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日本の独立法人が「先天異常症候群を解析する装置を世界に先駆けて実用化」したそうな。(日本語情報)。「原因不明の先天異常症、精神発達障害、自閉症、さらには、がん等の診断。疾患解析ツールを創出し、革新的な医療に貢献いたします」:その「革新的な医療」の倫理性はきちんと検討されるべきだという話は、どこからも出ないのか。日本で怖いのは、こういうことが、まったく表立った議論にもならずに、なし崩しに進行していくことだと、いつも思う。メディアも研究者も、この国では、どこにいるのか分からない。
http://app3.infoc.nedo.go.jp/informations/koubo/press/EK/nedopressplace.2009-01-21.8698110208/nedopress.2009-09-08.3444444824/

働いている母親の子どもは、母親が専業主婦の家庭の子どもに比べて、健康的な生活が出来ていない、という調査結果。:いまだに、こんな研究があるということに驚く。つくづく、研究の前には仮説があって、その仮説は研究者の偏見を含めた価値観からスタートするのだということを思う。それから、所詮は1対1でしか相関関係を確認することが出来ない"科学的研究”の限界について、どうしてあまり言われないのか、ということと。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8278742.stm

スウェーデンで1953年生まれの14000人を30年間追跡調査して、子ども時代に学校で人気がなかった子どもの方が人気があった子どもに比べて、心臓病や糖尿病になったり、ドラッグやアルコールにおぼれたり、精神障害を負うリスクが高い、との結果が出た。:これにもまた、上の調査と同じ感想をもったのだけど、それにしても、世の中、健康に淫している。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8275535.stm

NFLの選手では30-49歳の間にアルツハイマー病になるリスクが通常の19倍も。:これからフットボールだけじゃなくて、ボクシングとか、衝撃の大きなスポーツで研究されていくのでしょう。ステロイド解禁論者のNorman Fostは、もともとスポーツは危険なのだから、ステロイドのリスクなんて高が知れている、とずっと前から主張しているから、こういう研究結果は、さぞかし「してやったり」なんだろうな。
http://www.nytimes.com/2009/09/30/sports/football/30dementia.html?_r=1&th&emc=th

地球温暖化で開発途上国の飢餓が深刻化し、2050年までにさらに2500万人の子どもたちが飢える、との報告書。
http://www.guardian.co.uk/environment/2009/sep/30/food-crisis-malnurtrition-climate-change

ダルフールからチャドに逃れた女性たちが、難民キャンプ周辺でレイプ被害にあっている。チャドの男性からも、キャンプ内の男性や、人道支援に入っている団体の職員からも。現地の警察も国連もなんの手も打っていない。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/africa/8282360.stm

アイルランドの高齢者問題関連機関から、人口高齢化に伴い、移民介護労働者が不可欠で貴重な存在となる、との報告書。:これ、既に起こっているけど、貧乏国の国民が金持ち国で介護・家事・子育てを担う奴隷労働者にされていく構図。前にカナダの国を挙げてのプログラムをちょっと調べたけど、本当に酷い実態だった。06年12月の「介護保険情報」に書いた文章をアップしようと思いながら、まだ机の横に転がったままだけど、これ、やっぱり近くアップしよう。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/165431.php

ワクチンに関する情報って、どっちの方向にせよ、出所によっては、いろいろ色がついていて要注意とは思うのだけど、2007年9月にLifeSiteNews.comに、HPVワクチンGardasilの副作用で死亡したと思われるケースが少なくとも5例ある、と。:ここは、自殺幇助合法化への反対スタンスが鮮明で、時々覗いているお馴染みのサイト。ちょっと私の中での位置づけは保留のままではあるけど。
http://www.lifesitenews.com/ldn/2007/sep/07092004.html

2009.09.30 / Top↑
イングランドとウェールズの新人警察官全員に
メンタルヘルスと知的障害に関する啓発研修が行われることに。

警官が知的障害・精神障害のある人と関わる際のガイドラインを作る過程での
関連機関との相談(英国政府は国民との“相談”の上で施策を決める方針)から出てきた動きで、

知的障害者との接し方などの研修内容の準備には
知的障害者のアドボケイト団体 Mencapが関与した。

(ここで、医師とか研究者といった、いわゆる”専門家”だけ?ではなく、
当事者団体がちゃんと関与しているところ、注目したいと思う)

Mencapのキャンペーン担当者は
新人だけでなく全員に広げてもらいたい、と。


記事には日付けがありませんが、
寄せられたコメントが9月24日から始まっているので、
その辺りでアップされた新しい記事と思われます。

このブログ、明るい話題が極めて少ないだけに、
こういう情報をアップできる日は、気持ちがちょっと軽やかになる。


2009.09.30 / Top↑
英国の自殺幇助議論については、もう、あまり目新しい主張が出てくるわけではないのですが、
今後の議論やニュースをなるべく正しく理解するために、
一応フォローしておきたい動きとして、以下に。



先日来、何かとメディアに露出しているアルツハイマー病の作家Terry Pratchett氏が
先週のDPPの自殺幇助ガイドラインについて批判。

いちいち警察が捜査してから公訴するかどうかを決めるというのは
制度として非効率であり、曖昧すぎる、
判定委員会のような制度を作るべきだ、と。

個人的には medical reasonsによってのみ自殺幇助は認めるべきだと思う、とも。


私の頭にすぐに浮かんだ疑問は、

事故で全身麻痺になった23歳のラグビー選手の場合などは、
Pratchett氏のいう medical reason にあたるのだろうか……。

Debby Purdyさんは、
自分が将来もう死にたいと思ってスイスに行く時に
夫についてきて欲しくて、それで夫が罪に問われないことを保障することだけを念頭に、
つまるところ「この人を訴追しないと約束して」と訴えてきた。

Pratchett氏は自分のアルツハイマー病が進行して
自分がもう死にたいと思った時には死にたいと望んで
たぶん、アルツハイマー病以外の病気については深く考えずに
“medical reason で死にたいと望む人”だけには
自殺幇助を合法化してもいいじゃないか、と主張する。


Man took wife to Swill suicide clinic
Playmouth.co.uk, September 29, 2009

Jenny Gearyさん61歳は
最も最近スイスのDignitasで自殺した英国人。

多系統萎縮症(脊髄小脳変性症の仲間)MSAだった。

Jenny さんに付き添ってスイスに行った夫が
今回のガイドラインでは十分ではない、
英国政府は自殺幇助の合法化を考えるべきだ、と。

「国民の気持ちはここ数年で変わった。
ちゃんとしたセーフガードが設けられたら、
この国は自殺幇助を検討すべきだ」と

「ちゃんとしたセーフガード」という時、
この人は、どれだけ多様な病気や障害像を頭に描き、
どれだけのすべり坂の可能性を検討して、
具体的にどういうセーフガードがあれば「ちゃんと」機能するのかを
考えているんだろうか。



みんな、自分が立っているところから見える範囲だけで
ものを言っているような気がする。

……というか、その範囲だけでものを言うことが
多くの人に、あるひとつの方向からだけ、ものごとを見せることに有効に働く……

そういう人の言葉ばかりが大きく取り上げられているような気がする。

これは、日本のメディアでも同じなのだけど――。
2009.09.30 / Top↑
去年、18歳以下の女児全員にヒト・パピローマ・ウィルスのワクチン無料接種プログラムを開始した英国で、
昨日、死者が出ました。

(当初「義務化」したと書いていましたが、16歳以下では接種前に同意が必要とのことなので訂正しました。
ただ、去年から始まったプログラムは12歳女児に学校でいっせいに接種するもので、
親がオプトアウトできるとしても事実上の義務化だろうとは思います。)

14歳のNatalie Mortonさんが接種の数時間後に死亡。
クラスメイト数名も、吐き気やめまいなどの副作用があったとのこと。

NHSはNatalieさんの死とワクチン接種との因果関係が判明したわけではない、
今後の調査の結果を見ないと何ともいえない、と。

学校長は保護者らへの文書で
Matalieさんは「ワクチンに対して、めったに起きない過敏な反応が起きたため」と説明、
他にも接種後に体調不良を訴えて早退した生徒がいたことを明らかにしている。

Merck社のGardasilに比べて安価なためとして、
英国だけはGlaxoSmithKline社のCervarixを使っている。

去年10月には、接種の30分後に全身の筋肉に力が入らなくなって、
その後、今に至るまで、ほとんど病院に入院生活となった女児(Ashleigh Caveさん)も。

しかし、the Medicine and Healthcare products Regulatory Agency(MHRA)は
Ashleighさんの母親の訴えに、因果関係を否定し続けている。


Cancer jab alert after girl dies
The BBC, September 29, 2009
(BBCの記事は30日朝に読んだので、上記の内容はTimesのものです)

……と、このエントリーをアップしようとしたら、
自動的に他所のブログから拾ってきたニュースが以下の産経新聞。

ああ、びっくりした。

なんと、今日、日本で、HPVワクチンが承認される……と。

知らなかった……。



ちなみに、このニュース、副作用については一言も書いてないです。

ただ、ひたすら予防効果について強調し、
例によって「海外では」と、いかに多くの国で接種されているかを並べてある。

……ということは、
英国のAshleigh CaveさんのことやNatalie Mortonさんのことは
日本では、おそらく報道されることはないのでしょう。

たしかに因果関係が確かめられたわけではないと言えばばその通りだし、

「因果関係が確かめられていない」ということは、
「因果関係の可能性が否定されたわけでも肯定されたわけでもない」と考えるのが
科学的な思考というものだと私は思うのだけど、

なぜか「確かめられていないということは因果関係がないということ」だと考えるのが、
もっぱら薬の副作用については科学的な思考だということのようだし。


【29日夜・追記】
この記事をアップした直後、夜のニュースでワクチン承認についてやっているのを見て、
ものすごく疑問に思ったのだけど、

Natalieさんが亡くなったのは英国時間で28日。

29日の今日、承認を決めた審議会が開かれた厚労省には、
このニュースは届かなかったのでしょうか? 


【30日追記】
Timesから続報。
保護者の不安感を考慮して、ワクチン接種の予定をとりあえず延期する自治体や学校が出ている模様。


【10月2日追記】
Guardianからの続報。
死後の検査でワクチンが直接の死因ではなかったとされたものの、
間接的な引き金になった可能性はある、
親も知らないで潜んでいる病気がある場合のリスクは、などの点を指摘しつつ、
予防効果の意味は大きいので、親自身が選択する以外にない、との結論。

ここでは、これまでにHPVワクチンによる死者数は
英国で1人、米国で32人とされています。


昨日、まとめたいと思っていた死亡例の詳細情報と医師による分析はこちら
Ashley事件に動きがあって時間がとれなかったので、英文のまま。



2009.09.29 / Top↑
前の2つのエントリーでまとめた
フランス生命倫理の小出論文EU議会の「科学とテクノのアセスメント」を読みながら、
科学とテクノロジーの発達で世界中の産業・利権構造が変わったことについて
漫然とあれこれ考えていたら、

ふっと頭に浮かんだ、ちょっとタチの悪い冗談──。


じゃぁ……かつてのゼネコンにあたるのは、
今の産業・利権構造の中で言えば、巨大製薬会社とか遺伝子工学などのバイオ企業なのかな。

すると、かつての“カイハツ”にあたるものが今では“フローフシ”で、
“フローフシ”の研究に邁進する医師や研究者は、いわば現場監督で……

……とすると、
障害者の命には価値がないといっては、せっせと切り捨て・排除の理論構築に励んでいる
Peter SingerとかNorman FostとかMary Helen Warnockなどの生命倫理学者は……

そっかぁ……なるほど、地上げ屋なんだぁ……。


──いや、まぁ、ただの、あまり品のよくない冗談なんですけど。

      

でもね、アハハって笑いながら、また、ふっと思ったのだけど、

ゼネコンなんかと比べると障害者は圧倒的にお金がないんだから
所詮はそれほど大きな声にはなりにくいのに、

トランスヒューマニストやリベラルな生命倫理学者が、
なぜあんなにも障害者を目の敵にするかというと、

あれは“科学とテクノの簡単解決でイケイケ”文化に対する障害者からの批判や異議申し立てが
彼らにとって、やっぱり一番厄介だからなんじゃないのかな。

どんなに貧乏な、みすぼらしくて、ちっこい家でも、カイハツ予定地に堂々と居座ったら、
“カイハツで銭儲けイケイケ”の人たちの頭痛の種になったように、さ。

貧乏で、みすぼらしくて、ちっこい家でも、そこに住む人が主張する権利が正当なものだったからこそ、
”地上げ屋”を雇って卑劣な手段で追い出しをかけるしかなかったわけだから、さ。
2009.09.29 / Top↑
今年5月にEU議会から
「科学とテクノ選択肢アセスメント:人間強化研究」という報告書が出ています。

Science and Technology Options Assessment: HUMAN ENHANCEMENT STUDY
STOA(Science and Technology Options Assessment),
European Parliament, May 2009

アブストラクトはこちら。

The study attempts to bridge the gap between visions on human enhancement(HE) and the relevant technoscientific development. It outlines possible strategies of how to deal with HE in a European context, identifying a reasoned pro-enhancement approach, a reasoned restrictive approach and a case-by-case approach as viable options for the EU. The authors propose setting up a European body (temporary committee or working group) for the development of a normative framework that guides the formulation of EU policies on HE.


科学とテクノで人間はどのようにでも作り変えられるかのように言いなされる将来ビジョンと
現実の科学とテクノの発達の間をきちんと埋めて、

理性的に整理したうえで強化を認めるアプローチ、
理性的に整理したうえで制約するアプローチ、
ケース・バイ・ケースのアプローチをそれぞれ見極めつつ、
EUにおいては、HE(人間強化)に対してどのような方針で臨むのが適切であるかを検討。

結論として著者らは
まず暫定的な委員会なりワーキンググループなりの組織をEUに作って、
そこでHEに関するEUの方針の枠組み作りを担うことを提言している。

この中の、特に、1章の中から治療と強化の区別について書いてある部分と、
2章の4、救済者兄弟を含むデザイナー・ベビーの章を
とりあえず、ざっと読んでみました。

 
まず、治療と強化の区別について。

報告書はその区別のために restitutio ad integrum という概念を用いています。
the restoration of a previous condition after a disease or after an injury。
つまり、病気や怪我の後に、それ以前の状態を回復すること。

21ページに表があり、
治療によって病気や怪我以前の状態を回復させる「治療であってHEでないもの」から
「何らかの強化の目的で医療でない方法とHEテクノロジーによって行うもの」までを
6つのカテゴリーに分けて定義している。

そして、その2つ目から5つ目までの境界線が曖昧になっていることを指摘する。
つまり、分明なのは「治療でしかないもの」と「強化でしかないもの」の両端のみということ。

一方、身体的な特徴がどのように捉えられるかということそのものが
様々な要因によって複雑に影響されることも指摘する。
加齢によって起こる身体の特徴や機能の喪失についても、
将来的にはHEではなく治療とみなされるようになる可能性がある、とも。
(ここは話がいきなり飛躍しているような気がしたけど
「喪失した状態の回復」という基準で捉えると馴染むのかも?)

そのほかに、この箇所で特に印象に残ったのは、
病気や怪我によってもたらされた身体的特徴という概念とパフォーマンスを混同しないために、
社会的に損傷だと捉えられる特徴を持って生まれた人の身体を
種典型や種典型の機能に近づけることを可能にするために行われるものはHEと考える、
したがって、例えば口蓋裂の手術もHEだ、と言っている点。

また、その直後に、
「いかなるケースにおいてもHEは予め定義された正常概念に基づくべきではない」とも。

これまで、たまたま出くわして読みかじった米国の文献や
例えばAshley療法論争なので出ていた議論では、
正常でない状態を正常に近づけることでは
倫理的な妥当性は問題にされない、という印象があったし、

反面、英国では口蓋裂のある胎児は中絶が許容される対象に含まれている。

ここを読んで、すぐに思い出したのは
猫のような身体になりたいなら猫のような身体になってもいい
えらを持って水中で暮らしたければ、それも選択できるのが
身体を巡る個人の自由な選択権だとするトランスヒューマニストの主張。

ヒトという種に典型的な身体や機能を有していないから
それは正常ではないからといって身体に手を加えることはHEだ、ということと、
HEは何が正常かという予めの定義に基づくべきではない、という主張の間には、
もうちょっと丁寧に埋めるべき距離があるような気がするのだけど……。

        
次にデザイナー・ベビーに関する章。

まず、デザイナー・ベビーの文脈で着床前遺伝子診断(PGD)について
書かれていることの概要は

PGDそのものはHET(HEテクノロジー)ではないが、
デザイナー・ベビーが将来確実に実現するものだとしたら、
そこにはどのような可能性と脅威があるのか、現在の規制システムで十分なのか、
新たな規制が必要なのか、と問題提起したうえで、

その答えを出すことは、この研究の範疇を超えている、と結論。

その後、報告書はデザイナー・ベビーを
ファンタジーとしての「パーフェクトな赤ちゃん」と
既に現実になっているデザイナー・ベビーに分けて論じる。

前者については、昔からあったファンタジーであり、
ポストヒューマンの夢を見て選択の自由、親が望みどおりの子どもを持つ自由を唱える提唱者と、
彼らが描く、まさにその夢にこそ脅威があると唱える批判者との溝が埋まることはないだろう、と突き放す。

また、ヒトゲノム読解が終了して以降、
我々は遺伝子によってのみ規定されるわけではなく、
遺伝子と環境その他多くの要因が複雑に影響しあっていることが確認されている、
したがって遺伝子操作によるパーフェクトなデザイナー・ベビーという
ファンタジーの魅力は薄れていることも指摘する。

知能など、望ましいとされる特徴を遺伝子操作で選部ことに関する研究もまだ少なく、
「パーフェクトな赤ちゃん」というファンタジーのリアリティは薄い。

一方、PGDによって既に現実となっているデザイナー・ベビーとして、
救世主ベビー(the Savior Baby)・美容ベビー・障害ベビーを挙げている。

救世主ベビーについては、
世界で初めて生まれたのは米国コロラドで2000年8月29日。
ファンコニ貧血症の姉Mollyを助けるために作られた Adam Nashくん。
30個の胚の中から、IVFとPGDにより、
ファンコニ貧血がないことを確認し、幹細胞移植ドナーとして選ばれた。

報告書は、遺伝上の形質によって選ばれたことが救済者兄弟にもたらす心理的な影響や
兄弟間の関係に及ぼす影響などの懸念を指摘している。

美容ベビーについては、
2007年、ロンドンのクリニックで承認されたのは、
親の遺伝性の斜視を受け継がない子どもを選ぶためのPGD。
その際、クリニックの院長は、こういう利用は増えるだろう、と。

また2009年には米国カリフォルニアで、
もともと健康な胚を選ぶ必要のあった夫婦に、
その選択の過程で特定の容姿をもった胚を選ばせて論争となった。
もっとも、実際に望みどおりの容姿になるかどうかは不明。

障害ベビーに関しては、
2002年、耳の聞こえない2人の精神医療関係者の女性が、耳の聞こえない子どもを産むために、
耳の聞こえない男性を精子のドナーとして遺伝子操作を行った。

(このケースのあった国は書かれていませんが、去年、英国上院のヒト受精・胚法改正議論で
「耳の聞こえないなどの」とわざわざ例にとって障害のある胚を優先させることの禁止条項が
大きな議論となっていました)

米国、英国には、小人症と耳の聞こえない子どもを作る高価な技術を提供しているクリニックがある。

意図的に子どもに障害を負わせることに批判がある一方、
文化的なアイデンティティの問題として、自分と同じような子どもを持つ親の権利を主張する声も。

2006年、小人症のCara ReynoldsさんはNYTimesで
「私と同じ外見の子どもを産んではいけないなんて、言わせないわ」と。
が、実際には保険会社がCaraさんの年齢を理由に支払いを拒否したため、実現しなかった。

命に関わる重症の病気を防ぐという目的からPGDの利用が離れつつある。
HEと治療の境目は脅かされている、と報告書。

理論的には約1000の単独遺伝子による異常を見つけることが出来るとされるが、
実際にPGDで検査する病気を限定している国が多く、
(制限していない?)スペイン、ベルギー、チェコ共和国などが
他のEU諸国からも米国、レバノン、イスラエルからも希望者を受け入れている。

2007年にはオランダがPGD療法を行うクリニックを増やして3つにした。
実施数は年間100症例とされているが、実際はその3倍とみられる。

(オランダ、ベルギーといえば医師による自殺幇助を合法化している国でもあり、その点、興味深いです)

PGDが急速に確立された療法となって先進国で広がりつつある一方で、
実際の適用と長期的な影響には道徳上からも施策の上からも懸念がある。

These issues often stay within circles of medical scientists and bioethicists. Their largely incompatible arguments stem from different positions on the newness of PGD and its long-term impacts in the respect of morality and policy, and compared to IVF and prenatal screening.(p.79)

単にIVF技術の延長上で捉えるか、全く別の影響力を持った技術と捉えるか。

乳がんの遺伝子診断にPGDを認めている国は米国、英国、オーストラリア。
訴訟がらみになる可能性もある問題。


……この辺りまで読んで疲れたので、とりあえず、以上。
2009.09.29 / Top↑
この前から大きく報道されているタイでのエイズ・ワクチン実験の続報。具体的な実験方法が書かれている。参加ボランティアに支払われた金額(1回クリニックへいくと9~15ドル)も。米国では危険だから使えないワクチンだとか、意図的にエイズに感染させられているという噂がやっぱり流れたらしい。表に出ることで、実験に参加したと分かれば偏見や差別があるのを承知で、実験結果を強調するために表に出てきたボランティアたち。:なんでボランティアがこうしてメディアの前に出てきて、写真で顔を公表しなければならないのか、よく分からない。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/09/27/AR2009092701683_2.html

来月から豚インフルエンザのワクチン接種が始まると、接種後に心臓麻痺で死ぬ人もいる、
脳卒中を起こす人もいる、流産する妊婦もいる、痙攣を起こす子どももいる、でも、ワクチンを打たなくてもそういうことが起きる一定の確率はあるのだから、なんでもかんでもワクチンのせいにしないように、と米国の当局者。
http://www.nytimes.com/2009/09/28/health/policy/28vaccine.html?_r=1&th&emc=th

英国の高齢者アドボケイトが65歳の定年制は違法だと訴えた裁判で、裁判所は当人の移行に関わらず雇用主が65歳で定年とすることを認めた。ただし、上限を上げるべきと思われるケースもあるとの注釈つき。政府も来年までに現在の65歳定年制の見直しをするとしている。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/business/8274328.stm

米国で、死刑を廃止することの、道徳的な、ではなく経済的な必要性。裁判で死刑を勝ち取るための検察側の費用も、死刑囚を死刑まで収監しておくのも大きなコストがかかる。
http://www.nytimes.com/2009/09/28/opinion/28mon3.html?th&emc=th

こちらのエントリーで取り上げた、イタリアのカラブリア地方のマフィアによる核廃棄物の不法投棄の続報。爆破して沈められた船には2つ遺体があるとのこと。横っ腹に「毒物」と書かれたバレルの積荷も。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/8275320.stm

現在、急速に広がっている前立腺がんのスクリーニング検査に、効果よりも害のほうが大きいとの研究結果。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8273621.stm
2009.09.28 / Top↑
フランスでの“救済者兄弟”事情について、先日以下のエントリーで取り上げましたが、


その中でアブストラクトのみで触れていた小出泰士氏の論文
「『薬としての赤ちゃん』の倫理問題 - フランス生命倫理における人間の尊厳と人体の利用」を
わざわざコピーして送ってくださった親切な方があり、
お蔭様で全文を読むことが出来ました。

前後の脈絡も背景も無知なままなので理解は不十分と思いますが、
私が個人的にこの論文から印象的だったことを以下に。

フランスの生命倫理では民法典の中に「人体の尊重」という節が設けられており、
その16条に規定されているのは、

法律は、人間の優位性を確保し、
人の尊厳に対する一切の侵害を禁止し、
人をその生命の始まりから尊重することを保障する

その基本方針から導かれる2つの原則として、
他者の「身体の不可侵」自分の「身体の不可処分」

したがって、これらの考え方に基づけば、
英語圏の生命倫理が錦の御旗としている自己決定権・自律の尊重は
フランスではこの尊厳や人体の尊重によって制約を受けることになるはずなのだけれども、

そこには、どうやらタテマエとホンネの使い分けがあって、
(というのは私の解釈で、こんな下品なことは小出論文にはもちろん書かれていません)

一方でフランスは人体の利用にはもともと積極的で、1947年の早く(本当に早いっ)から
本人の生前の拒否が明らかでなければ死後の人体を医学研究に利用できるものとする、
いわゆる「みなし同意」(論文では「推定同意」)による死体利用を行政命令で定めている。

この「みなし同意」が死体からの臓器摘出ルールとして適用されたものが
1967年の「カヤベ法」。

こういう経緯があってのことだから、
当然94年の「生命倫理法」でも死体からの臓器提供ルールは「みなし同意」。
「人体の統合性を侵襲できるのは、人の治療の必要がある場合のみ」とされる箇所は
本人だけでなく他者の治療の必要にも拡大解釈された。

そして2004年の改正で
「人体の統合性を侵襲出来るのは、
人に対する医学的な必要がある場合、又は、例外として他者の治療のためにのみである」と、
文言が追加されて、さらに明確に拡大された。

私は、
94年に「人の尊厳」タテマエの大看板を上げた「生命倫理法」が
その後10年間の科学とテクノの発達と国際競争をにらんで、
2004年にはホンネ実現に向けて大きく方向転換したという印象を受けるのですが、

この2004年の法改正の際に、
それまでは原則禁止とされてきた、生きている未成年者からの臓器摘出についても
例外的に「レシピエントを直接治療するため」であれば兄弟姉妹からの摘出を、
「他に解決法がない場合」であれば骨髄の採取を、可能にした。

この点について「患者の病気の治療による利益が、
未成年の兄弟姉妹の心身の統合性の保護よりも優先されている」と小出氏は指摘している。

もちろん、タテマエとホンネのギャップを覆い隠すためには
何らかの仕掛けが必要になってくるわけで、そこで持ち出されているのが
フランスではどうやら「連帯性」という概念。

これが、なかなかに、すごい概念で、

社会に暮らす個人は、
社会に暮らすことで既に社会から恩恵を受けている、
あるいは恩恵を受ける可能性がある以上、
自らも社会に恩恵を返す義務がある。

うぇ……これは、怖い。

だって、例えば、私たち夫婦は
少ないながら応分の税金はごまかしたりせずに、ちゃんと払っているのだけど、
でも、それだけじゃ足りない、身体で払わなきゃダメだよって言っているわけですよね、
このフランス生命倫理のいう「連帯性」というのは?

こんなのを言い出されると、私みたいな気の弱い人間は、
重い障害のある子どもの親として、社会で生きていくことそのものがものすごく辛くて、
世の中を出歩くたびに「恩恵いただき、ありがとうございます」と皆さんに頭を下げ、
「恩恵もらうだけで、ごめんなさい」と小さくなっているしかなくなってしまう。

こんなブログでこんな理屈を垂れていることなど論外で、
「みなし同意」どころか生きているうちから
「どうぞ、どうぞ、こんなんでよかったら、何でも使ってください」といって
自ら進んで全身を差し出さなければ許してもらえないようなプレッシャーがかかりそうだ。

(本当にそういう方向に向かっている気配が世の中の空気に漂っていなくもないから
よけいリアルに、これは、こわい)

しかも、「恩恵を受ける可能性」というように
ここでの連帯性は「潜在的な恩恵」を通じた連帯性として拡大して捉えられていて、
仮にあなたが病気で臓器が必要になれば人からもらうかもしれないし、
あなたの病気の治療法方そのものが多くの人の協力による研究の賜物なのだとしたら
あなただって受ける可能性のある、そのような潜在的な恩恵に対して
恩恵を返すことによって協力し、連帯すべきであろう……と。

この連帯性を家族の中に当てはめると、
2004年の法改正で容認された救済者兄弟についても
もし立場が逆で、たまたま自分の方がその病気であったとしたら
両親と医師はその次の子どもを産んで同じように助けてくれる可能性があるのだから、
たまたま自分の方が助ける側に回った場合にも、兄または姉の治療に協力するべきだ……
という理屈になるらしい。

しかし、この理屈は、兄弟ともに、自然に生まれてきて、
たまたま後から生まれた方がドナーになれるという場合にしか当てはまらないんじゃないだろうか。

救済者兄弟の場合、
「恩恵を与える存在」となる遺伝子配列を持っていたことが生命の根拠であるわけだから、
この子に協力を強制する理屈の中に「たまたま」などという偶然の仮説を忍び込ませるのは
ものすごく卑怯なことのような気がする。

余剰胚の研究利用についても
「胚の生みの親と、決して生まれるよう呼びかけられることのない生命と、
こうして行われる研究から恩恵を受けるかもしれない人々の間の潜在的連帯性」によって
正当化されるんだそうな。

「決して生まれるよう呼びかけられることのない生命」というのは
「どうせ誰も欲しがらない生命なんだから棄てちゃっていいよね」ということの政治的な言い換えですね。

例えば、世界で最初の救済者兄弟を作るための選別には30個の胚が作られたというのだけど、
(この話は、今読んでいる資料の中にあるので、詳細は次のエントリーにて)

そのうち29個、つまり圧倒的多数は、最初から、
社会で暮らす恩恵を受ける可能性を完全に奪われていたのに、
そういう胚にまで「潜在的連帯性」を負わせることが出来るものなんだろうか。

おそらくは廃棄されることを前提に人の都合で勝手に作られて、
そのまま実験に使われて、予定通りに廃棄される胚にまで
都合よく潜在的連帯を負わせる……。

最先端科学の国際競争に打って出るには、なりふりも建前もかまっていられない……
そういうホンネの正当化のために、どの国の生命倫理も、なんと浅ましい詭弁を弄することだろう。

小出氏は、このような連帯の原則に対して、
1998年にEUの生物医学第2プロジェクトが公表した「バルセロナ宣言」の
4つの倫理原則を挙げる。

傷つきやすさ(vulnerability)
自律(autonomy)
尊厳(dignity)
統合性(integrity)

そして、連帯の原則が過度に重視され
生まれてくる子どもの尊厳、統合、傷つきやすさがおろそかになっている、と批判。

「連帯性の原則を自律や尊厳の原則に優先させるような社会は、
本当によい社会とは言えないのではあるまいか」と。


私は、このフランスの「潜在的連帯性」で、また
北九州でおにぎり1つが食べられずに餓死した、あの男性のことを考えた。

私はフランスのことは、全くわからないけど、

英語圏の生命倫理が錦の御旗に掲げる自律・自己決定権が
「生きる」という方向の自己決定には支える方策の道を閉ざして
「死ぬ」という方向にだけ道が開かれた自己決定権であるように、

フランスの連帯もまた、
貧困や雇用、障害者・高齢者・子育てなど医療や福祉・社会保障という文脈に持ち込まれることのない、
最先端医療を前に推し進めていく生命倫理の文脈においてのみ持ち出される連帯なのだとしたら、

それは、えらくご都合主義の連帯原則ではないか、と思う。

それとも、フランスでは
「たまたまフランスに生まれただけで自分だって移民になっていたかもしれないから」
という連帯の原則で移民労働者への差別問題が熱心に取り組まれ、

「たまたま障害を負わずに生きているだけで、
自分だって障害を負っていた可能性はあるし、これからだってあるのだから」と
どんな障害を負っても自分らしく地域で暮らせる社会作りが推進されて、
支える医療も福祉・介護サービスも充実しているのかしら。


2009.09.28 / Top↑
今年6月の48歳のMS女性 Cari Loderさんのヘリウム自殺に関連して、
死ぬ権利ロビー団体のThe Friends at the End (FATE)の創設者である
Libby Wilson医師(83歳)が最終的な死に方の指南をしたとの容疑で逮捕される模様。

記事は、先日の公訴局長(DPP)のガイドラインが出て以来、
初めての自殺幇助事件での逮捕者だと騒いでいるし、

自殺幇助合法化ロビーは、
この事件を法律整備が必要だと主張する根拠に利用しようと狙っているようですが、

先日のDPPのガイドラインが訴追に否定的なファクターとしてあげていたのは
加害者が被害者の配偶者、パートナー、近親者または
犠牲者を長期にわたって支えてきた親密な個人的友人」であるということを考えれば、

そのいずれにも当たらない自殺幇助合法化ロビーの関係者である元GPは
罪に問われて然り……と私は考えるのですが、

Loderさんの事件では、既に近所に住むFATE関係者の男性が逮捕されているし、
また別件ではゲイの男性の自殺幇助でやはり合法化ロビーのDr. Irwinが逮捕されているのですが、
今回のガイドラインをにらみ、それぞれ保釈となって判断が保留になっているようです。

なんで、こう、何もかもが厳密さを欠いて話がぐずぐずなのか……。

2009.09.28 / Top↑
米国の医療関係者に豚インフル・ワクチンの強制接種が始まり、一部の職員や組合などから抵抗が出ている。製造を急いだワクチンの安全性には懸念がある、ワクチンの実験に使われたくない、ワクチン接種は個人の選択によるものであるべき、などが理由。:親が子どものワクチンを拒否するのが社会問題になっている米国で、新型インフルエンザのワクチンでは、医療者の中から同じ問題が起こってくるというのも……。医療関係者から安全性に疑問があるから打ちたくないという声が出ると、それなりに怖い。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/09/25/AR2009092503854.html

昨日もNYTに出ていた膝の治療用パッドスを巡るキャンダルを今日はWPが。FDAの認可で政治家から圧力があって、安全性に問題のある商品が出回った。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/09/25/AR2009092503812.html
2009.09.26 / Top↑
ごく短い記事ですが、
英語ニュースではなかなか得がたいフランスの状況がわずかながら書かれているので。

全体の論旨は、
ヨーロッパ諸国で自殺幇助の合法化への圧力が強くなっており、
共感的な理由から誰かの自殺を幇助した医師、看護師、親族に対しては
法が必ずしも処罰しないという、法的にも倫理的にも曖昧な領域となっている、というもの。

その中で、特にフランスでは、
自殺幇助で起訴され裁判で有罪になったケースがいくつもあるが、
いずれも執行猶予付きの短い刑期となっており、

共感的な理由からの行為であれば事実上罪に問われないことが
こうした判例から明らかとなっている、と。

Mixed feelings over assisted suicide rules
Times of Malta.com(Reuters), September 26, 2009
2009.09.26 / Top↑
ALS患者会の川口有美子さんの「意思伝達不可能は人を死なせる理由になるのか」。「福祉労働」6月号。“違法性なく死なせられるかという議論の前に「伝えたくない人」との信頼を築くための介護技術と支援を確立しなければならない。”
http://www.arsvi.com/2000/0906ky04.htm

アルツハイマー病の患者の脳に手術で遺伝子を埋め込み、記憶障害を改善しようという歴史的な遺伝子治療のフェーズ2の治験にボランティアを募集中。ジョージタウン大学の研究。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/164972.php

英国の看護師・助産師委員会が、DPPから出たガイドラインが出ても、看護師の仕事がこれまでと変わるわけではない、看護師の行動は各自が職務規定と倫理規定により、説明責任を負っている、看護師が患者の自殺幇助をしたら犯罪、と念押し。
http://www.healthcarerepublic.com/news/940923/Nurses-warned-assisted-suicide-guidelines/

介護におけるリスク・アセスメントとマネジメントがもっと十分に行われる必要がある。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/164998.php

英語の作文試験の採点をAIロボットにやらせようという話。信じがたいけど、国際的な学力判定試験で導入しようとしている人たちがいるんだと。:アホな。トランスヒューマニストたちもさすがに文学については触れないなと思っていたのに。文章ってな文法と論理だけじゃない。ロボットが文体なんて、どうやって味わえるというんだよっ。インターネットにA.L.I.C.E.って、会話の相手をしてくれる人工知能があって、ずっと昔、学生に英会話の練習してみたらって勧めてた時期があったけど、すぐにチンプンカンプンになって会話にならない。その程度のA.I.に、どうして作文の評価が出来るというんだ?
http://www.guardian.co.uk/education/2009/sep/25/robots-to-mark-english-essays

現在、安全性に問題が指摘されて認可の見直し過程にある膝の怪我の治療用パッドについて、去年の認可に向けてニュージャージーの政治家3人と、コミッショナーから強力な圧力がかかったとFDAが明かした。
http://www.nytimes.com/2009/09/25/health/policy/25knee.html?_r=2&th&emc=th

昨日メディアが大騒ぎしていたエイズのワクチンでの成功というのは、初めての肯定的な成果とはいえ、どうやら統計的にはほとんど意味を成さない程度の違いがあったということらしい。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/09/24/AR2009092400183.html
2009.09.25 / Top↑
1918年のインフルエンザの大流行では
世界中で5000万人が死んだとされているが、

万が一、新型インフルのウィルスが変異して悪性化し、
当時に匹敵するような世界的な大流行となった場合に、
家族の希望に関わらず人工呼吸器を取り外す患者の基準づくりが
米国の関係者の間で進んでいる。

たたき台に使われているのは
2年前にNYの関係者らが発表し、現在、決定版を作るための検討過程にある
「ニューヨーク・プロトコル」と呼ばれるトリアージ・ガイドライン。

NYプロトコルの作成過程では
1918年次のパンデミックの教訓を元にシミュレーションをしたところ、
まず呼吸器が圧倒的に不足することが分かったため、

プロトコルでは対策の1つとして、
パンデミックの間、緊急度の低い手術を禁止して呼吸器を確保する。

次にNYでは1200台の呼吸器を追加購入して、
中等度の流行には対処できるだけの数を確保した。

その次の、さらに本格的大流行が起きた場合の第3の策として、
呼吸器の配給制度を定めているもの。

腎臓障害、転移して予後の悪い癌、死に至る可能性のある「重症で不可逆的な神経障害」など
慢性的な重病のある人たちから家族の意向に関わりなく呼吸器を引き上げるとしており、

患者本人や家族の同意なしには呼吸器をとりはずすことを禁じた州法への
法的な対応策が現在、検討されている。

また、担当患者を巡って医師らからの綱引きや圧力を想定して、
患者選別の担当者は極秘とされることもNYプロトコルには含まれている。

2007年に発表された際には、
今後、広く一般や高齢者、障害者、有色人種の地域住民、子どもを持つ人などから
意見を聞いて最終的なヴァージョンを作ると言われていたが、
こうした人たちの利益は生命倫理学者が十分考慮しているというだけで
直接的な意見聴取はほとんど行われていない。

また、カナダのオンタリオの保健医療当局が2006年に開発したプロトコルもあり、
こちらは集中治療室に送る患者の優先順位をつけるために
臓器の機能の量的アセスメント・ツール、
The Sequential Organ Failure Assessment (SOFA)スコアを考案している。

生存率を予測できるものではなく、また子どもでの利用はまだ未調査だが、
今回NY プロトコルを元に基準を作っている米国の専門家は
他にトリアージの基準がないことから、SOFAに注目している。

これら専門家の会議は非公開。

州によっては、災害時の医療に関して医療関係者を免責する法律を作っている州も
ルイジアナ、インディアナ他、何州かあり、

コロラド州他では、これらの問題に対処するための
特別命令(executive order)も用意されている。

災害時、緊急時のトリアージには批判が起こりにくいが、
近く災害時の医療に関する著書を上梓する予定の
カリフォルニア大学Irvine校のDr. Carl Schultzは
こんなプロトコルは政府にとっても企業にとっても
医療の質を上げる必要から開放してくれるのだから、
金銭的にも運営上もメリットが大きい、と批判的。

医療のスタンダードを下げることの問題は、
どこで止まるか、どこまで下げるのか、ということ。
これ以上、災害対応に資源をつぎ込みたくなければ、下げ続ければいいことになる」と。

木曜日の朝、米国保健省の依頼を受けたthe Institute of Medicineから
報告書が出される予定とのこと。



9月24日付で刊行されたthe Institute of Medicineの報告書は以下。
有料冊子のようです。

2009.09.25 / Top↑
20年間、緩和ケアをやってきたという専門医が
Timesで、DPPのガイドラインへの強い懸念を書いている。

2年ほど前、癌を告知されたばかりで激しい痛みのある女性から
殺してくれと迫られた日のことを思うと、今でも身震いするという。

それほど「殺してくれないなら、どんなことをしてでも死んでやる」と迫る
女性の感情は激しかった。

しかし、その後、痛みをコントロールできると、
その女性はあちこちへ出歩き、人と会うことに喜びを見出し、
気持ちのアップダウンを繰り返しつつも生きようとするようになった。
そして、死の恐怖を潜り抜けて、より深いところへ到達した。

そして「先生が私よりも頑固だったから、私たちはここまで来たのですね」と。

(ここで、患者さんが we と言っていることの重みを考えたい、と私は思う)

共感とは、この医師に言わせれば死なせることではなく
「ともに荷を背負い、苦しみを共にすること、
その道をともに歩むことであり、苦しみを目撃する重荷を引き受けること」。

それは病気や障害を負った人だけではなく、
誰にとっても、人である以上、苦しむだけでなく希望も持てるということなのだから。
命は簡単に脱ぎ捨てられる衣服以上のものなのだから。

たとえ本人がそれを最善の利益だと考えたとしても誰かを殺すことに加担するのは間違いだと
明確に定めた法律がセーフガードになってこそ患者も医師も守られて、
このような緩和ケアが実現できるのであり、

今回のガイドラインで
一定の条件さえ満たせば自殺幇助が罪に問われないとされてしまえば、
本当なら見出せるはずの希望にたどり着くまもなく、
死を急ぐ人たちが出てきてしまう。

このガイドラインはセーフガードを危うくするものである。



2番目にこの記事に寄せられたコメントが鋭くて、
この素晴らしい記事が、どうして健康欄に隠しこまれているの?

今回のガイドラインをめぐる報道を見ていると、
明らかに英国のメディアは偏向している──。



2009.09.25 / Top↑
英国の自殺幇助ガイドラインについてNYTの記事。トップニュースの1つ。法学者のコメントで、このガイドラインは医師による自殺幇助に向けた運動をすべて停止させるもの、自殺幇助は医師やスイスのDignitasの手を借りてやることではなくなる、と。:愛する人が死にたがっていて、利害なしに共感的に手伝うのだったら、手伝って死なせてもいいのだったら、医師による幇助はいらないことになる。というか、殺してもいい、ということにだってなるのでは? というのは、ここで書いたばかり。うん。やっぱり、あのガイドライン、そういう解釈が成り立つと思う。なんで英国人は誰もそれを言わないのだろう?
http://www.nytimes.com/2009/09/24/world/europe/24britain.html?_r=1&th&emc=th

TimesにDPPの追加発言。免罪するものではないとか、無罪放免の保証はなく、あくまでも個別の判断だとか、未だに自殺幇助そのものは犯罪だとか、これで英国にDignitasのようなクリニックが出来るわけでも自殺が増えるわけでもない、とか、:もう、私にはワケが分からない。DPPを含めて、みんな、言葉を厳密に定義しないまま、言っていることが曖昧すぎる。1つの言葉で意味する内容がバラバラ過ぎる。
http://business.timesonline.co.uk/tol/business/law/article6845582.ece?&EMC-Bltn=AEIFGB

弟(兄?)を2003年にDignitasに連れて行ったという女性がDPPのガイドラインを歓迎する文章をGuardianに書いている。
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2009/sep/23/assisted-suicide-guidelines-dignitas

アルツハイマーの作家Prachett氏が自由民主党で講演し、アルツハイマー病研究にもっと助成を、と。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/164864.php

病院がコストカットのために外来患者の透析部門を閉鎖していて、病院の低所得者に対する無料透析サービスが受けられなくなる移民が命の危機に。:そう言われないから、そう感じられないだけで「見殺し」が起こっている。
http://www.nytimes.com/2009/09/24/health/policy/24grady.html?th&emc=th

HIVのワクチンの大規模治験で初めて感染リスクが下がったというのだけど、この大規模な治験、タイで16000人にワクチンを打ったんだと。米軍とタイ政府の共同実験。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8272113.stm

加齢により心臓病で死ぬリスクはビタミンDの不足で高まると、コロラド・デンバー大医学とMGHの研究で。:どうも、ビタミンDは最近ほとんど万能薬のようにあちこちで研究者にもてはやされているような気がしていけない。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/164790.php

ブラウン首相が途上国の1000万人に無料で医療を届けると約束。英国、オーストリア、ノルウェイ、オランダが参加するプロジェクト。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/politics/8271882.stm
2009.09.24 / Top↑
昨日のDPPのガイドラインを受け、
MS協会からのレスポンスが出ています。

ガイドラインによって自殺幇助にGOサインが出たが、
医師による幇助がないのだから、人々の情報源はGoogleだけということになる。

英国社会が自殺幇助を受け入れられるかどうかを決めるのは
DPPや裁判所や要介護状態の人たちの仕事ではない。

MS協会としては、こうなった以上、
自殺幇助の法制化が必要かどうか
Royal Commission(王立委員会)から政府に答申してもらいたい。

Assisted suicide and new DPP guidance
MS, News & Events, September 23, 2009


これを読んで、気づいた。

あのガイドラインは、
身近な人の「自殺幇助」を罪に問わない場合の条件を述べているのだけど、
では、どういう行為が「幇助」に当たるのかは規定されていない。

どこまでが「幇助」で、どこからが「殺人」なのだろう。

その線引きを決めるのは警察の仕事ということなんだろうか。

まさか、本人意思や共感や誘導の不在など、
ガイドラインに挙げられていた条件さえクリアすれば、殺したっていいということ……?

Purdyさんはスイスに付き添って行く行為しか頭にないようなコメントをして
それで済むかもしれないし、

MS協会のいう「Googleだけがリソース」というのも
自殺幇助サービスの利用を前提にしているようだけど、

このガイドラインは海外での自殺幇助だけでなく
イングランドとウェールズ国内での自殺幇助にも適用されるとDPPは明言しているわけだから、

そこのところが曖昧でいいんだろうか。

もしも本人意思に共感的にやることなら殺したって無罪放免なのだったら、
医師による自殺幇助の必要などなく、素人が勝手に殺したっていいことにならない……?

なんか、ワケがわかんなくなってきた……。


【追記】
その後、確認したところ、DPPのガイドラインは自殺幇助に関するものであり、安楽死については別。

よって、あくまでも死ぬのは本人。DPPのガイドラインがカバーしているのは、そのお手伝いをした場合。
死にたい人が自分で死ねないからといって、殺したら、それは殺人になる、とのこと。

こちらのサイトの定義によると、
直接的に死を引き起こす最後の行為を誰が行うか、が安楽死と自殺幇助の線引きをするらしい。

だからDignitasでは、毒物を手渡した後、
「これは自分で飲まなければならない」と言って、自分で飲ませている。

でも、そういう線引きで本当にいいのか……?
2009.09.24 / Top↑
どうも、メディア報道だけを読んでいても判然としないので、
直接、公訴局のサイトに行って以下の当該プレスリリースを読んでみました。


なお、記者向けのブリーフィングのビデオはこちら

直接読んでみて、
メディアがあまり重視していないけど本来重視すべきだろうと思う点は以下の2点。

・あくまでもこれは中間方針であり、今後3ヶ月間のパブコメを経て最終的なものとなること。
・この文書では「被害者」「加害者」という表現が使われていること。


その上で、この文書から
訴追する方向にカウントされる公益ファクターを以下に。

•The victim was under 18 years of age;
•The victim's capacity to reach an informed decision was adversely affected by a recognised mental illness or learning difficulty;
•The victim did not have a clear, settled and informed wish to commit suicide; for example, the victim's history suggests that his or her wish to commit suicide was temporary or subject to change;
•The victim did not indicate unequivocally to the suspect that he or she wished to commit suicide;
•The victim did not ask personally on his or her own initiative for the assistance of the suspect;
•The victim did not have a terminal illness; or a severe and incurable physical disability; or a severe degenerative physical condition from which there was no possibility of recovery;
•The suspect was not wholly motivated by compassion; for example, the suspect was motivated by the prospect that they or a person closely connected to them stood to gain in some way from the death of the victim;
•The suspect persuaded, pressured or maliciously encouraged the victim to commit suicide, or exercised improper influence in the victim's decision to do so; and did not take reasonable steps to ensure that any other person did not do so.

訴追に否定的な公益ファクターとなるのは、

•The victim had a clear, settled and informed wish to commit suicide;
•The victim indicated unequivocally to the suspect that he or she wished to commit suicide;
•The victim asked personally on his or her own initiative for the assistance of the suspect;
•The victim had a terminal illness or a severe and incurable physical disability or a severe degenerative physical condition from which there was no possibility of recovery;
•The suspect was wholly motivated by compassion;
•The suspect was the spouse, partner or a close relative or a close personal friend of the victim, within the context of a long-term and supportive relationship;
•The actions of the suspect, although sufficient to come within the definition of the offence, were of only minor assistance or influence, or the assistance which the suspect provided was as a consequence of their usual lawful employment.


このなかで「ちょっと待ってよ」と即座に頭に赤ランプが付いたのは
自殺希望者の状態に関する条件で、

この文書は許容範囲を、
A terminal illness or a severe incurable physical disability or a severe degenerative physical condition from which there was no possibility of recovery 
としていること。

ターミナルな状態の人だけでなく、
不治の重い身体障害のある人、
重い進行性の身体障害のある人が含まれている

じゃぁ、
ターミナルな状態と障害は別概念で混同するな。障害者には関係ない」といって
自殺幇助合法化に反対する障害者を攻撃していたBMJの副編集長やWarnock議員は、
このガイドラインに反対しなければ筋が通りませんが?

それから、アルツハイマー病の作家Prachette氏が数ヶ月前からこの議論に参戦していますが、
病気が進行すれば身体障害も現れてくるアルツハイマー病は
果たしてこの中に含まれるのかどうなのか……。

もう1つ、ものすごく気がかりなこととして、
合法化されている多くの国や州で条件に加えられている「耐え難い苦痛」が見当たらないのです。
メディアは全く触れていませんが、この条件を除外してこそ身体障害者の対象化が可能になっているのです。

もしも、このガイドラインが将来の合法化への一歩だとすると、
これまでの国や州での尊厳死法の規定をはるかに超えた対象条件の緩和ということになります。

それから精神障害・知的障害について一律に除外するのではなく、
「十分な説明を受けた上での自己決定が障害の影響で出来にくくなっている場合」とのみ除外していることも、
“解釈次第”の余地が残されているような……?

曖昧でありながら、どの国や州よりも大きく何かが飛び越えられてしまった……というガイドライン――。


2009.09.24 / Top↑
Dr. Deathこと、オーストラリアのDr. Nitschkeが創設した組織Exit International が
バンクーバーの図書館で9月上旬にワークショップを予定していたらしいのですが、

警察から、その内容が憲法違反に当たる可能性を指摘された図書館が
部屋の利用許可を撤回した、とのこと。

Exit International 側は“言論の自由”を侵されたとして争う姿勢。

また11月にもバンクーバーのほかの地区で
同様のワークショップを開催する予定もあるとのこと。

Library Nixes Final Exits
The Seattle Post-Intelligencer, September 22、2009/09/24



ワークショップは、以下のエントリーで追いかけてきたものと同じらしく、
2部構成で、前半で自殺幇助合法化議論の概要と、その理念を解説し、
後半では55歳以上の人を対象に実際にラクに死ねる方法を教える、というもの。

カナダでは現在議会に自殺幇助合法化法案が提出されており、
9月後半にも審議入りとのことなので、
合法化ロビーが国外からもたくさん入り込んでいるものと思われます。

ちなみにケベック州医師会は合法化支持を打ち出しています。



2009.09.24 / Top↑
【9月30日追記】
コメント欄でドイツの安楽死合法化に関する日本の報道は不正確であると教えていただき、
教えていただいた英語情報を確認したうえで、
以下の「ドイツは6月に安楽死を合法化」のリンク先の記事は非公開としました。

         -------

今回のガイドラインを受け、
BBCが世界の自殺幇助合法化議論の概要をまとめている。

その冒頭にグラフが2つ。
その1つに、たまげる。

スイスのDignitasで自殺した英国人が110人を超えただけでも衝撃的な事実なのに、
この1998年から2008年までの国籍別自殺者数のグラフで図抜けているのは
その英国人ではなく、なんとドイツ人で、
2008年時点ですでに500人を超えている。

ちなみに、記事には何故か書かれていませんが、
ドイツは6月に安楽死を合法化しています。

この記事が「過去1年間に自殺幇助を認めた国や州が3つ増えた」と書いているのは
米国ワシントン州、モンタナ州、そしてルクセンブルクのことだと思われます。

また記事によると、2002年に合法化した人口1700万のオランダでは
年間2300人が幇助を受けて自殺しているとのこと。
ただし、耐え難い痛みがあることと回復の見込みがないことを条件とし、
このような経験のある医師を含めた2人の医師の判断が必要。

うつ病患者の場合の判断がよく問題になる、とのこと。

また、そのオランダからも、この11年間に
800人以上がDignitasで自殺しているものと推測される。



また、BBCはこの記事と平行して
「アジアの自殺幇助に対する姿勢」として
中国の全身麻痺の男性を取材した記事を書いている。

男性が
自分としてはこんな状態で生きていたくないし安楽死を望んでいるのだけど、
中国では死について話すことそのものがタブーだし、
世間体や面子を考えるから誰も家族を死なせるなんてできないのだと語るのを、

このような重い障害を持った男性に生きることを強制する
アジアの文化の非情……といったトーンで書いている。

Asia’s attitude to assisted suicide
The BBC, September 23, 2009


まぁ、BBCといえば、英国のメジャーなメディアの中でも
飛びぬけて科学とテクノのニュースが好きなところだし、

アルツハイマー病の作家へのインタビューでも
インタビュアーがものすごく積極的に誘導していましたが、

中国で、こういう主張をする男性障害者を一人探し出してきてインタビューして
それで「アジアの姿勢」とタイトルを打つというのも、いかがなものか。


また、同じく今朝拾ったニュースで
米国ニューハンプシャー州の下院議会の法務委員会が
自殺幇助合法化法案の提出の検討に入った、とのこと。




2009.09.24 / Top↑
今回のガイドラインと、その前後のメディアの騒ぎを受けて
2005年にPurdyさんと同じMSと診断された 惑星科学者のColin Pillinger氏が
「もう黙っていられない」と声を上げている。

この議論はDebby Purdyというたった一人のMS女性の声だけで進んでいて
まるで進行性で不治の病気の患者はみんな家でなすすべもなく横たわっていて
スイスに行って死ぬことだけを望んでいるかのような印象を与えてしまっているが
実際には生きがいを持って日々を暮らしているMS患者もたくさんいる。

MS患者は死んでもいいのだということになれば、
MS治療法の研究のための資金が集まらなくなってしまうではないか。

ガイドラインなどなくても法律は明確なのだし、
とりあえず現実にこれまで罪に問われた人はいないのだから、
Purdyさんの夫が罪に問われるリスクを引き受ければいいだけのことだろう。

(この点についてはここにも書いたように私も同感。
でも、この人たちに代理訴訟を戦わせて広告塔にしたい人たちがいるという事実の方がたぶん大事なんだと
私はその後考えるようになった)

作家のTerry Pratchettがアルツハイマー病についてしゃべっているのも同様だが、
MSについても、たった一人の女性の主張で物事がネガティブに進んできた。

今こそ、ポジティブな姿勢が必要。
死ぬことではなく生きることについて議論しなければならない、と。

Pillinger speaks out on dying debate
The BBC, September 23, 2009


この議論は、
「障害者は死にたいと望んでなどいない」いや「望んでいる人もいる」という
先般のCampbell vs. Shakespeare 論争と重なる点があり、

また、治療法の研究を進めるのか、それとも死にたいのかの2者択一と捉えている点では
Peter Singerが障害者全般に突きつけている「どちらかを選べ」という論理
乗せられてしまっているような危うさもあると思うのだけど、

この2つの点については頭の中がガチャついているので、
もうちょっと考えてから。


ところで、Pillinger氏から名指しされているPratchett氏も、
早速BBCのインタビューを受けている。

Pratchett on how he wants to die
The BBC, September 23, 2009


ビデオを見る限り、インタビュアーは予見に満ちて
いわゆる「回答を相手の口に入れてやる」ような質問をしては
むしろPratchett氏の方が慎重に言葉を選んでいるのが印象的。

Pratchett氏の発言の要点は、だいたい以下。

アルツハイマー病の研究にはもっと資金もつぎ込んで力を入れなければならないが、
我々は自然にプログラムされた以上に生きようとするようになり、
80歳でも満足せず95まで生きなければ嫌だと言い始めている。
そういうのは、どんなものか。

今の自分はアルツハイマー病であっても、それなりに満足して暮らしているが、
病気が進行して、状態が悪くなれば、GPに薬を処方してもらい、
家でブランデーを片手に死んでいきたい。
それは自殺ではなく、自分の人生から少し早く立ち去るだけのこと。

政府は自分で自分のことを決めることができない人の面倒を見ればよい。
自分で自分のことを決められる人は自分で面倒を見ればよいのだ。

印象的なのは、
インタビュアーがしきりに「あなたは自分がコントロールしたいんですよね」などと
コントロールという言葉を使わせようと誘導していること。



私は逆に、
「80歳でも不満で、95歳まで生きなければダメ」などと
なんでも科学とテクノでコントロールできると信じる文化こそが能力至上の価値観を背景に隠し持って、

「能力を失ったら生きている価値がない」というメッセージを世の中に広めているのだと思うのだけどな。
2009.09.23 / Top↑
7月のPurdy 判決を受け、公訴局長(DPP)が検討していた
家族による自殺幇助に関する法を明確化するためのガイドラインが発表されました。

このガイドラインは、どういう場合に誰かの自殺を幇助した友人・家族が罪に問われるかという
条件の明確化を狙ったもので、法律そのものが変わるわけではないので、
自殺幇助は英国ではこれまでどおり最高14年の禁固刑の対象となる違法行為であり、

このたびのガイドラインでも、
全ての事件が警察の捜査対象とされるべきことを明記。

Keir Starmer公訴局長は「訴追しないとの保証はない」と。

また
「最も弱い人たちを守り、同時に、その一方でPurdyさんのように
自分が選択した行動について十分な説明を受けた上で決断したい人たちのために
十分な情報を提供することが私の仕事である」とも。

これによって、ターミナルな病状の人や不治の病気の人の自殺が増えるのでは、との問いには答えなかった。

ガイドラインによると、
自殺幇助事件で起訴されるかどうかの決定に考慮される点としては

・その人が自殺幇助によって金銭的な利益を得る立場にあるかどうか、
また共感から行った行為であったかどうか。

・死にたがっていた人に意思決定能力があり、
そのような決定をしたいとの明白で揺るがない望みを持っていたかどうか。
特に18歳未満であったとか、精神疾患があった場合には注意が必要。

・自殺への説得や圧力がなかったか。自分自身の決定であったか。

ガイドラインは即座に実施されるものの、
同時にパブリック・コンサルテーション(日本のパブ・コメにあたる)が開始され
その結果の公表は春になる。


私には、このガイドラインの、一体どこが明確なのか、よく分からない……。
どうして、これで「最も弱い人たちを守」ることができるというのか。

Assisted suicide law ‘clarified’
The BBC, September 23, 2009


スコットランドの議会に自殺幇助合法化法案を提出しているMargo MacDonald氏から
ちょっと興味深いガイドライン批判が出ている。

Purdyさんはこれで嬉しいかもしれないが、
スイスのDignitasへ行って死ぬためには3000ポンドもかかる。
付き添っていく人がいればそれ以上かかるわけで、誰でもが行けるわけではない以上、
公訴局長のガイドラインは平等なものとはいえない。

(ガイドラインはイングランドとウェールズ内でも適用されることになっており、
必ずしも海外へいく場合のみではないので、この点はMacDonald氏の誤解と思われます)

それに、こんなガイドラインで本当に弱者を守ることが出来るのか。
本人が死にたがっていた動機についてGPの見解と警察の解釈がずれた場合には
一体どちらの専門的見地が優先されるのか。

その点は自分が提案した法案では
素人ではなく専門家によってアセスメントを行うので、曖昧になることはない。

第一、このような法律の解釈を公訴局長といった官僚に小手先でやらせるのは
政治家が立法者としての責任を回避している以外のなんでもなく、
スコットランドでは人民の負託を受けた政治家がきちんと法律を作って対応すべきである。

世論調査ではマジョリティが合法化に賛成しているのだから、と
法律できちんと合法化するべきだと主張。

Margo MacDonald : The die isn’t quite cast on assisted suicide law
By Margo Mac Donald,
The Evening News, September 23, 2009


それがどうしてスコットランドでの合法化を正当化する根拠になるのかは別として、

ガイドラインの曖昧さと、
議会が合法化を否決した直後とあって官僚のガイドラインで事実上の規制緩和を狙った
Purdy判決そのものの姑息さとを、この批判はよく突いている、と思う。


【24日追記】
その後、DPPのサイトに行って、当該リリースを読んでみたところ、
曖昧どころではない、とてつもなく”先進的な”ガイドラインだということが分かり、
こちらのエントリーを書きました。



2009.09.23 / Top↑
AFPの日本語ニュース。去年の暮れにこちらのエントリーで取り上げたケースで、韓国の安楽死裁判で初めて呼吸器取り外しが認められた脳死の75歳の女性今年6月に呼吸器を外された後も自発呼吸で生きている。:「不可逆的な脳死状態」との判断には誤診の可能性があるということだ。ちなみに当ブログでは植物状態の5例のうち2例に誤診の可能性というニュースを拾っている。
http://www.afpbb.com/article/life-culture/health/2644553/4640045

学会やセミナーでの情報提供の機会が医師と製薬会社の癒着の温床となっているとの批判を受け、巨大ファーマGlaxoAmithKlineが、そうした機会を制約する、と。:新薬に関する情報とか、最新の治療について勉強する場とか、医師にはそういうのは必要なんだというのは分かるのですが、そういう場が medical education と称されているというのが、なんというか、そのように言いなしてごまかすべきものの存在を物語っているのではないかと思ったりもする。だって、お医者さんたちに製薬会社が”医学教育”を行う場だというわけですよね。この情報提供のセミナーなどがマーケッティングに使われているとの批判の記事を読んだ時、medical educationというのだから最初は医学生への医学教育のことだとばかり思いこんで、どうしてこんな文脈で“医学教育”が飛び出してくるのか、わけが分からなかった。
http://www.reuters.com/article/marketsNews/idUSN2132353420090921

英国でNHS外で自費の股関節置換手術を受けた人は、後に高額なやり直し手術が必要となる確率が高く、それをNHSがかぶっている、と。
http://www.timesonline.co.uk/tol/life_and_style/health/article6843637.ece?&EMC-Bltn=WS41GB

地球上の大河のデルタはみんな温暖化で沈み、何百万人もの命が脅かされる、との予測。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/science/nature/8266500.stm
2009.09.22 / Top↑
国際育成会連盟から後見人制度に変わるものとして「支援付き意思決定制度」の提言。国連の障害者人権条約の精神にのっとって、本人の権利が誰かに明け渡されるのではなく。まだちゃんと読めないけど。
http://www.inclusion-europe.org/documents/PositionPaperSupportedDecisionMakingEN.pdf
http://www.ikuseikai-japan.jp/pdf/position-paper2.pdf

植物状態の患者22人に特定の音を聞かせてから、目に空気を吹き付けることを繰り返す、というパブログ式の実験で、音を聞いただけで目に空気が吹き付けられることを予測する反応を見せた人が数名いた。植物状態で意識がないとされる患者にも学習能力がある可能性がある。もっとも、意識がない患者でも起こることだとも。:いずれにせよ、植物状態の患者の臓器は狙われている。だからこそ、こうした研究がもっと行われてほしい。私は植物状態はコミュニケーション障害だという小松美彦氏に賛同する。少なくとも本人に害になる決定は、意識がないことが100%確認できなければ行うべきではないと思う。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8260774.stm

これまで当ブログでもチューリッヒ市の動きなどを追いかけてきましたが、スイスの議会の中にDignitasへの規制強化を求める声。全面禁止を望む声も。この記事は、英国で水曜日に見込まれている公訴局長のガイドラインが自殺幇助規制の緩和に向かうことを予測して、その一方でスイスの規制強化に向かう動きを伝えるもの。
http://www.independent.co.uk/news/world/europe/swiss-turn-against-suicide-tourism-as-uk-law-softens-1790713.ece

その公訴局長がGuardianの取材を受けて、概要をしゃべっている。弱者を守りつつ、社会の多くの人が罪に問うべきではないと感じるケースを明確にする、んだとか。出てくる線としては昨日のエントリーの後半にまとめたような形らしい。
http://www.guardian.co.uk/society/2009/sep/20/assisted-suicide-guidelines-purdy-starmer

米国のDr. Death, Kevorkian医師、日曜日にKutztown大学(米国らしい)で講演し、オーディトリアムが満員に。:映画を作る人がいれば、しゃべらせる人がいる。この映画が日本で公開される時、今度はメディアがどういう情報操作をするのだろう。
http://wfmz.com/view/?id=1270091

オーストラリアの首都特別地域のウォーク・イン・クリニックでは看護師にレントゲンを読ませようという案が出ているらしい。
http://www.canberratimes.com.au/news/local/news/general/concern-at-nurse-analysis-of-xrays/1628583.aspx?src=enews

オーストラリア野党の大物政治家がうつ病で休職。周辺からは支持の声。
http://www.canberratimes.com.au/news/local/news/general/praise-for-mp-taking-leave-to-treat-depression/1628119.aspx?src=enews
2009.09.22 / Top↑
ちょっと前に、骨減少症というのは単に歳をとったら骨が減少するという自然現象なのに、
それが骨減少症という名前をつけられて“病気”に仕立て上げられることの怪について
以下のエントリーを書いた。


それで、余計に違和感が強かったのかもしれないのだけれど、
昨日だったか今日だったか、朝のNHKの番組で
サルコペニアがどんなに恐ろしい病気であるか、
それを予防するためにはどうしたらいいかという話題が出ていて、
うわぁ、骨減少症と全く同じだ……と思ったら、心底、げんなりした。

サルコペニア、日本語では、加齢性筋肉減少症という。

つまり、「歳をとると筋肉が少なくなりますよ」という
昔から言われてきた当たり前の自然現象に、
なんだかギクッとさせられる名前が付いただけ。

それにしても、響きの悪い“病名”ですこと。
ものすごくタチの悪い細菌の感染症でも連想しそうだ。

以下に、検索で出てきたサルコペニアを説明したサイトを2つ。
上が萬有製薬のページで、こちらは骨減少症と一緒に説明されている。
下が味の素のページで、サルコペニアの予防にはアミノ酸がいいですよ、という話。
http://mmh.banyu.co.jp/mmhe2j/sec05/ch058/ch058g.html
http://www.ajinomoto.co.jp/kfb/amino/aminosan/himitu/1_print.html


確かに、「もう歳だから」と諦めて何もしなければ
筋肉だって骨だって少なくなる一方だと言われれば、
そりゃ、体操したり食べ物に気をつけて予防するに越したことはないでしょう。

だから、予防のための啓発なんて必要ないと言うつもりはないです。

でも、予防の意識を持てと啓発したいからといって、
どうして歳を取れば誰にでも起こる自然現象に
ややこしげな名前をあえてつけて“病気”に、つまり“異常な状態”に
仕立て上げなければならないのだろう。

だって、昔から、ずっと
「歳をとったら筋肉が衰えてきますよ、気をつけましょうね」という話はあった。
それで、どうしていけないのか。

それに、
“病気”つまり“起こってはならない異常な状態”に仕立てあげて、予防、予防とおめかれると、

こっちとしては、まるで
努力さえすれば自己責任で完全に防げるかのように思わせられてしまうのだけど、

それは本当のところ、いったい、どうなのか?

加齢による自然現象であれば、
いくら努力して予防に努めたって限界というものがあるはずでは?

この辺りが、私には医療費節減のヒーロー予防医学のマヤカシのように思えて、
なんとなく眉にツバ塗りたくりたくなってしまう。

加齢によって誰にでも起こり、努力しても実は防ぎきれない自然現象を
“病気”に仕立てて予防の必要をおめきたてることによって
「老い」は自己責任で予防すべき「病的な異常」にされつつあるのではないのか。

このエントリーを書くための検索で、実はもっとすごい“病気”が出てきました。


歳をとるにつれて男性の性欲が衰えるのも、いまや“病気”なんだと。
じゃぁ、さ、「健康な高齢者」って、どんな人間像だというのよ、いったい?

ちなみに、このLOH症候群の報告書の出所は、株式会社マーケティングセンター。

だから、ね、
テレビでサルコペニアがどうのこうのと垂れられる講釈を聞いて、
「わ、こわい、歳をとったら大変な病気になるんだ……」と不安に陥れられるよりも、

なんで萬有製薬とか味の素とかが熱心に“サルコペニア”を論じるのか
なんで株式会社マーケッティングセンターが加齢による性欲低下を病気に仕立てるのか、
よ~く考えてみたほうがいいんじゃないのかなぁ。

世界経済でグローバリズムとネオリベラリゼーションが起こしたことを
いま科学とテクノロジーのネオリベが後追いしているのだと私は
このブログをやりながら、ほとんど確信してしまったのだけど。
2009.09.21 / Top↑
9月9日、著名なクラシックの音楽家で作家でもある Pamela Westonさんが
スイスDignitasの幇助を受けて自殺。享年87歳。

Westonさんは慢性疲労症候群に長年苦しんでいたほか、
最近では2年間に4回の心臓麻痺を起こしているが
ターミナルな病気だったというわけではない。

Westonさんは死ぬ前に心境を書いた手紙を残しており、
それが The Sunday Times によって公開された。

死にたい以外の望みはない、
言葉もうまく出てこないし食欲もない、
プロとして文章も書けなくなった、
体力がなさ過ぎて、しんどすぎて……などのほかに、

他の人にも同じことを薦めるつもりはないが、
自分にとってはこれが正しい決断だと思っている、
英国もスイスのようになってほしい、濫用の可能性もあるかもしれないが
自分の見る限りスイスで濫用されているとは思えない、など。

Westonさんは今月初めに救急飛行機でスイスに飛んでホテルに入り、
そのホテルにDignitasの医師がきて、
Westonさんの精神状態が健全であること、自らの意思であることを確認した上で、
本人が致死量のバルビツレートを飲んだ。

しかし、慢性疲労症候群は
精神的な原因で起こるものとされているため、
その点を問題視する声も。

The Farewell of an assisted suicide
The Times, September 20, 2009/09/20


もう1つ、この記事から注目される情報として、
最近、英国ではCari Loder さんのヘリウム自殺で70歳の近所の男性、
ゲイの男性のDignitas行きに資金を出し付き添ったDr. Michael Irwinなど、
自殺幇助容疑での逮捕者が続いていますが、
いずれも11月まで保釈期間を延長して、
この水曜日にも出される公訴局長の法律の明確化を待っている、とのこと。


なお、昨日、今日と続いているニュースでは
Debby Purdyさんの訴えを受けた裁判所の命令によって作業が進んでいた
家族や知人による自殺幇助に関する公訴局長による法律の明確化のガイドラインは
この水曜日にも出される予定だとのこと。

それによって幇助する人に金銭的な利益があったと警察が証明した場合でなければ、、
誘導や強制がなく、本人の気持ちに沿って共感的に幇助したものについては罪に問わない、
という線が出される見込み、とのこと。


じゃぁ、例えば要介護状態になった人が、
家族からなんとなく迷惑視されるのを感じたり、
逆にみんなが善意であればこそ家族が介護で疲れていることに心を痛めたりして、
本当は死にたいわけではないのだけど、死んだ方が家族のためだと感じて、
家族に誘導されたわけでも強制されたわけでもなく“自らの意思で”死にたいと望んだ場合は……?

すごく貧しいから、みんなが働いていて、
とても病人の介護どころじゃないような家庭だったとしたら、
その人の自殺を幇助する家族には金銭的な利益はないのだけど……?

それから、上記3本のうちTimesの記事で、
「ターミナルな病状の人または不治の障害を負った人の自殺を幇助」となっているのが気になる。

誰か、たしか自殺幇助合法化支持の人たちが
非常に激しい口調で「ターミナルな状態と障害とは別概念で、混同するな」
言っていなかったっけ?

それに、障害は基本的に“病気”ではなくて“状態”なのだから
「不治の障害を負った人incurably disabled people」の自殺幇助を認めるなら
障害者は誰でも死にたければ手伝って死なせてあげていいことになる。

まぁ、公訴局長がそういったわけではなくて、
例によってメディアが意図してか無意識にか、不正確な表現をしているというだけなのですが。
2009.09.20 / Top↑
英国の自殺幇助に関する法律の明確化で、来週出される公訴局長のガイドラインは、「身内の自殺を助けた家族が、その人の自殺によって利益を見込んでいたと警察によって証明されない限り罪に問われることはない」という線になるらしい、と Telegraph。
http://www.telegraph.co.uk/news/newstopics/politics/lawandorder/6207151/DPP-to-set-out-assisted-suicide-law.html

2007年から米国29の州のメディケイドで低所得の高齢者と障害者がナーシングホームを出て、地域でサービスを受けて暮らせるように支援するプログラムを始めている。:そういえば大統領選の時、Obama氏はCommunity Choice Actを支持するとか言っていたけど。
http://www.nytimes.com/2009/09/19/health/policy/19aging.html?_r=1&th&emc=th

このたびの不況で、いったんは子育てのために家庭に入った高学歴の女性が仕事に戻っている、という米国のニュース。:米国では女性がみんな働いている……みたいに日本では思われているけど、案外そうでもないのか、それとも、ここでもベースラインが全然違うよ、という話なのか。ネットで受ける印象では、重症障害児の母親は専業主婦が多い反面、その他の障害だと、複数の子どもがいても働いている母親が多いような気がする。障害のある子どもがいても両親とも働いていて、さらに養子も育てているという家庭もあるし、障害のある子どもを複数養子に引き取っている家庭も結構ある。
http://www.nytimes.com/2009/09/19/business/19women.html?th&emc=th
2009.09.19 / Top↑
これまた、人に教えてもらった情報で、
朝日新聞に沢木耕太郎氏の「私の中のあなた」レビューが掲載されていたそうだ。

以下のサイトにアップされている。

私の中のあなた ~難病の姉をもつ少女の決断
「銀の街から」沢木耕太郎 
2009年9月8日朝日新聞朝刊紙面


日本臓器移植ネットワークや骨髄移植推進財団が
この映画にタイアップしていると知った時に、
おそらく日本のメディアの捉え方はこういう路線になるのだろうと
ほとんど確信したのだけど、全く想像通りのレビューだ。

“こういう路線”とは、つまり
原作となった小説が投げかけている問題が
病気の子どもを救うために人為的に臓器ドナーとして子どもを作ることの倫理性と
臓器提供における子どもの人権であるにもかかわらず、

そこからは敢えて目を逸らして、
「ここまでして病気の子どもを救おうとする自己犠牲と美しい愛の物語」にと
情緒的に問題を摩り替えていく……という路線。

このレビューも、
障害のある子どもの母親の多くが、おそらくは、げっぷが出るほど食傷している
おなじみの“あのトーン”で貫かれている。

献身的・自己犠牲的な親の(特に母親の)美しい愛──。

沢木氏にとっては、
我が子が海で溺れていたり火事の家に取り残されれば、
自分の命を顧みずに飛び込んでいくのが親というものなのだそうな。

親から虐待されたり、殺されたりしている子どもたちのニュースが
沢木氏のところには届いていないのだろうか。

この沢木氏のトーンのように
「愛情さえあれば、どんな献身も自己犠牲も苦にならないはずだ」という“母性幻想”こそが
子育てや障害児の介護に追い詰められる親から悲鳴を封じ、助けを求める声を奪っていると
私はこのブログでことあるごとに訴えてきており、

原作小説を読んだ時にも、その視点から
ここここの2つのエントリーを書いているので、
この点について私が考えることについては、そちらを読んでください。

私は自分が障害のある子どもの親となってから、
こうした「病気や障害のある子どもに献身する美しい家族の物語」においては
その子どもが必ず「天使」に喩えられることに辟易しているのだけど、

沢木氏もやはり、主人公アナの姉ケイトについて「天使のような微笑の美しさ」を語る。

沢木氏にとって、
何の罪もなく病気を背負ってしまった「天使のような」我が子のために
子への愛情から腎臓を提供するのは、親ならば、
「そこには選択という問題は起こりえない」ほど当然のことなのだ。

母親のサラは自分にはそれができないから
「どんなことをしてでも助けよう」と「人工授精まで」したのであり、
彼は“救済者兄弟”を、親の愛を実現するための究極の手段として、
もしかしたら親の臓器提供の意思を別の形で実現する代理提供のようなものとして
捉えているように感じられる。

親はそれでともかく、それが兄弟姉妹であればどうなのだろう、と
一応、答えを出さない形の問いかけで終わってはいるけれど、

しかし、
親から子への臓器提供を「選択という問題は起こり得ない」ほど当然視する点で、すでにして
臓器提供については本人の自由意志によるものとの原理原則について
沢木氏の認識は間違っている。

この原理原則は、特に生体間の場合、たとえ親子の間であっても夫婦の間であっても、
どんな間柄であっても、厳しく守られなければならないものだ。

移植によって助かる可能性のある人の身内に、どんな形であれ、
「臓器を提供するのが当然だ、選択という問題じゃない」などという
プレッシャーがかけられるようなことは絶対にあってはならない。

当人が「嫌だ」という権利が、何よりも優先して守られなければならない。
それが、この小説の主張するところの1つでもある。

しかし、親による提供を当たり前視するのと同様の甘さで(あるいは居丈高さで)、

沢木氏はアナの葛藤について書く際に
「手術を拒むことは姉を殺すことになるかもしれないが」という表現を
無造作に使ってしまう。

「アナの腎臓提供によってケイトの命が救われる可能性がある」ということは
「だからアナが腎臓を提供しないことは、アナが姉を殺すことだ」ということではない。

その区別をつけることなく書かれた「姉を殺すことになるかもしれないが」との一文から、私は
どこかで聞いた「罪もないこの子たちに死ねというのか」という恫喝の匂いを感じる。

「では、誰かの命を救うために、同じように罪もないこの子たちに死ねというのか」という声は
ほとんど聞かれなかったように、

沢木氏もケイトの「苛立ちや怒りや涙」を書きながら、
原作には丁寧にリアルに書き込まれている、アナの肉体に加えられた13年分の痛みや
一家の中での存在感の薄さや、愛されていないと感じる苦しみや自己不全感や
苛立ちや怒りや涙には一切触れることなく、
「さまざまな治療のドナーをつとめてきた」とだけ書く。

「つとめてきた」と表現される時、
それは既に「果たすべき務め」であり「義務」として
姉の臓器庫としてのアナの役割と存在は、そう書く人によって肯定され是認されている。

親ならば提供するのが当たり前だけど、兄弟姉妹ならどうなのだろうという問いかけの答えは
文章のあちこちに巧妙に(あるいは無意識に?)忍び込まされている。

なによりも、このレビューを読んで私が一番びっくりするのは
「病気の子どもを助けるために遺伝子診断でドナーとなる子どもを作る」という行為に
沢木氏がまったく衝撃を受けていないことだ。

それは、当ブログで先日から推測しているように、
多くの日本人にとってあまりにも現実味を欠いた荒唐無稽な話のように思えて、
いくつかの国では既に合法化され、れっきとした現実なのだということが思いもよらず、
映画の中の単なる“空想”として捉えているからだろうか。

それが現実の話ではないという前提に立っているから
そのように生殖補助医療によって臓器目的の子どもを作ることの倫理性については
考える必要を感じないのだろうか。

それなら、もしも氏が、これは紛れもない欧米の現実だと知れば、
このレビューは全く違う視点から書き直されるのだろうか。

しかも、非常に気になることとして、沢木氏は冒頭で
終わり方が全く違って、映画の終わり方の方が優れているから
映画を見る前に先に原作を読まないほうがいい、と薦めている

沢木氏が単なる「アクロバティックな終わり方」と「静謐で落ち着いたもの」と
テクニカルな、または情緒的な印象レベルでの違いと捉えているものは、
本当に、それだけの違いなのだろうか。

それは私たちには、映画が封切りされてみなければ、わからない。

私は一人でも多くの人に
まず、欧米ではこれはれっきとした現実なのだということを知り、
その上で、先に原作小説を読んでから、映画館に行って欲しいと思う。


(欧米での”救済者兄弟”の実態については、
当ブログが把握している範囲の詳細エントリーを文末にリンクしました)


【原作関連エントリー】
「わたしのなかのあなた」から
「わたしのなかのあなた」から 2
「わたしのなかのあなた」から 3
ネタバレを含みます。物語を知らずに映画を見ようと思われる方にはお勧めしません)




2009.09.19 / Top↑
アフリカの貧困地区が先進国の有害ゴミの捨て場所になった3年前の事件について
これまで、以下の2つのエントリーで触れてきましたが、


この事件で、まだ続いている損害賠償集団訴訟があって、
その原告の数、なんと英国の裁判史上最多の3万人以上。

有害廃棄物を送り出した英国拠点のTrafigureは
現地で廃棄作業を請け負ったTommyの責任だとして
15人の死者を出したこの事件のライアビリティをいまだに認めていませんが
ここへ来て原告それぞれに1000ポンド以上の和解金を提案。
被害者たちもやっと医療費を支払うことが出来そうだ、とのニュース。

しかし、一方で、
一時的な症状の人だけが和解の対象となって
被害の大きな慢性の障害を負った人への賠償が無視されるのでは、との懸念も。

さらに、国連の人権関連機関から今週
15人の死を直接的に廃棄と結びつける報告書が出されたり、

同じく今週リークされた同社の内部メールで
社員は廃棄物の毒性を認識していたことも明らかになっている。

Trafiguraと繋がりのある下院の保守党幹部は同社との繋がりを絶つ、と。



数日前にも、似たような重大なニュースがあったばかりで、
こちらは核廃棄物が違法に海に捨てられている、という怖い話。

Mafia ‘sank ships of toxic waste’
The BBC, September 16, 2009

カリブのマフィアが、イタリア沖で核廃棄物を積載した船を海に沈めた、と内通者があり、
警察が捜査中。

どうも、船に乗せては爆破して海に沈めるのが
マフィアによる違法な廃棄手段となっているらしい。

いったい、どこの国の──?

それに、海の安全は、食の安全は──?
2009.09.19 / Top↑
米国が自国で購入分の新型インフルのワクチンの1割を低所得国用にWHOに寄付する、と。その他に、オーストラリア、ブラジル、英国、フランス、NZ、スイスも寄付するそうだ。:日本は?
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/09/17/AR2009091704297.html

オーストラリアの人口増加率が以前の予測を上回って、大変なことになりそうだ、と。:じゃぁ、少子高齢化・人口減の日本にちょっと来てもらって……というわけのものでもないし。
http://www.canberratimes.com.au/news/local/news/general/booming-population-to-hit-35-million-in-40-years/1627027.aspx?src=enews

それなのに世界中で難民が増えて、オーストラリアにもやってきている。21世紀の大問題だ。そんなのなんとかなるみたいなフリするな、と移民大臣。:そういえば、ダウン症の子どもがいて社会的なコストがかかるとの理由でドイツ人医師の在住許可の更新を蹴って、世論の反発(ただし障害を理由にしたことではなく、地域に貢献した医師なのに、ということで)を受け、大臣がその決定を撤回させられたのは、この国だった。
http://www.canberratimes.com.au/news/local/news/political/aust-faces-tide-of-refugees-for-years/1627024.aspx?src=enews

小児の鉛の血中濃度が高いと、知的・情緒的発達に問題が生じる、という英国の研究。:結論はとっくに出ているようで、でも、まだまだ研究と論争は続く。「科学的エビデンス」とかけて「最善の利益」と解く。そのココロは、どっちの方向にも、出そうと思えば、ひねくりだせる……? あ、そのための資金さえあれば。……てことは、この研究資金も、あの療法の辺りから出ているということか。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8259639.stm
2009.09.18 / Top↑
映画「私の中のあなた」との関連で
先日からこことかここのエントリーで問題にしている
いわゆる“救済者兄弟”について、

今日、人から教えてもらった情報。

フランスでも2004年の生命倫理法改正で着床前診断の適応が拡張されて、
いわゆる”救済者兄弟”目的での着床前診断技術の使用が合法となっている。

今年9月刊行の「生命倫理」という学会誌(19号、29-36)に
それによって容認された第一子がファンコニ病であるケースを検討した
以下の論文が掲載されているそうだ。

「薬としての赤ちゃん」の倫理問題
― フランス生命倫理における人間の尊厳と人体の利用-
小出泰士


検索してみたら、
2002年段階の国家倫理諮問委員会CCNEの
検討報告らしき文書の仮訳(日本語です)がひっかかってきた。


この文書の位置づけとかタイトル、
前後の状況がイマイチ分からないものの、
ファンコニ病の2症例がここでは問題になっているようなので、

フランスでは、まずファンコニ病の子どもを持つ親からの要望があって、
それら具体的な症例の検討から、法改正議論に発展したということなのかもしれません。

それにしても、このCCNEの結論は、非常に微妙というかタテマエ論というか、

それがCCNEの悩ましさを物語っているのかもしれないけど、
だいたい以下のようなことを、何度も繰り返し、ぐるぐるぐるぐる語っている。

子供を産みたいという当然の願望と子供を物として扱う権利とを同列に考えることはできない。研究や医療行為を目的として胚を作製することが容認されないのと同様に、生まれてくる子供の立場からすれば正当視できない目的で妊娠に踏み切ることも許されるものではない。いわゆる「治療のために利用される子供」(remedial children)というのは、これまでにもいたに違いない。しかし今回のケースでは、そこに医療従事者が決定的な役割を果たしている。あまつさえ、生まれてくる子供自身のためではなくドナーのために胚を選択し子供をつくるというのは、CCNEが常々尊重している倫理観に照らしても、とうてい考えられるものではない。しかし、新たに子供を産みたいという願望が前提にあり、そのうえで今生きている子供の遺伝性疾患を治すことにも一抹の希望を寄せながら、その新生児の胚を選択するということであれば、それは第一義的な目的ではないにしても容認できる。

「まず、子どもが欲しいんですよね。ドナーが欲しいから作るんじゃなくて」

「はい。もちろんです。まず、子どもです。子どもが欲しいから生むんだけど、
 どうせ生むんだったら、ついでにドナーになる子どもがいいな……と。
 あ、あくまで、ついで、ですよ、ついで」

これって、まるで子どもの障害を理由に車の税金免除の手続きを受ける時の、

「子どもさんの送迎以外には、この車は使っていませんね。
 例えば、通勤とか買い物には使っていませんね」

「はい。もちろんです。子どもの送迎以外には乗らない車です」

「では、税金の免除を認めます」

あれと同じ……ような気がするんだけどなぁ。
(税務署の方へ:我が家では娘の送迎以外には車は使っておりません)


で、要約を教えてもらった冒頭の論文の趣旨はというと、

病気の患者を救うことは社会の義務であるとする「連帯の原則」の一方に
病気の患者を救うために身体の一部を提供するのは
あくまで本人の自発的意思によるものとする「自律の原則」を置いて考えたら
まだ意思どころか存在すらない第二子に第一子の治療手段であることを求めるのは
連帯性の行き過ぎではないか、

第二子の尊厳と統合性、傷つきやすさへの配慮を優先させるべきではないか。


CCNEの文書にも、連帯という言葉はあるので、
フランスの生命倫理の議論には、この「連帯」が原則の1つなのかもしれません。

私は英語ニュースで英語圏の生命倫理の議論ばかりに触れているからか、

着床前遺伝子診断技術が主として
障害を持って生まれてくる子どもを助けるという「連帯」の拒絶に使われていることを
まず、考えてしまう。

フランスでは違うのかもしれないけど、
もしも英語圏の生命倫理で病気の子どもを助ける社会の義務だとか連帯とかを持ち出されたら、
ダブルスタンダードも、たいがいにせ~よ……とムカつくだろうな。


これで、当ブログが把握している”救済者兄弟”を合法化した国は英国、スウェーデン、フランス。
スペインでも生まれているけど、その法的な位置づけは、このブログでは掴めていない。
米国では無規制とのこと。

【追記】
その後、送ってくださる方があり、小出氏の論文を読むことができました。
それで、こちらのエントリーを書きました。

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この、米国の無規制ということについて、ちょっと触れておきたいのですが、
現在Obama大統領の医療制度改革案をめぐって共和党からものすごい抵抗が出ていることの背景にあるのも、
医療はあくまでも個人の選択の問題だという米国人に根強い感覚のようで、

モンタナ州の最高裁で進行していて、もうすぐ判決が出る裁判で焦点になっているのも
医師による自殺幇助を受ける患者の権利は州憲法で保障されたプライバシー権であるか否か、の判断。

Ashley事件でも、擁護派から根強かったのが
子どもの医療に関する決定権は親のプライバシー権である、との主張でした。

だから、例えば、”テクノによる簡単解決”で胃のバンディング手術を受けさせられる肥満の子どもが
米国では急増していたりもする、

また、米国では個々の医療に関する法的な判断は州にゆだねられており、
国家レベルの法規制の網1つで、ばさっと……という文化ではない、という背景も。

しかし、そういうことと
連邦法レベルで保障されているはずの、守られるべきものとしての人間の尊厳とか自由とか、
障害者の権利とかいったものとの整合性がどういうふうにつけられているのか、私にはずっと疑問で……。
2009.09.18 / Top↑