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カリフォルニア州で
近親者による自殺幇助事件に実刑回避の温情判決が続いている。

① 11年に86歳の退役軍人の男性Jack Koencyに
ヨーグルトに致死量の麻薬Oxycontinを混ぜて手渡したとして、
自殺ほう助の罪に問われていたソーシャル・ワーカーElizabeth Barrettに、
有罪を認めるのと引き換えに1月18日、3年間の保護観察の判決。

Koencyさんはガンで化学療法を受けていたが
ターミナルな病状でもなければ寝たきりでもなかった。

(ここで「寝たきりかどうか」が問題とされていることや
別の場所で「動ける」ことmobile を問題視する記述と並んで、
「寝たきりや自分で動けなくなったら死にたくても当然」という
記事を書いた人の無意識を感じる)

http://lagunaniguel-danapoint.patch.com/articles/woman-gets-probation-in-assisted-suicide-case
http://www.reuters.com/article/2013/01/19/us-usa-assisted-suicide-idUSBRE90I01A20130119
http://lagunabeach.patch.com/articles/laguna-woods-woman-gets-probation-in-assisted-suicide-of-wwii-veteran

② 去年12月10日に、
自分が望む暮らし方ができなくなったら終わりに、と兼ねて交わしていた約束通り、
公園の駐車場に止めて車の後部座席で妻にポリ袋をかぶせて死なせたとして、
逮捕起訴された元消防士のGeorge Taylor(86)に、1月16日、
禁錮2日(逮捕後の拘留期間)+3年間の保護観察の判決。

Taylorさんは、妻と同様にポリ袋をかぶったが死にきれず、
こういうこともあるかと用意していた刃物で首と手首を切ったが、これにも失敗して、
駐車場を出ようとしたところでパーク・レンジャーに発見された。

12月の内に有罪を認めていた。

夫婦は故Kevorkian医師の信奉者だったと言い、
健康問題は抱えていたが、いずれもターミナルな病気ではなかった。

http://www.sfgate.com/news/article/Retired-firefighter-sentenced-in-assisted-suicide-4199860.php

③ 去年、サン・ディエゴ郡で不起訴となった事件。

84歳の病妻が30錠の睡眠薬を混ぜたアップルソースを食べ、
頭に袋をかぶって死ぬまでの間、側にいて手を握っていた夫 San Marcos(88)は
殺人罪を疑われ、検察が判断を下すには5カ月を要したが、最終的に不起訴に。

夫は「妻が死ぬまで手を握っていました。
見捨てられたと感じさせたくなかったんです。
私が愛していることを知ってほしかった」

④ リヴァーサイド郡のBill Bentinck(87)は
ホスピス・ケアを受けていた妻のLinda(77)さんが酸素補給のカテーテルを自ら抜き、
本人が救急車を呼ぶのを拒むまま、意識がなくなるまで手を握っていた。

逮捕・拘留されたものの、立件不能として3日後に釈放。

こうした事例が検察や全米の家族に突きつけるのは次のような問いだと
この記事は書く。

家族が自分の最後の望みを果たして命を終える手伝いをするという、
愛の他には動機が見当たらない人たちに対して、正義はどこにあるだろうか?


ソーシャルワーカーが自殺幇助を行った①のケースでは
検察官はKoencyさんの遺族の望みと同時に「事件の性格」を考慮して
保護観察を提言した、という。

また②のケースでも、捜査により夫の行為に「悪意」がないことが判明した、と
検察官代理が言っており、彼はさらに「殺人ではありません。
殺そうという意図ではなく、彼女の自殺を助けようという意図でした」

CA州自殺幇助法の下で起訴されたケースが裁判になることはめったにないという。

裁判になっても、
罪がないわけではないにせよ、既に愛する人を失った高齢の被告を
有罪とすることについては陪審員の意見が割れることが予測されるため。

「検察官は法の精神を遵奉することは必要だと思いつつ、
この人物を生涯、刑務所に送ることには意味がないと考えるのです」

法を侵して命を終わらせていると明らかなケースでも
陪審員が同情的になって無罪放免するリスクを冒してまで
検事は裁判に持ち込もうとはしない。

そうした判決が出ると「一種の文化的前例」となってしまうので、
むしろこうしたケースでは有罪を認めさせる取引に持ち込むのだと、
スタンフォード法科大学のRobert Weisberg教授。

「極めて重大な犯罪で起訴された人たちがいるという記録は残しつつ、
実際の罰則の判断では人間的な常識を用いるほうがベター」

Prosecutors going easier on assisted suicide among elderly
LA Times, January 20, 2013


【関連エントリー】
警察が「捜査しない」と判断する、英国「自殺幇助起訴ガイドライン」の“すべり坂”(2011/7/15)
検死官が近親者による自殺幇助は見て見ぬフリ(英)(2011/8/25)
要介護状態の夫が、大動脈瘤で倒れた妻を病院で射殺。「慈悲殺か殺人か」論争に(2012/8/24)


去年の秋に某所で「障害者の権利」というテーマで
アシュリー事件についてお話しさせてもらった時に、
私はこの問題に触れ、以下のように述べたことがある。

介護者による虐待が既に社会問題となっているのはご承知の通りです。最近、日本の介護業界でも介護者による高齢者への虐待は問題視されて、様々な調査や研究がおこなわれるようになりました。最近、男性介護者も増えてきていますが、虐待加害者となる比率が最も高い介護者は息子です。日本では、息子から母親への虐待が最も多いと言われます。

男性介護者が虐待に走りやすい要因としてよく上げられるのが、男性の家事能力、介護能力の低さだったり、身体的な力の優位性だったりします。もう一つ、男性介護者は介護を「仕事」にしてしまう、ということがよく言われます。目標に向かって頑張り、その目標を達成するという形で働いてきた男性が、介護者となった時に、介護をそれまでの仕事と同じように捉えて、機能を改善させる数値目標を立てて無理矢理に頑張らせたり、介護の成果に自分の達成感を重ねてがむしゃらになったりすることで、支配的な介護となってしまうというのです。私はそこにさらに「介護は本来女の仕事なのに」という意識もあるんじゃないかという気がしています。本来、自分は男だから世話をしてもらえる側のはずなのに、どうして男の自分がこんなことをしなければならないのか、という気持ちがあって、それが本来なら世話してくれるはずなのに自分に世話をさせている相手に向かうのではないか、というふうに思います。

実は、どこの国でも障害を負って自殺幇助を希望する人は圧倒的に女性が多いと言われています。またALSの患者さんは、症状が進行するとやがて呼吸をすることが難しくなるので、どこかの段階で呼吸器をつけて生きるか、付けずに緩和ケアを受けて亡くなるか、非常に厳しい選択を迫られることになります。この時、女性のALS患者さんには付けない選択をして亡くなる人が多いと言われています。これらの事実が一体何を意味しているのか。安易に安楽死や自殺幇助を合法化する前に、このことの意味をしっかり考えるべきではないか、と私は考えます。

英国でもその他の国でも、妻を何年間も介護してきた夫が、妻が死にたいと言うから手伝って死なせた、という事件が増えているような気がします。そういう夫たちが無罪放免されたというニュースを読むたびに、私が思うのは「家族介護は密室である」ということです。英国のガイドラインは、相手への思いやりからすることで、自分が直接的な利益を得るわけでないなら、自殺幇助の証拠はあっても起訴することは公益に当たらないとして無罪放免していますが、それで本当に殺人や慈悲殺と自殺幇助とを区別できるのだろうかという疑問を私はずっと持っています。


(この個所に続いて、ギルダーデール事件を紹介しました)
2013.01.22 / Top↑
補遺で追いかけてきたように、

アイルランドのMS患者 Marie Fleming さん(59)が
自殺幇助の全面禁止は違憲であると主張し、

症状が悪化した際には夫に自殺幇助してもらいたいが、
その際に夫に犯罪者になるリスクを侵させることはできないとして
公訴局長DPPに起訴判断の基準を示すガイドラインを求めて提訴した裁判で、

アイルランドの高裁がFlemingさんの訴えを退け、
Flemingさんは最高裁に上訴すると言っていますが、

そのFleming訴訟は、
英国でDebbie Purdyさんが08年に起こしたのと全く同じ趣旨のものです。
(詳細は文末にリンク)

そのFleming訴訟の高裁判決の内容について概要を取りまとめた記事があったのですが、
特に英国のPurdy訴訟との対比で印象的なので、概要を以下に。


判決は1月10日。

自殺幇助の全面禁止は
弱者を非任意の死から守る目的で正当化され、
憲法においても欧州人権条約においても個人の自律と平等を侵してはいない、

また法の変更ができるのは議会のみであり、
したがって自殺幇助で起訴するか否かの判断ファクターに関するガイドラインを出して
事実上の方の変更をDPPが行うのは憲法違反となる。

意思決定能力のある成人には、
それが死にいたる場合であっても治療を拒否する権利があるが、
第三者が他者の死をもたらす積極的な手段を取るのことは全く別の問題である。

どんなに厳格なセーフガードを設けたとしても、
「高齢者、障害者、貧しい人々、望まれない人々(the unwanted)、
拒絶された人々(the rejected)、孤独な人々、衝動を抱えた人々、
経済的に困窮する人々、情緒不安定な人々が、
自分は家族や社会の重荷になっているという思いから逃れるために、
この選択肢を利用するのを防ぐことは不可能であろう」

Flemingさんの求めに応じて全面禁止の紐をちょっとでも緩めることは
「一度開けたら、その後は二度と閉じることはできないパンドラの箱をあけるようなもの」

Absolute ban on assisted suicide is justified to protect the vulnerable
The Irish Times, January 21, 2013



英国ではPurdy訴訟の最高裁判決が
DPPに法の明確化として基準を示すよう命じ、
10年にガイドラインができました。

(もっとも高裁判決では同様に「法改正は議会の仕事」とPurdyさん敗訴だった)


【Debbie Purdy訴訟関連エントリー】
MS女性、自殺幇助に法の明確化求める(2008/6/27)
親族の自殺協力に裁判所は法の明確化を拒む(2008/10/29)
自殺幇助希望のMS女性が求めた法の明確化、裁判所が却下(2009/2/20)
Debby PurdyさんのBBCインタビュー(2009/6/2)
Purdyさんの訴え認め、最高裁が自殺幇助で法の明確化を求める(2009/7/31)
Purdy判決受け、医師らも身を守るために法の明確化を求める(2009/8/15)
法曹関係者らの自殺幇助ガイダンス批判にDebbie Purdyさんが反論(2009/11/17)


【ガイドライン関連エントリー】
DPPの自殺幇助に関する起訴判断のガイドラインを読む 1(2010/3/8)
DPPの自殺幇助に関する起訴判断のガイドラインを読む 2(2010/3/8)
英国の自殺幇助ガイドライン後、初の判断は不起訴(2010/3/26)
警察が「捜査しない」と判断する、英国「自殺幇助起訴ガイドライン」の“すべり坂”(2011/7/15)
2013.01.22 / Top↑
先月、CA州で妻の自殺をほう助したとして逮捕起訴されていた元消防士Geroge Taylor(86)に禁固2日+3年間の保護観察。
http://www.sfgate.com/news/article/Retired-firefighter-sentenced-in-assisted-suicide-4199860.php

11年に86歳の退役軍人の男性Jack Koencyにヨーグルトに致死量の麻薬Oxycontinを混ぜて手渡したとして、自殺ほう助の罪に問われていたソーシャル・ワーカーElizabeth Barrettに、有罪を認めるのと引き換えに3年間の保護観察。
http://lagunaniguel-danapoint.patch.com/articles/woman-gets-probation-in-assisted-suicide-case
http://www.reuters.com/article/2013/01/19/us-usa-assisted-suicide-idUSBRE90I01A20130119
http://lagunabeach.patch.com/articles/laguna-woods-woman-gets-probation-in-assisted-suicide-of-wwii-veteran

LATimesに「自殺幇助事件では検察が温情判断している」との記事。これは今夜これから読む。たぶん。同様の疑惑について書いたエントリーは以下に【関連】として。
http://www.latimes.com/news/local/la-me-suicide-assist-20130120,0,588699.story

【関連エントリー】
警察が「捜査しない」と判断する、英国「自殺幇助起訴ガイドライン」の“すべり坂”(2011/7/15)
要介護状態の夫が、大動脈瘤で倒れた妻を病院で射殺。「慈悲殺か殺人か」論争に(2012/8/24)


オレゴン州でロングフル・デス(過失致死?)の事件を扱う弁護士が、尊厳死法を利用して死んだ人については、司法の人間であっても情報公開がされないことを指摘し、モンタナ州の州民に対して「合法化は危険だ」と呼びかける内容の手紙。ざっと読んだけど、改めてもう一度読んでみて、なるべくエントリーに。
http://mtstandard.com/news/opinion/mailbag/oregon-assisted-suicide-law-is-not-safe-according-to-lawyer/article_329524a6-629a-11e2-bea8-0019bb2963f4.html

日本。延命治療「死にません、なかなか」=麻生副総理が発言、すぐに撤回「チューブの人間だって、私は遺書を書いて『そういう必要はない。さっさと死ぬから』と手渡しているが、そういうことができないと死にませんもんね、なかなか」「いいかげん死にたいと思っても『生きられますから』なんて生かされたんじゃかなわない。しかも政府の金で(高額医療を)やってもらっていると思うと寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしてもらわないと」:社会保障制度改革国民会議での副総理の発言が「個人の人生観を述べたということ」で済むのか?
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130121-00000064-jij-pol
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013012101001752.html

カナダ政府はPAS合法化に反対のスタンスである中、ケベック州がPASを治療の一環と位置付けることで合法化しようとしている、とWesley Smithの批判。:これについてはOR州で配給医療制度とPASが併存すると、PASは緩和ケアの一環としてオファーされるに等しい、という面は既にあると思う。
http://www.nationalreview.com/human-exceptionalism/337800/quebec-redefine-suicide-medical-treatment

アイルランドのMarie Flemingさん、PAS禁止違憲訴訟で、最高裁へ上訴へ。
http://www.irishtimes.com/newspaper/ireland/2013/0117/1224328951547.html

以下の2つの補遺で拾った訴訟の続報で、ES細胞を使用した研究に連邦政府の助成可能に。
http://www.nytimes.com/2013/01/21/opinion/embryonic-stem-cell-research-gets-a-reprieve.html

10年10月6日の補遺
ES細胞研究への公的助成が裁判沙汰になって、自分の職は一体どうなるんだと不安を感じている科学者が沢山。
http://www.nytimes.com/2010/10/06/science/06stem.html?th&emc=th

11年5月3日の補遺
米国のES細胞研究への公的助成を巡る裁判の続報。上訴裁判所が、下級裁判所の判決までは現在の研究続行を認めたのだけれど、その下級裁判所はヒト胚を破 壊する研究の違法性を問うて訴訟を起こした原告寄りらしく、NYTの論説が「世論は脊損やパーキンソンや糖尿病の治療に結び付く有望な研究を進めろと言っ ているのだから、考え直せ」と。http://www.nytimes.com/2011/05/03/opinion/03tue2.html?nl=todaysheadlines&emc=tha211
 

ランス・アームストロングのドーピング事件を受けて、でも21世紀のドーピングはこんなものには留まらず、遺伝子ドーピングや幹細胞での組織再生と新たな領域に突入する、と予測するNYT記事。薬物のドーピングも、より検出不可能なものとなっていくだろう、と。
http://www.nytimes.com/2013/01/20/sunday-review/so-long-lance-here-comes-21st-century-doping.html

インド Ahmedabadでの代理母スキャンダル。緩やかな規制と官憲の腐敗で、代理母が実際は赤ちゃん売買に。
http://www.bioedge.org/index.php/bioethics/bioethics_article/10359#comments

そこでインドも重い腰を上げて、ようやく代理母の規制強化へ?
http://www.bioedge.org/index.php/bioethics/bioethics_article/10358#comments

英国政府の福祉カットで新たに20万人の子どもが貧困状態に突入。野党が示したデータを政府、事実と認める。
http://www.guardian.co.uk/society/2013/jan/17/benefits-squeeze-200000-children-poverty

日本語。シルク・ドゥ・ソレイユが社員400人解雇、コスト増などで:グローバル強欲ひとでなしネオリベ金融資本主義の世界で、いったい誰が生き残っていけるというのだろう。「そして誰もいなくなった」に向かって、ひたすら人と命の切り捨て合戦が続く。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130117-00000087-reut-ent

「間違いなら選挙で落とせ」橋下市長、予算を人質に圧力 桜宮高2自殺:結果的に教育委員会が独立性を自ら明け渡してしまったみたいだけど、この人がやっていることはパワハラであり、それこそが「体罰」の本質という皮肉。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/623059/
2013.01.22 / Top↑
16日の補遺で拾ったように、
カナダ、ケベック州政府が医師による自殺幇助の合法化の方向を打ち出したことで、
ケベック州での議論が再燃しているのだけれど、

どこの国の議論でも、賛否両論とも、
すでにあちこちで出尽くしたものばかりだと思っていたら、
これまでの反対論とは一味違うのが出てきた。

PASや安楽死合法化が、医療崩壊問題の打開策とされる危険性を指摘し、
それが医療が本来持っていたはずのヒューマニティを損ない、
医療の文化の変質が起きることを危惧している。

著者はSherif Emilというケベック州の小児外科医。

いかにケベック州の医療制度そのものが破たんしているか、その現状を描き、
医療界・政界が、その医療の崩壊自体に無策のままPASが合法化されていくことの
危うさを指摘している。

Opinion: Legalizing assisted suicide is wrong and dangerous
The Gazette, January 17, 2013


著者によれば「ケベックほど安楽死の合法化が危険な場所はない」。

なぜといって、
カナダ医療協会の調査(2010)で
カナダ人の大半が医療制度は破たんしていると答えたが、
中でもケベック州が最悪という結果が出たという。

で、現場の小児外科医の経験している崩壊とはどういうものかといえば、

著者の毎日の診療は常にトリアージ状態で、
日々どの患者から治療すべきか判断を迫られているという。

手術室の資源も、集中治療室のベッドも、入院ベッドも、看護師も
ありとあらゆるものが、足りない。

大人の病棟はもっとひどい状況にある。

過去25年間で、医療制度のヒューマニティはほとんど消滅してしまった。患者のためにこそ医療制度があるはずなのに、その患者が医療制度に対する負担とみなされるようになってしまった。最も弱い人たちのケアを託されている多くの人々のモラルを、資源の不足と政府のお粗末なマクロ政策がくじいてしまった。この腐敗に注意を喚起しようと声を上げる者もいるが、耳を傾ける者は少なく、声はかき消されていく。本当の意味で患者と家族中心のケアを、というのは、かつてのようにルールではなく、もはや例外である。こんな環境下で、我々は自殺幇助を導入しようというのか?

さらに、

……緩和ケアは今では在宅でもホスピスでも受けられ、家族や愛する人に見守られながら尊厳ある死に方ができるようになった。緩和医療は独自の専門領域にまで成熟し、痛みや苦痛を和らげる新たな治療や方法論を見つけるために、何十億ドルという資金が投資されている。医師が使えるツールは指数関数的に増えており、痛みのマネジメントや緩和ケアに特化した医学ジャーナルも新たに刊行されている。痛苦が命を終わらせる論拠になるのなら、殺すべきは痛苦であって患者ではない。痛みに対して十分な治療を行わずに自殺幇助を合法化するのは、うつ病に対して十分な治療を行わずに自殺幇助を合法化するに等しい。Mount医師を始め、多くの緩和ケア医らが安楽死に強く反対しているのは偶然ではない。


また、小児科医として著者が特に懸念するのは
ケベック州の同意可能年齢が14歳とされていること。
これは北米で最も低い。

一方、ケベックの選別的中絶率は北米で最も高い。
避妊と性教育は広く行き渡っているにもかかわらず、である。

また先天的欠損のある胎児の中絶率も最も高い。
中絶される胎児の障害の多くは治療可能なものであり、
予後もよいにもかかわらず、である。

ケベック州では妊娠後期に至っても、
先天異常が発見されれば中絶が認められている。
この段階では、まず殺してから出産させる方法をとる。

それならば、これらの異常を生まれた後になって親が知った場合は?
生まれたばかりの我が子の命を終わらせる法的権利が
親に認められることになるのだろうか?

次に著者が懸念するのは、
ケベック政府の法案がベルギーの安楽死法をモデルとしていること。

ベルギーの腫瘍科医誌で緩和ケアユニットのディレクターであるCatherin Dopchie医師が
ちょうどモントリオールとケベック・シティで講演したばかりだという。

Dopchie医師は、
ベルギーの10年前の安楽死合法化で「開いたパンドラの箱」がどういうものか語った。

痛みがコントロールされないことを恐れて、患者も家族も医師も
緩和ケアを試みることすらせず、その代わりに医師による安楽死に飛びつく。

安楽死を選ぶことは「勇気ある」行為となり、
あちこちで高齢者とターミナルな病気の人々には
明に暗に「勇気ある」選択へのプレッシャーがかかっている。

当初は極端なケースへの解決策として提案されたものが、
広く喧伝される「治療的選択肢」となってしまった、とDopchie医師。

同医師がケベックを去るや、耳に入ってきたのは
ベルギーでろうの双子の兄弟が安楽死したニュースだった。

(ベルギーの実態については以下の報告書が去年出ています ↓
ベルギーの安楽死10年のすべり坂: EIB報告書 1(2012/12/28))


著者は、
安楽死は社会にとって、より簡単な道だけれども、
破たんした医療制度の問題と取り組む、より困難な道を選ぶべきでは、
そのためには正直とリーダーシップが必要だ、と。

最先端の医療をもってしても治癒は時に可能という程度かもしれないが、苦痛をとり楽にしてあげることなら常に可能である。私は、医師が時に殺すけれど、苦痛をとり楽にしてあげることは滅多にしない、というような医療制度の下で、医療をやりたくない。



【ケベックのPAS合法化議論関連エントリー】
カナダ・ケベック州医師会が自殺幇助合法化を提言(2009/7/17)
スコットランド、加・ケベック州で自殺幇助について意見聴取(2010/9/8)
ケベックの意見聴取、自殺幇助合法化支持は3割のみ(2011/12/29)
ケベックの尊厳死委員会から24の提言:メディアは「PAS合法化を提言」と(2012/3/24)

【カナダのPAS合法化議論関連エントリー】
カナダの議会でも自殺幇助合法化法案、9月に審議(2009/7/10)
図書館がDr. Death ワークショップへの場所提供を拒否(カナダ)(2009/9/24)
カナダの議会で自殺幇助合法化法案が審議入り(2009/10/2)
自殺幇助合法化法案が出ているカナダで「終末期の意思決定」検討する専門家委員会(2009/11/7)
カナダ議会、自殺幇助合法化法案を否決(2010/4/22)
カナダの法学者「自殺幇助合法化は緩和ケアが平等に保障されてから」(2011/2/5)
カナダで自殺幇助合法化を求め市民団体が訴訟(2011/4/27)
カナダ王立協会の終末期医療専門家委員会が「自殺幇助を合法化せよ」(2011/11/16)
カナダBC州最高裁からPAS禁止に違憲判決(2012/6/18)
2013.01.22 / Top↑
第5章 細谷亮太「小児における終末期医療」

成人とは異なる小児の終末期医療について
欧米の小児の緩和ケアを手本に、チーム医療によるトータルケアの実践を日本にも導入し、
根付かせていこうと努力しておられる最先端の医師が概論的に紹介する、といった趣の章。

読んでいると、
チーム医療のみならず患者の生活全般への目配り、告知についての配慮の厚さなど、
こちらの方が、成人も含め本来の医療のあり方なんでは? と思えてくる。

病気の子どもへの話の3大原則「うそをつかない、わかりやすく、あとのことも考えて」も、
「最後まで痛くなく苦しくなくするという約束だけは絶対に守るからね。
怖いことのないように頑張るから、よろしくね」と
「説明」の最後に追加された細谷氏の言葉も、そうだ。

「過剰な医療より尊厳死や平穏死を」と言っている一般人の本当の願いは
実は「最後まで痛くなく苦しくなく怖くない、過不足のない医療」であって、
自分の主治医が細谷氏と同じ覚悟を示し、同じ約束をしてくれるなら、そこから先の願いはきっと
「もう医療はいらない」でも「死なせてほしい」でもないんじゃないだろうか。

私はずっとそんな気がしている。
ただ、みんな、そんな医療には出会えないと、もう絶望してしまっただけで。


第6章 西村ユミ「植物状態患者はいかに理解されうるか
――看護師の経験から生命倫理の課題を問う」

植物状態患者の専門病院で勤務する看護師たちが
患者を新たに担当する段階から直接的なかかわりを深めていく時間経過に沿って
患者の捉え方が「何も分からない人」から「分かっている人」へと変わっていく過程を、

1年間に渡って調査し、そこで何が起こっているか、それは植物状態の理解において何を意味するのかを
その結果から考察する、という内容。大まかな趣旨は、結論部分にまとめられているように以下。

……看護師による患者理解は、互いの身体の応答性から生起した経験によって成り立っていた。そのためであろう、患者を「分かっている人」として理解できるようになってきたとき、看護師たちは、患者が変わったのではなく、自分たちの方が患者を見る目を養われてきたのだと思うようになった。……(略)

……法律や生命倫理の議論における患者理解には、患者に関与しつつ、自らの理解の仕方を問うという再帰性が含まれていない。その再帰性は、患者の状態に促された行為的な経験から生み出されるものであるから、じかに患者の接しなければ生起してこないのである。…(中略)…植物状態にある患者たちと直に接する経験を持っていない者たちが、こうした患者たちの生に関わる法律や倫理の問題について議論を求められる際に、まず取り組めるのは、その時の自らの患者理解が何を手掛かりにして成り立っているかを問い直すことではないだろうか。
(p.105)

「植物状態」をさらに重症障害児者にまで拡げれば、これは、
アシュリー事件と出会い、パーソン論を知って驚愕した私が、
トランスヒューマ二ストや功利主義の生命倫理学者らの言葉に歯ぎしりしながら、
「『分かっていない』のはアンタらの方じゃっ」と心に叫ぶ思いで
このブログで書き続けてきた、正にその訴え、ズバリ。

このブログの「A事件・重症障害児者を語る方に」という書庫は
ひとえに、それを言うためだけに設けたものと言ってもいい。
この書庫を作った時に書いたメッセージ・エントリーで、私は以下のお願いをしている。

「自分はAshleyのような重症心身障害児を(について)知っているか」と、
まず自問してみていただけないでしょうか。

これまで、これを問うために、渾身の思いを込めて沢山のエントリーを書いてきた。例えば、

「意思疎通できない」という医療基準のコワさ(2009/2/9)
「分かる」の証明不能は「分からない」ではない(2009/9/10)
「コミュニケーションの廃用性について(2009/9/10)
重症障害児・者のコミュニケーションについて・整理すべきだと思うこと(2010/11/21)

それから、これらのことを、ミュウと共に暮らす生活の中から「描く」ことによって訴えようと、
書き続けてきたエントリーたちがある。例えば、

ポニョ(2009/7/23)
ぱんぷきん・すうぷ(2010/8/29)
納豆チーズ・トースト(2010/11/9)
お茶(2011/1/25)
ポテト(2012/3/4)
実習生(2012/3/22)
ミュウの試行錯誤(2012/6/25)
ミュウの”Nothing About Me Without Me”(2012/12/31)

また、直接処遇のケア職員からの証言が裁判で植物状態との診断を覆した
英国のMargoまたは女性Mの事件から、それを訴えようとしたエントリーもある ↓

「生きるに値しないから死なせて」家族の訴えを、介護士らの証言で裁判所が却下(2011/10/4)
「介護保険情報」1月号でカナダ、オランダ、英国の“尊厳死”関連、書きました(2012/2/6)

高谷清氏の『重い障害を生きるということ』を読んだ時にも、
こんな重心の医師もいてくださるんだと、驚きと深い感謝の念に打たれながら
ただ一つだけ、もどかしく感じたのは、親たちが「この子は分かっている」という時に
それが何を意味しているのか、という問題を巡る、「医療の中から生活を見ている人と、
生活の中に共にどっぷり浸かっている者の隔たり」だった ↓

高谷清著「重い障害を生きるということ」メモ 3(2011/11/22)

この時、私は以下のように書いた。

実際に自分の身体でその子(人)を直接ケアすることを通じて、あるいは一定の期間その子(人)と生活を共にすることによってしか、つまりは頭や理屈ではなく自分の身体で納得するしか知りようのないこと……というものが世の中にはある、ということなのかもしれない。重症児・者の「わかっている」というのは、そういう類いのことなのかもしれない。


これこそが西村氏の言う「身体の応答性」というものだろう。

そういう類の体験を、
「患者と直に接して身の回りのケアをしつつ、
声をかけてそのわずかな応答を確かめ続ける療養の日常、
その経験の内側に視点を置き、そこで経験されていること」という捉え方で、
研究し探ってくれる人が日本にはいるのだと、この章を読んで知ったこと、

その研究を通じて、私たち家族と同様の経験がこういう形で言語化してもらえていることに、
なんだか思いがこみ上げて、6章は読みながらボロボロ泣いてしまった。

特に、食事を持っていった時とケーキを持っていった時では笑顔が違う、という観察に続けて、
でもそれは「もしかして私たちが『わぁケーキだ、村口さんに食べさせよう』と思って、近づく」
その「私たちのワクワク心を彼女が察知」しているみたいだから、かも、と
「互いが互いの行為の反映になっている」ことへの気づきが語られる場面――。

それから、「一緒に笑う」ことなどの経験が、
同じ人間同士として「いわば共存の経験を実現させる」という考察――。

医学的知識が却って壁になっている、との指摘も興味深いと思う。
植物状態と診断されて、家族には「分かっている」「反応がある」と見えるのに、
それを訴えても「唯の反射にすぎない」と医師から相手にされなかったという声は
非常によく聞くけれども、医師はむしろ教科書的な医学的知識に縛られているために
患者さんの実際の姿を見ることができなくなっているだけなのかもしれない。

実際、そういう家族の強い声で「植物状態」の誤診が分かったり、「回復」につながったケースは
当ブログで拾ってきただけでも、かなりあって、こちらに取りまとめている ↓
Owen教授の研究で、12年以上「植物状態」だった患者に意識があることが判明(2012/11/13)

この後で出てきた回復事例はこちら ↓
デンマークで回復事例 不安からドナー登録取り下げる人も(2012/11/27)

担当としてケアすることを通じて看護師が「分かっている人」と思うようになった患者さんのことを
その病院の医師はどのように「評価」しているのか、担当看護師の「分かっている」という観察が
医師の診断にどのように生かされているのか、ちょっと興味があるなぁ……。

それにしても、西村氏によると、日本の「植物状態」の定義には
「最小意識状態(MCA)」も含まれているというから恐ろしい。

医療の世界の内外を問わず
ミュウのような人たちと日常的に接していない人の中には(時に日常接している人の中にも)
重症心身障害も最少意識状態も植物状態も区別があいまいで「どうせ何も分かっていな人たち」と
みんな一括りにするような「何も分かっていない人たち」が多いだけに。
2013.01.22 / Top↑
第3章 田村恵子「終末期医療の現場における意思決定
 ――患者および家族とのかかわりの中で」

内科病棟でのがんの患者さんとの関わりから
「病気って誰のものなのか」という疑問を持ち、ホスピスで働き始めた経歴を持つ
淀川キリスト教病院看護部ホスピスの主任看護課長。

終末期の、①輸液治療の差し控えと、②鎮静の開始を巡って
患者と家族の意思にズレがあったケースでの医療チームの対応が2例紹介されている。

非常に興味深く、考えさせられるのは、
「輸液をする/しない」「鎮静をする/しない」だけではなく、
揺れ動く本人と家族の思いの背景にあるものに洞察の目が向けられていること。

もはや本人には苦痛でしかない過剰な医療を強要する家族に
ただ「素人の無知・無理解」しか見ようとしない
尊厳死法制化推進論者の医師らの議論に決定的に欠けているまなざしが
ここにはある、という感じがした。

そこに「素人の無知」「医療への無理解」ではなく、
「この人を失いたくない」という家族の辛さや
「何もしてあげられないこと」への無力・自責、
「何かしてあげたい」という思いを読みとり、
その上で、家族とともにケアすることを通じて医療職が家族をケアする、という姿勢。

そうした取り組みの中からでてくる合意形成について
田村氏が「折り合う」という言葉を使っているのがとても印象的だ。

私自身、重症障害のあるミュウの幼児期に、
言語道断なほど身体が弱いミュウの健康への配慮と、
その中で少しでも豊かな生活を送らせてやりたいとの思いの間で葛藤しつつ
その両者のどこで「折り合いをつけるか」がずっと課題だった。

そこには簡単に白黒つけられる答えはないし、判断を間違うリスクが常に伴うし、
結果論で自責を背負わなければならないことの連続だった。
それでも簡単には答えが見つからないところで
なんとか折り合える地点を探して悶々とすることから逃げずに
その悶々の悩ましさを引き受けることが大事なんじゃないかと
ずっと感じてきた。

ミュウの施設で大きなバトルを闘った14年前からずっと
私が保護者として訴え続けているのも、そのことだ、と思うし、

田村氏の事例で最終的に「折り合い」がついたのは
医療チームがその悶々から逃げなかったからではないか、という気がする。

けど、医療の文化は
患者や家族の思いと正面から向き合ってこうした悶々を引き受けるよりも、
リスク(患者への、と当時に職員への)を回避し、悶々から逃れる方向に
一刀両断で単純明快な答えを出すことに向かいがちでもある、と

これもまた、私は同じくミュウの幼児期から多々体験して、思う。
(最初のミュウの主治医は、親と一緒に悶々してくれる稀有な人だったけれど)

ここのところにこそ、安藤氏の第1章の結語が意味するところがある、と思うし、
田村氏も結びのところで、以下のように書いている。

「倫理的課題を検討するために生み出された概念や原則」によって
「倫理的ジレンマを解決する医療の正当性が検討されている」議論だけでは「十分ではなく」

……むしろ医療者のまなざしが、常に、終末期を生きる患者および家族に向け続けられる必要があるだろう。
(p.57)


「終末期を生きる」患者および家族――。

ここにもNot Dead Yetの主張が
やんわりと遠慮がちに提示されている。


ちなみに、特記しておきたいこととして
燃え尽き傾向の高い医師ほど患者が苦痛を訴えた時に持続的で深い鎮静を行う傾向が強く、
終末期医療の経験が多い医師ほど、せん妄や鬱状態の患者に鎮静を行う傾向が強い、
との報告がある、とのこと。


第4章 横内正利「高齢者における終末期医療」

これは、ちょうど数日前に読んだ
「ヘブンズドアホスピタル」ブログの「眠られぬ当直(よる)のために―尊厳死・平穏死偏」の
「その5」までで指摘されていた、先の尊厳死議連の法案への疑問と重なり
私的にドンピシャでタイムリーだった。

例えば、
・多くの疾患を併せ持つ高齢者の終末期をがん患者の終末期を基準に語ることの危険性
・「適切な医療」が何であるかは、実際の医療現場では単純ではないこと
その他について、

「医療費抑制の流れの中で、高齢者の終末期とは何かという基本的な問題意識を欠いたまま、
終末期医療という言葉だけが独り歩きしてしまっていることに強い危機感」を抱き、
これまでも発言を続けてきた医師が、高齢者の終末期の現場から
詳細に解説し、以下のように警告するパワフルな論考。

……もし、社会が「生きるに値しない生」を認知するようなことになれば、「死ぬ権利」はやがて「死ぬ義務」へと変質していく可能性が高い。
(p.72)


横内氏は「弱い高齢者」について、
通常考えられているステレオタイプとは異なる実像を紹介する。

例えば、非高齢者や「元気な高齢者」から見ればみじめで尊厳がないと感じる状況でも、
過去と決別し老いを受容した「弱い高齢者」はそれなりに現状に満足している。

これについては当ブログの補遺にも調査データがあるはずだけど
高齢者以外でも以下のデータを拾っている ↓
ロックトインの人の7割が「幸せ」と回答(2011/2/24)
トリソミー13・18、医師が描くよりも子も親もハッピーで豊かな生活(2012/7/26)
(こちらは安藤氏の第1章で言及されている)

したがって、弱い高齢者が元気な高齢者だった時に書いたリビング・ウィルや事前指示書は
現在の自己意思を反映しているとは限らない。

さらに、弱い高齢者は
「他人に誘導されやすい」
薄弱な根拠で安易に「自己意思」を決定し表明してしまいやすい。
本人も家族も、ささいなことをきっかけに言動は揺らぐ。
意思決定は「くるくる変わる」。
その背景には入院生活の不自由や医療サイドの対応への不満が隠れていることもある。

著者は高齢者の終末期と言われているものには
「生命の末期」「老化の末期」「みなし末期」の3つが混在していると指摘し、

特に「不可逆的な摂食困難」は単なる「老化の末期」に過ぎず、「終末期」ではない、と主張。

……前述したように、高齢者が経口摂取困難に陥ることは日常茶飯事である。多くは、脱水あるいは急性疾患によるのであり、点滴など然るべき治療をすれば元に戻ることが多い。そして、点滴もせずに自然経過を見た場合には、いかにも「老衰による死への過程」のように見えてしまう。しかし本来、点滴などの治療もしないで、不可逆的な摂食困難と診断することは不可能である。まして「老衰で死が近い」と予見できることは考えにくい。
(p.66-67)


ところが一定の病態・障害像になったら
「生きるに値しない」終末期状態だという認識が広がることによって、
不可逆かどうかの吟味なしに治療の可能性を放棄することを「延命治療の放棄」とみなす
「みなし末期」が混入してくる。

「わずか500mlの補液が起死回生となることも決して少なくない」と書く著者は、
高齢者の特性に沿って医療内容を勘案しつつも治癒のための努力が続けられる「限定医療」を
「みなし末期」と区別することの必要を説き、以下のように論を閉じる。

……「自然死」の美名に隠れて、高齢者の「生きる権利」がないがしろにされることがあってはならない。
(p.73)


「みなし末期」の危険性については
認知症の人と家族の会顧問の三宅貴夫医師も
「終末期もどき」という表現で警告しておられました ↓
意思決定ができにくい患者の医療決定について、もうちょっと(2009/9/3)


その他、この問題について
介護にもできることがあるという点から考えてみたエントリーは以下 ↓
「老人は口から食べることができなくなったら死」……について(2009/11/4)
「食べられなくなったら死」が迫っていた覚悟(2009/11/5)

ついでに、
「医者が介護の邪魔をする!」に思うこと(2008/4/29)
2013.01.22 / Top↑
昨年末にこちらのエントリーで紹介した『シリーズ生命倫理学 第4巻 終末期医療』を
これはすごい本だ……と唸りつつ読んでいる。

各章ごとに内容が濃く、メモしておきたいことが少なくないので、
まだ4章までだけど、この辺で一度エントリーに。

第1章 安藤泰至「医療にとって『死』とはなにか?」

タイトルの問いと
「人間にとって医療とはなにか?」
「人間にとって『死』とはなにか?」とを
三位一体の問いとして考察することによって、

医療の専門知や、それに基づいた医療の枠組みや視線の限界を示し、

「全人的医療」や「スピリチュアルケア」など
医療がその限界に自覚的であろうとする試みにすら、
「それまでは医療の対象ではなかった生命の領域に医療の視線が向けられ、
それが医療的な枠組みの下にコントロールされていく、という負の側面がある」こと、

「死や死にゆく人をめぐるケアの医療化」という
もう一つのベクトルが働くリスクがあることが指摘される。

その上で、
「終末期医療という営みが単に医学や医療の一つの専門領域の中だけで問われるのではなく、
人間の文化、社会や私たちの生き方の問題として問われ」るためには、

「医療が既存の医療の専門知の枠組みで人間の生(死)を切り取ってそこに自足するのではなく、
その限界を自覚しながら、そのなかで医療に何ができるのかを模索していくことができるような
新しい医療の文化(原文は傍点)が必要だと説く。

……いま本当に求められるべきなのは、このように技術の力によって人間の悲しみや苦しみ、悩みを取り去ってしまう(ことを約束する)医療ではなく、悲しみ、苦しみ、悩みながら私たちが充実して生きることを助け、支える医療なのではないか。だとすれば、「死すべき定めにある人間」に向きあいつつ、その生を支える終末期医療こそが、実は本当の意味での「先端医療」であると言えるのではないだろうか。
(p.17)


障害者の立場から安楽死に反対している障害者団体Not Dead Yetの
「まだ死んでいない」という名称の意味するところが、
読みながら、初めて深く納得される気がした。


第2章 清水哲郎・会田薫子「終末期ケアにおける意思決定プロセス」

生命倫理学の原則を踏まえつつ、
日本の状況に即し、〈情報共有から合意へ〉というプロセス把握をした上で
家族の当事者性を織り込んで、患者と家族と医療職との「共同決定」としての
プロセス重視の意思決定プロセスが提案されている。

こうしたモデルの必要性の背景には
本来は患者が「与える」ものであり、望まない医療を受けない権利を保障するICが
日本では「説明と同意」と訳され患者と医療職との決定の分担論と化したことも
指摘されている。

家族の当事者性について、かなり突っ込んだ議論がされていること、

biological lifeに対して biographical life が
「物語られるいのち:いのちの物語の主題となるいのち」として対置されていて
提案されたモデルでは、患者の最善を考えるためには
医療者側は後者の情報を得なければならないとされていることなど、
かねて個人的に疑問に感じてきたところだったので興味深いのだけれど、

アシュリー事件に関する生命倫理の議論がそうなりがちであったことが思い返されて、
プロセスを問題とする学問として構えた時の生命倫理学の限界のようなものも感じる。

このモデルがまっとうに機能するためには
安藤氏の言う「新しい医療の文化」が先にあることが大前提なんじゃないかなぁ、と思うし、

プロセス・モデルというのは結局のところ「医療職性善説」でしかなく、
英国で現在問題になっているリヴァプール・ケア・パスウェイと同じく、
このモデルそのものが、1章で安藤氏の指摘するように
「共同決定という医療化」のリスクをはらんでいるんじゃないのかなぁ……。

そこのところに、
アリシア・ウ―レットが言う「医療の中にembeddedした生命倫理学」の限界を
そこはかとなく感じてしまう章だった。

(次のエントリーに続く)
2013.01.22 / Top↑
NJ州のCouncil on Developmental Disabilitiesのサイトに、Norman Reim氏による“Growth Attenuation and People with Developmental Disabilities”と題した論考。同カウンシルの機関紙People & Familiesにも、同じ趣旨の投稿。成長抑制や手術(つまり”アシュリー療法”)が一般化されていくことへの懸念として、社会からの支援により対応可能であることと、正当化論の背後にある「重症児は何も分からない」とのステレオタイプの指摘。
https://www.njcdd.org/index.php?option=com_easyblog&view=entry&id=21&Itemid=378

上記記事がアップされたのが14日。すると今日、Yahoo! Answersに、「成長抑制療法は倫理的か」と題して、「成長抑制の是非に関する倫理の研究プロジェクトがあるので、情報ください」という質問がアップされている。これも例の怪現象か?
http://answers.yahoo.com/question/index?qid=20130115100415AAKLdaf

カナダ、ケベック州の副保健大臣がPAS合法化を明言。
http://news.nationalpost.com/2013/01/15/quebec-to-legalize-assisted-suicide-death-a-medical-issue-health-minister-says/

【ケベックのPAS合法化議論関連エントリー】
カナダ・ケベック州医師会が自殺幇助合法化を提言(2009/7/17)
スコットランド、加・ケベック州で自殺幇助について意見聴取(2010/9/8)
ケベックの意見聴取、自殺幇助合法化支持は3割のみ(2011/12/29)
ケベックの尊厳死委員会から24の提言:メディアは「PAS合法化を提言」と(2012/3/24)

【カナダのPAS合法化議論関連エントリー】
カナダの議会でも自殺幇助合法化法案、9月に審議(2009/7/10)
図書館がDr. Death ワークショップへの場所提供を拒否(カナダ)(2009/9/24)
カナダの議会で自殺幇助合法化法案が審議入り(2009/10/2)
自殺幇助合法化法案が出ているカナダで「終末期の意思決定」検討する専門家委員会(2009/11/7)
カナダ議会、自殺幇助合法化法案を否決(2010/4/22)
カナダの法学者「自殺幇助合法化は緩和ケアが平等に保障されてから」(2011/2/5)
カナダで自殺幇助合法化を求め市民団体が訴訟(2011/4/27)
カナダ王立協会の終末期医療専門家委員会が「自殺幇助を合法化せよ」(2011/11/16)
カナダBC州最高裁からPAS禁止に違憲判決(2012/6/18)


病院で投薬ミスが起きた時、患者や家族に正直に知らされることはめったにない、という調査結果。
http://www.washingtonpost.com/national/health-science/when-hospitals-makes-mistakes-with-medications-they-rarely-tell-the-patient/2013/01/14/ffe918a0-5e5c-11e2-a389-ee565c81c565_story.html

日本。提供卵子の仲介団体、初日だけで41人申し込み。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130115-00001077-yom-soci

いわき市から東日本大震災と原発問題について発信する「日々の新聞」
http://www.hibinoshinbun.com/

安倍財政で日本は年内にも破たん、「ガラガラポン」早まる―藤巻氏
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130115-00000040-bloom_st-bus_all

大阪大、新出生前診断実施へ…倫理委が承認
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20130115-OYT8T00954.htm

イラン議会に独身女性が海外へ旅行するためには父親の許可を必要とする法案。
http://www.guardian.co.uk/world/2013/jan/15/iranian-women-fathers-permission-abroad

英国オックスフォードを拠点とするギャングが、少女らを薬漬けにして売春婦として売買していた、という事件。11歳の少女も。
http://www.guardian.co.uk/uk/2013/jan/15/oxford-gang-girls-prostitutes-bailey

中国の一人っ子政策以前に生まれた人と以後に生まれた人とで、経済活動の傾向がどのように異なっているか、の調査結果。
http://www.medicalnewstoday.com/releases/254840.php
2013.01.22 / Top↑
NICE(国立医療技術評価機構)が現在作成中の改定ガイドラインにより、
英国NHSにおける乳がん戦略は予防重視にシフトし、
家族歴や遺伝子情報から乳がん発症リスクが高・中等度とされる女性に対して
NHSで予防薬の投与が行われるよう提言されることに。

現在、イングランドとウェールズの30歳以上の女性のうち
家族の既往歴と、人によっては遺伝子変異情報から、
2%が乳がん発症に中等度のリスク、
1%が高リスクとされる。

新ガイドラインで予防薬投与の対象となるのは50万人で、

薬は既に治療薬として使われている tamoxifen と、
骨粗鬆症の治療薬として使われている raloxifeneの2剤。

更年期の前か後かによって、種類、期間とも使い分ける。

2剤とも、米国では
すでに乳がん予防薬としてFDAが認可している、とのこと。

また記事によると、
NICEの新ガイドラインはハイリスクの女性には
予防的両側乳房切除術も選択肢として認める可能性がある、とも。

500,000 women to be offered breast cancer drugs
The Guardian, January 15, 2013



【がん予防医療の関連エントリー】
今度は乳がん予防のワクチンだと(2008/9/15)
“乳がん遺伝子ゼロ”保証つき赤ちゃん英国で生まれる(2009/1/10)
「現代医学は健康な高齢者を患者にしている」(2009/3/8)
「40過ぎたらガン予防で毎日アスピリンを飲みましょう」って(2009/4/30)
発がんリスクが半減する薬だって言うのに、なんで飲まないの?(2009/12/16)
「私とは、私の遺伝子なのか?」(2012/4/4)

【乳房切除の関連エントリー】
A事件に「小児乳房切除の倫理」Dr,Sobsey再び(2008/7/22)
小児へのRisperdalの適応外処方で乳房切除術を受ける少年たち(2009/5/28)
遺伝子変異あれば乳房摘出、卵巣摘出が当たり前の“予防医療”に?(2010/9/3)

【骨粗鬆症の関連エントリー】
骨減少症も「作られた病気」?……WHOにも製薬会社との癒着?(2009/9/9)
更年期は、ビッグ・ファーマの提供でお送りしました……(2009/12/14)
ビッグ・ファーマが当てこむ8つの“でっちあげ病”(2010/4/17)

【グローバル強欲ひとでなしネオリベ金融資本主義の関連エントリー】
巨大ファーマがかつてのゼネコンなのだとしたら……(2009/9/29)
「必要を創り出すプロセスがショーバイのキモ」時代と「次世代ワクチン・カンファ」(2010/5/29)
事業仕分の科学研究予算問題から考えること(2010/12/12)
“プロザック時代”の終焉からグローバル慈善ネオリベ資本主義を考える(2011/6/15)
国家的権威から市場主義的権威による超国家企業の政治制度へ(2012/1/25)
2013.01.22 / Top↑
コネチカット州議会に自殺幇助合法化法案提出。
http://www.branfordseven.com/news/state/article_44485116-5a7d-11e2-8151-001a4bcf6878.html

上記の法案提出を受け、Peter Wolfgang氏のコメンタリー。ここ、ちょっと気になる情報だけど、ソースが明記されていないのが残念。 ⇒ Contrary to the image of peacefully resting in a chair or bed, surrounded by loved ones, after ingesting drugs prescribed by a trusted physician, the reality of physician-assisted suicides can be grim. Accounts of frantic relatives calling 911, hospitalization, vomiting and choking, panic attacks, terror and drug-induced assaultive behavior during physician-prescribed (and unattended) suicides have all been documented in the New England Journal of Medicine and other publications.
http://www.courant.com/news/opinion/hc-op-wolfgang-false-promise-assisted-suicide-1216-20130111,0,3077331.story

Heaven’s Door Hospitalブログの「眠られぬ当直(よる)のために―尊厳死・平穏死偏」(ここから現在、その5まで):いつもながら、たいそう面白く読めて、勉強になります。
http://tonjihdh.blog.shinobi.jp/Entry/19/

正統派ユダヤ教徒の脳腫瘍の患者Danielle Zfat(19)を巡って、米フロリダ州のJoe DiMaggio 子ども病院で無益な治療訴訟。11月25日に入院。元旦に病状が悪化し生命維持に。病院側が3日に取り外しの意向を告げた。:最近の無益な治療訴訟では、人工呼吸器を装着後、ほんの数日で病院から中止を言い渡されるという事例が増えている気がする。
http://medicalfutility.blogspot.jp/2013/01/zfat-v-joe-dimaggio-childrens-hospital.html

日本。海外で卵子提供を受ける女性急増「タイの産科婦人科学会の幹部によりますと、ここ数年、卵子提供のためタイを訪れる日本人が急増し、年間数百人が卵子の移植を受けているということです」
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130110/t10014719011000.html

日本。国内初「卵子バンク」 不妊治療、提供者募集を開始
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130115/trd13011507060002-n1.htm
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130114-00000064-jij-soci

日本。医療機関調査“卵子提供の出産は高リスク”
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130111/k10014729541000.html

【関連エントリー】
インドの生殖医療ツーリズム(2008/8/12)
インドの70歳女性、体外受精で初産(2008/12/9)
グローバル化が進む“代理母ツーリズム”(2011/1/29)
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精子250㌦、卵子1000㌦で、どう?(2008/5/26)
生殖補助医療の“卵子不足”解消のため「ドナーに金銭支払いを」と英HFEA(2009/7/27)


日本語。世界の雑記帳:バイオ燃料が大気汚染の原因に、人間の寿命に影響も=研究
http://mainichi.jp/feature/news/20130108reu00m030013000c.html

日本語。<中国>深刻な大気汚染 呼吸器系疾患が急増
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130114-00000009-mai-cn

日本。高学歴プア 東大院卒就職率56% 京大院卒はごみ収集バイト
http://www.news-postseven.com/archives/20130110_165134.html

Lancetに日本の介護保険制度に関する論文。
http://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736%2813%2960049-5/fulltext?elsca1=ETOC-LANCET&elsca2=email&elsca3=E24A35F

別府市:障害者暮らし条例 九州の市で初、制定目指す/ 大分
http://mainichi.jp/area/oita/news/20130111ddlk44010505000c.html

インドのバス強姦殺人事件を機に、他にも同様の事件が明らかになっている。
http://www.guardian.co.uk/world/2013/jan/13/indian-police-investigate-gang-rape

英国でも女性の5人に1人に性的虐待の被害経験。
http://www.guardian.co.uk/uk/2013/jan/10/sex-crimes-analysis-england-wales

途上国でHIV感染撲滅プログラムを実施しているグループが米国政府から資金援助を受ける場合には、売春と性的人身売買にも反対の立場をとるよう求められて、そうした立場を資金援助の条件とするのは途上国での活動を困難にすると同時に言論の自由権の侵害だと、支援グループが訴えていた問題で、最高裁の判決、間近。:途上国、エイズとくれば、どうしても気にはなる。
http://www.washingtonpost.com/politics/supreme-court-to-decide-restrictions-on-groups-fighting-hivaids/2013/01/11/a46b0c80-5c2d-11e2-9fa9-5fbdc9530eb9_story.html
2013.01.22 / Top↑
昨年12月14日に、
ベルギー、Jetteのブリュッセル大学病院で致死薬の注射により安楽死したのは
Antwerp地域出身の45歳の双子の兄弟。

2人は生まれつきのろう者で
これまでアパートで一緒に暮らし、靴職人として働いてきたが、
近いうちに視力まで失うことになると知り、
絶望して安楽死を望んだ。

記事は
「本人意思が明確で、耐え難い苦痛があることを医師が確認すれば
ベルギーの法律では安楽死が認められている」と書いているが、

別の個所では
「2人のいずれもターミナルな病状でもなければ
身体的に大きな苦痛があったわけでもないので、
このケースは異例」とも書いている。

2人の安楽死を手記したDavid Dufour医師は
「2人ともとてもハッピーでした。彼らの苦しみが終わるのを見てほっとしました。」
「ホールで2人はコーヒーを飲んで、良い時間、豊かな会話でした。
それから両親と兄弟との別れは、おごそかで美しいものでした。」
「最後に2人はちょっと手を振ってから、息を引き取りました」

また、この記事の末尾には、
以下のエントリーで紹介したように、
ベルギー与党の社会主義党から改正法案が出されたことにも触れられています。

提出は、双子の兄弟の安楽死の数日後だったとのこと。

ベルギー社会主義党「未成年と認知症患者にも安楽死を」(2012/12/22)


Twins granted assisted suicide
Deaf brothers, 45, feared going blind
OTTAWA CITIZEN, January14, 2013


ベルギーにはこんな声もある ↓
ベルギーで「知的障害者、子供と認知症患者にも安楽死を求める権利を」(2012/5/5)


また、
ベルギーの合法化以来10年間の安楽死の実態については
昨年、以下の報告書がすべり坂を指摘したばかり ↓

ベルギーの安楽死10年のすべり坂: EIB報告書 1(2012/12/28)
ベルギーの安楽死10年のすべり坂: EIB報告書 2(2012/12/28)


【その他、ベルギーの安楽死関連エントリー】
ベルギーでは2002年の合法化以来2700人が幇助自殺(2009/4/4)
幇助自殺が急増し全死者数の2%にも(ベルギー)(2009/9/11)
ベルギーにおける安楽死、自殺ほう助の実態調査(2010/5/19)

ベルギーで2年前にロックトインの女性、「安楽死後臓器提供」(2010/5/9)
ベルギーの医師らが「安楽死後臓器提供」を学会発表、既にプロトコルまで(2011/1/26)
ベルギーの「安楽死後臓器提供」、やっぱり「無益な治療」論がチラついている?(2011/2/7)

「安楽死後臓器提供」のベルギーで、今度は囚人に安楽死(2012/9/15)
2013.01.22 / Top↑
昨年、カナダなどいくつかの映画祭で上映されたという
フランスのアニメ作品“Suicide Shop”が
Thaddeus Popeの無益な治療ブログで紹介されている。
(英語のトレーラーあり)


In a grey and brown Paris of oppressive concrete towers and rain-soaked streets, everyone, even the pigeons, is miserable. The one paradoxical ray of hope is a quaint little old-fashioned back-alley boutique known as The Suicide Shop, where the Tuvache family are delighted to help customers end their suffering. The shop sells poisons, nooses, rusty razor blades, seppuku swords and other life-taking paraphernalia, aimed at every budget. For a homeless customer, it’s a simple plastic bag and a piece of tape, compliments of the house.

陰鬱なコンクリートの建物がそびえ立ち、雨に濡れそぼった通りが続く灰色と茶色のパリの町では、誰も彼もが、鳩さえもが、みじめな暮らしをしている。そんな中、たった一つだけ、人々に希望の光を投げかけているのは、皮肉にも、裏通りにある、時代がかって奇妙で小さな 「自殺ショップ」だ。その店で、お客様の苦しみを終わらせて差し上げようとお待ちしているのはTuvache一家。売っているのは、毒薬、首吊り用の輪っか、錆ついたカミソリ、切腹用の刀、その他、自殺するためのグッズのあれこれ。どんなご予算にも応じられるよう、ずらりと取りそろえられている。ホームレスのお客様には、何の変哲もないビニール袋とセロテープを。お代はいただきません、とのこと。
(ゴチックはspitzibara)

The Suicide Shop
Medical Futility Blog, January 11, 2013


トレーラーでは店の主人がMishima Tuvacheという名前で、
Popeの紹介の中にも seppuku sword という表現があるので、
「三島由紀夫から……??」と思ったら、

英語のWikiによると、やっぱりそうだった
(Mishimaは姓の方なんだけど) ↓
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Suicide_Shop

Wikiによると、
店の商品を作っている長男ビンセントの名前はヴァン・ゴッホに、
ミシマの奥さんのマリリンはマリリン・モンローに由来するのだとか。
(だから、ミシマは姓なんだってば)

それから、Wikiの解説によると、
原作は2006年のJean Teuleという人のブラック・コメディ小説だとか。

近未来のパリの人たちが希望を持てないのは、
あまりの大きな気候変動のせい、という設定らしい。


なお、この映画を紹介してくださっている日本の方の個人ブログから、
カンヌ国際映画祭公式サイト[日本語版]内の作品紹介の一部を借りてくると、

人々が何に対してもまったく意欲を見い出せないとある町。町のなかで最も繁盛している商店と いうのが、自殺するための毒や首吊り用の紐を販売する店だった。ところがある日、その店の女主人が子供を出産。その子は生きる喜びそのものだった。自殺用 品店の内部で、何かが崩れ始める...。


それにしても、Popeの記事が強烈に響いてくるのは
やっぱ最後の「ホームレスの客には……」の下り――。
2013.01.14 / Top↑
昨年、臓器不足解消に向けて
16歳以上の全員にドナーになる意思確認をするよう制度改正が行われたばかりのドイツで
国内47か所の全移植センターに医療委員会の調査が入る深刻な事態となっている。

現在のところまでに明らかになっているのは
少なくとも4つの権威ある大学病院で
待機リスト順位を上げてEurotransplantから臓器を獲得する目的で
患者データの不正操作が組織的に行われていた、という事実。

例えば患者の血液に尿を混ぜたり、
別の患者の血液サンプルを使ったり、
人工透析データを改ざんしたりして、
容体が実際以上に悪化しているように見せていた。

また、調査が入ると外科医らは、
患者の透析記録が書かれたカルテを隠すなどして
医療委員会の調査を妨害。

これまでに判明しているのは少なくとも103ケースだが
これから調査が進むとさらにたくさん出てくるだろうと医療委員会は言っている。

4病院の上級医師や移植医は調査の間、停職に。

それらのケースで贈収賄が絡んでいるかは今のところ不明だが、

他にも背景として
多くの移植センターがある一方で移植臓器は世界的に不足しており、医師らには
成功事例を作り、資金獲得のため病院の評価を上げるプレッシャーがかかっていた、とも。

4病院の1つの医師は、
肝臓を一つ移植するごとにボーナスを受け取れるよう契約内容に盛り込んでいたといわれ、
こうした報酬システムには、医療関係者の間から以前より批判が出ていたところ。

当初は散発的な事例だと思われていた不正が、
国内の移植センターに広がる組織的な不正スキャンダルの様相を呈してきたことで
臓器移植に対するドイツ国民の信頼が失われ、ドナー希望者が激減しているという。

死後提供は20%から40%減少したとのこと。

Mass donor organ fraud shakes Germany
The Guardian, January 9, 2013



【2011年の関連エントリー】
「“生きるに値する命”でも“与えるに値する命”なら死なせてもOK」と、Savulescuの相方が(2011/3/2)
WHOが「人為的DCDによる臓器提供を検討しよう」と(2011/7/19)
UNOSが「心臓は動いていても“循環死後提供”で」「脊損やALSの人は特定ドナー候補に」(2011/9/26)
「DCDで生命維持停止直後に脳波が変動」するから「丁寧なドナー・ケアのために麻酔を」という米国医療の“倫理”(2011/11/24)
「丁寧なドナー・ケア」は医療職の抵抗感をなくしてDCDをさらに推進するため?(2011/11/24)

これまでの臓器移植関連エントリーのまとめ(2011/11/1)

【2012年の関連エントリー】
「重症障害者は雑草と同じだから殺しても構わない」と、生命倫理学者らが「死亡提供ルール」撤廃を説く(2012/1/28)
米国の小児科医らが「ドナーは死んでいない。DCDプロトコルは一時中止に」(2012/1/28)
英国医師会が“臓器不足”解消に向け「臓器のためだけの延命を」(2012/2/13)
「臓器提供の機会確保のための人工呼吸、義務付けよ」とWilkinson(2012/2/22)
臓器マーケットの拡大で、貧困層への搾取が横行(バングラデシュ)(2012/3/15)
闇の腎臓売買、1時間に1個のペースで(2012/5/28)
経済危機で臓器の闇市、アジアからヨーロッパへ拡大(2012/6/10)
脳損傷の昏睡は終末期の意識喪失とは別: 臓器提供の勧誘は自制を(2012/7/20)
「病院職員に脳死判定への圧力がかかっている」と元移植コーディネーターが提訴(米)(2012/9/30)
2013.01.14 / Top↑
【久々にAshley療法関連】:アシュリー療法関連の文献はちょっと食傷気味なので、もう敢えて探そうという気にもならないのだけれど、たまたま目にしたので記録。

男女児2人それぞれの親から成長抑制の要望を受けた病院の医師らによる、「倫理的に疑問のある親からの要望に対処するには」と題した論文。11年。アブストラクトからすると、本人に意思決定能力があった場合に、それを望むかどうかを検討し、望むと思われた場合にはその先に裁判所の判断を仰ぐことを提言している模様。2つのケースでこの病院がどういう結論を出したのかは、アブストラクトからは不明。
Managing ethically questionable parental requests: Growth suppression and manipulation of puberty, David Isaacs, et al., Journal of Paediatrics and Child Health,Sept 27, 2011
http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/j.1440-1754.2011.02156.x/abstract;jsessionid=F67C6A5BC52FB42A6C580A989C627155.d03t01?deniedAccessCustomisedMessage=&userIsAuthenticated=false

こちらは去年の心理学者Jenna Nicole Mercadenteによる論文 ”Growth Attenuation, Sterilization, and Cochlear Implants: Ethical, Legal and Social Themes”.「歴史を通じ、障害のある人々は侵襲的な医療の対象とされ、身体的権利と統合性を侵されてきた」:成長抑制と強制不妊と人工内耳に共通する倫理、法律、社会の問題……といえば、ウ―レットの“Bioethics and Disability”の第4章そのもの。
http://etd.ohiolink.edu/view.cgi?acc_num=wsupsych1309537482

また、09年にミネソタ・ロー・スクールの博士号候補者が書いた「アシュリー療法」に関する論文。現在の法律の枠組みは、生殖権と身体不可侵の権利を重視しすぎていて、その結果、個々人の尊厳や苦しまない権利、子どもについての親の決定権などが十分に尊重されないという問題がある。これではアシュリー療法の適用となる重症児の最善の権利は守れない……という論旨の模様。:思い出すのは、これ。(これも確か博士号候補者だったんじゃなかったっけ?) ⇒ 憲法が保障する“基本的権利”をパーソン論で否定する“Ashley療法”論文(前半)(2009/10/8)
http://heinonline.org/HOL/LandingPage?collection=journals&handle=hein.journals/mipr10&div=26&id=&page=


【それ以外】

アイルランドのALS患者、 Marie FlemingさんのPAS禁止違憲裁判で、Flemingさん敗訴。The three judge High Court ruled today the absolute ban is justified to protect vulnerable others from involuntary death and does not breach Marie Fleming's personal autonomy and equality rights under the Constitution and European Convention on Human Rights.:これは、まぁ予想通り。
http://www.irishtimes.com/newspaper/breaking/2013/0110/breaking1.html

ヘリウムが世界的に不足し始めている中、新手の自殺幇助の方法となりそうな「断食による自殺」の勧め。VSED:voluntary stopping eating and drinking という文言まで出来ているんだそうな。それにしても、ホスピス職員が基本的には健康な高齢者のその決断を受け入れ、サポートした、とは。そういえばFENが08年の事件で閉じるまで、HPで施設入所者などにこの方法を勧めていたっけな。
http://medicalfutility.blogspot.jp/2013/01/sons-perspective-on-using-vsed-to.html

合法化されているORとWA州で、医師に処方された致死薬を飲んでも20%は死に切れなかった、というデータ。これは前から年ごとの報告にちらほら出てきている事実。:だからVSEDを、という話にそのうち向かうのか、まさか?
http://www.lifenews.com/2013/01/08/20-percent-who-take-drugs-in-assisted-suicides-dont-die/

BBCが自殺幇助で商売を始めた若者3人組を主人公にコメディの放送を始めたことがちょっと前に話題になっていたけれど、それについて議員さんからBBC批判。BBCについては前にも議会から「公費で合法化ロビーやるな」という批判が出た。
http://www.dailymail.co.uk/news/article-2257994/MP-blasts-BBC-new-comedy-series-Way-To-Go-makes-assisted-suicide-matter-fun.html

赤ちゃん死なせたスリランカ人メイドを斬首、サウジアラビア
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130110-00000032-jij_afp-int

スリランカ人メイドの体内からクギ24本、サウジ雇用主の体罰か(2010年8月27日)
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2751170/6110038

こういうニュース、サウジの法律の問題もあるにせよ、本質的にはグローバルひとでなし強欲ネオリベ金融資本主義が広げている奴隷労働や、貧困層のバイオ資源化の問題と繋がっているんだと思う。介護や育児労働が奴隷労働化している実態は、2006年に既にこういう状態だった ↓
“現代の奴隷制”輸出入される介護労働(2009/11/12)


ドイツの移植医が待機リストを飛ばしたかなんかで、移植センターにスキャンダル:これから読む。たぶん。
http://www.guardian.co.uk/world/2013/jan/09/mass-donor-organ-fraud-germany

州当局や保健局など、行政が小まめにお知らせすることで、子どものワクチン接種率は上がります、という米国の研究。
http://www.medicalnewstoday.com/releases/254690.php

英国政府は個々人が負担する介護費用上限額(それを超えたら国が負担する)に、先のDilnot提言(下にリンク)よりも2倍も高い所得制限を設けようとしており、その批判をかわすべく、年金を使って介護保険を購入する人に支援策を提案するとか?
http://www.guardian.co.uk/uk/2013/jan/09/pensions-insure-long-term-care

【関連エントリー】
英国「介護と支援財政員会」提言(2011/7/5):これがDilnot提言
介護費用負担総額に上限設定へ(英)(2012/8/18)


ProPublicaって本当にすごいといつも思うのだけれど、今度は連邦政府に情報開示請求をして、米国のナーシングホーム監査の完全記録を公開。
http://www.propublica.org/article/feds-release-nursing-home-inspections

ゲイツ財団の4500万ドルかけた研究の結果によると、学校の先生の最も信頼性のある評価方法は、①生徒のテスト・スコア、②複数のレビュアによる教室観察、③生徒による先生評価だそうな。
http://www.washingtonpost.com/national/gates-study-weve-figured-out-what-makes-a-good-teacher/2013/01/08/05ca7d60-59b0-11e2-9fa9-5fbdc9530eb9_story.html

ゲノムデータ使ってガン診断と治療の向上を目指すFoundation Medicine Inc.にビル・ゲイツが多額の投資。
http://www.boston.com/businessupdates/2013/01/08/bill-gates-invests-foundation-medicine-which-uses-genome-data-for-cancer-diagnostics/BtipX6STIA5prjmrjJkHzI/story.html

自殺念慮のある子どもたちへのメンタル・ヘルス治療は実は効果が出ていない……って、ずいぶん前からあちこちで言われ続けていると思うのだけれど、大きな調査でデータが出たらしい。JAMA Psychiatryの論文。
http://www.nytimes.com/2013/01/09/health/gaps-seen-in-therapy-for-suicidal-teenagers.html

フランスからは痩せ薬による死者続発スキャンダルの続報。ヤセ薬についてはエントリーいくつかあるけれど、これ以後はたぶん補遺か。
http://www.guardian.co.uk/world/2013/jan/06/france-scandal-weight-loss-drug

英国で初の手のフル移植。
http://www.guardian.co.uk/society/video/2013/jan/04/uk-first-hand-transplant-patient-video

曽野綾子「東電に責任はない」「放射能の強い所は、じいさんばあさんを行かせればいい」:11年の記事なんだけれど、教育再生会議に曽野綾子が入ったという話から芋づるで出てきたて、ものすごく怖かった。
http://d.hatena.ne.jp/dj19/20110518/p1
2013.01.14 / Top↑
生活書院のHPで毎月初めにアップされているWeb連載
福井公子さんの「障害のある子の親である私たち――その解き放ちのために」の
4回目、「勇気」「運動会」「ケイタイ」「虐待」の4編を読んだ。

http://www.seikatsushoin.com/web/fukui04.html

特に1編めの「勇気」から、
ずっと思ってきたことを、私も書きたくて収まらなくなったので。


「勇気」に書かれているのは、
障害のある子どもの親に対して
作業所や施設を作るとか、障害のある子どものために地域で活動したり事業を起こすなど、
「社会的に行動する親であること」を求めるプレッシャーのこと。

福井さんは
「グループホームぐらい立ち上げたらどうなんだ」と
親仲間に言われたことがあるという。

私もミュウの幼児期に、行政の人から
「どうして親の会を立ち上げないんですか」と言われたことがある。

別の町の行政の人から、
「親が動かなかったら、施設もサービスもできませんよ」
「今すぐ運動を始めたって、形になるのは10年も先のことですよ」と
すぐにも活動を始めなさい、という趣旨のアドバイスをされたこともある。

そのたびに、私は困惑した。

当時の私は、3日と元気だということのない幼いミュウを抱え、
大学の専任講師の仕事をしながら、心身ともに限界との闘いのような日々を送っていたし、
その後もミュウを施設に入れざるを得なかったことで自責の思いや
そこに至るまでに積み重なった自分自身の気持ちの不安定とで、
自分が生き延びることだけで精いっぱいだった。

天職と思い決めていた職業をあきらめざるを得ないかと悩んでいるような
ぎりぎりの生活状況で、それでも、この上まだ
社会的に行動を起こせと求められるのか……。

私も福井さんのように、
「不平不満ばかり言っていないで、自分でやったら」と叱られているような気分になり、
しばらく気持ちが落ち込んだ。

直接的に「やったら?」と言われないまでも、
社会の矛盾や問題について自分なりの思いを語っていると、相手の人から
行動し何かを成し遂げた親として著名な人の名前や本のタイトルを挙げて
「この人のことを知っているか」と問われる、ということも少なくはなかった。

それもまた私には
「モンクばかり言っていないで行動を起こし何かを成した親だっている。
あなたも行動したらどうか」というメッセージとして届いた。

そのたびに、
「親の会を立ち上げたり、事業を興したりという社会的な活動をできない自分」のことを
私はあれこれと心でいじり回さないではいられなかった。

アドバイスしてくれた人は
それなりに「買って」くれたつもりの激励だったかもしれないし、

実際、熱心にその人と話をしている時には、私自身、
「そのくらい辞さない!」くらいのトーンで熱く語っていたのだろうと思うし、

できることならやりたい、実現できたらいいなぁ、と思い描く「夢」なら
正直、これまでに、いくつもいくつも数え切れないほど心に抱いてきた。

そして、その、どれひとつについても、
私は実現に向けた行動を起こせなかった。

私が「行動できなかった」のは、
本当はただミュウとの生活だけでも限界を超えていたから、というだけではなかった。
心身ともに余裕がなかったから、というだけでもなかった。

私自身に「人と一緒に何かをやる」ための協調性が欠けているから、というのが
たぶん一番大きな要因だったと思う。

そのことに、いつからか私は気付いていたし、
気付いてからは、ずっと「対人関係で能力がない」自分を情けなく感じてきた。

もちろん、言い訳すれば他にもいろいろあるのだけれど、それらをひっくるめて、
要するに「そういうことができた人ほどに人間が優れていないから、私にはできなかった」と
いつからか考えるようになった。

だから、人から「行動しないの?」メッセージを受けるたびに
自分の「人格的な欠陥」のことをぐずぐずと弄くりまわしてきた。

そして、そういう時、同時に、

障害のある子どもの親にだって、いろんな人がいるはずなのにな、
その中には人をまとめてリーダーとして引っ張るのが得意な人もいれば
人と一緒に何かをやることが苦手なタイプだっていて当たり前なのにな…と
小さな、本当に小さな、誰にも聞こえない声で、こっそりとつぶやいてきた。

ずいぶん長いこと、そうやってイジイジと生きてきて、
さすがに私も、ちょっとだけ強い人になった。

だから、最近の私は、思っている。

簡単に言えば、
私は、そういうことに向いていない、ということに過ぎないんだ……って。

いいじゃない。その代わりに
自分に向いていることは、私なりに懸命にやってきたんだから――。

そして今は、そこで、さらに
「ちょっと待ってよ」と考えるようになった。

ちょっと待ってよ。

障害のある子どもの親になったからといって、
何かに懸命になって生きなければならないと感じたり、

自分や誰かに対して、それを証明して見せられなければ
社会に対してものを言う「資格」がないと感じたりって、
それって、そもそもヘンじゃない――?


福井公子さんの「勇気」から。

たとえば、若い親たちが「保育所が少ない、子育て支援が不十分だ」と訴えた時、社会の人は「不平ばかり言ってないで、自分たちで保育所を創ったらどうなんだ」と言うでしょうか。……(中略)……

「それであなたの息子さんに良い支援が届かなかったら、どうなんだ」と言われるかもしれません。そうだとしても、「それは私の責任ではない」と言いたい。つまり、私たち親が「それは社会の役割だ」。そう言い切きる勇気がなかったのではないか。……(以下略)

           ―――――

ずっと前に初めて『私は私らしい障害児の親でいい』という本を書いた時に、
「あなたは、モノは言えても行動は起こせない人なのではないか」と
ある人に言われたことがあった。

それ以来、
障害のある子どもの親として社会で行動したり何事かを成したわけでもない私には
障害のある子どもの親という立場でものを書く「資格」などないのでは……という
心もとなさのようなものが、どこかに居座っている。

その心もとなさに対しては
「いや、まだまだ親について語られていないこと、語られるべきことは沢山ある。
それなら、誰にだって、それを語る『資格』はあるはずだ」と
きっぱりと反論する声を、最近ようやく獲得できてきたところ。

福井公子さんは私から見れば、親の会のリーダーとして活躍してこられて、
「行動し、多くを成し遂げた」人、立派に「資格」をお持ちの方でもあるけれど、

福井さんの「勇気」という文章と出会ったおかげで、
私も自分の中にくすぶり続けていた思いをやっと
思い切って表現することができ、このエントリーになった。

それは、福井さんの「資格」とは無関係に、
福井さんが書かれた文章そのものの力が起こしてくれたことだ。

やはり表現することは、それ自体が「行動」なのだと、
改めて確認させてもらった気がする。

それに、表現することだって、
本当は相当な「勇気」を奮い起さなければできないことだったりもする。

福井さん、いつも
表現する「勇気」を、ありがとうございます。
2013.01.14 / Top↑
生命倫理学者で腫瘍科専門医のエゼキエル・エマニュエルについては、
2009年に以下のような断片的な発言を拾ってきており、
その中で医師による自殺幇助に反対のスタンスの人だと知った程度だったのですが、

「障害者は健常者の8掛け、6掛け」と生存年数割引率を決めるQALY・DALY(2009/9/8)
自己決定と選択の自由は米国の国民性DNA?(2009/9/8)

昨年秋のMA州の住民投票の直前に、
NYTに以下のようなPAS批判を書いたことが非常に印象に残った人。

Dr. Emanuel「PASに関する4つの神話」(2012/11/5)


そのエマニュエルが
1月3日のNYTのオピニオンのページに、
終末期医療について論考を寄せていて、なかなか興味深い内容でした。

Better, if Not Cheaper, Care
Ezekiel J. Emanuel
NYT, January 3, 2013


エマニュエルは、まず
「終末期医療のコストが医療費全体に占める割合が大きくなっているので
このコストをどうにかしないと医療が崩壊する」といった物言いについて
データを挙げて、事実ではない、と否定する。

彼が指摘しているのは、以下の点。

・毎年、死亡するメディケア患者の約6%の医療費が
メディケア・コストの27%から30%を占めているが、
この数字は何十年も大きく変動はしていない。

・年齢を問わず、毎年米国総人口の1%以下が死んでいるが、
その全員にかかった医療費は医療費全体の約10から12%にすぎない。

・確かに終末期医療のあり方は病院によってバラつきが大きく、
そこに改善の余地はあるが、

実際に終末期医療をどうしたらコストが削減できるのかという
きちんとした研究は存在しない。

・ガン患者ではホスピスでコストが1,2割削減できるとの調査結果もあるが、
その調査でもガン以外の病気で死んだ患者ではコスト削減はならず、
その理由ははっきりしない。

・一方、死亡患者の20%はICUや、退院直後に死んでおり、
適切な緩和ケアが受けられれば抑制できる痛みで苦しむ患者もまだまだ多い。

それならば、
コスト削減効果があろうとなかろうと終末期医療の改善が急務である、
というのがエマニュエル医師の論旨。

そのために同医師が提案しているのは、以下の4点。

① 終末期医療について患者や家族ときちんと話ができるよう、
医師と看護師全員にコミュニケーション・スキルの研修を。

② 終末期について患者や家族と話をすることは時間もかかり、感情的な消耗を伴う以上、
診療報酬が付くべき。

③ すべての病院に緩和ケアサービスの整備を義務付け、
死にゆく患者には病院で、また退院させるなら在宅で
丁寧な緩和ケアが提供されるべきである。

④ 余命6カ月以内と診断されて、
かつ延命治療を放棄しなければホスピスに入れないという基準の見直しが必要。
確実な予測が不可能な余命ではなく、患者のニーズで判断すべき。


エマニュエルは、
これらをしたからといって、コスト削減になるエビデンスなどないし、
これで絶対に終末期ケアが改善されるというつもりもないが、
医療制度全体にケアの質が上がっている中で
終末期の患者の支援にだけは努力を払わないというのは
許されることではない、と。


エマニュエルの提言の①と②は、
今の自殺幇助合法化に向けた大きな流れと切り離して考えたら
そうなんだろうとは思う反面、

今のような「切り捨て文化」が広がりつつある中では
なんのために話をするのか、というところで
やっぱり誘導にならないのか、という懸念がどうしてもある。

ただ、読んでいて、エマニュエル医師という人は
やっぱり腫瘍科の現場で誠実に患者ケアを考えるドクターとして、
こういう提言になるんだろうな、という印象はとても強く受けた。

その点、ちょっと「無益な治療」を論じる際のTruogに通じるものを感じないでもない。

個人的に「よくぞ言ってくださった」と思うのは③で、
これがきちんと保証されれば、PAS合法化に賛成という人だって
実はかなり減るんじゃないのかなぁ……。

だって、みんな前提もなしに「死なせてほしい」わけじゃなくて
「苦しんで死なないといけないなら、いっそ死なせてほしい」ということなんだろうと思うので。

それに、この論考の行間に隠された趣旨そのものが、
医療全体に質の向上努力がされているにもかかわらず終末期医療だけは改善の努力もせず、
むしろコスト削減を言いたてては終末期医療そのものを切り捨てようとするとは何事か……
……というものであるように私には読めるし。



この記事を読んで、なんとなく思い出したのは、こちらのエントリーだった ↓
日本の終末期医療めぐり、またも「欧米では」論法(2011/12/16)


ついでに思い出したので、
認知症患者への終末期ケアを一律に「過剰な治療」視するMitchell論文に対して
老年科医Sachsの論文が「アグレッシブな医療か医療を全然しないかの2者択一ではなく、
緩和ケアとはアグレッシブな症状管理なのだ」と反論した2009年の論争を以下に。

「認知症患者の緩和ケア向上させ、痛みと不快に対応を」と老年医学専門医(2009/10/18)
「認知症はターミナルな病気」と、NIH資金の終末期認知症ケア研究(2009/10/18)
MYTもMitchell, Sachsの論文取りあげ認知症を「ターミナルな病気」(2009/10/21)
2013.01.14 / Top↑
インドのバス・集団レイプ事件で、護身のために銃を持つ女性が増えている。
http://www.guardian.co.uk/world/2013/jan/01/indian-bus-rape-delhi-rush-guns

同事件の日本語の記事はこちら。実際の犯行内容はあまりに陰惨で、露骨に書いていない記事が多いです。探せば日本語でも詳細ありますが、リンクするに忍びないのでパスしました。
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20130104/frn1301041215002-n1.htm

インドの同事件で、国連事務総長が女性の保護と人権尊重を訴え。
http://www.guardian.co.uk/world/2012/dec/30/india-gang-rape-un-call-action

インドの同事件からLancetも「性的暴力:グローバルな啓発、インドから」との論説。経済大国となったインドが今なお自国民の基本的な保護と自由に無関心であることへの警告。there is agreement that India has failed to address a pervasive culture of sexual violence and gender injustice. This political neglect has created a permissive environment where men can rape, beat, and kill a woman with impunity. India is a respected democracy that has delivered phenomenal economic success for its growing middle class. But the country's inattention to fundamental protections and liberties for its citizens reveals a nation facing a moral turning point.
http://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736%2813%2960003-3/fulltext?elsca1=ETOC-LANCET&elsca2=email&elsca3=E24A35F

この事件の加害者たちが住むスラムから起こっている擁護の声を読んで思うのは、社会に何の希望も持てない貧困層の男性たちが、いわば「うっぷん晴らし」のために女性への暴力に傾斜していること。それと同じことは、社会の弱者が女性だけでなく障害者やホームレスなど、さらなる弱者に振るう暴力として、日本でもどこの国でも、各国経済が破綻の度合いを深めるにつれ、じわじわと増えつつあると思う。
http://www.guardian.co.uk/world/2012/dec/31/delhi-slum-home-rape-accused

インドの集団レイプ事件(被害者の女子大生はこの記事によるとDamaniさん)関連の記事は沢山あるけど、この記事に共感を覚えた。先進国のメディアはいかにもインドがレイプ大国で女性の人権後進国であるという問題の捉え方をしているけれど、西側先進国だって女性への蔑視や暴力、犯罪を許容する文化はあるじゃないか、と。
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2013/jan/01/delhi-rape-damini

また別の角度から、インドでは今なお生理のスティグマが根強く、少女たちは初潮前にきちんとした知識を教えてもらえず、手当の方法も知らないまま成人し、生理について話すことすらタブーとして暮らしている。そのため不潔な布の使用で感染症を起こして最悪は子宮摘出に至るケースも。また学校に清潔なトイレがないため、生理中は学校を休まざるをえないなど、インドの女性が解放されるには生理のタブー解消と学校に清潔なトイレの整備を、というNYTのOp-Ed記事。
http://www.nytimes.com/2012/12/29/opinion/the-taboo-of-menstruation.html

日本語。酸で顔を失ったインド女性、決意のクイズ番組出演 「大学生だった9年前、同級生の男子学生3人に襲われた。抵抗すると彼らはムカジーさんの顔に酸を浴びせかけ」「インドの法律では、酸による暴力はドメスティック・バイオレンス(DV)法の範囲となる。だが、これは比較的軽い罪にしか問われない」
http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2918049/10026630

YWCAの「健康な関係」DV・デートDVチェックリスト。:DVだけでなく、また自分自身を被害者側に置くだけでなく、人との関係のあり方を振り返るために時にやってみるといいかも、と自省を込めて。
http://ywcapeterborough.org/healthy-relationships-2

日本語。ベアテ・ゴードンさん死去 日本国憲法の男女平等条項起草:「憲法の平和、男女同権条項を守る必要性を訴えていた」奇しくも、それら条項が今脅かされている。
http://www.47news.jp/CN/201301/CN2013010101001215.html

粥川準二【特別寄稿】「中絶、先端医療、フクシマ」:後半は有料のため、読めていないけど、いつもながら丁寧に基本的なことから解き明かしつつ本質に迫ってくださっていて、とても勉強になる。
http://ch.nicovideo.jp/article/ar25027

前ケアサービス大臣のPaul Burstow氏「介護の財源改革には、高所得層の年金受給者への暖房手当カットを」と提言。英国の燃料貧困問題とその対応については11年3月に「介護保険情報」で書いたことがあります。⇒ ヘルシー・ホームズ事業:英国リヴァプール
http://www.guardian.co.uk/society/2013/jan/03/winter-fuel-pensioners-care?CMP=EMCNEWEML1355

「包皮切除手術でガンが見つかったからって無断でペニス切除なんて」訴訟(2011/8/29)の続報。ケンタッキー州の上訴裁判所の陪審員は、医師はSeatonさんの同意を得ていたと解釈。原告の敗訴。
http://medicalfutility.blogspot.jp/2013/01/phillip-seaton-loses-case-against.html

農業カンファで、英国国民はGM作物の安全性を信じるべきだ、とOwen Paterson。
http://www.guardian.co.uk/environment/2013/jan/03/gm-food-british-public-persuaded-benefits

NYTが社説で、従軍慰安婦問題の存在を否定し村山談話を取り下げようとする安倍総理の最近の発言(読売新聞のインタビュー内容を大晦日にロイターが引用)について、「またも日本の歴史の否定」「重大な過ちで任期を始めようとしている」と。
http://www.nytimes.com/2013/01/03/opinion/another-attempt-to-deny-japans-history.html?nl=todaysheadlines&emc=edit_th_20130103&_r=0

数学の成績は、IQだけじゃなくてモチベーションと勉強の習慣と:……って、そんなのわざわざ科学的に調査研究するようなことなんだろうかね。そういえば中学生の時に、男子にザマーミロ口調で言われたことがあったな。「ウチのお母ちゃんが言うとったぞ。いくらオマエが今は成績が良くたって、女子は高校にあがったら数学ができなくなるってよ」。そもそも勉強してなかったアイツは、高校の3年間もずっと数学だけでなく全面的に成績は私よりも悪かったと記憶しているけど。でも振り返ってみれば、あれもまた目の前の女に勝手に脅かされた男が、その当の女を「女は男よりも劣った存在である」として貶め差別することで自尊感情の修復作業を試みるという、実に定型パターンだったのだなぁ。それって、Guardianの女性記者がインドのレイプ事件について書いてたことそのものなんだけど。
http://www.medicalnewstoday.com/releases/254420.php
2013.01.14 / Top↑
オピオイド鎮痛剤の過剰処方の問題については、
以下の記事を始め、いろいろと拾ってきていますが、

“オピオイド鎮痛剤問題”の裏側(米)(2012/10/20)

続報といってもよい記事が大晦日のWPにありました。

Rising painkiller addiction shows damage from drugmakers’ role in shaping medical opinion
WP, December 31, 2012


上記10月のエントリーで拾ったProPublicaの記事の主なポイントが
オピオイド鎮痛剤の処方拡大のロビー活動を行ってきたAmerican Pain Associationの背後に
いかに製薬会社の資金力・影響力が働いているか、という点にあったのに対して、

今回のWP記事のポイントは、
OxyContinの製薬会社Purdueや販売会社などがいかに論文で治験データを隠ぺい・操作し、
FDAの諮問機関にいかにそれら企業と金銭繋がりのある研究者が含まれて、
「オピオイド鎮痛剤の依存リスクは非常に小さい」との通説が形成されていったか、

それによって、いかにガンや急性疼痛から慢性痛への処方拡大が誘導されてきたか、
そして、現在いかに多くの患者が依存に苦しみ、時に命まで落としているか、という点。

ざっと、事実関係を中心に以下に。


連邦政府の統計によると
処方鎮痛剤への依存症は実はコカインやヘロインへの依存患者よりも既に多く、
全米でほとんど200万人。

オピオイド鎮痛剤の処方数は過去20年間で3倍に急増している。

この記事は、その増加を後押ししたのは
a massive effort by pharmaceutical companies to shape medical opinion and practice
(医学的見解と医療実践に手を加えて形成しようとの製薬会社による多大な努力)
だったと書く。

例えば、年間20人が薬物のオーバードースで命を落としていて
一時は人口8万人の地域にピル・ミルが9軒も林立し
昨年は住民一人当たりにつき100回分以上のオピオイド鎮痛剤が処方・販売されたというポーツマスでは
保健師がこの状況を「ファーマゲドン」だ、と。

(「ピル・ミル」とは、カネ儲けのために処方麻薬でショーバイする医師や診療所のこと。
「ピル・ミル訴訟」についてはこちらのエントリーに)

もともと90年代までは
医師らはオピオイド鎮痛剤の処方には慎重で、
ガン患者と急性疼痛の患者以外にはほとんど処方されていなかったが、
少しずつ規制が緩和されていき、

1995年のPerdueによるOxiContin発売で一気に処方が急増。
2000年代に入るとオーバードースや依存症者の報告も急増した。

2003年にNew England Journal of Medicineに発表された論文は
依存リスクを最小限と報告したが、

この論文の主著者はその後
オピオイド鎮痛剤処方のあり方を先頭に立って批判しているとのこと。

また上記を始め、当時の「離脱症状はまれで依存リスクは小さい」との知見形成に影響した論文を
WPが調査したところ、

16の治験のうち、5つはPurdueの資金によるもので、2つはPurdueの職員との共著、
2つはPurdue以外のオピオイド鎮痛剤の製薬会社の資金によるものだった。

発表後、Purdueが離脱症状を否定する根拠として繰り返し使った論文では
離脱症状が疑われるケースを削除したデータがPurdue側から研究者に渡され、
研究者らはPurdueから受け取ったデータを分析しただけだったとか。

その論文では、100人中離脱症状があったのは2名と報告されたが、
内部文書によると11人が起こしていた。

(現在はだいたい50%が依存を起こすと理解されている、と専門家)

FDAが2002年に諮問したパネルでは
10人の外部委員のうち5人がPurdueとの金銭関係がある研究者だった。
そのうちの一人はその後オピオイド鎮痛剤の「宣教師」役を演じた後悔を語って
次のように発言している。

「プライマリーケアの聴衆が……オピオイドを使いやすくなるような説明を創ろうと……」

「主な目的はオピオイドのスティグマを解消することだったので、
我々はしばしばエビデンスはなおざりにして……」

「今では依存症や本人の意図しないオーバードース死が多発し、
ここまで影響が広がってしまって、私のような人間が推進した処方拡大が
部分的にはこうした出来事を引き起こしたと思うと、まったく恐ろしいです」

     ------

前にも書きましたが、
これまで向精神薬や骨減少症や心臓ステントなどを巡って当ブログが拾ってきたスキャンダルと
まったく同じ構図がここでも繰り返されている――。

読めば読むだけ、それが確認されるばかり――。

例えば、最近の糖尿病治療薬Avandiaのスキャンダルでは
製薬会社資金での治験が増えて論文の治験データの信憑性が揺らぎ
医学研究そのものが崩壊の危機に瀕している、と
New England Journal of Medicine の編集長自らが認めている ↓

製薬会社資金に信頼性を失っていく治験データ……Avandiaスキャンダル(2012/11/30)


【追記】
今日のNYTにも OxiContin関連のニュースあり、
近くOxiContin と Opana のジェネリック薬が発売されるにあたり、
濫用防止のため砕きにくく溶けにくくするなど錠剤の工夫を求められてきたPurdueなどが
同様の工夫が十分でないと主張してジェネリックの発売を阻止しようとしていたが失敗したらしい。
「儲けのためじゃなく、国民の安全のためだ」と主張していたらしいけれど、
上のWP記事を読んだ後でそれを言われても……。
http://www.nytimes.com/2013/01/02/health/drug-makers-losing-a-bid-to-foil-generic-painkillers.html?_r=0



【いわゆる“Biedermanスキャンダル”関連エントリー】
著名小児精神科医にスキャンダル(2008/6/8)
著名精神科医ら製薬会社からのコンサル料を過少報告(2008/10/6)
Biederman医師にさらなる製薬会社との癒着スキャンダル(2008/11/25)
Biederman医師、製薬業界資金の研究から身を引くことに(2009/1/1)

【その他、08年のGrassley議員の調査関連】
抗ウツ剤めぐる研究者と製薬会社の癒着スキャンダル報告書(米国)(2008/11/17)
抗ウツ剤めぐる研究者と製薬会社の癒着スキャンダル報告書 Part2(2008/11/23)
今度はラジオの人気ドクターにスキャンダル(2008/11/23)

最近のものでは例えば、↓
「製薬会社に踊らされて子どもの問題行動に薬飲ませ過ぎ」と英国の教育心理学者(2011/1/18)
ジェネリックを売らせないビッグ・ファーマの「あの手この手」が医療費に上乗せられていく(2011/11/15)

あと、この問題を一貫して調査し報道しているProPublicaのシリーズの一つがこちら。↓
(ここにも鎮痛剤関連のスキャンダルが出てきています)
ProPublicaが暴く「ビッグ・ファーマのプロモ医師軍団の実態」(2010/11/2)


【骨減少症関連エントリー】
骨減少症も“作られた”病気?……WHOにも製薬会社との癒着?(2009/9/9)
更年期は、ビッグ・ファーマの提供でお送りしました……(2009/12/14)
ビッグ・ファーマが当てこむ8つの“でっちあげ病”(2010/4/17)

【米不整脈学会、高血圧学会を巡るスキャンダル関連エントリー】これもGrassley議員の調査で明らかに
学会が関連企業相手にショーバイする米国の医療界(2011/5/11)
1つの病院で141人に無用な心臓ステント、500人に入れた医師も(2011/5/15)
2013.01.14 / Top↑
この4月に地域住民のウェルビーイングと保健衛生の責任が
NHSから地方自治体に移されることを受け、

保守系のWestminsterの自治体 と、
地方自治体情報ユニットというシンクタンクが
A Dose of Localism: the Role of Councils in Public Healthという報告書を刊行。

福祉の受給者で肥満している人にGP(一般医)からエクササイズを指示(処方)させ、
スマートカードなどの新興テクノロジーを使って
個々の受給者のエクササイズ施設の利用状況をモニターし、
十分な努力が認められなければ給付を差し止める権限を
地方自治体に認めるよう提言。

すでに地方自治体によっては
GPに水泳やヨガ、ジムやウォーキング・クラブなどを「処方」させていることもあるとか。

Obese and unhealthy people could face benefit cuts
The Guardian, January 3, 2013/01/04


記事タイトルからは、
「肥満である」ということと「健康でない」ということが等価に扱われている印象も。


この記事にはコメントが多数寄せられていて、
ざっと見で目についたのは

「福祉の世話になっておきながら
肥え太って家でダラダラしてんじゃねーよ」みたいトーンのものと、

「運動しろと言うからには、受給者の施設利用は当然タダにしてくれるんだろうね」という
こちらは至極まっとうな疑問。


【追記】
今夜のニュースにはこんなのも。

労働党は福祉受給者に甘いという与党からの批判をかわすべく、
2年以上失業状態にある25歳以上の成人は
政府が与える仕事に6カ月以上つかなければならないとするプランを
影の福祉相 Ed Ballsが提案。
(頭の部分しか読んでいないので細部は?)

http://www.guardian.co.uk/politics/2013/jan/04/ed-balls-welfare-work-scheme?CMP=EMCNEWEML1355

【追追記】
追記のついでに、
このエントリーをアップした後に頭に浮かんだこととして、

貧しいからこそ、栄養価の高い食事が取れなくて
高カロリー高脂肪食で肥満になる、ということだってある……と思うんだけど、
それが本人が痩せる努力をしていない自己責任となり、ペナルティの対象になるのかぁ……と。
2013.01.14 / Top↑

「看取りケア・パス機会的適用が問題に(英)・MA州住民投票で自殺幇助合法化ならず(米)」書きました

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2013/1/4(金) 午前 10:44
尊厳死
倫理学

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看取りケア・パス機会的適用が問題に(英国)
日本でも用いられている看取りケアのクリティカル・パス、リバプール・ケア・パスウェイ(LCP)が、英国で大問題になっている。LCPは死にゆく患者の苦しみを極力少なくするべく、エビデンスに基づいて看取りの前後のケアの手順を標準化したクリティカル・パス。2003年に英国で作られて、翌年NICE(国立医療技術評価機構)が推奨モデルとした。
LCPが「裏口安楽死」になっていると問題視する声は09年から上がっていた。同年9月に現場で終末期医療を担う医師らが連名で、デイリィ・テレグラフ紙に告発の手紙を送ったのだ。「NHS(英国医療サービス)では回復の余地のある患者にまで機会的にLCPが適用されて、高齢者が栄養と水分、治療薬を引き上げられ、鎮静されたまま死なされている。機会的に鎮静したのでは回復の兆しがあったとしても把握できない。現場の医療職が思考停止を起こし、注意深く患者の症状の変化を見守ることをやめてしまった。もともとは患者に尊厳ある死をという理念で作られたLCPが、手がかけずに患者を死なせるための自動的な手続きと化している」という、ショッキングな告発だった。
ここ数年、英国では高齢者や障害者が入院した際に、本人にも家族にも知らせず一方的にカルテに蘇生不要(DNR)指定が書きこまれる事例が相次ぎ、家族からの提訴が増えている。そんな中、今年6月にケント大学の高名な神経学教授がロンドンでの医師会講演で「ベッドを空けるため、看護の手間を省くために、まだ生きられる高齢患者がLCPの機会的運用で殺されている」と激しく批判したことから、LCPの機会的適用をめぐる議論が一気に過熱した。メディアでの議論に危機感を持った22のホスピス関連団体は10月18日、本来のLCPの理念と内容を詳細に説明し改めてLCPを支持するコンセンサス・ステートメントを発表。これに対して、デイリー・メール紙は社説で「毎年LCPで10万人をはるかに超える人が死んでいる以上、LCPが患者の死を早めてベッドを空けるために使われているとの疑惑は避けがたい」と反論した。
こうした動きを受け、NHSと緩和医療学会はLCPの実態調査に乗り出すことを決めた。またジェレミー・ハント保健相もNHS憲章改訂の一環として、患者・家族と話し合うことなしに一方的にLCPやDNR指定を決めたり、本人・家族の意向を無視することにブレーキをかける方向性を打ち出した。無益な治療を提供しない医師らの権利は依然として認めつつ、その権利を行使するにあたって「終末期コミュニケーション」を通じて透明性を保障するよう求める趣旨のもの。

MA州住民投票で自殺幇助合法化ならず(米国)
 さる11月6日の米国大統領選挙では多くの州で同時に住民投票も行われたが、ロムニー大統領候補が前知事として州民皆保険をなしとげたマサチューセッツ州では、医師による自殺幇助合法化の賛否をめぐる住民投票の行方が注目された。オレゴン州とワシントン州と同じ尊厳死法を問うものだ。こちらの投票結果も真っ二つだった。開票が進んでも僅差は変わることなく、反対51%、賛成49%で尊厳死法は通らなかった。
この問題は激しい論争となって久しいが、同州医師会と薬剤師団体などが反対を表明した他、直前には大物倫理学者や故エドワード・ケネディ上院議員の未亡人も反対投票を呼びかけた。それらの発言に比べれば地味だが、5月にワシントン州の高齢者施設の経営者がボストン・グローブ紙に書いた手紙が、私にはとても印象的だった。以下のように書いて合法化を食い止めるようMA州民に呼びかけている。
「尊厳死法ができて以降、医療職の中には最初から治療など考えず、すぐにモルヒネを持ちだして緩和ケアを始める方が目につくようになっています。時には、クライエント本人にも代理人である家族にも告げずに、独断でそういうことをやられる医療職もあります。
 またQOLが低すぎるから高齢者は治療しないと一律に切り捨ててしまう医療職も見てきました。かつては、たいていの医療職が高齢者のケアに喜びを感じ、クライエントもまたそれに喜びと敬意で応えていたものでしたのに。
 いつの日か、私たちも老います。その時に、私自身は治療しケアしてほしいし、自分の選択を尊重してもらいたいと思います。このような事態の推移に私は心を痛めており、そちらの皆さんが自殺幇助の合法化を止められるものなら、と願っております」

連載「世界の介護と医療の情報を読む」
「介護保険情報」2012年12月号



LCPの機会的適用問題については ↓
“終末期”プロトコルの機会的適用で「さっさと脱水・死ぬまで鎮静」(英)(2009/9/10)
「NHSは終末期パスの機会的適用で高齢患者を殺している」と英国の大物医師(2012/6/24)
英国の終末期パスLCPの機会的適用問題 続報(2012/7/12)
LCPの機会的適用でNHSが調査に(2012/10/28)


MA州のPAS合法化住民投票については ↓
WA州の高齢者施設経営者からMA州住民への手紙「PAS合法化したら滑ります」(2012/5/29)
MA州医師会が11月住民投票のPAS合法化をめぐる質問に反対を表明(2012/9/18)
筋ジスのジャーナリスト「死の“自己選択”は幻想」(2012/11/2)
Dr. Emanuel「PASに関する4つの神話」(2012/11/5)
MA州の自殺幇助巡る住民投票 合法化ならず(2012/11/7)
MA州の自殺幇助住民投票結果の分析(2012/11/10)
2013.01.04 / Top↑
新年あけまして、おめでとうございます。

2013年の元旦に、
今年の自分自身に向けて贈っておきたい言葉を、
年末に読んだ『環状島=トラウマの地政学』(宮地尚子)から――。


 一方で、市民の教育レベルが全体的にあがり(どんな教育かにももちろんよるが)、かつ弱者のエンパワメントがすすめば、判断を専門家に委ねるしかないとされたときにも、それを疑ってかかり、誰もが当事者研究をする基盤は維持される。自己肯定感を根こそぎにされなければ、「専門家でもない者が口出しをするな」という物言いに対し、「でも、専門家だからこそ切り捨ててしまう視点や事実がある」と言い返すことができる。……(中略)……インターネットが世界に情報の民主化をもたらすという夢はすでに現実からかけ離れたものであることが明らかになったが、それでもこれまで発話や表象へのアクセスをもたなかった弱者が、「情報操作」の対象から行為者に変わる契機は増えているに違いない。
(p.208-209 ゴチックはspitzibara)


このブログに寄ってくださる方々にも――。



【1月3日追記】

コメントいただいて、本当はちゃんとエントリーにしたいんだけどなぁ……と
付箋だらけの『環状島』をめくっていたら、上記の引用箇所の直前に、
もちろん上記の引用に繋がっていくと同時に、spitzbiara的には、
いただいたコメントにも直接的に関係すると思える個所が目についたので。

 遺伝子操作や機能的脳画像検査など、科学技術が発展し、専門分化し、それらが巨大な産業や資本、経済と結びついている現代に置いて、高度な専門知識を持つ科学者の役割、ミッシェル・フーコーのいう「特定領域の知識人(特殊的知識人)」の役割はますます重要になってくるといえるだろう。しかし専門分化が極度に進んでいるからこそ、同時に、起きている物事を総合的に見通す「普遍的知識人」も貴重になってくるに違いない。
(p.207)


もう一つ、

けれども油断をしたら、いつでも<水位>は上がる。<重力>や<風>にあおられて、内側の人が<内海>に、外側の人が<外海>へ放り出され、島の上に立つ人間がいなくなれば、それは加害者の勝利である。すべてが沈黙させられ、忘却されてしまえば、「完全犯罪」となる。環状島の上に立つ被害者や支援者を分断し、孤立化させ、消耗戦に持ち込み、息の根を挙げるのを待ち構える動きも、確実に存在する。
(p.37-38)
2013.01.04 / Top↑
本来なら、ミュウは昨日の朝から帰ってくる予定だったのだけれど、
おとといの晩に熱を出し、そればかりか喘息気味だとの診断で、
当面は外泊は見合わせ、とドクター・ストップがかかってしまった。

年末年始は、家でゆっくり過ごせる滅多にない機会なのに、
あららぁ。がっくり……。冷凍庫にはミュウ用の介護食おせちも待っているのに……。

まぁ、仕方ないねー。お父さんとお母さんが毎日くるから。
おせちも持ってくるから、あんた、ここで食べる? ……なんてことを言いつつも、
DVDを独占しては「おかあさんといっしょ」に歓声を上げているミュウは
さほどに「やられている」観はないだけに、「お正月」がすっ飛ぶのは無念……。

看護師さんたちも、なんとか数日中には帰れるようになったらいいね、と
心を砕いて細かくケアしてくださるが、やっぱ腹くくるしかないかぁぁ。

そこで今朝も、コンビニに寄って親の分の弁当を買い、園へ。

廊下を詰め所に向かっていると、
途中にある職員休憩室から出てきた夜勤明けの看護師さんに、呼び止められた。

ニコニコしながら弾んだ口調で、
「さっき先生が診られたんですけど、いいニュースがありそうですよ~」

それから夜の間のミュウの様子を詳しく教えてくださって、
「先生から直接お話あると思いますけど、本当に良かったですね~」

まさか今日つれて帰れるなんて思ってなかったのと
看護師さんがこんなに一緒に喜んでくれて、わざわざ声をかけてくれた気持ちが嬉しくて、
むっちゃハッピーになり、思わず、その看護師さんに抱きついてしまった。

そして、連絡を受けてやってきたドクターは部屋に入ってくるなり、
「ミュウさん、どうする、帰ろうか? やっぱり家が一番いいよね?」

父にでもなく母にでもなく、ベッドを覗き込み、ミュウ自身に声をかけてくれた。

ミュウは「ハー!」と大きな口をあけて答え、
先生は「この顔なら大丈夫みたいだし」とつぶやく。

――母は、ちょっとしびれた。

実は私は、園長でも娘の主治医でもない、このドクターAとは、あまり話をしたことがないのだけれど、
数ヶ月前、今回とまったく同じシチュエーションで、ちょっと印象的な場面があった。

たまたまその日の当直だったA先生と、家に帰っても大丈夫かどうかを相談していると、
ミュウが突然ものすごく不機嫌になった。

その頃、ミュウはことあるごとに、
「あたしはここで自分でちゃんとやっているんだから、
親は余計な口を出さないで」とでも言いたげなそぶりを見せていて、

気付いてみたら、本当はかなり前から
ミュウなりに、そういう意思表示をしていたのだけれど、
鈍い親がミュウの気持ちとメッセージに気付いてやれるのには1年近くかかった。

なかなか分かってもらえず、
幼児の頃と同じように親が何もかも職員さんと相談して決めてしまうたびに
とっくに大人になったミュウにとっては、どんどん憤懣がたまっていったのだろうと思う。

そういう場面で猛烈に不機嫌になってゴネる……ということが増えていた。

ただミュウは言葉を持たないから、何を言いたくてゴネているのか、
私にはなかなか分からなかった。

初めて気付いてガ――ンと来た時のことは、
来春刊行される『支援』という雑誌のVol.3に書かせてもらった。

少しずつ気付き始めてからのことは、
こちらの気付きというエントリーに書いた。

数ヶ月前に、A先生と「家に帰ってもいいか」どうかの相談中に
ミュウが不機嫌になった時には、もうかなり分かっていたので、
「あ、ミュウは自分で先生と直接話したいんだね。これはミュウのことだからね」と、すぐに気付いた。

すると、私の言葉を聞いたA先生は、ごく自然にミュウの車椅子の前に身をかがめて、
「じゃぁ、ミュウさん、先生は大丈夫じゃないかと思うけど、家に帰りますか?」と聞いてくれた。

「私のことは私に言わせろ」とゴネまくっていたくせに、
いざ話を自分に振られるとミュウは俄かに緊張し、ただワナワナして、
まるで「帰りたくないみたいじゃない!」と皆を笑わせてくれたけれど、

こうしてこの子も、こういう場面に慣れていけばいいのだろうな、と私は思ったし、

A先生が自然に応じてくれたことからも、
私が受け止めることで周囲の専門職にも気付ききは広がっていくのかも、とも感じさせてもらった。

その後、私はミュウの前で担当職員の方にミュウの最近の思いを話し、
「ミュウが決めて終われることことは、ミュウに直接聞いてやってください」とお願いした。

また主治医の説明も一緒に聞いて、何かを決める時にはミュウに了解を取ることにした。

そうして、ミュウは最近ゴネなくなった。

まだ母が自分に都合よく解釈しているのかもしれないけれど、
親が自分のメッセージを受け止めてくれたこと、それをスタッフに繋いだことで、
ミュウが抱えていた「存在を勝手に消されるような、やりきれない思い」が一段落して、
この子なりにとりあえず親を許せたんじゃないか、と私は想像している。

でも、数ヶ月前のあの日にA先生があれほど自然に応じてくれていなかったら、
ミュウなりの思いをスタッフに繋ぐことまで私が考えたかどうか、分からない。
もしかしたら、親が受け止めてやって、そこで終わっていたかもしれない。

今日、改めて聞いてみたら、
あの時のことをA先生ははっきり覚えていないらしいのだけれど、

でも、やってくるなりミュウに向かって
「ミュウさん、どうする、家に帰る?」と問うてくれた先生の中には、
やっぱりあの数ヶ月前の出来事は何らかの形で残っていたんじゃないだろうか。

もしかしたら、A先生は最初からそういう人だったのかもしれないし、
あの日だって、そういう人だったから自然に応じてくれたのでもあろうし、
だから私はあの日から、A先生が園にいてくれることを心からありがたいと思っているのだけれど、

同時に、

これほど重い障害があり言葉を持たないミュウが彼女なりに上げたのは
Nothing About Me Without Me(私抜きに私のことを決めないで)という声だったこと、
それは親への堂々たるチャレンジだったのだ……ということを思うと、

その声には、
私たち親はもちろん、ミュウの周りの専門職にも届き、変える力があったということ、
これからも彼女にはそれだけの力があるのだということを、私は信じたいと思う。

そして、そのことを、こうして語っていきたいと思う。

「どうせ何も分からない重症(児)者」と、彼らの現実など知らずに決めつける人たちに向かって
「それは違う」と言い続けるためにも――。


今朝、先生のおかげで家に帰れることになったミュウは
車いすに乗せられて「じゃぁ、先生にありがとう言って帰ろう」と促されると、
ちょっとテレながら、そっと先生を見あげて口を開けた。

A先生はそれに「はい。よかったね。気をつけて」と応えた後で、
「先生も今日で仕事終わりなんだよ」と、ちょぴり嬉しそうに付けくわえていた。


1日遅れになったけれど、
とても素敵な冬休みの始まりとなりました。

明日は例年通り親子3人揃って迎える大みそかです。
皆さんにも平穏な年の瀬が訪れていますように。
2013.01.04 / Top↑
米国精神科学会がこれまでの方針を転換し、「大切な人を失った喪の悲しみにも抗ウツ剤を使いましょう」。転換を誘導したパネリストらにはビッグ・ファーマとの金銭関係。:読みたいんだけど、長大な記事。
http://www.washingtonpost.com/business/economy/antidepressants-to-treat-grief-psychiatry-panelists-with-ties-to-drug-industry-say-yes/2012/12/26/ca09cde6-3d60-11e2-ae43-cf491b837f7b_story.html

日本。脳炎ワクチンとの因果関係分からず 美濃市の男児死亡
http://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20121226/201212261140_18950.shtml

ワクチン自閉症犯人説を流してLancetから論文削除されたWakefieldが、何やら新設されたGood Thinking SocietyのGolden Duck賞なるものを受賞。:念のためにお断りしておきますが、私はワクチン水銀自閉症犯人説にも、ワクチンによる人類不妊化説にも立ちません。
http://www.guardian.co.uk/society/2012/dec/23/struck-off-mmr-doctor-quackery-award

アジアで作られた偽薬がアフリカで出回っているらしい。
http://www.guardian.co.uk/world/2012/dec/23/africa-counterfeit-medicines-trade

そういえば、このところ話題になっている怪しげな幹細胞治療について、今年2月に書いたエントリーがあったのを思い出した。
AJOB巡るスキャンダルには、幹細胞治療や日本の医療ツーリズムも“金魚のウンコ”(2012/2/15)

快を感じる部位を破壊することでアヘン中毒を治療する中国の脳外科医療。:これ、例の道徳エンハンスの倫理問題なんだと思うのだけれど、気力が低下しているうちに、エントリーにしたかったり、せめてちゃんと読みたい記事が、手つかずのままになっていく……。
http://www.bioedge.org/index.php/bioethics/bioethics_article/10355

50年以内に人間のクローンできるって。
http://www.bioedge.org/index.php/bioethics/bioethics_article/10351#comments

NPRの世論調査で、米国人のほとんどが余命6カ月以内の人へのPASを支持する一方で、終末期でない人や障害者へのPASには反対している、と。
http://www.northcountrypublicradio.org/news/npr/168150886/americans-support-physician-assisted-suicide-for-terminally-ill

ドイツの高齢者が海外の介護施設に流出している。流出先はスペイン、ギリシャ、ウクライナ。:金持ち国の高齢者介護が貧困な国にアウトソーシングされる介護ツーリズム。スイスのディグニタスで自殺している外国人で一番多いのがドイツ人だということを、なんとなく思い起こした。すぐ読めないけど、すごく気になる記事。日本の年金をもらいつつ東南アジアで介護を受けて暮らす障害者や高齢者もいる。
http://www.upi.com/Top_News/World-News/2012/12/26/Many-elderly-Germans-in-foreign-facilities/UPI-48351356554759/

高齢化の中でNHSが生き残るためには、サービス削減するしかない、とNHSトップ。
http://www.guardian.co.uk/society/2012/dec/28/public-nhs-reforms-health-service

日本。脳死の男児から移植の女児が退院 成育医療研究センター
http://www.asahi.com/national/update/1204/TKY201212040392.html

日本語。トモダチ作戦の米兵8人東電提訴…情報なく被爆
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121228-00000206-yom-soci

73人が「要精密検査」 取手市内24校心臓検診 「心臓に異常が認められるケースが急増しているのは事実」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/ibaraki/20121226/CK2012122602000145.html

日本語。「柳井正は人として終わっている」鬱→求職→退職の新卒社員が語るユニクロの人材使い捨てぶり(News Japan)
http://www.mynewsjapan.com/reports/1734

シノドスにも、『ブラック企業』著者、今野晴貴氏に聞く――ブラック企業~この、とんでもない妖怪に立ち向かうために:リンク貼れないので、タイトルで検索してください。

で、ここまでの話題はすべて、グローバルひとでなし強欲ネオリベ金融(慈善)資本主義の中で起こっているという点で繋がっているんじゃないか、という気がする。例えば、こういうこととか ↓
事業仕分けの科学研究予算問題から考えること
「科学とテクノ」と「法」と「倫理」そして「問題の偽装」(2010/5/24)
「必要を作り出すプロセスがショーバイのキモ」時代と「次世代ワクチン・カンファ」(2010/5/29)


12月初めに、23歳の女子大生がバスの中で集団的レイプを受けて重態となる事件が発生。官憲と政府の反応の鈍さに、抗議デモが激化。被害者の学生はデリーで数回の手術を受けた後シンガポールの病院に運ばれたが、死亡。
http://www.guardian.co.uk/world/2012/dec/27/india-gang-rape-victim-singapore
http://www.bbc.co.uk/news/world-asia-india-20860569
http://www.bbc.co.uk/news/world-asia-india-20835197

日本。妻が仕事を持つと変わる夫婦の力関係 PRESIDENT OnLine 「妻の資力が高まれば、家計の戦力になるが、間違うと暴走してモンスター化する恐れもある。経済力は発言力、時には破壊力にもつながると心得るべきだ」そうな。:古い友人が「経済的に自立した女というものは、まったく始末が悪いよな」と言ったことがある ⇒ ACからEva Kittayそして「障害児の介護者でもある親」における問題の連環(2010/12/1)
http://president.jp/articles/-/833

日本。野球部員らバスの障害者に嫌がらせ、動画撮影:ネット上で露骨な障害者差別をして喜んでいる大人たちは、こういうニュースにどういう感想を持つんだろう?
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121228-00000476-yom-soci

老いてさまよう:鳥かごの家から/ 1(その1) 高齢者囲い込み
http://mainichi.jp/select/news/20121224ddm001040043000c.html

英国でもストレスから辞職する教師が増えており、組合が事態悪化を警告。
http://www.guardian.co.uk/education/2012/dec/26/teachers-stress-unions-strike

この前イタリアで地震を予知できなかった科学者らが罪に問われたけど、フランスで殺人事件の犯人の主治医の精神科医が犯罪を予防できなかったとして執行猶予付き1年の懲役刑に。
http://www.bioedge.org/index.php/bioethics/bioethics_article/10352

テキサスのある町では、学校の先生たちが銃を隠し持っている。そういえば、こんな話もあった ⇒ 授業中にケンカをすればスクール・ポリスがやってくる。そして逮捕(2012/1/12)
http://www.huffingtonpost.com/huff-wires/20121220/us-gun-toting-teachers/?utm_hp_ref=green&ir=green


で、ここからは解毒のための話題――。

National Wellness Instituteのウエルネス・モデル(the Six Dimensions of Wellness Model)。健康は身体的なだけのものではなく、他にも social, intellectual, spiritual, emotional, occupational な健康がバランスよく整ってのもの。
http://www.nationalwellness.org/index.php?id_tier=2&id_c=25

日本。患者の権利に関する法律の制定を求める決議 日本弁護士連合会:この前、東京でNさんが言っておられたのは、これのことですね。
http://www.nichibenren.or.jp/activity/document/civil_liberties/year/2011/2011_2.html

JR大阪駅頭における宣伝活動に対する威力業務妨害罪等の適用に抗議する憲法研究者声明
http://keepcivicactivity.jimdo.com/%E7%BD%B2%E5%90%8D-%E5%B8%82%E6%B0%91%E3%81%AE%E4%B8%8D%E5%BD%93%E9%80%AE%E6%8D%95%E3%81%AB%E6%8A%97%E8%AD%B0%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%99/%E6%86%B2%E6%B3%95%E7%A0%94%E7%A9%B6%E8%80%85%E5%A3%B0%E6%98%8E/
2013.01.04 / Top↑
私を含めて、
選挙からこちら、元気を出そうと頭ではあれこれ考えてみるものの、
どうにも気持ちが上向いてこない……という人が多いみたいですが、

そういう人にお薦めの映画を見つけました!!

デンゼル・ワシントン監督・主演『グレート・ディベーター』。


2007年に米国で公開されて高い評価を受けた映画みたいなのだけれど、
なぜか日本では公開されず、今年4月にDVDがリリースされたもの。

昨日、どうにも沈みがちな気持ちを持てあまして散歩に出かけ、
ついでに寄ってみたレンタル店で、

まだ見ていないデンゼル様の映画があったなんて……と手に取って、
ストーリーを読んだ瞬間、「今の自分に必要なものだ!」感が、バンッときた。

で、借りて帰ったら、まさにそういう映画だった。

アマゾンの内容紹介から。
1935年アメリカ、テキサス州マーシャル。人種差別が色濃く残るこの街には「白人専用」施設があふれ、黒人たちは虐げられていた。この歪んだ社会を正す方法は「教育」だけ。そう信じる教師トルソンは、黒人の若者に立派な教育を施すという夢の実現に向け、ディベート(討論)クラスを立ち上げる。そして、彼の熱意に触発された、勇気ある生徒たち。やがて討論大会に出場し始めた彼らは、黒人というだけで経験してきた悲しい過去や秘めた怒りを「言葉」という武器 に託し、大勢の観客たちの心を動かしてゆく。だが、彼らの活動が、人々の注目を集め始めていた矢先、トルソンの言動を「過激すぎる」と問題視した学校側 は、ディベート・クラスにまで圧力をかけ始め…。


米国の劇場で見た方の感想ブログはこちら(映画の映像あり) ↓
http://blog.goo.ne.jp/kame_usagi/e/d77cc5d6d9896571d6c8b4a82038e18d

うん、共感するなぁ……というレビューのブログがこちら ↓
http://ameblo.jp/tuboyaki/entry-11238175110.html


上の方のブログの人が劇場で拍手が起こったって書いているけど、
私も何度もボロボロ泣きながら見て、最後のシーンで気が付いたら、
ごく自然に、会場にいる気分で彼らに惜しみない拍手を送っていた。

で、その5分後には、アマゾンのサイトでDVDをカートに入れた。

これは、ものを言う気力が萎えそうになった時のお守りとして
持っておきたい映画だ……と思ったから。


日常のすぐ側に、
一つ間違えば何の理由もなく理不尽な暴力にさらされる恐怖が隣合わせになっている
30年代の時代背景とテキサスという土地柄の厳しさは、
様々な形で描かれていて、

また、デンゼル演じるトルソンを含めた登場人物がことごとく
誇りや知性と同時に、弱さや醜さを併せ持った人間として描かれていて
(2人の妻だけは、ちょっと「良き妻」でしかなくて残念だけど)

だからこそ、差別される屈辱に傷つき、恐怖におびえながらも、
若者たちが、その痛みの中から滲みでてくる自分自身の言葉と出会っていくプロセスと、
自分の言葉を見つけた彼らが、勇気を振り絞って全霊をその言葉に込め、訴える時、
その言葉がひりひりと胸に迫ってくる。

実際には、ディベイトの内容はかなり甘いし、
賛成側と反対側の設定も常に相手チームに不利になってはいるんだけれど、
(そういえば私も大学のESSで1度だけ、ディベートやったことがあったなぁ……)

それは、まあ、現実にワイリー大学のチームは10年間勝ち続けているのだから、
例えば「福祉は貧乏人を甘やかす」というテーマで賛成側に立ったとしても
見事なディベートを展開して見せた人たちなわけで、

この映画の主題はそういうところにあるわけではなく、

祖父母世代は奴隷だったという30年代のテキサスで
黒人の若者たちが言葉で訴えることの力と出会い、
その力を信じてディベートを闘い、差別と闘う自信と力を身につけ、
それぞれの生き方を見つけていったことにあるのだと思う。

登場人物の中で一番しょぼいウィティカーJr.が
実はこの映画の本当の主人公じゃなかったか、と私は思っている。

彼はチーム・メイトに失恋し、
ディベートに出れば噛みまくって敗北を喫し、
リサーチ担当という地味な役割に甘んざるを得なくて自尊心を傷つけられ
萎縮し、卑屈な目つきを見せ続けるのだけれど、

彼が威圧的な父親に初めて逆らうシーンは圧巻。

しかし、その父親もまた、静かに耐えるだけでなく、
闘うべき時には冷静に、かつ力強く闘う人だった。

父への尊敬を取り戻し、様々な体験を経て自信を身につけていく彼は、
ハーバードのチームとのディベートで、最初はおずおずとしているものの、
やがて、今なお黒人へのリンチが処罰もされないテキサスの黒人の痛みを、
自分自身の率直な言葉で訴える。静かに。でもパワフルに。

現実の彼は後に人権運動の組織を立ち上げ、その指導者になったという。

上記2つ目のブログの人も書いているけど、
エンド・クレジットの時に、俳優たちの写真がごく自然に
実際にディベート・チームにいた若者たちやトルソン自身の写真に変わっていく。

みんな目が澄んでいる。

あぁ、こうして、多くの人が、ずっとずっと昔から、
差別される屈辱に耐え、その痛みをじっとこらえながら、
それでも誇りを失うことなく、それぞれのいる場所で、諦めず、
静かに、しかし堂々と、それぞれに闘い続けて生きてきたのだと、

言葉と知性と、静かに闘い続ける忍耐と勇気を武器に
闘い続けて生きてきたのだと、

とても深いところで、そのことの重みを実感させてもらった気がして、

だから、
こんなにささやかに今ここに生きている私だけれど、
そんな私も、やっぱり言葉の力を信じていよう、
私も私自身の「今ここ」で自分の痛みを静かに語り続けよう……と、本当に素直に思えたし、

それでも、これからだって、
あまりの無力感にものを言う元気や勇気がなくなることくらいは何度もあるから、
そういう時のお守りとして、この映画のDVDを持っておこう、と思ったから。

あと、ひとつ、この映画で「ここはいいな~」と思ったのは、

ウィティカーJr.がチームに女性がいると言うのを聞いて
父親が「美人か?」と訊くと、Jr.がぽかんとして、
「わからない。そんなふうに思ってみたことがないから」という場面。

彼は既に彼女に恋しているんだけれどね。


デンゼル・ワシントンがこういう映画を作ったということ、
オプラ・ウィンフリーがプロデューサーに名乗りを上げたということも、
胸に響くものがあったし、

デンゼルは07年の暮、
ワイリー・カレッジに100万ドルを寄付してる ↓
それでか同カレッジではディベート・チームが復活したとか(この個所は別ソースの情報)
http://www.cinematoday.jp/page/N0012356

ほんと、いい映画でした。

明日からミュウと一緒の年末年始という直前に、
こういう映画と出会えて、嬉しい。

すがすがしい新年が迎えられそうです。
2013.01.04 / Top↑
5.法の執行状況のアセスメント

5.1: 委員会によるコントロールの不全

・合法化の際には、秘密裏に行われている安楽死を明るみに出す必要があるとの主張が
推進派の主要議論だったが、法の遵守に関して委員会が十分に機能できないことは
委員会自身が報告書で認めている。

・医師が細かい法のルールを知らなければ守りようがないし、
 意図的に違法な安楽死を実施した医師が報告するとも思えないことからすれば
 事後的な委員会のチェックではコントロールが不全であることは明らか。

・にも拘らず、10年間、委員会は法は守られているとし続けて、
一件として検察に通報する必要を感じていない。

5.2: 法の文言の拡大解釈

・02年から、条件が様々な拡大解釈され変わってきている。

・委員会は06年に「医療職への手引き」を出し、法の条件に新たな解釈を提示した。
 それにより、実質、以下のような拡大解釈がされている。

a) 患者が書面で意思表示をしていること、との条件について
委員会は状況次第で文書がなくても認められるとの解釈を示し、
現場の医師も、事前指示があり死が差し迫っていれば文書は形式にすぎないと考えている。

b) 命を脅かし不治の病 との条件について
委員会は、命にかかわる病気でなくとも、複数の疾患があることを
いつのまにか対象者要件に含めてしまっている。

c) 取り除くことも軽減することもできない耐え難い苦痛 という条件について
委員会は「耐え難さ」とは主観的なものであるとの解釈を提示し、
軽減可能性についても、患者に痛みに対する措置の拒否を認めることによって
この条件の遵守の確認という任務を放棄している。

d) 心理的な苦痛
委員会は「法の文言の下では、
将来的な劇的な展開(意識不明、自立の喪失や進行した認知症)は
耐え難く軽減不能な心理的苦痛に当たる」との解釈を提示して、
本来の法文の精神に反する条件の拡大を行っている。

e) 自殺幇助
安楽死法は一定条件下で医師の安楽死の「行為」を合法とするものであり、
議会も医師による自殺幇助は含まないとの見解に立っているにもかかわらず、
委員会は自殺幇助が含まれていることを認めつつ放置している。

5.3: 委員会メンバー

・16人の委員のうち、ほぼ半数が安楽死合法化と条件拡大に活動してきた
Association for the Right to Die in Dignityと繋がりのあるメンバーで構成されている。

5.4: 薬剤師

・医師は自分で薬局へ行き薬剤師から直接薬物を受け取り、
使用後の残余は自分で返却しなければならないが、
実際には薬物が家族に渡されていたり、
客に安楽死希望だと言われた薬局のアシスタントが渡していることも。
残余の返却にはコントロールがされていない。


6.コントロール不全の影響

6.1: 安楽死の瑣末化
厳格な法の条件を厳密に守る姿勢が失われているにもかかわらず、
委員会も政府も黙認していることから、
安楽死は患者の「権利」とみなされてきており、
現状に懸念を抱く現場医師の間でも免責意識が広がっている。

6.2: ハイジャックされる議論
安楽死問題をめぐる議論の場では、
推進派のロビー活動が行われては条件が拡大されていくことが多く、
まるで議論そのものが推進派に乗っ取られているかのようだ。

6.3: 文言の混乱
積極的安楽死と消極的安楽死の違いが、そのまま
安楽死と緩和ケアという文言の使い分けにズレ込んできて、
安楽死は緩和ケアとして行われるかのような誤解が広がっている。

(spitzibaraメモ: 米国オレゴン州のように、ある種の配給医療制度を敷くところでは
希望する治療を受けられない患者にPASが認められるという状況そのものが、必然的に、
患者にとってはPASが緩和ケアの一環として提示されるに等しいのでは…?)

6.4: 臓器提供と繋がることの倫理問題

安楽死の要望書に臓器提供承諾書がついてくるということが行われているが
自分の存在を価値なきものと感じている患者にとって、
あなたの臓器が他者の役に立つと言われることは
法文の精神である強要なき自発性の条件に反し、一種の功利主義ではないか。

6.5: 重症者で重大な違反のリスク

M. Englert医師が論じているように、
「必要性のケース」なるカテゴリーを持ち出して
意識のない成人や新生児や子どもの場合で
患者本人の意思表示なしに安楽死が正当化され始めているが、

Authorizing the medical team to invoke a case of necessity, thereby justifying euthanasia, beyond all the conditions provided for by the law, gives the medical team arbitrary and uncontrollable power.

医療チームが必要性ケースを根拠に安楽死を正当化することを認めるならば、法が提示するあらゆる条件を超えており、それはその医療チームに恣意的で無規制の権力を与えることとなる。


(spitzibaraメモ:私がテキサスの無益な治療法など、
無益性判断そのものを医療チームサイドに一方的に認める「無益な治療」論に危惧しているのも、この点。
この報告書の6.5で指摘されている重大な違反懸念とは、無益性概念の暴走の懸念だと思う)

また

Far from strengthening the patient’s rights since they are not in a position to give consent, recourse to a state of necessity gives the medical profession enhanced powers of decision over life and death issues concerning the most vulnerable patients. Besides dialogue with close family members, how is one to assess the degree of “necessity” invoked and to ensure that the patient’s interests always come first? Do not such practice not bear witness to a form of abdication on the part of the medical sector when faced with certain pathologies?

必要性の状態を論拠とすることは、コンセントを与えることができない患者の権利を強化することにはならず、むしろ最も弱い立場の患者の生死をめぐる医療専門職の決定権を強化することになる。近親家族と対話することなしに、どうして問題とされる「必要」の程度を図ったり、患者の利益が常に最初に来ることを保障できるだろうか。こんなことが行われると、その先に起こるのは、医療現場での一定の疾患患者での一種の医療放棄ではないだろうか。

7.結論

これに続いて結論が書かれていますが、
その結論は既にこちらのエントリーで全文を仮訳していますので、
ご参照ください。


なお、この報告書についての当ブログの訳はすべて、
趣旨を紹介する目的でざっと訳してみたものにすぎないので、ご了解ください。
2013.01.04 / Top↑
ベルギーで安楽死が合法化されて今年5月28日で10年になるのを機に
European Institute of Bioethicsから今年4月に出された
ベルギーでのこの10年間の安楽死に関する報告書を読んでみました。

報告書の英語訳はこちら ↓
http://www.ieb-eib.org/en/pdf/20121208-dossier-euthanasia-in-belgium-10-years.pdf

以下、報告書の各項目ごとに、要点のみ。

1. 安楽死に関する法の背景と法文の本来の精神

・法の議会通過は2002年5月、賛成86 対 反対51、棄権10 という結果で。

・すでに秘密裏に行われていた安楽死の実態を踏まえて、法的保護を目的に作られた。まず患者を違法な安楽死行為から守ること。次に厳格な法の規定の範囲で安楽死を行う医師に法的保護を与えること。

・同時に緩和ケアに関する法律も成立したが、医療コミッションが求めたほど緩和ケアの重要性は安楽死法では強調されなかった。また要望を医療サイドが検討する際に、かかりつけの家庭医の意見が加味されるべきとの同コミッションの全員一致の提言も、ただ身体的な苦痛があるというだけでは正当化されないことの確認も、盛り込まれなかった。

・未成年については、2002年の法文では少なくとも当面は外す、との考え方。


2.2002年5月28日の法律の枠組み概要

2.1  安楽死が認められる条件

a) 意識がある患者の場合と、b)意識がない患者 の場合とに分けて、
条件が細かく決められています。

ここにまとめられた条件の概要は、
資料としてこちらのエントリーにコピペ。

2.2 安楽死用の薬物は薬剤師が直接渡すこと

安楽死に使う薬物は薬剤師が自分で直接医師に渡し(良心条項で拒むこともできる)、
医師は使用後には残り分を処分のために返却しなければならない。

2.3  連邦政府のコントロールとアセスメント委員会

・16人の正委員と16人の代表委員で構成。
・医療職、哲学者、法律の専門家、不治の病の患者の医療とケアに関係する多領域からも。
・医師らの安楽死報告書を検証し、事後的にそれぞれの合法性をチェックする。
・無記名セクションで問題があった場合には、さらに記名セクションを調べ、
委員の3分の2の合意があれば患者の死亡地域の検察に通知する。


3.委員会報告からのデータ

2002年9月から2011年12月までの安楽死者は5537人で、
以下のようにコンスタントに増加し続けている。

2003 235
2004 349
2005 393
2006 429
2007 495
2008 704
2009 822
2010 953
2011 1133

・82%がフランダース地方で行われている。

・9%では近い将来に死が予測されない状態で安楽死が行われた。
 その場合に挙げられている病名で最も多いのは神経精神疾患、
次いで進行性の神経筋肉疾患と死に至るわけではない複数の疾患がある人。

・近い将来に死が予測された91%では
要望の理由として75%がガン関連の痛みを懸念していたのに対して、
神経精神疾患、非進行性の神経筋肉疾患(事故による)と複数疾患の痛みからの要望は5%だった。

・安楽死の要望を受けた医療職のうち、緩和ケアのトレーニングを受けていた人のは10%のみ。
要望の50%はGPに出され、専門医に出されたのは40%。


4.その後に出された、安楽死に関する法の拡大を意図した法案

4.1: グローニンゲン・プロトコルの影響

障害のある胎児の「治療的」中絶や新生児の安楽死を
グローニンゲン・プロトコルの条件下では許容されると考える
医療専門職は少なくない。

4.2 – 4.3: 2010年に相次いで出された法案

・認知症患者への安楽死を認める法案
・良心条項で安楽死を拒否する医師に、別の医師への紹介を義務付ける法案
・未成年への安楽死を認める法案(対象範囲や条件様々で8月から10月に3法案)


(次のエントリーに続きます)
2013.01.04 / Top↑
EIBの報告書(2012年4月)より抜粋

a) Patients who are conscious

In the case of a patient in the final stages of his/her
illness, euthanasia may take place if :
• the patient is an adult or a minor who has been
granted adult legal status and is deemed to be in
his/ her right mind and therefore able to express
his/her wishes;
• the request has been made on a voluntary,
thoughtful and repeated basis and does not arise
from being pressured into it; the request has to be
made in writing;
• the medical situation does not allow for a positive
outlook and causes constant and unbearable physical
or psychological suffering which cannot be alleviated
and is caused by a life‐threatening and incurable
accidental or pathological illness;
• the medical practitioner has talked to his/her patient
on various occasions about his/her state of
health, his/her life expectancy, his/her request for
euthanasia; the medical practitioner must discuss
the possible options available to his/her patient
regarding both therapeutic treatment of the illness
and the palliative care available and the consequences
thereof;
• the medical practitioner has consulted another
independent and competent medical practitioner
who has drawn up a report setting out his/her findings;
• the medical practitioner has discussed his/her patient’s
request with the medical team treating the
patient and with the patient’s close family, if the
patient so requests;
• after euthanasia, the medical practitioner fills out
both pages of the form designed to ascertain the
legality of the afore‐mentioned act.
If the patient is not in the final stages of his/her illness,
two further conditions apply, as set out below :
• the medical practitioner must consult a second
independent medical practitioner, psychiatrist or a
medical practitioner specialized in the relevant
pathology;
• the period of reflection required between the patient’s
written request and the act of euthanasia
has to be at least one month.


b) Patients who are NOT conscious

Euthanasia can take place if :
• the person is an adult or a minor who has been
granted adult legal status;
• the person is not conscious and the situation is
irreversible according to current medical knowledge;
• the person is suffering from a life‐threatening and
incurable accidental or pathological illness;
• the person has drawn up and signed a declaration
in advance requesting euthanasia; this declaration
is valid for a period of 5 years and may appoint one
or several reliable individuals who have been entrusted
with voicing the patient’s wishes;
• the medical practitioner has consulted another
independent doctor;
• the medical practitioner has discussed the declaration,
which was drawn up and signed by the patient
in advance, with the patient’s medical team
and any close family members;
• after euthanasia, the medical practitioner fills out
both pages of the form designed to ascertain the
legality of the afore‐mentioned act.
2013.01.04 / Top↑
例年なら1年間のまとめエントリーをせっせと作っている時期なのですが、
どうにも今年は気力が沸かず、サボっていたところ、
自殺幇助関連では英国を中心に、National Right to Life Newsがこの1年の動きを取りまとめてくれました。

CARE NOT KILLINGの立場で書かれている(たぶん?)ことはともかく、
拾われている話題は、当ブログでこの1年に拾ってきた流れとまったく同じで、
話題によっては、さすがに現地の専門家の詳しいまとめになっています。

End of year update on euthanasia, assisted suicide and palliative care
National Right to Life News Today, December 26, 2012


拙ブログのエントリーを拾いつつ、簡単に以下に。
(エントリーの数や内容の詳しさは話題によってまちまちですが)

① Falconer委員会が1月5日、PAS合法化を推奨
英国Falconer委員会「自殺幇助合法化せよ」提言へ(2012/1/2)

② CARE NOT KILLINGなどからの抵抗
英国政府はハイ・リスク者の自殺予防に関する調査研究に150万ポンドを約束するも、
夏に新たに任命された副大臣Anna Soubry とNorman Lambは合法化に前向きな発言をしている。

英国の新・保健省副大臣がPASに反対しつつ近親者の自殺幇助に「もっと正直な議論を」(2012/9/8)

③ 10年のDPPガイドラインに法的な効力を認めるか議会で投票が行われ、
議員の大勢は現在のガイドラインに留め、緩和ケアの充実が先、と判断。

これについては3月27日の補遺で拾っている。
ガイドラインを「議会として承認するか」というよりも「法的効力を認めるか」だったのか。

また、9月にはこんなニュースもあった ↓
英国議員6割がPAS合法化に反対「不況で、弱者に圧力かかる」(2012/9/15)

④ 英国医師会の動き

英国医師会、自殺幇助に対するスタンスを反対から中立に転換する動議を否決。:イェイ!! 相変わらず、新聞によってタイトルの打ち方、書き方が目に見えて偏っているのはともかくとして。
(6月29日の補遺)

英国でPAS合法化法案を出した(準備中かも?)Falconer上院議員がTime紙に寄稿した際に「英国医師会もスタンスを中立に変更した」と事実と違う記述をし、同医師会から訂正されている。英国医師会は6月末に中立に変更する動議を否決したばかり⇒http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/65271215.html。
同医師会は09年7月にも同じ動議を否決している⇒http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/53614646.html
(7月10日の補遺)

⑤ Nicklinson&Martin訴訟

ニックリンソン訴訟については、あまり詳しくはないですが ↓
“ロックト・イン症候群”の男性が「妻に殺してもらう権利」求め提訴(英)(2010/7/20)
自殺幇助希望の“ロックト・イン”患者Nicklinson訴訟で判決(2012/3/13)
自殺幇助訴訟のNicklinsonさん、ツイッターを始める(2012/7/2)
「死ぬ権利」求めるロックト・イン患者Nicklinsonさん、敗訴(2012/8/17)
Nicklinsonさん、肺炎で死去(2012/8/23)

一緒に訴訟を起こしたマーティン(仮名)さんの訴訟は最高裁へ。

ところで、Right to Lifeの記事は拾っていませんが、未亡人はこういう方向へ↓
Tony Nicklinsonさんの未亡人がスコットランドで自殺幇助合法化を訴え。
(10月31日の補遺) 追記:マクドナルド議員と一緒にキャンペーンへ。

⑥ 9月に安楽死防止欧州議会の初回会合

このニュースは知りませんでした。
一方、6月にはこういうのがあって、日本からも参加しておられた模様 ↓
死ぬ権利協会世界連合、今日からスイスで世界大会(2012/6/13)

⑦ Liverpooll Care Pathwayの機会的適用論争

“終末期”プロトコルの機会的適用で「さっさと脱水・死ぬまで鎮静」(英)(2009/9/10)
「NHSは終末期パスの機会的適用で高齢患者を殺している」と英国の大物医師(2012/6/24)
英国の終末期パスLCPの機会的適用問題 続報(2012/7/12)
LCPの機会的適用でNHSが調査に(2012/10/28)

こちらは自殺幇助というよりも無益な治療論の線だと私は考えていたのですが、
その意味で今とても気になっているのが米国のPOLST ↓
医師が主導して考えさせ、医師の指示書として書かれる終末期医療の事前指示書POLST(2012/11/26)

⑧ マサチューセッツの住民投票

WA州の高齢者施設経営者からMA州住民への手紙「PAS合法化したら滑ります」(2012/5/29)
MA州医師会が11月住民投票のPAS合法化をめぐる質問に反対を表明(2012/9/18)
筋ジスのジャーナリスト「死の“自己選択”は幻想」(2012/11/2)
Dr. Emanuel「PASに関する4つの神話」(2012/11/5)
MA州の自殺幇助巡る住民投票 合法化ならず(2012/11/7)
MA州の自殺幇助住民投票結果の分析(2012/11/10)


Right to Lifeの記事が「来年」に向けて挙げている動きは以下。

① スコットランドのマクドナルド議員が春にまた合法化法案を提出。

「自立生活できない身障者も可」スコットランド自殺幇助合法化法案(2010/1/22)
スコットランド自殺幇助合法化法案から「自立できない障害者」要件は外される見通しに(2010/9/22)
スコットランドの自殺幇助合法化法案、否決(2010/12/2)

② 英国議会にもFalconer議員などの陣営から法案提出か。
既に合法化推進の活動団体から法案の文案が出ていて、意見募集が11月で締め切られたところだとか。

③ ニックリンソン&マーティン訴訟の最高裁判決。

④ アイルランドのASLの女性の訴訟で高裁の判決が1月10日に予定されている。

アイルランドでMSの女性Marie Flemingさんが自殺幇助を巡って法の明確化をDPPに求める訴訟を起こしている。:カトリックの国だから余計に衝撃的なのかもしれないけれど、報道続々。英国では同じくMSのDebbie Purdyさんが起こした訴訟でDPPのガイドラインができた。
(12月7日の補遺)

アイルランドのMarie Flemingさん(58)の死の自己決定権訴訟の審理で、国側は憲法で保障されているのは生きる権利であり、死ぬ権利というものはない、と主張。原告側 は米国ユタ大学の生命倫理学者Margaret Battinがビデオで証言し、オレゴンで精神障害者がセーフガードから漏れている可能性は認めつつも、米国とオランダの研究では高齢者や貧困層、障害者 への濫用は起こっていない、緩和ケアと自殺幇助が共に終末期の選択肢となるべきだ、と。
(12月12日の補遺)

⑤ Royal College of General Practitioners Councilの委員長が12月にジャーナルで
すべての医学会、医師と看護師はこの問題で中立の立場をとるべき、と主張。

ちなみに、今年はこんな記事もありました ↓
BBCによる英国での自殺幇助議論「この10年」(2012/10/22)
2013.01.04 / Top↑
ずいぶん前から断片的に目にしていた
英国のNHS病院での高齢患者へのネグレクト問題。

英国の病院で高齢患者が食事介助をされず低栄養状態になっているとか、
自分の汚物にまみれたまま放置されているといった告発は
私が英語ニュースを読み始めた2006年から既に繰り返し報道されていたけど、

今回問題になったのは
ウースターシャー急性期NHS病院トラストの、
アレクサンドラ病院と、ウースター・ロイヤル病院の2つ。

ことの発端は、昨年3月に
ケアの質コミッションがアレクサンドラ病院に抜き打ち監査を行ったこと。

その結果、同病院のケアは最低水準に達しておらず
トラストは法を侵しているとの結論を出した。

その報告書を受けて、
患者や家族、遺族から続々と告発の声が上がり、

1年3か月前に
アレクサンドラ病院について35件、
ウースター・ロイヤル病院について3件
トラストに対する集団訴訟が起こされた。

最も酷い中では
2009年に84歳の男性が病院で餓死した、というケースがあるほか、

喉が渇いたまま放置されている患者の手の届かないところに飲み物が置かれていたり、
トイレ介助をせずに患者が自らの汚物にまみれたまま座らされていたり、
自分で食べられない患者の手つかずの食事トレイを職員が平然と下膳したり、
職員が患者を抱えようとして肋骨を骨折させたり、
ナース・コールを無視したり。

トラストでは
集団訴訟に取り上げられたケースの大半は2002年から2009年に起きた古い事例で、
11年の監査以降、病院のケアの質は改善されていると主張しているが、

集団訴訟の38ケースの家族・遺族とは和解が成立し、
それぞれに謝罪の書簡を送るという。

[http://www.guardian.co.uk/society/2012/dec/23/hospital-trust-apologises-neglect NHS
Hospital trust apologises for ‘appalling’ neglect]
The Guardian, December 23, 2012


この問題については
何度か以下の連載で触れていると思うのですが、
現在ネット上で読めるのは、病院ではなくケアホームのネグレクトに関する以下のもの。

「ケアホームの劣悪な介護実態を 消費者団体の潜入調査が暴く【英国】
「世界の介護と医療の情報を読む」『月刊介護保険情報』2011年6月号


知的障害者へのネグレクト関連エントリーはこちら。
2003年から2005年に亡くなった6人のケースが取り上げられています。 ↓

「医療における障害への偏見が死につながった」オンブズマンが改善を勧告(2009/3/31)
オンブズマン報告書を読んでみた:知的障害者に対する医療ネグレクト(2009/3/31)
Markのケース:知的障害者への偏見による医療過失
Martinのケース:知的障害者への偏見による医療過失
2013.01.04 / Top↑
去年、「『いのちの思想』を掘り起こす―生命倫理の再生に向けて」の書評を書かせていただいたのを機に、
今年1月、このブログにご訪問くださったことで御縁をいただいたのが
鳥取大学医学部の宗教学者にして生命倫理学者、安藤泰至先生。

その後、先生がお書きになったものやご講演を読ませていただいてきて、
つくづく思うのは、論理のパズルみたいな生命倫理学とは全然違う、
身体というか心というか、いわば「魂を伴った生命倫理学」だということ。

例えば、ネットで読めるものとしては
金沢大学での2010年のご講演。

拙ブログで紹介させてもらった最近のものでは、
「『いのちの思想』を掘り起こす」の安藤泰至氏がコラム(2012/4/26)

また、てっきりエントリーにしたものとばかり思いこんでいたのだけれど見当たらない、
そして、これはネットでは読めないのだけれど、
雑誌『談』のインタビューとか。

読ませていただくたびに、その思索の深さに唸り、
また必ずどこかで「はっ」とさせられる。

その安藤先生が高橋都氏と共に編著者をされた
丸善の『シリーズ生命倫理学 第4巻 終末期医療』が刊行になった。

内容は以下。

第1章 医療にとって「死」とはなにか?(安藤泰至)
第2章 終末期ケアにおける意思決定プロセス(清水哲郎・会田薫子)
第3章 終末期医療の現場における意思決定―患者および家族とのかかわりの中で(田村恵子)
第4章 高齢者における終末期医療(横内正利)
第5章 小児における終末期医療(細谷亮太)
第6章 植物状態患者はいかに理解されうるか―看護師の経験から生命倫理の課題を問う(西村ユミ)
第7章 死にゆく過程をどう生きるか―施設と在宅の二者択一を超えて(田代志門)
第8章 「自然な死」という言説の解体―死すべき定めの意味をもとめて(竹之内裕文)
第9章 「死の教育」からの問い―デス・エデュケーションの中の生命倫理学(西平 直)
第10章 終末期医療におけるスピリチュアリティとスピリチュアル・ケア―「日本的スピリチュアリティ」の可能性と限界について(宮嶋俊一)
第11章 生、死、ブリコラージュ―緩和ケア病棟で看護師が経験する困難への医療人類学からのアプローチ(松岡秀明)
第12章 グリーフケアの可能性―医療は遺族のグリーフワークをサポートできるのか(安藤泰至・打出喜義)
第13章 医師が治らない患者と向き合うとき―「見捨てないこと」の一考察(高橋 都)


「医療にとって『死』とはなにか?」というタイトルだけでも刺激的な
安藤先生の第1章もワクワクものだけれど、

私にとって何より嬉しいのは、
安藤先生と金沢大学の打出喜義先生との共著の章があること。

打出喜義先生といえば、
1998年に起きた金沢大学医学部付属病院産婦人科で
卵巣がんの患者に同意なき臨床実験が行われていた事件で
患者サイドに立って病院側の文書の改竄を暴き、
自ら所属する大学と闘った医師。

ウィキペディアはこちら ↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%93%E5%87%BA%E5%96%9C%E7%BE%A9

私は恥ずかしながら、
今年の夏まで打出先生のことを知らなかった。

6月に東京の某所でバクバクしながら慣れぬ場に臨んだ際に、
タダモノならぬ知的な気配を漂わせつつも少年みたいな無邪気な笑みを見せてくださる男性が
最後列の端っこにおられて、たいそう気になっていたところ、

質疑になるや、真っ先に発言してくださって、
「某MLで、ある時から名前の読み方すらわからないナントカいう人が
情報提供をするようになって……」と笑わせつつ、
ガチガチに緊張しているspitzibaraに温かいエールを送ってくださった。

その後、どなたかのコメントを受けて
司会の方から「パーソン論を簡単に説明して」と要望された私が
自分で正しく説明する自信がなくて、おずおずと振らせてもらった際にも、
はにかみつつも快く引き受けてくださって、

終始、魅力的な笑顔で楽しそうに聞いてくださるその男性に、
私はどこのどなたとは知らないまま、すっかり参ってしまったのだった。

帰ってきて、その方が上記のような勇気ある行動をとられた医師だと知り、
事件についての当時の報道を読み、映像を見るにつけ、
医療は患者のために行われるものだということを
まるで戸惑っているかのように、でも微塵もブレることなく
静かに朴訥な言葉で語られる打出先生に、

私はもう、ぞっこん。

そんな安藤先生と打出先生が共著で書かれたものが
ただならぬ章でないはずがないんであって、
読ませていただくのが今から楽しみ。

実は個人的にはちょっと気になる顔ぶれも含まれているんだけど、
でも、尊厳死法制化について考えようとする人には
ぜひぜひ読んでもらいたい本であることは間違いない。

            ―――――


それにしても、
1月に拙ブログで安藤先生と出会い、6月に打出先生と遭遇し、

6月と12月の東京、5月の神戸、先週の京都と、
本当に多くの素敵な方々と新たな出会いをいただいて、
また、兼ねてお世話になっていたり憧れていた方々と初対面を果たせたり、

そうそう、実は先週、思いもかけないエヴァ・キテイつながりで、
大学時代のクラスメイトと34年ぶりの再会まで果たすことができたんだった。

堂々たる研究者である彼女は、
すっくと背筋の伸びた青年のような趣の、カッコイイ大人の女になっていた。

私はただのオバサンなりに
自分はただのオバサンとして堂々と生きてきたのだと感じることができて、
しみじみと豊かな再会の語り合いだった。

本当にいい年だったなぁ……。
2013.01.04 / Top↑