米国の世界ランク45位の大富豪による自社サイトでの「安楽死ライブ中継」には、
「中継」中に15000人が視聴したとのこと。
以下の記事に、その映像のスチール写真が掲載されており、
確かに予告通りに、右下に投票があります。
が、実際には、映像はビデオであったばかりか
ターミナルな脳腫瘍患者とされたロシア人男性は
Alki David 氏のヨットのキャプテンで、
妻を演じたのは家政婦さん。
医師らは、実際の医師の出演によるもの、とのこと。
映像が始まって30秒後には、作り話であることが明かされ、
その30秒後にはDavid氏が登場し、サイトのプロモのために
マーケッティングで仕組んだことだと明かした、と。
Alki, Did it Again! – First Assisted Suicide Broadcast Live Over the Internet Was a Promotion
Greek Reporter, July 30, 2011
これまでの関連エントリーは以下。
今夜、Dignitasでの自殺幇助を、大富豪がインターネットでライブ中継(2011/7/29)
安楽死のライブ中継は「意識革命ですよ。同時に視聴者の投票という新しい面白みも加えます」(2011/7/30)
安楽死ライブ中継は「まず医療費援助から始まり、追加援助と引き換えに妻が提案」(2011/7/31)
この最後の今朝のエントリー、実は
昨夜遅くに書いて朝まで寝かせておいたものです。
今朝こいつをアップしてから、上記の記事を読みました。
体が震えるほどの嫌悪と憤りが突き上がってきた。
カネの力にあかせて死をもてあそび、オモチャや道具にする神経にも、
こんなビデオ作製に出演したホンモノの医師がいる、ということにも――。
「科学とテクノで簡単解決バンザイ文化」と功利主義と
グローバル強欲ひとでなし金融ネオリベ慈善資本主義の暴走で、
米国社会はどんどん病んでいく……というのは、
このブログを始めてからずっと感じてきたことだけど、
この人たちは、もう、後戻りできないところまで
「すべり坂」を転げ落ちてしまっているのではないのか、
そして、そんな愚かしい、頭がいいだけ、カネ持ってるだけのバカたちに
みんなが引きずられていく以外には、もうどうにもならないところまで
グローバルな世界の諸々の仕組みはもっていかれてしまったのではないのか……。
せめて、この醜悪な「金持ちのギャグ」騒ぎに
世論がまっとうな反応をすることを期待してみたい……。
Alki David についてはこちら。
Alki David 氏から直接コメントをとったネット・メディアが引用しているのは、
これまた、あちこちの行間からなんともイヤ~な匂いが立ち上ってくる話。
Originally I was approached by one of my staff to help Nikolai out with medical expenses. I did so. We exchanged some emails and that was it. Once his health started to deteriorate his wife Uryna asked me to pay for his assisted end of life. It was her suggestion in fact that we stream it in exchange for more money.
最初は、スタッフの一人から
ニコライの医療費を助けてやってくれと頼まれたのがきっかけ。
で、出してあげた。
その時はニコライと何度かメールのやりとりをして、それで終わった。
その後、症状が進んできて、今度は奥さんのUrynaさんから
自殺幇助の資金を出してほしいと頼まれたんだ。
本当のところ、資金援助の追加と引き換えに
ライブで流してもいいと言い出したのは奥さんの方だった。
放映権にいくら払ったかは明かさなかったけど、
「6桁の金額」だった、と。
THIS BRITISH BILLIONAIRE IS LIVESTREAMING A KEVORKIAN-ESQUE ASSISTED SUICCIDE
Mogulite.com, July 28, 2011
いかに世界ランク45位の大富豪でも、
スタッフに頼まれたからというだけで、
何の見返りもなく他人の医療費を出してあげるものか――?
なんか、もう、ぜんぜん比喩ではなく、気分が悪くなってきた……。
【追記】
これをアップした直後に拾った、驚くべき顛末 ↓
http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/63730460.html
今夜、Dignitasでの自殺幇助を、大富豪がインターネットでライブ中継のRador on line記事を受けて
Daily Mailが取材し、昨日、記事にしていた。
そこに一昨日の記事にはなかった情報がいくつか出てきていて、
WHAAAAAAAAAT???
目を剥いたのは、Ivanisovichさんの自殺の方法――。
これまでのDignitasでの「自殺幇助」とは
医師が(Dignitasの提携医だから、そこは、ね)予めその人に処方した毒物を
Dignitasスタッフの介助によって本人が飲んで死ぬ、というもの。
以前、いろんな国で放送されて物議をかもした米国人ALS患者Ewertさんの自殺場面でも、
スタッフが「自分で飲むことが大事。自己決定の証だから」と念押ししていた。
(Ewert氏の死の映像が映画化されて出回っている件については文末にリンク)
しかるに!
今回、Ivanisovichさんには、医師が致死薬を注射するのだという。
ちょっと、待ってほしい。
それは「自殺幇助」ではなく「積極的安楽死」または「殺人」ではないんですか?????
たしかスイスで自殺幇助が合法と解釈されているのは、
自殺そのものが非合法でないことに加えて、
個人的な利益という動機からではなく自殺を幇助する行為は違法とされないという
2点からの法解釈によるものだったはず。
なら、なんで、そんなことが許されるんだ????
しかもEwertさんの映像はあくまでも録画ビデオが流されたものだったのに対して
今回はライブなのだから、これは「殺人」場面のライブ中継ではないのか??
もう1つ、前の記事にはなかったのが
このサイトの担当者と、“独占放映権”を買った富豪の言葉――。
まずサイトの担当者は
「我々が何を見るか、どういう方法でそれを見るか、という問題についての、
これは意識革命(breakthrough in consciousness)ですよ」
富豪のAlki David氏は
We are creating a new form of interactive special interest with Battlecam’s unique voting system. The online audience will actually vote whether they want to see the suicide or not.
BattleCamサイト独自の投票システムを使って、これまでにない交流式の面白みを今回は加えていきますよ。オンラインで観客が、この自殺場面を見たいかどうかを実際に投票するんです。
なお、それ以外にもDavid氏のコメントとして引用されているものは
上記のRadorの記事ではIvanisovich氏のコメントとして引用されているもので
ちょっと情報に混乱があるようです。
それから、David氏はIT系の富豪ではなく、
船会社やボトル製造帝国を跡取りとして継いだ人、のようです。
本人も俳優だと書かれていますが、去年立ち上げたBattleCamには、
私にはイマイチ背景が分からないんだけど、政治的背景もあるみたい。
どうも、今回のこと、その辺りが匂うのでは?
先に触れたEwertさんの映像も、
英国でまた、まるでタイミングを合わせるように流されたみたいだし、
1か月前にも、BBCがホテル王のDignitasでの自殺場面を流し、非難ごうごう巻き起こったばかり。
(この事件は補遺でしか拾っていないのですが、次のエントリーに情報まとめます)
まるで、世界中で「自殺映像で洗脳」キャンペーンが行われているみたいな……。
Suicide to be broadcast on the internet: Terminally ill Russian brain cancer patient to have his assisted death at Swiss clinic streamed live
The Daily Mail, July 29, 2011
昨日のエントリーの末尾に追記した掲示板をちょっとだけ覗いてみたところ、
「死ぬのも、どんな形で死ぬのかも、個人の自由、自己決定だから」として
支持するという人がかなりの高率でいるのに、ぶっ飛んだ。
「自己決定」というのは、
本当に自由な選択が保障された状況下での話じゃないんだろうか。
例えば現在、日本で、派遣切りなどで食い詰めている若者たちが
人買いみたいな形で原発の作業に連れて行かれているのだって、
自分が「行きます」と言った以上は「自己決定」ということにされるんでしょーよ。
ナイジェリアの赤ちゃん工場で子どもを産まされていた少女たちだって、
何らかの形で「産んでもいい」と解釈しうる言葉を吐いていれば
それも「自己決定」だから「本人の自由だ」ということにされるのかもしれないし、
代理母をやるインドやギリシアの貧しい女性だって、
それ以外には一家が生きていく方策が見つからないために
「私も代理母をやりたい」と業者を訪ねていくのだとしても、
それも「自己決定」ということで片づけられてしまうんでしょーよ。
パキスタンで食い詰めて、
一家の数週間分の食料を買うためにブローカーに腎臓や目を売る人たちだって、
「売りたい」と言って自分からブローカーに接触したのでしょーよ。
そういう人たちの「やります」の、一体どこが
「本人の自由意思」による「自己決定」だというんだ?
Ivanisovich氏は、放映権を買ってもらったことで
「家族が自分の死後も今の家で暮らし続けることができる」と“感謝”している。
そんな理由で、自分の自殺場面を世界中にライブ中継してもらおうとする行為は
本当に健全な「自己決定」なのか。
そんな「自己決定」に乗っかって、みんなで人の死を見世物にして娯楽にするなんて
それが一体、健全な人間のすることなのか。
掲示板で、一人、「次は、その場で見物するチケット売り出しだね」と書いた人がいた。
この人は反対意見の人だった。
でも、同じことを全く別の意味で望む人だっているのでは……? と思って、
心底、ぞおおおおおっとした。
――――――
この前、ケアラー連盟設立1周年記念フォーラムで、
千葉の独自事業で、対象者を限定しない相談事業をやっている人が言っていました。
家庭がその中に複数の問題を複合的に抱えてしまう時、
人は健全な自己決定を行う能力を失っていきます。
その典型が自殺念慮です。
支援とは、
その人が本来持っている健全な自己決定能力を
取り戻せるためにはどうしたらいいかを
その人に寄り添いながら、共に悩み、考えること。
【Ewert氏のDignitas死映像関連エントリー】
英TVでDignitasでの自殺映像、Brown首相は「合法化は支持しない」(2008/12/12)
豪TVでも、DignitasでのALS患者の自殺映像放送へ(2009/8/17)
デンマークでも幇助自殺映像をTV放送(2009/10/6)
ALS患者のDignitas自殺映像が映画祭に(米WA州)(2009/10/16)
1度も上映されたことのない「自殺幇助合法化ドキュメンタリー」がオスカー候補……の怪(2010/2/19)
【31日追記】
その後の、驚くべき顛末 ↓
http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/63730460.html
全員接種が義務付けられているMalawiで、
薬物摂取を禁じている2つの教会に属する親たちが、先週、
ワクチンから逃れるために、子どもを連れて隣国 Mozambiqueまで逃げたそうな。
で、今週に入って、こっそりと家に戻った。
それは、すぐにNsanjeの保健当局の知るところとなる。
「モザンビークに隠れていた子どもたちが戻ってきていると通報があったので、
ワクチンを打つための保健職員を派遣するから随行してくれるよう、警察に要請しました。
それで、どうにかこうにか131人の子どもに接種を終えました」
この一連の事件で、
Mchinji Third Grade Magistrate 裁判所に2年間の禁固刑を言い渡された親がいる。
Appolo Chitsongaさん。
The Seventh Day Apostolic faith という教会の信者で
ワクチンを打たせないよう、3人の子どもを家に閉じ込めたという。
そのうちの一人は麻疹で死んだということになっている。
その事実関係のうちのどの部分に対する刑罰なのかが
記事からはイマイチ分からないのだけど、
「刑法242条にある合法的な免除理由もなしに
自分の保護下にあるものに生命維持に必要なものを提供せず、
命を危険にさらした罪」。
もう一人は2年間の重労働付き禁固刑。
(こっちの人の子どものことは書いてないから、
たぶん死んではいなんだろうと思うんだけど。
それに前の人の子どもだって、仮に麻疹で死んだのが事実だとしても、
時期からしてワクチンは間に合っていないと思うから
父親の行動との因果関係は少なくとも立証できないのでは?)
131 children vaccinated at gunpoint in Nsanje
Malawi Voice, July 29, 2011
ちょっと面白いのは、
このMarawi Voiceの記事が
あちこちのサイトにコピペされて
広がって行くにつれタイトルが変貌していく様――。
上記の記事は
「Nsanjeで131人の子どもに銃を突きつけワクチン接種」
次には
「ゲイツ財団の関係機関が子どもたちに銃を突きつけワクチン接種」
それやこれやの中には
「ゲイツ財団が銃を突きつけ、途上国の子どもたちにワクチン接種」というものも。
あははは。この現象、おっかしい。
確かに事実のうわべだけを見れば、
ゲイツ財団がやったわけじゃないのだから、こうしたタイトルは飛躍しすぎている。
(もともと警察が一緒に行ったというだけで、
実際に「銃を突きつけた」とは本文のどこにも書かれていない)
でも、どうしてこういうことが起こるのか、その背景を考えたら、
この最後のタイトルだって、あながち間違いでもないかもしれない。
思い出されるのは、Bill Chill。
Billから法外なおカネを恵んでもらう人たちが、
別にBill からはっきり求められたわけでもないのに、
無用な先回りをしてBillの望みや意向を忖度・斟酌し、
過剰適用的にBillの期待に応えようと必死になること。
なにしろ、Bill のことを考えると、みんなブルっちゃって、
そういう行動に、つい駆られちゃうからね。
(いやでもAshley事件が頭に浮かびますが……)
でもさー。
あたし、ソマリアの飢餓のニュースを見てから、ずっと考えてんだけどぉ、
Billってさぁぁ? たしか、言ってなかった? ほら、な~んか自慢げにさぁ、
ソマリアなんか、無政府状態でも子どものワクチン接種率は高いんだぞ……とかって。
あれって、やっぱ、他の途上国だって、もっと打たせられるはずだろって、
Billは、言ってたんじゃないのぉ?
オマエら、何やってんだ、無政府状態でもないなら、もっと成績上げろよって、
ああやって暗に尻おっぱたかれりゃ、よ、
ソマリア以外の途上国のお役人たちも凍りつくわけじゃん?
だってBillに睨まれたら、おカネもらえなくなるんだよぉ? そりゃ Chillだよねー。
隠れている子どもたちを探しだし、
お巡りさんについてきてもらって銃を突きつけてでも、打たなきゃ……って、
そんな気にもなるじゃ~ん。チンケな官僚主義ってな、
どこの国のどこの社会でも、そんなもんだもん。
だからぁ、このマラウィの事態はBill Chillそのものでぇ、
だからBill がやらせているのと同じなわけでぇ……って……
あっ、ごめ~ん、あたしが言いたかったのはぁ、そーゆうことじゃなくてぇ。
その、Billが言ってた、
ソマリアの子どもたちのワクチン接種率が高いって話の方なんだけどぉ。
それって、Billはぁ、ソマリアにワクチンを届けられるってことでしょー?
なんての? ほら、ルートを持ってる……っての?
ならさ、そのルートで、ソマリアに食糧を届けることもできる、って、
ねーぇ、どぉーして、Billは、思いつかないのかな~ぁ?
金曜日の晩に、カメラの前で医師の自殺幇助を受けて死ぬことになっているのは
脳腫瘍でターミナルな状態の Nikolai Ivanisovichさん(62)。
もちろん、その場所は、記事によれば "a clinic in Switzerland"。つまり、お馴染み Dignitas。
(Dignitasをクリニックって言うなっ……てば。
致死薬は確かにその患者に前もって医師が処方したものですが、
DignitasをやっているMinelliは医師ではなく弁護士。
Dignitasは自殺希望者に場所を提供し、自殺前後のお世話をショーバイにしているだけ。
またMinelliが直接お世話するわけではなく、出てくるのはスタッフ。
メディアは間違うことが多いですが、Dignitasは、クリニックではありません)
ライブ映像が流されるのは、 24/7 Reality TV というサイトで、
ここはAlki David という大富豪が運営するサイトだとのこと。
Ivanisovichさんの自殺幇助の独占放映権を買い取ったんだと。
名前もそうだけど、
ロシアのメディアに発言しているところからロシア人なのでしょう。
Ivannisovichさんは
「David氏とチームにはこれを実現させてもらって感謝している。
これで私が死んだあとも家族は今の家に住み続けることができる。
Davidさんは本当に親切で、気前のいい方だ。
今回のことに関する道徳的な問題について言えば、
私はなんら間違っているとは思いません。
誰だって生きていれば死ぬ。
ターミナル期の苦痛を感じずに命を終える権利の大切さを認めている国は
スイスを含め、ベルギー、ルクセンブルクなど西側世界には沢山ある」
World To Watch Assisted Suicide Live On Internet
Rador online, July 28,, 2011
見たいというコメントが多数くっついている。
これが転載されている、こちらのブログにもコメント多数。
ただし、こちらは見たくない人が多数。↓
World to Watch Assisted Suicide Live On Internet
Free Republic, July 28, 2011
問題のサイトのリンクはないのだけれど、
ここで流れる、という情報もある ↓
http://www.battlecam.com/alkidavid
ただ「金曜の晩」というだけで時間が出ているわけでもありません。
私は個人的には見る気はないです。
スイスへの「自殺ツーリズム」を実現するだけのお金がなかったり、
自分が病気で死んだ後の家族が心配だったりする人が、
自分が自殺幇助を受けて死ぬ場面の“放映権”を売る……。
買う方(IT系の大富豪らしい)は、それを面白半分に、
自分が趣味でやっている悪趣味なサイトで流す……。
ねぇ、だれ、「すべり坂」なんか、ないっ……て言った人?
安楽死と臓器提供が結び付いただけでも、おぞましさの極致だと思っていたのに、
安楽死が、金持ちの遊びと結びついたよ、今度は?
【追記】
こんなことして、いいのか? と問う掲示板が立ちあがっている ↓
http://www.sodahead.com/united-states/should-terminally-ill-man-be-allowed-to-televise-his-assisted-suicide/question-2021655/
【31日追記】
その後、あれこれ続報を拾った挙句、驚くべき顛末に ↓
http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/63730460.html
ちょっと確認したいことがあって、2008年のDenver 子ども病院の75秒DCDルール(心停止から75秒だけ待って、心臓を摘出、移植するプロトコル)について調べていたところ、当該論文と、その直後に加熱した論争当時の文献があれこれと出て来たので、面白そうなものだけでも拾っておこう、と思って。
論議を呼んだ、Denver子ども病院チームのもと論文。全文が読めます。
http://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMoa0800660#t=article
2008年8月、上記論文発表時のWP記事。「Auroraの乳児心臓移植で、轟々の非難と賛辞」。
http://www.denverpost.com/ci_10195136
日付の確認ができないんだけど、Hastings Center Reportの記事。「乳児心臓移植論争により死亡提供者ルールの重要性が注目される」
http://www.thehastingscenter.org/News/Detail.aspx?id=2058
米国医師会新聞の2009年1月の記事。「死の再定義:新たな倫理のジレンマ」。
http://www.ama-assn.org/amednews/2009/01/19/prsa0119.htm
2009年10月の All Businessというサイトの詳細な記事。「細く平たい境界線:DCDにおいてはどういう患者が法的に死んでいるのか」:2008年の一般メディアの報道を見ても、法的に死亡宣告がされるためには心停止から2~5分待つことが求められているとされ、Denverの75秒ルールは違法だとの見方が目につく。
http://www.allbusiness.com/medicine-health/medical-treatments-procedures-surgery/13587710-1.html
NYT の2009年12月の記事。「死はいつから始まるのか」。移植を受けた患者と家族、ドナー家族への取材と、論争の概要。
http://www.nytimes.com/2009/12/20/magazine/20organ-t.html?pagewanted=all
【その他の話題】
Art Caplan が Lancet で、医療職のインフルエンザ・ワクチン接種率が過去10年間5割を切っているとは何事か、義務付けるべき、と。冒頭、英国のワクチン関係者と話したエピソードがあるのだけど、英国でも医師らがなかなかワクチンを打たないのに困っている、と。:たいへん興味深いデータです。たしかブタ・インフルの時にも、医療職の接種率は低いままでしたね。
http://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736%2811%2961156-2/fulltext
兄弟姉妹が打ち揃って親の家に集まって、音楽やごちそうで盛り上がり、何をするのかと言えば、親の人生を称え、親の死後の細かいことをみんなで話し合って取りきめておく。そういうイベントをやった家族の取材記事。子どもたちがhelp their parents to celebrate life and plan for death。親が人生を振り返って寿ぎ、死に備えるのを「子どもたちが手伝ってあげる」んだと。
http://www.washingtonpost.com/national/siblings-joined-forces-to-help-their-parents-celebrate-life-and-plan-for-death/2011/05/23/gIQAzsZCZI_story.html?wpisrc=nl_cuzheads
ヘロインの覚せい効果を相殺するワクチン、ラットで開発中。:こういうのまで、いずれ開発されればリスクの高い人に「薬物濫用予防」の名のもとに?
http://www.washingtonpost.com/national/health-science/a-vaccine-against-heroin-works--at-least-in-rats/2011/07/25/gIQAm4PeZI_story.html?wpisrc=nl_cuzheads
オンブズマンとして、ナーシングホームの入所者の苦情を聞いてきた女性が、自身の怪我でリハビリを受けるために入所したところ、あまりにも尊厳のない扱いに衝撃を受けた体験談。
http://www.startribune.com/local/126150738.html
イリノイ大学の調査で、グループホームの職員の給料に補助金が出ると、職員の離職を防げて、長期的にはコスト削減につながる、との結果。
http://www.medicalnewstoday.com/releases/231604.php
子どもの入院治療については、本人を交えて話がされていないと、子どもの不安や精神的な動揺が大きい。
http://www.medicalnewstoday.com/releases/231668.php
母乳で育てられた子どもは喘息になりにくい。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/231657.php
米小児科学会倫理委の「栄養と水分の差し控え」ガイドライン(2009)において
成人患者の場合に栄養と水分の供給をその他の医療と変わらないと判断する
法的根拠として言及されていました。
Alicia Quelletteの新刊「生命倫理と障害:障害者に配慮ある生命倫理を目指して」を読んでいたら、
第2章のあたりで、そのクルーザン判決について書かれていたので、資料として。
まずびっくりしたのは、クルーザン判決を決定づけた最高裁判事って、
何年か前に引退する際に後任人事がモメまくって
連日ニュースになったのが記憶に残っている
あの女性判事のO’Connorさんだった。
自分がこういう問題に興味を持つ以前の出来事で
リアルタイムの報道に詳しく触れていないためか、クルーザン事件も
70年代のカレン・クインラン事件とか2005年のシャイボ事件と一緒くたに、
「過去の事件」「教科書の中の出来事」みたいに感じているところがあって、
時折、こんなふうに、
「あのO’Connorさんだったのかぁ……」などと
自分がリアルタイムで触れたニュースとの繋がりに触れると、
それらの事件の現在性が妙にナマナマしく感じられてきたりする。
で、Quelletteの著書に引用されているのが
5-4でクルーザン訴訟の最高裁判決を決定づけたO’Connor判事が
特に「栄養と水分はその他医療と同じ」とする自分の見解を明確に書いている個所。
the liberty guaranteed by the Due Process Clause must protect, if it protects anything, an individual’s deeply personal decision to reject medical treatment, including the artificial delivery of food and water.
合衆国憲法のデュー・プロセス条項によって保障された自由が、なにがしかのものを保護するとするならば、それは食物と水分の人工的な供給を含めた治療を拒否するという、本人個々の非常にプライベートな決定を保護しなければならない。
さらに米国医師会の倫理見解とHastings Centerのガイドラインを引用した上で、
artificial feeding cannot readily be distinguished from other forms of medical treatment. Whether or not the techniques used to pass food and water into the patient’s alimentary tract are termed ‘medical treatment,’ it is clear they all involve some degree of intrusion and restraint. Feeding a patient by means of a nasogastric tube requires a physician to pass a long flexible tube through the patient’s nose, throat and esophagus and into the stomach…..Requiring a competent adult to endure such procedures against her will burdens the patient’s liberty, dignity, and freedom to determine the course of her own treatment.
人口栄養はその他の形態の治療と容易には区別できない。食物と水分を患者の消化管に入れる技術を「治療」と呼ぶかどうかはともかく、人口栄養は一定程度の侵襲と拘束を伴う。鼻から胃に管を入れて栄養と水分を供給するには、医師が患者の鼻から長く柔らかいチューブを入れ、喉、食道を通過して胃に至らしめる……意思決定能力のある患者に自分の意思に反してこのような処置に耐えよと求めるのは、患者の自由と尊厳、治療ついて自己決定する自由を脅かすものである。
引用はいずれも、Quelletteの著書のP.42。
たったこれだけから断定的なことは何も言えないとは思うけれど、
たったこれだけを読むと、
ものすごく複雑な気分で、わわわっと頭に浮かんでくることがあれこれあって、
うぅ~ん……。
な~んか、引っかかるんだけど、
うまく整理できない。
http://www.guardian.co.uk/science/2011/jul/22/medical-research-humans-animals-regulation?CMP=EMCGT_220711&
King’s College Londonの調査で、ホスピスの患者の中に少数ながら一定数、死を早めてほしいと望む人がいる、との結果が報告された。思わず、ゲンナリしたのは、「死を早めてほしいと望むこと」に“いかにも”な名前がつけられてしまったらしいこと。その名もDHD。Desire for hastened death だって。そればかりか、この記事の冒頭で使われている文言は、symptoms of DHD。「DHDの症状」。DHDってな、だから、ほら、医療的に対応すべき症状である、と。もちろんウツ病患者の希死念慮とは、全く別の文脈。
http://www.healthjockey.com/2011/07/23/small-number-of-patients-allegedly-desire-hastened-death/
ハーブを研究してきた学者であった母親が認知症になり、こんな自分として生きていたくないと望むのを受けて、介護しているシングル・マザーの娘が殺す……というストーリーのメキシコ映画「グッド・ハーブ」が話題になっているらしい。予告編によれば、国際映画賞をいくつも取っている。地球規模での洗脳作戦が始まっている……?
http://www.action-inc.co.jp/hierbas/story.html
ハリケーン・カトリーナの際に安楽死事件のあったMemorial General Hospitalに取り残されて死んだ患者の遺族による集団訴訟で、ニュー・オーリンズの裁判所は2500万ドルの賠償金の支払いでの和解を認めた。災害時の非難計画や体制の不備に対して。
http://www.propublica.org/article/class-action-suit-filed-after-katrina-hospital-deaths-settled-for-25-millio
オーストラリアでロックト・イン症候群の男性が殺してくれと望んでいる。
http://www.theaustralian.com.au/news/world/stroke-victim-pleads-for-death-sentence/story-e6frg6so-1226100025171
トロントの弁護士 Garry J. WiseがブログでRasouli事件を解説している。
http://wiselaw.blogspot.com/2011/07/this-week-at-ontario-court-of-appeal-11_22.html
7月11日のエントリーで取り上げたNim Chimpskyの映画に関するGuardianの記事。
http://www.guardian.co.uk/film/2011/jul/24/project-nim-chimpsky-chimpanzee-language?CMP=EMCGT_250711&
文京区議会議員 海津敦子さんのブログの昨日のエントリーで「日本産婦人科学会の調査で。胎児の染色体異常などを調べる出生前診断によって、胎児に何かしらの異常を診断され人工中絶したと推定されるケースが10年間に倍増していること」について。子育て支援の状況との関連が指摘されている。
http://blogs.yahoo.co.jp/bunkyokugi/4965081.html
米国で、脳死判定が覆ったケースが
Critical Care Medicineの6月号で報告されている。
アブストラクトから概要を以下に。
55歳の男性患者。
心臓まひから心肺停止に至り、心配蘇生で血流が回復。
神経系保護のために低体温療法が実施された後、体温を戻したところ、
開眼や痛みへの反応その他の反応がなく、
24時間以上に渡って脳神経機能が失われた脳死状態であった。
6時間に渡る脳死判定の結果、患者は脳死と診断され、
家族は臓器提供に同意した。
ところが、脳死の診断から24時間後、
臓器摘出のために手術室に運ばれると、患者には瞳孔反射、咳き込み反射、発汗が見られ、
医療チームは家族と他の医療職への釈明を余儀なくされた。
米国神経学会のガイドラインを完全に守って診断された脳死が成人患者で覆った
初めての症例報告である。
回復は一時的なもので、患者の予後に影響したわけではないが、
臓器提供が中止されたことはもちろん、心臓まひ後に低体温療法を受けた患者において
脳死の不可逆性を確定することが可能なのかどうかにも疑念を投じることとなる、として、
論文は、その結論において、
心臓まひ後に低体温療法を受けた患者の脳死診断には慎重を強く求め、
確認のための検査を検討する必要と共に、
体温を戻した後に、最低限の観察期間を決めるよう提言している。
Reversible brain death after cardiopulmonary arrest and induced hypothermia
Webb, Adam C. MD; Samuels, Owen B. MD
Critical Care Medicine, June 2011 Vol.39, Issue 6, pp 1538-1542
脳死判定後に臓器摘出準備段階で回復……といえば、
以下のエントリーで取り上げたDunlapさんの事件(2008)があったと思うのだけど、
脳死判定後に臓器摘出準備段階で意識を回復した米人男性のニュース(再掲)(2009/7/30)
Dunlapさんのケースはメディアには取り上げられても
医学雑誌には報告されなかったのかもしれない。
このケースとも、これまで当ブログが拾った回復事例については文末にリンク。
それから、できれば補遺にでも拾っておきたいと思って、
切り抜いておいた21日の朝日新聞の読者投稿から。
「倒れた息子、回復の奇跡待つ」というタイトルで
74歳の薬剤師の男性の投稿で、3か月前に突然倒れた息子のことが書かれている。
「主治医の説明では、脳細胞がやられてしまっているとの悲しい結果であった」
私の目が釘付けになったのは、最後の段落で
「親友が懸命に声をかけてくれたとき、息子は確かに涙を流して声をあげて泣いた。
医師は『起こりえない』といった。しかし、奇跡を待ちたい」
「植物状態」だとか「脳死」だと診断された患者の家族からの
このような訴えは頻繁に耳にするし、そのたびに、いつも思うことなのだけど、
現実に起こっている現象を「起こり得ない」と否定する……とは、
いったい、そもそも科学的な態度なんだろうか。
もう、何度リンクしたか分からないけど、↓
「わかる」の証明不能は「わからない」ではない (2007/9/5)
上記の症例報告のアブストラクトを読み、
「脳死診断が覆ったことが報告された成人患者で最初の症例」というところで、
つい、考えてしまった。
「こんなことは起こり得ない」とか「ただの生理的反射に過ぎない」として
起こっている現実そのものが否定されて臓器摘出が優先された事例は
本当にこれまで存在しないのだろうか……。
フォストやヴィーチ、トゥルーオグ、サヴレスキュなど、
どうせ今でも本当は生きている人を脳死と称して殺しているんだから、と
いっそ死亡提供ルールを廃止しようと提言している学者さんたちが
この症例報告を読んだとしても、
「いったん反応が戻っても、どうせすぐに死ぬんだし、
生きたとしてもQOLがあまりにも低くて、どうせ死んでいるのと大して変わらないから」と
平然と「問題外」の扱いをするのでは……?
そして、もしかしたら、
友人の励ましに涙を流した重症患者の現実を
「起こり得ない」と否定する医師の意識の中にも、
それと同じ「どうせ」が潜んでいる……なんてことは……?
【米国:リリーさん】
植物状態から回復した女性(2007年の事件)
【米国:ダンラップさん】
脳死判定後に臓器摘出準備段階で意識を回復した米人男性のニュース(再掲)(2009/7/30)
【ベルギー:ホウベン?Houbenさん】
23年間“植物状態”とされた男性が「叫んでいたのに」(ベルギー)(2009/11/24)
「なぜロックトイン症候群が植物状態と誤診されてしまうのか」を語るリハ医(2009/11/25)
【日本:加藤さん】
「植物状態にもなれない」から生還した医師の症例は報告されるか?(2011/1/19)
【米国:ゴッシオウ? Gossiauxさん】
事故で視力を失った聴覚障害者が「指示に反応しない」からリハビリの対象外……というアセスメントの不思議(2011/2/6)
【豪 Gloria Cruzさん】
またも“脳死”からの回復事例(豪)(2011/5/13)
【NZ マクニールさん】
NZで「無益な治療」論による生命維持停止からの回復例(2011/7/17)
【その他、関連エントリー】
「植物状態」5例に2例は誤診?(2008/9/15)
「脳死」概念は医学的には誤りだとNorman Fost(2009/6/8)
楳図かずおの脳死?漫画(2008/4/3)
重症障害児・者のコミュニケーションについて、整理すべきだと思うこと(2010/11/21)
待ってました、よくぞ書いてくださいました、と
盛大な拍手を送りつつ、
著者が主として身体障害が中心症状である妻を介護している男性であるために、
やむをえないことなのではあるけれど、どうしても
配偶者を介護するケアラー、特に妻を介護する男性の立場で
書かれている限界は否めない。
私が唯一、「なんだよ、それは……」と不満を覚えたこととして、
障害児の親なら子どもの介護は苦痛ではないはずだとのステレオタイプな思い込みが、
著者の言葉から時に匂ってくること。
まぁ、確かに親や配偶者に比べれば
我が子の身体というのは、はるかに“異物”感はありませんが、
だからといって介護の負担を感じることなどないだろうと前提されるのは、飛躍が過ぎる。
同様に、親を介護している人とか
認知症の人、知的障害・精神障害のある人を介護している人とか、
夫を介護している女性の立場の読者にも、それぞれに
ちょっと食い足りない感じはあるかもしれない。
それが一番如実に表れているのがセックスに関する章。
セックスが介護者の悩みになるパターンは多様だとして、
著者はいくつかのパターンを挙げている。
例えば、男性介護者の場合、仕事をやめて家事やお世話仕事ばかりやっていると、
自分の男性性に対する自信が低下して、それがセックスに影響する。
このパターンは妻以外の介護にも当てはまるかもしれない。
次に、自分は性的には現役続行なんだけれども、
“子豚”の方がそういう身体状態ではなかったり、そういう気になれないパターン。
逆に、“子豚”の方は現役続行なんだけれども、
自分が愛した“子豚”がかつての姿でなくなったことや疲れ、その他の理由で
ケアラーの方がどうしてもそういう気になれないパターン。
一番悩ましいのは、このパターンで、
ケアラーとしては“子豚”のためを考えるのが自分の役割だと思うから
“子豚”が望めば、それに応えてあげるべきだと考えてしまうかもしれないけれども、
セックスは非常に微妙で繊細な営みなので、
いずれの側であれ、無理をしていると必ず相手にも伝わるし
ただでも介護を通じてややこしくなりがちな夫婦関係に
うまくいかなかったセックスが及ぼす精神的な影響は決して小さくない。
だから著者は、介護が必要となった生活でどちらかがセックスに抵抗を感じるなら
無理して「付き合う」ことは止めた方がいいのでは、とアドバイスする。
例えば、セックス・レスパイトというのを行政が用意してくれるとか
夫婦でやって来て「夫が奥さんの介護を引き受けるから、その間に
二人で別室にこもらない?」とささやいてくれる女友達が現れないものか……
なんて夢に見るけど、そんなことが起こった試しはない、とボヤいては
ああ、この辺りはモロ、男性介護者だなぁ……と微笑ませてくれつつ、
ケアラーの方が現役続行である場合の解決策として
例えば、風俗を利用するとか、誰かと恋愛する、恋愛抜きのセックス・フレンドを作る、などを
順次、検討していく。そして結局は、以下のようなメッセージに落ち着いていく。
ずっと昔の若い頃、セックスしたくてもできない時代ってあったよね。
それでもボクたち誰も、死ななかったよね。なら、今だって同じなんじゃないのかな。
介護生活だけでも複雑で大変なものをたくさん背負っているのに、そこに
たかだか性欲の処理のためだけに、夫婦以外とのややこしい人間関係のストレスまで
追加するのって、とんでもない冒険だと思わない? と。
私はこの章を読んで、いつか取材先で聞いた話を思い出さないでいられなかった。
若年性痴ほう症の男性を介護する妻から
「夫の性的暴力が高校生の娘に向けられそうになりました。
娘を守るために、その暴力は私が受けました」
もちろん、これはセックスの問題というよりも
「“身勝手な豚”の介護ガイド」 4のエントリーで触れた
“子豚”によるケアラーへの虐待の問題だと思う。
同じ取材先で聞いたもう1つのケース。
若年性痴ほう症にかかった女性の夫に介護能力が欠けていて、虐待が案じられたために
これでは無理だと考えた支援者が施設入所を提案した時に、夫から返ってきた言葉が
「じゃぁ、俺のこと(セックス)はどうしてくれるんだ?」
これも上のケースと同じく、セックスに留まらない虐待の問題だろうと思う。
(ただ、そういうことがあった翌日は妻の表情が和らいでもいたりするので
一概に外部の人間が「虐待」と決めつけることもできにくい微妙なものがある、とも
支援者の方は話されていました)
やはり夫婦介護におけるセックスの問題はそれだけ大きいのだと痛感するし、
この春に聞いた講演で、春日キスヨ氏が
「男性介護者の会に出てくるような夫は少なくとも妻を愛している。
妻を愛し、自覚的に介護を担おうとしている。
でも世の中には、愛しあっている夫婦だけではない。
本当に深刻な問題は、愛のない夫婦の介護生活で起きている」と
言われていたことも、つくづくと思い返された。
それだけに、この本の全体を通じて感じられ、
セックスの章に至って、ひたひたと、しみじみと感じられるのは、
著者は本当に妻を愛しているんだなぁ……ということ。
まぁ、そういう人だからこそ書ける本なわけで。
だから、この本のセックスの章には、
“子豚”をレイプするような介護者はぜんぜん想定もされていない。
それは本当にこの本の冒頭で著者が言った通りで、
自分のことを“身勝手な豚”だと感じて、そのことに苦しみ、
その苦しみゆえにこんな本を手に取ってみるようなケアラーは
もともと“身勝手な豚”になりきれるような人じゃない。
ホンモノの身勝手なブタは、
最初からこんな本を手に取ろうなどとは考えつきもしない。
だから、もちろん、この本では対処も解決もできない
もっともっと深刻な問題が介護にはいっぱい潜んではいるんだけれども、
それでも、やっぱり、
いや、それならば、なおさらに、
愛のある介護をしているからこそ自分を“身勝手な豚”だと感じて
苦しんでいるケアラーに、エールを送りたいじゃないか。
男性介護者の会に出てくるような
妻を愛していて、自覚的に介護を担おうとしている愛すべき男性たちにこそ
この本のメッセージをエールとして送りたいじゃないか。
そんな気がした。
そういう表現はこの本のどこにもないけれど、
セックスの章に並んで、おカネに関する章にも強く表れていて、
ある意味、この本全体を通じて描かれているのは、いわば「ケアラーの哲学」なのだと思う。
それは、私自身の解釈と言葉でまとめると、
「思い通りにならない人生と、思うに任せぬことの多い日々の生活の中で、
前向きな工夫をしつつ、与えられた人生を精いっぱい楽しく豊かに生きていくための哲学」。
自分の努力で変えられることは変える努力と工夫をし、社会からも可能な限りの助けを得ながら、
どうしても変えられないことは受け入れて、それなりに幸福に生きていくための哲学――。
そのための具体的なアドバイスも盛り込みつつ、全体としては、
自分の心の枠組みを組み替えて、心のあり方を整えよう、と著者は説いているんだと思う。
そうすれば、思い通りにならない人生と思われたものだって、そんなに悪いものじゃない。
案外、今の生活ならではの豊かさ、楽しさだってあるじゃないか、と。
どこか仏教の教えに通じていくものも感じるし、
「思い通りにならない人生、能力を失った生は生きるに値しない」という価値観を隠し持った
「科学とテクノの簡単解決文化」や功利主義へのデトックスにもなりそうな、
「ケアラーの哲学」は「生きることの哲学」にも、通じていくのかもしれない。
あー、でも、そこは、もちろん、
心の持ち方一つで過酷な介護生活が乗り来られる、なんて
お気楽なことを著者は説いているわけでは、ない。
男性介護者だけじゃなく、配偶者のケアラーだけでもなく、
様々な立場で様々な“子豚”を頑張っている介護しているケアラーが
自分を大切にしながら、燃え尽きないための、
日本ではまだまだ届けられることの少ない、大切なメッセージ――。
「“身勝手な豚”の介護ガイド」は、そんな本でした。
これから誰かの介護を担わなければならないと予想あるいは覚悟している人が
たぶん一様に不安と怖れを感じている最たるものはウンコの始末の問題で、
まだ排泄は自立しているけど先は分からないという”子豚”を介護している人も、
これから排泄のケアまで担うのかぁ、ヤだなぁ……と
実は相当リアルに恐れているのでは?
いま実際にやっている人の中にも、
これだけはちょっと……と感じている人もいるかもしれない。
それはまったく無理のないことで、
ボクだって、男だからDNAが向いていないのか、はたまた
これまで自分が他人のウンコの始末をすることなんて想像の外で生きてきたからか、
妻がそういう段階に至った時には、ものすごい抵抗感があった。
でも、結論を先に言うと、
ウンコの問題は、恐れるに足りません。
みんな、安心して。ぜんぜん大丈夫だから。
介護者としての経験を積むにつれ、
ウンコには慣れます。ゴム手袋だってある。
介護者の一番の敵は、実は「時間」なんだけど、
(例えば、“子豚”のペースで進む時間はのろのろ・とろとろでストレスになる、
昼夜の区別がつきにくくて、一日一日が平たく際限ない時間になってしまう、
誰にも助けを求められない時間に限ってトラブルは発生する、
介護はいつまで続くか先が見えない、この「果てしなさ」が一番キツイ)
こと、ウンコに限って言うと、「時間」こそケアラーの最大の味方。
人間、日常の一部となれば、たいていのことには慣れることが出来るから不思議。
介護生活が長くなるにつれ、ウンコは日常の一部でしかなくなる。ぜ~んぜん大丈夫。
ただ、ウンコまみれになった“子豚”を発見してパニックする夜だけは、本当に辛い。
これは、助けを呼べない時間帯に大きな“子豚”に転倒された時と並ぶ、
ケアラーにとっての2大難事態の1。
ウンコまみれの“子豚”と、ウンコまみれのベッドや床の、
いったいどっちから先に手をつけたらいいのか……。
それなのに“子豚”はちっとも協力してくれないから、
“子豚”を先にきれいにしようとすればベッドや床の惨状が広がるし、
ベッドや床から先に片付けようとしても“子豚”が勝手に動いて惨状を広げてくれる。
介護者が夜中に“子豚”をドヤしつける悪行で名高いのには、
たいていは、こういうわけがある。
で、この種の惨劇を避けるためのアドバイスをいくつか。
まず、“子豚”の主治医に相談して、
“子豚”のウンコ関連の身体状態を正しく把握しましょう。
ウンコのリズムを作って惨状回避できる方法があればアドバイスを受けましょう。
次に、ボク自身がやっていることとしては、
夜中に目覚まし時計をセットして2時間おきに妻をトイレに座らせています。
一緒に寝ていて、気が付いたら自分の身体にまでべっとり……なんて事態は
夫婦どちらにとっても悲惨なので、何度か体験した後で、その悲惨に比べれば
2時間おきに起きる面倒と苦痛の方が耐えやすいと判断しました。
ウンコの他にも、介護生活には
食事介助の際の食べこぼしの惨状や、
入浴拒否する“子豚”の身体をどうやって拭くかとか身体が匂うとか、
洗濯や掃除なんかでもキタナイものは沢山あるけど、ウンコほどの問題じゃないし、
実際、そういうのは工夫次第でなんとかなることばかり。
あ、その“工夫”だけど、
あんまり「こうすべき」だとか「これが正しい」にこだわらない方がいいよ。
“子豚”と暮らしているのはあなたなんだから、
あなたたちの暮らしに一番合ったやり方を見つけられるのも、あなたに決まってる。
一つだけアドバイス。
昨夜ほとんど眠れなかった、だるい、という時に、
玄関の掃除が出来ていないことが気になったら
迷わず、玄関の掃除を捨てて、寝るように――。
ケアラーにとっては、30分ずつ、つまみ食いのように眠りを補うことも大事。
また、そういう技術も身についてくるから不思議。
「大事なのは、心をオープンに、いろんなことをやってみること。」
それから、あまり気にしないことだね。
本当にキタナイのはベッドやトイレやお風呂にあるものじゃない。
本当にキタナクて厄介なことが生じてくるのは
あなたの心や“子豚”の心の中なのだから」
自分がウンコで失敗したことを理解できる“子豚”は
あれこれの感情に苦しんでしまうだろうし、
あなたが時に「階段から突き落としてやりたい」という気持ちになっていることを
敏感に感じ取れば、“子豚”だって辛い。
あなたの心にあるものが、介助の手つきをつい乱暴にしてしまったり、
つい隠微なイジワルで「おしおき」して「思い知らせて」みたりするように、
“子豚”の心にあるものが、ウンコの問題を大きくしている……という可能性だって……?
2人の心にあるものがそういうふうに問題になってきた時は
2人で孤立してしまうのが一番良くない。
もちろん抵抗感はあると思うけど、
ここはそれを振り切って、誰かに相談してみよう。
こっちとしては引き受けているつもりなのに、“
子豚”はそれほど感謝してくれるわけじゃない。
それどころか、平気でワガママを言う。
言い出したらガンとして聞かないし。
着替えを手伝おうとすれば、
「5年前のクリスマスに○○ちゃんがくれたブラウスと
それに合うスカートがいい」なんて、涼しい顔で言ってのけてくださる。
クリスマスだろうとハロウィーンだろうと還暦祝いだろうと、
ボクは○○ちゃんがどのブラウスをくれたかなんて、知らんっ!
もし知ってたとしても、
そのブラウスに、どのスカートが合うかなんて、分かるかっ!
……けど、
面と向かってそうも言えない苦しいやり取りの最中に、
思わずブチ切れる寸前で部屋を飛び出し、
別室で壁に頭をゴンゴンぶつけながら
頭を冷やしたことなんか、もう数えきれない。
着るものについては、こんなことを繰り返しているうちに
ボクの方が妻の衣類に関する情報を頭に入れる方が結局はストレスが小さいと判断したけれど、
ワケの分からないことを何度も何度も何度も何度も訊かれ続けて
アタマが爆発しそうになったりとか、きっとボクだけじゃないよね。
殺意に近いものがこみ上げてくる瞬間って、
たぶん介護者ならみんな経験しているんじゃないかな。
ケアラーは
時にそういう気持ちになるのも無理がないような仕事を引き受けて
時にそういう気持ちになるのも無理ない生活を送っているんだと思う。
基本的に、体も心も疲れているのを押して、やっている介護なんだし。
自分は頭がおかしくなってきたんじゃないかって、不安に感じること、ある?
統計的に言うと、英国の半数以上のケアラーは
ウツ病など精神的な問題を抱えている。
だから、もしもあなたが「自分は頭がちょっと……?」と思うなら
それは、あなたは当たり前のケアラーだということで、
つまりケアラーとしては至って正常だということになる。
自分は虐待だけはしていない、って思う?
虐待って、殴ったり蹴ったりすることだけじゃないんだよ。
着替えや移動を手伝う手つきが、つい乱暴になってしまうとか、
つい相手に自分の優位を思い知らせるような言葉を吐いてしまうとか、
“子豚”が必要なものを、わざと持って行ってやらない小さなイジワルとか、
圧倒的な力の差がある関係性の中で、
自分の方が強い側で相手をいくらでもターゲットにできるってことになると
どうしても、そういうことが起こってしまう。
それ、神ならぬ人間の弱さだよね。
言いたいことが正直に言えない状況や
気持ちをうまく言葉にできないもどかしさなんかも、
つい手が出てしまう時の定番の起爆剤だ。
だから、そういうことをちゃんと意識していることは、まず大きな違いを生む。
階段から突き落としてしまいたい、という気持ちが繰り返されたり、
上で書いたような、ちょっとしたイジワルをし始めた自分に気づいたら、
あ、自分、疲れてきたな、燃え尽きかけているのかな、と考えてみて。
そういう時、まず、やってみてほしいのは、
自分が一番ストレスを感じている仕事は何かを考えて、その仕事で、ちょっとだけ手を抜いてみること。
そして、手を抜いた結果どうなるか、観察してみて。
ね。案外に、大した影響はないはずだよ。だいたい、そういうものなんだ。
そんなふうに、抜けるところの手を抜いていく。
そして前にも言ったように、レスパイトはゼッタイに必要条件。
ブレイク(休息)するか、あなたがブレイクする(壊れる)か。それを忘れないで。
そうそう、“子豚”がレスパイトに行っている間に
ゼッタイにしてはいけないことを、挙げておこう。
家の掃除――。“子豚”の身の回りの物の片づけ――。
例えば、ブッ通しで9時間、10時間寝続ける……なんてのが大正解。
“子豚”のための○○とか、介護に役立つ○○みたいなヤボ用は、
この際、やらないでおこう。
大事なのは、あなた自身をいたわること。甘やかすこと。
レスパイトはそのための時間なのだから、
介護に関係したことからは、ちゃんと離れようね。
最初の頃は、レスパイトの後で“子豚”が調子を崩して余計に手がかかったり、
こんなんなら、もうやらない方がマシと考えるかもしれない。
でも、繰り返しているうちに、あなたも子豚もレスパイトのスタッフも慣れる。馴染む。
だから大丈夫。なにしろ、ここは Break or you breakだ。
あと、完璧主義は捨ててしまおう。
どうせ完璧にできる介護なんて、ありえない。
だから、ケアラーたるもの、時には、後で悔やまないといけないようなことも
つい、してしまうし、言ってしまう。それは、どうしたって、してしまうよ。
大事なのは「時には」で止まって、そういうのを習慣化させないこと。
時に階段から突き落としてしまいたい気持ちになることと、
それが頭から離れなくなることとは違う。
燃え尽きて後者の状態にならないために、どうしたらいいかを
ケアラーの立場で一緒に考えてみようというのがこの本の主旨だから、
セックスのこととかお金のこととか、人に話せないけど大事な問題や
心の持ち方とか、自分の身体のケアとか、いろいろ書いてきたけど、
もしも階段から突き落としたい気持ちが常に頭から離れなくなってしまったら、
それは、ついに燃え尽きた症状。
そしたら、ちょっとの間、介護から離れてみることも、
状況によっては、介護を全面的に諦めることだって、選択肢なのかもしれない。
それができる方策が簡単に見つかるわけじゃないかもしれないけど、
前にも言ったように諦めずに求めて続けて。必要なことは必要なんだから。
もしかしたら、あなたの方が“子豚”の虐待を受けていることだって、ある。
どっちからどっちに向かうにせよ、
ちょっとした暴力や虐待は放っておくとゼッタイに悪化する。そういう性格のものなんだ。
ここでもコワいのは二人だけで孤立してしまうこと。
抵抗感を何とか乗り越えて、とにかく誰かに相談して。
私が特に個人的に思わずニンマリしたのは
個人的な印象に過ぎないかも、と断りながら、
ろくに役に立ってもくれないのに冷たくてエラソーで無神経なことばかり言う
「お役所」や「専門家」の中で、なぜかOT(作業療法士)だけはフレンドリーで
実際に役立つノウハウを繰り出してくれる人たちのような気がする、と。
これ、かつて、ほんのわずかだけど仕事でOTさんの世界を覗き見した、
また娘を通じてもOTを含め一通りの「専門家」と付き合って来た私の
個人的な印象とも重なる。
この印象が重なったのは、ちょっと面白かった。
これについては興味があるので、これからも考えてみたい。
それから、諦めずに言い続けること、というアドバイスは、私も
後輩の「障害児の親」になったばかりの人たちに必ず伝えたいことの一つ。
どこに行って誰に聞いたらいいか分からないことって、
最初の内は本当に沢山ある。途方に暮れる。
そんな時は、誰でもいい。
出会う人、出会う人、手当たりしだいに、それをしゃべってみるといいと思う。
「こんなことに困っている」「こんなものはないだろうか」
何にもならなくてもいいから、解決するまで、とにかく
誰彼となく、そのことを言い続けてみる。
いきなり、答えを持っている人に会えることは少ないけど(でも、ないわけではない)、
もしかしたら知っているかもしれない人を知っている人くらいには、そのうちに当たる。
ここへ行ってみたら? この人に聞いてみたら? という情報をたどっているうちに
ふいに解決に至ること、って、結構、ほんと、あったりする。
そんなふうに、あちこちしていると、それ自体が
世の中にどういう機関があって、そこにどういう人がいて……と、
自分の中の専門家情報を増強して、情報マップが充実していくし、
なにより顔見知りの専門家が増えていく。
そのうちに、どういうことは誰のところへ行けばいいかが
経験則からだんだんと掴めてくる。
ここで経験則というのが結構、大事なのは、
「この人はその分野の専門家じゃないけど、でも専門家よりもアテになる」てことは結構あるし、
専門家との付き合いで大事なことの一つに、たぶん、タイトルに惑わされないこと、というのも?
「ものすごくエライということになっている」タイトルの保持者が必ずしも実力者だとは限らない。
そういえば Marriottさんも、
断定的にものを言う専門家は、案外アテにならないことが多いと心得よ……と書いていたな。
私は「障害児の親」を含めた介護者がなるべく早く身につけたい一番大事なノウハウは
直接的な介護技術や介護のノウハウもだけれど、
なによりも「専門家をうまく使いこなす」術であり、
自分が頼ることのできる専門家という「手持ちのコマ」を
いかに多様に増やしていくかということじゃないかと思っている。
よく、専門家の中には
専門家並みの高度な知識を身につけている親を高く評価する人があるけど、
あれは、ちょっと違うんじゃないかなぁ。
(我が子の養育・療育に必要な知識まで身につける必要はないと言っているわけではありません)
専門家が持っている高度な専門知識というものは、私に言わせると、
広く大きな部屋の、ある特定のスポットを照らす懐中電灯なんだと思う。
専門家が専門家たるゆえんは、狭い領域のことを深く知っていること。
スポットであって、狭いことにこそ、意味がある。
一方、親と子が日々を暮らしている生活という「部屋」は、
専門分野の懐中電灯1本や2本でカバーできるはずもないほど大きく広い。
だからこそ、いくつもの専門領域に渡って何人もの専門家が関わってくれないといけないんだけど、
でも、それぞれの専門家が持っているのは1本の懐中電灯でしかないし、
何人集まったとしても、部屋の全体を照らし尽くせるわけでもない。
人が暮らしている「部屋」には、ちょっとやそっとでは明りに照らし出せない
入り組んだ隅っこや、隙間や、闇の部分だって、あるしね。
だから、必要な時に必要な懐中電灯で必要なところを照らしてもらえるよう、
多様な懐中電灯という手持ちのコマをなるべく増やしておくことが
障害児の親としては大事かな、と思うわけで、
そのためには、親がものすごい労力と時間を割いて
自分が何本かの懐中電灯になってしまおうとするよりも、
親こそが「うちの子」とか「我が家の生活」という部屋全体を知り尽くしている
しっかりした蛍光灯であることの方が大事なんじゃないのかな。
ま、言ってみれば「ウチの子」の専門家は親しかいない、ってことなんだけど。
これについては、もうちょっと頭の中でこなれてから
もう一度、ちゃんと整理して書いてみたいと思うけど。
あと、“身勝手な豚”さんも終わりのあたりで力説しているけど、
情報がほしい時、まっさきに聞いてみるべき相手は、実は専門家よりも、
自分と同じような“子豚”を介護している人たち。
ケアラーの最大の味方は、同じような人を介護しているケアラー。
これは、まったく私も同感。
ただ、私は情報源と支えてくれる人については全く同感でケアラーだけど、
現実に支援の方策を持っているのは、やはり専門家だと思う。
もちろん、どの専門家が役に立ってくれて、
どの専門家はただのトウヘンボクか、
どの専門家にはどんなクセや要注意点があるか、
といった情報を教えてもらえるのは、
やっぱり同じケアラー仲間。
それは間違いない。
――――――
しつこくて申し訳ありませんが、
数日中に、あと2つか3つ続きます。
ウンコと、殺意と、気が向いたらセックスと。
肩でも叩きつつ盛大な賛辞を送りたい気分になる天晴なテーマの中で、
「お役所の世界」について書かれていることが結構面白かった。
ここで著者が「お役所の世界 Officialdom」と呼んでいるのは
私の個人的な感覚では「いわゆる“専門家”というもの」にも重なる。
(お医者さんが冷たくて無神経に思えるのは、
「医師だってOfficialdomの人だから」と著者は十数行を割いています)
なんせ、お役所とか専門家について書かれていることの概要を
これまた私自身の勝手な言葉でまとめてみると、
-----
お役所には期待できない。ぜんぜん、できない。
最初に介護者になった時には、
こんなサービスもあります、あんなサービスもありますって、
人の期待を煽るようなことばっかり聞かされて、本気にしちゃったけど、
ほんと、バカ見て終わった。
そんなもの、どこにもなかった。
みんなも、もう経験していると思うけど。
介護者になって、真っ先に学ぶのは、
「頼れる人なんかどこにもいない。自分はひとりだ」ってことだった。
ただでさえ家を空けられない介護者だというのに、
わざわざお役所まで行って、さんざっぱらワケの分からない書類に記入させられて
サインさせられて、それで何かになるのかと思ったら、なんにもならない。
申請したし受け付けてもらったけど、待てど暮らせどサービスも介護用具も
何にも届かない……って、みんな経験済みだよね。
レスパイトだって、制度上はできることになっているし、
介護者アセスを受ければ、あなたはレスパイトの適用になります、て話なのに
(英国の介護者アセスメントについてはこちらに)
なんで、実際はこんなに利用できないの?
やってるところが、まず、見つからないし、
見つかったら、いっぱいで何カ月待ちだったりもする。
あれはさ、
砂漠を歩き続けてヘトヘトの人に「もうちょっと行くとオアシスがあるよ」と言えば
そいつはさらに歩き続けるのと同じで、介護者にも「休める」という希望だけチラつかせて
心が折れそうな介護者に介護を続けさせる策略なんだ。きっと。
どこまでいってもオアシスなんか蜃気楼のままなのに。
だから、お役所は当てにならない。
あいつら、本当は支援するつもりなんて、ない。
本当は、少しでも予算を浮かしたくて、介護者や障害者をバカにして
心の中では「べぇー」なんてベロ出していたりするんだ、ぜったい……
と、つい考えたくなる気持ちは、ボクたち、みんなに、ある。
でも、本当にそうなのかな。ちょっと考えてみよう。
ボクたちが“子豚”の介護をできなくなったら困る人がいる。
もちろん一番辛い目に遭うのは“子豚”だけど、国だって困るはずだよ。
英国政府はボクたちに介護を続けてもらいたいと思っているはずだ。
そのための制度も予算も、一応用意してある。十分じゃないけどね。
介護者支援法もあるし、介護者にはアセスメントを受ける権利も保障されている。
申請すれば、介護者手当ももらえる。これまた手続きは面倒だけどね。
一人一人のお役所の人も、まぁ、いろいろな人がいるのは確かだけれど、
大半の人は、それなりに真面目に仕事と取り組んでいるんだと思う。
じゃぁ、なぜお役所はこんなに役立たずのくせに冷たく見えるのか?
ボクのとりあえずの説は、混沌説。
決して、個人的にボクたちがバカにされていたり、
見捨てられていたりするんじゃなくて、国としても地方自治体としても、
それなりに助けようとはしているんだけど、お役所も、とりあえず、いろんなものが足りない、
予算も人もノウハウも、いろんなものがね。システムは大きく複雑なのに。
それで、いろんなことがうまく流れなくて、混沌としてしまう。
誰かの悪意とか、怠慢ということじゃなくて。
そういうことなんじゃないかなぁ。
え? じゃぁ、どうすればいいかって?
うん。問題はそこだよね。
ボクとしては、諦めないこと、ブチ切れて終わったり投げやりにならないこと、をお薦め。
必要なモノやサービスは、必要なんだと、言い続けること。
どんな対応をされようと、どんなにアタマに来ようと、
大事なのは、あなたの自尊心ではなく、モノをゲットすること。そう念じてみて。
大事なのは、自尊心やプライドではなく、モノ・サービスをゲットして
“子豚”とあなたの生活を今よりも快適で楽しいものにすること。そう言い聞かせてみて。自分に。
易々とは傷つかない自分を保って交渉し続けるには
「自分は無職のケアラーに過ぎない」みたいな卑屈さとは縁を切り、
誰にも替わることのできない仕事をしている「私はケアラーです」と胸を張ろう。
そして、ケアラーとして”子豚”のために必要なものを調達する”プロ意識”でもって、
お役所の人と堂々と向かい合おう。
そして介護のプロフェッショナルとして「リフトがいる」、「レスパイトがいる」と求め続けるんだ。
何度でも、誰にでも、どこへいっても、「いる!」「いるんだぁ!」って、
言い続けてダメなら、叫ぶ。怒鳴る。時には机でも叩いてドラマチックに。
大事なのは、諦めずにしつこく求め続けること。
そうするとね、
不思議なことに、どこかで誰かがひょいと現れて道が開けたりする。
思いがけない別のところから救いの手が差し伸べられたりもする。
そんなことって、本当にあるんだよ。
だから、諦めないこと。
特にレスパイトは、絶対に、何が何でも、あきらめちゃダメだよ。
どこにも見つけられなくても、お役所がそっけなくても、
さらには“子豚”自身がイヤがって抵抗しても、
レスパイトだけは「やらない選択肢はない」。
これは介護の鉄則だと、しっかり覚えておこう。
いいかい。選択は2つしかないんだ。Break or you break.
ブレイク(休息)するか、あなたがブレイクする(壊れる)か――。
だから、いいね。
レスパイトだけは、ゼッタイに、何が何でも「いる」と求め続けるんだよ。
お役所にウンザリしたら、ほら、ボクの混沌説を思い出して。
当たり前ながら様々な病気や障害の持ち主で、年齢も性別も違って、多種多様。
高齢者だとか、様々な障害のある人だとか、障害児だとか、そのすべてに
失礼のないよう政治的に正しい表現を心がけるだけの技量も余裕もないので、と断って
著者は、介護される立場の人を“子豚”と総称する。
一応、著者なりのこじつけはあって、
Person I Give Love and Endless Therapy to (私が愛と際限ないセラピーを与える相手)の
それぞれの最初の1文字を繋げると、Piglet(子豚)になるとはいえ、
著者自身も、こんなのは苦し紛れのこじつけだというのは分かっている。
主役は介護者である“身勝手な豚”なのだから、
その人が介護している相手は一応みんな“子豚”ということにさせておいてね、というのが
まぁ、この本の中の、お約束というわけ。
イラストもふんだんに使われていて、そこでは
“身勝手な豚”のイニシャルSP入りのTシャツを着た大きな豚が
車イスに乗った“子豚”と一緒に描かれている。
最初の何章かで書かれていることを
これまた私自身の勝手な言葉で、以下に大まかにまとめてみると、
-----
介護者としての自分に嫌気がさしたり、そういう自分に罪悪感を覚えて
自分は何てイヤらしい“身勝手な豚”なんだろうと煩悶しているのは
あなただけじゃない。
身近な人の介護を背負ってしまった人間なら
誰だってそんな気持ちの中でぐるぐるしている。
決して、あなた一人じゃない。
だって、誰かが障害を負って介護が必要になったからといって
いきなり、心の準備も介護のノウハウもないまま、
ボク達は自分の人生を途中で放りだすしかなかったんだもの。
こっちにだって、やりたいことはいっぱいあったのに。
それに、プロの介護者なら給料はもちろん有給休暇があって、
8時間が終われば家に帰って休めるし「規定により、それはできません」とも言える。
雇用者がさせちゃいけないことが決まっている。彼らは法律で守られている。
だいたいプロの介護者なら最初に研修で教えてもらえる知識と技術を
ボクたちケアラーには誰もちゃんと教えてくれないのは、一体どういうわけなんだ?
プロの介護者に保障されている諸々を考えたら、
なんてフェアじゃない働き方をさせられているんだろうと、唖然としてしまうじゃないか。
それに加えて、介護生活てな、いつまで続くか分かりはしない。これは恐ろしいことだ。
やっと解放される頃には自分の人生はもう取り返しがつかない段階かも……。
そんな不安を考えたら、どうしても「自分は犠牲になってる」って感じ、あるよね。
それ、仕方ないでしょ。実際、たいていの介護者はそう感じるんだから。
だから、そう感じるあなたは“身勝手な豚”なのではなく、
本当は、ただの平均的なフツーの介護者――。
いったい何だって自分は毎日毎日こんなことをしているんだろう……って、
介護者はみんな、時にふと手を止めて考えこんでしまう。そして気持ちが沈むんだ。
なんで介護しているのかといえば、
まぁ、たいてい表向きは「愛情から」ということになってる。
でも実際には、お金とか親せきとの関係とか、義務感や責任感や、いろいろ絡んでいるし、
正直、いろいろそれぞれ複雑で「理由なんて分からない」のが本当のところだよね。
なにしろ放っておけないから、気が付いたら、こうなっていた……。
実際は、たいてい、そんなもんでしょ。
だから介護していると、あれこれと心の中にストレスがたまって悩ましいし、
どうにかならないかと考えるから、こんな本も手に取ってみたりするんだけど、
そういうあなたが今現在、放り出すことなく介護を続けているのも
どうにかならないかとヒントを求めて本を読んでみようとするのも、
本当のところ、愛がなかったらできないことなんだ。
だから、基本、やっぱり愛があるからやっていることなんだよ。
だからこそ、そんな介護者であるあなたは、本当は
もうちょっと“身勝手な豚”を心がけるくらいでちょうどいい。
ホンモノの“身勝手な豚”になりきれるような人だったら、
この本をここまで読み進んできたはずもないからね。
だからこそ、本当は介護しているあなた自身だって大切にケアされるべき人なんだ。
言っておくけど、これは介護のハウツー本じゃない。だから、
この本を読んだら(たぶん何をしたって)たちどころに、自己犠牲を払って尽くす介護者に生まれ変わる……
なんてことは金輪際、ない。
この本で、福祉制度を利用するための実用的ガイドや
日々の介護の具体的なノウハウが見つかるわけでもない。
ただ、介護者同士として、一緒にいろいろ考えてみない?
言っちゃ悪いけど、
障害があって介護が必要な人を尊重する介護のハウツウなら
世の中には掃いて捨てるほど出版されている。
この本が書いていることは、ただ一つ。
介護者のこと。介護者のため。それだけ。
つまり、この本のテーマは、あなた――。
あなたが“子豚”をケアするだけじゃなく、
あなた自身をもう一人の“子豚”としてケアするために、
あなたのことを一緒に考えましょう。
これはそういう本――。
仮訳そのものは9月まで一旦閉じさせていただいていますが、
今年の英国のケアラーズ・ウィーク(介護者週間)のテーマ
「介護者の本当の顔」について7月5日のエントリーで取り上げた際、
そこで、このテーマのココロを、なんとも見事な“身勝手な豚”の語りで
描いてみせてくれたのは、ハンチントン病の妻の介護をしているHugh Marriottさんでした。
そのエントリーを機に、Marriottさんが
「“身勝手な豚”の介護ガイド」というタイトルの本を出していることを知り、
さっそく取り寄せて読んでみました。
思った以上に厚かったけど、良い本でした。
良いとかどうとかいうよりも、なによりも、
こんなにも介護者のホンネを正直に書いてくれた人が今までいただろうか……。
表紙には、英国で一番老舗の介護者支援チャリティ
the Princess Royal Trust for Carers の幹部の推薦の言葉があり
「20年も前から欲しかった本。初めて介護者になった時に私はこの本を読みたかった」
なにしろ、
ちゃんと1つの章を割いて書かれているテーマの一部を挙げてみると、
お役所(専門家)の世界
セックス
介護者の身体
燃え尽き
自立のジレンマ
キタナイもの(主としてウンコ)
階段から突き落としてやりたい気持ち (誰をって、そりゃ自分が介護している相手を、です)
妻がハンチントン病を発病したと分かった時、
Marriott氏は経営していたPR会社をたたみ、家を売って帆船を買い、
2人で世界放浪の旅に出たと言います。
妻を介護しながらの旅も9年に及び、
とうとう妻の身体が航海に耐えられなくなってきた時、
2人は英国に戻り、本格的な介護生活を始めたとのこと。
なぜMarriott氏が自らを含めた介護者を“身勝手な豚”と称するのかについて、
本書を通じて書かれている、そのワケを、私自身の言葉で大まかに取りまとめてみると、
誰かを介護していると、
「もっとしてあげたい」ことと「でも現実には自分の苦しさでそこまでできない」現実との
板ばさみになって、自分はなんて酷い人間なんだろう、と罪悪感を覚える。
それに介護者としての役割だって最初から進んで引き受けたわけではなく
自分がこんなハメに陥るなんて想像したことすらなかった。
だから、どこかで「こんなはずじゃなかった」という思いがぬぐいきれないし、
本人のせいじゃないと分かっていても、こいつの障害さえなければ……と、
つい頭の中をつぶやきがよぎっていくこともある。
かつて人並みに働いて、それなりの収入を得ていた自分と
介護のために仕事をやめて無収入になり、家事労働みたいなことに明け暮れる今の自分を引き比べると、
なんだか「自分の人生も失敗に終わっちまった」観が強いし、自尊感情がどうしても下がってしまう。
前だって、そんなに大した人生だったわけでもないけど、
でも、自分の人生ですらない、結局は他者の人生だもんね、これって。
ただ、目の前の妻をつくづくと見やれば、
こいつだって思いがけない障害を負うことになり、
辛いのは自分よりも相手の方だと分かってもいるし
だから、また、
こんなにグズグズとネガな考えに囚われる自分は
なんて身勝手なイヤな人間なんだ、まるで豚みたいな奴だと嫌気がさしてしまう……
冒頭、読者に向かっても彼は、
「この本を手に取ったということは、
あなたも自分を“身勝手な豚”だと感じてるんだよね?」と語りかけ、
「でも実はそれは勘違い。だって、
本当に“身勝手な豚”なら、こんな本を手に取ったりしない」と。
http://www.nichibenren.or.jp/event/year/2011/110730_2.html
上の話題の関連エントリー ↓
「一身専属事項の臓器提供に成年後見人は権限なし」から疑問あれこれ(2009/9/2)
日本の成年後見人制度は国連障害者人権条約に抵触(2010/9/2)
英国保健省から、今年2月に「Reaching Out to Carers Innovation Fund 介護者に手を差し伸べるイノベーション資金」なる制度が出ていた。これが、連立政権が約束していた、ムチでぶったたく前のちっこいアメダマ介護者支援策のこと? いや、でも、あれはレスパイトだったような?
http://www.dh.gov.uk/en/SocialCare/Carers/DH_124163
英国の地方自治体 Bath & North East Somerset が Every Disabled Child Matters Charter(障害のある子どもも一人一人みんな大切・憲章)に署名。:たしか、英国政府の施策で Every Child Matters というのがあったんで、それを障害児に特化したものでは?
http://www.thisisbath.co.uk/Council-signs-Disabled-Child-Matters-Charter/story-12973680-detail/story.html
英国がNHSサービスの一部を民間企業に、競争原理で。そのサービスの一つは「小児への車いすサービス」というんだけど、もしかして、それって日本にはないサービスのこと?
http://www.guardian.co.uk/society/2011/jul/19/nhs-services-open-to-competition?CMP=EMCGT_200711&
ソマリアで深刻な飢餓。1100万人が餓死の危機。
http://www.cbsnews.com/stories/2011/07/20/501364/main20080945.shtml
http://www.guardian.co.uk/society/2011/jul/19/nhs-services-open-to-competition?CMP=EMCGT_200711&
ゲイツ財団、途上国の水なしトイレ革新に4200億ドル。:このニュース、やたらあちこちに出ているのは、やっぱり次のトレンドを読もうとする市場関係者の興味関心事項だから? そういえばビル・ゲイツって、ソマリアは無政府状態でも子どものワクチン接種率は高いんだと胸を張っていたけど、ソマリアの子どもたちが飢えていることには興味ないのかしら。
http://www.taiwannews.com.tw/etn/news_content.php?id=1658898
http://www.latimes.com/health/boostershots/la-bill-melinda-gates-foundation-toilet-20110720,0,6498243.story
昨日の朝日新聞のオピニオンで、国際政治学者の坂本義和さんへのインタビュー記事があり、以下の数行に目が釘付けになった。
「国家はなくなるわけではありませんが、経済や金融、科学技術、情報が非可逆的にグローバル化する時代には、国境の意味は低下し、国家は脱力化して来ています。市場も、格差や抑圧の構造を生み出し、グローバルな不平等や不公正を解決できていません。国家や市場では対処できない世界になっている」:「グローバル強欲ひとでなし金融(慈善)資本主義」と当ブログが称している世界の現状って、要するに、そういうことですよね。で、国家や市場では対処できないから、といって、まるで世界政府の大臣をいくつも兼務しているかのようにしゃしゃり出てきているのが、その経済や金融、科学技術、情報を一手に握っているお人であったりもする……と……。
米国の医療制度改革で、避妊費用も給付へ?
http://www.nytimes.com/2011/07/20/health/policy/20health.html?_r=2&nl=todaysheadlines&emc=tha2
背の高い女性は癌になりやすいんだとか。10センチにつき、16%アップするって。:まー、研究者の方々というのは、ほんとーに、いろんなAとBの相関関係の組み合わせをあれこれと研究されるんですねー。
http://www.taiwannews.com.tw/etn/news_content.php?id=1658898
英国政府、25000世帯に再生エネルギー導入助成金。
http://www.guardian.co.uk/environment/2011/jul/21/renewable-energy-heating-grants?CMP=EMCGT_210711&
「精神病院をなくした国 イタリア」で初めて知った。
23日(土)公開のイタリア映画「人生、ここにあり」。
公式サイトはこちら ↓
http://jinsei-koko.com/
去年だったか、一度ACTについてざっと調べてみたことがあって、その時に
イタリアの精神医療改革とかバザーリアという人について、
どこかでちょっと読みかじった。
もしかしてエントリーにしているかと思ってブログ内検索してみたけど
ありませんでした。
で、さっき検索してみたら、すぐに出てきたのは以下 ↓
http://homepage3.nifty.com/kyouseisha/newpage34.html
ここで触れられている大熊一夫氏の本は、こちら ↓
「精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本」(岩波 2009)。
たぶん、その、ACTについて調べた時に、
読んでみようかなと思ったおぼろな記憶があるけど、読んでいない。
この映画については、
予告編や公式サイトの雰囲気、寄せられた著名人のコメントなどからは
「べてるの家のイタリア版」といった作りの映画?……という感触で、
個人的には、あれこれ、ちょっと棚上げにして、
とりあえず距離をおいておきたい感じ。
なぜ、ということもないんだけど。
【追記】
べてるの家、たしかコメントで話題になったことがあったぞ、と思って
探してみたら、こちらのエントリーでした。↓
http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/62799283.html
私自身は、べてるの家については
話題になり始めた頃に本は何冊か読んだものの、
ブレイクしまくってからは、逆に読む気にならなくなった。
で、去年だったか、
こちらのブログに書かれていることを読んだ時に、なんとなく共感した。↓
http://www.seikatsushoin.com/weblog/2010/10/post_94.html
いよいよ現地時間の明日、明後日の2日間、開催されます。
今年のシアトルこども病院生命倫理カンファは、貧困層の子どもと知的・精神障害児の医療切り捨てを議論(2011/2/9)
以下に見つけたのは、いわば、その告知記事。
Exploring the limits of children’s health care: What’s the reality of providing care to all?
PSYSORG.com, July 20, 2011
この記事で
主催の子ども病院Truman Katz 生命倫理センターのディレクター、Wilfond医師は
「すべての子どもにそれぞれが必要とする医療を保障する」といった表現を使って
「生命倫理と医療施策の複雑な諸問題に待ったなしの解決策を模索するタイムリーな機会」だと
まるで「すべての子どもに医療を」という方向で議論が行われるかのように語っていますが、
ここで議論のテーマとされているものは、むしろその逆と思われます。
(まぁ、小児科学会の「栄養と水分差し控えガイドライン」を書いたDiekemaなら
Wilfondの言う「それぞれが必要とする医療」の「必要」を定義するとみせて、
一定の障害像の子どもなら「利益にならない」従って「必要としていない」という話にした上で
平然と「すべての子どもに必要な医療を保障する」のだと、あのガイドラインと同じ論法を
使って見せるだろうという気が、しないでもないし)
上記の記事に書かれているテーマ以外にも気がかりなものがあるので、
2月のエントリーで病院の当該サイトからコピペしたものを繰り返すと
• Under what circumstances should individual providers or healthcare institutions extend medical care to children whose families cannot pay?
• Do providers' responsibilities extend beyond the walls of the clinic? How do we balance obligations to provide better healthcare with obligations to improve other factors that influence health, such as diet, exercise, housing and education?
• Do providers have an obligation to tell families about healthcare options that are not “available” or will not be provided because of financial constraints?
• Should care to children be prioritized based on social, physical or mental health status?
o Children who have expensive technology-intensive care needs, such as ventilators, dialysis or transplants?
o Children with intellectual disabilities who require special resources, yet will remain dependant on society?
o Children who have mental healthcare needs?
o Children who are undocumented?
• How will healthcare reform affect the goal of providing for the basic healthcare needs of all children?
・家族に支払い能力のない子どもに個々の医療提供者または医療機関が医療を行うべきだとされる状況とは?
・医療提供者の責任はクリニックの外にまで及ぶのか? より良い医療を提供する義務と、食事、運動、住まいや教育など、健康に影響するその他のファクターを改善する義務とのバランスをどのようにとるのか?
・経済的な制約のために「対象外になる」または提供されない治療の選択肢について、家族に知らせる義務が提供者にはあるか?
・社会的、身体的または知的状態に応じて、子どもたちへの医療に優先順位をつけるべきか?
たとえば、
・人工呼吸器、人工透析や臓器移植など高度技術による高価な治療が必要な子どもは?
・特殊な資源を必要とする知的障害があり、社会に依存し続けるであろう子どもは?
・メンタル・ヘルスのニーズ(つまり精神障害?)のある子どもは?
・不法入国・不法滞在の子どもは?
・すべての子どもの基本的な医療ニーズに応えるというゴールに、医療制度改革はどのように影響するか?
シアトルこども病院のカンファのページはこちら。プレゼンターの顔触れはこちら。
Ashley事件関連以外の知識が全くない私にとって面白いところでは Arther Caplan, John Lantos。
それからAshley事件で
どう考えても動員されて苦し紛れの擁護発言を吐いていた Joel Frader。
(メール討論では、明らかにFostにびびりまくっていたよ、この人)
おや。そういえば、初回カンファから必ず大きな顔を見せていた大親分、
そのNorman Fostの名前が、今回は、なぜか、ない。
Fostと並ぶ、同センターの大のオトモダチ、Rossの名前もない。
ふ~ん……。
そういえば、Lantos医師って、
いきなり痛烈な批判で“Ashley療法”論争に躍り出てきたと思ったら
その勢いのまま去年もこのカンファに出て来ていたり、
最近はNICUでの「無益な治療」停止の慣行を是認する論文を書いたり、
いつだったか、ふと気がつくと、Diekemaとも共著論文があったり……ふ~ん……。
何度か、このカンファのWebcastのいくつかを眺めてみたり、
A事件を追いかける過程で、カンファに登場する倫理学者のその他の言動に触れたりすると、
要するに米国で初めて小児科領域での生命倫理の専門機関として2005年にできた
Truman Katzセンターというのは、
米国の小児科医で生命倫理の周辺であれこれ色気がある先生方にとっては
燦然と輝く“あこがれの登竜門”なんだろうなぁ……と。
上記、カンファのサイトから、例によってWebcastで生中継されるようです。
興味がおありの方は、ぜひ。
見られたら、どうだったか教えてくださいね。
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0714&f=national_0714_196.shtml
そういえば、こんなニュースもあった ↓
死体の闇売買のため障害者を狙って殺害(中国)(2008/9/11)
北海道で発達障害のある4歳男児を母親が殺害。
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2011/07/14/kiji/K20110714001211030.html
09年2月に生命維持を停止してモルヒネを大量投与し、四肢まひの患者Ghulam Mohammedさんを殺したとして、オーストリア出身のドバイの医師、Dr. EEが逮捕、起訴された。シャリア法違反。
http://www.thenational.ae/news/uae-news/health/doctors-let-quadriplegic-patient-die-prosecutors-say
シャリア法については、カナダのRasouli裁判でも問題になっていた ↓
「“治療停止”も“治療”だから同意は必要」とOntario上位裁判所(2011/5/17)
コロラド州の殺人犯が囚人が、蘇生を望まないという事前指示書を書いていたのにもかかわらず、無呼吸症候群が悪化した際に記録をチェックすることなしに治療され命を救われたと、刑務所を訴えている。無実の罪で終身刑になっているので、死んだ方がマシだ、という望みだったのだとか。「ナーシング・ホームだったら緊急時に事前指示書を確認しないなんてあり得ないのに」と。
http://www.denverpost.com/news/ci_18497949
認知症の配偶者を介護している人は、そのストレスから認知症になるリスクが大きい。
http://www.australianageingagenda.com.au/2011/07/19/article/Caring-takes-its-toll/XCLDYYDVWQ.html
ナーシング・ホームの入所者への薬の処方を変えて、もっと監督をしっかりすると、転倒が予防できる、との研究結果。
http://www.medicalnewstoday.com/releases/231232.php
この話題、2009年だけでこんなにあった ↓
認知症患者への不適切な抗精神病薬投与、教育・意識改革が必要(2009/4/17)
10年間で精神科薬の処方が倍増(米)(2009/5/7)
英国のアルツ患者ケアは薬の過剰投与で「まるでビクトリア時代」(2009/6/5)
ナーシング・ホーム入所者に症状もICもなく精神病薬投与(2009/10/31)
不適切な抗精神病薬の投与、15万人の認知症患者に(英)(2009/11/15)
1人でTX州の総量をはるかに越える統合失調治療薬を処方する精神科医が野放し・・・・・・の不思議(2009/11/30)
新たな“知的障害の遺伝子”。
http://www.medicalnewstoday.com/releases/231222.php
アルツハイマー病は、高血圧、喫煙、肥満、運動不足など7つの注意で半数ほどは防げる。
http://www.washingtonpost.com/national/health-science/study-exercise-healthy-living-treating-depression-could-slash-millions-of-alzheimers-cases/2011/07/19/gIQAOsOGNI_story.html?wpisrc=nl_cuzheads
12月1-2日、上海でファーマ・イノベーション・アジア2011カンファ。中国の製薬会社は昨今急速に伸びているが、まだイノベーションの点で進展の余地がある、と。
http://www.medicalnewstoday.com/releases/231265.php
オバマ大統領が、ウォーレン・バフェットとビル・ゲイツと会談。目的については語られていないらしいのだけど、2人が始めた「金持ちはゼニ出そうよ」キャンペーン、Giving Pledgeにオバマも資産を出すのか、という憶測が流れている一方、記事に寄せられたコメントの一つが「ゲイツ財団ではなくて米国政府にゼニを出せと2人に言えばいいのに」。また、見失ったけど、どこかの記事にはゲイツが「ゲイツ財団は米国政府よりもよほど効率的で、官僚主義的でない」と言ったとかどうとか。な~んか、この人、カン違いの権化?
http://blogs.abcnews.com/politicalpunch/2011/07/obama-meets-with-buffett-gates-to-discuss-giving-pledge.html
英国で個人的に中絶に賛成しない医師らが増えて、中絶を拒否される女性が増えている。:中絶に関してだけ、命に対するこうした原理的な保守化が進む一方で、障害のある命の切り捨てだけはどんどん進んでいくことが、どのように整合するのか、よく分からない。
http://www.guardian.co.uk/world/2011/jul/18/doctors-abortion-views?CMP=EMCGT_190711&
米国の貧困層の高齢者の医療費はメディケアで余りカヴァーされていない。それでも、緊縮予算でメディケアを民間保険の助成形式に、という声も。
http://www.washingtonpost.com/national/health-science/medicare-doesnt-cover-many-health-care-expenses-for-low-income-seniors/2011/06/23/gIQAchLRMI_story.html?wpisrc=nl_cuzheads
マードック帝国の盗聴問題で、当初、メディアに盗聴を告発したNews of the Worldの記者が遺体で見つかった。:こわ~い。アル中だったとか、直前に沈み込んでいたとか、いろいろ言われているらしいけど、たぶんそんなの信じている人はいない?
http://www.canberratimes.com.au/news/world/world/general/whistleblower-dead-second-cop-resigns/2230584.aspx?src=enews
ちょっと聞き捨てならないものだったので。
3月10日刊行の日本移植学会雑誌「移植」46巻第1号に
自治医科大学客員研究員の ぬで島次郎氏の「シリーズ移植倫理
WHO移植指針 2010年 改訂と日本の課題」という文章が掲載されていて、
WHO改訂指針は、臓器不足に対処するため、死者からの提供を促進させる取り組みを求めているが、事務局報告書は、脳死者からの提供には限界があり、新しい提供源の開拓も必要だとしている。具体的に挙げられているのは、心停止後の提供である。通常の心肺停止後の提供だけでなく、まだ脳死状態に至らない末期の段階で、生命維持装置の停止を医師と家族が決定し、心停止に至らしめて、臓器を摘出する方式が検討対象として挙げられている(報告書13)。この方法に対しては、家族の同意だけで提供者の死期が早められる恐れが大きくなるので、強い抵抗が予想される。特に日本では、脳死を人の死とみなすことに対し、以前異論が絶えないことが、2009年の法改正の議論でも改めて示された。心停止ドナーの提唱は、脳死よりさらに前の早い段階での治療中止を想定しているので、激しい論議を引き起こすだろう。
ここで問題になっている
「まだ脳死状態に至らない末期の段階で、
生命維持装置の停止を医師と家族が決定し、
心停止にいたらしめて、臓器を摘出する方式」とは、
森岡正博氏の「臓器移植法A案可決 先進国に見る荒涼」のエントリーで簡単に書いた
「ピッツバーグ方式」、人為的(人工的)心臓死後提供(DCD)のこと。
これは、いよいよWHOが
ピッツバーグ方式による臓器移植を検討しようと公言した、ということですね。
しかし、DCDのすぐそばに「無益な治療」論が控えていることは
「無益な治療」の書庫に拾っている数々の事件や訴訟が物語っている、と私は思うし、
さらに言えば、それらの事件では、
生命維持を停止される患者は必ずしも「末期」ですらない。
当ブログではかなり前から、以下のエントリー他で、
DCDは無益な治療論と繋がるのでは、との懸念を書いてきました。
心臓を停止から75秒で摘出・移植しているDenver子ども病院(2008/10/14)
「脳死でなくても心停止から2分で摘出準備開始」のDCDを、ERで試験的に解禁(米)(2010/3/17)
臓器提供は安楽死の次には“無益な治療”論と繋がる……?(2010/5/9)
Robert Truog「心臓死後臓器提供DCDの倫理問題」講演ビデオ(2009)(2010/12/20)
ベルギーの「安楽死後臓器提供」、やっぱり「無益な治療」論がチラついている?(2011/2/7)
Savulescuらが、今度はICUにおける一方的な「無益な治療」停止の正当化(2011/2/9)
「1つの流れに繋がっていく移植医療、死の自己決定と“無益な治療”」を書きました(2011/5/14)
移植臓器が、誰かから善意によって「いただく」贈り物なのであれば
最初から移植用の臓器は不足しているのが当たり前であって、
“臓器不足”が“解消すべき”問題となる……なんてことはありえないはずでは?
それが、いつから移植臓器は「不足してはいけない」もの
「ほしい人に行きわたらせなければならない」ものに
すり替わってしまったのだろう……?
これまで拙ブログで拾った、
重症障害ゆえの“無益な治療”論が救命や治療よりも臓器を優先させた事件2つを以下に。
【Navarro事件 関連エントリー】
臓器ほしくて障害者の死、早める?
Navarro事件で検察が移植医の有罪を主張(2008/2/28)
臓器移植で「死亡者提供ルール」廃止せよと(2008/3/11)
Navarro事件の移植医に無罪:いよいよ「死亡提供ルール」撤廃へ? (2008/12/19)
【Kaylee事件関連エントリー】
心臓病の子の父に「うちの子の心臓をあげる」と約束してヒーローになった父、呼吸器を外しても生きる我が子に困惑(再掲)(2009/6/19)
Kaylee事件について障害者人権アドボケイトからプレスリリース(2009/4/14)
Kaylee事件から日本の「心臓が足りないぞ」分数を考えた(2009/4/15)
What Sorts ブログのKaylee事件エントリー(2009/4/15)
Kaylee事件から日本の「心臓が足りないぞ」分数を考えた(2009/4/15)
「Kaylee事件」と「当事者性」それから「Peter Singer」(2010/11/3)
【死亡提供者ルール廃止の主張に関連するエントリー】
脳死の次は植物状態死?(2007/9/10)
臓器移植で「死亡提供者ルール」廃止せよと(2008/3/11)
「脳死」概念は医学的には誤りだとNorman Fost(2009/6/8)
【ベルギーの安楽死後臓器提供関連エントリー】
ベルギーで2年前にロックトインの女性、「安楽死後臓器提供」(2010/5/9)
ベルギーの医師らが「安楽死後臓器提供」を学会発表、既にプロトコルまで(2011/1/26)
【Savulescu「臓器提供安楽死」関連エントリー】
「生きた状態で臓器摘出する安楽死を」とSavulescuがBioethics誌で(2010/5/8)
Savulescuの「臓器提供安楽死」を読んでみた(2010/7/5)
「腎臓ペア交換」と「臓器提供安楽死」について書きました(2010/10/19)
交通事故で大けがを負った後
「無益な治療」論で生命維持を中止された女性が
鍼灸師の両親による漢方と鍼とホリスティックによって一定の回復を見せ、
それを見た医師らが家に連れて帰ることを許可。
地元の病院チームが生命維持を再開するや、一気に元気を取り戻して
事故から半年後の現在、自宅で1月間の作業療法を終え、近く大学に復帰する予定だとか。
女性はKimberly McNeilさん、18歳。
彼女が事故に遭ったのは12月27日。
重症の頭部外傷のほか、肋骨12本他が折れてAuckland City 病院に運ばれた。
生命維持装置のスイッチが切られたのは1月14日。
事故から、わずか15日後のことだった。
Kimberlyさんは生命維持を中止した西洋医学に恨みはないと言いつつも、
「お医者さんたちはただ教科書を読むだけじゃなくて、
患者を読む力を養わないと。患者は一人一人違うんだから」
Parents refused to let daughter die
Sunday News, July 3, 2011
その辺りの事情の詳細は記事にはありませんが、
両親ともに鍼灸師で、医師らの「(回復不能との)診断を受け入れることを拒否」して、
知り合いの中国人の神経専門医に相談し、医師らの許可を得た上で
娘に漢方や鍼などの治療を施したというのだから、
オークランドでは、
家族の意思に関わらず、病院や医師に一方的な生命維持を停止する権限が認められている、
ということになるのでは?
米国でも、そこまで認めている「無益な治療」法は
テキサスだけみたいなのだけど。
米国の「無益な治療」論関連法については以下のエントリーなどに見るように
テキサス以外の約10程度の州では、無益と判断した治療を拒否する権利は認めるものの
家族には転院先を探す猶予を与え、転院までは生命維持の続行を求めている……
のではないかと思うのですが。
また、テキサスでも実現には至っていないものの、一部の議員さんたちによって
転院まで生命維持続行を義務付ける法改正への努力が行われているのですが。
生命維持の中止まで免罪する「無益な治療法」はTXのみ(2011/1/21)
テキサス州議会に「無益な治療法」の廃止を求める法案(2011/5/12)
TX州の「無益な治療」法改正法案、“死す”(2011/5/25)
なお、これまで当ブログが拾った回復事例に関する話題を以下に。
【米国:リリーさん】
植物状態から回復した女性(2007年の事件)
【米国:ダンラップさん】
脳死判定後に臓器摘出準備段階で意識を回復した米人男性のニュース(再掲)(2009/7/30)
【ベルギー:ホウベン?Houbenさん】
23年間“植物状態”とされた男性が「叫んでいたのに」(ベルギー)(2009/11/24)
「なぜロックトイン症候群が植物状態と誤診されてしまうのか」を語るリハ医(2009/11/25)
【日本:加藤さん】
「植物状態にもなれない」から生還した医師の症例は報告されるか?(2011/1/19)
【米国:ゴッシオウ? Gossiauxさん】
事故で視力を失った聴覚障害者が「指示に反応しない」からリハビリの対象外……というアセスメントの不思議(2011/2/6)
【豪 Gloria Cruzさん】
またも“脳死”からの回復事例(豪)(2011/5/13)
【その他、関連エントリー】
「植物状態」5例に2例は誤診?(2008/9/15)
「脳死」概念は医学的には誤りだとNorman Fost(2009/6/8)
楳図かずおの脳死?漫画(2008/4/3)
重症障害児・者のコミュニケーションについて、整理すべきだと思うこと(2010/11/21)
彼女の方が私よりも圧倒的に忙しいことは知っているので
「じゃぁ、場所と時間はお任せ」とメールを入れたら
とんでもない“町はずれ”を指定する電話がかかってきた。
意外なのは場所だけでなく、
その町はずれの「○○○で会おう」と言われたことで、
え? ○○○って……? あの店、まだあったの……?
まるで「奈良の“ドリームランド”がモロッコに場所を移してまだ営業している」と
いきなり誰かから聞かされた、みたいに、きょとん……としてしまう。
○○○は
私たちの思春期の終わり(もしくは20代の始め、なにしろ1970年代です)に
町に忽然と現れた、町で初めての、したがって唯一の、
本場! カリフォルニア・ピザ!! の店だった。
あの当時、ピザと言えば、このあたりでは、
今なら場末の喫茶店でしかお目にかかれない「ミックス・ピザ」のことだった。
そんな時代に、
ピザ職人(だったかどうかも今では定かではないが)の青い目・金髪のアメリカ人が
アシスタントとウェイターを兼ねた日本人のニイチャンと2人だけでやっている
小さな店のメニューは、ごくシンプルなピザが数種類と、あとは選べるトッピング――。
田舎の町では、ワクワクするほど本場!で、カリフォルニア!!で、
私たちは頻繁に○○○に出かけては、あつあつの焼きたてピザをモリモリと頬張った。
当時の私の定番は「マッシュルームとサラミのピザ」だった。
もちろん、そのうちには、ピザも大して珍しくもない食べ物になったし、
宅配店がどんどん出現したけど、○○○は何度か場所を変えながら繁盛し続けた。
何度目かに場所を変えた時に行ってみると、
アメリカ人が姿を消し(実際に青い目・金髪だったかも今では定かではない)
すっかりお馴染みの日本人のニイチャンが店主に昇格してピザを焼いていた。
主役だったアメリカ人がいなくなってみれば、
ニイチャンは結構グッド・ルッキングな優男だったし、
ピザの味だって別に落ちたりはしなかった。
とはいえ、私たちも、そろそろ
「ピザかぁ……蕎麦にする?」などと身体のニーズを感じる年齢に差し掛かり
○○○からは徐々に足が遠のいていった。
最後に○○○に行ったのは、たぶん、
米国留学中のルームメイト(日本人)が20年くらい前に遊びに来た時だったか?
その後、気が付いたら、いつのまにか、その場所から○○○はなくなっていて
あまり噂も聞かなくなったので(今にして思えば単にこっちが興味を失ったのだけど)、
だから、あたし、てっきり○○○はつぶれたんだとばかり思ってたよ……と言うと、
友人もそう思っていたけど、最近、
出産を控えて実家に戻っている娘(この子はミュウの翌日に生まれた)が連れて行ってくれて、
町はずれで健在だったことを知ったのだという。
ランチ時には女客でいっぱいだったよ、と言われて
内心「ピザかぁ……」と溜め息をつきつつ
「場所はお任せ」と言った手前、不服も言えずに出掛けてみたら、
前よりもはるかに アメリカン! カリフォルニアン! な内装の店は
以前は考えられないほどに広く、確かに女客がぎっしりで、
店内でも厨房でも沢山の店員さんがせわしなく立ち働いていた。
本当にアメリカのレストランみたいな匂いがすると思ったら、
カウンターにアメリカン・カントリーな顔つきのマフィンやパンが
無造作に並べられて甘い匂いを放っている。
私たちはピザの店でグラタン・セットを食べながら、
2時間ばかり、老親の介護をしている彼女の苦労話や
私が最近読んだ英国人の「“身勝手な豚”の介護ガイド」の話をし、
さらに追加注文したアイスクリームを
「これでまたコレステロールが……」と自虐を言い訳に、がっつり平らげながら、
同じ職場で働いた20代の頃の思い出話をしては笑いさんざめき、
気がつくと、店内には我々の他には1組しか残っていなかった。
その1組が席を立ったのを潮に我々も引き上げることにして、
レジでお金を払っていると、横手の厨房から「ありがとうございました」と声がした。
ふと、そちらに目を向けると、人気のなくなった薄暗い厨房に立っていたのは……
一瞬、それは“あのニイチャン”でありながら
同時に“あのニイチャン”ではない、奇妙な人……に見えた。
あるいは、”あのニイチャン”が
何故かジョーダンで「ヘタクソな変装」をして現れた……みたいに見えた。
それは例えば、
若い頃の三浦友和が初めて老け役を演じる姿を見た時のような、
ちょっと妙なインパクト……?
でも、もちろん、そこにいるのは、
ホンモノの白髪交じりの頭に、あちこちにホンモノの皺が刻まれて
ちょっとゆるみ、くたびれた、ホンモノの初老のおじさんなのだった。
気付いた瞬間、すぐさま、その下から、
20年以上前に最後に見た時に私たちと同じ30代だった、この人の顔が、
俄かに、思いがけない鮮明さで浮かび上がってきて、
あ、確かに私はこの人を知っている……と、奇妙な実感をもたらしてくれる。
白髪やシワを透かして見えてくるだけ、余計に懐かしい人として――。
実際、ほんの一瞬だけだけれど、
「うわぁ、元気だったぁ?」と駆け寄って肩の一つも叩きたいほどに
親しく懐かしいものが、胸を通り過ぎていった。
年齢相応に老いたその人に会釈だけして店を出ると、
バッグに財布をしまいながら友人が言った。
「ねぇ、あの人って、どこかで知り合いだったよね」
「あの人って、今の“あのニイチャン”のこと?」
店の中、厨房の辺りを指差して聞くと、
「うん。誰かの知り合いじゃなかったっけ?」
なんだ、この人も同じものを感じてたんだ……と思うと、
ちょっと、おかしかった。
ねぇ、たぶん、あの人は、“わたしたちの知り合い”なんじゃない?
同じ町の、同じ時代の空気を呼吸しながら、
それぞれに、いろんなことのあった人生を生きてきた、
私たちの若い頃からの“知り合い”なんだよ、きっと――。
なぜともなく、誰かから軽く励まされたような気分になって
これからまた老親の家に向かう友人の車に、笑顔で手を振った。
早くもお腹のあたりに胸やけの予感がうごき始めていた。
:この記事は、イタリアの話題にも触れて、あいついで否決されていることを喜ぶトーンだけれど、別の見方をすれば、イタリアだけは逆の法案にせよ、あちこちの国の議会に自殺幇助合法化法案が提出され始めている、ということでもある。英国の情報も気になる。そのうち続報がどこかで目につくと思うけど。
http://www.nationalrighttolifenews.org/news/2011/07/italy-joins-bulgaria-and-france-in-blocking-euthanasia-legislation-as-new-withdrawal-of-treatment-case-is-about-to-be-heard-in-britain/
シンガポールで“無益な治療”事件。64歳の主婦 Lee Ah Cheoさんが家族の望みにもかかわらず人工呼吸器の装着を病院に拒絶され、亡くなった。家族は警察に通報。:前線は着々とアジアに迫りつつある。表面的には報道も議論もされないけどね。
http://health.asiaone.com/Health/News/Story/A1Story20110706-287760.html
Lancetの最新号は、ほとんどHIV感染予防一色??:やっぱり、「子どものワクチン」の次なるマーケット創出ターゲットはHIV感染予防ということ?
http://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736%2811%2961109-4/fulltext?elsca1=TL-150711&elsca2=email&elsca3=segment#
米国医師会雑誌JAMAに発表された論文で、あまりに肥満が酷い子どもは親から引き離してはどうかと、その倫理性が議論されている。:医療を巡る意思決定がどんどん強権的なものになっていく感じがする。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/231017.php
黒人の入所者が多いナーシング・ホームでは、黒人患者が辱そうを生じる割合はその他のハイ・リスク患者よりも高い。:ちゃんと記事を読んでいないけど、このデータ、どう解釈するよ?
http://www.medicalnewstoday.com/articles/231114.php
脊損の程度は、成人の場合、自身の健康度の評価には影響しない、との調査結果。:これはちょっと興味深い結果。ロックトインの人の7割が「幸せ」と回答という調査もあった。
http://www.medicalnewstoday.com/releases/231009.php
自閉症に関与する遺伝子。
http://www.medicalnewstoday.com/releases/230985.php
突然の心臓まひで死ぬ遺伝子リスク。
http://www.medicalnewstoday.com/releases/230961.php
英国で癌患者が急増。10年後には10人に4人が癌にかかることに。
http://www.guardian.co.uk/world/2011/jul/14/four-in-ten-britons-cancer?CMP=EMCGT_140711&
英国の海洋博物館に、タイタニック号から引き揚げられた遺品が展示されている。
http://www.guardian.co.uk/culture/2011/jul/13/titanic-national-maritime-museum-extension?CMP=EMCGT_140711&
オーストラリア、今年はむちゃくちゃ寒いって。
http://www.canberratimes.com.au/news/local/news/weather/coldest-winter-night-this-year/2227542.aspx?src=enews
英国で、水の事故で全身マヒになった33歳の息子をスイスへ連れて行って自殺させたという女性Helen Cowieさんがラジオ番組に電話で自殺幇助を告白し、警察の捜査を受けている。:英国では、事故で全身マヒになった23歳の元ラグビー選手を Dignitasへ連れて行った両親がすでに「起訴するだけの証拠はあるが、起訴が公益にならない」として不起訴になっている。だいたい、公訴局長のガイ ドラインが出て以降、起訴になった人はいないのだから、この人も不起訴になるのだろう。
http://www.dailymail.co.uk/news/article-2004955/I-helped-paralysed-son-33-die-Dignitas-says-mother-police-launch-assisted-suicide-investigation.html?ito=feeds-newsxml
この時、Daily Mailは警察が捜査を始めたかのように書いているのだけれど、
どうやら、その部分は誤報だったらしくて、
今回の「続報」は
「警察は捜査しないことに決めた」という内容。
Police drop investigation into Dingitas assisted suicide mother
Daily Record, July 14, 2011
Mother in the clear over son’s suicide at Dignitas
The Guardian, July 14, 2011
でも、この話、「やっぱり思った通りだったわね」と言って終わるわけにはいかない。
そういう話じゃない。違う。断固、ゼッタイに、違う。
なぜなら、「これまでの事例から不起訴になる確率が非常に高い」ということと
「だから警察が捜査もしない」ということとは全然、同じではないから。
09年の公訴局長のガイドラインは
「自殺を勧めたり幇助した事件は全て警察の捜査対象となる」と明記しており、
そもそも、あのガイドラインは、
警察の捜査を受けて後に、本来なら起訴相当の証拠がある自殺幇助事件で、
検察が起訴・不起訴の判断をする手順とスタンダードを定めたもの。
しかも、起訴が公益に値するかどうかの判断を最終的に確定できるのは
公訴局長の同意によってのみとまで規定しているはず。
(詳細は文末の「ガイドラインを読む」のエントリーに)
「どうせ不起訴になるに決まっているなら警察は捜査しなくてもよい」とも
「どうせ起訴になる人はいないと世の中みんなが考えるようになったら、
捜査すべき自殺幇助事件かどうかを警察が判断してもよい」とも
書かれているわけではない。
「起訴・不起訴判断の段階で」公益を考慮して「公訴局長が最終的に決める」と
定められた手順が「どうせ不起訴に決まっているから踏まなくてもよい」とばかりに
なし崩しにされていくなら、それこそが「すべり坂」ではないか。
それに、ものすごく不快なのは
Guardianの記事の後半がガイドラインに言及し続けていながら
「自己決定能力がある人が自己決定したことであると明らか」とか、
「幇助行為が自分を利する目的ではなく思いやりからしたことだと明らか」だとか
「幇助した者が警察の捜査に協力的であること」など
不起訴にカウントされるいくつかの要件を並べてみせるばかりで、
警察が捜査に入らない判断をする、という
ガイドラインの枠組みそのものに反する今回の矛盾については
一切、まったく触れていないこと。
【追記】
Wesley Smithが、この一件について
この青年だって絶望を乗り越えて生きていけたかもしれないというのに
英国はこうして重い障害を負った人たちは幇助を受けて自殺してよいとのメッセージを送っている、と
批判しているけど、
その中で「警察の十分な捜査の後で」という文言を含むガイドラインの一節を引用しながらも、
その警察が捜査をしないと明言していることの不適切については触れていない。
http://www.firstthings.com/blogs/secondhandsmoke/2011/07/14/abandoning-the-disabled-to-assisted-suicide-in-the-uk/
【ガイドライン関連エントリー】
DPPの自殺幇助に関する起訴判断のガイドラインを読む 1(2010/3/8)
DPPの自殺幇助に関する起訴判断のガイドラインを読む 2(2010/3/8)
英国の自殺幇助ガイドライン後、初の判断は不起訴(2010/3/26)
【英国人のDignitasでの自殺事件エントリー】
スイスDignitasで幇助自殺とげた英国人100人に(2008/10/3)
息子をDignitasで自殺させた両親、不問に(英)(2008/12/10)
「病気の夫と一緒に死にたい」健康な妻の自殺をDignitasが検討中(2009/4/2)
Dignitasに登録の英国人800人(2009/6/1)
これまでにDignitasで自殺した英国人114人の病名リスト(2009/6/22)
英国の著名指揮者夫妻がDignitasで揃って自殺(2009/7/14)
またしても著名英国人音楽家がDignitasで自殺(2009/9/20)
Dignitasの内部をGuardianが独占取材(2009/11/19)
国別・Dignitasの幇助自殺者、登録会員数一覧(2010/3/1)
また英国の著名人がDignitasで自殺:Purdyさんと同じ多発性硬化症(2010/4/1)
リッチな英女性のDignitas死に財産がらみの不審か、警察が捜査に(2010/4/14)
Dignitasで英国人がまた自殺、今度は「老いて衰えるのが怖いから」(2011/4/3)
脳死状態の女性Eluana Englaroさんへの栄養と水分の中止を
父親が求めて訴訟を起こし、2008年から09年にかけて
国を挙げての大論争になったことを
以下のエントリーで簡単にとりあげました。
伊の安楽死問題、首相に大統領に議会にバチカン巻き込み大騒動に(2009/2/10)
この事件については日本語での報道もかなりあったようで、
立命館大学グローバルCOE生存学創生拠点の以下のサイトに詳細情報が集められています ↓
イタリア延命中止事件:2009
結局、最高裁が停止を認め、
Eluanaさんは亡くなりました。
上記エントリーでも書いているのですが、
この論争時、ベルルスコーニ首相は
意識不明患者の栄養と水分中止を違法とする法律を作ると語っていましたが、
このたび、そうした規定を含む事前指示法案が
イタリア下院で278対205で可決されたとのこと。
同法案は、
安楽死も自殺幇助も明確に禁じて、
患者が栄養と水分を拒否されることがないよう求めるもの。
唯一の例外として脱水死が認められるのは
患者が究極的なターミナル段階にあり、
身体的に栄養も水分も取りこめない状態である場合。
また、患者には
通常の範囲を超えた医療、極端な医療、
また「限度を超えているとか実験的な性格の」アグレッシブな治療法を
拒絶する権利を認めているが、
医師は安楽死が禁じられていることを
患者に伝えなければならない。
なお、上院での審議は10月の予定。
この記事によると、
カナダと英国では栄養と水分は「医療」と特に定義されており、
特に英国の事前指示法では
患者のQOLによって治療が「無益」と考えられる場合には
医師に水分の停止を認め、場合によっては義務付けられている、とのこと。
米国については触れられていませんが、
前のエントリーで触れた米国小児科学会のガイドラインでは
クルーザン判決により栄養と水分はその他の医療と同じとの判断が出ていると
解釈されていたので、米国でも事情は同じではないでしょうか。
Bill to outlaw dehydration euthanasia passed by Italy’s lower house
LifeSiteNews, July 13, 2011
2009年の事件について、この記事が書いている、ちょっと気になること。
Eluanaさんはターミナルな状態ではなかったにもかかわらず、
当時のメディアはこぞって「生命維持をやめて、自然に死なせてあげる」と書いた、と。
米国小児科学会誌のJulie Weiner やJohn Lantosらの論文で
NICUで生命維持治療の停止や差し控えによる死亡例が増えている、
特に超未熟児で差し控えが増えている、という調査結果と、それを
治療の無益性に対する理解と穏やかな死を迎えさせてあげようとの姿勢の広がりだと
評価する結論について、
また、その論文をプロ・ライフの論者であるWesley Smithが持ち上げていることについても、
なんとなく、しっくりこないものを感じつつ、
とりあえず他のことに集中していた事情もあって突き詰めて考えずにいたのですが、
その「なんとなく、しっくりこない」感じを
明確な問題として指摘してくれる記事がありました。
こんなの連邦法違反である、放置されてはならない、と。
NEW STUDE REVEALS THAT TREATMENT BEING WITHHELD FROM PRETERM INFANTS IN VIOLATION OF FEDERAL LAW
National Right to Life News Today, July 13, 2011
まず、11日の記事では出てこなかったデータをこの記事から補足しておくと、
治療停止の件数だけでなく、
DNR指定にされる新生児の数も増加している。
10年間にNICUで死亡した乳児の内
45%に大きな先天性の損傷があった。
そのうち17%が超未熟児。
35%は先天性の損傷のない超未熟児だった。
死亡乳児の61.6%が治療中止の後に死亡したもので、
20.8%は治療差し控えの後に死亡。
後者は10年間に毎年1.03%ずつ増加しており、
超重症児では10年前の10%以下から30%以上にまで増加している。
この記事の著者 Jennifer Popik医師が「これは違反だ」としている法律は
1984年の児童虐待防止法のベビー・ドゥ修正条項。
82年にインディアナ州で生まれたダウン症の乳児に食道の欠損があり、
両親はダウン症を理由に、その手術を拒否した事件を機に、修正条項が設けられた。
(この記事には書かれていませんが、
当時のレーガン大統領の強権的運用姿勢に問題があったため、
この修正条項には反発も多いという話もどこかで読んだ記憶があります)
この条項は、3つの条件に当てはまる乳児以外には
栄養や治療の差し控えを認めていないし、
児のQOLは差し控えの理由として認めないと明記しており、
児童虐待防止プログラムへの連邦政府の助成金も
障害のある子どもが通常の医療を拒否される場合には児童虐待として
法的措置を取ることを州に保障させる目的のものだ、
したがって今回の論文で明らかになったのは
連邦法が無視されているというのに誰も処罰されていない事実であり、
論文は医学的無益性と安楽な死への認識が高まったと結論しているが、
これらは法に照らせば児童虐待であり、このまま許されてはならない、
……というのがPopik医師の記事の主旨。
――――――
Popik医師の記事を読んで、一つ疑問に思ったのは、
2009年に米国小児学会倫理委が「栄養と水分差し控え」ガイドラインを出して
一定の状態にある子どもについては、まさにそのQOLの低さを理由にして
また大人で認められていることを子どもに認めないのは「年齢差別」だという理由からも
栄養と水分の中止と差し控えを倫理的だとしていること。
なぜPopik医師は、このガイドラインに触れていないのだろう……?
それから、もう1つ、
1984年の児童虐待防止法の改正条項については
「栄養と水分の差し控え」ガイドラインでも触れられていることから
こちらのエントリーで当該規定についてまとめていますが、
Popik医師が書いていることと内容がちょっとズレているのが気になります。
で、手元にある上記ガイドラインを引っ張り出して確認してみました。
以下に当該個所を抜き出してみます。
The CAPTA stipulates that medical treatment need not be provided “other than appropriate nutrition, hydration, and medication” when, in the physicians’ reasonable judgment, any of 3 circumstances apply: (1) the infant is chronically and irreversibly comatose; (2) the provision of such treatment would merely prolong dying, not be effective in ameliorating or correcting all of the infant’s life-threatening conditions or would be “futile” in terms of the infant’s survival; or (3) the treatment would be “virtually futile” and “inhumane.”
Popik医師が
「3つの条件に当てはまれば栄養の差し控えも認められる」と理解しているのに対して、
ガイドラインの解釈によると
3つの条件に当てはまれば「適切な栄養と水分と薬以外には」治療を提供しなくてもよい、
つまり、どんな状態の子どもにも適切な栄養と水分と薬だけは提供せよ、と
規定されていることになるので、
いよいよ
3つの条件に当てはまらない乳児から栄養と水分が差し控えられるのは
CAPTA違反だということになるはずなのですが、
そして、超未熟児だというだけでは、
さらに超未熟児であり先天性の欠損があるというだけでは
必ずしも3つの条件に当てはまるとは言えない、とも思うのですが、
私が去年から非常に強く引っかかっているのは
Diekema医師が委員長として書いた、このガイドラインの
上記引用箇所に続く、以下の下り。
Although this language seems to advocate for the provision of appropriate fluids and nutrition in most cases, the AAP argues that medically provided nutrition and hydration are “appropriate” when they serve the interests of the child – in other words, when they are expected to offer a level of benefit to the child that exceeds the potential burden to the child. That purpose of this paper is to define the appropriate use of medically provided fluids and nutrition, and in that sense, the CAPTA seems consistent with the guidelines provided in this report.
この(CAPTAの)文言からすれば、ほとんどのケースで適切な水分と栄養の提供が求められているように思われるが、AAPとしては、栄養と水分の医学的提供が「適切」なのはそれらが子どもの利益にかなう場合だと考える。つまり、栄養と水分が子どもに負担となる可能性よりも高いレベルの利益が予測される場合に、栄養と水分の提供は「適切」なのである。この論文の目的は、医学的な栄養と水分の適切な提供方法を定義することであり、その意味ではCAPTAはこの論文が提示するガイドラインと一致している。
つまり、
「適切な栄養と水分と薬だけは差し控えてはならない」とCAPTAは規定しているが
自分たちは、その「適切」を定義したのである、と。
そして、そこでは
一定の重症障害のある子どもの場合には「適切ではない」と判断されるので
「適切ではない栄養と水分」だから「差し控えてもCAPTA違反ではない」と
Diekemaは言っているわけですね。
いかにもDiekemaならではの詭弁であり、
また、生命倫理学者に求められている能力や役割がどういうものであるかが
いかにも鮮やかに感じられる一節でもありそうです。
WeinerやLantosらが
この小児科学会のガイドラインの立場をとって結論しているのかどうか……。
それがとても気になってきました。
ガイドラインについては ↓
米小児科学会倫理委の「栄養と水分の差し控え」2009年論文 1/5:概要
米小児科学会倫理委の「栄養と水分の差し控え」2009年論文 2/5:前置き部分
米小児科学会倫理委の「栄養と水分の差し控え」2009年論文 3/5:差し控えが適当である例
米小児科学会倫理委の「栄養と水分の差し控え」2009年論文 4/5:倫理的な検討
米小児科学会倫理委の「栄養と水分の差し控え」2009年論文 5/5:法律的な検討
http://www.mainichi.jp/life/money/news/20110712k0000m020066000c.html
http://mdn.mainichi.jp/mdnnews/news/20110712p2g00m0dm002000c.html
重度心身障害児:母親が相互に支え合う会設立――相模原/神奈川
http://mainichi.jp/area/kanagawa/news/20110702ddlk14100260000c.html
NZのJohn Key首相が自殺幇助合法化に賛意を表明し、論議に。
http://www.lifenews.com/2011/07/11/new-zealand-prime-minister-blasted-for-supporting-euthanasia/
中国の一人っ子政策で、強制的な中絶が起こっている。
http://www.womensrightswithoutfrontiers.org/blog/?p=219
ビタミンDがアルツハイマー病の原因となる脳のアミロイドβを排泄する、という研究結果。:私は、ビタミンDというだけで眉にツバつけたくなる過剰反応が起きてしまうけど。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/230829.php
マードックのNews of the Worldタブロイド紙の盗聴スキャンダルで、ターゲットには英国女王やブラウン前首相も含まれていた、とのこと。
Murdock Tabloids’ Targets Included Downing Street and the Crown: Reports surfaced that two of Rupert Murdoch’s newspapers may have bribed police officers to obtain information about Queen Elizabeth Ⅱand former Prime Minister Gordon Brown.
テキサスで7257グラムの巨大赤ちゃんが生まれる。:食肉に含まれる成長ホルモンの影響とかも……? と思ったら、お母さんが妊娠中に糖尿病になって予測されていたことなんだとか。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/230835.php
ADHDと知的障害の原因に副流煙も?
http://www.medicalnewstoday.com/articles/230824.php
これまで米軍は戦地で自殺した兵士の家族にはお悔やみの手紙を送ってこなかったけど、Obama大統領が今後は自殺した兵士にも送ることに。
http://atwar.blogs.nytimes.com/2011/07/06/white-house-changes-policy-on-condolence-letters-for-military-suicides/live-updates/
http://www.nzdoctor.co.nz/un-doctored/2011/july-2011/11/new-blog-for-people-who-care-for-those-with-dementia.aspx
http://alzheimersauckland.wordpress.com/
日本でも認知症の人と家族の会顧問の三宅貴夫医師が「介護保険情報」誌に、介護者として赤裸々な思いを冷静な文体で連載されていて、その連載「認知症の妻の介護でみえたこと」は、読ませていただくたびに敬服の思いを新たにしたのだけど、気づいたら三宅医師のHPで読めるようになっていた。
http://www2f.biglobe.ne.jp/~boke/boke2.htm
三宅医師のブログはこちら ↓
http://alzheimer.at.webry.info/
米国のナーシング・ホーム利用者の内、黒人やヒスパニック、アジア系人種の割合が増えている。特に都市部を中心に、経済格差が人種横断的に広がっているため。
http://www.medicalnewstoday.com/releases/230706.php
英国NHSでの治療までの待機期間がさらに伸びていて、MRIを受けるのに6週間待ちだとか。英国医師会会長の諮問委員会から待っている医間に患者は手術も薬も間に合わなくなり死んでしまう、と警告。
http://guardianmail.co.uk/go.asp?/bGUA005/x1EU334/q5NYT34
ビル・ゲイツの次なるイノベーション・ターゲットは「水を使わないトイレ」
http://www.worldcrunch.com/bill-gates-next-great-innovation-waterless-toilet/3429
NTY. カトリック聖職者の性的暴行スキャンダルは1940年代からあり、Clement A. Hageman司教を指差した人たちは、教会幹部によってアリゾナやニューメキシコの非白人が住む貧困地帯に追いやられていたとか。
テキサスの不動産会社の女性社員が、髪の一部が若い頃から白髪だったのを染めずにいたところ、企業イメージのために染めろと上司に指示され、染めなかったために首になったとして差別を受けたと訴訟。:テキサスは先週も、国際世論を考えて中止を求めるObama大統領の要請をはねつけてメキシコ国籍のレイプ犯を死刑にしたばかり。無益な治療法にしても、なにかと独自の文化なのかも?
http://www.guardian.co.uk/world/2011/jul/10/woman-sacked-having-grey-hair?CMP=EMCGT_110711&
Ashley事件でお馴染みJohn Lantos医師らが論文を発表し、
1999年から2008年の10年間に
NICUで死亡した新生児について
① 32週以内の超未熟児
② 先天性の異常がある児
③ その他
別に調べたところ、
地域の診療機関からの紹介を受けるNICUにおいて
10年間での414人の新生児の死亡のうち、
61.6%で医療が中止されており
20.8%で医療が差し控えられており、
17.6%で心肺蘇生を受けていた。
治療の差し控えの後で死亡した割合は毎年1%増加しており、
増加分は超未熟児グループで治療の差し控えが行われたことを反映するもの。
10年間でこのNICUで主要な死の様態は生命維持装置の中止によるもので、
死が差し迫っていて医療が無益だと考えられる場合には
中止によって制御された環境で安らかな死を迎えられるものとされている。
治療中止が大きく増えていることは
それだけ医療的無益性が認識され、
穏やかな死を提供しようとの考えが広がっていることを示すものである、と
論文は結論付けている。
How Infants Die in the Neonatal Intensive Care Unit
Trends From 1999 Through 20008
Julie Weiner, DO; Jotishna Sharma, MD; John Lantos, MD; Howard Kilbride, MD
Arch Pediatr Adolesc Med. 2011; 165(7):630-634. Diu:10.1001/archpediatrics.2011.102
この論文を受け、Wesley Smithが
無益な治療論で問題なのは医療職が一方的に患者や家族の医師を無視して
治療を停止することであり、
この論文の結論として
多くの家族が強制されたのではなく、十分な情報を得て、
治療の続行を望まない選択をしていることは喜ばしいことだ、と書いている。
きちんと正しい知識を与えられれば
多くの人は「何が何でも出来る限りのことを」などとは望まないものだ、と
自分は以前から主張しており、この研究結果によってそれが実証された、とも。
Neo Natal Deaths Show Education, Not Coercion, Works in Terminal Cases
Secondhand Smoke, July 7, 2011
それを受けて、
Medical Futility BlogのThaddeus Mason Pose が
Smithの言う「強要」の内容が問題だと問題提起している。
例えば、人工呼吸器の続行が選択肢の中に含まれていなかったり、
現実的な選択肢として提示されていなかったりといった
倫理的には正当化され得る「説得」や「操作」もありうるのでは。
言い換えると、
医療職や倫理委が代理決定権者の反対を押し切ってまで
治療を無理やりに行うということは滅多にないのだから、
意見の対立さえなければコンセンサスができたことになってしまう。
いったん起こった無益な治療を巡る対立が解決されてコンセンサスに至ることと
最初から無益性を巡る対立を避けることにエネルギーを集中することとは
全く別の話であり、
それによって代理決定権者が最初から選択を奪われているということもありうる、と。
Medical Futility ― Conflict and Illusory Consensus
Medical Futility Blog、July 9, 2011
なんでだろう?
私も今回はWesley Smithは妙に「らしく」ないことを言っている印象を受けた。
Popeの意見に賛成。