http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201110210152.html
【関連エントリー】
高谷清著「重い障害を生きるということ」メモ 1(2011/11/22)
高谷清著「重い障害を生きるということ」メモ 2(2011/11/22)
高谷清著「重い障害を生きるということ」メモ 3(2011/11/22)
米国では、02年に最高裁が知的障害者への死刑は合衆国憲法に反するとしたものの、実際の運用は各州にゆだねられた。ジョージア州は、知的障害があることの証明責任を罪を犯した側に負わせている唯一の州。そのジョージア州の基準を、先週、米国上訴裁判所の判決が支持した。それはないだろう、とNYTの社説。
http://www.nytimes.com/2011/11/30/opinion/an-intolerable-burden-of-proof.html?nl=todaysheadlines&emc=tha211
インドで貧困地域の女性Narmadaさん(23)が妊娠合併症を起こして病院に搬送され、胎児は死亡。Narmadaさんも意識不明となり人工呼吸器をつけたが、家族が医療費を支払えないため病院が呼吸器を取り外し、Narmadaさんは死亡。妻と生まれてくるはずだった子どもを一度に失った夫は、橋から飛び降りて自殺。
http://articles.timesofindia.indiatimes.com/2011-11-25/ahmedabad/30440797_1_man-jumps-narmada-suicide-note
NYT. 米国の経済危機で親が失業したり家を失ったりして、学校で無料給食の列に並ぶ子どもが増えている。
Line Grows Long for Free Meals at U.S. Schools: Millions of students are receiving free or low-cost meals for the first time as their parents have lost jobs or homes in the economic crisis.
英国で年金カットをめぐり、大規模な公共セクターのデモ。多くの公共サービスがマヒ状態に。
http://www.guardian.co.uk/society/2011/nov/30/public-sector-workers-strike-uk?CMP=EMCNEWEML1355%%__AdditionalEmailAttribute1%%
中国の都市部で貧困層が急増。
http://www.guardian.co.uk/world/2011/nov/30/china-raises-rural-poverty-line?CMP=EMCNEWEML1355%%__AdditionalEmailAttribute1%%
オハイオ州、体重が100キロ超える小学校3年生を家族から引き離し、施設へ。母親が息子の体重管理を十分に行わないとして。
http://news.yahoo.com/ohio-puts-200-pound-third-grader-foster-care-191032515.html
DBSでアルツハイマー病の症状改善できた、と。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/238309.php
【関連エントリー】
ロボトミー被害者が手記を出版(2008/1/25)
向精神病薬はロボトミーとそれほど違わない?(2008/2/4)
DBSうつ病応用へ(2008/5/28)
へんだよ、脳研究のプライオリティ(2008/5/30)
「3歳以下の、てんかんの手術は安全かつ有効」とカナダの研究者(2009/3/26)
「てんかん手術はコスト効率がいいから途上国で広めましょう」とLancetに(2009/4/21)
2009年11月10日の補遺(DBSの権威リザイ医師へのインタビュー。日本語)
「強迫性障害、うつ病、肥満にも」DBSなど“実験的脳手術”(2009/11/29)
NHSの病院で時間外や週末に入院した患者の死亡例が多いのは何故か、その原因を調べよ、と。
http://www.guardian.co.uk/society/2011/nov/28/hospitals-higher-weekend-death-rates?CMP=EMCNEWEML1355%%__AdditionalEmailAttribute1%
介護者にとって一番ストレスが大きいのは軽度の認知症。
http://www.medicalnewstoday.com/releases/238332.php
医師のconscientious objection(良心的医療拒否:個人的思想信条による医療拒否)は
「危険な道徳的相対主義」であり、現代医学には無用、と主張。
それに対して、アデレイドの小児科医 Brian Conwayが
医師に良心的医療拒否の権利を尊重することは
医療における権力の濫用や過誤、搾取へのセーフガードであり、
医師と患者の関係の主要なセーフガードである、と反論しているらしい。
論争は中絶をテーマにしたものと思われ、
Savulescuは
「良心的医療拒否が正当化されるのは
患者を害してはならないという立場と捉えるからだが、
何が患者の害で何が利益かということを決めるのは
誰かの目にそう見えるからということではなく
しっかりと道徳的に正当化された最善の利益と道徳的地位の概念に
基づいた判断でなければならない」と述べつつ、
その「道徳的地位」をどのように決定するのかについては
議論していない、という。
Conwayは
良心的医療拒否を認めなければ医師はただの技術者になり下がってしまう、
患者の自己決定が全てになってしまうじゃないか、
じゃぁ医師の自己決定・自律(autonomy)はどうなるんだ、と。
Oxford ethicist attacks conscientious objection
BioEdge, November 25, 2011
なんとなく……なんだけど、
Savulescuが言っているのは
Conwayが言っているような
「患者の選択が全て」だから「医者は患者の選択の通りにしろ」ということではない、
……んじゃないのかなぁ。
たぶん、Savulescuが言っているのは
現代医学では本当のところ患者にも医師にも自己決定権なんてない、
全てを決定づけるのは患者の“道徳的地位”と、
それに基づいて判断された患者の“最善の利益”のみ、
……ということなんじゃないのかなぁ。
じゃぁ、それらを一体だれが、どのように「しっかりと道徳的に正当化」するのか、
……というのが私にはすごく疑問なところなんだけど、
たぶん、そこは「我々功利主義の生命倫理学者が」とでも?
「重い障害や病気がある胎児には道徳的地位なんて、ない」
「だから生まれてくる前に殺すことが本人の最善の利益」ついでに
「大声じゃ言えないけど、その方が社会的コストもかからないし」と
SavulescuやSingerみたいな学者がスタンダードを決めたら、
それに基づいて現代医療は粛々と行われるべきであって、
そこには
患者の自己決定権も医師の自己決定権も必要ない、ってことでは?
で、もちろん
そういう「現代医療」のスタンダードは実は中絶だけの話ではなくて、
生まれてきた新生児にも、
人生途上で病気や障害を負った人にも、
老いて死に近づいていく人にも
当てはめられていく……ってことでは?
でも、よ、
じゃぁ、あんたの、その
「現代医療は最善の利益と道徳的地位判断で決まる」という前提そのものは
一体いつ、どこで、誰によって、どのように「しっかりと道徳的に正当化」されたの?
【Savulescu関連エントリー】
Savulescuらが、今度はICUにおける一方的な「無益な治療」停止の正当化(2011/2/9)
Savulescuが今度は「“無益な治療”論なんてマヤカシやめて配給医療に」(2011/9/15)
【Savulescuによる「臓器提供安楽死」提言関連エントリー】
「生きた状態で臓器摘出する安楽死を」とSavulescuがBioethics誌で(2010/5/8)
Savulescuの「臓器提供安楽死」を読んでみた(2010/7/5)
「腎臓ペア交換」と「臓器提供安楽死」について書きました(2010/10/19)
臓器提供は安楽死の次には”無益な治療”論と繋がる……?(2010/5/9)
「“生きるに値する命”でも“与えるに値する命”なら死なせてもOK」とSavulescuの相方が(2011/3/2)
Savulescuの師匠、Peter Singerの「障害児には道徳的地位はない」論については、
以下のエントリーの末尾にリンク一覧を設けました ↓
P.シンガーの障害新生児安楽死正当化の大タワケ(2010/8/23)
それに対するDick Sobseyの反論がこちら ↓
Sobsey氏、「知的障害児に道徳的地位ない」Singer説を批判(2009/1/3)
http://www.fukushiokayama.or.jp/kasaoka/inotibaton/setumei.htm
匿名ドナーの精子で生まれた子どもたちの苦悩。約2分のビデオあり。
http://www.bioedge.org/index.php/bioethics/bioethics_article/9855#comments
自分の精子を盗んでIVFで勝手に双子を生んだとして、ヒューストンの男性が元カノを提訴。
http://www.bioedge.org/index.php/bioethics/bioethics_article/9854#comments
NEJMに掲載のCDCの報告で、米国で薬の副作用により入院する成人99628人の3分の2は糖尿病の治療薬と血液の抗凝固薬の副作用によるもの。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/238287.php
武田製薬が2剤併用の糖尿病治療法で、FDAに認可申請。
http://www.medicalnewstoday.com/releases/238280.php
オーストラリアの野党の党首が「中学まではどの子も学校に行ける制度で良いが、それ以後はそれなりの子どもだけ進学して、それ以外は職業訓練を受けるのが望ましい」と受け取れる発言をして、論争になっている。:今日のエントリー(でちょっと触れた日本の誰かさんの教育改革と?)とどこかでつながっているような気がするイヤ~な話。
http://www.canberratimes.com.au/news/national/national/education/keep-only-the-right-kids-in-school-abbott/2374096.aspx?src=enews
「エロかっこいいい」みたいに……診断メーカー。:ツイッターで拾って親子3人の名前をやってみたら、涙が出るほど笑えた。私は「エロかしこい」けど苗字と名前の間をあけると「プチあさましい」。夫は「ブサいやらしい」けど間をあけると「ウザかっこいい」。娘は「エロおめでたい」けど間をあけると「ウザむさくるしい」んだって。あははは。
http://shindanmaker.com/170369
ケアラー連盟は、今日をもって「日本ケアラー連盟」という新たな名称の法人に生まれ変わりました。
【関連エントリー】
介護者の権利を守るための「ケアラーズ連盟」、6月7日に発足へ(2010/5/18)(その後、名称変更)
「ケアラー連盟結成宣言」(2010/7/6)
日本のケアラー実態調査(2011/6/14)
ケアラー連盟設立1周年記念フォーラムに参加しました(2011/7/1)
毎日、インターネット上に流れる情報の中から
自分に関するものをチェックしている……って、ご存知でした?
米国カンザス州のBrownback知事の「コミュニケーション担当」スタッフ、
Sherrinene Jones-Sonagさんは毎日ツイッターとフェイスブックで流れる情報から
知事の名前を含むものををチェックしているんだとか。
そのカンザスでの出来事――。
11月21日、
子ども達に州政治について学んでもらおうという趣旨のプログラム
the Youth in Governmentに参加して4年目になるEmma Sullivanさん(18)は
いくつかの高校の生徒たちと一緒にトピカの州庁見学ツアーに参加した。
そして、知事の挨拶を黙って聞きながら、
「Brownback知事に酷いことを言うたった。
アンタなんかダメよって面と向かって言ってやったわよ」と
ツイッターで無邪気なホラを吹いた。
そして、もちろん、そのツイートは知事名を含むため、
「コミュニケーション担当」Jones-Sontagさんのアンテナに引っかかる。
「あのツイートには敬意というものがありませんでした。
ほんとうに建設的な対話をもつためには相互に敬意がなければ」と、
Jones-Sontagさんは見学ツアーを企画した the Youth in Governmentに連絡。
「だって生徒たちがツアーについてどんなコメントをしているか
企画した組織がちゃんと把握していることは重要だし、
生徒にしても、こうしたメディアの影響力をちゃんと知っていなければ。
インターネットにあれば、その影響力は続くんですから」
それを受けてThe Youth in Governmentは即座に高校に連絡。
Sullivanさんによると、
彼女は校長室に呼ばれ、約1時間に渡って叱責された。
学校と地域に「恥をかかせた」ので知事室との「関係修復」が必要だと言われ、
校長が示した要点を盛り込んで知事室に謝罪の手紙を書くよう迫られているとのこと。
メディアの取材に校長は
「(生徒の懲罰は)校内の問題で私的な問題。公的な問題ではないので」ノー・コメント。
なんの考えもなく、しょーもないツイートを流したSullivanさんは
「流したことは後悔してない。だって誰も傷つけてないじゃん。
知事が言ったことを実際に批判したわけでもないし」
「あたしたち、みんなリベラルだから、知事の考えの大半には反対なわけ。
たかが18歳だって、ちゃんと自分の信念はあるわ。知事の信ずるところだって分かってるし、
そこが相いれないんだから、それは何があったって変わらないわよ」
さも、いっぱしのことを口走ってみせるが、
来年度アーカンソー大学に入学予定の受験生としては
高校からの内申書に余計なことを書かれずに済むためなら、
謝罪文は書いたっていいと思っているんだそうな。
Teen’s joking tweet on Topeka trip creates a capital fracas
Kansas City Star, November 23, 2011
ウィチタ大で政治家学を専攻する大学生の19歳の姉が、
「自由に意見を述べろと言われても、これでは子どもはそんな気になれない」と言うほど
中身のあるツイートじゃないだろ、調子に乗んな、こら……とは思うけれど、
「こんなにチッコイことに時間と税金を無駄遣いして大騒ぎするのは
知事にとっても学校にとっても逆に恥ずかしいことだと思う」と
姉が言っているのは、ピンポン。
「知事が女子高生に面と向かって罵倒された」という事実無根の情報が
ネットで独り歩きするのが怖かったんだろうけれど、
実際にそれが拡散されたとか大騒ぎになったというわけでもないのに
その程度のデマがネットで流れることに神経をとがらせて反応する知事室スタッフって……?
その操作性の背景にある幼児性に目を向けると、
「恥ずかしい」というより、それは、いっそ「恐ろしい」。
権力を我が手に握った喜悦を節操もなくダダ漏れに、
涎でも垂らした3歳児みたいな政治家の破顔一笑を
自分の国で見てしまった直後だけに、
「オトナの顔をしたコドモの政治家」が
なおさら生々しく、恐ろしい。
そういう人は、
オトナの顔をした冷たく汚いオトナだった「コイズミ劇場」の仕掛け人とは
また一味違うんではないか、という気がする。
オトナの顔をしたコドモは恐ろしい。
コドモは自分の思い通りにならないことがあったら暴れる。
ほんものの子どもは暴れたって大した力をもたないけれど、
オトナの顔をしたコドモが気に入らないことに暴れると犠牲者が出る。
オトナの顔をしたコドモは自分の力を確認し安定するために
常に他者をコントロールしていなければ気が済まないから、
たまたま他者コントロールの手段というオモチャを手にすると、
たちまちコドモらしい全能感の虜になってコントロールをエスカレートさせていく。
監視し、操作し、干渉し、コントロールする。
そして世の中がまた虐待的な親やDV夫のような場所になっていく……。
【監視社会関連エントリー】
従業員をパソコンで監視・管理する世界へ(2008/2/12)
スパイウエアで子どもを監視しようって?(2008/3/17)
英国
中学の成績が一生データベースに?(2008/2/13)
国民DNAデータベースめぐり論争再燃(2008/2/24)
国民の電話とEメールの全記録を国が管理って?(2008/5/24)
NHSの患者データから研究者が治験参加者を一本釣り?(2008/11/18)
「無実の人のDNAサンプル保管は人権侵害」と欧州人権裁判所(2008/12/6)
情報で国民を監視・管理する社会へ(英)(2009/1/11)
100万人以上の子どものDNA情報が国のデータベースに(英)(2009/2/27)
「英国政府のデータベース4分の1は人権侵害」と報告書(2009/3/24)
国民データベース諦めて、代わりに「ネットと電話利用歴みんな残せ」と英国政府(2009/4/28)
DNAサンプル目的で何でも逮捕、既に黒人の4分の3がデータベースに(2009/11/24)
米国
米国でも逮捕時採取のDNAサンプルを保管してデータベースに(2009/4/20)
米国でも犯罪者のDNAサンプル廃棄進まず(2009/6/10)
教育委員会が生徒にパソコンを配り、カメラでこっそり遠隔監視?(2010/2/22)
http://www2f.biglobe.ne.jp/~boke/dementiayoko2010.pdf
【三宅貴夫医師からの引用を含むエントリー】
英国著名哲学者、認知症患者に「死ぬ義務」(2008/9/29)
意思決定が出来にくい患者の医療決定について、もうちょっと(2009/9/3)
リスクの“リ”の字もなく“黄金時代”に沸くワクチン開発記事(2009/11/19)
日本の成年後見人制度は国連障害者人権条約に抵触(2010/9/2)
遺伝子組み換えをされた動物は病気になりやすい。そういう動物を自然界に放つには、制御不能な増え方をして自然のままの動物を駆逐していくことがないようにする工夫が大前提、と科学者。:この前「もうダマ」の遺伝子組み換え技術に関する章を読んで、いくつか疑問に思ったことを思い出した。そのうちの1つが、GM技術に対する不安とか懸念をいうのは科学の分かっていない素人だけで、科学者の中からは出ていないのかなぁ、ということ。もう1つは、科学者や専門家の専門性とか学者的良心(?)が、それから行政も、今のグローバル経済や肥大化する利権と全く独立・中立に機能できるんだろうか? 遺伝子組み換えで書かれている同じことが、例えば向精神薬やワクチン、その他の予防医学で起こっていることについても言えるんだろうか。他にも、米にワクチンを仕込もうという操作的な発想そのものを疑わなくていいのか、みたいなこととか、いくつかあったんだけど自分の理解にもイマイチ自信がないから、もう一回読んで整理してみようと思って、そのままになっている。
http://www.medicalnewstoday.com/releases/238071.php
クルーグマン先生が「1%じゃない。本当は0.1%だ」とNYTで。
We Are the 99.9%:The 99 percent slogan is great, but it actually aims too low. A big chunk of the top 1 percent’s gains has gone to an even smaller group, the top 0.1%.
施設での高齢者ケアのお粗末について指摘したらしいのだけど、
今度は1200人の高齢者と友人、家族に在宅ケア体験について調査するなどしたところ、
半数は現在の在宅ケアに満足していると答えたものの、
地方自治体からの委託事業者から派遣されるヘルパーによる
身体的、精神的、経済的虐待など人権侵害の実態が明らかに。
食事も水分も十分に与えられなかったり、
排泄に失敗して汚した衣類や寝具のままで翌日まで放置されていたり、
素っ裸にしたまま清拭する、酷い言葉を投げつける、金銭を盗む、など。
例えば、飲食の介助が十分に行われていないことの内には
① 自治体によって15分とか30分しかヘルパー派遣を認めないために
食事を作っても介助する時間がなく、
自分で食べられない人の目の前に食事を置いたまま去っていく。
② 「健康と安全のため」のルールの機械的運用で、
a. 不自由な高齢者がキッチンまで移動して自分でレンジで温めるのを
ヘルパーは立って見ている。
b. 認知症の高齢者に「食事は冷蔵庫に入れておきました」と言って
帰っていくので、言われた方は忘れて食べられないでいる。
③ できた食事を、わざと手の届かないところに置いたり、
視覚障害にある人に食事ある場所を教えないなどのイジメをする、など悪質なものも。
要因としては、
政府の緊縮方針で各自治体ともソーシャル・ケア予算をカットしているため
ケア支給時間が減っていること、
もともとヘルパーは最低賃金程度で雇われており
十分な研修も行われていない、
地方自治体による事業所の監督が不十分、
英国社会全体に高齢者に対する差別意識がある、など。
(「座ってて」と言う代わりに乱暴に身体を突いて椅子に押し戻す、
トイレに行きたいと訴えると「うるさい。今新聞を読んでるのに」と返す、など)
コミッションの報告書は「制度的欠陥がある」とし、改善を求めている。
報告書を受け、
政府は早速に在宅ケアの事業所への監査を命じたとのこと。
ただ問題として指摘されていることとして、
高齢者虐待防止法の対象となる介護職員による虐待は
入所施設でのものに限定されており、
在宅ケアにおける介護職員の虐待は対象になっていない、とも。
http://www.guardian.co.uk/society/2011/nov/23/elderly-care-failures-human-rights?CMP=EMCNEWEML1355
http://www.guardian.co.uk/society/2011/nov/23/plight-older-people-home-care
http://www.telegraph.co.uk/health/elderhealth/8910296/A-catalogue-of-neglect.html
http://www.independent.co.uk/life-style/health-and-families/health-news/scandal-of-elderly-facing-abuse-and-neglect-in-own-homes-6266363.html
いつのまにか「子宮頸がんワクチン」→「子宮頸がん予防ワクチン」と
名称を進化させていくHPVワクチンですが、
英国では「性器イボ予防ワクチン」なる別名もゲット?
余りにもエゲツナイ売り込み戦略が警戒感を煽って
ガーダシルが思ったほどに売れず敗北を喫したメルクが
CDCの前センター長をワクチン責任者に天下りさせるなど、
陣容を立て直して巻き返しを図っているのかなぁ……と思っていたら、
これまでガーダシルは高価であるとか副作用リスクが大きいとされて
08年からサーバリクスを使っていた英国でも、俄かに形勢が逆転。
来年度からガーダシルに転換し、
学校で12歳から13歳の女児全員に無料接種するそうな。
サーバリクスは2価で子宮頸がんの原因となるHPV2種類にしか効かないけど、
ガーダシルは4価で子宮頸がんだけでなくて性器イボも予防するから、コスト効率がよい、との判断。
オーストラリアから新しいデータが出て来て、
ガーダシルにサーバリクスと同じ子宮頸がん予防効果があり、
同時に男女児いずれにも性器イボ予防効果があったとのエビデンスに基づいた
中立の諮問機関 the Joint Committee on Vaccination の提言を受け、
英国政府が決定したもの。
現在、12歳と13歳の女児の77%、14歳と15歳の84%が
自発的に3回のサーバリスク接種を受けており、
これは世界でも最も高い接種率だとのこと。
ここでガーダシルに転換すれば、
20年以内に異性愛者の性器イボは根絶できる、と専門家は歓迎。
記事でコメントしているのは
政府のワクチン関係者、性病HIV学会関係者、
エイズ関連チャリティ関係者、それから英国医師会関係者。
みんな大歓迎・大絶賛――
Genital warts vaccination to be offered to schoolgirls
The Guardian, November 24, 2011
「20年で異性愛者の性器イボが根絶できる」ガーダシルには、 11月17日の補遺で拾ったところでは
「男性同性愛者の肛門上皮内腫瘍も予防」というデータも出てきているし、
米国では以下のようなニュースもあったばかりだし ↓
HPVワクチン、男児にも定期接種が望ましい、とCDC(2011/10/26)
上記記事にあるオーストラリアのデータでは「男女児とも」
性器イボ予防効果があったとのことだし、
英国で「男児にもガーダシルを」という話になるのも時間の問題……でしょうか。
genital warts、なんのころやら良く分からなかったし、
そもそも私はこのワクチンそのものがこんなに怪しげな問題になるなんて
夢にも思っていなかったので(それをいえばゲイツ財団だってそうなんだけど)
genital wartsのことは、これまでお気楽に「性器イボ」と訳してきましたが、
17日の補遺の記事にあった「上皮内腫瘍」というのが日本語の定訳なのかな。
えらく印象が違うな……。
今日のGuardianの記事では
「みんな、まずはgenital wartsができることから始まるんだ」と
いかにも前がん状態のように匂わせている人もいるので、
気になって、ちょっと検索してみた。
尖圭コンジローマ または 性器疣贅(どう読むのか分かりません)というらしい。
当のメルク社の解説があったので、訳がちょっと変だけど、こちらに ↓
http://merckmanual.jp/mmpej/print/sec14/ch194/ch194d.html
比べ物にならないくらい、もっとグーグルの訳はヘンだけど、こんなものも出てきた。
ガーダシル接種によって逆に性器イボができちゃったケースがこんなにも報告されているらしい ↓
http://web177.net/index.php?VAERS%20Gardasil%20%28Genital%20warts%29
もっとも、上記サイトは非常に偏っているところなので、
その点は予めお断りしておきますが、
ただ、ガーダシル接種によって「尖圭コンジローマ」ができる可能性は
日本でも、当ブログがたまたま読んだ厚労省の部会で指摘されている。
その可能性だけではなく、
そうなった時にワクチンを打ったことの証明が残らないじゃないか、と
制度上の大問題が指摘されたにもかかわらず、
「この部会で議論することではありません。ほかにどうぞ」と
スル―されて終わっている。
詳細はこちらに ↓
日本でもガーダシル導入へ、厚労省当該部会の議論の怪 1(2011/8/5)
日本でもガーダシル導入へ、厚労省当該部会の議論の怪 2(2011/8/5)
HPVワクチンについてのこれまでのエントリーは
上にリンクした10月26日の米国CDCが男児にも推奨とのエントリーにだいたいあります。
http://www.nytimes.com/2011/11/23/business/merck-agrees-to-pay-950-million-in-vioxx-case.html?_r=2&nl=todaysheadlines&emc=tha25
マーケッティングだから被験者が死んでもスル―される「タネまき治験」(2011/8/12)
カナダ王立協会の自殺幇助合法化提言に対して、医療倫理の専門家から「安楽死合法化マニフェスト」「表面だけ取り繕った安楽死と自殺幇助プロパガンダ」との批判。
http://www.catholicregister.org/news/canada/item/13396-royal-society-of-canadas-assisted-suicide-report-disputed
南アの科学者Sean DavisonがNZで母親の自殺幇助で起訴されていた事件で、裁判所は5カ月の自宅謹慎。:2010年12月23日の補遺などで拾った事件。自殺幇助は違法行為とはいえ、ごく微罪なものとされていく。
http://www.bbc.co.uk/news/world-asia-15866983
英国の平等と人権コミッションから高齢者の在宅ケアに関して、スキャンダラスなほど劣悪なケア実態の報告書。
http://www.guardian.co.uk/society/2011/nov/23/elderly-care-failures-human-rights?CMP=EMCNEWEML1355
http://www.telegraph.co.uk/health/elderhealth/8910296/A-catalogue-of-neglect.html
http://www.independent.co.uk/life-style/health-and-families/health-news/scandal-of-elderly-facing-abuse-and-neglect-in-own-homes-6266363.html
http://www.guardian.co.uk/society/2011/nov/23/plight-older-people-home-care
http://www.independent.co.uk/opinion/letters/letters-good-home-care-costs-money-6266955.html
障害のある子どもを育ててきた親の方が子どもに介護してもらう時。
http://www.guardian.co.uk/publicservicesawards/when-roles-are-reversed?newsfeed=true
現在の米国のナーシングホームの点数評価制度では、特に認知症の優れたケアをやっている施設が評価されにくい。
http://www.medicalnewstoday.com/releases/238060.php
アルツハイマー病の母親を介護について書こうとして、ミステリーでしか書けなかったという英国の作家 Alice LaPlante。 作品は“Turn of Mind”.
http://www.guardian.co.uk/books/2011/nov/22/alice-laplante-alzheimers-turn-of-mind?CMP=EMCNEWEML1355
在宅介護の高齢者は入院や入所の高齢者よりも服薬ミスが起きやすい。
http://www.medicalnewstoday.com/releases/238034.php
09年に以下のエントリーで取り上げた「23年間も“植物状態”とされた男性」、ベルギーのHoubenさんのケースがドイツのメディアで話題になったとかで、Guardianが改めて取り上げている。
http://www.guardian.co.uk/world/2009/nov/23/man-trapped-coma-23-years?CMP=EMCNEWEML1355
【Houbenさん関連エントリー】
23年間“植物状態”とされた男性が「叫んでいたのに」(ベルギー)(2009/11/24)
「なぜロックトイン症候群が植物状態と誤診されてしまうのか」を語るリハ医(2009/11/25)
【09年当時のGuardianの関連記事】
http://www.guardian.co.uk/science/2009/nov/24/locked-in-syndrome-belgium-research?intcmp=239
http://www.guardian.co.uk/world/2009/nov/24/rom-houben-coma-doctor-mother?intcmp=239
http://www.guardian.co.uk/world/2009/nov/24/falsely-diagnosed-coma-rom-houben?intcmp=239
アーミッシュの分裂で、ヘイトクライムの逮捕者。:ちょっと、びっくりした。でも、その「暴行」とは「無理やり髭とか髪を切った」というもの。
http://www.guardian.co.uk/world/2011/nov/23/amish-arrested-haircut-attacks
Anesthesia & Analgesiaの同じ号に掲載された論説。
Donation After Cardiac Death and the Anesthesiologist
Anesthesia-analogesia, May 2010, Volume 110, Number 5
まず、米国のみならず国際的にも
DCDが推奨されている動向を解説する最初の部分で
the rather shameful lack of donors in the United States 、
ドナー不足を「shameful 恥ずべき」と形容していることから想像されるように
この論説の著者は米国に多々見かける「臓器不足解消が何よりも大切」論者の一人と思われます。
それでなのか、どうか、この論説、私には
元論文の趣旨が部分的に捻じ曲げられているようにも思えるのですが、
前半の論旨は概ね、以下のような感じ。
脳死概念には医療職の抵抗感は薄れてきたにもかかわらず、いまだ移植臓器を必要とする人に十分に臓器がいきわたらず、臓器を待ちながら死んでいく人が毎日19人もいるという「恥ずべき」臓器不足がある。
その解消に向け、米国保健省は以下の3つの方針を打ち出している。生体ドナーの増加。ドナー要件の緩和(例えば肝臓グラフトのための生体ドナーの対象年齢引き上げ)。DCDドナーの利用増加。
自立、平等、功利(autonomy, equity, utility)という倫理基準のバランスを考えると、これら3つはそれぞれに倫理的なグレー・ゾーンを含み、特にDCDはこれらのバランスを功利の側に傾斜させるが、国際的な移植医療界も米国医学院も米国集中治療学会もDCDの推進の方向性で一致している。(従って「グレー・ゾーン」は問題にならない?)
にもかかわらず、DCDが今だ臓器不足を解消するだけ普及しない理由の一つには医療職がDCDのプロセスに心理的抵抗を感じているということがある。(グレー・ゾーンの倫理問題ゆえにではなく?)
Auyongらのこの度の論文が反映しているのも、こうした医療職のDCDに対する違和感である。
Auyongらの論文で報告された症例の脳波の変化は、脳の活動が全面停止していないからドナーは脳死と診断されていないわけだから、それを考えれば、とりたてて驚くような現象ではないが、
ICUでの使用が継続する形で麻酔薬や睡眠薬がDCDのプロセスの間にも使われているケースも報告されてはおり、
その点は死を早める薬物の使用が禁じられたDCDプロトコルの間で整理が必要。そのためにも治療停止の際の脳機能のメカニズムについて更なる研究を、というのが著者らの指摘であろう。
なにやら私の耳には次のように聞こえる。
「もともと脳死と診断されていない患者なんだから
脳波に変動があったって騒ぐようなことじゃないのに、
こんな症例報告を書いて問題にされること自体が
医療職がDCDを受け入れられていない証拠。
著者らはDCDでは麻酔薬の使用は禁忌になっていると言うが
実際には使われているのだし、その辺りを整理して
「良質なドナー・ケア」をすることでその抵抗感が薄れるなら
DCDの推進をうたう各種機関の提言にも沿っていることなんだから、やれば?」
実際、この後、この論説の著者は例えば、以下の一文に見られるように、
……review of DCD cases with all personnel involved at the local level is critical for the quality of donor care for addressing the emotional concerns of the involved medical staff.
ドナーへのケアの目的を
「医療職が感じているDCDに対する抵抗」の解消という文脈に
無理やり(?)落し込んでしまっているような印象。
元論文の著者らが求めている「さらなる研究」の必要についても、同様に、
患者の意識状態を解明するためでも患者の苦痛を軽減する麻酔薬使用の基準を作るためでもなく、
例えばDCDドナーの2割は治療中止から1時間以内に死なず、
DCDドナー候補にしてみたものの実際に臓器が取れないケースがあるなど
DCDには未解明のことが多いのが医療職の違和感に繋がっているなら
(The unknown in DCD make us uncomfortable on many fronts)
DCDのプロセスで起こっていることが解明されれば
「不必要な介入を受けつつドナーにならない」候補の軽減につながり、
ひいては医療職のDCDに対する精神的な受け入れを促進するから、望ましい……と言っているのでは?
結論が非常に興味深くて、
For the moment, we are left in difficult ethical position of balancing the best possible end-of-life care (duty to the donor) with the optimal organ donation outcome for the good of several other patients. It will never be a comfortable position, but more knowledge about the dying process can only help us improve the necessary and important care of DCD donors.
最善の終末期医療を行うという(一人の)ドナーへの義務と、(複数の他の患者の利益となる)臓器提供の効果を最大に挙げることとの間のバランスがcomfortable(違和感・抵抗を感じない)になることはありえないが、死のプロセスをもっと理解する以外にDCDドナーへの「必要かつ重要なケア」を改善できる方法もない。
ドナーに対する医師としての義務を考えていたら倫理的なバランスなんて、あるわけないけどさ、そこは、
1人のドナーへの義務と複数の患者への利益のバランスというものを考えなさいよ。
あんたたちの心理的負担の軽減のためにドナー・ケアが「必要かつ重要」だというのは
一応は分かるからさ、そのために死のプロセスを解明するといわれたら、そりゃ、まあ、やったら?
で、この人、結論へ向かう直前に、さりげなく、
「ドナーに最善の終末期医療を行う」ことを保障するために、と言いながら
その倫理バランスをちぎってドブにでも棄てるような乱暴なことを提言してみせる。
ICUでそのドナー候補の患者を担当していて
家族とも既に面識もある終末期医療の専門医が、
(緩和ケア医なら麻酔の扱いだって分かっているわけだし)
そのまま手術室に同道して、その後のプロセスにも関われば
Auyongらが報告しているようなことも起こらなくなるのだから、
それをDCDのプロトコルにすればよい、と。
だって、麻酔科医とか麻酔の扱いの分かった同じ医師が
集中治療や終末期医療からDCDの臓器摘出までずっと関わってれば
治療停止やメスが入った時に脳波が跳ね上がるなんてことはちゃんと防いでくれるから、
死んでない人を臓器のために殺すみたいに感じて気分が悪い人がいなくなるじゃん?
そしたらみんながDCDをじゃんじゃんやるようになって臓器不足も解消できるから、いいじゃん?
【DCD関連エントリー】
心臓を停止から75秒で摘出・移植しているDenver子ども病院(2008/10/14)
Navarro事件の移植医に無罪:いよいよ「死亡提供ルール」撤廃へ? (2008/12/19)
森岡正博氏の「臓器移植法A案可決 先進国に見る荒廃」(2009/6/27)
「脳死でなくても心停止から2分で摘出準備開始」のDCDを、ERで試験的に解禁(米)(2010/3/17)
臓器提供は安楽死の次には“無益な治療”論と繋がる……?(2010/5/9)
Robert Truog「心臓死後臓器提供DCDの倫理問題」講演ビデオ(2009)(2010/12/20)
ベルギーの「安楽死後臓器提供」、やっぱり「無益な治療」論がチラついている?(2011/2/7)
Savulescuらが、今度はICUにおける一方的な「無益な治療」停止の正当化(2011/2/9)
「1つの流れに繋がっていく移植医療、死の自己決定と“無益な治療”」を書きました(2011/5/14)
WHOが「人為的DCDによる臓器提供を検討しよう」と(2011/7/19)
UNOSが「心臓は動いていても“循環死後提供”で」「脊損やALSの人は特定ドナー候補に」(2011/9/26)
―――――
ついでに、この論説からメモ。
Wisconsin大学のグループが
どういう患者だったらDCD候補にして無事に臓器摘出に至らしめられるか
その見分け方のツールを開発したそうな。
Wisconsin大学といえば
当ブログが注目してきたチョー過激な倫理学者 Norman Fost のお膝元。
Fostは「今でも脳死者は死んでいないんだから、
生きている間から採ったってかまわないことにしよう」と
死亡者提供ルールの撤廃を説いている一人。
【関連エントリー】
臓器移植で「死亡提供者ルール」廃止せよと(2008/3/11)
ある方から、以下の症例報告の論文をいただきました。掲載は去年5月、麻酔学の専門誌。
Processed Electroencephalogram During Donation After Cardiac Death
Anesth Analog 2010;110:1428-32
私は素人なので、
もしも間違っていたらどなたかご教示いただきたいのですが、
もともと脳波というものが微弱な電流であるために、その測定には
筋電図や心電図や眼球運動などの影響を受けやすいという問題があるが、
BISモニターが登場したことによって、そうしたノイズやアーティファクトといわれるものを
除外し記録することができるようになった、
論文タイトルにあるProcessed EEG というのは、従って、
このBISモニターで測定した脳波のことである……というのが、
論文を読んで、あれこれ検索してみてのspitzibaraの推理。
BISについては詳しい説明がこちらに ↓
http://www.maruishi-pharm.co.jp/med/libraries_ane/anet/pdf/37/37spe_1.pdf#search=%27BIS%20%E9%BA%BB%E9%85%94%27
この論文では3つのケースが報告されており、
それらのうち2例はDCDを前提にドナー候補の患者を手術室に運び、
そこで生命維持装置を取り外すという手順を経たもの。
それぞれの詳細なデータが報告されていますが、
エントリーに含めるために専門用語をいちいち確認するのが面倒だし、
私たち素人が理解するのにさして重要とも思えないので、ここでは省略しています。
読み間違いがあるかもしれませんので、お気づきの方があったら、ご教示お願いいたします。
この論文が述べていることは概ね以下と思われます。
あるDCDケースで、生命維持を中止した直後に脳波に大きな変動が見られた。
人口呼吸器装置取り外し後5分間で1だったBISの数値が92まで上がり、
30分間は85から95の間を維持(100~90は覚醒状態)。
同じく5分後に上がった心拍数がゼロに向けて低下するにつれて
BISも4にまで下がっていったという。
これは、通常、軽い麻酔をかけた場合に起こる変化だとされている。
そこで、再現されるかどうかを確認するために、
麻酔も睡眠薬も使用しないで生命維持中止を行う2人にBISモニターを装着してみたところ、
生命維持装置取り外し直後に、最初のケースと同様の大きな変化が出現した。
(2例目はDCDドナー候補、3例目は高齢でドナー対象外)
筋電図、心電図には変化がない状態で脳波だけが変化するケースもあった。
いずれの患者も脳死ではなかった。またいずれの患者も脳波が大きく変動している間に、
自発呼吸はもちろん身体がわずかでも動くということもなかった。
この現象をどのように考えるべきなのだろうか。
死を早める可能性があるためDCDプロトコルでは緩和薬の使用は認められないが
その一方、倫理的、道徳的な意味合いから、
死にゆく患者の苦痛を取り除くための介入は医師の判断で認められており、
DCDであるか否かを問わず、そのためには睡眠薬、麻酔薬の使用が適切ではないか。
この倫理問題を議論するためには、
終末期の患者の脳波の変動について、もっと研究がおこなわれ、
患者が死に至る過程についての理解を進めて
適切な対応が検討されなければならない。
(最初のケースで麻酔が使用されたとの記述はありません。
麻酔と関連するとされている変動だったので、再現性を確認するために、
さらに2つのケースでもBISを測定してみた、ということのようです)
3人のBISグラフが掲載されており、
いずれも生命維持停止直後に「跳ね上がっている」ことがはっきりと見て取れます。
上記リンクから、ぜひご確認ください。
読んで、ものすごく引っかかるのは
著者らはごく慎重に、心拍数との関連やノイズの影響の可能性に言及しているものの
言いたいことはどうやら「このBIS変動がいくらかでも意識がある可能性を意味するなら
DCDドナーの生命維持引き上げの際にも麻酔薬、睡眠薬を使用することが
道徳的・倫理的なのではないか」ということのように思われるのだけれど、
そもそもDCDプロトコルそのものに
「DCDドナーは本当に死んでいるのか」という倫理問題が議論されていることを考えたら
呼吸器取り外しで脳波が跳ね上がった……で問われるべきは
「DCDプロトコルそのものの倫理性」ではないの?
なんで「だからDCDドナーには苦しまないように麻酔を」になるの?
……と思ったら、
上記論文と一緒にいただいた論説にはもっとエゲツナイことが書かれていた。
こちらについては、次のエントリーで。
なお、この論文が取り上げている
終末期医療と臓器摘出との間にある倫理問題の相克についても、
臓器摘出の際の麻酔薬・沈静薬使用の問題についても、こちらの本に詳しい ↓
「脳死・臓器移植Q&A50 ドナーの立場からいのちを考える」メモ 1(2011/11/3)
「脳死・臓器移植Q&A50 ドナーの立場からいのちを考える」メモ 2(2011/11/3)
http://honnohon.blog137.fc2.com/blog-entry-323.html
http://honnohon.blog137.fc2.com/blog-entry-318.html
イラクのバスラで、イギリス人兵士と恋をしたと腹を立て、17歳の娘Rand Abdel-Qadarを窒息・刺殺した父親が一度は連行されたものの警察は2時間後に彼の行いを称えて釈放。「警官は男だからね。名誉のなんたるかを分かっているさ」と父親。
http://www.guardian.co.uk/world/2008/may/11/iraq.humanrights?CMP=EMCNEWEML1355
【関連エントリー】
ナイジェリアの子どもたちの悲惨(2007/12/14)
子どもたちがこんなにも不幸な時代(2008/5/30)
アルビノは呪われていると殺害(タンザニア)(2008/4/4)
若者の3人に1人が「女への暴行なんか大したことじゃない」(豪)(2008/11/19)
“魔女狩り”で大人に虐待される子どもたち(2008/11/27)
「男の子と話をした」と家族会議にかけられ生き埋めにされた16歳の少女(トルコ)(2010/2/6)
2010年12月10日の補遺(アフガニスタンでの名誉殺人について)
日本語記事。映画の中だけではない…韓国で静かに起こる“障害者への集団性的暴行”(2):これもまた、上の話題と繋がっていくのだと思う。
http://japanese.joins.com/article/788/145788.html?servcode=400§code=430
日本語記事。バフェット氏、来日。:バフェット氏はビル・ゲイツとゲイツ財団を通じて一蓮托生(これはちょっと表現として違うか)だから、ここ数年、特に今年に入ってゲイツ財団が日本への影響力に力を入れてきていることと無関係ではないと思う。
http://japanese.joins.com/article/783/145783.html?servcode=300§code=300
日本。ヘルパーさん来る時間を減らさないで 99歳 厚労省に訴え 介護保険改悪案 撤回求める
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-11-10/2011111004_02_1.html
日本語。重症のうつ病 電気けいれん療法で70%~80%の治療効果あり。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20111118-00000009-pseven-soci
DBSうつ病応用へ(2008/5/28)
「12-18歳全員に定期的うつ病スクリーニングを」と専門家が提言(米)(2009/6/3)
「強迫性障害、うつ病、肥満にも」DBSなど“実験的脳手術”(2009/11/29)
「現代思想2月号 特集 うつ病新論」を読む 3:社会と医療の変容と「バイオ化」(2011/2/23)
一つだけ、もしかしたら
アシュリーやミュウが重症身障害児・者の幅広いグラデーションの中では
むしろ「軽い」方に類するから、という面はあるかもしれないのだけれど、
重症障害児・者の「意識」について書かれていることの中に、
親としては、ちょっともどかしい気分になるところがある。
それは例えば、
20日のエントリーで、トリソミー13の子どもの意識状態について
倫理委からの問い合わせを受けた遺伝学の専門家の
「言葉を話したとか、親が『この子は分かっている』というのは聞くが、
それが事実かどうかは自分にはわからない」という応えを読んだ時に感じる、
隔たりと、もどかしさのようなもの。
もちろん著者はこの人のように「事実かどうか自分にはわからない」と突き放してはいないし、
著者なりの分かり方で誠実に分かろうとしている。
「どうせ何も分からない」「赤ちゃんと同じ」と決めつける人たちの対極にいるという意味では
高谷氏はもちろん私たち親と同じ側にいる。
それでも、私たち重症心身障害のある子どもを持った親が
「この子は分かっている。あなたや私と同じ分かり方ではないかもしれないけれど、
この子なりの分かり方で分かっている」という言い方をする時に、
親の言う「この子なりの分かり方」と、
著者のいう「内在意識」と「関係的存在」の間にある「分かり方」とには
なお隔たりがあるような気がする。
その隔たり感をなんとか言葉で捕まえたいと、あがいているうちに、
このエントリーを書くまでにずいぶん時間が経ってしまった。
今だにそれを説明する言葉を獲得できないことが、さらにもどかしい。
とりあえず、
その隔たりは、もしかしたら、
医療の中から生活を見ている人と、
生活の中に共にどっぷり浸かっている者の隔たりなのだろうか……と考えてみる。
実際に自分の身体でその子(人)を直接ケアすることを通じて、
あるいは一定の期間その子(人)と生活を共にすることによってしか、
つまりは頭や理屈ではなく自分の身体で納得するしか知りようのないこと……というものが
世の中にはある、ということなのかもしれない。
重症児・者の「わかっている」というのは、
そういう類いのことなのかもしれない。
そんなことをぐるぐるしながら、、
「重い障害を生きるということ」や「痴呆を生きるということ」で書いてもらえること、
「逝かない身体」でしか書けないこと……ということを考えている。
「説明できること」と「描くしかできないこと」……について。
その辺りのことは、
この本からもらった宿題として考え続けてみたい。
重い障害のある人、認知症の人の生を
「生きているのがかわいそう」だといい「自分がそうなったら死んだ方がマシ」と言っては
価値なきもの、「社会の負担」として切り捨てようとする包囲網が
じわじわと世界のあちこちから狭められてきている。
そして、それにつれて世の中が寛容や品性を失い
どんどん殺伐とした冷酷な場所になっていく。
包囲網が狭まる速度は、
このブログでニュースを拾ってみるだけでも日々加速していて、
ヤキモキ、ジリジリしてしまうほどだ。
この本を読んだ直後に、某所で高谷氏の言葉に触れた。
その一節に書かれていたのは「思想的対決が必要」――。
その対決では、専門家にしか言えないこともある。
当事者や家族にしか言えないことだってあるはずだ。
だから、
私も共に闘う。
私はここで、このブログで――。
そう心に念じ、武者震いした、
「重い障害を生きるということ」と真摯に向かい合おうとする医師との出会い――。
この本を読みながら重い障害のある子どもをもつ身として非常に強く感じるのは
「こんな医師もいたんだぁ……」という率直な驚き。この感想はミュウの父親も全く同じだという。
著者は若い頃に全障研に参加し、「医療に対する怨嗟の声」をたくさん聞かされたという。
そして、その中から学ぶうち、それらを「恨み節」ではなく
医療に対する「ラブコール」として受け止めるようになったとも書いている。
著者はそうした「ラブコール」から以下のような気付きを得ていく。
……障害のある人にとっては、医療というのは病気を治したり障害を軽くするために存在するのではなく、本人から生活を奪う存在になっているのではないか、ときには人権を侵害しているとの実感をもった。
(p.19)
医療は、発熱や下痢などの「症状」の「改善」をおこない、その原因である「病気」を「治療」する。しかし本人が生活するのに困っている脳性まひや自閉症などの「障害」について、あるいは障害がある人の「健康増進」「障害の改善」や「成長・発達の問題」については何もなし得ていない。実際には医療の専門家でない保育者や教師などによって「障害」の「改善」「軽減」、「健康」などの努力がなされている。その家族や保育者などの取り組みに対して医師が、「外出すると感染症に侵される」「健康を害する」「てんかん発作を誘発する」など「健康管理」の名目で生活を制限し、その結果「健康増進」が妨げられるということがおこっている。
(p.21)
まさに私自身を含めて多くの当事者や家族が医療に対して訴え続けてきたことだと思うし、次の下りも然り。
……医療は医師など医療従事者と患者(障害者・家族)とが向きあって「治療」がなされているが、これでは治す者と治される者の関係だけということになってしまう。そうではなく「病気」あるいは「障害」を対象にして、医療従事者と患者が横に並んで協力しながらとりくんでいくというのが医療のあり方ではないかと強く思った。
(p.24)
私も偶然、4月に全く同じ表現で同じことを書いている ↓
所長、保護者と対峙するのではなく横に並んで共に考えてください、という訴えを受け止めてくれる人と、私はいつまで出会うことができるのでしょうか。
所長室の灰皿(2011/4/20)
実際、この「所長室の灰皿」や冒頭にリンクした10月のエントリーなどでも書いたように、
私たち親子はそれなりに出会いに恵まれてきた方だと思うのだけど、それでも、
高谷氏が重い障害のある子ども達に向けるまなざしの深さには
夫婦ともに、はるかに「並みじゃない」ものを感じる。
それを最も痛感するのは
施設に入園したばかりの重い障害のある子ども達がいきなり親と引き離されて
わずかの間に体調を崩し、死んでしまうケースを紹介・考察する個所。
こういうケースがあることは私も娘の施設でも他の施設に見学に行った際にも聞いたことがある。
その教訓から、初めて親と離れて入所する際には徐々に慣れていけるように
親の宿泊施設を作ったという話も、よく聞く。
ただ、そうした際に、
子ども達がそういう状況で急死する理由について言われるのは
「親と同じだけの丁寧なケアが、その子についてまだ不慣れな施設ではできなかった」とか
「親の介助でないと食べようとしなかった」とか、せいぜい漠然と
「親といきなり離されたら、こういう子は不安定になるもの」という辺りのことだった。
そのことについて、ここまで深く考えてくれる人には出会ったことがない。
子どもたちは、どんなに恐怖があったことであろう。それまで家族と離れたことがなく、それがまったく理由がわからぬまま遠い場所に来て、突然恐ろしげな場所で一人ぼっちになり、わからない言葉を発する白い衣を着た人たち、変形した身体を横たえ奇妙な声を出す同室の子どもたち、あわただしい人の動きやさまざまな騒音、まったく異質の世界に放りだされて、どんなにか不安で、どんなにか恐怖があったことであろう。そのため緊張し、泣き喚き、体は変調をきたし、高熱を発し、食べ物を受けつけず、睡眠をとれなかった。精神の恐怖は肉体を急速に蝕み、ついにわずかな時間で生命を抹殺することになった。
人間の精神は、理由のわからない耐え難い不安と恐怖にさらされたとき、自らの身体を殺してしまうことによって、終息させることがあるという恐ろしくも尊い事実であった。
(中略)
……この子らは不安、恐怖とともに絶望の深淵に身をおいてしまったのだと思う。希望を失ったのだと思う。
(p.36-37)
もう1つ、例えば、
「重症児は音にびっくりして身体を緊張させたり不随意運動やけいれん発作が起きやすい」と
通常は理解されている(白状すると私もその程度で止まっていました)現象について、
著者が「恐怖」のための「叫び」が発作と間違われたケースを紹介した後で
周囲の状況を認識できない人に対しては、音であれ皮膚への接触であれ、最初は弱くおこない、さらに必要であれば徐々に強くするという配慮をしたい。この人たちは、身体的に自由が利かないし、ものごとの認識もできないのであり、「感覚」が外界の状態と本人の関係、結びつきのきわめて大きな部分を占める。しかも、「避ける、逃げる」ことができない状態で、外部からの刺激を受けることになる。
そのために、「驚き」「不安」や「恐怖」というだけでなく、生命体の存在そのものが脅かされ抹消されるという「本源的な恐怖」を感じるのではないかと思うのである。
(p.58)
何がすごいって、著者が子どもたちの「身になって」いること。
「こうした心身に重い障害のある人たちは、世界をどう感じているのか」を考察しようとして、
著者はもの言わぬ、多くの人に「何も分からない」と考えられている当人の「身になって」、
こんなにも細やかな想像力を深く、深く、働かせていく――。
これは、つくづく、すごいことだと思う。
ミュウを通じて出会ってきた「専門家」に私がずっと感じる壁の一つは
「専門家」は相手を「対象」としてしか見ない、ということ――。
「自分はこの人をどうアセスメントするか」「自分はこの人に何ができるか」と、
すべてが「専門家としての自分」からスタートして
相手を「専門家としての自分にとっての対象物」にしてしまう。
そして、そのことにまるで気付こうとしない。
もちろん専門家の仕事は相手を対象化しないと始まらないのだから、
対象化することがいけないと言うつもりはない。
でも、それに無自覚だと、それだけで終わってしまうから、
「本人にとってどうか」が欠落したままになって、
本人や家族は非常に困る。
相手を「対象」にして終わる「専門家」は
「医療」や「福祉」を起点にその範囲でだけモノを見て考え、
それよりもはるかに広い「生活」を見ようとしない。
当人や家族の「身体」や「機能」や「能力」を見て「人」を見ない。
だから「相手の身になってみる」という想像力が働かず、「共感」どころか
「ごく最低限の人としての配慮」すら欠いた無神経な言動で
当事者や家族を傷つけてしゃらりとしている。
当事者や家族の言動に対する判断・反応の基準が
「自分を認め称賛するか批判するか」「自分の仕事がやりやすいか、やりにくいか」になって、
そもそも「誰のための自分の仕事なのか」が忘れられていく。
そんな「専門家の限界」にずっと不満を感じてきただけに、
これほどまでに細やかな想像力で重い障害を持った子ども達の「身になって」
彼らにとって「世の中はどういうふうに感じられているのか」を掘り下げていく著者に、
え? こんな医師だって、いたの……? と、まず率直に驚くし、
子どもたちに向けられた、その深く温かいまなざしを通して
「感覚的存在」として、「身体的存在」として、
「意識」とは「反応」のことだとする医学の捉え方の限界から
その両者を区別するために「外在意識」と「内在意識」という独自の概念を導入して、
さらに、こころで関係を結び周囲と繋がった「関係的存在」として、
重い障害のある子ども達を考えていこうとする段階を経て洞察が深められ
「人間的存在」としての深みへと至る過程は圧巻。
年齢を重ねても「自己意識」は育っていないことが多いと考えられる。しかし、「意識」は育っていないかもしれないが、「自己」は育っている。
(p.99)
ある人びとは、この「自意識」こそが人間である証だという。だが人間形成の過程をかんがえてもそうではない。人間の「自意識」や「理性」といわれるものは、人間が「からだ」を使って、「協力」し、得たものを「分かちあう」ことによって「こころ」を豊かにし、「共感」する「こころ」を育ててきた。けっして突然「脳内」に「自意識」や「理性」がうまれたのではない。「協力・分配・共感」という基盤があってこそ「人間」が形成されてきたのである。
個々には「障害」のために「自意識」や「意識」が育たないこともあるであろう。ただ重い障害のある人との間で、人類が経験してきた「協力・分配」がなされ、「共感」することにこそ人間の特質があり、協力する人も、される人も人間として存在し、それぞれに人間的な「こころ」が成熟していくのであろう。
(P.102 注:高谷氏の「協力」については冒頭にリンクした10月のエントリーにも)
私がAshley事件との出会いから重症児の「意識」についてずっと考えてきたこと、
このブログで訴えてきたこと、というのも、まさに、こういうことだった。
私は例えば、以下のようなことを書いてきた。
「知能が低いから重症児は赤ん坊と同じ」とDiekema医師は言った。でも、それは、ゼッタイに違う、と思う。子どもはホルモンや体や知能だけで成長するわけじゃない。経験と、人との関わりによって成長するのだから。体と頭だけじゃない。心も成長するのだから。限りなく成長する可能性を秘めているのは、人の心なのだから。
ポニョ(2009/7/23)
認知は static ではない。発達も static ではない。人の心も決して static ではない。人が環境の中にあり、人との関わりの中にあり、そこに経験がある以上、人の心は成長し、成熟し続ける。認知も含めた総体として、人は成長し、成熟し続ける。障害があろうとなかろうと──。
「脳が不変だから子どもも不変」の思い込みで貫かれている……A療法の論理に関する重大な指摘(2009/12/16)
そういうことを振り返る時、
重症心身障害のある子どもたちを診てきた医師と、そういう子どもを持ちAshley事件と出会った母親とが
同じ時期に同じ問題意識からそれぞれ本を書いたのだということに、どこか必然みたいなものを感じる――。
次のエントリーに続きます。
高谷清著 岩波新書
高谷氏は京大付属病院、大津赤十字病院などを経て
1984~1997年、重心施設、第一びわこ学園園長を務めた医師。
現在も同学園の非常勤医師。
当ブログで高谷氏について書いたエントリーはこちら ↓
子と親と医師との「協力」で起こすことのできる“奇跡”:ボイタ法の想い出(2011/10/8)
ものすごく不遜なモノの言い方であることは承知しており、本当に恐縮なのだけれど、
私はいつでも「まっすぐ」しかない社会的バカだから、そのまま書いてしまうと、
この本を手にとって帯の
「生きているのがかわいそう」なのか? という2行を見た瞬間に、
まるで天啓に打たれるみたいな衝撃と共に、
この高名な重心医療を専門にする医師が書いた本と
名もない一人の母親である私が書いた「アシュリー事件」とが
同じ時期に刊行されたということに、ほとんど運命的な繋がりを信じてしまった。
それには、ちょっとした伏線がある。
拙著「アシュリー事件」をきっかけにした、あるいきさつから、
私はこの新書を手にする直前に高谷氏の論文を読んだ。
全国保険医団体連合会の雑誌の7月号に掲載になった
“「パーソン論」は、「人格」を有さないとする「生命」の抹殺を求める”。
そこでは、
シンガー、エンゲルハート、トゥーリー、トゥルオグについて解説されたのちに
パーソン論の「反応」や「自意識」「理性」に対して
「いのち」「からだ」「こころ」と「脳」が考察され、
「「いのち」は、「脳」ではなく「からだ」と「こころ」に宿る」と書かれている。
さらに「生きていて「かわいそう」か」という問いを立てて
「生きている喜びがある」状態を実現していくことが直接関わる人と社会の役割、
「人間社会の在りようではないかと思うのである」と結論した後に、
直接重症児・者と接している者がこうした議論に反論し、
人格・人権・生命を守っていく取り組みを進めると同時に、
重症者のことや彼らを支える仕事の内容や役割・意義を、
分かりやすく世の中に発信していくべきだ、と訴えて締めくくられている。
今の時代に英語圏の生命倫理で起こっていることに対する認識。
英語圏で起こることに牽引されて世の中が向かっていこうとしている方向に対する危機感。
反論しなければ、それと同時に、反論のためにも、ほとんど知られていない重症児・者の姿を
直接知る者として、世の中に向けて表現し伝えなければ……という、問題意識――。
同じ認識、同じ危機感、同じ問題意識を共有し、
高谷氏は重心医療に携わってきた医師の視点から、
私は親として、またアシュリー事件と英語圏の生命倫理を追いかけてきたライターの視点から、
同じ時期に同じテーマ・メッセージ性の本を書いたのだ……と、
それは、新書を手にする前からの強い予感だった。
そこで、まだ本を開く前に帯の「「生きているのがかわいそう」なのか?」を見た瞬間、
その予感がずばりと適中したと、ほとんど宿命的なものに打たれた感じがした……というわけ。
著者は新書の中でパーソン論には一切言及していないし、
全体に見れば、もう少し緩やかに広く一般に向けて書かれている印象の本だ。
そういう印象から言えば、読みながら私の頭に連想されたのは
故・小澤勲氏の「痴呆を生きるということ」(岩波新書)と
川口有美子氏の「逝かない身体」(医学書院)の2冊だった。
小澤勲氏の「痴呆を生きるということ」についてはこちらのエントリーで言及、引用 ↓
Spitzibaraからパーソン論へのクレーム(2009/8/23)
川口有美子氏の「逝かない身体」についてはこちらのエントリーで言及・引用 ↓
Cameron党首、自殺幇助合法化に反対を表明(2010/4/9)
でも、やっぱり、「重い障害を生きるということ」は、7月の論文の文脈において、
「重症者のことや彼らを支える仕事の内容や役割・意義を、分かりやすく世の中に発信していく」
ことを意識して書かれた本なのだと思う。
帯にある「生きているのがかわいそう」という言葉は
本書「はじめに」によると「外国のグループの見学」で出た言葉とその意味だし、
101ページには、ごくさりげなく
「ある人びとは、この『自意識』こそが人間である証だという」との1文がある。
もちろん他の章でも考えさせられたり学んだことは多々あるけれど、
そんなわけで私にとってこの本の核心は第1章と第2章の2つ。
Ashley療法論争での「どうせ赤ちゃんと同じ」、「どうせ何も分からない」という
重症児へのステレオタイプな決め付けへの反論としても、
なんとも心強い味方を得た気分で、盛大に手を叩きつつ読んだ。
だから、なによりも、まず、Ashley事件のようなことが起こったり、
パーソン論や功利主義が声高に説かれ、優生思想のよみがえりが懸念されるこの時代に、
この国で、重心医療の専門家によってこの本が書かれたことに、心から感謝――。
次のエントリーに続きます。
http://www.calgaryherald.com/opinion/Editorial+right+killed/5740036/story.html?cid=megadrop_story
カナダの Rasouli事件をめぐって、「終末期の医療の決定権は医師にあるのか」と問う弁護士のブログ記事。
http://www.estatelawcanada.ca/end-of-life-decisions-%E2%80%93-do-doctors-have-the-right-to-decide/
【Rasouli裁判関連エントリー】
「“治療停止”も“治療”だから同意は必要」とOntario上位裁判所
「患者に選択や同意させてて医療がやってられるか」Razouli裁判続報(2011/5/19)
2011年8月12日の補遺(Rasouli訴訟、最高裁へ)
英国の訪問介護が15分とされていることについて「短すぎて十分なケアが出来ていない」との批判。:日本でも24時間訪問巡回で15分が一つの目安とされているみたいなので、ちょっと気になる記事。
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2011/nov/20/old-disabled-trapped-social-care?newsfeed=true
韓国の夫婦が、ネット上でヴァーチャルな子育てに熱中するあまり、現実の1歳の我が子の世話を放棄して餓死させるという事件が起こっている。
http://www.guardian.co.uk/world/2010/mar/05/korean-girl-starved-online-game?CMP=EMCNEWEML1355
19日の補遺で拾ったシドニーの職員によるナーシング・ホーム放火(5人死亡、31人が負傷)事件の詳細。
http://www.dailymail.co.uk/news/article-2062950/Sydney-nursing-home-Carer-Roger-Dean-charged-5-die-31-injured.html
② Katherineのケース
ケースの概要は以下。
妊娠32週目の出産。1680グラム。
早産による呼吸障害で
生後4日目まで人工呼吸器、その後4日間鼻チューブ。
その後も夜間無呼吸症候群。腸ろうによる栄養摂取。
生後25日目に腹腔内出血。
開腹により、腹腔内に後半に広がった悪性腫瘍を認めるも、
切除は不能と判断し、閉じる。
その病院の小児がんの専門家の診断では余命は2カ月程度。
長期生存の例はなく、抗がん剤に効果は見込めず、むしろ出欠を悪化させる。
別施設の小児がん専門医の意見を聞くも、同じ診断。
両親は病院側の説明を納得し抗がん剤治療の差し控えに同意した。
しかし病院が提案したDNR指定は拒否し、少しでも長く生きさせてほしいと
人工呼吸器の装着と心肺蘇生(CPR)を求めた。
その後、3週間に渡ってKatherineの様態は悪化し続け、
アグレッシブな鎮痛剤投与にも関わらず、本人が苦しむことが増える。
病院は人工呼吸器の取り外しを提案するが両親は拒否。
新生児医が何度もDNR指定を勧めるが、
両親はそのたびに蘇生の手を尽くしてほしいと希望。
ローテーションで診察した別の新生児医が倫理委員会の検討を求める。
倫理委はまず、両親と両親が同席を求めた母方の祖母を交え、
さらにNICUの看護師らも同席の上で約1時間の話し合いの場をもつ。
看護師らはKatherineが顔をしかめるなど苦痛の表情を見せることから
彼女のケアを続けることに「道徳的な苦悩」を感じていると口々に表明。
こうした場をもつことが、この話し合いの主な目的の一つでもあった。
両親と祖母は熱心なキリスト教徒としての立場から
奇跡を信じて、少しでも長く生きさせてほしいと重ねて要望。
医療サイドはCPRは効果がなく本人の利益にならないため
全員がCPRは倫理的に適切ではないとの立場。
むしろ、ろっ骨骨折のリスクなどCPRは本人の苦痛となる、
抗がん剤の差し控えと同じように考えられないかと説得を試みるが
両親と祖母の考えは変わらなかった。
その後、倫理委のみで検討。
まず、無益性を根拠に医師が治療を拒否することの倫理的正当性について
近年、疑いが投げかけられている'''。その根拠とされているのは、
治療の無益性の根拠としてどれだけのデータが必要とされるかが曖昧、
医師によっては無益性概念を不当に濫用している懸念がある、など。
しかし、このケースはそのいずれでもない、極端なケースであり無益性が明らか。
それでは蘇生はともかく、痛み止めの使用についてはどうか。
全員が、死を早めることになってもアグレッシブに使用することを是とする立場。
では親の決定権は?
本人への負担が大きすぎて利益がないことでクリアできる。
などと議論が進む中で、
このケースでの問題は、実は意外なところにあったことが炙り出される。
最初に当直医がDNR指定を提案した際に、
DNR指定をするかしないかの選択が両親に提示されたことになった。それは同時に
明らかに効果のないCPRをするかしないかの選択まで親に提示されてしまったこと、
その提示によってCPRに効果があるかのように思わせてしまったを意味する。
このケースの本当の問題はそこにあった。
以後、CPRの効果があるかどうかが
まず新生児科内または倫理委で検討されるべき必要が確認されたが
それは今後のこととなる。このケースではどうするか。
両親を納得させるために、形だけの蘇生をやって見せる slow code はどうか?
いや、それは正直な医療ではないだろう、とこれは却下。
最終的に倫理委の勧告は
本人への利益がなく負担が大きすぎるためCPRは倫理的に妥当ではない。
この勧告でも両親が意思を変えない場合は、医療チームは
病院が定めるConscientious Practice Policy (良心的医療の方針 CPP)に基づく
所定の手続きによって行動する、というもの。
CPPは米国医師会の勧告によって意見の衝突時の手続きを病院ごとに定めたもので
医療職に法的な保護を提供するものではないが、
転院やセカンドオピニオンなどが盛り込まれている。
両親はこの通知を受けても、CPRを求める気持ちを変えなかったが
法的な措置まではとらなかった。
Katherineは倫理委から7日後に死亡。
蘇生は行われなかった。
-----------
2つのケースを元に、
「ほら、こんなふうに倫理委はNICUでの"無益な治療"争議で役割を果たせるでしょ」と説かれても……
だって、それって、言いたいことを言いやすくするために都合よく選んで持ってきた
分かりやすくて、でき過ぎのケースじゃないの……と思ってしまう。
倫理委が必ずこれだけのクオリティの丁寧で良心的な検討をすることが
一体どうやって保証されると――?
著者のMercurio医師自身、Katherinのケースについて書いた部分の冒頭で
無益性概念を不当に振りかざす医師がいることについて言及している。
病院の文化によっては個々の医師どころか倫理委が
不当に振りかざすことだって、ないとは言えないのでは?
実際、カナダでは、その危うさを痛感させる事件が同じ病院で相次いで起こっている。
(文末に2つの事件の関連エントリーをリンク)
それに、この著者はDiekema医師の害原則を引用しているけど、
そのDiekemaが主導した、あのAshley事件を知らないのかな?
倫理委がいかに危うい正当化装置として機能し得るか、
ちょいと、あの事件の資料を読んで考えてみたらいいのに――。
【Kaylee事件関連エントリー】
心臓病の子の父に「うちの子の心臓をあげる」と約束してヒーローになった父、呼吸器を外しても生きる我が子に困惑(再掲)(2009/6/19)
Kaylee事件について障害者人権アドボケイトからプレスリリース(2009/4/14)
Kaylee事件から日本の「心臓が足りないぞ」分数を考えた(2009/4/15)
What Sorts ブログのKaylee事件エントリー(2009/4/15)
【Kaylee事件と同じ病院で起こったFarlow事件関連エントリー】
親が同意する前からDNR指定にされていたAnnie Farlow事件(2009/8/19)
Daniel君のケースでの心臓手術について検討された利益は、
① 延命。
② 長らえた命を生きる間に本人が感じる喜び
③ VSDで死ぬと苦しい死になるので、その軽減になる。
④ 親にとって息子が生きることは喜び
⑤ 2人の子どもにとって弟が生きることは喜びでもあり、
重い障害のある子どもの命について学ぶ良い経験にもなる(と親が主張)
この中の④と⑤については
委員の中から「本人ではなく他者の利益である」との指摘があり、
それに対して「家族全体の利益も検討して然り」との意見も。
検討された負担は、
① 手術の痛み
② 手術による合併症のリスク
③ 重い障害のある生が引き延ばされること
④ 2人の子どもにとって重い障害のある弟の存在は負担になる可能性
⑤ 社会にとっての負担
この中の①と②については、軽減できることが確認され、
主たる負担は障害だということになる。
ここでPECは
好きな人を連れて来てよいとの条件で両親にも出席を求め、委員会を開く。
関係者すべてがそれぞれの意見を聞いておくため、
オープンで正直な議論が補償されるため。
なお両親は裕福な専門職で、息子の障害や治療についても
また医療倫理の検討についてもインターネットで詳細情報を身につけている。
そこで両親が語ったことは
ダニエル君への介護支援も兄弟に対して必要な支援も十分に賄えること、
障害は重くとも生きられるだけ生きることが本人のためだと思うこと、
ダニエル君の存在とケアが他の子ども達の教育上も望ましいと思っていること、
ここで拒否されたら別の病院を探して手術してもらう考えであること。
外科医は手術の実施に前向き。
親がいるためか、この段階であからさまな反対意見は出ない。
次に委員会は、委員だけの検討に進むが
そこで出た疑問と議論はたいそう今日的で興味深い。
「公平な医療資源の分配という観点から、この手術はどうなのか、
それだけの費用を他に回せば、もっと多くの子どもの命を救うことができるのでは?」
との疑問が上がり、
それに対して議論の末のPECの結論は
「通常、どの患者でも医療判断は本人のニーズと利益に基づいて行われており、
この患者だけに別基準を適用するのは公平ではないので、このケースでも
患者本人のニーズと利益胃の検討のみによって判断する」というもの。
最終的に、PECは利益と負担を明確に把握することは困難だとして、
本人利益については親の判断を良しとすることになった。
Daniel君の手術は行われ、
彼は現在4歳。自宅で暮らしている。
--------------
このケースを読んで私が思ったこととしては、
・この論文のケース報告以前の倫理委そのものについての概要説明の部分でも触れられているけど、
倫理委の議論がどういう姿勢のものになるかは、なるほど委員長の姿勢に左右されるんだな、と。
・負担の⑤として挙げられた「社会への負担」について
どのように検討されたのかを論文は個別に言及していないのだけれど、
裕福で介護費用を賄える親だったから手術が認められた、というのは明らかだし、
・じゃぁ、親が裕福でなかった場合に認められない可能性があるとしたら、その異なった結論は、
この一連の議論のリスク利益の比較考量や公平性に関する部分とどのように整合し、
どのように正当化されるのか?
・そもそも倫理委の最善の利益検討で「社会への負担」が指摘されることそのものが
「障害児・者の存在は社会への負担」だという認識が共有されていることを物語っている。
この論文は、
倫理委が良心的かつ模範的な検討を行ったケースとしてDaniel君のケースを紹介し、
「無益な治療」判断で倫理委が役割を果たせると主張していると思われるのだけれど、
病院内倫理委員会という装置そのものがそうした優生思想を織り込んでいること自体、
それって、どうなの?
・もしも社会全体に「障害児・者の存在は社会への負担だ」という認識が
いまだに一般的なものとして受け入れられていないのに
医療倫理においてのみ織り込まれてしまうとしたら、
倫理委員会の検討は、それを問うところから始まるべきなのでは?
・NICUでの「無益な治療」判断をめぐって病院内倫理委に大きな機能を持たせようとするのは
結局はTruogがGlubchuk事件で言っていたように
医療の価値意識の中で重症障害のある子どもの治療やQOLを云々するだけ、
結局、医療の価値意識のなかでの「良心的かつ模範的」でしかないし、
それですら倫理の検討の質を保障するすべがないわけだから
思考停止による機械的「すべり坂」が起こる懸念は払しょくできないし、
そうなれば、倫理委は結局、
メディカル・コントロールの正当化装置にしかならないのでは?
――――――
また、Ashley事件に関連して考えたこととして、
① 親を倫理委の会合に出させて、自分たちの主張について説明させることそのものは
さほど特例的なことではないのかもしれない。
もっとも、
親にパワーポイントを使ったプレゼンまでさせるかどうかはまた別問題だろうし、
しかも倫理的に問題のある療法を親が提案したからといって、そういう場を設けるのも別問題で、
Ashley事件の場合には他の諸々の状況から、やっぱり「特例」としか思えないのではあるけど。
② それにしても、アシュリー事件の04年の倫理委の議論には
この論文に報告されているような論理的な段階を踏んで行われたエビデンスが全く出てこない。
③ とりわけ、その後の正当化において
リスク・ベネフィット検証の中で何が議論されたかが
このように具体的に説明されたことがないことの異様さを改めて痛感させられる。
④ Diekema医師も、こうした論文に引用されるほどの生命倫理学者なら
あの04年の倫理委の議論の内容について、これくらい具体的な報告を出してみたらどうよ、
と、またも考えるし、
それだけの学者にして、それができないこと自体が
十分な倫理検討が行われなかったことを自ら認めるに等しいではないか、とも、改めて強く思う。
もう1つのケースについて次のエントリーに続きます。
NICUでの“無益な治療”判断において倫理委の役割を提唱する論文。
The role of a pediatric ethics committee in the newborn intensive care unit
M.R. Mercurio, Department of Pediatric, Yale Pediatric Ethics Program,
Journal of Perinatology (2911) 31, 1-9
全文がウェブで読めます。
アブストラクトは以下。
Institutional Ethics Committees are commonly available in hospitals with newborn intensive care units, and may serve as a valuable resource for staff and parents dealing with difficult ethical decisions. Many clinicians may be unaware of when the committee might be helpful, or how it functions. After a brief historical introduction, two cases are presented as illustrations of pediatric ethics committee function. The first involves consideration of cardiac surgery for an infant with ventricular septal defect and Trisomy 13. The second involves disagreement between staff and parents regarding possible provision of cardio-pulmonary resuscitation in a terminally ill newborn. Principles and considerations often brought to bear in committee deliberations are reviewed for each case. Neonatologists, staff and families should be aware of this potentially valuable resource, and are encouraged to use it for situations of moral distress, conflict resolution or ethical uncertainty.
以下の2つのケースが紹介されており、
① トリソミー13の新生児Danielの心臓手術。
② 未熟児で生まれて呼吸障害のある新生児Katherineに腹腔内に広がったがんが見つかり、
両親の蘇生希望に反して倫理委がDNR指定を勧告。
Danielのケースについてこれから2つ、Katherineのケースについて1つ、
計3つのエントリー・シリーズで取りまとめてみます。
---------------
①Danielのケース。
概要は以下。
妊娠38週で2300グラムで生まれた男児 Danielくん。
トリソミー13と、心室中隔欠損症(VSD)があったため、
両親は予後が非常に悪く乳児の内に死ぬだろうと説明を受けた。
ここで非常に気になる表現があって、
They were offered termination of the pregnancy but declined.
過去完了になっていないし文脈からしても、これは生まれた後のことのはずなので
生まれてきて障害が分かったら「妊娠中絶」ということにして死なせましょうか、と
問われて、それを両親が断ったということでは……?
Daniel くんはNICUへ。
生後4週間目くらいから呼吸が怪しくなってきたので
医師はVSDの子どもはだいたいこういう転機をたどって亡くなることが多いと両親に説明。
両親は心臓の手術を望んだ。
この病院では
VSDを伴うトリソミー13の障害児には緩和ケアのみで
手術も行わないし呼吸器装着などの積極的な治療も行わないのがスタンダードで
これまでトリソミー13の子どもに心臓手術は行ったことがなかったため、
インターネットで詳細な情報収集をした上での両親の強い希望を受けて
担当医は病院の小児科倫理委員会(PEC)に検討を依頼した。
PECがまず重要視したのは判断の根拠となるデータの信頼性。
「トリソミー13の子どもは生後1年以内に死ぬことが多い」とされているのは
そもそも治療されないからではないのか。治療した場合の生存率はどうなのか。
そこで調べてみたところ、データからは治療すれば延命できるケースもあると思われた。
では「延命できるとして、その場合の障害の重さはどの程度になるのか」。
私はこのケースで最も興味深い点の一つだと思うのだけど、
ここでPECはトリソミー13の子どもの親の会の情報にインターネットで当たっている。
すると、中には
周囲で起こることが分かり喜びや幸せを感じていると見える子ども、
他者と関わりをもったり、ごく基本的な言葉を話すことができる子どもまでいた。
そこで、PECは遺伝学の専門家に、これらが事実かどうかの確認を求める。
この専門家の答えが、これまた私には非常に興味深いのだけれど、
「トリソミー13の子どもが言葉を喋ったという話は聞いたことがあるが
自分自身はそういうケースは知らない。
この子は周りのことが分かっているしやりとりもできるという親はいるが、
自分はそれが事実かどうか分からない」。
PECは次に「親の決定権」と「子どもの最善の利益」との相克について検討する。
小児科医療では「親の決定権」が重視されるが、かといって絶対的なものではない。
子どもの最善の利益に反する場合にはその判断が親の決定権を凌いでしかり。
ここで参照されるのが、これまた興味深いことに
我らが倫理学者Douglas Diekemaの「最善の利益よりも害原則」説。
しかし、これは親が治療を拒否している場合の話なので、
親が希望し主治医もやってよいと言っているこのケースにはそぐわない。
PECはDaniel君の手術について
「単にスタンダードだからやらないということでもいけないし
単に親が希望しているからやるということでもいけない」とのスタンスを確認。
そこまでを抑えた上で、PECの議論は最終的に
手術が本人にもたらす利益と負担(害)の比較考量へと進む。
次のエントリーに続きます。
【Diekema医師の「害原則」関連エントリー】
「最善の利益」否定するDiekema医師(前)(2007/12/29)
「最善の利益」否定するDiekema医師(後)(2007/12/29)
Quellette論文(09)2:Diekemaの「害原則」(2011/6/22) (QuelletteはOuelletteの間違いです)
エントリーにしたばかりのDiekemaの「害原則」に新ヴァージョン登場(2011/6/23)
http://www.thebostonpilot.com/article.asp?ID=14014
NY大学のDiane Ravitch教授が、成果主義による教師の評価制度などビル・ゲイツの教育改革案を批判。:ビル・ゲイツの考え方って、橋下元大阪知事とモロ通じていくんだけど、なぜゲイツを悪く言う人はこんなに少ないんだろう。
http://kuow.org/program.php?id=25146
ビル・ゲイツって日本の原発事故の直後には「再生可能エネルギーみたいな“可愛らしい”ものでは、お話しにならない」とか言っていたはずなんだけど、今度は一転して、その“可愛らしい”エネルギーへの投資を呼び掛けている。
http://www.independent.co.uk/environment/green-living/gates-pushes-for-green-investment-6264043.html
HPVワクチンをCDCが男児にも推奨したことで、またぞろ論争になっている。
http://www.bioedge.org/index.php/bioethics/bioethics_article/9838#comments
フロリダ州でメディケアの患者に無茶苦茶な向精神薬の処方をしてボロ儲けしていた医師に、ついに州当局から処分。ただ、メディアに叩かれた後で。
http://www.propublica.org/article/florida-sanctions-top-medicaid-prescribers-but-only-after-a-shove
効果よりも副作用の害の方が大きいとして、FDAが乳がんの治療薬Avastinの認可を取り消し。
http://www.washingtonpost.com/national/health-science/fda-revokes-avastins-approval-for-breast-cancer-treatment/2011/11/18/gIQAOTuRYN_story.html?wpisrc=nl_cuzheads
米で医療保険の保険金がどんどん上がっていく。
http://www.washingtonpost.com/national/health-science/new-study-shows-health-insurance-premium-spikes-in-every-state/2011/11/16/gIQAhBl7SN_story.html?wpisrc=nl_cuzheads
カナダでナーシング・ホームでの職員による虐待があまりにひどいため、タスク・フォースが調査に乗り出す。
http://www.guelphmercury.com/news/canada/article/627457--task-force-to-tackle-abuse-in-nursing-homes
オーストラリア、シドニーで4人死亡、31人の負傷者を出したナーシング・ホームの火災、当夜勤務していた看護師の放火だったことが判明。
http://www.dailymail.co.uk/news/article-2062950/Sydney-Man-held-4-die-31-injured-nursing-home-suspicious-blaze.html
オーストラリアでコカイン所持による逮捕者が急増。
http://www.canberratimes.com.au/news/local/news/general/cocaine-busts-at-record-level-report/2363440.aspx?src=enews
"今日は個別活動(スタッフと1対1で好きなように過ごせる時間)でした。
最初、売店に行くのはどうする? と尋ねると、「行く~~!」という返事だったので、散歩がてら売店へ行きました。
雑誌売り場の前で眺めていると、TV雑誌(表紙がキムタク)に目が止まったようなので、買おうかどうか相談し、ミュウさんとしては「まぁ、買ってみようかねー」といった様子でしたが、せっかくでしたので購入しました。
その後、病棟に帰って、「ピコ or DVD or メロディ絵本」を提示したところ、「絶対 DVD!」との返事で、何枚か並べたDVDの中からお気に入りの「おかあさんといっしょ」(2002年の懐かしいもの)を選ばれ、職員と一緒に歌ったり踊ったりと楽しみ、昼食になり止めるのが非常にさみしい様子だったので、結局、PMの入浴後にも観て、上機嫌でした
療育園との連絡ノートより。
なお、以下の写真つきでした。
①車いすのテーブルの上に
手持ちのDVD(「おかあさんといっしょファミリーコンサート」と「氷川きよしコンサート」とか)を
ずらりと並べてもらって、迷いまくり、目移りしまくっているミュウ。
②その中の一枚を手に、まだ他のにも未練がありそうな目つき、
真剣な顔で悩んでいるミュウ。
③心を決めたらしく、「それでいいですか」「はーい!」と
片手をあげて、すっきりした顔で答えているミュウ。
この③の顔と、カメラの向こうの人に向けた目線が、すごく、いいんです。
とりたてて、大きな笑顔、というのじゃないんだけど、
カメラの向こうにいる人と日々の生活の中で普通につながった信頼関係があって、
ミュウが安心しきって、普通にくつろいで過ごしている日常――。
療育園のみなさん、ありがとうございます
http://medicalfutility.blogspot.com/2011/11/futility-in-nicu.html?utm_source=feedburner&utm_medium=feed&utm_campaign=Feed%3A+MedicalFutilityBlog+%28Medical+Futility+Blog%29
英国の自殺幇助合法化論者の一人でアルツハイマー病の作家 Terry Pratchettが、スイスのDignitasで自殺幇助を受けるための手続きを開始した、と発表。
http://www.guardian.co.uk/books/2011/jun/12/pratchett-starts-process-to-end-his-life?CMP=EMCNEWEML1355
【Pratchett氏関連エントリー】
作家 Terry Partchett “自殺幇助法案”を支持(2009/7/1)
自殺幇助ガイドラインに、MSの科学者とアルツハイマーの作家それぞれの反応(2009/9/23)
作家 Pratchette氏「自殺幇助を個別に検討・承認する委員会を」(2010/2/2)
Pratchett氏の「自殺幇助委員会」提言にアルツハイマー病協会からコメント(2010/2/3)
WA州で09年に施行になったばかりの尊厳死法を自殺幇助だけではなく、ターミナルでない人の安楽死にまで拡大しようという声が上がっている。Wesley Smithがブログで拾っている。
http://www.firstthings.com/blogs/secondhandsmoke/2011/11/16/movement-begins-to-expand-wa-assisted-suicide-law/
オランダで安楽死した末期がんの女性の最後の日々を息子のMarc Weide氏がつづった日記が公開されている。:なんだか、もうグローバルに自殺幇助と安楽死合法化に向けたキャンペーンが展開しているとしか思えない。なんだよ、この同時多発的な動きは?
http://www.guardian.co.uk/lifeandstyle/2008/aug/23/euthanasia.cancer?CMP=EMCNEWEML1355
カナダでも特に先鋭的な自殺幇助合法化への動きを見せているケベック州の意見聴取で、住民の多くが合法化に反対、との結果。
http://www.lifesitenews.com/news/public-submissions-to-quebec-committee-overwhelmingly-rejected-euthanasia-a/
昨日のエントリーと今日のエントリーとで取り上げたカナダ王立協会の終末期医療に関する報告書について、批判的なレスポンスを拾ってみた。
http://fullcomment.nationalpost.com/2011/11/16/barbara-kay-euthanasia-report-is-reassuring-but-misleading/ (ミスリーディングだ、と)
http://www.vancouversun.com/news/report+assisted+suicide+lacks+balance+says+anti+euthanasia+group/5708982/story.html (偏っている、とEPC)
こちらは同じくカナダの合法化訴訟で裁判所前で行われた抗議行動に関する報道。
http://www.theprovince.com/news/Legalizing+assisted+suicide+recipe+elder+abuse+protesters/5708395/story.html
http://www.theprovince.com/news/Missing+point/5717889/story.html
上記裁判で非常に興味深いシーンがあったらしい。ハーバード大学の倫理学者が、原告側の証人として招かれたものの、この人は米国マサチューセッツ州で自殺幇助合法化の要望書の提出者の一人となっているなど明らかに合法化支持のスタンスの学者なので、彼女のデータは偏っているとして専門家証人として認められないとの抗議がでたとか。:それをいえば昨日の王立協会の委員会のメンバーだって合法化論者で固められていたとEPCは言っているし。さらに言えばAshley事件でシアトルこども病院が組織した成長抑制ワーキング・グループだって、最初からそういう顔ぶれだったし。だいたいヤリクチは同じだよね。
http://www.theglobeandmail.com/life/health/end-of-life/famous-medical-ethics-lecturers-credentials-challenged-in-euthanasia-case/article2239052/
今日のエントリーを書く際に久々にPrincess Royal Trust for Carersのサイトを覗いてみたら、保健省の依頼と資金提供でPRTCとCross Roads Careが介護者とインターネットについて調査していた。報告書が以下の How can the web support carers?。ざっと目を通した程度だけど、「支援を何でもネットで調達ということになると人との関わりが減る」「介護目的じゃなくてネットは息抜きと楽しみで使いたい」などが印象的だった。
http://www.carers.org/sites/default/files/executive_summary.pdf
NEJM誌からの日本語記事で「4価HPVワクチンは男性同性愛者の肛門上皮内腫瘍も予防」。:4価HPVワクチンとは日本でも追加で認可されたメルクのガーダシル。10月にCDCが男児にも接種を推奨していたから、こういう研究報告が順次出てくるんだろうなとは思っていたけど、それが早速にこうして日本語記事になるということは、やっぱり日本でも女児だけでなく男児にも、という話になっていくのか。詳細は以下にリンク。
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/hotnews/nejm/201111/522464.html
【関連エントリー】
日本でもガーダシル導入へ、厚労省当該部会の議論の怪 1(2011/8/5)
日本でもガーダシル導入へ、厚労省当該部会の議論の怪 2(2011/8/5)
HPVワクチン、今度は男児狙いときて親の警戒またアップ(2010/5/13)
HPVワクチン、男児にも定期接種が望ましい、とCDC(2011/10/26)
日本。成人用肺炎球菌ワクチンの助成を検討へ―民主・予防接種法小委が初会合。:子宮頸がん予防ワクチン、ビフワクチン、小児用肺炎球菌ワクチンは2012年度の事業継続が決まっているんだって。いつのまにか「子宮頸がんワクチン」ではなく「子宮頸がん予防ワクチン」に呼び名が変わっている。厚労省の議論では「子宮頸がんを予防するエビデンスはまだないのだから『HPVワクチン』と称すべき」だという意見があったはずなんだけど。
http://www.cabrain.net/news/article/newsId/35981.html
日本。「生活自立支援」最多ペース 認知症高齢者の契約など代行 :高齢者を狙う貧困ビジネスが徐々に知的障害者に対象を拡大していくんだろうと予想していたけど、やっぱり……。
http://www.shinmai.co.jp/news/20111117/KT111116ATI090009000.html
昨日の補遺で拾ったkebichan55さんのブログ記事が書いていたSAPIOの記事、これかも? :考えてみたら、こういう製薬会社の手先的な精神医療も一種の貧困ビジネスと言えるのかも?
http://www.news-postseven.com/archives/20111116_67658.html
NYT。企業によっては、スモーカーと肥満の従業員に健康保険料を割り増し。
The Smokers’ Surcharge: Some companies are starting to penalize employees who smoke or are obese by raising their health care insurance costs.
グローバルな人身売買をずっと追いかけているNYTのコラムニスト、Nicholas D. Kristofがまた記事を書いている。6歳の子ども達が拷問やレイプ目的で売買されている、と。
The Face of Modern Slavery: When 6-year-okds are sold to be tortured and raped, it’s time for a 21st-century abolitionist movement to end human trafficking.
英国で若者の失業率21.9%。:超富裕層と企業だけが安泰でも、これでは人間の社会そのものが成り立っていかないのでは?
http://www.guardian.co.uk/business/2011/nov/16/youth-unemployment-hits-1m-uk?CMP=EMCNEWEML1355
英国NHSの治療を受けられるまでの患者の待機が長すぎると保健相が改善を約束。
http://www.guardian.co.uk/society/2011/nov/17/nhs-waiting-lists-cut-government?CMP=EMCNEWEML1355
米国で初めてのヒトでの胚幹細胞による脊損治療実験について、
以下のエントリーで拾いましたが、
早くも米国で胚性幹細胞による脊損治療実験にGO(2009/1/24)
そこに、今回、突然の中止という続報――。
Geron社の発表によると、
現在の資金不足と経済状況の不透明の中、
ガン治療薬開発に集中するために下されたビジネスとしての決定だといい、
それを裏付けるように、
同社は同時に常勤社員の38割のリストラも発表。
なお、新たな患者に治療することはないが
これまでに治療した4人の患者については今後もフォローしつつ、
こちらの研究の技術面でも資金面でもパートナーを探していくとはいうものの、
ヒト胚の廃棄を前提にした技術の倫理問題や今だ動物実験も十分でないとの安全性懸念、また脳損傷から2週間以内に治療開始という治験の条件について
受傷直後の患者が冷静に参加を決断できるのかという疑問もある中、
米国で初めて承認された同種の治験には
幹細胞治療研究そのものの今後の命運がかかるだけに
心臓病、ガン、アルツハイマーやマヒなどに大きなポテンシャルを謳う
幹細胞治療の研究業界界隈では、大きな失望の声が上がっている。
クリストファー・リーブ財団の幹部はカンカン。
「ったく腹が立つわ、胸糞が悪いわ。
みんなの希望を煽っておいてカネがないからやめるなんて悪党のやることだ。
これでは我々は実験室のマウス扱いじゃないか」
米国ではもう1つ、眼病の幹細胞治療の治験も行われており、
こちらはUCLA Jules Stein Eye Instituteが不治の眼病患者2人に実施しているとのこと。
First test of human embryonic stem cell therapy in people discontinued
WP, November 15, 2011
素人だからなのか、
なんとなく疑問に感じるのは、
確かにがん治療開発は科学とテクノのマーケット創設のトレンドで
それなりに国際競争が熾烈になっているというのは想像がつくのだけど、
でも、本当に副作用は今のところ出ていないというなら、
将来的にはオンボロ儲けが確実な分野なわけですよね、これって?
しかも米国初で、脊損治療ではGeron社だけがやっているわけだから
一人勝ちが保障されているようなもので?
それで「経営的判断でがん治療薬に専念したいから撤退」……?
それとも、
その筋のハーバードの研究者のコメントで「幹細胞は貴重な研究だが、
将来有望な科学技術を新しい治療法にしていくのは長くて骨の折れるプロセス。
途中で何度も挫折はつきもの」というのを読むと、
この世界的な不況の中、そろそろ
「命を救う技術」「難病に新たな治療の可能性」というだけで
実験につぎ込まれるカネが正当化される……という時代じゃなくなってきた……ということ?
いや、でも、それでは新たなマーケット創出ができなくならない?
【関連エントリー】
「幹細胞治療のウェブサイトは危険」と専門家が警告(2008/12/8)
米国FDAが認めなかったかな細胞治療、英国で治験へ(2009/1/19)
アップする際、
リスクに関する興味深い記事を書いてくださっているブログがあったので
以下にTBさせていただきました。
自殺幇助と自発的安楽死の合法化提言の部分でメディアが大騒ぎしている中、
さすが「無益な治療ブログ」(正確には「医学的無益性ブログ」だった)のPopeが
この報告書の一方的な無益な治療停止に関する部分を取りまとめてくれている。
Royal Society of Canada Report Addresses Medical Futility
Medical Futility Blog, November 15, 2011
現在のように個々のケースを裁判所が判断するのも適当とは思えず、
法的な手続きで決着をつけることが必要と思われるものの、
問題の複雑さからしても委員会の性格からも、
この委員会には具体的な提言はできない、として、
延命の可能性のある治療を一方的に中止または差し控えることをめぐる論争について
委員会としては以下の3点を提言している。
(引用は上記リンクにありますが、ここでは文言の通りではありません)。
1. 医療職が一方的に差し控えまたは中止できる法的条件を州政府が明記すべき。
2. 一方的な差し控えまたは中止をめぐる医療職の義務について、
医学教育機関は教育を徹底すべき。
3.一方的な差し控えまたは中止に関する法的な立場を理解し、
自らや家族のよきアドボケイトとして
医療職と良好なコミュニケーションが取れるように、
州政府は州民を教育すべき。
……てことは、
「延命」ではなく「延命になる可能性のある」治療まで
医療職が「一方的に」差し控えたり中止することそのものは認める前提――。
でも、よ、
自殺幇助と自発的安楽死を「自己決定権」に基づいて認める立場と、
「一方的な」治療の差し控えまたは中止を医療職に認める立場とは
この委員会にとっては一体どういうふうに整合するんだろう……?
なんか、さぁ、これって、
「自己決定権」を根拠にできないところでは、「教育」によって、
いってみれば「自己納得」・「自己決定もどき」へと国民を誘導していけば、
「一方的」の部分も、まぁ、みんな誤魔化されてくれるんじゃない……みたいな戦略?
「事前指示書」という仕掛けが
そこの溝をなんとな~く見えなくしてくれそうだし……って?
なお、以下の記事によると、報告書が提起した問題は
自殺幇助の合法化と一方的な無益な治療停止の問題の他には
主として以下の2点。
・カナダ国民に事前指示書を書いておくよう教育を徹底し、
患者の療養を通じて事前指示書が有効に機能するよう現場のシステムを整備すること。
・緩和ケアの患者のセデーションは合法ではあるものの、
その対象となる苦痛の種類や範囲があいまいで、
患者自身の同意についても明確ではなく、
患者の意思が不明な場合に家族と医療の間に意見の相違があると問題化する。
Four issues raised by the end-of-life report
The Glove and Mail, November 15, 2011
http://www.theglobeandmail.com/life/health/end-of-life/four-issues-raised-by-the-end-of-life-report/article2237602/
http://medicalfutility.blogspot.com/2011/11/royal-society-of-canada-report.html
②ヒトES細胞治療の治験、14日になって突然の中止発表。:これは必読。
http://www.washingtonpost.com/national/health-science/first-test-of-human-embryonic-stem-cell-therapy-in-people-discontinued/2011/11/14/gIQAQBTOMN_story.html?wpisrc=nl_cuzheads
③英国の介護者支援チャリティの老舗PRTCから、介護に関する意識調査の結果が出ている。:これも必読。
http://www.google.com/hostednews/ukpress/article/ALeqM5haIsjX7VFf5bJUnKp6Hf4H1_ssaA?docId=N0664591321365916046A
④ERの高齢患者は若い人ほど痛み止めをもらえていない、との調査結果。:これはねー。ずっと気になっている問題。
http://www.medicalnewstoday.com/releases/237592.php
【関連エントリー】
「認知症の人の痛みに気付く」ワークショップ(2009/9/9)
高齢者入所施設における遺体マネジメント戦略(2009/9/9)
「認知症患者の緩和ケア向上させ、痛みと不快に対応を」と老年医学専門医(2009/10/19)
背景にあるのが「どうせ」という差別意識という点で、知的障害者も同じだと思う ↓
「医療における障害への偏見が死につながった」オンブズマンが改善を勧告
Markのケース:知的障害者への偏見による医療過失
Martinのケース:知的障害者への偏見による医療過失
オンブズマン報告書を読んでみた:知的障害者に対する医療ネグレクト(2009/3/31)
⑤認知症ワクチンの治験が進んでいて、重症患者の場合には脳に炎症を起こすらしいのだけど、軽度者には有効だとか。
http://www.medicalnewstoday.com/releases/237654.php
⑥kebichan55さんのブログ記事によると、製薬会社と精神医療界の研究者との癒着問題をSAPIOが取り上げて、勇気ある記事を書いているらしい。
http://blogs.yahoo.co.jp/kebichan55/52755677.html
【米国の関連エントリー】
子どもへの抗精神病薬でFDAと専門家委員会が責任なすり合い(2008/11/19)
抗ウツ剤めぐる研究者と製薬会社の癒着スキャンダル報告書(米国)(2008/11/17)
抗ウツ剤めぐる研究者と製薬会社の癒着スキャンダル報告書 Part2(2008/11/23)
今度はラジオの人気ドクターにスキャンダル(2008/11/23)
FDAの科学者ら「認可審査あまりにも杜撰」と内部告発(2009/1/15)
FDAと製薬会社の訴訟つぶしに待った(2009/3/5)
製薬会社がゴーストライターに書かせた論文でエビデンス作り(2009/8/8)
【いわゆる“Biedermanスキャンダル”関連エントリー】
著名小児精神科医にスキャンダル(2008/6/8)
著名精神科医ら製薬会社からのコンサル料を過少報告(2008/10/6)
Biederman医師にさらなる製薬会社との癒着スキャンダル(2008/11/25)
Biederman医師、製薬業界資金の研究から身を引くことに(2009/1/1)
⑦「代替療法って案外効果があるし、元も取れたりするよ」という話がWPに。
http://www.washingtonpost.com/national/health-science/alternative-therapies-sometimes-help-and-almost-always-pay-off/2011/11/10/gIQAfuIpKN_story.html?wpisrc=nl_cuzheads
⑧子どもの頃にIQが高い人は長じて違法薬物に手を出す確率が高い、という調査結果。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/237674.php
⑨昨日、強制排除されていたNYのオキュパイ運動、Zuccotti公園に戻ったらしい。
http://www.guardian.co.uk/world/2011/nov/16/occupy-wall-street-return-manhattan-park?CMP=EMCNEWEML1355
安楽死防止協会(EPC)から昨日予告されていたカナダ王立協会の委員会報告書が出て、
意思決定能力のある成人は、たとえターミナルでなくとも、
規制・監督された制度下で十分に説明を受けた後に死を選択する「道徳上の権利」があるべきだ、
そうした制度を作ることによって
弱者が脅かされるとか強制的な安楽死といった
「すべり坂」が起こるエビデンスはない、として、
自殺幇助と自発的安楽死の合法化を提唱した。
すべり坂を否定した下りは以下。
The evidence from years of experience and research where euthanasia and/or assisted suicide are permitted does not support claims that decriminalization will result in vulnerable persons being subjected to abuse or a slippery slope from voluntary to non-voluntary euthanasia.
(「すべり坂は起きない」というエビデンスは??)
EPCに言わせると合法化支持の立場の委員で固めてあったらしい委員会が
2年前に立ち上げられた時のエントリーはこちら ↓
自殺幇助合法化法案が出ているカナダで「終末期の意思決定」検討する専門家委員会(2009/11/7)
今回「2年間の検討を経て」出てきた報告書 End-of Life Decision Making 本体はこちら ↓
http://www.rsc.ca/expertpanels_reports.php
さすがにメディアが騒いでいて、すごい数の報道。以下はその一部 ↓
http://www.thespec.com/news/canada/article/625760--panel-says-canadians-should-be-able-to-choose-when-and-how-they-die
http://www.theglobeandmail.com/life/health/end-of-life/panel-calls-for-legalization-of-assisted-suicide/article2236391/
http://www.cbc.ca/news/politics/story/2011/11/15/pol-euthanasia-report.html
http://www.vancouversun.com/news/Decriminalize+assisted+suicide+expert+panel+urges/5712233/story.html
http://www.nytimes.com/2011/11/16/world/americas/canada-top-scientists-urge-allowing-assisted-suicide.html?_r=1
http://www.globalmontreal.com/murder+or+mercy+euthanasia+and+assisted+suicide+in+canada/6442457485/story.html
しかし、文末にリンクした通り、
カナダ議会は去年、合法化法案を否決したばかり。
以下の記事によると、法務相Rob Nicholsonは「議論を再開する予定はない」と。
Euthanasia issue won’t be reopened, Justice Minister Rob Nicholson says
The Globe and Mail, November 14, 2011
また、以下の記事によると、
党派を問わず政治家はこの問題に手を出しかねている模様。
またカナダ医師会は合法化に反対のスタンス。
(ただし文末にリンクしたようにケベック州の医師会は合法化支持)
Politicians of all stripes refuse to act on calls to legalize assisted suicide
The Globe and Mail, November 14, 2011
しかし、カナダでは自殺幇助合法化を求めて訴訟が立て続けに起こされており、
ALSの女性Taylorさんが起こした訴訟では月曜日から審理が開始されたばかりとあって、
こちらのニュースは昨日の補遺にも拾っていますが、今日も多数出ています。
その一部を以下に。
http://www.cbc.ca/thecurrent/episode/2011/11/15/assisted-suicide-returns-to-canadian-courts/
http://www.vancouversun.com/health/Landmark+right+challenge+begins+Vancouver/5709989/story.html
http://www.cbc.ca/news/yourcommunity/2011/11/spotted-assisted-suicide-story-inspires-thoughtful-audience-debate.html
http://www.vancouverobserver.com/politics/news/2011/11/14/assisted-suicide-debate-hits-vancouver-courtroom
この訴訟については11月14日の補遺で
以下のように、とりあえずの取りまとめをしています。
8月にいったん挫折したカナダのFarewell Foundationによる自殺幇助合法化集団訴訟の原告の一人でALS患者のGloria Taylorさん(63)が、改めて同じ趣旨の訴訟を起こしている。
http://www.ctv.ca/CTVNews/Canada/20111113/dying-woman-resurrects-assisted-suicide-debate-111113/
http://www.thestar.com/news/canada/article/1086165--landmark-case-renews-debate-on-right-to-die
この動きを受け、Calgary Heraldに安楽死防止連盟のAlex Schadenbergらによる合法化反対の論考。
http://www.calgaryherald.com/news/should+afraid+assisted+suicide/5703321/story.html
Farewell Foundationの訴訟については以下の補遺に ↓
2011年8月1日の補遺
2011年8月3日の補遺
2011年8月19日の補遺
【その他カナダの自殺幇助合法化議論関連エントリー】
カナダの議会でも自殺幇助合法化法案、9月に審議(2009/7/10)
カナダ・ケベック州医師会が自殺幇助合法化を提言(2009/7/17)
図書館がDr. Death ワークショップへの場所提供を拒否(カナダ)(2009/9/24)
カナダの議会で自殺幇助合法化法案が審議入り(2009/10/2)
自殺幇助合法化法案が出ているカナダで「終末期の意思決定」検討する専門家委員会(2009/11/7)
カナダ議会、自殺幇助合法化法案を否決(2010/4/22)
カナダの法学者「自殺幇助合法化は緩和ケアが平等に保障されてから」(2011/2/5)
カナダで自殺幇助合法化を求め市民団体が訴訟(2011/4/27)
http://www.lybrary.com/clinical-ethics-pediatrics-p-125762.html
脳死臓器移植法を問い直す市民ネットワークが主催して13日に開かれたシンポジウム「このままでいいのか! 改定臓器移植法のこれからを考える」で、小松美彦氏からトゥルーオグの論文解説があった模様。トゥルーオグは当ブログでも興味がある人なので、その要点を某MLに小松氏が投稿されたとりまとめのまま以下に。
脳死者が生きていることを認めたうえで、「移植臓器の獲得のためには殺人も認められる必要がある」と言明し、「正当化された殺人」という概念を提唱したのが、1997年論文。
2008年の論文では、脳死者に加えて心停止ドナーも生きていることを認めたうえで、脳死基準も心停止基準も基準として正確ではないため、人工呼吸器を外して死に至る消極的安楽死が事実上認められているのと同じく、臓器摘出によって死に至ることも認められるべき、すなわち、「デッド・ドナー・ルール」の撤廃を提言。
【Truog関連エントリー】
TruogのGonzales事件批判(2008/7/30)
Truogの「無益な医療」批判への批判(2008/7/31)
臓器移植で「死亡者提供ルール」廃止せよと(2008/3/11)
”息をする死体”に過ぎない植物状態の人は実験利用に、と2006年から(2009/4/16)
Robert Truog「心臓死後臓器提供DCDの倫理問題」講演ビデオ(2009)(2010/12/20)
これまでの臓器移植関連エントリーのまとめ(2011/11/1)
昨日から始まっているカナダの自殺幇助合法化裁判で、自殺幇助を望みながら悲惨な死を遂げた人たちの家族が、次々に証言台で情緒的な語りを繰り広げている模様。
http://www.theprovince.com/news/Wife+recalls+horror+death/5711545/story.html
http://www.vancouversun.com/health/Landmark+right+challenge+begins+Vancouver/5709989/story.html
カナダ王立協会が自殺幇助合法化論者ばかりを集めて検討委員会を立ち上げたのは09年。それについては以下にリンクしたエントリーで書いた。そこから明日、一方的な合法化支持の報告書が出てくるらしい。おなじみAlex Schadenbergらの安楽死防止連合(EPC)から、そもそも委員会のメンバーがおかしいと、改めて指摘。09年に委員会が経ちあげられたのも、議会に合法化法案が出たタイミングだった。今回の報告書も、8月からの集団訴訟など大きな動きとぶつけてきたような感じがする。
http://www.digitaljournal.com/pr/490084
自殺幇助合法化法案が出ているカナダで「終末期の意思決定」検討する専門家委員会(2009/11/7)
将来、肥満になりそうな子どもは3歳半から特定できるかも? :医療も遺伝子や脳科学の個体決定論でマイノリティ・レポート時代に突入していく。 んでもって、そういうことがまた製薬会社や科学とテクノの業界にとっては新たなマーケット創出に繋がっていったりも?
http://www.medicalnewstoday.com/releases/237598.php
英国NHSのケアの質の悪さでケアの質コミッションの責任が問われているらしい。労働党が09年に設置したコミッション。
http://www.guardian.co.uk/society/2011/nov/14/nhs-watchdog-faces-investigation?CMP=EMCNEWEML1355
Obama医療制度改革の違憲性を問う裁判、最高裁へ。判決が出るのは次期大統領選挙の5か月前。
http://www.guardian.co.uk/world/2011/nov/14/obama-supreme-court-healthcare-bill?CMP=EMCNEWEML1355
NYオキュパイ運動の本拠地、Zuccotti公園のキャンプ、強制排除。
http://www.guardian.co.uk/news/blog/2011/nov/15/occupy-wall-street-police-action-live?CMP=EMCNEWEML1355
サルマン・ラシュディの名前をめぐってFacebookの実名ポリシーで悶着があったみたい。NYT. Guardianが「FB側が謝罪して決着ついた」と。
Rushdie Runs Afoul of Web’s Real-Name Police: Salman Rushdie’s fight over which name he is allowed to use on Facebook points to an increasingly vital debate over how people represent themselves on the Web.
http://www.guardian.co.uk/technology/2011/nov/14/salman-rushdie-facebook-identity?CMP=EMCNEWEML1355
日本。製造業派遣「原則禁止」削除…民自公が大筋合意。:民主党って、一体何のために政権交代したんだ? と、この頃とみに思う。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111115-00000381-yom-pol
自分のところのいわゆるブロックバスター(大売れ商品)が
特許切れまで「ひとり大売れ状態」を続けるために
ジェネリックを作っている会社に大枚を支払って
発売を延期してもらっている、んだそうな。
で、その出費分は当然のこととして
患者の薬代に転嫁される。
その額、なんと毎年35億ドル。
なので、こうした慣行そのものに
禁止を求める声もあるのだけれど、
世界的に大売れのコレステロール低下薬リピトール(スタチン系薬剤)が
今月いよいよ特許切れを迎えるファイザー製薬はさらに新たな手口を考案したみたい。
リピトールのジェネリック薬は
インドのRanbaxyという会社が作っているのだけど、08年にファイザーは
Ranbaxyと何やら今年11月までは売り出さないとの合意を取り付けたとか。
その合意の期限も特許の期限もいよいよ切れる12月1日以降を狙って、
Ranbaxy以外の製薬会社もリピトールのジェネリック売り出し競争を激化させている。
そこでファイザーが狙ったのは
薬局やその他薬のバイヤー向けに処方箋を取り扱う仲介業者。
そうした仲介業者に向けてリピトールの大幅値下げを持ちかけて
「仮に処方箋が他者のジェネリック製品で書かれていても薬局等にはリピトールを薦めてね、
とりあえず半年間続けてくれたらお安くするから」と。
で、仲介業者から薬局に対して、そういう指示が飛んでいる。
独立系の薬剤師の団体が暴いた。
リピトールの値下げによって自己負担分は変わらないから
患者は気付かないかもしれないけど、
雇用主とメディケアはジェネリックなら負担が下がるはずなのに
これまでと変わらない金額を払わされることになる。
Pfizer’s Latest Twist on ‘Pay for Delay’
ProPublica, November 14, 2011
つまりは、ビッグ・ファーマが儲け続けるためにキタナイ手を使うから、
ジェネリックが売り出されても医療費削減につながらない、ということですね。
去年からビッグ・ファーマのブロックバスターが相次いで特許切れを迎える
いわゆる「2010年問題」については、今年7月28日と8月9日の補遺で拾いました ↓
http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/63717291.html (7月28日の補遺)
http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/63785720.html (8月9日の補遺)
7月28日の補遺でMNTの記事を拾った際に既に
「特許が切れ、薬の値段が大幅に下がる……はずなのらしい」と書いたところをみると、
今回ProPublicaが書いているような事態は
その段階ですでに予測されていたということなのでしょう。
【スタチン関連エントリー】
米ではスタチン8歳からどんどん使おう、と
「8歳からコレステロール薬」にNYTimesが社説
Risperdal他、適応外処方にはもっとエビデンスが必要(2008/11/26)
健康な人も5種混合薬を毎日飲んで将来の心臓病リスクを半減しよう、って(2009/4/2)
コラムニストがビッグ・ファーマにお勧めする「2010年・新年の誓い」(2009/12/24)
ビッグ・ファーマが当て込む8つの“でっちあげ病”(2010/4/17)
2011年1月29日の補遺(スタチンにアルツハイマー病予防効果)
それから昨日の補遺でも以下のように書きながら、
私の頭に浮かんだのは「これもまたスタチンのマーケティング戦略?」だった。
9歳から11歳の子どものコレステロールの検査を、さらに17歳から21歳の間でも再検査を、とNIHからガイドライン。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/237562.php
http://www.bioedge.org/index.php/bioethics/bioethics_article/9833#comments
8月にいったん挫折したカナダのFarewell Foundationによる自殺幇助合法化集団訴訟の原告の一人でALS患者のGloria Taylorさん(63)が、改めて同じ趣旨の訴訟を起こしている。
http://www.ctv.ca/CTVNews/Canada/20111113/dying-woman-resurrects-assisted-suicide-debate-111113/
http://www.thestar.com/news/canada/article/1086165--landmark-case-renews-debate-on-right-to-die
この動きを受け、Calgary Heraldに安楽死防止連盟のAlex Schadenbergらによる合法化反対の論考。
http://www.calgaryherald.com/news/should+afraid+assisted+suicide/5703321/story.html
Farewell Foundationの訴訟については以下の補遺に ↓
2011年8月1日の補遺
2011年8月3日の補遺
2011年8月19日の補遺
腎臓病のあるマイノリティの子どもは家族の所得層に関わらず、人工透析が必要となる前に腎臓移植を受けられる確率が白人の子どもよりも低い。
http://www.medicalnewstoday.com/releases/237495.php
57歳の時に体外受精で子どもを産みたいと表明し、年齢的に子育て懸念の批判を受けた際に「夫は11歳も年下」と反論して母親となった女性が、その後離婚し、現在61歳で3歳児の母。「後悔はないけど、あの時、批判した人たちは正しかったわ。生殖補助医療の年齢制限は50歳にするべき」と。
http://www.dailymail.co.uk/news/article-2058133/IVF-mum-61-My-critics-right-age-limit-50.html?ito=feeds-newsxml
【関連エントリー】
インドの70歳女性、体外受精で初産(2008/12/9)
66歳で世界最高齢出産の女性、3歳の双子を残し、癌で死去(2009/7/16)
59歳がIVFで妊娠希望、医師ら年齢制限には反対(英)(2010/1/19)
肺炎の子どもは入院するよりも自宅療法の方がよい。:家で本人のペースに合わせて好きなものを飲んだり食べたりさせてやれるなど、入院しないことのメリットは大きいと、数え切れないほどの気管支炎、肺炎を繰り返した娘の幼児期に私も痛感していた。ただ、それは親の側にそれなりの経験や知識があってのことで、また子どもの元々の健康状態やその時の症状、家庭環境にもよると思うので、医療費削減の社会的要請からこういうデータが出てくるのかなぁ……と思わせられるところには、むしろ警戒感が先に立つ感じ?
http://www.medicalnewstoday.com/releases/237504.php
日本では「政策仕分け、社会保障分野もテーマに―刷新会議、20-23日開催。
http://www.cabrain.net/news/article/newsId/35957.html
英国保健相が、勝手に配給医療をやったり手術を延々と待たせたりして医療費を浮かせているNHSのトップはクビにしてやるぞ、と。
http://www.guardian.co.uk/society/2011/nov/14/andrew-lansley-prepared-to-sack-pct-chiefs?CMP=EMCNEWEML1355
9歳から11歳の子どものコレステロールの検査を、さらに17歳から21歳の間でも再検査を、とNIHからガイドライン。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/237562.php
ボランティアをしたり他の人を助けようとする田舎の子どもには、薬物濫用が少ない。:むしろ薬物に手を出さないような安定した子どもでないと、ボランティアをやろうという気になかなかならない、ということでは?
http://www.medicalnewstoday.com/releases/237509.php
北米のワクチン未接種の人の間で麻疹の流行。:これはここ数年ずっと言われていて、接種の法的義務付け論者が引き合いに出してくる。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/236401.php
【関連エントリー】
「ワクチン拒否の親には他児に害をなす“不法行為責任”を問え」とDiekema医師(2010/1/20)
米国で「ワクチン打たないなら診てやらない」と医師ら(2011/7/6)
千葉で「障害者虐待防止法で学習会 危機管理 支える側にも」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/20111113/CK2011111302000056.html
シノドス・ジャーナルに掲載の小山エミさん「『ウォール街占拠』運動における『運動内運動』――性暴力、ホームレス非難、ホモフォビアをめぐって」
http://synodos.livedoor.biz/archives/1855845.html
ロンドン・オリンピックでの英国側の警備態勢が万全でないので、選手を守るためFBIのエージェントを500人も送らねばならん、と米国が腹を立てている
http://www.guardian.co.uk/sport/2011/nov/13/us-worried-london-olympics-security-2012?CMP=EMCNEWEML1355
The Patients Associationから、患者や家族の生の声を拾った3つ目の報告書が出ている。
We’ve been listening, have you been learning?
The Patients Association
報告書冒頭の、チャリティの責任者Katherine Murphy氏の挨拶によると、
もう何年も前から指摘されていることなのに、高齢患者が相変わらず
水分をとれず、食事介助もされずに、ナースコールは手の届かないところに置かれて
痛みのケアさえ受けられずに放置されている、とのこと。
Medical Futility Blogがとりあげていたので、
報告書34ページから36ページの Immacolate Lacovara さんのケースを読んでみた。
息子のMatt さんが書いたもの。
Lacovaraさんは今年の1月12日、
74歳の誕生日に病院の集中治療室に入院。
前日に呼吸専門ナースの診察を受け、COPDと診断されており、
12日の血液検査で異常が見られたので入院して酸素マスクを着用となった。
集中治療室ではPTが来ても
ベッドから椅子に移すだけで何もしてくれなかった。
(まずは座位をとることからリハビリを始めるというのはアリだと思うのだけれど、
この場合、家族にそれがきちんと説明されていなかった問題なのかも?)
Lacovaraさんは順調に回復を見せて、一般病棟に移ったものの、
体重が100キロを超える大きな人だったこと、英語が不自由だったことから
ナースは露骨に迷惑視して、ロクな看護をしてくれずに放置されたために、
母親の身体は辱そうだらけ、傷だらけになった、と家族は言う。
家族のいるところでも体が大きく重いことについて
ナースから平気で非礼な発言が繰り返されたので
娘が病院の責任者に抗議したがまともに受け止められたとは感じなかった。
が、何よりもこの人のケースで問題だと思うのは、
カルテに家族の誰も知らないDNR(蘇生無用)指定が記入されていたこと。
家族がそれに気付いたのは
母親が亡くなった夜だったという。
最後の晩には夫が付き添っていたが、
呼吸が出来なくなった時にどうにかしてくれと助けを求めても
DNR指定がされていたために何もしてもらえず、
夫は苦しむ妻を抱いていてやることしかできなかった。
そんなものを提案されたとしても
母親の代わりに家族がサインするはずはないし、
母親はずっと家に連れて帰ってくれと家族に懇願していたのだから
もしも万が一にも母親自身がサインしていたとしたら、それは
いい加減な説明で自分のために医療職がしてくれることだと信頼したか、
英語が不自由だったために理解できなかったかで
よもやそれで自分が見捨てられることになるのだとは
夢にも思わずにサインしたに違いない、と息子。
英国で一方的DNR指定が行われていることについては、↓
肺炎の脳性まひ男性に、家族に知らせずDNR指定(英)(2011/8/3)
「本人にも家族にも知らせず“蘇生無用”」はやめて一律のガイドライン作れ、と英国で訴訟(2011/9/15)
高齢者の入院時にカルテに「蘇生無用」ルーティーンで(英)(2011/10/18)
【その他関連エントリー】
“終末期”プロトコルの機械的適用で「さっさと脱水・死ぬまで鎮静」(英)(2009/9/10)
「ポスト・ヒポクラテス医療」の「無益な治療」論ではDNR指定権まで病院に?(2010/6/19)
家族介護者の介護に関する画期的な判決。
シドニー在住のRose Thieringさん(58)は
07年にバイクの事故で四肢まひになった息子(33)の介護のために
高給の仕事をやめた。
NSW州には交通事故で障害を負った人には
強制的自動車保険(CTP)の保険会社による賠償金や
Lifetime Care and Supportという支援制度があるものの
プロの介護者の介護に対しては支給されることはあっても
家族介護に対しては給付の対象とならないため、
母親が息子の介護に費やした時間と労力に対して
夫妻が補償を求めて訴訟を起こしていた。
11日、NSW最高裁は
母親が介護した時間と労力に対する補償は請求可能だと判断を下した。
夫妻の弁護士が今後、
賠償保険の保険会社かLifetime Careのいずれかに請求することとなる。
この判決により、
Lifetime Careが家族や友人知人による介護を無休のままアテにしてきたことで
自動車強制保険の保険会社が負担を免れていたことが明らかになったが、
同時に、自動車保険の保険金の値上がりも避けられないだろう、と。
Historic court win for carer
The Telegraph, Novebmer 12, 2011
法律や制度の背景が分からないとなんとも言えないところはあるのだけど、
NSW政府のLifetime Care and Supportについては、
どういう委員会なのか、さかのぼって調べていないものの、
今年2月にNSWでの脳損傷者への支援を調査されたグループの報告文書にヒットしたので、
(お世話になっている名川先生のお顔もある!と思ったら名川先生の文章だった)
その文書から該当部分を以下に。
http://jaga.gr.jp/pdf/2010houkoku03.pdf から
プレゼンテーションにおけるポイントの1つにあがったのは、交通事故による外傷性脳損傷者に対する制度の充実と、それと比較して非外傷性などの脳損傷者に対する支援の不十分さである。すなわち、交通事故による外傷性脳損傷者は、賠償保険により経済的な補償を受け、私費によりサービスを購入確保するとともに、Lifetime Care and Support Scheme(LTCS) という包括的支援制度を利用できる(後述)。しかし、そうでない人は結果として低所得者となってしまうとともに、このスキームを利用できないため、全般的な制度利用にとどまる。両者には実に大きな開きがあるように感じられたが、しかし日本の現状は、この非外傷性などの脳損傷者に対する支援レベルと類似しているのではないかとの指摘があった。
⑴ 賠償保険による補償を受け、経済的に余裕がある場合民間の支援サービスを個人で購入し利用する。住居なども個別に確保する。またLifetime Care and Support Scheme(LTCS)によるサービスを利用する。具体的な生活の例としては、Cerebral Palsy Allianceでヒアリングを行った当事者の状況がわかりやすい。
⑵ 賠償保険による補償を受けられないため、Lifetime Care and Support Scheme(LTCS)を利用できず、低所得である場合オーストラリア連邦政府や州の提供する住居を利用する。あるいは、補助を利用してアパートを借りる。公的グループホームは待機者が大変多い。どうしてもみつからなければ高齢者施設を利用せざるを得ない。
これらに家族が関与するかどうかは、経済状態や障害の状態など諸条件によるため一概にはいえないが、経済的な余裕がある場合、主たる介護者はサービス提供者となり、家族は家族としての一般的なかかわりの中で本人と付き合うようになると思われる。ただし、認知障害や強度行動障害などのマネジメントが不十分で、家族が混乱・疲弊する場合は、生活を共にすることが難しくなるようである。
また、ヒアリングによれば、利用できるサービスがない場合は、家族が主たる介護者とならざるを得ないが、これには、低所得者層とした家庭がもっぱら該当するようである。現在はこのような家族の高齢化が進み、今後の支援体制が課題となっているとの説明もあった。BIA NSW のケースマネジメントスタッフなどが主としてかかわるのは、このようなニーズのある人たちであると、質疑応答で説明がされていた。
5 Lifetime Care and Support Scheme(LTCS)
2006年交通事故法(Motor Accidents(Lifetime Care and Support)Act2006)を根拠として創設された支援スキーム(枠組み)である。交通事故により、一定以上の傷害(脊髄損傷、脳機能障害、上下肢欠損、熱傷、永続的視覚障害など)を被った場合、以下のようなサービスを受ける。リハビリテーションは期限を定めて行われるが、その後の福祉的サービスは、ニーズに応じて継続される。
① 医療(歯科・薬剤を含む)
② リハビリテーション
③ 救急移送
④ レスパイトケア
⑤ アテンダントケア(個々のニーズに合わせた介助者)
⑥ 家事支援
⑦ 義肢、補装具、補助具等
⑧ 教育・職業上の訓練
⑨ 住居・施設等の改修
この調査チームの報告書によると、
交通事故で障害を負った人への支援の仕組みと
その他の原因で、例えば脳卒中の後遺症で障害のある人への支援の仕組みとは
根拠法も枠組みも別もので、前者の方が手厚いようなのですが、
この説明の中でも一概には言えないとしながらも
「主たる介護者はサービス提供者となる」という下りがあるのが興味深い。
交通事故による障害への支援の枠組み限定であるにせよ、今回、
家族介護者の介護についてもプロの介護者のように金銭補償が法的に認められたというのは
やっぱり画期的なこと。
これって、本当は、突き詰めていけば、
「おひとりさま」仕様の介護保険制度が理想形で完成された場合には
家族介護に対しても専門職と同じ介護報酬が認められて然り……ということでは???
いや、まぁ、だから、あくまでも
「理想形で」「完成」されたとしたら、の例え話として、
ちらっと頭に浮かんだだけなんだけど……。