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カナダ医師会雑誌CMAJのエディトリアルが、「安楽死」という用語をやめようと提言。肯定論、否定論の双方がお互いに自分のサイドに都合のよい解釈で、それぞれ別の意味で使い、議論が混乱している、と。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/183925.php

Bioethics誌で倫理学者のStefan Erikssonが、認知症患者などインフォームドコンセントを与える能力が限られている人を実験の被験者とする際のガイドラインについて、見直しを提言している。夜の頭ではイマイチ理解できない。要再読。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/183867.php

昨日の「乳がん遺伝子に特許は認めない」判決を受け、バイオテクノロジー関連の株価は思ったほど降下していない。しかし業界からの反発いちじるしい。:やっぱり上訴に向けて、この問題は政治的な色合いを帯びるのかも? ここでも経済施策の問題に影響されて研究倫理(?)の問題が変質していくような気がする。それにしても、ずっと前から素人としてはどうしても不思議なのだけど、なんで米国の裁判所に、その判断をする資格というか権限があるのか、よく分からない。誰か、教えていただけると嬉しい。
http://www.nytimes.com/2010/03/31/business/31gene.html?th&emc=th

去年の豚インフルエンザ騒ぎの際のWHOの対応を評価するために中立の科学者らによる委員会が立ち上げられた。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/183918.php

英国のNHSで、職員不足から癌の誤診や診断の遅れが患者の命にかかわる事態を招いている、との調査結果。
http://www.guardian.co.uk/society/2010/mar/30/cancer-blunders-nhs-report

アムネスティの死刑に関する報告書で、09年に中国で死刑になった人が数千人。しかし、実態はそれをはるかに上回るのでは、と。
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/libertycentral/2010/mar/30/how-many-does-china-execute

英国でおとり捜査に引っかかったペットショップのオーナーが、14歳の子どもに年齢を確かめることも世話についても確認せずに金魚を売ったとして、罰金刑に。16歳未満の子どもが保護者の付き添いなしにペットを買いに来ても売ってはいけないという法律。店にいた犬が劣悪なケアで安楽死させなければならないほど衰弱していたことも罪に問われた。未成年に対するたばこや酒の販売では、おとり捜査が行われてきたが、今後はペットの販売でも、という話。
http://www.guardian.co.uk/world/2010/mar/31/pet-shop-fined-over-goldfish
2010.03.31 / Top↑
3月29日にオンラインで刊行された学会誌 Pediatrics の4月号で
米国小児科学会は臓器提供・移植に関する新たな方針
Pediatric Organ Donation and Transplantation を出した。

子どもの死は突然、思いがけない形で起こることがあるために、
家族が臓器提供についても、それで救われる子どもや家族への利益についても
思いを致すことができにくいのだろう……として、

organ donation or transplantation should be an option for any family who may have to endure the tragedy of losing a child or having a child that may be a potential transplant recipient.

The number of children on the national transplant waiting list far exceeds the number of organs recovered and transplanted. Pediatricians, children's advocacy groups, and institutions that care for children need to promote awareness for increased organ donation and organ transplantation. In addition, pediatric medical specialists and transplant surgeons should discuss the benefits and risks of organ donation and transplantation with family members, and provide continued support during the donation process and in long-term follow-up with the donor family.



臓器を待っている子どもの数は、
実際に採取されて(recovered)移植された臓器の数よりも
はるかに上回っているのだから、

小児科医も子どもの権利擁護団体も、子どものケアに関わる組織も
臓器提供を増やすための啓発を推進しなさい。

加えて、
小児科専門医と移植医は、家族に対して、
臓器提供の話を、ちゃんと持ち出しなさいよ、

たとえ我が子の突然の死に直面し、何も考えられず呆然自失しているような親に対しても、
その気持ちに斟酌などせず、臓器提供という選択肢があることを話し、説得しなさいよ……と。


harvest 刈り取られるものだったはずの臓器が、いつのまにか
recover 回収・回復されるものとなっている。
2010.03.31 / Top↑
5年前の今日、2005年3月31日に、Theresa Marie Schindler Schiavoは死んだ。

5年を経た今、多くの人がなお、アメリカはなぜ
あんなことを許してしまったのか、理解しようとして、できないでいる。

障害があり、夫と安楽死セクトが満足するほどQOLが高くないという理由で
Terri Shiavoの命がターミネイトされた2005年3月31日、
アメリカはまた新たな低みへと沈んだ。

ある障害者団体の指導者が言ったことがある。
極右は医療や公的住居、移動支援など必要な支援をカットすることによって
「ゆっくりと苦しめながら」障害者を殺そうとしている、
極左は「さっさと殺して、それを思いやりと呼び、
おそらくは、もっと価値があるとみなされる人たちのために
金を浮かせようとしている」と。

記事はその後、
5年後の現在、障害者への差別はより悪化していることを憂慮し、
Obama大統領による医療制度改革は高齢者や障害者の切り捨て施策だと痛烈に批判。

さらに同大統領が
下院議会によるShiavoケースへの介入に同意したことについて
家族の問題に政府が関与すべきではなかったと自己批判したことに対して、
(詳細は文末のリンクに)

Shiavo事件では最初からメディアが加担して同様の世論誘導が図られてきたし、
未だに多くの人がShiavo事件の事実関係を捻じ曲げ続けて
あの事件の正当化を図っている、と追及。

この事件の事実関係の誤解については
私も何度、確認してもしすぎることはないと考えているので、以下に。

Terriはターミナルな状態でもなければ、昏睡状態でもなかった。
呼吸器をつけていたわけでも、それ以外の機械に繋がれていたわけでもない。
彼女が生きるのに必要なのは、栄養と水分だけだった。それなのに、
12年間の間、セラピーとリハビリテーションの一切を不当にも拒否され続けたのだ。

The More Things Change……
North Country Gazette, March 31, 2010


「裁判所による殺人」とか「公開処刑」、wrongful deathなど
非常に激しい表現が使われている点には、ちょっと抵抗感も覚えつつ、

シャイボ事件は実際にはTerriさん自身の望みや家族による代理決定の問題ではなく、
実は社会保障や医療費の問題だったのだという指摘、

シャイボ事件で米国社会は障害者や高齢者にかけるコストを拒み、
切り捨てる方向にかじを切ったのだという分析、

この5年間の安楽死論争で
compassion (共感・おもいやり)がdirty word にされてしまった
などの指摘には、うなずけるものも。

そして、この文章から何よりも強く響いてくるのは、
これから、ますます障害者に向けて強まるであろう死への圧力への懸念と、
そのことへの強い危機感。

それは、日本でも、現在ひしひしと感じられる危機感でもある。


2010.03.31 / Top↑
シンガポールでも安楽死の合法化を、との声が上がっている。法学者から、というのは新しい。記事のタイトルが、あまりにもミもフタもない“まんま”の真実だけに、ぎくりとさせられる。Killing the Dying 死にゆく人を殺すこと。
http://theonlinecitizen.com/2010/03/killing-the-dying/comment-page-1/

英国の保健相、ケアホームは入所2年目からは無料にする、と。近く白書が出るらしい。
http://www.guardian.co.uk/society/2010/mar/30/andy-burnham-death-tax
http://www.timesonline.co.uk/tol/life_and_style/health/article7080754.ece

2月のエントリー「遺伝子に特許やるな」という米国の訴訟の続報。却下されるだろうとの大方の予測を裏切り、地方裁判所の判事は乳がんに繋がる遺伝子に特許を認めない判決を出した。しかし、このままで終わるとは思えない。
http://www.nytimes.com/2010/03/30/business/30gene.html?th&emc=th

2007年に東京で「生命特許を考えるシンポジウム」が開かれ、生命特許に反対するアピール文が採択されていた。
http://blogs.yahoo.co.jp/monkeys2007h19/1443774.html

でも、そんな日にも、遺伝子診断による心臓血管障害の治療法に特許が認められたと米国のARCA バイオファーマ企業が発表。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/183834.php

スウェーデン、デンマーク、フィンランド、イスラエルでは既に非合法となっている”合法麻薬” mephedroneが、数週間のうちに英国でも非合法に。
http://www.guardian.co.uk/politics/2010/mar/29/mephedrone-ban-m-cat-miaow

自殺を考えている患者の治療の参考に、精神科医が本人の同意なしに患者のブログを読んでもいいものか?
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/03/29/AR2010032902942.html?wpisrc=nl_cuzhead

マサチューセッツ州の高校で、3カ月に及ぶ壮絶なイジメから1年生の転校生Phoebe Princeさんが首をくくって死んだ事件で、同じ高校の16歳から18歳の男女9人を訴追。イジメ防止法が間もなく州議会を通過する見込み。教職員に対して、いじめを校長に通報することを義務付ける。他に41の州で同様の法律ができているとのこと。:26日の補遺にも英国でのティーンエジャーの集団暴行による殺人事件があったばかり。大した理由もなく、ただターゲットさえ見つければ、そこに向かって一気に噴き出さないではいないような凶暴なものが圧縮された蒸気のように満ちている。大人の中にも子どもの中にも。
http://www.nytimes.com/2010/03/30/us/30bully.html?th&emc=th

アパルトヘイト時代の南アフリカで「同性愛は治療できる」として白人の同性愛男性に電気ショックや薬物療法を行い、人権侵害に問われたものの、その後15年前にカナダに帰国しCalgary大医学部で働いていたDr. ShockことDr. Aubrey Levinが、今度はCalgaryで男性患者への性的虐待で起訴された。他の数十人への同様の容疑でも捜査中。
http://www.guardian.co.uk/world/2010/mar/28/aubrey-levin-charged-sexually-abusing-patient

大腸がんのスクリーニングにルーティーンで強力なCTスキャンを使うことの危険性について、科学者らからの警告があったのにもかかわらずFDAが無視してきたことが明らかに。
http://www.nytimes.com/2010/03/29/health/policy/29fda.html?th&emc=th
2010.03.30 / Top↑
Ashley事件を追いかける過程で、
いろんな人の反応を見て感じてはいたことだけど、

最初に、この疑問をはっきり意識したのは、去年1月に
日本で「クローン肉の安全宣言」が出された時のことだったと思う。


どう考えても、
長期に食べ続けても安全だという科学的エビデンスが示されているとは思えなかったし、
ネットでいろいろ検索してみても、科学者の方々の間でも
懐疑的な見方をする人が多いように思えた。

それなのに、なぜかテレビや新聞などの、いわゆる“表”に出てくる科学者には、
ネットで「あぶない」と書いている人たちのような歯切れの良さがない。

科学者が出てくると、そのコメントはたいていの場合、言外に
「安全性には疑問を感じますけど、でも、なにを言ったって、
やる方向で既に決まりみたいだから、それなら……」と前置くようなニュアンスで
「少なくとも消費者が選べるように情報提供だけはしっかりしてほしい」と
せめてもの注文を出す……という路線のものが多かった。

私たち素人には、本当に安全なのかどうかという判断はできないのだから、
その判断ができる科学者の中に「あぶない」と感じている人たちがいるのなら
表に出てきて「あぶないと思う」と、はっきり言ってくれればいいのに、

少なくとも、すべての科学者が「安全だ」と考えているわけではない
という事実が明らかになるだけでも、一般国民にとっては
1つの重要な判断材料になるはずなのに……と思ったし、

安全宣言を出した内閣府食品安全委員会の専門家ワーキンググループの座長が
実はクローン推進の旗振り役の近畿大薬学総合研究所長だという妙な事実を
関係分野の方々が知らないわけはないとも思ったのだけれど、
なぜか、そのことを指摘してくれる科学者もいなかった。

それは、その妙な事実を“知っているにも関わらず指摘しない“のではなくて、
もしかしたら、“知っているからこそ指摘しない”のかもしれない……と
考えがそこに至ったのは、ずいぶん後になってからだったけれど。

次に、同じ疑問を感じたのは、
去年の夏の脳死・臓器移植法改正議論の時。

最近の ワクチンを巡る専門家の発言でも、
「テクノロジーを介護に」という動きでも、どこか同じ気配が漂っているような……。

国際競争とか市場原理とか、経済対策としての産業創出とかマーケット形成とか
本当はそういう力学によって作られている方向性だという面があって
そのことは、関連業界の人たちには、とっくに共通認識になっていて、
そして、そこに一定のリスクや問題があると感じている専門家や学者さんだって
本当はいないわけじゃない……んではないだろうか。

どの問題にせよ、
たぶん、我々一般国民が広く見せられているヴァージョンとは違う物事の様相を
関係分野の専門家や学者さんたちは見ているし知っている。

知っているけど、もうその方向に流れが決まっていることも同時に知っているから
言っても無駄なことは言っても仕方がないと口をつぐんでいる……なんてことはないのだろうか?

そういう話は科学とテクノの分野の専売特許かと思っていたら
東南アジアからの看護師・介護士の受け入れについての議論でも同じらしい……と
つい最近になって気がついた。

「これは経済協定で、介護士の人手不足を補うものではない」とタテマエが繰り返されつつ、
その一方では「受け入れておきながら、それなりの待遇で報いないのはどうか」との
批判の声にじわじわと押される形で少しずつ制度を緩和して
結局は定着させていく方向に動いていこうとしている。

東南アジアの国々が家事・育児・介護労働力を先進国に輸出しているのは
グローバル化した弱肉強食ネオリベ世界を生き延びるためには、
それ以外にないところに追い詰められているからであり、
輸出された人たちの欧米諸国での扱いが事実上の奴隷労働と化していることについては、
誰もが知っているはずなのに、正面から議論されることは滅多になく、
その事実は誰もが知っていながら、ないこと、知らないことにされたまま
「彼女たちはスキルアップのために日本に来る」とか
「自国の介護の素晴らしさを日本の人たちに見せるために来る」と言われ、
介護現場で働いている候補者たちが如何に素晴らしいかばかりが強調される。

(もちろん、それが全くの嘘だと言うつもりは私もないけれど
問題は、そういうことじゃないはずだろう、と思う)

先日、某所で、ある学者さんが
候補者の人たちが資格を取りやすいように
国家試験そのものを易しく変えるべきだと主張するのを聞いて、たまげた。

「だいたい看護師の国家試験に出てくる日本語は、あれは一体、日本語なんですか。
あんな難しい日本語は、私たち普通の日本人でも使わない。
褥瘡って日本語、みなさん、知っていますか? 私は知りませんでした。
褥瘡なんて、何故ふつうに“おでき”ではいけないのか。
国家試験の日本語を、我々日本人が普段使っている易しい日本語に変えていく必要がある」

そのためには、現場で看護師とコミュニケーションが齟齬をきたさないよう、
医師の国家試験の日本語からも専門用語を排除して、
我々一般人が使っている普通の平易な日本語に置き換えていく必要が出てきますね。

「褥瘡」とは「おでき」のことだと本当に信じているような人は
看護師の国家試験を軽々しく云々すべきではないだろう、と思う。

もしも本当は同じでないことを知っているのだけれど知らないフリで言っているのだとしたら、
これは、いくらなんでも恥知らずな提灯の振りまわし方ではないのか? と思う。  

学者という人たちは、
この動きは、もはや止めがたいものになったらしい……と読んだら、
真実を語る口をつぐむものなのか?

ただ、口をつぐむだけでなく、
学者としての良心をかなぐり捨ててでも、その動きに自ら乗っていくものなのか?

もしかして、その動きに乗らなければ、学者としてメジャーになれないとか――?

それは、もともと学問の世界がそういうものだったのか、
それとも昨今の世の中が学問の世界もそういうところにしてしまったということなのか、
一体どっちなんだろう?

しかし、メディアを通じて、我々一般国民のところに届くのは、
概してメジャーになった学者さんの発言ばかりなので、
それでは我々一般国民は真実を知るすべがないことになってしまうのだけど?

――あ、そうか、もしかしたら、
メジャーな学者さんのいうことは提灯である可能性が大きいと
あらかじめ心得ておいた上で、ちょっと距離を置いて聞くことにする……というのも
今の時代に必要な情報リテラシーなのか……。

Ashley事件での学者さんたちの立ち廻り方を見て
私はつくづく感じてきたのだけれど、

そういう学者さんだらけになっていく世界で
一番語られなければならないのに誰にも語られなくなっていくのは、
たぶん、人権……なのだ、ということも

もしかしたら国を問わず、
情報リテラシーの基本として、
念頭に置いておく方がいい時代なのかもしれない。

【追記】
誤解を招きそうなので、書き足しておくと、
流れが決まってしまった中で、「それでも、やっぱり」とか「せめて」との思いで
その流れに抗うために、またはせめてものセーフガードを確保するために
熱く研究や発言を続けてくださっている学者の方々がおられることは、
Ashley事件であれ、その他の問題であれ、私も直接体験として知っているので、
「学者という人たち」と一くくりにするべきではないことは重々分かってはいるのですが、

ここでは、とりあえず、それ以外の表現を思いつけなかったので、
悪しきアカデミズムと、それを象徴するような学者の方々のことだと
了解・ご寛容いただきますよう、よろしくお願いいたします。


2010.03.30 / Top↑
欧米のいくつかの国では、体外受精と遺伝子診断技術を使って
病気の子どものドナーとなる弟や妹を作ることが既に合法化されており、
このように兄や姉のドナーとして作られるデザイナー・ベビーは
英語では savior sibling 「救済者兄弟」と呼ばれています。

当ブログでは2007年の12月に初めて、その存在を知って以来、
折に触れて、この話題を追いかけてきました。

日本でも、生殖補助医療や生命倫理の専門家の間では知られていた事実なのに、
なぜか長いこと、一般に広く知らされることはなく、

去年、救済者兄弟をテーマにした映画「私の中のあなた」が公開された際にも、
肝心の主人公の生い立ちについては、ほとんど言及されませんでした。

その「救済者兄弟」を、今夜、NHKが以下の番組で取り上げるようです。

NHKスペシャル 人体“製造”
2010年3月28日(日)午後9時00分~9時49分

これを機に、
これまでの当ブログの関連エントリーを以下にまとめてみました。


【救済者兄弟 関連エントリー】



【映画関連エントリー】



【この映画を機に考えたこと】

2010.03.28 / Top↑
「グレイズ・アナトミー」のシーズン6、エピソード18に、自殺幇助を求める患者が登場するらしい。私はこの作品は見たことがないので、読んでもイマイチよく分からないけど、タイトルは「自殺は無痛」とのこと。
http://downloadgreysanatomy.sequd.com/greys-anatomy-season-6-episode-18-suicide-is-painless-press-release

救急車のパラメディックによって死亡宣告された男性が、その後、生きていることが分かって別の救急隊によって病院に運ばれた。米。:思い出したのは、去年1月の「障害者だから蘇生に値しない」と勝手な判断した救命死を逮捕(英)という事件。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/03/26/AR2010032605476.html?wpisrc=nl_cuzhead

アイルランドの事件から始まったカトリックの聖職者による児童虐待スキャンダルが米国でも指摘されている件で、ウィスコンシンの聾の子どもたちの学校で Lawrence C. Murphy師の性的虐待を受けた子どもたちは、50年代半ばから手話や手紙、絵などで被害を訴えていたし、96年には現法王も報告を受けていたのに、誰も対処しなかった、と。
http://www.nytimes.com/2010/03/27/us/27wisconsin.html?th&emc=th

米国の医療制度改革で、結婚までセックスはしないようにと指導する性教育プログラムに、今後5年間で2億5千万ドル。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/03/26/AR2010032602457.html?wpisrc=nl_cuzhead
2010.03.27 / Top↑
2007年8月にAudrey Wallisさんの自殺幇助の容疑で
NZ警察は米国North Carilina在住の米国人女性(48)を起訴。

NZでは自殺幇助は英国と同じく、最高、懲役14年の犯罪。

ただし、このケースは米国とNZ間の引き渡し協定に当てはまらないため、
女性がNZに入国した場合にしか逮捕されない。



小さな記事ですが、この事件は非常に重大なものでした。

2年前から以下のエントリーなどで追いかけていますが、
自殺したWallisさんは処方薬の中毒で、マヒがあり、ウツ状態でした。

しかも、この自殺幇助はビジネスとして行われました。

今回起訴された米国人女性とは、
Cassandra Mae またの名を Susan Wilson。

闇の安楽死つかさどる牧師 George Exooの助手だった女性です。

当時、彼女はExoo師から独立してビジネスを始めようとしており、
Guardianのインタビューでも「値段さえ折り合いがつけば誰だって死なせてあげるわ」と
語っています。

Wallisさんの自殺幇助は12000ドルで請け負い、
米国から、そのためにAucklandに飛び、
Wallisさんが自殺した後すぐに帰国したと言われています。

【28日追記】
続報が出て、Wilsonさんは容疑を否認しているとのこと。
12000ドルの報酬の受け取りについても否定。
もらったのは交通費など実費2000ドルと主張しているようです。



2010.03.27 / Top↑
ロンドンのVictoria駅構内で、学校の制服を着た15,6歳の男子生徒たち10から15人の間で怒鳴り合いの諍いがあった。その翌日、15歳の少年が同駅構内で刺され、病院に運ばれたが死亡。この事件で20人が逮捕された。目撃者の証言によると、襲ったのは同じ制服姿の少年たちだったとのこと。警官が止めに入ったが制止できず、応援を呼んでいた、とのこと。:警官がいてもコントロール不能なほど怒り狂った子どもたちの集団。考えただけで、身の毛がよだつ。ロンドンの若者の荒廃が言われて久しい。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/england/london/8588604.stm

麻薬取締局(DEA)が麻薬の処方について、主治医の処方箋を義務付けている法律遵守を厳しく求めることにした件で、口頭のオーダーで看護師が投薬してきたナーシングホームの慣行が成り立たなくなり、NH入所者が痛み止めを受けることができずに困っているとNH関係者が配慮を求めている。DEA側は、問題は痛み止めではなく、NHでの医療がきちんと規定通りに24時間医師によって監督されていないことである、と。またMNT記事は、実際の問題はNHの入所者に対する抗精神病薬の適用外処方の方だ、とも。こちらの問題は、去年から英でも米でも指摘されている。日本でも三宅貴夫氏が書いている。
http://www.nytimes.com/2010/03/24/health/policy/24pain.html?partner=rss&emc=rss
http://www.medicalnewstoday.com/articles/183482.php

中国の急激なライフスタイルの変化で肥満が蔓延。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/8587032.stm

NHSでの患者の個人情報が、医療職以外のスタッフがアクセスできる形で保管されている、と、監視団体が指摘。:この団体の名前が、なかなか印象的で、Big Brother Watch。まさに、今の英国にぴったりな……。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8587898.stm

IMFからの資金とユーロ圏の国との2国間協定によりギリシアへの支援策が決着。
http://www.nytimes.com/2010/03/26/business/global/26drachma.html?th&emc=th

gifted というから能力の高い学生が増えているという話かと思ったら、先生にせっせと贈り物をする学生、生徒が増加しているという話だった。英国。:日本でも、学力をつけることよりもテストで点をとらせるための指導みたいものが求められるようになっている感じは、かなり前からある。
http://www.guardian.co.uk/education/2010/mar/26/teachers-gifts-presents

アイスランドがストリップ・クラブを全面禁止に。首相がレズビアンだからか、それとも世界一女性差別のない国か、というGuardianのリードは、ちょっと……。
http://www.guardian.co.uk/lifeandstyle/2010/mar/25/iceland-most-feminist-country
2010.03.26 / Top↑
去年1年間のOregon州における医師による自殺幇助の統計については
OR州の「尊厳死」:97%にC&Cが関与、たった20人の医師がせっせと処方のエントリーで紹介しましたが、

そうした状況に対して、
自殺幇助に批判的な医師の団体Compassionate Careから
Oregonの現状は陰謀と操作だと批判が出ています。

批判の要点は、

・州の保健局がきちんと調査していない。

・スクリーニングが行われず、ウツ病患者が保護されていない。

・コントロールできない痛みに苦しんでいたのは同法で自殺した人の1割に過ぎない。

・09年に主治医によって致死薬の処方を受けたのは、たった3人。
 処方を受けるまでに担当医だった期間の中間値は9カ月。
これでは、医師が妥当な情報に基づいて判断したとは言い難い。

・97%のケースに関与しているC&Cが、一部の医師と推進する自殺幇助によって
医師と患者の信頼関係が損なわれ、医師の社会的役割を治療から殺人へと変えてしまう。

Compassionate Care doctors upset over suicide summary
The Catholic Sentinel, March 25, 2010


これは、つまり、
州当局も承知の上で……ということなんでしょうか、やっぱり?
2010.03.26 / Top↑
公訴局長DPPのガイドラインが最終的に出されて以来、初めての
自殺幇助事件の判断が出ています。

去年7月14日のエントリーで紹介した
英国の著名指揮者夫妻がDignitasでそろって自殺という事件で、

夫妻がDignitasを訪れた際に泊まるスイスのホテルを予約し
スイスまで付き添っていった息子の行為について
DPPは自殺法で定める自殺幇助に当たると判断したうえで、
しかしガイドラインの公益ファクターを考慮して
起訴することは公益にならない、と判断。

不起訴に。

No charges in assisted suicide case
Police Professional.com, March 25, 2010


これで、自らの意思で死にたいと決めた人に近親者がDignitasまで付き添って行くことは
起訴に当たらないとガイドラインによって明確に示されたことになるのでしょう。

ガイドライン以前にも、
事故で全身が麻痺した絶望から自殺したいと望んだ23歳の息子を
Dignitasに連れて行った両親が不起訴になったJamesケースもあるので、
十分に予測された結果ではありますが、

Jamesさんのケースでは、
必要だったのは自殺幇助ではなく障害を負った絶望から立ち直るための支援であって、
これこそ「死の自己決定権」の「すべり坂」だと指摘されているし、

また、今回の著名指揮者Edward Downes卿夫妻のケースでも
妻は末期がんでしたが、夫の方は健康でした。

「妻を失っては生きていけないから、一緒に死にたい」というのが夫の自殺の動機。

そういう動機で死にたいという人に毒物を提供して飲ませるDignitasも、
そういう動機で死にたいという人を、他人に毒物を提供してもらって死なせるために
それが違法とされていない国へ連れていく人を不起訴にする英国公訴局の判断も、
ぜんぜん、釈然としない。

そういう人を起訴することに公益がないというけど、起訴しないとの判断によって
「ターミナルな人と一緒に死にたいという健康な配偶者は、死なせてもOK」というメッセージが
世間に発せられてしまうとのだとしたら、それは公益に反するのではないのか……。
2010.03.26 / Top↑
【自殺幇助関連】

NZで、20歳の女性Margaret Pageさんが死にたいと望み、絶飲食を続けているそうだ。死の自己決定権のアドボケイトDignity NZの理事が書いたこの記事では、しかし、不思議なことに、その理由が何も述べられていない。記事の主要部分は、7割方が不治の病気で苦痛がある人への医師による自殺幇助を支持しているなど、世論調査の結果。不治でもなければ苦痛もない要介護状態の身障者の自殺幇助についても、44%が支持。
http://www.nzherald.co.nz/nz/news/article.cfm?c_id=1&objectid=10634249


【その他】

米国で社会保障の給付総額が所得税収入の総額を超えるのは2016年になると推計されていたのだけれど、不動産バブル崩壊とリーマンショック以降の不況で、どうやら今年中に超える勢い。:だから無駄なゼニを使わせる人には「死んでもらわにゃならん」わけだし、世界経済が破たんしないためには、少々の健康被害や倫理問題なんぞに構っていられるものか、「新産業とマーケットの創出も急がにゃならん」……わけで。そして、それは米国だけの事情ではない。
http://www.nytimes.com/2010/03/25/business/economy/25social.html?th&emc=th


近年の女性の社会進出にもかかわらず、いまなおスペインで高齢者、障害者、病者の介護をしている人の8割は女性。現在の50―70歳には、まだ介護を担える女性もいるが、その世代も老い始めており、次の世代はほとんど働いている。伝統的な家族像モデルはもはや通用しない。新たな介護モデルと支援体制が早急に必要。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/183100.php

米国小児科学会の研究で、麻疹の予防接種率が高い集団であっても、親が接種を拒否している子どもが原因となって流行が起こる、そして、それが医療コストに繋がる、と。:どうも米国は強制接種の方向にどんどん圧力をかけている。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/183085.php

100人に1人の子どもにASD(自閉症またはアスペルガー症候群)があると思われるが、未診断のまま医療も教育上の支援も受けられずにいる子どもがまだ多い。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/183089.php

英国。11歳の男児が学校でぜんそくの発作を起こしているにもかかわらず、廊下に座らされて、そのまま亡くなった事件で、校長と座らせた教師を含む5人が停職処分に。
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/uk/article7073805.ece

70年代のアイルランドのカトリック聖職者らによる児童虐待問題で、米国人聖職者らが何度も警告したにもかかわらずヴァチカンが虐待防止に介入しなかったことが明らかに。その間に性的虐待を受けた聴覚障害のある男児は200人にも及ぶ。
http://www.nytimes.com/2010/03/25/world/europe/25vatican.html?th&emc=th

上記の聖職者による児童虐待、ヨーロッパ全土に波及しそうな気配。
http://www.nytimes.com/2010/03/25/world/europe/25church.html?th&emc=th
2010.03.25 / Top↑
Ambry Genetics社は、
次世代型の遺伝子シークエンシング技術と、
従来型の複数の検査を組み合わせることによって
知的障害と脆弱X症候群と呼ばれる精神発達遅滞の原因を突き止めることができる
The Ambry X-Linked Mental Retardation SuperPANEL という一連の検査を発表した。

「この新たな技術によって重要なパラダイム・シフトが起こる。

これまで単一遺伝子による障害に行われてきたような包括的な調査が
複数の遺伝子によって引き起こされる障害にも可能となる」

「Ambry Genetics社は、複数遺伝子検査を市場化するには理想的にふさわしい会社。
その他の複雑な病状にも、同様の検査を開発する能力を有している」

などと、同社幹部。



脆弱X症候群に関する日本語の解説はこちら

こういう会社は他にもたくさんあって、
それらの会社の間で壮絶な「知的障害の遺伝子検査開発」競争が展開しているのだろうな……

そして、それらの会社の技術開発に携わっている人たちも、
マーケッティング戦略を練っている人たちも
障害者運動の歴史や、優生思想・施策とそれに対する批判や反省の歴史や、
生命・医療倫理の世界の議論など、まったく眼中にないのだろうな……

……というところで、すでに気持ちがメゲてしまう。

英語ニュースを読んでいると、
「死の自己決定権も、テクノロジーによる新・優生思想も
もはや既定路線なのだよ。抵抗なんて誰にもできないのさ」と
毎日、毎日、誰かに教え諭されているような気がしてくる。


2010.03.25 / Top↑
これから公開されるハリウッド映画2本について
それぞれ、非常に気がかりな内容なので。

Al Pacino演じるKevorkian医師の半生記:“You Don’t Know Jack”

このたび予告ビデオが2本、公開されました。
以下のサイトから見られます。



これら予告ビデオからは、
「耐え難い苦痛に苦しむ患者の死ぬ権利のために闘ったヒーロー」として
Kevorkian医師が描かれているように思えます。

同時に発表された、この映画の梗概にも、
an epic legal battles defending a patient’s right to die という記述があります。

また、サランドンが演じるのは
Compassion&Choiceの前身であるHemlock Societyの関係者。

問題提起のために自殺幇助のビデオをテレビ番組に送り世間から指弾されるK医師を
理解し、支え続けた女性が描かれることによって、

現在、米国中で合法化に向けてうごめき、
既に合法の州では自殺幇助件数を上げるために暗躍しているとすら思われるC&Cまで、
一緒に美化されてしまうのではないか、という懸念も覚えます。




Terry Shiavoさんを笑い物にするFoxのアニメ:The Family Guy

The Family Guyのサイトはこちら

サイトの情報には出てきていませんし、
予告ビデオも日本では見ることができないようですが、

以下のWesley Smithのブログ記事によると、
とんでもない場面があるらしいのです。

重度障害者のTerry Shiavoさん(彼女の映像から私には意識があったとしか思えません)は
既に他の女性と暮らしていた夫の「こんなになったら死にたいと本人は望んでいた」との主張により、
水分と栄養を断たれて餓死させられました。

2005年のこの事件は米国の生命倫理の歴史の中で非常に大きな出来事ですが、
そのShiavoさんが酷いヘイトスピーチのターゲットになっている。

Smithによれば、その場面はミュージカル仕立てになっており、

身体中が管だらけになったShiavoさんが描かれ、
そこに“夫”が出てきて She's a vegetable (彼女は野菜だ)というと、
それにコーラスが We hate vegetables! (みんな野菜は大嫌い!)と応じて
みんながどっと笑う、というシーン。

Shiavoさんの「マッシュポテト脳」がボウルに入れられて、
「the most expensive plant you’ll ever see とんでもなく高価な野菜」だと言われるシーンも。

Smithは、まず、Shiavoさんは自力呼吸ができ、管は栄養と水分の供給分のみだったので
いわゆるスパゲティ状態として描くこと自体が事実ではない、と指摘したうえで、

このヘイトスピーチはShiavoさん一人をコケにし冒涜するにとどまらず、
認知障害のある多くの人たちを貶め、彼らから人間性をはく奪し、排除する目的をもち、
それによって、抑圧と搾取と殺害へのドアを開こうとしている、と指摘している。

決して陰謀説を説くわけではないが、現在進行している医療制度改革議論と、
このような重症障害者への蔑視・非人格化の動きが無関係だとは考えない方が良い、とも。




これまで、当ブログが問題にしたハリウッド映画。


【7つの贈り物(臓器提供)】
ウィル・スミス「7つの贈り物」を見てしまった(2009/2/25)

2010.03.25 / Top↑
日曜日のNHKスペシャル「暗闇の世界」に対する、川口有美子さんの感想。:ALSについては、死の自己決定権の議論で何度も登場する病気でもあり、ある程度の知識はあったけど、それはただの頭の中の知識だったから、現実のALSの患者さんの姿をディテールごと克明に映し出す映像は衝撃だった。尊厳死についても「死の自己決定権」についても、まだ一般には何も議論されていないに等しい日本の今の段階で、こういうものが放映されることの危うさみたいなものを感じながら私は見た。一定の議論を積み重ねてきた関係者や専門家にとってはそれなりに考えさせる作り方だったかもしれないけど、ALSについても支援や介護についても知識のない一般の視聴者の大半は、強烈な視覚イメージから受けた衝撃の中で「自分がもしこうなったら、どうする? どうしたいだろう」という疑問と素朴に向かい合い、「死は自己決定権」に向かって誘導されただけなんじゃないんだろうか。そして、「重症障害者」の中には非常に多様な障害像が含まれるにもかかわらず、そういう人たちの頭の中では、TLSという非常に特殊な状況の悲惨とインパクトの強いALS患者の容姿とが、「重症障害者とはこういう人のこと」というイメージとして定着してしまったのではないんだろうか。
http://d.hatena.ne.jp/ajisun/20100322

米国小児科学会が医療制度改革法案の下院通過を支持。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/183046.php

米国で初めて試験管ベビー誕生を実現させ、生殖補助医療を緒につけたHoward医師のNYTインタビュー。現在の生殖補助医療は商業化されすぎている、と。
http://www.nytimes.com/2010/03/23/health/23prof.html?th&emc=th
2010.03.23 / Top↑
ここしばらくの間に、複数の方から
タイと日本での障害者への強制的不妊手術関連の情報を教えていただいたので、

前に当ブログで取り上げた
90年代のペルーで「家族計画」の名のもとに行われた強制的不妊手術なども含めて、
まとめてみました。

タイ

Inclusion Internationalのサイトにおける
日本の障害学の研究者、長瀬修氏の報告によると、

もともと女性の不妊手術が家族計画として一般に行われているタイで

知的障害のある女性の場合には、青少年期に
医療職がスタンダードな医療として親に勧めている、とのこと。

知的障害があると性的虐待の被害者になりやすい。
さらに「どうせ子育てもできないから」と親も考えるため。

しかし法的な根拠はない。

むしろタイは国連障害者人権条約に07年3月30日に最初に署名した国の一つであり、
知的障害を理由に行われる不妊手術は条約違反だと長瀬氏は指摘している。

of girls with intellectual disabilities in Thailand
Osamu Nagase,
Inclusion International, last updated January 8, 2008


知的障害のある女性が周囲に支えられて子育てする姿を描いた漫画
「だいすき!!」がタイ語に翻訳されたというニュースは知っていたのだけれど、
なぜタイ語で? という感じは漠然と抱いていた。

その背景に、まさか、こういう事情があったとは……。


日本

日本での実態はこちら
それから、もっと詳しいのはこちら

実際に強制不妊手術を受けさせられた障害当事者の方の体験と、
その方が実態解明と謝罪を求める活動を追ったビデオがあるようです。



ペルー

これらの情報をいただいて私が思い出したのは、前にエントリーにまとめた、
90年代のペルーでの「家族計画」としての強制不妊手術

フジモリ政権下で30万人の先住民女性に行われ、
日本財団からも資金が出ていた、というものです。


重症児の生理の不快回避と介護者負担軽減のための子宮摘出

これらの不妊手術の流れには、不妊目的ではないにせよ、
生理の不快や介護者のケア負担軽減を狙ったAshley事件やAngela事件での
子宮摘出も新たな動きとして加えておく必要があると思う。


⑤さらに、現在進行形の話として、G8において、途上国での母子保健支援で
「家族計画」として避妊と中絶が検討されているらしいこと。

上記の情報をまとめてエントリーに書こうとしていた今朝がた、偶然に拾った記事が以下。


途上国の母子保健施策として避妊や中絶を含めた支援キャンペーンが
G8で議論されることになっているらしい。

それに対するカナダ政府の見解についてのニュースなのだけれど、

カナダ政府の外相らが保守勢力に配慮して
中絶や避妊を含める支援計画への資金提供は論外だと発言したのに対して、
首相が、中絶を含める計画への援助は論外だが、基本的には
避妊も含めてオープンに考える、と修正した、という話。

Glove and Mailの元記事によると、
途上国への母子保健施策に「家族計画」を含めることについては
米国の世論も真っ二つに分かれているという。


ペルーの強制的不妊手術には国連人口基金や世界銀行などが関与して
「家族計画」として行われていた。

G8での動きは今のところ「避妊」と「中絶」なのかもしれないけれど、
それがペルーでの貧困層に対する強制不妊手術のようなことにつながる恐れはないのだろうか……。

途上国での母子保健といえば、
WHO、ユニセフとゲイツ財団の早産・死産撲滅キャンペーンGAPPAも思い起される。

そして、このキャンペーンにはAshley事件の舞台となり
現在もその倫理学者が父親と一緒にAshley療法の一般化に向けて積極的に動いている
シアトルこども病院も加わっている――。
2010.03.23 / Top↑
いずれ、出るだろうとは思っていましたが、

近親者の自殺幇助に関する法の明確化を求めて訴訟を起こし、
今回のDPPのガイドラインが作られるきっかけを作り、
また同時にアグレッシブに発言し続けている英国自殺幇助合法化キャンペーンの“顔”
Debbie Purdyさんが本を出版。


HarperTrue という出版社から4月1日発売。
ペーパーバックで304ページ。

Timesが出版を機に、Purdyさんにインタビューを行って記事にしています。

Purdyさんは、
いざという時に夫婦でスイスに行き、夫が無事に帰ってこれるように
7500ポンドまで使えるVISAカードを2枚用意していて、
ゼッタイに手をつけないことにしている。

去年の最高裁の判決がなかったら、
自分は半年前にDignitasに行って自殺していたと思うが、
あの判決のおかげで法が明確化され、いざという時には夫がそばにいてくれる、
自分が最後に目にするのは夫の顔なのだという安心感があるから、
死にたいとは全く思わない。

いつか、自分の症状が悪化して、このままでは耐え難くなりそうだと思ったら
まだ飛行機に乗れる状態のうちにスイス行きのチケットを予約するつもりだけれど、

今はまだMSの治療法が出てくるのではないかと期待しているし、
もしも新しい治療法が出てきたら真っ先に自分に試してほしいと思っている。

夫が「我々は人生を最大限楽しんでいます」と言うと
Purdyさんも「人生の旨みを味わいつくすのよ」と。



このインタビュー記事で、とても興味深いと思った発言は、

「MSと診断された20歳の時は絶望して、
車いす生活になるなんて、この世の終りだと思ったものだけど、
実際にそうなってみたら、人が思っているほど、ひどいものじゃないのよ。
ただ、低いところからものを見ることになるだけで」

多くの人は、病気になった当初の絶望からPurdyさんのように立ち直って生きていく。

実際にその状態に置かれている人にとって、障害がある生を生きるという現実は
他人が「ああなるくらいなら死んだ方がマシ」と勝手に想像している通りではない。

そのことが、もっと語られなければ、と思う。

多くの人はそうやって当初の絶望を乗り越えて生きていくのだというのに、
そこで「死の自己決定権」が認められてしまったら、
そのプロセスをたどる前に、一時の絶望ゆえに人の手を借りて自殺する人が出る。

事故により四肢マヒになって、
「障害者という2級市民として生きていくくらいなら死んだ方がマシ」といって
Dignitasに行って自殺した23歳のラグビー選手のように

適切な支援とゆっくりと自分を取り戻していく時間があれば、
十分にその絶望から這い出すことができたかもしれない人が、
その可能性にすら目を向けられないままに死んでいくことになる。

そして、社会がもしも20歳のPurdyさんのように
「車いす生活なんてこの世の終わり」
「重い障害を負うなんて死んだ方がマシ」と思い込んでいて
「実際にそうなってみたら人が思うほど悪くはない」ことに思いが及ばないならば、

そういう人を支援することよりも、
死ぬために手を貸してあげることだけが親切だということになってしまう。

その絶望を乗り越えられる可能性もあることを、誰も考えなくなってしまう。

2010.03.22 / Top↑
以下の本を読んだ。

定常型社会
新しい「豊かさ」の構想
広井良典、岩波新書

私なりの、著者に申し訳ないほど、がさつな言葉でいえば、
成長とか前のめりの前進とか能力だけを価値とするガツガツ文化からの脱却が提案され、
持続可能な福祉国家としての定常型社会をどうやって実現していくかが
考察されているのだと思う。

「環境税」とはいかなるものか、なぜ社会保障財源として環境税が妥当なのかについて
全く白紙状態だったので、なるほど~と、とりあえず思った。

(この程度の理解では、すぐに頭から消えてしまったので、
その内容までを説明できなくてスミマセン)

この本の内容については、正直、これ以上のことを書けるほど分かってはいないので、
ここでは、個人的に特に印象的だったこと、考えたことのみ。

広井氏の「これからは定住型社会に切り替えなければ」という主張は
当初、日本の社会保障のあり方という枠組みの中で進められるのだけれど、
今の世の中で、それは日本の中だけでどうにかなる問題ではないわけだから、
100ページめくらいから、この問題を世界に広げて見てみると、という話に移っていく。

で、

 現在、市場は国境を超えて一元化していく一方、社会保障を始めとした社会制度や意思決定は国家を単位として行われているという矛盾が拡大しており、「世界政府なき世界経済が創り出されている」(アーサー・シュレンジャー)という状況にある。……

 地球レベルの社会保障といっても、理念としてはともかく、現実には想像しがたい印象があるかもしれない。が、たとえばEUのレベルにおいては、まず格好の社会保障制度の調整ひいては部分的な制度内容の統一ということが進めれられているおり、……

 社会保障や福祉国家の問題を超国家的(supernational)なレベルで考える時代になっているということであるが、これはヨーロッパに限られたことではない。社会保障制度のあり方は、とりわけ経済のグローバリゼーションの中で、これまでのように一国完結型の問題ではなくなっているのであり、今後こうした傾向はますます強まっていくことになるだろう。……

 つまり、地球という大きなコミュニティ――地球という大きな“福祉国家”と言ってもよい――の中で、そこでの(人が生産する)富ないしパイの「大きさ」に関わるのが(地球)環境問題であり、そこでのパイの「再分配」に関わるのが地球レベルの社会保障ということになる。……
(p.107-109)


ここで書かれている「世界政府なき世界経済」というのは、
すっごく僭越なのだけれども、以下のエントリーで私が書いた世界観と同じじゃないだろうか。


広井氏が社会保障という視点から書いておられることを
科学とテクノの視点から書きなおしてみると、こういうことになるんじゃないだろうか。

私の世界観の方が圧倒的に悲観的だけど、
それは、広井氏がご自身の発言の影響力の大きさを
ちゃんとわきまえて書いておられるからに、たぶん、すぎないのだろうと思う。

そして、私は学者でも著名人でもないから、個人的な考えとして無責任に書いてしまうけど、

世界政府はなくても、また、いつ、誰によって任命手続きが行われたのか不明でも、
この地球国家で、厚生大臣だけは、すでに大いに活躍しておられる、とも思う。

我らが厚生相の「骨太の方針」も持続可能なグローバル“福祉国家”を目指すことだ。

誰も病気にならず、誰も障害を負うことのない世界――。
それに勝る保健施策が、一体どこにある――?

しかも、それを、ビジネスモデル・コスト効率重視で合理的にやろうとしている。
なにしろ、この厚生大臣は通産相兼務だもの。

NBIC各分野のテクノロジーが進めば、経済も活性化して、
社会保障なんて無用の、持続可能な超人類世界がやってくるじゃないか――。

ついでに、この厚生・通産大臣は財閥でもある。
グローバル福祉国家には、今のところ財務相を置くほどの歳入などないけれど、
財閥が大臣を2つも兼務しつつ、大きな財布から気前よくゼニも出してくれるとなれば、
まぁ、その人が財務相のようなものかもしれない。

縦割り行政も縄張り意識もないのだから、もちろん施策のフットワークは、とても軽い。

中国と言う名前の地方自治区域(この単位を国と称する)で、
どうも官僚が役立たずだと判断するや即座に中央厚生官僚を派遣して介入したりする。
もちろん潤沢な予算をつけて送り出すのだから、誰からも
「内政干渉だ」とか「国家の主権は?」なんて抵抗は起こらない。

こんな何もかも兼務の大臣が、財布を持って、フットワーク軽く策を敷いて歩いてくのだから、
いろいろ複雑な国家間の利害だって調整しやすいというものだ。

また、そのガマ口には「愛と善意」と大書してある。
愛とゼニ。最強の組み合わせだ。そんなの、誰も逆らえない――。



             ―――――――

ところで、広井氏のこの本の中には、
今まで聞いたことのなかった、極めつけの「コワイ話」が語られている。

 言い換えれば私たちは、この「高齢化の地球的進行」という点も視野におさめた上で、そろそろ世界全体が向かうべきある種の「収束点」、目指すべきゴールのようなものを考えていくべき時代に入っている。
(p.110)

で、そういう「収束点」のイメージを得るための参考として
著者が紹介しているのがドネラ・H・メドウズ他の「限界を超えて」という報告書。
地球社会の未来のシュミレーションがあるらしい。

それから、国連の長期予測推計で
世界の人口が現在の60億から2100年に112億前後に達して、
それ以降、安定するとされている一方で、現在のパターンだと、
2040年ごろ、世界人口が95億に達した時点で、
環境汚染、食料枯渇等により、破局を迎えるとされる」。

げぇぇっ。
知ってました? この話?

SFじゃなくて、現実の国連の推計ですよ。国連の。
その推計が、「あと30年」と予測している――。

ああ、そこで「死の自己決定権」なのか……。

そして、30年という時間は、もしかしたら、
今でもアフリカの各地にじわじわと広がっている
無政府状態に陥り、文字通りの弱肉強食が横行している地域が
グローバル化したネオリベ世界にさらに広がっていき、
そういう地域が一定の割合まで地球上を覆い尽くすのに要する時間として、
なんだか、とても説得力があるような気がする……。

そういえば、トランスヒューマニストの親玉に
Oxford大学のNick Bostromという人がいて、
この人が2002年に以下の論文を書いている。


実存的リスク:人類滅亡のシナリオと関与する危険ファクター

Hazardsが、うまく訳せませんが、
地球温暖化とか経済危機とか大量殺りくとか
人類を滅亡に導く現象や出来事などのことを言っています。

2007年のAshley療法論争の際にこの論文を知り、
いつか読もうと思っているうちに、もう2010年になってしまいました。

Bostromは世界トランスヒューマニスト協会の生みの親ですから、
科学とテクノによって人類を超人類に生まれ変わらせることによって
絶滅を防ごう、という結論になるのだろうとは思うのですが、
(Bill Gates氏は、TH二ストたちの間でも、もちろんヒーロー)

2040までに、早く読まなくては……。
2010.03.18 / Top↑
近くどこぞで国際会議を開くGAVIが、「ドナー」にその会議に来いよと呼びかけている、というニュースを読んで、「途上国にワクチンを……と活動するゲイツ財団、WHO、UNICEFや世界銀行やシアトルこども病院の面々が、なんで臓器を欲しがるんだろう、もしやしてワクチンの開発研究に?」と、ほんの一瞬だけだけど、考えてしまった。当たり前ながら、ここでは本来の意味の「お金をあげるドナー」。元々はそういう意味の言葉だったんでしたよね。いつのまにか「臓器を提供する」という行為がこんなに日常的なこととして定着していることに驚くと同時に、寄付してもらう立場の方が自分たちの会議にドナーを呼びつけるのかぁ……ということにも驚いた。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/182364.php

インポテンツは心臓病リスクを警告してくれているんだそうな。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8564181.stm

30までに禿げ始める人は将来、前立腺がんになる確率が低いらしい。:「AとBの間には相関があるのでは」と仮説を立てた人がいるから、AだったらBになる確率が云々という調査研究がある。それを考えると、上のインポテンツも含めてこういう研究って、面白いなぁ、と思う。男性科学者の間で、どういう研究がおこなわれているかを調べることで、心理学の研究になりそうな気がする。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8569826.stm

グルコサミン、コンドロイチンって、研究でのエビデンスはたいして良くないらしい。でも、売れている。患者さんたちが「効く」と信じている限り、売れる、ということらしい。:重症障害児・者の親には気になるサプリではあるけど、一番気に食わないのは、こういう話はたいてい、一定の期間、売れまくった後で出てくるということ。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/03/15/AR2010031502115.html
2010.03.17 / Top↑
前のエントリーの続きです)

文章の構成上の工夫に、事実を隠ぺいするマヤカシが仕込まれている

隠ぺいまたは情報操作が試みられているのは主として以下の点。

①けいれん発作は薬でコントロールされており、重い生理によって誘発されることは「可能性」として言及されているだけなのに、あたかも「生理によって頻繁に発作が起こっている」かのように思わせようとしている。

②多量の出血は初潮から間もなく収まっているし、貧血を起こしたのも1度だけであるにもかかわらず、「いつ起こるか分からない生理の大量出血で、既に何度もけいれん発作が起きている」かのように思わせ、「けいれんと貧血を止めるために、子宮摘出が唯一の手段」だと思わせようとしている。

つまり子宮摘出を正当化するほどの「健康上の問題は実は存在しない」という事実が
判決文の全体にはりめぐらされた巧妙な仕掛けによって隠ぺいされているのです。

分かりやすい個所を1点のみ、挙げます。

20. In November 2007, the bleeding appeared to have settled but Angela was anaemic and required iron treatment to bring her back into a range that was described as “normal”. Under a general anaesthetic, a medical procedure was undertaken because of the difficulty of doing anything with Angela because the Rett Syndrome. This an an Implanon procedure which was inserted into Angela but the following month showed no abatement of the problem. Various other treatments including oral contraceptive pills and Depo Provera were also tried but were found to be unsatisfactory.

2007年11月に出血は安定したと思えたが、Angelaは貧血になっており、正常と言ってもいい範囲に戻すためには鉄剤の治療を必要とした。全身麻酔での医療行為が、レット症候群のためにAngelaには何をするのも困難なため、行われた。これは、ImplanonがAngelaの内部に挿入される治療であり、その後の一ヵ月間に問題の軽減は見られなかった。その他、経口避妊薬とDepo Proveraも試みられたが、効果は不十分だった。

ほとんど意味不明の、ものすごく、奇妙な文章です。
This is Implanon……という前後などは、ほとんど小学生の作文並みに聞こえる。
でも、実は、これこそが仕掛けなのです。

まさか判事が書いた判決文に恣意的な誘導が仕掛けられているとは思いませんから、
この判決文を読む人はそれほど論理的に厳密な注意を集中して読むわけではありません。
恐らく無意識に単語やフレーズの流れから、先を予測しつつ読んでいきます。

例えば、ここでは
「貧血になった」→「鉄剤で治療が必要だった」→「全身麻酔の治療が必要だった」
と、流れが繋がっていきます。

すると「全身麻酔が必要だったのは貧血の治療だった」というふうに
たいていの人は頭の中で「貧血」と「全身麻酔の治療」とを繋げてしまう。

いわば、文章のサブリミナルですね。

しかも、検査数値が「正常範囲でなかった」だけのことなのに
“ノーマル”が引用符で強調されることによって、
“ノーマルでないほどひどい貧血”というイメージが想起されて
この子の貧血はただ事ではないぞ」とあらかじめ意識下にインプットされているので、

論理的に考えれば貧血で全身麻酔の治療なんかありえないのだけど、
ほとんど自動的に「貧血は鉄剤で一旦治ったけど、それだけじゃ済まなくて、
全身麻酔で治療するような、とんでもなく異常な貧血がその後も起ったのだ」と
読者の方で勝手に解釈してしまう。勝手に解釈してくれる。

だからこそ、読者のその勝手な誤解を生じさせるべく、
「貧血」について書かれた個所に、すぐ続くのは
「全身麻酔」と「医療処置」という言葉でなければならないし

いかに小学生並みの下手くそで論理展開のおかしい文章になったとしても、
それが何の治療だったかという真実は、後ろにもっていき、見えにくくされなければならない。

なぜなら Implanon は貧血の治療ではなく、「埋め込み型避妊薬」だから、です。

そこの肝心の説明をわざと省いて、
一カ月しても「問題の改善が見られなかった」といえば、
素直に読む人は「ああ、全身麻酔までして治療したのに貧血は治らなかったのだ」と読み
「問題」とは「貧血」なんだと、これまた勝手に思いこんでしまう。思いこんでくれる。

でも、避妊薬で貧血を治療することはあり得ないし、
もともと貧血は収まっていますから、貧血は「問題」ではありえないのです。

ならば、ここで「改善が見られなかった問題」とは本当は何なのか。

その後に続く、経口避妊薬もDepo Proveraも
貧血の治療薬ではありません。

「全身麻酔までしたImplanonで解消しなかった問題」の真相とは
「貧血」でも「けいれん」でもなく「生理があるという事実」それ自体

「全身麻酔で治療をしたけど一カ月しても軽癒しなかった」
「他の避妊薬を使っても満足な効果が得られなかった」とは、
ただ単に「生理を止めることができなかった」ということです。

でも、これは、とてもおかしい。

大量出血は初潮から間もなく落ち着きました。
貧血も一回だけで、治療は終わりました。

それなら、生理に起因する健康上の「問題」は解決されていて、もう「ない」。
つまり、生理を止めなければならない健康上の必要などないにもかかわらず
「生理をなくす」そのこと自体を目的に避妊薬が次々に投与されたのです。

じゃぁ、全身麻酔は何のためだったかというと、
おなかに埋め込み型の避妊薬を挿入するだけなんだから
普通だったら婦人科でちょちょっとできることなのだけど、
知的障害と不随意運動のあるAngelaの場合
「レット症候群のために、この子には何をするにも困難なので」全身麻酔でやりました、と。

経口薬だってあるし、注射もあるのに、それらを後回しにして、
最初に試みられたのが埋め込み型で、そのためだけに、
大きなリスクを伴う全身麻酔をやったという事実が
この親と医師の感覚について、何か重要なことを物語っていると私は思う。

しかも、その際には感染症を起こして術後1ヵ月間、大変なことになった。

そんな娘に、それでも、まだ、大した理由も必要もなく、とにかく生理を止めるために、
子宮摘出の開腹手術をやりたい、と言うのが
admirable で loving な Angelaの親であるわけです。

それらの事実を見えにくくしておいて
「多量出血による貧血」という「問題」を解決する「治療」として
いろいろやってみたけど子宮摘出が残された「唯一の治療」となったのだと、
事実と違う「読み違え」「勘違い」を読者にしてもらうための工夫が
細心の注意とずる賢さで周到に仕込まれているのが、
一見「むちゃくちゃ下手くそな悪文」としかみえない、この一節の真実。


また、もう1つ、ここに巧妙に仕組まれた仕掛けとして指摘しておきたいのは、
これ以前には「Angelaの生理は9歳の時に始まった」と年齢で書かれていたのですが
ここでは「2007年11月に出血が安定した」と時期で書かれていること。

Angelaは2010年の現在「もうすぐ12歳」なのですから
2007年の11月には9歳だったことになります。

9歳で始まって、どばどば漏れて不衛生だし、けいれんを誘発するのではないかと
母親をハラハラさせ、あれこれ検査しても原因不明だった「多量の出血」は
なんと9歳のうちに「安定した」のです。

それでは「多量の出血」が「生理を止めなければならない理由」にはなりにくいから、
その事実に気付かれないように、敢えて始まりは年齢で書き、出血量が安定したのは時期で書く――。

ちょっと考えてみてほしい。

これほど細心の注意を払って
まるで活字サブリミナルのような巧妙な仕掛けをあちこちにはりめぐらせて
事実から読者の目をそらせるための判決文を書く判事って……?


           ――――――――


実は、06年のGunther&Diekema論文にも、これと全く同じ
誰が読んでも「下手くそで論理的にも、ワケがわからない」センテンスがありました。

そして、そこにはもちろん、マヤカシがいっぱい仕込まれていました。
通り一遍ではない興味でこの事件を眺めておられる方、よかったら、比較してみてください。

詳細はこちらのエントリーに。
http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/9530359.html
2010.03.17 / Top↑
Angela事件の判決文については3月11日にこちらのエントリー2つで
問題点を主に5点、指摘しました。

その冒頭で私が『絶句……』と書いたのは、
あの判決文の異様さ、「普通でなさ」に、
“Ashley療法”論争の当初、06年の主治医論文を読んで感じた「普通でなさ」と
通じていく感触があったからです。

そこで、その後、さらに読み込んでみました。

1つ1つは、ほんの些細な言葉の挿入や、微妙な言葉の選択、
説明する事柄の順番の操作など、本当に目に見えにくい小さな工夫なのですが、
明らかにミスリードと隠ぺいの工作が行われています。

06年のAshley論文もそうだし、
07年の論争当初のDiekema医師の言い逃れもそうでしたが、
まったくもって「お見事!」と言う他ないほどの巧妙さ。

Diekema医師には生まれながらに類まれなペテン師の才があるらしいと、
私はAshley事件では感じ入ってきましたが、ここへきて、
オーストラリアの家庭裁判所の判事さんまでが
Diekema医師に肩を並べることのできるペテン師の才を発揮されるとは……。

なんとも、不可解なミステリー。

2つのエントリーに分けて書きますが、
このエントリーで主な類似の工作点を挙げ、
次のエントリーでは、「貧血」と「治療目的」をめぐる巧妙な仕掛けを
詳細に解き明かしてみます。


          ――――――

あえて事実関係が分かりにくいような書き方が工夫されている

一か所にまとめて整理するべき情報が、敢えて分散して説明されており、
特に「理由」に関わる事実関係が見えにくくされている。

(もちろん事実関係が詳細に見えれば、そこに正当な「理由」がないからです。
どのように「見えにくく、誤解を招くように」されているか、
その具体的な手口は次のエントリーで)

「どうせ普通の大人の暮らしができるような子どもじゃないんだから」が
子宮摘出を正当化する根拠の1つに使われている。

「本人の健康上の必要」と「QOLの向上」との巧妙な使い分け
「親の利益ではない」との説明と「親の利益は本人の利益と重なる」との説明の使い分け。

その「目的」が一度も明記されないまま、避妊薬の投与が
本人の健康上必要な治療だったと思わせるように誘導している
(事実は、健康上の必要などなく「生理を止める」だけの避妊薬投与。詳細は次のエントリー)

親の愛と献身が持ち込まれている。

Angelaの障害像の描写が誘導的で事実から目をそらせようとしている。

全文を通じてAngelaの障害について語られる際にはhas to という表現を多用。
「依存」が強調されると同時に、その依存に対してネガティブな価値評価が付加されている。

また、ここでも障害像の事実が分かりにくい書き方をされて、
それによって事実よりも「重く」「異常」なように書かれている。

例えば、よくよく読めば、
自分では「ちゃんと」食べられないだけで「自分で食べることは可能」とも読めるし、
ストラップでフレームに立たせてもらえれば、「立てる」もしかしたら「歩ける」ようにも読める。

「シャワーチェアさえあれば自分でシャワーを浴びることが可能」とも読めるのに、
まず「自分ではシャワーを浴びることができない」と書いたうえで、
「そのためには椅子が必要」と追加されて、
「椅子があれば可能」という事実が見えにくくされている。

一方、「協調(運動・機能)に欠けるので自分では何もできない」と書かれてもいるが
上記の誘導を排除して読むと、「何もできない」はウソだということになる。

「することが3カ月の赤ん坊のようである」という母親の説明が採用されている

支えがないと自分で立てなくて、自分で「ちゃんと」食べられなくて、
椅子に座らないと自分でシャワーができなくて、
言葉もサインも使えないけど、限られた意思疎通だけはできることを指して
「することが3カ月の赤ん坊のようだ」と母親が説明し、
それを判事が意味のある説明だと受け止めて判決文に含めている。

この専門的なアセスメントの不在と、その不在の容認・隠ぺいと、

医学的にも、したがって法的にも意味を持たないはずなのに
世間的にはアピール力のある「赤ちゃんと同じ」イメージが先行させられていることもまた
“Ashley療法”の正当化戦略と全く同じ。


次のエントリーに続きます)
2010.03.17 / Top↑
脳死でなくても、心臓の停止から、わずかな時間だけを待って臓器を摘出する
心臓死後臓器提供 donation after cardiac death (DCD)と呼ばれるプロトコルが
米国の医療現場でじわじわと広がっていることについて、
当ブログでは

障害者だからといって治療よりも臓器の保存が優先されたのに、
「心臓死後臓器提供DCD」という新しいプロトコルを採用したのだと主張して
担当医が無罪となったNavarro事件(2007年)や

心臓停止から75秒しか待たずに心臓を摘出するDenver子ども病院のプロトコルなどについて
情報を拾ってきました。

日本では、去年の脳死・臓器移植法改正議論の際に
森岡正博氏が朝日新聞で「ピッツバーグ方式」として紹介されました。
それを受けて、当ブログで書いた記事がこちら

このDCD、どんどん広がっているのだろうとは思っていましたが、
臓器を待っている間に死ぬ人が多いことから、臓器不足を解消しようと、
これまで臓器摘出は禁忌とされてきたERに広くDCDを導入するべく、
まずはERにDCDを導入した場合に、使える臓器がどのくらい手に入るものか、
その実行可能性を確認するプロジェクトが2つの病院で始まったとのこと。

いよいよ、きたな……という感じのニュース。

ERに搬入される外傷患者や心臓まひの患者など、
救命不能な患者から、潜在的ドナーを早期に選別して、
腎臓、肝臓、その他とれる臓器や組織をいただけるものかどうか、やってみよう、と

プロジェクトの舞台は、ピッツバーグで
Pittsburgh大学メディカルセンター(Presbyterian Hospital)と
Allegheny General Hospitalの2か所。

米国保健省から32万ドルの助成金が出ている。

DCDが、これまでICUや、
早くから患者の死が予測できて家族の納得も得られやすい病棟で行われてきて、
ERでの臓器摘出は禁忌とされてきた背景には、
救命行為と臓器保存行為との利益の衝突が倫理問題となることと、
ロジスティックの問題(人員の確保や移送、移送時間?)などがあった。

90年代に Washington Hospital CenterがERでDCDを導入したことがあったが、
やはりロジスティックの問題で諦めている。

しかし、今のままでは、
せっかく提供意思がありながら、死ぬ場所がたまたまERだったというだけで、
その意思を生かせない人が出てくるので、そういう人を help してあげるためにも、
臓器を待っている患者さんを help してあげるためにも、というのが移植医の言い分。
(順番は、記事での移植医の発言が、この通りで、ドナーをヘルプする方が先)

心臓が止まった瞬間から2分間待って、
臓器保存の処置に取り掛かるプロトコルだという。

記事冒頭にリンクした、Denver子ども病院の心停止後75秒での摘出プロトコルも
2008年に論文発表した際に批判が続出したため、現在は2分待っているとのこと。

プロジェクトの担当者は
対象となるのは運転免許証にチェックがあるか州にドナー登録している人のみで、
患者がドナーかどうかは死亡宣告の後にチェックする、
治療する医師と臓器を摘出する医師は別の人間とする、など
ちゃんと、セーフガードのステップは設けるんだから心配ない、と言うが、

様々な疑問や批判の声が上がっており、

・救命治療中の医師の頭に「この人はドナーになるな」という考えが浮かぶことになる。

・20歳の若者が町で撃たれて運び込まれて、
連絡を受けた家族が20分後に到着したとして、その時に、
「手は尽くしましたがダメでした。ついてはドナーカードをお持ちだったので、
臓器を採らせていただきました」といきなり言われることになるが
その場合、家族は「本当に手を尽くしてくれたの?」と考えるだろう。
(これは私がわりと好きな生命倫理学者の Art Caplan)

・死ぬ前から臓器の保存が優先されてしまうことはないのか。臓器ほしさに
手を尽くさずに死なせる、または死を早めることすらあるのでは?

・ERで死ぬ患者の臓器が、はたして移植の基準をクリアするのか。

・運転免許証で「臓器を提供しますか」とだけ聞かれて「はい」と答える人は
本当にその内容を理解しているわけではないし、
その意思表示がインフォームドコンセントだとは言えない。

・ポイント・オブ・ノー・リターンと判断されるまでに
CPR(心肺蘇生)をどれくらい続けるべきかのコンセンサスがない。
生き返る可能性は? その人の死亡時刻は蘇生終了時なのか、
それとも、それから2分後なのか?

これらの批判に対して、
プロジェクトの責任者でピッツバーグ大救急医療の准教授 Clifton W. Callaway医師は

「これは心臓死後の臓器提供です。心臓も打たない。呼吸もない。
死んでいる。臨床的に死んでいるんです。ここにある死は不明瞭ではない」

そして、2分待つとは言うけれど、実際には
摘出チームが来て準備をするのに最低15分はかかる、とも。

ちなみに、まだ使える臓器は1個も採れていない。



「死亡宣告の後でドナーかどうかチェックする」というのと
「2分間だけ待ってから臓器保存にかかる」というのと
「2分では到着しないから15分はかかる」というのとは、
現場では、一体どういうふうに進行するのだろう……?

心肺蘇生をやっている場面には、まだ摘出チームはいないはずだから
心肺蘇生をやっている救命医が
「“2分後”に備えて、免許証を探して、そこまで持ってきておいて。
でも、死亡宣告するまで、誰も見ちゃダメだよ」と誰かに命じるとか?

州にドナー登録を問い合わせる(それともインターネット?)だけでも
2分くらいは経ちそうな気がする。

「ご臨終です」と同時に、一人がさっとその確認作業にかかる、
すると、もう一人はさっと動いて院内電話のそばに待機するのかな。
摘出チームに連絡を取るために。

でも、そういう体制が組まれていること自体が死を待ちつつ救命している状況で、
そんなの人間の心理として両立するだろうか。

そして、ドナー登録があるということになったら、
看護師たちは臓器保存のための処置の準備に……本当にそれから取り掛かるのだろうか。
既に部屋の隅にでも準備されている点滴セットを取りに行く……のではないんだろうか。

そういうふうに具体的に現場では何がどう進行するのか、を考えると、
「救命医と摘出医は別の人物だからOK」と、きれいさっぱりいくのかどうか……。

それに、その2分間の間にかけた電話の、その瞬間に、
うまいこと摘出チームが電話の向こうでOK状態でいるためには、
病院のER以外の場所にいる移植医の元にだって、
それらしい患者が運び込まれてきたら、すぐ、その段階で、
どういう患者かというデータが送られていないわけがないような……。

診療科間のヒエラルキーとか、医師同士の力関係とか、経営サイドの姿勢もあるだろうし、
あ、もちろん病院間の競争とか、国際競争とかもあるわけだから、

そしたら、やっぱり搬入段階から
なんとなく、暗黙の了解・阿吽の呼吸で、そっちの方向に進んでしまう……
なんてことは本当にないのか……。

Navarro事件(冒頭にリンク)を振り返ると、
障害児・者や身寄りのない人たち、貧困層などに、どういう扱いがされるのかは
たまたま運び込まれた病院の文化次第……ということになるのでは?


2010.03.17 / Top↑
前から補遺では何度も追いかけているように(エントリーにまとめられるほどの詳細までは把握していませんが)、70年代からアイルランドのカトリックの聖職者らによる児童虐待が教会幹部や警察までがグルになって隠ぺいされてきたことが明らかになり、大問題になっていますが、Sean Brady枢機卿が1975年にBrendan Smyth師の性的虐待の被害者となった2人の子どもたちが他言しないとの誓約書を書かされた際に同席したことを証言。:大人の政治的事情によって、子どもたちが犠牲になっていく。私に言わせれば、オーストラリアのAngelaだって、大人の政治的事情の犠牲者だ。自分の思いつきを広めたかったり、ついやってしまったズルの隠ぺいのために、または権力者に取り入るために、成長抑制や子宮摘出の第2例目、第3例目を必要としている大人がどこかにいるために、身体を侵襲されていく子どもたちがいる。
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/world/ireland/article7061540.ece

Aberdeen大学の研究で、避妊薬のピルを長期に飲んでいる女性はがんや心臓病で死ぬ確率が低いという結果が出たそうな。でも、よく読んでみると、「たばこをやめて、血圧をチェックして、検診をちゃんと受けていれば」という話であって、「短期的にはリスクは上がります。でも、長期に飲んでいれば、そのリスクはなくなります」。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/scotland/north_east/8563606.stm

子宮がんのたいていのタイプの原因となるHPV感染を家庭で簡単にチェックできる検査がオランダの研究者によって可能となり、現在英国で臨床実験中。:ってことは、こちらの検査が普及すれば、HPVワクチンは不要に? 
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8562727.stm

発達障害の代替え療法として「行動オプトメトリック」なるものが出てきたらしい。:いろいろ出てくる。というか、たぶん新規に認定されることになった資格にとって、その「専門性」をアピール(でっちあげ?)するために、とりあえず利用しやすい対象なのかもしれない。あ、米国の話です。日本のオプトメトリストさんへの批判ではなく、以下に続く日本語情報も、「オプトメトリックってなんぞや」を知りたい人のためのリンクですから、念のため。
http://www.nytimes.com/2010/03/14/magazine/14vision-t.html?th&emc=th
それぞれ、日本語で、オプトメトリストのページ
日本オプトメトリック協会

糖尿病の薬物予防療法(2種類)の治験で、2種類とも効果がないことが判明し、「ハイリスクの人は運動と食事に気をつけるのが一番。“簡単解決”なんか、ありません」と研究者。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8564197.stm

「戦場における兵士にも守られるべき人権がある」という、今は亡き兵士の母親の訴え。:確か、前に英国でも、十分な兵器や装備を持たずに戦場に送ることは兵士の人権侵害だという話があったような気がする。
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/uk/article7061805.ece

Obama大統領が月へのミッション削減の決定をしたのに対して、アポロの元乗組員が「そんなことをしたら米国の宇宙開発には壊滅的だ」と批判。:これは、本当に素朴にずっと疑問なのだけど、地球上にいる人間がまともに暮らしていけない事態になっているのに、なぜ宇宙開発に巨費を投じることに疑問の声が出ないのだろう。私に考えられる解は、宇宙開発技術は実はそのまま軍事技術の開発でもあるから、ここの国際競争で負けると国家間ではなく、もうちょっと広い陣営間での脅威のアンバランスが起こるから。または、本当に地球はもうもたないから、いずれ本気で月にでも人類大移動を起こす可能性が人類規模のプロジェクトとして探られている。後者は、この前見た映画(加齢のため、名前が出てこない。ほら、あれです、あれ……)の影響かもしれない。あの映画では「箱舟」に乗れる人は遺伝子で選別されてたっけ。あと、超富裕層。ある医師が「金ならあるんだ」とポケットに手を突っ込んで、「アンタに払えるような額じゃない」と言われた時に、続くセリフが確か「ビル・ゲイツとか、そういう人にしか払えないような金額なんだよ」だった。そう。いわゆる世界人口の1%のスーパーリッチだけが、いつか地球を捨てて行く……そのための宇宙開発であり、科学研究であり、人類改造NBIC計画か? 本当は?
http://news.bbc.co.uk/2/hi/science/nature/8565243.stm
2010.03.15 / Top↑
9日の夜、Sydneyの駅にいた車いす使用のカナダ人男性(35)が
10代の男の子2人に襲われた。

2人は、男性に近づいて、最初は言葉で脅していたが、
男性が彼らから逃れようとエレベーターに乗ると、追いかけてきて顔面を殴り、
男性がその勢いで後ろに倒れて車いすから転がり落ちると、足蹴に。

また金属パイプで頭や体を殴った。
車いすから取り外した金属パイプまで使って。

所持品と車いすを奪おうとも。

男性は頭がい骨陥没の重傷を負い、病院に運ばれた。

Teens stomp on man in wheelchair: police
The Canberra Times, March 10, 2010


2人とも捕まったと読める個所もあるのだけど、
1人はまだ逃亡中のようでもあり、そのあたり、よく分からない。

しっかし、イヤなニュースだ。

見失って、探す気力がイマイチ湧かないのだけど、
米国のどこかの町で静かに一人暮らしをしていた、
知的障害のある温厚な男性(中年だったか、けっこう高齢だったか)が
何年も町の子どもたちの嫌がらせのターゲットにされて、
そのあげくに心臓まひを起こしてなくなったというニュースも先週末にあった。

最近、こういうニュースが増えている。
大人たちが弱い者に対して力任せの言動でかさにかかっていく空気を
子どもたちが敏感にかぎ取っているのでは、という気がする。


2010.03.15 / Top↑
アップしたつもりで、アップしていなかったことに気付いたので、遅ればせながら。

一番最初の、英国の前保健相Hewitt氏の発言に、
自殺幇助だけでなく慈悲殺まで含まれていることが気になる。

【自殺幇助関連】

英国の前保健相のHewitt氏が、自殺幇助と慈悲殺に関する法律の見直しに、特別に委員会を設置するよう発言。:この人は、前も合法化を支持する発言をしていたけど、今回は「慈悲殺」も含めた。どういうつもりだ? 前保健相ですよ。もう、どの国も本音は国民にさっさと死んでほしいって? じゃぁ、アンチ・エイジングとか予防医療の施策は、その本音とはどういう関係?
http://www.telegraph.co.uk/news/newstopics/politics/lawandorder/7414688/Patricia-Hewitt-Royal-Commission-needed-to-look-at-assisted-suicide-and-mercy-killing-law.html

1998年に夫の「慈悲殺」で有罪判決を受けたViki Woodさん(67)が3月5日、Dignitasにて自殺。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/england/devon/8561918.stm


【Ashley事件関連】

ワシントン大学IHMEのGlobal Burden of Disease プロジェクトが、電話調査を行っている。いろんな病気や障害が人々の健康に及ぼす影響を調べるというのだけど、どうも、電話で、いろんな病気や障害名を挙げて、それに対してどう思うかを問うという調査みたい。「ああ、その病気にだけはなりたくないですねぇ」とか「そういう状態になるくらいなら死んだ方がマシ」とかいう発言を拾うのかなぁ。こういう調査の意図とか、結果がどういう使われ方をするか、ものすごく気になる。だって、IHMEですよ。DALY提唱者のMurrayが所長で。実質的にはGates財団の施設WHOだと科学者たちに言われているIHME。本物のWHOだって、DALYを採用するGates財団のオトモダチだ。
http://www.healthmetricsandevaluation.org/surveys/gbd_phone_2010.html


【その他】

米国の慢性期病院で高齢患者の死亡が多発していることから、上院の財務委員会が監査強化を決定。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/181773.php

オーストラリアの看護協会などが、高齢者ケアを選挙の争点にしようと頑張っている。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/181810.php

糖尿病の患者とアルツハイマー病の患者2人のゲノムが完全解析された。これらの病気の原因になった遺伝子を特定するため。現在は1人「たった5万ドル」で可能。でも、今後数年のうちには、もっと安価に提供できて、もっと確実に医療に生かせる情報提供が可能になる、と研究者。:なんか、発症していなくても、特定の遺伝子があったら、もうその病気になったかのように扱われそうだ。遺伝子決定論ともともと還元主義的な医療とは、やっぱり、とっても親和的なんだろうなぁ……。
http://www.nytimes.com/2010/03/11/health/research/11gene.html?th&emc=th

群馬大学の研究者らの論文で、子どもを甘やかしていると、子どもの脳の発達が遅れて、精神障害のリスクが高まりますよ、と。ちゃんと読んでいないけど、昔、発達障害が親の育て方のせいにされていたことと、こういうのとは、どこか違うんだろうか。
http://www.canberratimes.com.au/news/local/news/general/pamper-the-child-slow-the-brain/1773335.aspx?src=enews
2010.03.15 / Top↑
3月12日のエントリー
「どんなに重い障害のある子どもでも、一定の年齢になったら親元から独立して、
それぞれにふさわしい支援を受けながら、それぞれの形で自立して暮らしていける社会」と、

「そのような社会に向けて、
子どもも親もステップを踏んで自然に親離れ、子離れができるような支援」について
書かせてもらいました。

こういう言葉で書いたのは初めてですが、
これまでいくつものエントリーで書いてきたことを、ここでまとめた、という面もあるので、
私自身の総括メモとしても、これを機にこれまでの関連エントリーを
一度、整理しておこうと思います。

なぜ親が一番の敵にならざるを得ないのか、
親が一番の敵にならなくてもすむ社会と、そのための支援のあり方について
自分なりにぐるぐるしてみた過程のようなエントリーたちです。


【Ashley事件との関連で介護について考えたこと】



【障害のある子どもの親のナラティブ(語り)として書いたこと】



【私が考えさせられた他の親・介護者のナラティブについて書いたこと】



【障害のある子どもの子育てや介護一般について考えたこと】



【こうあってほしいという支援の在り方について考えてみたこと】



【英国の介護者支援について書いたエントリー】



【その他の国の介護者支援について】

2010.03.15 / Top↑
病院が主張する呼吸器取り外しに抵抗して両親が訴訟を起こしていた
カナダの重症障害新生児Isaiah君のケース。

3月11日、両親はIsaiah君の状態について中立のセカンドオピニオンに関して
裁判所のヒアリングに出席することになっていたようなのですが、
キャンセルされ、両親がIsaiah君の呼吸器の取り外しを決断。

11日午後、Isaiah君は両親の腕に抱かれて息を引き取ったとのこと。

そのセカンドオピニオンとして
2月に彼を診察したのはVictoria General Hospital の新生児神経科のRichard Taylor医師。

手足を動かすことはできるし体重も増加しているが、
脳の反射はなく、自力呼吸は無理、とし
両親にIsaiah君のMRIを見せて、正常児のMRIと比べて見せた、とのこと。

「Isaiah君が回復することはない、体の動きは脊髄反射によるものと思われると
両親に話しました。
彼は生きている限り、呼吸器をつけたままでしょう。
回復することはないなら、生命維持装置はもはや適切ではないと意見の一致を見ました」



もちろんIsaisah君については具体的な詳細がわからなければ
なんとも言いようがないのだけれど、

病状が回復する望みがないなら、生命維持装置は外すのが適切――。

これが一人歩きして、いつのまにか「無益な治療」のスタンダードにでもなったら・・・・・・?
と考えると、背筋にいろんなものが走る。


2010.03.14 / Top↑
Angelaちゃんの子宮摘出が認められたことをうけ、
Queenslandの全ダウン症候群協会会長でリベラル派の州議会上院議、Sue Boyce氏が
検察に対して行動を求めた。

今回の家庭裁判所の決定を「21世紀に理解不能」
「障害のない11歳の少女から子宮が摘出されたら、全てのオーストラリア人があきれ返るはず。
障害があるからと扱いを変えることは完全に差別的で非人間的」と。

ただ、主任検事のMcClelland氏は
「子どもが重大な医療を受けることに
強い懸念を持つ人が地域にいることは認識しているが、
決定は子どもの最善の利益に沿って行われるもの。
必要な事項を考慮し子どもの最善の利益を検討する権限は
家庭裁判所が与えられている」として
介入には消極的。

1992年のMarion訴訟において
侵襲度の高い医療では裁判所の命令が必要で、
その際には家裁が子どもの最善の利益で、とした高裁の判断については、

しかし「最善の利益」はどうにでもなる、との批判も。

2002年に前・障害者差別コミッション Elizabeth Hastings氏は、この決定について
「法は身体の統合性に対する基本的人権を保護しそこなった」と。

A-G urged to act on sterilisation
The Australian, March 13, 2010


家裁が「最善の利益」で決めた、といったって、
主任検事さんには、あの判決文を読んでからにしてほしいわ。

「権限のある判事の私が、親と医師の言うとおりだと思ったから
それ以上の検討は無用。はい。判事として認めます」

それだけですよ。あの判決内容は。

それから、この事件の関連ニュースを何本か読んで、とても気になるのは、
障害のある子どもの要介護状態を表現する際にメディアが、いちいち
「食べさせてもらわなければならない」
「歩行器にストラップで固定してもらわなければならない」
「乗り移る際には誰かにサポートしてもらわなければならない」など
「・・・・・・してもらわなければならない」という表現を使うようになっていること。


2010.03.13 / Top↑
Ashley事件を知った時から、事件や周辺の諸々を追いかけながら考え続けているのだけど
複雑だったり微妙だったりして、なかなか言葉にならなくて、
これまで思い切って書く勇気が持てずにきたことがあります。
今でもまだ、誤解を受けずに伝わるように書ける自信があるわけではないのですが、

また新たにAngelaちゃんの子宮摘出が認められてしまったニュース
それなりに闘ってきたつもりだった3年間を振り返って悔し涙がこぼれてしまうわ、
ああ、もう、これは、どうにもできない勢いなんだ、止められないんだ……と
絶望しそうな気分にはなるわ……を経て、あの奇怪な判決文を読んだとたんに
今度は憤りで逆に頭が冴え返ってみたら、

じゃぁ、「この勢い」って、いったい何の勢いなんだ……? ということを考え始めて、
そしたら書いてみないではいられない気分になったので。

Ashley事件に象徴される、「この勢い」の一端にあるのは、
科学とテクノロジーで可能になった諸々を背景にして
大人が子どもに、親が子どもに及ぼす支配力の強まりと広がり。

遺伝子診断や救済者兄弟をはじめとするデザイナーベビーもそうだし、
障害新生児の治療拒否もそうだし、ロングフルバース訴訟とか、慈悲殺擁護論の高まりも
そこに含まれるのではないでしょうか。

そして、親から子への支配を科学とテクノによって強めていく方向へと
強力に世の中を変容させていこうとする、この、ものすごい勢いは、
「親の愛と献身」という、これまでも散々使い古されてきた神話を盾に、
ゴリ押しで突き進もうとしているかのように感じられます。

そういうことを今回のオーストラリアの事件で改めて考えると、私の思いが戻っていくのは、

07年のAshley事件が、なぜ私をこんなにも捉えて離さないのか。
なぜ、あの事件が私には、どうしても目をそむけて通れないほど、重く、大きいのか、という問題。

3年前Ashleyの身に起こったことを知り、衝撃を受け、身体を震わせて憤った、あの時に、
私自身が、障害のある子どもを持つ親として、ずっと目をそむけてきた事実と直面させられたのだと思う。

障害児・者と親(家族)との間には、本当は避けがたい利益の衝突があり、
実はそこにあるのが支配―被支配の関係だという事実と、です。

我が子を施設に入れることを選択した自分にAshleyの親を批判する資格があるのか、と
この3年間、Ashley事件と向き合う中で、私はずっと自問し続けてきました。

たまたま事件のウラに気付いたのが私で、それを実証してくれる人が他にいなかったから
他に何の武器も持たない私が、こういう形でやるしかなかっただけだし、
資格があろうとなかろうと、とにかく黙っていられなかっただけでもあるのだけれど、

施設に入れることを選択してしまった親がAshley事件を批判することの意味を
ずっと考え続けることによって、私は批判する資格を得ようとしていたような気がします。
このあたりのことは、まだ、うまく表現できません。また改めて言葉にしたいと思います。

ともあれ、そういう問題意識のあり方でAshley事件を追いかけてきた私が、今、Angela事件で
親から子への支配を強めようとする力がとめようもない勢いになろうとしていることを思う時、

障害学や障害者運動の人たちにお願いしたいと思うのは、こういう時だからこそ、
障害児・者と親の関係を「親は敵だ」といった対立関係で考えることを
いったん、外してみてもらえませんか、ということです。

うちの娘にとって自分は一番の敵なのだと、私は本当に、痛切に、そう思います。

施設に入れた決断だってそうだし、今だって、娘は自分があそこで暮らしたくて、施設にいるわけじゃない。
自分が帰りたいと思った時に家に帰ることを許されるわけでもない。

管理でガチガチの師長が許せなくて、施設中を大騒ぎにして闘って、
自分では「子どもたちの生活を守った」つもりだったこともあったけど、
いろんな意味で娘は結局、私の闘いの一番の被害者だったのかもしれない。

他人との暮らしで母親よりもよっぽど世知にたけたオトナになって
「もう、この子は一人で生きていけるよ」と言われるほど成長しているのに、
それでも「今の世の中に残して逝けるものだろうか……」と勝手に気をもんでいる私が
彼女の敵でなくて何だろう、と、心底、思う。

でも、それは「娘にとって私は一番の敵だという面は確かにある」ということであって、
「全面的に敵である」ということでも「敵でしかない」ということでもないと思うのです。

言い訳でしかないのかもしれないけど、
20年前の日本に、レスパイトサービスがあり、ヘルパーさんがいてくれたら、
私たち親子には、もしかしたら、別の暮らし方もあったのかもしれない、と思う。

全身を火の玉のようにした、すさまじい号泣に夜通しさらされて
汗だくになって、必死で抱き、あやし、ゆすり、夜中の町を車で走り続けて、
ろくに眠れないまま仕事に行く日が続いていた頃に、
もしも週に1晩だけでも娘を安心して預けられるところがあったら
私たち夫婦は、おそらく、その一晩の眠りを支えに、他の日を頑張り続けることができたような気がする。

寝込んでばかりいる幼児期の娘と一緒に狭い家に連日閉じ込められて、
ろくに手伝ってもくれない人たちから責められ続けて、
私の心がじわじわと病みつつあった娘の幼児期に、
もしも、誰かが家事だけでも手伝いに来てくれたら、
「私を助けにきてくれる人がいる」という、ただ、そのことだけで、
私にはものすごく大きな救いになったような気がする。
そしたら、私たち親子の生活にも他の形があり得たのかもしれない、と思うのです。

私には「親が一番の敵だ」という障害学や障害者運動の人たちの主張が、ものすごく痛い。

去年も、ある雑誌の記事の中で、施設に入れるのは家族が決めることだ、と訴える障害当事者の方が
「家族が一番の敵だ」いわれたのを読みました。

活字を目にした瞬間に、小さな矢でも受けたように本当に目に痛みが走るほど、痛いです。

それは、本当にそうだと思うし、逃げようがない真実だから痛いのだけれど、
同時に、「でも、それだけじゃない」と、その痛さの中から、どうしても言いたいこともある。

「親は施設に入れるから敵だ」という言葉の裏には、しかし、
親なら施設になど入れず、支援が十分なくたって、どんなに自分がボロボロになっても
介護するのが当たり前だろう、という無意識が隠れてはいないでしょうか。

障害を社会モデルで捉えるように、
親の様々な思いや行動もまた、社会モデルで捉えてもらうことはできないでしょうか。

「親は一番の敵だ」で親をなじって終わるのではなく、
「親が一番の敵にならざるを得ない社会」に共に目を向けてもらうことはできないでしょうか。

私は、Ashley療法に象徴されるような形で
親の支配を強化してこうとする「この勢い」に抗うためには
障害を挟んで親と子が対立関係から抜け出す意識的な努力が必要なのでは、と
まだうまく表現できませんが、この3年間で考えるようになりました。

Ashley事件では「ここまでする親の愛」vs「イデオロギー利用を狙って邪魔立てする障害者」という
対立の構図が意図的に描かれて、世論誘導に使われました。

「重症児は、自己主張できるような障害者とは違う」「親と障害者運動との断絶の大きさには唖然とする」
「障害者運動の活動家の方が親以上に子どものことを分かっているとでもいうのか」と
Diekema医師は繰り返しました。

確かに、親と子どもとの間には利益の対立と支配―被支配の関係があり、
障害がある子どもでは、その対立と支配の脅威は圧倒的に大きいと思います。

しかし、
利害の対立があり、支配―被支配の関係が避けがたいことを認識したうえで、
それでもなお、そこを乗り越えていくために、同じ側に立って、共に考える、ということも
可能なのではないでしょうか。

「この勢い」に対して「それは違う」と、
同じ側に立って、共に声を挙げていくことも可能なのではないでしょうか。

私がこの3年間で考えるようになったのは、「どんなに重度な障害がある子どもでも、
一定の年齢になったら親元から独立して、それぞれにふさわしい支援を受けながら、
それぞれの形で自立して暮らしていける社会」を共に求めていくことはできないだろうか、ということです。

AshleyやAngelaやウチの娘のような重症児・者や、
今、行き場がなくなってベッドふさぎのように言われ始めている超重症児も線引きすることなしに。
もちろん、なるべくなら、家族や友人のいる地域で。

そういう社会を目指す支援があれば、親も少しずつ子どもを抱きかばう腕を解いて
他人に託してみるという経験をすることができる。そして、
「ああ、それでも、この子は大丈夫なんだ」と発見するステップを
上手に踏んでいける社会であれば、親もいつまでも抱え込まなくて済む。
親が抱え込んだあげくに連れて死ぬしかないと思いつめる悲劇も減るのではないでしょうか。

「親が一番の敵」という対立の構図から、
「親が子の敵にならないでも済む社会」「子も親も自然に親離れ子離れができるような支援のあり方」という
新たな広がりのある地平へと、一歩を踏み出して、親とも一緒になって
差別や人権侵害と闘う障害学とか障害者運動というものが、

英米から科学とテクノと、その御用学問である生命倫理との包囲網が
こんなにも激しい勢いで狭められていく今の時代に抗うために、ありえたらいいなと、

障害のある我が子にとって自分が一番の敵だという面があることを自覚したからこそ、
むしろAshley療法を批判し、それを通して訴えたいことが山のようにある、
そういう私には、たぶん、正面からAshleyの親を批判する資格があるはずだと、
やっと思え始めている親の一人から、

今の段階では、まだ、こういう言葉でしか表現できない
「障害学や障害者運動の人たちにお願いしてみたいこと」でした。

【追記】
その後、関連エントリーをこちらにまとめました
障害のある子どもの子育て、介護一般、支援について、これまで書いてきたこと(2010/3/15)
2010.03.12 / Top↑
施行されてから12年のOregonの尊厳死法について
3つの重大な問題が統計を引いて指摘されています。

精神科の診察が必要な人がそのままスル―状態で自殺させられている。

2009年に同法で幇助自殺した人が59人だったことは
こちらのエントリーで紹介しましたが、この記事によると
その中の誰ひとりとして、精神科のアセスメントが必要だとされていない、
過去3年間で精神科のアセスメントに紹介されたのは
自殺希望者総数の1%に過ぎない、とのこと。

この点については去年、州保健局からも懸念が表明されており、
08年の志願者の25%がうつ状態だったことから考えると、
1%しかアセスメントを受けていないというのは問題が大きい。

ほとんどのケースにCompassion & Choiceが関与している。

12年間の総件数のうち、C&Cが関与したケースが78%もある。
08年だと、88%に関与。09年には97%、59件のうち57件に関与している。

限られた医師だけが致死薬を処方している。

2001年から2007年の7年間に1人もしくは複数の患者に
同法のもとで致死薬を処方した医師は109人。

Oregonで現役活動中の医師が約10000人なので、
わずか1%に過ぎない。

また、このままだと109人が271件の処方箋を書いた計算になるが
実際には271件のうち61%は01年から07年の7年間に起こっており、
その7年間の処方箋はたった20人の医師によって書かれている。



これは、つまり、
C&Cがせっせと死にたい人を探しては、
ぴたりと張り付いてゴールまで「支援」をし、

その「支援」では、
C&Cの息のかかった、ごく少数の医師が、
C&Cが連れてくる患者を受け入れて、せっせと処方箋を書いている……ということ。

精神科に紹介される人が少ないことの背景は、そういうことでしょう。

Brown首相の「合法化はやめておこう」という呼び掛けを
「OregonやWashingtonでちゃんと機能して弱者が守られているのに
同じことが英国人にできるとは信じないのか」と即座に叩いたDebbie Purdyさんは、
こういうのを知らないのでしょうか。

……あ、あの人は自分たち夫婦以外のことは目に入らないんだった。

……てか、彼女には、もう何年も前からC&Cがべったり張り付いてるさね。
2010.03.11 / Top↑