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前のエントリーで取り上げたKenneth Fisherという腎臓専門医のブログは
Healthcare in America(アメリカの医療)というタイトルの通り、
アメリカの医療制度改革を考えるものなのですが、
ブログの副題に次のように書かれています。

Before we can hope to have universal healthcare coverage, we must first solve the problems that make healthcare so outrageously expensive.

国民皆保険を考えるよりも先に、まず
医療を言語道断なほど高価にしている問題を解決しなければならない。

したがって彼がこのブログでも著書でも書いているのは概ね
終末期医療を見直そうという話のようなのですが、

特に彼が具体的な解決策として提案しているのが
独自に考案した「入院時事前意思票」。
ブログの5月23日のエントリーで詳しく書いています。


現在、患者は自分が意思決定できない状態に陥ることを予め想定して
自分が受けたい、または受けたくない医療の内容について事前意志(advance directives)を
表明しておくことが出来ますが、
実際に事前意思を行使しているのは米国人の20%。

しかも事前意志のシステムはいわば「オプト・アウト」なので
事前意志が明記されていない患者については
医療サイドは「手を尽くす」ことが前提になっています。

そもそも心肺蘇生というのは
患者人口もまだ若くてメディケア制度もなかった時代に生まれた技術で、
こんなに患者が長生きの高齢者でターミナルが多いという時代には合わない。

Fisherに言わせれば、
今や「意思表示なければ手を尽くす」前提こそが医療資源の無駄遣いを生んでいる。

そこで彼は心肺蘇生について基本ラインを「行わない」こととし、
敢えて「行う」と明記した患者についてのみ行う「オプト・イン」方式を提案するのですが、
ただしオプト(選択)するのは患者の意思ではなく医療サイドの判断。

Fisherの「入院時意思表示票」の中心部分を以下に

患者にはエビデンスに基づき個別に吟味された医療を受ける権利がありますが、価値のない医療を受けることは出来ません。利益ある医療(患者への利益がリスクを大きく上回るもの)が何かを決定する責任は医師チームにあります。争議が起こった場合には病院内の委員会(適切な医療委員会)が開かれます。委員会は1事業日以内に決定を下します。

患者に提供されるのは
「利益がリスクを“大きく”上回る」と医師チームが決めた医療のみであり、

患者に与えられているのは、
その中からさらに「これはしないでください」と拒否する権利のみ。

この入院時事前意思票をFisherは
メディケア、メディケイドで医療を受ける患者に義務付けようと言います。

著作権まで取得して、
ブログ読者に向かって
それぞれ自分の選挙区の議員にこの様式を送って採用するように働きかけろと呼びかけています。

現物はこちら

ご丁寧なことに、
読者が議員に送る際に添付する手紙まで一緒にくっついてきます。

なにしろ、
This would save many thousands of patients a great deal of discomfort and preserve billions of dollars of resources.

この入院時事前意思票によって
何千もの患者がたいへんな不快を免れ
同時に何十億ドルという資源が守られることになるでしょう。

そして、移植用臓器の不足も解消されるしね。
(Kenneth Fisher医師は腎臓の専門医。)
2008.07.31 / Top↑
去年テキサスで起こったEmilio Gonzalesの治療を巡る「無益な治療」論争について
ラディカルな生命倫理の主張で知られるDr. Robert Truogが
Emilioの治療を停止しようとした医師らを批判していることを
前回のエントリーで紹介しました。

このTruogの論文を自分のブログで槍玉に挙げているのが
終末期医療にかかる費用を明らかにするとして医療改革を提唱する本
In Defiance of Death: Exposing the Real Costs of End-of Life Care”を上梓したばかりの
Michigan州Kalamazooの腎臓専門医 Kenneth Fisher。

Truogの批判に反論するエントリーは4月28日の

Can Medical Ethics Taken to the Extreme be Detrimental
Healthcare in America (Dr. Kenneth Fisher’s blog), April 24, 2008

「医療倫理が極端に走ると弊害があるか」とタイトルで問い、
本文冒頭で「絶対あると思う。最近の例ではこれだ」とTruogの論文を挙げているのですが、

逆からの読み方をすれば、Fisherが言っていることそのものが
あまりに極端に走った医療倫理とも見えるのが、ちょっと可笑しい。

それほどFisherのTruog批判には
典型的な功利主義の医療倫理の考え方がはっきり出ているような気がするので。

例えば


・Gonzales事件で医師らが懸念したのは、経管栄養、持続点滴をされ、何度も血液検査をされて人工呼吸器で呼吸させられるというEmilioの状態の尊厳のなさであったのに、Truogには本人の尊厳はどうでもよかったらしい。

・Truogは裁判所が判断すべきだと主張するが、治療が特定の患者にとって有益であるかどうかを判断できるのが医師の専門性であり、その専門性による判断は患者や家族の要望や裁判所の判断を超えるものである。

・Truogは医療の現場では公正さが守られないというが、意見の違いから争議が起こった場合には自分が提唱している全国的な「適切な治療委員会」によって解決すればよい。
(「適切な治療委員会」とは治療の妥当性判断のみを行う倫理委のようなものと思われます)

・米国で1年間に55万人もがICUで医療資源を過剰に使って死んでいき、社会に大きな負担を強いているのはTruogのような考え方をするからである。

・医師は日々の診療の中で生じる争議を法廷のような他者に明け渡してしまうのではなく、患者の最善の利益を念頭に、医療の専門家としての知識の範囲内で治療を行う責任を身につけるべきである。

去年のシアトル子ども病院生命倫理カンファレンスでの
Norman FostJohn J. Parisの主張と全く同じ。

Fostも「誰が子の利益を倫理委で代弁するのか」との問いに対して
地域の代表を1人か2人入れればいいだろうと答える安直さで
裁判所に取って代わるセーフガードとして倫理委員会があると言いたそうでした。

しかし、彼らのような主張をしている人から
「呼吸器や経管栄養は本人にとって尊厳のない状態」だと言われても
ちっとも本人の尊厳が尊重されているようには聞こえない。

気になるのは、ここで経管栄養まで「尊厳がない」と言われていることです。

最近「第2のシャイボ事件」が相次いで、いつの間にやら
呼吸器だけではなく経管栄養までが「無益な治療」の対象となってきたことが
改めて恐ろしく思われます。

それに、こういうことを言うのが
やっぱり移植医療に関係する腎臓の専門医だということも。

【関連エントリー】
その他カナダで同様のGolubchuk事件が起こっています。
詳細は「無益な治療」の書庫に。
2008.07.31 / Top↑
Harvard大学のDr. Robert Truogといえば、
以前臓器移植で「死亡提供者ルール」廃止せよとのエントリーで紹介したように、
臓器を摘出するのに脳死を待たずとも
本人の事前の意思表示さえあれば植物状態から摘出してもよいことにしようという
あまりにもラディカルな主張が頭にこびりついているので、

(SingerとTruogのこのような主張については
小松美彦氏が「脳死・臓器移植の本当の話」の中で書いておられます。)

この論文に行き当たった時には、とても意外な気がしたのですが、
Truog氏は去年7月に the New England Journal of Medicineで
テキサスで重症児への治療を医師らが停止しようとしたEmilio Gonzales君の「無益な治療」事件を論じており、
このような「無益な治療」論による医療停止を批判的に分析しています。

Tackling Medical Futility in Texas
Robert D. Truog, M.D.
The New England Journal of Medicine, July 5, 2007


「Emilioへの治療は無益なばかりか彼に苦痛を与え尊厳を損ねている」とする
病院側の治療停止の根拠についてTruogが反駁しているのは3点で、

①人工呼吸器を装着している患者の苦痛は
充分な沈静・麻酔薬によって取り除くことが出来る。

②Emilioの症状が進めば苦痛を感じることもなくなったはずであり、
医師らの主張は成り立たない。

③医療者がどのように感じていたにせよ、
ベッドサイドにいた母親らはEmilioの生を尊厳あるものと感じていた。


また、「無益な治療」論そのものに関しても以下のような批判をしています。

①過剰なコストがかかることが言われるが、このようなケースは稀であり、
またいずれにしても近いうちに死ぬ患者なのだから、
治療を停止したところでコストカットの効果は大きくはない。

②無益な治療を行うことが医療職の空しさ、ひいては燃え尽きに繋がるという議論もあるが、
それを根拠に治療を停止しようとする姿勢こそ
医療職の価値観が患者家族の価値観よりも正しいとの前提に立つものである。

③テキサスの法では病院内倫理委員会が法廷や裁判官に代わる役割を担っているが
住民代表をメンバーに加えるとはいえ、ほぼ「医療の内部の人間」で構成され
「医療者の価値観」が支配的でもある病院内倫理委が
Emilioのような貧しい黒人親子の“jury of peers”(同じ立場の人が陪審員になること)になれるわけもなく
よって病院内倫理委が裁判所や裁判官の代理としてふさわしいとは思えない。

Truogの結論をざっとまとめてみると、

テキサスの事前意志法の利点は、逆に、
患者や家族の要求に対して医療者が何でも応じなければならないとジレンマを感じる際に
医師らが患者を守るための解決の方法として捉えるべきである。

そうでなければ、この法律は機械的に治療を停止するメカニズムとして利用されてしまう。
現にBaylor Health Care Systemでは2年間に47の症例のうち43の症例において
「無益な治療」を主張する臨床チームの判断を倫理委が認めている。

リベラルな社会として我々が誇るのは
マジョリティの専横からマイノリティの権利を守ること。
多様性とマイノリティの視点を尊重し、
Gonzalesのような症例では、
自分はそれが間違っていると思うとしても
他者の選択を許容する能力をこそ我々は高めるべきであろう。

そして、

The gold standard of the due process approach is an honest judicial system.

然るべきプロセス・アプローチの黄金律は正直な司法制度である。

        ―――――

ところで、Truogの病院倫理委員会に関する指摘は、
そのままAshley事件にも当てはまります。

去年5月のUWのシンポジウムの際にも
Northwestern大学のAlice Dreger氏が同じことを指摘していましたが、
Ashleyの親は富裕層の白人でした。

もしもAshleyの親が本当に報道されたとおりの中流層であったり
黒人やアジア系、ヒスパニック系であったとしたら、
シアトル子ども病院倫理委員会は同じ結論を出していたかどうか。
いや、それ以前に倫理委まで話がたどり着いたかどうか。

(もちろん父親がマイクロソフトの幹部であるという特殊な事情が
この事件には決定的な要因としてあったわけですが。)

もう1つ、この記事には
実際の法文の条件がいくつか挙げられていて、
その中の第一に挙げられている条件は
患者や代理の治療要求に対して医師が拒否する場合は、
病院の倫理委員会での検討が必要だとするものですが、

そこで注目したいこととして、
その倫理委員会には担当医が加わらないことが条件とされています。
それによって倫理委の議論の独立性を担保せよ、ということでしょう。

当該ケースの直接担当者を外して独立した議論が行われるべきだというのは
考えてみれば当たり前のことだと思うですが、

Ashley事件における大きなミステリーの1つは、
「この奇妙な事件において、Diekema医師はいったい倫理委のどこにいるのか」という点でした。

彼は症例の直接担当者であり、
資料から推理すれば当初から熱心な推進役であったと思われるのに、
同時に病院内倫理委員会のメンバーでもあるだけでなく
“倫理委の議論を率いた”人物だともされる。
事件が公になってからはメディアに登場しては
まるで客観的な倫理の専門家として解説するがごとき奇怪な言動。

Ashley事件こそ、
Truogが指摘しているように
「病院倫理委員会は裁判所にとって代われる水準に達していない」ことの証拠なのでは?


【関連エントリー】
Emilio Gonzales事件
ゴンザレス事件の裏話
生命倫理カンファレンス(Fost講演2)
(Norman Fostが「無益な命」に「無益な治療」は中止しろと医師らにハッパをかける講演。
Truogの論文でも冒頭で触れられているBaby K事件への言及もあります)
コスト
(シアトル子ども病院のWilfond医師がコストに関してTruogと同じ指摘をしています。)
2008.07.30 / Top↑
図書館の新刊コーナーで見かけた時に
「わ、懐かしい名前だ……」というだけで暇に任せて借りてきた本。

ノーム・チョムスキー「すばらしきアメリカ帝国」(集英社)

語学を齧った若い頃に名前だけはよく見かけたというだけで、
当時もその後も著作を読んだことなどなかったので、
読み始めたらチンプンカンプンで、ただ無知を思い知らされるのみ。
ほとんど理解できなかったのですが、

2004年のインタビュー内容をまとめた本書の中で、
「社会保障制度は財政的に破綻するから、それを避けるには民営化しかない」という主張に
チョムスキー氏が反駁している箇所だけは、
なんとかついていくことが出来た。(P.140~144)

財政的に破綻するというのがそもそもウソだという氏の根拠は、
・高額所得層は事実上、社会保障目的税を免税されているので、それを是正すればよい。
・ベビー・ブーマーの成長期よりも米国は豊かになっているのだから、
彼らの高齢期を支えられないはずはない。

それなのに
社会保障が財政を圧迫しているかのように過剰なイデオロギー解釈が横行するのは、
社会保障の根幹にある原則論は連帯と相互扶助であり、
それは労働者運動をはじめとする大衆の組織的社会活動が築いてきたものであって
体制を揺るがしかねない力を秘めているから。

社会保障に対する攻撃の真意は
連帯と相互扶助の精神を崩壊させて、
体制側が支配しやすいように国民をバラバラにすることにある。

そもそも社会保障制度に対する危機感を煽って
どういう方向に制度誘導がされているかというと、
運営コストが低く効率性のよい政府による社会保障制度から
将来に備えて個人の自己責任で投資しましょうという方向へであって、
それで利益を得ているのは巨大企業や金融業界である。

----------

チョムスキー氏は医療費の膨張についても語っていて(P.186-193)、
その要因は製薬会社の強大な力と民営化された医療制度の運営コストなのだけれども、
社会保障ほど医療が問題にならないのはなぜかというと
米国の医療は富に応じて分配されているので
富裕層にとって米国の医療にはなんら問題がないから。
保険会社もHMOも製薬会社も絶好調なわけだし。

(ちなみに、Microsoftが医療データ管理ソフトで提携した相手である
Kaiser PermanenteがこのHMOの最大手らしいです。)

そこで氏は知的なマスメディア(NYTimesとかWashington Postを指しているようです)が
コトの本質を見抜いた報道をすることが大事だといっているのですが、

このあたりを読んで、ふっと頭が飛んだのは、
日本のメディア、この頃ヘンだよなぁ……ということ。

障害者自立支援法案が審議されていた頃の
郵政民営化と刺客一辺倒のバカバカしい狂騒報道もそうだったし、
今頃になってせっせとたたいている後期高齢者医療制度だって
法律が出来た2年前に知らなかったわけでもあるまいに大して報道しなかった。
その後も貧乏な人やマイノリティが苦しんでいるというニュースは
地味なネットのニュースサイトでわずかに流れるだけで、
大手メディアが大きく取り上げることはないし。

そういえば、障害者自立支援法や高齢者医療制度が決まった当時
イラクで誘拐された若者を「自己責任」の一言で見捨てようと
日本政府は国民を扇動したのだったけど、

あれも、
その後の規制緩和や構造改革で国民を使い捨て・踏み付けにしやすいように
連帯の芽を摘み、相互扶助の精神を崩壊するべく画策されてのことだった……?
2008.07.30 / Top↑
当ブログでもこれまで2つのエントリーで触れた法案の続報。
(リンクは文末に)

ダウン症だと分かった妊娠の9割が中絶されている米国で、
そうした傾向に歯止めをかけようと
障害胎児・新生児の親への正確で充分な情報提供と支援を謳う法案が
米国上院に提出されていましたが、
昨今の原油高騰でそちらへの対応が優先され、
廃案になったとのこと。

その他にも脳卒中患者やALS患者への医療支援研究や児童ポルノ撲滅など
社会保障関連を含め30以上の法案が一括してパッケージとなっていたようですが、
いずれも大して論争にもならなかった法案であるにもかかわらず、
上院での法案つぶしで“Dr. No“と異名をとる共和党のCoburn議員が
またも立ちはだかった、と。

その費用をどこから捻出するのか、
原油高騰対策が優先、
将来の世代に付けを回さないために、
などがその理由。

要するに「そんなことに使っているゼニはないぞ」ということですね。

廃案に怒った民主党の議員は
「反対票を投じた議員は選挙区に戻ったら
車椅子の人に向かって自分はあなたから回復の手段を奪ったと告げよ」と。

なにやら日本のあちこちで聞こえてくる声と同じだし、
今の時代を象徴する議論なんだろうなとは思うのだけど、

障害児・者切り捨ての動きにはゴリ押しの勢いがあって声も大きく、一方
その動きにかろうじて小さな抵抗を試みる法案は
こんなにも静かにあっけなく、ひねりつぶされていく……。





2008.07.29 / Top↑
去年、英国政府に報告された強制結婚ケースのうち、
5組に1組で知的障害者が被害者となっており、
報告に上がっているのは氷山の一角に過ぎないとして
警察、弁護士、ソーシャルワーカーが検討会を持った。



特に知的障害へのスティグマが大きいアジア、アフリカ、中東出身者が多く、
老いていく親としては障害のある子どもの将来の介護保障として結婚させようとする。

片や、英国籍のある人との結婚によってビザを手に入れたい外国人がいて、
そこで利害が一致して強制結婚がまとまる。

知的障害を隠したまま結婚させるケースも多く、
こうした結婚ではレイプやDVが起こったり、棄てられることも。

しかし人権法が保障する「婚姻の自由」が壁となって
ソーシャルワーカーが介入することが難しい。

上記の会合で話し合われているのは、
その壁をどうにかクリアして介入しなければ
状況は放置しておけないところまで来ている、と。

この記事を読んでいて、とても切ないのは、
出身の文化圏によっては、
結婚だけが子どもの将来を保障してやれる唯一の手段だと
親が考えてしまうのだという点。

障害のある子どもを、親は自分が老いた後も、死んだ後も
どうにかして守ってやりたい……と願う。

その親の切実な思いに応えてくれる社会って、
具体的にどういう社会なんだろう……と
いつも考えることをまた考えた。
2008.07.29 / Top↑
もう何年か前のことになりますが、仕事の関係で、
医療関連のいくつかの職種向けの専門誌をつまみ食いしてみた時期があって、

当時は(今もそうかもしれませんが)
どの職種向けの雑誌でも「これからはチーム医療だ」ということが強調されていて、
そういう特集や対談や論文をいくつか読んでいたら、面白いことを発見。

どの職種の雑誌でも「チーム医療」を巡っていろんなことが考察されているのだけれど、
最も熱心に論じられているのは、どうやら
「我らが職種の専門性と役割をいかに他職種に認めさせるか」という1点。

つまり、
「私たちの専門性を他職種に如何にアピールし分からせ認めさせるか」というのが
「これからのチーム医療はどうあるべきか」という議論の要諦であって、

どの職種もそういう方向で議論をしていて
「他の職種の専門性を認めよう」とか
「他職種の役割について、ちょっと学んでみよう」という方向の話は
ほとんど見当たらない。

それって結構すごいな……と。

だって、そこのところで議論は既に「チーム医療」の本質を外れているのに、
どの職種もその肝心なことに気づいていないみたいで。

もちろん今は違っているのかもしれませんが。

あ、でも、この前、某所で、
後期高齢者医療制度における医療と福祉の連携を巡って、
やっぱり「専門性を認めろ」と迫るケアマネと
「何をこしゃくな。頭が高い。教えてくださいと腰を低くして来い」とつっぱねる医師とが
そういうホンネを結構えげつなくチラつかせながら
表面的には「連携して患者のために」とキレイゴトを言い合っていたっけな。

専門性というのは視点の違いのはずなのに、
それが上下のヒエラルキーで捉えられている限り、
本当の「チーム医療」も「チームケア」もありえないと思うのだけどな。
2008.07.28 / Top↑
まず、今年3月のWPに、ちょっと気になる記事がありました。

オンラインで個人の健康・医療に関するデータを管理して、
ネット上で医師に相談ができたり、その他情報を集めたり、
病院を選んで診療予約を取る、薬の管理も出来る、個人情報を医療職と共有できる……

という個人向けオンライン医療データ管理システムが
Microsoftから去年10月に、Googleから今年2月に相次いでデビューした。
いずれもまだ完成してはいないものの、独自なサービスをアピールして
既に熾烈な競争が始まっているというニュース。

Microsoft Health vs. Google Health
The Washington Post, March 11, 2008



言われてみれば、
そういうオンラインサービスが登場するのも当たり前だよね……とは思いつつ、
なんとなく嫌なニュースだな……とも感じていたのですが、
その後、6月に関連ニュースが出てきました。

Microsoftは件のオンライン医療データ管理ソフト Health Vaultに関して
米国最大の医療資本Kaiser Permanenteと手を結んで
その拡大を狙うのだとか。



3月に前者の記事を読んだ時には知らなかったけれど、その後、
ゲイツ財団とワシントン大学・HIME、Lancet誌との繋がりについて知り、
ゲイツ財団がHIMEとLancetを通じて世界の医学研究を私物化するだけでなく
世界の医療施策にまで直接的に影響力を行使しようとしていることを踏まえて
6月の後者の記事を読むと、

これは、ひょっとして、
かなり恐ろしいことが進行しているんじゃないか、という気がしてしまう。

そういえば上記3月の記事でWPのAmy Thomson記者は
両社のソフトの目的を整理した箇所で次のように書いていました。

Oh, and with Microsoft and Google, there’s always that other goal: to dominate the world.

ああ、MicrosoftとGoogleといえば、常にもう1つの目的もあるわけです。
世界を支配するという目的がね。

Health Vault について詳しく書いてくださっている記事があったので、
TBさせていただきました。
2008.07.27 / Top↑
小国のGDPにも匹敵する財産を持つBill Gates 氏とNY市長のMichael Bloombergの2人が手を組んで、
世界中の喫煙者対策に乗り出すのだとか。

先進国での喫煙者は減少している一方で
開発途上国ではむしろ喫煙者が増えており、
それが多くの人に健康被害をもたらして世界の医療費を押し上げているので、
アジア、アフリカ、南アメリカの各国政府に働きかけて
タバコの増税や喫煙の禁止、健康被害への啓発を行わせよう、
そのための資金として両者で5億ドル出そう、と。



いかにもIHMEの理念に沿った話です。
そのうちLancetに関連論文が掲載されるのではないでしょうか。

(ゲイツ財団、ワシントン大学、IHME、Lancet誌の繋がりについては
「ゲイツ財団とUW・IHME」の書庫を。)

それにしても、いくら金持ちとはいえ、
こういうのって内政干渉とは言わないのかなぁ、
だいたいゼニがあるってことが、いつから
世界を勝手に取り仕切る権利になったんだろう……?

……と思って読んでいたら、
この記事に寄せられた読者からのコメントが現時点で3つ、全部そういう趣旨のものでした。

いわく、
「喫煙が問題ならその国の政府に対応させればいい。
偽善者が余計なことをするな」

「ゲイツは優生主義者で大衆を健康にするより
健康じゃない人を弾こうという人物。
喫煙問題を口実に規制を持ち込むのが狙い。
 そうじゃないなら飢餓の問題に対処すればいいのだ」

「タバコではなく他の作物を作るように
同じ金を農家の支援に回せばいいじゃないか」
2008.07.26 / Top↑
以前にお知らせしたように、
今年の第4回シアトル子ども病院生命倫理カンファレンスは
小児における遺伝子診断をテーマに7月25,26日の開催。

今頃かの地ではカンファまっただ中というところでしょう。
(上記リンクにリアルタイムのWebcastがあります。)

そのカンファを取材するthe Seattle Post-Intelligencer紙の記者が
前日24日の同紙のサイト・ブログで読者のご意見を募集しています。

その中に引用されているDiekema医師のコメントが
倫理学者としては基本的に慎重な彼らしいのですが、
Ashley事件で言っていたことと、全然、辻褄が合っていません。

Core piece of advice is you shouldn’t do genetic testing just because it’s available. Parents need to think about how useful a test would be. If there’s a test (that) came positive, what would be the benefit for my child? Is there something we could do?

主に忠告したいのは、ただ遺伝子診断ができるからというだけでやるべきではないということです。診断がどれだけ役に立つものかということを親はしっかり考えなければ。もしも病気の可能性があると出た場合に子どもにとって何が利益になるのか? その場合に自分たちに何か打てる手があるのか? そういうことを考えなければ。

Do you want to know every disease your kid might get?
By Paul Nyhan
Blog: Working Dad: An Unauthorized Guide to Parenting,
The Seattle Post-Intelligencer, July 24, 2008


家系に胸の病気が多いから、その予防だといって
特に遺伝子診断もせずにAshleyの乳房切除は本人の利益だと主張した人なのだから、

同じリーズニングを適用するならば、

遺伝子診断で病気の可能性がプラスと出た以上
「打てる手」としてはその臓器の摘出をすればいいし、
それが本人の利益であり、倫理的な方策である……という話になるはずでは?

      ----

それにしても、いつからなのか判然としないのですが、
最近Diekema医師がメディアに登場すると
「ワシントン大学医学部小児科生命倫理部門の教授」と肩書きが変わっています。

以前は「シアトル子ども病院 Trueman Katz 小児生命倫理センターの教育ディレクター」でした。

(記事を遡って逐一調べてみれば肩書きが変わった境目がいつだったか分かると思いますが、
 まだそこまで出来ていません。)

ご出世のようですね。Ashley事件でのご奮闘が認められたのでしょう。

【追記】
シアトル子ども病院生命倫理カンファレンスでの肩書きを調べてみたところ、
2006年の7月のカンファではワシントン大学小児科の助教授。
翌年2007年の7月のカンファでは教授になっていました。
2008.07.25 / Top↑
先日、カナダの教育心理学者Sobsey氏がAshley事件での乳房芽の切除について
実は乳房切除そのものであると指摘しましたが、

同じブログで今度は
小児の乳房切除についての文献を当たって
知的障害を理由にAshleyに行われた乳房切除は倫理的に正当化できないと結論付けています。

Ethics of Pediatric Mastectomy
By Dick Sobsey (dsobsey)
What sorts of people, July 20, 2008

Sobsey氏が提示する疑問は以下の2点。

女性にはすべからく乳癌のリスクがあるし
乳がんの遺伝子については解明もされてきているが、
それならば

1)非常にリアルで大きな病気のリスクをコントロールする目的で
 健康で定型発達を遂げている6歳児の親に
 子どもの乳房切除を求めることが許されるだろうか。

こちらについては明らかに許されないだろう、とします。

2)倫理学はこの問題を検討してみたことがあるだろうか。

この点についての議論が非常に面白いのですが、
the American Journal of Bioethics と The Journal of Medical Ethics(UK)に
この問題を取り上げた論文がある、

Ashleyケースに関った医師らは前例がないために指針もないと繰り返し強調しているのだから、
当然のこととして、これらの文献を探したはずだし、探したならば知っていたはずだ」と。

そのうち、ネットで全文が読めるものとして、
Prophylactic interventions on children: balancing human rights with public health
F M Hodges, J S Svoboda and R S Van Howe
Journal of Medical Ethics (UK), Volume 28 Number 1: Pages 10-16, February 2002

この論文の結論は非常に明快で、
Prophylactic mastectomy is problematic and has a number of grey areas. The best one can say is that it may be acceptable for competent adults who have given informed consent, free of any force, coercion, manipulation, or undue influence from any source. Prophylactic mastectomy cannot be sanctioned on infants or children who have not yet attained legal competence or the age of majority.

ざっとまとめると、
予防的乳房切除には問題が多く、まだ灰色の部分が大きい。
せいぜいのところ、周囲から如何なる影響も受けない完全な自由意志により
インフォームド・コンセントを出せる意思決定能力のある大人にだけ認められるとしても、
法的な意思決定の能力を持たない子どもには認められない。

障害のない子どもでこうした結論が出るのならば、
国連子どもの権利条約によって他の子どもたちと同じ権利を保障される障害児に許されるはずもなかろう。
米国政府は同条約を批准していないが、米国小児科学会が批准している以上、
米国の医療において障害児の権利は守られるべきである。

Sobsey氏に大きな拍手を。
Spitzibara個人的には、スタンディング・オベーションを。
2008.07.22 / Top↑
2006年8月にヘロインの過量摂取の後遺症から重症障害を負った女性
Lauren Richardson(24) の栄養と水分の供給を巡って、
その停止を裁判所に申し立てている法定後見人(legal guardian)である母親と
それに反対する父親が激しく対立しているケース。
(2人は既に離婚)

Lawmakers ‘verdict: ‘Don’t starve woman’
‘It is against the public policy of this state for nutrition to be involuntarily removed’
World Net Daily, July 3, 2008

Father: ‘System’ killing my disabled daughter
‘If they had treated a dog this way, they would be doing jail time’
World Net Daily, July 19, 2008


父親は
娘には自分の意思で身体を起こそうとしたり
言葉を話そうとする様子もあり、意思疎通が出来る、
メディケアで多額の費用を使ってナーシングホームに入れなくても
自宅で自分が面倒を見ればお金もかからない、と主張、

(米国の介護給付は現在ナーシングホームでの入所介護しか対象になっていないため、
 現在、障害者団体では在宅介護サービスでも使えるように法改正を求めています。)

「娘は制度によって殺されようとしている。
囚人だってこれほど酷い扱いは受けない。
 犬に同じことをしたら犯罪になるはずだ」と。

Delaware州の上院議会はこのケースを機に
「自分で意思決定することが困難な、ターミナルでない患者から
栄養と水分の供給を本人の意思によらずに引き上げて死に至らしめることは
この州のpublic policyに反する」と決議。

栄養と水分の供給を差し控える条件として
1)法的意思決定の能力がある患者から明白な書面での意思表示がある。
2)現在意思決定能力を失っている患者が予めの事前意思によって
このような状況下での差し控えを認めている、または
代理者(? agent authority)に決定する権限を与えている。

議会が根拠としているのは
世界人権宣言と米国障害者法。

また、
重い脳損傷のある人は
医学がこれまで考えてきた以上に認知機能を有する場合が多いことが
だんだん明らかになってきた

最近の科学が植物状態とする状態は
以前に言われてきたよりも不確かで、以前より広い範囲を含み
反応のある人まで誤診されていたり、意識があることが確認されるケースも含まれている」とも。

重要な指摘だと思います。

19日の記事では、Laurenさんが植物状態であるかどうかについて
裁判所が医師の判断を求めるのではないかとされていますが、

2本の記事にあるビデオでは、私には
Schiavoさんがそうだったように、ただ重症の障害があるだけだとしか思えません。

一体いつから重度障害は植物状態に摩り替わってしまったのか……。

しかも、それを理由に裁判所が
こういう人は餓死させていいと決めていくのだとしたら
それはLaurenさんの父親が言っているように社会制度による殺人ではないのか?

2008.07.21 / Top↑
米国産婦人科学会倫理委員会の「知的障害のある人を含む女性の不妊手術に関する意見書」。
2004年の第2版が2007年7月にアップデートされたもの。


当たり前のことながら成人女性の不妊手術での考え方を示したものですが
Ashley事件での医師らの正当化を念頭に読んでみると、
改めて彼らの医師としての良心を疑い、憤りを新たにしました。

Ashley事件での医師らの正当化の論理に関係する箇所のみ以下に。

The presence of a mental disability does not, in itself, justify either sterilization or its denial.

知的障害の存在は、それ自体として、不妊手術もその拒絶も正当化しない。

Sterilization is for many a social choice rather than purely a medical issue, but all patient-related activities engaged in by physicians are subject to the same ethical guideline.

不妊手術は多くの人にとって純粋に医療の問題というよりも社会的な選択であるが、患者に関する行為で医師が携わるものはすべて、同一の倫理ガイドラインに拠るものでなければならない。

「どうせAshleyの知的レベルは生後3ヶ月(時に6ヶ月)なんだから」
重症児は他の障害児・者とは話が別だというのが、
Diekema医師の正当化のほとんど唯一の根拠でした。


Hysterectomy solely for the purpose of sterilization is inappropriate. The risks and cost of the procedure are disproportionate to the benefit, given the available alternatives.

不妊のみを目的とした子宮摘出は不適切である。他の選択肢がある以上、子宮摘出のリスクとコストが利益に釣り合わない。

Disabled women with limited functional capacity may sometimes be physically unable to care for their menstral hygiene and are profoundly disturbed by their menses. On occasion, such women’s caretakers have sought hysterectomy for these indications. Hysterectomy for the purpose of cessation of normal menses may be considered only after other reasonable alternatives have been attempted.

機能障害がある女性は時に身体的に自分で生理の手当てをすることができないで激しく動揺する場合がある。これまでにも時として、そういう女性の介護に当たる人がそれを理由に子宮摘出を要望したことはあった。正常な生理を止める目的での子宮摘出は、他のリーズナブルな選択肢を試みた後にのみ検討されるものであろう。

英国のKatie Thorpeのケースや、先日のイリノイ州のK.E.Jのケースで不妊手術が却下されたのは、
これらの理由によるものでしょう。

Physicians who perform sterilization must be aware of widely differing federal, state, and local laws and regulations, which have risen in reaction to a long and unhappy history of sterilization of “unfit” individuals in the United States and elsewhere. The potential remains for serious abuses and injustices.

不妊手術を行う医師は連邦、州そして地方によって広く異なっている法律や規制について周知していなければならない。それらは合衆国やその他の国において“不適(unfit)”とされた人々に行われた不妊手術の長く不幸な歴史に対応すべく生じたものだからである。今なお深刻な虐待と不正が行われる潜在的な可能性は残っている。

The initial premise should be that non-voluntary sterilization generally is not ethically acceptable because of the violation of privacy, bodily integrity, and reproductive rights that it may represent.

本人が自発的に望んだものでない不妊手術は一般的には倫理上許容できないというのが第一の前提となるべきである。理由はプライバシー、身体の全体性、そしてそれが表している生殖権を侵すからである。

また、永続的な障害のために自己決定が難しい患者でのガイドラインの中で、
その女性の生活環境において性的虐待を受けたり妊娠する可能性がどれだけあるか
その可能性の高さを考慮するべきだとされ、その中で

Because it is uncommon for such risks to be reliably predicted, it may be preferable to recommend a reversible long-term form of contraception, such as an intrauterine device, long-term injectable progestin, or long-acting subdermal progestin implants(if available), instead of sterilization.

こうしたリスクに信頼の置ける予測ができることは稀なので、可逆的な長期の避妊を勧めることが望ましかろう。たとえば子宮摘出よりも、子宮内に入れる避妊具、長期にわたるプロジェスチン注射、(可能であれば)長期に効果のあるプロジェスチンの皮下インプラントなどを。

この点が先般のイリノイの裁判での結論でもありました。

         ―――――

これらはすべて成人女性について書かれたものであり、
Ashleyのような子どもへの不妊手術は対象になっていません。

しかし、可能な限り自己決定を尊重する努力をせよと繰り返し、
虐待の可能性への配慮を求め、より侵襲度の低い選択肢を勧めている全体の論旨からすれば、
未成年には、成人以上の慎重さが求められて然りでしょう。

また、ワシントン大学医学部のインフォームドコンセント・マニュアルの関連箇所や
米国小児科学会の不妊手術に関する見解、
先般のイリノイ州の裁判所の判断とも同じ方向性の内容であることを考えると、
知的障害者への不妊手術についての議論は不幸な歴史への反省に立って長い年月の間に積み重ねられ、
ある一定の慎重な考え方が広く関連専門職の間でノームとなっていることが感じられます。

そこからAshley事件での医師らの発言・主張はどれほどかけ離れていることか。

Ashleyの父親個人がこうした歴史的な背景にも議論の積み重ねにも無頓着で、
自分自身の“合理的な”だけの論理で“Ashley療法”のアイディアを思いつくことは
充分にあり得ることでしょう。

しかし、1人や2人の医師が個人的にそれに追随したというならともかく
シアトル子ども病院ほどの規模の、それだけの社会的な責任を負っている病院が
一応倫理委員会と名のついた会議の場で病院を挙げてそれを認め、実現に手を貸したばかりか
表ざたになるや、とほうもない詭弁を並べて世論を惑わし続けたのです。

今なおネットではAshleyに行われたことについては
「どうせ何も分からない赤ん坊並みなのだし、
介護の責任を取るのは親なのだから、やむをえないだろう」と
障害と介護負担の重さによって正当化できるとの意見は見かけられます。

Ashley事件におけるDiekema医師らの発言が結果的に
重症児の体の全体性や尊厳軽視を煽ったことは間違いありません。

それが
Diekema医師をはじめとするシアトル子ども病院の医師らの
自己保身のための詭弁が招いたものだとするならば、
その責任を彼らはいったいどう取るつもりなのか。


この意見書の最後の2行が私にはとても気にかかります。

In difficult cases, a hospital ethics committee may provide useful perspectives.

困難な症例では、病院内倫理委員会が有益な見解を提供してくれるであろう。

その倫理委員会が金と権力の前に機能と責任を放棄したのが
実はAshley事件だったのでは????

こんな事件が現に起こったというのに、
本当に病院内倫理委員会はセーフガードとして機能できるのでしょうか。

Ashley事件が問いかけている本当の疑問とは
「重症児へのこのような医療介入が倫理的に許されるか」どうかではなく
むしろ「病院内倫理委員会が本当にセーフガードとして機能できるのか」どうかなのでは?


【関連エントリー】

不妊手術に関する小児科学会指針
(UWのICマニュアルからの関連箇所抜粋もこちらにあります。)

2008.07.20 / Top↑
こんなところにDiekema医師が登場していると、教えて下さる方があったので。

自閉症児へのキレート療法の臨床試験を巡って米国で先週から論争が起きており、
その件についてScience誌に掲載の論文。

Stalled Trial for Autism Highlights Dilemma of Alternative Treatments
Erik Stokstad
Science 18 July 2008
Vol. 321. no. 5887, p.326


ワクチンの防腐剤に含まれていた水銀が自閉症を引き起こしたという説は
既に何度も否定されているにもかかわらず、
今なお信じている親も多く、
水銀中毒に使われるキレート剤で体内の重金属を排出することによって
自閉症の症状も緩和できるとの通説が流布されている。
米国の自閉症児の2から8%がキレート療法の体験者だとも。

これほど広まってしまっている以上
きちんと試験をして効果とリスクを検証する必要があると考えたのは
The National Institute of Mental Health(NIMH)。

子どもへの医薬品の臨床試験では
直接的な利益が見込まれない薬によって副作用のリスクに晒すことは倫理に反するとの原則があるが、
その反面、きちんと検証されることのメリットも捨てがたい。

NIMHは施設内審査委員会(IRB)の承認を経て2006年9月に実験を開始したが
その後、動物実験で副作用が報告されたため、
2007年2月に実験を中止し、判断がIRBに差し戻された。

IRBは今回の判断を避けたものの
社会全体の利益が大きいと判断されれば
NIMHを管轄する福祉保険省には実験を承認する権限があるため
先週メディアが「政府筋が反倫理的な実験をもくろんでいる」と報道し論議が巻き起こった
……というのが顛末のようです。

しかしNIMHではキレート剤よりも
抗生剤minocyclineがRegressive な自閉症にもたらす影響のほうに
研究の焦点を移したいとのこと。

           ―――――

なぜ、こんなところに登場しているのか不思議なのですが、
この記事の中にIRBのメンバーでもなかったDiekema医師がふいに出てきて
コメントしています。

2006年の実験を承認したIRBの決定を擁護するという役回りなのか、

効果が見込めないのにリスクに晒すのは倫理に反するとの基準に対して、
「その反面、適正に行われた実験でネガティブな結果が出れば
キレート剤を使うかどうか親の判断がベターなものになる」と。

実験対象となる子ども個々のリスクよりも
社会全体のメリットを……との見解とも聞こえますが、

つい先日のワクチン拒否事件に関連して彼が発表した
「個人の自由」と「公益」とのバランスを論じる論文では、
「合法性」と「害原則」の2点を公権力介入が正当であることの検証基準として挙げていたし
害原則には慎重に追加条件まで加えていたことと照らし合わせると、

「利益が見込まれないのに子どもをリスクにさらすのは不可」とする原則こそ
彼の言う「害原則」ではないのか……??

なんだかDiekema医師という人は
生命倫理・医療倫理が実は政治的な思惑しだいでどういう方向にでも振りかざされる詭弁に過ぎないことの
生きた証みたいに思えてくる……。

【追記】
その後、この研究は中止されたようです。
afpcさんのブログで取り上げてくださっているので(9月18日)、TBさせていただきました。
2008.07.19 / Top↑
今年1月に
介護者差別を巡るColeman裁判のエントリーで紹介したケースに
ヨーロッパ法廷の判決が出ました。

障害のある息子がいる女性が職場でフレックスで働きたいと申し出たのに認められなかった、
障害のない子どもの親には認められているのに
子どもに障害があるために「怠けている」などと責められた、差別だとして
まずは英国の雇用裁判所に訴え、
雇用裁判所がヨーロッパ法廷に持ち込んでいたもの。

それは職場での平等な扱いを定めたEUのディレクティブに反するかどうか、
また discrimination by association が認められるかどうかが焦点となっていました。

このたびヨーロッパ裁判所が出した判断で
全面的にこの女性Colemanさんの勝訴。

この裁判は英国の介護者全体の権利に関るものと注目されていたため、
以下のTimes の記事は冒頭で
英国の600万介護者は本日、画期的な勝利を勝ち取った」と。


判断の具体的な文言としては

Where an employer treats an employee who is not himself disabled less favourably than another employee in a comparable situation, and it is established that the less favourable treatment of that employee is based on the disability of his child, whose care is provided primarily by that employee, such treatment is contrary to the prohibition fo direct discrimination laid down by the Directive.

従業員本人に障害がなくても、
その人がケアしている子どもに障害があって、
その障害が理由となって他の従業員よりも扱いが悪くなったならば、
それはEUのディレクティブに反する差別である……と。

しかも「そんなことしていない」という立証責任があるのも雇用主の方。


企業サイドからは、こんな訴訟がどっと増えるんじゃないか
現実にどう対処すればいいのかなど不安の声も。

英国はこの判断を受けて
1995年制定の障害差別法がこの判断に添える内容になっているかどうかを検討し
そうなっていなければ改定を迫られることになります。
2008.07.18 / Top↑
The Lancet 誌が“世界中の学生がグローバル・ヘルスに興味をもってくれるよう”
開設している投稿サイト the Lancet Student に、
イスラエルの医学生がAshley事件を論じる論文を寄せています。

タイトルは「医療の傲慢の極地」なのですが、
学生さんの書いたものだからなのか
たいした意味もない表を大げさにつけている割には
内容がよく分からないものになっているし、

結論と思われるものに至っては、むしろタイトルの逆のような……
なんだか意味不明のヘンな論文。

しかし、こういうのが医学生の意識なのかぁ……?
と思って読むと、いろいろ考えさせられる。

それから巻末の参考文献は参考になりました。
(米国産婦人科学会倫理委員会が2007年に
「障害者を含む女性の不妊術に関する意見書」を出していることを
ここで知ったので、読んでみました。
これについては、近くアップします。)

The Height of Medical Hubris
By Ohad Oren
The Lancet Student


この論文で気になった箇所をいくつか挙げておくと、

成長抑制を「proactiveな手段」だと書いていること。

たぶん「前もって積極的に手を打つ」といったニュアンスと思われ、
例えば胃がんの遺伝子が見つかったから胃を摘出して予防するとか、
もっと極端には胚の段階で遺伝子操作をして病気予防することまで
含まれそうな響きの言葉だな、と。

イタリックで強調してあるので、
Ashleyの親の考えをこのように受けたものとも考えられますが、
それにしても医学生がこういう言葉をさらっと使ってしまうこと自体が、
科学とテクノの簡単解決文化の浸透というか、
6歳の子どもにホルモンを大量投与することを既に肯定している文化が匂うような?


リスクについては「今後の観察研究によって見極めることが必要」

……って、じゃぁ、何例もやれってことですか?
リスクを見極めるためには実験が必要だからって?


「社会の役割」については「我々の社会における障害児の価値について議論が必要」

「社会における障害児の価値」だそうです。
こういうフレーズを躊躇いもなくしゃらり~んと書ける人には
医師になってもらいたくないんだけど……。

ともあれ、その「価値」を見極めて対策を考えるために
彼は「多職種による学際的な議論」が必要だというのですが、
大変気になるのは彼が挙げている分野で、

内分泌、神経、外科、発達、それから倫理学。それだけ。

それを彼は an interdisciplinary group of experts (学際的専門家集団)と呼ぶわけです。
これは学生だから広い世界が見えていないのか、
それとも医学の世界にいる人の視野の狭さというものなのか。

医学の世界の人にとって「専門職」というのは医師だけ……?と
感じる場面は身の回りにも沢山ありますが、

でも、「社会の役割」という以上、それは「医療の役割」よりはるかに広いもののはずですが。


で、彼の結論らしきものは、たぶん
「現実には理想的な社会なんてないんだから
 充分な介護支援が整っていなくて親に過剰な負担がある以上、
 医師はこうした手段を勧めるだろう」というあたりなのかな。

で、本文では「それもやむをえないだろう」というニュアンスで書き、
タイトルでのみ、そういうのを「医療の傲慢の極地」と呼ぶのか??

Lancetがゲイツ財団の資金と繋がっていることと関係、あるかな。まさかね。)

       ―――――

そういえば、この前、人に教えてもらって
日本の厚労省が出した「安心と希望の医療確保ビジョン」というのをざっと読んでみた時に
「これからは“治す医療”だけじゃなくて“支える医療”もしっかりやるんだ」
みたいなことが強調されていましたが、

くれぐれも医師だけで支えられるとか、支えられるのは医療だけだとか
はたまた医師が他職種を叱咤激励しつつリーダーシップを発揮して主導するんだぞ……
みたいな医学教育はしないでほしいなぁ……と思ったんだった。
2008.07.18 / Top↑
このところ久しぶりにAshley事件に関する論文が2つ続いています。
多くの人がもはや興味を失ったばかりか忘れ去ってしまったかのように思える今
なおこの事件に興味を持っている研究者の方もあるというのが嬉しい。

まず、そのうちの1つ。

カナダのAlberta大学の教育心理学の教授で
発達障害センターと医療倫理センターのディレクターを務めるDr. Richard Sobsey

当ブログでも当初から指摘してきた「乳房芽の切除」に関する疑念について
生命倫理関連の研究者らのブログで書いています。

Mastectomy, not mastectomy
By Richard Sobsey
What Sorts of People, July 16, 2008


Sobsey氏は2007年冬に
Growth Attenuation and Indirect-Benefit Rationaleと題した論文を
Newsletter of the Network on Ethics and Intellectual Disability誌(Vol.10, No.1)に発表しているのですが、
その際には乳房芽の切除については知らずに書いたために
重要な点を取りこぼした内容になってしまったとして、改めて

なぜ主治医らは2006年秋の論文で乳房芽の切除について書かなかったのか」との
謎に迫っています。

彼が提示する疑問は2点で、

主治医らはメディアのインタビューでの発言のように、
本当にAshleyに行われた手術は通常の乳房切除とは別物だと信じていたのか。

当初は触れられることがなかった乳房芽の切除が
途中から何故とりわけ強調されているのか。

①については、当ブログでも指摘したように
WPASの調査報告書に添付されている特別倫理委の議事録の中では
Mastectomy(乳房切除)という認識で捉えられていることがまず指摘されます。

次に、これは私も見落としていたのですが、
同じくWPASの調査報告書に添付のAshleyの入院費支払い明細(Exhibit R)に
BILAT SIMPLE MASTECTOMY(両側の単純乳房切除術)という費目がある、と
驚くべき事実を明かしてくれます。

「つまり、支払いの際には、
乳房切除と呼ぶにはあまりに小さな手術だと説明する必要を感じた人は
どこにもいなかったのである」

②については、自分としては
乳房切除の心理的・肉体的・社会的影響についての意識の低さに関係するのではないかと思うが、
実際のところよく分からないので、他の人たちの考えを聞きたい……

とした後、最後にSobsey氏は
Spitzibaraの英語ブログのリンクを置いてくれました。

7月10日のエントリー “It was ‘mastectomy’, not ‘breast bud removal’ in 2004”
Sobsey氏と同じ疑義を呈し、
主治医らは乳房切除については間違ったことをしたという自覚があって、本当は隠したかった、
そのために父親がブログですべてを明かした後は
実際に行ったことを過小に申告しようとしたのでは、と
指摘しているためと思われます。

          ―――――――

Dick Sobsey氏は2007年1月の論争当初に
The Seattle Timesの社説に対して、
「Diekema医師は当該ケースの直接担当者として
今回の判断をディフェンドするのは当然ではあるが、
同時に利益関係のない専門家として解説までするのはおかしい」と
至極まっとうなコメントを入れた人です。
2008.07.17 / Top↑
元論文の情報がないのがちょっと不思議な記事なのですが、

University of Illinois at Chicago の Dr. Olshansky、
University of WashingtonのDr. George Martinをはじめ
米英の老年学などの研究者総勢12人が

先進国で医療費の高騰が社会問題となっている今、
21世紀の医療は個々の病気への治療法よりも
老化のプロセスを遅らせることをターゲットに、

そのために老化防止の基礎研究にもっと多額の資金を……と訴える論文を書いています。



検索してみたら、英国医師会のジャーナル(BMJ)に掲載の以下の論文のようです。



大きな病気への治療法を見つけても、
それ自体が平均寿命に与える影響は小さいし、
病気になるのはもっぱら中年以降なのだから
老化を遅らせる方法を研究する方が健康寿命を延ばすことができて
医療費高騰問題への根本解決になる、という主張のようですが、
本当の主張は「研究費をよこせ」の方かも?

老化のプロセスを遅らせる方法は食事介入と、もちろんのことながら遺伝子操作によって

        ―――――

でも、この論文の主張を、例えば以下のWPの記事と一緒に読んでみたら、
一体どうなんだろう──?

ミドルクラスのアメリカ人の5人に3人は老後に蓄えが尽きてしまう、

ベビーブーマーが90歳まで生きるとして
60歳で仕事を辞めたら、よほど生活水準を落とさない限り80で貧困状態に陥るぞ、と。



みんなが元気で長生きになって、国として医療費が本当に削減できたとしても、
一人ひとりの高齢者は蓄えも尽きて貧困にあえいでいるというのでは
どこかで何かが転倒しているし、

そもそもアメリカは
基本的な医療もロクに受けられない無保険者や子どものことを
先にどうにかするべきじゃないのか? と思うし。

だいたい人間が病気にならなくなるわけじゃなし、
いくら寿命を延ばしても人間が死ななくなるわけでもないのに。


ちなみにトランスヒューマニストらは
これから人間の寿命は1年に1歳ずつ延びるとか、
人間はポテンシャルとしては150歳くらいまでは軽く生きられるんだとか
“長生き”についても、いろいろ夢を描いて見せています。
彼らの“長生き”発言に関するエントリーは以下。

2008.07.16 / Top↑
チキナさんはたぶん23歳くらいの、女性。
高校生くらいに見える。
重症重複障害があるけど自分で座ることはできる。
つかまるところがあれば膝立ちもできる。
支えてもらえば、不安定ながら、ほんのわずかなら立つこともできる。

だから
お母さんがナナクサ園に迎えに来て
「さぁ、家に帰ろうか」と
フロアに座っているチキナさんを車椅子に乗せようとする時には
とてもがんばって足を踏ん張り、お母さんに協力する。

チキナさんが家に帰っている間
お母さんは自分がどんなに疲れていても
毎晩チキナさんとおフロに入るのだという。
チキナさんがおフロが大好きだから
入れてやりたいのだという。

母と娘でお湯に浸かって
言葉を持たないチキナさんがとても満ちたりた顔でくつろいでいて
お母さんはそんなチキナさんを抱いたままいろんなことを話しかけて、
2人の間には言葉以上に豊かなものがいったりきたりするんだろうな……

……って、この部分は私の想像で、
とりたてて聞いたわけではないのですが。

私が聞いたのは、
毎晩おフロに入れるのはいいんだけれど、
チキナさんが湯船を出たがらないから困るという話。

ほら、この子って普段は
後ろから抱えたら足を踏ん張って協力してくれるじゃない?
それが、おフロから上がる時だけはダメなんだよ~。
なかなか上がる気になってくれないから
仕方なしに無理やり立たせようとするとね、
へたぁ~と足の力を抜くんだよね~。知ら~ん顔してさ。
それで、どうやって私の力で湯船から引っ張り出せるってんだよ~。

浴槽の中でワザとへたり込む裸のチキナさんを思い描くと
ズルくて、必死で、いじらしくて、それに、どこか滑稽な姿なものだから、
お母さんと一緒に大笑いしてしまう。

もちろんチキナさんのお母さんはそういう時には
裸のまま汗だくでほとほと困り果てるのだし、
もう何度も腰痛になっているし
一緒におフロに入れる限界も迫っているし
いろいろ厳しい現実はあるのだけれど、
そしてこっちだって同じ問題を抱えているから
その切実さは言われなくても分かっているのだけれど

それでもやっぱり、
チキナさんもやるもんだね、と笑ってしまう。
チキナさんのお母さんと一緒にゲラゲラ笑いながら、
あ、これ、なかなか悪くない瞬間だな……と思う。

“知って”いるから説明の必要もない、なにか複雑だけどとても豊かなもの。
それを私たち、今、笑いと一緒に共有しているよね、と。


チキナさんを初めて見る人は「どうせ何も分からない」人だと思い込むだろうし、
そういう人はチキナさんが家に帰るとおフロで実力行使の抵抗に及ぶなんて、
まして我が家だから実力行使が有効なんだというところまで読んでやっているなんて
夢にも思わないのだろうけど、

この子たちは分かっている。
その分かり方は必ずしもあなたや私と全く同じ分かり方ではないかもしれないけど、
でも、その子なりの分かり方で、ちゃんと分かっている。
そして、その子、その子の分かり方の中には
「その子がその子であって、その子以外の誰でもないということ」の匂いがぷんぷんしている。

その匂いを嗅ぎ取れる鼻さえあれば、
「その子らしさという匂い」の強烈さに時には驚かされたり感心させられたり、
そして大いに楽しみ、笑わせらてももらうんだけどなぁ……。
2008.07.16 / Top↑
The American Association for People with Disabilities(AAPD)は
アメリカ障害者法(ADA)が出来て18年になるのを記念して
7月26日にOhio州 Columbus にて the National Forum on Disability Issuesを開催。

その際、大統領候補のObama、 McCain両氏を招いて
障害者問題施策に関するフォーラムが予定されています。

The National Forum on Disability Issues
July 26, 2008
Columbus, Ohio
12:30 – 3:30 PM, ET


なお当日は
障害者向け情報サイトDisabloomにて
リアルタイムでWebcastが見られるとのこと。

           ―――――

McCain上院議員といえば
4月にADAPTがワシントンDCで全国大会を開いた際に、
多数の障害者がMcCain事務所を包囲し、
内部に入った人など20人以上の逮捕者が出ています。


現在、米国の公的医療保険メディケア、メディケイドでは
介護給付がナーシングホームへの入所にしか認められていないため、
施設入所したくない高齢者や障害者は在宅支援サービスを自腹でまかなって
地域で暮らすしかない状態。

そこでナーシングホーム入所相当額を地域での在宅サ―ビスに使う選択を可能にし、
また地域でのサービス拡充に予算をつけることなどを盛り込んだ
The Community Choice Act(社会保障法の一部改正案)を去年、
民主、共和両党の議員がスポンサーとなって提出。

Obama議員は既にスポンサーに名を連ねていたのだけれど、
McCain氏はまだスポンサーになっておらず
ADAPTがMcCain氏の事務所を包囲し、同氏との面会を求めたのはそのためだったようです。

その後7月に入ってMcCain氏は同法案に対して公式に反対の立場を表明しています。



Forumでの議論が注目されます。


The Community Choice Act に関するADAPTのサイトはこちら
2008.07.15 / Top↑
キリスト教保守のニュースサイトDacota Voiceに
Schiavo事件における世論調査の危うさを突いた興味深い記事が投稿されています。

世論調査というものが如何に結果を正確に予測できないか
今年の大統領選で露呈されているが、
Terri Schiavo事件ではそんな不確かな世論調査に影響されて
彼女は餓死させられたのだ、と。

Terri Schiavo Execution Sanctioned by Faulty Polls?
Carrie K. Hutchens
Dakota Voice, June 8, 2008


Terri Schiavo事件の際に夫や夫に賛同する人たちが
世論調査の結果を引き合いに出しては
アメリカ国民はTerriの「生命維持装置」を外すことに賛成していると主張し、
それが裁判所の命令に、無視できない影響力を持つことになった。

しかし、その世論調査では
Terriさんが脳死状態ではなく自力で呼吸していることが充分に確認されておらず
それが具体的にはチューブ栄養のことだということも曖昧なまま
「生命維持装置」の取り外しの是非を問うたものであって、
世論調査に参加した多くの人は答えるに当たって
「生命維持装置」とは「人工呼吸器」のことだと受け止めていたし、
Terriさんが「脳死」状態にあると思い込んでいた。

それらは世論調査の質問がそう思わせるように作られていたからである。

    -----

ここで指摘されている世論調査の設問の危うさという問題については
“Ashley療法”論争の際に私も大いに憤りを感じました。

Ashleyがどのような子どもなのか、彼女の実際の障害像を確認することもないまま、
多くの人が勝手にAshleyは植物状態なのだとカン違いし、
「どうせ人間らしい反応は何もないのだから」、
「どうせ何も感じることがないのだから」と思い込んで
彼女に行われた医療上の必要のない過激な医療行為を是としました。

Ashley事件でもインターネット上に
「発達障害のある子どもの成長を止めた親の判断は倫理的なものだと思いますか」という
(あまりにも)大まかな設問の世論調査が出現しており


現在(7月15日朝時点)のところ、

「それがケアする唯一の方法であるなら理解できる」が35%
「非倫理的である。障害があっても成長・成熟する権利を有する人である」が51%
「どちらとも分からない」が14%

しかし、Ashley事件での親と担当医の、あの正当化から
成長抑制が「彼女をケアするための唯一の方法だった」と果たして言えるものでしょうか?

この世論調査においても、
設問の立て方そのものが問題を単純化しすぎていること
事件の事実関係を全く誤ったままYESの答えを誘導していること
などの問題があります。

     ------

もう1つ、最近目に付いた、やはり米国の世論調査。

米国民の52%は「重い障害を負うくらいなら死んだほうがマシ」と考えているとの
結果が出たというもの。




ここでもまた設問の立て方そのものが大いに疑問。

具体的には一体どういう障害像のことを問うているのか
「重い障害」という言葉は非常に曖昧です。

ここには当ブログでこれまで指摘してきたように
Peter Singerやトランスヒューマニストらの議論で
「障害」が常に「最重度」として語られるイメージ操作、

そこにある多様性も程度のグラデーションも無視されて
常に最重度のイメージに基づいて議論が進められていくのと同じ危うさがあるのでは?


彼らが「重い障害」を論じる時には
その「重い障害」という言葉はいつの間にか脳死や植物状態と重ねあわされ、そのために
「重い障害を負ったら死なせるのが本人にとっても社会にとっても最善の利益」という結論が導き出されて、
障害児・者の「無益な治療」拒否や自殺幇助を含む尊厳死の法制化へと
世論を誘導していこうとしていると思われるのですが、

現実に医療が差し控えられたり、栄養や水分すら与えられなくなっているのは
脳死者でも植物状態ですらない、重度の患者なのです。

それは、
抽象的な議論や言葉から導き出される、一見ある種の基準らしく見えるものと
現実に行われていることとの間に大きなギャップが生じているということで、

抽象的な議論で巧妙なイメージ操作が行われることによって
本来行われるべき丁寧な検証の不在が目隠しされている。

そして個々の世論調査においても
同様のイメージ操作が行われているとしたら、
その危うさには、くれぐれも注意しておかなければならないと思う。




2008.07.15 / Top↑
オーストラリア政府の医療倫理委員会が新たなガイドラインにおいて
昏睡後に反応がなかったり反応が非常に小さい患者では
経管栄養を含む治療を差し控える方向を提唱。



あまりに負担が大きな(overburdensome)治療について
一般向けに教育を行うべきだともされており、

その中には、ただの生理的な反応に過ぎない体のどこかの動きを
意識がある証拠だとか意思によるものだと家族がカン違いして
誤った希望を抱くことのないように……という”教育”も含まれているのだとか。

(でも植物状態だとか最少意識状態とされた人が完全に目を覚ましたというケースだって報告されていて、
「植物状態」の脳のダメージの不可逆性についてはまだ分からないことも多いはずなのに……。)


「あまりに負担が大きい治療」とは、
risky, intrusive, destructive, exhausting, painful or repugnant であって、
コストが利益や成功を上回るもの。

しかし、治療の中には
risky, intrusive, destructive, exhausting, painful or repugnant でありうるものは多いのだから、
これは要するに後半に重きがあって「どうせ無益なのにコストが嵩むなら死なせましょう」ということでしょう。

気になるのは、
Karen WeberのケースでBobby Shindlerが問題にしていた経管栄養が
ここでも「基本的なケア」ではなく「治療」に含まれていること。

そして、もっと気になるのは、
意見が対立した家族と医師が裁判所に決着を持ち込むのを防ぐことが
ガイドラインの狙いの1つに挙げられていること。

じゃぁ、自分で自分の身を守ることが出来ない人たちのためのセーフガードは???
認知能力はあるのに表出能力が低いために意思を伝えることが難しい人たちは??

また、オーストラリアの保健相に上記ガイドラインが提出されたのは
上院の安楽死に関するレポートが提出されるのと同時だったという点も、
大いに気になるところ。

        -------

すべては連動している、と思う。

「無益な治療」論による重症障害児・者の切捨て。
「生きるに値する命」、「本人の最善の利益」論による障害児の中絶・安楽死。
遺伝子診断によるデザイナー・ベビー志向と障害のある胚の排除。
「死ぬ権利」論による自殺幇助合法化への動き。
科学とテクノロジーによって身体に手を加えて簡単問題解決の文化。
科学とテクノロジーで、さらに健康にさらに長生きにさらに能力アップを、と
トランスヒューマニストらが見果てぬ人類改造の夢。
一部の富裕層の利益だけに都合よく世界が作り変えられていくグローバリズム。
強い者がより強くなるために弱い者を踏みつけ、切り捨てていく新自由主義。

みんな、繋がっているんだ……と思う。
2008.07.14 / Top↑
フロリダ州で去年の暮れに脳卒中で寝たきりになった57歳の女性Karen Weberさんを巡り、
植物状態だから栄養と水分補給を停止してホスピスに移したいとする夫と
目と頭の動きで意思表示が出来る、本人は生きたがっていると主張する母親が対立、
第2のTerri Schiavo事件となっています。

夫の訴えを受けた裁判所は
神経の専門医1人と心理学者2人の委員会を設置し、
本人に意思決定を行う能力がある(competent)かどうか委員会が判断するまで
栄養と水分供給の継続を暫定的に命じています。

なお、本人は倒れる前にこうなった場合について意思表示をしていませんでした。


上記リンクにニュースビデオがあるのですが、
ものすごくショックだったのは
その中にあったTerri Schivoさんの方の映像。

これまで私は静止画像でしかSchivoさんの姿を見たことがなかったので、
ビデオで彼女に表情があること、目の動きが「分かっている」と思われることが
とてもショックでした。

これだけ表情のある女性が、ただ客観的な意思表示ができないというだけで
既に他の女性と暮らしている夫の訴えを受けた裁判所の決定によって
栄養と水分を与えられず餓死させられてしまったのだと思うと
やっぱり考え込んでしまう。

その後Terri Schivoさんの家族はthe Terry Schindler Schiavo Foundationという財団を立ち上げ、
無益な治療論による障害児・者、高齢者の医療中止に反対する運動を続けていますが、

Karen WeberさんのケースについてもTerriの弟のBobby Schindlerが
強く批判する文章を書いています。


彼がこの文章で警告しているのは

多くの人が知らない間にアメリカの病院では
「生命の質」や「本人の最善の利益」、「無益な治療」などの議論によって、
肉体的・精神的・知的に“劣っている”人たちを脱水によって死なせることが慣行化しており、
家族の間に意見の対立さえなければ表に出ることもない、ということ。

かつては「基本的なケア」だとされていた栄養と水分の供給が
いつのまにか「人工的な栄養と水分」であり「医学的な治療」と捉えられて
個人が拒む権利を行使する対象となり、
または病院が「無益な治療」を主張する対象に含まれてしまったということ。


今回のフロリダの裁判所のリーズニングで行けば、
本人に生きたいという意志決定を行う能力があるかどうかを委員会が判断するのだけど、
その能力があれば本人が自分の生死を決めるとしても、
その意思決定の能力ないと判断された場合には
それが栄養と水分の供給を中止して餓死させるという決定に等しいと考えられているようで、
その点が「何故そうなるんだろう、飛躍しているんじゃないのか」と疑問だったのですが、

この点についてBobbyさんは
要するに自分で意思決定能力がある(competent)ことが
ここでは生きるに値する条件になっていると非難していて、

理屈の上では本人に意思決定能力がないのだから
「それが本人の最善の利益だと判断する夫の代理決定」ということになるのでしょうが
実際はBobbyさんの言うとおり、いつのまにやら、
「自分で意思決定できなければ生きるに値しない」ということになっていくということでは?

不可逆なターミナルで耐えがたい苦痛がある時に自分の意思決定が明確である場合にのみと、
限られた条件が揃っている時にだけ、
それでも拒否できるのは「延命のための治療」だったはずのところから、
ずいぶんかけ離れたところまで事態はものすごい速度で進んでしまって、

しかも、

いつのまにか現場での慣行の方が既成事実を作って、
そちらが主導で世論を後追いさせているかのような変化の速さ……。

2008.07.13 / Top↑
佐野洋子さんの「シズコさん」は
母親を嫌っていた佐野さんが認知症になった母親の介護を通じて
かつての出来事を追体験し、母親の人生を振り返って
“許し”を体験していく過程が描かれている本なのだけれど、

そこに

自分と母親との関係は異常で、自分だけが母を嫌いなのだと思っていたら、
40歳を過ぎてから、世の中にはそういう女も沢山いるということに気づいた……と書いてあって、

私は逆に家族というのは誰にとっても、
すべからくトラウマの源なんだろうとばかり考えていたので、
ものすごくビックリした。

とても印象的だったのは

フロイトは父と子の関係、母親と息子の関係は研究したが、
母と娘の関係をシカトしたのはフロイトが男だったからだろうか。(P.156)

「アダルト・チルドレン」という言葉で括ってしまうことの是非はともかく、
成長過程で親から傷を受けてしまった人の社会適応の難しさ、
そういう人に特有の“生きづらさ”というものは、あると思う。

だから、

親から傷を受けてしまった女性が育児負担や介護負担に直面する時に特有の
介護者としての脆さというものもあるんじゃないのかなぁ……と
私はずっと感じてきたのだけど、
そういう視点からの介護者心理とか介護負担の研究というのも
出てこないものかなぁ……と。

育児負担をきっかけに親との関係の中に潜んでいた問題がぶり返して
育児負担そのものよりも、実はぶり返したその問題の方に苦しんでいるという女性は
自分自身も含めて、
また、それに気づかないまま自分は育児に悩んでいると思っている人も含めて
かなりいるような気がします。


そういうケースで育児支援のサービスを提供したり
子どもに障害がある場合に療育サービスにつなげるだけでは
本当の意味でその親は支援されていないんじゃないかと思うのですが

支援が常に「専門家」の“父親的視点”から考えられるために、
フロイトの母―娘関係のシカトと同じ盲点になっているのでは?

佐野さんの介護体験を読むと、
この人にこれだけのお金がなかったら一体どういうことになっていたのだろう……と
考えざるを得なかった。

(佐野さんは介護が本当に大変になる前に母親を高級老人ホームに入れています。)


         ―――――――――

アルツハイマー病になった佐野さんの母親は、
見舞いに来る家族がみんなベンツに乗ってくるような超高級有料老人ホームで
物盗られ幻想で騒ぐこともなく、
丸めた新聞紙で他の入所者の頭を叩き始める行動が現われた辺りから
だんだんと目から生気が失われていって、ベッドで寝ていることが増えていきます。

いつ行っても母親はベッドでうとうととしているので、
佐野さんはそのベッドにもぐりこんで、
頓珍漢に思えたり時に妙に意味深に聞こえたりするやり取りを交わしながら、
自分と母親との関係を追体験し、振り返る
穏やかな時間を過ごすことができた──。

もちろんアルツハイマー病の症状も転帰もさまざまでしょうが、
それにしても、ちょっと不思議だった。

それで思い出すのが、こちらの話。
ついこの前、知人の高齢女性が胃カメラを飲んだ時に
「どうやって飲んだか覚えていない。うっかり眠ってしまったみたい」というので、
肩の注射はたぶん胃の動きを抑えるものだとして
それ以外に腕に静脈注射をされなかったか聞いてみたのだけど
ひたすら主治医を信頼しているその人ははっきりと答えようとはせず、
しかし、いくら暢気な人物でも胃カメラを飲みこむ瞬間に眠っていられるわけもなく、
年寄りと見てインフォームドコンセントもなしに安定剤を使ったな、と──。


まさか、超高級老人ホームの高額な利用料の中には
入所する人が家族にとって悲惨な存在にならないように“配慮してあげる”ことも
暗黙のうちに(または家族も知らないうちに)含まれている……なんてことは──

──私の妄想ですよね。きっと。
2008.07.12 / Top↑
最近やたらと自閉症関連の記事に引っかかっているなぁ……とは思いつつ、
大きなニュースみたいなので、ついでに。

各国で自閉症の多い家系を調べたところ、
自閉症に関連する遺伝子が分かり、治療に結びつくかも、と。




脳の発達によってニューロンの連絡が精密になっていく段階で
この遺伝子が環境や乳児の体験による影響を受けて働いたり働かなかったりすることが
自閉症の発症に関係しているらしい……

……という話だと思うのですが、ざっと目を通しただけなので、
興味のある方は直接資料を当たってください。

上記の他にもメディアがこぞって取り上げています。


また、Science誌掲載の元論文は
Insight into the Pathogenesis of Autism
James S. Sutcliffe
Science 11 July 2008:
Vol. 321. no. 5886, pp 208-209
2008.07.12 / Top↑
社説。文意はだいたいこんな感じ。


米国小児科学会が出した8歳からスタチンを飲ませようとの勧告には唖然としたが、
何より驚くのは報告されている子どもたちの健康状態の悪さであって、
それはもちろんどうにかしなければならない。

短期的には安全だとも言われているし、
小児を対象にFDAが認可したスタチンもある。

ただ気がかりなのは、
勧告も、まずは食事を制限して運動することの必要を説いているのに、
そちらよりも薬を飲ませようという部分ばかりが注目されてしまっていることだ。

これでまた製薬会社が大々的にコマーシャルや広告を打ち、
それで不安を煽られた親が小児科医のところにいっては
自分の子どもにも処方しろと迫る……ということが起きてしまうのでは。

Cholesterol Drugs for 8-Year-Olds
The NY Times, July 10, 2008

そうそう。そこよ、問題は……と思いつつ読む。
2008.07.11 / Top↑
近年、グループホームなど障害者サービスの質の悪さが社会問題となっているところに
さらに事業者の撤退で多数の入所者に影響が出ているワシントンDCで、

撤退した事業者から市の援助が少なすぎて経営できないと批判が出たのを受け
今度は市議会が税務調査の結果を元に
障害者ケアの事業者の幹部は給料をとり過ぎだと批判。

「事業の責任というものをちゃんと引き受けていない」
「サービス改善の戦略をきちんと出すか、それが出来ないなら廃業せよ」と。

事業所によっては、トップが年額給与20万ドル以上というところも。

City Council Members Criticize Providers
The Washington Post, July 8, 2008


日本でもコムスン事件の時に、
安易な市場原理導入による民間企業参入のツケだという批判がでていたけど……。
2008.07.11 / Top↑
なんでも先月、アメリカ政府は
歯の治療に使われる詰め物アマルガムに含まれる水銀には
妊婦や乳幼児への健康リスクの可能性ありと発表したそうで、

それを受けて火曜日に、
下院議会で治療に使われる水銀汚染について歯科医療の関係者からヒアリングが行われた。

下水への排水に流れ込まないように
歯科医院に分離装置を導入する必要があるかどうかが焦点。

ヒアリングの際2人の議員から、それぞれ、
「孫が水銀の入ったワクチンを受けた後で自閉症になった」、
「子どもの時に歯の治療に水銀の入った詰め物をされた。
アレルギー、頭痛、まだら肌、人の名前を覚えられないなどの症状が起き、
研究者から水銀中毒ではないかといわれた」
などの指摘があった、とのこと。


政治家って、もっと調査して資料に基づいてモノを言うものだと思っていた。
なんだか、そこらへんのオッサン、オバハンみたいだ。


そういえば、英国のヒト受精・胚法改正議論の際にも、
知り合いの子どもに重い障害があって、それはもう悲惨だった……という個人的な体験を語って、
ああいう子どもたちは non-person であって、
死なせてあげることが本人の最善の利益だと述べ立てた政治家もいましたっけ。
2008.07.10 / Top↑
前のエントリーで紹介したメリーランド州の親によるワクチン接種拒否事件について
Journal of Public Health Management and Practice誌の最近号で
Ashley事件の担当医であったDiekema医師が論文を発表しています。

この事件で起きた州権力行使への反発を機に、
「個人の自由」と「公衆衛生」とのバランスを軸に
ワクチン問題での州権力の適正行使の基準を考察したもの。

Diekema医師は2006年のシアトル子ども病院生命倫理カンファレンスでも
同様のテーマで講演を行っています。

また去年2007年の生命倫理カンファレンスでの講演の中でも、
「自分の娘にワクチンを接種させるかどうか迷ったが
 娘の友達が白血病だったから、受けさせた」などと
個人の利益と公共の利益のバランスを語る下りで
やはりワクチン接種を例にとっていました。

(なんで小児科医が「自分の子への接種を迷」うんだろう……?
Webcastを聞いた時の私の疑問はいまだに解けていませんが。)

COMMENTARY : Public Health, Ethics, and State Compulsion
Douglas S. Diekema MD, MPH
Journal of Public Health Management & Practice
July/August 2008, Vol. 14, No. 4, P.332-334

この論文の中でDiekema医師は
個人の自由を抑えて州が取り締まり権(police power)を行使するのが正当化される条件として
以下の2つを挙げます。

①合法性
②害原則

害原則とは2006年の講演でも引用していたJohn Stuart Millの議論で、
The only purpose for which power can rightfully be exercised over any member of a civilized community, against his will, is to prevent harm to others. His own good, either physical or moral, is not a sufficient warrant.

本人の意思に反する形で個人に対し権力が行使される場合に、
それが正当と見なされるのは唯一、他者への害を防ぐ目的である場合のみ。
その場合は、身体的なものであれ道徳上のものであれ個人の利益は
その行使を退ける充分な理由にはならない。

Diekema医師は州による介入は合法であるだけでは正当ではなく
このMillの害原則に照らして正当である必要があるといいます。

小児科医療における州の介入を巡る害原則では、
2つのケースが考えられ、

A.親の決定が子どもを害する場合。
B.他者の健康を守るために介入が必要となる場合。

接種しなかったからといって子どもが病気にかかる確率はそれほど高くはないので
ワクチン拒否はAのケースには当たらないが
学校に通う子どもたちを守る義務が州にあり、
特に医学上の理由で接種できない子どもを守るためには
集団がワクチン接種を受けていることが重要でもあるので
Bに当てはまる。

ところでDiekema医師というのは、
Ashley事件を語るとき以外はとても慎重でまっとうなことを言う人なのです。

ここでもMillの害原則に、さらに慎重に追加条件をつけます。
Feinbergによる害原則の追加条件で、
これも去年のカンファの講演でも触れていたもの。

No option less intrusive to individual liberty would be equally effective at preventing the harm.

個人の自由への侵犯度がもっと低くて、同じように害を防ぐ効果のあるオプションが
他に存在しないこと。

多くの州のワクチン接種は事実上は強制とまでは言えず、
親に接種しないことを選ぶ条件も提示しているし、
ホーム・スクーリングを選ぶことも可能なので、
個人の自由を侵さない選択肢も用意されている、
よってFeinbergの害原則も満たしている、と。

(ワクチンかホーム・スクリーニングかという選択肢も、すごい。
 日本だったら、どうなるんだろう?)

また個人の利益よりも公衆の利益のためなのだから
ワクチン接種は税金による公費でまかなわれるべきであり、
またワクチン接種により何らかの実害があった場合や、
感染力の強い病気にかかった際の治療、隔離、
そういう病人に接触した人の隔離などにも充分な保障がされるべきである、とも。

(実際の費用がどうなっているのかは?)

      ―――――

去年の子ども病院生命倫理カンファでのDiekema講演を聴いたときにも思ったのですが、
「より侵襲度の低いオプション」というFeinbergの「害原則」、

それが持論なのであれば、
なんでこの人はAshleyケースを議論した倫理委員会の席で
持ち出さなかったのでしょう??????

ホルモン大量投与による身長抑制でのQOL向上にしろ、
生理痛回避のための子宮摘出にしろ、
大きな乳房がジャマくさいという理由での乳房切除にしろ、
「個人の自由(肉体の全体性や尊厳)への侵襲度のもっと低いオプション」が
いくらでもあったはずなのに。

2007年の生命倫理カンファレンスにおけるDiekema講演に関するエントリーは以下。
「最善の利益」否定するDiekema医師(前)
「最善の利益」否定するDiekema医師(後)
2008.07.10 / Top↑
去年の事件ですが、

Maryland州 Prince George 郡では子どもにワクチンを受けさせない親が増えて
とうとう2300人もが登校禁止処分となり、
中高生を中心に1月以上も登校していない子どもまで。

そこで裁判所が2300人の子どもの親を法廷に呼び出して

既に接種した証明書を提出するか
宗教上または医療上の理由による免除を受けるか
学校へ行かないホーム・スクーリングを選ぶか
その場に待機している看護師から接種させるか

さもなければ罰金刑または懲役刑となるぞ、と命じる騒ぎに。

当日は反発を募らせた親らが裁判所に詰め掛け
州の強硬な手段を批判したとのこと。


【追記】
その後、こんな事件も。

2008.07.10 / Top↑