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北京オリンピック・パラリンピックのボランティア向けガイドブックに関して
障害者に関する形容がステレオタイプに満ちて差別的であるとの批判が起きていた問題で、

障害のある選手の説明に「不適切な言葉」があったとして
英語訳のガイドブックの一部が削除されましたが、

本部責任者 Zhang Qiuping氏は
「恐らくは文化の違いと翻訳ミス」として謝罪はしなかったとのこと。

しかも中国語のガイドブックには、
いまだにほぼ同じ説明が残っている、と。

Beijing withdraws advice on disabled
AP, International Herald Tribune, May 29, 2008

お役所が自らの差別意識に無自覚なまま、
自分らの身を守るための差別防止啓発をやるとこうなるという
見本みたいなケースですね。

しかし、中国の障害者や関係者からの抗議の声というのは
起こらないのでしょうか。

文化の違いだから? まさか。
2008.05.31 / Top↑
前回のエントリーで紹介した実験映像で
サルの姿がなぜあれほどリアルに
「世界中で大人に踏みつけにされている子どもたち」と重なってしまったのか、
その後、思い当たったので。

英米のニュースを読んでいると
世界中で子どもたちはこんなにも不幸なのか……と胸が痛むニュースが多く
なんとはなしに気にかかって目に付いたものをいくつかメモしていたのですが、
そしたら、ほんのわずかの間にこんなに溜まってしまった。

①英国の女の子の3分の2に自傷行為の経験があり、

②英国のティーンの4分の1が「ハッピーじゃない」と感じていて、

③病気入院中の子どもたちに安易に使われる鎮痛剤や鎮静剤]によって
退院後に幻覚を見る子どもたちが報告されていたり、

④これはもうずいぶん前から警告されていることだけれど、
子どもたちに安易に使われる抗ウツ剤によって子どもの自殺が頻発しているけど、

⑤これまでも当ブログで取り上げてきたように
子どもに安定剤飲ませすぎても
製薬会社はデータ隠蔽してゼニ儲けのことしか考えてないし、


⑦格差の広がるインドでは5歳以下の子どもの半数は必要な医療を受けることができないでいる。

⑧英国の養護施設の敷地内からずっと昔に埋められたと見られる子どもたちの遺体のカケラが
大量に発見されたことから発覚したスキャンダルとは、
施設職員らが保護すべき子どもたちに暴行し性的虐待を行い、
その挙句に殺して遺体を切断したり焼いたりして埋めた、という恐るべき話だし、

⑨英国の空港や大きな港の周辺で施設や里親家庭で保護されていたはずの外国人の子どもたちが
400人以上も姿を消していることが判明したかと思えば、
その多くはドラッグや性的搾取が目的の人身売買ではないかと見られている。

⑩スーダン、象牙海岸、ハイチなどへ海外から平和維持活動や人道支援のために派遣される大人による
現地の子どもたちへの性的虐待があまりに目に余るので
監視のシステムが必要だと子どもの保護団体が訴えている。

⑪以前のエントリーで紹介したように、
先進国のゴミ捨て場にされた象牙海岸ではカネのためにゴミを漁る貧しい子どもが健康被害にあったし、

ナイジェリアでは「魔女狩り」という名目で
大人たちが寄ってたかって子どもたちに自分たちの鬱憤を晴らしているけれど、
それを扇動しているのはキリスト教会だ。

⑬それから、これから読もうと思って最近買った本の前書きによると、
奴隷制なんて歴史上の事実、過去の話だと思っては大きな間違い。
ILOの試算では現在のこの世界には少なくとも123万人の奴隷がいて、
世界中で女性や子どもが売買されている、とのこと。


子どもたちは、もはや大人の欲望を満たす道具に過ぎないのでしょうか。

世界をこんな場所にしてしまったのは、
もっと頭がよく、もっと健康に、もっと長生きに、もっと便利にもっと効率よく、
もっとパーフェクトな子どもを、もっと金持ちに、もっと、もっと……と
肥大する一方の大人の欲望なのではないでしょうか。

特定の能力に優れていることだけに価値を認め、
強い者の肥大する欲望を満たすためには、弱い者たちを養っていく金はもうないのだと
障害児・者や高齢者、力弱い者を切り捨てていこうとする世の中の価値観は、
グローバリズムや新自由主義やトランスヒューマニズムや功利主義やパーソン論や生命倫理や
みんな根っこでつながっている。
そんな、あれやこれやが回りまわって絡まりあって、
世界を子どもたちにとってこんな惨い場所にしてしまった。

これほどの子どもたちの不幸を前に、
50年後にスーパー人類になることが、そんなに大事でしょうか、

大人たち──?
2008.05.30 / Top↑
また、この手のニュース。
また、この手のニュースにすっかり御馴染みの「パーキンソンもアルツも治せる!」
ここでは、それに「たぶん精神病も!」まで、さりげなくくっついている。

簡単に言えば
サルの脳をコンピューターと繋いだらロボットアームがサルの思い通りに動いた、として
ピッツバーグ大学医学部の研究者がその精密度の向上に胸を張り、
脳とコンピューターのインターフェイスはバラ色の未来かも~! という話。

よくよく読むと、例によって
あくまでも「かも~」という程度の話なのですが。



で、さらに、よくよく読むと、
「我々は精度を上げましたよ」と胸を張る主任研究者が言っていることの順番がヘン。
しゃべっている順番ではなくて、彼の言葉に伺われるコトの優先順位が、
まぁ、ホンネが露呈しているのだろうけれども、ものすごく、ヘン。

この研究はやがては脊損や四肢切断患者用の人造腕の開発に役に立つ。
     ↓
とりあえずの目標は、マヒで全く感覚のない人に人造の用具を作ること。
     ↓
最終的な目標は脳の複雑さをより良く理解すること。
     ↓
脳の理解が進めば、パーキンソンや麻痺などの脳障害を治療することができるようになる、
  最終的にはアルツハイマーも、たぶん精神病ですら治療が可能になるだろう。

誤解しては多分いけないと思うのですが、①と②で言われていることは、
人造腕の話というよりも実は脳とコンピューターのインターフェイスのことで、つまり脳の外科手術の話。
それが、なんで③よりも前にくることができるのか。
ここのところが私にはどうしても理解できない。

じゃぁ、脊損と四肢切断の患者は脳を理解するための実験資材なのか?

「思い通りに動かせる手を作ってあげよう」と脳に手を加えられる患者のリスクについて、
この研究者が一体どういう姿勢でいるか、この順番に如実に現われているのでは?

しかも興味深いことに、この実験結果を評してある病院の教授が言っているのは
「この研究は脊損や四肢切断の患者が人造四肢を自分の脳で使いこなすことのできる日を
 SFの領域から科学の事実へと近づけた」

──ということは、
②ですら、まだまだ科学的な事実よりもSFの領域に近い話というわけですね。

さらに③から④の間にどれほどの距離があるかと想像してみたら、
先端テクノロジーのニュースに必ず出てくる「パーキンソンもアルツも治せる!」って、
巨額のお金を費やし、リスクも倫理的な問題も無視して実験を推し進めるための
免罪符に使われているだけではないのでしょうか。

無責任に病気をあげつらっては今にも治せるようになるかのごとく言いなして、
患者や家族に偽りの夢を煽るのもいいかげんにしてもらいたい……という気がする。

           ――――――

上記リンクのBBC記事からは実験の映像が見られます。
言語は無関係な映像なので、ぜひクリックしてみてもらいたいのですが、

これ見ていると、私はじんわりと心の底から悲しくなった。

この実験にはどれだけ巨額の資金が投入されているのだろう……。
そして、今後も投入され続けるのだろう……。

まともな医療を受けることができない無保険者が4700万人もいて、
保険がないために基本的な医療すら受けることができない子どもが10人に1人、
貧しい患者は病院が車に乗せて貧民街の路上に捨て去っていくような国で、
この実験が進められているということ──。

それって、どこか、おかしくないですか?

去年、メディケイドの対象にはならないものの医療保険は買えない層を支援する
「児童の医療保険プログラム」(S-chip。97年創設)制度が期限を迎え、
それを期に対象拡大を望む声が多くの州知事らから上がりました。
しかしブッシュ大統領はそれらの声をはねつけ、むしろS-chip予算をカット。
それよりも税金で優遇してやるから民間の医療保険を買えよ、といってね。

そういうことを考えながら、この実験映像を見ると、サルの痛々しい姿と寂しげな目が
世界中のいたるところで圧倒的に強い力を持つ大人たちに抵抗する術もないままに
踏みつけにされている非力な子どもたちの姿に重なって、たまらなく悲しい。
2008.05.30 / Top↑
「このために自分は生まれてきたのだ」との使命感を持ち、
これまでに102人の自殺を幇助してきた牧師 George Exoo――。

彼のクライアントの多くは末期の病気を抱えていたわけではなく、
ただのウツ状態で、本来は精神科医療が必要だった人たちだったとされています。

当初は死を選ぶ自己決定権を支持する立場で Exoo の取材を始めたJon Ronson記者は
6年間の取材を通じ、その実態やExoo師の言動に触れ、
さらに助手のSusan(仮名)が安楽死の商業化を明言するに至って、
「これが滑り坂でなくて、一体なんだ?」と。


2002年
アイルランドの首都ダブリンの借家で女性の死体が発見されます。
女性の名はRosemary Toole。当初はうつ病による自殺と思われましたが、その後、
死の前日に空港で2人の米国人を楽しそうに出迎えていた、
その晩はホテルのバーで3人が愉快に酒を飲んでいたとの目撃情報が寄せられ、
捜査が開始されました。
女性の死と同時に姿を消した2人の米国人は George Exoo と助手の Thoams McGurrin。
アイルライドの法で裁かれて、自殺幇助の罪で14年の刑を言い渡されました。

2003年
前年のアイルランドの事件で取材を開始したRonson記者は
慢性疲労症候群を患っていて死にたいというクライアントに会いに行くExooに同行。
面談で、師は相手の言うことをすべて受け入れ、
精神科受診を勧めることも自殺を思いとどまらせる努力も一切しません。
「自分が生まれてきたのはこのため。自分は死の産婆。
クライアントには寄付をお願いするが、もらえなくても仕方がない。
カネはないが、これは自分の使命。
1990年代から今までに102人の自殺を幇助した。」

2004年
アイルランドの警察が FRI に Exoo の逮捕と身柄引渡しを要求します。

Ronson記者は Exoo によって呼び出されて、
シアトルで開かれていた世界の積極的安楽死アドボケイトの集まりに。

70年代に英国で末期がんの妻の自殺を助けようとした体験を本に書いた元新聞記者 Derek Humphry や
オランダの安楽死アドボケイトの Pieter Admiral などが毎年一回集まって、
自殺方法に関する情報交換をしているとのこと。
この時 Ronson記者が2人に取材している内容は震撼ものです。
Admiral は「Exoo は人が死ぬのを見ることに悦びを感じている、危険だ」。
現在は米国オレゴン州に住んでいる Humphry からは闇の安楽死事情が語られます。

積極的安楽死を提唱している人や団体には情報提供や幇助の依頼が舞い込むが、
ターミナルな状態でないことを理由に断ってもしつこく食い下がる人がいる、
そういう時に Exoo の名前を出して逃げる者がいるのだ、と。
「それ、あんまりでは?」と Ronson が問うと
「まったくね」と Humphry。

その後もFBIはExooを逮捕することなく、
師は米国内でターミナルではない人の自殺を手伝い続けます。
そして

2007年春
Ronson のもとにExooから1本のビデオが届きます。
遠くの地で毒薬を飲もうとしている女性に Exoo が電話で指示を出して
自殺を完遂させているビデオですが、
Exoo はまるで聞き分けのない子どもを叱り付けるような強い口調で
最後のためらいを見せているらしい相手に毒薬を飲み干すことを命じます。
相手が無言になって5分後、彼はカメラに向かって
「終わった。こういうふうにやるんだ」。

2007年5月
Exoo は自分が逮捕されたり逮捕を避けて自殺する場合に備えて
助手の Susan にノウハウを引き継ぎ始め、
それを知った Ronson が Susan の家を訪ねます。
Susan と Exoo の出会いは Hunphry の話を裏付けるものです。
自殺したいと思って死ぬ権利を提唱している団体に電話をかけた際に
どこも助けてはくれず、粘った末に「闇なら」と教えてもらったのが Exoo の電話番号。

結局自殺を思いとどまった彼女は Exoo の勧めで助手になるのですが、彼女は
Exoo が報酬を払えない人まで自殺させてやることを批判的に見ています。
そんなことをしていたら行き詰って、自分の方が死にたくなるだけだ、と。
そこで Susan は Exoo に内緒で闇の安楽死ビジネスを始めました。
「金額さえ折り合いがつけば誰でも手伝う。7000㌦でやる」と。
いずれは Exoo の顧客リストをそっくり受け継ぐつもりです。

一方、この日 Susan の家に現われた Exoo は
生活費を稼ぐために銀行所有になった不動産の転売の仕事をしていました。

Ronson から「滑り坂だ、やめられなくなる。こんなことはやめるべきだ。
使命だといいながらあなたは人の死の瞬間にい合わせたくて自分のためにやっている。
結果的にはあなたが自殺をそそのかしているのかもしれない」と
批判されたExooは激昂し、
「そんなことは1度もなかった。何年も死にたいと思って死に切れなかった人ばかりだ」。
それが事実であることは Ronson も認めざるを得ないと書いていますが。

その数週間後、FBI が Exoo を逮捕。
さらにその数週間後、Susan はニュージーランドに飛んで
インターネット・サイトで知り合った女性の自殺を幇助します。
やはり自殺する権利を提唱する団体から支援を断わられた女性でした。


2007年10月25日
Exoo は West Virginia、Charleston の連邦判事によって釈放されました。
合衆国50州のうち25州において自殺幇助が犯罪となっていない以上、
アイルランドの検事が Exoo をダブリンで裁くことは許されない、と。

その後、Ronson はそれが最後と決めて Exoo に会っています。
その時に Exoo は2007年春のビデオが実際の幇助場面ではなく
相手のいない電話での演技だったと明かします。

Ronson の記事のむすび。

あのテープが偽装だったなんて、Exoo は愚かなことをしたものだ、自殺するべきかどうか考えている人に決断させる人間が、そんな小細工をしてはいけない。6年前に初めて Exoo に会った時に私が一番好もしく感じたのは、彼の自由意志論的な、一匹狼的なところだったが、それは実際には彼の最も案ずべき資質だったのだ。


ダブリンでの事件については
International Task Force on Euthanasia and Assisted Suicideが取りまとめたものがこちらに。
2008.05.29 / Top↑
積極的安楽死・自殺幇助といえばJack Kevorkian医師の名前が頭に浮かびますが、
“闇の安楽死”を行っているのはKevorkianだけじゃなかった──。

闇で自殺幇助がここまで広がっているなんて、知らなかった。
これが犯罪にならないのは、なぜ──? 


NZで初めての商業安楽死ケースが警察に持ち込まれたというニュースなのですが、
自殺幇助を依頼したのは処方薬への中毒で麻痺とうつ症状があった女性で、
末期の病気があったわけではありません。

自殺幇助を請け負ったのは、あるアメリカ人女性で、
12000ドルの報酬でAucklandへ飛び女性の自殺を幇助したとのこと。

「外国の番組」で「ビジネスだから値段さえ折り合えば誰でも死なせてあげる」と
言ったとされるこの女性は、
米国で闇で安楽死を請け負っているとして有名なGeorge Exoo牧師の助手。

彼女はNZの安楽死アドボケイトのLesley Martinにもメールを送ったとのことですが、
Martinはメールの内容に激怒しており、
「この事件の依頼者女性が必要としていたのは
死ぬ手助けではなく生きる手助けだった。
いわゆる闇の安楽死など、この国には不要だ」と。

この記事で取り上げられている「外国の番組」とはthe Guadianのことのようで、
検索してみたら、
過去6年間に渡ってGeorge Exoo師とこの助手の女性Susan(仮名)を取材してきた
Jon Ronson記者が5月12日に長い記事を書いていました。

この記事については次回にまとめてみます。

      ――――――

ちなみにNZのLesley Martinは
1999年に末期がんの母親に致死量のモルヒネを投与して安楽死させ、
有罪判決を受けて服役した後に、その体験を本に書いて
自ら選ぶ安楽死の合法化を提唱している女性。

Lesley Martin jailed for 15 months
The New Zealand Herald, April 30, 2004

彼女が積極的安楽死の合法化に向けてグループを立ち上げた経緯や
安楽死を巡る思いを判決の1週間前に発表した文章がこちら。

Lesley Martin: My Trial, Your Trial …
By Lesley Martin, Scoop, March 10, 2004
2008.05.29 / Top↑
フロリダの幼稚園で
アスペルガーではないかと診断途上の男の子が、
保護者から学校サイドにそうした情報が届いていたにも関わらず
クラスの子どもたちの投票によってクラスを追い出された、と。

以下のCBSニュースの母親のインタビュー・ビデオとニュース記事によると、

幼稚園クラスの教師がAlex Bartonくん(5)をみんなの前に立たせて、
クラスの子どもたち1人1人を指名しては
「Alexのどこが嫌いか」を直接本人に向けて言わせ、
次にAlexがこのクラスにいてもいいかどうかを問うて投票とし、
14対2の多数決で彼をクラスから出した、というのが
少なくともこのインタビューでの母親の言い分。

教師は間違ったことをしたと考えていないと学校側が突っぱねたので、
母親は学校の苦情を受け付ける担当者に届けを出し、
現在、スクール・ディストリクト(日本の教育委員会にあたる)が調査中。

ただし州の検察局は、事件は子どもの心理的虐待には当てはまらないため
犯罪とはならない、と結論。

今のところ表に出てきているのは母親の一方的な言い分のみなので、
事件の事実関係は曖昧なままですが、

日本でも最近、
知的障害や発達障害のある人たちの“問題行動”に対して、
本人の自覚の欠如や親や周囲の躾の不足のせいだとする無理解や
“邪魔もの”扱い、“めいわく”視が目に付くような気がするので、
ちょっと気になる記事でした。



2008.05.28 / Top↑
パーキンソン病の震えなどを抑制する効果が確認されて
世界中で4万人が電極を埋めているというDBS(脳深部刺激療法)
うつ病の治療に有効かもしれないとして実験が進められており、
こうした実験で展望が開ければ、
将来は頭部外傷患者やイラクからの帰還兵にも応用できそうだ、と。

Brain Pacemakers Tested For Depression
The USA TODAY, May 26, 2008


とはいえ、現在のところ実験資金も限られており、
(ほとんどは電極製造会社から出ている)
系統的な実験が行われるに至ってはいないし、
今の段階では何も断定的なことはいえない。

(最近の「このハイテクがすごい!」的ニュースって、
 読んでみると実はこの程度の話が多いですね。
 しかも、詳しく触れられるのは効果がありそうだという症例の話だけで、
 効果がなかったケースについて出てくるのはせいぜい症例数程度。
 もしかして副作用や失敗の例は闇に葬られているのでは……と勘ぐってしまう。)

DBSの世界的権威であるThe Cleveland Clinic's Center for Neurologic Restrationの
Ali Rezai医師などは
「我々はいろんな意味で脳の配線をやり直しているということです」と。

もちろん、今の段階で安易な適用には慎重を呼びかける人もあり、
The National Institute for Mental HealthのDr. Wayne Goodmanは
DBSは非常に侵襲度が高く実験的な医療であり、
厳選された患者への最後の手段である、と。

Goodman医師が懸念するのは、
効果と副作用とを慎重に見極めずに多用するには時期尚早なのに、
DBSの電極そのものは広く出回っているので、
きちんとした訓練を受けていないセンターが4万ドルもするこの手術を
精神科の患者に実施し始めるのではないか、という点。


去年、どこまで広がるDBS(脳深部刺激術)?のエントリーで
上記Rezai医師がDBSの精神疾患への応用を考えていることが
新たな形での安易な精神外科医療の復活につながるのではないかと懸念しましたが、
やはり、その通りになっているのかもしれません。

もしかしたら先端技術の臨床応用の情報は
敢えてフライング気味に流されているのでは、と思ってしまう。

「この技術がすごい!」、「将来はこんなことも可能!」などと
すぐにも夢の技術が実現するかのような大騒ぎで患者サイドの夢をかきたてて
それによって患者側にニーズを無理やり創出し、
患者のニーズと自己選択をいいわけにすれば、
安価で広範囲な人体実験ができるから……?



   ===       ===       ===    

この記事を読んで思い出したのですが、
夢の素材としてあらゆる方面に用途が広がっているナノ・チューブに
アスベスト並みの発がん性があるかもしれぬ、とWPが報じていました。


様々な用途に利用されているナノ・チューブに直接的に触れる人だけでなく、
製造過程で空中に飛散するナノ・チューブ・ダストに長年さらされる人も危ないらしい、
という研究結果が報告された一方で、

技術開発や商品化には巨額の資金がつぎこまれても、
健康や安全に関する研究に回される資金はわずかにその5%だといいます。

そのリスクに対する無神経には、唖然。

「この技術がすごい!」と夢ばかり描き、その実現に向け前に進むことばかり、
早く進むことばかり……というのはいいかげんにやめて、
しっかり安全を確かめながら、ゆっくり進んだっていいんじゃないでしょうか。

せめて、「バラ色の未来は近い!」的、フライング情報に踊らされないようにしたい。

「50年後の人類がスーパー人類へと変貌を遂げているためには、
今の人間一人ひとりの健康や命などコラテラル・ダメージに過ぎない」なんて考えている人がいる。
そういう人たちによって、使い捨て実験資材にされないために。
2008.05.28 / Top↑
北京オリンピック・パラリンピックの公式ボランティア・ガイドが
障害者を説明する文言で批判を浴びています。

ボランティアが障害者に対して非礼な態度を取らないように、
障害者への理解をもってもらおうとの気持ちからだというのは明らかなのですが、
ガイドを作成している側からして偏見でコテコテだということが
図らずも露呈してしまっている。

例えば

身体障害者は多くの場合精神的には健全で、感覚も反応も記憶や思考も他の人と変わらないが、奇形や障害のせいで変わった性格になっていることがある。

例えば、身障者の中には孤立して人と付き合わず内向的な人もいるし、身障者が自分から進んで人と接しようとすることは少ない。

身障者は意固地で指図がましい(controlling)こともあるし、傷つきやすかったり、人を信用することが難しいこともある。

時に彼らは過剰に自己防衛的であり、特に「かたわ」とか「不自由」などと呼ばれたときにはそうなる。

(ボランティアは絶対に)彼らの体の変形している部分をじっと見る(ようなことをしてはならない)。

上からものを言ったり子ども扱いするような態度を取ると、敏感に察知する。それは脳が損傷している患者でも同じ。(手足が自由にならなくても、視覚と理解力は他の人と変わらない。)

多くの人と同じく身障者もボディ・ランゲージがわかる。

話をするときは敬意を持って。

冗談にも「かたわ」とか「ちんば」などの言葉を使わないように。

障害者は防衛的だったり、強い劣等感を抱いていることがある。

人生がもたらす多くの困難にもかかわらず、多くの障害者は誇りを持ち自立している。

ボランティアが介助する際には平等と相互尊重の気持ちで。


翻訳の問題かも知れぬとか、中国の文化の特性を云々して
「政治的に正しく」と力んだあまりのことだと擁護する声もあるようだし、

まぁ、気持ちは分かる、分かってあげたい、気持ちだけは分かってあげましょうよ……とは思うものの
これは、ちょっと、やっぱり不快感があるよなぁ……。

……というか、日本の「障害者差別はやめましょう」式教育や啓発にも時々あることだけど、
実は「自分たちを守るための障害者差別の抑止や防止」を考えているだけという人がいて、
そういう人たちがこういうガイドを作ると、こうなってしまうんじゃないかなぁ。



China cops flack for its Games disability guide
AAP, The Canberra Times, May 27, 2008

【追記】

その後、続報がありました。

2008.05.27 / Top↑
前のエントリーで紹介した最相葉月さん主催の生命倫理問題サイトLNET
04年の文科省の総合科学技術会議を取材していた最相さんが
ヒト胚の研究利用に反対の立場を明確にしたことから
中立の立場でサイトの運営はできなくなったとして
その後、更新されていません。

別の形でリニューアルを検討中と著書には書いてありましたが、
その後、京大の山中教授チームによるiPS万能細胞作成の成功を受けて
「ヒトクローン胚の医療応用という夢が幻想となった」とし、
11月22日にLNETで以下のように書いています。

人クローン胚の医療応用という夢が幻想となったこの10年とは、科学は決して社会的な理解を無視しては発展しえないということを誰もが強く認識するに必要な時間だったのでしょうか。「受精卵は人か否か」という言葉でクローン技術の人間への応用に至る経緯をウォッチングしてきたLNETですが、今後その必要はなくなりました。リニューアルを予告しておりましたが、本日、更新終了を決定いたします。

私も京大とウィスコンシン大のブレイク・スルーで
研究利用の目的でヒト胚を作って廃棄することの倫理問題の議論には終止符が打たれたのだと
これまで考えていたのですが、

(去年の秋、ブッシュ大統領もカトリック教会もそう言って
山中教授チームの快挙を歓迎したのではなかったっけ?)

どうにも、わからない……。

5月21日の朝日新聞に「ヒトクローン胚作り 年内にも解禁へ」という
小さなニュースが掲載されていて、
わが国で、難病研究の目的に限ってヒトクローン胚の作成が認められるという話。

「04年に総合科学技術会議が限定的に容認する方針を決定し」て
その後文科相が関係者らの話を聞きながら「検討してきた」のだそうで、
この文脈には去年のiPS万能細胞の快挙なんて存在しないかのようで……。

体細胞からでも作れるなら倫理問題は解消したといいつつ、
やっぱりヒトクローン胚から作るんですか──?

じゃぁ、倫理問題、ぜんぜん解消していないこと、ない──?
2008.05.27 / Top↑
「いのち 生命科学に言葉はあるか」を読んだ時に覗いてみた
最相葉月さん主催の生命倫理サイトが大変面白かった。


(ただし更新はすでに終了)

ただ、
このサイトに情報提供で協力してきた専門家サポーターの座談会において、
日本での着床前遺伝子診断について
一般国民を巻き込んだ議論をするべきかどうかという点で、
日本国民の知識も判断力もまだ充分ではないから
医療者としては、そっとしておいて欲しい
専門家の間でまずは議論すべき
などと発言される方が複数あったのが
ちょっと気持ちに引っかかったままになっている。

確かに最相さんの「いのち」を読んでも、このサイトを読んでも、
自分の知識不足や意識の低さを痛感して恥じ入るばかりだし、
私もAshley事件では“世論”の危うさを感じてはいるから、

もちろん専門家同士がどんどん議論してくれることは大切なのだけれど、

その反面、ある意味で専門家の“狭さ”にも
専門家って実はモノを知らないよね……と言いたいような危うさがあるという気がする。

それに「専門家に任せておけ」、「そっとしておいてくれ」というのは、
やっぱり、その専門家意識のあり方そのものに
何か非常に危険なものが潜んでいるような……。

専門家は、どんなに鈍くても世論に訴えかけていく努力を続けるべきだと思うし、
特に国家や権力や利権を握っている人たちの利益になる情報が、
彼ら強い者の利益になる形でのみ流されがちで
都合の悪い情報は隠されたり、ゆがめられて伝えられているようにも感じられる現在、
そのように表に出てきにくい情報を掴んでいる専門家こそ
それを世論に投げかけてもらいたいと思うし。

最相さんのサイトの意図も
生命倫理に関する正しい情報を広く一般に知らせて
議論を喚起することにあったと思うので、

何らかの形でこのサイトが再開されるといいなぁ……と。
2008.05.27 / Top↑
オーストラリアの生殖補助医療で精子と卵子の提供者不足により、
それらの調達を患者が米国からの輸入に頼らざるを得ず、
中には精子に1000㌦も取られている患者もいるとして、

リーズナブルな報酬として精子に100㌦、卵子に250㌦程度を支払ってはどうだと、
Chanberra不妊治療センターの医療部長Stafford-Bell医師が提唱しています。

Plea to pay egg, sperm donors
The Canberra Times, May 23, 2008

金銭授受を伴わない愛他的な提供はオーストラリアでは急速に死につつあると
同医師が嘆く背景には、
オーストラリアでは愛他的な精子・卵子の提供の際には
生まれた子どもが18歳以上になった場合に自分を訪ねてきてもよいと
同意する必要があるとの事情があり

同医師は

このままいくと、次には
子どもが提供者を探し出しやすいように、
オーストラリア人の精子・卵子しか使用できないという規制が敷かれるだろう。

もう何年も行われているスタンダードな医療なのに
ごくごく基本的な医療をオーストラリアの夫婦は受けられないなんて、どうかしている。

(金銭で報酬を払おうとの提案は物議を醸し、
貧しい人からの搾取につながるとの批判が起こるだろうことは覚悟の上だが)

この世の中、誰だって選択をしている。
一体なんだって卵子や精子の提供だけは選択できないんだ?
報酬の支払いを批判するなんて、狭量すぎると思う。

一方、オーストラリア不妊ネットワークAccessの代表者Sandra Dillさんは
金銭で報酬を支払ったからといって提供は増えないのではないかという見方を示し、
提供者が増えないのは手間や犠牲に100㌦もらうかどうかという問題ではなく、
むしろ自分の子どもたちと血のつながった兄弟を世に送り出すことになるという問題。
教育キャンペーンで呼びかけるのがよい、と。

          ―――――

そういえば、マイケル・クライトンの小説「NEXT」の中に、
ある日突然たずねてきた若い女性に自分はあなたの娘だと名乗られる
医者だったか弁護士だったかの話がありました。

彼はそんな覚えはないとつっぱねるのですが、そのうちそういえば
ずうっと昔の学生時代にアルバイト感覚で精子を売ったことを思い出し、
しかし、それは親としての責任をもたらすものではないし、そもそも
自分が大学生だった時代にはIVFで生まれた子どもにはドナーを探す権利など
今みたいに認められていなかったのだと説明してやるのですが、
相手は「あなたを訴えると知らせに来たのだ」と思いがけないことを言います。

何で訴えるというのかはネタバレになるので差し控えますが、
確かに「あっ、なるほど~」と唸ります。
この時代なればこその理屈として通っている、と思う。

ハイテク時代の最先端を生きているつもりだったこの男にして、
時代は既に先へと進んでいて、男の価値観はこの娘の時代からは既に取り残されているというか、
ハイテク時代の価値観が、それ自身によって復讐されるというか、
めいっぱい皮肉がきいたエピソードです。

そんなふうに時代が先へ先へと移ろっていくに連れて
人間のすることには必ず間違いは起きるし、間違いやちょっとした食い違いが起きた時に
今のハイテクの世の中ではどういうことが起こってしまうのかという実例をなんとも多彩に描いて、
実に楽しめる、そして同時に怖くもなる本でしたが、

話を上記のニュースに戻して、
金銭報酬を批判するのは狭量だというなら、
精子や卵子をただの治療資材のように考えることこそ、あまりに軽率・浅薄なのでは?
2008.05.26 / Top↑
5月22日の朝日新聞の「私の視点」欄を読んで、混乱した。

成蹊大学の英米法の教授が
代理出産の原則禁止は過剰規制だと主張しているのだけれど、
その論拠がことごとく「アメリカでは……」。

「これ(代理出産の原則禁止)がどれほど過剰な規制か、米国と比較して考えてみたい」と
最初から断ってあるだろう、と言われればその通りなのだけれど、

しかし、

米国では多様な立場を尊重して規制内容も州ごとに多様なのだとか
米国で代理出産契約を禁じる州は3つしかないことから
日本の発想がいかに極端なものかがわかるとか
ニューヨーク州ではこうこうで、日本との差が大きいとか、
出産女性を母とするルールも「米国各州で支持を失った古い考え方である」とか
米国では単身者でも代理出産を依頼できる州まであるのだから、
非婚化が進んでいる日本でも考えるべきだ、とか

明らかに、これは単なる「比較」ではなくて、
米国を世界のスタンダードとして据えて、日本は遅れていると主張するトーン。

それは、まるで
「欧米では」、「アメリカでは」というモンクが
後進日本人一同を問答無用で平伏させる(力があったかどうかは知らないけど)ニュアンスで使われていた
ひと昔前みたいな口調のように感じられ、

米国の生命倫理といえば「過剰にリベラル」で、
日本の多くの“専門家”や“研究者”の間でアメリカはむしろ
「生命倫理や背景のバイオ利権の横暴が懸念される国」の代名詞となっているものだとばかり
私は思い込んでいたので、

そういうアメリカの生命倫理の方向性という大きな絵の中に代理母の法規制状況を位置づけることをせず
米国の代理母規制の現状だけをスタンダードとして日本の制度を論じるというのは
(日米の文化の差を考慮の外において比較すること以前に)いくらなんでも暴挙なのでは……?

……と、つい考えてしまったのだけれども、

もしかして米国の生命倫理は世界の中でも突出してリベラルだというのも、
それが専門家や研究者の間で共通認識になっているというのも
実は私の全くのカン違いだったのか……。

それとも、英米法の専門家は法律だけを研究しているので、
その他のことについては知らないのか……まさか?

……ものすごく混乱してしまう。

それにしても、この人はいずれ
「アメリカには無益な治療を停止する権限を法律で病院に認めている州がある」とか
「アメリカには医師による自殺幇助を合法化している州がある」とかも
同じような口調で言うつもりのかなぁ……

        ―――――――


私はモノを知らない一般人なので、
米国の代理出産事情については、
この人が書いていることを鵜呑みにして
つい「へぇぇ」と感心してしまいそうなのだけど、

その頃ちょうどWashington Postの代理出産関連記事にもやもやして
5月の初めからプリントアウトをずっと机の上においては時々眺めていたところだったので、
その記事の関連部分を読み比べてみたら、この教授とのトーンの違いが面白かった。

いくつかの州では代理母が自身の卵子を使用する代理出産を禁止している。ニューヨークとユタを含めて、他の多くの国々と同じく代理出産を全面禁止にしている州もある。DCでは、Jamieの契約による代理出産は1万ドルの罰金と1年間の禁固刑を受けていた可能性があるが、カリフォルニア、マサチューセッツ、メリーランドの3州では、子どもを産んでもらう夫婦の名前が出生証明書に記されるよう、夫婦の遺伝上の子どもを妊娠している代理母には妊娠中に親権を放棄することを認めている。

またヴァージニアの州法(94年)では
・代理母は結婚していること、結婚している夫婦の遺伝上の子どもであることが必要。
・エージェンシーは代理母をリクルートしてはならない。
・赤ん坊の売買を避けるために、代理母が受け取れるのは補助的な生活費のみ。
・遺伝上の母親はDNA検査の結果を届けて、子どもの出産後に自分の名前を入れた出生証明書を発行してもらうことができる。

モノは言いよう……ということでしょうか?
2008.05.26 / Top↑
「いのちの贈り物を分かち合う:
 “試験管ベビー”のJamie Thompsonは2重に恵まれている: 
 彼女を愛する両親と優しい代理母がいて」
というタイトルのWashington Postの記事を。

代理母が依頼者の子どもを出産したのが偶然に彼女自身の誕生日だったから、
それ以後の14年間、娘Jamieの誕生パーティを代理母と彼女の子どもたちと
一緒に祝っているという依頼者一家の話で、

代理母はベビーシッターをしたり、卒業式など学校行事に参加したりと
産んだ子どもの成長過程にも直接関わって本人といい関係を築いているし、
両家の子どもたちはみんな仲良しで何の不自然さもなくお付き合い……という
「これまでの社会が未経験で、だから名付けようもない」関係性をとりあげた記事。

代理出産でトラブルが起きたケースばかりを
映画もメディアもステレオタイプに取り上げるのが不満だとして
代理母のKim Kovacic さん(49)と依頼者で生物学上の母Carol Van Cleefさん(52)とが
そのアンチ・テーゼとして自分たちの体験を語ったもの。

「恥なんて感じていません。だって代理出産は
自分で思い描く通りの家族を持てるチャンスを与えてくれるんですから」
というのはVan Cleefさん。
(この取材を提案したのも、おそらく彼女の方でしょう。)


Van Cleefさんは最初の子の出産で子宮を失っており、
その際に「もう2人ほしい」と決めていたといいます。
Kovacic さん自身は3人の子の母親で、代理出産はVan Cleefさんの娘Jamieが2人目。

最初の代理出産は1990年、ヴァージニア州で行われた代理出産のうち最も早いうちの1例。
Maryland州 のエージェンシーを通じて10,000ドルで契約。
2例目のVan Cleef夫妻とは同じくMaryland州のリクルーターからの連絡で知り合い、
今度の契約金額は15,000ドル。

この2例の背景には
州によって法律が異なる米国ならではの複雑な事情がいろいろ絡んでおり、

体外受精させた夫妻の受精卵でKovacicさんが妊娠した時点では
契約による代理出産は10,000ドルの罰金と禁固1年に当たる違法行為だったのですが、
Jamieが生まれる数週間前に(94年)
代理母が結婚していることと夫婦の遺伝子上の子どもであることを条件に合法化されたとのこと。
(ということは、記事では触れられていませんが、
 Kovacicさんの最初の代理出産は違法行為だったということになる?)

現在でもなおヴァージニア州では
エージェンシーが代理母をリクルートすることが禁じられているので
上記のように介在するのは隣のMaryland州のエージェンシー。

また赤ん坊の売買を防ぐために、
代理母へは補足的な生活費の支払いしか認められていない、とも。

Kovacicさんがいかに
「誰かに贈り物を上げたい、相手が望むものをあげられるというのが嬉しい」と力説し、
「お金をもらうことには罪悪感がある。もらわずにできたらもっといいのだけど」と言おうと、
最初の代理出産時には当時の夫の店の経営が悪化していて「そのお金で助かった」とも、
代理出産は、ずっとやっている小児科医院での仕事(内容は不明)と同じ
「パートの仕事」と考えていたとも語っているし、

Jamieの妊娠中には
万が一Van Cleef夫妻の気持ちが途中で変わった場合に備えて、
中西部の不妊の夫婦と話をつけていたというのだから
(これも書いてありませんが、エージェンシーにそういうシステムがあるのでは?)
それは実質的には赤ん坊の売買に非常に近いという感じも……。

一方、Carol Van Cleefさんは自称「大手法律事務所のA 型(どういう意味か?)パートナー」。
「これ以上に違うことはないというほど異なっている」という記事の形容は
決して2人の外見の違いだけを指したものではないでしょう。

夫の話がほとんど出てこない「出産を巡る2人の女性の物語」という構成ですが、
よく記事を読んでみるとKovacicさんの方は最初の代理出産の後に離婚したのでは? とも思われ、

お金のある夫婦が「思い描く通りの家族を持つ」ために
お金を必要とする女性が「パートタイムの仕事として」代理で出産してあげる図──。

私にはどうしても売春と同じに思えてしまう。
2008.05.26 / Top↑
以下のAP通信の記事によると、
急増しているのはヒスパニック系の住民と障害者に対するヘイト・クライム
06年と07年では前者が倍増、後者が1件から30件に。

経済の悪化で移民への悪感情が高まっていること、
金銭目的で知的障害者の弱みに付け込む犯罪が増えていることが
専門家の指摘として上げられていますが、

世の中が急速に弱肉強食の様相を呈していることが、
強者に食い物にされる弱者が
さらに自分よりも弱い者を力づくで踏みにじり、
さらにそうして踏みつけられる者が自分よりもさらに弱い者をはけ口にしている……
……といったヘイトの連鎖を生んでいるのでは?



2008.05.25 / Top↑
日本の教育委員会に当たるschool districtに
子どもをspecial educationから外すことを決める権限を与えようとの検討がヴァージニア州で行われており、
その決定には親も発言権を与えられるべきだと保護者から批判の声が上がっているとのこと。

この動き、これまで言われてきた患者の自己決定権が否定されて、
病院や医師に「無益な治療」停止の決定権を持たせるという
医療における動きに重ねて考えてみると、

なんだか妙に腑に落ちるようでもあり、また逆に
こういうふうに教育にも波及していくのか……と唖然とするようでもあり……。


記事を見た時には日本ではありえないことのように一瞬感じてしまったのですが、
よくよく考えてみると、

養護学校が特別支援学校に変わる数年前から
養護学校の子どもたちが授業で外に出る機会がみるみる減らされていったり、
配置される教員数が毎年どんどん減っていったり、
特別支援教育への制度変更での議論で謳われる理念とは全く反対のことが
現場では起こっていたわけで、

また障害者自立支援法でも同じくノーマライゼーションの理念が
地域生活支援サービスの整備なしに脱施設だけを推進するアリバイに使われていることや、
その「実は給付抑制制度」の馬脚が現われて
すでに下のようなニュースが出てきていることを考えれば、

日本ではありえないどころか……。

2008.05.24 / Top↑
英国政府が犯罪防止・テロ対策として
国民の電話とEメールに関する全記録を
電話会社とインターネットーのサーバーに提出させて
最低でも1年間は警察と安全保障関連の機関がアクセスできるようにする
という案を検討中なのだとか。


いや~な感じが漂うニュースなのですが、
カナダの読者から寄せられたコメントがよかった。

こんなの考えることすらバカバカしい。
政府はちょっとした仕事もこなせず、わずかのデータすら管理できずに漏洩させる。
逆に犯罪者やテロリストがそんな大量の多種多様データにアクセスできたら、
それこそ壊滅的ダメージだろうよ。

我が国の年金データ管理のお粗末をまたぞろ思い出し、思わずヒザを打った。


2008.05.24 / Top↑
不勉強なので、今頃になって初めて知ったのですが、
2005年に日本でこんな会ができていました。


同会の声明はこちら


どうやったら賛同者に名前を連ねられるのか書いてないのだけど、
事務局にメールを出すのかな。
2008.05.23 / Top↑
最近、ある一定の論調で終末期医療を語る文章を読むと
やたら目に付くフレーズに私はとても素朴な疑問を抱くのですが、
そのフレーズとは、例えば、

家庭で穏やかな死を迎える」。

こういったフレーズは明らかに、
「病院での終末期医療で激しく悲惨な死を迎えるよりも」という言外の対置を含んでおり、
(そう明示されている場合すらあって)

そこには

病院での死は必ずや激しく悲惨な死となる
        vs
家庭で暖かい家族のケアを受け、家族に囲まれた死は必ずや穏やかなものとなる

という前提がこっそりと忍び込んでいるように思われて、

え? じゃぁ場所さえ家だったら穏やかに死ねるんですか――? 
眉にツバつけたくなってしまう。

もしも、
家で温かい家族に囲まれていようと、
激しく悲惨な死が避けられない場合だってあるとしたら、
死んでいく本人にとっても無用な不安や苦しみが追加され、
家族にとっても後々の後悔やトラウマになりそうな最たる場合というのが、
それじゃないか、という気がする。


だいたい家族関係って本当にそんなに単純にハッピーなものでした?
もちろん、そういう家庭もあるのでしょうが、
個々人が密かに抱えている心の傷を辿っていったら、
その源泉は他ならぬ家族にある……という場合が多いような気が私にはするのですが、
現実の家族のあり方はとても複雑で、様々な感情の捩れを伴っていたり
時には修復不能な関係性までそこには包み込まれているというのに、

医療や介護を論じる際にだけは、なんでもかんでも
「病院や施設は冷たいところ」vs「家庭は温かい場所」
「専門職は冷たいケアしかしない」vs「家族は愛情に満ちて行き届いた温かいケアをする」
という単純な図式が強引に当てはめられる。

そこに、さらに死に方にまで
「病院で死ぬのは悲惨」vs「家庭で死ぬのだけが幸せ」という短絡が塗り重ねられていく。

仮にその比較が現実なのだとしても、
だから病院の死も悲惨でないものに」は抜けたまま
だからみんな家庭で死ね」と号令されても……。

ホスピスや緩和ケアの理念が根付いた施設など”家庭以外の場所”で
家族や友人に囲まれていようといまいと「穏やかな死」を迎えることもありうるはずだし、

「穏やかな死」が終末期医療を巡る議論のキーワードになるのであれば、本当は
病院や施設での緩和ケアの普及・充実と地域医療の整備、さらに
医療と介護の本当の意味での連携こそが最優先課題のはずで、

そういうことが語られない終末期議論の中で患者側に向かって繰り返される
「家庭で穏やかな死を迎える」というフレーズ──。

コインを入れた帽子に美しい色の布切れをふわっと被せて
コインを鳩に化かして見せる魔法のフレーズのような……。

【追記】
その後、こんなニュースがありました。

2008.05.23 / Top↑
「無益な治療」概念を一貫して批判し続けているWesley Smithのブログ
Secondhand Smoke: Your 24/7 Bioethics Seminarによると、

メディケアでの過剰な終末期医療は
現場職員にチクらせて不正請求扱いしてはどうか、
……との声が医療法の専門家から出てきているとのこと。

といっても、メンフィス大学の医療・保健分野を専門とする法学者が
自分のブログにプライベートに書いていることなのですが、

メディケアにも「コスト対利益」の分析がもっと導入されるべきであり、
メディケアにおける過剰な終末期医療を抑制するためには
不正請求を禁じた法律が適用できるのではないか、
現場の看護師などが過剰な終末期医療を報告する、
検察が摘発する……といったようなシステムで……てな話。

原文を覗いてみたのですが、
そんなに長くない記事の中に、やたらと
too much EOL care (過剰な終末期ケア)、
too much inappropriate care (過剰な不適切ケア)という表現が頻発しています。

こういう人たちは、なるほど、こういう思考回路をたどるのだとすれば、
現実の施策を巡っても、そういう声が出てくるのも時間の問題なのかもしれない。

Smithはこれに対して、
何でもかんでも「自己選択」という言葉を隠れ蓑に生命倫理の議論が進められているが、
これらはみんな実際には「自己選択」の話ではなく、実は
「ある一定の人たちには死んでもらって資源の無駄遣いをやめてもらおう」という話に過ぎない、
病院職員をお互いにチクらせ合うような施策は医療への信頼を失わせるし、
そもそも資源が限られている時代だからこそ、
生命倫理学者が治療を受けるべき人間の線引きをして医療差別が生まれているじゃないか、と。


問題のメンフィス大学教授のブログ記事は以下。


        ―――――     ―――――

この話、現在、日本の後期高齢者医療制度で問題になっている
終末期医療について患者の“自己選択”を文書化したら
診療報酬に加算があるという話と重なってしまった。

それから医療や介護保険の制度改正のたびに耳にする「適正化」という言葉にも。

あの「適正化」って、表向きは極端な不正を捉えて、その防止を謳って言われることだけど、
実はそれに乗じて too much inappropriate care の抑制を推し進めてしまおうということであり、
じゃぁ、何が「不適切な」ケアなのかという話の部分には
コストパフォーマンス分析と効率化の一方的な押し付けの気配が色濃く漂っているような……。


終末期医療のコストについて日本での議論をまとめてくださっているブログがありましたので、
以下にTBさせていただきました。
2008.05.22 / Top↑
英国議会で妊娠中絶のタイムリミットは下げないとの判断が行われたのと同じ日、
米国でもヴァージニア州の中絶法を巡る控訴連邦裁判所の判断が出ています。

去年の春からの法律上の論争のようなのですが、
アメリカの中絶を巡る法律については背景知識がないし、
裁判の経過部分はよく分からないものの、

ヴァージニア州の中絶法の問題点とされている部分が
昨日の英国議会の中絶のタイムリミットの議論で出てきていた生々しい話を思い出させるのと、
こちらでも、Va.の州法を認めなかった判断の背景に
州法が事実上、中絶のタイムリミットを引き下げることにつながり、
女性の自己選択を制限することになるとのリーズニングが働いているので。

Va. Abortion Law Overturned Again
The Washington Post, May 21, 2008

問題となっているのは妊娠12週以降の中絶方法。
(中絶の9割はそれ以前に行われているとのこと)

通常行われるのは、子宮内で胎児をバラバラにしてから取り出す方法。
それに対して、まず途中まで完全な形で出産させ、
そこで胎児の頭蓋骨を砕いてから取り出すという方法があり、

Va.州法が後者の方法を禁じていることから、
医師が前者の方法で中絶を試みたとしても結果的に後者となってしまう場合は現実にあって
そこに意図したものでないにも関わらず罪に問われてしまう可能性が出来し、
医師が完全に身を守るためには妊娠中期以降の中絶に手を出さないことしかなくなる。
それは結果的に女性の選択権を制限してしまうので、
去年の最高裁の判断を越えた規制となり、認められない……との判断。

プロ・チョイスの立場からは、
後者の方法は母体を守るためには必要との声や
そんなのは確率のごく低い事例へのこじ付けで、
連邦の禁止法との違いもごくわずかだとの批判もあるとのこと。
2008.05.22 / Top↑
英国のヒト受精・胚法改正法案の争点についての投票で
中絶のリミットは引き下げられず24週のままに留まることに。

また生殖補助医療を受けるに当たり
「父親役割を担う人物が必要」とされてきた条件は削除されて
独身女性やレズビアン夫婦にも生殖補助医療への道が開かれることに。


中絶のタイムリミットについては、投票前の議論がかなり過熱したようです。
この記事では、個人的には
保守党のNadine Dorries議員が語った看護師としての「失敗した中絶」体験が強烈で、

20週で中絶された胎児を手術室で渡された際に、
容器の中の胎児は血や羊水にまみれたまま呼吸をしようと喘いでいて、
自分は容器を持ったまま立ち尽くして、じっと見ていることしかできなかった、
その子が死ぬのには7分かかった、

ちゃんと生きて生まれてくるような中絶がある、
そういう中絶では起こってはならないことが起こっている、と。

改めて、自分は「中絶」という言葉に、
それが実際にはどういうことかという具体的な現実を想像したことがなかったことを痛感。

一方、労働党のChristine McCafferty議員は
「責任のある決定を行える唯一の人物は妊娠している女性自身。
 中絶はその他の医療と同じく、患者と医師のプライベートな決定であるべき。
 ことの結果を引き受ける者に決定権を与えることを
 英国社会を含め、どうして社会は認めようとしないのか」と。

うーん……。でも、ことの結果を引き受ける人に決定権があることになると、
例えば、いわゆる“Ashley療法”論争で擁護する人たちが振りかざしていた
「直接この子の介護をしない人間は口を出す資格がない」というのと全く同じで、
極端には寝たきり高齢者の手足の切断だって
医師と介護者の決定によって行われることになるし、
終末期医療における諸々の判断も周囲の気持ち次第、
子育て期の子どもは親の思い通りにしてもかまわない……ということになるのでは?

ただ、社会の中で実際に女性は多くのハンディを背負わされていることも事実で、
その意味では女性の選択権が、やはりある程度守られるべきだという気もして、
じゃぁ、「どの程度」なんだとなると、とたんに私は混乱してしまうのですが……。


その他Guardianの関連記事は


Now is the time to decriminalize abortion, says pro-choice lobby
(下院前では自己決定権を主張する女性たちが中絶を妊娠の段階を問わず合法化せよと訴えたとのこと。)


In quotes: The Embryology bill debate
(議員らの主要発言の抜粋)




こちらはBBC



障害や病気のある子どもが生まれる可能性のある胚を
正常な胚よりも優先してはならないとするClause14については、
今日のところニュースが見つかっていません。

今回投票の対象となった4つの争点には含まれておらず、一括で投票されるのでしょうか。
2008.05.21 / Top↑
すでに聾の子どもが1人あって、次の子どもを遺伝子診断で聾の胚を選んで作りたいと望み、
聾は障害ではない、ヒト受精・胚法改正法案は差別だと主張しているアーティストのTomato Lichyとパートナーが
19日にCNNで取り上げられています。

こちらのCNN Videoのページで
Deaf couple wants deaf baby で検索するとビデオが見られます。

BBCは10日に同じカップルを取り上げていました。
こちらの記事は聾が障害であるか否かの論争に焦点が絞られている印象です。

Is it wrong to select a deaf embryo?
BBC, May 10, 2008
 
同日彼らがBBCラジオに出演した時の模様はOuch!のサイトに。

【関連エントリー】
「聾の子どもを産む権利」論争

           ―――――

なお、CNNは昨日、今日英国下院で投票される中絶のタイムリミット引き下げの問題を取り上げており、
UK abortion debateのタイトルで上記Videoページから見れます。

22週の未熟児として生まれて現在無事に10歳になった男の子と母親を紹介、

一人っ子政策のある中国では無制限、
フランスでは12週、
トルコで10週、
アイルランドでは中絶そのものが違法
アメリカは州によって違う……など
各国の中絶タイムリミットの現状を挙げた後に、

女性の選択権を主張し、
あまりに小さな未熟児の出産は女性、家族そして社会の利益にならないとする
プロ・チョイスの立場の発言を紹介。

フェミニストの立場から「女性、家族、社会の利益」を云々する声が出ることに、
いつもながら、とても複雑な気持ちになってしまう。
2008.05.21 / Top↑
英国議会で審議されていたヒト受精・胚法改正法案ですが、

ハイブリッド胚の作成と救済者兄弟についての投票が行われ、
共に賛成多数で認められたとのこと。

ハイブリッド胚については、336票vs176票。
Brown内閣では3人の閣僚が反対に投じた。

明日の投票は中絶のタイムリミット問題と
レズビアンと独身女性にIVFを認める問題について。

今日の関連ニュースを以下に。


Daffodils and red herrings
The Guardian, May 20, 2008

How they voted on embryo research
The Guardian, May 20, 2008

Hearts or minds
By Adam Rutherford,
The Guardian, May 20, 2008

Do families need fathers?
The Guardian, May 20, 2008



Hybrid Embryo Research Endorsed
The Washington Post, May 20, 2008

たしかGuardianのいずれかの記事だったと思うのですが、
ハイブリッド胚を禁じる改正案を提出した議員が言っていたことで、
「すぐにでも難病の治療法が見つかるかのように思わせられている人が多いが、
 それは誘導であり、偽りの情報であり、現実味のない誇大広告に過ぎない」
といった趣旨のことを言っていたのが、
ああ、私もそんな感じをもっている……と印象的だった。

あと、ハイブリッド胚にもいろいろあって、
細胞がどの程度動物で、どの程度ヒトかの割合によって混成胚とか「本物のハイブリッド胚」と
呼び方が変わるらしいのですが、読んでいると頭が混乱しそうなので、
この先、そんな詳しい知識が必要になるようなことでもあれば、その時でいいや……。
2008.05.20 / Top↑
表題の通りのタイトルを見た瞬間から心が波立って、取り上げたいと思いながら、
しっかり考える時間が欲しい気がして棚上げしていたSeattle Post-Intelligencerの記事。

まだ「しっかり考え」られてなどいないのですが、
前のエントリーで取り上げた日本の空気は
実は世界の空気でもあるというところに通じていくと思うので。
(あ、これは逆で、きっと米国を中心とした世界の空気が日本の空気に通じているのでしょうね。)

記事そのものは、
障害児の中でも自閉症の子どもの親が最も抑うつ度が高く、不安やストレスを抱えている、という結果が
ワシントン大学の調査研究で出たことから、
自閉症の男の子がいるシアトル在住の一家の生活を取材して、
いかに自閉症の子どもとの日常の暮らしが負担とストレスに満ちたものであり、いかに親が大変か
いかに療育にお金がかかるかを描いたもの。

自閉症が急増している現状にも触れる中で親子の現実を描き、
親への支援の必要を訴えていると読んで読めないこともないのですが、
どうもそうばかりと思えない妙なトーンで書かれているから、考えてしまう。

「親は自閉症の隠れた犠牲者」というタイトルに続く副題は
「厄介な障害が痛めつけるのは障害を負った本人だけじゃない」
Baffling disorder hurts more than just those who have it

Parents are autism’s hidden victims
By Paul Nyhan,
The Seattle Post-Intelligencer, May 5, 2008/05/16


確かに自閉症の子どもを育てる日常は負担とストレスに満ちているだろうし、親は大変でしょう。
日本と違ってお金もかかって破産の危機すらあるというのも
アメリカの障害児の親ならではの苦労かもしれない。

それでもなお「犠牲者」という言葉の選択には、
私はとても大きな抵抗を感じます。

仮にそう呼びたいほどの現実があるとしても、それでも敢えて選択したくない、
「それを言っちゃ、もうお仕舞いでしょう」という種類の言葉だと思う。
そこのところを、しっかり時間をかけて考えてみたかったのだけど、
まだ煮詰まっていないので、この点については改めて整理できたら書きます。

ここでとりあえず問題にしておきたいのは、新聞側の姿勢。
なぜなら、取材を受けた親が自らを「犠牲者」と形容しているわけではなく、
「犠牲者」という言葉を選んだのは記事を書いた記者ですから。

たいへん恐ろしいことなのだけど、私には
「親は犠牲者だ」というタイトルのこの記事全体に
障害や障害を持った子どもを否定的に捉えるトーンが
漂っていると感じられてならないのです。

記者が親に寄り添うのはいい。
だけど、この記者は子どもに対峙する位置で親に寄り添っているような。
そこから冷たい眼で迷惑そうに子どもを眺めながら、語っているような。

例えば
Children have autism, but parents are often invisible casualties.
自閉症があるのは子どもだが、親はしばしば目に見えない犠牲者である。

(casualtiesという言葉は、事故や災害の死者や負傷者を指して使われる言葉で、個人的にはvictimsよりも非人格化された響き、「負傷者10名」という場合のような数値化されたような響きを感じます。)

By his third birthday, this engaging child had choked a baby and wanted to kill the family cat.
3歳の誕生日も迎えぬうちに、何にでも手を出していくこの子どもは、赤ん坊を1人窒息させ、家族が飼っている猫を殺そうとした

Like an invasive weed, Sharky’s autism permeated most daily routines for his first four years.
Sharkyが4歳になるまでの間、自閉症はまるで雑草がはびこっていくように、ほんの些細な日常のルーティーンにまで浸透していった。

His sweet social nature now far outweighs more typical outbursts of 30 minutes or less.
かつての可愛らしく人懐こい性格はどこへやら、今ではどうかすると30分も続くかんしゃくがすっかり御馴染みになってしまった。

本当に自閉症に理解があって、親への支援の必要を訴えようとする記者ならば、
同じことを書いても、もっと違う表現を使うのではないでしょうか。

この記事の2日後に、
私と同じように「犠牲者」という表現に違和感を覚えた自閉症の子どものお母さんが、
以下のブログで取り上げて「皆さんはどう思いますか?」と問いかけ、いろんなコメントが寄せられています。
「実際に犠牲者だと思う」といった声もあるようです。



それにしても、不思議だなぁ……と思うのは、、

この記事には、ワシントン大学の研究者が
自閉症の子の親が一番大変だという結果を出したと書いてはあるのですが、
通常なら説明されるはずの調査内容や方法の詳細がまるきりなくて、
主任研究者の名前もなければ、コメントもない。
この長い記事の中には、この調査に関する詳細は一切ないまま、
ただ「UWの研究者が自閉症の親が一番大変だという結果を出した」と。
そんなバカな”報道”はないんじゃないでしょうか。

自閉症の急増ぶりを示すグラフは
わざわざCDC(米国疾病予防管理センター)のサイトから引っ張ってきて
やたら大きく載せているというのに。

この記事の行間から漂ってくる隠微なメッセージ、
私にはこうささやいているように聞こえてしまう。

「自閉症の子どもが生まれたら、親の人生はもうお終いですよ。
でも、そんなコワ~イ自閉症は増えているのです。 
いいんですか? どうします?」
2008.05.20 / Top↑

この議論、そっくり車椅子使用者にも当てはまめられてしまう可能性が気になるのだけど、
そちらに広がっていく可能性は本当にないのだろうか……。

例えば「混んでいる時は迷惑だから、空いている時間に出かけろ」といった論調には
他者への想像力がまったく欠落していて、

その反面、というか、むしろ、欠落しているだけに、
混雑する駅で子どもを抱き、荷物とベビーカーのやりくりに難儀している親に
この人は手を貸すのだろうかと想像すると、きっと目に入っても見えないだろうとしか思えないし

そういうことが、そのまま車椅子使用者に当てはめられていく事態も
このベビーカー論争のすぐ隣にありそうな気がして、不気味。


こんなのも論争になっていたらしい。



これ、いずれも、
運転マナーの悪い人は性別を問わずに存在するのだけど、
自分の前の車がウインカーを出さずに交差点を曲がったことにムカついた時に、
ドライバーが男だったら「なんだよ、マナー悪いな」と個人の資質で捉えられるものが、
ドライバーがたまたま女だったら「これだから女のドライバーは……」と
一気に性別の問題に一般化されがちなことと同じパターンのような……。

(ベビーカーでなくても大きな荷物を抱えてマナーが悪い人もいるし、
 知的障害がなくても乱暴な子どもも謝らない親もいるし。)


それにしても気になるのは、やはり、この空気。
誰か1人が口火を切ることで、それで免責された気分で「みんなで言えば怖くない」、
言い合っているうちに、「みんなで社会的弱者への想像力なんか投げ捨ててしまおう」とでもいった勢い……。

それは議論が正当だからではなく、ただ単に数の力が生んだ勢いに過ぎないのに。

あぁ、そして、そんな「弱者たたき」の雪崩れ現象が頻発していることこそ、
実はみんなが弱者になってきたからじゃないかということに気がつかなければ、
本当はそれが一番コワイことなんじゃないのかという気がするのですが?
2008.05.20 / Top↑
たぶん今日・明日の2日間のことと思われますが、
いよいよヒト受精・胚法改正法案の4つの争点それぞれについて
党の縛りを解いて議員個々の良心による投票が行われるとのことで、
いろいろ駆け引きが激化しているようです。

The Guardian の方では、
当ブログでも紹介した過去20年間の未熟児の救命率に関する調査結果が
槍玉に上がっているようですが、

なんだか、あれもこれも投票前の駆け引きという気がして
あまり詳細までつっこんで読む気になれないので、
一応、資料として以下に。



2008.05.19 / Top↑
5月8日にAshleyの父親がブログThe Ashley Treatmentを更新しました。
といっても、新しく文章を書き加えたということではなく、
去年の暮れに彼は、いわゆる“Ashley療法”について一枚にまとめた概念図をアップしたのですが、
この概念チャート「“枕の天使ちゃんたち”の幸福のための“Ashley療法”」に手を加えたようです。

1月にチャートをプリントアウトしたのですが、
ここ数日探しているのに、それがどうしても見つからないので、
すぐには前のヴァージョンと比較することができないのですが、
彼がいかに本気でAshley以外の重症児にこうした措置を広げていこうとしているか、
このチャートから伝わってくるので、紹介しておこうと思います。

更新された概念図 The “Ashley Treatment” for the wellbeing of “Pillow Angels”は、こちら

チャートはまずAshleyの状態を整理し、
それをPillow Angelsと彼らが呼ぶところの重症児の定義へと拡大していきます。

Pillow Angelsの定義には6項目があり、

・最近の医学の発達によって命が助かるようになった子どもたちという新しい障害カテゴリー。
・障害児の1割にも満たない、社会で最も非力な子どもたち。
・介護者への依存度が非常に高く、家族にとってとても大切な存在である。
・家族の愛情に満ちたケアを受けるほうが“人間扱いされない施設に入れられる”よりQOLが豊か。
・家族と介護者の大半は体重と身長の伸びが最悪の敵だと考えている。
・家族の手による個別の選択肢を必要とする極度の障害である。

最後の行の「個別の選択肢」が矢印で「“Ashley療法”」という囲みにつながり、
さらに「“Ashley療法”」の囲みが矢印で
「乳房芽の切除」「子宮摘出」「健康のためのサイズ調整」の3つに分かれていきます。

上記4つの囲みそれぞれの下に整理されているのは以下のような
「解説」「Ashleyへの主な利点」「Ashleyへの追加の利点」。

“Ashley療法”
解説は「予防的医療ケア」
主な利点は「QOLの改善」
追加の利点は「介護がしやすくなる(介護者と一心同体だから)」

乳房芽の切除
解説は「思春期に大きくなる腺の切除。思春期前なら単純な手術」
主な利点は「横になっている時や支持ベルトに大きな胸は不快、それを取り除く」
追加利点は「繊維症や癌予防」と「介護者に対して性的な存在となることを避ける」

子宮摘出
解説は「小さなうちに子宮を摘出」「選択肢検討するもこれほどの効果なし」
主な利点は「生理痛を取り除く」
追加利点は「出血しなくなる」「妊娠の可能性がなくなる」「癌予防」

健康のためのサイズ調整
解説は「骨端線の閉鎖を加速する2年間のエストロゲン・パッチ」
   「体重と慎重をそれぞれ40%、20%の削減」
主な利点は「介護者によって動かすことが増える(可動性、血行、ストレッチ)」
     「(施設ではなく)家で暮らせる可能性が高くなる」
追加利点は「側わんの手術と褥瘡の可能性を下げる」と「自己の認知と身体を近づける」


また「乳房芽の切除」と「子宮摘出」の間に別の色で追加的に「盲腸摘出」が加えられており、
この3つを○で囲んで以下の2つの注がつけられています。

1)扁桃腺を取る程度のリスクの2時間の手術
2)エストロゲン療法の3つの作用(省きます)を防ぐために、これらはエストロゲン投与前に行う

なお、上記の“Ashley療法”からは、もう一つの矢印が出て
“Ashley療法”についてのコメント欄につながっており、
いかにAshleyのような子どもたちに有効であるか、
いかに多くの賛同の声があるかという話ですが、
最後の1つが大変気になるところで、

世界中で何十人というPillow Angelの親が我が子のために同療法を検討中」だと。

        ――――――――

以上について、指摘しておきたいこととしては、

・ 「成長抑制」が「健康のためのサイズ調整(”Sizing for Wellness”)」に言い換えられました。

・「家で暮らせる時期を延ばす」という点を前年の医師らの論文が主たる目的としていたのに対して、Ashleyの父親は去年元旦の立ち上げ時のブログでも1月のメディアによるインタビューにおいても、これを繰り返し強く否定していたのですが、その後同じような子どもの親たちと連絡を取り合ううちに、彼はこのメリットを認めるようになったといいます。そのために、このチャートでは「主要な利点」の中に入っていますが、それによって親が当初主張していた成長抑制の目的を医師らが論文で偽って報告したとの疑惑が変わるものではありません。

・開腹手術のリスクが「扁桃腺切除と同じ程度」という箇所について、医師らの意見を聞いてみたいところです。

・当初は我が子のためを思って考え付いたことかもしれませんが、このチャートを作る彼の思考回路は既に会社の事業計画や新型ゲームの販促のプレゼン作成時のようです。今、彼が情熱を注いでいるのは実は自分が生んだ“Ashley療法”という商品を世に認知させることなのでは? 利点の部分ではeliminate(排除する)という単語がずらりと並んでおり、それを見ていると、我が子の身体のことについて、こういう書き方ができる親って……? eerieという英単語が頭に浮かびました。Stephan King の読みすぎかもしれませんが、「どう考えても普通じゃないものを感じて背筋の辺りがちょっと冷たくなるような感じ」?

・しかし、彼の現在の動機がどうあれ、それによってこんなことが広がっていくのは困るのです。シアトル子ども病院の医師らは、こうした父親の行動をどう眺めているのか。あなたたちは、このチャートの責任を取れるのか、と問いたい。


【関連エントリー】
Ashley父のブログ更新(2008/1/20)
Ashley父がやりたいのは実験?(2008/1/21)
2008.05.19 / Top↑
久しぶりにAshleyの父親のブログを覗いていたら、
いわゆる“Ashley療法”の詳細について1枚にコンパクトにまとめた概念図のタイトルの右肩に
著作権マークのⒸが……。

気づかなかっただけで、これまでにもあったのかもしれませんが、
いや、びっくりしました。

自分が考案した“Ashley療法”を広く重症児たちに広げていこうと
彼が本気で考え、それに向けていろいろ計画を進めているらしいことは
常々知っているつもりではいたのですが、
まさか、概念図に著作権を取るとは……。

さすがにMicrosoftの幹部、そつがないと言うべきでしょうか。

もしかしたら、
自分の目論見どおりに“Ashley療法”が普及した暁を夢に見て
考案者として“Ashley療法”の特許なんかも申請していたりしてね。

去年の5月のUWのシンポ以降、
Deikema医師ですら“Ashley療法”という括り方は否定しているのですが、
彼は今なお“Ashley療法”という括り方とネーミングにこだわっているようだし。

        ―――――

この概念図は去年の暮れにブログにアップされたと思われるもので
当ブログでも1月に簡単に触れていますが、
5月8日に更新されているので、これを機に、
近く内容などを紹介するつもりです。

【追記】
ちなみにブログ本文は、2006年元旦の立ち上げ段階から著作権が付与されていることが明記され、
出展を明確にしリンクを貼る限りにおいて本文・写真共に使用を認める、とされています。
2008.05.19 / Top↑
インターネットを通じて1000人に質問形式の調査をおこなったところ、
アメリカ人の成人の8割以上が死ぬ権利は自己決定であり、
政府や教会その他第三者に決められるものではないと考えているとの結果が出た。

ただし60歳以上でリビング・ウイルを持っているのは50%のみで
60歳未満では25%以下。

また、質問を受けた1000人のうちほぼ66%が
医師による自殺幇助が自分の住む州で合法化されることを望むと答えた。

ほぼ半数が
将来自分が高齢の家族や有人の介護を担うことになる可能性がある、と答えた。

さらに90%以上が、
自分が植物状態になったとしたら人工的生命維持装置は外してほしい、と答えた。

80%以上が、苦痛があれば眠らせて欲しい、と答えた。

Americans want choice to end life:poll
Reuters UK, May 15, 2008

元データはこちらの高齢者向け雑誌ELDRのサイトに。

ELDR誌の編集長はリビング・ウイルを書いている人の少なさに、
「現実を受け入れていないけど、予期しない出来事はある日突然起こるのに」
……てな趣旨の発言をしており、

そもそも何の目的でやったかということまでスケスケの、なんとも誘導的な調査では?

いつ何が起きるか分かりませんよ、
意識があったら苦しいですよ、
植物状態になったら生命維持装置につながれますよ、イヤじゃないですか
将来だれかの介護をするのは大変ですよ、覚悟はありますか、
あなたも愛する人にそんな迷惑をかけるのはイヤじゃないですか……と

人を脅かして、世論を尊厳死や自殺幇助の合法化に向けて煽る――。
調査という名目で、やっているのは実は世論誘導ではないか。
日本でも、そのうち、こういう調査がでてくるかもしれませんね。

ところで、この記事の中に私は非常に気になる記述があって、

アメリカで医師による自殺幇助が法律で認められているのは現在オレゴン州のみですが、
オレゴンに次いで合法化を検討しているのがワシントン州だというのです。

どうしても、連想が繋がってしまいます。

ワシントン州……シアトル……第2のシリコンバレー……ゲイツ財団(慈善資本主義)……ワシントン大学……
IHME……グローバルな病気負担プロジェクト……

この連想の先に医師による自殺幇助の合法化を(いずれ「無益な治療法」も)加えてみると、
ほとんど出来過ぎといってもいいほどカンペキな功利主義モデルが出来上がるのでは?
2008.05.18 / Top↑