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こちらがWPASの調査報告書から
病院が裁判所の命令なしに成長を制限する医療介入を行わないことを明記した箇所。

(「成長を抑制する医療介入」とは、
ホルモンによる身長抑制のみでなく
 子宮摘出と乳房芽野切除も含む意)

In order to ensure that a court order is obtained before a sterilization or growth-limiting growth-limiting medical intervention is preformed on an individual with a developmental disability, Children’s Hospital has entered into an agreement with WPAS to take the following steps:

A.Implementation of Policy and Procedure on Growth-Limiting Medical Interventions

Children’s will develop, adopt, and implement a policy prohibiting growth-limiting medical intervention for individuals with developmental disabilities unless Children’s has received a valid order from a court of competent jurisdiction, not subject to appeal, authorizing such intervention in a given specific case. In the event Children’s does receive such an order providing legal authorization for one or more growth-limiting medical interventions for an individual with a developmental disability, Children’s will in addition forward to its Ethics Committee for consideration any proposed use of such interventions. The Ethics Committee will review the proposed use and issue a report setting forth its recommendations regarding such interventions.

For purposes of this policy prohibiting growth-limiting medical interventions for individuals with developmental disabilities without a court order, the term “developmental disability” will have the definition set forth in federal law, 42 U.S. C. §15002(8)(A). A “growth-limiting medical intervention” means any medical intervention, including surgery or drug therapy, that alters or is intended to alter a patient’s potential for normed physical maturation. The policy will apply whenever a growth-limiting medical intervention for an individual with a developmental disability is sought by a parent, guardian, or other third party.

Investigative Report Regarding the “Ashley Treatment”
May 8, 2007, Washington Protection & Advocacy System, P.25

それから、こちらが病院が同じく2007年5月8日に
子宮摘出の違法性を認めた記者会見で発表したプレスリリースの当該箇所。

We are working to introduce new safeguards so that something like this never happens again. These safeguards include:

・Children's will require a court order for growth attenuation through hormon treatment, and for breast bud removal and/or hysterectomy when it involves a child with a developmental disability.

・Children's will not schedule procedures either to attenuate growth or perform hysterectomy or breast bud removal in children with developmental disabilities without review and approval from Children's legal counsel, who will assure a court order is obtained before allowing a procedure to be scheduled.

・Children's will appoint someone with a disability rights perspective as a full member of the Hospital's Ethics Committee, and will require committee review and guidance when a court order has been obtained by parents.

この報告書を書いたWPASの弁護士Carlson氏は
「成長抑制療法は裁判所の命令なしに倫理委の検討で認めてもよい」とする今回の
成長抑制ワーキング・グループに入っていたのだから

Carlson氏も子ども病院も共に
この転換はきちんと説明する義務があると思う。
2009.01.31 / Top↑
WPASのCalson弁護士が成長抑制のワーキング・グループに入っているのを見てから
ずっと気になっていて、

シンポのレポートを読んでからも
頭に噛み付いていたことを、前のエントリーを機に確認してみたら

やっぱりそうでした。
2007年5月にシアトル子ども病院はWPASとの間で
「裁判所の命令なしに成長抑制は行わない」と合意しています。

以下はWPASの調査報告書概要(後半)というエントリーから

シアトル子ども病院がWPASと合意した内容について書かれた当該部分を抜き出したものです。

裁判所の命令なしに発達障害のある人に成長抑制を行わない。裁判所の命令があった場合、子ども病院はさらに倫理委員会で検討を行う。方針と手順についてはWPASと密に相談し、2007年9月1日までに策定する。 さらに、それら手続きなしに治療が行われたり薬が処方されることがないよう、病院のコンピュータ・システムにセーフガードを儲ける。また成長抑制療法に裁判所の許可が下りた場合は、プライバシー法の範囲で、子ども病院はWPASに通知する。


WPASは調査の過程でAshley事件の真相に行き着きながら
他の障害児を守るほうを優先して、つまりAshley事件を不問にすることで
他の障害児を守るための譲歩を迫って、つまり「取引」したんだろうな……とは想像していたのですが、

それがこうなるのでは、結果的に他の障害児を守れないことに繋がってしまいましたね。
しかし、これでは、あんまりではないでしょうか。

障害者の人権を守るために公の調査権限まで持つという謳い文句で調査に乗り出したはずのWPAS。
その人権擁護団体から弁護士がワーキング・グループに加わっていながら

ワーキング・グループの出した「妥協点」とは
「裁判所の命令など不要。病院の倫理委の検討で認めてよい」というもの。

自分の組織との合意すら平気で破らせてしまうというなら
じゃぁ、アンタらの人権擁護って、一体なんなんだ────?


真実を知りながら政治的圧力に屈せさせられる人たちがどんどん増えているはずだ……と思う。
良心の呵責からでも、憤りからでも何でもいいから、
誰か勇気を持って真実を語る人が出てきてくれないものか……。

【追記】
その後、元の報告書と、病院が同時に出したプレスリリースで当該箇所を確認しましたので、
この後のエントリーで、原文のまま引っ張り出しておきます。
2009.01.31 / Top↑
2007年初頭の“Ashley療法”ニュースブレイクと同時に
説得力のある批判の記事を書いた中途障害者の文化人類学者 Bad Cripple こと William Peaceさんが
小山さんのWhat Sorts of People のシンポ報告を読んで、
さっそくブログに記事を書いている。

Ashley Treatment Symposium
Bad Cripple, January 30, 2009

行動力のある人で
シンポで最初にWGの検討の概要説明をした子ども病院のWilfond医師にコンタクトを取って
当日のWebcastが来週には準備できるという情報をゲットしている。

(でも、このWebcastのボタンは実はシンポの数日後にはいったん出現していました。
私は何度も見ようとしたのですがエラーが出て見ることができませんでした。
こちらのテクニカルな問題なのか、向こうが準備できていなかったのか分からないのですが、
画面右側にWebcastの大きなボタン、文章最後のあたりのWebcastという単語に
2箇所のリンクが張られていたのは確かです。
それが消失したのは小山さんのレポートが出てからのような気がするのですが
いつの時点で消えたのかははっきり分かりません。でも、いったん出ていたのは確かです)

Bad Crippleさんは、
ワーキング・グループに入っているAdrienne Aschのような著名な障害学の学者が
こんなアプローチに同意してしまうなんて信じがたいと衝撃を受けている。

私はそういう知識すらなかったのだけど、
調査を行って病院に子宮摘出の違法性を認めさせたWPASの弁護士が
ワーキング・グループに入っているのにヘンだな、ということを考えた。

同時に、それだけ政治的な圧力が強いということか……とも改めて思った。

WA州の保健局が調査すると言っていたのに
いつの間にか沙汰やみになったくらいだから……とはいうものの……)

【追記】
William Peace氏は
英国のNHSが Katie Thorpe の子宮摘出を却下した際に起こった
障害者たたきに際しても記事を書いています。

それに関するエントリーはこちら
2009.01.31 / Top↑
ヤセ薬に関連して、これまで
NHS新たにヤセ薬を解禁(2008/7/9)
6月解禁のヤセ薬、精神障害起こすと早くも販売中止(英)(2008/10/25)
のエントリーで取り上げてきたのは rimonabantという薬で、

こちらは orlistat (商品名 Alli)という別の薬の話なのですが、
先週EUが薬局での販売を認めたことを受けて
Lancetに出ている以下の論文が「誰の最善の利益?」と。

無料で読める最初の数行によると、
BMIが28以上の人を対象に薬局で買えることになったとのこと。

ただし薬局で買えるのは医師が処方する処方量の半分。
米国とオーストラリアでは既に解禁されているのだとか。

Over-the-counter medicines: in whose best interest?
The Lancet, Volume 373, Issue 9661, Page 354, 31, January 2009


でも、BMI28って、薬でやせなければならないほどの肥満????

日本でも最近テレビを見ていると
やたらと目に付くのがパチンコと薬のコマーシャル。

女性のバスツアーのバスに白衣の医師が乗り込んできて
「オシッコが近くなるのは年を取ったから仕方がない」という女性に
「いや、そうとばかりは言えないかも。一度医師に相談した方が……」みたいなことを言い
まるで治療しなければならない病気であるかのように
中高年女性の不安を煽るコマーシャルもあるし、

具体的に何に効くという薬のコマーシャルではないし、
患者には馴染みがないばかりか患者が直接選ぶわけでもなかろうに
製薬会社だの医療機器会社のコマーシャルもやたらと目に付く。
(このコマーシャルにかかる莫大なお金は治療費に跳ね返るのだから
患者としては止めてほしいと思うのだけど)

日本ではまだヤセ薬は解禁になっていないかもしれないけど
薬局をちょっと覗いただけでも、
メタボ対策がいかに大きなビジネスになっているか一目瞭然だし。

日本の社会も着実に英米の後を追いかけている──。

「誰のための最善の利益?」という問いは
常に頭の中に置いておいた方がいいかもしれない。
2009.01.31 / Top↑
Ashley事件の新展開で頭がいっぱいで、
関連して読みたいものも書きたいこともいっぱいあるのに時間も頭も追いついていなくて
仕事でやらなければならないこともあれこれ気にかかってはいるのだけど、

タイトルが目に付いて、つい読んでしまって、あんまり可笑しくて。

このバカバカしさは
今ものすごい速度で英米社会に蔓延する
どう考えても行きすぎた科学信仰の愚かしさそのもの……と思って。

Nutrition: Is it safe to eat lots of sushi?
I eat sushi most days for my lunch. Should I be worried about the mercury content?
The Times, January 26, 2009


「栄養:寿司はいっぱい食べても安全なのか?」というタイトルについ目を取られて開いてみたら
いきなり冒頭で「短い答えはNOです」と。

ちょっと、ぎょっとして読んでいくと、

寿司ネタの脂の多い魚には水銀が含まれており、
トロとかサーモンとかに含まれている水銀量は
寿司ネタ1個分でだいたいこれくらいと見込まれるので
ウイークデイに毎日食べたとしたら摂取量はこれくらい。

女の子と子育て期の女性の場合だと
摂取許容範囲はこれくらいだから週日のランチに食べ続けてもOK。
それにもう一回くらいは追加で食べても可。

その他の人の場合は上限がこれくらいだから
まぁ、そういう脂の多い魚は週に4回までですね……。

なんじゃ、これは……?と改めてタイトルを見たら、副題があって
「私はほとんど毎日お昼ご飯に寿司を食べるんですけど、水銀を心配したほうがいい?」

あのね……。
それ、実は寿司の安全性の問題ではなくて、常識的な食生活の問題だと思うよ。

記事は、その後、
だから水銀は、まぁ心配しなくてもいいし
どうしても毎日同じものを食べるのだったら
寿司はカロリーから言っても計算上これこれだからグッドチョイス。
問題は醤油に含まれる塩分ですね……
…・・・といった感じに展開し、また細かく計算していくわけで、
特別ぶっ飛んだことが書かれているわけではないのですが、

でも、こういう記事と
魚の脂に含まれるDHAが子どもの頭を良くするんだとかいう記事とを合わせて読むと、
ウチの子の場合は週に4回までなら
脂の多い魚を食べることのリスクよりも利益が上回ると「科学的に」考えて
食べさせる(あ、でも醤油をつける量はちゃんと見張ってね)親が出てくるんだろうなぁ……。

で、そういう人は、
また魚の脂についての「科学の新知見」が報じられると
血相変えて読むんだろうなぁ……。

こういうのが「科学的に健康な生活をすること」だと一途に思い込むよりも
そんなシチ面倒臭いことを考えるのはやめて
普通に常識的な食生活をすることの方がよほど健康的だと思うけど。

もっとも、どうしても毎日お昼に食べたいほど寿司が大好物だというなら
カロリーだろうと水銀だろうと野菜不足だろうと
委細構わず食べてハッピーに暮らせばいいんじゃないでしょうか。
2009.01.31 / Top↑
今回の成長抑制シンポのレジュメを読んでいると、
改めて不快感を覚えるのは、

病院とAshleyの父親が当初から
「愛情に満ちた重症児の親」 vs 「政治的プロパガンダに満ちた障害者運動」という
対立の構図を描き続け、維持することに意を用いてきたということ。

もちろん、それは病院側が障害当事者らからの批判を最も恐れ
「あれは政治的プロパガンダだ」という政治的プロパガンダを
先手先手を打って繰り出している世論操作に他ならないわけで、

例えば
2007年論争当初のインタビューでDiekema医師が
「何よりも驚いたのは障害児の親と障害者運動の間にこれほどの分断があるということだ」
「Ashleyのことを親以上に障害者運動の活動家が分かっているとでもいうのか」と発言したり

Gunther医師が自殺した際にも、あたかも
障害者運動からの批判がG医師を自殺に追い込んだといわんばかりのコメントをしたし、

去年1月のCalvin大学の講演では、講演会の場そのものが
攻撃的敵対姿勢をむき出しに親の前に立ちはだかる障害者団体」というイメージ操作に利用されました。

しかし、2007年5月のシンポでも
去年1月のCalvin大の講演後のシンポでも
今回の成長抑制シンポでも、

病院側が恐らくは動員もし、敢てそういうふうに仕組むから
会場にはAshley療法をやってほしいと望む重症児の親が目立ち
一見すると成長抑制が重症児の親の共通の願いであるかのように見えてしまうだけで、

(Ashley療法をやりたい親だから、そこまでの行動を起こすエネルギーがあるともいえるし)

決して、彼らがそう見せたがっているように
全ての重症児の親が子どもの体に手を加えたいと考えているわけではなく、
論争時には「気持ちは理解できるが子どもの尊厳を無視している」と批判する重症児の親も
少なくはありませんでした。

私は、例えば予防的臓器摘出術にしても、
「合理的だからやりたい」と望む人の割合よりも
「抵抗があるからやらない」と考える人の割合の方が
実は圧倒的に多いはずだと考えているので、
それと同程度には、
成長抑制のために我が子に大量のホルモンを投与することに抵抗がない親よりも
抵抗を感じる親の方が多いのではないかと思うのです。

私自身、重症児の親ですが、Ashleyの身に起こったことを絶対に許せないと感じているように
私のような立場を取る重症児の親も米国にだって少なくないはず。

それならば、必ずしも
親と障害学や障害者の人権運動の活動家とは対立関係にあるわけではないのだから、
むしろ病院側が描く対立の構図に乗せられてしまうことに警戒したいような気がする。


もちろん、この議論に障害学や障害当事者の視点は絶対に不可欠だと思います。

これはシンポの前に英語ブログの方でも書いたのですが、
最も強く批判してきた障害当事者を含めない限り
議論の中立性などありえないだろう、とも思う。

小山さんは当日、会場から
裁判所の判断を仰がずに倫理委で決めたのでは
本人だけの利益を代理する人による敵対的審理が行われない、と
非常に鋭い指摘をしてくださっています。

これこそ障害学や障害者運動の積み重ねの背景があってこそ出てくる貴重な指摘だと思う。

しかし病院側が作り出す「親vs障害学」という対立の構図の中に障害学の視点を置いてしまうと、
実は障害学や障害当事者以外にも排除されている視点があることが
見えなくなってしまいそうな気がするのです。

それは、まず成長抑制に対して批判的スタンスをとる重症児の親たち。
それから地域で重症児・者と直接触れ合いながら、その生活を支えている人たち。
例えばソーシャルワーカー、グループホームのスタッフ、ヘルパー、
養護学校の先生たち、入所施設のスタッフ、重症児・者に関ってきたボランティアたち。

私は当初から
日々の生活において直接重症児・者と関っているこういう人たちに
Diekema医師やAshleyの父親が言うように
彼らには本当に何も分からないのかどうか、
本当に赤ん坊と同じなのかどうかを
聞いてみるべきだろう、と考えてきました。

こういう人たちの視点が入ることによって
初めてこの議論が”親の愛情”神話から脱却して
「地域で支えられて暮らす」という捉え方の中に置かれるのではないかと
今でも考えています。

医療の人たちはどうしても教育や介護の分野の人をヒエラルキーの下において
自分たちが”指導”する対象としかみないし、

(高齢者介護の実態や高齢者と家族のニーズを一番よく分かっているのはヘルパーやケアマネなのに
介護関係やケアマネの学会に医師が呼ばれて講演することはあっても
地域医療の学会にヘルパーやケアマネが呼ばれて講演することがないのは
非常に不思議なことだと私はいつも思う)

障害学も含めてアカデミックな「学」の世界の人たちの中にも
現場の人たちに対してヒエラルキーを作り、似たようなスタンスを取る人があるけれども、
当事者のすぐ傍にいて、直接身体に触れながら支えている人たちこそ、
案外に親よりも誰よりも当事者のことを分かっていることがあるものです。

小山さんが英語版のレポートのタイトルに書いておられる「障害学の限界」や
日本語版のレポートで書いておられる「理論化された障害学」は
一母親の視点からAshley事件を追いかけてきた私にとっても、
おおいにうなずける指摘です。

それだからこそ、
障害学や障害者運動の人たちが
(こういう括り方そのものも問題なのだろうなとは思うのだけど、
「学」の人ではないので、とりあえず許容しておいてください)
重症児の親との対立の構図に乗せられることなく、
むしろ様々な立場を取る重症児の親たちや、
重症児のすぐ傍にいる多様な立場の人たちとも繋がって
そこにいる同じ懸念を共有する人たちと共に声を上げていくということを
考えてもらえないだろうか、と

もはや、どうにも出来ない段階まできてしまったのかもしれないし
そんなの口で言うほど簡単なことでもないし、
口ばっかりで何もできずにいる私には
こんなことを言う資格などないのだけれども、

なんとか抵抗できないかと、もどかしさに身もだえするような思いの中で
考えてたりしてみる。

       ---------

この記事の中ほどで書いた議論の中立性という点では、
なによりも、第1例の当事者である病院に
どうして成長抑制そのものの是非を一般論として議論・検討する資格があるというのだ???
とずっと考えているのですが、

これについては、また別途書きたいと思います。
2009.01.30 / Top↑
これは、What Sorts of Peopleの小山さんの記事に対するコメントで
カナダAlberta大学のSobsey教授が指摘している点でもあるのですが、

今回の子ども病院のワーキング・グループは成長抑制のみにフォーカスしたもので、
ホルモン投与による成長抑制のみが行われるような印象を与えますが、

Sobsey氏が指摘しているようにエストロゲンに発がん性があることは
既に女性の(特に更年期の女性にとっては)常識です。

米国で、乳がんリスクの研究が発表された翌日に
ホルモン補充療法をやっていた更年期の女性の半数がとりやめたという話もありました。
そのために数年後には乳がん患者の数が減ったというニュースも読んだ記憶があります。

特に乳がんと子宮がんの発ガンリスクが高くなるということになれば、
昨今の米国で耳にする予防的臓器切除が頭に浮かびます。
しかも、ここで我々が考えているのは
4歳から6歳の我が子の体に平気で
発がん性のあるホルモンを大量にぶち込もうという親なわけだから、
おそらく「ついでに乳房と子宮も切除しておけば、発ガンリスクの問題は解決」と
しごく“合理的な”判断をするのではないでしょうか。
Ashleyの父親と同じように。

また、私がこの点で気になるのは
2006年のGunther&Diekema論文では
子宮摘出の目的がホルモン療法による出血予防のためとされていること。

成長抑制のためにエストロゲンを大量に投与すると子宮から出血するリスクがあるから
その出血を防ぐために、予め外科手術を行って子宮を取っておく必要があった、と。

もちろん、改めて、ここにこの部分だけを取り出すと、
とんでもなく倒錯した理屈だというのは一目瞭然ですが、

しかし、成長抑制についてのみ書かれたあの論文の数箇所に
さりげなく「予防的子宮摘出」としてもぐりこませてあると
読者はほとんど気にも留めずに読みすごしてしまうようです。
実際に、このマヤカシに気づいたのは、あの2007年の騒ぎの中で私だけだったのだから。

これは、
実は別目的で父親が求め、倫理委がズルで認めて、こっそり実施してしまった子宮摘出を
あたかもそういう事実などなかったかのように、
あたかもホルモン治療に付随する必要悪だったかのように見せるための
Diekema医師らの巧妙な隠蔽工作だったと当ブログでは考えてきましたが、

しかし、今回の子ども病院のシンポで出てきた
「個別の倫理検討に裁判所の判断を仰ぐ必要はない」との見解とともに
この論文の、成長抑制の副作用予防手段としての子宮摘出の位置づけを振り返ると、

本来であれば多くの州で
本人の意思によらない知的障害者への子宮摘出に必要だとされている裁判所の命令も
Ashleyの両親の弁護士が使った「不妊が目的ではない」という理由で
すっ飛ばされる可能性があるということなのでは?

つまり、それは、
成長抑制療法を隠れ蓑に、
子宮摘出も乳房摘出もセットで行われてしまう可能性があるということなのでは?

そう――。

Ashleyの父親が望んでいるように
まさに“Ashley療法”そのものが広められていくということなのでは?
2009.01.30 / Top↑
これもまた、今とても重要な情報だと思うので
以下は去年5月16日の「Ashley療法概念図」というエントリーの再掲です。

現在も父親のブログにありますが、細かい部分に修正が行われているかもしれません。
この人の性格からして、逐次練り直して、改定しているような気もしますが、
細かくつき合わせて検証するだけの気力はないので。

          -------

5月8日にAshleyの父親がブログThe Ashley Treatmentを更新しました。
といっても、新しく文章を書き加えたということではなく、
去年の暮れに彼は、いわゆる“Ashley療法”について一枚にまとめた概念図をアップしたのですが、
この概念チャート「“枕の天使ちゃんたち”の幸福のための“Ashley療法”」に手を加えたようです。

1月にチャートをプリントアウトしたのですが、
ここ数日探しているのに、それがどうしても見つからないので、
すぐには前のヴァージョンと比較することができないのですが、
彼がいかに本気でAshley以外の重症児にこうした措置を広げていこうとしているか、
このチャートから伝わってくるので、紹介しておこうと思います。

更新された概念図 The “Ashley Treatment” for the wellbeing of “Pillow Angels”は、こちら

チャートはまずAshleyの状態を整理し、
それをPillow Angelsと彼らが呼ぶところの重症児の定義へと拡大していきます。

Pillow Angelsの定義には6項目があり、

・最近の医学の発達によって命が助かるようになった子どもたちという新しい障害カテゴリー。
・障害児の1割にも満たない、社会で最も非力な子どもたち。
・介護者への依存度が非常に高く、家族にとってとても大切な存在である。
・家族の愛情に満ちたケアを受けるほうが“人間扱いされない施設に入れられる”よりQOLが豊か。
・家族と介護者の大半は体重と身長の伸びが最悪の敵だと考えている。
・家族の手による個別の選択肢を必要とする極度の障害である。

最後の行の「個別の選択肢」が矢印で「“Ashley療法”」という囲みにつながり、
さらに「“Ashley療法”」の囲みが矢印で
「乳房芽の切除」「子宮摘出」「健康のためのサイズ調整」の3つに分かれていきます。

上記4つの囲みそれぞれの下に整理されているのは以下のような
「解説」「Ashleyへの主な利点」「Ashleyへの追加の利点」。

“Ashley療法”
解説は「予防的医療ケア」
主な利点は「QOLの改善」
追加の利点は「介護がしやすくなる(介護者と一心同体だから)」

乳房芽の切除
解説は「思春期に大きくなる腺の切除。思春期前なら単純な手術」
主な利点は「横になっている時や支持ベルトに大きな胸は不快、それを取り除く」
追加利点は「繊維症や癌予防」と「介護者に対して性的な存在となることを避ける」

子宮摘出
解説は「小さなうちに子宮を摘出」「選択肢検討するもこれほどの効果なし」
主な利点は「生理痛を取り除く」
追加利点は「出血しなくなる」「妊娠の可能性がなくなる」「癌予防」

健康のためのサイズ調整
解説は「骨端線の閉鎖を加速する2年間のエストロゲン・パッチ」
   「体重と慎重をそれぞれ40%、20%の削減」
主な利点は「介護者によって動かすことが増える(可動性、血行、ストレッチ)」
     「(施設ではなく)家で暮らせる可能性が高くなる」
追加利点は「側わんの手術と褥瘡の可能性を下げる」と「自己の認知と身体を近づける」


また「乳房芽の切除」と「子宮摘出」の間に別の色で追加的に「盲腸摘出」が加えられており、
この3つを○で囲んで以下の2つの注がつけられています。

1)扁桃腺を取る程度のリスクの2時間の手術
2)エストロゲン療法の3つの作用(省きます)を防ぐために、これらはエストロゲン投与前に行う

なお、上記の“Ashley療法”からは、もう一つの矢印が出て
“Ashley療法”についてのコメント欄につながっており、
いかにAshleyのような子どもたちに有効であるか、
いかに多くの賛同の声があるかという話ですが、
最後の1つが大変気になるところで、

世界中で何十人というPillow Angelの親が我が子のために同療法を検討中」だと。

        ――――――――

以上について、指摘しておきたいこととしては、

・ 「成長抑制」が「健康のためのサイズ調整(”Sizing for Wellness”)」に言い換えられました。

・「家で暮らせる時期を延ばす」という点を前年の医師らの論文が主たる目的としていたのに対して、Ashleyの父親は去年元旦の立ち上げ時のブログでも1月のメディアによるインタビューにおいても、これを繰り返し強く否定していたのですが、その後同じような子どもの親たちと連絡を取り合ううちに、彼はこのメリットを認めるようになったといいます。そのために、このチャートでは「主要な利点」の中に入っていますが、それによって親が当初主張していた成長抑制の目的を医師らが論文で偽って報告したとの疑惑が変わるものではありません。

・開腹手術のリスクが「扁桃腺切除と同じ程度」という箇所について、医師らの意見を聞いてみたいところです。

・当初は我が子のためを思って考え付いたことかもしれませんが、このチャートを作る彼の思考回路は既に会社の事業計画や新型ゲームの販促のプレゼン作成時のようです。今、彼が情熱を注いでいるのは実は自分が生んだ“Ashley療法”という商品を世に認知させることなのでは? 利点の部分ではeliminate(排除する)という単語がずらりと並んでおり、それを見ていると、我が子の身体のことについて、こういう書き方ができる親って……? eerieという英単語が頭に浮かびました。Stephan King の読みすぎかもしれませんが、「どう考えても普通じゃないものを感じて背筋の辺りがちょっと冷たくなるような感じ」?

・しかし、彼の現在の動機がどうあれ、それによってこんなことが広がっていくのは困るのです。シアトル子ども病院の医師らは、こうした父親の行動をどう眺めているのか。あなたたちは、このチャートの責任を取れるのか、と問いたい。
2009.01.30 / Top↑
今、とても重要な情報だと思うので、
以下は去年1月21日のエントリー「父親がやりたいのは実験?」の再掲です。

Ashleyの父親のブログから”Ashley療法”を世界に広めるための計画を
このエントリーの後半にまとめています。

彼は現在もAshleyに行われたのと同じことを希望する世界中の「枕の天使ちゃん」たちの親と
ネットワーク作りを進めているものと思われます。

Diekema医師が23日のシンポで語った
「成長抑制療法を受けて、その後は良好」だという数例の子どもの親たちからも
Ashley父の元に情報が集まっているのかもしれません。

こうした情報を自分のところに集めて、
正式な研究を求めていく材料とすることが彼の計画ですから。

しかも「安全でプライベートな」情報交換で、といっています。
実態もつかめないし、外部から批判もできないまま、
重症児は親の思うままに体に手を加えられようとしています。


        -------

前回のエントリーで取り急ぎのお知らせをしたAshley父のブログ更新の中の
立ち上げ1年後のアップデイトを読んでみました。

まず、Ashleyの近況については
元気にしており、安定している。
薬も減って今は逆流の薬だけ。
 (逆流の薬というのは胃ろうの関係ではないかと思うのですが……。)
現在の体重は63ポンド、身長は53インチで1年前のまま。

しかし、Ashleyの近況は最初の4行で終わり、
このアップデイトの眼目はこの後に続く
両親に寄せられた反響の分析
今後に向けての計画
のようです。

①受け取った4705通のメールを1月に全て読み分類したところ、
93,9%が支持、6,1%が批判だった、と。

自分たちの「枕の天使ちゃん」に同じことを求めている、
または検討中との家族からのメールが159。

批判した238通のメールはほとんどが障害当事者からのもので、
彼らは自分に同じ事をされたら困るという気持ちに反応しているだけ。

(「Ashleyはこういう活動ができるあなたたちとは違うのだ」とはDiekema医師も
去年1月12日のLarry King Live でしきりに強調していました。)

「枕の天使ちゃん」たち重症児との直接体験のある人はほとんど支持している
という点を強調しています。
また、今後何らかの方法でこれらの反響を公にする方法を検討中とも。

「おお、この人らしい」と思ったのは、
自分のブログをちゃんと読んでくれた人は支持しているし、
メディアの報道で惑わされていたがブログを読んで気持ちが支持に変わったという人もいる、
とも書いています。

相変わらず
自分の言っていることさえちゃんと伝われば
受け入れられないはずがないと考えておられるようです。 


②現在すでに同じことを希望する多くの家族の相談に乗ったり、
情報提供をしているが、
(その初期の1人がAlison Thorpeだった可能性は?)
今後やろうと考えていることとして、

・安全でプライベートな情報交換フォーラムを作る。

・初期に行われる症例から学んだことを整理・文書化し先の世代の役立てるために、
“Ashley療法”を子どもにやった人の情報を収集する。

(自分たちのメールアドレスに情報を寄せてくれるよう呼びかけています。)

(「初期の症例」という表現に、
  広く世の中に定着したAshley療法が彼の頭では既にイメージされているのが感じられます。)

・こうした草の根の活動を続けて、“Ashley療法”についての正式な研究を促す。

・“Ashley療法“を実施または検討する家族と医師に対して、
 Gunther医師の残したAshleyの症例記録と自分たちの記録を公開する。

           
ここまでくると、この父親が考えているのはある種の実験なのでしょうか。
2009.01.30 / Top↑
米国では現在、
民主党のGlassley上院議員らが行っている調査の結果が報告されて
医薬品や医療機器の研究や開発を巡って、
著名研究者らが関連業界からの金銭授受を
規定のとおりに正しく申告していなかった問題が
大きくクローズアップされ、

特に児童精神科の分野では
Harvard大学のBiederman医師ら
小児への投薬を率先して進めてきた研究者らと製薬会社との関係が明らかになるにつれて、
研究における「利益の衝突」への透明性の欠如が
これまでの研究が提示してきた治療のエビデンスに影響しかねない
大問題となっているところで、

研究を巡る利益の衝突の透明性を担保するための法律の改正案が
議会に提出されているわけですが、

小山さんが書いてくださった成長抑制シンポのレポートを読んでいたら、
(28日に日本語版もブログにアップされましたが、英文の方が詳細です。)

重症児への成長抑制に関する個別の検討に裁判所の判断を仰ぐことは無用で
病院内の倫理委員会に様々な立場の人を入れて検討すればそれでよい、との
主張が(説得力が乏しいまま)行われている箇所で

ふっと、この医学研究における利益の衝突の問題と連想が繋がった。

もしも、どうしても裁判所をすっ飛ばして
病院内の倫理委員会の検討だけで成長抑制を認めてもよしとするのであれば、
その倫理委員会の議論の中立性を担保し、
この侵襲度の高い、子どもの身体の全体性や尊厳を損なうものである可能性のある療法の
恣意的な利用や濫用を防ぐためには

倫理委員会には
成長抑制を希望する親やその周辺との利益の衝突について
きちんと申告する義務を負わせるべきなんじゃないでしょうか。

そして、その義務は
第1例であるAshleyケースについても遡って
2004年5月の特別倫理委員会に対して要求してほしいものです。
2009.01.29 / Top↑
今回の成長抑制シンポの詳細を読んで
私の頭に真っ先に浮かんだのは、

ずっとずっと懸念していたことが、
とうとう、やっぱり、ついに現実になってしまった……という思い。

シアトル子ども病院は、多くの重症児の尊厳と引き換えに
これでAshleyケースという非常に特異な背景を持つ第1例の幕引きに成功したのだな、と。

        ―――――――

私がこのブログを始めたのは2007年5月、
Ashleyケースを巡ってシアトル子ども病院でシンポジウムが開かれた直後のことでした。

既にたどり着いていたAshley事件の真相についての仮説を念頭にシンポのWebcastを見た時に、
この事件はこのままではすまない……と直感し
いてもたってもいられない思いで立ち上げたブログでした。

病院はもう後に引けなくなってしまった、
何が何でもウソをつき通して正当化するしかなくなっている、
病院にとって最も有効な第1例の正当化は第2例を作ることなのだ……と
シンポジウムから確信したからです。

去年1月のDiekema講演の前後には
ウソにウソを重ねて強引な一般化を行い、正当化してしまいたい同医師と
本気で他の重症児に広めようとしている父親の利害が見事に一致していることに
更に危機感が募って、またしても、いても立ってもいられない思いに駆られ、
自分の力量をはるかに超えていることを承知で英語ブログも立ち上げました。

Ashley事件の細かい情報を検証する当ブログは
「議論の本質とは無関係な意味のないことをやっている」とか
「ただのスキャンダルをほじくっている」といった受け止め方をされることが多かったけれど、

私としては、
Ashleyケースは絶対に前例にしてはいけない特異な背景のあるケースなのだということ、
それぞれ病院は保身のために、父親は独善的な使命感から
この療法を一般化しようと躍起になっていることへの危機感と
さらに世の中の空気そのものが、そういう方向に変質しつつあることへの懸念とを
この2年間、私なりに一生懸命に訴えてきたつもりでした。

もちろん、日本の1人の母親ごときに何ができると思っていたわけじゃない。

でも、やっぱり、この展開は悔しい。
この2日間、ほとんどウツ状態ですごしているほど悔しい。
(グチってます。ごめんなさい)

あんまり悔しいので、いま一度ここで書いておきたい。

2007年1月に世界中で論争を巻き起こしたAshleyケースには
父親がマイクロソフトの幹部と思われ
ワシントン大学にゲイツ財団との密接な関係があることから
しかるべき倫理検討を経ずに水面下で行われたものだった疑いがあります。

きちんとした調査が行われない以上、証明はできませんが
もしも当ブログが検証してきた仮説が事実だったとすると
子どもを守るべき子ども病院が政治的配慮から職業倫理を放擲し、
ズルをし、そして、さらにヘマをしたわけです。

ヘマとは、これが表に出た時に他の重症児に及ぶリスクを承知しつつ
父親の意向を入れて公表してしまったこと。
(2006年の医師らの論文は異様なほど「恣意的応用」「濫用」予防の必要を繰り返しています)

そして、ズルとヘマの結果、
本来水面下に留まって他児には影響しないはずだったケースが表に出てしまったために
病院側はAshleyに行われたことの中でなんとか正当化できそうな成長抑制にフォーカスし、
強引に成長抑制を一般化する以外には
第1例の特異さから世の中の目を逸らせて
無事に幕引きをすることができなくなってしまった。

そして、今回のワーキング・グループの報告によって
Ashleyケースという非常に特異な背景を持つ第1例の幕引きが
病院の思惑通りに成功したのだなと、私は受け止めています。

もう、ここまできたら、成長抑制は他の重症児に次々と実施されるのでしょう。
もう、ここまできたら、いまさらAshley事件の真相になど何の意味もないのでしょう。

しかし、Ashleyの父親は決して自分の計画を幕引きなどしていません。
彼がブログで書いているのは「米国の重症児のために」ではなく
「世界中のPillow AngelたちのQOLのために」なのです。

ゲイツ財団の資金は世界中の医療研究機関に流れています。
ゲイツ財団がワシントン大学に作ったに等しいIHMEは
世界中の保健医療の施策をコスト効率で採点し、見なおすことを目的に掲げています。
WHOも世界銀行も何カ国かの国の保健相もIHMEと繋がっています。
世界中で「障害者にかかる社会的コスト」が取りざたされています。

私はAshleyの父親がゲイツ氏と直接に繋がってやったことだとまでは考えません。
しかし、Ashleyの父親が“Ashley療法”を考え付いたのは
ゲイツ氏やIHMEやNBICと価値観・文化を共有する人物だったからだと思います。

そして、Ashley事件がこういう形で幕引きされたことによって証明されたのは

今の世の中では、そういう人たちが
世界がこれまでに経験したことのない途方もない財力と権力とを既に握っていて、
その権力の前には、倫理委員会もメディアも人権擁護機関も、もはや機能しないという恐ろしい事実。

恐らく、
科学とテクノロジーによる障害者への侵襲と、それによる社会的コスト削減は
重症児への成長抑制に留まらず、じわじわと拡げられていくのではないでしょうか。

重症児だから侵襲されているのではない。
きっと重症児から侵襲が始まっているだけなのだから。
2009.01.29 / Top↑
“Ashley療法”論争からずっと考えていることの1つは
いわゆる重症心身障害のある人たちには
本当の意味でのアドボケイトがいないんじゃないか、ということ。

私は日本の事情しか分からないし
日本の事情にしても、ロクにまともに勉強したわけではなく
狭い範囲の経験や知識に基づいて誤解もあるとは思うのですが、

障害者運動というのは脳性まひ者を中心にスタートして、
それから他の障害にも広げられてきて
基本的には自分で声を上げて立場を主張できる人たちが担ってきたと思うし
障害学にしても様々な障害をもつ当事者が大変な苦労をしつつ
自ら研究者になることで切り開かれてきた学問でもあるんだろうなと思う。

その中で、
理念としては「全ての障害者」という原理原則によって
カバーされてきたはずなのだけれども、
やはり自ら表現することが難しい重症の知的障害者の声は上がりにくいし、
更にそこに重症の身体障害を併せ持つ重症重複障害児・者は声を持たないだけでなく、
物理的にも姿が見えにくいところに追いやられてしまってきたために
イメージすることそのものが難しいのかもしれない。

そこで重心児・者の代弁者はこれまでずっと
重症児医療を担ってきた医師と親、ということになってきた。

もちろん、一般に広く障害者福祉が欠落していた世の中で
誰の意識にも存在していなかった重心児・者への福祉を求め続けてきた
これまでの医師や親の運動は不可欠だったし、大きな貢献だったとも思うのだけれども、

反面、大きなノーマライゼーションの流れが起こってきた世の中の変化の中で考えると、
「どんなに重い障害を持っていても地域で当たり前の生活を」という主張が行われ、
多くの障害当事者とアドボケイトがそれぞれ
障害の特性に応じた具体的な改善要求を出してきた一方で、
重症心身障害児・者当人の権利だけは
その多くが入所施設の経営者である医師と親によってのみ代弁されてきたわけで、

Ashley事件からずっと私の頭を離れない疑問は
それは本当のところ、重心児・者本人の利益の代弁なのか、
実は施設の利害と親のエゴが「代弁」に成り代わっているのではないのか、ということ。

そういう意味で、
重症心身障害児・者には本当のアドボケイトは存在していないのではないか、ということ。

Ashley事件でも顕著だったのは
重症児だから親の愛情のもとに置かれ一生親のケアを受けるのが本人の幸福という
集団的な思い込み。

それが世間や親の側の勝手な思い込みではないという保障がどこにあるのかと
重症児の親である私自身、とても疑問に思うし、

障害者運動が最も憎み、否定し戦い続けてきたのは
そういう親からの愛情の押し付けであり支配だったはずで、
(更に言えば、こうした医療からの介入であり支配だったはずで)

重症重複障害児・者だけは親の愛情を押し付けられ、
一生を親と共に狭い家庭で暮らすことが本人の幸福だと
そこに線引きをして、背を向けないで欲しい。

私自身、子どもを重心施設に預けている親として、
Ashley事件との出会いから、ずっと葛藤しています。

それはAshley事件との出会いによって
親である自分こそが娘の最良のアドボケイトだと考えてきた自分自身の足元が揺らいでしまったから。

この2年間ずっと、そのことを考え続けて、今
親はやはり重心児・者本人のアドボケイトにはなれないし
なるべきではないのかもしれない、という気がしています。

障害のある子どもと親との間に利益の衝突があることは明らかだし、
その利益の衝突が重心児・者の場合にだけ消滅するということはありえない。

愛情から障害のある子どもを殺す親は後を絶ちません。

重い知的障害と身体障害を併せ持ち、
「こんなにも非力で自分で我が身を守ることが出来ない我が子」を
この社会に託して死んでいく自信がまだ持てないでいる私には
娘本人の利益を代弁する資格はないのだろう、と思う。

だけど、私もまた
わざわざ子どもをつれて死にたいわけでも
子どもを殺したいわけでもないのです。

安心して子どもを残して死んでいけるために
重症児の親は何を望めばいいのだろう……と
この2年間考え続けてきました。

もちろん重症児・者が安全に暮らしていける環境が保障されて欲しい。
そして、声がなく、自分で身を守ることが出来ないだけに、
親や医師や施設の利益とは全く切り離されたところで
本人たちの利益だけを代弁するアドボケイトがいてほしい。

そうしたら、きっと
どんなに重い障害を持った子どもの親でも、
ちょっと自分は手を引き、一歩引いたところで
子どもが人の手を借りながら自分の人生を生きていく姿を
ゆったりと見守ることができるんじゃないだろうか。

そして、ゆったりと見守りつつ、
我が子にもこの社会で生きていける安全な居場所があると信頼することが出来たら
もしかしたら残して死んでいくことができるんじゃないだろうか。

少なくとも、
重心者は意思疎通が出来ないから、
どうせ何もわかっていない赤ん坊と同じだと決め付けられて
他の障害者とは話が別だと一線を引かれ、
他の障害者には許されない身体への侵襲が安易に許されるような社会には
私は重症重複障害のある我が子を托して逝くことはできないと思う。
2009.01.29 / Top↑
23日の成長抑制シンポ
会場の発達障害のある子どもの母親数人から以下のような発言があったとのこと。

子どもが成長して身長が伸びると父親にも抱き上げることが出来なくなり、
散歩にすらつれて行ってやることが出来ない。

移民の女性は、成人した障害のある子どもを
母国につれて帰って親戚に会わせてやることが出来ない。

障害学の学者は支援サービスがあれば解決できると言い続けているけれども、
仮に明日、魔法のように支援が出現したとしても、それで十分なわけではない。
ケア提供者も支援テクノロジーも結構だけれども
親が自分の手で抱き上げてやって家族だけで過ごすことができるのとは違う。

成長抑制はこうした問題の解決策である。


私は2年前の“Ashley療法”論争の時から、ずっと、
障害学の専門家や障害者運動の障害当事者・アドボケイトの人たちに
この母親たちと全く逆の意味で疑問に思っていることがあって、
ただ障害学についてはほとんど何も知らないので
思い切って書けずにきたのですが、

もしも、そういう立場の人たちが
こうした母親たちの声を聞いて
重症児への成長抑制には利点があると考えるとしたら、
その点が私の当初からの疑問と重なってくるので、
思い切って書いてみます。

障害者運動をしてきた人たちは
いくつになっても親に幼児のように保護(支配)されるのではなく、
親から自立して地域で暮らせることを当たり前の権利として求めてきたのだと
私は理解しているのですが、

その権利には一定の知的レベルで線が引かれていたのでしょうか。

障害者運動が求めてきたのは障害の種別や程度を問わず全ての障害者の権利だと
私は2年前まで考えていたので、

2年前の論争の時に
「重症児は赤ん坊のように親に生涯ケアしてもらうのが幸せ」という主張を
障害学や障害者運動の人たちが否定しなかったことに
実は私は大きなショックを受けました。

「どんなに重度であっても地域で自立した暮らしを」というのは
身体障害についてだけの話だったのでしょうか。

よく考えてみて欲しいのですが、
上記の母親たちの
「体が大きくなったら散歩にも連れて行ってやれない」
「母国につれて帰ってやれない」という嘆きは、
実は重い身体障害がもたらす制約についての嘆きです。

知的障害とは無関係に重い身体障害があれば起こってくることです。

子どもの成長と共に起こってくる介護の困難は同じでありながら
知的障害を伴わない(または軽度の知的障害を伴う)重症の身体障害児であれば
成長と共に親から自立して地域で独立して暮らすことは当たり前の権利だとされ
従ってホルモン大量投与による成長抑制など言語道断で対象外なのに、

その身体障害児が重度の知的障害を伴う場合にだけは
その子には親から自立した地域生活の権利などなく
親の保護下でいつまでも暮らすことが本人の幸福だとされ
従ってホルモン大量投与による成長抑制は本人のメリットだと

障害学や障害者の人権を求める当事者やアドボケイトが
重症の知的障害の有無によって別の基準を当てはめるのだとしたら、

それは障害学や障害者の人権運動までが
Diekema医師らが当初から主張しているように
重症重複障害児・者だけを他の障害者とは別の存在として線引きをし、

Ashleyの親がPillow Angelと彼女を呼んでいるように
重症重複障害児を赤ん坊扱いすることと同じではないのでしょうか。

障害者の自立運動では後発の日本ですら
最近は重症重複障害者のケアホームができつつあります。

重症児だから「親元か施設か」の選択しかない、というわけではないでしょう。

もしも障害学や障害者運動が
障害の種別や程度を問わず全ての障害者に健常者と同じように地域で暮らす権利を求めるのであれば、

Ashleyのような重症重複障害児にも
成長と共に十分なアドボカシーとケアを受けて親から自立し、
地域で暮らす権利を認めるべきであり、
それが保障される支援を求めていくべきなのではないでしょうか。

もしも「現実に十分な支援などないし、これからもありえない」ことが
障害者自身の身体に手を加えることの免罪符になるのであれば、それは同時に
自立した地域生活を送るための支援が得られず難儀している身障者の身体にも
医療やテクノロジーで手を加えてもいいという免罪符にもなるのではないでしょうか。
2009.01.28 / Top↑
昨日、自身のブログに23日の成長抑制シンポの報告をアップされた小山エミさんが
Alberta大学のSobsey氏らがAshleyケースを批判しているWhat Sorts of People ブログに登場。

シアトル子ども病院のワーキング・グループが
成長抑制の対象となる可能性のある重症児が
全米に4000人(1000人に1人)と見積もったのをタイトルに



昨日の報告よりも多少簡単な内容でシンポの報告をし、
成長抑制療法に一定の利点があることは認めつつも
社会的コスト削減の要請からこの療法が滑り坂に陥らぬよう
もう一度、懸念を抱えた人たちに議論を起こそうと呼びかけています。


2年前の論争があっという間に尻すぼみになって以来
多くの人がこんなにも早く関心を失ってしまうことに焦燥感を募らせつつ
私自身は思うように英語で書けないことにもどかしい思いをしてきたので、
小山さんのWhat Sorts 登場は「待ってました!」という感じ。

ありがとう、小山さん!

What Sortsからでも、どこからでもいいから
多くの人がまた関心を持ち、論争が再燃しますように。
2009.01.28 / Top↑
Ashley事件を当初から追いかけてくださっていて
去年5月のWUのシンポにも行かれたOregon州在住の小山エミさんが
今回のシンポにも行かれ、去年と同様に会場から鋭い指摘をされたようです。

詳細な報告をブログにアップされています。

英語で相当な長文で、私もまだ読んだばかり。

すぐには頭がまとまりませんが、
取り急ぎ、紹介まで。

非常に重要な報告です。



Seattle 子ども病院が立ち上げたWorking Groupの議論は
要はAshleyケースの正当化に使われた論理をさらに強固に(強引に)練り固めただけといった印象ですが、

重要なのは、
Ashley以後、既に大きな病院が倫理委の1年間の検討を経て成長抑制を実施したケースが
いくつかある事実をDiekema医師が明言しているなど、

小山さんのエントリーのタイトルにあるように
ホルモン療法による重症児の成長抑制が通常の医療の選択肢となっていきつつあること。

しかも、成長抑制の対象となる「重症児」の基準は実に曖昧なまま。

Ashley事件の際に指摘された問題点は
表層的に検討・否定された形をとっただけで。

なんとなく「子どもの医療については親の選択権だから」みたいな雰囲気でなし崩し的に。

まさに当ブログが恐れていた通りの展開というほかなく、
ちょっと呆然としています。

小山さん自身、
Working Groupの議論から障害当事者が締め出されていることの問題を指摘しつつも、
この長い報告の最後を次のような言葉で締めくくっておられます。

しかし、こうした動きはもはや動かしようのないものと思われ、
我々には成長抑制の実施に待ったをかけるためにいったい何ができるのか……?

Any ideas?
2009.01.27 / Top↑
米国カリフォルニア州の8つ子の誕生については
夕方、日本のニュースでもやっていて、

私が見た「スーパーニュース」では
「3人は人工呼吸器が必要」「でも、みんな元気」だと言っていたけれど、
(「人工呼吸器が必要だけど、元気」というのにイマイチ引っかかったけど)

以下の記事によると
人工呼吸器をつけたのは2人で、
3人目は「酸素が必要」。
が、全員、「状態は安定している」。

排卵抑制剤の使用も含めて母親に関する詳細は明らかにされていません。

今回の出産には分娩室4室を使用。
病院スタッフは46名を動員。

最初の子どもが取り出された際に大きな産声をあげ脚を蹴っていたので
「最初の子どもが健康だったことで手術室の緊張が和らぎましたよ」と
担当医の1人Gupta医師。

今回の出産があったThe University of Southern Californiaの生殖医療プログラムの責任者で
今回の出産には関与していないRichard Paulson医師によると、
早産の8つ子には呼吸不全や神経障害など重大な健康リスクがあるほか
母体の出血リスクも高まる。

同医師は
「8人全部を産むのは危険な決断です。
 私なら、いかなる状況下でも勧めませんね。
しかし親の決断は尊重しますよ」

Woman gives birth to octuplets in SoCal hospital
The Washington Post (AP), January 27, 2009


8つ子でなくとも
似たような状況下で障害を負った子どもたちがいる。

彼らを含め世の中の障害児たちは、
「障害のある子どもが生まれると医療や教育で社会に多大なコストがかかる」と
しきりに指差されている。

「だから、生まれても殺そう」という声まで起こっている。

その一方で、
障害のある子どもが生まれるリスクを人為的に高めるに等しい行為について
誰も何も言わない分野もある──。

【追記】
その後、この女性には既に6人の子どもがいたことが判明し、病院は批判を受けています。
2009.01.27 / Top↑
NHSは知的障害者に適切な医療を提供しておらず、
英国の医療は知的障害者を差別しているとして、

2007年には知的障害者のアドボケイト団体Mencapが
障害があるために本来受けられるべき医療が受けられずに
落とさなくても済んだはずの命を落としてしまった知的障害者6人のケースを取り上げて
報告書 ”Death by Indifference(無関心による死)”を刊行。
(こちらからダウンロードできます)

また、去年7月にはJohathan Michae卿による独立の調査の結果が
報告書”Health Care for All” (万人のための医療)にまとめられ、
(こちらからダウンロードできます)

NHSでは知的障害のある人を保護する法律が守られていない実態が明らかになったことから、
英国保健省は知的障害者が医療において不当な死を迎えている実態の調査に乗り出すことに。

Vulnerable deaths inquiry set up
The BBC, January 19, 2009

なお、英国保健相は
Valuing People Nowと題した今後3年間の知的障害者の処遇改善施策に関するコンサルテーションを終え、
その結果を1月19日に発表したばかり。

"Death by Indifference"で報告された6人のケースのうち
Emmaの場合を簡単にまとめた Mencap のページがこちら

癌の痛みがあるにもかかわらず
知的障害のためにコミュニケーションがとれずパニックもあったため
治療に同意が出来ないとして病院が治療を拒否、
何度も母親が病院に連れて行ったにもかかわらず
病院は痛みを止める治療すらせずにEmmaを施設に帰し
そのうちに手遅れになったEmmaは25歳で亡くなった、とのこと。


私がネット上で英語ニュースをチェックするようになった2年半くらい前から
英国ではNHSの医療で知的障害者が平等な医療を受けることが出来ていないと訴える声が
頻繁に上がっていました。

それがやっとこういう調査に結びついたのだと思うと、とても嬉しいニュースです。

が、もちろん報告書に挙げられているのは氷山のごくごく一角のはず。
知的障害児・者に限らず、認知障害のある高齢者も含め、
こうした医療ネグレクト(そういう表現は使われていませんが)の被害者は
実は非常に多いのではないでしょうか。


日本での実態も気になります。

娘の腸ねん転の際、私たち親子も同じような体験をしました。
外科スタッフは、いくら訴えても娘の痛みに全く対応してくれなかったし、
「何が起こるか分からないから、なるべく手を出したくない」という姿勢や
「重症児だから、どうせ本人は何も分からないし」という思い込みがとても露骨でした。

重症児の命は障害のない子どもよりも軽んじられているとも感じました。

この時の体験については、
カナダの障害当事者コラムニスト Helen Hendersonさんが書いたコラムに併せて
こちらのエントリーに簡単にまとめています。
2009.01.27 / Top↑
Santa Barbara 映画祭で土曜日24日と今日月曜日26日に上映された
新作ドキュメンタリー映画 “War Against the Weak”(弱者に対する戦争)。

2003年に出版されたEdwin Blackの同名の著書が映画化されたもので、

ナチスの優生思想に基づく障害者の不妊手術や殺害以前に
米国で優生思想が広がり、強制的な不妊手術が行われており、
ナチスの実験や殺害は米国の優生思想に影響されたものであること、

20世紀の米国で行われた6万人の強制的不妊手術には
高名な科学者や財団が関与していたことなどを
写真やナチの書簡、新たな技術によるグラフィックや再構成によって描いたもの。

War Against The Weak
The Santa Barbara Independent, January 26, 2009


映画の公式サイトはこちら

このサイトの副題は

それはロングアイランドで始まり、アウシュビッツで終わった……
 が、本当はまだ終わってないどいない

ここに書かれている内容を簡単にまとめると、

1900年から1930年にかけて米国では民族浄化が行われた。
Carnegie、Rockfellerなどのアメリカの慈善団体が
Harvard, Yale, Princetonなど権威ある大学の学者らと手を携えて
組織的な人種政治を国家施策にしたためである。

農務省、国務省ほか多くの政府機関が関与し、
最高裁判所まで加わった。

貧しい人、髪の毛が茶色の白人、アフリカ系アメリカ人、移民、インディアン、東欧系ユダヤ人、病者……
要するに、アメリカ人として優れた遺伝系統とされたものを外れていれば誰でもが対象だった。

まるで、とうもろこしの品質を向上させるブリーディングでも考えるのと同じように、
彼らは弱い者、劣っている者の生殖能力を根こそぎにし、
アメリカ人という優れた民族を作ろうとしたのである。

アメリカで始まったこの動きが世界に波及し、
ナチス政権下で抑制を失い大虐殺を引き起こしたが、
ナチスの研究機関に資金を提供していたのはRockfeller財団だった。

ナチスの惨劇に世界中は身をすくめたが、
その後、先進科学「ヒト遺伝学」という旗印の下、
米国の優生運動は名前を変え、顔ぶれを組織しなおしている。


――確かに、すぐに思い当たる慈善資本主義のビッグネームも
おそらくはカーネギーもロックフェラーも物の数じゃない、その財力も

それから、当時の科学者らに変わる先端科学とテクノロジーの研究者らも、
さらにまた、社会的コストだの医療のコスト効率だの本人の最善の利益だのと
ワケのわからない正当化の理論武装を担う生命倫理学者なるものやら、

また、その周辺をうじゃうじゃと取り巻いて無責任な未来を夢見るトランスヒューマニストらもいて

役者もゼニも、かつて以上に揃っている……。
2009.01.26 / Top↑
Anne Cowin という女性トランスヒューマニストが2006年に自分のブログで
Peter Singerやトランスヒューマニストらの優生思想を批判する文章を書いています。

その要旨の前半はざっと以下のような感じ。

トランスヒューマニストの哲学の中には
あらゆる可能性を持つ子どもたちの中から
親は最善の人生を送れる子どもを選択する義務がある、とする
生殖の慈悲(procreative beneficence)原則があるが、

私はそれは近視眼的な考え方であり、
科学の進歩と共に排除できる特性が増えていくにつれて、
現存する社会で能力を最大に発揮できる人間以外は存在してはならないという
偏狭な価値観へと向かっていくしかなく、それはナチの優生思想への道である。

生殖の慈悲原則は母子に命の危険があると明らかな場合に限るべきだと思う。

Peter Singer型の倫理学がトランスヒューマニストの言説にはよく登場する。
大型類人猿の人格を尊重するというSingerの考えは支持できるが
親は生まれてくる子どもに“正常な”能力と性質を保障する義務があるという
生殖の慈悲原則に基づくSinger説は的が外れていると思う。

自分がどうありたいかを自由に選べることがTHニズムの理想であるならば、
そこでは障害も含めた多様性を尊重したうえで
個人の選択の自由が保障されなければならない。

そこでCowinは
James Hughesの著書“Citizen Cybogue”の一説を引用しているのですが、
ここでHughesが提示している例が、いかにもトランスヒューマニスト。

例えば、
ある人がテクノロジーによってエラとかヒレをもつ身体になって、
水中で暮らすことを自己選択し、
自分の子どもにも同じ暮らしをさせたいと望んだ場合、
それは一定の能力を子どもから奪う代わりに
別の能力を子どもに与えることになるのだけれども、
果たしてこれは虐待なのか、それとも強化なのか?

(ここにもまた、人間の能力の差し引き計算でしか
物事を捉えることのできないTHニストの価値観の浅薄さ・偏狭さが顕著ですが)

CowinはTHニストらしく、
Hughesの例を新たな未知の可能性と捉え、
テクノロジーがもたらすのが未知の可能性だからといって
その可能性を否定することはやめよう、という考え方をします。

だからこそ、Hughesらが将来の可能性に対して自由であろうとする姿勢のまま
誰かが今、自分には想像できない状態にあるからといって、
その状態を否定的に捉えることもよそう、と
先の「生殖の慈悲原則批判」に戻るのです。

親を(教育した上で)信頼して、
(能力優先とか障害排除などの一定の価値基準をしくのではなく)
親の完全に自由な選択権に任せよう、というのが、このエッセイでの Cowin の結論。

Progressive Dialogue and Procreative Freedom
By Anne Cowin
EXISTENCE IS WONDERFUL, November 4, 2006


しかし、2006年11月にこう書いたCowinが2ヵ月の“Ashley療法”論争では、
わっと飛びついて擁護したTHたちの中でただ1人、“Ashley療法”を厳しく批判しているのは興味深い事実。

Cowinの“Ashley療法”批判の論点は4つで、

1.無抵抗な人の身体に過激な処置が行われたことが遺憾。「ただやってしまえるから」というだけで特定な人に何かが行われないよう特段の配慮が必要。

2.親が愛情から決定したといっても、それ自体は決定内容を正当化するものではなく、内容・理由・方法がそれぞれ精査されなければならない。

3.障害のある人とない人とで、結果的な処遇が同じである必要はないが、判断に適用される倫理基準は一定であるべき。

4.生後3ヶ月相当とされる年齢比喩には根拠がなく、このような比喩を用いて議論することは危うい。

そして、彼女は結論として

自分で主張することも身を守ることも難しい人々が体験してきた
力のアンバランスは非常にリアルなものであり、
歩くことも話すことも自分で食事をすることも出来ない人たちに
Ashley療法が適用される可能性については真剣に考える必要がある。

私はCowinの書いた“Ashley療法”批判は
これまでに出た批判の中で最も筋の通った鋭いものだと考えていますが、

親と子の間にも「力のアンバランス」が非常にリアルに存在するし、
親の力の前に子どもは「無抵抗な人」に等しいことを思えば、


それを障害児については否定しているものの
Cowinの「親を教育し信頼して親の選択に全面的に任せる」という考え方も
やはり現実から遊離した楽観論に過ぎると思う。

科学とテクノロジーで
親が子どもに「してやれる」ことの選択肢がどんどん多様になる時代。

親の愛情や親の考える子どもの最善の利益が必ずしも
本当の子どもの利益を守るものであるとは限らない現実をしっかり踏まえて
親とは独立した1人の人間としての子どもの尊厳や権利が守られるよう
社会がセーフガードをきちんと設けることが必要なのでは?


【Anne Cowinの“Ashley療法”関連エントリー】
THニストの“A療法”批判 1
THニストの“A療法“批判 2


2009.01.26 / Top↑
Wisconsin州で去年3月に起きた事件。

若年性糖尿病のKara Neumanさん(11)が
歩くこともしゃべることも出来ないほど弱っていたにもかかわらず
病気を治すことができるのは信仰の力だけだと信じる両親は病院へ連れて行くことをせず、

見かねた叔母からがシェリフに通報、救急車が救出したものの
Karaさんは病院到着時には既に死んでいた。

Wisconsin州の法律では
祈りによって病気を治そうとする親がネグレクトに問われた場合には
その罪を免除する条項が盛り込まれており、
reckless endangerment(過失致傷罪?)に問われた夫妻は
憲法で保障された信仰の自由を侵害ものだと主張しているが、
Marathon郡周回裁判所の裁判官は
「憲法は信仰の自由は保障しても行動の自由まで保障していない。
 祈りで治そうとするネグレクトの免除も子どもの病状が命に関らない場合の話」として
母親の方には5月14日、父親の方には6月23日に出廷を命じた。

有罪となった場合には夫婦それぞれ25年以下の懲役の可能性。

米国では過去25年間に、
両親の宗教上の信条によって医療を受けられずに死んだ子どもが300人程度いる。

去年もOregon州で2組の夫婦が有罪となった。
一件は1歳3ヶ月の肺炎の娘。
もう一件は16歳の尿路感染の息子。

特に尿路感染は適切な治療さえ受けられれば死ななくても済む病気。

子どもの医療における親の宗教上の信条については
州によって法律の対応がまちまちであることから、
今回のNeuman夫妻に対する判決が重要な前例となると注目される。



Nerman夫妻の地元の人がインタビューに答えている言葉が衝撃的で、
「娘が病気だというのに病院へ連れて行かなかったのには賛成できないけど、
だからといって親が収監されなければならないのか疑問」と。

死ななくても済んだはずの子どもが1人死んでいるのに……?
親が子どものためを思ってやったことだから免責されるべきだとでも……?
じゃぁ、子どもは親の愛情のためなら死んでも仕方がないのか……?
それは、子どもをまるで親の所有物のように捉える感覚なのでは……?


こういうニュースを見るたびに、
Ashley事件で擁護派が強硬に言い張った「子どもの医療は親の決定権で」という説が
頭によみがえって考え込んでしまう。

“Ashley療法”論争の際にも、
多くの人が「親が愛情からやったことだから」と感動・賞賛・擁護したものだった。

Peter Singerは去年の認知障害カンファの講演でも
選別的中絶やAshleyケースを例に引いて
障害のある子どもについては全面的に親の決定権に任せるべきだと主張しているのだけれど、

親の愛情って、それほど信頼に足りるものなのかどうか……?

         ――――――――

反面、こういうことを考えるたびに、

重症重複障害のある娘をこの社会に託して死んでいけると言い切るには
まだまだ自信も確信も持てない自分自身の胸の内を覗き込んでしまうのも事実……。
2009.01.26 / Top↑
フォーマルな介護サービスで高齢者を虐待から守るための
セーフガードを検討中の英国で、

LondonとEssexで在宅で認知症患者を介護している家族介護者220人に
聞き取り調査を行ったところ、

52,3%が何がしかの虐待行為があると回答。
ひどい虐待があると回答したのは33,6%。。

最も多いのは言葉の上での虐待で、
時に身体的な虐待があると答えたのは1,4%のみだった。

家族介護者に虐待の実態を尋ねた調査は初めてで、
弱い立場にある成人を虐待から守るセーフガードについては
プロの介護者だけなく家族介護者への対応も考える必要があることが浮き彫りに。

また、高齢者への虐待は
「あるか、ないか」といったオール・オア・ナッシングではなく
スペクトラムとして虐待行為を捉える必要があることも。

Abuse of People With Dementia By Family Carers is Common
The Medical News Today, January 23, 2009

Dementia relatives ‘admit abuse’
The BBC, January 23, 2009
2009.01.24 / Top↑
国際ロータリーは長くポリオ撲滅に力を注いでいますが、
2013年までに撲滅すべく6億3000万ドルを見込んだ活動が計画されており、
そこにGates財団から2億5500万ドルが提供されるのだとか。

国際ロータリーは今後3年間に会員から1億ドルを集める予定であるほか、
英国から1億5000万ドル、ドイツから1億3000万ドルが提供される予定。

ポリオワクチンのおかげで1988年には新たにポリオにかかる人が35万人いたが
去年は2000人以下に。

現在ポリオが広がっているのはナイジェリア、インド、パキスタン、アフガニスタン。


Seattle Global Health News – PATH, Gates and IDRI
Gates gives $255 million to $630 million polio eradication push
Seattle/LocalHealthGuide, January


Gates財団の財力って、底なしって感じがする……。
2009.01.24 / Top↑
記事はObama大統領の就任とは無関係だと書いているけれど、んなわきゃぁ、ない。

あ~、やっぱり堰は切れたよ……。
後は一気に洪水なのかなぁ……。


米国連邦政府は先週、バイオテクノロジー企業 Geronに
ヒト胚性幹細胞を使った脊髄損傷治療の臨床実験の許可を与えた、と。

実験の目的は治療の安全性を確かめること。

8人から10人の脊損の患者の損傷箇所に
胚の細胞から作った幹細胞を注射し、
拒絶反応を抑える薬を2ヶ月投与。
少なくとも1年間患者をフォローする、とのこと。

研究者は
“The one hope that everyone has is that nothing bad happens”
「みんなの共通の願いは何も悪いことが起こらないこと」

で、ついでにマヒした部分に感覚が戻るとか
PTで望める程度の機能の改善が見られないかな、と期待も。

Geron社は
ヒト胚性幹細胞を世界で初めて取り出したWisconsin大学の研究に資金提供し、
いくつかのタイプの胚性幹細胞に独占的な権利を有している会社。

92年の創設以来、これまでに胚性幹細胞研究に少なくとも1億ドルをつぎ込み、
未だに1つも治療を市場に売り出していないんだとか。

それで、どうやって経営がもっているのか……
こういう業界のことはチンプンカンプンだ……。

US approves 1st stem cell study for spinal injury
the Washington Post (AP), January 23, 2009

なんにせよ、堰は切れましたね。

もう歯止めなんて、かからないんでしょう。

英国の研究者が胎児の利用でそんなことを言っていたけど、
治療のメリットが大きければヒト胚利用の倫理問題なんて論外に押しのけられて
あとは国際競争が一気に激化、
既成事実が急速に積み重ねられていくばかり……。

あ~あ。
2009.01.24 / Top↑
ホワイトハウスからObama政権の障害者施策方針が発表されました。
原文はこちら

冒頭で国連の障害者人権条約への署名・批准が謳われています。

またメディケイドによる給付を施設入所に限らず、
地域生活の支援サービスでも利用可能とするCommunity Choice Actを成立させるとも。

さらに自閉症に関しては別立てで施策方針を述べる力の入れようですが
4点上げられている方針の最後として
すべての子どもを対象に乳児期と2歳段階でのスクリーニング。

就任演説での「テクノロジーによって医療の質を上げコストを下げる」
こういうことがどのように繋がっていくのか、ちょっと気にならないでもありません。


【Community Choice Act 関連エントリー】

2009.01.23 / Top↑
英国医療改革のポピュリズムのエントリーで書いたように
英国では去年、NHSが創設から60周年になるのを機に
High Quality Care for All: NHS Next Stage Review final reportによって
今後10年間の医療改革の方向性が示されました。

その際、同時に提示されたのが英国初の「NHS憲章」の草案。

NHSサービスを巡り、
患者と医療従事者双方の権利と責任、
それに対してNHSが約束する内容を明確にしようとするもの。

NHSのWebサイトに公開されて、
コンサルテーション(国民からの意見募集)が行われていましたが
1月21日、いよいよ法的拘束力を持つ「NHS憲章」が公式に発表されたとのこと。
今後は10年ごとに見なおされるとのこと。

去年の草案段階では
患者にはNHSで受けられる治療を選択する権利があると謳われていましたが、
コンサルテーションで「情報提供が保障されていなければ選択しようがない」との声がでたため、
NHSで無料で受けることのできる治療の選択肢は全て説明してもらう権利が
患者には保障される、と一歩踏み込んだ内容に。

この点についてGuardianは
NHS憲章で「医師が一番わかっている」というパターナリズムの時代が終わる、と。

明記されているのは25の患者の権利で、例えば
・GPを選ぶ権利、特定の医師にかかる権利
・NICE推奨の医薬品と治療へのアクセス権
・The Joint Committee on Vaccination and Immunisation 推奨のワクチンへのアクセス権
(が、親に子どもへのワクチン接種が義務付けらるわけではありません)
・プライバシー、守秘、NHSが個人情報を外部に漏らさないよう求める権利

一方、患者の責任とされているものとしては、例えば
・GPに登録すること
・NHSのスタッフや他の患者に敬意を持って接すること
・自分が同意した治療を続けること。それが困難な時は医師に話すこと。
・医師に正しい情報を提供すること。
・無茶苦茶な予約の取り方やキャンセルをしないこと。
・予約をきちんと守ること。

患者が責任を果たさないことによって罰せられることはありません。
また、喫煙、飲酒、肥満を理由に治療が差し控えられることはないとも明記されました。

(NHSのサイトを覗いてみましたが、
今の段階ではまだ去年6月の草案しか見つかりませんでした。)

NHS constitution ends era of ‘doctor knows best’
The Guardian, January 21, 2009/01/22

Rights and responsibilities under the NHS constitution
The Guardian, January 21, 2009/01/22


喫煙、飲酒、肥満については
医療資源の無駄遣いだとする自己責任論があちこちで聞かれるようになっていたので
治療が保障されたことは喜ばしい材料かも。

しかし、それなら重症障害によって治療が差し控えられるのは
それ以上に不当な患者の権利の侵害のようにも思われますが、その点、どう整合されるのかなぁ……。

また、
研究者らにNHS患者の情報へのフリーアクセスを認めようという話が出ていることを考えると、
守秘義務の扱いも科学研究の国際競争での政府の野心次第かもしれないし、

つい先日こちらのエントリーで書いたばかりなのですが、
英国のNICEがコスト効率で医薬品や治療を制約しているという前提があるのだから
その中で患者が自由に選ぶ権利と言われても……。

昔、友人が言っていたことを思い出してしまった。

「ウチではね。大事なことはみんなお父さんが決めることになっているの。
でね、何が大事なことかはお母さん(つまり友人)が決めるの」
2009.01.23 / Top↑
Texas州は
患者にとって無益と判断した治療を拒否する権利を病院に認める「無益な治療」法がある
米国のいくつかの州のひとつ。

そのTexas州 Dallas で
両親から凄まじい虐待を受け続けた結果
重症の脳損傷、数十箇所の骨折、無数の傷を負った
生後6ヶ月のDavid Coronado Jr.君。

(指には人が噛み付いた歯型がつき、その傷が骨まで達していたり、
爪がはがされていたなど、残虐極まりない虐待です)

両親は去年12月に逮捕されましたが
医師によるとDavid君は「わずかな身動きはあるが神経的なもの。
神経がズタズタに損傷され、命が助かったとしても重症で永続的な障害を負うだろう」

12日にDavidの法定後見人が
Dallasの青少年裁判所にDavidの生命維持装置の取り外しを申請。

両親は取り外しに同意していないが
取り外しが「本人の最善の利益」というのが申請の理由。

結果は来週とのこと。



どういうリーズニングで「本人の最善の利益」とされているのか
それが気になる。


           ―――――――

……と書いたところで、既に続報が出ていることに気がついた。


こちらの続報記事によると、
法定後見人は翌日火曜日に申請を取り下げた、とのこと。

理由はDavidの容態に変化が見られたため。

具体的にどのような変化なのかは不明。
また病院側のこの問題への姿勢についても不明。

こちらの記事によると、
2004年に類似の事件があったようですが、
Amber Rose Pachecoちゃんが両親に虐待されて
脳の活動がまったく見られないほどの状態に陥った事件では
生命維持装置が取り外された後に両親が殺人罪で起訴されたとのこと。

いくらなんでも、まさか、この事件でも
生命維持装置を外すことによって子どもを死なせ、
それによって親を殺人容疑で起訴したい……というのが
実は「子どもの最善の利益」のリーズニングだった……なんてことが……?

それにしても、

急増・過激化する親による児童虐待──。
小児科医療における親の決定権──。
「無益な治療」論の台頭──。
医療に急速に広がる「コスト効率」という評価基準──。
定義が不明確なまま便利なアリバイとして使われる「最善の利益」論──。
尊厳死議論における「助かってもどうせ重症障害」=「終末期」との捉え方の広がり──。

現在の医療倫理・生命倫理の問題に関っているあれやこれやが
複雑に絡み合っていると見えるこの事件。

今後が気になります。
2009.01.22 / Top↑
なんで、こんな恥知らずなことができるんだろう……。

シアトル子ども病院Treuman Katz Center for Pediatric Bioethics のサイトで
職員の講演をまとめたページを眺めてみると、

Diekema医師は2007、2008の2年間に30回の講演を行っています。
そのうち、タイトルからAshleyケースについての講演であることが明らかなのは

2007年に4回。
2008年に7回。

去年1年間だけで、なんと7回です。

しかも、他の講演においてもタイトルに謳っていないだけで
例えば「小児科医療に関する親の意思決定」といったタイトルでも
内容では触れている可能性もあります。

良心のカケラもないのか──。

それとも良心が痛むから、
しゃべって正当化し続けていなければ不安なのか──。

しかし、自分たちの良心だか名誉だかを救うためにアンタらは、
こんなデマゴーグで世の中をたぶらかしていれば気が済むかもしれないけれど、

それによって、なんで世の中の重症児たちが
侵襲度の高い医療処置のリスクに晒されなければならないのだ──?
2009.01.22 / Top↑
Obama大統領が就任演説の中で
現在の米国が直面している多くの問題をあげつらっていった箇所に、
「医療が高すぎる」というのがありました。

そして、ずっと後の方で
「テクノロジーによって医療の質を引き上げ、コストを下げる」という発言も。

高すぎる医療をテクノロジーで改革って、実際にはどういうことよ……と、
その部分におおいに引っ掛かりを覚えていたのですが、

昨日20日、Wesley Smithがブログで
Obama政権はすでに功利主義の医療毒を推し進めている」というエントリーを書いていました。

その中で紹介しているのが、こちらのWall Street Journal の記事。



Obama新大統領と下院民主党プランが狙っている医療改革案の1つは
英国のNICE(The National Institute for Health and Clinical Excellence)をモデルにして
病気の治療法や医薬品をコスト効率で比較検討し、
より安価で効果的な医療のガイドラインを作ろうというものだ、と。

英国のNICEは
新しい治療方法や医薬品が出てきた時に
他の治療方法や医薬品とそのコスト効率を比較検討する。
患者のアクセスはその後でなければ許されない。
しかも、この記事によると1人の患者を1年間延命するのに使う金額は
最大45000ドルまでとNICEでは決めているとのこと。
(健康に過ごす1年と癌と闘病しつつの1年とでは
その1年の質は前者の方が高いとして換算される、とも)

こういう考え方を米国でも導入しようというわけです。
それに対して指摘されている問題点として、

・比較研究そのものに巨額の資金が必要となる、
 安く上げようとすれば信憑性の薄い研究結果でメディケアが制限されかねない。
・本来なら民間企業や医学研究部門で行われるべきところだが、
 製薬会社からの影響を排除し透明性を維持するのは難しい。
・治療が限定されると患者や病気の個別性が無視されることになる。
・英国で特にがん患者を中心に高価な医薬品を使えない不満が大きな問題となっており、
 同じ問題が発生するおそれがある。

      ―――――――――

もともと英国のNHSは一応受診時無料が原則の国民皆保険制度であって、
米国のように非常に限られた公的医療保険しかない国とは土台が全く違うのだから、
コスト効率によって使える治療方法と医薬品を制限する制度だけを
英国から取ってきても……とは思うものの、

治療方法や医薬品をコストパフォーマンスで評価して……云々って、
例のゲイツ財団の研究機関であり世界の保健医療の警察官IHME
世界の保健医療に導入しようとしている評価基準そのもの――。

結局はこういう方向に向かうしかないのでしょうか。


それにしても、Obama演説にあった
「テクノロジーで医療のコストを削減する」の部分は気になります。

Bush 政権の中絶に関する姿勢を Obama大統領は転換する……という側近からの情報も
昨日のCNNでは流れていました。

選別的中絶や着床前遺伝子診断というテクノロジーで障害のある子どもが生まれないようにすることも、
「テクノロジーで医療費を削減」の範疇かも……?


【1月22日追記】

上記のブログと記事をLifeNews.comが取り上げて、
「Obama政権は英国型の尊厳死肯定医療を検討中」と懸念しています。



昨日、上の記事を読んだ時に私も同じことが頭によぎりました。

しかし、なにも「英国型」などと言わずとも、
既に米国でも自殺幇助を合法化したOregon州のメディケイドでは
高額ながん治療は認められないが自殺幇助なら支給しますよ」という話が出てきているし
Washington州でも事務的に自殺幇助を受け付ける準備が進められているし。


これらはいずれも、公的医療保険制度がほとんどない国で
無保険になったために、ごく基本的な医療すら受けられない国民が
山ほどいる状態が放置された一方で起こりつつあること。

それを都合よく忘れて「英国型の安楽死肯定医療」などと決め付けるのは
ここ数年は予算も投入してNHS改革に取り組んできた英国に対して失礼かもしれない。

確かに英国が急速に全体主義的、功利主義的になりつつあることには
別途、大きな懸念は感じるとしても。
2009.01.21 / Top↑
ウルフ・ブリッツァといえば
去年の大統領選挙の特番シリーズも指揮していたCNNの超大物アンカーで、

だからキャスター総動員の就任式当日の長時間生放送で、
いよいよ就任式が近づいてきた時に
中心になってしゃべっていたのも彼だったのだけれど、

そのブリッツァがちょっとした失言をした。

オバマ大統領の就任にはまったく関係ないものの、
私にはとても印象的な失言だった。

歴代大統領が登場に備えて待機場所まで廊下を歩いてくる姿を
屋内のカメラが追っていた場面――。

父親の方のW・H・ブッシュ元大統領が妻のバーバラさんと姿を見せた。
元大統領は杖を突き、ちょっと難しそうに歩いていた。

(バーバラさんが、そんな夫のことなどちっともお構いなしで
自分だけ先にさっさと歩いていったのも印象的だったけど)

それを見たブリッツァ氏、
「ブッシュ元大統領は杖を突いて歩きにくそうですね。ちょっと痛そうです」とコメント。

しかし、その後、放送席に正しい情報が届けられたようで、
いよいよブッシュ元大統領がアナウンスとともに登場する数分前になって、
「腰の手術をして後、杖は使っているが、痛みは全然ないのだそうです」と訂正。

情報の正しさには神経を使うはずのベテラン・キャスターでも、
こういう間違いというか、思い込みをするんだなぁ……と強烈に印象に残って、
その後のセレモニーの間ずっと考え続けてしまった。

「体が不自由」という図は、ただそれだけで、
なんと、たやすく「苦痛」を連想させてしまうことか……。

人は誰かの体が自由にならない場面を見ると、
こんなにも無邪気に、なんの疑いもなく、
その人が苦痛を感じているはずだと自動的に思い込んでしまう。

それならば、
「こんなに重い障害を負ったまま生きるなんて本人にとって苦痛なのだから、
死なせてあげるのが本人の利益」だというのも
それと同じことではないという保証もないのでは?

ただ、そういう人の場合には元大統領とは違って、
アナウンス席まで「この人は痛みなどまったく感じていない」と
正しい情報を届けてくれる人がいないだけで。
2009.01.21 / Top↑
Wesley SmithのブログSecondhand Smokeに
去年11月に住民投票で自殺幇助を合法化することが決まったWashington州での
合法化に向けた法的整備の準備について書かれており、
(実際の法整備検討書類へのリンクもあります)

自殺幇助を希望する患者から州の保健局への提出が求められることになる
申請書の案が掲載されています。

自己責任を非常に明確にしたものです。
(……というよりも、自己責任が形式さえ整えばいいといわんばかり?)

それぞれの文言が適切かどうかは、あまり吟味していませんが、
ざっと訳してみたものを以下に。

人道的で尊厳のある方法で私の命を終わらせるための投薬要望書

私(ここにサイン)は精神の健全な成人です。

私は(ここに病名を記入)を患っており、主治医はこの病気が不治で不可逆的な終末期であると診断しています。このことは、コンサルタントの医師によっても医学的に確認されています。

私は自分の診断、予後、この申請によって処方される薬の性格とその薬に伴うリスク、期待される結果についても、また緩和ケア、ホスピスケア、傷みのコントロールも含め実現可能な選択肢についても十分な説明を受けました。

私は主治医が薬を処方し直接出してくれるか、処方したうえで出してくれるよう薬局に電話をかけてくれることを求めます。その薬は私が自分で飲み、人道的で尊厳のある方法で私の命を終わらせます。

(次の中から1つを選ぶ)
私は私の決断を家族に知らせ、家族の意見を考慮しました。
私は私の決断を家族には知らせないことに決めました。
私には私の決断を知らせるべき家族はありません。

この要望はいつでも取り下げることができることを私は理解しています。私はこの要望の意味するところを十分に理解しており、処方される薬を飲めば死ぬことも分かっています。たいていの場合、死は3時間以内に起こるものの、私の場合にはそれ以上にかかる可能性があることを理解しています。その可能性については主治医からカウンセリングを受けました。

私は自分の意思によってこの要望を行うものであり、ためらいはありません。また私の行いの道徳的責任は全面的に私にあります。

署名、住居している郡、日付


The Death Bureaucracy Begins in Washington State
Secondhand Smoke: Your 24/7 Seminar on Bioethics and the Importance of Being Human
January 16, 2009/01/20


標題の「死の事務手続き」とは
Smith氏のブログエントリーのタイトルをそのままもらったものですが
原語のbureaucracyには「官僚主義的な」というニュアンスがあります。

この申請書を読むと、まさにぴったりの表現なので
つい、そのままパクらせてもらいました。

ごめんなさい、Smithさん。



その他、米国Oregon州や、
スイスのDignitasクリニックでの自殺幇助などに関するエントリーは
「尊厳死」の書庫に。
2009.01.21 / Top↑