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「『いのちの思想』を掘り起こすー生命倫理の再生に向けて」の編著者
安藤泰至先生が、宗教情報センターHPにコラムを寄稿しておられます。

「いのちへの問い」と生命倫理―宗教に問われているもの


安藤氏が生命倫理学の議論を知って感じた疑問は3つ。

哲学・倫理学系の生命倫理学者には
「自分自身の人生を棚にあげたようなかたちで
論理的なパズルを解くかのように考察するやり方」。

知的な興奮はあっても、
人生の一回性を生きる人間の問題を考察するには「不遜とも言える印象」を抱いた、と。

(ちなみに私も、シンガーの「実践の倫理」を初めて読んだ2007年に、
こんなの論理のパズルだ」という印象を受けた。
P・Singerの「知的障害者」、中身は?(2007/9/3))

安藤氏の第2の疑問は、
医療系、実践系の生命倫理学者の「医療の現場にいる専門家、医療従事者が
もっとも生命倫理への発言権を持っている、というような考え方」。

さらに法学系の生命倫理学者は、
患者の権利や人権を盛んに言う反面、
「例えば生殖医療や臓器移植のように、
ある人の生命やいのちをまもろうとすることが
必然的に別の人の生命やいのちの犠牲を伴う場合があるように、
現代の生命倫理問題が、単に欲望の充足とか機会の均等といった観点だけでは扱えない
生と死の「神秘」のようなものに関わっているという事態が十分に捉えられていない」

その他、すごく共感したのは、

現代の生命倫理学というのは
このような根本的な問いを棚上げにしてしまっているというか、
その問いを十分に問わないままで単なる利害や権利の調整や
「倫理的な問題もきちんと検討しましたよ」というお墨付きを与えるための
ある種の手続きになってしまっているように思えた.

「~~については絶対に倫理的に認められないという根拠は存在しない」といった言い方は、
既存の社会に蔓延している浅薄な価値観や死生観を問い直すことなく、
国策や産業利益と深く結びついた新しい医療技術や生命科学を推進する方向
に後押しすることになります.

「いのちへの問い」を個人に預けたまま、
専門家主導の医療文化をますます強化するような方向に与している。

上記のような現代の生命倫理(学)の議論には、
広い意味での宗教的な観点というか、人間存在、あるいは
人間の生と死の現実そのものに含まれている宗教的な次元というものが
十分にふまえられていない

何らかの宗教的教義やその世界観に基づいて
生命倫理問題への一定の「答え」を出すことではなく、むしろ、
宗教そのものの根底にある「いのちへの問い」に立ち返って、
それを徹底的に「問う」こと

一般の生命倫理学においては深く問われぬままに棚上げされている
「いのちへの問い」をきちんと問い続けること


なお、spitzibaraが「介護保険情報」に書いた
「『いのちの思想』を掘り起こす」の書評は
こちら⇒http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/64559514.html

生命倫理を問い直すのは学者だけじゃない、私たちみんなの仕事のはずだ、
というメッセージを込めた、つもり。
2012.04.26 / Top↑
以下のエントリーやいくつかの補遺で追いかけてきたカナダのRasouli事件の続報。

「“治療停止”も“治療”だから同意は必要」とOntario上位裁判所(2011/5/17)
「患者に選択や同意させてて医療がやってられるか」Razouli裁判続報(2011/5/19)
カナダのRasouli事件、最高裁へ(2011/12/23)


これまで永続的植物状態だと診断されてきたRasouliさん(60)ですが、
この度、裁判所に提出された医師の供述書によると、

家族に対して意識はあるとの意志表示で
親指を上げて「サムズアップ(OKとかGoodなどの意)」のサインをすることができるなど、
ある種の行為を自発的に制御することができ、
「最少意識状態(MCS)」である、と。

延命は無益として治療停止の許可を求めてこの訴訟を起こしたのは
トロントのSunnybrook病院の医師2人なのだけれど、

もともと植物状態と診断した同病院の脳神経科の医師は
最初の診断から11カ月後の1月に既に「症状は明らかに変わった」と述べたとのこと。

今回、意識があるとさらに確認されるならば、
延命治療についても自己決定が可能とみなされるため、
裁判の行方に影響があると見られる、とGlobe の記事。


この記事で、ちょっと興味深いと思うのは
一昨日火曜日に、ケンブリッジ大のAdrian Owen医師がRasouli氏のもとを訪れていること。

Owen医師は、ここ数年、脳画像診断によって
植物状態と診断された人に意識があることを確認したり、
そういう人とコミュニケーションをとる方法を研究している。

Owen医師の研究については、以下に。

「植物状態」5例に2例は誤診?(2008/9/15)
植物状態の人と脳スキャンでコミュニケーションが可能になった……けど?(2010/2/4))

さらに11月11日の補遺で以下

脳スキャンで植物状態の人の意識状態を確認しコミュニケートできる可能性。前からこの研究をやっているケンブリッジのAdrian Owen教授ら。
http://www.guardian.co.uk/society/2011/nov/10/brain-scanner-hope-patients-vegetative?CMP=EMCNEWEML1355


Globeの記事は、
Owen医師の診断結果については何も語っていないけれど、

この訴訟については
無益な治療ブログのPopeも歴史的な意味を持つ訴訟と指摘しており、

今後の展開に注目。


Vegetative patient now able to give “thumbs up,” fuelling debate over life support
The Globe and Mail, April 24, 2012


このところ「植物状態」や「脳死」からの回復事例が相次いでおり、
去年1年間に話題になったものだけで、以下。

またも“脳死”からの回復事例(豪)(2011/5/13):07年から10年の回復事例のリンク一覧はここに
NZで「無益な治療」論による生命維持停止からの回復例(2011/7/17)
臓器摘出直前に“脳死”診断が覆ったケース(2011/7/25)
睡眠薬で植物状態から回復する事例が相次いでいる:脳細胞は「死んで」いない?(2011/8/31)
アリゾナで、またも“脳死”からの回復事例(2011/12/24)
睡眠薬による「植物状態」からの「覚醒」続報(2011/12/7)
2012.04.26 / Top↑
UCLAで終末期の患者の死の恐怖を和らげる薬の研究が進んでいる。:幼児期から落ち着いて行動するための薬を飲み、道徳的に振る舞えるための薬を飲み、数え切れないほどのワクチンを接種し、学校に上がる頃には頭がよくなる薬を飲み、思春期前には鬱病のスクリーニングを受けて必要なら抗ウツ薬を飲み、就労後は仕事によっては24時間疲れずに働き続けられる薬を飲み、病気にならぬよう予防薬を何種類も飲み、病気になったらもちろんその治療薬を飲み(この辺まで来たら”道徳ピル”は免除になるのかな)、終末期になったら死が怖くなくなる薬が出てくる……的な、夢のような未来社会? 
http://www.nytimes.com/2012/04/22/magazine/how-psychedelic-drugs-can-help-patients-face-death.html?_r=2&nl=todaysheadlines&emc=edit_th_20120422

IVFで生まれる子どもに先天的な異常が多い。
http://www.reuters.com/article/2012/04/20/us-ivf-idUSBRE83J03M20120420?feedType=RSS&feedName=healthNews&utm_source=feedburner&utm_medium=feed&utm_campaign=Feed:+reuters/healthNews+%28Reuters+Health+News%29&utm_content=Google+Reader

患者と臨床実験とをマッチングする商売が出てきているんだけど……。
http://online.wsj.com/article/SB10001424052702303459004577361972881249382.html?mod=rss_Health

糖尿病患者の急増がNHSを破産させる、と。
http://www.guardian.co.uk/society/2012/apr/25/diabetes-treatment-bankrupt-nhs-generation?CMP=EMCNEWEML1355

英国は今年最初の4半期のデータで、また不況に。
http://www.bbc.co.uk/news/business-17836624

ジャーナルの購読料が高すぎるとして、ハーバード大が所属研究者らに、購読料を設けているジャーナルではなく、オープンアクセスのメディアで業績公開を、と呼び掛け。
http://www.guardian.co.uk/science/2012/apr/24/harvard-university-journal-publishers-prices?CMP=EMCNEWEML1355

米国の子どもの肥満の蔓延にちょっとブレーキがかかってきた? 
http://www.medicalnewstoday.com/articles/244531.php

日本語ビデオ「慢性疲労症候群と呼ばないで」
http://www.tv-tokyo.co.jp/mv/newsanswer/lives/post_17646

アマゾンの密林がムチャクチャな伐採で裸にされつつあり、300人強の小さな部族が危機に陥っている。
http://www.guardian.co.uk/world/2012/apr/22/brazil-rainforest-awa-endangered-tribe?CMP=EMCNEWEML1355
2012.04.26 / Top↑
最近、こういう話題を拾っていませんでしたが、
米国小児科学会誌に興味深い論文。

アブストラクトから結論のみを以下に。

Meta-analysis of the published literature suggests a small but significant effect of SRI in the treatment of repetitive behaviors in ASD. This effect may be attributable to selective publication of trial results. Without timely, transparent, and complete disclosure of trial results, it remains difficult to determine the efficacy of available medications.

発表された文献のメタ分析によると、ASDの反復行動には小さいが有意な効果があるとされるが、この効果は治験結果の選択的な発表によるものである可能性がある。治験結果がタイムリーに、透明性を持って、完全にディスクローズされない限り、利用可能な薬の効果を見極めることは難しいままである。


Pharmacologic Treatment of Repetitive Behaviors in Autism Spectrum Disorders: Evidence of Publication Bias
Melias Carrasco, PhD, Fred R. Volkmar, MD, and Michael H. Bloch, MD, MS
Pediatrics, April 23, 2012


ずいぶん以前のものが多いですが、
関連情報の一部をざっと以下に――。


【Biedermanスキャンダル関連】
著名児童精神科医にスキャンダル
著名精神科医ら製薬会社からのコンサル料を過少報告
Biederman医師に更なる製薬会社との癒着スキャンダル
Biederman医師、治験前にJ&J社に結果を約束
Biederman医師らに連邦検察局から召喚状
BiedermanスキャンダルでADHDの治療ガイドライン案が没に(豪)(2009/11/23)

【その他、08年のGrassley議員の調査関連】
抗ウツ剤めぐる研究者と製薬会社の癒着スキャンダル報告書(米国)(2008/11/17)
抗ウツ剤めぐる研究者と製薬会社の癒着スキャンダル報告書 Part2(2008/11/23)
今度はラジオの人気ドクターにスキャンダル(2008/11/23)

【その他、09年の製薬会社のマーケティングやスキャンダル関連エントリー】
FDAの科学者ら「認可審査あまりにも杜撰」と内部告発(2009/1/15)
ファイザー製薬ナイジェリアの子どもに違法な治験、11人が死亡(2009/2/1)
インターネットの医薬品情報、その陰にいるのは?(2009/2/14)
Harvardの医学生が医療倫理改革を起こそうとしている(2009/3/4)
FDAと製薬会社の訴訟つぶしに待った(2009/3/5)
ICなしの外傷患者臨床実験、死亡者増で中止に(2009/3/30)
HPVワクチン普及目的で保健当局が学校に女児の個人情報を要求(NZ)(2009/4/3)
マラリアやエイズ撲滅キャンペーンの影で子どもの死因第1位の肺炎が無視されてきた不思議(2009/5/10)
抗ウツ薬の自殺リスクを警告したら、処方だけじゃなくて診断そのものが激減?(2009/6/4)
FDA委員会を前に精神障害当事者らから声明(2009/6/9)
製薬会社がゴーストライターに書かせた論文でエビデンス作り(2009/8/8)
巨大ファーマがかつてのゼネコンなのだとしたら・・・・・・(2009/9/29)
英米の医療スタッフから豚インフル・ワクチン接種に抵抗が出ている(2009/10/13)
中流の子なら行動療法、メディケアの子は抗精神病薬・・・・・・?(2009/12/13)

【2010年の関連エントリー】
「次世代ワクチン・カンファ」の露骨(2010/5/28)
「米国のワクチン不信と、そこから見えてくるもの」を書きました(2010/7/5)
ProPublicaが暴く「ビッグ・ファーマのプロモ医師軍団の実態」(2010/11/2)

【Rebecca事件関連エントリー】
双極性障害で抗精神病薬を処方される2―5歳児が倍増(2010/1/16)
2歳で双極性障害診断され3種類もの薬を処方されたRebeccaちゃん死亡事件・続報(2010/2/22)

【2011年のビッグ・ファーマ・医療機器会社関連エントリー】
「製薬会社に踊らされて子どもの問題行動に薬飲ませ過ぎ」と英国の教育心理学者(2011/1/18)
学会が関連企業相手にショーバイする米国の医療界(2011/5/11)
1つの病院で141人に無用な心臓ステント、500人に入れた医師も(2011/5/15)
“プロザック時代”の終焉からグローバル慈善ネオリベ資本主義を考える(2011/6/15)
ProPublicaの製薬会社・医療機器会社と医師との金銭関係調査アップデート(2011/9/9)
ジェネリック薬を売らせないビッグ・ファーマの「あの手この手」が医療費に上乗せられていく(2011/
2012.04.26 / Top↑
12日の補遺で拾った
ルイジアナ州の自殺幇助の規制強化を盛り込んだ法案が
昨日月曜日に全会一致で下院を通過している。

医療について同意する決定権を持つ代理人には
自殺幇助と考えられる医療行為に同意することを禁じるほか、

自己決定できない発達障害のある人またはナーシング・ホーム入所者への
外科医療を含む医療の行為への同意も同様に禁じるもの。

LA州は既に刑法で安楽と自殺幇助を禁じているが、
さらに医療同意法でもその禁止を明確にしたいと提出された。

Notes and quotes from the Louisiana Legislature
NECN.com, April 23, 2012

         ――――――


ルイジアナ州と言えば
ハリケーン・カトリーナの際にメモリアル病院で“安楽死”事件が起こったところ。

4人の患者に致死薬を注射して殺したとして逮捕されたポウ医師は
結局は無罪となったけれど、その後、緊急時の医療行為で医師を免責するとか
DNR指定の患者の避難は最後にすることなどを提言し、
それらの法制化に尽力しているとも言われ、

そういう意味で
私はとても気になっている場所でもある。

以下の記事にあるように
「医師は患者本人の同意なしにDNR指定してもよいか」Bernat論文(2012/4/11)


DNR指定は基本的には医師の権限で決められるというのが共通認識らしいし、
入院時に担当医が蘇生の対象とするかDNR指定にするかを決めさせられる、という
話もあるのですが、

私はその辺が、実際にはどういうことになるのか
整理がイマイチできていません。


【関連エントリー】
ハリケーン・カトリーナ:メモリアル病院での“安楽死”事件 1/5: 概要(2010/10/25)
ハリケーン・カトリーナ:メモリアル病院での“安楽死”事件 2/5: Day 1 とDay 2(2010/10/25)
ハリケーン・カトリーナ:メモリアル病院での“安楽死”事件 3/5 : Day 3(2010/10/25)
ハリケーン・カトリーナ:メモリアル病院での“安楽死”事件 4/5 : Day 4(2010/10/25)
ハリケーン・カトリーナ:メモリアル病院での“安楽死”事件 5/5 : その後・考察(2010/10/25)
2012.04.26 / Top↑
ウズベキスタンで
本人に無断で子宮摘出や卵管結紮などの不妊措置が行われている。

ある女性は2人目を生んだ後で身体の不調が続くので
受診してみると、子宮が摘出されているので驚いたが
無断で摘出した医師らは「もう要らないでしょ、2人も子どもがいるんだから」と。

もともとウズベキスタンには、
子沢山の大家族をよしとする文化があるようなのだけど、

外国人ジャーナリストが歓迎されない同国関係者への
あの手この手でのBBCの取材によると、

ここ2年ほど政府の施策として、
本人に無断の不妊治療が行われており、

年ごとに実施計画が出され、
地域によっては医師当たりのノルマが課せられることもあり、
特に田舎では産科医に週当たり8人というノルマも。

出産の際に本人が知らない内にやられていたというケースもあれば、
クリニックの看護師らが「今ならタダだけど、そのうちカネがかかるようになるから」と
進めて歩くという話も。

保健省のソースは
人口抑制策としてやっていることだと明かしたらしいけれど、
一方で人口動態の専門家は人口増加の要因の一つは移民の流入だという。

最初に報告されたのは2005年。
法医学者が若い女性の遺体に子宮がないものが多すぎることに気付いて
それらの女性の背景を調査し、結果を公表した。そしてクビになった。
07年には投獄された。

07年には国連の拷問禁止委員会が同国の不妊手術の実態を報告し、
その後、件数は減少したが、その後また上昇しているエビデンスがある。

書類上は自発的なものとされるが
貧しい女性を誘導・操作することは簡単だ。

出産時に帝王切開になるケースがここ2年で急増している。
不妊手術を行いやすくするためと思われる。

不妊手術の目的は人口抑制だけではなく、
母子死亡率を引き下げる目的でも行われている、と同国の医療関係者。

出産件数が減れば、それだけ周産期の死亡件数も減る、という単純な話。
そして、母子保健の国際ランキングが上がる。

そんなヤリクチを使って実態を偽ってでも
ランキングをあげることに政府は必死になっている。

というのも、最近になって米国とEUの経済制裁が解かれ、
その背景には米国とパキスタンとの関係悪化、
NATOがアフガニスタンに軍や物資を送るために
ウズベキスタンを通過する必要があるため。

特にここ数カ月は西側要人が頻々と同国を訪れており、
それら要人は人権問題には触れようとはしない。

BBCに対してウズベキスタン政府は
強制不妊手術プログラムなど事実無根である、と反発し、

同国の母子保健は優秀で
他国のモデルとされるべきである、と。

Uzbekistan’s policy of secretly sterilizing women
BBC, April 12, 2012


アフリカの途上国について
しきりに母子保健を説き、死亡率を下げようとのキャンペーンを行って
各国政府や世界中の富裕層から金を集めている人たちが

同時に“革新的な避妊方法”を云々していることを
つい考えてしまう。


ちなみに、去年9月に世界医師会が
以下のような宣言を出しています。

世界医師会が「強制不妊は医療の誤用、医療倫理違反、人権侵害(2011/9/12)

それ以前の関連エントリーも多数ありますが、
上記エントリーにリンクしています。
2012.04.26 / Top↑
ここ数年、PAS合法化法案が提出されては流れているハワイ州で、ターミナルな患者に致死薬を出そうと言っている医師グループがいる。:掲載は、なんと米国医師会新聞。このO'reilly記者はA事件で実に奇怪な記事を書いた。
http://www.ama-assn.org/amednews/2012/04/16/prsd0417.htm 

上記グループは医師5人らしい。
http://www.nydailynews.com/life-style/health/hawaii-doctors-ll-offer-assisted-suicide-terminally-ill-patients-article-1.1063092

NZでMSの妻の自殺を幇助した男性の裁判始まり、議論が再燃。他にも報道多々。
http://www.newstalkzb.co.nz/auckland/news/regak/1168357081-Case-may-ignite-assisted-suicide-debate

Why we need a Commission on Global Governance for Health :the Global Health and Foreign Policy Initiativeって、知らなかった。ブラジル、フランス、インドネシア、ノルウェイ、セネガル、それからタイ。これって、どういう……? 直接関係あるかどうか分からないけど、グローバル・ヘルスと外交と言われれば、これを思い出す。⇒ ゲイツ氏、今度は世界の外交施策にも口を出すつもり?
http://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736%2811%2961854-0/fulltext?elsca1=ETOC-LANCET&elsca2=email&elsca3=Other

「モンサントとワクチンに多大に投資しているビル・ゲイツが、経口ポリオ・ワクチン・キャンペーンに、インドでもっとも人気のある俳優を起用」
http://www.salem-news.com/articles/april182012/gates-vaccines-js.php

つるたさんのブログ・エントリー「『肥満と飢餓』メモ」 。「消費者が不健康な食べ物を半ば強制されるのと同様に農民もまた持続不可能な農業を半ば強制される現実がある」:とても、大変に、興味深い。
http://tu-ta.at.webry.info/201112/article_12.html

【関連エントリー】
ゲイツ財団がコークとマックに投資することの怪、そこから見えてくるもの


10代の子どもたちの大ウツを診断する、世界初の血液検査ができましたとさ。
http://www.medicalnewstoday.com/releases/244235.php

原因不明の知的障害のある人のDNAサンプルをたくさん集めて、知的障害の遺伝子を見つけよう、との試み。
http://www.nature.com/news/gene-hunt-is-on-for-mental-disability-1.10463

DNA alternative created by scientists :代替えDNA? 人造DNAとか、前にクレイグ・ヴェンターがなんや言ってた、あれ?
http://www.guardian.co.uk/science/2012/apr/19/dna-alternative-xnas-science-genetics?CMP=EMCNEWEML1355 

“道徳ピル”によるモラル・エンハンスメントって、既にOxford大学は子どもで実験しているみたい? :”道徳ピル”と”モラル・エンハンスメント”については、こちらのエントリーから3つで⇒SavulescuとSingerが「犯罪者は脳が決める。科学とテクノで犯罪予防を」 1。シンガーの”道徳ピル”への反論が、こちらの補遺の3つめに。
http://www.ise.ox.ac.uk/__data/assets/pdf_file/0008/25793/TT12_1.pdf

米国:祖母からもらった結婚式のドレスを着るために栄養チューブダイエットで15キロほど痩せた女性。:そのうち「胃ろうダイエット」とかも?
http://bioethics.com/?p=11260&utm_source=feedburner&utm_medium=feed&utm_campaign=Feed%3A+bioethicscom+%28bioethics.com%29&utm_content=Google+Reader

身体を動かしエクササイズは認知症予防になります。今から始めたってOKよ~。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/244315.php

ソーホーのビルの地下から、男児の遺骨がごろごろ? 79件の男児行方不明事件が解決するか? って???
 http://www.nytimes.com/2012/04/20/nyregion/in-etan-patz-case-police-begin-new-search-for-remains.html?_r=1&nl=todaysheadlines&emc=edit_th_20120420 
2012.04.26 / Top↑
自分が乳ガンと診断された時の、友人とのやり取りの体験から、
Debora Orr さんが、Guardianに。

10 things not to say to someone when they’re ill
The Guardian, April 18, 2012


病気の人に向かって言ってはいけない言葉 トップ10
(spitzibaraが乗り移った Orrさんの言葉として)


1.「まぁ、かわいそうにぃー(お気の毒にぃー)」

他人から憐れまれて喜ぶ人はいません。


2.「だいじょうぶ。あなたなら病気にだって勝てるわ」

病気は人格テストではありません。
治るのは、闘って打ち勝った人だけがもらえるご褒美?

もし言うなら、ウソでもいいから
「母も20年前にやったけど、今はサーカス団でアクロバットやってるわ」


3.「あらぁ、元気そうじゃない」

ウソはつかなくてよろしい。
言った方も言われた方もバツが悪いだけ。


4.「やつれちゃったのねぇ」「ひどい顔になって」

本当に言う人がいるんです。
わざわざ教えてくれなくてもいいのに。

でも自分で「ひどい有様でしょ?」なんて言いたい時もある。
そういう時は一緒にギャグにして笑ってね。

(一緒に写真をとってはしゃいでくれた友人のエピソードがあるけど
これは病気の人との関係性とか両者の気分、その時の“場”の作用もあるので、
ちょっと難しいと思う。その人だって誰にでも言えるわけではないと思うし)


5.「検査結果が出たら、教えてね」

心配してくれてるのは分かるけど、
辛い検査を受けた挙句に、悪い結果が出て、
また苦しい治療を受けるのかって落ち込んでいる時に
みんなに知らせて回らなくちゃ、なんて気分にはなれないし。

よかったら本人じゃなくて、
身内の人とか親友とかに聞いてみて。


6.「私にできることがあったら何でも」

これ、みんな言うけど、つまんない。
自分で何ができるか考えて、具体的に提案してよ。

「子どもの迎え、引き受けようか?」
「美味しいお刺身と、それから
『寅さん』シリーズ持っていこっか?」みたいに。

逆に、これを言われた人は、
「これして」「じゃあ、あれして」厚かましくガンガン要求すべし。


7.「大丈夫よ、そんな心配しなくたって」

いえいえ。
そんな心配があるから心が騒いでいるのです。
そうじゃなかったら、そんな不安を口になどしません。

不安だから、その気持ちを分かってほしいだけ。
それなのに、口にした途端に否定しないで。


8.「ねぇ。抗がん剤って、どんな感じ?」

好奇心を抑えられないで、これを聞く人って結構いる。

でも、なんだって症状や治療に関する質疑応答をせにゃならん?
お見舞いに来てもらったら、楽しい時を共に過ごしたいものですわ。


9.「どうしても顔を見ないと気が済まないから」

こんなことを言う奴に限って、
自分がいかに忙しいかを言い訳しながら、
いついつしか行けないとか、この日はダメなんだけど、この日はどうかとか、
うだらうだらと、邪魔くさい。そういうの、やめて。

「今晩、仕事帰りに寄ってもいい?」とか
「20日のコンサート、チケット取ったわよ。当日の体調で決めてOK」

こんなふうにスマートに。


10.「あなたが病気になるなんて、あたし、辛くて辛くて」

乳がんになったと打ち明けたら、
「ええーっ。あなたがいないと私、やっていけな~い!」と、わめいたバカは、
そのままトイレに駆け込んだかと思うと、目を真っ赤に腫らして出てきやがった。

病人の方は、こうしてバーで、あんたと楽しく酒飲もうとしてんだよっ。

病気になったのも、死ぬんじゃないかと考えてるのも、あ・た・し。

あんたが主人公になって、
自分の気持ちを病人に世話させるんじゃねーよ。


         ------
          

……とはいえ、自分が重病の友人を目の前にすると、
誰だって、こういうことを言ったりしたりしてしまうもの。

私だって、
自分が言われる立場になるまでは分からなかったし。

でも私ががんになって分かった、いちばん大事なことは、

ついマズイことを言ってしまって「しまったな」と思う場面が少々あったって、
その人が苦しい時に、友として、そこにいてあげる……ということ。

その人なりの表現方法で、相手を思う気持ちを届けること。
2012.04.26 / Top↑
(たぶん)オーストラリアの学者さんたちの言論・ニュース・サイトで
人権問題を専門にする社会学者2人がAshley療法の新展開に批判の論考を書いている。

これまでの経緯を説明した後、
今回明らかになった新たな症例は12例とまだ少ないものの関心は広がっていることを懸念。

アシュリー療法の問題点として以下を指摘している。

① 実験的であるのみならず、
障害児に特化している点で差別的である。

特に子宮摘出は違法であるにもかかわらず、
ガーディアンの記事によれば新たなケースでも
適正な司法の関与を求めずに実施されている。

アシュリー療法は国連障害者人権条約違反。
例えば、生殖の権利の侵害(23条)
また、自由な同意なく医療または科学実験の対象とされない権利(15条)

② アシュリー療法は女性のセクシュアリティをネガティブに捉えており、
結果的に、障害のある女性にはセクシュアリティは望ましくないものとの
ネガティブなステレオタイプを強化する。
それはさらには障害のある女性が生殖への支援を受けにくくし、
子どもから不当に引き離されたりすることに繋がる。

ここまでは当初の論争でも指摘されたこと。
次は余り言われてこなかったことだと著者らが書いている通りかもしれない。

③ 障害者への福祉の枠組みが縮減され、
支援やサービスが削減されている昨今では
家族は障害のある子どもの介護にサポートを受けにくくなっており、
社会施策の影響によって親がこうした決断を迫られている面がある。

障害のある若い女性への性的虐待からセーフガードも乏しく、
それはまた障害者への福祉資源と支援が最小限にとどまっていることとも繋がる。

障害者福祉の縮減により経済的な困難に直面し、
アシュリー療法のような過激な医療が親にとって合理的な選択肢となるとしたら、
我々が問うべきはそうした社会の経済施策であり、
それにより障害者に拾い影響が及ぶことを考えなければならない。

障害者の尊厳と敬意を損なう恥ずべき療法を一般化するような
理不尽な経済施策を許すのは止めよう。

Ashley’s treatment: the arrested development of a disabled child
Karen Soldatic, Jo Milner
The Conversation, April 13, 2012


最近、コメントが頭に浮かびません。

懸念していた通りに展開していることへの
無力感もあるのですが、

アシュリー事件について私自身が言いたいことは
「アシュリー事件 メディカルコントロールと新・優生思想の時代」にすべて書いた……

……という気分でもあるので。
2012.04.18 / Top↑
VT州の自殺幇助合法化法案、通過せず! イエイ! 
http://www.lifenews.com/2012/04/12/vermont-again-defeats-bill-to-legalize-assisted-suicide/

いつもお世話になっているyaguchiさんのブログに、自殺幇助を巡る、とても深く濃いエントリーが2つあって、引き込まれて一気に読んだ。上から「『幻のバイブルーあいつが生きていたら、きっと甲子園に行っていた』を読む」と「『幻のバイブル』読後感」
http://cscanary.at.webry.info/201204/article_11.html
http://cscanary.at.webry.info/201204/article_12.html

Rebecca Dresserが本人や家族が癌を経験したことのある生命倫理学者のエッセイを集めた本を出し、LancetでそれをCaplanが論じている。エッセイの中にはFostやKassによるものも。CaplanはKassが死や良い死に方について生命倫理の役割を考えていることに対して、生命倫理だけじゃない、ヒューマニティ、文学、classical studies, 神学、民俗学、芸術などにも目を向けることで、このような問題は深められるだろう、と。:このガン体験者の生命倫理学者グループについてはアシュリー事件の前半の頃にFost関連で拾ったことがあるのだけれど、すぐにはエントリーが見つからなかった。
http://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736%2812%2960584-4/fulltext?elsca1=ETOC-LANCET&elsca2=email&elsca3=Other

ちなみにRebecca DresserはWA大学所属。アシュリー事件でシアトルこども病院の成長抑制WGのメンバー。「改定最善の利益」つまり「重症障害者は我々とは別世界の住人」論者。A事件で最もラディカルな主張をしたこちらの論文で引用されている⇒http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/56009864.html 

米国人の3割がナーシング・ホームで亡くなっていることを考えると、ナーシング・ホームでの終末期医療の評価が必要。
http://www.futurity.org/health-medicine/grade-nursing-home-end-of-life-care-study-says/

Dignitasのサイト。2年前くらいに行ってみた時にはドイツ語だけだったと思うのだけど(検索ミスだった?)、いつのまにか英語版ができていた。チューリッヒの住民投票でツーリズム規制が見送られて、イケイケになってる感じ?
http://www.dignitas.ch/index.php?lang=en

英国の自殺幇助委員会の報告提言を受け、”ロックトイン”とされているニックリンソンさんが「どうして提言はターミナル限定? 自分みたいにならないように死なせてもよいなら自分の状態だって認めてよいはず」と委員長に。
http://www.bbc.co.uk/news/uk-england-wiltshire-17732936。

ニックリンソンさん関連エントリーはこちらにとりまとめ⇒http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/64861257.html。
ニックリンソンさんが面談した委員会とその委員長Falconor氏についてはこちら⇒http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/64566509.html。

高額ながん治療はそのコストに値するか?:終末期医療の次に医療費削減のターゲットになるのは、たぶんガン治療。オレゴン州のメディケアでは「抗がん剤はダメだけど自殺幇助ならOK」。また英国では高価な抗がん剤はNHS医療の対象から外されいっている。それぞれエントリーありますが、探すのが面倒なので省略。
http://www.reuters.com/article/2012/04/09/us-cancercare-idUSBRE8380SA20120409

WHOが認知症はグローバルな経済負担だから、早急に対応を、と。:「○○病の患者は世界経済の負担」という問題意識が流布されていくことと、「最先端医療による病気予防とその他欲望の充足が可能」と欲望を掻き立て、世界 経済を回すための市場が創出されていくことによって、病気が「無駄にカネのかかる負担」と「カネになるターゲット」とに仕分けされていく。
http://www.bioedge.org/index.php/bioethics/bioethics_article/10013#comments

GDP比でみた場合、日本の医療費は高齢化によって増加しているわけでない、とのデータ。それから医療費の中で薬価、医療機器の価格の占める割合や価格の国際比較データ。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1900.html
http://www.gaihoren.jp/gaihoren/public/medicalcost/html/index.html

ヨーロッパの生殖補助医療規制は、国民を海外での生殖ツーリズムに追いやる、との批判。:PAS合法化でも、「国内で認めないから、スイスへの自殺幇助ツーリズムへ向かう」とか「スイスでしかできないから金持ちだけになって不公平」などの合法 化正当化論が出ている。倫理問題の議論や法整備が現実の方を後追いしていく事態が続くと、どこかでこういう逆転論理が成立し始める?
http://www.washingtonpost.com/world/europe/fertility-treatment-bans-in-europe-drive-future-parents-abroad-draw-criticism/2012/04/13/gIQAVvcUET_story.html

09年にCA州で8つ後を生んで話題になった女性、14人の子どもを抱えて生活に困窮し、8つ後の出産は「間違いだった」。:この人のケースについては、いくつかエントリーあり、8つ子の母は障害者手当てを受給、子ども3人にも障害児手当て、生活保護も、8つ子出産の母これまでの妊娠もIVF:州が調査に。
http://www.bioedge.org/index.php/bioethics/bioethics_article/10014#comments 

プラスチックの環境ホルモンについて。プラスチックと接触していない食品を食べた人と、接触した食品を食べた人の尿を比較したところ、たった3日間でBPAなどの含有量が全く違っていた、と。
http://www.washingtonpost.com/national/health-science/trace-chemicals-in-everyday-food-packaging-cause-worry-over-cumulative-threat/2012/04/16/gIQAUILvMT_story.html?wpisrc=nl_cuzheads

【関連エントリー】
大統領がんパネルが「化学物質はやっぱりヤバい」(米)(2010/5/10)


メンタルヘルスのスクリーニングを学校保健の一環とすべきか?:米国では09年に専門家らから「12歳から18歳全員にうつ病スクリーニングを」との提言が出たことがあった。⇒http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/52826869.html
http://www.medicalnewstoday.com/releases/244117.php

J&J社、アーカンソー州でRisperdalのリスクの過小表記と隠ぺいにより、11億ドルの罰金。Risperdalを巡っては他にも訴訟があり、影響必至。
http://economictimes.indiatimes.com/news/international-business/johnson-johnson-fined-1-1-bn-in-risperdal-case/articleshow/12631418.cms

いつもお世話になっている谷口輝世子さんのツイッター経由の情報。米国では犬に電気ショックを与えて、フェンスがなくても外へ出ていかないようにするシステムがある。それに近いようなことが自閉症の子どもたちを通う私立学校でも行われていた事件。
http://motherjones.com/mojo/2010/02/school-shock-under-federal-investigation

米国で「救急車のおっかけ」と揶揄されてきた弁護士らが、今やADA違反の追っかけも?NYT。
”Disabilities Act Used by Lawyers in Flood of Suits”:Some lawyers are finding business where there are violations of the Americans With Disabilities Act, then finding disabled plaintiffs to bring suits.

日本語「好きな夢見られるアプリ」、英心理学者らが開発:夢は、人間のふか~いところにある諸々の魑魅魍魎と繋がっていて、おそろしいものなんだよ。そういうものに、あんまり簡単に手を突っ込んではいけない。英語圏イデオロギーの専横は生命倫理学だけじゃなかった(2009/9/4)
http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPTYE83G01Z20120417

アイルランドでADHDの息子を持つ母親が、介護者手当の申請を却下されたことを不服として提訴。
http://www.irishtimes.com/newspaper/ireland/2012/0417/1224314823895.html

★拡散希望★私たちの税金で途上国の子どもたちを内部被ばくさせないで!(STOP!浜岡原発ブログ):途上国は先進国がやりたい放題の搾取グラウンドになりつつあるのか、と思う時がある。
http://stophamaokanuclearpp.com/blog/?p=10827

togetter「日本人は弱い立場の人(フリーライダーや自力で生活できない人)に冷たく、生活保護の捕捉率が低いのか」
http://togetter.com/li/287622

キリスト教のグループが、同性愛は治療で治るとのバス広告を掲載しようとしたのに対して、ロンドン市長が介入してストップ。
http://www.guardian.co.uk/world/2012/apr/12/anti-gay-adverts-boris-johnson?CMP=
2012.04.18 / Top↑
「支援1」についてはちょうど1年前に、
「支援」創刊号を読むというエントリーを書いていますが、

「支援2」を半分弱読んだところで、
矢も盾もたまらず、ダダ漏れツイートしたものが以下。

「支援2」の冒頭の「当事者をめぐる揺らぎ」を読んで、「え~、なんだぁぁ~」と脱力してしまった。だって、年末に上野千鶴「ケアの社会学」から考えるという2つのエントリーを書くの、私には恐怖だった。アップする時にはバクバクで手が震えたくらいの。

ニーズに優先順位がつけられていることが一番気に入らなかったんだけど、「障害学」の人たちはみんな「当事者主権」なんだと思い込んでいたから、こんなの書いていいんだろうか、誰かからまたぶっ叩かれるんじゃないだろうかって、夜も眠れぬ思いで・・・。な~んだぁぁ。

星加氏「どちらが優先といってみても始まらない。問題は、どうすれば両者を共に満たすことが可能になるのか」「支援提供の基盤を拡大し、支援のリソースを量的に充実させることによって、個々の支援者の「派生的ニーズ」と当事者の「一次的ニーズ」とが併存できる仕組みを」

↑学問ではないし、生まれたばかりの市民運動だから、まだまだ深めていくべきところだらけだけれど、これは基本的には介護者支援が訴え目指していこうとしているところだと思う。

それと介護者の立場から言うと、「当事者への支援を成り立たせるための支援」以外に、日本ケアラー連盟の調査でも多くの介護者は心身の健康に問題を抱えたまま介護しているわけで、英国の調査だとかなりの効率でうつ病になっている。そうなると、1次と2次両方のニーズが

介護者には生じていることになる。介護者がうつ病になったら「うつ病の介護者」ではなく、その人は「うつ病患者」のはずなのに、先に役割規定されてしまって介護者のうつ病は軽視されたり、現実に介護のために外出できず必要な医療を受けられないままでいたりする。

この際、支援者とか介護者とかケアラーとかの定義みたいなのはおいといて。あ~、なんだぁ、別に書いたってよかったんだぁ、同じことを考える人だっていたんだぁ、と思ったら、また余計なことまで書いちゃったよ。


いま「特集」を読んだところ。やっぱり岡部さんと石丸さんのが沁みるのは、私自身の立ち位置なんだろうな。けど、どれを読んでも、自分の中でほぐれていく ものがあって、それは昨夜「ケアの社会学」関係でつぶやいたのと同じで、「なんだ、言ってもよかったんだぁ・・・」ということ。

一番思うのは、私ってものすごいステレオタイプで「障害学」とか「障害者運動」とか「自立生活運動」に対して身構えてたんだなぁ…、ということ。その意識 が自分の中にある「施設に入れている親」の罪悪感と重なり合って、何か言いたいことがある、とそのことを考え始めると、必ず同時に自分の頭の中で

「オマエは単に自分が施設に入れていることを正当化しようとしているだけなんじゃないか?」と問い返してくる声が出てきて、そこを分明に整理しようと試みざるを得なくなり、でもそれは苦しくてならなくて、その痛みを抱えたまま誰かの言葉に触れると、何を読んでも聞いても

その言葉から「責められている」としか感じることができなくなっていたり・・・したんじゃないのかなぁ。これまでも漠然とは意識していたことなのだけど、この特集を読むと、「なんだ、ありのままで許されているんだ」感が、ふわっと。

今、こう書いたら、本気で泣けてきた。

ツイッターを始めたことで、障害学とか運動の方々との距離がいきなり縮まって、それで自責を目の前にドンと据え附けてしまって、そこをどんどん掘っていくのを止められなくなってしまった・・・みたいな気分で、すごく苦しんでいました。それなら

そのことには触れずにツイートするとか、黙っているとかすればいいのに、いつでも「まっすぐ」しかないバカだから考えることを止められなくて、またそれをダダ漏れに言葉にして、次はそのことに怯えて自責を他人からの非難に勝手に置き変えて。

でも「支援2」の特集を読んでいると、誰も責めてなんかいないし、誰にも責められる謂われはないし、今のままの自分でいるところで、そういう自責や痛みと向かいあえばいいんだと「許されている」感が。


「私らしい」とか「海のいる」を読んでくださった方には推測していただけていると思うのだけど、私には娘が幼くて病気ばっかりして自分の人生でダントツに 一番苦しかった時期に、一番助けてほしい人たちからロクに助けてもらえないまま、逆に毎日責め立てられながら暮らした体験があります。

そのことが、私が誰かの言葉に勝手に先取りして読みがちな「責められている」感や、その逆に何かから受け取る「許されている」感に、とても大きく影響してい ると思うので、それがどこまで一般化できるのかは分からないけれど、母親仲間との付き合いからは母親にある程度共通した意識のようでもあり。

それなら、なぜ私たち母親はそんなふうに感じさせられてしまうのか、をやっぱりグルグル考えていったっていいのかな、と。それを通じて、たぶん私はその先にある自分自身の問題と向かい合おうとしているんだとも思うし。


これを改めて読んでみて、
去年「支援」創刊号を読んだ時に受けた印象(去年のエントリーの最後に)は
やっぱり間違っていなかった……という気がする。
2012.04.18 / Top↑
「災害ユートピア―なぜそのとき特別な共同体が立ち上るのか」(レベッカ・ソルニット 亜紀書房 2010)


9・11を扱った第4章とカトリーナの第5章の2つを読んだところ。

翻訳文体がちょっと辛くて他を読めるかどうか自信がないこともあって、
とりいそぎ、カトリーナ“安楽死”事件の舞台となったメモリアル病院への言及個所について
自分のためのメモとして。


 デニーズ・ムーアは、母親が働いている堅牢な数階建てのメモリアル・ホスピタルに避難した。彼女たち家族はいったんは部屋を割り当てられたものの、あとからやってきた白人看護師二人に与えるために、そこを追い出された。このことにひどく気分を害した彼女は、自宅に戻った。ただ、家は文字通り、彼女の目の前で崩れ落ち、コンベンションセンターに行くしかなくなった。
(p.337)

 戦闘服を着た州兵が装甲兵員輸送車から降りて、チャリティ・ホスピタル――この何十年間、貧しい市民の大部分が出産時と死亡時に世話になった、市の中心部にある巨大な医療施設群――のある医師に、患者たちを避難させるのは「危険すぎる」と言った。市内の至る所で同じことが起きていた。たとえば、メモリアル・メディカルセンターでは、一階部分が完全に浸水し、一刻の猶予もならない状況になっていた。木曜までには避難活動の多くが失敗に終わっていたので、病院に残っていた医師や看護師や職員たちはついに自分たちでボートを手配し、患者たちをニューオリンズから避難できる場所まで運び始めた。すると、監督に当たっていた、一二口径ポンプ連射式散弾銃を持った筋骨隆々の州警察官が、「ドクター、五時以降のこの辺りの安全が保証できませんので、我々は午後五時にこの積載用スロープを閉鎖します」と言った。医師はそんなに安全上の問題があるようには見えないと抗議した。
 これに対し、州警察官は「ドクター、何が安全上の問題で、何が問題でないかは我々が決めます」と言い返した。
「ここでもう一晩過ごすことはできない。また多くの患者が亡くなります」と医師は訴えた。その日の前夜にも、一〇人の患者が、暑さや、ストレスや、医療資源の欠如のために亡くなっていた。州警察官は、もし医師たちが自分たちに従わないなら、完全にそこから引き上げると脅した。結局、彼らが撤退した結果、避難は建物の反対側から、なんとか行うことができた。この報告書を書いたリチャード・E・ディーチマン医師は、安全の概念にとらわれて人命に無関心な役人たちと、救助に駆け付けたボランティアたちを対比させている。
(p.366-367)


Deichmann ……私は「ダイクマン」かと思っていた。

ProPublicaの記事でも、最後の日に救助に来た空軍が
治安悪化のために午後5時で救助活動を打ち切ると宣言したことが
“安楽死”の引き金の一つとして働いた可能性が示唆されている。

実際には
生きて病院を出る最後の患者がヘリに載せられたのは午後9時だったのだけれど。


その他、ソルニットの著書からメモしておきたいこととして、以下の2点。

9・11の際に、
ノースタワー69階で仕事をしていた下半身まひの会計士の男性は
10人の同僚によるリレーで、「想像を絶する長さの階段を下ろしてもらい、
無事、安全な場所に避難することができた」
(p.256)

PTSDほど知られていないが「心的外傷後成長」という心理学概念がある。
(p.305)


【17日追記】
いつもお世話になっているなんさんが、ツイッターに流してくださった「心的外傷後成長」情報。
http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/saigai/2011sanrikuoki_eq/posttraumaticgrowth.html


【関連エントリー】
ハリケーン・カトリーナ:メモリアル病院での“安楽死”事件 1/5: 概要(2010/10/25)
ハリケーン・カトリーナ:メモリアル病院での“安楽死”事件 2/5: Day 1 とDay 2(2010/10/25)
ハリケーン・カトリーナ:メモリアル病院での“安楽死”事件 3/5 : Day 3(2010/10/25)
ハリケーン・カトリーナ:メモリアル病院での“安楽死”事件 4/5 : Day 4(2010/10/25)
ハリケーン・カトリーナ:メモリアル病院での“安楽死”事件 5/5 : その後・考察(2010/10/25)
2012.04.18 / Top↑
The American Journal of Bioethics の4月号で
Janet Malek (E.Carolina U.) と Judith F. Daar (Whittier Low School)の論文が

最終的には法律によって
IVFを利用する親にはあらゆる手段を講じて子孫の福祉を最大化する義務を課すべき、と。

その理由として挙げられているのは
子どもの福祉、子どもの自己決定の拡大、不平等の削減。

より体力があり、より健康で、より知能の高い子どもが生まれるという利点だけでなく、
公平性と自己決定を促進するから、道徳的な善である、との論理。

特に重大な遺伝病があり、そのことを知っている(べき)親が
着床前遺伝子診断を利用せず、その病気の子どもを産まない努力を怠った場合には
法的な責任を問うべきだ、と。

そうして最終的には
IVFによる出産では欠陥のある子どもは生まれなくなれば
病気の子どもに税金が使われることがなくなるので、

Shifting benefit outlays for significant post-birth health care to a far less costly preconception procedure strikes us as a worthy public policy trade-off.

福祉給付のバランスが、多額の出生後の医療費から、それよりもはるかに安価な着床前診断の費用へとシフトするわけだから、政策としては差し引き勘定は良好で意義がある。


BioEdgeのCookによれば、
この論文の著者らは、つい先日、物議をかもした「新生児殺し容認論文」の著者らと同じく、
Savulescu, Guy Kahane、John Harrisらの議論を論拠にしている、とのこと。

Parents can have a duty to use IVF, say bioethicists
BioEdge, April 13, 2012


【関連エントリー】
中絶してもいいなら“出生後中絶”と称して新生児殺してもOK(2012/2/27)
“出生後中絶”正当化論は「純粋に論理のエクササイズ」(2012/3/5)
シンガーが「出生後中絶」論文論争に登場(2012/3/9)
2012.04.18 / Top↑
NM州でガンの専門医らから自殺幇助に関する法の明確化を求めて提訴。
http://alibi.com/news/41295/Last-Request.html

VT州でもMA州同様の住民投票を目指す動き。:VT州は去年、合法化法案を否決して、公費による皆保険制度を創設するとかいってたはずなんだけど。⇒http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/63230790.html
http://www.catholicvote.org/discuss/index.php?p=28922

ウエスト・ロンドン大学の映画科の学生2人が、自殺幇助のドキュメンタリー映画でなんの賞だかを受賞。:ここ数年、このテーマで作られるドキュメンタリーがごろごろ。
http://www.ealinggazette.co.uk/ealing-news/local-ealing-news/2012/04/12/students-win-award-for-assisted-suicide-film-64767-30744186/ 

NYTのディベイトのページが、「なぜオランダと違って米国では安楽死法ができにくいのか」。:ここ数日バラバラと引っかかってきていたのはここの記事だったらしい。「オランダでは可能なのに」って、日本でもあの人が言ってたっけな。
http://www.nytimes.com/roomfordebate/2012/04/10/why-do-americans-balk-at-euthanasia-laws 

ルイジアナ州では自殺幇助に関する規制を強化しようとの議論が州議会で。:ルイジアナ州といえばニューオーリンズ。カトリーナの際に安楽死事件があったところ。
http://www.therepublic.com/view/story/f337da20993c425eb70da5e38b76f26e/LA-XGR--Assisted-Suicide/ 

今年のWHOのワールド・ヘルス・デイのテーマは Healthy Aging だって。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/244019.php

NYTに、米政府が、人間に効かなくなるため家畜への抗生剤の使用を制限、というニュース。
U.S. Tightens Rules on Antibiotics Use for Livestock.
2012.04.18 / Top↑
爆弾ニュースが飛び出してきた。

ちょっと妙な書き方をしてある記事なのだけれど、
(Mailには、どうもこの手の記事が多い気がするけど、私の偏見かな)

元・仏大統領(任期1981―1995)のミッテラン氏が在任中ずっと
ガンと闘病していたことを明かしたのは、
プライベートな主治医だったClaude Gubler医師。

タイトルそのまんまの“the Great Secret”という本で
ミッテランは15年間ガンと闘い続けており、
在任中ずっとそのことを隠していたが、最後の1年間は
ガンのために職務を遂行することができなくなっていたこと、

しかし、健康問題は政治家にとって命取りなので
Gubler医師は大統領の健康状態に関する発表内容を偽るよう強いられたこと
などを明かした。

Mail記事の次の2行、ちょっと詳細が良く分からないのだけど、

この本は発禁処分となり、Gubler医師は除名処分になったらしい。
執行猶予つきで懲役刑を受けているみたいだし、
後任のシラク大統領の命令で publicly dishonored されたとも。
(文法的には「シラクの命令で」が懲役刑にもかかってる可能性もないわけではないけど?)

ここまでの話には、
冒頭で見てきたかのように場面を描写した後、PASは全く登場しないのだけれど、
ミッテランは在任中、安楽死には強く反対する立場をとっていたことには
こちらの前半部分で言及されている。


で、なぜか、ここで話はいきなり最近出た別の本の話に飛ぶ。

ジャーナリスト2人が最近書いた本で、
ミッテランの命を終わらせた致死薬の注射は
ある謎の女性の同席のもとに行われて、その女性がその後、事実を医師に伝えた、と
書かれている……とMailは書いている。

ミッテランの息子は
「何があったかを知っているのはただ一人の人物で、
その女性は何も語ろうとしない。
我々には、父の死が穏やかなものだったと言っただけ」

また、その本には
サルコジ大統領が2度目の大統領選のさなかに
認可されていない薬を飲んだ、とも。

どういう薬かは書いていないが、
aplomb(心の落ち着き)を取り戻す効果のあるもの、としているらしい。

他にもシラクも在任中に脳卒中をやったけど隠した、とかの暴露本。

Former French President Mitterand’s death was assisted suicide claims incendiary new book
Daily Mail, April 11, 2012


サルコジ大統領の薬については
前にどこかでチラっと読んだことがあるような記憶がある。
2012.04.18 / Top↑
昨日の補遺で拾ったNeurology TodayのBernat論文
「脳神経科医は患者本人の同意なしにDNR指定してもよいか?」。

Ask the Neuroethicist: Can a Neurologist Write a DNR Order on a Terminally Ill Patients Without Consent?
Bernat, James L. MD
Neurology Today, April 5, 2012


ざっと大まかな内容を以下に。

まず、DNR(蘇生無用)指定がたどってきた歴史の解説として、

50年前に心肺蘇生が出てきた時には
効果が過大に評価されて心停止が起きた時のスタンダードな医療となったが、
その後のデータから、慢性病の末期ではほとんど蘇生効果がないことが明らかになり、
無益であるにもかかわらず患者に苦痛を強いるとして、
患者が心肺停止に陥っても蘇生を無用とするDNR指定が考案された。

そこで、現在の状況はというと、
ちょっとびっくりなのだけれど、

Today, nearly all hospitals require physicians admitting patients to indicate whether the patient is a candidate to receive CPR or is DNR.

今日、ほとんどすべての病院において、医師は患者を入院させる時に、その患者を心肺蘇生の対象とするか、それともDNR指定とするかの判断を求められている。


医療は基本的に本人または代理決定権者の同意に基づいて行われるものであり、
多くの病院がDNR指定にも同意をとる方針を出しているが、
そもそもDNRは治療を行う同意ではなく、治療の明確な否定であり、
自己決定の原則がそのまま当てはまるかどうかは曖昧。

また明らかに無益な治療については
医師は申し出たり相談しなくてもよいとの倫理原則を当てはめると、
無益だとのエビデンスがあるCPRを申し出ることも相談することも無用、とする倫理学者の議論もある。

しかし著者は

I believe that purposely not to mention the possibility of CPR is to squander an opportunity for an important discussion with the patient or surrogate on the patient's goals of therapy.

意図的にCPRの可能性に触れないでおくことは、患者の治療のゴールに関して本人や代理者との間で大切な話し合いをする機会を損なうと私は思う。

著者が推奨するのは、
この患者さんの場合は、と具体的かつ丁寧に説明し、
かくかくしかじかのように無益だから私はDNR指定にしますよ、と納得してもらうこと。

もちろん問題はそこで納得してもらえない場合であって、
そこからは個々の医師の決断なのだけれど、

ここで著者は、名前は出していないものの
Truogなどがここ数年主張している「無益でも家族に利益があるならやるべき」との意見を否定する。

実際にCPRってどういうものかを例えばビデオで見せるなど、
一般市民を啓発すれば、無茶な「ゼッタイやって」要求も減らせるはず、と説き、

一般向けにCPRやDNRについての啓発に力を入れよ、というのが結論。



なお、Truogの「無益でもやるべき」論についてはエントリー3つあり↓

「無益な心肺蘇生は常に間違いなのか?」とTroug医師
Truogの「無益な治療」講演 1(2011年11月10日)(ここから2つのエントリーで)


なおBernat論文の末尾にTruogとLantosの論文が引いてあるのだけど、
上記リンクの去年の講演でTruogはLantos説を解説している。

私はこの講演でTruogが
家族の社会的背景や、家族と専門職の関係性を考えようとしていることが
とても意外だったのだけれど、同時に面白いと思った。
2012.04.18 / Top↑
「患者本人の同意なしにDNR指定してもよいか?」:Bernatさんという有名な倫理学者らしいんだけど、例によってアシュリー事件・レーダーの中にはないので私は知らない。DNRの歴史的背景なんかも説明されていて、余裕があれば読みたいんだけれど。
https://www.aan.com/elibrary/neurologytoday/?event=home.showArticle&id=ovid.com:/bib/ovftdb/00132985-201204050-00014

ゆさぶり症候群で子どもを殺したとされた母親(黒人)に、CA州知事が減刑。ProPublicaがずっとやっている米国の検死官らの怠慢報道を受け、証拠が再検討されたらしい。:ProPublicaはいい仕事している。このキャンペーンはまだ継続中。ProPublicaのこのキャンペーンについては ⇒http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/64942950.html
http://www.propublica.org/article/california-governor-commutes-sentence-in-shaken-baby-case 

アシュリー事件の担当医ディクマが、親のワクチン拒否との闘いに熱入れてきた。
http://www.idse.net/ViewArticle.aspx?d=Public%2BHealth&d_id=212&i=April+2012&i_id=828&a_id=20597 

今度はアレルギー性喘息のワクチン。
http://www.medicalnewstoday.com/releases/243810.php

児童期の肥満に関わる遺伝子変異2つ。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/243889.php

日本。フリーズドライ精子、水で戻してラット出産
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120410-00000430-yom-sci

英国NHS、新生児の低血糖症を見つけられなかったとして起こされている訴訟60件の対応に、多額の予算を割くことに。
http://www.guardian.co.uk/society/2012/apr/09/nhs-blunders-babies-brain-damage?CMP=EMCNEWEML1355

英国に住むパキスタンやインドの子どもたちが、学校の長期休暇の間に家族から無理やり結婚させられて姿を消す、ということが頻発しているため、学校で結婚の強制や特有の名誉文化による暴力に対する子どもたちの人権意識を高めようとの取り組み。
http://www.guardian.co.uk/education/2012/apr/09/forced-marriage-british-pupils?CMP=EMCNEWEML1355
2012.04.18 / Top↑
アイダホ州で、患者が望んでいるのに生命維持治療を拒んではならぬ、とする法律が成立。施行は7月。同州は数年前にテキサス式の無益な治療法が検討されたとかで、180度の転向、とお馴染みPopeのブログ。
http://medicalfutility.blogspot.jp/2012/04/idaho-anti-futility-bill-signed-into.html?utm_source=feedburner&utm_medium=feed&utm_campaign=Feed:+MedicalFutilityBlog+%28Medical+Futility+Blog%29

モンタナ州でも同様の法案が最終段階。
http://medicalfutility.blogspot.jp/2012/04/medical-futility-legislation-in.html

オランダ、ベルギー、安楽死合法化からの10年に関するAFPとNYTの記事。
http://www.google.com/hostednews/afp/article/ALeqM5jZJ7kXmP0L34l21urHoaIdc0eGDA?docId=CNG.b65a2b9d79cf8dda95db655c6811305f.a1
http://www.nytimes.com/2012/04/03/health/push-for-the-right-to-die-grows-in-the-netherlands.html?_r=2&ref=health

豪の自殺幇助合法化議論で、合法化支持派が自己決定権を論拠にしていることに対して、プレッシャーを受ける立場にある人々に本当の意味での自発的自己決定なんてありうるのか、とお馴染みの反論。
http://www.bioedge.org/index.php/bioethics/bioethics_article/10010#When:05:53:03Z

英国、卵子ドナーへの支払い上限をこれまでの250ドルから750ドルへ。明日から。:HFEAは09年からそういうことを言っていたし。⇒生殖補助医療の“卵子不足”解消のため「ドナーに金銭支払いを」と英HFEA(2009/7/27)
http://www.dailymail.co.uk/health/article-2123023/Five-fold-jump-IVF-donors-payment-eggs-rises-750.html

ピーター・シンガーに、中絶も乳児殺しも安楽死も禁じられているイスラム教徒のジャーナリストが挑む。:読んでいません。読んだ方によると「すれ違い方が興味深い」とか。
http://www.salem-news.com/articles/april062012/singer-pete-kz.php
2012.04.09 / Top↑
どういういきさつだったのか覚えていないけれど、
ずっと前にインターネットで原作の一部の、
脳解剖学者である著者が37歳の時に自宅で脳卒中を発症し、
自分でそれと分かりながら、思うようにならない身体と思考の中で
試行錯誤を重ね、苦労して、なんとか外部に助けを求めるまでの下りを
興味深く読んだことがあり、

書店で翻訳が文庫になっているのを見た時に
「お、あれだ!」と買ってきた。

「奇跡の脳 ―脳科学者の脳が壊れたとき―」
ジル・ボルト・テイラー、竹内薫訳 新潮文庫

興味深かったのは、なんといっても、
それまで左脳の力を駆使して医学会でエリートとして生きてきた著者が
脳卒中で左脳の能力を失った時に、それを喪失として嘆くのではなく、
むしろ右脳(感性)的な生き方に魅力を見いだしていること。

それを表現する著者の言葉のいくつかが、当ブログで
「科学とテクノの簡単解決文化」の価値意識に疑問を呈しつつ、
それに対置する価値意識について考えてきた際に用いてきた言葉とほとんど同じであること。

それを、科学とテクノの最先端にいた科学者が
脳卒中の体験を経て、考え書いているということが、とても興味深い。
例えば以下のような個所。

私は左脳の死、そして、かつてわたしだった女性の死をとても悲しみはしましたが、同時に、大きく救われた気がしていました。……(略)……
……何事も、そんなに急いでする必要はないと感じるようになりました。波打ち際を散歩するように、あるいは、ただ美しい自然の中をぶらついているように、左の脳の「やる」意識から右の脳の「いる」意識へと変わったのです。小さく孤立した感じから、大きく拡がる感じのものへとわたしの意識は変身したのです。言葉で考えるのをやめ、この瞬間に起きていることを映像として写し撮るのです。過去や未来に想像を巡らすことはできません。なぜならば、それに必要な細胞は能力を失っていたから。わたしが知覚できるものは、今、ここにあるもの。それは、とっても美しい。
(p.94-95)


左脳は「やる」の世界。右脳は「いる」の世界――。

……わたしが脳卒中によって得た「新たな発見」(insight)は、こう言えるでしょう。
「頭の中でほんの一歩踏み出せば、そこには心の平和がある。そこに近づくためには、いつも人を支配している左脳の声を黙らせるだけでいい。
(p.176)

わたしがすごく大切だと思ったのは、感情が身体にどのような影響を与えるか、ということ。喜びというものは、からだの中の感覚だったのです。平和も、からだの中の感覚でした。
(p.195:ゴチック部分、原文は傍点。以下同様)

……脳卒中の前は、自分なんて脳がつくり出した「結果」に過ぎず、どのように感じ、何を考えるかについては、ほとんど口出しできないんだと信じ込んでいました。出血が起きてからは、心の目が開かれ、両耳の間で起こることについて、実際にはいろいろと選べることがわかってきました。
(p.198)


それから、もう一つ興味深いと思ったのは、
著者が福岡伸一さんの「動的平衡」と同じことを言っていること。

「自分であること」は変化しました。周囲と自分を隔てる境界を持つ固体のような存在としては、自己を認識できません。ようするに、もっとも基本的なレベルで、自分が流体のように感じるのです。もちろん、わたしは流れている! わたしたちのまわりの、わたしたちの近くの、わたしたちのなかの、そしてわたしたちのあいだの全てのものは、空間の中で振動する原子と分子でできているわけですから。言語中枢の中にある自我の中枢は、自己を個々の、そして固体のようなものとして定義したがりますが、自分が何兆個もの細胞や何十キロもの水でできていることは、からだが知っているのです。つまるところ、わたしたちの全ては、常に流動している存在なのです。
……(中略)……わたしたちは、全てのものが動き続けて存在する、流れの世界の中の、流体でいっぱいになった嚢として存在しています。
(p.96-97)

……自分が流れていると感じるのが好きでした。魂が宇宙と一つであり、まわりの全てのものと一緒の流れの中にいることを感じることが好きでした。エネルギーの動きやボディ・ランゲージと同調できることに魅力を感じていました。しかし、その中でもとりわけ、わたしの存在の根底から溢れる、深い内なる安らぎを感じるのが好きだったのです。
(p.121)


こういう体験を経て、左脳の機能が回復してきた頃に著者が考えたことは

……左脳はクソ真面目なのです。歯ぎしりしながら、過去に学んだことに基づいて決断を下します。一線を越えることなく、あらゆる事を「正しい・間違っている」、あるいは「良い・悪い」で判断します。あ、それから、その判断はわたしの場合眉の形に現れるんですよ。
右脳はとにかく、現在の瞬間の豊かさしか気にしません。それは人生と、自分にかかわるすべての人たち、そしてあらゆることへの感謝の気持ちでいっぱい。右脳は満ち足りて情け深く、慈しみ深いうえ、いつまでも楽天的。右脳の人格にとっては、良い・悪い・正しい・間違いといった判断はありません。
これを右脳マインドと呼ぶことにしましょう。ですから右脳マインドでは、あらゆることが相対的な繋がりの中にあるのです。ありのままに物事を受け取り、今そこにあるものを事実として認めます。
(p.226)


そして、タイラーさんは、とても東洋的な宗教的境地に至る。

左脳マインドを失った経験から、深い内なる安らぎは、右脳にある神経学上の回路から生じるものだと心の底から信じるようになりました。この回路はいつでも機能しており、いつでも繋げることができます。
安らぎの感覚は、現在の瞬間に起こる何かです。それは過去を反映したものや、未来を投影するものではありません。内なる安らぎを体験するための第一歩は、まさに「いま、ここに」いる、という気になること。
(p.261)

左脳マインドはわたしを、いずれ死にいたる一人の脆弱な人間だと見ています。右脳マインドは、わたしの存在の神髄は、永遠だと実感しています。
(p.262-263)


翻訳がまた、とても良かった。
2012.04.09 / Top↑
Bill PeaceとClair Royの2人がブログでAshley療法復活について書いた。:やっと。なんか相談でもしてたのかな。初動を外して同じタイミングで。Peaceはいつも長いのですぐに読む気になれず、Royさんの方を少しだけ。今回は論争にすらならない、怒る人がいない、「もう止めようがない」という諦め。嘆き。それでも抑えきれない憤り。by way of deception and word play……
http://badcripple.blogspot.jp/2012/04/growth-attenuation-cultural-mess.html http://saynoga.blogspot.jp/2012/04/growth-attenuation-my-final-word.html

生命倫理の議論でいかに文言が恣意的に、戦略的に選択されているか。自殺幇助では、CA州、OR, WA州の「自殺」の選択からC&Cによる「選択」へ :半分くらいしか読めてないけど、面白そう。
http://www.thehastingscenter.org/Bioethicsforum/Post.aspx?id=5806&blogid=140 

アイダホに続き、オクラホマでも無益な治療の一方的な停止や差し控えに歯止めをかける法案が通過しているらしい。:無益な治療論では揺り戻しの動きも起きているとみていいんだろうか。PASの方はイケイケドンドンになってきた観もあるんだけど。
http://medicalfutility.blogspot.jp/2012/04/oklahoma-anti-futility-legislation.html 

インドの小児科医らから「ポリオ撲滅は不可能だと最初から分かっていたのに、偽りの希望を掻き立てて貧しい国に10年間も余計な出費をさせたWHOとゲイツ財団のキャンペーンは非倫理的」との批判。インドではお陰様で11年に天然ポリオの患者はいなくなったものの、non-polio acute flaccid paralysis(NPAFP)が急増していて、ポリオと同じマヒを起こすけど致死率は倍。しかもUttar PradeshとBiharと、ゲイツ財団がワクチン普及に力を入れて沢山打った地域での発症が目立っている。(ちなみにBiharってな、ゲイツ夫妻が「養子」にした村)。そもそもワクチン助成という名目で国際社会からの支援金で強引に始められたワクチン施策を、そのまま続行していくために自国政府は、もらったカネの100倍もの支出を強いられるんだ、と。
http://pharmabiz.com/NewsDetails.aspx?aid=68352&sid=1

同じ批判がエリトリアのフリー・ジャーナリストからも出ている(マラリアのワクチン耐性の話もここ)
公衆衛生でマラリア死8割減のエリトリアから「製薬会社株主ビル・ゲイツのワクチン開発」批判

【ゲイツ夫妻とビハール州との結びつき関連エントリー】
http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/60574592.html
http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/60574483.html
http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/63077457.html

タイ・ビルマ国境付近で、マラリアに強力な治療薬への耐性が見られ、世界的に広がると撲滅には痛手だ、と珍しくガーディアンがこんな記事を。:一連の話題と併せて気になる。まだちゃんと読めないけど。ガーディアンが取り上げているということは、「だからマラリア撲滅のための資金をもっと」という流れ?
http://www.guardian.co.uk/society/2012/apr/05/malaria-drug-artemisinin-lose-potency?CMP=EMCNEWEML1355

こちらは、1年間に渡って数種類の薬を併用することでマラリアは30%カットできる、という研究結果。
http://www.medicalnewstoday.com/releases/243725.php

【関連エントリー】
「熱帯病撲滅」で、ゲイツ財団の元に英米政府、世銀、ビッグファーマ13社が結集(2012/2/1)


ガンも変異して抗がん剤に耐性をつけていく。
http://www.medicalnewstoday.com/releases/243753.php

ゲノム読解が1000ドル程度で誰でもできるようになるという予測をめぐって、あれこれの記事が多いけど、これは双子をめぐる研究から、ゲノム読解でできるのは予測まで、との結果。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/243758.php

個人ゲノム読解について、病気予防だって大したことない、という見方も。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/243758.php

胎児期に向精神薬にさらされると、neuromotor の検査スコアが低くなる・・・って、タイトルだけで流してスミマセンけど、運動能力が低くなるってことですか?
http://www.medicalnewstoday.com/articles/243798.php

ハリケーン・カトリーナの後に、武器を持ってもいない黒人男性を警官らが射殺して、それを仲間内で隠ぺいした事件で、警官5人に実刑。http://www.guardian.co.uk/world/2012/apr/04/new-orleans-police-officers-katrina?CMP=EMCNEWEML1355


以下、重症重複障害のある人の自立生活支援について

野崎泰伸「支援における代理表象の倫理――ある知的障害者の自立生活を支える取り組みから」
http://www.arsvi.com/2000/0510ny2.htm

青葉園・のまネット西宮 清水明彦「地域自立生活と地域生活移行の課題と展開」:去年の講演パワポ。この人の講演、20年前に聞いた。まだ「軽そうな兄ちゃん」だったけど、その兄ちゃんの言うことがイチイチ響いた。その後、見学に行きたいね、という話も身近な親の間で出たことがあったけど、それっきりになった。あのまま20年たったんだなぁ……。
http://saka-ue.cside.com/j/sadato/10/100704-2_2_shimizu.pdf
2012.04.09 / Top↑
この件に関するUPIの記事と、
その記事を受けてWesley Smithが書いているブログ記事。


UPIの記事を読んでみると、

「ドイツでは現在、安楽死は違法ではあるものの
死に瀕した患者が死にたいと望んでいると確信があるなら
医師はその患者に自殺の手段を提供することができる」と書いてあるので、

今回の行政裁判所の判決とは

現在、連邦医療会議が自殺幇助を禁じていて、
違反した医師には6600ドル程度の罰金まで規定していることについて、

判事が too general (漠然とし過ぎ?)と判断して、それを無効とし、
医師個々の判断に任せる、とした、ということのようにも読めます。

この医療会議の禁止の周辺については、以下のエントリーに ↓

ドイツ医師会、自殺幇助に関するルール緩和し、判断を個々の医師にゆだねる(2011/2/20)
ドイツ連邦医療会議、自殺幇助禁止を確認(2011/7/3)


ただ、ドイツの自殺幇助議論については、
かつては終末期医療の差し控えを認めたニュースを
英語圏メディアがこぞって自殺幇助合法化と報じたこともあったりして
イマイチ信用できない面もある。(詳細は後半に)

そういうこともあってかどうか、
Smithもドイツの司法制度が分からないから解釈に困ると言いつつ、
どういう形であれ、ドイツで自殺幇助合法化に向けて新たなドアが開かれた、
ということ、とのみ捉えている。

また、UPIによると、
ドイツには自殺幇助の専門家の判事というのがいるらしく、その人が
「現在ドイツで起こっている“自殺ツーリズム”を止めるための第一歩」と喜んでいる。

実際、スイスのDignitasで自殺している外国人は
ドイツ人がダントツに多いのは確か。 ↓

Dignitasでの自殺者、ドイツ人は500人(2009/9/24)


しかし、余所の国に自殺しに行く人が多いから
それに歯止めをかけるために自分の国で自殺させましょう、とは
一体それはどういう話だ? とSmithは書いている。

German doctors can assist terminally ill
UPI, April 4, 2012

German Judge Opens Assisted Suicide Door
Secondhand Smoke, April 4, 2012


ど―――――も、私には
ドイツでの自殺幇助合法化をめぐる英語圏のメディアの報道は怪しい、と思えてならない。

前にも、以下のニュースを英語圏メディアが一斉に
「ドイツ最高裁が自殺幇助を合法化!」と騒がしく報じたことがあった。

ドイツ最高裁が本人意思なら延命治療停止は合法との判断(2010/6/25)


上のエントリーの末尾にも書いていますが、
その後、APは当初の報道が誤っていたことを認めましたが
その姿勢は全く誠実なものではありませんでした。
2012.04.09 / Top↑
日本。「終末期の医療における患者の意思の尊重に対する法律案(仮称)」に対する日本弁護士連合会会長の声明
http://www.nichibenren.or.jp/activity/document/statement/year/2012/120404_3.html

米国最大のPAS合法化ロビーC&C、6月28日に全国カンファ。セッションの一つにGrowing Local Support: Learning How to Coordinate Campaigns in Your State―A Case Study というのがある。うまく行った事例から学んで、それぞれ自分の州でキャンペーン成功させましょうぜい。もう1つ目についたセッションは、How a Bill Becomes a Law and Other Ways We Achieve Victory。法案を法にしてきた我々の勝利の方程式。我々の――。
http://community.compassionandchoices.org/page.aspx?pid=1037

NHI資金による鶏インフル研究に関するNature とScienceに掲載予定の論文に、人体にリスクのあるミュータント・ウイルスが作成されており、米国政府からバイオ・テロリズムに悪用される恐れがあるとして昨年末、一部の内容にストップがかかり物議を醸していたのだけれど、全文が掲載されることに。
http://www.npr.org/blogs/health/2012/03/30/149716286/scientific-journals-plan-to-publish-contentious-bird-flu-research?ft=1&f=1007

上記論争を受け、今後の公的資金による研究リスクに新たなガイドライン。鶏インフルのウイルス、炭素菌、エボラ菌など、特に危険度の高い15の毒物等を扱う研究には特別の検討を必要とするもの。
http://www.npr.org/2012/03/30/149664035/policy-on-high-risk-biological-research-tightened?ft=1&f=1128

環境ホルモンBPAの食品に触れる場所での使用を禁じるよう求めたthe National Resource Defense Councilの要請を、米国FDAが却下。
http://www.npr.org/blogs/thesalt/2012/03/30/149683556/feds-to-decide-on-banning-bpa-from-food-and-other-products?ft=1&f=1128

【関連エントリー】
大統領がんパネルが「化学物質はやっぱりヤバい」(米)(2010/5/10)


米国で加齢による男性ホルモンの現象を検査するよう薦めるテレビ・コマーシャルがあるらしい。:これには加齢男性性腺機能低下症(LOH症候群)という「病名」がすでにあります。 ⇒「老い」は自己責任で予防すべき「病気」であり「異常」であるらしい(2009/9/21)
http://www.slate.com/articles/health_and_science/medical_examiner/2012/04/lowt_ads_is_testosterone_testing_important_.single.html#comments

遺伝子診断で自分が将来かかる可能性のある病気が分かっても、マイナーな病気で研究があまり行われていない場合に、カネとリソースさえあれば、do-it-yourself 臨床実験をコーディネイトすることは可能。:これ読んで、Ashleyの父親がやっているのも、国先的な規模でのdo-it-yourself “アシュリー療法”臨床実験と言えるかもしれない、と。
http://blogs.wsj.com/health/2012/03/30/when-medicine-really-gets-personal-the-diy-clinical-trial/?mod=WSJBlog&utm_source=feedburner&utm_medium=feed&utm_campaign=Feed:+wsj/health/feed+%28WSJ.com:+Health+Blog%29&utm_content=Google+Reader

ProPublicaが死後の検死の実態の調査報道で、また何かの賞をとっている。
http://www.propublica.org/atpropublica/item/propublica-investigation-wins-ire-award

たぶん、去年12月22日の補遺で拾った、この記事 ↓

PruPublica。ナーシング・ホームを中心に、高齢者が死亡した際に医師が遺体を見ることすらなしに自然死として死亡診断書を書き、虐待や劣悪な介護によるネグレクト、時には殺人までが闇に葬られている米国の実態。 調査によると死亡診断書の半数で死因が間違っていたり、アーカンソー州で自然死とされた6遺体を掘り起こしてみたら、4人が窒息死、2人は医療過誤だっ た、ということも。葬儀屋が痣だらけで肋骨が何本も折れた遺体に気づいて通報したケースでは死因が「アルツハイマー病で衰弱」となっていたり(このケース では施設職員に足蹴にされて折れた肋骨が肺に刺さって死亡していた)。:診断書を書く医師にも「まぁ、どうせ施設入所の高齢者」意識があり、検死官側にも 「ただでさえ忙しいのに、これ以上高齢者の解剖を持って来られたくない」意識があり、総じて社会全体に高齢者差別が。私たちが向かっていこうとしていの も、こういう空気の中で「それはそれ」「これはこれ」で「死の自己決定権」が喧伝される社会。そのうち「施設に入ったら職員に殴り殺されて、闇に葬られる から、それよりも自殺幇助を」という理屈になっていくのかしら。Ashley療法の子宮摘出の正当化の1つは「施設入所することになったらレイプされるか ら、その時に妊娠しないように」だった。
http://www.propublica.org/article/gone-without-a-case-suspicious-elder-deaths-rarely-investigated

ProPublicaには18日にも、この先触れみたいな記事があった ↓
米国で解剖件数が減って、それが医療過誤の隠ぺいに。ProPublica.
http://www.propublica.org/article/without-autopsies-hospitals-bury-their-mistakes

英国では、こういう調査報告が出ている ↓
検死官が近親者による自殺幇助は見て見ぬフリ(英)(2011/8/25)


米海兵隊第1陣 豪に駐留開始。:中国にらみ……。インドもにらみ……。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120404/t10014212271000.html
2012.04.09 / Top↑
コロンビア大の倫理学者Robert Klitzmanの
「私とは私の遺伝子なのか?」と題した論考。

遺伝子診断で個人の全ゲノムを読解する検査料金は
近く1000ドル程度にまで下がる見通しで、

既に患者のゲノム読解に取り掛かっている病院もある。

数年のうちには、好む好まざるを問わず、
多くの人がゲノムから自分にはどういう変異があるかを知ることになるだろう。

これまで検査を受けた人の中には
「自分は死ぬのだ」という意識にとらわれたり、
神の意図をそこに読み取ろうとする傾向が見られる。

遺伝子によってすべてが決まるという宿命論は、
では人間の自由意志には意味はないのか、という問題をはらむ。

我々は単に遺伝子と環境要因の副産物でしかないのか。
それとも自らの自由意志によってのみ支配される存在なのか。

科学者らは遺伝子診断を、
これまでの医学検査と同じように考えているが、

我々はまだ、
遺伝子診断がもたらす、こうしたジレンマに立ち向かうことができていない。

興味深いのは、
遺伝子診断で乳がんの遺伝子変異が見つかった女性の言葉で
「生まれて初めて、自分に宗教心があったらよかったのに、と思うわ。
宗教があったら、もっと楽だったのに、と思うの」

Am I My Genes?
By Robert Klitzman
Psychology Today, April 2, 2012


米国医学会新聞にも、この話題の記事ありました ↓
http://www.ama-assn.org/amednews/2012/04/02/hll20402.htm

もう一つ、Scientific Americanの記事で、
「実際のところ、ゲノム読解によって本当に病気が予防できるのか?」
http://www.scientificamerican.com/article.cfm?id=whole-genome-sequencing-predict-disease


2012.04.09 / Top↑
The National Audit of Dementia (全国認知症調査)は、医療の質向上を目指して集まった英国精神医学会などの職能団体が共同で2008年にスタートした事業である。2009年には一般病院(general hospital)における認知症の人々へのケアの質を調査するための評価基準をNICE(医療技術評価機構)のガイドラインなどを参照しつつ作成し、2010年3月から翌年4月まで調査を実施。英国で初めての調査だという。2011年12月に報告書”Report of the National Audit of Dementia Care in General Hospitals 2011”が発表されたので、要約から概要を紹介する。

調査の主眼は、以下の2点。
① ケアする能力の測定:認知症の人のケア・ニーズを把握し、それに応えるための病院の体制と資源の実態。
② ケアの質の測定:認知症の人が病院で一定レベルのケアを受けているエビデンスを収集・把握する。

調査は、病院レベルでの「中心調査」と病棟レベルでの「補足調査」の2層で構成。
具体的な方法は、病院レベルでは①認知症ケア方針など病院の体制に関する総合的なチェック・リストと②認知症患者40人の症例に関する資料。病棟レベルでは①ケア体制に関するチェック・リスト、②認知症の人に影響する物理的環境のチェック・リスト、③病棟スタッフへのアンケートによる意識調査、④それぞれの支援とケアに関する介護者と認知症の人へのアンケート調査、⑤病棟での観察。
中心調査の評価基準は①基本レベル、②期待されるレベル、③意欲的レベルの3タイプ。①基本レベルの最高点は、ケア体制で20/21点、症例情報の調査では14/28点だった。
全体の傾向としては、病院によりバラつきが大きく、また病院の総合的な体制と病棟でのケアの質とには相関はほとんど見られなかった。病院に認知症ケアの方針やケア・パスがあることは必ずしも現場のケアの質を反映しないということだ。
例えば栄養状態のアセスメントは全国的には7割の患者で実施されているが、病院ごとに見ると3%から100%とバラつき幅が大きい。患者の機能や精神状態、環境その他のアセスメントも、病院としては実施の方針が定められている割合が高い一方で、症例情報を見ると実際はさほど行われていないなど、病院方針と現場の実態のズレが目立った。
多くの病院が連携チーム(リエゾン・チーム)による専門的な精神医療が受けられる体制を謳い、実際にその体制を整備している。しかし、個別症例では夜間や週末の対応不足や退院以降に向けた支援サービスの不備が見受けられ、一般病院における精神医療と退院後に向けた支援体制の軽視が透けて見える。
慣れない病院環境で暮らすことになる患者を本人中心にケアするためには、必要な情報を家族や友人知人から聴取しスタッフ間で共有する仕組みが必要だが、どの病院でも病棟でも不十分で、本来なら避けられるはずの不穏や向精神薬処方に繋がっている可能性がある。スタッフ全員に認知症に関する意識向上研修を義務付けている病院は5%。認知症患者をケアするためのスキルアップ研修を用意している病院は23%。認知症ケアの研修・知識を十分に積んでいると感じるスタッフは32%。
99%の病院が最低限の人員配置確保に努力しているが、現場では認知症患者のニーズを満たすには人が足りないと感じているスタッフが3分の2を超える。また認知症ケアに当たるスタッフへの支援と指導の仕組みがある病院も少ない。
ベッドから時計が見える、色のコントラストにより掲示が見えやすく工夫されているなど病棟環境への配慮も、できている病院は項目ごとに概ね半数程度しかなく、改善が望まれる。
現場の観察から明らかになった実態も深刻だ。病棟は認知症にやさしい居住空間ではなく、騒音や慌ただしい人の気配から逃れることのできる空間が全くない。スタッフから関心を向けられることも少なく、活動も刺激もない病棟で患者は退屈している。病院の方針には本人中心ケアのアプローチが謳われていても、病棟にはそうした文化自体が存在せず、患者と接する姿勢は事務的である、など、多くの問題点が浮き彫りになっている。
日本の総合病院も認知症ケアに無関心ではいられない事情は同じだろう。学ぶところの多い報告書ではないだろうか。

「世界の介護と医療の情報を読む」69
「介護保険情報」2012年3月号
2012.04.09 / Top↑
HPVワクチン導入後の評価(語る時の注意)。感染症の専門家、青木眞さんの「感染症診療の原則」ブログの4月1日の記事。深刻な副作用被害は余り報告されていない、効果は10年以上経たないと分からないけど、欧米からはいくつか効果があったとの調査報告が出始めている。しかし「このような発表は今後たくさんでてくるとおもいますが、研究者らと製薬会社のファイナンシャルな関係があるかどうかは解釈する際の注意事項のひとつです」男児に、という声が出ていることについて「先進国ではもともと子宮頸がんの数自体が少なく、健診だけでかなりの数を減らしているので、高額なワクチンを全員に提供すべきかについては医療者からも疑問の声がたくさん出ています。(他にお金を必要としている事は山のようにあるからです)」:日本の「ワクチン産業ビジョンの要点」の怪(2011/3/8)で引用させていただいた方。その時は、日本には接種者の登録制度がないので、効果の検証ができないと指摘されていました。
http://blog.goo.ne.jp/idconsult/e/f80f8a786c633ccd349991edfb6e1031

ゲイツ財団がナイジェリアとガーナでヤム芋の農業支援に1200万ドルのグラント。:コメントはみんなで大絶賛なんだけど、これもまたGM農業改革の一環だとしたら、歓迎すべきことかどうか。というか、ゲイツ財団の慈善はそんなに単純な善意じゃない。
http://www.vanguardngr.com/2012/04/gates-gives-12m-grant-to-boost-yam-production/ 

日本。新生児マス・スクリーニングが各地で拡大されています 「ムコネットTwinkle Days いのち輝ける毎日」ブログの4月3日の記事。「4月から、新生児マススクリーニングを従来の6疾患から19疾患へと拡大したことを発表した自治体が多くあります」
http://muconet-t.jugem.jp/?eid=948118

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新生児スクリーニング、去年から24の病気に(WA州)(2009/12/19)
新生児スクリーニングは「精神遅滞のような重大な問題や死」を防ぎ「これからの世代を助ける」ため(2009/12/19)

BMI(脳とコンピューターをつなぐ技術)でALSの患者さんのコミュニケーションを可能とするNeuroVigilという会社のiBrainという装置がNYTの記事に。タイトルは A Little Device That’s Trying to Read Your Thoughts.

認知症高齢者への抗精神病薬に心臓発作のリスク。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/243651.php

CA州オークランドの大学で銃乱射事件。7人死亡。
http://www.guardian.co.uk/world/2012/apr/02/oakland-shootings-gunman-opened-fire-california?CMP=EMCNEWEML1355

介護現場で民族学研究 準教授辞め特養職員の沼津・女性が本出版:これ、面白い。民俗学に関心を持つ人が介護の現場に入ることを期待している。ただ最後の「民俗学に関心を持つ人が介護の現場に入ることを期待」というのには、ちょっと戸惑う。
http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20120403/CK2012040302000204.h
2012.04.09 / Top↑
3月30日のこちらのエントリーにいただいた、
コメントのいくつかの流れがあり、その最後にhiromitiさんの
「せずにいられない」という言葉があったことから、
紀野一義「私の歎異抄」を思い出したので、
読んだ当時に手書きで書きうつした「読書ノート」から。


……何かをするのでも「ただ何々をする」。念仏を称えたら極楽へ行けるとか行けないとかいうことは問題にしておらぬ。念仏を称えたらどこへ行くやらわからぬ。わからなくてよい。要するに「ただ称える」のである。誰かのためにするとか、人類のためにする、とか、そういうめんどうくさいものではない。ただ親切にする。ただ愛する。風が吹くようにただただ行くのである。
もっとも、このただ称えるというのは、うしろにもう一つある。ただやりさえすればよいというのではない。やらずにおられぬということがかくれている。これが「ただ」の恐ろしさである。背後からその者におこなわしめるものがいる。促すものといってもよい。親切にせずにおられないから親切にする。愛さずにおれないから愛する。どういうことがあっても止まらぬ力。誰かが止めても止まらぬ力。どんなになってもせずにおれない力が、背後からいやおうなしに迫ってくる。その時に「ただ」という世界が始まる。
(p 52, 53).


……「自力のこゝろをひるがへして、他力をたのみたてまつれば」というが、実は外から来る力によってひるがえさしめられるのである。自分で自力のこころをひるがえすことなどできはせぬ。ひるがえったとしても、適当なところで妥協して、ひるがえしたような気になるだけではないのか。
 追い詰められ、恥を曝し、もはや自分で自分をどうしていいかわからぬところまでいってはじめて、自力のこころはひるがえるのである。自力のこころがひるがえらぬうちは、お念仏は出ぬのである。
(p.79,80)

(私は「リハビリの夜」を読んだ時に、ここを思い出した)


……やはり長い間、侘びさせられるという世界があり、手を合わせられる宿業があり、命をあずけられる師があってはじめて感謝のお念仏が出るのである。
(p.86)



同じく、紀野一義「『般若心経』を読む」 講談社現代新書

 自由などというものは、不自由に血の涙を流した人間だけが本当にそのありがたさを知るのである。たとえ分かったとしても、自由も、不自由も問題にしない「自在」のあることを知るわけがない。
 自在ということを本当に知っているのは、菩薩だけだと思う。
(p.71,72)


 おてんとさんは天に輝き、地に輝く。おてんとさんのような人生を歩きたいと、私は思う。
 どんなことをしたって、なくなりもしない減りもしない、この大生命の世界を、おてんとさんのように生きていく、いや、生かされていくとしたら、受・想・行・識にとらわれることもなく、眼・耳・鼻・舌・身・意にとらわれることもない。そうなれば、色・声・香・味・触・法にとらわれることもなく、眼界から意識界にいたるまで、まるっきりとらわれるということがなくなる。
 あるのはただ、「在る、在る」であり、「はっきり、はっきり」である。何が、どう、ではなく、ただ在るのであり、ただはっきり、はっきりなのである。そこに人間の分別思量の入り込む余地がない。ただ在るものが在り、はっきりしているだけのことである。
(p.154,155)


……仏様にうながされ、そのうながしのままに行動して、それがちゃんと道にかなっているという生き方をしたいと思う。そういう生き方を、「行もなく、行の尽きるところもなし」というのである。
(p.184)


実際に、こんな生き方ができる人間はたぶんいないだろうとは思うけれど、

そういう生き方をしたいと、せめて願いつつ日々を生きていくことで、
あるいは、時にこうした清々しい言葉に触れることによって、
少しでも清潔な生き方ができるのではないか、と

そのことを、せめて願ってみる。

そして

「科学とテクノの簡単解決文化」と、
その根っこにある能力偏重・操作主義とが一番欠いていて、
一番、そこから学ぶべきものがあるのも、
こうした日本のおおどかな宗教や哲学なのでは……と考えてみる。


【関連エントリー】
サンデル教授から「私の歎異抄」それからEva Kittayへ(2010/11/25)
2012.04.09 / Top↑
米CA州で自殺幇助容疑でElizabeth Barrett(65)を逮捕。他にも報道多数。ヨーグルト殺人だかヨーグルト事件だか言われているので何かと思ったら、致死薬をヨーグルトに混ぜて飲ませた事件。弁護士は「死ぬような薬とは女性は知らなかった」。
http://abcnews.go.com/US/wireStory/calif-woman-65-charged-assisting-suicide-16022660#.T3VGa9mFByI

ミシガン大学が、死亡宣告した瞬間から心肺装置を作動させて血液を循環させて摘出までの臓器を新鮮に保つ新たなDCDプロトコルを作ったことで、デッド・ドナー・ルールめぐる議論が再燃。
http://www.bioedge.org/index.php/bioethics/bioethics_article/10002

アイダホ州で、患者の同意なしに治療を差し控えることを禁じる反「無益な治療」法案、上下院を通過。
http://medicalfutility.blogspot.jp/2012/03/idaho-anti-futility-bill-passes-house.html?utm_source=feedburner&utm_medium=feed&utm_campaign=Feed:+MedicalFutilityBlog+%28Medical+Futility+Blog%29

Lancetが社説で「終末期医療はなおざりにされている。研修もっと必要」と。
http://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736%2812%2960490-5/fulltext?elsca1=ETOC-LANCET&elsca2=email&elsca3=Other

豪ヴィクトリア州の委員会報告が、生殖補助医療の精子ドナー情報の公開を義務付け提言。
http://www.bioedge.org/index.php/bioethics/bioethics_article/10004

英国政府、再生医療に7500万ポンドを投入し、新たな方針打ちたてて邁進。
http://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736%2812%2960493-0/fulltext?elsca1=ETOC-LANCET&elsca2=email&elsca3=Other

ビル・ゲイツがジンバブエとかエチオピアへ行って「ワクチンを始め医療改革なかなか頑張っておる。誉めてつかわす」と、ゼニをバラまいてる。
http://allafrica.com/stories/201203300500.html http://allafrica.com/stories/201203300496.html

Physicians for Human Rightsって組織があるらしい。
http://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736%2812%2960499-1/fulltext?elsca1=ETOC-LANCET&elsca2=email&elsca3=Other
2012.04.09 / Top↑
③ Scott Mathewsのケース

1996年のNY、アルバニーのGH在住の重症重複障害者。当時28歳。

何度も脱水、栄養不良尾、感染、肺炎を起こして入院し、体重も非常に少ないことから、医師とGH側が胃ろう造設を検討するも、法定代理人である両親が抵抗し、裁判へ。

トライアルでは両親の訴えが却下されたが
NY上訴裁判所は口から食べることも可能とする医師の判断を受け入れ、
逆転判決を言い渡した。

本人が意思決定能力を欠いている以上
スコットの体重と健康状態を慎重にモニターしつつ、
本人の最善の利益判断を元に法定代理人の良心の決定が尊重されるべき、との立場。

これに対して、障害者運動は「法廷の友」としての意見書を出した。

最重要とすべきは本人の命の保障であり、
認められないなら障害者には医療の平等が保証されないことになるとして、
餓死のリスクがあるのに両親の決定権が尊重される生命倫理の論理を疑問視した。

一方の生命倫理では、
両親の立場を代弁した法学者のDale Mooreを始め、
その他の医療をめぐる意思決定と同様に
代理決定とリスク対利益の比較考量の問題と捉える。


考察

これら3つの事件について考察しつつウ―レットが繰り返しているのは
全てのケースに当てはめられる解決などない、ということ。

Maryのケースが訴えているのは自己決定できることの重要さ。

その一方で、McAfeeのケースでは自己決定が重視されたあまり、
彼が訴えていたのが実はICUから出て暮らしたいという希望だということが
理解されなかった。

Scottのケースでは
ウ―レットはまず障害者運動側が医療の主張の側に立ったことに注目し、
胃ろうが介護負担軽減策として濫用されている事実に警告を発し、
認知症コミュニティからは口から食べることの重視が訴えられている事実を指摘する。

ウ―レットの結論は、

障害者の医療をめぐっては
障害者の側から出てきたものであれ、その逆であれ、
そこにあらゆるケースに当てはまるルールを求める姿勢には問題がある、ということ。


【「生命倫理と障害」関連エントリー】
Alicia Ouelletteの新刊「生命倫理と障害:障害者に配慮ある生命倫理を目指して」(2011/6/22)
エリザベス・ブーヴィア事件: Quellette「生命倫理と障害」から(2011/8/9)
Sidney Miller事件: 障害新生児の救命と親の選択権(2011/8/16)
Ouellette「生命倫理と障害」概要(2011/8/17)
Ouelletteの「生命倫理と障害」:G事件と“無益な治療”論について(2011/12/17)ここから3本。
Ouellette「生命倫理と障害」:人工内耳と“Ashley療法”について(2011/12/19)ここから2本。
Ouellette「生命倫理と障害」第5章:「アリソン・ラッパーの像」(2012/1/17)ここから3本。

Ouellette「生命倫理と障害」第6章 成年期: Maryのケース(2012/3/31)
Ouellette「生命倫理と障害」第6章 成年期:Larry McAfeeのケース(2012/3/31)
2012.04.09 / Top↑
② Larry McAfeeのケース

1984年に登山中の事故で呼吸器依存の全身麻痺状態となる。
その後5年間、ナーシング施設を転々とした後に
GA州89年にアトランタの病院に。

そのICUで3カ月過ごした後に、弁護士を呼び、
死にたいので呼吸器を止めてほしいと望んだ。
Fulton最高裁に請願書を提出。

判事は本人のベッドサイドで事情聴取を行い、
本人が何度も方法を工夫して自殺を試みたことを聞く。
家族も、州検察側が選任した医師も本人の決定を支持。

トライアル審は意思決定能力のある成人として本人の治療拒否の決定を認めた一方、
呼吸器停止の際に鎮静剤を打つことを医療職には求められないとしたが
上訴を受けた最高裁は、停止の際に苦しまなくてもよい権利は
望まない医療を受けなくてもよい権利の中に含まれる、と判断した。

これに対して、Paul Longmoreら障害者自立生活運動からは
法廷では語られることがなかった事実が明かされた。

1986年にMcAfeeはアトランタのアパートで自立生活を始め、
改造した車を運転して買い物に行ったり映画やバスケの試合にも出かけていたというのだ。

いずれはコンピューター・エンジニアとして仕事も、と希望を持っていたのに、
両親の保険契約が切れたことから彼はナーシングホームに入ることを余儀なくされた。

しかも受け入れてくれたのは
友人・家族のいるアトランタから遠いクリーブランドの施設だった。

高齢者ばかりの施設で、ネグレクトに等しいケア。

他に移りたいと希望すれば、あちこちをたらい回しにされた挙句に
急性期の病人でもないのに病院のICUでの暮らしを余儀なくされた。
彼が死にたいと望んだのは、そのICUでのことだったのだ。

その4年間に、自立生活を送れる支援さえあれば、
彼が死にたいと望むことはなかった。

実際米国には15000人の障害者が
人工呼吸器を使いながら病院から出て暮らしている。

McAfee訴訟は
Elizabeth Bouvia事件やDavid Rivlin事件と並べて
死の自己決定権の文脈で論じられるが、

個人の医療拒否の問題ではなく、
医師も判事も一般国民もが共有する重症障害のある生は生きるに値しないとの価値観、
すなわち社会の側にある障害バイアスの問題、と主張。

Longmoreは
「こんな自由はフィクションに過ぎない。偽物の自己決定。
選択というレトリックが強制の現実を隠ぺいしている」と。


この後、ウ―レットが解説している
生命倫理学でのMcAfee事件への反応またはその変遷は非常に興味深い。

まず、
大御所 Beauchamp とChildressは09年の著書Principles of Bioethicsで
McAfee事件を「正当化された医師による自殺幇助」の事例として取り上げ、
彼は裁判所にまで行かずとも医師の判断で死なされて然りだったと説いた。

ところが興味深いことに、その後の改訂版(PASをより深く正当化する)からは
何の説明もなく、この事件は姿を消した。

さらに最新版では2人は障害者運動の言い分に一定の理解を示し、
多様な支援を整備することの必要を認めつつ、
しかし最後の手段としてPASを認めるべきだと主張している。

次に最も社会的文脈を重視する生命倫理学者として
ウ―レットが言及するのが Art Caplan。

Caplanはメディケアの財源を連邦政府に一元化し安定的なものとすることで
州によって障害者が受けられる支援のばらつきを解消すべきだと主張しつつも、
McAfee訴訟での裁判所の判断自体は問題としない。

非常に興味深いのは
障害者らからの批判を受けて、
この事件に対する考えを変える倫理学者も出てきていること。

Howard Brodyは、
この事件で裁判所の判断を支持したことを謝罪する文書を出した。
Brodyはまた、ほぼ同じ内容だったRivlin事件で書いたことについても
考えを翻して、以下のように書いている。

I am now embarrassed to realize how limited was the basis on which I made my decisions about David Rivlin. In hindsight, it has been very well documented that there was no medical need for Rivlin to be effectively incarcerated in a nursing home. If Rivlin had been given access to a reasonable amount of community resources, of the sort that other persons with disabilities were making use of at the time, he could have been moved out of the nursing home and probably could have had his own apartment. …(中略)… The reasons he gave for wanting to die were precisely how boring and meaningless life was for him.
There’s every reason to believe in hindsight that David Rivlin died unnecessarily, ……(以下略)

David Rivlinについて自分の考えを決める際にいかに限られた情報を根拠にしていたかを知り、今の私は恥じている。改めて振り返ってみれば、Rivlinがナーシング・ホームに閉じ込められていなければならない医療上の必要などどこにもなかったことは文書で明らか。当時ほかの障害者らが利用できていた地域サービスがRivlinにも使えていたならば、彼はナーシングホームを出て自分自身のアパートに住むことができた可能性がある。……死にたい理由として挙げたのは、まさに生活が退屈で無意味だということだったのだ。
いま振り返れば、David Rivlinはどう考えても死ぬ必要はなかったのだとしか思えない。

しかし、もちろんBrodyのような倫理学者はマイノリティだ、とウ―レット。
2012.04.09 / Top↑
ウ―レットが成年期の問題を扱う第6章の導入部で取り上げるのは
事故で中途障害を負って全身麻痺となり、死ぬまでの9年間ずっと
再び歩けるようになる治療法の開発に全てをかけた
スーパーマン俳優のクリストファー・リーヴ。

「歩道の段差をなくしたり、車いすを改良することには興味はない」と語り、
あくまでも経って歩けるようになることにこだわったリーヴは
障害者運動との間に溝が深かった。

リーヴについてはこちらに日本語で詳しい。

ウ―レットは障害者運動のMary JohnsonとMichael Schwartzからの批判を引きつつ、
成人期になって中途障害を負った人にはありがちな姿勢であるとも述べて、

障害の体験は人により、障害を負った時期や障害像や
その他多くの要因によって多様である、として、

この章では3人のケースを取り上げる。


① Maryのケース

知的障害を伴わない重症脳性マヒで
子どもの頃から30年間施設で暮らしてきた48歳女性。
コミュニケーションは文字盤で可能。
家族がおらず日々のケアが手配できないため
知的能力に問題がないと分かった後もグループホームに。

グループホームでの定期健診の際に、
浣腸か内視鏡検査を命じられて、本人が拒否。
受けさせようとするGHの管理者と本人意思を尊重する家庭医とが対立したが
最終的にはGH側が本人意思を尊重することで決着した。

Maryには自己決定能力があることが明白なので
障害者の権利運動も、生命倫理の側も、事件の顛末に問題を感じない。


(次のエントリーに続きます)
2012.04.09 / Top↑