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園との連絡ノートより。

ミュウさんはとっても元気にされています。

今は実習生がたくさん来られており、
「私のところに来て~♡」と
大声を出して呼んでおられます。

今朝はミュウさんの近くで
「学生さん、誰の食事介助に行かれますか?」と
尋ねていると、

右手を耳につけ、まっすぐにのばして
手を挙げているミュウさんの姿が……。

ビックリでした♡


うわぅ。
2013.08.13 / Top↑
療育園との連絡ノートより

七夕会は、
前半の由来を聞いたりペープサートを見たりするところは
とっても静か。穏やかに過ごされていました。

後半、
全員の願い事を読みあげてゆくと、
徐々にテンション ↑ UP。

「私のは?」「まだ?」と言わんばかりに
声を出しておられました。

おやつはチョコレートムースでしたが、
ぺろりと、あっという間に食べられましたヨ。
 

昼ごはんが終わり、デイルームにおりたミュウさん。
必死で「オゥオゥッ」と言いながらTVを見つめています。

少しとなりの場所まで進んでいたミュウさんに
「がんばって元に戻って」というと、
手と足で振りをつけ、体を動かします。

「すごーい」とみんなで見ていると
「ア☆ハーン」と自慢げになり、

「TVみたいんよね。スイッチ押してくれる?」と
TVのリモコンをクッションなどで傾け、ミュウさんが押せるようにセッティング。

「オウ オウ」と興奮気味にボタンへ手が伸びてくる。

スタッフも見守り、「すごい、すごい」と言っていると、
少し違うボタンだけど必死で押してくれました。

その後「ここ押して」と赤いボタンへ手がいくように添えると、
満面の笑みを浮かべ、スイッチON!!

「ミュウちゃんが押してTVがついたよ」と言っていると
また自慢げな表情。

今日はみんなのお昼時間のためにミュウちゃんの活躍でTVが見れました。

「ごきげんよう」をこれまた
くいいるように見ているミュウさんでした。


……この単細胞ぶりは

はい。母親譲りです……。
2013.07.28 / Top↑
連絡ノートより。

この場面に登場するBさんは、
くつした泥棒のエントリーに登場したBさんです。


先日、デイルームでの出来事です。

ゆったりした時間が取れ、看護部、育成課スタッフも
入所者さんとかかわりの時間を過ごしていました。

ミュウさんはTVにくぎづけだった……のですが……

座位でTVを見たりボールを握ったりしていたBさんに、
スタッフが手を叩いて「こっちに投げて―」とアピールしていました。
始めは2人だったのが、少しずつ手を叩くスタッフが増えていくと、

オヤッ? 

楽しそうな、この空気を感じたミュウさん。

TVの方からくるりっと向きを変え、
「私も―――。私も―――」と誰よりもアピール。

手をあげ、声を出し、反り返って、
そのアピールぶりにはスタッフ一同、大爆笑。

なのに、なのに……。

アピールを受けているBさんはスタッフにもミュウさんにも興味なく、
持っているボールが気になるのです。

そんな笑いに包まれた時間です。


これもまた、「くつした泥棒」と同じく、

誰ひとりとして自ら望んでそこで暮らしているわけではない施設の、
なんてことない日常の暮らしの一場面――。


          ―――――――――

ノートには書かれていないのですが、
しばらく前に、複数のスタッフから
「ミュウさんがものすごく怒った」という話を聞きました。

昼食時には音楽がかかるのですが、
その日は午前中にミュウと誰かスタッフのやり取りで
何かのCDをかけてもらう約束ができていたらしいのです。

ところが、それを知らない別のスタッフが他の音楽をかけてしまった。
そこでミュウは猛烈な勢いで怒り、憤然と抗議したのだそうです。

(何度目かのお断りをしておくと、うちのミュウは重い障害のため言葉を持ちません。
それでも「憤然と抗議」するウチの娘も、また、その彼女の行動を
ちゃんと「猛烈に怒っている」「憤然と抗議している」と受け止めてくださるスタッフも、
共に実に大したものだ、と私は常々……。あ、もちろん父と母は
もうしょっちゅう「憤然と抗議」されておりますです。はい)

その時の怒り方というのが、、
別々の場面で複数のスタッフから
それぞれ異口同音に聞くところでは「すごかった」んだ、と――。

まぁ、「この母にして……」という解釈もあるかと
Spitzibaraとしては拝察もするわけですが、しかし、それはそれとして、

母は、この話が、とにかく、もう無性に嬉しかった。

喜びとか感激といった、プラスの感情は割と表現しやすいと思うのだけど、
マイナスとされる感情の中でも、とりわけ怒りは、
それを表現しても許されると感じられる相手に対してでなければ
なかなか表現できにくいものだと思うのです。

この人には甘えても許してもらえると感じる相手でなければ
人は甘えることができないのと同じように。

だから「猛烈に怒った」というのを聞いて、

あぁ、ミュウは怒りを表現できるだけ、
ここに安んじてありのままでいられる自分の居場所を
ちゃんと持てているんだ、って思って、

それはもう、本当に、心の底からありがたく、嬉しかった。

それは、やっぱり「くつした泥棒」や今日のこのエピソードのように、
「笑いに包まれた時間」を共有しながら、共に暮らしてくださるスタッフの
温かいまなざしのおかげなのだと、つくづく……。

どうか、こんなふうに「笑いに包まれた時間」を
支援される人と支援する人がゆったり共有できるだけの余裕が、
日本中の福祉の現場にいつまでもあり続けますように――。
2013.02.19 / Top↑
(前のエントリーからの続きです)

別のものが「本人のため」と言い換えられることの何が一番恐ろしいかというと、「本人のため」と言われてしまった時点で、それが「良いこと」になってしまうということです。何事であれメリットだけではなくデメリットだってあるわけですけど、良いことだとされるとデメリットに目が向きにくくなってしまいます。もしかしたら起こってくるかもしれないデメリットについて丁寧に考えて、その一つ一つに対策を立てておこうとする姿勢が持ちにくくなくなってしまうんですね。

それからもう一つ、一つのことが「本人のため」と正当化されてしまうと、最初はそこにあったはずの罪悪感とか抵抗感が薄れていって、他のことにまでどんどん拡大してしまう、ということもあります。こういうのは「すべり坂」と呼ばれていて、一歩足を踏み出してしまったが最後、あっという間にすべり坂を下まで転がり落ちてしまう。そんな危うい問題が今いろいろと出てきていて、議論も沢山行われています。

世界で障害者の周辺で起こっていることについては、私もあちこちに詳しく書いていますから、よかったら読んでみてください。お手元の資料に、いくつか参考を挙げてみました。特に職員の方に、ぜひ読んでいただきたいのは『アシュリー事件』の中の、生命倫理の言葉で言えば「本人の利益」をめぐる議論です。医療において何が「本人のため」かを見極めるために、誰がどういう方法と手順と基準でどのように考えて決めるべきか、世界中の生命倫理学者がもう何十年もかけて議論を続けています。何が「本人のため」かを見極めるのは、本当はそれほど難しいことなんです。この点については特に職員の方向けの資料を別途お配りしておりますが、医療職が専門性の名のもとに勝手に決めてよいというものではないですし、逆にアシュリー事件のように、親や家族だから本人のことを一番分かっていると言って勝手に決めてしまうことも、本当に本人のためかどうか、問題によっては単純ではありません。

だからこそ、いろんな立場の人が集まって、率直な説明があり、きちんと事実が共有されたうえで、皆で簡単に答えが出ない悩ましさを引き受け、考えなければならないのだと思います。これは、私たち保護者や家族にとっても、自分が死んだ後に、これからやってくる厳しい時代の中で、子どもたちの生活や医療について誰がどういう基準で決めるのか、という、とても大きな問題にもつながっていきます。こういう問題も、これからみんなで考えていかないといけないんじゃないでしょうか。

こんな恐ろしい時代だからこそ、私たちは重い障害のためにもの言えぬ家族のために、彼らの声となり、良き代弁者でありたいと思うんですね。去年の20周年の記念式典の時に、A事務局長が、時代とともに変わらなければならないものがあるが、変えてはいけないものもある、という話をされましたけど、それが伝統というものだと私は思うんです。人は異動で変わります。人が変われば多くのことが変わるのは避けられません。時代ももちろん変わります。それでも、その中でも守っていかなければならないものはなにか、少なくとも守ろうとしなければならないもの、守ろうとしたいものはなにか、ということを園と保護者や家族が一緒に考えていければ、それがこれまでに多くの人が苦しい思いをしながら築いてきた療育園の伝統を繋ぐことでもあり、これから先に向けて、園と保護者や家族との信頼関係を作っていくプロセスそのものなんじゃないでしょうか。

保護者の中には、お世話になっているのだから園には何も言えないとか言ってはならないと考えておられる方があるかもしれません。私は、言えば分かってもらえると信頼するからこそ声をあげられる、と考えてきました。実際、そうして保護者が挙げた声で変わってきたことは、今お話ししたように沢山あります。もしも保護者が、声を上げれば変えられることがあるかもしれない、と信じていられるとしたら、それ以上の信頼はないんじゃないでしょうか。私は、信頼しているからこそ声はあげられる、と考えたいと思います。

私が今日お話ししているのは、私たちが園に来ることができなくなった後、死んだ後にも、どの人も大切にされて笑顔で暮らせる療育園の文化と伝統を、子どもたちのために作っておいてやりたい、ということです。そのためにも、知るべきことをきちんと知り、目の前に起こっている出来事の表面だけでなく物事の本質をきちんと見抜いて、しっかり考え、本当の意味での信頼関係を園との間で築いていける保護者会でありたい、と思います。

これは本来なら、一昨年の11月に入浴時の手袋着用が問題となった時に、きちんと保護者の皆さんにご説明すべきことでした。それができなかったことを、私はずっと悔いにしてきました。あの時も問題は、手袋を着用するかどうかというような表面的なことではありませんでした。一昨年の秋に私たち夫婦が園長宛に書いた手紙を、いまさらですが資料としてお配りしておりますので、また後で読んでいただければと思います。園長を始め、師長、課長には、あの時に保護者が訴えたことをその後きちんと受け止めていただき、感謝しております。この手紙でお願いした中の、園長をはじめドクターにもっと園にきていただきたい、いていただきたい、インフォームド・コンセントの意識をしっかりもっていただきたいという点については、ここで重ねてお願いしておきたいと思います。

今日のこの場は、こうした経緯を踏まえ、役員の方々と相談させていただいて、園と保護者との信頼関係の新たなスタートとなればと、設けさせていただきました。

今日はどうもありがとうございました。


保護者の一人でありながら、
このような場でこうしたお話をさせていただいたのは、
もちろん敢えてやらなければならない事情があると判断したためですが、

保護者にも職員の方々にも、果たして受け止めてもらえるのかどうか、
ずいぶん前から準備しつつ、正直これもまた、とても恐ろしい体験ではありました。

でも、なんとか多くの保護者に受け止めてもらえたように思います。


この後、午後からは「節分の会」。

みんなそれぞれの「退治したいオニ」が紹介された後で、
(ミュウのは「ときどき甘えたくなるオニ」でした)

例年のごとくに
スタッフが扮するオニが登場し、
みんなで豆に見立てた新聞紙のボールで退治するのですが、

今年は、むちゃくちゃ迫力満点の恐ろしげなオニが混じっていると思いきや、
利用者のお兄さんが全身黒づくめの上に、地元で借りてきてくださった神楽のお面や衣装をつけ、
わざわざ山に取りに行かれたという太い竹を手に、オニを演じてくださっているのでした。

優しげな手作りのお面のスタッフ・オニは完全に存在がかすんでしまいましたが、
家族がスタッフと一緒にオニに扮して行事を盛り上げてくださる場面は、なんとも良いものでした。

見るからに恐ろしい所作で、それぞれの前に顔を近づけて脅したり、
「豆」を投げつけられては、ぶっ倒れたりしながら、ミュウの側を歩いていかれる時に
ぼそっと「前が見えん……」とつぶやかれたのが、おかしかった。

おかげさまで、今日は本当にいい一日になりました。
みなさん、ありがとうございました。
2013.02.12 / Top↑
(前のエントリーからの続きです)

その同じ教訓を、当時の療育園もリハセンターも同じように学んでくださいました。これは本当にすごいことです。14年前に思い切って声を挙げた時、私は現場の一部のスタッフから「理不尽なモンクをつけるクレーマー」にされました。でも、そのクレーマーの言うことに真面目に耳を傾けてくれる人がちゃんといて、これはただのモンクではなく本質的な問題提起だと理解し、組織として対応してくださった。組織というものが、いかに自己防衛的になりがちかを考えると、療育園もリハセンターも本当にすごい組織だと思います。

その時に、多くの改革が実行されたことは、去年、前園長がお話しくださったとおりです。前園長が「保護者とともに」という文言を含む療育園の理念を作ってくださったのは、この時のことです。今、子どもたちの帰省のときに私たちが持ち帰る連絡ノートがありますが、あのノートができたのもその時ですし、保護者会役員会が定例化され、そこで幹部職員と役員とが毎回一緒に話し合うようになりました。年に一度の個人懇談ができ、カンファレンスに保護者が出席したり、意見を反映してもらえるようになったのもこの時からです。職員研修会で年に1度、療育園の保護者が持ち回りで体験や思いを語るようになったのも、その時からのことです。

S先生はご自身のことは言われませんでしたが、前園長ご自身、あの事件の後、保護者の多くが本当に心から頭が下がる思いになったほどの努力をしてくださいました。そんなふうに多くの人が傷つきながら、本当に血のにじむような思いで作ってきたものが、今の療育園には沢山あります。前園長が「あの時があるから今の療育園がある」と言われたのは、そういう意味です。

保護者会もその時を境に大きく変わりました。保護者会そのものは、ウチの娘が入園した20年近く前にもあったんですけど、当時の保護者会というのは年に1度の総会で講堂に集まって地区のグループごとに役員を選ぶんですね。それから、面会に来る時にはスリッパを持ってくるように、とか、面会の時にはおやつを食べさせ過ぎないように、とか、いってみれば、園の側から保護者に対して伝達事項が伝えられる場でしかなかったんですね。

私は保護者が意見を言える場はないんだなぁ、と思ったものですから、年に1度でいいから園と保護者とが対等に話し合いができる場を作ってほしい、と折を見ては要望するようになりました。何年かそういうことを言い続けた頃に他の保護者も一緒に言ってくださるようになって、言い始めから7年めくらいに茶話会ができました。今、年に1度、療育園で当たり前に行われるようになっている茶話会は、そんなふうにしてできたものです。だから、あの茶話会を園からの一方通行の説明や情報伝達の場ではなく、双方向のコミュニケーションの場として大切に守っていきたいと私は思っています。

14年前の大きな出来事があった時、そんなふうに保護者会も少しずつ成長し始めているところでした。当時はHさんが会長で、この出来事を無駄にしてはならないと言ってくださって、役員会がとても活発になりました。いま研修施設などを利用して家族が宿泊する制度がありますが、これはH会長の時代に役員会が尽力されてできたものです。次にKさんが会長をされた時代には、指定管理者制度と障害者自立支援法という大きな危機がありました。保護者会で勉強会や講演会を開き、役員数名で県庁に訴えに出かけたり、K会長は何度も仕事を休んで他の施設の保護者会との協議会に出てくださいました。その後、現在のI会長になってからは、ずっと懸案が山積みのままだった行事のあり方について、一つずつ問題を整理してこられました。

今の療育園では、子どもたちもスタッフも笑顔が沢山あって、少しでも豊かな生活を送らせてやろうとのスタッフ皆さんの思いが本当にひしひしと感じられて、私もいつもありがたいと思っています。それは毎回の行事や廊下に掲示された写真からも分かりますが、ついこの前も、娘を送って帰ってきた時に、奥のBのお部屋(療育園の中でも特に重症の人たちが暮らしている部屋)の子どもさんが、職員の方とゲームのWiiで野球をしておられるところでした。ああ、こういうことをしてくださっているんだ、と嬉しかったです。それから同じくBのお部屋の子どもさんを育成課のスタッフが散歩に連れて出られる場面に通りかかったこともあります。「呼吸が苦しくなったらすぐに帰ってきてね」と看護課の方が見送っておられました。医療の支えがしっかりあるからこそ生活を広げることができるんだなぁ、ということを改めて思い出させてもらう場面でした。いつも本当によくしてくださると思います。

だから、私はここで、保護者はもっと何でも園にがんがんモンクを言いましょう、と焚きつけているわけでは全然ないです。今どんなに良い状況にあっても、人が変われば組織というものはここまで変わってしまうのか、という恐ろしさを、14年前に保護者は身に沁みて体験しました。だからこそ、日頃から信頼関係を作っておくことが必要だと思うんです。人が変わるだけでなく、時代も変わります。時代が変わることによって、同じ人でも変わらざるを得ないこともある。今、そのくらい厳しい時代がこようとしています。

このところの制度改正については園からも何度か説明がありましたが、私も何度読んでも聞いても、細かいところがどうなっているのか分かりきらないです。それくらいここ数年の障害者福祉制度はコロコロと変わっていますし、まだ変わっている最中でもあったりします。細しいことはともかく、ごくざっくりしたお話をすると、これまでずっと日本の障害者福祉の中では私たちの家族のような重症心身障害児者には、特別枠みたいなものが設けられていたわけですね。それが今度は成人した後についてはその特別枠が取っ払われて、他の障害者と一括で同じ扱いになった、ということだと思います。

守る会などが必死の運動をしてくださって、目に見えるところでは当面は今までと同じ生活が守られてはいますが、見えないところではいろんなことが変わっています。それが先日の集まりで話に出た、スタッフの方々の腰痛問題のようなところにしわ寄せとして顕われている、ということでしょう。特別枠が取っ払われたということは今後に向けた布石が打たれたということですから、今後はこれまでのような優遇がなくなっていくだろうことは十分に予想されます。またコイズミ改革からこちら、障害者や高齢者の周辺で、医療も福祉も切り捨てが広がっていることは、それぞれに感じておられることだろうと思います。つい先日も、医療経済学者の中から「今の経済状況で寝たきりの人にこれ以上お金を使うのはいかがなものか」という声が出ていました。いま私たちが直面しているのは、そういう恐ろしい時代です。

じゃぁ、日本の政治が悪いのか、ということになると、これがそう単純な話ではないんですね。この前アルジェリアの人質事件がありましたが、あれなんかもそうですけど、これだけ世界経済が地球規模に拡大したグローバル世界では、日本で起きていることだけが世界で起きていることと無縁・無関係ではあり得ない時代になってしまっています。そこで世界では障害者の周りで何が起こっているか、ということが気になってくるわけで、私はここ数年、そういうことを調べては書くというのが仕事になっているので、ついでにちょっとだけお話しさせてもらうと、まず私たちにとって気になるのは、「パーソン論」という考え方が広がり始めていることだろうと思います。

「パーソン」というのは日本語にすると「人格」なんですけど、ただ動物としてのヒトであるだけではなく誰かが「人格」のある人間として認められるためには、その人には理性とか自己意識とか一定の知的な能力がなければならない、という考え方です。この考え方からいけば、私たちの家族のような重い知的障害のある人は、ぶっちゃけた話、人間として認める必要がないことになってしまうわけです。

一例として、アメリカで2004年にあった事例をご紹介すると、6歳の重症心身障害のあるアシュリーという女の子に手術をして、病気でもないのに子宮と乳房を取ってしまって、さらにホルモンをじゃんじゃん投与して身長が伸びるのを止める、ということがされました。これに「アシュリー療法」という名前をつけて世界中の重症児に広げていこうとしている人たちがいて、実際に少しずつ広がってもいるのですが、彼らが言っているのは、アシュリーのような重症障害児というのはどうせ何も分からないんだから、他の人みたいに尊厳なんて考える必要はないんだ、ということです。つまり、パーソン論なんですね。それよりも介護しやすい身体にしてあげるほうが、本人のためだ、というわけです。

欧米の医療では、重症障害のある人は病気になっても治療せずに死なせたり、病気ですらなくても手をかけて殺してあげるのが本人のためだという話が出てきています。そういうことが起こっている国というのは、本当は国が医療費や福祉の費用を削りたいんじゃないのかと私は個人的には思うんですけど、そうは言わないんですね。そうではなくて、こんなに重い障害を抱えて生きるのは不幸でかわいそうだから「死なせてあげるのが本人のため」だというんですね。慈悲殺、という考え方です。ここでもまた「本人のため」という言い方がされます。何か別のものが「本人のため」と言い換えられることは、こんなふうに実はとても恐ろしいことなんです。

(次のエントリーに続く)
2013.02.12 / Top↑