2ntブログ
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- / Top↑
去年の10月から注目していた裁判に進展があった模様なので。
といっても、一体どのように捉えればいいのか、
ちょっと困惑気味なのですが。

英国の障害のある子どもの母親Sharon Colemanさんが
子どもの障害ゆえに職場で差別され、
それが原因で仕事を辞めざるをえなくなったとして
元の職場である法律事務所を訴えたものなのですが、

英国の雇用裁判所が去年10月にこのケースを
ヨーロッパ法廷に持ち込んだのは、

職場での平等な扱いに関して一定の基準を示したEUのディレクティブが
どこまでの範囲に“discrimination by association”を認めるものか、
また、どこまでの範囲で英国法に適用されるべきものか
といった点を見極めようとしたため。

discrimination by associationというのは例えば
「障害者とつながり・関係のある人が、その関係ゆえに差別されること」
などをいうものと思われます。

このケースでは息子の障害ゆえに母親が職場で差別されたという主張が、
それもまた差別として認められるかどうかが注目されており、

この母親の言い分が認められたら、
介護者にも職場での平等が保障されることになるというわけで、

(ここで言う「介護者」とはプロの介護者ではなく、
 家族や友人など無償で身近な人の介護を担っている人のことです。)

去年英国に新しくできた平等と人権コミッション
この画期的な訴訟の行方によっては英国の600万人の介護者への光明であるとして
ヨーロッパ法廷に持ち込まれた当日にColemanさん支持を表明しています。


Mother takes her fight for carers to Europe
Equality and Human Rights Commission, October 10, 2007

今日のBBCが報じたのは、
ヨーロッパ法廷のAdvocate General(senior European lawyer)が
Colemanさんがdiscrimination by associationを受けたことを認めた、
とのニュース。


Advocate Generalの言によると
平等という概念が健全であるには、
このような微妙な差別も差別を禁じる法規制で捉えられなければならない。

おそらくこれは、
障害者が職場で合理的な配慮を受け平等な扱いを受ける権利があるのと同様に、
障害児・者、高齢者を介護している人にも同じく合理的な配慮が必要ですよ、
例えばフレキシブルな勤務時間とか自宅勤務などを認めなさいよ、
ということになっていく……ということなのだろうなと
個人的には理解しており、

まだこれから複数の裁判官のパネルによって
今年後半に最終的な判断が下されるとのことなので、

私自身も素直に考えればそうなったらいいと思うし、
期待をこめて注目しておきたいとは思うのですが、

ちょっとよく分からないのは、
Colemanさんの言い分を具体的に読んでみると、
現実にこんなことがあるのかなぁ……。
ちょっと信じがたいほど「障害児だから認められなかった」と、
何でもそこにこじつけているようにも思えること。

もう1つは
家族を介護している人が職場に何人もいるのが当たり前という時代に、
こういう権利が認められて訴訟が起こせるとしたら、
それで職場というものは現実に回っていくものだろうか、

そうした配慮のためには当然資源が必要になるわけで、
そこの手当ては一体どうなるのだろう、
という疑問。

折りしも、昨日のTimesには、
地方自治体の介護サービス財源の不足から
サービス給付が重度の人に重点化されつつあり、
高齢者、障害児・者の多くが給付基準から外れて
自腹でしのぐしかなくなっているとの記事も。
(この問題は日本でも明日はわが身という感じですね。
あ、英国はもともと無料が前提で来てるところが根本的に違ってますが。)

在宅支援・地域支援の介護サービスがなくなれば、
それだけ家族の介護負担は重くなるのが道理であり、
重くなる一方の介護負担を働きながら担おうと思えば
職場でも理解と協力が必要なわけですが、
こういう裁判の流れで行くと
そのためには今度は職場への支援が必要となってくるという順送りで、
……というのは、なんだか
日本でNICUから重症児が追い出されていくに至る順送りと
同じ構図のようにも思えて

(それとも大企業で働く介護者だけが平等を保障してもらえるって話になるのか?)

あげく最終的に困るのは
あっちからの順送りと
こっちからの順送りの板ばさみになる当事者なのだなぁ……。

……みたいなことを考えていると、
どうにも救いがなくなってしまうので、

ともあれ、この件では最終的なヨーロッパ法廷の判断を
見守ることにしましょうか。

-------------

ちなみに平等と人権コミッションの長は
Katie Thorpeの子宮摘出問題でも
メディアの対応を激しく批判しています。
それについては、こちら
2008.01.31 / Top↑
米国イリノイ州で去年5月13日に
自閉症の3歳の娘 Katie McCarron を
ポリ袋で窒息させて殺害した母親(37)に対して
陪審員は弁護側の心神耗弱の主張を退けて
有罪の評決に至ったとのこと。

ちなみに母親の Karen は医師です。


この事件についてもメディアの報道が夥しく、
まだ、ろくに読めていないのですが、
イリノイ州の障害者の人権団体である
Coalition of Citizens with Disabilities in Illinois が
この事件についてまとめている文書Katie McCarronによると、

どうやら去年から主流メディアの報道は母親に同情的で、
自閉症があったのだから仕方がないとか
支援が不十分な中、孤立した母親が追い詰められたのだとか、
または娘の苦しい存在を終わらせてやった思いやりだといった
トーンが見られたようです。

日本でもこのところ障害のある子どもと親の心中事件が頻発していることでもあり、
ついそうした思い入れと予見で捉えてしまいそうな事件ですが、
ここでもまた細部の事実関係を読んでみると、
事情はメディアが描く図とはかなり違っているようで……。

まず、殺されたKatieは事件の直前まで母親と一緒には住んでいませんでした。
父親が見つけた療育プログラムを受けさせる関係で
Katieは父親と父方の祖父母と一緒にノース・カロライナで暮らし、
母親が娘と過ごすのは週末だけという生活が2年近く続いており、
事件のわずか10日前からイリノイ州で一家が共に暮らすようになったところだったといいます。

母親はその日、
昼寝をさせようとして眠らないKatieに困ってドライブに連れ出し、
誰もいないと知っていた実家に連れて行って
ポリ袋で窒息させて殺害。

その後、自分の家に帰った母親は親戚の前で
Katieが眠っているように装って抱いて歩いたりベッドに寝かしつけるフリをし、
しばらくたった後に息をしていないことを“発見”して見せています。

事件の前にウツ状態で抗ウツ剤を飲んでいたのは事実のようだし、
子どもの死亡が確認された後に夫に殺害を告白した際には
薬局で買った薬で自殺も図ったようですが、

警察での取調べビデオでは
「もうこれ以上娘の病気に耐えられない」とか
「こうすれば治してやれるんです、天国では完全な子どもになれます」
などの発言も。

周辺の証言からも
母親が子どもの自閉症を恥ずかしく思っていた、
といった声も出ており、
どうも、よく分からない事件です。

ざっと上記の事実関係を把握した中での印象では
いざ手元で育て始めてみると思うようにならないばかりの子どもに
どうしていいかパニックしてしまったものかという気もするし、

父親と母親の関係はどうだったのかという点も気になるし、

米国の、特に医療の世界でじわじわと広がりつつある
障害児・者への「無価値な存在」視が
何らかの形で影響しているのではないか、
などと考えたりもするのですが、

それらの点もまた、
もう少し事件の詳しい事実関係を知ったうえで
考えた方がいいのかもしれません。

それにしても、ここでもまた
メディアの報道姿勢は気になるところです。
2008.01.30 / Top↑
前のエントリーで紹介した福祉職の人の
「医師は障害者のことについては知らない」という指摘について。

この指摘を意外だと感じる人も多いかもしれないのですが、
逆に障害者や高齢者の医療・福祉の現場で働く医師以外の職種の人にとって
また本人や家族にとっては、
これは案外に広く共有された「常識」であったりする面もあると思うので
(あからさまに口にする人は少ないとは思いますが)
そのことについて個人的に日ごろ考えていることを。

医師は病気や障害については知識を持っていますが、
障害と付き合いながら暮らしている生身の障害者と
長時間にわたって直接的に関わるわけではないので、
案外に障害者自身については知りようがないのではないか、
と思うのですね。

例えば病院や施設で働くドクターが
実際に障害のある人たちが暮らしている生活の場に1日に何度足を踏み入れるでしょうか。
1度訪れた際に、どのくらいそこにいるでしょうか。
また、その時間をどこで過ごしているでしょうか。
(デイルームとか病室・居室より、ナースステーションにいる時間が長いのでは?)

患者や利用者である障害者の
現在の体調についてのデータはもっているし
彼らの病気や障害については、もちろん他の誰よりも詳しいでしょうが、
例えば

その人の体調が崩れ始めた時に、その人特有のどんな変化が起こるか

(ある人は体のねじれがひどくなる、
ある人は目元が赤らんでくる、
ある人は、日ごろ人の顔さえ見れば求める握手を求めなくなる、など)

その人が苦しい時に、それをどうやって訴えるか

(ある人は特定のトーンの音声で訴える。
 ある人は目の動きでしてもらいたいことを訴える、
 ある人は指の動きでYes―Noの意思表示ができる、など)

体調が悪い時に、その人はどうやってもらうことを好むか。

(ある人は背中をさすってもらうのが好き、
 ある人は好きな音楽を聴くと気がまぎれる、
 ある人は発熱時には些細な音も不快に感じる、
 ある人は食欲がない時でもマカロニサラダだけは食べる、など)

これらは実際にその人に直接触れてケアし、
日々、長時間にわたって密接に関りながら
共に過ごしてきた人にしかわからないことなのです。

前回のエントリーで紹介したエピソードで
栄養の管を抜かれた知的障害のある人が
自分の回復振りを福祉職にだけ訴えたとされているのは、
そういう背景があってのことのように思います。
また医師にも実際は訴えていたとしても、
日ごろ、その人特有のコミュニケーションの方法になじんでいない医師には
それが意思表示であることそのものが理解できなかったかもしれません。

もちろん、医師には医師の役目があるわけだし、
多忙な医師にそこまで知れと要求するのも酷でしょうが、
そういう努力をする医師がいることも事実です。
また、特定の患者について検討する際に、
「自分よりも現場の職員の方がよく知っていることも多い」と考えて
直接処遇に当たるスタッフの意見に耳を傾け尊重する医師も
少しずつ増えてきているようにも聞きます。

障害のある患者を前に何らかの決定を行わなければならない時、
「目の前の“この人”のことを自分はどれほど知っているだろうか……」と
医師に時に自問してみてもらえると、
医療と福祉の連携はもっとスムーズにいくし、
なによりも当事者本人たちのためなのだけれど……
と私はいつも願うのですが、

Ashley事件にも見られるように、
医療の世界には
看護職・福祉職・教師など医師以外の職種が果たす支援の役割を
過小評価する傾向があるのではないでしょうか?
2008.01.29 / Top↑
Katieケースについて、あれこれ検索していると、
英国のメディア・サイト、Digital Spy
「医師らは母親の要望どおりに重症児に子宮摘出を行うべきか」
Should doctors give severely disabled girl a hysterectomy at request of her mother?
というフォーラムがありました。

概ね他のサイトで見られるのと同じ賛否両論がここでも繰り返されているのですが、
福祉職の人のコメント(10月8日 コメント#55)が目を引いたので。


成人知的障害者の施設で長年働いてきた人のようです。
この人自身は基本的には、Katieのケースでは子宮摘出も正しいのではないか
との考えですが、

しかし、このようなケースでの倫理上の判断がいかに難しいかについて
特に2つの側面を挙げています。

①子どもが成人して施設で暮らし始めたり、
親から独立して暮らし始めた後にまで、
子どもの生活は自分がコントロールするものだとの考えを
捨てられない親がいること。

中には肺炎になった息子の治療をやめさせようとした親まで。
死んだ方がいい(本人のためという意味かどうかは不明)という考えで、
そのケースでは法律的な助言を求めることになった。

②医師は知的障害のある人のことについてあまり分かっていない場合が多く、
それが彼らを巡る決定を複雑にしてしまう。

例えば病院に入院している知的障害者に対して、
もうなすすべもないから栄養の管を抜くとの判断がされた場合に、
その後で本人が(我々に対しては)改善の兆しを示しても
いったん決めた方針は変えようとしない。
このケースではソーシャル・サービスを巻き込まなければならなかった。

この人は上記の2点を指摘した後に、
以下のように書いています。

Mental Capacity Actの導入で
こうした状況は解決しやすくなるでしょう。
その人の同意能力をどのように見極めるべきか、
自分で決定する能力を持たない人の最善の利益は
どのように決めていったらよいのか、
といった点についてガイダンスを提示していますから。

当ブログでも触れましたが、
Katieケースが最初に報じられたのは、
英国の新しい後見法 MCA が全面試行になった直後でした。
英国医師会はガイダンスまで出しています。
そのガイダンスでは裁判所の判断を仰ぐべき事例の中に、
非治療的不妊治療が含まれている。

それなのに

メディアが「親の決定権」だけを軸にこの問題を取り上げ続けていたことが、
ずっと不思議でならない。

今のところ医師からもNHSからも
MCAについての言及はありません。
2008.01.28 / Top↑
どうしても気になってならない、
Daily Mailの報道姿勢について。

去年10月以降のKatieケース関連Daily Mail記事は以下の4本ですが、



まずタイトルを日本語に訳してみると、

「私が障害のある娘の子宮を外科医に摘出して欲しい理由」

「この母親に障害のある娘の不妊手術が許されるべき理由
 副題: 障害のある我が子を巡る、ある女性の心からの訴え

「この母親が障害のある娘の子宮を摘出して欲しいと望んでいる理由を巡る
頭を下げずにはいられない真実の物語」

そして、

“(障害者)チャリティからのたたきのせいで”
障害のある娘の子宮摘出の母親の要望を医師ら拒絶」


全ての記事が母親Alisonの立場から書かれていることが一目瞭然でしょう。



次に、去年の10月11日の記事の冒頭数行分。

Alison Thorpe の頭はガンガンしている。顔色が悪いのも、明らかに何日も満足に寝ていないためだ。何日もではない、正確には15年間ずっと、である。

彼女の望みはただ1つ、暗い部屋で横になって眠りに全てを忘れてしまうこと。しかし、それはできない。

Katieのような重症障害児を娘に持てば、そんなことはできないのだ。その代わりにAlisonは時計を見ては15歳のKatieを養護学校から連れて帰るタクシーの音に耳を澄ます。

次に彼女の要望が却下されたことを報じる
1月17日の記事の冒頭部分。

1人の母親が重症障害のある娘の子宮を摘出してもらう戦いに敗れた。

Alison Thorpeは外科医らが15歳のKatieの手術をしてくれることを願っていた。Katieは脳性まひで、手術は生理の「苦痛と不快そして尊厳の欠如」を防ぐためのものだった。

しかし、障害者の人権団体は、そんな手術はKatie――歩くことも離すこともできず大小便失禁状態なのだが―――に、不要な苦痛を味わわせることになると主張した。

冒頭からこの問題を
「愛ゆえの母の願い」vs 「それに立ちはだかる障害者団体」という枠組みで
提示しているだけでなく、

障害者の人権団体が批判した理由も曲解されています。


         ――――



Daily Mailはhumbling という形容詞がよほど好きなのでしょうか。

ここでは「聞くものが自ずと謙虚な気持ちになる」とか
「(Alisonの労苦と献身に)頭が下がる」といったニュアンスだと思うので、
上記10月11日のタイトルでは仮に「頭を下げずにいられない」と訳してみたのですが、

去年のAshley療法論争の際にも、1月5日の記事で
親のブログをa humbling message posted on the internet と表現しています。


さらに父親から直接話を聞くうちに感情移入したものか、
それともブログの内容に感動したらニュースの文体もこうなるものなのか、

Ashleyが生まれて間もなく、メンタルな能力が一人前になることはなく、生後3ヶ月の心の中に閉じ込められてしまったのだということが痛々しくも明らかに(painfully apparent)なった。

……中略……

何年間か、神経学、遺伝学、見つけられる限りありとあらゆる専門医を胸が張り裂けるような思いで次々に訪ね歩いた後に、static encephalopathyと診断された。

どこから見ても、悲劇的な話である。しかし、本来なら家族のプライベートな苦しみだったかもしれないことが、Ashleyの7歳の誕生日を目前に、広く人々の知るところに押しやられてしまった。

(これでは勝手にプライバシーを暴かれたみたいな書き方ですが、
もともと公開したのは親当人なのですがね。)

そして、この長大なAshley記事も、
紙面のほとんどがAshley父の言葉と言い分に費やされているのです。

その後のKatie記事が誌面の大半をAlisonの言い分に割いたように。


          ----

当ブログでDaily Mailの記事を取り上げたエントリーは、

2008.01.27 / Top↑
去る1月15日にニューヨークで

「競技スポーツでの能力強化ドラッグは受け入れるべきである」
We should accept performance-enhancing drugs in competitive sports.

という提案をテーマに大きなディベートが行われたらしく、
ネット上でも多くの記事やブログが取り上げています。

このディベートでは
賛成・反対それぞれ3人ずつが登壇して意見を戦わせているのですが、
能力強化ドラッグを解禁するべきだと提案する側3人のうちの2人とは

Ashley療法で非常に大きな存在だと思われる、あのNorman Fostと
Ashleyに行われた成長抑制擁護の論文を書いたJurian Savulescu
だったというのです。

2人ともそれぞれ何年も前から
ステロイド論争では解禁派の論客として気炎を吐いているのは事実なのですが、
こうして大きなディベートで解禁派3人のうちの2人までも
Ashley療法擁護に出てきた顔ぶれが並んだということになると、

“Ashley療法”論争で擁護に登場した”専門家”の不自然
改めて思われるような……。



ディベートに関する記事の一部を以下に。

Intellectual Juicing
the American Spectator, January 18, 2008




また、Fost  と Savulescuの関連エントリーはこちら。

2008.01.26 / Top↑
英米でロボトミー手術の歴史が振り返られているようです。

継母との折り合いが悪く反抗的だったために
1960年に本人の同意どころか説明すらなく
Walter Freeman医師にロボトミー手術を行われたHoward Dully(58)氏は

奇跡的に後遺症を免れて
現在バスの運転手として働いており、
去年ジャーナリストCharles Flemingとの共著で自伝を出版。


また、つい数日前になりますが1月21日には
2005年に出版された医療ライターJack El-Haiの同名の伝記を元にした
1時間のTVドキュメンタリー番組“The Lobotomist”が放送されたようです。

“Lobotomist” Serves as a Warning
Washington Post January 15, 2008

米国にロボトミーを持ち込み、
功名心に逸って、根拠もない医療で多数の犠牲者を出した
Freeman医師の人物像を再検討する動きがあるようです。

しかし、WTの記事にあるように
このドキュメンタリーに描かれているのは
1人の男がいかに道をはずしていったかという軌跡ではなく、
 社会がいかに道をはずして行ったかという軌跡だ」
という面も忘れてはならないでしょう。


ObserverがFreeman医師の息子の1人にインタビューを行っています。
最初の手術に使われたのはFreeman家のキッチンにあったアイスピックだった、
21歳の時に父親の手術を見学し、
頭蓋骨が割れる音をいまだにはっきり覚えている、などと
衝撃的な証言をしている他、

父のことは大いに誇りに思っています。
父への評価はフェアじゃないと思う。
介入主義の外科医、パイオニアだった父には
たいへんな勇気があったと思う。


さらにHoward Dully氏へのロボトミー手術について感想を問われて、

(Dullyは)反抗的で人と協力するということもなく、
言ってみればコワイ奴だったわけだから、
あのままだったとしても、
どうせ行き着く先は刑務所か精神病院だったに決まっている。
Howardみたいな人がロボトミー手術を受けて
いつのまにかまともになっていたということは多いですよ。
Howardももう何年も自活しているし、
今では結婚もして妻との関係もいいわけだから。

この息子は医療関係者ではないのですが、
それでも医療行為を正当化する際に使われている理屈は
どこかの生命倫理学者と全く同じ「どうせ……」と「本人の利益」なのですね。



片や、被害者Dully氏のFreeman医師への現在の思い。

Freemanが悪人だったとは思いません。
考えが誤っていたのです。
自分では正しいことをやっていると思っていたのでしょう。
ただ、途中で辞めることができなかった。
問題はそこにあったのです。

この言葉、Ashleyの父親にぜひ届けたいですね。
2008.01.25 / Top↑
前回のエントリーに続いて、
療養病床廃止による病院からの高齢者の追い出しと同じことが
超重症児でも起ころうとしていることについて。


日本では今のところ、それほど
えげつない呼び方はされませんが
今の日本の超重症児を取り巻く現状は
英国で重症障害新生児たちが「ベッドふさぎ(bed blocker)」と
呼ばれ始める直前の状況と似ているように思われ、
それが不安です。

英国でも、まず高齢者の社会的入院が「ベッドふさぎ」と呼ばれて
病院で高齢者がはっきりと邪魔者扱いされました。
その数年後に、今度は
障害新生児によるNICUの「ベッドふさぎ」が原因で、
もっとポテンシャルのある患者の治療ができなくなっているとして
障害新生児の安楽死が言われ始めたのです。

しかし、
英国のKatie Thorpe親子が受けていた介護サービスを思い出してください。
ソーシャルサービスから介護者が派遣されています。
定期的に外出や宿泊のレスパイトサービスも受けていました。
養護学校への通学にはタクシー送迎が支給されていました。
それでもAlisonが語っていた介護者の負担はあれほど重いのです。

そんなサービスなど「ないないづくし」の日本で、
超重症児の在宅介護がどれほど重い負担であることか。
そこへ調整役を置いて“病床移行”させようというのです。

日本の場合は安楽死を云々する代わりに
支援が充分でないまま無理やり家庭に戻して、
親がケア負担を背負い続けた後で、
やがて力尽きたら、勝手に心中しなさいとでもいうつもりなのでしょうか。

英国のように「殺そう」という代わりに、親の責任で「連れて死ね」と?


     ―――――

「天漢日乗」という医師のブログで
この問題が取り上げられていました。

NICUの向こう側(その3)超低出生体重児の海外での扱い→追記あり
というエントリーの後半で日本の現状を分析し

少子化対策で不妊治療には補助をだすが、
生まれた子どもが障害児だったら知らないという
国の施策は見直すべきではないかと主張し、
以下のように述べています。

国はともかく、
重度心身障碍者の社会的コストを明らかにした上で、
福祉政策を立てていただきたい。

今の予算編成は
重度心身障碍者とその家族を追い詰める構造になっている。

それでも尚
高齢の母親や体外受精で多胎妊娠した母親に
少子化対策として「子どもを産ませる」つもりならば、
一定数は必ず生まれてくる重度心身障碍児のための施設の充実が必要である。

こうしたコスト計算を表に出さないのが 日本的優しさならば、
重度心身障碍者とその家族を「無理心中」に向かわせる圧力も、
日本的優しさの産物ということになる。

そう。
Ashley問題から英米の社会のあり方を覗き見るにつけ、
私もいつも思うのです。

一方で障害児・者を嫌悪し、
社会のお荷物扱いしながら、

またその一方で、
生殖補助医療やら配偶子の遺伝子操作やら、
障害児が生まれる確率を上げるような技術
喧伝・支援・推進するとは

それは一体どういう矛盾なのだ、と。
2008.01.25 / Top↑
朝日新聞が1月19日に
「医療的ケア必要な子達 卒業後 足りぬ受け皿」という記事で
医療的ケアを必要とする超重症児たちを受け入れる施設が
入所も通所も共に不足しており、
養護学校卒業後の行き場がなくなっている問題を取り上げていました。


日本小児科学会倫理委員会は去年11月21日付で
以下の報告書を学会HPにアップしています。


超重症児の受け入れ施設の不足は深刻で、
家庭で、多くの場合は母親がケア負担を担っている状態ですが、
在宅ケアを支える医療サービスも福祉サービスもほとんど整備されていません。

報告書は
超重症児の受け入れ施設の拡充(ケアホームも含め)
小児在宅医療拡大への施策
小児訪問看護ステーション事業の条件拡大
ヘルパーによる医療的ケア支援を可能にする条件整備
を提言しています。


しかし、以下の記事に見られるように、
現実の施策はこの提言の逆に動こうとしているようです。


周産期医療の進歩で新生児の救命率が上がるのに伴って
NICUのベッドが不足し、
それが患者受け入れ拒否の一因となっているとして、
厚労省は病床移行の調整役を置くというのですが、

そもそも施設も在宅支援も不足しているから、
家庭介護が難しい超重症児のケースでは
小児科に長期入院するしかなく、
そのために小児科ベッドが不足して
重症児がNICUに長期入院せざるをえなくなるという
悪循環があるのです。

受け入れ施設を増やすこともせず、
地域での医療や介護の支援整備もせず、
ただ病床移行の調整役だけを置くのでは、
それは体の良い「追い出し」でしょう。

現在、高齢者の療養病床廃止で介護難民が多量に出ることが懸念されていますが、
それと同じことが重症障害児らにも起ころうとしているのです。
2008.01.24 / Top↑
読売新聞の掲示板サイトに
大きすぎる娘の胸」というトピを立てた人があり、

この春に中学に上がる娘さんの胸があまりに大きいので
胸を小さくしたり、成長を止めることはできないのかな?って
 おもうのですが、手術以外の方法を誰か知りませんか?」と。

この場合、障害とは無関係な話なのですが、

「手術以外の方法を誰か」というからには
「手術すれば小さくできる」という前提もここにはちゃんとあるわけで、

何の抵抗もなく、するっとこういう発想が出てくることに
まず、ぎょっ……と。

日本でも体は「自由に選べるもの」という感覚が浸透しつつあるのでしょうか。
しかし、自分の体に自分の勝手で手を加えるのと
親が子どもの体に勝手に手を加えることはまた別物でしょう。

ここに見られる「親だから子どもの体に手を加えてもいい」との
あまりにも素朴な思い込みに、
ちょっと意表を突かれたような気分になる一方で、

案外に日本の文化の方が親と子を同一視しやすく、
それだけ「親だから」と垣根を越えてしまう危うさも大きいのかも……と思ったり。

しかし、このトピに寄せられたコメントは
母親が子どもの体を「厄介なもの」と捉えていては
娘さんが自分の体を「価値のないもの」としてしか見られなくなりますよ、
といったものをはじめ、
穏やかにたしなめるトーンが多く、
その他真面目にアドバイスしたり、
下着の工夫を一緒に考えているのは
なんだかほのぼのとします。

考えさせられたのは、
養鶏場で餌に混ぜられている成長ホルモンが鶏肉を介して人体に摂取されて
それが最近の子どもたちの体格のよさに繋がっているのではないかとのコメント。

「自分はサプリも薬物も断固摂らない」というポリシーの人でも、
食物を通じてどんな薬物を体内に摂り込んでいるか分かったものじゃない
……という時代なのですね、結局。
2008.01.24 / Top↑
このところ、AshleyケースでもKatieケースでも
本質から全くズレた方向へと世の中の空気を誘導しようとする動きばかりが目に付いて
危機感を募らせていたので、
「待っていました!」というところ。

Alebany ロー・スクールのAlicia R.Quelletteという人のAshleyケースに関する論文が
1月1日付けでSocial Science Research Networkに。

アブストラクトは以下。
SSRNに登録すれば、ここから無料で論文のダウンロードも可。


まだアブストラクトしか読んでいませんが、

Ashley事件が提起した問題として
①親の決定から子どもたちを守る法律の役割
②障害のある子どもたちの権利の問題
の2つが挙げられています。

論文の主張としては、

医療における意思決定では
子どもに代わって親が決定する権利が尊重されてきたが、

Ashleyのケースでは、

このケースを検討した倫理委が
医療上の理由ではなく社会的な理由から
障害のある子どもの身体を変えようとする
親の決定権を尊重したことは不適切であった。

起こりうる害の重大さ、
親の利益の衝突の可能性、
さらにAshleyのようなケースにおける虐待の可能性を考えると、
親の決定権に制限を設けることが必要。

障害者団体が求めている成長抑制の一時停止についても検討を加え、
以下のように結論付けているようです。

自ら望んだのではないcommitment(この文脈で何を指すのか?)や
兄弟からの臓器提供、自ら望んだのではない不妊手術の場合に行われている
第3者による検討がこの場合も
障害児が最も守られる意思決定モデルとなるだろう。

親と子どもの権利の衝突に関連する当ブログのエントリーは
「子の権利・親の権利」の書庫に。

         ――――――

Ashley事件には、
「親と子どもの利益や権利の対立」
「介護支援サービスの充実」
「障害のある子どもの医療における意思決定」
「障害児・者の身体の完全性や尊厳」
「障害児の介護における親の役割」
「重症児のQOLとは何か」
「急激に進歩する医学やテクノロジーによって身体に手を加えることはどこまで許されるのか」
「他の障害や高齢者などにも適用されて歯止めがなくなる滑り坂の懸念」
などなど、難しい問題が沢山複雑に絡まっています。

これら多くの問題を
「親の愛情とそれに敵対する障害者団体」という
分かりやすく俗悪な構図に単純化・矮小化し、
それによって世論の誘導を狙っている人たちが
これ以上既成事実を作らないうちに、

法学の分野からも、教育や福祉の分野からも、
もちろん医学や倫理学の分野からも、
もっともっと突っ込んだ議論が出てきて欲しいものです。
2008.01.23 / Top↑
Bethanyさんという大変信仰心の厚そうな女性が
Diekema講演を聴いてブログに率直な感想を書いています。

Ashley
BETHANY’S BLOG  January 19, 2008

その一部を以下に。

……これらの療法は全て
Ashleyへの愛と思いやりからなされたことです。……

このケースについてのDiekema医師の分析と説明は
とても良かったと思います。
また反対する人たちが指摘した点を上げて
それに1つずつ答えていったのも良かった。

先生の講演を聴くと、
この人の言うことに同意しないなんて不可能だっていう気持ちになりました。
先生の言うことにとても説得力があったから(だけ?)ではなく、
このケースで考えられたのはAshleyの最善の利益と健康であって、
結果的に正しいことが行われたように思えるからです。

昨日の講演はすごく楽しかったし、
とてもよかったと思います。

愛と思いやりからしたことならOKなのか、
Diekema医師の主張のどこで「最善の利益」を巡る検討が具体的に説明されているか、

……といった点を考えると、
Bethanyさんのいう「先生の言うことの説得力」とは結局

この人がしゃべると
すっごく楽しいし、
聞いていると、いつの間にか、
うん、うん、そ~よね~って思っちゃう
ということですよね。

どうもDiekema医師は聴く人、特に女性を
こんなふうに魅了する話術の天分をお持ちのようなのです。

前にシアトル子ども病院生命倫理カンファレンスでのDiekema講演を聴いた際に、
やはりこの点で「おや?」と感じたことがあったものの
この感想はちょっとゲスかも……と書かなかったのですが、

まず、他のカンファでの講演に比べてDiekema講演では
聴衆の中に女性が占める割合が圧倒的に高かった。

次に、Diekema医師のあまり趣味の良くないジョークにでも、
それら聴衆の女性がとてもよく反応するのにも驚きました。

講演中にカメラが会場の反応を頻繁に拾っていたように思うのは、
どういう意図だったのか分かりませんが、
生命倫理カンファの会場にいた女性(多くは医療関係者)たちの多くが
上記のBethanyさんのように、
心からDiekema医師の講演を楽しんでいるように見えました。

Ashley事件の資料を当初からずっと追いかけていると、
この人には、どこか
“ペテン師の天分”とでもいうようなものを感じることがあります。

もしもDiekema医師という生来のウソつきがシアトル子ども病院にいなかったら、
この事件はまったく別の展開をたどっていたのではないでしょうか。



Diekema医師がAshley事件でついた数々のウソについては
Diekema医師のウソ一覧のエントリーで整理しています。


      ―――          ―――


ちなみにDiekema医師の詭弁とマヤカシの才がよく感じられるのは
 去年1月4日のBBCでのインタビュー

彼がスムーストークのまま
いかに巧妙に問題や論点を摩り替えて
インタビューアーのそれなりに鋭い質問をはぐらかしていくか、
大変興味深いインタビューです。

今でも上記リンクから聞けますので、
興味のある方は是非1度聴いてみてください。


もう1つ、
生命倫理カンファで会場からプログラムの盲点を突かれた際の間髪入れぬ対応。
とっさに人を食ったようなウソを思いつき反射的に相手に投げ返す……
そんな見事なワザを彼はここで見せました。
よほどの天賦の才がなければ、できることではありません。

このエピソードは以下のエントリーの最後部分で紹介しています。



こんな天賦の才を持つDiekema医師とAshley父とが
本気で“Ashley療法”をさらに広めるためにタグを組んでいるのだとしたら
それは非常にコワイことになるのでは……?
2008.01.23 / Top↑
シアトル子ども病院生命倫理カンファの2日目
7月14日午前のパネルの冒頭、
John J. Parisが「白黒つけにくい灰色のケース」として紹介したのは
以下のような事例でした。

生まれた子どもに四肢が欠けていた。
医師が神経異常を疑ってMRI検査を行ったところ、
脳神経系の異常はなかった。
母親は
「自分が生きている間は面倒を見てやれる。
 けど自分が死んだ後、
 この子はどうなるんですか?
 この子には自分の身の回りのこともできないというのに」
と言って、治療停止を求めた。

Parisの口調は、
「医師としてはMRIで異常がなければ満足かもしれないが」
でも母親の言葉に、キミたち、抵抗できるか?」
といったニュアンス。

母親の言葉を再現する時のParisは
ちょっとスピードを落として丁寧に語る演出までしていました。

        ――――――

実はParisが聞かせた母親の最後の言葉は “Stop”でした。

文脈から治療停止を求めているのは明らかですが、
中止を求められた「治療」の内容は明らかにされていません。
明らかにされていないのに、
ここでのStopは「治療を停止して、この子を死なせる」意味だと
会場ではなんとなく暗黙のうちに了解されていました。

そこのところが飛躍している。
それが、この事例の奇妙なところだと私は思うのです。

どうして脳神経系の異常がない四肢欠損だけで
「停止したら死なせることになるような治療」の対象になるのでしょうか。

どうもAshley療法論争にしても、この事例にしても、
具体的な障害像抜きに、
言葉のイメージだけで
「障害の深刻さ」がでっち上げられていくという気がしてなりません。


「四肢欠損」と「安楽死」とが
こんなに簡単に繋がれてしまったことにびっくりして、
その拍子に、ふっと頭に浮かんだのですが、
Parisの事例の障害像は、あの“乙武クン”なのですね。

米国の生命倫理・医療倫理は
乙武クンの安楽死を議論し始めている……?

しかも親(特に母親)の愛情を、
安楽死容認や正当化のアリバイに使って?



              ―――

いつも思うのですが、
なぜ生命倫理・医療倫理の議論には
福祉の視点が欠落しているのか──。

福祉サービスの存在を前提に加えれば、
「親が死んだ後で誰が面倒を見るのか」という問いは
決して安楽死を正当化しないし、

それ以前に
「障害児が生まれたら親しか面倒を見られない」という前提もなくなります。

また
「重い障害があると親や家族にしか愛してもらえない」
「親や家族に愛してもらえれば、それで幸せ」
「この子に必要なのは小さな世界(Diekema医師の言葉)」
といった“Ashley療法”論争にも見られる暗黙の前提も、
親以外の人と関わることを通じて変わってくるはずです。

子どもにとっても
親や家族以外の人との関係を獲得することによって
より豊かな生活を送ることができるでしょう。

乙武クンは大学に進学し、仕事をし、結婚し、
そして父親になったとも。
確かに彼はレアなケース、
いわば障害者の中の超エリートという面はあるかもしれませんが

しかし彼を念頭に考えてみれば、
具体的な障害像を置き去りに、
ただ「極度に重い障害」というイメージ先行で
「四肢欠損」が安楽死議論の文脈で云々されることの危うさが
懸念されないでしょうか。



Paris牧師の13日の講演についてのエントリーはこちら
2008.01.23 / Top↑
Ashley問題で抗議行動を続けているFRIDAのブログにも
1月18日付で Michigan Activists at Ashley X Debate Todayという記事があり、
Diekema講演を聴きに行った障害者の人権アクティヴィストからの報告が
簡単に取り上げられています。

それによると、
600人収容のホールに1000人くらいの聴衆があふれ、
入りきれなかった人たちは別室に案内されたとのこと。

Diekema医師が講演後に答えた質問は2つだけで、
その2つとは
「倫理委のメンバー数」と
「Ashleyの親は社会サービスの利用を真剣に検討したのかどうか」。

後者の質問は、mlive.comの記事で紹介されていたEngle氏のものと思われます。

今日の段階でリンクはまだ上記のmlive.comの記事のみですが、
FRIDAでは講演を聴きに行った人からの報告を募っており、
情報があり次第リンクを張るとのこと。


FRIDA 関連エントリーは以下。

2008.01.22 / Top↑
前のエントリーで紹介したDiekema講演の模様を伝える記事から、
当日会場から出た障害当事者の発言と重症児の母親の言葉を。

Engle という車椅子の男性は
Ashleyの親と医師らのしたことは一線を越えているとし、

Ashleyは現在10歳だが、いずれ女性に成長し、
おそらく両親の方が先に亡くなるだろう。
それでも親が自分に代わって決定したことのツケを
払い続けなければならないのはAshley本人だ

この決定はAshley本人のものではない。


また同じく車椅子のJaoseph Stramondoは、
(生命倫理と哲学の博士号取得を目指して勉強中)

重症児の場合は親が主に意思決定をするべきだろうが、
コトが医療上の必要のない処置となれば話が複雑になってくる。

医師らがやったことはAshleyの病気を治すわけではない。


障害者の人権アドボケイトのNella Uitvlugtは、

車にバンパーを取り付ける仕事をする人の自給は30ドルなのに、
グループホームで働く人の自給は8ドル。
問題を抱えているのは我々の社会の方。

(これ、今日本で問題になっている介護職の処遇の問題と重なりますね。)

これに対して、
前のエントリーでも登場していた23歳の重症障害者Rachelの母親は

認知レベルがこんなに低かったら親がやるしかない。
親が決めているのは、
なんでもかんでも親が決めることになるからです。


25歳の重複障害者Mikoyaの母親は

子どもは一人ひとり違うから意思決定は個々に行われるべきです。
気管切開も経管栄養も、決断する時は大変な思いをしました。
それでも決断は私がするしかありませんでした。



ただし、冒頭のEngle以外は、全てが会場の討議の場で出た声ではなく、
この記事の取材である可能性もあります。
2008.01.22 / Top↑
Diekema講演当日の模様を報じるニュース記事が出ていました。
会場は満員で車椅子の人も相当数詰め掛けたようです。

Group debates ethics of disabled child’s care
mlive.com (Chronicle News Service) January 19, 2008

しかし、正直、この記事はショックでした。

読んで真っ先に感じたのは、
「もう流れは作られてしまったのではないか」という強い危機感。

そして、この流れを意図的に作ろうとしている人たちがいるとしたら、
彼らの持っている力の強大さと巧妙さ、したたかさ。その不気味。

実際に障害のある人たちが会場で何を言ったのかについては
次のエントリーでまとめますが
ここでは、危機感のアンテナに引っかかった部分について。


会場に車椅子の人たちが多数つめかけたことが、
むしろDiekemaサイドには思う壺だったのではないか
と私には感じられてならないのです。

車椅子だというだけでも
相手によっては奇異な目を向けられることのある人たちです。
何人も集まると、異様な集団のように見てしまう人も少なくないでしょう。

加えて、この問題では
既に彼らには「子を愛する親の前に立ちはだかる存在」というラベルが貼られてしまっています。

障害のある人たちが不自由を押して出かけていけば行くだけ、
彼らは会場からは浮き上がって
「抗議行動のために大挙して押しかけてきた異様な集団」
「攻撃的・敵対的な雰囲気を持ち込んできた」という目で見られてしまう。

抗議の声を上げれば上げるだけ、
その内容や思いではなく、
声の大きさばかりが響いてしまう。

彼らを待っていたのは、
そういう舞台だったのではないでしょうか。

そういえば講演前にDiekema医師は
同窓会誌で長いインタビューを受けたり
地元メディアの取材を受けたりするなかで、
「抗議の声を上げたのは障害者だけ」
障害者団体からの嫌がらせがひどいので」などと、
さりげなく予見の種を蒔いてもいましたね。
きっと当日の会場の様子を想定していたのでしょうね。

(さらに、そういえば、
 インタビューの数週間前にAshley父とランチを食べたとも言っていましたね。
 あれだけ大きな会社でモノを売る世界規模の戦略を立ててきた人だということを
 つい今まで忘れていましたが。)
 


        ――――

そして予め仕組まれていたと思われる講演後の討議での1コマ。

モデレーターの小児科医Ronald Hofmanが
23歳の重症障害のある娘を持つ母親に尋ねるのです。

「もしも15年前に
Rachelを小さなままにしておくことができると医師から聞いたとしたら、
あなたはなんと答えていましたか?」

Rachelの母親はそれに答えて
「ありがとう、と」


Diekema講演はもしかしたら、
「親の愛」対「過激で自分勝手な障害者たち」
という対立の構図を浮き彫りにする場として、
実は機能してしまったのかもしれません。

ちょうど英国でDaily MailとTelegraphの報道が
とても複雑な問題をみんな話の外に追いやって
分かりやすい単純な対立の構図の中に全てを落とし込み、
障害者たたきを誘発したのと同じように。

       ―――――

もう1つ、
当日講演を聴きに行った人のブログ
BETHANY’S BLOGに寄せられたコメントにも
当日の雰囲気を伝える目撃エピソードがあります。
(このブログに書かれた講演の感想については、また改めて。)

講演の日に大学内の歩道橋で
1人の女性がDiekema医師批判のビラを配っていたところ
大学職員がやってきて「許可は取っているのか」と。
女性が「表現の自由だ」と答えると
職員は、「それでもここは私道だから」と大学セキュリティに連絡。
車が来て止まると、女性はぷりぷりしながら立ち去った、と。

どうも、嫌な雰囲気になってきました。

この感じ……。

イラクでボランティアやバックパッカーの人たちが誘拐された際に
手をこまねいている政府への批判が噴き出す寸前に、
「自己責任」という一言が流れを変え、
あっという間に世論をバッシングに傾斜させていった時のような。
2008.01.22 / Top↑
Katieケースの新展開を巡る英国の記事はいくつか読んだので、
そういえば第1例であるAshley事件が起きた米国で
メディアが英国のこの展開をどう報じているのかが気になって、
めぼしいところをざっと検索してみたのですが、
驚いたことに報じられていない様子。

(私の検索がまずい可能性もあるので、
どなたか米メディアのニュースをご存知でしたら、
教えていただけると嬉しいです。)

それどころか、10月にAlisonによるKatieの子宮摘出希望が報じられた段階でも
米メディアはあまり伝えていなかったようです。

CNNが10月に報道したのは読んでいたので、
ここくらいは今回の新展開を伝えているだろうと思ったのですが、
検索してみてもヒットせず。

Seattle Times とか Seattle Post-Intelligencerなど、
Ashley事件に関しては非常に熱を入れて報道してきたシアトルの地元紙も
やはりKatieのケースについては全く無視。

なんか、これ……ヘンでは?

【追記】
……と、この原稿を書いてアップするまでの間に、
Fox NewsがKatieケースの展開を17日に報道していたのを発見。
非常にそっけない記事ですが。

このように案外私の検索から漏れているだけかもしれませんが
Ashley事件の際に比べると「非常に少ない」とは言えそうです。

           ――――――

ところで
この検索で代わりに拾ってきたのが
それと全く逆に
アメリカのジャーナリストなのにKatieケースばっかり書いているブログ。

LATimes、Washingon Post で活躍し、
UCLAの施設内審査委員会のメンバーを務めたジャーナリストで
白血病から生還したダウン症の子ども(既に成人)の親でもある
Patricia E. Bauer さんという人のブログです。

守備範囲も多彩で、
英語で海外の障害関連トピックをチェックしたい人には
お役立ちのブログかも。

ここに”Katie Thorpe”というカテゴリーがあり
去年10月のニュースブレイクからずっとフォローしてあります。
興味のある方は以下から。

Archive for the “Katie Thorpe” category
Patricia E Bauer
News & Commentary on Disability issues



しかし、

あらゆる障害関連の問題を網羅してあると見える
このブログで

不思議なのはAshleyケースのカテゴリーが存在しないこと。


Ashley事件に関するエントリーも3つあるにはありますが、
Katieケースに比べると圧倒的に少ないし
その全てがニュース記事をコピペしただけの短いもので、
法律とか医療カテゴリーのバラ記事扱いなのです。

Ashleyケースの方が自国で起きた第1例目であり、
騒ぎもずっと大きく、
論争もずっと激しかったはずなのに

これも、また、なんだか不自然で……。

英国の類似ケースを全くといっていいほど取り上げない米国メディアも、
英国のケースばかり論じてAshley事件には触れない米ジャーナリストも

一体なぜ────────???????


【追記】

いや、改めて考えてみたら、
米国メディアも英国メディアも含めて、
最大の不思議は、

Ashleyの父親が何者かを 当初から知っていたはずなのに
いまだに1紙もそのことに触れないという事実

【追追記】

その後、Bauerさんのブログからは
Katieケースのカテゴリーも削除されて消えてしまいました。

実に不思議です。
2008.01.21 / Top↑
BBCもAlisonに直接取材して17日に記事を打っていました。
病院からどのような返事があったのかという点について、
Alisonはこれまでのどの記事よりも丁寧に説明しています。


去年の10月にAlisonがBBCに対して
手術に同意する医師が見つかったと語ったことに対して、

Alisonは

私たちは、ドクターは上と相談しなければならないと言ったんです

その後、看護部長から連絡があって、病院はまだこういう処置は実施できないって
(they would not be prepared to have this procedure put in place)

病院が言うところでは、手術を可能にする唯一の方法は
 Katieの生理が始まった後に子宮の部分摘出について臨床上の必要を訴える
 ことだけだろうって

そして、今回の決定について

この必要悪をKatieからとってあげる必要があることを
 私たちはずっと説明してきました

実際には、Katieのことも私たちの状況も分からない人たちが
 障害者の人権団体というマイノリティに左右されたってことです

NHSトラストはマイノリティが怖いのよ。政治的正しさというのがね

Alisonは17日のDaily Mailでも
同じ文脈でマイノリティという言葉を使っています。

ここでAlisonが振り回しているマイノリティという言葉には
蔑視や嫌悪感が漂っているように思うのですが、

重症児というのは障害者というマイノリティの中でも
更なるマイノリティだと私はずっと考えてきたのですが、
AlisonにとってKatieや重症児の母親である自分というのは
マイノリティではないのか……。

もしや
政治的・社会的活動をするような障害者は
極端なことを声高に要求する社会の異端・マイノリティで、
極端な主張をするわけではない、それ以外の障害児・者は社会のマジョリティ
……とでもいうのが Alison の感覚なのでしょうか???
2008.01.21 / Top↑
前回のエントリーで取り急ぎのお知らせをしたAshley父のブログ更新の中の
立ち上げ1年後のアップデイトを読んでみました。

まず、Ashleyの近況については
元気にしており、安定している。
薬も減って今は逆流の薬だけ。
 (逆流の薬というのは胃ろうの関係ではないかと思うのですが……。)
現在の体重は63ポンド、身長は53インチで1年前のまま。

しかし、Ashleyの近況は最初の4行で終わり、
このアップデイトの眼目はこの後に続く
両親に寄せられた反響の分析
今後に向けての計画
のようです。

①受け取った4705通のメールを1月に全て読み分類したところ、
93,9%が支持、6,1%が批判だった、と。

自分たちの「枕の天使ちゃん」に同じことを求めている、
または検討中との家族からのメールが159。

批判した238通のメールはほとんどが障害当事者からのもので、
彼らは自分に同じ事をされたら困るという気持ちに反応しているだけ。

(「Ashleyはこういう活動ができるあなたたちとは違うのだ」とはDiekema医師も
去年1月12日のLarry King Live でしきりに強調していました。)

「枕の天使ちゃん」たち重症児との直接体験のある人はほとんど支持している
という点を強調しています。
また、今後何らかの方法でこれらの反響を公にする方法を検討中とも。

「おお、この人らしい」と思ったのは、
自分のブログをちゃんと読んでくれた人は支持しているし、
メディアの報道で惑わされていたがブログを読んで気持ちが支持に変わったという人もいる、
とも書いています。

相変わらず
自分の言っていることさえちゃんと伝われば
受け入れられないはずがないと考えておられるようです。 


②現在すでに同じことを希望する多くの家族の相談に乗ったり、
情報提供をしているが、
(その初期の1人が Alison Thorpe だった可能性は?)
今後やろうと考えていることとして、

・安全でプライベートな情報交換フォーラムを作る。

・初期に行われる症例から学んだことを整理・文書化し先の世代の役立てるために、
“Ashley療法”を子どもにやった人の情報を収集する。

(自分たちのメールアドレスに情報を寄せてくれるよう呼びかけています。)

(「初期の症例」という表現に、
  広く世の中に定着したAshley療法が彼の頭では既にイメージされているのが感じられます。)

・こうした草の根の活動を続けて、“Ashley療法”についての正式な研究を促す。

・“Ashley療法“を実施または検討する家族と医師に対して、
 Gunther医師の残したAshleyの症例記録と自分たちの記録を公開する。

           
ここまでくると、この父親が考えているのはある種の実験なのでしょうか。
2008.01.21 / Top↑
英国でKatieの子宮摘出が却下されたことについて
コメントしているワケがないとは思いつつ
(今までも一切触れないのが逆に不自然なくらいなので)
まぁ、一応……と
久しくチェックしていなかったAshley父のブログを覗いてみたところ、

思ったとおりKatieケースについてのコメントはないのですが、
去年Gunther医師への弔辞をアップした10月12日から後
おそらく去年の年末に以下の3つが追加更新されていました。

「1年後の近況報告」
First anniversary update December 31, 2007

2007年のAshley(フォト・アルバム)
Ashley in 2007

Ashley療法の解説チャート
“枕の天使ちゃんたち”の幸福のための“Ashley療法”
The “Ashley Treatment” for the wellbeing of “Pillow Angels”


まだ、ちゃんと読んでいませんが、
取り急ぎお知らせまで。

最後のチャートからは
なにがなんでも自分が発案したこの療法を広く多くの重症児に広める!
という父親の気迫がひしひしと伝わってきます。

この人、やっぱり本気です。

Ashley事件はまだまだ終わってなどいません。

       ----    ----

この人が如何に本気で”Ashley療法”を広めようとしているか、
また如何にこの人にそれだけの力があるかという点については
「父親をめぐる疑問」の書庫に。

また最近では、
Diekema医師がCalvin大学同窓会誌でのインタビューにおいて
最近の父親の言葉を紹介しており、
その中にも

Ashley療法は同じような子どもにぴったり(the right thing for children who are similarly situated)
と考えている、と。

あ、そうそう、それから、
「Ashley療法への一部の障害者団体からの批判」に、
 重症児のことを親よりも分かっているつもりなのかとご立腹の様子も。

(Daily Mail や Telegraph と気が合いそうですね。)
2008.01.20 / Top↑
これまでのKatieケースに関する報道によると、
ずいぶん以前からKatieの子宮摘出を望んでいたAlisonに対して
St. John’s病院の婦人科医Phil Robarts医師は
ピルとホルモン注射で対応するよう提案していたといいます。

ところが去年の8月にAlisonから重ねて要望を受けた際に、
Robarts医師らは応じることにした、とのこと。

10月にKatieケースが報道された際には、
Robarts医師はメディアに対して
過激な医療ではあるが母親の言うことは説得力がある」などと、
実施のためにNHSに法的判断を仰いだというニュアンスでした。

Times(10月7日)など数紙にも以下のように語っています。
「すでに同僚にも諮ったが、
 この状況下では実施を検討するのも理不尽ではないと意見が一致した、
 我々には筋の通った主張ができる(make a good case)と思う」


そして今回の報道。
「医療上の理由がある場合しか行わない」
「母親の挙げる理由では手術は正当化されない」
などが却下の理由として挙げられています。

つまり、
Robarts医師らの考えは以下のような変遷をたどったことになるのです。


①子宮摘出は行わず、
 ピルとホルモン注射で対応するのがよい。

     ↓

②母親の言うことには説得力があるから子宮を摘出したい。

     ↓

③医療上の理由がないので手術は行わない。
 母親の言っている理由では手術は正当化されない。


なぜ短期間に、
一方の極から真反対の極へ、そしてまたその反対へと
立場が変わったのでしょうか。

①から②への転換の理由も
②から③への転換の理由も
Katieのプライバシーを侵さずに説明できるはずですし、
また説明する責任が医師らにはあるのでは?

            ----

私個人的には、
それまで非としてきたRobarts医師が
なぜ去年8月に突然に子宮摘出は是とスタンスを変えたのかという点を一番知りたい。

去年8月に、Robarts医師の気持ちを変えさせた出来事が何かあったのかどうか。
Ashley事件の影響があったのかどうか。


あまり知られていないことかもしれませんが、
Alison Thorpe は Ashley 事件と無関係ではありません。

Alison とAshley事件の関わりについては以下のエントリーに。

2008.01.20 / Top↑
こちらは事実関係のみ、短くさらりと。


引用は既にお馴染みNHSトラストのスポークスマンの4行と、
Disabled People’s Council のスポークスマンの2行のみ。

記事が出てくるタイミングと各方面のコメント内容からすると、
Alisonに密着していたDaily MailがAlisonから聞いて第一報を打ち、
同じくAlisonとの距離が近かったTelegraphもそれに続いた、
その他は結局2日遅れになったということでしょうか。

この記事の以下の1行と、
Telegraphの1行を比べると、
同じことを書いても
表現によって読者が受ける印象はずいぶん違うだろうなぁ……と。

The Hospital’s decision was welcomed by disabled rights groups.
(Times)

Disabled rights groups said they were “delighted” the operation had been ruled out.
(Telegraph)

本文の煽りも手伝ってのことでしょうが、
後者には「delightedなどと、障害者の人権団体は恥を知れ」とのコメントが入っていました。

        ――――

しかしTimesは去年の10月18日の記事で、
このケースは裁判に持ち込まれて
本人の利益はCAFCASSが代理することになるだろうなどといった
具体的な見通しまで報じているのだから、

今回の決定に至ったプロセスについて
もうちょっと突っ込んだ取材をしてほしいところ。

今後に期待してみますか。
2008.01.19 / Top↑
Daily Mail, Tetegraphと続いた後で
Guardianのこの記事を読むと、
ちょっとほっとさせられます。


まず、このケースの位置づけ方が上記の2紙よりも本質的で、

「これまで法廷で検討されたことはないものの、
 医療と親の権利という根本的な問題を提起した

「この論争によって、
米国のケースが引き起こした強制的避妊手術への懸念が再燃した」と。

Mid-EssexのNHSトラストの決断については、
「適切な臨床上の理由なく行えない」として断ったと書き、
Telegraphと同じくスポークスマンのコメントを紹介していますが、
障害者団体のせいだとするAlisonの主観的な解釈には触れていません。

また、以下のScopeのコメントが紹介されており、
これはDaily Mailが引用したものと同一と思われるのですが、
その引用量には大きな差があります。

これはKatieにとっても両親にとっても明らかに辛い状況であり、
この展開にがっかりしておられることは分かります。

このケースが浮き彫りにしたのは
英国の悲しいほどに不適切な
障害のある子どもたちと家族への支援です。

我々は常に、
臨床上の必要のない
このような性格の不可逆的な処置は
正しい道ではないと考えてきました。
また、このような方法を考えてみる医師が英国にいるということにも
驚きを感じてきました。

記事の大半を割いてAlisonの激しい言葉を延々と並べたDaily Mailが
記事の末尾2行で引用したのは太字にした箇所のみでした。


         ―――――

ところでAlisonはGuardianの取材には応じていないのか
それともGuardianが取材していないのか、
Guardianの記事が引用しているAlisonの言葉は
彼女がDaily Mailに語ったとされる以下の言葉。
ちょっと気にかかる内容です。

Katieの生理が始まったら、
子宮摘出の臨床的な理由があるかどうか
その時に改めて検討してくれるんでしょ。
ということは、実際に始まっても
どうにかしてもらえるまでに
Katieは何ヶ月も痛みや不快を耐えなければいけないということですよね。
2008.01.19 / Top↑
Diekema医師の講演はまだ聴けていないのですが、
Calvin大学の当該サイトに概要がアップされたので、
読んでみました。

内容はだいたい、これまでに言ってきたことの繰り返しですが、冒頭で
Ashleyケースは捻じ曲げられ、誤って伝えられている(distorted and misrepresented)と語っています。

「いや、それをしているのが、アナタでは??」と思うのですが、
1年前にも言っていたように、
身長を抑制したのであって子どものままにしたわけではないと言いたかったようです。


そのほか目に付いた点では、

①自分が倫理委員会の委員長だったと、またウソをついている。
 委員長はWUのシンポに出てきたWoodrum医師でしたが、
Diekema医師は去年1月にもメディアで同様のウソをついています。
詳しくは以下のエントリーに。


②倫理委は親の3つの要望それぞれについて、
 本人に利益があって害がないように、との視点で検討した。

③「これはAshleyの最善の利益だろうか」との問いを検討するに当たって、
 Diekema医師が参照したのは「ミカ書」の6章の8にある3つの原理
正義・善行・謙遜……だったのだそうで。

④自分たちは前例を作るつもりも方針を作るつもりもなかった、
 リーズナブルな人たちでも子どもの最善の利益について合意しにくい問題では
 親に決めさせてあげればいいという結論に至っただけ。

(ここ、微妙にスタンスが修正されているような??
 今後は「Ashleyの最善の利益だと結論した」とは言わないつもりなのですね。)

⑤モラルの面で白黒つけにくい問題で意思決定をしなければならない時には
 勇気と謙遜を行使する必要がある……のだそうで。

⑥優秀な倫理学者は充分に謙虚で、
 批判者の言葉にも進んで耳を傾ける……のだそうで。

(その割りに、この発言の直前には
Ashley療法について指摘された問題点を
ことごとく斬って捨てているのですが。)



あのDiekema医師の、気味悪いほどぬるぬると滑らかで平板な
しかし、どこか人を食ったような語り口調が聞こえてくるようです。

こんな、「いかにも」な言葉をぺらぺらと並べながら
中身は驚くほど何もない講演に対して
聴衆はどういう聴き方をしたのでしょうか。

また、ウソをついている人、
事実を誤魔化そうとする人は
(これまでの同医師の発言がそうだったように)
こうした概要では拾いきれない小さな言葉尻に
ほころびを見せるものだと思うので、
未だに聞けないのがもどかしい……。くっ。
2008.01.19 / Top↑
Katie Thorpeの子宮摘出却下を報じるTelegraphの記事には
今の段階で15のコメントが寄せられています。
最初の1つが「母親には気の毒だけど子宮摘出が答えではないでしょう」
と書いた他は全て、却下の判断への非難と障害者団体たたきです。

論点は概ね以下の3点。

・日々の介護を担う母親が一番よく分かっているのであり、
直接の責任を負わない外部の者にとやかく言う資格はない。

・Katieにはどうせ子どもを生むことなどできないのだから、
 子宮を摘出することで彼女が失うものはない。
逆に苦痛から解放されてQOLが上がるというのに。

・障害者たちにはKatieとAlisonの実際の苦労が分かっておらず、
政治利用するために机上の空論でキレイごとを言っているだけ。

この問題が報じられて以降のメディアの偏向した報道による世論誘導が
完全に成功しているのではないかと危惧される論調ばかりです。

実際のコメントの一部を以下に。

・バカな! 娘の生活がもっと良くなりラクになるというのに、なぜ母親が決められないの?……たまには常識で判断したっていいでしょう!

・このシナリオ全体がそもそもバカバカしいし、人権規定があほらしい行き過ぎを生む例がまた作られたということだ。

・いわゆる障害者の権利団体の意図がいかに価値あるものであるにせよ、ドグマで目を曇らせないでもらいたい。

・障害者の人権団体は“喜んでいる”などと、恥を知れ。

・身勝手極まりない人たち! もしKatieにモノが言えたら、さぞ感謝するでしょうよ。自分には使うこともできない生物学上の機能を維持する代わりに尊厳のない苦しい生活を送る権利があると、あなたたちが飽きもせずに訴え続けてくれたことにね。

・この問題で気に入らないのは社会正義を気取る連中だね。この可愛そうな少女の面倒を見ているわけじゃないのに。この子の母親が死んだ時に、彼らが面倒を見てやるわけでもあるまいに。


【追記】

この人たち、自分の言っていることの半歩先にあるのは
「だから、すべての重症障害女児の子宮を摘出しましょう」
「介護しやすく、背が伸びないように全員にホルモン療法をしましょう」
という理屈なのだということは、考えないでしょうか。

              ―――――

Katieの子宮摘出却下の報道によって巻き起こっている障害者たたきについて、
障害当事者のブログBad Crippleが取り上げています。


私がこれまでに読んだコメントはすべて母親擁護のもので、
障害者と健常者の間にある文化の分断が今なお大きいことを
くっきりと描き出している。

いくつか上記のような激しいコメントを引用した後、

Ashlely事件のDiekema医師が講演を行い、
Katieの母親は戦い続行を宣言するという現在の展開について

こうした展開はとても気にかかるし、
そこに描き出されているのは、
障害者の平等が紛らわしいものであること、
また障害者の平等が苦しい戦いであるということ。

   ――――         ―――

これまでも目だたないところでは続いていた
「トランスヒューマニズム」 vs 「障害者の権利」という構図が

ここにきて
「親の愛情」 vs 「障害者団体のイデオロギーによる抵抗」という構図に置き換えられて
一気に社会全体に広がろうとしているのか……

……という胸騒ぎのようなものを
メディアが煽った、この「空気」に感じてしまいます。

「親の愛情」vs「自分勝手な障害者団体」という
単純な対立の構図に持ち込んでしまいたい人たちが存在する事を
私たちは念頭に置いておかなければならないのでは?
2008.01.19 / Top↑
Diekema講演をライブで聴こうと
睡魔と闘いながら2時半までがんばって起きていたのに、
テクニカルな問題で聞くことができず、
時計を睨みつつ、ジタバタとあれやこれや試みるも
空しく焦り続けて1時間が終わってしまう……。くっ。

このまま寝るのも悲しく口惜しいので
Katieケースで見つけたTelegraphの記事を。


目新しい情報としては
Mid EssexのNHSトラストのスポークスマンが
手術の可否を決める際には個々のケースごとに判断するので、
今回もKatie一家に会って話し合ったが、
それ以上のことは患者のプライバシーなので明かせない、と。

しかし、なぁ……
この記事もまた昨日のDaily Mailと同じく、
偏った報道姿勢が露骨なのです。

なにしろ、いきなり冒頭にもってくるのが
「障害者団体がうるさいので病院が変節した」とのAlisonの主観的解釈。


障害者の権利擁護の立場のコメントも後半で引用されていますが、
その部分の書き出しは
障害者の人権団体は手術が却下されて“喜んでいる”と語った。
という一文。
引用符がついているあたり、
どうも煽りの作為が濃厚ですね。

最初からはっきりとAlison寄りだった2紙が今回の展開を真っ先に報じて、
障害者団体に向けたネガティブ・キャンペーンで先手を打った……
という趣もなきにしもあらずで。

また、簡単に煽られる人たちがいるときて、
記事に寄せられたコメントの激しさにはちょっとびっくり。

Alisonの要望が却下されたことによって
どうやら障害者たたきが始まりそうな気配です。

そうしたヒステリックなコメントについては
Ashley事件でもインパクトのある記事を書いたBad Crippleさんがブログに取り上げているので
それも一緒に改めてまとめようと思います。

(Ashley事件の際のBad Crippleさんのエッセイについては
名川先生のブログに記事があります。)


Diekema講演については
問題を解決した後でArchiveで聞きたいと思っていますが、
今日のところは……寝ます。くっ……。

皆さん、お聞きになれましたでしょうか。
すでにライブで聴かれた方がありましたら、
感想など教えていただけると幸いです。
2008.01.19 / Top↑
17日付でDialy Mailが報じたところによると、
医師らは母親Alisonに対して
「医学上の理由がある場合でなければ手術は行わない」と
通告したとのこと。


まずは、一安心しましたが、
Daily Mail紙はAshleyのケースの時から偏向した報道姿勢を見せており、
このたびのKatieのケースでも当初から明らかに母親支持でした。

今回のこの記事でも非常に偏った報道をしており、
医師らの却下の理由は「医学上の理由がないこと」であり、
それは「母親の申し立てた理由では手術は正当化できない」との
NHSトラストの判断によるものであるにもかかわらず、

タイトルに明らかなように記事のトーンは終始
「障害者団体からのたたきがあまりに激しいためにNHSのトラストが臆し、
 子を思う母親の切なる願いがかなえられなかった」
というものです。

インターネットで検索しても
まだこの記事以外には新展開を報じたメディアはないようなので、
Daily Mailの情報源はおそらくAlisonなのでしょう。
今回もAlisonはしゃべりまくっています。

記事の中から彼女の発言を以下に。

(Scope など一部障害者団体の声を)世論だと思ったトラストがそれに屈したんでしょうけど、
私は健常な人からも障害のある人からも圧倒的な支持を受けているのよ。
Scopeなどマイノリティからの”支持がない”と
トラストが状況を読み誤ったんだと思うわ。

唯一の反対は障害者の人権運動から出たものだけど、
あの人たちに言いたいのは
「来て一週間私と過ごしてご覧なさい。私の身になってごらんなさい」
私は15年間も娘と暮らしてきたのよ。
娘を心から愛している母親として、
娘のためにできる限りのことをしてやろうとしているんじゃないの。

私は障害者団体と関わったことはないし、
あの人たちだって私のこともKatieのことも知らないのよ。
あの人たちがウチの一家に支援をしてくれたことなんてないし。

私がびっくりするのはあの人たちが言ったことよりも、その言い方。
このケースの詳しい事情など何も知らないで、
私たちの事情を考えてみるつもりもなく、
こちらの言い分を聞く前から反対だと決め付けているんだから。

私は障害者の権利を奪いたい訳じゃなくて、
選択を与えたいだけ。

障害のある子どもとの生活というのは長い戦いなのよ。
今回のことも、またいつもの一歩後退というやつね。

こういうのも全く予想しなかったわけじゃないし、
次の段階に進んで戦い続けるだけ。

Alisonは既に
Katieの生理が始まり次第また手術の計画を検討してもらうように
トラストの職員宛に手紙を書いたとのこと。

しかし、なんとか一段落ですね。
数時間後にAshleyケースについて講演をするDiekema医師は
この結末を知っているのでしょうか。
2008.01.18 / Top↑
Calvin大学の同窓会誌に掲載されたDiekemaインタビュー
「Ashleyの父親とランチを食べた」という下りを読んで
椅子から転げ落ちそうになるほど仰天したこと。

Diekema医師は“その後のAshley”についてフォローしていないらしいのです。

なにしろ
「その後の状況を知るために父親とランチを食べた」
というのですから。

父親も「Ashleyは治療以来副作用もなく元気で、本人も家族もハッピー」と答えているのだから、
Diekema医師が言う「その後の状況(how things were going)の中には
Ashley本人の体調も含まれていたのでしょう。

ここでもまた、能弁家のDiekema医師は語るに堕ちてしまったようです。

あんな「新奇で物議をかもす(論文の表現です)」療法で前例のない、
従って「効果のほどもリスクも想像する以外にない(同じく論文)」療法を
重い障害のある(つまり通常の子どもよりも脆弱なはずの)子どもに実施しておきながら、
検査を行い、その結果をきちんとフォローしていないなど言語道断なのでは?

様子を知るために、
なぜ当人に会わないで
父親とランチを食べるのか。

まるで
父親さえ満足してくれていれば
自分としては「めでたし、めでたし」で、
もう本人には興味などないかのように。


            ――――――

このインタビューでのDiekema発言には
他にもいろいろ突っ込みたい点はあるのですが、
肝心のライブ講演が間近なので、
この記事については、またおいおいに。
2008.01.17 / Top↑
Kalamazoo Gazetteの記事で触れられていた、
Calvin大学同窓会誌 Spark 2007年冬号で
Diekema医師が延々とAshleyケースについて語っている記事はこちら

タイトルは「アシュリーの物語を語る(Telling Ashley’s Story)」。
何しろ長いです。

長い割りに内容が空疎だというのは相変わらずなのですが、
Ashleyの父親に関して非常に興味深い話が2つあるので、
まずは取り急ぎ、それについて。

Ashleyのケースが報道されて論争を引き起こした際に、
いかに多くのメディアから電話がかかってきたかという話を
Diekema医師はここでしているのですが、その中で

Oprah Winfreyが番組で取り上げたいといってきたが、
家族に出演してほしいとの条件だったので、
家族としては
自分たちが何者であるかが他の人に知れるのは
あまりにもdisruptiveだと判断した(それでOprahのオファーを断った)
と語っているのです。

Diekema医師は自分の詭弁テクニックに時に溺れるのか、
ここでも語るに堕ちてしまっていますね。

そりゃ、Ashleyの父親がマイクロソフトの役員だと分かれば、
さぞかし議論は混乱をきたしていた(distuptive)ことでしょう。
でも、それだからこそ出るべきだったのではないでしょうか?


もう1つ。
Diekema医師はこのインタビュー(いつ行われたのか記されていません)の数週間前に
Ashleyの父親と昼食を共にしたと言い、
父親がその時に話したことを紹介しているのです。

そのポイントを大まかにまとめると、

・Ashleyは例の療法の副作用もなく元気にしており、本人も家族もこの上なくハッピー。

・思い通りの結果になって、やはり正しい決断だった。

・同じような子どもたちにもやるべきだと考えている。

・残念なことは一部の障害者人権団体からの反応。彼らは障害児・者と家族の代弁をしていると主張するが、意見の違う障害児・者や家族も沢山いる。自分で思いを主張することができない子どもたちの意見まで障害者団体に勝手に代表されてしまっている。そういう子どもたちにとって何が最善かを権利擁護団体は分かっていると主張するが、じゃぁ、そういう子どもの親は分かっていないとでもいうのだろうか。

そういう不満をお持ちならば、
ぜひ今からでも一家そろって Oprah Winfrey Show に出られては?
2008.01.17 / Top↑
15日のGrand Rapids Pressに続き、
今度はKalamazoo Gazett紙が19日のDiekema講演に向けて
Ashley事件の概要をまとめ、
EメールでのDiekema医師とのQ&Aを紹介しています。

What is ethically OK in treating a disabled child? Doctor in controversial case to speak Friday
障害児への治療において倫理的に許されるのは? 問題になったケースの医師金曜日に講演
Kalamazoo Gazett January 15, 2008/

全体に、Grand Rapids Pressに擁護色が強いのに対して、
こちらは中立、客観的なスタンスで書かれています。
気になることを含めポイントとDiekema発言を以下に。

①事件の概要で気になるのは、
「重症児を在宅でケアしたいと思う親は多くても、
 子どもの成長と共に困難になる。
その問題への解決として試みられたのがAshleyへの医療処置」
との捉えかた。

論争以降、他の重症児の親たちとのやりとりから
それもメリットの1つと考えるようになったと親のブログに追記はされていますが
1月の立ち上げ時点では親はむしろ
「在宅介護の時期を延ばすことも介護負担の軽減も目的ではない」と
明確に否定していました。

それなのに
医師らの論文が脱施設を前面に打ち出したからでしょうか、
それとも単に、この方が分かりやすいからでしょうか。
いずれにせよ目的が摩り替わってしまっては、
事件の本質が見誤られてしまいます。

②子宮摘出の違法性を子ども病院自体が認めたというのに、
そのことに触れられていない。
(これは他のメディアも同じです。)

③Diekema医師は「倫理委はAshleyへの利益の可能性と、害の可能性を検討した」と
同紙へのメールに書きながら、
両親が挙げた利点を4点挙げるのみで、
どのような害の可能性が検討されたかについては一切触れていない。

「親へのメリットは一切考慮していない、
 倫理委が考えたのはあくまで本人のメリットのみ」
と強調はしていますが、議論の中身は相変わらず出てこず。

④地元で拾ったこの事件への反応が引用されており、
 これまでに出たものとあまり変わりませんが、

人権侵害だとの障害者団体の見解のほかに、
ここでは珍しく教育行政の声が拾われているのが出色。

Kalamazoo地域の障害児教育の責任部局からは
「成長抑制に可能性を見出す親も多いかもしれないが、
子どもが自分で意思表示できない以上、彼らの権利には特に配慮しなければ」
「Ashleyのようなケースの議論では福祉サービスが充分かどうかの検討が不可欠。
 支援さえ充分にあれば親も子を小さいままにする必要がないのだから」


また地域のアドボケイトからは
「こういう決定が行われるプロセスをしっかり見て、
 地域全体の社会倫理が考慮に入っているかどうかを考えなければ」

(生命倫理だの医療倫理だのの議論が
一般の社会倫理と乖離している可能性を指摘しているのは面白いですね。)

⑤この記事で初めて知ったのですが、
 Diekema医師は出身大学Calvin大の同窓会雑誌Spark2007冬号に
Q&A形式でこの事件について寄稿しているらしく、
その中で以下のように書いているとのこと。

これまでの議論においても
都合が悪いこと(倫理委の議論の中身)に話が近づくと
妙に回りくどい言い回しを多用し
いかにも「らしい」言葉を並べながら実は何も言わないという
Diekema医師の詭弁の特徴がここでもはっきり出ています。

The reality is that there were very few if any people on our ethics committee who felt like they knew for certain what to do for this little girl, but we did the best we could.

We tried to do our best to determine what really was going to make her life as good as possible and remain faithful to the notion of treating others well.

実際はどうだったかというと、我々倫理委員会の中で、この小さな少女のためにどうしてあげるのがいいのか、はっきりこうだと確信をもって言える人はほとんどいませんでした。しかし、我々はできる限りのベストを尽くしたのです。

どうしたらこの子の生活ができるだけ良いものにしてあげられるかを見極めようと、また同時に他者には思いやりをもって接っすべしという教えにも忠実であろうと、我々はベストを尽くそうとしたのです。

誰も白黒つけられなかったのに、
「しかしベストを尽くした」ら何故OKということになるのか全く不明。
つまり彼はここでも何も説明していないのですね。

さらに彼はキリスト教信仰を持つ生命倫理学者として
「神と共に謙虚に歩むwalk humbly with God」べきだと考えており、

Its important for us to look at the counter-arguments with an open mind because there is always going to be another Ashley, and next time we will have to try to do even better.

反論に対しても心を閉ざさずに眺めていくことが大切です。だって、今後もAshleyは出てきますからね。次の時には今回よりも良い対応をしなければならないわけですから。

宗教色が強いのは大学の性格に配慮したものでしょうが、
つまり、「この先もまだやるぞ」と言っているわけですね。
このような言い方をすることで彼は
既に既成事実化されたと勝手に認証したいのでしょうか。

しかし、
病院自身が記者会見まで開いて違法性を認め、
今後5年間は障害者の人権監視団体DRWへの報告義務を負っているはずの、
しかも直接担当した医師が自殺までしている“Ashley療法”について、
どうしてこんなに軽々に語ることができるのか。

「神と共に謙虚に歩む」だなどと……。

調子に乗ってゴーマンかましていると、そのうち天罰が下りますよ。
2008.01.17 / Top↑