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Guardian の日曜版 Observer誌が
これまで自殺幇助合法化に関して積極的に発言してきた以下の5人を
ラウンドテーブルに招いて討論を行っています。

Baroness Mary Warnock(哲学者)
Baroness Ilora Finlay(緩和ケア専門の教授)
Evan Harris(自由民主党議員)
David Morris(障害者自立運動アドボケイト Independent Living Alternative会長)
Debbie Purdy(死の自己決定権を主張し法改正を求めるMS患者)

(Warnock, Finlay, Purdyの3人については、こちらに関連エントリーのリスト)

司会は Observer誌の政治部編集長 Anushka Asthana

非常に読みごたえがあるし、
英国の自殺幇助合法化議論の論点がだいたい尽くされている観もあるので
この問題に興味をお持ちの方には、お勧めの議論かも。

A matter of life, death and assisted dying
The Guardian, January 31, 2010


個人的には、一番強く印象に残ったのは
同じ障害当事者でも、Purdyさんがものを言う時に、例によって
自分自身のこと、自分と同じように考える障害者のことしか念頭においてないのに対して、
David Morrisさんが、合法化されることの影響を、もっと広く捉えていること。
そして、その影響のリスクを非常に具体的に指摘したこと。

David Morris: I really share very much of what Debbie feels around choice and control as a disabled person. But [when it comes to legislating] what I don't want to see is this being placed in a context where some of our lives are of less value, in the eyes of the law and in the eyes of society, than others. And there's a whole depth of debate which we need to have, which is both ethical, but is also very practical.
Before we legislate for death we should be ensuring that we all, as disabled people, have access to these supports to be able to live effectively. Say last year, for various reasons, I was feeling suicidal but it was nothing to do with my impairment. I could have gone to Dignitas and nobody would have said anything about me being assisted to die, because I'm judged as somebody with an impairment which can be confused with somebody who is terminally ill. And we really need to establish that point.

障害のある人の選択とコントロールについてはDebbieさんと同じ気持ちだけど、合法化されて、法律においても社会においても、我々障害者の命が他の人よりも価値のないものとみなされるようになるのは困る。そういうのは倫理の問題というだけでなくて現実問題なんだから、そういうところまで、ちゃんと議論する必要がある。

死を合法化する前に、障害者みんながちゃんと生きるための支援を受けられるように保障するべきだ。例えば私は去年、いろんな理由で自殺してしまい気分になったことがありました。それは自分の障害とは関係のない気持ちだったのですが、でも私がその時にDignitasへ行っていたとしたら、そこで幇助を受けて死んでも誰も反対しなかったわけですよね。私には障害があるから、ターミナルな人と同じように思われてね。そこのところをはっきりさせておかなければいけない。

それから、
駄々っ子みたいな論理で攻撃的にたたみかけるPurdyさんに対して Finlayさんが
私が言っているのは個々人のことではありません。
社会に変化が起こるんじゃないかと言っているのです」。

そして、以下のようにも。

Debbie, I'm not. I would never claim that palliative care has a magic wand and can make things magically better; it can't. People are suffering. Suffering seems to be part of the human existence, but what I'm saying is if we take away the duty of care within our society and if we take away the protection of the law from those who are vulnerable, we have to look at what the unintended consequences of that are.

緩和ケアが万能だなんて言っていません。万能じゃない。みんな苦しんでいます。苦しむことは人の存在の一部のようにすら思えますが、私が言っているのは、そういう人をケアする義務を社会から外し、自分で身を守ることのできにくい弱者から法による保護を奪って、そんなことをしたら、どんな思いがけない結果が起きるか、考えなければならないということなのです。


その他に個人的に印象に残ったのは、

・DPPのガイドラインは解釈次第というところがあり、解釈が訴追よりも優先されかねない。現在でも、既に有罪とされても罰されないことがトレンドになりつつある。(Finlay)

・障害者とターミナルな人を混同してはならない。自殺幇助合法化はあくまでもターミナルな人が対象。障害とは関係ない。その意味で、この数週間にあった2つの裁判は、厳密には当てはまらない。でも、Gilderdale事件では陪審員が殺人未遂では無罪と判断したわけで、この、陪審員が決めたということには意味があると思う。陪審員は民意だから。(Warnock)

(障害者は対象じゃないと言いながら、
でも結局、ターミナルではない障害者でも、それが民意であればいいと言っている)

・医学的にターミナルだという診断はつくのだから、明確にそういう人に絞ったうえで合法化するべきだ、というHarrisさんに対して、Finlayさんは「ターミナルはそう単純に診断できるもんじゃない。それに医師の説明のし方一つで患者は希望を持つ方向にも、苦しむことを恐れて早まった自殺を選ぶ方向にも誘導されてしまうが、自分は緩和ケアをやってきて、一時は死にたいと望んだ患者が生きていてよかったと感じるようになるケースを沢山見てきた。合法化されると、そういう医療サイドの丁寧な努力に代わって、医療上の判断の中にDavidが懸念しているような道徳的な判断が忍び込むようになる。そうでなくても医療費削減の必要が言われているのだから誘導が起こるに決まっているが、丁寧な緩和ケアにはお金がかかるのだ(そちらをきちんと議論すべきだ?)」と。

・Morrisさんが「この動きは過去の優生思想が出てきたころの時代背景と同じだ」と指摘したのに対して、Harrisさんが「優生は国がやったこと。これは個人の決定権の問題だから話が別」と。これはAshley療法について、Joni Tada と Norman Fost の間で交わされた(Larry King Live 2007年1月12日)のとまったく同じ議論。

・「人は様々な理由で自殺するんです。死にたいと思う気持ちの中には、家族に迷惑をかけたくないという愛他的な理由も部分的に含まれているかもしれない。でも、それは尊敬すべき動機だと私は思う」と、いかにもWarnock。(なにしろ、認知症患者には「死ぬ義務」があると言ってのける人だから。)

・Warnock が「今だって病院死では医師が自分の道徳によって、または人手不足から、患者は医療職の都合で死なされているじゃないか」と指摘して、Harrisが「それは消極的安楽死だからともかくとして、治る見込みがなければ無益だとして死なせているのは現実だ」と言い、Finlayを「それは老年医に対する重大な告発だから、そんなことを言うなら実証しろ」と怒らせた。

(事実はあると思う。でも「どうせ今でも医師が死なせているのだから、死にたいという患者も死なせたっていい」という理屈はないだろう……と前から思う。事実があるからといって、それが正しいのでなければ、その事実の方を変えるための議論をしなければならないと思うのだけど。しかし、こういう「どうせ」論理は、またSingerやFostがよく使っている手でもあるから要注意。「どうせ今でもダウン症児は中絶されているのだから、生まれてきた子に障害があったら治療せずに死なせてもいいということだ」とか「どうせ中絶の決断は親なんだから、生まれた後も障害児については親の決定権でいい」とか。)
2010.01.31 / Top↑
Michelle Crighton判事は
2月19日までIsaiah君の生命維持治療の続行を認めました。

その間に両親はIsaiah君を他の医師にみせて、
彼の今後についてセカンドオピニオンを聞く。

また弁護士らは事件の背景を調査することに。



なかなかニュースに行きあたらないので、
どうなったのか気になっていました。

よかった。



2010.01.30 / Top↑
去年、米国Kansas州Whichitaで妊娠後期の中絶をやっていたTiller医師を銃で撃って殺したScott Roederが、裁判で子どもたちを守るためにやるべきことだと思ってやった、中絶を中止するために周到に準備してやった、と動機の正当性を主張。:殺人が裁かれるのではなく、中絶が裁かれる裁判に? でも、この捻じれ方、なんだか英国のGilderdale事件に対する「よくぞ殺した」みたいな受け止め方にも重なってしまうんだよね。今の私には。
http://www.nytimes.com/2010/01/29/us/29roeder.html?th&emc=th

インドの新聞のInglis事件報道記事。
http://beta.thehindu.com/opinion/op-ed/article96478.ece

自閉症ワクチン犯人説を流した医師は子どもに説明を怠って非倫理的な方法で研究を行った serious professional misconductについて医療コミッションが有罪と判断、どうやら医師資格をはく奪される可能性も。:この記事だけ読むと、ワクチン犯人説を流したことの罰を、別の罪で償わされているんじゃないのかな、という感じがしないでもない裁き方なんだけど……。
http://timesonline-emails.co.uk/go.asp?/bTNL001/mHDQGI2F/qZM8PI2F/uM9ZZ6/xO9WSJ2F

「ライ麦畑」のサリンジャー氏、死去。享年91歳。:何回か読んだなぁ。高校生の時、あの小説でphonyという言葉を覚えた。
http://timesonline-emails.co.uk/go.asp?/bTNL001/mHDQGI2F/qIW8GI2F/uM9ZZ6/xO9WSJ2F

英国第2のビッグ・ファーマ、アストラゼネカ社が世界中の支社で8000人のリストラ。中国にアウトソーシングする方針に切り替えるため。英国内では1500人。
http://business.timesonline.co.uk/tol/business/industry_sectors/health/article7007193.ece?&EMC-Bltn=HDQGI2F
2010.01.29 / Top↑
ついに、Diekema医師ではラチが開かなくなったと判断したのでしょうか。

この度のAJOBのDiekema&Fost論文に「こんなの成長抑制じゃない、不妊手術だ」と
批判のコメンタリーを書いたJohn Lantos医師とのディベイトに
Diekema医師ではなく、師匠のFost医師の方が出てきました。

(John Lantos医師は元シカゴ大学の小児科医・生命倫理学者。
現在はUniversity of Missouri Kansas City School of Medicine所属)

といっても、 the Center of Practical Bioethics という機関の企画で
それぞれにインタビューした音声をつなぎ合わせたもののようですが、これは必聴です。

Lantos医師は、こうしたケースを倫理委で検討することについて、
以下の3つの問題点を指摘し、

・透明性がない
・然るべきプロセスがない
・説明責任がない

倫理委で何があったか誰にも分からない」と。

裁判所の検討が絶対に必要

この療法で利益を得る子どもがいるというのはありうるかもしれないが、
その子どもを密室で選別するなんて、そんなことはあり得ない」とも。



これを言ってくれる人を、3年間ずっと待っていました。

よくぞ…… ついに……。やっと……。

思わず、目を閉じ、
モニターから聞こえてくるLantos医師の声に向かって、
しっかり手を合わせてしまいました。


          -------

インタビューの冒頭、インタビュアーが
「Diekema医師とFost医師はAshleyのケースに関わりました」と解説しているのですが、
2007年の論争当時、Fost医師の立場はそういうところでしたっけ?

彼は、中立の立場の生命倫理学者として
CNNのLarry King Live や Scientific American のメール討論に出て
いかにも中立の専門家然とした口調で擁護していたのではなかったでしょうか?

当ブログでは、
Fost医師こそ、Ashley父と一緒になってウラで筋書きを描いている張本人と見てきましたが、
やはり、図星だったようです。
2010.01.29 / Top↑
Should our loved ones be able to help us end our lives?
私たちの自殺に愛する人が手を貸してくれるのは許されるべきでしょうか。

――こんな、あきれるほど不注意で大雑把な問いを立てているのはGuardian。

Guardian Daily: Assisted suicide and the law
The Guardian, January 29, 2010


Guardianがここで「我々の専門家パネル」と呼んでいるのは
最初の部分だけ聞いてみたところでは(イギリス英語は聞いても全然分からないので)
どうも、これまでの映像資料から音声を抜いて集めただけで、
実際にこの人たちを集めて議論させたものではないようなのですが、

そのポドキャストのページのサブタイトルにあげられた「専門家パネル」のテーマが、
上記の、改めて考えると実に恐ろしい問いなのです。

「手を貸す」って……最初にDebby Purdyさんが言い始めた時は
まだしも「付き添ってDignitasへ連れて行ってくれる」ことを意味していたはずなのですが、
今では「致死量のモルヒネやヘロインで殺す」ことと、みんなガッサリと一まとめ。

(31日追記:実際に討論が行われていました。詳細はこちらに)

この問いに象徴される、ある重大な事実を、
今の英国で冷静に分かっている人が少なくないことを私は心から祈りたいのですが、

英国で現在進行している「自殺幇助合法化」議論は
これまで、まだどこの国も合法化していない種類の「自殺幇助」です。

今の段階でオランダ、ベルギー、ルクセンブルク、
米国のオレゴン、ワシントン、モンタナの3州で合法化されているのは
一定の要件を満たした人が所定の手続きを経た場合の、医師による自殺幇助です。

ここのところの英国での、かまびすしい議論では、
医師の自殺幇助は、むしろ単なる手段の提供に過ぎず、その中心はむしろ、
この問いに象徴されているように「愛する人」つまり近親者による自殺幇助

私は去年9月のDPPのガイドライン暫定案が出た時から
その飛躍の重大性があまり言われないことがずっと気になっているのですが、
(自殺幇助の”方法”についても、たいそう無頓着なガイドラインだったし)

このまま英国が、
私にはまるで集団ヒステリーとしか思えないような今の“世論”に流されて
(個人的にはGilderdale事件の陪審員はこの空気に流されたんじゃないかと……)
近親者の自殺幇助をなし崩しに事実上合法化してしまうとしたら、

世界で初めて、近親者による「合法的自殺幇助」へと
道が開かれることを意味するんじゃないかと思うのだけど……。


ちなみに、この「専門家パネル」に発言を引っ張ってこられているのは
Debby Purdy, Baroness Finlay, Evan Harris MP, Baroness Warnock の4人。

Evan Harris という議員さんはFinley議員と同じく反対派らしいのですが
当ブログは把握していません。

残り3人について、それぞれの関連エントリーを以下に。

Debby Purdy (夫の付き添いでDignitasに行って自殺したいMS患者)


Baroness Finlay (Baroness は女性議員の称号と思われます)
(良い死に方に関する超党派の議員グループの会長)


Baroness Warnock(議員であり、著名な哲学者でも)

2010.01.29 / Top↑
Gilderdale事件の実質無罪放免について報道が続いています。

インターネットに流れてくる情報を拾っていると、英国社会は
「美しい母の慈悲殺愛!」「自殺幇助合法化を!」という声で沸き返り、
まるで「よくぞ殺した!」とKay Gilderdaleを称賛するかのようです。

そんな中で、ME患者のAnn Farmerさんという方の目立たない投稿に
私は却って目を引かれました。

8年間 ME(慢性疲労症候群)を患ってきた者として、故Lynn Gilderdaleさんが自殺したいと感じていたのは分かります。あれほどの重症だったことを思えば、なおさらです。MEという病気は理解されていません。研究も患者団体が資金を出しているものしか行われていません。MEでは体力が低下し、疲労感に襲われます。それでも患者は支援を求めて闘うことを余儀なくされているのです。この国だけでも何千人もの患者がいるというのに、そんな病気があることそのものを疑う人もいます。

障害のある人を身内が殺して刑罰を受けなかったという、この事件は、我々の社会のダブル・スタンダードの、さらなる1例です。つまり、患者自身の苦痛よりも、病人のケアをしている人のほうに同情が集まる。

もしも身障のない人が死にたいと言って、身内がその人を殺したという犯罪だったとしたら、それは間違いなく殺人となったはずです。自分で身を守るすべを持たない弱者をケアしている人たちに向かって、この事件は誤ったメッセージを送ります。「介護者が助けてほしいといっても、その願いは無視されますよ、でもね、もしも、どうにもできなくなって自殺を手伝うのだったら、同情をもって迎えてあげますよ」とね。



この人が指摘しているのは、実際には3つのダブル・スタンダードだと思う。

①患者の苦しみには理解がないのに、
殺す介護者の苦しみにだけは理解を示すダブル・スタンダード。

②同じように自殺希望があったとしても、
障害のない人を殺したら「許すべからざる殺人」で、
障害がある人を殺すのは「美しい愛の行為」というダブル・スタンダード。

③介護している間の介護者の苦難には温かい手を差し伸べることをしないのに
思い余って殺してしまったとたんに温かく同情を寄せるダブル・スタンダード。


私も障害児・者と介護者を巡る社会のダブル・スタンダードには
ずっと疑問を感じ続けています。

一昨年、福岡で発達障害のある子どもをお母さんが殺した事件の時に
やはり「ダブル・スタンダード」という言葉を使ってエントリーにしたことがありました。





          ―――――――

上記リンクで書いたように、
障害児・者や介護の問題を語る時に美意識を持ち込むのはやめてほしい……と
私はずううううううっと思ってきたのですが、

Ashley事件からこちら、英語圏の動きを追いかけていると、
「愛と献身」がやたらと大安売りされて、

そういう、本来は見当違いなはずの美意識を煙幕に、
再び家庭・家族に介護が押し籠められていっているような気がする。

ただし、今度は、
そのために、ホルモンで背を縮めたり、チップを埋め込んだり
介護される人の体を都合よく変えるのも勝手だし、
ありとあらゆるセンサーを使って、バイタルから
冷蔵庫のドアの開閉に至る行動の逐一まで、遠くにいる家族が把握するのも自由だし、
モニターを使って、離れた所でもヴァーチャルで食事を共にすることもできる。

あ、もちろん、ロボット介護も、いずれはお好みのままで、
ご本人様を“ロボット自動介護ベッド”に寝かせてもらったら、
後は放っておいてもらって全然OK。

定時の体位交換も、排せつも、胃ろう管理も、投薬も、
設定さえしてもらえれば、リハビリだって、ちゃんとやっちゃう優れもので、
誰もがハッピーな"快適老老介護”を実現します

――そんな、“科学とテクノ”でバージョン・アップされた“家族介護”。

なんてったって家族は「愛と献身」の代名詞だし。やっぱ「家族愛」っしょ。
「愛憎」とか「近親憎悪」なんて言葉は、この際、無視しておいてね。
それが「本人の最善の利益」なんだから。

本当は、お金のある人しか、この“新バージョン・家族介護”には手が届かないのだけど、
それも、まぁ、あまり大きな声では言わないように。

あ、もちろん、「尊厳を無視した介護はイヤだ」と時代遅れなことを言われる
頑固で意固地な偏屈はいつの時代にもおられますから、そういう方は
どうぞ、勝手に、ご家族が徒手空拳でご奮闘ください。ただし、
選んだのはアンタたち家族なんだから公的支援はありませんよ。

で、 “科学とテクノ”を駆使できるほどお金がなかったり、
そういうのを駆使しても家族だけでは介護できない状況だったり、
まぁ、その他もろもろの事情で「もう、イヤだ」ということなら、

そうね――。
ご本人様に「死の自己決定権」を行使していただくか、

もしくは、これも、あまり大きな声では言えませんが、
適当なところで殺していただけば、一応、無罪放免ということで……。

だって、心に「愛と献身」と「慈悲」をもってやる「美しい行為」なんですもの――。


私たちが向かっていこうとしているのは
結局は、そういう世の中なの――?
2010.01.29 / Top↑
Google vs 中国のインターネット検閲問題でビル・ゲイツ氏がGoogleを批判。「その国で商売したいなら、その国の法律に従うのが筋」。ちゃんと読んでいませんが。
http://www.guardian.co.uk/technology/2010/jan/25/bill-gates-web-censorship-china

大統領補佐官のEmanuel氏が憤った際に“fucking retard ”と口走り、一昨年の映画Tropical Thunderの知的障害者差別問題からの R用語撲滅運動の先頭に立つスペシャル・オリンピックのチェアマンから「一緒に撲滅運動をやりましょう」と誘われたそうな。:この映画、レンタルショップに行くたびに迷っては、まだ手に取れない。
http://www.patriciaebauer.com/2010/01/27/shriver-to-emanuel-27340/

MMRワクチンと自閉症の関連性をLancetに報告して、ワクチン恐怖を招いたWakefield医師の裁判。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8483865.stm

医師がさっさと終末期医療の話題を持ち出して患者と話し合えば、医療費はもっと削減できるのに、というLA Timesの記事。
http://www.latimes.com/features/health/la-he-closer25-2010jan25,0,5766082.story

放射線治療のリスクは過小に言われている。患者保護のために手を打つ必要がある、とNYTの社説。
http://www.nytimes.com/2010/01/27/opinion/27wed3.html?th&emc=th

サプリメント文化の行き過ぎ。:私の知っている米国人は、「お昼ごはん、食べた?」と聞くと、いろんな種類のサプリがあれこれ詰め合わせてあるB5判くらいのサイズのピル・ボックスをバッグから取り出して見せる。毎日、お昼ごはんはサプリだけなんだそうな。確かに、私よりはるかにエネルギッシュでナイス・ボディだけど。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/01/26/AR2010012603040.html

オメガ3が心臓病防止に効果があるとなると、ありとあらゆるものに添加される。:なんで、こう何でも過剰なんだろう。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/01/26/AR2010012603048.html

ボツリヌス菌による緊張緩和治療が脳性まひに有効、ただし副作用リスクも、と、米国神経学会。:この治療、何年も前にやっていた医師も、同意したうえで受けていた患者も知っている。医師は自分が経過観察したい時だけやってきて様子を聞いていくけど、患者の方から痛みや不安を訴えた時にはまともに対応してくれない、結局、論文を書きたいためのモルモットに過ぎないんだ……と、その患者が言っていた。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/177057.php

英国でまったくお金を使わずに生活しているMark Boyleさんが話題になっている。下の方はビデオ。:私には英国英語はさっぱり、ちんぷんかんぷんで。
http://www.guardian.co.uk/environment/green-living-blog/2009/oct/28/live-without-money
http://www.guardian.co.uk/environment/video/2010/jan/25/mark-boyle-no-money-man

もうずいぶん前から進行中の、フランスのイスラム女性のベール論争。公共サービスを受ける際には部分的禁止の方向?
http://www.guardian.co.uk/world/2010/jan/25/france-report-veil-burka-ban
2010.01.28 / Top↑
Illionois大学法学部のジャーナルの1月号
Mary Kollという人が“Ashley療法”に関する研究ノートを書いており、
上記リンクから全文が読めます。

タイトルは 
Growth Interrupted: Nontherapeutic Growth Attenuation, Parental Medical Decision Making, and the Profoundly Developmentally Disabled Child's Right to Bodily Integrity

(追記:Mary Koll氏は、「J.D.候補者」と書かれています。
法学の博士論文提出資格認定者のことではないか、と教えていただきました。
全体に、ちょっと論理よりも結論への気持ちが上回っているかなぁ……と感じてはいたのですが、
なるほど大学院生さんだったのですね)

おおむねQuellette論文と同じような論理で、
「重症障害児への非治療医療介入には裁判所の判断が必要。
裁判所も、めったなことでは認めるべきではない」と
Quellette論文よりも、厳しい結論に至っています。

世界中の重症児の親の間から「うちの子にも」という声が上がっていること、
担当医らが「裁判所の介入は不要」と主張したり
対象要件を広げようとしていることなどを憂慮している点は
Quellette論文が書かれた2008年以降の事件の展開を反映していると思われます。

合衆国憲法修正第14条や、いくつかの判例を根拠に
身体の統合性を侵されないことは法で保障された権利であると述べ、

一部哲学者からの反論はあるにせよ、
だいたいにおいて米国の法はこの権利を重症発達障害者にも認めている、と分析。
(根拠がイマイチ十分に提示されていない感じもなきにしもあらず)

子どもの医療決定を巡る親の決定権について分析した後で、
その例外については以下の3点が要件になっている、とまとめます。

①非治療的な医療介入である
②親と子どもとの利益の衝突がありうる
③子どもの基本的人権を大きく侵害する恐れがある

成長抑制療法はこれらのすべてを満たすので、
裁判所が介入し「最善の利益」原則で検討するべきである、と主張。

著者がここで「最善の利益」原則を支持する理由は

①親の決定権が「親は子どもの最善の利益によって行動する」という前提によるもので、
 その決定権に代わって裁判所が介入するなら、同じ原則で。

②子どもの臓器提供と不妊手術での判断で「最善の利益」が通常用いられている。



Quellette論文とKollノートに共通の事実誤認として、
シアトルこども病院がWPASと合意した内容を守っていると思い込んでいる点が挙げられます。

07年5月に合意はしましたが、病院はその合意を守っておらず、
未だに成長抑制についてはセーフガードの方針を作っていません

子宮摘出のセーフガードはできていますが、
成長抑制のセーフガードは病院幹部が起草したものの、最終的にサインされないままになっています。

(昨日、この記事を書くために上記リンクを読み返して気づいたのですが
病院幹部がセーフガード案を起草したのは08年4月。

一方、例の成長抑制WGが第一回の会合を持ったとされるのも08年4月です。
ハワイの小児科学会でDiekema、Fost両医師がパネルを行ったのは08年5月。
学会パネルは、かなり前に申し込まれていたもののはず。

ほぉ……なんとも興味深い話です……)



イリノイ州と言えば、08年に K.E.J.ケースがありました。




【その他、障害者の医療における代理決定原則に関するエントリー】


2010.01.28 / Top↑
2010.01.27 / Top↑
最初は重症児の母親であるClairさんが
Ashley父のアップデイトを見つけて記事にしてくれました。

私はそれを読んで、日本語の記事を2つ、英語で1つ書きました。

英語のエントリーを書きながら、
きっと呼応してくれるだろうとひそかに期待していた、お馴染みBad Crippleさんが、
2人の記事を読んだと言って、独自に詳細な突っ込みを入れてくれました。

Ashley Treatment and the Parental Update
BAD CRIPPLE, January 26, 2010


大きく言えば、私が指摘したように、
父親が挙げている「専門家の賛同の証拠」というのは、
みんなDiekemaとFostらのことに過ぎない、ということと、

反論や批判については一切触れずに、
まるで賛成と支持ばかりのように書いているとの指摘なのですが、

1つ、ああ、さすが当事者だなと思ったのは、
成長抑制には側わん症の予防・軽減という利点もあるのではないかという父親の発言に対して、

(私は、つい説得されてしまったのですが、)

幼少時に側わん予防のコルセットをつけさせられた自身の経験を語り
振り返って当時の“治療”が如何に的外れで効果のないものだったかを述べて、
ことほどさように医学も治療法も進歩するのだから、
治療方法を改良していくことを省いて子どもの体を変えようというのはおかしい、と批判。

整形の医師らからは反論もありそうな気がするけど、
とりあえず、私にはできなかった批判をしてくれて、イェ~イ。拍手。

だいたい、なんで、この親はここまでやりたがるのか。
当初の論争でCNNにも登場したし、メディアにあれこれ取り上げられたし、
それで満足じゃないのか、この上、なんでここまでして広めたいのか、さっぱりわからん、
とも書いていますが、

私に言わせれば、それは、彼なりの独善的な善意ではないでしょうか。

“独善的な善意”で金と権力に物を言わせつつ、
結果的に世の中の障害児・者を踏みつけ切り捨てていこうとしている人は彼の背後にもいる。

おそらくは、その人と同じテクノ文化の中で暮らしつつ、
その人から多くを学んできたのがAshley父なのだから。

医学モデルでしかものが見えなくなっているのは、
親が十分な正しい情報を与えられていないからではないか、と
Bad Crippleさんが書いているのは

Ashleyの親の方が医師らに利用されていると考えているのでしょうか。

でも、それは逆というものです。両者の力関係は、
当初の資料を注意して読めば、ありありと分かりますし、
(「親と医師の関係性の不思議」の書庫で検証しています)

今回の父親のアップデートに引用されたメールの文面の、
あの、へりくだり方、媚を読めば、一目瞭然――。

そして、その構図は、おそらく、
Ashley父の背後にいる大きな存在の人が、
医療や倫理や法律や教育や障害者支援については全くの素人でありながら、
相当に偏向した彼の個人的な一家言が、誰も抵抗できないほどのお金と権威をまとって
独善的に世の中を変えようと突き進んでいる構図の、実は単なるミニチュアに過ぎないのでは――?

【30日追記】
Bad Crippleさんが28日、
さらにDiekema&Fost論文への痛烈な批判を書きました。ブチ切れています。

受けた批判の上げ足取りと詭弁を弄するばかりで、まともに議論していない、と
Ashleyに対するヤリクチと議論のヤリクチを重ねて、「要はアンタら、傲慢なんだよっ」というトーン。

この点について、Clairさんがコメントで
「その傲慢は、もしかして小心な卑怯からくるんじゃないの」みたいなニュアンスで。

私は全面的に賛同。他にも色々いいことを書いてくれているので
余裕があったらエントリ―にしたいのですが、とりあえず、リンクにて。

2010.01.27 / Top↑
先天性障害を回避するために3匹の生物学上の親を持つサルを作ったそうな。この技術が人間に応用されれば、どういう法的な問題が起きるのか、というNYTの社説。:ものすごく興味があって、読みたいのだけど、余裕がない……。
http://www.nytimes.com/2010/01/26/opinion/26tues3.html?th&emc=th

どこかの大学の医療倫理の教師の方のブログに、AJOBのDiekema&Fost論文が学生向けに紹介されていて、ここから起きてくる倫理的な問題は分かりやすいが、この療法の利用に反論するのは難しいぞ、と。:最近つくづく思うのだけれど、やっぱり医療モデルで考えている人と、その外にいる人とでは、異星人同士くらいの隔たりがあるのかもしれない……。
http://fabio9000z.blogspot.com/2010/01/ashley-x-revisited.html

ビル・ゲイツ氏が「あと3年でマラリアのワクチンができる」と。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8479986.stm

祈りで治そうとして尿路結石の息子Neilを死なせてしまったBeagley夫婦の裁判で、Diekema医師が専門家として証言。インフルエンザに似た症状で、普通の親なら死ぬとは予見できないだろうと、弁護側で。:お忙しいことで。
http://www.oregonlive.com/clackamascounty/index.ssf/2010/01/live_blog_defense_opens_case_w.html
http://www.oregoncitynewsonline.com/news/story.php?story_id=126447177412842300
http://www.katu.com/news/local/82650382.html
http://blog.beliefnet.com/news/2010/01/doctor-testifies-for-parents-i.php

家族を介護している人の10人に8人が不安感やストレスを感じている。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/176389.php

オーストラリア首都特別区で、高齢者はGPの往診を受けられるようになる。
http://www.canberratimes.com.au/news/local/news/general/gp-house-calls-for-elderly-patients/1733054.aspx?src=enews
2010.01.26 / Top↑
昨日のTimesの報道では、suspended sentence とだけで、
詳細が分からなかったのですが、

今日のTimesの記事によると、
Kay Gilderdaleの殺人未遂罪は陪審員の全員一致で取り下げられて、
自殺幇助罪によって執行猶予1年。

判事は殺人未遂罪を取り下げた陪審員に向かって
その「常識と良識、それにヒューマニティに」感謝し、

こんな「無私で献身的な」母親を訴追したこと自体が
そもそも間違いだった、と公訴局を批判。

この記事によると、去年のガイドラインを出した公訴局長のStarmer氏自身が
ガイドラインを出した後で、この事件を検討し、
殺人未遂での起訴を決定したというのですが、

その決定を判事が批判したことによって
「慈悲殺議論が再燃するだろう」とTimesは書いています。

公訴局は、法が慈悲殺を認めていない以上、訴追は正しかった、と現在も主張。

Kay Gilderdaleさんは、さっそくBBCのPanoramaなどに出演し、
娘に自殺幇助をせがまれて、引き裂かれた胸の内を語っています。



Debby Purdyさんが「死の自己決定権」の体現者に祭り上げられたように、

これからはKay Gilderdaleさんが
「慈悲殺までする無私な親の愛」の象徴とされていくのでしょう。

でも、私はやっぱり
「法は慈悲殺を認めていない」とした公訴局長の判断が正しいと思う。


2010.01.26 / Top↑
ったく、もう信じられない。
英国の尊厳死議論は、ゼッタイに、おかしい。

これまで3つのエントリー(文末にリンク)で追いかけてきたGilderdale事件で
自殺幇助と殺人未遂の罪に問われた母親に、執行猶予です。(年数は以下リンクには見つかりません)

私は、なんで執行猶予なんだ? と刑の軽さに目を剥いたけど、
英国では、そんなこと、誰も言わない。

たまたまInglis事件(文末にリンク)の母親に対する終身刑と時期が重なったこともあって、
世論もメディアも、一貫性がないだの、そもそも何で有罪なんだと、非難ごうごう。

いわく、

この愛情に満ちた母親は、殊勝にも自殺幇助については罪を認めているというのに、
なんで有罪なんだ?

DPPのガイドラインで、
本人の自殺意思が明白で、思いやりからやったことなら訴追しないと
決められたんじゃないのか?

同じ愛情から子どもを殺した母親なのに、
Inglis事件では母親が終身刑で、Gilderdale事件では執行猶予はフェアじゃない。

こんな一貫性のない判決が出るから
やっぱり安楽死に関しては法律を見直し、明確化しなければならないのだ。

親が子どもの悲惨を見かねて殺す場合には、温情・慈悲のある判決が当たり前だろう。

うんぬん……。



ったく、全然、理解できない。

まず、去年9月のガイドラインはあくまでも暫定案で、
現在は既に終了したパブコメの結果を検討中。最終決定は春なのです。

それなのに、メディアまでが「既にDPPがガイドラインを出しているのに」
「それによれば無罪放免でいいはずなのに」と言わんばかりで
ガイドライン案の16の条件をあげつらって見せたりする。

そこで、公訴局までが、一応、DPPのガイドラインは念頭に置いて検討したのだ、
そのうえで、Gilderdale事件の母親を無罪放免することは
公益にならないと判断したのだ、と釈明。

だって、当たり前でしょう。
この人が殺した娘の病気は、慢性疲労症候群、ですよ。

ターミナルでも何でもないだけでなく、
そもそも何でLynnさんが寝たきりだったり経管栄養にならないといけないのか
まったく不可解な、治癒の可能性があったとしか思えない病状だったのに、

「Inglis事件の息子は自分の意思を表示できなかったけど
Gilderdale事件では娘本人に自殺の意思があったから、話が違う」という人はあっても
(その違いにすら触れていない記事もあるから、これまた、あきれ返るのだけど)

Inglis事件で殺された息子は医師から回復の可能性があるといわれていた事実や
Gilderdale事件で殺された娘が慢性疲労症候群だった事実に注意を払う人は
どこにもいない……少なくとも、上記3つの記事を読む限り、

殺された人が実際にどういう状態だったのかには、もはや誰も関心をもたない。
言われているのは「本人が死にたがっていたか」「親が愛情からしたことか」のみ。

GuardianにあるDignity in Dying の幹部 Sarah Woottonさんの発言を以下に。

The law needs to protect potentially vulnerable people by being tough on malicious or irresponsible behaviour, but it also needs to be flexible enough to show mercy when the motivation is clearly compassion.

法が、自分で身を守ることができにくい弱者を、悪意があったり、無責任な行動から守ることは必要ですが、動機が明らかに思いやりである場合には慈悲を示すだけ法が柔軟であることも必要。


医師が回復すると言っていて、
栄養と水分の供給を中止する病院の基準には当てはらまないといわれている息子を、
勝手に「もうこの子は助からない。助かっても重症障害の身では」と思い込んで殺すのが
母親の美しい思いやりなのか。

それこそ「無責任な行動」ではないのか。

慢性疲労症候群で14歳から31歳まで寝たきりのままだった娘を
17年間“献身的に”介護してきた母親が
絶望して死のうとした娘を殺したことを
英国社会は「美しい愛と献身」と讃え、
この愛に満ちた母を無罪放免にせよと迫る。

この母と娘の17年間に、なぜ、もっと適切な介入ができなかったのか、
なぜ、ここに至るまでに支援できなかったのかとは、誰も問わないまま――。



2010.01.26 / Top↑
Ashley父のブログ更新部分を読んで、
2008年の小児科学会の成長抑制パネルというのがとても気になったので、
ちょっと探してみたところ、

2008年5月3―6日にHawaiiの Honoluluで開かれた米国小児科学会のプログラムのうち、
5月4日分の資料がこちらにありました。

この中から、Ashley父がブログに書いている「パネル」を探すと、
午前のプログラム4195がそれに当たります。

タイトルは、Pillow Baby:重症障害児における成長と思春期抑制

(成長だけでなく、いつのまにやら”思春期も抑制”することになっていたんですね。
 おそらくは美化に対する批判を避けるためでしょう、Pillow Angel も Pillow Baby に置き換え)

その部分を以下に。

May 4, 2008
9:00am–11:00am
4195 The Pillow Baby: Growth and Puberty Attenuation in Children with Profound Developmental
Disability
PAS/LWPES Topic Symposium ~ HCC, Room 316AB

Target Audience: General pediatricians, pediatric endocrinologists, developmental pediatricians and ethicists.

Objectives:
– Understand the ethical, social, and developmental implications of growth and pubertal attenuation therapy in the severely
disabled child
– Integrate potential medical and surgical approaches to growth and pubertal attenuation therapy in the severely disabled child

Chairs: David Allen, University of Wisconsin Children's Hospital, Madison, WI; and Douglas Diekema, Children's Hospitaland Medical Center, Seattle, WA

Growth and puberty attenuation in children with profound developmental disability has recently received national and international media attention since the publication of the Seattle case known as the “Pillow Baby.” Many pediatricians and endocrinologists are now being approached by families of similarly affected children who wish for similar medical/surgical treatments raising various medical, social, and ethical questions.

9:00 Overview
David B. Allen, University of Wisconsin, Madison, WI

9:05 Endocrinological Aspects of Growth Attenuation
Michael S. Kappy, The Children's Hospital, Denver, CO

9:30 Social Concerns About Growth Attenuation
Robert A. Jacobs, Childrens Hospital Los Angeles, Los Angeles, CA

9:55 A Developmental Perspective
Douglas Vanderbilt, Childrens Hospital Los Angeles, Los Angeles, CA

10:20 Ethical Aspects of Growth Attenuation
Norman Fost, University of Wisconsin, Madison, WI

10:45 Discussion
Program developed by the Lawson Wilkins Pediatric Endocrine Society and the Pediatric Academic Societies

思わず笑ってしまうほどのオールキャストで、
司会は、Wisconsin大学のDavid B. Allen医師と、おなじみDiekema医師。

スピーカーの最後は、これまたお馴染み Norman Fost医師で、

ここに、2番目の発言者 Denver子ども病院の Michael S. Kappy医師を加えると、
去年Pediatrics誌に発表された論文Growth Attenuation Theraphy: Principles for Practice
著者4人が勢ぞろいしています。

というか、このパネルの目的や概要からしても、
去年6月の論文が、むしろ、この学会でのパネルをもとに、
パネルで反論した人を排除して書かれたものなのでしょう。

なおAllen医師は
シアトルこども病院が組織した成長抑制ワーキング・グループのメンバーで
所属はFost医師と同じWisconsin大学、専門もFostと同じホルモン療法。
すなわち、このパネルの司会の2人は共にFost医師のお弟子さんというわけです。

なにやら、Fostが成長抑制一般化を意気込んで、
弟子を引き連れ小児科学会に乗り込んだ……という趣きもありますが、

この人たち、成長抑制を一般化しようと、
4月にはワーキング・グループの会合に出るわ、
5月にはハワイくんだりまで出かけてパネルをやるわ、と
駆けずり回っていたのですね。

決して暇とも思えない人たちが、
それほどしてまで是が非でも一般化したいほどの”療法”なんだろうか。
よほどの理由でもなければ、それ自体、たいそう不思議なのですが、
その「よほどの理由」に連想がつながる情報が以下で、

Ashley父がこのパネルに出席していた「ある医師」からもらったメールには
「成長抑制をやってほしいという親からアプローチされたことのある人、
または実際にやったという人に手を挙げてもらったところ(主語はwe)、
前者では部屋にいる医師の半数が、後者で12人程度が手を挙げた」と書かれています。

つまりメールを書いた医師は、聴衆としてパネルに参加した人ではなくて、
壇上で参加した人だということになります。

そうなれば、Allen医師のような小物のはずはないから、
Fost医師か、Diekema医師のどちらかだということになります。

父親のブログに引用されている部分は以下。

"The panel session at the Pediatric Academic Societies Meetings went very well. The audience included about 200 pediatricians, many of them endocrinologists. ... Although many of the panelists raised concerns, most seemed supportive of growth attenuation (the focus of the panel) for some children. The audience seemed very receptive. Perhaps most surprising, was that when we asked for a show of hands, about half of the room said they had been approached by a family seeking growth attenuation, and about a dozen raised their hands when asked if they had offered it to a family. Everybody seemed agreed that it should be studies or that a registry should be created if this moves forward. It should be interesting to see what happens in the endocrine community after that discussion."


Fost医師はもちろん、Diekema医師も
相当に尊大な、人を食ったようなものの言い方をする人物ですが、
このメールの文章では、Ashleyの父親に対する腰の低さが際立っています。

そして、この文章の、まるで「復命書」のような趣――。

FostとDiekema両医師の背後にいるのが自分であることを
Ashley父は自ら暴露してしまいました。


なお、
多くの人がDiekema医師を「シアトルこども病院の代弁者」と捉えていますが、
Diekema・Fost両医師の動きと、病院の意思との間には齟齬が生じていて、
Diekema医師は病院の代弁者ではなく、Ashley父の代弁者・代行者ではないか、との
仮説を立ててみたエントリーが、以下。

2010.01.25 / Top↑
私がAshley事件について初めて知ったのは2007年1月5日のことだったので、
一昨年、去年と、1月5日には、日々のニュースを追いかける手をちょっと止めて、
“Ashley事件”や、その1年を振り返ってみる記事を書いてきました。
(文末にリンク)

しかし2010年は
モンタナ最高裁の自殺幇助合法化という、
なんとも衝撃的なニュースとともに明けたもので、
衝撃のうちにその判決文を読んでみたりしていると
いつのまにやら1月5日は過ぎてしまっていました。

その後も、慈悲殺事件やら無益な治療訴訟、自殺幇助合法化法案など、
黙って見過ごせない重大ニュースが目まぐるしく飛び込んでくるので、
それらを追いかけるのにアップアップしているうちに
いつしか1月も終わりに近づいています。

もちろん、この間には、Ashley事件関連の動きもあり、エントリーも書きました。
こちらも、目まぐるしい動きが続いています。

今こうして振り返っただけでも、ほんの1カ月足らずの間に
これだけの大きな動きが相次いだというのは、
このブログを始めて以来、初めてのこと。
ほとんど信じがたいほどの慌ただしさです。

改めて、障害児・者への包囲網が、あちこちから、
どんどん加速度的に狭まってきている気がします。

そういうことを感じていたさなかだからこそ、
今朝、Ashley父の「一般化宣言」みたいな3周年記念アップデートを知ったことを機に
私もやっぱり、ここで個人的“Ashley事件”3周年を書いてみたくなりました。


「この事件にはウラがある。前例にしてはいけない」と必死で訴えつつ、
誰にも読んでもらえないブログをシコシコ書き続けた1年目――。
私の興味も、ほとんどAshley事件だけに集中していました。

やがて少しずつ読んでくださる方が増え、
私自身も、Ashley事件を通じて、もっと広く
科学とテクノの簡単解決文化や、尊厳死、無益な治療論、
功利主義の切り捨て医療正当化論やゲイツ財団の独善的な慈善資本主義、
それらすべてが絡まりあって再構成されていく世界……など、
さまざまな問題を発見し、それらがすべて繋がっていることを確信していきました。

Diekema医師が父親と一緒になって本気で一般化を狙っている危機感から、
英語ブログを立ち上げて、またも誰にも読んでもらえないブログで1から論証作業シコシコ。
今度は英語とあって、のろのろした進みに加えて、自分のやっていることが恐ろしく、
1つエントリーを書くたびに胃が痛くて泣きそうだった2年目――。

そして、3年目の2009年を振り返ってみたら、
いつのまにか、日本語と英語と2つのブログを通じて、とても多くの方々と知り合い、
情報や資料やご意見や刺激をいただくようになった1年間でした。

Ashley事件に心を痛め、憤り、一般化を阻止しようとしている人が
世界中に沢山いて、それぞれ自分に可能なやり方で批判を続けている。

年明け早々、Diekema&Fostの正当化論文に
ずらりと寄せられたコメンタリーのタイトルをSobsey氏のエントリーで見た時に、
なんだか、私は、じん……ときました。

ああ、これはレジスタンスだったのだな……と思ったのです。

組織があるわけでもなければ、
リーダーがいるわけでも指示系統があるわけでもない。
面としてつながるどころか、線として繋がっているわけでもない。

それぞれが独立した点として世界中のあちこちに散らばっていて、
その点のまま、ネット上や論文で自分なりの抵抗を試みることで、
直線として緻密につながらないまでも、ぼんやりした点線に繋がって、
その点線がレジスタンスの第一線を形成してきた。

それによってDiekema医師らの暴論が正当化として突っ走ることを
ここまで食い止めてきたのだ――。

そんな気がしたのです。

そして、私もまた小さな1つの点として、
その点線の端っこに加えてもらってきたことを
ちょっぴり誇らしく感じました。

この論争の中から純粋に倫理論争だけを取り出せば、
その論争は既に終わっている、と私は考えています。

説得力のある議論を出せなかったAshley父と、そのシンパ(走狗?)のDiekema、Fost両医師らは
論争においては、もう完全に敗北した、と思う。

もちろん、彼らは最初からウソとマヤカシだらけで誠実な議論などしていないし、
権力の側にいるのをいいことに、いろんな人に圧力をかけ、メディアを操り、
オイシイ餌で釣って批判者を自分の陣営に寝返らせ、
自分たちが望む結果を出せれば手段など問わないのでしょう。

彼らはこれからも、なりふり構わず、汚い手段をいっぱい使って
さらに一般化をゴリ押ししていくのだろうことは疑いもありません。

米国の小児科医療においては、既に水門が切られてしまったのかもしれない。

でも、いずれ、きちんと検証がされる時が来たならば、
世界中の点たちが張ったレジスタンスの防衛線は、
守るべきものを立派に守り抜いたはずだと私は確信しています。

それに、Ashley事件でレジスタンスに参加した点たちは、
当ブログが関心を寄せる多くの問題においても、やはり闘い続けています。

例えば、当ブログは数日前からカナダのIsaiah君の無益な治療訴訟について
エントリーをいくつか書いていますが、
私がこの事件を初めて取り上げた翌日に気付くと、
Sobsey氏もこの事件でエントリーを書いていました。

その後、このブログでは紹介しきれていませんが、
Wilson氏も取り上げているなと思ったら、
Bad Crippleさんも22日に書いていました。

私はAshley事件以外のことについてまで英語で書く能力もエネルギーもないので、
Isaiah事件について私が書くものを、この人たちに知ってもらえることはないけれど、
日本語記事を書いたあとで、ああ、やっぱり、この人もこの事件を憂慮している……と知ると、
会ったことも話したこともない人との間に、同じ闘いを闘っている者同士のような
そこはかとない連帯を感じて、励まされるのです。

それは、日本でも同じです。

それぞれに闘っている目の前の問題は具体的には違うけれども、
弱いものを、ただ弱いから付け入ることができるというだけで、
踏みつけ切り捨てていこうとする、強い者の力に対して、
多くの人が点として、それぞれにできるやり方で、抗い、闘い続けている。

そんな人たちが世の中には沢山いることを
私はこの3年間を通して知りました。

私の個人的な“Ashley事件”3周年に一番大きく感じられるのは
そのことを発見した、しみじみした喜びです。

そして、4年目に入った今年、
さっそくAshley父が「もう12人に行われたぞ」と誇らしげに声を張りました。
無益な治療論も自殺幇助合法化議論も、どんどん包囲網が狭まってきそうです。

NH州の自殺幇助合法化法案否決のニュースを受けて
Wesley Smithは書きました。

闘いは続くぞ。みんな――。

私も、日本の田舎の片隅で、
日本のメディアが報道しようとしない諸々の事実を
自分にできる範囲で拾い、伝え、自分なりに考えていくことによって

SmithやWilson、Sobseyといった大きくて立派な点たちが闘い、守ろうとする
防衛線を成す点線の、小さな1つの点でありたい、と思う。



2010.01.25 / Top↑
Ashleyの父親のブログに1月13日付のアップデイトが出ており、
その中で、これまでにAshley療法を我が子に行った12人の親から
報告をうけたことを明らかにしています。

広報上の懸念から公開はしていないが、
そのうちの1つのケースでは病院の倫理委員会が承認した
同療法をやってくれない病院もあるが、やってくれる病院もある、とも。

そのほかの内容としては、

・Ashleyは現在、体重 約29.5キロ、身長134センチ。

・側わん(背骨がS字状にねじれていくこと)がひどい。ホルモン療法後、側湾が進んで、08年8月の計測で56度だった。75度になったら、内臓を保護するために手術を受けなければならないが、幸い、09年10月の計測でも56度でとどまっている。成長抑制療法が側湾予防に効果があるかどうか、注目してみたい。

・“Ashley療法”とくに成長抑制については広く医療界で議論してもらっている。ある医師からは、08年5月にハワイで開かれた小児科学会の成長抑制パネルでは、内分泌医らの反応が良かったとわざわざメールで知らせてもらった。それによると、Ashley療法を我が子にやってほしいという親からアプローチを受けたことがある人に挙手してもらったところ、部屋にいた半数の医師(おもに内分泌医)が、また実際に実施した人に挙手してもらったところ、約12名が手を挙げたとのこと。

・09年のシアトルこども病院Treuman Katz センターの成長抑制シンポで、Diekema医師が報告したところでは、主要な子ども病院2つで倫理委員会が成長抑制療法を検討し、なんら倫理問題はないとの結論に達した、とのこと。

・09年6月の論文 “Growth-Attenuation Therapy: Principles for Practice” では、小児内分泌医2人と、生命倫理学者2人が、成長抑制療法を倫理的に妥当だと結論付けた。

・2010年1月の論文 “Ashley Revisited: A Response to the Critics” では、高名な生命倫理学者2人が同様に結論付けた。




父親が今回のアップデイトで
「ほら専門家からの支持がこんなに」と並べてみせている最後の3点は、相変わらず、
すべて最初から彼の息のかかった医師らが彼の走狗としてやっていることばかりですが、

非常に気になるのは、上記の3点目で、
米国小児科学会が成長抑制でパネル・ディスカッションを開いている。
FostとDiekema両医師は小児科学会の倫理委員会で発言権の大きな医師でもあり、
いずれ小児科学会の承認を取り付けようとするだろうと考えていたのですが、
08年5月の学会で、すでに成長抑制をテーマにパネルが開かれていたのですね。

倫理学や法学など、他の分野の議論がどうあろうと、
医療のことは医療の内部の議論だけで、着々と進めていくつもり?


また、他に、ちょっと気になることとして、
現在のAshleyの体重を先日のSobesy氏のグラフに加えてみると、
パーセンタイルはかなり下がっていると見えるし、
成長抑制をしなかった場合と比べて約5キロ程度の抑制効果があったと言えなくもない。

また、父親が言っている側わん症については、
身長が低いままだと側わんがひどくなることを避けられるという利益は確かにある、と私も思います。
側わんがひどくなると、内臓を圧迫したり、位置が変わってしまったりもするので、
側わんを予防することが内臓の保護につながる、という面も確かにあるでしょう。

でも、その利益をこの議論に加えることで
この人は「それなら、もっと早いうちからホルモンをもっと大量に投与して」てなことまで言い出しかねない。
ここでも、完全に重症児を医療化しようという議論にもっていかれてしまいそうです。


それにしても、ここ2年、Ashleyの写真を出してきませんね。
なぜなんだろう……?



この件についてのClairさんのブログ・エントリーを以下に。


父親のブログに寄せられたコメントの数々では
Ashleyよりもはるかに軽度の子どもたちの「ケアしにくさ」が描かれて、
Ashley療法の正当化に使われている。

それでは重症児にのみ、本人のQOLのためで、介護者の便宜のためじゃないという正当化は
やっぱりウソだったのか、と鋭く突いていますが、

この長いエントリーを読んで、ひたひたと感じるのは、
ただ、ひたすらに深い悲しみ――。
2010.01.25 / Top↑
22日の深夜、うちのミュウと、カナダのIsaiah君とというエントリーで
1週間前に行われた“たっちゃんの成人を祝う会”のことを書いた。

その、たっちゃんが、昨夜、死んだ。

1週間前の“祝う会”の時には、ものすごく元気で、
ずっと満面の笑顔だった……と誰もが言う。

22日の金曜日には、まだ元気だったのに、
昨日の午後、急変して、大学病院に入院し、
あっという間に心停止になって、そのまま亡くなったという。

お通夜に行ったら、
今日の午後ミュウを送って行った時に廊下で見たばかりの
“たっちゃんの成人を祝う会”の写真が、
会場入り口に貼られていた。

みんなが一週間前の笑顔を指差して、「信じられない……」と絶句する。

重症児・者の周りにいる人たちは、みんな、
こういう別れをもう数えきれないほど体験してきたというのに
それでも、まだ、みんなが「信じられない……」と呆然とする。


以下、2009年3月29日のエントリー「葬式」を再掲。
身近な子どもが、また1人亡くなった。

とても重度ではあるけれど元気な子だったのに……と
知らせを聞いて絶句する。

電話で知らせてくれた人と、
いつもこういう時に繰り返す儀式のように

「○○さんちのAちゃんの時には、こうだったよね」
「そういえば△△さんちのB君の時も、こうだったっけ」

いつのまにか数えることをやめてしまった子どもたちの死を1つずつ振り返る。

ずっと身近で見て、よく知っている子もいたし、
顔を知っている程度という子もあった。

時には子どもですらなくて、いい年のオッサンだったりもした。
中学校まで娘のクラスメートだった男性は、
かつて就学猶予を強制された年齢超過者で私よりも年上だった。

でも、どの子もどの人も、亡くなったという知らせを受けると、
私はいつも「私らの子が、また1人死んだ……」という感じがする。

私らの子が、また1人死んだ――。

そういえば、あの子もこの子も、いなくなった。
いつのまにか、私らの子が、もう、こんなにたくさん死んでしまった――。

養護学校の卒業式の後とんと会わなくなった重症児の親たちが葬式で顔を合わせて、
通園時代や養護学校時代の親の同窓会みたいだ。

焼香で人が動く時に見知った顔を見つけて、同時に、
その人の子どもがずっと前に危篤状態になったことを思い出す。
ウチの娘と同じで、幼児期には健康でいる日など数えるほどしかない子だった。
お母さんも「この子はそう長くは生きないだろうから」とよく口にしたし
「そんなことないよ」と言いながら、周りの人たちだって本当は心の中でそう思っていた。

それでも彼女の娘は数年前に成人式を迎えて、今もちゃんと生きている。

そういえば、あの子も、そして、この子も……と指を折ってみれば
ちゃんと生きている子だって沢山いることに驚かされる。

へんな言い方だけれど、仲間内で子どもたちが初めて死に始めた頃は
誰かの子どもが亡くなると、次はどこの子だろう、
もしかしたらウチの子だろうかと、みんな疑心暗鬼に駆られて
内心で子どもたちを重症度や体の弱さで順に並べてみたりしたものだったけど、

この子たちは決して、障害の重い順、弱い順に死んでいくわけじゃない。

とても重度で虚弱で、長くは生きられないだろうと誰もが思っていた子どもが
ある年齢から急に元気になることもあるし、
弱いまま何度も死にそうになったり、医師や親にいよいよだと覚悟させたりしながら
それでもちゃんと生きている子どもたちもいっぱいいる。

そうかと思うと、
それほど重度なわけでもなく、障害があるなりに元気だった子が
ある日突然に体調を崩し、あっという間に逝ってしまったりする。

あの子が死んで、この子がまだ生きていることの不思議を
説明することなど誰にもできない。

人の生き死には、人智を越えたところにある。

今日、葬式で
いっぱい死んでいった子どもたちや、
まだいっぱい、ちゃんと生きている子どもたちの顔を一つ一つ思い浮かべて、
改めて、そのことを思った。

同じように重い障害を持って生まれてきて、
あの子が死んで、この子がまだ生きていることの理由やその不思議を
いったい誰に説明できるというのだろう。

そんな、人智をはるかに超えたところにある命に、質もへったくれもあるものか。

「生きるに値する命」だとか「命の質」だとか「ロングフル」だとか、
そんなのは、みんな人智の小賢しい理屈に過ぎない。

生まれてきて、そこにある命が
生きて、そこにあることは、それだけが、それだけで、是だよ。

障害があろうとなかろうと、
どんなに重い障害があろうと、
生きてはいけない人なんて、どこにもいない。

重い障害を負った私らの子は
次々に死んでいくように見えるけれども、

本当は障害のあるなしとは無関係に
誰がいつ死ぬかなんて、誰にも分からない。

だから、

あの子もこの子も、生きてこの世にある間は
生きてこの世にある命を、誰はばかることなく、ただ生きて、あれ──

それを、せめて大らかに懐に抱ける人の世であれ──と

亡くなった子の遺影を見上げて、心の底から祈った。
2010.01.24 / Top↑
Dignitasなどにおける海外からの“自殺ツーリズム”への憂慮の声が高まっているスイスで、
右派の政治家らが罰金制度を提唱し、今年11月28日に住民投票が行われることに。

提案されているのは、
少なくとも1年間スイスに居住している人以外に対して自殺幇助を行った場合には
30000ポンドの罰金を科す、というもの。

現在、Dignitasが自殺幇助に対して請求している代金は5000ポンド。
罰金がその6倍もの金額に上ることから、
海外からの自殺ツーリズムへの抑止を狙う。

住民投票で過半数の賛成が得られれば、
改めて金額が検討され、議会で法制化される見通し。

ただ、選挙区の住民に反対を呼びかける政治家も多いと思われ、

Dignitasの創設者であるLudwig MineliはTelegraphに対して、
こうした動きはヨーロッパ人権条約に反するなど法的に問題があり、
最終的に実現などしない、と。

なお、去年Dignitasで幇助を受けて自殺した英国人は23人。




2010.01.23 / Top↑
夕方、ミュウを施設に迎えにいってくれた父親が帰ってくるなり
「ミュウと、これはお母さんに話さないと……といいながら帰ってきた」といって
聞かせてくれた話――。

ミュウを車椅子に乗せて出口に向かっていると、
廊下で、ずっと昔から馴染みのスタッフAさんとばったり出くわした。
すると、父親がろくに挨拶もできないうちに、
ミュウがAさんに向かって大騒ぎで何かをしきりに訴え始めた。

日ごろはとってもアバウトな指差しが、
珍しく力が入って、きっぱり「ひとつ」の指で廊下の壁を指している。

「ああ、ミュウちゃん、ここの写真のことを言っているのね」と、Aさん。

「この前、“たっちゃんの成人を祝う会”をやったんです。
お父さんに、たっちゃんの晴れ姿を見てあげてって言ってたんだね。
やっぱり一緒に暮らしている仲間だからね。えらいね、ミュウちゃん」

……と、Aさんが笑顔を振り向けた時の娘の顔を見て、
父親は「……ちがう……かも?」と思った。

なんとなく、娘が言いたかったのは別のことだったような気がしたが、
とりあえずAさんに誘われるままミュウの車椅子を押して壁際に寄り、
ずらりと貼られた“たっちゃんの成人を祝う会”の写真を眺めた。

小さい頃からずっと見知ってきただけに、
いつの間にかオッサンじみた顔つきになった
たっちゃんのスーツ姿にはそれなりに感慨がある……と、

スーツでびしっとキメた、たっちゃんと並んで、へろっと笑っているのは……
「あれ? ミュウじゃん、これ」と思わず指差すと、

Aさんが、「そう、そう……そうでしたぁ」と思い出して、
「この時みんなに『たっちゃんと並んで写真を撮りたい人ぉ?』と聞いたら、
まっ先にミュウちゃんが、さっと手を挙げて。それで、このツーショットに」

「ほぉ……」と娘を見ると、
娘の目は「えへへ」と、ニヤついていた。

Aさんは、まだ気づいていないようだったけど、
ミュウが大騒ぎで写真を指差していたのは
「あたしの写真。あたしの写真が、あそこにあるでしょ。
Aさん、ほら、あたしの写真、お父さんに見せてよ」と言っていたわけで、

やっぱ、「たっちゃんの晴れ姿を見てあげて」のわきゃ、ないわなぁ……

……と、父が語り、それに母が大ウケするのを、
ミュウは照れくさそうな、でも、ちょっと得意そうな目つきで眺めていた。


       ―――――

ウチの娘は重症重複障害があり、寝たきりで言葉がない。

だけど、この子は小さい頃から「言葉がなくったって、
私は言いたいことは、ちゃんと言うんだもんねー」という顔をしていた。

もちろん、重症児のことを何も知らない人がウチの子を見たら
「どうせ何も分からない子」と思うのだろう。

重症児医療を専門にしている医師の中にだって
そう思い込んでいる人がいる。

園のスタッフの中にも、そう思い込んでいる人はいる。

そういう人は、でも、子どもたちにちゃんと見抜かれている。

そういう人は、Aさんのように何かを必死で訴えられたりしない。
だから、そういう人は、また、いつまで経っても気づいてくれないのでもあるけれど、

ウチの子は、言葉はなくても、とても雄弁です。
知能は大幅に遅れているけれど、自己主張のための工夫もすれば、知恵も使います。

だって、重い障害を持ちながら、もう22年も
いろんな体験をしながら生きてきたのだもの――。

もしかしたら、あなたや私と同じ分かり方ではないかもしれないけれど、
ミュウはミュウなりの分かり方で、とても多くのことを分かっています。

それをミュウなりのやり方で、あなたに告げることができます。

そして、ミュウがミュウであって、ミュウでしかないところの何かを
あなたに手渡すことができます。

あなたさえ、受け入れる感受性をもって彼女に接してくれれば――。



こんなウチの娘は、22年前に生まれたとき、
出生時の無酸素状態が長くて重症の仮死状態で生まれ、
呼吸器をつけてNICUの保育器に入っていました。

ちょうど今、カナダAlbertaの病院のNICUで呼吸器をはずされようとしている
あのIsaiah君とまったく同じように――。


2010.01.23 / Top↑
Wesley Smithのブログによると、
スコットランド議会に提出された自殺幇助合法化法案の対象者要件は
大まかにまとめると(逐語訳ではありません)

1.最初の公式申請時に16歳以上であり
2.それまでにスコットランドの医療制度に18カ月以上継続して登録していて
3.以下のいずれかの条件を満たしていること。
   A.ターミナルな状態と診断され、生きているのが耐えがたいと感じている
   B.身体能力を永続的に、自立生活ができない程度まで失って、生きているのが耐えがたいと感じている



なっ……ひどすぎる……。


なお、法案の原文は、こちらに。



2010.01.22 / Top↑
英国内科学会が英国検察局(? the Crown Prosecution Service)に抗議文を送り、
去年9月に出された公訴局長(DPP)の自殺幇助の法解釈ガイドラインを厳しく批判。

現在の案のままでは、
患者はターミナルだったと主張し訴追を免れるための免罪符とするために、
自殺幇助をやろうとする家族から医師が余命宣告を強要される、ということが起きる。

現に、スイスのDignitasでは、
ターミナルな病状であることを医師が証明する文書が
防衛手段として、また表面的な形式を整えるためにも利用されている。

また、現行案では
医療職が職務の一環として行った場合には
医療職でない人たちによる自殺幇助よりも寛大な扱いをするとされており、
これは実質的な医師による自殺幇助の容認につながる。

しかし、医師の義務とは
患者の症状や苦しみを、和らげ、克服するために患者と協働することであり、
そこには自殺幇助は含まれていない。

ヒポクラテスの誓い以来、自殺幇助は明らかに我々の義務の外にあり、
医療職の integrity のためには、そうあり続けるべきである。

同学会は、
自殺を幇助したとの疑いのある医師は警察が捜査すべきだし、
その証拠がある医師については訴追すべきだと主張。

さらに親族が「暗い意図」を隠し持っている可能性もあり、
必ずしも被害者の最善の利益だけを考えて行動するとは限らないのだから、
配偶者や近親者だからというだけで穏便な扱いをすべきではない、とも。






2010.01.22 / Top↑
以下の2つのエントリーでフォローしてきた事件。


続報が以下に。

オーバードースのモルヒネを娘に与えた後で
母親がインターネットで安楽死について検索していたことや、
その前後に、別れた夫にメールを出していたことなどが記事の中心。

あまり目新しい内容はないのですが、
Lynnさんが1日分の処方量の3倍のモルヒネで死にたいと望んだという記述からすると、
本人に処方されていたものなのかもしれません。

それからLynnさんは以前にも
自分の体は「もう壊れてしまった」と感じて自殺を図ったことがあった、とのこと。

また、母親の行為と、Lynnさんの死との因果関係が証明できないため、
殺人罪ではなく、殺人未遂(attempted murder 企図?)罪での訴追。



19日のエントリーでも書きましたが、この事件、私には疑問だらけで。

・なぜ慢性疲労症候群の患者にモルヒネが処方されているのか。
・処方されていたとしても家に致死量が置かれているということがあり得るか。
・母親が看護師の立場を利用して手に入れたということは?
・それなら別の罪にも問われるべき?
・なぜ、ものがしゃべれて手が使えるLynnさんが経管栄養なのか?
・本来、経管栄養にならないはずの人が精神的な原因でそうなっているとしたら
 Lynnさんに必要なのは自殺幇助ではなく支援だったのでは?

などなど、19日から、いくつもの疑問がずっと引っかかっていたので、
知り合いの看護大学の教授の方(看護師)に、ご意見をうかがってみました。

私の疑問にほぼ同意されたのですが、さすがに医療職の方は鋭くて、
さらに私が気づかなかった鋭い洞察をされました。

そのポイントは

・Lynnさんの発病が17年前だとすると、ちょうど思春期にあたる。

・身体障害があるわけでもないのに、ずっと経管栄養だとすると、
思春期の摂食障害がきっかけだった可能性もあるかもしれない。

・もしも、そうだとすると、当初きちんとした対応ができていれば
今のような寝たきりで経管栄養という状態は避けることができたかもしれない。

・その時に対応を誤り、その後も、ずっと然るべき対応がされてこなかった可能性も?

・そういう状態の娘を“献身的に”17年間介護をしてきたとしたら、
母親の方にも、精神的な問題があるのでは?

・その17年間の介護も、母親による一種の虐待だった可能性はないのか。

さすがです。唸りました。

ご意見を聞きながら、私の頭にも
代理ミュンヒハウゼン症候群とか「共依存」といった言葉がチラつきました。

もちろん、
それらをきちんと検証するだけの材料は我々の手元には十分ではないので、
この事件について断定的なことは何も言えませんが、

「今の状況」だけではなく「これまでの経緯」にも目を向けてみること、
人間のすることや関係性とは単純ではなく
「表面に見えること」だけではないと知っておくことなど、

この洞察は、自殺幇助、安楽死の問題を考えるにあたって、
我々がもっと深く考えなければならない多くのことを示唆してはいないでしょうか。

介護する者・される者の関係は
世間一般の人が思い描きたいように単純に美しい愛情関係だけではなく、
親子や夫婦や家族全体の経緯や恨みつらみや歴史を背負って、もっと、どろどろと複雑です。

こちらのエントリーでも指摘しているのですが、
要介護状態になった妻の介護を夫が担うと、
入れ込みすぎたり過剰に支配的になりがちで
介護される方もする方も両方が疲労困憊し、
抜き差しならないところに追い詰められてしまう問題が
最近、日本の介護関係者の間で話題になっています。

介護する人・される人の関係になんらかの問題が潜んでいたり、
介護者の方に心理的・精神的な問題があったりすれば、
傍目には「献身的な介護」と見えるものが
実際には相手をコントロールする手段に使われていたり、
心理的に相手を追い詰めていく虐待が隠ぺいされていたり……ということだって
全くあり得ないわけではないでしょう。

我々は安楽死や自殺幇助、「死の自己決定権」の議論において
今現在のその人の病状や障害の状態だけを見がちだし、
介護者は常に献身的に尽くしているものとの前提に無意識に立ちがちだし、
「もう死んでしまいたい」という言葉を「本人が死を望んだ」と額面通りに捉えがちですが、

人は、心の中でまるきり反対のことを望みつつ、何かを口走る……ということをします。
また、激しい葛藤があるからこそ心にもない言葉を吐いたりもします。
人の言葉が必ずしも、心にあるものを、その通りに語っているとは限りません。

14歳の時から31歳まで
慢性疲労症候群でベッドに寝たきりとなり、
身体的には口から食べられるはずなのに経管栄養で、
看護師である母親の「献身的な介護」を受け続けながら
自分の体は「壊れてしまった」と感じないでいられなかったLynnさんのケースは、

ただ「医療職の母親の手厚く献身的な介護にもかかわらず
病気への絶望感から自殺を望んだ娘と、それを手伝った母親」の事件として扱ってしまうのではなく、

Lynnさんの医療にかかわった専門家はどう見ていたのか
どういう社会支援を受けていたのか、
母親の精神状態はどうだったのか、など
おそらくは、もっと多角的に検証されるべきケースだし、

そこから、「死の自己決定権」議論の落とし穴に気付くための多くの示唆を
我々は読みとるべきなのではないでしょうか。

           ―――――

今日の記事には
母親が“devoted and caring mother”と表現されていると書かれています。
Timesがカッコつきでわざわざ「そう表現されている」と書くのは、
それなりの疑問の提示なのでしょうが、

Ashleyの両親も、Katie Thorpeの母親も、
くどいほど繰り返し devoted and caring , loving と書かれました。

介護している人は、みんな確かにdevoted and caring でしょう。
そうでなければ介護などできません。

しかし、いずれの事件でも、
メディアや擁護者がそれを敢えて称揚し繰り返すことによって、
「devoted and caring な介護者のすることなんだから、
許してあげればいいじゃないか」とか「そんな苦労を知らない者はすっこんでいろ」
「部外者が口を出す問題じゃない」などと、感情的な批判封じの空気が漂い、
明らかに世論が影響・誘導されました。

母性の名のもとに女性に介護負担を押し付けてきた母性神話が
今度は慈悲殺の免罪符としても使われようとしているのだとしたら、

生命倫理の議論において
「尊厳」が無益な概念かどうかを議論するエネルギーの何割かを
「愛」と「献身」がいかに胡散臭く“場違いな”概念であるかを議論することに回してもらいたいわ。私は。
2010.01.22 / Top↑
スコットランドの自殺幇助合法化法案は、党議拘束なしの議員それぞれの信条による自由投票で。法案を提出したMcDonald議員はパーキンソン病患者。
http://icrenfrewshire.icnetwork.co.uk/tm_headline=msps-vote-on-assisted-suicide-bill&method=full&objectid=25650950&siteid=63858-name_page.html

そのスコットランドの法案を支持するという、妻を長年介護してきた男性のインタビュー。:またぞろ、こういうニュースが増える。いろんなことを、ぐずぐずにしたままの。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/8472038.stm

こんな話、知ってました? 日本の放射能発電で出た高放射能物質が80年代から90年代にかけて、加工のために英国の企業に送られていたというの? このたび日本に帰ってくることになり、すでに船に積みこまれたそうだ。こういう副産物の放射能物質を処理しているのは英国とフランスだけなんだとか。日本には大きな貯蔵施設があるんだとか。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/business/8469249.stm
http://timesonline-emails.co.uk/go.asp?/bTNL001/mKOU9D2F/q2FLRD2F/uM9ZZ6/xQUILD2F

環境ホルモンBPA論争を巡るNYTの社説。
http://www.nytimes.com/2010/01/21/opinion/21thur2.html?th&emc=th

2011年にはMSの錠剤治療薬ができそう、と。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8470138.stm

ナーシング・ホームの高齢者にビタミンDのサプリを飲ませたら転倒が減るんじゃないかという実験。:そういう解決を探るのかぁ?? そういえば米国小児科学会も、子どもにビタミンDのサプリを飲ませろと公式に勧めていたっけな。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/176568.php

電子たばこの安全性は未確認らしい。なんで日本ではこんなに早く出回ったんだろう。出回っているから安全だと思っちゃった。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8467797.stm

豪で、ナースに一定の医療を担わせるクリニック構想に対して、医療のアメリカナイゼーションだという批判と懸念の声。:いずれ日本でも出てきそうな話?
http://www.canberratimes.com.au/news/local/news/general/concern-over-nurseled-gp-clinic/1730546.aspx?src=enews

豪の首都キャンベラで虐待を理由に家庭から施設に移される子どもが増えている。
http://www.canberratimes.com.au/news/local/news/general/removals-of-children-on-the-rise/1730449.aspx?src=enews

Glaxoがマラリア治療を無料で提供する、と。製薬会社は株主のニーズと社会的責任のバランスを取らなければならん、と言って。:「いまさら・・・」というのと「それでもまだ、言及の順番は株主のニーズの方が先なのね・・・」というのと「あ、なるほど、マラリアですか・・・ゲイツ財団が力入れてるしね・・・」というのと。
http://www.guardian.co.uk/science/2010/jan/20/glaxo-malaria-drugs-public-domain
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8470087.stm

ビル・ゲイツがツイッターを始めた。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/technology/8469621.stm

家族支援が英国の次期選挙の争点の一つになりそう。:つまり社会的財の分配の問題が、どこの国でも、ということ。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/education/8469735.stm
2010.01.21 / Top↑

昨日、殺人未遂(07年9月の事件)と殺人罪(11月の事件)で
終身刑(最低でも9年間)が言い渡されました。

上記リンクの記事にはなかった情報として、

・息子のThomasさんは自力呼吸ができ、栄養補給を停止する条件を満たしていなかったが
 母親は死なせてやるべきだという意見だった。

・ただし、前のパートナーも2人の弟たちも母親の意見には反対だった。

法廷で主張したのは
心に悪意を持って命を奪うのが殺人の定義。
心に愛を持ってしたことなのだから、私はこれを殺人だとは思わない」。

それに対してBrian Barker QC判事(the Common Serjeant of London)は

法は社会において我々すべてを保護するために作られています。
特に弱者を保護するために。

はっきりされておかなければならないのは、
法には慈悲殺という概念は存在しないということです。

その意図がいかに親切であったとしても、
それは、まだ殺人です。

陪審員の評決が読み上げられると、
傍聴席から「恥を知れ」という叫び声が何度か上がったとのこと。
それが被告に向けられたものなのか、判事に向けられたものなのかは不明。

‘Mercy killing ‘ mum guilty of murder
Barking & Dagenham Recorder 24, January 20, 2010


法には慈悲殺という概念は存在しない――。

よくぞ、明確に言い切ってくださいました。
ちょっと、「まだ殺人です」の「まだ」が気にはかかりますが、

この判事の言葉、公訴局長はよくよく聞いてほしい。

そして、意図さえ善意であって個人的な利得さえなければ、
家族や友人知人の自殺幇助を認めるようなガイドライン
春の最終決定までに、もう一度、慎重に考え直してもらいたい。


【22日追記】
たぶん出てくるとは思っていましたが、
この判決は厳しすぎる、母親は、息子のためを思って愛と共感でしたことなのに、
判事には慈悲というものがない、という声を以下に。


タイトルは「Francis Inglisは冷酷な殺人者か、それとも愛に満ちた母親か?」。

Daniel James事件を引き合いに出して、
息子をDignitasで死なせた両親を訴追することには公益にならないとDPPが判断したというのに
この母親を殺人罪にして、社会に何のメリットがあるというのか、と。

この記事に反論したいことはいっぱいあるのでエントリー立てようかと思ったのですが、
例によって何もかもいっしょくたで「なんて素晴らしい母の愛」のグズグズ議論で、
まともに読んでいると胸が悪くなりそうだし、英国世論がまたこういうので踊るのかと思うと
こっちが生きていく気力をなくしてしまいそうなので、当面、パス。

【同日の更なる追記】
やっぱり、1つだけ、どうにも、これだけは言わにゃ、おられん……。
自殺幇助と慈悲殺の境目とが、こんなふうにグズグズになるのだとしたら、
自殺幇助合法化議論における「自己決定権」は既に看板倒れ……露呈しましたね。
2010.01.21 / Top↑
昨日読んだ記事には出ていなかった病院の手紙の内容として

「残念ながら、主治医は、積極的な治療の中止が医学的にも理にかない、
倫理的にも責にかなって妥当なものだとの結論に至りました。

我々は息子さんの利益を最優先しなければならず、
人工呼吸器を続けないことが息子さんの最善の利益です。

辛い時期を迎えられたことをお気の毒に思っています」

また、AHSと病院サイドの弁護士は
「脳死」という言葉が医療界で“hot phrase”(物議を醸す表現)なので
法廷で使うのを避けたが、

Isaiah君の脳損傷は、
生きたとしても意味のある機能を果たせない状態で、
呼吸器なしには生きることができない、と。

なお、母親が法廷で証言したところによると、
病院側の説明は当初Isaiah君は3日と生きないし、
成長することもなければ排尿も身動きもできない、
脳死なので頭が縮んでくる、脳は“どろどろ”になる、というものだったが

その後3ポンド以上体重が増え、排尿しているし、
毎日目を開け、膝をお腹まで持ち上げたり四肢を動かしたりしている、と。

母親のRebeccaさんは取材に答えて
「この子にはできないだろうと言われたことを、みんなやっているんです。
毎日、何か新しくできるようになることがあります。
だからこそ私たちも闘えるんです」

父親の方は、ちょっとニュアンスが違っていて、
We’re just doing everything we can right now, to know we’ve done everything we can do. と
悔いを残さないようにやっている、とか

この裁判で脳死だと判定された場合には
We wouldn’t let this go on forever. 
諦める、とのニュアンス。

この事件、Albertaで起こっているだけに、
当ブログおなじみAlberta大学のWilson先生、Sobsey先生が登場するだろうと思っていたら、
やっぱりSobsey先生(the John Dossetor Health Ethics Centerのディレクター)のコメントがあって、

最近、訴訟が相次いでいることについて

医療テクノロジーの進歩で
乳児の死亡ケースの75%で生命維持装置の取り外しの決断が必要となっている。

ほとんどのケースで医療サイドと家族サイドが同意して
配慮を持って適切に行われているが、
インターネットで情報へのアクセスが容易になったり
これまでのようには医療職の権威に従わない人が増えてきたり、
同様の訴訟について聞いたりすることで
訴訟が起きてきているのでは、と。

「しかし、親としては、“お宅のお子さんは死ぬべきだと思う”と言われたら
本当にそれが正しい行為なのか、そりゃ、とことん確かめたいでしょう」

また、あやうく呼吸器をはずされるところだったという人が
障害のあるなしにかかわらず、価値ある人生を送っているというケースは
いくらでもある、と指摘し、

確かに治療が無益なケースもあるのだけれど
「もしも間違った決断をしてしまう可能性があるのだとしたら、
生命はとても大切なものだから、取り上げてしまうのはやめた方がいい。

本当のところ、こうしたケースで、
100%確信できることなどほとんどないのだから」

Disabled infant gets reprieve
The Edmonton Journal, January 20, 2010


この記事に引用されている病院側の弁護士の発言で
私にはものすご~く懸念される表現があります。

それは、function meaningfully in life 。
生きたとしても「人生において彼の脳は有意義に機能できない」。

では、どういう状態なら meaningfully で、どういう状態なら「 meaningfully でない」のか。

私は、この曖昧な表現には、
脳死状態と植物状態や重症障害の境目を曖昧にする詭弁として
これから使いまわされていくのではないかという危惧を覚えます。

というのも、Ashley事件でも、この言葉は使われたのです。

Diekema医師がAshleyの知的能力について説明する中で
「彼女は生涯、人と meaningfull な関わりをすることができない」と言っているのです。
(すぐには当該資料が探し出せませんが、見つけ次第リンクします)

(2月16日追記:リンクまだですが、07年1月4日のBBCインタビューです)

Ashleyと障害像がほとんど同じウチの娘もそうですが、
重症児の多くは、言葉がなくてもコミュニケーションは可能だし、
相手が「どうせ何も分からない」と決めつける人でなければ
人との間で豊かな関わりを持つことができます。(例えばこちら

もちろん、あなたや私と同じような分かりやすい関わり方ではないかもしれないけれども、
言葉がないから、知能が低いから、人と心を通わすことや意思疎通ができないというのは
重症児のことを知らない人の偏見に過ぎません。

重症児に対する偏見に満ちたDiekema医師が使った meaningfull と同じように
Isaiah君のケースで弁護士が言う「どうせ助かっても脳はmeaningfullには機能しない」が意味するものが
ただ「健常者と同じではない」ことを意味しているだけであるなら、
または、社会的生産性につながらなければ「意味がない」とされるのであるなら、
そして今後、そういう意味でこの表現が使いまわされることになれば、

線引きが「脳死かどうか」から「救命するに値する障害状態であるかどうか」へと
じわじわとズラされていくことにつながるのでは?

        -----

ところで Sobsey氏は、Ashley論争の最初から、ずっと継続して批判し続けている人です。

当初の論争時にToronto Starでのコメントが私はとても心に響いて、
この人は一味違うと思っていたら、やはりご自身が
重症障害のある息子さんをお持ちでした。

その後も、“Ashley療法”、成長抑制療法批判では
本当に鋭く素晴らしい指摘を次々に行ってくださっています。

発言を追いかけながら、ずっと大好きな人だったのですが、
先週の「成長抑制でAshleyの体重は減っていない」ポストに引き続き、
この事件での、素晴らしいコメント――。

私は、もう惚れてしまいそうです。


2010.01.21 / Top↑
Isaiah James May君が生まれたのは去年の10月29日。
40時間にも及ぶ難産で、無酸素脳症となったため
ヘリでStollery 子ども病院に運ばれ、
呼吸器をつけNICU入院となった。

1月13日、両親のもとにAlberta Health Services(AHS)から手紙が届く。
(カナダの医療制度は英国に似ていて、受診時原則無料。
AHSは、英国のNHSトラストに当たるものと思われます)

あらゆる治療を尽くしたが出生時の無酸素脳症から回復は見込めないとし、

「診断は変わりません。
息子さんは出生時に無酸素状態で脳に損傷を負い、
不可逆的な脳損傷状態となりました。
回復の見込みはありません」

「したがって、残念ながら、2010年1月20日水曜日の午後2時以降、
治療チームはIsaiah君の人工呼吸器をはずします」

両親が裁判所に停止命令を求めて提訴。

裁判官が、中立の立場の専門家の意見を聞いたうえで1月27日に判決を下すとしたため、
20日の取り外しはとりあえず棚上げされることに。

当初、成長もしないし、動くこともないといわれていたIsaiah君が
体重が増えたり、髪の毛が伸びたり、このごろは
開眼したり手足を動かすことも増えてきているとして
両親は、状態が変わるかどうか確かめるために90日間の猶予を求めている。

病院側は、30日しか待てない、と。



前のエントリーでDiekema医師が感染症の転帰として並べた
「脳損傷、死、障害」という順番にこだわったばかりですが、

米国・カナダの医療における「無益な治療」概念は
「脳損傷」を「死」よりも忌避すべき状態として位置付け始めているのでは――?


この記事を読む限り、不可解なのは
病院からの手紙にある「回復の見込みがない」という表現。
There is no hope of recovery for Isaiah.

なぜ「救命の可能性が低い」ではなく「回復の見込みがない」なのか。

それは呼吸器取り外しの理由が
「治療しても救命できる見込みがなく本人が苦しいだけだから」ではなく
「救命はできるが、救命しても重症障害を負うこととなり、
その障害からの回復が見込めないから」なのでは?

しかも、この下りは
「脳に不可逆的な損傷を受けた。回復の見込みはない」と一続きになっています。
今のところ、一旦損傷された脳細胞は元には戻らないとされているのだから
「脳損傷に回復の見込みがない」というのは本来、わざわざ断る必要もない無用のこと。

脳に損傷を受けて、そのために障害を負いながらも、
適切な支援を受けて通常の日常生活を送っている障害者も世の中には沢山います。

それなのに「脳損傷そのものに回復の見込みがない」ことを直接的な理由に
「呼吸器をはずす」とAHSが言っているのだとしたら、

例えば、事故や脳卒中で脳に損傷を負った人たちに
リハビリテーションで回復の可能性があるとしても、
脳損傷そのものは不可逆だから、
そういう人からも急性期のうちに呼吸器が外されかねない
非常に危うい論理なのではないでしょうか。

しかもIsaiah君は新生児。
脳損傷そのものが不可逆的だとしても、
いろんな意味での可塑性は大きく、新生児だからこそ可能性は大きいはず。

今でも呼吸器をつけて2カ月以上、彼は生きているのだし、
救命可能性について病院が触れていないのだとしたら、

結局のところ、
病院が治療を停止しようとする理由は「救命できないから」ではなく、
「救命するにはIsaiah君の障害が重すぎると判断したから」であり
つまり「救うに値しない命だと判断したから」なのでは?


もうひとつ、気になることとして、
この記事からテレビニュースでの両親のインタビューも見られるのですが、

両親にインタビューする前の記者の解説では
「病院は“脳死”だと言った」と「脳死」という言葉が使われています。

記事には「脳死」という言葉は出てきていないので、

病院はIsaiah君に脳死判定を下しているのだけれど記事がそれを書いていない可能性があります。
「成長しない」(ビデオのインタビューによると「髪も伸びない」とも)との説明は
その可能性を思わせます。しかし、それなら、なぜ記事はそう書かないのだろう。

今後の展開が気になるケースです。

【21日追記】
追加情報があったのでこちらのエントリー書きました。

【関連エントリー】
「無益な治療」事件一覧(2009/10/20)
2010.01.20 / Top↑
ちょうど1年前のMichigan Law Reviewという法律関係のジャーナルの特集で、
親の個人的な信条による子どものワクチン免除についての議論が行われています。


現在、米国では医療上の理由によるワクチン免除はすべての州で、
またMichigan州を含む20の州で親の個人的信条による免除が認められているものの、
貧困層が多かった、かつてとは様変わりして、近年は
高所得・高学歴の親の免除希望が増えてきている。

ワクチンが自閉症その他の障害を起こすとの風説などが原因と思われ、
それにつれて米国では撲滅されたはずの麻疹やおたふくかぜなどの伝染が増えてきている。

我が子のワクチンを拒否する親は、その子どもが他の子どもに病気をうつした際には
法的責任を問われるべきだろうか。

以下からシンポの論文がすべて読めます。

Liability for Exercising Personal Belief Exemptions from Vaccination
Michigan Law Review, Volume 107, No.3, January 2009

私が読んだのは、この中から、
問われるべきではないとするJay Gordonという人の論文と
問われるべきであるとするDiekema医師の論文の2本。


Gordonが問われるべきではないとする根拠は、主に2点で、

ワクチン接種そのものからくる反作用と、接種しないことからくる反作用のどちらもあり、
ワクチン接種の有効性を疑問視する医学的研究が存在している以上、
親の両義的な姿勢も根拠がないわけではない。

子どもがある伝染病に感染した場合に、
誰によって感染したかを特定することも困難。

Gordonは親に感染への法的責任を負わせるよりも、
むしろ「拒否する権利を守るためにも行動に責任を持って」と訴えようとする方向。

ちなみに、この論文にはちょっと目を引く指摘があって、

「毎年ワクチンによって米国では33000人の命が救われている」という説明が
推奨の根拠として使いまわされてきたが、
それは1900年代なかばの医療水準を基準にした数字であり、
現在の医療水準では、ワクチンが救っている命の数も
ワクチンの害を受けている人の数も、推計することは難しい、と。


それに対して、Diekema論文は、おおむね
06年の子ども病院生命倫理カンファでの講演内容や
08年の論文での主張(詳細は文末にリンク)に沿った議論ですが、
これまでよりも踏み込んだ結論になっている気がします。


現在、CDCの免疫委員会が推奨しているのは
6歳までに14種類のワクチン。

面倒なので、英語のままで以下にあげておくと、

Hepatitis B, hepatitis A, rotavirus, diphtheria, tetanus, pertussis, haemophilus influenza type B, pneumococcus, poliovirus, measles, mumps, rubella, varicella(chicken pox), influenza.

これらの感染を防ぐワクチンは20世紀の最も効果的で重要な医療介入である。
その効果のためには集団として免疫をつけることが必要である。

一方、ワクチンで防ぐことのできる、これらの病気は
重症化すると致命的ともなりうる。

……と述べたうえで、Diekema医師が
これまでと同じく引いてくるのはJohn Stuart Millの害原則論。

人には他者に害を与えてはならない義務がある。
他者に害を与えるリスクがある場合には、
個人の自由や権利に対する公権力の制約が正当化される。

したがって、
我が子にワクチンを接種させないことは他児に感染の危険という害を与える行為であり、
他者に害をなさない義務に反する。

また、子どもが感染した場合に、
誰によって感染したか感染源の特定も比較的簡単に可能、と主張。

不法行為責任を適用して、
子どもに接種させない親は他児への感染の法的責任を問われるべきだと結論。

A parent whose child suffers brain damage, death, or disability as a result of contact with another child whose parents chose to forgo vaccination has been harmed unfairly. While the current system in the United States has a publicly funded mechanism for compensating those injured as a result of vaccine side effects, there is no corresponding public mechanism to guarantee that a child harmed by an unvaccinated child will receive the medical care, services, and support necessary. The best mechanism for justice in this situation may be the tort system. It would be unreasonable for those who have made good-faith efforts to participate in the vaccination program to suffer harm at the hands of those who have not, without some mechanism for recompense.

親がワクチンを接種させなかった子どもと接触したために
我が子が脳損傷をこうむったり、死んだり、障害を負ったりした子どもの親は
不当な害をこうむったのである。

ワクチンの副作用の被害者への補償制度は整備されているのに
ワクチンを接種していない子どもによって害を受けた子どもには
医療やサービスや支援が受けられる制度が整備されていないのもフェアではない。

この不正な状況をただすには、不法行為責任制度の導入がよい。

良心的にワクチン・プログラムに参加した人が、
そうしなかった人の手によって害を受け
保証を受けられる制度もないまま苦しむのは不当である。

なにやら反動的な響きすら漂う結論――。

そもそもDiekema医師はワクチンの効果だけを論じ、
副作用リスクについては全く取り上げていないのです。

この論理がさらに向かっていく可能性のある方向を考えると、
それは、もう全員へのワクチン強制しかないでしょう。

この論理を使えば、例えば今回の豚インフルエンザ・ワクチンでも、
子どもに限らず全員が接種を強制されることになり得るし、

そして、この論理の一歩先にあるのは、
打たなかった人がインフルエンザにかかったら、
周囲の感染者から「あいつが犯人だ」と指さされ、
「不法行為責任」を問われる空気なのでは?

親のワクチン拒否問題への解決策として出てきた議論によって、
病気感染の法的責任を個人に追わせる論理の筋道が付けられてしまう――。

これ、かなり怖い議論なのではないでしょうか。

今の段階では出てきていないけど、
ここには、そのうち、その個人が社会に負わせる医療費コストの試算も、
かぶせられてくるのかもしれないし……。

          ―――――

それにしても、「ん?」と思ったのは、引用の最初の部分で
感染の結果として起こることをDiekema医師が挙げている、その順番。

脳損傷、死、または障害

彼の無意識では、きっと「脳損傷」は「死」よりも悪い、
「脳損傷になるくらいなら死んだ方がマシ」な状態と認識されているのでしょう。



2010.01.20 / Top↑
乳がんの死亡率が下がったのは治療法の進歩のためであり、乳がん検診で発見率が上がったためではない、むしろマンモグラフで間違って陽性と出て不要な治療を受けさせられている人が多い、との調査結果。コペンハーゲンの Nordic Cochrane CentreがNHSの乳がん検診プログラムについて調べた。:去年もどこかから同様の報告が出ていたような記憶がある。
http://www.timesonline.co.uk/tol/life_and_style/health/article6993062.ece?&EMC-Bltn=OMTDB2F

先週、米国のFDAが食品容器に含まれるBPAのリスクを警告する報告書を出したばかりだけれど、今度は英国の研究者から同様の指摘。ただしヨーロッパの主流の見方は、通常の方法で使っている分には危険性は低い、とするものらしい。
http://www.canberratimes.com.au/news/local/news/general/plastic-food-container-alert/1728300.aspx?src=enews

治療薬としてのマリファナ合法化論争。
http://www.nytimes.com/2010/01/19/health/policy/19marijuana.html?th&emc=th

このところ男児への割礼の是非論争が再燃している。この問題、たいていDiekema医師がコメントで出てくるのだけど、この記事は読んでいないので不明。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/01/15/AR2010011503106.html

昨日、ドイツがInternet Explorerを使わないように国民に呼びかけたのに、フランスも続いた。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/technology/8465038.stm

米国の夫婦5組に1組で妻の方が高学歴で高収入なんだとか。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/01/18/AR2010011803895.html
2010.01.19 / Top↑
Sue Tollefsenさんは59歳で
ロシアでの生殖補助医療によって2年前に女児を出産している。

今回はロンドンのクリニックでのIVFを希望。

クリニックでは
夫の同意書と、主治医の支持を表明した文書
カウンセラーとの綿密な相談と、詳細な健康チェックを条件に
受け入れを検討中。まだ結論は出ていない。

しかし、59歳のIVF希望に
かねてよりくすぶっていた年齢制限の必要議論が表面化している。

NHSでIVFが受けられるのは40歳までで、
民間のクリニックも50歳以上の女性には治療を行わないのが通例だが
これまでに少なくとも2人、58歳の女性が治療を受けている。

生殖補助医療の専門家らは

「50代女性への治療では母子双方へのリスクが増加するので
私を含めて多くの医師はやらないが、
社会はクリニックが個別に判断することだと考えている」

「ヒト受精胚機構(HFIA)や法律で何歳かで線を引き規制したところで、
どうせその規制ラインを1歳程度超えた女性が現れて
受けられないのは法的不平等だと訴えるに違いないのだし」などと言い、

ドナーの卵子を使用する限り年齢制限の必要はなく、
あくまでもケース・バイ・ケースの判断で、と年齢制限に反対。

しかし、英国医学会の医療倫理委員会会長は
やるとしたら、このクリニックは
それが子どもの最善の利益であることと親の養育能力について
HFEAに正当化してみせなければならない、と。

ちなみにTollerfsenさんの希望については
BBCのドキュメンタリー・チームが追いかけているとのこと。


まさか、スペインやインドの高齢出産記録と競りたい医師もいる……なんて……?

      - - - - ー - -           

専門家が科学とテクノで簡単解決文化へと誘導しておきながら
最終的なところで社会の意識や個人の自己責任に責任転嫁する論法で思い出したのと、

この59歳女性の妊娠希望ケースを
BBCのドキュメンタリー・チームが追いかけているという部分に、
BBCはもともと科学とテクノ関連のニュースが好きだしなぁ……
NHKもBBCに似てきたのかなぁ……という連想も繋がったので、

昨日の「クローズアップ現代」で考えたことを、ついでに。


昨日のNHKの「クローズアップ現代」が取り上げていたのは、
脳とコンピューターのインターフェイス(BMI)の可能性。

BMIで現在既にできること、将来できるようになるかもしれないことの
素晴らしい可能性を次々に描き出しておいて、
いよいよ番組の最後のところにきて専門家が言うのは

「もちろんリスクはあるので、
利益とリスクをはかりにかけて利益が上回る場合にのみ適用する」

「BMIが脳を変容させるリスクもあるので、研究者も現場も一般の人も
利益とリスクとをきちんと把握・比較したうえで、利用するように」。

でもリスクについては、それ以上の説明はなかったし
番組の中でもリスクを描いた部分は、まったくゼロだった。

番組以外での情報提供で考えてみても、
BMIの利益の研究とリスクの研究でいえば、
きっと圧倒的に前者が多いはずだし、

情報提供されるのは効果と可能性という“利益”ばっかりで、
リスクに関する「ない」研究は「ない」ことそのものが見えなくなるという陥穽に
世間の大半の人ははまったままだというのに、

それでどうやって一般人が“利益とリスクを把握し比較検討”できるというんだろう……? 

利益ばかりを研究し、利益に関する情報ばかりを流して、
科学とテクノによる簡単な問題解決と簡単な欲望充足文化へと
社会を誘導し、その意識や価値観を変容させておきながら、
「でも、もちろんリスクはある。最後は自己責任ですよ」という論法はないでしょうに。

番組では、米国で売り出された、
集中すれば脳波を感じて球が浮き上がるオモチャが紹介されていて、
子どもが遊んでいるシーンがあった。

その子どもの目を見た時に、
このオモチャは危険だ……と私は直感したのだけれど、
(もちろん素人の直感なんて何の根拠にもならないのは承知だけれど)

「何かの作業に集中した時に、その集中の結果として一定の脳波が出る」ということと、
「その脳波を出すことを目的にした集中を意図的な作業とする」こととは
結果として出る脳波が表面上は同じであっても、
脳で起こっていることと、そのことの脳への作用は
全く別物のはずではないのでしょうか。

(ここの論理の倒錯は「うつ病は脳内の化学変化が原因だから薬物で治る」という
因果関係の捉え方の倒錯に、ちょっと似ているのではないでしょうか?)

もしも、最後の解説で言われた「BMIは脳を変える」というリスクが
多少でも、その違いと繋がっているとしたら、
誰かが、このオモチャの危険性を指摘するべきではないのでしょうか。

実際に被害を受ける子どもが多数出て、
誰かが因果関係を指摘する声を上げるまでは、
このオモチャも出回り続けるのかもしれないけれど、

その段階で指摘されたところで
因果関係を最終的に証明することは不可能だろうし、
証明できないものは存在しないことになるのが科学的思考というものらしいから
製造元が因果関係は証明できないと突っぱねれば、それまでになるのでは……と思うと、

イヤ~な予感がした。

生殖補助技術の安全性についても、ホルモンや遺伝子や脳についても、
まだまだ解明されていないことの方が圧倒的に多いはずなのに、
先走りの見切り発車的な“やったもん勝ち”で、いじられていく――。
2010.01.19 / Top↑
去年4月18日のエントリーで紹介した Gilderdale事件の続報。

慢性疲労症候群(ME、筋痛性脳症)で17年間寝たきりだった娘Lynnさん(31)を
献身的に介護してきた母親(看護師)の Bridget Kathleen Gilderdale(55)さんが
モルヒネの過剰投与で殺した、というもの。

(Lynnさんの状態とメディアの報道に大きな疑問があります。詳細は上記リンクを)

検察は殺人未遂で起訴。
母親は殺人未遂ではなく、自殺幇助だったと主張している事件。

裁判が始まったようです。

そこで明らかになった事件の詳細をBBCから以下に。


Lynnさんが、もう死にたいと言った際に
母親は1時間かけて「まだ死ぬ時ではない」と説得を試みた。

2008年12月3日。
母親がLynnさんにモルヒネの入った注射器2本を渡し、
Lynnさん本人が点滴のカテーテルを通じて体内に入れた。

(つまり、Lynnさんはしゃべれるし、手も使える。
では、身体的には口からモノを食べられる状態だったのであり、
経管栄養になっていたのは、精神的な理由によるものだったのでは?)

3時間後、それでは死ぬことができなかったために
母親は家にある錠剤を探して粉々に砕き、鼻に通してあった栄養チューブに入れた。

翌4日。
母親がモルヒネ2~3回分を点滴に注入。

その後、自殺幇助支援団体 Exit に電話で助言を求めたのち、
さらに空気を注射器3本分、注射。



去年読んだ記事では、本人が死にたいと語っていたという情報は出ていなくて、
むしろ本人の意識状態そのものが曖昧なまま
どちらかというと「話もできなかった」という表現が
非常に誘導的に使われている印象だったのですが、

どうやら、本人が死にたいと望んだ、
最初のモルヒネは自分で注入したということのようです。

そういう意味では確かに「慈悲殺」事件ではないのかもしれません。

検察側も、Lynnさん自身の自殺の企てが失敗したために、
その後は「ひとえに娘を殺すことを目的として、さまざまな行為を行った」という
解釈をしている様子。

ただ、Lynnさんの障害像がそういうものであったとしたら、
余計に去年の記事で感じた疑問が大きくなります。
Lynnさんに必要なのは自殺幇助ではなく病気から回復するための支援だったはず。

母親が「こんな悲惨な状態では”まともに生きている”とは言えない」と感じていたことの重大性が、
今後の裁判の過程でで、どのように捉えられていくのか、注目したいところです。

また今回の記事を読んで、
私には、さらに新しい疑問がわいてくるのですが、

看護師だったとはいえ、なぜ家にモルヒネがそんなに大量にあったのでしょうか。

Lynnさんの病気は、それだけでターミナルになるような性格のものと思えないので、
本人にモルヒネが処方されることはありえないように思うのですが、
このあたりは、もし私の思い違いだったら、どなたかご教示ください。

ただ仮にLynnさん自身に処方されていたとしても、
致死量が家に置いてあるということがあるでしょうか。

もしも看護師だった立場を利用して母親が手に入れていたとしたら、
この人には看護師としての法的責任も問われるべきではないのでしょうか。

改めて、この事件は
去年9月に出された公訴局長DPPの自殺ほう助に関する法的解釈のガイドラインが
医師の自殺幇助と、家族や友人の自殺幇助とを明確に区別していないことの問題点
こちらのエントリーで詳しく書きました)を
浮き彫りにしているように思います。

それから、もうひとつ。
「死人に口なし」なのだから、
殺した方が「死にたいと本人が言ったんです」「最初は本人がやりました」といったからといって
それが真実だということの立証など、不可能なのでは……?

それが不可能である限り、こうした事件が
この母親の主張するように「自殺幇助」として扱われてしまったのでは、
「障害を抱えて生きたいはずがない」という思い込みで殺したい放題になってしまう。
2010.01.19 / Top↑