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Dignitasで揃って自殺した英国の著名指揮者夫妻の件で、スイスへ付き添っていった子どもたちに警察が事情を聞いているらしい。:昨日Debby Purdyさんの件で最高裁が法の明確化が必要との判断を下したけど、その明確化を行うのであれば、これまでDignitasで自殺した115人(指揮者夫婦を除く)のケースを調べなおす必要が出てくるのでは? なぜか今のところ逮捕されているのは、ホモセクシュアルの夫婦のケースで、付き添って行って自殺するのを見ていたパートナーのみ。
http://www.walesonline.co.uk/news/wales-news/2009/07/31/children-quizzed-over-conductor-s-clinic-suicide-91466-24285940/

小児の豚インフルでタミフルに吐き気、悪夢などの副作用。
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/uk/health/Swine_flu/article6734056.ece?&EMC-Bltn=CBIC5B

Obama政権の医療改革を巡って議会が紛糾している一方で、生物製剤の遺伝子研究競争からの保護を巡って、なるべく開発資金を回収したい製薬会社と、値段が吊りあがることを警戒する退職者のアドボケイトが熾烈なロビー合戦を繰り広げているらしい。:AARPは潤沢な資金で政治的にも圧力団体になっているけど、障害者のアドボケイトにはお金がない。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/159276.php

苦戦しているObama Careにクルーグマン氏から再び援護。
http://www.nytimes.com/2009/07/31/opinion/31krugman.html?_r=1&th&emc=th

肥満の友達がいるティーンエイジャーは太りやすい。:これは友人を見る限り夫婦間でも言えそうな気がする。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8172258.stm
2009.07.31 / Top↑
「介護保険情報」誌(社会保険研究所)に書かせてもらっている
「世界の介護と医療の情報を読む」という連載から
葬儀屋がホールの裏で遺体から組織を摘出してバイオ企業に流していた米国の事件を
昨日のエントリーで紹介しましたが、

ついでに、2007年1月号で臓器売買について書いた部分を。

★パキスタン

大地震後に瓦礫の山で
臓器泥棒

近年、世界中で大きな災害が相次いでいる。一昨年10月にパキスタンで6万人近い死者を出した大地震もまだ記憶に新しいところだが、実はこの時、冷蔵ボックスを手に瓦礫の山をうろついていた4人の男が逮捕されたことはあまり知られていない。冷蔵ボックスの中には人間の臓器が15個。いずれも瓦礫に埋もれた遺体から盗ったものだった。

しかし、臓器を求めて被災地に群がったのは4人だけではなかった。被災者の中にも生活の困窮から腎臓や目まで売ろうとする人がいて、避難民の間でもブローカーが暗躍したのだそうだ(Times, 05年10月30日)。

昨年秋に四国で臓器売買が問題になった際、渦中の医師は記者会見で「売買に関与したことはない。どうしてもという人には外国に行くよう勧めてきた」と力説した。それが妙に生々しく聞こえたので検索してみたら、いきなり出くわしたのがこの話だった。

災害現場に人が“救出に”ではなく“臓器狩りに”急行するパキスタン。去年11月12日のAP伝によると、自国のメディアにまで“腎臓バザール”とあだ名されている。同記事では本人ばかりか兄弟姉妹7人に義妹5人、甥2人もが腎臓を売ったという女性の話が紹介されている。腎臓を売るという行為が、それほど当たり前なのだ。パキスタンでは売買禁止措置が取られていないため、慢性的な債務に苦しむ農民が腎臓を売る。そしてレシピエントが支払う金額のほんの一部を手にした後、彼らの多くは体調を崩し、さらなる貧困に追い込まれていく……。

★中国ほか

臓器売買は公然の秘密
オークションにまで

お隣の中国には、死刑囚から腎臓を採っているという噂が以前からあった。無責任なデマとして、それを頑強に否定し続けてきた中国政府だが、去年11月ついに死刑囚からの臓器摘出と、その多くが外国人に売られ移植されたことを公式に認めた(LA Times, 06年11月19日)。それに先立つ7月には臓器売買を禁止。移植できる医師や病院も指定すると発表した。その後も臓器提供ネットワークの構築やし刑事犯への監督強化に言及するなど、やっと合法的な臓器提供システム作りに動き始めたようだ。

それもそうだろう。臓器移植ツーリズムで世界中から人が訪れる中国で、移植が必要な自国民1500万人のうち受けられるのは年間1万人程度。金持ち外国人がリストの順番を飛ばす上に、ドナーカード制度がなく脳死を認めない中国では臓器獲得の手段が乏しい。7月までは病院の廊下に売買広告がひしめいていたそうだ(China Daily 06年7月1日など)

イギリスでも02年に臓器売買でインド生まれの医師が有罪になり(Reuters 8月30日)、03年には大西洋を股にかけた臓器売買で、南アフリカとブラジルで14人も逮捕(NY Times, 12月8日)。また、2000年には米オークションサイトdBayに「十全に機能している人間の腎臓」が出品されたことがある。eBay側がそのオークションを削除した時に入札額は25万ドルだった。ネットに“臓器が買える国”として名前が上がっているのは他にもフィリピン、インド、ベルギー、キューバなど。臓器売買は、いまや公然の秘密のようである。

「介護保険情報」2007年1月号 
「世界の介護と医療の情報を読む」(P.88-89)
児玉真美


ここには書けなかったけど、
パキスタンのニュースを読んだ時に、頭をよぎったのは、

もしも、まだ生きていて、すぐに病院に運んだら助かる状態だったとしても、
瓦礫の中から掘り出してくれたのが救助隊ではなく
クーラー・ボックスを持った臓器狩りの一味だったら、
その人は殺されたのでは……?
2009.07.31 / Top↑
英国の裁判制度がよく分かっていないので
私は2月にDebby Purdyさんの件は片が付いたのだとばかり思っていたのですが、
2月は上訴裁判所の判断で、その後、最高裁に持ち込まれていたらしく、

昨日からメディアが、
まるで自殺幇助そのものが合法化されるかのように先走ったトーンで騒いでいました。

その最高裁が今日、
自殺幇助のために海外へ付き添う人の行為について
The Director of Public Prosecutions(ネットでは公訴局長官/DPP)は
明確な方針を表明する必要があるとの判断を下した、と。

最高裁の5人の法務卿(上院議員から選ばれる12人が最高裁判事)の判断として
記事には以下のような言葉が引用されています。

Everyone has the right to respect for their private life and the way that Ms. Purdy determines to spend the closing moments of her life is part of the act of living.

プライベートな生活を尊重してもらう権利が万人にある。Purdyさんが自分の人生の最後の時を自分で決めたように過ごすことも、その人が生きるという行為の一部である。

Mr. Purdy wishes to avoid an undignified and distressing end to her life. She is entitled to ask that this too must be respected.

Purdyさんは尊厳のない苦しい死に方をしたくないと望んでおり、これも尊重してほしいと求める権利が彼女にはある(? entitled)。

これを受けてDPPは急ぎ作業チームを作って
なるべく早く、起訴にあたっての細かい原則を整理し
9月末をメドに、暫定的な方針を作る、と。

さらに来年1月に新たな方針を発表するに当たっては
広く一般からの意見聴取を行う、とも。

自殺幇助合法化推進派が勝利に沸く一方、
弱者の人権擁護の観点から懸念するRight to Life の幹部 Phyllis Bowman氏は
弁護士に相談して必要な行動をとる、と。



これまでの経過では
去年10月の高等裁判所も今年2月の上訴裁判所も
裁判所は法律にのっとって判断はできるが
法律を変えることは裁判所の仕事ではないとの立場から
Purdyさんの求めを却下してきたし、

さらにPurdyさんの裁判に呼応して
合法化推進派の議員から提出された法改正案は
7月上旬に上院で否決されたのだから、

まっとうに筋の通る考え方をすれば、最高裁のこの判断は、
現行法の解釈を明確にせよ、というだけの判断かと思ったし、

DPPが作ると言っている方針も、
海外へ付き添う行為が、どういう場合に起訴対象となり、どういう場合にはならないか、
そうした条件を明確に示すものとしてのみ読めるので、
それ自体に筋の通らないものは感じないのですが、

しかし、記事に引用された法務卿らの言葉には
確かに昨日メディアが騒いでいたように
自殺幇助合法化そのものに一歩踏み込んでいて、
そこが、立法・司法制度の中で先の上院での否決とどう整合されるか……。

立法府である議会が法改正を否決したというのに、
どうして最高裁が法の明確化という名目で、
自殺幇助を認めるに等しいところまで踏み込んだ判断を下せるのか、
私にはさっぱり……。

それに、引用の発言、
どういう死に方をするかは個人のプライバシー権だとの解釈が可能では?
これ、ものすごく危うい発言ではないでしょうか。

しかも「尊厳がなく苦しい」という言葉を安易に使って。

最高裁がこんなことを言ってしまったのでは
「ターミナル」も「耐えがたい苦痛」もおかまいなしで
誰でも対象になる、ぐずぐずの自殺幇助OK議論に
お墨付きを与えてしまうようなものではないのでしょうか?

ちっとも筋というものが通っていない! と私は感じるのだけど、
物事の筋道も、論理の繋がりも、もはや、どこの国でも、勢いで、すっとばされていくばかり。

英国の自殺幇助議論、一気に加速して動きそうな、嫌な予感がします。


ちなみに、今年秋にも最高裁が上院から独立した機関となるため、
上院(the House of Lords)と同じ呼び方をされている現在の最高裁が行う聴聞としては
Purdy さんの件が最後だとのこと。


関連記事を随時、以下に追記していきます。

Assisted suicide – statement from the CPS
Directgov. July 31, 2009(判決を受け、英国政府のサイトに検察局からの声明)


Debby Purdy wins assisted suicide ruling (Videoあり)
Yahoo!news UK & Ireland, July 30, 2009



Assisted suicide ruling: What the panel of law lords said
The Guardian, July 30, 2009
(これ、重要。法務卿の発言、メディアのトーンとニュアンスが違うかも?)

A victory for human rights
By Stephen Cragg
The Guardian, July 30, 2009

Debbie Purdy: profile
The Guardian, July 30, 2009



---------


英国の最高裁については、以下の3つを参照しました。
特にYahoo!の知恵袋がよく整理されて貴重な情報のように思われます。




2009.07.31 / Top↑
ブリティッシュ・カウンシルが経費節減で行政職をインド人にアウトソーシング、批判が出ている。
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/politics/article6731114.ece?&EMC-Bltn=HBJE4B

英国のColbyスチール工場が再開発された際に出た毒物による大気汚染が母体に影響したために、四肢の欠損や発育不全の障害を負って生まれたとして子どもたちが集団訴訟を起こしていたケースで、高等裁判所が地方自治体の管理責任を認める画期的な判決
http://www.guardian.co.uk/society/2009/jul/29/corby-council-steelworks-disabilities

スーダンの女性ジャーナリスト、Lubna Ahmed Husseinさんが他の女性たちと抗議行動の際にズボンを履いていた罪で逮捕され、鞭打ち40回の刑に処せられるところ、彼女については国連の職員であることを理由に免罪しようとする裁判所に対し、そんなことはしてくれなくていい、と裁判の続行を求め、法改正への問題提起にしようと戦っている。:心からのエールを。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/africa/8173714.stm

人類による6番目の地球絶滅の危機が起こっている、と環境保護の研究者らから警告。:地球が滅びるのが先か、人類が自らの愚かさで滅びるのが先か……。このブログを始めてから、しょっちゅう頭をよぎる思い。
http://www.guardian.co.uk/environment/2009/jul/28/species-extinction-hotspots-australia

蚊にマラリアのワクチンを運んでもらおう、という実験。有望らしい。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/07/29/AR2009072902832.html

Obama Careへの懸念が増大している。メディケアでの終末期医療がどうなるか。貧しい人や高齢者の切実な不安を、富裕層がうまいこと医療改革つぶしに利用していく。
http://www.nytimes.com/2009/07/30/us/politics/30poll.html?_r=1&th&emc=th
2009.07.30 / Top↑
数日分、溜め込んでしまったので、
補遺を自殺幇助議論関連とそれ以外と2つに分けました。

      ―――――――――

Debby Purdyさんの裁判は2月にもうケリがついたのかと思っていたら、上訴していたのか、最高裁の最終判断が明日なんだそうな。どこのメディアも大騒ぎしている。いよいよ自殺幇助合法化に向けた突破口かと、先走ったトーンで。それとも本当に何か掴んでいるのか、高揚感が普通じゃない感じも。
http://www.guardian.co.uk/society/2009/jul/29/lords-ruling-assisted-suicide

Timesが「74%が自殺幇助支持」と第1面に打った土曜日、第一次世界大戦の英軍最後の生き残りとされる男性が111歳で亡くなったのだとか。すべり坂への警告に、読者からのコメントは反論一辺倒。「ご高説は素晴らしいが、それにどれだけコストがかかると?」という反論も声高になってきた。決して触れられることのないコストは埒外の議論で、世論の洗脳が進んでいく。
http://www.timesonline.co.uk/tol/comment/columnists/richard_morrison/article6730688.ece?openComment=true

英国看護学会の自殺幇助問題での転向への批判。
http://www.timesonline.co.uk/tol/comment/columnists/guest_contributors/article6731013.ece

長年ベストセラー作家として活躍してきた Jane Aiken Hodge氏が、ターミナルケアをテーマにした作品を描いた数ヵ月後に、睡眠薬を飲んで自殺を図り、4日間意識不明に陥った後で亡くなった。娘さんがその際の家族の体験を書き、自殺幇助合法化を求めている。もはや合法化を後押しする記事が出ない日はない。
http://www.timesonline.co.uk/tol/life_and_style/health/article6731176.ece?&EMC-Bltn=HBJE4B
http://www.timesonline.co.uk/tol/comment/letters/article6730833.ece

アイルランドの新聞に、英国の指揮者夫妻の幇助心中の美化に警告・反論する、よい記事がある。我々はこの世に生まれ出た赤ん坊の時から老いて死ぬまで、人の負担になりながら生きていくのだ、その負担を引き受けるということが人が人と関わるということなのだ、と。
http://www.irishexaminer.com/opinion/columnists/stephen-king/assisted-suicide-the-road-to-zurich-could-easily-become-the-road-to-hell-97474.html
2009.07.30 / Top↑


2006年、米国で大きなスキャンダルになった事件。

私が英語ニュースをチェックし始めたのは2006年6月のことでした。
USA Todayのこの記事に気づいたのは、その直後。まだ何も知らなかったので、
この奇妙なレントゲン写真は、一生、鮮明に記憶に残るほどに衝撃的なものでした。

ニューヨークの検察局が、ある事件の記者会見で公開している、
この珍妙なレントゲン写真、一体なんだと思いますか?

バイオ企業と結託した葬儀屋がホールの裏でこっそり脚を切り取り、
その代用でパイプにズボンをはかせて棺に入れていた遺体のレントゲン写真――。

一味にこっそり臓器や組織を抜き取られた遺体が何百もあったというのです。

私は、この異様な写真に目を奪われて、この事件を調べることによって初めて、
世界って実はこんなにも怖い場所になっていたのか……と
ものすごい衝撃とともに発見したような気がします。

このブログを始めたのは、その半年後のAshley事件があってからなので
この事件のことは、うっかりアップしていませんでしたが、
こちらの事件で思い出していたところにたんたんさんのコメントのおかげで
そうだ、この事件もアップしなきゃ、と、その重大性を改めて考えたので、

「介護保険情報」誌2008年6月号に、
まだドキドキしながら書かせてもらった連載第2回目の一部を以下に。

葬儀場で遺体から
人体組織を採りたい放題

最近は自宅での葬儀など滅多になくて、荘厳なセレモニー・ホールを備えた葬儀場で執り行われることが多くなった。あの葬儀場の奥に実は解剖室があって、そこで遺体が密かに切り刻まれていて………などと真顔でいったら、「まさか」と一笑に付されることだろう。しかし、まるで出来の悪いB級ホラーのようなこの話。まぎれもなく現実に起こった事件なのだ。

一連の報道によると、主な舞台はニューヨーク。主犯は、かつてコカインの使用で医師免許を返上した経歴を持つ元口腔外科医である。当時のコネを生かして、その後バイオ企業を設立した元口腔外科医は、葬儀屋と共謀のうえ、葬儀場奥の「解剖室」で親族に無断で遺体から組織を採取していた。

去年の秋に事件が発覚するまで犯行は約5年間にわたり、被害にあった遺体は何百にも及ぶという。採ったのは皮膚、骨、腱、心臓の弁などなど………。心臓死前後に採らなければ使い物にならない臓器と違って、こうした人体組織は死後48時間以内の採取でよいらしい。一体分の組織から7000ドルもの利益を得ていたという報道もある。

事件の発覚で、埋葬された遺体を掘り起こしてみたら、下半身が跡形もなく採り去られたものまで出てきた。棺に入れてもバレないように、脚の代わりの配管パイプがネジで骨盤に取り付けられていたという。検察当局は主犯を含む4人の起訴を発表する記者会見で、この遺体のレントゲン写真を公開している(USATODAY 6月12日)。なんとも奇妙かつ不気味な写真である。

そして問題を深刻にしているのが、元口腔外科医らは親族の同意書を偽造しただけでなく、組織の安全性のスクリーニングを行わなかったことだ。年齢と死因を都合よく偽った書類をつけて、安全が疑わしい人体組織を加工会社に持ち込んだのである。それらの組織から加工された医療製品は、今のところアメリカ国内とカナダに流通したものと見られている。

FDA(食品医薬品局)は事件報道を受けて、汚染の可能性のある医療製品の回収を命じたが、膝や歯のありふれた外科的治療も含め、治療に使用された場合には、梅毒のほか、HIVや肝炎に感染する恐れまである。

カナダでは被害に遭った患者が3月に集団訴訟を起こした(canada.com 3月23日)。また、汚染した医療製品が流入していないとされるオーストラリアでも、疑わしい治療を受けた患者に関係機関が個別に確認をとったり(THE AUSTRALIAN 6月6日)、ニュージーランドでも医師が個人的に購入した商品に不安の声が上がる(ニュージーランドのニュースサイト stuff.com6月23日)など、事件発覚から1年半経って、波紋はなお広がっている。

それにしても、この事件のことを調べていて、あるキーワードで検索をかけたところ、ヒットした中に弁護士事務所のホームページが並んでいたのには、びっくりした。こぞって事件の概要を詳細に語り、「もしもあなたが被害に遭っていたら、訴訟はぜひとも当方で。ご相談、ご連絡はこちらまで」などと呼びかけている。全貌が手軽に分かりやすいので、事件に興味のある方には、むしろこちらの弁護士事務所のサイトをお勧めしたいくらいだ。

そういえば、こういう弁護士のことを英語では ambulance chaser という。「霊柩車の追っかけ」が起こした醜悪事件に、「救急車の追っかけ」が、ヨダレを垂らして群がっていく──。それも、どこやらアメリカン・ホラーではなかろうか。

「介護保険情報」2006年8月号
「世界の介護と医療の情報を読む」 ② 児玉真美
 P.82-83
2009.07.30 / Top↑
大変な遅ればせで、自分でも、このトロさはどうにかならないかとは思うのですが、
7月の上旬に某MLで勧められていた小松美彦氏の「臓器移植法改定 A案の本質とは何か」(「世界」8月号)を
今頃になって、やっと読みました。

その中の
「08年の米国では、脳死判定が行われて臓器摘出の準備に入った後に、
意識を“回復”した者まで存在する」と書かれている箇所で、
なんとなく覚えがあるような気がしたので、情けないけど自分のブログを検索してみたら、
2008年3月24日のニュースを4月3日のエントリーで書いていました。

以下に再掲。

Zach Dunlapさん(21)が交通事故にあい、
テキサスの病院で脳死を宣告されたのは去年11月19日のこと。

臓器提供に同意した家族がいよいよZachさんと最後の別れに臨んだ時に手足が動き、
ポケットナイフで足をなぞったりツメの間に押し付けたりすると反応を示した、と。

48日間後に退院を許され、現在自宅療養中。

Man Declared Dead Feels ‘Pretty Good’
Associated Press, March 24, 2008

3月24日にNBCテレビの番組に両親と共に出演した彼は
医師らが自分の死亡宣告をするのを聞いたことを覚えていると語り、
「動けなかったから、その時やりたかったことができなくてよかった」と。

「その時やりたかったこと」というのは医師らに掴みかかって生きていると言いたかったのかと問われて、
「たぶん窓が飛び散るくらいの激しさで掴みかかっていただろうね」

脳死状態の彼の脳のスキャンを見た父親の話でも
血流は全く見られなかったというのですが、
いまだに記憶には障害があるものの
テレビに出演してこれだけ筋の通った会話ができるところまで回復しているのは事実。

「本当にありがたいです。諦めないでいてくれたことがありがたいです」

Dunlapさんのこの言葉、
よくよく考えると恐ろしい言葉ではないでしょうか。

諦められて、
臓器を摘出するための医療に切り替えられて
死んでいく人が現実に沢山いるのだから。

その人たちがもしかしてDunlapさんと同じように
自分が脳死宣告される声を聞いた記憶を持ちつつ死んでいくのだとしたら……?

臓器を保存するための処置を(それはとりもなおさず自分を殺す処置になるわけですね)
医師らが始めようとする気配や会話が
もしかしてその人の最後の記憶になるのだとしたら……?

そんな孤独と絶望の中で死んでいくことが
ドナーになろうとの愛他的行為の見返りなのだとしたら
それはあまりにも酷い話では?

テレビ出演したZachさんのビデオがこちらに。


小松氏が「A案の本質」として以下のように結論されている部分、
まさに、その通りだと思う。

翻って棄民とは、雇い止め労働者やネットカフェ難民やホームレスだけではない。医療の中でも命の線引きがなされ、まず最弱者の脳死者が、次に種々の末期患者が、さらに植物状態やALSの患者、認知症老人、障害者などが、廃棄されようとしている。その法的突破口がA案なのである。
(p.53)

小松氏のこの文章が発表された数日後、
「国際水準の医療」を実現するべくA案は採決されました。

おそらくは「国際水準」として
医療による棄民が既にものすごい規模と勢いで進みつつある米国を念頭に──。
2009.07.30 / Top↑
米国小児科学会の倫理委員会(新会長は、Ashley事件の、あのDiekema医師)が
一定の条件下で、栄養と水分の医療による供給の差し控え・停止は
倫理的に許容される、適切である、との声明として
前会長と現会長の共著論文を学会誌に発表。

Forgoing Medically Provided Nutrition and Hydration in Children
Douglas S. Diekema, MD, MPH
Jeffrey R. Botkin, MD, MPH,
PEDIATRICS, published on line July 27, 2009

アブストラクトは曖昧なのですが、
以下の医療ニュースのサイトに詳細な記事がありました。

Withdrawing Nutrition from Children Ethical Within Limits
The Med Page Today, July 28, 2009/07/29

基本的には、一定の条件下で親が同意した場合にのみ、
医療的栄養と水分の供給を差し控え・中止することは倫理的に許される、と判断した、
困難事例や論議を呼びそうな決断では倫理コンサルテーションを勧める、
という内容なのですが、

しかし、その点は、さすがDiekema医師の作文とあって文言に非常に巧妙な操作が仕組まれているのか、
それとも、この記事の書き方の問題なのか、

「解釈次第で個々の議論はどういう方向にでも誘導できるのでは?」と思える点もあって気になります。

まず、栄養停止が最善とされるカテゴリーとして論文がリストアップしているのは

・中枢神経系の損傷または病気によって永続的植物状態にある子ども
・最小意識状態の子ども
・無脳症など神経系に重症の先天性奇形がある子ども
・緩和治療を施しても生き続けることが大きな苦痛と不快を伴うとみられるターミナルな病気
・重症の胃腸の形成不全または完全な腸機能不全に至る病気の乳児

しかし、具体的にこれら5つを挙げながら
別の箇所では以下のような記述もある。

「完全な腸機能不全の子どもは経管栄養で何年も生きるポテンシャルはあるが、
それでもなお、そのような生存の負担は利益を上回ると判断するのが正当であるという場合がある。
特に中央ラインが取れないとかその他の理由で治療が困難(合併症?)になっている場合には

永続的に意識がなく、周囲と相互にやり取りする能力を失った子どもからは、
医療的水分と栄養の提供を中止してもよい」

「栄養がひとえに死のプロセスを引き伸ばし病気を重くするだけである場合には
栄養の中止は適切でもある」

「意識がある乳児が、ターミナルではないが一定の重病による激しい苦痛に見舞われている場合も
栄養中止の検討対象となる」

「現在の小児科医療は、介入の倫理性判断に最善の利益基準を用いており、
その基準に基づいて、栄養と水分の継続が本人にとって
利益よりも負担の方が大きいと判断される状況はある」

その他、

親とガーディアンを意思決定に十分に参加させること、決定にはその同意が必要。

子どもが生きていることそのものが利益だと家族が考える場合には
それを理由に栄養を継続してもよい。

最小意識状態の判断は難しく、
障害に対する偏見によって不適切に影響されてはならない。

道徳的な意味で栄養中止を求めるということでは決してない。

……などの但し書きをつけながら、また一方で、

「栄養の継続によって、在宅ケアが可能なのに入院を強いられたり、
それが不快の原因となるケースもある」

(だから家に連れて帰って餓死させよう……と?)

「栄養と水分の中止が大きな苦痛を引き起こすとの
説得力のあるエビデンスはない」

(FENは、餓死を選ぶなら不快を避けるために
ホスピスで投薬と口腔ケアを受けるよう勧めています)

「研究では、経管栄養の中止による不快はほとんどないとされている」

(こういう時に漠然と studies を持ち出してくるのだって
決して説得力のあるエビデンスではないはずですが)

「成人の断食では、特にターミナルな病状の場合、エンドルフィンが出て幸福感をもたらし、
ケトンの生成で飢餓感が薄れ、思考がクリアになるとされる」

(それが、どうして子どもを餓死させることの正当化になるのだろう?)

さらに、ここのところは、当ブログが目下こだわっている問題なのですが、
小児科学会倫理委員会として、差し控え・停止は倫理的に許容されると判断するものの、
「合法性については、倫理性ほど確かではない」と。

連邦政府の児童虐待防止法(CAPTA)の規定では
ターミナルな病気または永続的なこん睡状態にある子どもからは
「適切な栄養、水分、投薬以外の治療」は中止しても良い、とされているとのこと。

栄養、水分、薬の中止ではなく、それ以外の中止、が認められているのです。
それは、とりもなおさず、栄養と水分の中止は虐待とみなされているということでしょう。

にもかかわらず、小児科学会倫理委は
それが子ども本人の利益になるなら栄養と水分の中止は「適切appropriate」だと主張するのです。

そして、この論文(声明)は、その「適切」の意味を定義しようと試みるものだから、
「その意味で、論文の提示するガイドラインはCAPTAと一貫している」、とも。

(それが、一体どういう“意味で”繋がるというのだろう?)

また、州レベルの法律や規定があるかもしれないので、
州ごとに小児科学会の支部が相談に乗る、としていますが、

連邦政府の児童虐待防止法に抵触する方針を堂々と出しておきながら
州レベルの法律や規定を問題にするとも思えない。

なにしろDiekema医師というのは、
Ashleyの子宮摘出の違法性が明らかになって病院が公式に認めた直後に
「法律上裁判所の命令が必要かどうかということは、その治療が正しいかどうかということとは別」と
平気で言い放った人物。

彼の背後には、小児科医療における「無益な治療」論の強力な提唱者で
医療の決断は医師がするもの。裁判所など無視してしまえ」との持論で
医師らに檄を飛ばす小児科倫理界の大ボス、恩師の Norman Fost がくっついている。

2人とも、Ashley事件と、その後の成長抑制療法一般化問題で
「障害に対する偏見」に基づいてものを言い続けている。



論文そのものを読んでいないから、なんとも言えないところもありますが、
この、妙にぬるぬるとした言葉の操作と、
本当は繋がらないものを無理やり繋げて言いくるめる論理の操作で
黒いものを白と言い抜けるヤリクチは、正にDiekema医師の真骨頂。

とんでもない権力と繋がっている可能性のある、とんでもない人が、
とんでもないポストについてくれたものです。


重症児を家庭で家族が介護したいなら成長抑制がありますよ。
家庭で介護できないなら、餓死させてあげるのが子どもにとって最善の利益。
エンドルフィンが出てハッピーに死ねるのだから心配しなくて大丈夫……。
それで社会のコストもカットできることだし……。

包囲網がどんどん狭まっていく──。




2009.07.30 / Top↑
英国看護学会が自殺幇助についての立場を反対から中立へとシフトしたことを受け、
医師や看護師・助産師の団体から、個々の医療職に向け警告の声が上がっています。



英国の医師の半数が加盟する the Medical Defence Union(医療弁護組合?)が
患者から自殺幇助について相談を受けても乗らないように、と
医師らに改めて警告を発しています。

自殺幇助が英国ではいまだ違法行為であること、
そのため患者との会話で自殺の方法を示唆したり
合法的に自殺できる国を教えたりすると、
犯罪を犯すことになる、と。

MDCの弁護士は
「ただのアドバイスであっても、自殺を幇助したとみなされると
犯罪として捜査を受けることになりかねないと我々は念を押しているのです。

仮に刑法上の罪に問われないとしても、
医療委員会GMCの方で医師の適性を問うべく調査を始める可能性もあります。

患者からそういう手伝いを求められたら、
その会話を続けず、我々に電話をかけて助言を求めるのがいいでしょう」



NMC Respond To RCN Decision ON Assisted Suicide, UK
The Medical News Today, July 28, 2009

こちらは英国看護中央委員会(NMC)からのプレス・リリース。

自殺幇助は重要な問題ではあるが、
NMCの主たる目的は患者の健康と幸福のセーフガードたること。

NMCはその法的義務によって
看護師・助産師は職業規基準と国家法の範囲内で仕事をするよう再確認を求める。

NMC幹部の Kathy George氏は
「RCNが立場を中立に変えたのだとしても
看護師・助産師は自分の行いに対しては個人としてのアカウンタビリティを問われるのだから
常に法にかなった行動をしなければなりません。
これは、職業基準に明確に書かれていること。
患者の自殺を幇助することは違法行為です」


2009.07.29 / Top↑
病院で死んだ我が子の遺体から無断で臓器が摘出されていることに
アイルランドの親たちが気づき、政府に調査を求めて行動を起こしたのは2000年。

このたび、患者の死後の処置に関する全国の病院への監査が終了し、
報告書がまとめられています。
まさに驚愕の内容。

アイルランドの36の病院と5つの大学病院とで
遺族に無断で死亡患者から取り出された可能性のある臓器が保存されており、
その総数、約2万1500。

しかも、そのうちの2274件は2000年以降のもの。

2000年以降の臓器の半数は the Rotunda Hospital が保管しているもので、

特に産科における、同意方針の脆弱、リーフレットでの情報誘導、
臓器や組織に敬意を払って埋葬する指示の不備など、
同病院は報告書で激しく非難された。

同病院の病院長は謝罪し、
2008年の監査以降、2度とこういうことが起こらぬよう改善を進めてきた、と。

同病院の改善の努力は報告書も認めているが、
保健子ども大臣 Mary Harney氏は

「医療サービスに求められるスタンダードの中核には
患者の安全と医療の質の保証、そしてオープンなコミュニケーションという文化が
なければならないという私の信条を、この報告書には再確認させられます」などと語り、

そうした文化を医療サービス全般に涵養すべく、
患者の安全と質の確保コミッションにさらに対象を広げた報告を出させることや
新たな規制を秋にも政府に提言することを考えている、と。

‘Thousands of organs’ being kept
Yahoo! UK & Ireland News, July 23, 2009/07/29



ずっと前に、確か
ベトナム戦争で使用された枯葉剤の影響で奇形が生じた胎児・新生児だと思うのだけど、
ものすごい数のホルマリン漬けの遺体が保管されている部屋の写真を
どこかメジャーな新聞の記事で見たことを思い出したのですが、

どうもエントリーとしては書いてないらしくて、
またウェブでのざっとした検索でも、すぐには見つかりませんでした。

その代わりにヒットしたのが、こちらの去年2月のエルサレムでのニュース。
これも、相当な話です。


エルサレムの墓地入り口に捨てられたバケツの中で胎児の遺体が見つかった。

自分で生んだ母親によって捨てられたものと当初は考えられたが
病院に運んで解剖し、その過程で両親が判明してみると、
なんと11年も前に出産途上で亡くなった赤ん坊の遺体だと判明。

両親は、当時、病院に遺体の埋葬を依頼しており、

病院が両親に無断で11年間も遺体をホルマリンに漬けて保管し、
研究利用していたものと思われる。

病院側は疑惑を否定。
また墓地に遺体を捨てたのが誰かも、この時点では不明。

保健省が調査に入る、とのニュース。
2009.07.29 / Top↑
「我々は詳細な事実を知らないまま、自殺幇助の一線を曖昧にし、まるで夢遊病者のように一歩一歩野蛮な行いへと誘導されていく」「万人が漠然と持っている不安や恐怖が、法改正の動きを作るのに利用されている」と、Daily MailにMelanie Philipsのエッセイ。:まったく同意。
http://www.dailymail.co.uk/debate/blogs/article-1202380/MELANIE-PHILLIPS-Step-step-sleepwalking-barbarism-blur-boundaries-assisted-suicide.html

自殺幇助合法化法案が議会に提出されたり、ケベックの医師会が合法化支持を提言したり、騒がしくなっているカナダでも、英国の著名指揮者夫妻のDignitasでの“幇助心中”は論議を呼んでいるらしい。「ロマンチックな行い」、「手に手を取って」。
http://www.vancouversun.com/news/British+couple+assisted+suicide+raises+controversy/1795792/story.html

ブッシュ政権時代に隠蔽されていた米国スパイ衛星による地球温暖化の証拠写真をオバマ政権が公開。1年間で大幅に後退した北極の氷。
http://www.guardian.co.uk/environment/2009/jul/26/climate-change-obama-administration

マイケル・ジャクソンは強力な薬物を注射され「お抱え医師によって殺された」と検視官が結論。
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/world/us_and_americas/article6729930.ece?&EMC-Bltn=AALD4B

乳製品を沢山摂取する子どもは寿命が長い。:BBCって、こういうニュースが多いような気がする。好きなのかな。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8170002.stm
2009.07.28 / Top↑
Ashley事件から、医療と法の関係というのが、よく分からないままでいる。

分からないまま、このブログを通じて
“科学とテクノによる簡単解決万歳”文化が世界中を席巻していく有様を眺めていたら、
医学を含めた科学とテクノと法の関係というのも気になっている。

知らないことだらけで、どこを取っ掛かりにしていいか分からないので
とりあえず見つけた位田隆一氏の論文を元に考えてみたのが、こちらのエントリー。


また、米国の医療がその専門性を盾に法の束縛から自らを切り離そうとする際に
その正当化の装置として機能しているのが病院内倫理委員会なのでは……?
というのも、ずっと引っかかっている。

当ブログの発想は、ことごとくAshley事件を原点としているもので
いつもこの事件を引き合いに出して申し訳ないのですが、

Ashley事件では、
QOLの維持向上や介護負担の軽減目的で重症児の体を侵襲することついて
主として「倫理委員会が認めたのだから」との正当化が繰り返されました。

しかし、そのAshley事件こそ、当ブログの検証によれば
病院内倫理委員会の政治的な脆弱性の象徴のようでもあって……。

施設内倫理審査会(IRB)のような法的な位置づけを欠き
いまだに米国内でも設置状況や活動内容・レベルにバラツキが指摘されている、
病院内の(つまり、ある意味で私的な)倫理委員会の判断が、
どうして法や社会規範を超えることの正当化になるのか、

ここのところが、ずううううっと納得できないで、引っかかりになっている。

そしたら、上記の位田教授の論文のすぐ後に、
米村滋人・東北大学準教授が書いておられる論文が目に留まった。

「医学研究における被験者意思と倫理委員会 - 生体試料提供の諸問題に着目して」
ジュリスト No 1339、2007・8・1・15

研究被験者による生体試料提供に文脈が限定されているし、
もちろん、この論文は日本のものだけど、

倫理委員会の問題点の指摘として、例えば

急増した倫理委員会の質を担保するには組織論的検討も必要ではあろうが、いかに見識の高い委員による公正かつ真摯な討議がなされても「倫理性」判断を半ば白紙委任することは結論の合理性・安定性確保の上で問題が大きく、実態的判断基準の明確化があわせて追求される必要があろう。(P. 11)

……特に、倫理委員会の機能ないし権限が被験者意思といかなる関係に立つかは制度設計に際し極めて重要であり、被験者に同意能力がない場合や「代諾」権者との利益相反状態が存する場合の倫理委員会の権限を決するには、両者の機能に関する大枠の制度設計が明らかにならなければならない。(p.11-12)

このように、臨床指針は私法的観点からの不備が著しいが、翻って考えると、これは結局、従来の学説が生体試料をめぐる法律関係の緻密な分析を怠ってきたことに起因するとも考え得る。(P.13)

最後に、「倫理問題」を法律問題として分析することの重要性を強調したい。ヘルシンキ条約や近時の行政指針は一般に「倫理指針」と位置づけられているが、一定のルールとして機能させる以上は、国家法との矛盾・抵触が放置されてはならない。既存法の中にも複雑な利益状況に対応すべく発達した様々な法制度や考え方が存在し、そのような既存法の「知恵」を活用しつつ当該事案の特殊性に基づく必要な訂正を行うことは、問題解決の妥当性や安定性を確保する上でも重要である。(P.17)
(ゴチックはspitzibara)


まさに、Ashley事件がそうで、
親が希望した医療介入の倫理性の検討は倫理委員会に白紙委任された。

そして、その倫理委は、裁判所の命令を義務付けた州法を丸無視した。

それでも、世論はそのことを大して問題にせず、
この問題を法とは無関係な倫理問題であるかのように捉え、
また単に愛情の問題であるかのようにも扱った。

さらにDiekema医師らは今回の成長抑制論文では、
明確に裁判所の介入を否定し、病院内倫理委に“白紙委任で十分”、と主張している。


「倫理問題」はもっと法律問題として分析されなければならない──。

医療を含む科学とテクノは
既存法の文言や既存法がかけている規制だけではなく、
そこに具現された理念・精神、目指そうとする方向性を
もう少し謙虚に尊重するべきなんじゃないのだろうか。

例えば知的障害者の不妊手術を禁じる州法の文言だけでなく精神を尊重すれば
WPASが主張するように、子宮摘出だけでなく乳房芽の切除も成長抑制も
自己決定能力のない知的障害者の体への侵襲であると捉えることが
州法の精神の方向性にかなっているはずだと思うし、

そういう意識が、
国会議員を中心に今回の日本の臓器移植法改正議論に加わった人たちにもう少しあったら、
あれだけの濃密な議論を重ねて作られた現行法に込められた精神と願いを
あんな拙速な議論で無に帰してしまうような採決もありえなかったはずだと思うのだけど、

もしかしたら、米村氏の言うように、既存法がそうした社会の知恵の集積であるからこそ、
科学とテクノの世界の論理は、法の拘束から逃れようとしているのだろうか。

ちょっと前に、ある人から「法の歴史性」という言葉を教えてもらった時に、
その「法の歴史性」こそ、人間の社会が集積してきた「知恵」というものではないのか、と思った。

それは、反転すれば、
これまでずっとトランスヒューマニストや科学とテクノ万歳文化に対して、
「この人たちって知能と知識だけで、知恵ってものがない……」と感じてきたことに繋がる。

もしも“科学とテクノ万能”文化が
「これからは科学とテクノで何でも可能になる!
みんな科学とテクノでもっと快適で健康で優秀でハッピーになろう!
だから、その実現こそ、何者にも優先するべき価値!
科学とテクノの恩恵にあずかるかどうかは自己選択!
みんな、あれもこれも個人の幸福追求権!
法も含めて、他人が口を出すことじゃない!」と
我々一般の無知な大衆に向かって説いているのだとしたら、

それは、もしかしたら
「さぁ、人類が長い歴史を経て集積してきた知恵を、みんなで、かなぐり捨てよう」と
説いているのに等しいのかもしれない。

でも、その人類の知恵には、
合理で説明がつかないものに価値を見出し尊重し、
それに対して畏怖・畏敬の念を持ち続けることも含まれているし、

そういう知恵こそが人間がこれまでの長い歴史の中で築き上げてきた
文化というものの基盤であり厚みのような気がする。

科学とテクノはあくまでも文化の一部であって、
文化が科学とテクノの一部をなしているわけではないのだけど、

どうも科学とテクノの人には、
そこが逆転して捉えられているのではないだろうか。

自分たちの閉じた世界と、その外の一般の世界との広さの違いについて、
とても大きな誤解があるのではないだろうか。

だからこそ、外の、もっと広い世界にいる我々無知な一般大衆の方は
その2つの広さ・大きさの違いについて揺るがぬ認識を持っていることが
今とても大切なんじゃないだろうか……と、この頃、考えてみるのだけれど。




ちなみに米国の倫理委員会を含む倫理コンサルティングの実態調査は
2007年2月にこちらの論文で報告されています。
ばらつき大。課題多数。

2009.07.28 / Top↑
7月19日のエントリー
2007年に末期がんのパートナーに付き添ってスイスへ行き、
彼がDignitasで自殺するのを見ていたとして
Alan Cutlkelvin Rees氏が逮捕されたニュースを取り上げましたが、

その続報が出ており、
この事件、妙な展開を見せてきました。

当時 Raymond Cutkelvin氏の自殺の費用は
GPのMichael Irwin医師(既に引退)が出したというのです。

それだけでなく、その時の小切手の写しや前後の日記も証拠として提出するから
自分を逮捕しろ、と、Irwin医師は名乗り出ているのです。

狙いは言うまでもなく
英国で急激な高まりを見せている自殺幇助合法化議論への影響。

Irwin医師は2003年にも癌患者の自殺幇助で警察の取調べを受けており、
その他にも、証拠不十分で不起訴とはなったものの、
重症のmultiple system atrophy の患者がDignitasで自殺した際にも
その患者さんをチューリッヒまで伴ったとして取調べを受けています。

スコットランド・ヤードは金曜日にもCutkelvin氏の件で同医師に質問を行うとしていますが、
同医師は今後6ヶ月以内に、別のターミナルな患者の自殺も手伝うと明言も。

Doctor who paid for patient’s suicide wants to be arrested
The London Evening Standard, July 28, 2009


なにやら英国中が自殺幇助合法化の問題で沸騰しているかのごとし。

合法化ロビーが、手を緩めることなく次々に激しい攻勢をかけている――。



【8月3日追記】

この医師は希望通りに逮捕されたようです。

Doctor held for assisted suicide
The Gulf Times, August 2, 2009
2009.07.28 / Top↑
これまで当ブログでもニュースを拾ってきましたが、
スコットランドではパーキンソン病を患っている Margo MacDonald 議員が
秋にも自殺幇助合法化法案を提出するべく準備を進めています。

2004年から自殺幇助には反対としてきたスタンスを中立に切り替えたことを
先週末に発表したばかりの英国看護学会が、そのMacDonald議員と会談する、とのニュース。

土曜日の記事では看護学会の幹部が
立場を中立にシフトしたからといって自殺幇助を提唱するわけではないと語っていましたが、

しかし、その直後に、あからさまに、こうした動きを見せるのでは、
その言葉、俄かには信じがたくなってしまう……。



2009.07.28 / Top↑
2005年に提供者の匿名制が廃止されたことと
金銭の支払いは上限250ポンドの必要経費のみと定めた2006年の厳格なルールとによって
2006年に卵子の提供を受けた不妊治療の件数は2004年の件数の30%もダウンし
生殖補助医療の危機を招いて、

英国の不妊夫婦が生殖補助医療を求めて海外へ渡航する“生殖ツーリズム”を引き起こしている。

この事態を解消するためには2006年ルールを見直し、
卵子のドナーに金銭支払いを認めるべきだ、と
ヒト受精・胚機構(HFEA)のLisa Jardine教授がTimesに語った。

法律的には配偶子と胚は既に法的にその他の臓器とは別の扱いとなっているので、
腎臓のような臓器売買の心配はない、と教授は主張するが、
米国、スペイン、ロシアなど、金銭支払いが認められている国では
女性が借金返済や学費のために卵子を売る例が多く、女性への搾取に繋がるとの懸念も。

また、卵子の提供には女性の体への侵襲とリスクを伴うため、
倫理問題についても論議を呼びそうな気配。


つい先ごろ、日本でもしきりに振り回された論法ですが、

移植医療では“臓器不足”――。
生殖補助医療では“卵子不足”――。

それらを“不足”と捉えるのは、本当は、
その医療の専門性という、とても小さく閉じた世界にいる人たちだけの感覚なんじゃないのだろうか、

その世界の外側の、もっと広い一般社会にいる我々は
本来はそんな感覚を共有してなど、いないのではないのだろうか、

いつのまにか共有しているように錯覚している、
もしくは、いつのまにか錯覚させられているだけじゃないのだろうか……ということを
先の衆参両議院での臓器移植法改正議論の時から、ずっと考えている。


【関連エントリー】
精子250㌦、卵子1000㌦で、どう?(2008/5/26)
2009.07.27 / Top↑
英国看護学会が自殺幇助に中立へとシフトしたことに対して、キリスト教徒のナースの団体から批判。3ヶ月間の意見聴取に応じたのは会員のうちのごくわずかであり、必ずしもマジョリティが賛成したわけではないのに、中立に立場を変更することは弱者に対して誤ったメッセージを送ることになる、と。
http://www.guardian.co.uk/society/2009/jul/26/assisted-suicide-christian-nurses-rcn

英国の獣医で比較医学の専門家が、2006年にすい臓がんで妻を亡くした体験について語っている。すい臓がんだと分かった時に、夫である自分の職業を利用して妻の自殺幇助も考えたし、そろって自殺することも考えたが、結果的には実行には移さなかった。しかし妻の最期は悲惨だった。どんなに緩和ケアが充実しても、死の苦痛を完全にコントロールすることは不可能だ、動物たちは、それほど悲惨でない状態でも安楽死させてもらっているのに、と。
http://www.timesonline.co.uk/tol/life_and_style/health/article6726970.ece

人工知能A.I.の開発が進むことによって、ロボットが人間の制御を超えた能力を持つリスクが問題になりつつある。自らの意思によって殺人を犯すロボット。制御不能なコンピューター・ウィルスなど。:トランスヒューマニストの大物 Nick Bostrumが科学とテクノの発展によって起きてくる人間の存在を脅かすリスクについて書いた論文の中でも、これは触れられていた。
http://www.nytimes.com/2009/07/26/science/26robot.html?_r=1&th&emc=th

医療制度改革以前に、プライマリー・ケアのドクターとナースの不足を解消しなければ。医学部卒業生の多くが、実入りの良い専門医を目指す。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/158694.php

Obama大統領の医療改革案Obama Care が終末期医療に関して盛り込んでいる内容。
http://www.forbes.com/2009/07/24/obamacare-medicare-death-business-healthcare-obamacare.html
2009.07.26 / Top↑
2月にFENの違法な自殺幇助が問題になって以来、
そういえば、この人たちの話はどうなったんだろう……と時々頭に浮かんでいたのが、
去年、以下の2つのエントリーでとりあげたように
“闇の安楽死”をビジネスにする米国人2人。


1人は、
C&Cの前身であるHemlock Societyの創設者で自殺指南書“Final Exit”の著者、Derek Humphryですら
批判的に眺めているというほど、えげつない遣り口の“闇の安楽死”手配師、牧師のExoo。

もう1人は、この2本の記事の段階ではSusanという仮名だったExooの助手の女性。

上記2つのエントリーのうち後者で取り上げのは
SusanがNZのウツ病女性とインターネットで知り合い、
ビジネスとして1万2千ドルで請け負ってNZに飛んで自殺を幇助した、という事件でした。

この事件に関して、
NZ当局がこうした事件で初めて起訴に踏み切る模様、とのニュースが出てきました。

去年Susanとだけ報じられていた女性は
North Carolina在住の Susan Wilson またの名を Casssandra Mae。

彼女の幇助を受けて2007年8月に自殺したとされるのは
NZ、AucklandのAudrey Wallis(49)。

しかし、Susanの師であるExooが
2002年にアイルランドで女性の自殺を幇助した罪で
14年の懲役を言い渡されたにも関わらず、
いまだに身柄の引渡しが実現していないことからしても

今回もSusanのNZへの身柄引き渡しは実現しない可能性が高いと警察は見ている。

今回のニュースを受けて The Star-Times紙が
米国の本人に電話でインタビューを行ったところ
「何も聞かないから終わったことだとばかり思っていた。もう何も覚えていない」といい、
友達になったから遊びにいっただけだと容疑を否定したとのこと。

以前のインタビューと今回とで彼女が話した内容としては、

心理学の博士号をもっていて自殺したい人々のカウンセリングをしていたこと、
また、これまでに他人の自殺の現場に居合わせたことがあるが、
その人数は5人以下で、すべて米国内であること、
しかし現在は安楽死とは関わっていないこと、
Exoo師とも関係を断っていることなど。

2009.07.26 / Top↑
5月にこちらのエントリーでお知らせしたように、
英国看護学会は、自殺幇助合法化について、かねて会員の意見募集を行っていましたが、

3ヶ月間にわたるコンサルテーションで1200人からの意見が集まり、
49%が自殺幇助に賛成、40%が反対だった、とのこと。

特に弱者の擁護についての懸念と、
終末期医療にもっと資金が投入されることを求める声が多かった。

会員数は40万人。

そこで金曜日に役員が投票を行い、
これまで反対としてきた自殺幇助に関するスタンスを中立に変更することを決定。

今後、会員向けにガイダンスを作り、
患者からの相談に対応するだけで自殺幇助をそそのかしているように感じる
プレッシャーを会員が受けることがないよう
自殺幇助の法規制や倫理問題、臨床での枠組みなどについて
詳細に解説する、としている。

Chief Executive の Dr. Peter Carterは
自殺幇助は複雑な問題で会員の意見も分かれている。
今回、中立の立場にシフトしたのは
現場の看護師が患者と自殺幇助について話をしやすく、との配慮、と。

また
「中立にシフトしたからといって誤解しないでもらいたいが
看護学会は自殺幇助を提唱するわけではない」とも。

RCN neutral on assisted suicide
The BBC, July 25, 2009


ちなみに、英国医師会は7月上旬に
自殺幇助合法化に反対のスタンスを確認しています。


【27日追記】

看護学会の立場変更を受け、
閣僚たちから「看護師のスタンスが変わったからといって、
自殺幇助がいまだ違法行為であることは変わらない」と警告が発せられています。

2009.07.25 / Top↑
Times紙がPopulusを通じて行った世論調査で
7月17日から19日の間に18歳以上の1504人にランダムに
自殺幇助に関する聞き取り調査を行った。


・ ターミナルな病状の人は医師によって幇助してもらって死なせてあげてほしいとする人が74%も。

・ 自殺幇助合法化を支持する人のうち95%がターミナルな人の自殺幇助を支持。

・ 一方、自殺幇助合法化を支持する人のうち、
 “重症の身体障害”はあるものの、それ以外は健康な人の自殺幇助については
  支持した人は48%のみだった。

・ また、合法化を支持する人のうち、認知症など、
 ターミナルではないが進行性の病気の人の自殺幇助を支持した人は3分の2強。

・ 合法化を支持する人のうち、激しい苦痛のある人の自殺幇助に賛成した人は56%。

・ なお回答者のうち、ターミナルな人の配偶者またはパートナーの自殺幇助に
賛成した人は3分の1のみだった。


かねてより、海外での自殺幇助に付き添う行為を違法としないよう
法の明確化を求めていたMS患者のDebbey Purdyさんを始め、
自殺幇助合法化に向けて運動してきた人たちは、この結果を
世間一般の人が、ちゃんと病状ごとに区別をして安楽死を考えている証左であり
したがって反対の立場が主張する「すべり坂」の懸念を否定するものだ、と。

反対の立場からのコメントは、
緩和ケアが不十分な現状が放置されたまま、
緩和ケアの可能性を知らない人たちが自殺幇助を考えさせられている、と。




しかし……

「ターミナルではないが認知症など進行性の(degenerative)病気」って
それは一体どういう設問の仕方ですか?

その一方で、
「重度の身体障害はあるにせよ、それ以外は健康な人」について問うとは
一体、それはどういう了見ですか?

それは、つまり、
設問段階で「認知障害と身体障害は別」という線引きを
アンケートを実施する側が予め行っていたということ以外のなんでもない。

しかも、さりげなく認知症と身体障害だけを持ち出して、
それは、もしかしたら「認知症など」の側に知的障害もなんとなく含める作為?

それで「ほらね。世間の人はちゃんと障害像によって区別して安楽死を考えている」なんて、
ったく、よく言うよ。

それに加えて、
「身体障害はあるものの、それ以外は健康な人」についての「48%のみ」って……、
それは48%もが「健康だけど体の不自由な人が死にたければ死なせてあげよう」と言ってるのであり、

「ターミナルな人の配偶者の自殺幇助に賛成したのは、3分の1のみだった」も
本当は「3分の1もが」賛成した、ということであり、

それは、どちらも、既に「すべり坂」が起きているってことでしょーが。


この調査そのものが、
Debby Purdyさんの訴訟を受けて上院議会で審議された
法改正案が否決されたことに対する合法化アドボケイト・ロビーの反撃としか思えない。

しかも、その調査のタイミングは17日から19日と、
著名な指揮者夫妻のDignitasでの“幇助心中”
メディアによってセンチメンタルに美化されて、
ここぞとばかりに合法化アドボケイトが議論を盛り上げている最中とくる。

今回の法改正案は
どうせ海外での幇助自殺に付き添う人の行為を合法化しましょうというに過ぎないのだから、

それが否決されたのなら、
いよいよ本丸の自殺幇助そのものの合法化へ向けて、まっしぐら……と。

これから、さぞロビー活動が激しくなることでしょう。
2009.07.25 / Top↑
米国で消費される抗生剤の7割が家畜に用いられている。しかも長期に。その人間への害に、やっと目が向けられ始めたらしい。:このブログをはじめてから、スーパーで安売りの肉がアメリカ産だったら、そのきれいな肉の中にぶっこまれている大量の薬物のことを想像してしまって、手が出ない。
http://www.nytimes.com/2009/07/24/opinion/24fr3.html?_r=1&th&emc=th

英国の有害ごみがブラジルに投棄された事件で英国環境相が3人を逮捕。
http://timesonline-emails.co.uk/go.asp?/bTNL001/mEGOF3B/qNY6O3B/uM9ZZ6/xTO273B

なんで、一国の首相と売春婦がセックスしているところが録音されたりするんだろう? 何がどうなったら、そんなことがテクニカルに可能なんだろう? 恐ろしい世の中だ。
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/world/europe/article6724839.ece?&EMC-Bltn=EGOF3B

中国の研究者がヒトの胚性幹細胞に匹敵する細胞を使って、マウスを作った。胚性幹細胞研究の倫理問題は回避できるかもしれないが、その一方でクローニングとデザイナー・ベビーの懸念。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/07/23/AR2009072301786.html

日本のニュースでもやっていたけど、ケンブリッジで黒人大学教授が不審者と間違えられて逮捕された件でObama大統領が「バカなことを」と発言して、警官の反発を招き、論争になっている。
http://www.nytimes.com/2009/07/24/opinion/24fri4.html?th&emc=th

クルーグマン教授による、Obama大統領医療改革への援護射撃。医療費削減と医療アクセス拡大は、2者択一じゃない。両方やるか、どっちもできないか。思いやりとコスト効率とは両立できる。:ふ~ん。そうなの? クルーグマンさんが言っているのは、今のまま民間任せで保険料がうなぎのぼり、無保険者が増える一方という事態を放置してちゃ、どうにもならないでしょ、と共和党の抵抗に対する援護射撃ということのようでもあるけど。
http://www.nytimes.com/2009/07/24/opinion/24krugman.html?th&emc=th
2009.07.24 / Top↑
今回の臓器移植改正法の成立は
これまで障害児・者を巡って英語圏の医療で起こっていることを追いかけてきた私には
日本でもこれを境に、そちらに向かう「すべり坂」が始まるぞ、とのメッセージとして響きました。

それで、そういうことを、あれこれ考えていたら、

今年の5月1日「世界中で障害者差別反対のブログを書く日」に参加した際に
七転八倒しつつ英語でやっているブログの方に書いたAshley事件についての文章を
日本語にして、こちらにもアップしたくなった。

タイトルは
The damage the Ashley case has done and damages it can still do
(Ashleyケースが犯した、取り返しの付かない害悪。
これから先に、まだ犯しかねない、更なる害悪)

適当に抜いたり、まとめたりしながら、ほぼ全文を以下に。

もう2年以上、Ashley事件を追いかけている。

Ashley事件を機に、
障害児・者の医療をめぐる、その他の事件も気にかかるようになった。

そうして
Emilio Gonzales, Ruben Navarro, Sam Bolubchuk, Kaylee Wallace, Annie Farlow ほか、
障害があることを理由に医療によって見捨てられ、
命の切捨ての対象にされた多くの人々の事件を知った。

この2年以上に起こった、それら多くの事件を経て改めて振り返る時、
Ashley事件はその後に加速化する障害児・者軽視・切捨ての前触れとして
非常に象徴的な事件だったのだ、ということを思う。

Ashley事件が犯した罪の最たるものの1つは
障害者の中に明確な線引きをしたことだ。

Ashleyの父親とDiekema医師、擁護に登場したFost医師らは
重症重複障害のあるAshleyは他の障害者とは違うのだと主張し続けた。
そうして、彼らは障害者を、尊厳を尊重すべきグループと、尊厳など考慮する必要の無いグループとに分け、
両者の間にくっきりとした線引きを行ったのだ。

Ashleyケースの報道で、その線引きと、その正当化の理屈に初めて出くわした時、
賛否いずれの立場で受け止めたかはともかく、世界中の人が衝撃を受けた。

しかし、数ヵ月後にKatie Thorpe事件で同じ正当化が行われた時には
もはや人々は、さほどの衝撃は受けなかった。
Ashleyケースによって、既に線が引かれていたからだ。

あれから2年。Ashleyケースによって行われた線引きが
現在の無益な治療論や自殺幇助合法化論での線引きにぴたりと重なることに
私は薄気味悪いものを覚えている。

成長抑制も無益な治療論も自殺幇助合法化も選択的中絶も着床・出生前遺伝子診断も、
それぞれに個別の議論かもしれないけれど、それらはすべて、
世の中の人々が障害や障害者に向けるまなざしに
大きなマイナスの影響を及ぼしている。

その結果、脳死と永続的植物状態の間の線が曖昧になり、
永続的植物状態と重症の認知障害との間の線が曖昧になり、
それらを区別して引かれていた線は、互いにどんどん近づいていく。

そして、いまや
その人が本当はどういう状態なのかという実像には
誰も興味などないのでは……と、私には背筋が冷える。

「赤ん坊と同じ」「悲惨な」「耐え難い」「ただ寝ているしか」「自分でトイレにすら行けない」
などなどのレッテルが貼られてしまったら、
もはや、その人が具体的にどういう障害像の人なのかが問われることはない。

医師か家族が特定の人について死んだほうがいいと決めてしまったら、
それだけで本当に殺してもかまわないかのように。

まるで、障害者を2つに分ける、この線の向こう側にいる人たちには
何をしたっていいことになったかのように。

2007年のAshley療法論争の時、1月12日のラリー・キング・ライブで
障害当事者の活動家 Joni Tadaさんは言った。

忘れないでもらいたいのだけど、
もしも障害者から適切なケアを引き上げて
その代わりに体の一部を外科手術で取り除けば
それでコスト削減できると、その方法さえ見つければ
社会はそれをやるのだから。

障害者を犠牲にしてマジョリティの便利を優先させる機会さえあれば、
社会はそれをやるのだから。

Ashley療法論争の初期に、誰かが既にこんな警告を発していたことに私は驚く。
そして、彼女の言葉が今まさに現実となりつつあることに、ぞっとする。

しかし、Ashley事件に関してだけいえば、
その他の動きと違う事情があるはずだ。
2004年にAshleyケースを検討した際、
医師らはそれが間違っていることを承知していたはずなのだから。
そうでなければ2年間も隠蔽しなかったはずだ。
そうでなければ、言うことがもっと一貫していたはずだ。

彼らは今さらに成長抑制を一般化しようとしている。
障害者の間に線引きをするという、すでに取り返しの付かない害をなしたこと、
一般化によって、さらに取り返しの付かない害を追加していることを振り返って、
忸怩とした思いをしている人は本当にいないのだろうか。

誰でもいい。
子ども病院の誰かでも、WPASの関係者でも、メディアでも。
真実を知っている人がいるはずなのだから、その中の誰かが
どうか名乗り出て、真実を語り、
既に行われてしまった線引きの害悪を
少しでも修復してもらえないだろうか。

誰でもいいから、誰か。どうか。
2009.07.24 / Top↑
以下の The United States International Council on Disabilities(USICD) のリリースによると、

Obama大統領は大統領選挙での公約どおり、
24日にホワイトハウスで国連障害者人権条約(DRPD)に署名すると
月曜日に発表したとのこと。

大統領の署名後、上院議会で批准に向けた検討・協議が行われることに。

USICDのメンバーで米国障害者法(ADA)の著者でもあるTony Coehio氏は
ちょうどADA法が成立して19年目の記念の週は署名にふさわしいと。

USICのExecutive DirectorであるDavid Morrissey 氏は
「アメリカ社会に障害者の完全な平等、アクセス、インクルージョンを求める運動にとって
これは歴史的な日である」と。



このように国際的に進んでいるように見える障害者の人権を確認する動きが

その一方で着実に進んでいるとして思えない医療における障害者の切捨てと、
そして、その動きに主導されて社会全体に共有されていく
「障害のある生はQOLが低すぎて生きるに値しない」との価値判断とに、
果たして何らかの形で繋がっていくのか、
繋がっていくとしたら、どういう形で影響していくのか、

それとも、それはそれ、これはこれ、というふうに
両者はそれぞれ無関係に、断絶したままなのか……。

例えば、Obama大統領が進めようとしている医療改革
功利主義のコスト効率による配給医療が導入された場合に、
重症障害者はそれによって切り捨てられることになるのだろうけれど、
それは障害者が医療を受ける権利を侵害することにはならないのか。

それとも、いや、もしかしたら、だからこそ、その2つを整合する方策として、
「QOLが低い生は生きるに値しない」という認識の共有が急がれているのだろうか。

「重い障害のある人の生は苦しいばかりで生きるに値しないから
治療を停止して死なせてあげるのが本人の最残の利益」だという
米国のリベラルな生命倫理お得意の「最善の利益」論が社会に共有されていけば
それはもはや医療を受ける権利の侵害とは見なされなくなる。

あ、もしかしたら、
「尊厳」を生命倫理の議論から排斥しようとするのも、
こうした国際的な人権擁護の動きから、科学とテクノをより遠くに引き離す試みの1つだったりして……?


【追記】
その後、ライス国連大使によって30日に署名されたようです。

2009.07.24 / Top↑
ついに出た。IHMEがかねて出すと言っていたグローバル・ヘルスの“成績表”。Financing Grobal Health 2009: Tracking Development Assistance for Health. これはゲイツ財団の資金でやられている研究なのだということを忘れないでおこう。
http://www.healthmetricsandevaluation.org/resources/policyreports/2009/financing_global_health_0709.html

NYで自己啓発の講師らしきJeff Lockerという人が殺された事件で、逮捕された男は「保険金のために殺してくれと頼まれた」と自殺幇助を主張。殺しておいて自殺幇助だといい逃れる人がこれから多くなるのだろう。C&Cを始め、死の自己決定権アドボケイト、責任を感じよ。
http://www.nydailynews.com/news/ny_crime/2009/07/22/2009-07-22_cops_arrest_manhattan_man_in_murder_of_long_island_motivational_speaker_jeffrey_.html
http://wcbstv.com/topstories/motivational.speaker.killed.2.1096988.html

米国の子どもたちの鬱病の兆候チェックは小2で?
http://www.medicalnewstoday.com/articles/158428.php

米国メディケアで中絶の支払いが認められるのは、レイプと近親相姦、それから女性の生命の危険がある場合のみなのだけれど、州によっては貧困層の女性にはそれ以外のケースでも支払われている。で、中絶費用は誰が支払うの? と。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/07/22/AR2009072201802.html

豚インフルで、健康問題のなかった6歳の女児が死亡。バクテリア感染も併発して、死因は敗血症だった。英国での犠牲者としては30人目。豚インフルの子どもへの影響に懸念。
http://timesonline-emails.co.uk/go.asp?/bTNL001/mOQXA3B/q6HOS3B/uM9ZZ6/x0YTB3B

英国政府のキャンペーンにも関わらず、都会でのナイフによる犯罪が相変わらず増加している。:考えてみれば、日本でも同じことが起こっているのか……?
http://www.guardian.co.uk/uk/2009/jul/22/knife-crime-deaths-rise

簡単レシピ100選。2番と3番、やってみたい。トマトだけを1時間もオーブンでゆっくり焼く……それ自体が贅沢。うまそ。
http://www.guardian.co.uk/lifeandstyle/2009/jul/19/easy-quick-recipes

妊婦の唾液に含まれるプロジェストロンのレベルが低いと早産の可能性が高い? リスクが高い妊婦にステロイドを投与すると、胎児の肺の発達をうながし、障害や死産を防げる。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8159547.stm

人造の脳が10年くらい後にはできるんだそうな。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/technology/8164060.stm
2009.07.23 / Top↑
連休最後の月曜日の夜。
夕食後に娘を園(重症心身障害児施設)に送っていった。

この時間はもう、みんな、それぞれベッドに入っている。
スタッフは順番におむつ交換をして回っていて大忙しの時間。

娘をベッドに寝かせ、オムツを替えていると
担当の福祉職Aさん(看護と福祉それぞれ1人ずつ担当者が決まっている)が来た。

「お帰りなさい。連休はいかがでしたか」
「お天気が悪くてねー。外へ出られなかったので……」てな話をしていると、
娘は首をひねり、Aさんに何かを訴え始めた。

「あー、あー」と不自由な体で一生懸命に、にじり寄っていく姿は
いかにも「親に言っても仕方がないのよ、Aさん、オネガイ」と訴えている。

「え? なに? テレビが気に入らないの? チャンネル替える?」とAさん。
「うーん。うーンン」
「違うの? あ、もしかして、テレビじゃなくてDVDにしろ?」
娘の顔はそこで「ピンポーン!」と輝く。

「ああ、そうか。じゃぁ……ポニョにする?」
今度は「やったぁ!」と全身が弾み、
拘縮予防にクッションをはさんだ両足が喜んでキョンキョン跳ねた。

そういえば、さっき玄関を入ったところで出会った職員さんが、
園で「崖の上のポニョ」のDVDを買ったばかりだと話していたっけ。
こいつは、あれを聞いて、あわよくばと狙っていたわけかぁ……。
なるほど、そりゃ確かに、親に言っても仕方が無いわな……。

ここには、親とはかかわりのない、この子の世界があるんだ……と
もう何年も前から何度も確認してきたことを、また痛感する。

「ポニョ」をプレイヤーに突っ込みながら、Aさんは
ミュウさんはこんなふうに自分の思いをはっきり表現してくれるのがいいですね。
また、頼みを聞いてくれる職員と聞いてくれない職員をよく見抜いて
聞いてくれる職員を狙い撃ちにするのが上手い。
すごく喜んでくれるから、こっちも嬉しいし。
だから、ミュウさんは結構いろんな人に好みのDVDをかけてもらっていますよ。
と、話してくれる。

Aさんはベテランなのだけど4月に他の施設から転勤してきたばかりで
実は、この施設もウチの娘も初めて、という人。

わずか数ヶ月で、そこまで観察するAさんのプロとしての力量にも敬服するし
言葉を持たない身で短期間に、そこまで分かってもらったミュウにも
「うちの子、なかなか、やるなぁ」と内心ヤニ下がってしまう。

ジャーン……。
テレビにジブリのマークが大きく映った。

……と、うちの娘は「キャハァ」と一声、
さっと自力でテレビの方に寝返りを打って親に背を向けた。

え……?

いつもならポジショニングをした後で
「じゃぁ、今週は、これだけ寝たら、また迎えに来るから」と指を折って説明し、
納得はしていながらも、ちょっと寂しげな別れのシーンになるところ。

こんなにさっぱりと娘の方から背を向けたのは
6歳で入園して以来、22歳になろうとする現在に至るまでで、初めてだ。

なんちゅう現金なやっちゃ……。
思わず、笑ってしまった。

「……あんたね。もう親の声なんか、とんと聞こえてないかもしれないけどさ、
一応これだけは後々のために言わせてもらっておくと、
今週はいつもよりも短くて、4回寝たら、また迎えに来るから。
あ、まぁ、聞こえていないなら、それでもいいんだけどね」

苦笑しつつ、娘の背中に向かって一方的にしゃべっていると、
テレビの前から立ち上がったAさんが
「ミュウさん、たくましいですよね。親としては、複雑な気持ち?」

うん……複雑なものがないわけではないけど、
でも、実際、考えてみれば、そうなんだよね。

また一週間をここで現実に暮らしてくのは、この子なんだから、
この子にとっては、親と別れる感傷よりもポニョを見ながら今夜を楽しく過ごす方が
現実問題として、はるかに切実に大事なわけで……。

もちろん、痛い目にも会い、辛い思いもし、
悔しかったり腹が立ったり悲しかったり、いろんな思いをしているのだろうけれど、
それでも、言葉で表現できないまま、それらをみんな飲み込む度量を身につけて、
この子は、こうして笑顔で自分を主張し、人と関わりながら暮らしている──。

大人になってからだって、置いて帰られる時には寂しそうな顔になるし
いつもなら、それを自分から断ち切るかのように大きく腕を振り上げて
大げさなほどのバイバイをして見せる子が、

親の方だって、何年たっても、何百回繰り返しても、
娘をここに残して帰っていくことに慣れることができないでいるというのに、

親との別れの寂しさよりも、
現実に今夜を楽しく過ごす戦略をちゃっかり優先させるほどに
いつのまにか精神的に大きな成長を遂げて──。

複雑な気持ち……というよりも、やっぱり、嬉しいよ。
お母さんは、そんな、あんたが、誇らしいよ、ミュウ。

親なんか、もうとっくに帰ってしまったみたいに、
娘の背中はポニョの始まりに固唾を呑んでいる。

この子を残して死んでいけるだろうか……と、
親は必死の思いで自分の胸のうちを探り暮らしているというのに……。

なにやら、カラカラと大笑いしたいような気分になった。

「あのね、ミュウ。お父さんとお母さんは、実はまだいたんだけど、
もう帰ってもいいみたいだから、じゃぁ、帰るね。
いい? 帰るよ。じゃぁ、おやすみ」

なんだよ。背中を向けたままでもいいから、
せめて、ちょっとバイバイしてくれたってバチは当たらないじゃないか……。



「知能が低いから重症児は赤ん坊と同じ」とDiekema医師は言った。
でも、それは、ゼッタイに違う、と思う。

子どもはホルモンや体や知能だけで成長するわけじゃない。
経験と、人との関わりによって成長するのだから。

体と頭だけじゃない。心も成長するのだから。
限りなく成長する可能性を秘めているのは、人の心なのだから。
2009.07.23 / Top↑
16日のエントリー
障害当事者のBad CrippleことWilliam Peace氏による
Diekema医師らの成長抑制論文批判のブログエントリーを紹介しましたが、

それを受けて、カナダの重症児のお母さんのブログに、
とても良いエッセイが書かれています。

Coming of Age and Growth Attenuation
LIFE WITH A SEVERELY DISABLED CHILD, July 18, 2009


脳卒中で重症障害を負った娘さんは15歳。
2日前に生理が始まったといいます。
そのことの感慨を背景に感じる記事です。

部分的に抜き出したり、要約しつつ以下に。

私の娘は一人の人です。
前は小さな女の子でしたが、今は女性になりました。

自転車に乗れるようになったとか、泳げるようになったというような
普通の子どもたちが刻んでいく成長の記録は我が家にはありませんでしたが、
それでも私は娘の成長と変化をしっかりと見てきました。

障害があっても娘の成長は優美です。
手足が長くなり、手が大きくなり(この子は、とてもきれいな手をしているのです!)
体のそこここが丸みを帯びて、顔つきが大人びてきて。

私は他の親と同じように、娘の成長を目の当たりにしてきました。

そして、なんて、きれいな子なんだろう、と
娘がありのままに何一つ欠けたものなく美しいこと(perfection)に息を呑むのです。

美術館でずらりと並んだ絵を見たことはありませんか?
絵はそれぞれに違っていて、それぞれの力で見る人に訴えかけてきます。
どの絵もみんな貴重な作品です。

どの絵もみんな、白紙のキャンバスの上に
一度に一筆の絵の具を塗り、その一筆一筆を重ねて描かれてきたものです。

私の娘は、そんなふうに一筆一筆成長し、変わっていく、
素晴らしいアーティストによる作品です。

私はただ、数歩引いたところに立って、そんな娘の姿を見ています。

こう書いて、この人はAshley療法を批判しています。

おそらく、Diekema医師なら
「子宮を取っただけで卵巣はそのままなのだからホルモンは分泌されるし、
背が低い以外は普通に成長するのだから、この批判は当たらない」と反論するでしょう。

でも、このお母さんはホルモンによる体の成長だけを言っているのではないのだと思う。

最後の1行は、I simply stand back and watch.
この stand back には「手を出さずに」という意味がこめられている。

その子なりに子どもから大人へと少しずつ脱皮していくプロセスにこそ
その子にしかない一筆一筆の積み重なりがあり、
どんな子どもであっても、そんなふうに重ねられていく成長にこそ、
何一つ欠けるところのない完璧な美しさがあるのだ、ということ。

だからこそ、その子なりの成長という、その子だけにしか描けない作品に
親であっても手を加えてはならないと、彼女は主張しているのだと思う。

これこそ、論争当初からCaplanはじめ多くの人が
「どの子どもにも成長する権利がある」と主張していたことなのではないでしょうか。

――――――――

私もまた、思春期の娘を前に、その美しさに息を呑んだことがあります。
やはり15歳、16歳の頃だったように思います。

「子ども」から「女の子」になり、「女の子」が「少女」になって、
「少女」から大人の「女性」に向かって脱皮を始めようとする、その、ほんの束の間、
女の子には、えもいわれぬ美しさに包まれる時がある──。

その透明な輝きを知っておられる方は多いのではないでしょうか。

ウチの娘でいえば、
それまでは「デッヘェ」とか「ギャッハー」みたいな騒がしい笑顔ばかり見せていた子が
ある日ふと気がつくと、静かな微笑をたたえている。

え? と、改めて娘を眺めやってみれば、

いつのまにか伸びやかになった手足の線は優しい丸みを帯び、
肌はすっきりと透き通って内側から輝いていて。

穏やかに微笑んでいる姿は
まるで、うす桃色の砂糖菓子でできた、透明な繭にでも包まれているかのようで。

いままで原色の存在だった子が
いつのまにか、存在まるごと、パステルカラーになった……という感じ。

ただ、静かにそこに座っている、そのたたずまいは、満ち足りて、
ふうわりと優しく柔らかで。そして、どこか、はかなげで。

それは、このカナダのお母さんが言うように、本当に
1つとして欠けるもののない優美、完璧な美しさでした。

どこか、はかなく、もろい感じが漂っていたのは
やはり、生涯で、ほん1度だけ、ほんの束の間にだけ訪れる美しさだったからでしょう。

17歳、18歳と成長するにつれ、
肩や腰の線の丸みは、やがて、たくましい厚みとなり全身がずっしりと質感を増して、
小さい頃から汗をかかないはずの子の髪が汚れるようになり
肌には、にきびができて……大人の体へと変貌を始めました。

透明感も、はかなさも、どこかへ消えて、
私は大人になった娘のために小さな制汗スプレーを買いました。

そして、子どもの頃には3日と続けて元気だったことのない娘は
その頃を境に、めったなことでは風邪も引かない人になりました。


生や死が、呼吸や脳機能だけで云々して捉えきれるような大きさのものでないのと同じように、
子どもの成長もまた、ホルモンや知能だけで測りきれるようなケチなものじゃない──。

そんな気がします。
2009.07.23 / Top↑
2005年に栄養と水分補給を断たれて餓死させられたTerry Schiavoさんの死後、
Terryさんの遺族は財団を作って医療現場での無益な治療停止の動きに抵抗していますが、

そのSchiavo財団の活動を中心になって担っている
Terryさんの弟(兄かも)のBobby Schindler氏が
インディアナ州Warsawで講演し、

10年から15年前には、
私の姉のような患者を餓死させるなんて考えられないことでした。

しかし、今では、ごく普通のことになっています。

今とめなければ、今から5年後、10年後には
いったいどうなっているでしょうか

Schindler氏はTerryさんの死後、
同じような状態の患者さんの家族から600本の電話を受け、
150の訴訟で支援を行ってきたといいます。

その経験の中で、最も困難なのは
生命維持治療(主に栄養と水分)は回復には無益だから、それ以上行わないと
病院の生命倫理委員会が決めてしまった時に、
障害のある人をケアしてくれる場所を探すことだ、と。




しかし、法律が無くとも、医療現場では慣行化していることが想像されます。
病院内倫理委員会がその正当化装置として機能していることも。

それにしても、
ある治療をしたところで患者が回復しなければ、それは無益な治療だという判断基準は
いったい、いつ、どこから出てきて、どのように議論され、正当化されたのでしょうか。


2007年のテキサスのGonzales事件では
ターミナルな子どもに延命治療が苦痛を強いているから
その延命は無益な治療だとして停止を決めた病院が
それでも親の抵抗によって、裁判所から、その判断の当面の保留を求められました。
(詳細は文末リンク参照)

このように、当初は
「回復のメドが無いのに苦痛を強いるだけの治療は無益だ」という判断だったはずのものが、
ほんの1、2年の間に、「回復に繋がらない治療は無益だ」という判断に飛躍しているのだとしたら、
(日本の「機能を維持するためだけのリハビリは認めない」という姿勢にも通じるものがありますが)

それは、尊厳死の議論が当初は
「ターミナルなのに苦痛を強いるだけの延命は望ましくない」という反省だったはずのものが
いつのまにか議論からも実際からも「ターミナルであり耐えがたい苦痛がある」という条件が抜け落ちて
「当人にとって苦しい状態を変えることができないならば、その生は生きるに値しない」に飛躍していくのと
まったく同じ現象のような……。

まるで重病や重い障害のある人を
医療現場での切捨てと、「死の自己決定権」とで挟み撃ちにして
自ら死を選ぶしかないところへと追い詰めていこうとするかのように──。






【テキサスの無益な治療法を巡る裁判、Gonzales事件関連エントリー】
Emilio Gonzales事件
ゴンザレス事件の裏話
生命倫理カンファレンス(Fost講演2)
TruogのGonzales事件批判

その他、「無益な治療」の書庫に多数あります。
2009.07.22 / Top↑
世界の人口のうち65歳以上の総数がついに初めて5歳以下の人口を上回った。
http://www.guardian.co.uk/world/2009/jul/20/census-population-ageing-global

で、高齢化が最悪なのが日本で、65歳以上が総人口の22,5%。15歳以下の総人口比が最も小さくて13%。清里を例にとって、次々に消滅の危機に瀕する日本の集落を紹介するGuradianの記事。
http://www.guardian.co.uk/world/2009/jul/20/japan-towns-face-extinction

英国の科学大臣が、現在、官民共同で行っている宇宙開発を今後は独立の機関を作って推進していくほうがよいかについて、パブリックコメントを募集。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/science/nature/8158747.stm

人口密度が高い地域に住む一家で、親のストレスが大きいと子どもが喘息になる確率が高くなる。またIQかと思ったら、これは喘息だった。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8158680.stm

がん患者に行われている免疫療法がアルツハイマー病のリスクを下げるのにも有効?
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8155845.stm
2009.07.21 / Top↑
Dignitasに次いでスイスで2番目に大きな自殺幇助組織 Exit が
チューリッヒ市当局と、一定の条件で合意したことは12日のエントリーで紹介しましたが、

チューリッヒ市では、こうした規制を秋にも法制化する予定。
かねて外国からの自殺ツーリズムの増加が問題視されていたところに、
英国の著名指揮者夫妻の自殺が世界的に論議を呼んだことが呼び水になった模様。

法制化されればDignitasもその対象となるため、
Dignitasは市外へ引っ越すか、規制条件を飲むかの選択を迫られることに。

以下の記事で言及されている新しい規制の内容としては、

・自殺希望者へのカウンセリングの期間を現在よりも延長し、数ヶ月をかけて意思確認を行うこと。

・致死薬を処方する医師は希望者本人と少なくとも2回直接会って、意思を確認すること。

・本人の自由意志が基本。緩和ケア等の選択肢についても十分に説明されること。

・希望者はターミナルな病状であるか、重い障害があるか、重大な事故の後遺症があることを証明する必要がある。

・精神障害者、ウツ病の人については、医師が心理アセスメントを行ったうえで意思決定能力を判断すること。

・身体的な苦痛がない25歳以下の人の自殺幇助は認められない。

・営利目的の幇助を予防するため、自殺幇助の料金は上限を500スイス・フラン(461ドル)とする。(Dignitasでは通常6000ユーロ。)

・1人の自殺ヘルパーが幇助できるのは12人まで。

なお、スイス政府は秋をめどに
自殺幇助を禁止するか、規制を強化するかについて判断する、としている。

Dignitasは、当然のことながら、反発。

Clampdown on Dignitas suicide clinic
The Daily Telegraph, July 18, 2009


このチューリッヒ市の自殺幇助の条件、
規制を強化するといいつつ、なんとリベラルな……。

重症障害がある人もウツ病の人も事故の後遺症のある人も
本人の自由意志で希望するなら、死なせてあげてもいい──。

25歳以下でも、身体的な苦痛がある人が自由意志で死にたいのであれば
(その苦痛が永続するという条件は無いようだけど?)
死なせてあげてもいい──。
2009.07.21 / Top↑
韓国はインチョン国際空港ほか4箇所の税関に
優秀な麻薬探知犬である1匹のラブラドール・リトリーバーのクローン6匹を
麻薬探知パトロールさせるべく配置した。

2007年にクローニング技術によって7匹が誕生。
16ヶ月間の訓練の間に1匹がドロップアウトした。

クローニングを行ったのは
2005年に世界で始めて犬のクローニングに成功したソウル国際大学チームで

主任研究者はLee Byeong-chun教授。
ES細胞研究で捏造が発覚した黄禹錫(ファン・ウソク)教授の研究で主任助手を務めた人物。

自然に生まれた犬の場合,
10匹のうち3匹程度しか訓練で麻薬探知犬にならないため
適性のある犬のクローンを作ることが経費の節減に繋がる、と。

South Korea deploys cloned drug-sniffing dogs
AP (The USA Today), July 21, 2009
2009.07.21 / Top↑
Oregon州でALSの妻を射殺して自殺幇助を主張した夫に
殺人罪が下されたことを前のエントリーで書いたばかりですが、

認知症の妻を殺して自分も自殺した夫のニュースでも
夫妻の娘さんから死の自己決定権を求める声が飛び出しています。

           ―――――

AtlantaのEdward Travis氏は先週の水曜日、
ベッドで寝ている認知症の妻(85)を銃で殺害し、
その後、人に邪魔されないように屋根裏部屋に隠れたうえで、自分も銃で自殺。
そばには、見つけた人に宛てて、蘇生しないよう頼む手紙があった、とのこと。

別の場所には遺書や医療についての代理人の手続き書類、投資記録などがまとめてあった。

2人は60年連れ添った夫婦。
妻のAnne Travisさんは半年前にアルツハイマー病の診断を受けており、
話のつじつまが合わなくなって、一日中眠っていたが
妻も夫も家でこれまでどおり暮らすことを望んでいた。

特に先月は3回も通院があって、たいへんだった、
父は妻がこの先どうなるか、自分がどうなるか恐れたのではないか、と
2人の遺体を発見した娘のMarry Travisさんの話。

……と、ここまでは、これまでの介護殺人や介護心中と同じなのだけど、
ここから、微妙に、これまでにはなかったはずの話が登場してくる。

記事によると、
遺族はAnne Travisさんが死にたがっていたのだと考えている、というのです。

そして、娘のMarryさんが
「自分の終末期の決断は一人ひとりができるようにするべきです。
社会がもっと生きなければならないと考えるからというだけで
なぜ2人がこの先も生きることを強要されなければならないんですか」

ただ彼女は、父親の方は特に死にたかったわけではなく、
ただ介護のプレッシャーに追い詰められたのだろうと考えている。

「何が起きて、死のうと考えたのか分かりませんが
たった一人でそういうことを考えていたと思うと、胸が張り裂けそうです」

Avondale Estates man carefully prepared before killing ill wife, self
The Atlanta Journal-Constitution, July, 17, 2009


そういう介護者の苦しみに、
これまでは「支援を」と多くの人が声を上げてきたのだけれど、

「そういう人には死の自己決定権を」と
これからは多くの人が声を上げていくのでしょうか。

両親をこういう形で亡くして混乱している人が
こんなふうに、いとも簡単に死の自己決定権を口にする。

その後で彼女が父親について言っていることを考えると、
自分が「死にたければ、誰だって死なせてあげればいい」、「社会規範よりも個人の自己選択が優先」と
主張しているのだという自覚があるのかどうかすら怪しいのに。



【8月10日追記】
その後、パーキンソン病の妻とダウン症の孫を射殺した87歳の男性が
自分も拳銃自殺するという事件が起こって、以下に、
こうした介護心中を慈悲殺として云々することへの批判記事が出ています。

Wesley Smithがコメントしていて、
特にTravis事件で娘さんがしきりに父親の行為を擁護することについて、
「愛する人の行為をその人が亡くなっているだけに悪く言いたくない気持ちは分かるが、
殺人をおもいやりだとするメッセージはよくない」。

2009.07.21 / Top↑