2ntブログ
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- / Top↑
豪のDr. DeathことDr. Nitschkeに3年前に情報を求めた夫婦がPerth近郊の自宅で死んでいるのが月曜日に見つかった。Jennifer Anne Stewart(61)さんと、夫のJohn(66)さん。
http://news.smh.com.au/breaking-news-national/couple-sought-suicide-info-nitschke-20100630-zl3n.html

妊婦の血液検査で胎児のダウン症スクリーニングがそのうち可能になる。:……というニュースは何年も前から繰り返し出てくる。それに、ダウン症スクリーニングの倫理問題は羊水穿刺の流産リスクなのか? 英語圏の生命倫理というのは、いつのまにか利益とリスクをあげつらって、そのバランスの判断をすることが仕事になり下がってしまったみたいな感じがするのだけど、本当はそんなのは倫理検討じゃないはずなのに。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/10453774.stm

G8の参加国が母子保健に50億ドルを約束。その他の国々と各種財団とで更に23億ドル。 http://www.medicalnewstoday.com/articles/193213.php

上記問題に、カナダのToronto Star誌が論説で「以下に不況とは言え、目標額をはるかに下回り、少なすぎる」と批判。
http://www.thestar.com/opinion/editorials/article/829105--the-g8-fails-its-own-test

UCLAが行った調査で、教育病院の終末期ケアはおおむね質が高いケアが提供されているものの、患者の支援とタイムリーな安楽への配慮、家族とのコミュニケーションの点で改善点がある。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/193255.php

MMRワクチンと、MMRVワクチンとでは、接種後7-10日以内の熱性けいれんの発生率が違う。水痘ワクチンは別途で接種する方が良い、というデータ。:いわゆる多剤投与のリスクの問題は接種すべき種類が増える一方のワクチンではどうなっているんだろう、というのが私はずっと疑問。ワクチンについて書いたエントリーに医師の方からコメントいただいて何度か尋ねたことがあるのだけれど、答えてもらったことがない。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/193233.php

FDAがやっと重い腰をあげて、家畜への抗生剤の過剰な投与の規制にとりかかるか? という記事。抗生剤に耐性のある菌が増えて治療しにくくなったのは風邪くらいでバカスカ(人間に)抗生物質を出すからだ、という批判がある一方で、家畜への抗生剤の安易で過剰な投与は見過ごされてきたが、ビジネスの効率は良くても人間の体には悪いんだ……て、これもまた、今になって初めて分かったことじゃないし。:このブログを始めてから、スーパーでどんなに安くてどんなに見た目がきれいでも、英語圏から来た食肉は食べる気がしなくなった。抗生剤もステロイドも、その他想像できないようなものまで、きっと身体にいっぱい取り込むことになるんだろうな…… と考えてしまう。
http://www.nytimes.com/2010/06/30/opinion/30wed3.html?th&emc=th

Dietary Guidelines for Americans 2010が発表され、マルチビタミンやミネラルのサプリを毎日飲んでも、健康な人にはメリットはなく、却って害になることもある、と。:毎日150錠ものサプリを飲んでいるというTH二ストのカーツワイル、このガイドラインをどう読むのだろう?? それから米国小児科学会は一昨年心臓病や糖尿病予防の効果あるから、子どものビタミンD不足をサプリで補えと推奨していたけど??
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/06/28/AR2010062804258.html?wpisrc=nl_cuzhead

上のニュースを読んで思い出したのは、その2日前にMNTで、年を取ってから知的能力を維持するにはビタミンDがいいらしいという研究結果が報告されていて、編集者のお勧め記事になっているし、読者の評価もものすごく高かったこと。ビタミンDサプリは、ここ数年、研究者が「いいぞ、飲め」と盛んに言いだしている。まるで万能みたいに。まるで一時のスタチンみたいに。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/193113.php

英国のチャールズ皇太子がパーティを減らして交際費・接待費を半分に。
Prince Charles halves entering bill
The Times, June 30, 2010
2010.06.30 / Top↑
最初は、Jennifer Whitfordさん(24)だった。
5月24日に事故で帰らぬ人となり、母親が臓器提供を決めた。

腎臓移植希望者の中から完全にマッチするレシピエントがみつかった。Brenda Wolfeさん(44)。

死後2日目にWhitfordさんの片方の腎臓は
Wolfeさんに成功裏に移植された。

そこでBrenda Wolfeさんの夫のRalphさん(48)は考えた。
以前、自分が妻に腎臓を片方提供しようとした時にはマッチしなくて果たせなかったが
見知らぬ人が妻に腎臓をくれるのならば、自分だって見知らぬ誰かにあげよう、と。

「大切な娘さんですよ、大切な娘さんが亡くなって、妻に命をくれたんです。
そこで私が『万が一ということもあるから私の腎臓はこのまま持っておきます』というのは
あまりにも自分勝手というものでしょう」

そこでRalphさんの片方の腎臓は
63歳のタクシー運転手 Gary Johnsonさんに移植された。

Johnsonさんの奥さんの61歳の妻、Jeannetteさんは片方の腎臓を、アーリントンの男性に、

その男性の姉(妹?)がテンプル・ヒルの女性に……と
順々にレシピエントの家族が、どこかの誰かのドナーとなることが繰り返されて、

5月26日から6月12日の間に次々に14件の腎移植が行われた。

ドナーのうちの2人は、
特に身内にもらったからというわけではない(non-directed)一般のドナーだった。

6月15日に、この14件の関係者らが病院で一堂に会したのだとか。

その場で、病院の移植サービスのディレクターは
単一の市内で行われた臓器の交換数としては最大ではないか、と語り、

移植コーディネーターは
「これがスタートです。この町でできるのだから、
更にエリアを広げ続けていくことは常に可能です」

腎臓移植は出血と感染リスクが伴う大きな手術となるが
ほとんどのドナーは2日で回復し、ノーマルな活動的な生活を送る、と
記事は書いている。

たしか「私の中のあなた」の中に、激しい運動はしてはいけないとか
生活に制約がいろいろ出てくるという話があったし、
以前、パキスタンの腎臓バザールのことを調べた時には、
生活のために腎臓を売って、それが健康状態の悪化を招き、
仕事を失って更に貧窮する話がごろごろしていたのですが?)

現在、米国で腎臓移植を待っている人は85000人で、
その61%がアフリカ系、ヒスパニック系、アジア系アメリカ人。

これらマイノリティには、なかなか適合するドナーが出てこないため、
今回のワシントンでの14件の交換移植でも半数以上がマイノリティだった。

(マイノリティにドナー登録する人が少ないのは、例えばタスキギ人体実験など
これまでの歴史の中でマイノリティは医療によって酷い人権侵害を受けてきており、
医療に対する信頼度が非常に低いためだと言われています。
また、配分にも人種差別が指摘されています。
私が読んだのはBlack Markets他。)

今回の移植関係者は、
「伝統的なやり方では移植してあげられない患者さんたちがいるんです。
我々はこうした交換を通して、常にマイノリティの患者さんへの移植を可能にしてきました」
「(ペア同士の交換なら)提供したいのにマッチしないということはありませんからね」

こうした成功例を受け、今年2月にはUNOS(米国臓器配分ネットワーク)が
ペア交換の登録データベースを試験的に立ち上げている。
この秋にも、マッチングを開始する予定。

Chain of transplants gives 14 kidney patients new life
WP, June 29, 2010


UNOSがペア交換の登録とマッチングを試験的に始めるということは、
制度化されるということですね。

制度化されるということは、それが当たり前となっていくということだろうし、

親の愛や夫婦の愛などの”家族愛”を盾に取った
提供の暗黙の強要が制度化される……ということでは?

なにしろ現在でも、
親が、特に母親が、子どもに臓器提供することは”義務”とみなされつつあるようだし、
(詳細は文末にリンク)

臓器目的でデザイナーベビーを作る” 救済者兄弟”という”制度”によって
生まれてくる前の子どもにも強要されているのだけど……?

なお、この記事の最初のセンテンスは
「始まりは悲劇だった。しかし終わってみたら、
14人もの人に、かけがえのない贈り物が贈られたのだった」


【関連エントリー】
“6方向”生体間腎移植(2008/4/11)

“ドナー神話”とは“母性神話”の再生産ではないのか?(2009/10/17)
「親から子への臓器提供は称賛する必要もない当たり前の義務」とA事件を擁護したRoss (2009/10/26)
「ドナー神話」関連での、いただきもの情報一覧 (2009/10/26)
2010.06.30 / Top↑
貧困問題といえば、若いシングル・マザーをいかに仕事につけるかという話だったのが、英国の連立政権の社会保障改革では、むしろ若い失業中の父親たちが一家を養わずに税金にたかっているのはけしからん、そんな奴らには、もうゼニはやらん、という話に。:働かないんじゃなくて、働けないことが問題なんだと思うんだけど。それに、若い父親たちをそんなふうに攻撃しつつ、彼らよりもさらに働きにくいシングルマザーも切り捨てようというわけでしょう、その話は。
http://www.guardian.co.uk/politics/2010/jun/28/poverty-tsar-shirking-fathers-lose-benefits

連立の社会保障カットはサッチャー時代よりもひどいぞ、と労働党。:日本でも、民主党がやっぱり駄目だということになった時には、またそっちに大きく振れるのかと思うと、ほんと、ぞっとする。どっちかに振れるたびに、人々は忍耐も寛容も失って、ただ目先の勢いの良さや言葉の分かりやすさだけを求めていきそうな……。
http://www.guardian.co.uk/politics/2010/jun/28/welfare-cuts-nastier-margaret-thatcher-labour

卵子のスクリーニングでIVFの着床率を上げようという話なのに、なぜか、それで遺伝病の97%が判明するというオマケつき。さらに、実際に着床率が上がるかどうか未知の部分もあると言われれば、一体どっちがオマケなのやら。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/10433577.stm

ベビー・ブーマーズの高齢化を前に、米国の医療職は複数の病気を持った高齢患者への対応に準備しつつあるけれど、その一方で、老年医療の研究には一向に資金が回っていない。去年のNIHの研究資金のうち、老年医療に回ったのは11%のみ。
http://www.nytimes.com/2010/06/29/health/29geri.html?th&emc=th

イタリアにMSの原因は首の血管が細くなって脳からの血流を阻んでいることなので、心臓病の治療に使うバルーンが有効だと、従来の通説と全く違う治療法を唱え実践している医師がいて、インターネットとSWS時代の患者たちは、素早く詳細な情報をゲットしては身近な医師らにこの療法を求め始めている。米国の医師らはおおむね懐疑的。患者の声があまりに大きく、ついにMS協会がこの治療法の研究に資金提供を決めた。:分厚い資料ファイルを持参して受診にくる患者について、ある医師の言葉がとても印象的で、他の病気ではこれまであり得なかったし、あっても、せいぜい論文を2,3本読んでくるくらいだったけど、今の患者さんはYouTubeで実際の手技まで見てからやってくる……と。
http://www.nytimes.com/2010/06/29/health/29vein.html?th&emc=th

糖尿病の治療薬Avandiaに、心臓病と脳卒中のリスク。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/06/28/AR2010062802089.html?wpisrc=nl_cuzhead
2010.06.30 / Top↑
ダニエル・エルチューリンの「ビルダーバーグ倶楽部」から、
Ashley事件関連の部分について。


・ビル・ゲイツは99年のポルトガルのシントラでのビルダーバーグ会議に招待された。
メリンダ・ゲイツは2004年にビルダーバーグ会議に招待された。
その他マイクロソフトの関係者は、何度も招待されている。


・ビルダーバーグ会議には、NY TimesやWP、LA Times、WSJ、米国3大ネットワーク、
英国のタイムズ、オブザーバー、フランスのフィガロ、ルモンドなど、
主要メディアが招待されている。それでいて、そこで知ったことはどこも報道しない。
2002年から03年にかけて、米国の対イラク開戦時期を彼らは知っていたのに、
どこも報道しなかったほど、秘密が守られている。

2007年1月3日に火を噴いた“A療法”論争の際、NY Timesは事件そのものは報道していないのだけど、
1月26日になって、いきなりPeter Singerの挑発的な記事をOp-Edで掲載した。

その時、どこかで(記事のコメント欄?)誰かが「Singerが自ら書きたくて書いたというよりも、
引っ張り出されて求めに応じて書いた、という感じがする文章だ」と言っていたのが
ものすごく頭に引っかかりを残している。


・ビルダーバーグに招待されているメディア関係者一覧(p.66-69)の中に、
思わず「あっ」と声が上がる名前があった。

出版社サイエンティフィック・アメリカンの
会長でCFR(外交問題評議会)メンバーのジェラルド・ピール。

2007年1月3日に火が付いた“Ashley療法”論争の時、1月5日に、いち早く、
Fost, Wilfond, Fraderという、いずれも子ども病院の“身内”を寄せ集めて、
全員に“利害関係のない専門家”のフリをさせ、世論誘導のメール討論
The Pillow Angel Case―Three Bioethicists Weigh In をセッティングしたのが、
このScientific Americanだった。

2007年の科学記事トップ25にも“A療法”擁護の記事を加えた。)

メール討論の仕組み方のあざとさには、
科学とテクノ系のサイトというだけではない何かがあるとは感じたし、
内容も、Fostが他の2人に強引にやらせている感じがありありだったから、
私はFostかAshley父のどちらかが SciAm にやらせたことだろうと考えていたのだけど
ここで、こういう名前を見ると、妙にすとんと腑に落ちてしまう感じも……。

         ---         ---

実は、ずうっと記憶に引っかかっていながら、
その後、どうしても探し出せないのだけど、

2007年に初めて米国政府のNBICレポート(詳細は書庫に)を読んだ時に、
障害者へのテクノロジーの適用について書かれた部分のどこかに、
「障害者への適用はQOLの向上に資するとのステートメントをもってスタートする」という
記述がありました。

その個所を読んだ時に、
Ashley事件とは、もしかして、この「ステートメント」ではないのか、
テクノロジーによって障害者の身体に手を加えることでQOLを向上させるという「声明」として
仕組まれた事件であり、

それによって世論の反応をみるための、いわば社会実験なのでは……? と、
ふと、そんなことが、その時に頭をよぎったのだけれど、

当時は、その後知ることになる諸々の一切を、まだ知らなかったので、
まさかね……と読み飛ばしてしまった。

なにしろ大部のレポートなので、その後その個所が見つけられないままでいるのだけど、
またぞろ気になってきた……。



もう1つ思い出したのは、
08年3月にCNNがAshley父にメールでインタビューした際に、妙な質問をしていること。

「あなたは、自分がなんらかの団体を代表しているとお考えですか」

私は当時、まだ
Ashely父は背後にいるGatesの“虎の威を借りた”だけだと思おうとしていたし、
その他、世の中のことについてもロクに分かっちゃいなかったので、
この「団体」については、とりあえずトランスヒューマニスト協会とか、
そういう方向違いのところを想像したものだったけれど、

今ふりかえって思えば、あの質問、もっと意味深なものだったのかもしれない。

で、その「団体」って、どこのレベルまで、さかのぼるんだろう……?


なにしろ
「ビルダーバーグ倶楽部」という、イマイチ得体のしれない本で、
私としては、ぞお~っと怖気が背中を這い上がってくるほど、最もリアルに怖かったのは、
A事件で最も大きなマヤカシを仕組んでみせたメディア、SciAm がビルダーバーグだということだった。
2010.06.29 / Top↑
「ビルダーバーグ倶楽部」を読了。

正直、受け止め方に悩む。
私はこの本に出てくる人や組織の大半を知らないし、
私にもわかる情報は、今度は詳細過ぎて、その情報の海の中でおぼれそうになるため、
それがどういう意味をもつのかが逆に見えにくかったりする。

ビルダーバーグ会議の存在そのものは既に確認されていることだし、
彼らがどういう存在で、何を狙っているのかというあたりについて
著者のダニエル・エスチューリンが言っていることの大まかな内容は掴めたと思うけれど、

彼の言っていることにも、辻褄が合わないところが多々あるし、
その中の一部は執筆時の2005年以後の状況の変化が説明するにしても、
正直、どこまで真に受けたらいいのか戸惑いつつ最後まで読んだ感じ。

とりあえず、当ブログが関心を持って眺めてきた事柄2つ、
VeriChipとAshley事件に関連した部分だけは大きな関心をもって読んだので、
そのあたりのことを、2つのエントリーに分けて。

まずはVeriChip関連。

ビルダーバーグが世界政府として世界中の人々を管理するための方法として、
将来的にマイクロチップを全員に埋め込ませるべくキャンペーンが進行している、として、
当ブログでも取り上げたVeriChipについて、かなりのページ数が割かれている。

当ブログで行き当たったのは認知症患者の徘徊時の追跡用に
チップを人体に埋め込む実験が企まれて、その反対運動が起きていた2007年だった。

徘徊追跡でアルツ患者にマイクロチップ?(2007/7/28)
VeriChipはジリジリと広がっていく?(2007/10/22)

当時でも既に動物のトラッキングには一般的に使われていたけど、
その後、VeriChipは世論の批判を浴びて、とりあえず人体埋め込み型から
腕時計や靴に仕込んで身につけるタイプへと転向した。

(たしか、埋め込み型マイクロチップには発がん性があるとの指摘もあったはず)

著者によるとVeriChipの背後にいるのはIBMで、

2003年には、ベネトンが
商品に追跡調査用の極小発信機を縫い付ける計画をすっぱ抜かれて
中止する騒ぎもあったとのこと。

既にその後、バイオ認証技術が進み、
さらに極小追跡監視装置Digital Angelも登場した。

著者は、ビルダーバーグに招待されるメディアを通じて、キャッシュレスの便利なイメージに乗せつつ、
マイクロチップの人体埋め込みが社会的に望ましい行為として描かれていくと書いている。

私も2007年に、たしかWashington Postで、
銀行口座の情報を入れたチップを腕に埋め込んでおいて腕をかざすだけで居酒屋の支払いをする人や、
情報管理の厳しい会社で社員のIDチェックに使われている例などをとりあげた
長文の記事を読んだ記憶がある。

そういえば小児性愛者の足首にGPSのトランスミッターを装着するのも
米国ではいつのまにか当たり前になっている。

あれは相当な人権侵害ではないのかと私は思うのだけど、

本書を書いている2005年現在、テロや戦争、過激主義、人種差別、不寛容の精神など、文明の衝突によって、多くの人が自由を犠牲にしても構わないという精神状態に陥っている。(p.330)



いつのまにか監視カメラによる監視社会が到来していたり、
英国で国民DNAデータベース作りのために罪もない人まで逮捕されていたり、
全国民の電話やインターネットの使用記録ばかりか中学生の時の成績まで
保存・管理しようという企てがあったりということを考えれば、
テクノロジーによる管理強化が進んでいることは実感しているところでもあるのだけど、
(こうした監視社会の具体については拙ブログでも拾っており、文末に)

しかし、米国で子どもの誘拐事件をビルダーバーグが次々と起こして
親たちに子どもの居場所把握のためチップの必要を感じさせているのだという
エスチューリンの主張には、ちょっと戸惑う。

(ハイチの地震の際に、国外に連れ去られた子どもたちは、たしかDNA検査で
親元に帰されたという記事が出てきている……ということが頭に浮かんだ。
これも同じ匂いがするといえばするけど、じゃぁ、この説を丸ごと“買う”か、と問われても、
ちょっと返答に詰まる)


さらに、著者は
世界経済フォーラム(ダボス会議)の主要な目的の1つを
「全人類に予防接種を施すこと」だとし、

ここで読者に考えてほしい。今、読者の片方の手には、体内への埋め込みが可能なマイクロチップ・テクノロジーがある。そして、これを世界の60億人に『配達』することで大儲けしたいとする。もう一方の手には、世界の60億人を支配したいと願う組織がある。さて、この二つの希望を一つにまとめて共通の目的とするには、一体どうすればいいのか。マイクロチップを世界中の人間に一人残らず移植する方法。もちろん、それが先に述べた接種だ。(p.333)



2000年のダボス会議で組織されたGAVI(ワクチンキャンペーン組織)の
第1弾のキャンペーン「子どもチャレンジ」はゲイツ財団から7億5000万ドルが出ている、と。

GAVIにはもちろんシアトルこども病院も関わっているから
当ブログでも何度も触れてきたけれど、

じゃぁ、途上国の子どもたちの中にはチップを埋め込まれた子どもが
もう沢山いるということなんだろうか……?

この話、私のスタンスは、今のところ受け止め方を保留しつつ、
でも、ちゃんと覚えてはおこう……というところか……。

ちなみに、今年のダボス会議でBill Gatesが
人口抑制とワクチンに触れたことで、現在、ネットにしきりに流れている陰謀説は
「ワクチンに不妊成分を混入させて世界中の女性に」というヴァージョン――。


ともあれ、この本を機に、
世の中がこれまでとは、ずいぶん違って見えてきたのは事実。

現に何をやっていたり、この先やろうとしているかはともかく、
ビルダーバーグ会議は現実に存在し、ダボス会議は公然と存在していて、
その周辺をなんだかんだと衛星的に取り巻いている各種組織があって、
……てことは、世界のあり方を世界中の権力者と金持ちが集まって決めているわけで、
それがグローバル政府でなくて、なんだ……? とは思う。

私は、グローバル政府なんかないところで
ゲイツ氏が勝手に世界の厚生相を買って出ているんだとばかり思っていたけど、
なんて、ものを知らなかったことだろう。

こういうことになっているんだから、
グローバリゼーションもネオリベも歯止めがかかるどころか
世の中が持てる者、強い者に一方的に都合のよい場所になって行くのは必然というもので
それなら、どうしたって我々一般人は奴隷化・資源化をまぬがれないのだろうな……。

なんだか、体中からあらゆる気力というものが霧散していくような感じ――。



【監視社会関連エントリー】
従業員をパソコンで監視・管理する世界へ(2008/2/12)
スパイウエアで子どもを監視しようって?(2008/3/17)
教育委員会が生徒にパソコン配り、カメラでこっそり遠隔監視?(2010/2/22)

【国民データベース関連エントリー】
中学の成績が一生データベースに?(2008/2/13)
国民DNAデータベースめぐり論争再燃(2008/2/24)
国民の電話とEメールの全記録を国が管理って?(2008/5/24)
NHSの患者データから研究者が治験参加者を一本釣り?(2008/11/18)
「無実の人のDNAサンプル保管は人権侵害」と欧州人権裁判所(2008/12/6)
情報で国民を監視・管理する社会へ(英)(2009/1/11)
100万人以上の子どものDNA情報が国のデータベースに(英)(2009/2/27)
「英国政府のデータベース4分の1は人権侵害」と報告書(2009/3/24)
国民データベース諦めて、代わりに「ネットと電話利用歴みんな残せ」と英国政府(2009/4/28)
DNAサンプル目的で何でも逮捕、既に黒人の4分の3がデータベースに(2009/11/24)

米国でも逮捕時採取のDNAサンプルを保管してデータベースに(2009/4/20)
米国でも犯罪者のDNAサンプル廃棄進まず(2009/6/10)
2010.06.29 / Top↑
NY Timesが、
先週のドイツの最高裁判決を取り上げていたのですが、

冒頭のところで
「この判決で家族や愛する人を死なせることが容易くなる」
「患者の生命維持治療を中止するのは犯罪ではないと判決した」という個所は
家族が直接に手を下して延命治療の管を抜いても許されることになったかのような書き方だし、

この記事によれば、この判決の意味は
「生命を終わらせる目的で殺すこと」と「本人の同意を得て患者を死なせること」との
一線を引いたことにあるとし、

「延命治療を終わらせることは患者の希望がはっきり表明されていれば違法でないのだから
尊厳のある死に方をする個人の権利を強化するもの」なんだとか。

その後は、ここでも“自殺幇助”という言葉がせっせと使われて、
英国での合法化議論やDignitasへの自殺ツーリズムと
ごちゃ混ぜの議論になってしまっている。

どこに「明確な線引き」があるのか私にはさっぱり分からないけど、そういう捉え方をし、
「これで濫用は防げるし、患者の医師も安心。なにより罰せられる不安がなくなる」と
コメントする弁護士もいるし、

ドイツの法務大臣が「個人の自由意思が患者にも家族、医療職にも保護になる、
個人の自由意思は尊重されなければ」と歓迎しているところをみると、
「本人の意思であれば」というところが、まさか上記弁護士の言う「明確な線引き」?

しかし、ドイツ・ホスピス財団のディレクターは
今回の判例のKullmerさんの「意思」が口頭で伝えられたものに過ぎないことを重視。
この判決は、むしろ重病の人の基本的な自己決定権とケアを受ける権利に反する、と。

また、ドイツ医師会は
今回は管を抜くようにアドバイスした弁護士が免罪されたとしても、それは
「延命措置の継続を巡る意思決定で好き勝手にしてもよい許可」ではないし、
「延命措置を中止する前に、患者の意思を反映するためにどういう手続きが必要なのかが
法的規制として整備されなければならない」と

まったく、医師会の言う通りで、
やっと、ここに、まっとうなことを言っている人がいてくれたか……という感じ。


ちなみに、メルケル首相は2008年に
施設に入りたくない健康な独居女性を大物政治家が自殺幇助した
Kush事件を受けて、いかなる自殺幇助も認めないと発言したとのこと。

だ、か、ら、その事件は、明らかな「自殺幇助」の事件であって、
ターミナルな人の延命治療の停止とは、まったく別の話だっつうのよ。んとに。

German Court Liberalizes Rules for Right to Die Cases
NY Times, June 25, 2010


これは、母親のチューブを外した娘の裁判ではなく、

クライアントの相談を受けて
「じゃぁ、自分でお母さんの栄養チューブをはずしちゃいなさい」と
アドバイスした弁護士の行為が裁かれたケース。

問題になるのは弁護士が職務において犯罪行為をそそのかした事実であって、
娘がチューブを外したことではないと思うのだけど、

それなのに、どうして、こうなるの……?

仮に免罪されたのが、
娘がチューブを外した行為の原因を作った弁護士としての行為だとしても、
それが、どうして近親者が死にたい人を勝手に死なせてもいいことにはなるというのか。

それとも、本人が死にたいと言ってさえいたら、
家族が直接チューブを外して死なせても全然OKだから、
それを弁護士として「やんなさい」とアドバイスした彼の行為もOKで、

だから、この判決が出る前のできごとであったとしても、
クライアントが母親の栄養チューブを抜くことは違法ではないと考えた
弁護士の法的解釈と判断とは正しかったのだ、とでも?

そんな理屈って、あり?

9カ月の執行猶予にした下級裁判所の判断の方が正しかったのでは?

というか、英国のPurdy判決もそうだったけど、
最高裁が法理をすっとばして世論迎合なんだか政治的離れ業なんだかを
やってしまっているように思えてならないんだけど。

さらに、このニュースの論じられ方が不気味なのは
「延命措置の停止」が語られながら、
それが安楽死ではなく自殺幇助の問題として、
さらに医療の問題としてではなく家族の問題として語られようとしていること。

これまでに合法化した国や州があくまでも
その目的でつくられた法律の規定する手続きの元での
医師による自殺幇助だったのにもかかわらず、

英国は、何もかもぐずぐずの議論を続けることによって
いつのまにか医師ではなく近親者による、手段も対象者の状態も問わない自殺幇助を
事実上、合法化するというウルトラCを完成させつつあるけれど、

ドイツも、こんなふうに
犯罪行為をアドバイスした弁護士の行為を無理やりに免罪して
ぐずぐずの議論に乗じる形で、いろんな筋道をすっ飛ばして一気に
「本人さえ望むなら、殺したっていい」というところにまで
まさか、持って行くんだろうか……。



【関連エントリー】
大物政治家が健康な独居老女の自殺を幇助(独)(2008/7/7)
Dignitasでの自殺者、ドイツ人は500人以上(2009/9/24)
2010.06.29 / Top↑
ポリオは2000年辺りでほぼ撲滅されたはずだったのだけど、それと同時に、今度はなんと撲滅に用いられたワクチンに使われたポリオウィルスが原因の、つまり“ワクチン由来”のポリオの感染が起きている。でも大丈夫、既存のワクチンでこれも対応可能だから、という研究結果なのだけど……。:「なんでもワクチンで予防医療」の落とし穴がこのあたりにある?
http://www.medicalnewstoday.com/articles/192854.php

仕事の関係で出産をなるべく先に延ばしたい女性に、血液検査で簡単に更年期までの年数を4カ月程度の誤差の範囲で正確に予測する検査が登場。:でも、なんとなく今の「科学とテクノ」の簡単解決文化と、貧困層が富裕層の資源利用される傾向とが一緒になれば、そういう女性はこんな検査を受けてまで自分で産むことを選択しなくなるんじゃないのか、という気がする。
http://www.guardian.co.uk/science/2010/jun/27/menopause-test-close-baby-gap

30代でまだ理想の男性に巡り合えない女性たちが卵子を冷凍保存している。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/10419076.stm

国際捕鯨委員会:以前はなかったのだけど、最近になって近所のスーパーの総菜売り場にクジラ料理が頻繁に並ぶようになった。なんでだろう?
http://news.bbc.co.uk/2/hi/science_and_environment/10422957.stm

英国の新連立政権で社会保障改革。何百万人もが給付を受けられなくなる。
Millions to lose benefits under incapacity reform.
Times, June 28, 2010

やらないと言ったはずなのに、NHSでもリストラ。治療も一部は配給医療に。
NHS already seeing cuts despite pledge
Times, June 28, 2010
2010.06.29 / Top↑
去年から、以下のエントリーで追いかけてきたDr. Irwinに関する続報。

スイスで自殺幇助に付き添ったパートナー逮捕(英)(2009/7/19)
英国で患者の自殺を幇助した医師が「証拠出すから逮捕に来い」と(2009/7/28)
英国で、自殺幇助容疑で元GP逮捕へ(2009/9/28)
自殺幇助ガイドライン後、初の起訴か(英)(2010/4/25)


すい臓がんの男性をパートナーの男性と一緒にDignitasに連れて行って
自殺させたとして去年逮捕された自殺合法化アドボケイトの元GP、
Dr. Irwinについて、

起訴するに十分な証拠はあるが、起訴することは公益にならないと
DPPのStarmer氏が判断。

共感(思いやり)からしたことで、行為を認めているし、
警察の捜査にも協力的だった、と。

付き添って行ったパートナーの男性も不起訴。

No Charge Against GP Who Helped Man To Die
Mix 96, June 25, 2010

でも、去年DPPが出したガイドラインの起訴ファクターの14番目は
医師や施設職員など人が、職務で自分が担当する人に幇助を行った場合が挙げられている。

たしかにIrwin医師は既に現役を引退しているから
直接自分が医師として担当している患者ではないかもしれないけど、
もしも医師でなかったら、このカップルとこういう形で関わることがなかったとすれば、
ある意味、あてはまるのではないか、ということと、

もう1つ、
Irwin医師が自殺幇助合法化アドボケイトであることを考えると、
彼の動機が必ずしも100%、患者への共感だけだったと言い切れるのかどうか……。

これまでのエントリーで読んできた記事では、
Irwin医師はFriends at the Endという合法化アドボケイト団体の創設者で
法改正を訴えている人物。

今回の事件でも、自ら「証拠を出すから逮捕に来てみろ」と挑発することで
問題提起と合法化議論の喚起を狙った行動が明らかなので、

Dignitasに連れて行ったり、その旅費を出しただけで、
直接的に自殺に手を貸したわけではないにせよ、

そういう人の行動が不起訴になるということは、
いったい、どう考えたらいいのだろう。


ガイドライン後に、当ブログの目に付いた限りでは
以下の2つの判断があり、いずれも不起訴になっています。

英国の自殺幇助ガイドライン後、初の判断は不起訴(2010/3/26)
英国で、介護者による自殺幇助を事実上合法化する不起訴判断(2020/5/25)



先月、Hastings Centerレポートに
DPPのガイドラインを「司法の錬金術」だと書いた論文がありましたが、

実際、これでは、
一体どういうケースなら起訴が公益に当たるというのでしょうか?
2010.06.26 / Top↑
ドイツの最高裁から、
患者の事前の要望に基づいた行為であれば
「自殺幇助」は必ずしも罰せられない、との判断。

2007年にクライアントに勧めて
25年間、反応のない昏睡状態にあった母親Erika Kuellmerさんの
経管栄養を中止させた医療弁護士Wolfgang Putzの裁判で、
下級裁判所がvoluntary manslauter で9カ月の執行猶予の判決を下していた。

事件の概要としては
弁護士に相談した娘が、そのアドバイスで栄養チューブをカット。
(接続部分をはずした、という意味?)

たまたまケアホームの職員が見つけて介入し、
Kuellmerさんは2週間後に自然死した、というもの。

最高裁が重視したのは、その71歳の母親は昏睡に陥る前に
そういう状態になったら生かされていたくないとの希望を娘に表明していたこと。

ドイツでは94年に連邦裁判所が患者の同意があれば治療は停止できるとの判断を下しており、
それが今回の判断の根拠となった。

2005年には、連邦裁判所が
本人の意思に反してケアホームなどの施設が患者に経管栄養を強制する権利はない、とし、
また昨年は、死にいたるまで常に患者の意思が考慮されなければならないとの規則もできた。

Putz氏は、この判決を受けて無罪放免に。

ドイツの法務大臣は、個人の自由意思の尊重に向け大きな一歩だと歓迎。

Germany: Assisted suicide OK if patient consents
AP, June 25, 2010

German court rules in favor of passive assisted suicide
DW-world. de, June 25, 2010



考え方の基本は、英国のDPPのガイドラインと同じ方向のものだと思うけれど、
「自殺幇助」という言葉で表わされているものの内容は、全く別物。

この2つの記事が「最高裁が自殺幇助は本人意思ならOKと」とか
「積極的自殺幇助はドイツでは今なお違法」とか
「消極的自殺幇助は不可逆な死のプロセスが始まった後は合法」などと
書いているのが非常に紛らわしくて、

ここでは、現在あちこちで(特に英国で)拡大解釈されつつある「自殺幇助」ではなく
「安楽死」という用語を使うべきなんじゃないでしょうか。

その辺りが混乱しているので、
今回の「本人の意思であれば、呼吸器を外すのも栄養を中止するのも合法」との判断が
ターミナルな状態に陥った人に限っての延命中止なのか、
それとも、ターミナルな状態でない人まで含むのか、今一つはっきりしない。


それから、この娘の行為が問われた判断なら、まだ分かるのだけど、
どうして娘に栄養停止をアドバイスした弁護士の行為が「自殺幇助」なのか
裁判の詳細が分からないので、イマイチよく理解できない。


もう1つ、あれ? と、ちょっと引っかかったのは、後者の記事が
Kuellmerさんのことを「5年間昏睡状態にあった70代のターミナルな患者」と
書いていること。

確かに、娘がカットしたチューブを職員が元に戻しても
2週間後に自然死したのであれば、この人はターミナルだったのかもしれないけど、
それはもしかしたら、ただの結果論かもしれないし、

娘の行為が死を早めた可能性だってあるかもしれないし、

本当に死がそれほど差し迫った状態だったのであれば、
逆に娘さんが手を下す必要の方がなかったことにもなる気がするし、

5年間昏睡状態のあげくに、本当にターミナルな状態に陥った人だったのか、

実は栄養と水分さえ供給されれば生き続けられる状態の人だったにもかかわらず、
どこかのメディアのように「反応がない昏睡状態」で「死んだも同然だから」と
勝手な解釈がさしはさまれて、「ターミナルな」という表現が
うっかり使われてしまったのか。

その辺り、メディアはもうちょっと厳密な言葉の使い方をしてほしいと、いつも思う。
それとも、わざとやっている……?
2010.06.26 / Top↑
日本語。ある方のブログに、第4回総合福祉部会でのやり取りの抜粋があり、自立支援法訴訟の和解合意の否定ともとれる厚労相官僚の発言。山井政務官も、説明すらせず、なにやら火に油を注いでいる格好。
http://blogs.yahoo.co.jp/e999jp/60801144.html

介護は介護者への負担と言われているが、愛する人の介護をすることは介護者に良い影響を与えることもある。:それは、もちろん、そうです。もともと、どちらかだけしかないという訳ではないし、もともと、その介護の持つ両者の側面は、お互いに相殺しあうような性格のものでもないし。その2つが常に共にあり、その時々の状況によって、バランスが日々刻々と変わり、常に移ろっているというだけで。だから、介護が負担なら、完全に手放せば解決するという話ではないし、よい影響があるなら負担を負担と思わずに背負えるだろうというものでもない。人と人の関係性というのは、そんなふうに割り切れるものではないものだということをまず理解しておかないと。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/192688.php

ハーバード大学とボストン子ども病院が、チップ上に人工の肺を作った。それにより動物や人間の体を傷つけることなく研究が行えることになる。:チップ上に人工の肺を作って、それが人間の肺と全く同じだから、薬の副作用の研究などがそれでできると、と言われても、その「全く同じ」というのがどうして保障されるのか、よく分からないのは、もしかしたら「クローン肉は普通の肉と同じ」と言われても、同じだということがどうして保障されるのか分からないのと同じなのかな……みたいなことを、ちょっと考えた。
http://www.guardian.co.uk/science/2010/jun/24/medical-research-biology

最近、テロリストなどの尋問で拷問に手を貸した医師の倫理問題が議論になっている。Do No Harm. のヒポクラテスの誓いに反する、そうした行為に加担した医師は処罰すべきだ、との議論。しかし、Obama政権も議会も、イマイチ反応が鈍い。:やっぱ、米国はすでに「ポスト・ヒポクラテス医療」だから?
http://www.nytimes.com/2010/06/25/opinion/25fri2.html?th&emc=th

40代の米国人女性の5人に1人は子どもがいない。70年代には10人に1人だったから、その後、子どもがいない女性が急増している?
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/06/25/AR2010062500188.html?wpisrc=nl_cuzhead

24週以前の胎児は痛みを感じない。
Human foetus ‘feels no pain before 24 weeks’
The Times, June 25, 2010

1912年にローマの村で、97体もの新生児の遺体が埋められているのが発掘された。その後の調査で、どうやら売春宿で生まれた子どもたちが誕生するや始末されて埋められたものだろう、と。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/science_and_environment/10384460.stm

ボトックス治療を受けた人で、外見が変わった他に、感情を感じる能力が損なわれるなどの影響が。:ボトックスの治療は美容整形の他に、障害者の緊張緩和にも使われてきた。安全性は確認されていなかったということ? これまでの治療がどこか実験的なものだったということ?
http://www.medicalnewstoday.com/articles/192880.php

ロンドンのRoyal Brompton 病院が、個々の患者の遺伝子解析を始める。今後の10年間で1万人の患者のゲノムの22000の遺伝子シークエンスを解析し、最終的には心臓病などの個別治療に役立てたい、とのこと:英国はとにかく国民のDNAデータベース作りを急いでいる感じ。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/10367883.stm

英国のヒトゲノムプロジェクトのリーダーが、遺伝子に特許を設定すると治療へのアクセスを制約し、研究を阻害する、と。:上のニュースとも関係している? けん制……とか? 要は国際競争の?
http://www.guardian.co.uk/science/2010/jun/24/human-genome-project-patent-genes

オーストラリアに初の女性首相。
http://www.guardian.co.uk/world/2010/jun/23/australian-pm-kevin-rudd-coup

サンフランシスコで百日咳の感染が広がって5人死亡。とくにラテン系の人を中心に急いでワクチンを打つように呼び掛け。
http://www.nytimes.com/2010/06/24/us/24cough.html?th&emc=th

ハイチの地震後、女性に対する性的な攻撃が増加している。
http://www.nytimes.com/2010/06/24/world/americas/24haiti.html?th&emc=th

アルツハイマー病の特徴であるアミロイドの沈着を染料を使って画像に映し出す診断技術が開発された。
http://www.nytimes.com/2010/06/24/health/research/24scans.html?th&emc=th
2010.06.26 / Top↑
昨日のエントリーOregon州にDignitasの米国版かで紹介した
Dignity Houseについての続報です。


オレゴン医療委員会は8対0の全会一致で
Weisberg医師(37)の医師免許を差し止めました。

以下の記事によると、同医師は中毒患者の治療を専門に行ってきた精神科医で、
2006年には7人の患者に向精神薬を不適切に処方したことに対して5年間の処分を受け、
臨床メンター(つまり見張り役ですね)をつけられており、

その間にも、医療マリファナの使用を認めるカードを中毒者に発行したり、
不適切な薬の処方があった、とのこと。

Kevorkian医師に鼓舞されたと本人は言っている。

Weisberg医師が立ち上げたDignity Houseの公式サイトがこちら。

Oregon Medical Board suspends doctor who wants to open a Portland facility where the terminally ill can die under the assisted-suicide law
The Oregonian, June 24, 2010


ところで、この公式サイト、
すごいのは料金一覧のページがあって、

まぁ、その、いちいち詳細なこと。また、いちいちセコイこと。

以下、オプションを中心に、その大まかな内訳です。

受診料(メディケアの人は上限あります)と、
カメラ撮影、ハウスの滞在費(光熱費はハウス持ち。コインランドリーあります)が必須。

(支払い方も詳細に指定)

その他はオプションで、

セキュリティ要員をつけたければ
チェックイン日は午後2時から6時、
チェックアウト日は午前9時から午後1時の8時間で400ドル。

お食事は朝昼夕で400ドル。
朝昼25ドル、夕食50ドルで追加も可能です。
朝食は8時、昼食11時半、夕食は5時半にご提供。

最後の看護は、終末期医療専門看護師4時間か、
専門訓練を受けていない看護師の8時間のいずれかを選択できます。
料金はどちらを選んでも、同じく400ドル。

報道向けに広報担当者が必要なら、美容師資格のある担当者を8時間おつけします。
400ドル。

音楽をご希望なら21時間のご滞在の間に200分間プロによるピアノ演奏を2回。
400ドル。ただし、シンフォニーのみでリクエストはできませんが、
素晴らしい演奏を保障します。

お花とシーツ類をご希望なら、
我が家の庭で私の妻が育てたお花を届けます。なにしろ我が妻ヘザーの保証付きですよ。
レンタルのシーツの上で死にたい人はいませんよね。
両方込みで、400ドルです。

私は通常、尊厳死法での自殺幇助にそういうことをしませんが、
最後の瞬間に付き添ってほしければ、私と私の愛犬が
3時間、付き添って差し上げます。1200ドル追加ね。
時間帯も午前7時から10時か、午後6時から9時か、選択可能。

しかも、上記サービスを全部ご利用いただいた場合には破格の値引きで、
なんと、私とワンコの付き添いは半額の600ドルに!



これには、さしものDignitasのMinelliもびっくりかも――。

アタマも人間性も相当に悪い医師が、

(だって、この人、自分の愛する妻とペットは
世の中のすべての人に愛されるはずだと信じて疑っていないんですよ。
なんです? その、自己中心性というか幼児性というか、は?)

ただただゼニを儲けたいだけに、己の欲に目がくらんだ壮大なカン違いで
計算機をパシャパシャやりながら、

類が呼んだ友の、それぞれのオプション担当者(名前がちゃんと挙げられている)と
取り分割合を交渉しつつ、作ったんでしょうね。

たぶん葬儀屋のオプションだらけの料金一覧を念頭にね――。


【追記】
アップした直後に頭に浮かんだのですが、
医療委員会がこの医師の免許を差し止めたのは、倫理判断であって、

Weisberg医師のj自動販売機的自殺幇助クリニックのアイディアも
このセコい、オプションのサービス提供システムだって、
尊厳死法に照らして違法行為だという訳ではないのでは……?

だとすると、そこのところには、
しっかり、じっくり考えなければならない問題がある、と思う。
2010.06.25 / Top↑
スイスの新聞の調査で、
Dignitas創設者 Ludwig Minelli氏の年収は 98000ポンド。
個人資産は、豪邸を含め、120万ポンド。

本人はDignitasからは給料はとっておらず、
収入は母親の遺産からのものだと主張しているが、

05年には1800ポンドだった Dignitasでの自殺幇助料金は
現在4500ポンドに値上がりしており、
医療費、葬儀、手続きを含めると7000ポンドにも上るため、

利己的な利益を得てはならないとするスイスの法律に違反しているのでは、との
憶測を呼んでいる。

ある患者は6万ポンド以上の寄付をしたとも言われ、
寄付金を受け取っていることへの批判もある。

Minelli自身は、最近のメディアのインタビューに、
ぼろ儲けをしては問題だが、それなりの金額を受け取ることは合法だと主張。

しかし、スイスの検察当局が求め続けている資産の公開には
応じると言いながら、実際に公開したことはない。

Dignitas founder is millionaire
Telegraph, June 24, 2010


葬儀の費用までいただいておきながら、実際は
近所の湖に持って行って、骨壷を投げ捨てていたわけだから、

そんなものが誠実な仕事であるわけはなく、
ぼったくり的なビジネスの姿勢以外の何でもないわけで、

また、そういうのを見るから、
なるほど、これはボロいビジネスだ、さっそく自分も……と考える
恥知らずな医師がオレゴンからも出てくる。

尊厳死法がある以上、違法行為のわけではないのだから、と言って。


2010.06.25 / Top↑
医師による自殺幇助(PAS)が合法化されているOregon州Portlandで、
Sellwood地区の住民向けに、Dignity Houseという名称で
米国版Dignitasを作ろうとしている医師がいる。

その人は、Dr. Stuart Weisberg.

オレゴンの尊厳死法にのっとって余命6か月以内の人が
自殺幇助受ける場合には、医師は上限5000ドルまでの報酬を受け取ることができる。

Weisberg医師は
同法の元で毎年、10人が死んでいるので、
その人たちに「共感に満ちた選択肢」を、と言っているが

家庭医からは「自動販売機みたいな医療をやろうとしている」との批判も。

ちなみにWeisberg医師は精神科医。
なので、自殺希望者の精神状態のアセスメントも「お任せください」てなもん?

他の医師のセカンドオピニオンが必要となったって、
お友達がちゃんと確保してあるのだろうし。

Psychiatrist plans to open assisted suicide business
Southeast Portland KATU, June 22, 2010


「精神科医の中には、薬の自動販売機のような人もいる」というのは
先日、ある医療職に大ウケした、我ながらの名言だと思っていたのだけど、

まさか自殺幇助で自動販売機的に
「やりまっせぇ。さぁ、どなたでもいらっしゃい」と
揉み手しつつ店開きする医師がいるとは想定外だった……。


そういえば、今年の初め、英国の作家で
「高齢者がいつでも死ねるよう街角ごとに“安楽死ブース”を」と提案した人がいたっけ。


つい先日ビルダーバーグ会議の存在を知ってから、
頭の中が何かにつけて陰謀説でぐらぐらするのだけど、

2050年までに40億人の世界人口削減を完了するという同会議の目標と
自殺幇助合法化議論の高まりというのも、そういうことと関係している??

(この目標についてはこちらのエントリーの末尾に追記してあります。)

なんでC&Cや、合法化アドボケイトが総じてあんなにお金を持っているのか
ずううううっと私は不思議だったのだけど、

もし、そうなのだとしたら、
そりゃ、なんの不思議もありませんが……。
2010.06.24 / Top↑
4月28日にMaryland大学で行われた
障害者の権利に対する医療と倫理委の無理解を考えるカンファについては4 月3日のエントリーで紹介し、

その分科会で、
アシュリー事件について、一貫して「障害者全体の問題」として批判を続けてきた
障害当事者のWilliam Peace氏が講演する内容をこちらのエントリーで紹介しました。

その講演内容に手を加えたものが、
22日付でHastings Centerのブログ Bioethics Forumに掲載されています。
タイトルが非常に印象的で、「アシュリーと私」。

Ashley and Me
William J. Peace
Bioethics Forum, June 22, 2010

Bad Cripple こと William Peace氏は2007年1月の論争当初の1月18日に
Counterpunchというネットサイトに長文の批判記事を寄せた際に、
既に「アシュリーは自分だ」という視点から書いていました。

Peace氏 に言わせれば、
障害者に対する強制不妊の歴史は、
障害者に対する人権侵害のわずかな一面に過ぎず、
米国の歴史において障害者はずっと価値の低い存在として、
その権利はずっと値引きされてきたのであり、

Ashley療法や成長抑制療法が仮に重症児を対象としたものであっても、
そこで繰り返されているのは、これまでと同じ論法であり、
障害者を健常者とは別の世界の住人として差別し、
その権利を値引きするための詭弁に過ぎない。

その意味で、
Ashleyは寸分たがわず自分自身であり、すべての障害者である、
Ashley療法は、ただシアトルの一人の重症児の問題ではなく、
すべての障害者の問題である、と主張します。

最後の部分を以下に。

What are the larger implications of the Ashley treatment? The answer to this question is clear to me: the Ashley treatment is about more than one girl in Seattle – it is about all people with disabilities. We are the Other, a pervasive and important concept in the social sciences. The Other are strangers, outcasts if you will, people who do not belong. The Other often have fewer civil rights and experience gross violation of those rights.

Thus at a fundamental level there is an us-and-them – those with a disability and those without. This is a false dichotomy, but is a part of the American social structure and dare I say medical establishment. The degree of disability is not important, nor is the type of disability. We people with a perceived disability are the other.

Given this, I do not consider myself one iota different from Ashley, in spite of the great difference in our cognitive ability. In developing the Ashley treatment, doctors have not only overreached the bounds of ethics in medicine but also sent a shot across the bow of every disabled person in American society.

The message is very clear: disabled people are not human – they are profoundly flawed beings, and extreme measures will be taken to transform their bodies. Consent is not necessary. Modern science has come to the rescue, and doctors have the technology to save us. The problem with this line of thinking is that it is inherently dehumanizing. Ashley did not need to be saved.



    ――――――

私自身、ずっとこのブログで考えてきたことが
最近、1つ、まとまりを持った言葉になってきたのですが、
それが、Peace氏が書いていることに通じていくように思うので、以下に。

Ashleyに行われたことについての
父親やDiekema、Fost医師らの正当化の基盤はアシュリーの知的障害の重さであり、
したがって、彼らの論法を正面から受け止めた場合、倫理上の問いは
「Ashleyの知的障害の重さは“Ashley療法”を正当化するか」。

私は、まずAshleyの知的障害の重さについて
同じような重症重複障害のある子どもを持つ親として、
彼らの「どうせ何も分からない」「生後3か月の赤ちゃんと同じ」という認識が
事実とは違い、彼らの中にあるステレオタイプに基づいた偏見に過ぎないことを
繰り返し指摘してきました。

したがって、上記の問いにおいて
まず、正しく認識されていない「Ashleyの知的障害の重さ」は
何ものも正当化しない、というのが1つの答えだとは思うのですが、

でも、この問いへの答えは、そこでとどまらないし、とどまってもいけないと思う。

なぜなら、問題は
Ashleyの知的障害が正しく認識されていないことにあるのではなく、
なぜ正しく認識されないか、の方にあるから。

現実の障害像が正しく認識されないことの背景にあるのが
無知とステレオタイプである、という事実がここでは問題の本質であり、
それこそが、障害者に繰り返されてきた差別の根っこそのものだから。

その意味では、
Ashleyの障害の重さが正しく理解されていないから
“Ashley療法”は正当化されないのでなく、

Ashleyの知的障害が医師らの主張するよりも軽い可能性があるから
”Ashley療法”が正当化されないのでもなく、

Ashleyの障害の重さが正しく理解されていないまま
正当化の根拠になっていることが証明しているように、

障害を根拠として別の扱いや基準を正当化する行為そのものが
障害の重さとは無関係に、無知とステレオタイプに基づいた差別であるがゆえに、
障害者に対する差別による“Ashley療法”の正当化は成立しない、のだと思う。

だから、仮に医師らの言う通りに、またはそれ以上に知的障害が重かったとしても、
障害の重さとは関わりなく、どんな重症者に対しても、
その論理の差別性ゆえに、正当化が成立しないのだと思う。

“Ashley療法”の正当化論は
「重症障害児・者は他の障害者とは別」との線引きを試みていて、
それは現在「無益な治療」論や安楽死議論、恐らく臓器提供を巡る医療倫理において
じわじわと進行しつつある線引きでもあるからこそ、

“Ashley療法”正当化論の線引きについては、
その両方のことが、きちんと両方とも言われる必要があるんじゃないか……ということを
最近ずっと考えている。



実は08年12月にPeter Singerの発言がらみのエントリーに、tu_ta9さんから
「じゃぁ、認知が出来なければ殺されても仕方ないと言えるだろうか」という
コメントをいただいた時に、

“Ashley療法”論争がすべてのスタートだった私にとっては
正面からお返事するだけの手持ちの考えというものがなくて、
その後、ずっとtu_ta9さんからもらった宿題として、その問いが意識されていました。

1年以上かかったし、まだ、これは1つのステップに過ぎないけど、
あの時の宿題がなかったら、この方向にこだわって考え続けることはできなかったかもしれません。

tu_ta9さん、ありがとうございました。
2010.06.24 / Top↑
一昨日、“Ashley療法”関連のカン違いで、はた迷惑な大騒ぎを演じてしまった際に、
Cambridge Quarterly of Healthcare Ethicsの最新号のサイトで
以下の論文が、たまたま目についた。

東京大学公共政策大学院の赤林朗氏の
子どものワクチン施策に関する共著論文で、

Japanese Childhood Vaccination Policy
Peter Doshi and Akira Akabayashi
Cambridge Quarterly of Healthcare Ethics, Volulme 19, Issue 03
July 2010

こちらは、“Ashley療法”がらみの論文と違ってアブストラクトが読めたので、以下に。

The ethical tension in childhood vaccination policies is often framed as one of balancing the value of choice with the duty to protect. Because infectious diseases spread from person to person, unvaccinated children are usually described as putting others around them at risk, violating a perceived right to be protected from harm. Editors of Lancet Infectious Diseases recently argued against mandatory vaccination, reminding us that the resort to mandatory vaccination as a means of achieving high vaccination rates is still very much a topic of Western vaccine debates. The nation of Japan offers an interesting case study in childhood vaccination policy, as it has an entirely voluntary (opt-in) system that achieves high vaccination rates. In this paper, we offer an overview of Japanese childhood vaccine policy, suggest some ways to contextualize and understand how a voluntary system achieves high vaccination rates, and speculate on what the future of Japanese vaccination policymaking and government–public relations may hold.




へぇぇぇぇ……。

私たちは現在、日本はワクチン後進国で、
国際レベルからすると遅れているんだと耳にタコができそうなくらい
聞かされ続けているのだけれど、

赤林氏らによれば、日本は
全く強制なしでも高い接種率を誇っている稀有な国であるらしい。

欧米では義務付けなければ接種率が上がらなくて、
個人の選択権か公共の安全かという議論になっているのは、
当ブログでもDiekema医師の発言などを中心に追いかけてきた通り。
(詳細は文末の関連エントリーに)

そこで、赤林氏の論文は、
日本ではなぜ任意接種にしても接種率が高いのかを
ご参考までに分析してみましょう、という趣旨のように思われます。

その要因の1つは、私が思うには
日本では製薬会社のスキャンダルがまともに報道されないために
製薬会社や医薬行政そのものへの不信感がないこと。

(スキャンダルだけじゃなくて不可解な治験の実態まで隠されていたりもする?)

ワクチンを巡って起こっている諸々や陰謀説についても、
日本ではほとんど知られていないこと。

日本の我々一般国民は、
なんとなく「おかみ」のすることを無邪気に信頼していること。

でも、まさか論文で、そんなのを日本の高接種率の要因としたのでは
結論が、欧米でもメディアの口を封じて国民に情報が届かないようにしましょう……
みたいなことになってしまうから、

もちろん別の分析になっているのだとは思うけど。


で、最後に、今後の日本のワクチン施策の方向性について
考察してみましょう、という辺りがどういう内容なのか、

なんとなく、
今後、子どもに接種されるワクチンの種類が増えていくにつれて、
任意接種のままで高接種率を維持するには、やはり公的助成が不可欠、という
方向に向かっているのかも……と気にはなるのだけど、
そこはアブストラクトだから全く分からなくて残念。

ともあれ、
日本は、必ずしも「ワクチン後進国」というばかりではなくて、
ある意味、むしろ欧米諸国の範たるべき「ワクチン先進国」なのらしいから、

その点、ちゃんと覚えておきましょう。


【関連エントリー:日本】
「HPVワクチン」検索結果の怪(2008/9/2)
朝日のワクチン記事にも「米国では」の印籠(2009/8/8)
「健康ギャップ」なくても「ワクチン・ギャップ」埋めないと「世界に恥じ」る……と説くワクチン論文(2010/3/5)

【関連エントリー:米国の親のワクチン拒否問題】
米国の親によるワクチン拒否、裁判所介入へ(2008/7/10)
Diekema医師がMD州ワクチン拒否事件で論文(2008/7/10)
ワクチン拒否問題でまたもDiekema医師コメント(2008/9/2)
「ワクチン拒否の親には他児に害をなす“不法行為責任”を問え」とDiekema医師(2010/1/20)


【追記】

この記事を一応書いてアップすべく寝かせている間に読み始めた
「ビルダーバーグ倶楽部」に、以下のようなくだりがあった。

ビルダーバーグ会議の秘密の計画では
2050年までに戦争、飢餓、疾病を通じて世界人口を40億削減する予定で、
その計画完了後に残る20億人のうち、中国人と日本人は合わせて5億人とされている。

その理由はジョン・コールマン博士によると、
「彼らはその生活を何世紀にもわたって画一的に管理されてきたので、
余計な疑問を持たないまま権力に従うことに慣れているからだ」。
(p.80)


【関連エントリー】
”優生主義者”ビル・ゲイツ、世界エリートの“陰のサミット”ビルダーバーグ会議にデビュー(2010/6/9)
ビルダーバーグ会議2010(6月3日ー10日)(2010/6/10)
2010.06.24 / Top↑
NIHが公的資金によるいくつかの研究にES細胞株の使用を認めず。Obama政権下での新たなガイドラインに照らしてもインフォームド・コンセント規定への違反が認められたため。具体的には、研究利用が要望されたのはCF、ハンチントン、筋ジスなどの遺伝病の遺伝子変異を持つ細胞株で、生殖補助医療のクリニックで、遺伝病があるために廃棄されることになった胚が夫婦の同意を得て提供されたもの。しかし、提供の際の説明文書の文言が曖昧であること、また夫婦がいかなる理由であれクリニックを訴えないよう、あらゆる権利を放棄すると署名させられていたことなどが問題視された。:生殖補助医療クリニックで「遺伝病があるなら要りません」と拒否され、廃棄されることになった胚が、“持ち主”である夫婦の同意を経て提供されて、研究利用されていく……。その病気を解明して、治療法を見つけることに繋がると言われれば、それはそうかもしれないけど……。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/06/21/AR2010062104395.html?wpisrc=nl_cuzhead

今週は英国 Mencapの知的障害啓発週間。障害があっても差別されずに医療を受けることができるように。治療すれば50%の確率で治ると言われたのに、障害があるからと治療を拒まれて26歳で亡くなったEmma。「ノーマルな人だったら躊躇せずに治療するんだけどね」。:Mencapが去年、Emmaのケースを含めて何人か、[http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/50908771.html 医療職の偏見のために命を落とした知的障害者のケースをオンブズマンに訴えて、改善勧告を]勝ち取ったことは、いくつかのエントリーにまとめました。
http://www.mencap.org.uk/page.asp?id=9879

繊維筋痛症は「大きな可能性を持つ市場」(日本語)
http://www.spi-information.com/report/00795.html
2010.06.22 / Top↑
昨日の補遺で拾ったNY Timesの気がかりな記事。

何年か前に、仕事の関係で米国の個別障害者教育法(IDEA, 1975)をちょっとだけ齧ったことがあって、
一方では「みんなで責任逃れをするための書類整備システム」ではないのかと保留部分を持ちつつ、
さらに、それが教育現場を過酷な板挟み状態に追いやっている現実も意識しつつ、

それでも、

3歳から21歳までの間、障害のある子どもの教育については
地域のスクールディストリクトの責任が明確に規定されており、

できる限り制約の少ない環境で、個別教育計画によって、
個別のニーズに応じた無料の教育が保障されている、

そのため、必要な支援用具はもちろん、
必要と判断されれば1対1対応で看護師、介護者がつけられるほか、
個別の理学療法や作業療法も受けられる……というIDEAの基本からすれば、

これだけ障害児・者の切り捨てが露骨になってきた一方で、
障害児・者支援のベースラインそのものは、
日本では考えられないほどに高いのではないか……という
大きな疑問も捨てきれずにいました。

その辺りのことを含めて、
この記事には、米国の重症重複障害児の教育の実態がいくらか描かれているので、
まず、その内容を、以下に。


現在、米国で何らかの特別教育サービスを受けている子どもは650万人以上で
彼らに対する特別教育にかかるコストは年間740億ドル。

そのうち重複した障害があり、特別な教育ニーズのある障害児は132000人。

例えば、記事が取り上げているDonovan Forde(20)のケースでは、
学校では常時、1対1対応の介助者(無資格)がつく。

このような無資格の介助者の年収は
だいたい 21,000  から 36,000 ドル。

内容を工夫した各種教科の授業を受ける。
(IDEA以前は、受けられるのは音楽と美術だけだった)
Donovanのクラスは、重複障害児が12人。

Donovanの個別計画で目標として設定されているのは
上下、左右など方向の概念理解を完全にすること。
米国のコイン4種類を完全に見分けられるようになること。
電子機器や触覚記号を通じて1日に5回、
自分の希望やニーズを伝え、コミュニケートすること。

なかなか完全にはできないため、目標は何年も変わっていない。

こうした授業のほか、
彼がIDEAで受けているものとして、毎週、

30分間の理学療法を2回。
1時間の作業療法を1回。
1時間の言語療法を1回。
30分間のvision セラピーを1回。

(ここまででなくとも、日本でも、うちの子が小学校の頃には、
ある程度の個別リハが受けられていたような記憶があるのですが、
今、日本では、こんなの、とうていあり得ないのでは?)

シングルマザーの家庭と思われ、
Donovanは9年前から病院経営のナーシング・ホームに入所している。

学校には既に15年間通っており、21歳になる来年で学校教育が終わる。
施設での日中活動では個別活動がはるかに少なくなるため、
今後の生活に適応できるよう、学力や認知能力の向上から教育内容の焦点をシフトして、
日常生活上のスキルや、介護者とのコミュニケーションへとフォーカスし、
工夫していく必要が出てきている。

(記事の内容から推測すると、
ナーシング・ホームから学校に通っているのではないかと思われます。
ナーシング・ホームについてはメディケイドで対応され、
教育についてはIDEAでスクールディストリクトが対応……
……ということではないでしょうか?)

またDonovanの学校の上の階には自閉症や学習障害などの子どもたちのクラスが複数あり、
全体としては319人の子どもたちに約170人の介助者、セラピスト、教師、管理者が関わる。

2009年の一人あたりのコストは、58,877ドルだった。
ちなみにNY市全体の平均では、一人当たり17,696ドル。

A Struggle to Educate the Severely Disabled
The NY Times, June 19, 2010


IDEAによる1対1対応の補助員その他については、以下のエントリーにも。

蘇生拒否にて通学する重症児巡り論争(Katie Jones)(2008/1/8)
重症児への嫌悪感(Katie Jones) 1(2008/1/9)
重症児への嫌悪感( Katie Jones) 2(2008/1/10)
重症児への嫌悪感(Katie Jones) 3(2008/1/10)


なお、メディケイドの方から在宅の重症児ケアに支給される介護用具等についての
ベースラインをイメージする際に参考になりそうな記事は、こちらに。

Ashleyケース、やはり支援不足とは無関係かも(2008/12/8)


           ―――――

記事の大きな流れとしては、

個別の障害像に応じて学力を伸ばそうと努力するのがIDEAの理念の基本になるが、
こうした重複障害児の教育では、学力と日常生活上のスキルと
どちらにフォーカスしていくかというジレンマがあること、

重症重複障害児に学力の伸びを期待することに限界があること、

インクルージョンの理念で組まれる教育プログラムには
そのまま当てはめることができず、個別対応にならざるを得ないこと、

したがってコストが最もかさんでいる一方で、
その内情は最も理解されにくいこと、

しかし、これまでスキル重視できた障害児教育も、
彼らが楽しいと感じ、自分も価値のある人間だと感じられるように
今後は情緒や人との関係性を念頭に考えていくことの必要性が指摘されていること、

などなどが描かれていきます。

Donovanの意思疎通はアセスメントできにくいとしても、
彼なりに頭を突き出して怒りを表現したり、
頷くことで「もっと」と要求したり、
頭が垂れているのは気持ちが落ち込んでいる時……など

「Donovanの理解力は非常に良いですよ。
彼は、あなたや私と同じように分かっています。
言葉を話せたり、目が見えれば、もっとうまく表現できるのですが」と
前の介助者だったAdams氏が言っているように、

理解されにくい重複障害児のコミュニケーションや認知能力についても、
多くが描かれてはいるのだけれど、

その一方で、記事を書いた記者には
Donovanが授業中に「ただ眠っている」とか
「ただ身体を震わせて、よだれを垂らして、そこにいるだけ」と見えているらしく、

記事のトーンのどこかから
こんなに多大なコストをかける意味があるのか、無駄ではないのか、と
問いかける響きが聞こえてくるのも事実。

やっぱり、連想されるのは去年あった、以下の声――。

「障害児教育予算は優秀児教育に回せ」と優秀児と自閉症姉弟の母親(2009/3/10)
2010.06.22 / Top↑
【お詫び】

以下の内容をアップした後で、
何か引っかかりを覚えたまま、あれこれ検索してみたり、読み返したりしていたのですが、

これ、もしかしたら、”Ashley療法”をやってくれという現実の要望が出ているということではなくて、

この論文に、架空の倫理委員会として議論の場を設ける設定のコーナーみたいなものがあって、
そこに、東海岸の9歳児への架空の”Ashley療法”要望のケースが議論の対象に設定されて、
コメンタリーが求められ(request)寄せられた……ということかも?

14日の怪現象が頭にあったので、「ほら、きたぞ」と早とちりしてしまったようです。
お騒がせしました。訂正して、お詫びします。

以下、誤情報となりますが、
今後の自戒のために、しばし恥を晒しておこうか、と夕方アップした状態のままに。

            ----



Ashley事件では、何か新しい展開があると、その前後に
07年のAP通信記事がどこかのサイトにコピペされるという怪現象が起こっています。

その現象が14日にまた起きたので
これは何かあるぞ、とは思っていましたが、

まさか、こういう形で来るとは……。


以下の生命倫理センターのブログ・ポストによると、
東海岸の9歳児に ”Ashley療法”実施の要望が出ているようです。

Ashley X: Where Ethics Committee Should Not Go?
Rosemary Flanigan, PhD
PRACTICAL BIOETHICS: A BLOG OF THE CENTER FOR PRACTICAL BIOETHICS
June 18, 2010


当該論文はこちらの
Cambridge Quarterly of Healthcare Ethicsの5月号の論文
The Case: The “Ashley Treatment” Revisited (Ruchika Mishra著)。


上記リンクのジャーナル・サイトに行ってみましたが、
悔しいことにアブストラクトすら読めませんでした。

コメンタリーの中に「成長抑制は認めるが、
それ以上はいかんだろう」というものがあるようなので、

子宮や乳房の摘出も含む可能性があるのでは、と懸念されます。
2010.06.21 / Top↑
昨年2009年1年間にオランダで安楽死によって死んだ人は、2636人。
その8割は、医師の処方した致死薬を使って自宅で死んだ人。

08年は2331人で、13%増。
なお、08年は07年より10%増だった。

2003年、法制化の翌年は、1815人だった。

オランダ政府の安楽死監視委員会のJan Suyver氏は
増加の理由を安楽死のタブーがなくなったことと
医師が報告する件数が増えたためだと語っているが、

オランダの医師が法の勝手な拡大解釈で
患者の求めに応じて安易な安楽死を実施したり、
同意する能力を欠いた人を殺しているのではないかとの批判も以前から出ている。

一方、安楽死に反対する団体からは
安楽死合法化以後の8年間でオランダの緩和ケアが崩壊したことに要因があるとみる。

合法化法案の議会通過を主導した前保健相のDr. Els Borstは
去年12月に安楽死が実質的に緩和ケアを崩壊させていることを遺憾に思うと語った。

保健省は08年の安楽死件数の増加を受け、
同法の実施状況について調査に乗り出した。
その結果は今月末にも発表されることになっている。

Euthanasia cases in Holland rise by 13 per cent in a year
The Daily Telegraph, June 20, 2010


同じく合法化されているベルギーの実態調査の結果は先月、公開されました。
詳細はこちらのエントリーに。


【関連エントリー】
去年の安楽死・幇助自殺2300人のオランダで自殺幇助アドボケイトに10カ月の禁固刑(2009/5/3)
オランダで「70以上の高齢者には自殺幇助を」と学者・政治家ら(2010/2/10)

「『尊厳死法制化』を考える」報告書を読む(2010/5/6)
(去年12月のシンポで日本尊厳死協会理事長の井形氏がオランダとベルギーの例に触れ、
合法化は人権尊重だと主張しています)
2010.06.21 / Top↑
FEN会長のJerry Dincinが DeMoines Reginster紙のコラムで、認知症やALS、パーキンソン病など医学で治すことのできない terrible deseases で、毎日全介助状態で人に依存して生きている人たちが死にたいという気持ちを尊重して自殺幇助を合法化せよ、と。
http://www.desmoinesregister.com/apps/pbcs.dll/article?AID=20106120309

これまでにも終末期の患者や高齢患者の殺害容疑で捜査対象になってきたDr. Howard Martinが、苦痛の激しいターミナルな患者に、本人の同意なしにモルヒネを投与して意図的に死期を早めた、と新たに告白。捜査が始まるか?:消極的安楽死と積極的安楽死とを混同して議論してはいけないと思うし、消極的安楽死でも同意がなければ、それは安楽死ではなく殺人ではないのか、と思うのだけど。
http://www.telegraph.co.uk/news/uknews/law-and-order/7839012/Dr-Howard-Martin-Admission-of-hastening-death-could-lead-to-further-investigation.html

上記Martin医師の告白に、自殺幇助合法化寄りのBBCが早速飛びついている。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk/10358074.stm

NY Timesに、重症重複障害児・者の教育がいかにお金がかかり、いかに現場教師の負担になっているか、そのわりに彼らに学力をつけることがいかに困難であるかについて、非常に長文の記事。最初のページしか読んでいないけど、非常に気がかりなトーン。プリントアウトしたので、なるべく読むつもり。
http://www.nytimes.com/2010/06/20/education/20donovan.html?th&emc=th

サブ・サハラ地域でのエイズ感染の広がりで、介護者のいない独居のエイズ患者が増えて死亡者増加の要因の1つとなっている。:でも、介護の分野にはお金を出そうという人があまり出てこない? そういえば、この前、ゲイツ財団が途上国のワクチンに投入している資金を、きれいな水が行き渡るためのインフラ整備と学校建設に当てたら、どうなんだ、と、どこかで書いている人がいたっけ。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/192188.php

グローバル・ヘルスへの善意の資金提供は、ここ数年の経済不況にも関わらず総額が増加して、2007年の220億ドルと1990年の4倍にも膨れ上がったし、今年も290億ドルが見込まれているが、この先は減少傾向となり、2013年には、どっと落ち込むだろうと、IHMEのMurray医師。
http://seattletimes.nwsource.com/html/thebusinessofgiving/2012150395_by_sandi_doughton_funding_for.html

父親が子育てに参加している家庭では子どもの死亡率が低い、という研究結果。:死亡率だけじゃなくて、その先の成績にも影響するという部分は、なんでくっついてくるんだろう? そういうのがくっついてこないと、インセンティブにならないのかな。そういえば今日は父の日だった。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/192170.php

無煙タバコって、例の電子タバコのことじゃないかと思うのだけど、DNAとか主要エンザイムとか、なにしろ、ものすごく体に悪いらしい。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/192059.php


2010.06.21 / Top↑
自立生活を送れない身障者も対象とするスコットランドの自殺幇助合法化法案については
3月3日の補遺で拾ったように、10週間に及ぶパブコメ募集が行われていましたが、

その結果がスコットランド議会情報センター(Spice)から発表され、
意見を寄せた人の87%が法案に反対だったとのこと。

意見を書面で寄せたのは601の個人または組織で、
賛成は6.5%(39件)のみ。

特に反対背も賛成でもない人または組織が6.8%。

意見全体の19.5%が医療専門職で、
その多くが反対意見だった。

免許を持った医師に終末期の自殺幇助の役割を担わせることを拒否する意見が多かったのは
多くの医師が自殺幇助はヒポクラテスの誓いに反すると感じたためで、

他にも、
合法化されると医師が本当に自分の最善の利益を考えて医療行為を行ってくれているか
患者が分からなくなるし、

弱い立場にある患者が医療職に不安や心配を率直に打ち明けにくくなる、との意見があった。

自殺幇助を希望する患者は
応じてくれる医師を見つけるまでドクターショッピングをする、との声も。

もう1つ、Spiceのまとめにある重要な指摘は、
「苦しんでいる人の尊厳を尊重するには死なせてあげるしかない」と
MacDonald議員の法案が前提してしまっている
こと。


例えば、The Scottish Council on Human Bioethicsからの意見には、
次のように書かれている。

Legalising euthanasia would mean that society would accept that some individuals can actually lose their inherent human dignity and have lives which no longer have any worth, meaning or value. It would give the message that human dignity is only based on subjective choices and decisions and whether a life meets certain quality standards

安楽死を合法化すれば、人として固有の尊厳を失い、もはや意義も意味も価値もなくなった生を生きている状態というものがあると、社会が前提することになる。

人間の尊厳とは、ある人の生が特定のQOLスタンダードに達しているかどうかを、誰かが主観的に選び決めるものだと、社会に向けてメッセージを発することになる。



Opponents deal a blow to MacDonald’s assisted suicide bill
the Scotsman, June 19, 2010


スコットランドの医療職と
そして、生命倫理カウンシルの良識に拍手――。

ここでもまた、ごく自然に「尊厳」が語られていることに深く安堵する。


【関連エントリー】
スコットランドでも自殺幇助合法化法案か(2009/2/20)
スコットランドでも「死の自己決定権」アドボケイトの医師が高齢障害者の餓死を幇助(2009/3/11)
スコットランドの自殺幇助合法化法案に倫理団体から批判(2009/4/22)
スコットランド議会で自殺幇助合法化案、提出へ(2009/4/25)
自殺幇助希望のスコットランドの女性、腎臓透析やめるよう医師に”命じ“る(2009/6/14)
英国看護学会、スコットランドの自殺幇助法案提出議員と会談へ(2009/7/28)
スコットランドの世論調査で3分の2以上が自殺幇助合法化を支持(2009/11/8)
「自立生活できない身障者も可」スコットランド自殺幇助合法化法案(2010/1/22)
ローマ法王がスコットランドの自殺幇助合法化法案を批判(2010/2/6)
スコットランド自殺幇助合法化法案を「死の自己決定権」アドボケイトが批判(2010/2/9)
2010.06.20 / Top↑
Mark Pickup というMS患者の方が
カトリック系のサイトに北米の病院での「無益な治療」の現実について書いています。

冒頭、
交通事故で重症の脳損傷を負った息子が
気がついたら、親の同意など求められてもいないのにDNR(蘇生拒否)にされていたが
息子は瞬きで親と意思疎通ができ、生きたいと言ったので、
医師に抗議して最終的に取り消してもらった……という夫婦の話に始まって、

北米の病院では、すでに担当医の判断で治療が停止されており、
医療職は「無益な治療」という用語でごまかすが、
実際は患者を無益だとして扱っている、と。

非常に印象的なのは、以下の個所で、

Across North America, we are seeing the bitter fruit of post-Hippocratic medicine where the sanctity of human life ethic has been replaced by a quality of life ethic.



なるほど、「ポスト・ヒポクラテス医療」……。

Do not harm. 患者を害する行為はしない を含めたヒポクラテスの誓いが
もはや意味を持たなくなった医療ということですね。

ポスト・ヒポクラテスの医療では
人の命を神聖なものと考える倫理に、QOLの倫理が取って代わってしまった、と。

この部分に続けて、著者は
しかしQOLを一体だれが、どのような基準で判断するというのか、と
その曖昧さを指摘します。

そして、障害よりも死の方がマシだと社会が捉えているかのようだと語り、

しかし、その一方で
社会では障害者を排除しない努力も行われており、
障害者は相反する2つのメッセージを受け取っている、
一体どちらが本当なのか、と問うています。

Catholic hospitals ensure compassionate care
Mark Pickup,
Western Catholic Reporter, June 21, 2010


家族が知らない間に医師が勝手にDNRにしていたといえば、
カナダ、トロント子ども病院の Annie Farlow事件を思い出します。

生まれたばかりのAnnieちゃんが、
トリソミー13だというだけで勝手にDNRにされていたという話を
去年、初めて知った時には大きな衝撃を受けましたが、

そういうことは、もはや、取り立てて珍しいことではなくなったのでしょうか。

そうだとしたら、これまでは「延命治療の中止」を決定する病院側の決定権として
議論されてきたはずの「無益な治療」は、いまや「蘇生に値する患者かどうかの判断」へと
さらに踏み込んできたということではないでしょうか。

やっぱり「無益な治療」論は、
「死の自己決定権」がマヤカシでしかないことを、ますます証明しているな、と
いつも思うことを、また考えました。

日本で現在、
「自己決定」としての「尊厳死」をしきりに説かれている我々は、
その先には「無益な治療」論が待っている英語圏の実態を念頭に置いて、
それらのデマゴーグを聞いた方がよさそうです。


それから、
Pickup氏は一体どっちのメッセージが本当なのか、と問うているけど、

社会の中で、それぞれの生を生き日々を暮らしている障害者の現実の姿を
直接的に知っていて、その体験を通して、さらに、
人が生きる上で大切なのは個々の機能や能力だけではなく
人と人との関係性であり繋がりだということも分かっている、
奥深い人間理解と成熟した文化を持つ分野から送られているのが
「インクルーシブな社会を作ろう」というメッセージであり、

機能と能力至上の価値意識と浅薄で未熟な人間観しか持たず
障害についての自分たちの無知と偏見に対して無反省な分野から送られているのが
「障害を持つくらいなら死んだ方がマシ」というメッセージなのでは?

でもって、
科学とテクノの簡単解決万歳文化の浸透ぶりに見られるように
科学とテクノの進歩によって、社会一般の人たちまでが
科学とテクノの狭い世界の価値観や人間観を何となく共有させられ始めていて、

また、そのことが
科学とテクノの国際競争に生き残ることに忙しい国家の世論誘導に
巧妙に利用されてもいるので、

後者のメッセージの方が少しずつ声を大きくしつつある……という、
憂慮すべき事態に立ち至ってきたということなのでは?

これについては、例えば文末にリンクした、いくつかのエントリーで
考えてきたことなのだけど、

でも、世の中のマジョリティが、
科学とテクノの限られた専門世界の価値意識や人間観を
完全に共有してしまうことって、あるんだろうか……?

そういうことが起こりうるとしたら、本当にそれでいいのか……と、
この辺で一度、みんなそれぞれに真剣に考えてみた方がいいような気がするんだけど。



【関連エントリー】
Obama政権の医療改革案への誤解を巡る事実確認:AP記事(2009/8/20)
障害者の権利に対する医療と倫理委の無理解を考えるカンファレンス:Maryland大法学部(2010/4/3)
afcpさんへのお返事(2010/4/8)
「科学とテクノ」と「法」そして「問題の偽装」(2010/5/24)
2010.06.20 / Top↑
カナダで、元ケベック州最高裁の判事Delisle氏(75)が妻の自殺を幇助したとして、殺人罪で逮捕、起訴された。カナダの法律が殺人と自殺幇助を区別していないためで、元最高裁判事の起訴はカナダ史上初めて。:カナダ議会が自殺幇助合法化法案を否決したばかり。おまけにところ。議論が、また過熱しそう。
http://www.nationalpost.com/news/canada/Retired+judge+charged+with+wife+murder/3160506/story.html

2月25日の補遺で拾ったNYの事件で、保険金目当てで自殺したいという見ず知らずの男性から1000ドルあげるから殺してほしいと頼まれて刺したKenneth Minorの裁判で、罪状が第一級殺人から第二級殺人に格下げになるらしい。:でも、明らかに殺しているのに。
http://www.upi.com/Top_News/US/2010/06/17/Charge-reduced-in-hit-man-suicide/UPI-86961276807613/

腎臓のES細胞治療で、注射されたES細胞が組織にダメージを与え、患者が死亡。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/10339138.stm

2008年の全米で実施された算数と国語の学力検査で、Baltimoreの小学校で生徒の答えが書きかえられた。それをきっかけに調査が行われたところ、州の教育関係者まで同じことをやっていたことが判明。:日本でも似たような話があった。なんで、こんな無意味なことをするんだろう? 教育とか医療とか、本来、数値だけでは計れない仕事に、競争原理と結果責任が過剰に持ち込まれると、こういう本末転倒で無意味なことをやる人が出てくるということなのでは?
http://www.nytimes.com/2010/06/18/opinion/18fri4.html?th&emc=th

日本のニュースで、親の所得が子ども学力を左右しているから、「もっと教育に社会資源を振り向けなければ」と。:でも、それ「もっと格差是正に力を入れなければ」という話にもなるべきでは? 
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100618-00000406-yom-pol

トンコさんのところでガンジーの含蓄に富んだ言葉を読んで、いいなーと思ったので、ちょっと検索してみたら、あんまり感心しないサイトなのだけど、ガンジーの言葉を集めたページを見つけた。「世界は変わらないとしても」発言は肝心の後半が抜けているのが残念。でも他にも「おおっ」と思わせられる言葉があって、Earth provides enough to satisfy every man's need, but not every man's greed. でも、少数の人たちが過剰にgreedを満たそうとし過ぎたために、地球は本来のキャパを失い、人間社会は多くの人の最低限のニーズすら満たすことができない場所になろうとしている。もっと能力が高く、もっと長生きを、というのも、またgreed。
http://www.manmaking.com/GreatMen/Gandhi.html

大学などでの講演目的でのインドのイスラム教聖職者の入国を、英国内務相が拒否。「不適切な言動」のため。“Coming to the UK is a privilege, not a right and I am not willing to allow those who might not be conducive to the public good to enter the UK.”:英国では最近、やたら「公益」が重視・優先されているような……。 
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk/10349564.stm
2010.06.18 / Top↑
スイスで自殺幇助を行っている団体というと、
どうしても真っ先にDignitasを考えますが、
実は外国人の自殺幇助を請け負っているDignitasのほかに、
スイス国民を対象に自殺幇助を行っている団体Exitがあり、

そのExitが去年の夏にチューリッヒ市当局との間で
自殺幇助の詳細について合意文書を交わしたとのニュースについて
以下のエントリーで取りまとめました。

スイス自殺幇助グループExit、当局と合意(2009/7/12)


16日、スイス連邦裁判所によって
この合意は無効とされたようです。

人の命にかかわる問題は重要なので、
連邦裁判所以外には権限がない、との判断。

上記のリンクで取り上げたニュース記事では
私は対象者要件の曖昧さを問題にしたのですが、

以下の記事によると、その他にも
使う毒物の種類とか、幇助した人への謝礼なども、
合意事項の中に含まれていたようです。

Exitが2009年に自殺幇助した人は217人。

Federal Court overturns assisted suicide deal
Swissinfo.ch, June 16, 2010


自殺幇助そのものはスイスの法律では違法行為とはされていないということだし、

そもそも、この合意は、確か、
去年から自殺のメッカと言われ始めていることを問題視したチューリッヒ市が
なんとか野放し状態に歯止めをかけようとした試みの一環という位置づけだったと思うので、
(その割には、合意の内容が引っかかりはしますが)

この連邦裁判所の判断、ちょっと解釈に戸惑うところもあって、
なんか、自殺幇助に関する規制の問題というより、
権限・縄張りの問題なのか……? という感じがしないでもない。

でも、英国や米国のコネチカット州の判断から言えば、
それだって、司法ではなく立法の仕事というのが筋なのだけど。


確かに、言われてみれば、
市がExitと合意するような話ではないといえばないだろうけど、

でも、人の命がそれほど重要な問題だというなら、
年に271人もの自殺をExitが幇助していて、
Dignitasには世界中から自殺ツーリズムで人がやってきている現状を、
どうにかすべきでしょうよ。
2010.06.18 / Top↑
違法な自殺幇助で幹部数名とボランティアの逮捕者が出て、裁判継続中の自殺幇助合法化アドボケイトFENが、カリフォルニア、ニュージャージー、フロリダの3州のハイウエイに、「私の生 私の死 私の選択 FinalExitNetwork.org」という広告看板を立てるとのこと。資金はボランティアからの寄付。:C&Cもそうだけど、合法化アドボケイトは、とってもお金持ち。
http://newsfeed.time.com/2010/06/16/roadside-controversy-looms-with-right-to-die-billboards/

キルギスでたいへんなことが起きている。:他にも、あちこちからこういうニュースが報じられるようになっている。国名を聞いてもどこにあるのだか私には恥ずかしながら分からないいような国や地域で、大した理由もなく、人々が虐げられてあまりに不幸で荒んで、ただ自分よりも弱い立場の人たちに攻撃性を爆発させるような無政府状態が発生しているような気がする。そして、そういう場所が、地球上にじわじわと広がっているような気がする。
http://www.guardian.co.uk/world/2010/jun/16/kyrgyzstan-killings-attempted-genocide-uzbeks

英国の民間介護サービス業者の酷い実態。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/191709.php

40年前に英国軍が北アイルランドのデモ隊に向け発砲し多くの死傷者を出した「血の日曜日」事件について、98年に当時のBlair首相が調査を命じ、その報告書が出たことを受けてCameron首相が国として謝罪。
http://hanran.tripod.com/irish/record/1972blood.html

フランスで定年を62歳に引き上げ。年金制度改革の一端として。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/business/10326002.stm

フランス南部で大洪水。15人死亡。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/world/europe/10327034.stm
2010.06.17 / Top↑
MN州の障害者に対する公式謝罪を実現させたMarty議員の声明を読んで、
ここでも、ごく自然に「尊厳」が触れられている……ということを思い、

そのことと併せて、
ずっと前から考えているDiekema医師の
「尊厳」は定義なく使っても無益な概念……との主張のことを考えていたら

なぜ「尊厳」が無益な概念ではないか、反論のようなものが1つ、頭に浮かんだ。

まだ、まとまりを欠いているし、
私が考えつく程度のことは、誰かがとっくにどこかで書いているとは思うのだけど、
尊厳については、私なりに、ずっと継続して考えていきたいと思っているので、
1つの段階として、頭に浮かんだことを、以下に。


「尊厳」が定義なくつかわれても決して無益な概念ではないのは、「尊厳」は
例えば「神」とか「信仰」とか「愛」とか「理想」と同じ種類の概念だから――。

簡単に言うと、これが、今回、頭に浮かんだことの主旨です。

これらの概念は、
それが「ある」とか「ない」と万人で統一して決めたり、
それを万人が共有できるような形で定義することが難しいもので、

それは「ある」と信じることによって「ある」のであり、
「ある」と信じることによって、それがあることに意味が生じる、という種類のもの。

「神を信じるか?」と問われたら、
私は、特定の宗教の「神」は信じていないような気がするけど、
でも、そういう「神」を信じている人の「信仰」も否定しない。

一方で、私は、
この世界には、それを成り立たせている一定の法則性のようなものがあると感じていて、
人間をはるかに超えた「自然の意図」とか「大いなる計らい」と受け止めたりしつつ
そういうものが「ある」と漠然と信じているし、

それも、ある意味では
「神」を信じている、ということなのではないかという気がする。

(科学というのは、もしかしたら
「自然の法則性」の美しさや崇高さに魅せられた人が
それを解明する行為を通じて、それに近づけると信じる信仰……?)

定義しろと言われても、
それは、その人それぞれにとっての「神」だったり、
「神」とか「信仰」という名前ですらないものだったりもする。

でも、それで何も困らない。

それは、人がそれを感じるのが
その人の個人的主観的な体験においてだからで、
その点は「愛」とか「理想」も同じなんじゃないだろうか。

それぞれの人にとっての愛であり理想であり、
もっと言えば、それぞれの人と、ある特定の人との関係性の中でだけ
あり得たり、問題になったりする愛とか理想というものだってある。

でも、個人的、主観的に体験されるものだからといって、
「ない」わけでも「無意味」なわけでもない。

万人が共有できる客観的な定義などできないけど、

それが「ある」と信じることによって
それは、その人にとって「ある」のだし、

それが、その人にとって「ある」ことによって、
それは、その人にとって大切なものとして意味を持ってくるし、

その大切さを、
自分を超えた誰かとのつながりや関係性の中で体験することによって
その人は自分を超えた誰かとか、もっと大きな何かと繋がっていくことができるし、
その繋がりを信じたり、その繋がりに意味を見いだすことができる。

そんなふうにして、
それらが「ある」と信じることが
私たちの中の何か「善いもの」を生む力になっている。

それが大切だと感じることによって、私たちそれぞれの中で、
人として大切な何か「善いもの」が損なわれずに守られていく。


同じように、
一人一人が「ある」と信じるだけではなくて、
多くの人が「ある」と信じることによって
それが人々つまり社会の中で大切なものとして意味を持ち、

それが大切なものとして意味を持っていることによって
人間としての我々の中の、なにか善いもの、貴重なものが
損なわれずに守られていく。

それは、例えば、
なんだか身に沿わなくて使うのが気恥ずかしい言葉だけど「ヒューマニティ」とか。

もうちょっと自分の身の丈に沿った言葉を探してみると、
人としての良識とか品性とか、

ただ単に、なるべく「ひとでなし」にならずにいられる、ということとか。

例えば、インターネットで書き込みをする時に
実名で書きこむ際の「自分」から、匿名になった途端に、かなぐり捨ててしまう人がいる部分のこと。

実名で書けないことは、匿名でも書かない節度として、
自分からそぎ落とすことをせずに守る人もいる、そういう部分のこと。

だから、私たちは
「愛なんていくらでもお金で買える」と放言する人に不快になるし、
「理想なんて口にしたって仕方がない」と言う人がいたら心が痛んで、
そういう人が一人でも少ない社会であれかしと考えるんじゃないだろうか。

そういうものとして「神」とか「愛」とか「理想」とかがあって、
「尊厳」も、また、そういう種類の概念の1つなんじゃないだろうか。

もちろん「神」や「愛」や「理想」が、
人によって、場面や文脈によっては、
丸反対の意味で使われることだって可能だし、

時には非常に偏ったものになったり
武器として利用されたり、操作の道具として使われてしまうこともあるし、
まっすぐに信じるがゆえに危険な概念になり
多くの人が被害に遭うことがあるのと同じように、

「尊厳」も、
人によって、場面や文脈によって内容も使われ方も違っていたり、
何かの目的で利用されることや、時には、とても危険な使われ方をすることだってある。

でも、それだからといって、「愛」や「理想」と同じように、
「そんなものはない」とか「そんなものには意味はない」「無益だ」と
切り捨てることは、してはいけないんじゃないだろうか。

「尊厳」なんて無益な概念だ、と皆で躊躇いなく切り捨てる社会は、
「愛」や「理想」を「そんなものは無意味」と皆でかなぐり捨てる社会と、きっと同じ場所のはずだ。

そんなところには誰も住んでいたくないはずだ……と、
私はまだ信じているし、この先も信じたいのだけど、

最近、世の中に増殖しているよう見える
「機能」とか「能力」とか目に見えるもの数値化できるもののことしか言わない人たちには
な~にを無意味なタワゴトを……愛も理想も脳と遺伝子次第なのに……と、一蹴されるのかな。
2010.06.17 / Top↑
銃を所持している患者が重症の精神疾患を発症し、
本人や他者への危険があると判断した際には、
本人の同意をとることなく、患者への守秘義務を侵して警察に連絡することを
英国のGPが申し合わせた。

カルテに目印をつけることで銃を所持している患者を判別する。

公共の安全という利益が患者に対する守秘義務よりも優先するとの判断は
英国医師会の倫理委員会によって承認された、とのこと。

英国医師会は
「ただし、銃を所持している患者個々が自分や他人を傷つけるリスクを監督せよと
 警察が医師に求めるなら、医師会としては、それは警察長官の責任だと考える」

2008年8月にChristopher Fosterが妻と娘を銃殺し、
自宅に火を放って自殺した事件で、FosterがGPに自殺したいと話していたことから、
その事件の後、警察が医師会に検討を求めていたもの。

医師の中から出ていた懸念の声としては
そんなことをすると銃を持っている患者が健康を害しても受診しなくなるという点と、
患者に対する守秘は不可侵の義務であるとの点。

また、患者の乱射事件で被害者が出た時に医師が責められるのではないか、とか
適切なアセスメントの時間も研修もない、とか。

さらに警察からは
医師らのカルテの管理がどこまで厳重に行われるのか、
それによっては、カルテに印をつけることで
銃の所有者情報が犯罪者に流れやすくなるとの問題の指摘や、

銃所有ライセンスを取り消す権限が医師に移行するわけではなく、
あくまでもその権限は警察にあると確認する声も。

しかし、英国では今月初め、
英国カンブリア州で銃乱射 12人死亡 25人負傷という事件があり、
カルテに印をつけるという検討中の案が俄かにクローズアップされることとなったもの。

しかしカンブリア事件の詳細は、これからの捜査によって明らかにされるところで
自殺した犯人のBird容疑者に精神障害があったとの事実は確認されていない、と
The British Association for Shooting and Conservationは
今回の決定に一定のメリットは認めつつも、
事件の詳細を待つべきだ、と主張。

同協会のSimon Clarke氏は
「治療の必要があるのにライセンス取り消しを恐れて
受診しなくなる会員が出ては困るが、

メンタル・ヘルスに問題があるというだけで取り消しというのが
デフォルトになってしまうと、そういうことが起こる」。

現在、銃器ライセンスの担当部局 the Acpo と、英国医師会、内務省その他の関連部署が
協力体制づくりを進めている。

The Acpoの責任者は
「情報の共有について大筋の合意はできて、
現在テクニカルな詳細の詰めが進んでいるところ。
今の段階でこれ以上のことを話すのは時期尚早であり、
その他の変更も含め、英国の銃器ランセンスのあり方について今後議論されるだろう」と。

英国の銃所有許可の有効期間は5年。
申請者はライセンスに関わる健康問題を申告し、
健康問題について警察が医師に問い合わせることに同意しなければならない。

GPs agree to waive privacy of mentally ill gun owners
The Guardian, June 14, 2010


不思議なことに、記事のどこにも
「誰のカルテに印をつけるかの情報はどのようにGPに提供されるのか」については
書かれていませんが、大筋合意された「情報の共有」がそれに当たるのでしょう。

ざっと、頭に浮かんだ疑問は

① 精神科医ではなくGPが
どれほど正確に患者のメンタルヘルスと公安リスクを判断できるのか。

② GPから警察に通報されたら患者はどうなるのか。
警察によって監視されるのか。
それは本人に知らされるのか。
ライセンスを取り消されるのか。

③ こういう合意をした以上、事件が起きた時には
結果論でGPの判断ミスが責められるのは必定。
そうすれば、GPの意識としては自分が責任を問われないために
リスクを高く見積もり、早めに警察に連絡することになっていくのでは?
そして、目の前の患者の治療よりも、社会のリスク管理機能へと、
GPの診察行為の意味が少しずつ変わっていくのでは?

④ 警察や英国医師会の判断では、
「公共の安全」vs 「患者に対する医師の守秘義務」という構図で
問題が提示されているけど、実際には、これは
患者に対する医師の守秘義務とは無関係な、
「英国の銃規制のあり方の問題」ではないのか。

⑤ 「公益が医師の患者に対する義務よりも優先」という論理が
まかり通っていくなら、今後こういう動向は他にも広がって行くのでは?

    ――――

実は、英国政府は去年、狂牛病感染者数を把握するために、
法医学者らに解剖の際に調べてくれるように要望し、断られています。

その時の記事を拾った去年8月19日の補遺で
私は以下のように書きました。

これ、地味な記事だけど、昨今どんどんビッグ・ブラザー社会化している英国では、
とても今日的に本質的で重要な問題を含んでいると思う。

狂牛病が ひそかに蔓延して、実は多くの人が知らず知らずにかかっている恐れがあるため、
どれくらいの人が目立った症状がないまま感染しているかを調べる唯一の方法 として、
英国政府は法医学者らが解剖の際に調べてくれることを望んでいるのだけれど、

解剖は死因の特定のために行うものであり、
その際に研究への協力を遺族に求めることになると、
本来の法医学者の立場の中立性が失われ、仕事への信頼を失う、と法医学者らは反発。

その反発にエールを。

でも、 “科学とテクノで何でも予防、なんでも簡単解決万歳”の文化からは
「法医学の中立性と信頼という利益と、
狂牛病蔓延の実態が把握できないままに放置される害やリスクを検討すれば、
法医学の中立性がなんぼのもんじゃい」的な反論が出てきたって、もう、たぶん驚かない。

http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8207034.stm



今回は、まさに、この時の私の予測通りの論理が登場してきたぞ……という話。
その論理には確かにもう驚かないけど、

英国医師会がそれに易々と追随してしまったということには、ちょっと驚く。


Ashley事件しかり。
貧困層や障害者に対する強制不妊しかり。
医師による自殺幇助合法化しかり。
ゲイツ財団などがやっている途上国でのワクチンと避妊による貧困対策しかり。

社会の問題を社会の問題として、その原因に対処して解決を図るのではなく、
社会の原因を放置したまま、個々に表れてくる結果のところだけで
医療によって簡単に解決して済ませてしまおうという動きが
強まってきているような気がする。

それは、科学とテクノによってできることが増えて、
それだけ科学とテクノによる簡単解決文化がはびこってきたということなのだろうけど、

原因よりも結果のところで簡単解決を図ることのポテンシャルを
統治する権力の側が科学とテクノに期待することと
我々統治される側の一般人までが一緒になって
科学とテクノによる簡単解決万歳文化に浮かれ騒ぐこととは
まるで質の違う話だということが、もっと意識されるべきなんじゃないだろうか。

科学とテクノの分野の人たちにも、
ビッグ・ブラザー管理に組みし、権力による統治の手先となることに対して
もうちょっと敏感であってほしい気がする。

英語圏における生命倫理の絡んだ議論で、
医師が患者の側から、患者を差別・疎外・排除する社会の側へと
どんどん立ち位置を移しつつあると思われることに、
医師自身がもっと問題意識を持つべきじゃないだろうか。

もちろん、Ashley事件でも自殺幇助議論でも、
ヒポクラテスのDo not harm. を言う医師はいるのだけれど、

……あ、でも……もしかして、

そういう簡単解決を実現するポテンシャルを持っている自分たちこそが
権力の“手先”ではなく、権力そのものなのだ……と勘違いしているのが
Bill Gatesやthe Singularity Univ. を作ったトランスヒューマニストたちなのか……?



なお、ビッグ・ブラザー社会化する英国の実態については
こちらのエントリーなどに。
2010.06.17 / Top↑
CNNの医療担当レポーターのSajay Gupta氏は
Dr. Deathこと Dr. Jack Kevorkianと同窓なんだとか。

それで、Michigan Medical SchoolのあるAnn Arborで会い、
一緒に母校を訪問して、キャンパスでインタビューを行った、と。

驚くのは、彼らが母校のキャンパスを歩いていると、
K医師に気付いた人々の中に、声をかけてくるのはともかく、
サインをもらいに来る人までいたこと。

(アンタら、有名人なら、誰でもええのんか……いや、
それとも医大には彼を尊敬したりヒーロー視する人がいるものなのか……)

インタビューでは弁護士がGupta氏の真後ろに立ち、
Guptaの正面に座ったK医師は、しばしば弁護士の方を見ながら答えている。

そして、Guptaの質問の大半を、
ただ聞き流したり、はぐらかしている。

6月28日にもHBOのドキュメンタリーが放送されるとのこと。
K医師自身はこのテレビ映画で一銭ももらっていないそうなのだけれど、
このインタビュー、やっぱりプロモの意味もあるのかもしれない。

Guptaが聞きたいことは何も語っていないのだけど、
必要以上にドラマチックに書かれている記事の描写から受けるのは、
Kevorkianという人は、なんてビターな人なんだろう……という印象。

この人、たぶん、人間が嫌いなんだな……
心の奥底に、何かに対する根深い憎しみを抱えている……?
なんか、そんな、ビターな感じ。

最初に投げかけられた質問をはぐらかして、K医師がいきなり問うのは
「私の人生の最悪の瞬間というやつが、分かるかね」
そして、その答えは「私が生まれた瞬間」。

大学で、かつてのクラスメートらの写真を眺めながら
「死んだ。死んだ。こいつも、こいつも、もう死んだ。
こいつは、私なんか監獄にぶち込まれてしまえと考えていたヤツだ」
「そんなことがあったんですか」
「いや、きっとそうだったに違いない、と、な」

医学部受験の際の面接で、医師になりたい理由については何と答えたかと聞かれると、
「相手が望む通りを答えてやったさ。人を癒したい、とか
医学をやりたいのは全ての職業の中で最も……そうだな、
ノーブルな(崇高な?)ものだから、とか言ったんだったな」
「医療はノーブルな職業ですか?」
「いいや。ちがう」

130人の自殺を幇助したというK医師は
それを安楽死とは呼ばず、patholysis と呼ぶ。

PatholysisとはK医師の造語で、
path  は、病気または苦しみ。lysis は、破壊。
したがって、patholysis とは「苦しみの破壊」。

彼は自分の裁判を通じて憲法修正9条について明確にしようとしたのだけれど、
最高裁が上訴を棄却したことをいまだに不満に思っている。

その辺りのことについて、
直接的に言葉を引用できないわけでもあったのか、
それとも実はさほどの内容がなかったのか、
Guptaが自分の理解を自分の言葉でまとめている。

I realized this was what he had building up to for some time. This wasn't just about assisted suicide; this was about upholding the ability for people to do whatever they wanted to do, without interference from doctors, the states or the federal government.

That the rights of the masses should not impede on the rights of a few. Someone once told me that was the "gist" of the Ninth Amendment, and it is something that has helped inform Dr. Jack Kevorkian's thinking and his life.



要するに、医師にも州や連邦政府にも、集団の権利にも侵されない
個人の自由、少数者の権利というものがあって、
それを保障しているのが修正9条だ、という主張であり、
自殺幇助の議論とは、K医師にとってはそういう権利の問題なのだ、という解釈。

私はKevorkian医師の裁判については、ほとんど知らないので、
この解釈の妥当性については、何とも言えない。

ただ、尊厳死の議論で「自然」を盾にとって安楽死を支持するのと同じ人たちが、
例えばAshley事件で「自然に反する」という批判に
「自然なんて意味のない概念だ」と突っぱねている人たちと
実は同じ人たちなんじゃないかと私は密かに疑っているのと同じ意味で、

「個人の自由」とか「自己選択権」「自己決定権」についても
同じ人が問題によって都合よく信奉したり、あるいは否定したり、と
ダブルスタンダードで使い分けているんじゃないかと
ここでも、なんとなく眉に唾をつけたくなってしまう。

Kevorkian: ‘I have no regrets’
Dr. Sanjay Gupt, CNN, June 14, 2010


このインタビュー、できればGupta以外の人にやってほしかった。

前から、あまり好きではなかったけど、
2007年1月の“Ashley療法”論争の際に
CNNのサイト内の自分のブログ Paging Dr. Guptaの1月5日のエントリーで
次のように問いかけて終わっているのを見た瞬間に「ダメだ、こいつは……」と、
思わず、つぶやいて以来、個人的に評価がものすごく低い。

「皆さんはどう思いますか?
Ashleyがあなたの娘だったら、あなたはどうしますか?」

医療職ではないメディア人が問うならまだしも、
仮にも医師なら、これが医療倫理のまっとうな問いの立て方かどうか、
これは、そういう問題ではないことくらい分かるはず。

もちろん、メディアやゼニに魂や良心を売っぱらった医師は
Guptaだけじゃないし、米国だけの話でもないけど、

このKevorkian医師のインタビュー記事の書き方にも、
「Ashleyがあなたの娘だったら、あなたはどうしますか?」と同じ、
紋切り型で皮相的なところが鼻につく。



【追記】
一旦アップした後で、以下の関連エントリーを追加していて気付いたのですが、
K医師は4月には「PASは医療の問題。法律は関係ない」と語っています。

ここでは「医師にも政府にも口出しできない個人の法的権利」と言っているのだとしたら、
その整合性は……?

それとも、やっぱり文脈と場面によるご都合主義の使い分け?


【関連エントリー】
自殺幇助のKevorkian医師、下院出馬の意向(2008/3/14)
アル・パチーノ主演でKevorkian医師の伝記映画作成か(2009/5/27)
Dr. Deathをヒーローに祭り上げ、シャイボさんをヘイトスピーチで笑い物にするハリウッド(2010/3/25)
FENが「Kevorkian医師の半生記映画見て“死ぬ権利”考えよう」(2010/4/22)
Kevorkian医師「PASは医療の問題。政治も法律も関係ない」(2010/4/26)
2010.06.17 / Top↑
① 自殺幇助関連

8日のエントリーで取り上げたコネチカット州の自殺幇助合法化訴訟の判決について、同州の法学サイトが解説。:8日にも思ったけど、英国の下級裁判所段階でのPurdy判決のような意味合いで、司法ではなく立法の仕事としたのだと思う。ただ、Purdy判決は上訴を受けて最高裁が合法化寄りに立法に問題を持って行った。Connecticutは、この後どうなるか……。

http://www.ctlawtribune.com/getarticle.aspx?ID=37427


② Ashley事件

前から時々ネット上で起こるAshley事件の怪現象が、14日にまた起きた。コピペされるのは、決まって2007年 1月のAP記事。リードの後に「このケースを議論しよう。家族のブログを読もう」と書いてあるやつ。たいていは科学とテクノ系のサイトに登場する。今回も、いかにもそれらしく、「いかに科学的に乳児のIQを上げるか」を考えているブログらしい。

1つだけコメントが入っているのもパターン通りなのだけど、いつもAshley療法への賛成コメントばかりでは芸がないと考えたか、今回は反対の意を表するコメント。ただ、やっぱ馬脚が現れることに「この療法の宣伝をすると予想外の反響で叩かれるから、私だったら、そういうことはしない」ですと。それでも敢えて世の中の重症児とその家族のためを思って、叩かれながら宣伝して回っている誰かさんはエライ!と言いたいのかしら。

ただ、気になるのは、この怪現象が起きるのは、決まってA事件で何かの動きがある時だということ。近く、何かある……?

http://www.lullaby-music.net/adolescence/how-will-the-following-hender-the-normal-development-of-ashley


③ Ashley事件・ゲイツ財団関連

日本語情報。ビル・ゲイツ氏が世界長者番付で1位になったメキシコの富豪カルロス・スリム氏と、「メキシコ南部や中央アメリカの貧困層向けの予防衛生支援を目的とした基金設立を発表」。「貧困層向けのワクチン投与や出産・子育ての支援などに」それぞれ5000万ドルを提供し、「先住民社会の女性や子供を中心に支援」。:抵抗しにくい地域の抵抗しにくい貧困層の女性と子どもに、ワクチンと母子保健……。まさか、ここでも「革新的な」避妊とかを考えているのでは? ゲイツさんの動向を知るたびに考えてしまうのだけど、国家って一体何なんだろう? それにしても、最近のゲイツ氏の動き、あっちでもこっちでも急展開している。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100615-00000226-reu-int


④ ゲイツ財団関連

これなんかも、たぶん上の記事と繋がっているんだと思うのだけど、アフリカ南部の国々の女性を対象に、HIV予防薬を仕込んだ膣内据え置きリングの臨床実験がスタートしている。

なんでもmicrobicidesといって、入れておくとウイルスやバクテリアと接触するや効果を示すというもので、the International Partnership for MicrobicidesというNPOがやっている実験。今回が15回目。効果は確認されていないし、却って感染リスクが高まるという話もあるし、さらには性交時に違和感があるため夫に内緒で入れたら虐待を受ける可能性もあるというのに。

それに、このNPOの人たち、先週のWomen Deliver 2010会議に来ていたとか。Gates 財団が途上国の家族計画と母子保健に150億ドルを約束した、あの会議ね。それに、このmicrobicidesによるエイズ予防には国連の関係者も期待を寄せているのだとか。さらに、エイズ予防薬だけでなく、避妊薬も一緒に仕込んだリングの開発も米国の研究機関で進められているらしい。いよいよ「それっぽい」話では……?


⑤ その他

http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/06/14/AR2010061405577.html?wpisrc=nl_cuzhead

数日前に英国のメディアにも同じような記事があった気がするけど、ヒト・ゲノム・プロジェクト10周年。でも、予想されたほどゲノムが新しい治療に結び付いていない、と。
http://www.nytimes.com/2010/06/15/business/15genome.html?th&emc=th

白米は糖尿病リスクを上げるから、ブラウン・ライスかホールウィ―とにした方がいい、と米国の科学者。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/10307790.stm
2010.06.15 / Top↑
Minnessota州で、
これまでの障害者に対する差別に対して州の公式な謝罪が全会一致で上下院を通過し、
5月27日、知事が署名して法制化されたとのこと。

州上院のJohn Marty議員が13年間成立を目指してきたもので、
同議員は以下の声明を発表。

ミネソタ州が両党一致の元にこの謝罪を行ったことを
私は大変嬉しく思っています。

100年以上もの間、Minnesota州は
精神病や知的障害のある人々を家族や地域から引き離して
州の施設に閉じ込める施策をとりました。

それらの施設では、
賃金もなしに強制労働をさせられた人、
本人の同意なしに医療の実験や治療をされた人、
懲罰としてショック療法や忌避療法をされたり、隔離された人たちがいました。

上院保健委員会は、
家族と離れて施設に閉じ込められて子ども時代を送り、現在は成人している人たちから、
自分ではどうにもできないことに対して時に残酷な懲罰を受けた体験をヒアリングしました。

彼らは、人なら誰もが認められるべき尊厳を拒まれました。
このような事実はミネソタの歴史の恥ずべき部分です。

ここに公式に謝罪することによって、
ミネソタ州は過去の過ちを認め、この時代に幕を下ろす一助とします。

こんな謝罪は大したことではないと感じる人もいるかもしれませんが、
子ども時代に施設に不当に収容された人たちにとっては、たいへん重要な言葉です。

州の施策のために苦しんだ人たちや家族が、
やっと今、州から、その意味深い言葉を聞いているのです。

“We are sorry.” ごめんなさい、 と。



State passes public apology to people with disabilities
News Release, State Senator John Marty,
May 27, 2010


涙が出ました。

そして、
ここでもまた「尊厳」という言葉が
ごく自然に使われていることを思いました。

「ごめんなさい。過ちを犯しました」と言えない人たちが
自らの過ちを糊塗するために更に過ちを重ねることを躊躇わず、
多くの重症児の身体を侵襲のリスクに晒そうとしていることも。

そのために「赤ちゃんと同じ重症児は家で家族に介護されるのが幸せ」と繰り返している人たちに
この声明の、文言ではなく、その心をこそ、しっかりと聞け……と言いたい。

施設に閉じ込めることだけが問題なわけではないのだぞ。
尊厳を侵すのは、「どうせ」と線を引く、あんたらの、その卑しい心根なのだぞ。

         -----

検索してはみたものの、legislation そのものには行きつけませんでしたが、 
YouTubeに、地元のテレビ番組のMarty議員インタビュー(6月11日)がありました。

MN Apologizing To The Mentally Disabled (6分21秒)

特に印象的だった内容は、

・ 州でも企業でも社会でも、間違ったことをしたら、ごめんなさい、と謝るのは当たり前のこと。

・ キャスターの女性が、「今回の謝罪は障害者にとっても喜ばしいと同時に、
人間としての我々自身のためにもなるのでは」と指摘したのに対して、
Marty議員も、「その通りだ。ごめんなさいと自らの過ちを認めることが
この先に歩みを進める我々人間のためにもなることなのです」と。
(human-beings are better off)

・キャスターの女性は「障害者について社会全体の問題として皆が捉える契機となり、
社会の統合という意味でも意義深い」とも指摘。

・30年前から、この謝罪を目指して尽力してきたMarty議員は
 今回、両党全員一致で上院下院共を通過したことについて

「30年前には、セルフ・アドボカシーもなく、
障害者は世間から憐れんであげる存在とみなされていたが
今では障害者も尊厳をもった一人の人と捉えられるようになった。

30年前には、代弁してあげなければならなかったが、
今では本人たちが声を上げている。

こうして社会の意識が変わることによって、
我々一人ひとりにとっても、大きなプラスになる」と。


これこそ、
「いのちの選択」の中で書かれていた「社会の品位」というものであり、
当ブログがそのエントリーや、以下のエントリーで考えてきた内容に通じていくような気がします。

Quellette論文:Aケース倫理委検討の検証と批判(2010/1/15) :フランシス・フクヤマに言及
Dr.Qの提言とspitzibaraの所感(2010/1/15) :「どうせ」について
「医師の道徳的な義務とは自身に対して負うもの」と“Ashley療法”の線引きを突き崩すTan論文(2009/12/20)
2010.06.15 / Top↑