指摘する。

堀田氏の主張を、私の、ごく大雑把な理解と私なりの言葉でまとめてみると、

生体間の移植医療でドナーの任意の自発性が不可欠なのは
それだけドナーへのリスクが大きいためである。

ドナーの任意の自発性を欠いたら生体間移植はドナーに対する単なる暴力になる。
移植医療とは、そういう医療である。

ところが各国で生体間の臓器提供者が近親者に限定されている制度そのものが
普通なら誰も引き受けないであろう、その大きなリスクも近親者なら愛があるから引き受けるだろうし、
愛のある自己犠牲なら大きなリスクを引き受けさせてもかまわないとの前提に立っている。

その制度自体が、近親の愛による提供を当然視し、潜在的ドナーに圧力となって
ドナーの任意の自発性を暗黙のうちに阻害している。

こういう圧力をかけておきながらGlannonとRossは
提供すれば「その圧力から開放される」ことまで「ドナーの利益」としてカウントするのだから、恐れ入る。

果ては、次のような仰天の文言まで飛び出す。

提供しないという母親の決定は、道徳的非難に値するだろう。

それならドナーを近親者に限定したり「道徳的な義務」などと姑息なことを言わず、いっそ、
「子どもに生体間移植が必要になった場合は母親をドナーとするとのガイドラインを作ろう」と
正面から堂々と提言したら、どうよ? と思うよ。私は。 

しかも、この論争、特定のケースを論じているわけではなく、
親から子への生体間臓器提供一般を論じているくせして、
実はホンネは「母親」がターゲットなのだということが、この発言でバレバレ。

注によると、論争の後半になるにつれて
ドナーは”she”とか “her”と女性代名詞で受けられて、
いつのまにか母親が前提とされているとのこと。

やっぱり「ドナー神話」は「母性神話」と繋がっているよなぁ……と再確認させられます。

「ドナー神話」のエントリーで指摘したように、
いずれの神話も愛を盾にとって、美化の対象となる行為を背負わされる人からNOやSOSの声を奪っていく。
まぁ、その口封じのために創作され流布されるからこそ「神話」なわけで。

生体間の臓器提供を近親者に限定するルールは
「リスクが大きいから、よほどのことでないと誰も提供しないだろう」しかし
「近親者なら患者への愛から、その“よほどのこと”としてリスクを引き受ける可能性がある
というところで留まるべきものだと私は思うのだけれど、

米国の論争に見られる「義務」論では、そこから一段さらに
「近親者なら患者への愛から、リスクを引き受けるはずだ」
「患者への愛があれば、親なら自分へのリスクが大きくてもものともしないはずだ」
「特に自己犠牲をいとわぬ母性のある母親であれば、我が身を捨てても子を救うのが当たり前」
と、母性神話を踏み板に、ドナーの任意の自発性原則否定へと飛躍している。

論理を飛躍させるために母性神話が踏み板として必要とされるからこそ、
「母親から子への提供は、しなければ非難に値するほどの道徳的義務である」と主張される時、
父親を含む親一般の話ではなく母親の話へといつのまにか摩り替わっていなければならないのでしょう。

堀田氏が提案している解決策は2つ。

・ドナーを近親者に限らない。近親者だからといって「提供しなくてもいい」という自発性原則を明らかにすると同時に、じゃぁ、みんなが潜在的ドナーになるけど、みんな、それでいいの、という話になる。

・みんなで生体間の潜在ドナーになるのは、ちょっと……というなら、そういう移植医療そのものを考え直すべきだろう。

堀田氏は
「移植しか回復手段がない」という人の存在は、いわば「自然の制約」である。
この制約に関する責任は当人にも家族にもない。
と書いている。

移植しか回復手段がない人がいるからといって、
その人に移植を受けさせるための臓器を提供する責任や義務を誰も負ってはいないのは、
癌で命を落とすかもしれない人がいるからといって、
その人の死が誰の責任でもないのと同じことではないか、ということだろう。

移植医療を推進したい人たちは、
「移植しか回復手段がない」とは「回復手段がある」ということであり、
「手段がある以上その人を回復させないことは許されない」という催眠波を
ドナー神話も含めて世間に向けてせっせと送っているような気がする。

愛、愛……と、科学とテクノがステレオタイプの愛を
“バナナの叩き売り”的大安売りで連呼する時、まずは警戒感を持ちたい。

「愛」を買ってもらえないとなると、彼らは
「科学的エビデンス」の武器を持ち出して居直るだけのことだと思うから、さ。



【Ross関連エントリー】
親からの生体移植 Ross 講演(2007/9/18)

(当時の私が背景知識を欠いていたため、このエントリーの理解はとても不十分です。
いま振り返ると、これは理解が全く逆だと感じます。)

2009.10.26 / Top↑
日本語情報。ドイツ人の富裕層から「もっと自分らの税金上げて」との声。:世界人口の1%だけが世界の冨を握りこんでいる世界が出来上がってしまったのなら、その1%が他の99%を直接・間接的に搾取した結果として、そういう世界が出来たのだから、慈善や施しなんてエラソーな顔をせずに、その1%に世界中の人を養う責任があると考えてもいいんじゃないかという線でベーシックインカムを考えてみたことがあった。グローバル・ヘルスに対するゲイツ財団の入れ込み方を見ても、そういう1%の個人的な価値観がゼニの力を通じて政治的な圧力になっていくことって、どうなのか、ものすごく疑問に思うし。
http://www.afpbb.com/article/economy/2655621/4798164

これ、前もどこかで似たような話を拾った気がするけど、がんの治療に使う薬が陣痛が起きるのをとめて早産の予防に有効だという話。でも、そんなの妊婦にも、いわんや胎児にいいワケないと思うのだけど。個々の妊婦や胎児へのリスクよりも、未熟児が生まれることの社会的負担を減らす利益の方が大きいという話なんじゃないかと、つい勘ぐってしまう。これもまたゲイツ財団の私設WHOといわれるIHMEの価値観に通じていく話なものだから。ゲイツ財団とシアトル子ども病院が早産撲滅運動を推進していることでもあるし。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8320689.stm

英国史上最悪の児童虐待事件といわれるBaby Peter事件が起きたCornwallの児童福祉がOfstedの調査で「不適切」だ、と。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/education/8321659.stm

D.C.で豚インフル・ワクチン接種を拒む人が相変わらず多くて、接種会場の体育館がガラガラだったり。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/10/23/AR2009102303818.html

アマゾンのキンドルが売れている。ちょっと気にはなっているけど、システムがいまひとつイメージできない……。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/business/8321583.stm
2009.10.25 / Top↑
病院で亡くなった高齢者を調査したところ、
米国の高齢者が終末期にICUに入る割合は英国の高齢者の5倍。

85歳以上の高齢者では、ターミナル期にICUを利用する割合が
英国の8倍。

しかも、それだけ集中治療を行ったからといって、
米国の方で死亡率が下がっているというわけでもない。

……という研究が、コロンビア大学から。

もともと人口比で英国のICUは米国よりもはるかに少ない。

主著者のDr. Hannah Wunschは、
ICUの利用はコストがかかるし、資源を使いまくるし、
特に終末期では患者と家族にもトラウマを残すことが多い。

これが米国でICUを使いすぎているという問題なのか、
英国でICU利用が過度に控えられているという問題なのか、

終末期の高齢者には集中治療を行わないことが配給医療なのか、
それとも案外に本当は患者の利益になっているのか、

今後の研究が求められる、と。



高齢者の終末期の医療を切り捨てる方向での研究が
最近やたら目に付くような気がする。

そういう研究についてニュースを読んでいつも思うのは、

大きな絵だけ見て原理的に是か非かの線を引こうとする研究ばかりで、
なんだか患者不在の議論だな、ということ。

医療って、もっと個別性の高いものなんじゃないかと思っていたのだけど。


2009.10.25 / Top↑
英国議会で7月に否決されたあと、また自殺幇助合法化に向けた法案を提出した議員さんたちがあったらしい。月曜日に投票だと。:この前の公訴局長のガイドラインがあるからなぁ……。でも、メディアは割りと静か。
http://www.lifenews.com/bio2985b.html

WA州の弁護士が、「去年の住民投票でみんな選択権の問題だと考えて自殺幇助合法化に賛成したけど、実際には高齢者虐待への道が開かれた、NH州はWA州の間違いを繰り返すな」と。
http://www.cmonitor.com/apps/pbcs.dll/article?AID=/20091023/OPINION/910230334/1029/OPINION03

英国のNICEが、進行乳がんの患者に2年程度の延命効果のある薬が高すぎるとして、NHSでの使用を認めないことを勧告。波紋が広がっている。こうした英国の”配給医療“でNICEが果たしている役割については、Peter Singer がこちらの記事で触れている。
http://www.guardian.co.uk/lifeandstyle/2009/oct/21/women-denied-cancer-drug

この前から、ちょこちょこ出てくる、例のタイで行われていたエイズ・ワクチンの実験の続報で、当初「少ないけど肯定的な結果がはじめて得られた」といっていたのは、実はさらに少なかった、実質、進んでなどいない、とWP。そうかと思うと、いや、ちゃんと効果が認められたと確認した、とBBC。:どういうこっちゃら。そんなんならゼニを患者の治療に回せ、という声が出ていることは前に書いた。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/10/20/AR2009102000388.html
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8315002.stm

15日のエントリーで取り上げたNYの精神障害者の処遇を巡る裁判の続報というか、それに関するNYTの社説。まとめたいけど、たぶん無理。
http://www.nytimes.com/2009/10/21/opinion/21wed3.html?_r=1&th&emc=th

途上国の今後の深刻な食糧不足に対応するための、未来の食物作り研究(つまりは遺伝子組み換えで環境適応力のついた食物ということらしい)に英国は200億ドルの資金を投入し、この分野のリーダーとなるべきだ、と。必要なのかもしれないけど、いま現在飢えている人は見殺しにしつつ……という面はないのかな……。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/science/nature/8317511.stm

近藤誠医師の主張が裏付けられたのか? 米国がん学会が、検診は重大ながんを見落として瑣末ながん(これ「もどき」のこと)?を拾っており、そういう検診にはむしろリスクがある、と。・・・という記事ではないかと思うのですが。例によって、まともに読んでいません。
http://www.nytimes.com/2009/10/21/health/21cancer.html?_r=1&th&emc=th
2009.10.23 / Top↑
世界初の子宮移植というのは実は2000年に26歳のサウジアラビアの女性に行われている。
しかし、失敗し、99日後に摘出された。

だから、このニュースの見出しは「2年以内に初の子宮移植が成功する」という意味。

2000年の移植の失敗は血流が確保できなかったためで、
それがその後の研究課題となって豚やら羊やらサルで実験してきたけど、
このたびウサギの子宮移植でその課題をクリアできたし、
人体実験の許可も下りたので、2年以内には成功できる、
子宮がなかったり、関連の疾患で子どもを埋めない女性には光明となる、と。

来月、研究続行に必要な25万ポンドの資金集めのために
Uterine Transplant UK というチャリティを立ち上げる、とも。

ただし移植子宮での自然な出産は無理で、
体外受精と帝王切開が必要となる。

また、拒絶反応を抑える薬を一生飲むことを避けるためには
移植した子宮を体内に残すことは無理なのだが、

研究者らは、まぁ、2,3年も残せれば、その間に生めるだろう、と。



ほんっとうに、正直に、私には分かりません。
どうして、ここまでしなければならないのか。

研究者がやってみたいだけではないのか、という気がしてならないです。

こういう研究に投入される資金のコストパフォーマンスは決してあげつらわれることがない、というのも
私には、ものすごく不思議。

コスト高で医療がもたないから高齢者や障害者への”無益な”医療はもう出来ません、と切捨てながら、
その一方で、こうした研究に莫大な資金が投入されていくことも、ぜんぜん釈然としないし。
2009.10.23 / Top↑
10月3日には、英国で過去5年間に生まれた新生児の半数が100歳まで生きる、という研究、
12日には、先進国で生まれている半数以上が100歳まで生きるという研究が出てきたのは、
それぞれ当ブログの補遺でも拾っていますが、

そういう子どもたちが、その100歳までを50歳以降もアクティブに生きるために、
関節、皮膚、血管、心臓弁、その他の人体パーツがくたびれてきた時に
簡単にお取替えが可能となるよう

英国最大のバイオ工学の研究ユニットがあり、
人工関節置換術では世界のリーダーであるLeeds大学を中心にした
バイオテクノロジーの研究プロジェクトに、

全英の各種研究団体、チャリティ、企業から
総額で5000万ポンドの資金が集まった、とのこと。

研究の要点は、置き換えの際に拒絶反応をいかに抑えるか、という点。



高齢者人口の増加が社会保障費を押し上げているのが大きな社会問題だから
高齢者は病気になったらコストのかかる医療も介護も求めず、
自己決定によって、手も金もかからない死を自己選択するように……というプレッシャーが
どんどん強くなっている一方で、

こういうトランスヒューマニスティック(TH)な科学とテクノが
長生き、長生き、と不老不死に血道を上げていることに矛盾したものを感じて、
ずっと頭をひねっていたのだけど、

最近、ようやく分かってきた。

「みんなで、もっと健康に、もっと頭がよくなって、もっと長生きしようぜ」という
THな夢のメッセージは、全面的に元気な病気・障害フリーの高齢者しか念頭においていない。

「みんなで、150歳まで長生きしようぜ」というTHニストたちのお誘いは
病気・障害のない、または科学とテクノで修正可能な病気と障害のある人にだけ向けられている。

(あ、たぶん、修正不能でも、科学とテクノ研究に寄与できる病気と障害は別)

そういうメッセージが誘っている未来社会というのは、
この先もみんなと一緒に生きていく資格の基準を
「自己責任で健康と自立・自律を維持していること」に置く、
病気と障害に対するゼロ・トラレンスの社会なのだということが。
2009.10.21 / Top↑
18日の以下のエントリーで取り上げた認知症患者の終末期ケアについての論文を
NY Timesが取り上げているのだけど、



ここでもまた認知症は”a progressive, terminal disease“だと表現されているから驚く。

「進行性で、やがて死に至る病気」というつもりなのかもしれないけれど、
「ターミナルな病気」というと、まるで、認知症になったとたんに既にターミナルな状態にあるみたいだ。

こういう表現が本当に適切なんだろうか。

いつのまにメディアは、こんな用語を
こんなにもお気楽に使いまわすようになったんだろう。

記事の冒頭では
「どこの病院でも集中治療室に行ってみたら、認知症末期の患者さんたちが
人工透析をやりながら呼吸器につながれているとか、
予防医療だとして腸の内視鏡検査をやられたり
骨粗しょう症やコレステロールを下げる薬を飲まされている」という話が紹介され、

認知症が認知・精神の病気だと思い込まれて
身体症状も進行するのだということが家族に理解されていないために
こんな本人のためにならない過剰な医療が行われているのだから、

Lancetに発表されたDr. Mitchellの論文が主張するように
みんなで認知症はターミナルな病気なのだとちゃんと理解して、
家族は罪悪感を持たずに無益な医療は拒みましょう、という展開。

しかし認知症の末期で寝たきりになった患者さんに
腸の内視鏡検査をやったり、骨粗しょう症やコレステロールの薬を飲ませているなら
それは認知症の終末期ケアの問題というよりも医療サイドの良識の問題であり、

患者家族が認知症の身体症状を理解していないというよりも、
病院側、医師側が理解していない、または理解していないフリをして
ゼニ儲けのために物言えぬ患者と医療に疎い家族を搾取しているだけ。
そんなの、論外のケースなんじゃないでしょうか。

逆に、そこにこそ、
医療費を増大させているは本当に高齢者の終末期ケアそのものなのか、という疑問を
私はまた感じてしまうのだけど。


この記事の唯一の慰めは、もう一本のSachs医師の論説にも後半で触れてあること。

特に最後に引用されているSachs医師の言葉は印象的で、

アグレッシブな医療か医療を全然しないかの2者択一の話ではないのです。

緩和ケアはアグレッシブに、細やかに、症状管理に重点を置いて、
患者と家族のサポートをします。

良質なケアを減らすことが緩和ケアではありません。


──それ、Mitchell医師やNIHに向かって、大きな声で言ってあげてください。



----- -----

Mitchell論文を巡る、こうしたメディアの論調に、
共和党系のサイトが「ほら、高齢者、障害者、重病人は無益な治療を拒んで死ねと言われるぞ」と
民主党の医療保険制度改革の陰謀のように書いている。

ここを重ねられると、背景の知識を欠いた私には話がよく分からなくなるのだけど、

確かにObama政権が医療費削減の方途として重視している科学とテクノの価値観に
そうした功利主義が潜んでいるような懸念は私自身にもある一方で、

価値観全体としては、共和党の価値観の方が
本質的には弱者切捨ての自己責任論に傾斜しているように思えるし。

いずれにしても、
「無益な治療」概念やDALYやQALYというのはObama大統領になってから出てきたわけじゃなくて、
もう何年も前から、大きな流れができつつあって、その勢いがどんどん加速しているだけだとも思う。

じゃぁ、誰がやらせているのかといえば、
やっぱり、この流れと勢い、もう国家がどうこうできるようなナマやさしい勢力じゃないということ──?


‘Experts’ offer chilling future
The Republican American, October 20, 2009
2009.10.21 / Top↑
英国政府が臓器提供タスクフォースを創設して1年。報告書をまとめている。The Organ Donation Taskforce Implementation Programme’s Annual Report, 2008/09
http://www.dh.gov.uk/prod_consum_dh/groups/dh_digitalassets/documents/digitalasset/dh_106618.pdf

その報告書を受けて、Lancetが New ideas in organ donation という論説を書いている。フル・テキストは読めないけど、1600万人が提供意思を明らかにしている一方で、まだ1万人が臓器を待っている深刻な臓器不足について語られているので、その new ideas というのが気になる。どうも、みなし同意なんじゃないかという気がする。:ついでながら、前に掲載されたHPVワクチンの接種方針に関する論文に反論が出て、著者が返答している。専門家の間でも論争はあるらしい。
http://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736%2809%2961801-8/fulltext?&elsca1=TL:%20Vol.%20374%20Number%209698%20Oct%2017,%202009&elsca2=email&elsca3=segment

豪で、海外からの留学生には卒業したら永住権など申請せずに自国に帰ってもらえ、という声が出ている。:前にもこの国は、ドイツ人医師の滞在延期申請を、ダウン症の息子が社会的コストになるとして一旦拒否した実績があるよね。そういえば。
http://www.canberratimes.com.au/news/national/national/general/send-foreign-graduates-home-mp/1654081.aspx?src=enews

豚インフルエンザのパンデミックは悪い連中にとってビジネスチャンスで、ニセ薬がわんさと輸入されるだろう、と。
http://www.canberratimes.com.au/news/national/national/general/pandemic-opportunity-for-criminals/1654104.aspx?src=enews
2009.10.20 / Top↑
18日のエントリーを書くに当たって、
父親のブログの2007年1月時点でのプリントアウトをざっと読み返していたら、

前には何とも思わずに読み飛ばした部分に
「お? ……なるほどぉ……」という面白い箇所を見つけました。

倫理委から障害者の不妊手術に関して法律的な確認をするよう言われて、
弁護士に相談したところ、自発的な生殖は不可能なほど障害が重いのだから
その法律(WAの州法のこと)はAshleyのケースには当たらない、ということがわかった、と述べたのに続いて、

The law is intended to protect women with mild disability who might choose to become pregnant at some future point, and should have the right to do so.

法律の意図は、
将来妊娠することを選択する可能性があり、
それゆえ妊娠する(ことを選択する)権利を持つべき
軽度の障害のある女性を守ることにある。


裁判所の命令なしに障害者の強制的不妊手術を禁じる法律が
女性だけを対象にしているというのも初耳ですが、

障害の程度によってこの法律には除外の線引きがされていて、

それは、自らの意思で妊娠を選択する可能性のない重度障害のある女性には
妊娠を選択する“権利”がないからだ、という主張は、

なんと独創的なセオリーでしょうか。


特別倫理委員会のあとで相談を受けた弁護士が父親に書いた返事が
添付資料OとしてWPASの報告書に添付されているのですが、
その中で弁護士が書いているのは、

Ashley will never be able to care for a child or even to understand the connection between sexuality and pregnancy.

Ashleyが子どもを世話することが出来るようなることは決してないし、
セクシュアリティと妊娠の関係を理解することすらありえない。

弁護士は、Ashleyの権利の有無には触れていないし、
まして、問題の法律は軽度障害者だけを対象としたものだなどとは一言も書いていません。

父親の上記の法解釈は、
弁護士の回答を独自にさらに先へと進めたものといえるでしょう。

そして、この父親独自のセオリー、考えてみれば、
以下の2つのエントリーで紹介した Christine Ryan の論文のトンデモな論旨にそっくり──。



「どうせ障害が重くて自分から望んで子どもを産むことなどできないんだから、
 生殖権なんて、Ashleyにはないに決まっているじゃないか。

 そんなら、障害者の強制的不妊手術を禁じた法律だって、
 Ashleyのような重症児は対象外に決まっているだろーが」

というAshley父の言い分に、
誰か法律分野の人が、無理やりにそれらしい合理化をでっちあげたとしたら、
それは、おそらく、Ryanの論文のような論旨のものになるでしょう。

そういえば、Ryan論文は、たしか以下のように結論していましたっけ。

“Ashley療法”が向上させるQOLは
基本的な人権や尊厳や身体の統合性よりも重要なのだと
親が明白で説得力のある議論を出した場合には
裁判所はこの論文で提言する新基準を採用して
Ashley療法を認めてもよいだろう、と。

Ashley療法が向上させる重症児のQOLは
基本的な人権や尊厳や身体の統合性よりも、はるかに重要だという
明白で説得力のある議論は、ほら、私のあのブログに、ちゃんとあるじゃないか、と指差す
Ashley父の癇走った声が聞こえてきそうです。

そういえば、
Diekema医師らを始め病院サイドはAshley療法という名称は使わず、
最初から議論の焦点を成長抑制だけに絞ろうとしていることを思えば、

(たぶん彼らは、それ以外の部分の倫理議論での正当化は無理だと
06年の論文時点から分かっている)

去年の段階になって、ひょっこりと
“Ashley療法”という名称を一貫して使用する論文が出てくるというのも大変興味深い現象。

やはり、この事件で正当化に忙しい当事者側には、
意思決定の流れが子ども病院以外にも別途存在していると考えた方が
より良く事態の推移を読み解けるのでは?
2009.10.20 / Top↑
かねてから一度まとめておきたいと思っていたので、前のエントリーを機に、
これまで当ブログで拾ってきた「無益な治療」事件を以下に。

なお、今まだ裁判が継続しているBetancourt事件というのがあるのですが、
情報が多いので整理に時間がかかっていて、まだこれから。




【Habtegiris事件:2005】
医療費払えず「無益な治療」(TX)(2009/10/20)






【Karen Weber事件】
第2のテリー・シャイボ事件(2008/7/13)


【Lauren Richardson事件】
Delaware州でも第2のシャイボ事件(2008/7/212)


2009.10.20 / Top↑
テキサスの「無益な治療」法といえば、
このブログでは2007年のGonzales事件が浮かびますが、

2005年に、訴訟にすらならなかったケースがあったようです。

エストニアからの合法的移民女性、Tirhas Habtegirisさん(27歳)が
末期がんで延命治療を受けていたが、その費用が支払えなくなったために、
病院側が無益な治療法を適用し、家族の反対にもかかわらず呼吸器を取り外したという事件。

取り外しから16日後にHabtegirisさんは死亡。
取り外しの時の彼女の意識状態については
病院と家族とで見解が異なっています。

Wesley Smith のブログに引用された別ブログの情報では
Habterisさんはアフリカから来る親族にひと目会って死にたいと待っていたのに
呼吸器を外されてしまった、との話も。

Slateというネットメディアに、
貧しい人は延命治療に値するか?」と題して
医療費を支払えない人の延命治療が中止されるのはやむをえないとの主張が掲載されています。

「治療の無益」概念というのは、表向きは、
もはや患者利益にならない治療を続けることは苦痛を与えることにしかならないから、
それを避けるために病院側が治療の中止決定権を持つ……という話なのですが、

この事件によって、そんなのは体のよいアリバイに過ぎなくて、
実は医療費削減のためだということが露呈されています。

しかし、もしも意識があったとしたら、
「医療費を支払えないあなたからは、呼吸器を外します、
これから、じわじわと窒息死してください」と言われるわけですよね、これ……。



It’s About the $: Libertarians Discover Futile Care Theory
Wesley J. Smith, Secondhand Smoke, March 23, 2009
2009.10.20 / Top↑
先月、タイでのエイズ・ワクチン実験で希望のもてる結果が出たと華々しく報道された後に、どうも、あの結果、実は“たまたま”だったかも……という話が出て、6年もやってまだ出来ないなら、いい加減にしろという気配に。患者アドボケイトからは、ワクチン研究に費やすゼニを患者の治療に回してくれ、との声も。:そう。こういう発想がどうして出てこないのか、私はずっと不思議だった。こういう研究に回っている費用を「医療費」の中にカウントしたら、今いわれているように「高齢者と障害者の医療費が社会の負担」というのは事実とはちょっと違ってくるんじゃないか……とか。
http://www.nytimes.com/2009/10/19/opinion/19berkley.html?_r=1&th&emc=th

発達段階で自閉症や統合失調症の原因となる脳の変成と関係した遺伝子がどうとか……という研究。:いずれ、こういうのもみんな出生前遺伝子診断の対象疾患に入っていくのでしょうか。PGDではじけるものは全部はじいて、ワクチンで予防できるものは全部ワクチン打って、というのが今の科学研究の方向のような気がするのだけど、本当にそういうのが“予防医学”なんだろうか。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/167739.php

1歳半から自閉症を見つけるための研究に米NIHから巨額グラント。:いつかの某学会での議論を思い出した。発達の過程に人間が変わる要素がいろいろ絡まりあっているんじゃなくて、もともとあるものが発現してくるんだから、あるものはある、ないものはない、という英語圏の学問的イデオロギーというヤツ。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/167742.php

こちらも上記と同様のイデオロギー路線で、人間行動の違いを脳科学と遺伝子マッピングで解明しようという研究に巨額のグラント、とのニュース。そういえば、あの学会での英語圏イデオロギーというのは、どうも脳科学の専横のことなんだろうな、と、私は感じたんだった。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/167692.php

デブ差別をするな。肥満を理由に人を苛めるのはヘイト・クライムだ、という肥満差別反対運動が始まりつつあるらしい。:気持ち、分かる気がする。医療費削減コールで、まるで肥満は犯罪扱いだもんね。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8314125.stm

妊娠中の人とか、豚インフル・ワクチンとか、健康情報に特化したSNSのサイトが流行している。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/10/18/AR2009101801844.html

児童ネグレクトが急増している。早期発見を、と英国のUNISON。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/167708.php

Norman Fost医師が去年1月にNYでステロイドのディベイトでしゃべった内容を今頃になってWashington Timesでエッセイにまとめている。笑わせてくれるのは、子どもを学校へ行かせるのも認知能力の“強化”だと言って、ステロイドやバイアグラと同列に論じていること。
http://washingtontimes.com/news/2009/oct/18/solutions-fost-professional-athletes-steroids/

6日に拾って忘れていた記事で、今度はコカインのワクチンだって。中毒者に打てば、使用を半分に減らせたという調査。:そのうち、アル中ワクチン、スモーカー用ワクチン、ペドフィリア(児童異常性愛者)ワクチン、メタボ・ワクチン、皮膚障害(しわ)ワクチン、排尿障害ワクチン……いや、いっそのこと加齢ワクチンとか老化ワクチンとか?
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8291681.stm
2009.10.19 / Top↑
前のエントリーで触れた NEJMの認知症終末期ケア関連論文の1。

米国NIHが資金を出している、この研究
その名称からして、なにやら臭うのだけれども、

The Choices, Attitudes, and Strategies for Care of Advanced Dementia at the End-of-Life
(CASCADE)という。

「終末期における末期認知症ケアのための選択、姿勢、そして戦略」。

ボストン地域の22のナーシングホームに入所している
認知症が進んだ323人を18ヶ月間にわたって調査したところ、

認知症が最後の段階に至った人たちでは
「記憶障害があまりに重いために近親者ももはや分からないし、
6単語以上のものをいわないし、
大小便ともコントロールできないし、
歩くことも出来なかった」。

調査期間内に177人が亡くなった。
被験者の死亡率を高くしたのは、肺炎、発熱、摂食障害などの合併症で、
その他の症状も多く、終末期に近づくにつれて
傷みや褥そうや、息苦しさ、発汗などの不快な症状が増加した。

医療に関する代理決定件を付与された代理人の96%は
患者の安楽を第一に、と考えていたにもかかわらず、
調査期間中に死亡した人の41%では最後の3ヶ月に
救急搬送、点滴、経管栄養など何らかの医療介入が行われていた。

代理人の81%は合併症が起こる可能性を理解していたにもかかわらず、
医師から相談があったという人は3分の1だった。

……ということから、
論文の主著者のDr. Susan L. Mitchellが主張しているのは、どうやら、ぶっちゃけ、

「代理人さえ、認知症の末期に合併症が起こるのは当たり前で、
どうせ治療しても予後は悪いんだということを理解していれば、
終末期になって、こんな利益の疑わしい介入をすることもなく
緩和ケアを受けることを選ぶはずなのだから、医師はそのつもりで選択させろ」

そこで、著者は声を大にして強調してみせる。

認知症はターミナルな病気です

認知症はターミナルな病気なのだという認識を
みんな、もっとしっかり持ちましょう、とね。

Dementia Is A Terminal Illness, Study
The Medical News Today, October 15, 2009


ううううぅぅ。ひっかかる。ものすご~く、ひっかかる。

ターミナルというのは病名を問わず段階のことでしょう?
ターミナルな病状( terminally ill)というのはあっても
「ターミナルな病気( terminal illness)」なんて、ありえないと思うのだけど、
そりゃ、一体なんなんだ?

実は、この妙な用語、自殺幇助議論に関連したニュースでは
ちょこちょこ目にするようになっている。

だいたいの場合、
本当の病名を明かすと、実はターミナルな状態だったわけではないことが明らかになるので
それを回避して、その自殺を「重い病気や障害」で漠然と正当化したい心理が働いた時に使われているようだ。

自殺幇助議論関係の文章を読んでいて、この用語に出くわすと、
私の中では警戒アラームが点灯するので、必ず、その人の病名と、
自殺を希望した時の病状を出来る限り確認することにしている。

そんな非科学的な文言を、それこそ“定義”もせず用いるMitchell医師って
一体どういう科学者よ?

この論文、the New England Journal of Medicine の10月号に掲載されたもので、
前のエントリーで取り上げたDr. Sachsの論説が同時に掲載されている。

表向き、両者は同じことを言っているフリをしている。

NIHの命を受けたMitchell医師だって、
「認知症の末期の人の緩和ケアを見直せ」と一応は言っていて、
この論文を受けたSachs医師も一応は、その主張の意義を認めてみせている。

でもね、この2つの論文。
どう考えてもニュアンスはまるで逆。

Mitchell医師らの論文は「医療か安楽ケアかの2者択一」を迫るもの。
実質的には「どうせ死ぬんだから代理人は安楽ケアを選択しろ」と迫っているのであって、

そこから感じられる姿勢とは、
英国で今ちょうど問題になっている
「この人はどうせターミナル」と一旦カテゴライズされたら重鎮静で意識をなくして眠らせたまま
手間をかけずに脱水で静かにお亡くなりいただくことのルーティーン化ではないでしょうか。
(詳細は文末にリンクした関連エントリーに)

「認知症はターミナルな病気だと認識しろ」とは、
その思考停止を医療サイドだけではなく、患者の代理決定件者にも迫っているのに他ならない。

どちらの論文も「緩和ケアの見直し」が必要と言っているのだけど、
こちらの研究は「緩和ケアを選択させろ。どうせ死ぬ患者に無駄な医療を行うな」という見直しで、
要するに「認知症患者の終末期ケアにコストをかけるな」と言っているだから、

Sachs医師の論説が「認知症患者の痛みや不快に、もっと細やかな観察と配慮を」と
緩和ケアにもっと金をかけろ、質をあげろと求めているのとは姿勢がまるで逆。

だから、たとえ、ある特定の患者さんでの医療決定が結果的に同じになったとしても、
その決定が患者さんにとってどういう意味を持つかも、
おそらく、まるで逆になるんじゃないだろうか。

例えば、この人に経管栄養は、もはや負担にしかならないとして
中止や差し控えの判断をするとしても、

Dr. Mitchelleのチームは、
その中止や差し控えの判断そのものが緩和ケア・安楽ケアだと捉えて
代理人にそういう判断をさせることに意を用い、たぶん、それ以上は考えない。

Dr. Sachsのチームなら、
栄養を中止したところから本当の緩和ケア、安楽ケアが始まると考えるんじゃないだろうか。

私は専門家ではないから、そこで何が出来るのかは分からないけど、
口が乾燥して不快そうだから水で湿らせるとか、
口腔ケアを丁寧にするとか、痛み止めを処方するとか、
それを、訪れた家族や代理人に声かけしながらやってもらうとか、
できることは個々に、いろいろあるような気がする。

目の前の患者さんその人とも、その人の人生の終わりともちゃんと向かい合って、
その人が感じている痛みや不快を知ろうと細かく観察し、
せめて、それを取り除いてあげるための工夫や手立てに意を用いると思う。

Dr. Mitchellのチームにとっては、そんなのは無駄なケアだ。
どうせ死ぬんだから。

どうせ「近親者も分からないし、6単語以上しゃべらないし、
大小便失禁で、歩くことも出来ない」んだから。

実は、この記事を読んで、この論文の中で一番怖いと感じたのは、この部分。

ここに挙げられている4つの状態は
いずれもターミナルであることとは本当は直接的には関係がない。

そればかりか、“Ashley療法”を「どうせ」と正当化する理由や
自殺幇助合法化議論で「生きることには尊厳がない」と言われる状態にぴたりと重なっている。

まさか、こんな状態を万が一にも「ターミナルな病気」の条件に使われたら、
意思・感情の表出能力の低い重症障害者はみんなターミナルにされてしまうのだけど、

こんなふうに、終末期医療からも、自殺幇助議論からも、パーソン論をはじめとする生命倫理からも、
包囲網はそこに向かって着々と狭められているような気がしてならない。




2009.10.19 / Top↑
The New England Journal of Medicineの10月号に認知症終末期ケア関連論文が2本。
そのうちの1について。

Death By Dementia
The Medical News Today, October 15, 2009


近年、認知症で死亡する成人が増えているにもかかわらず、
認知症患者の終末期ケアはもう何十年と変わっていない。

政治家、保険会社も巻き込んで、
自分で症状を訴えることが出来なくなった高齢者の医療全体を底上げするべく
支援と資金を検討すべきだ、と、Indiana大学の一般内科と老年医学教授Dr. Sachs。

“Since individuals with advanced dementia cannot report their symptoms, these symptoms often are untreated, leaving them vulnerable to pain, difficulty breathing and various other conditions. We shouldn't allow these people to suffer. We should be providing palliative care to make them more comfortable in the time they have left,”………….

While it is not easy, caregivers and medical personnel should attempt to pick up on nonverbal clues of pain, such as the individual holding the body in a certain way to avoid a painful posture, or exhibiting swollen, tender joints, he said. These observations, reported by a caregiver or found on medical examination, may help the physician make the patient more comfortable, and help identify underlying conditions.

ここで主張されていることは、
先日、当ブログで紹介したカナダ、アルベルタ大学のOT、
Cary Brown準教授のワークショップの理念と全く同じ。

理念だけでなく、アルベルタ大学作業療法学科のプログラムでは
具体的な痛みの発見方法や対応も提唱されている。

一方、この論説で Sachs教授が対応すべき症状として挙げているのは痛みだけでなく
浅い呼吸、だるさ、吐き気、食欲低下、不眠など。

Sachs教授もまた、
患者の行動をきちんと観察することによって
こうした症状に気づき、対応することが出来ることを認識すべきだ、と。


自分で症状を訴えることができない人では、
その症状があっても、ないものと決め付けられたり、
最初から考慮の外におかれたりしてきたけれど、

(ここにある「どうせ何も分からないんだから」という意識が
Ashleyケースの正当化の根っこにあるものと同じであることを指摘しておきたい)

認知機能・能力の低さとされているものの多くが
実は表出能力の低さであったり、それどころか
受け止める側の感度の低さに過ぎないことだって大いにあるはずなのだから、

やっと、こうした声が上がってきたことがとても嬉しい。

こうして認知症患者さんたちから気づき始めてもらって、次には
自分で表現する手段を持たない知的障害者や重症障害者にも目を向けて欲しい。

そして、それが、
自分で表現できない人へのケアの必要性が認識されることにつながり
自己表現や自己決定の能力の低い人の生や存在も尊重されるべきだとの共通認識となって、

自己表現能力を持たない人の非人格化と命の切り捨て正当化論が
じわじわと狭めてくる包囲網が完成しないうちに
ちゃんと間に合いますように──。

心から、そう祈っている。



2009.10.19 / Top↑
医療ガバナンス学会のメルマガの Vol.297で
ハーバード公衆衛生大学院リサーチ・フェローの細田満和子氏が
「アメリカ社会のふたつの顔」というエッセイを書き、
その中でAshley事件に触れておられます。

その中で、Ashley療法にかかった費用が約3万ドルとされているのは、
父親がブログに書いている金額をそのまま鵜呑みにされたのだろうとは思うものの、

細部の事実確認がなおざりにされると事件の本質が全く見誤られてしまうAshleyケースで
これは、ありがちな事実誤認の1つなので、この点について指摘しておきたい。

(父親のブログには「信頼できる介護者は自分たちに賄える範囲では見つからない」
みたいなことも書いてありますが、これもウソでしょう)

WPASの調査報告書に添付されている
2004年7月のAshleyの入院時の病院からの請求書の写しによると、
その入院費用だけで、請求されている金額は26,389ドル15セント。

こちらのエントリーで指摘したように
これは子宮と乳房摘出の手術入院時の病院からの請求書であり、
米国の医療制度では、執刀医、麻酔医、内分泌医からは別途、請求書が送られているはず。

また、この金額には、その後のホルモン療法にかかった費用は一切含まれていません。

上記エントリーにリンクしたGuardianの記事で、
米国での低身長の男児の成長ホルモン治療は年間4万ドルかかるとされていることからも、

“Ashley療法”全体にかかった総額が3万ドルで収まったとは、とうてい思えません。

この点については、WPASが調査に入った際に、
かかった費用の総額と支弁者を解明することを目的としていたし、
実際に当初の書簡でも情報を要求しているのだけど、

不思議なことに、調査の過程のどこかで、この点の追及は何故かうやむやとなり、
手術入院時の病院からの請求書を報告書に添付しただけで終わっています。

父親は、費用は「保険で支払われた」とも書いているけれど、
もしも彼がマイクロソフトの幹部なのだとしたら、
掛け金も給付内容も一般の被用者保険とは、ずいぶん違っているはずで、

健康上の必要のない、electiveの最たるものである”Ashley療法”の
いずれの介入についても、一般の医療保険で易々と給付されるものかどうか……。


       ―――――――

細田氏のエッセイの論旨は、米国における
リバータリアニズム(自由至上主義)とコミュニタリアニズム(共同体主義)を解説し、
安易なカテゴリー化に注意を呼びかけつつも、
前者の典型的な例として”Ashley療法“を挙げ
後者の例としてマサチューセッツ州の住宅改造ローン事業をあげて、
次のように問いかけるもの。

ふたりの親たちはそれらを解決するために、同じ300万円というお金をかけて、片方は体を大きくしないようにし、もう一方は体に合わせて家を改造しました。もし自分が障害を持つ子どもで、そんな理由で成長を止められてしまったらどう思うでしょう。逆に、成長に合わせて家を作り変えてもらったとしたらどうでしょう。

おわりに
ここに挙げた二つの例は、医療福祉のあり方における、個人の自由な決定(リバータリアニズム)と共同体の協力(コミュニタリアニズム)との、かなり両極端な例かもしれません。ただ、どちらもアメリカでの出来事であり、そこに住む人々が選び取っている道なのです。私たちは、どういう道を選んでゆくのでしょうか。

主張するところとしては
Ashley事件に対して障害当事者らから出ている
「身体を変えず、社会を変えよ」というものと同じ路線であり、
大筋で言わんとすることは分からないのではないのですが、

こういう文脈でAshley事件が持ち出されるというのは、
それ、どうなのかなぁ……と、私には、ちょっと抵抗がある。

まず、Ashley事件の背景の特異さや、
いまだにDiekema医師らが論文を書いて(書かせて、も?)必死で正当化を試みざるを得ない状況や、
公式には、まだ1例しか行われていない事実を考えると

そのAshley療法を、アメリカの障害児の親たちが「選び取っている道」と称するのは
こちらのアエラの記事が「アメリカでは乳がんの遺伝子があったら
予防的乳房切除が一般的」と書いていたのと変わらない気がする。

それからAshleyの親がブログで言っている
「重症児の成長と共にQOLの維持が難しくなる」という問題は
決して建物のバリアフリーの問題だけに単純化できるような話ではないからこそ
私も含めて多くの親にとって、この問題が悩ましいのだし、

またAshley事件の本質と薄気味悪さは、
実は重度の身体障害の介護問題に対応する医療介入を
重症の知的障害を理由に正当化しているところにこそあるのだから、

このように「障害児の介護環境の物理的な問題を解決するために
片方は成長を止めて、片方は公的ローンで家を改造した」と単純化して、
それをアメリカ社会の自由至上主義と共同体主義の典型例とするのは、
それこそ危ういカテゴリー化では……と思うのと同時に、

当初の親の理由には含まれていなかったはずの
「いつまでも家で介護するために」を主たる理由に押し立てて
成長抑制を強引に正当化・一般化して通そうとするDiekema医師らの欺瞞を、
そのまま事実に置き換えて世の中に広め、別の方向から一般化を進めることにすらなりかねない。

……など、いろいろ考えさせられているのですが、
こちらについては、また、まとまってから改めて。
2009.10.18 / Top↑
先日、以下の2つのエントリーで紹介したChristine Ryan の論文について



米国でAshleyケースを批判してきた障害児の母親ブロガーの間で話題になっているので、
一応メモとして、以下に。

The Burden of Parental Decision Making and the Negative Impact on Disability Rights
LIFE WITH A SEVERELY DISABLED CHILD, October 14, 2009/10/16

Who is a “non-person”?
The flight of our Hummingbird, October 15, 2009


これらの記事に寄せられたコメントの憤りが激しい。

世の中の誰もがパーソン論を知っているわけではないし、
誰だって初めて non-person という言葉に出会うと、
本当に金槌で頭をぶん殴られたくらいの衝撃を受ける。

私もそうだったから、
英国議会のヒト受精・胚法改正議論でnon-personという言葉に初めて出会った時には
オロオロと取り乱してしまうほどの衝撃があった。

言葉が「赤ん坊と同じ」と違っていただけで、
もともとAshley事件から多くの人が受けた衝撃とは、そういう種類のものだったのだということが
Ryan論文を読むと、とてもよく分かる。

(私は、この衝撃が、論理的な定義を超えた”尊厳”に関係していると感じているのだけど、
まだ、そこのところを、うまく表現することができない。たしかフランシス・フクヤマだったかが
テクノの過剰な介入に人が受ける”生理的な嫌悪感”を重視していたような、ああいうこと?)

Ashley事件のそんな衝撃から、いろいろ調べ始めたことを通じて、
私は思いがけない多くのことを発見してきた。

今でも、知れば知るほど、世の中には自分の知らないことだらけだということを思い知らされている。

私がこれまで見ようともしてこなかったところ、私の知識がはるかに及ばないところでは
一体どんな事態が進行しているのか……と考えると、空恐ろしい。

私にとってAshley事件は、いつのまにか、
そんな不気味で大きな世界に向けて開かれた小さな窓のようなものになった。

この小さな窓を得たことで、
私は世界で起こっていることのあれこれを、わずかながら覗き見ることができるようになったと同時に、

Ashleyの小さな事件で次々に起こることの中にも、
その大きな世界で進行している事態の大きな図が象徴・凝縮されているとも感じるようになった。

Ashley事件も「無益な治療」も自殺幇助合法化も製薬会社のスキャンダルもトランスヒューマニズムも
”救済者兄弟”もパーソン論もDALYもQALYもヘイト・クライムの増加も
それぞれは繋がりを持たない別々の議論や出来事のように見えるけれど、

実はいずれも、世界で進行していること全体の大きな図の中の1つの必然として起こり、
その大きな図の一部として互いに繋がりあって、時代の力動みたいなものを作り出している──。

ずっと、そんな気がしている。
2009.10.17 / Top↑
相変わらず、映画「私の中のあなた」と”救済者兄弟”のことを考えている。

私がピコーの小説を知ったのは2007年のシアトル子ども病院生命倫理カンファでの
兄弟間の骨髄移植についての Dr. Pentz の講演を Webcast で聞いた時。

その講演でも紹介されていたし、
その後、あちこちで目にもしたのだけれど、

生体間臓器移植で臓器を提供するドナーは
自己肯定感や自信につながって、自尊感情が向上するといわれている。

つまり、臓器提供はドナーにとっても利益になるのだという説が
まことしやかに唱えられている。

(ただし上記のPentz講演は、これは成人での研究で言われていることだとして
子どもについては疑問視している)

ドナーは、自分が良いことをしたと感じて自己評価が上がるという話は、
映画でも、裁判のシーンで、医師らの証言の中に出てきていた。

映画を2度目に見た時に
私は、この「ドナー神話」に強いデジャ・ヴ感を覚えた。

それ以来ずっと考えている。

「ドナー神話」とは「母性神話」の再生産に他ならないのでは――?


女性であれば誰でも、子育ては本能的な喜びであり、苦にならないはず。
母親であれば、わが身を捨てても子を守ること、子を幸せにすることが他の何よりも大きな喜びのはず。

女性とは
自分を二の次、犠牲にして他者に尽くし、
他者を幸福にすることに喜びを感じるように作られた心美しい生き物なのだ。

だから、主婦にとっては、家族の健康と幸福が何よりも喜びであり幸せであり、
家族のために存在し、家族のために働くことが、主婦には大きな生きがいとなるし
もちろん介護だって、女性なら生まれながらに素養と技術を身につけている。

生み、育て、自分よりも他者を優先させて尽くす性として、
女性性は賛美され、神聖視され、称揚されて、

そうして他者の命や生活や労働を下支えする役割を女性は背負わされてきた。

社会にとって都合のよい相手に都合のよい役割を押し付けるために
自分自身は絶対にその立場になることがない人たちによって、都合のよい神話が作り出され、
それが様々な心理操作に利用され、社会の価値観や規範意識に根付いていく――。

母親になった女性が
「私は子育ても楽しいけど、仕事の方がもっと好き」とか
「子育てにそれほどの喜びを感じられない」と感じていたとしても
あからさまに口にするのがはばかられたり、
時には誰にも言えずに罪悪感や自責を抱えて苦しむほどに
母性神話を内在化させてしまっているように、

臓器移植の必要な人の家族がドナーになることを当然視された時に、
映画のアナのように「腎臓をあげた後は用心しながら生きていくなんてイヤだ」と
本当は感じていたとしても口に出して言えないほどに、
愛があれば臓器提供は選択の問題にすらならない
「臓器提供はドナーに自信と誇りと喜びをもたらすはず」との神話は
すでにこの社会の中に根を張ろうとしているのではないのか。

しかし、それは、
女性に家事や子育てや介護を背負わせてきた「母性神話」が
今度は臓器の提供者を確保するための「ドナー神話」として再生産されているだけではないのだろうか?

そして、子育てや介護の負担に苦しむ女性からSOSの声を奪っているように、
ドナーと指さされた人から「イヤだ」と抵抗する声を奪っていこうとしているのではないのだろうか?

         
           ------


このエントリーを書くに当たって、
ものすごく久しぶりに、上記、Pentz講演のエントリーを読んでいたら、

18歳以下の子どもは形のある(solid) 臓器の提供者にはなれない、という下りがありました。

…………???????

じゃぁ、「私の中のあなた」のアナは仮に本人が望んだとしても、
ケイトに腎臓を提供できないことになるし、

医師もそれを知っていなければならなかったことになるのだけど????

それに、この講演の質疑においても
提供しても再生産される骨髄と、再生産がありえない腎臓では提供後のドナーへの負担が違うので、
別の話として考えなければならないという議論もあって、

講演そのものが子どもでの兄弟間の臓器提供をテーマにしていることを考えると、
ちょっとこれも、どういうことなのか????


【10月19日追記】
「臓器目的で子ども作って何が悪い」とFostで拾った記事で
14歳で兄弟に腎臓提供をしたケースが言及されていました。

上記の18歳は、私の聞き間違いだったのか……?




2009.10.17 / Top↑
ケボキアン医師の半生を題材にした映画“You Don’t Know Jack”の撮影が始まっている、という話題がここ数日あちこちから出てきている。主演がアル・パチーノというのは知っていたけど、助演がスーザン・サランドンだとは知らなかった。いったい、どういう作り方になるのか。この記事は、個人的にケボキアン医師と交流のあった人物が書いたもので、興味深い示唆がある。できればエントリーまとめたい。
http://www.nytimes.com/2009/10/16/health/16vaccine.html?_r=1&th&emc=th

まだ、まともに読めていないけど、この記事、私の中では真っ赤なアラームが点灯。「認知症はターミナルな病気」と米国の研究者。ターミナルってのは、状態のこと、病気の段階のことじゃないんっすか? 人が terminally ill になるというのは分かるけど、terminal illness って? 「ターミナルな病気」って、それ、一体どういう病気なんっすか? 期間はともあれ、いずれ死に至る病気を「ターミナルな病気」と定義するなら、人間も動物も植物だって、みんな、その病気にかかってますけど? 今日のエントリーでALSが「ターミナルな病気」と称されているのに、引っかかったばかり。これは、明日ぜったい読む。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/167431.php

認知症で死ぬ人が増えているのに、認知症の終末期ケアはこの何十年も変わっていない。緩和ケアのあり方を見直す必要がある。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/167465.php

高齢者の透析はQOLをよく考えてからに。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/167416.php

やっぱり、こういう話になるよね……と思ってはいたところ。豚インフルエンザ・ワクチン論争が、反ワクチン運動を再燃させた格好……とNYTの記事。
http://www.nytimes.com/2009/10/16/health/16vaccine.html?_r=1&th&emc=th

子どもに文字や数を教えるのは6歳からにしたほうがいい、と研究者。:私は英語を教えていて、いつも同じことを思う。早く教えれば身につく、というものじゃない。
http://timesonline-emails.co.uk/go.asp?/bTNL001/mEDLHLB/qWVUQLB/uM9ZZ6/x5B99MB
2009.10.16 / Top↑