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障害者自立支援法改正法案、委員会で可決。完全施行日が2012年4月になっているんだとか。共産党から「労働者派遣法改訂を強行するための環境づくりという国会対策の思惑」指摘。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2010-05-29/2010052902_02_1.html

モンタナ州の州議員、自殺ほう助を禁じる法案提出へ。
http://www.keci.com/Physician-assisted-suicide-ban-proposal/7357118

乳がん予防ワクチン、2年以内に治験開始予定。効果が認められれば、40歳半ばまでにGPで打てるようにする、と。:そうなると、やがて日本にも、また「女の子の命を守ろう」とやってくるのでしょうね。
http://www.guardian.co.uk/lifeandstyle/2010/may/30/breast-cancer-prevention-vaccine-trials

悪性メラノーマで命を落とす男性、この30年間で2倍に。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/10172892.stm

米国精神医学会は、今年は製薬会社の企画がなくなって、豪華お土産もなく、突然ショボくなったそうな。「ビッグ・ファーマが盛大に飲み食いさせてくれてたのに」「SSRIの会社がウチのグループ全員を飛行機でカリブ海へ連れてってくれたこともあったのに」と会場で拾われた医師のぼやき。でも、去年から議会の調査対象となったBiederman、Nemeroff、Shatzberg(なんと7社の顧問で、株や特許まで)、 Shultzなど大物医師たちは、今なお学会で影響力を保ちブイブイいわしているのがありありだし、多剤投与の慣行が変る気配がないことに、あるパネルのスピーカーは製薬会社を「マーケティング組織だ」と非難。:日本のある総合病院でも、精神科病棟の職員全員をいくつかのグループに分けて、製薬会社がグアムに連れて行ったという話を聞いたことがある。そういう非常識が非常識と感じられなくなっているマヒ状態が信じられない。それは自浄作用がとっくに失われているということではないのか。
http://www.foodconsumer.org/newsite/Non-food/Miscellaneous/pharma_influence_at_psychiatric_association_meeting_3005100231.html

インドで史上最高気温48.5度を記録。死者100人に達する見込み。
http://www.guardian.co.uk/world/2010/may/30/india-heatwave-deaths

懲役14年の判決を受けたMalawiのゲイの夫婦が釈放された。国連事務総長が大統領に会って説得。大統領による恩赦扱いで。
http://www.guardian.co.uk/world/2010/may/29/malawi-frees-jailed-gay-couple

(日本語情報)ヨーロッパで多様性と民主主義への嫌悪、排外主義の広がり。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20100527-00000303-newsweek-int

24日にIHMEから出た世界180数カ国の母子死亡数に関する調査報告の内容が、UNICEFやWHOの数値と大きくずれていることについて、各国の自己申告をまとめただけだから後者の方に問題がある、多く見積もっていたんじゃないか、とする声と、IHMEの調査方法 Gaussian process regression (GPR)に問題があると指摘する声と。
http://www.economist.com/science-technology/displaystory.cfm?story_id=16214104
http://www.npr.org/blogs/health/2010/05/24/127088446/unicef-childhood-deaths-in-developing-world-overstated?ft=1&f=1004
2010.05.31 / Top↑
世界の障害学のメッカ、英国のリーズにおいて、
7月8日(金)から11日(日)、第5回国際介護者会議が開催されるとのこと。

タイトルは
New Frontiers in Caring: 2010 and Beyond


How we manage care and caring in a changing and ageing world is one of the world's greatest challenges, touching everyone's lives.

This is a global issue, and it calls for a big debate and big solutions. Are we having that big debate at national, European and international level? Are we looking at whole systems reform and 21st century solutions? How do we meet the needs of modern societies and modern economies?

This conference will again bring together the international community of researchers, practitioners and those with an interest in caring to debate these critical issues and exchange expertise and experience. Mapping the policy framework from around the world, the conference will explore innovation and seek real solutions to the care crunch.

The conference will focus on four key themes, identified through latest international debate:

• Health, Social Care and Well-being Services
• Caring and Employment
• Funding and Financial and Legal Support
• Technology, Design and the Built Environment




詳細は、こちらのカンファ公式サイトに。

ほぉぉ……インテルが共催なんだぁ……。


         ―――――――

ちなみに6月は毎年英国の介護者週間。
今年で、もう10回目になるそうだ。

今年は6月14日から20日に開催され、
今年のテーマは A life of my own. 

介護者である私自身の命(健康)――。
介護者である私自身の生活――。
介護者である私自身の人生――。


介護者が集まって交流できる場や相談窓口を作るあたりで
お茶を濁している日本の介護者支援と違って、

英語圏の介護者支援の理念にくっきりと立っている「介護者自身の権利」という概念を
これまであれこれ覗いてきた内容から私自身の言葉で表現してみると、

障害や病気のある人に、
その人のニーズに応じた支援を受けて
その人らしい生活と人生を送る権利があるように、

彼らを介護する介護者にも、
自分の健康・生活・人生を犠牲にすることなく介護の役割を担い続けることができるように
介護される人のニーズではなく、介護者自身のニーズに応じて
介護者自身が直接、支援の対象となり、サービスを受ける権利がある。


Cares Week 2010 の公式サイトは、こちら


【英国の介護者支援について書いたエントリー】
フレックス勤務を求める権利という子育て支援(2008/6/12)
英国の介護者週間から介護についてあれこれ(2008/6/12)
英国の新しい介護者戦略(2008/6/12)
「介護者としての私を支えて」キャンペーン(2008/7/4)
英国の介護者支援について思うこと(2008/7/4)
英国の介護者支援について(2009/3/10)

【その他の国の介護者支援について】
「介護者の権利章典」訳を改定しました(2008/12/12/)
今日から豪介護者週間……because I care(2008/10/19)
You are only human: 介護者だって生身の人間なのだから(2008/10/30)
介護者も自分を大切にしましょう(2008/10/31)
自分の気持ちを理解して受け入れる(介護者のために)(2008/10/31)
自己主張をしましょう(介護者のために)(2008/11/1)
2010.05.31 / Top↑
英国のPSさん(55歳)には「重症の知的機能の損傷」がある。
去年、子宮がんだと診断された。

しかし針(先端?)恐怖と病院恐怖があるため、
治療を受けに病院へ行こうとしない。

がんの進行はゆっくりではあるものの、
子宮と卵管を摘出しなければ、いずれは死に繋がってしまう、
しかし本人には自己決定の能力がない、として、医師らが
強制的に手術する許可を保護裁判所に求めた。

(記事には言及ありませんが、MCAに沿ったものと思われます。)

PSさんが医師の説得に応じない場合は、
医師は強制的に鎮静剤で眠らせて病院に連れて行き手術を強行してもよい、
術後、回復するまで病院に留め置いて(detain)よい、と
このたび保護裁判所が許可。

通常、保護裁判所の決定は非公開だが、
「同様のジレンマ」に直面している人は他にもいることを考え、
敢えて判断を公開した、と裁判官。

Hospital phobia woman ordered to have surgery
BBC, May 7, 2010


うぅ・・・・・・。難しい。

私自身は、この判断をどう受け止めるのか、
頭の中に、あまりにも多くの問いが渦巻いて、
今の段階では定まらない。とりあえず保留にして考えてみたい。

頭の中にぐるぐる渦巻いている問いとは、例えば、以下のような事々。


・ この人の先端恐怖とか病院恐怖は通常の恐怖の範囲なのか。それとも病気なのか。
 その専門的なアセスメントはされたのか?

・ 騙し打ちに遭い、死ぬほどイヤな手術を受けさせられるPSさんの精神的なダメージは、
 「利益とリスク」検討や「本人利益」の判断において、どのように考慮・検討されたのか? 

・ 医師も裁判所も、「手術」のところまでしか見ていないような気がするのだけど、
 PSさんが退院後に術後のセルフケアについては、どこまで検討されたのか。
 そのあたりの支援は用意されているのか。

・ もしも術後PSさんが、病院でのケアを拒んだり暴れたりした場合に、
 一定期間、病院スタッフの便宜のために(もちろん安全性や「本人利益」が言われて)沈静されてしまう、
 または身体拘束を受けるという可能性はないのか。detainとは、そこまで含むのか。

・ その場合には、
 高齢者が入院したら、とたんにボケたり身体機能が低下して、 寝たきりになって帰ってきた、といった、
 よくある現象に繋がる恐れは? そういうことはリスクとして検討されたのか。

・ PSさんと同じ条件で、たまたま医師が「どうせ障害者」という感覚の持ち主だったら? 

・ 障害のない患者では、病院嫌いだし進行がゆっくりなのだったら手術はいやだという
 選択もアリなのだとしたら (55歳ではありにくいかもしれないけど)?

・ では、この人が55歳でなくて、70歳とか80歳だったら?

・ MCAは愚行権を認めているのだけど、そこは医療では?
  
・ 英国では去年、26歳のうつ病患者の女性の、
 リビング・ウィルを逆手に取った治療拒否で安楽ケアを受けて自殺したいとの本人意思が、
 その場にいた医師らによって尊重されたケースがある。整合性は?

・ 例えば、こういうケースで医師がたまたま「どうせ障害者」という意識の持ち主だった場合には
 裁判所にまで行かないケースもあるのでは? 結局は担当医個人の考え方次第……というところは?



当ブログの MCA 関連エントリーは以下。

英医師会の後見法ガイダンス
英国 重症障害新生児を巡る気になる動き

つい最近の補遺で拾ったニュースでは、なんとなくだけど、
保護裁判所が本人よりも家族寄りになっているのでは……と思わせるような匂いも。


なお、英国では医療現場における知的障害者への偏見について
去年、以下のような報告が出ています。

「医療の無関心が助かる知的障害者を死なせている」報告受け調査へ(2009/1/27)
「医療における障害への偏見が死に繋がった」オンブズマンが改善を勧告(英)(2009/3/31)
オンブズマン報告書を読んでみた:知的障害者に対する医療ネグレクト
Martinのケース:知的障害者への偏見による医療過失
Markのケース:知的障害者への偏見により医療過失


カナダと米国の関連エントリーは以下。

医療職の無知が患者を殺す
なぜ知的障害者は小児科医にかかり続けなければならないのか
2010.05.31 / Top↑
J&J社の子ども用鎮痛剤のリコール問題で、悪質なリコール隠しが判明。J&J社の子会社が契約社員を全米の薬局に走らせ、リコールだとは一切言わずに買占めさせたんだとか。バレたのは、それを指示した文書を一人が薬局でうっかり落としてしまったことから。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/05/27/AR2010052705484.html?wpisrc=nl_cuzhead

G8と途上国の母子保健。基本的な医療ケアが無料で受けられるように、そして「全員が」ワクチンを無料で受けられるように。:「家族計画」が常に言及されているのが気になっている。たぶん、いずれそういう声が出てくるとは思っていたけど、やっぱり「途上国だけでなく、その他の国でも必要な人はいる」という話も。そちらでも「家族計画」はくっついてくるのか。
http://www.thestar.com/news/canada/article/814373--academics-urge-g8-to-fund-measures-to-reduce-unsafe-abortion

ハイチの地震の際に親とはぐれて人身売買組織に連れ出された可能性のある子どもたちのうち、DNA検査で13人が親元に無事に帰った。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/190144.php

香港のFoxconn工場で自殺が続いた圏の続報。屋上に自殺防止ネットを張ったとか。:そういう問題じゃないと思う。
http://www.guardian.co.uk/world/2010/may/28/foxconn-plant-china-deaths-suicides

13歳の時にカトリックの神父にレイプされた女性の手記。母親は知っていたけど、娘のせいだと神父をかばって事実を隠した。
http://www.guardian.co.uk/lifeandstyle/2010/may/29/raped-by-catholic-priest

DBSがパーキンソン病以外にもいろいろ有効だと、アルツハイマー病研究フォーラムからの情報。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/190163.php

ADHDの男の子の母親によるサバイバル・ガイド。
http://www.guardian.co.uk/lifeandstyle/2010/may/29/adhd-aspergers-children-advice

「アーノルド坊や」、42歳で死去。脳出血:懐かしい。アーノルドがこづかい値上げをねだる時の“Please”を、授業でみんなで全身で、真似てみたことがあった。そういえば、白人の大金持ち家庭に養子に来る前の兄弟の生い立ちとか、事情とか、記憶にない……。
http://www.guardian.co.uk/world/2010/may/28/gary-coleman-dies-child-star
2010.05.29 / Top↑
次世代ワクチン・カンファについて
前回のエントリーを書きながら、つらつら考えてみたこと。

私は経済のことも医療のことも、なにも知らない素人だけど、
最近なんとなく想像してしまうのは、

よく言われる「世界の産業構造が変わった」というのは
昔は「生活に必要なモノを作って売って自分も買って」で
お金が回って、めでたく経済が成り立っていたんだけれども、
いろいろと世の中が進んで効率化されて便利になるにつれて
生活に必要なモノはもう簡単に充足されてしまって、
それだけでは経済がスムーズに回転するほどカネが回らなくなってしまったんだな、と、

そこで前と同じようにカネを回して経済の仕組みを維持するためには、
必要がないところに必要を生み出す以外になく、
いろんな新しい欲望と必要とを次々に創出すべく、
それに向かって情報や人の心を操作することが、すなわちマーケティング……
……というショーバイの時代になってきたのだな、と。

しかも、そういう変化と並行して、
モノはできたり動いたりしなくても、カネの方が動くだけで
「生活に必要なモノを作って売って買ってカネが回っていた時代」が石器時代に見えるほどの、
ものすごい規模と速度でカネが生まれる妙な仕組みが出来上がってしまって、
そっちの速度の方がペースメーカーになってしまった?

で、そのペースメーカーは、
実体経済には到底追いついていけないような過酷なペースを刻んで暴走していて、

そのために、
必要のないところに必要と欲望をつくりだしていく操作も
目が回るほどの急ピッチで繰り出し続けなければならないし、

速度だけじゃなく、そこに注ぎ込まれるカネの額だって
「生活に必要なモノを作って売って」るところのマーケティング費用が砂粒に見えるほどで。

いくら、ないところに必要を生みだすショーバイでも、「作る」と「売る」がある限りは
どうしたって実体経済なのだから、その2つは切り捨てられないのだけれど、

必要をつくり出すプロセスの方に多大なエネルギー消費と緊張を強いられている人たちにとって
いつのまにか、その、プロセスに過ぎない部分の方が経済活動の本体であるかのように
感じられるようになってしまっている……なんてことはないのかな。

だから、「作る」のところの奴隷労働で人が死ぬことにも「売る」のところで人が死ぬことにも、
立ち止まって、その意味を考える感覚すらマヒしてしまう……みたいな?

(マヒしていなくても、そうでなければグローバリゼーションに生き残れないから、かもしれないけど)


もちろん、ワクチン業界だけのことを言っているわけではありませんが、

ただ、こういう大きな絵の中に、あの「次世代ワクチン・カンファ」を置いてみると、
あそこにあるのは、そういう、いかに”必要”を作りだし、
いかに、その”必要”を売り込んでいくかというプロセスへの興味ばかりで、

この人たちの売りモノは、商品である実物の個々のワクチンというよりも、
「ワクチンで無数の病気を際限なく安全に予防・治療していくことが可能だ」という、
実は誰も確かめたことのない幻想なのでは……と考えてしまった。

そこに必要があるから、ある病気のワクチンを開発する……という時代はもう終わって、
開発されることから、必要が生じてくる……という時代、
開発の過程から「できる! 治る!」と声高に先走り情報が流され、
まだないものに対する欲望と必要が創り出され、
価値の拡大が図られる時代になってしまったのだとしたら、

たしかに、病気は無数にあるのだから、
作り出せる潜在的な”必要”も無数にある。

だから、個々のワクチンではなく、ワクチンというものの存在と、それを巡る幻想には、
無限にマーケットを拡大していくポテンシャルがある。

ショーバイだけで考えれば。

でも、
携帯電話にそれほど沢山の機能を必要とする人は実はいなくて、
今の機能だって使いこなせないような人が多いのに、
次々に新しい次世代型が開発されることによって
そこに新たな必要が作られていくショーバイの戦略と、

次世代ワクチンが、新たな必要を生むべく次々に開発されていく戦略とが
同じような語り口で語られてしまうのだとしたら、それは、やっぱりおかしくはないだろうか。

一昨年、去年と米国のビッグ・ファーマのスキャンダルを暴くのに尽力したGrassley上院議員が
Biedermanスキャンダルのあまりにえげつなさに怒って放った一言を思い出した。

スニーカーを売るのとは違うんだぞ。


【関連エントリー】
事業仕分の科学研究予算問題から考えること(2010/12/12)
2010.05.29 / Top↑
10月20日から22日、ウィーンで
「次世代ワクチン・カンファレンス」が開催される。

主催は Jacob Fleming という経営コンサル(? たぶん)。

GSK, Merck, Sanofi-Pasteur, Novartis, Pfizer, Abbottなど
ビッグ・ファーマの幹部たちが登壇し、

世界不況で落ち込む生命科学領域の中において一人急成長で気を吐き、
2009年には260億ドルもの収益を上げたばかりか
まだまだ儲かる見込みのワクチン業界として、

新しいワクチンを売り出して行く際の諸問題いかにクリアするか?
治験の成績を挙げて認可をゲットするためにベストな取り組みは?
ワクチンの製造、発送、配送の最先端トレンドは?
一連の関係者に、また集団接種に、いかにカネを注ぎこんでいくか?

……などなどが話し合われる。

これまでの市場は子ども中心できたけど、今後のワクチン業界の成長は
大人向けワクチン、治療ワクチン、インフルエンザワクチンといった
新製品の開発へとシフトしていくと思われ、

そのためには
価値を生み出すことに繋がる一連の関係者をいかに効果的に動かし、
有望なワクチン候補をいかに遅滞なく予算の範囲で市場に売り出していくか
いかに医薬品開発や製造を受託する機関や戦略的な関連機関と相談しつつ
商機を逃さずものにしていくかが問われるのである。

World’s Vaccine Leaders Will Meet At Next Generation Vaccines Conference
MNT, May 26, 2010


「価値を生み出すことに繋がる一連の関係者」というのを
「ヴァリュー・チェーン」と呼ぶんだとか。

商品の価値が生まれていくプロセスには多くの人や機関が関わっている。
その一連の流れのところにいて、判断したり、影響力を持っていたりする人たちのこと。

この場合だと、ワクチンが利益を生んでいくプロセスに関係する人たちなわけで、

世界中の研究者、各国の中央政府と地方自治体の保健行政の関係者、
WHOとかユニセフとか世界銀行とか、もちろん医療関係の各種団体とか
あと、マスコミとか、評論家とか、たぶん、
私などには想像もつかないところにも、その他、いろいろ。

そういう人たちに、いかに finance ゼニを注いで、
そういう人たちを、いかに manage 使いまわすか……だと。


このカンファで、ワクチンの安全性なんて、そもそも話題になるんだろうか……。



【関連エントリー】
リスクの“リ”の字もなく“黄金時代”に沸くワクチン開発記事(2009/11/19)
「これからはワクチンが儲かりまっせぇ」の陰には、やっぱりゲイツ財団が……(2009/11/20)
CDCの前ディレクターはHPV売ってるMerck社のワクチン部門トップに天下り(2010/3/9)

【日本についての関連エントリー】
「HPVワクチン」検索結果の怪(2008/9/2)
朝日のワクチン記事にも「米国では」の印籠(2009/8/8)
「健康ギャップ」なくても「ワクチン・ギャップ」埋めないと「世界に恥じる」……と説くワクチン論文(2010/3/5)
2010.05.29 / Top↑
米国でまた子ども向けの薬を巡って新たな製薬会社関連スキャンダル。前のニュースはタイトルを見た程度なのだけど、J&J社製の薬局販売の子ども向けの液体鎮痛剤に金属分子が混入していることが判明して、40種類以上の商品がリコールされた。これが、まず、既に報じられている事件。今度は、Perrigoという製薬会社のやはり薬局販売の子ども向けの薬に金属片が混入しているとして、FDAから警告を受けた。今日、下院ではJ&J社のヒアリング。
http://www.nytimes.com/2010/05/27/business/27tylenol.html?th&emc=th

夕方のニュースで見た件。香港のIT関連工場で、従業員の若者の自殺が相次いでいる問題で、アップル、HP、デルの3社が労働環境の調査に乗り出す、と。:グローバリゼーションとネオリベで奴隷労働が広がっている。でも、夕方のニュースのコメンテーターは「中国では一人っ子政策で子どもの数が減って、若者がたくましさを欠いているんじゃないか」と、またまた自己責任におっかぶせるような、たわけたコメントを。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/05/26/AR2010052604793.html?wpisrc=nl_cuzhead

入院患者について、いわばケアマネ的に総合的なケアのコーディネートをする hospitalist という職種が米国の総合病院で普及しているらしい。:これ、日本でも検討してもらいたいなぁ。全体が見える人がいないのが問題。医療サイドから見て「全体」じゃなくて、患者から見ての「全体」が。日本の場合、地域の介護サービスのケアマネは定着していることだし。病院での退院支援でも、地域でも、もっとスムーズに医療と介護が重なれるんじゃないかなぁ……。
http://www.nytimes.com/2010/05/27/us/27hosp.html?th&emc=th

英国の連立政権、現行の社会保障制度は働くものをバカにしているとして、失業者に働くインセンティブが働くような思い切った改革を宣言。:働きたいのに働けないんじゃなくて、働けるのに働かないって。
http://www.guardian.co.uk/politics/2010/may/26/coalition-welfare-reforms-duncan-smith

米国では女性性器切除は違法であるにもかかわらず、国外からの移民は米国内の同国人コミュニティで性器切除へのプレッシャーを受ける。:そこで、小児科学会のDiekema医師率いる委員会が、ああいうことを言い出すわけか。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/189906.php

自閉症と精神遅滞に関係する遺伝子変異が新たに見つかったとか。ハイデルベルグ大学病院。当該遺伝子は SHANK2。神経細胞の連絡に関係している遺伝子なんだと。もちろん、それだけで発症するわけではなく、いくつかの変異があってトリッガーが起動する。:遺伝子だけではなく、他に様々な要因が関係しているとも思うんだけど。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/189945.php

詐欺罪で罪状を認めた後、脳の手術が失敗して人工呼吸器をつけて植物状態になっていると届けが出て、そのまま裁判の手続きが止まって、そのうち公式に死亡したことになったはずの男が、実は元気で悪事を働き続けていて、また逮捕されたので”生き返っている”ことがバレてしまったんだと。裁判に現れて、弁護士が「本人はそんな証明書を出した覚えはありません」。すると裁判官が「当たり前です。死んでたんだから」:愉快な裁判官。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/05/26/AR2010052605388.html?wpisrc=nl_cuzhead

CIAに、かつて、サダム・フセインが男の子とセックスしている偽ビデオを作って流して政権に打撃を与えようという計画があったと、かつてのエージェントがWP紙のブログで明かしているそうな。そちらの計画はボツになったけど、ビン・ラディンが焚火のそばで大酒食らって酔っ払い、何人の男とやったんだと吹いている偽ビデオは実際に作られたんだとか。もっとも表には出なかった。昔、爆発する葉巻によるカストロ暗殺計画があったのは有名な話なんだとか。:なんか、考えることの程度が低すぎます。
http://www.guardian.co.uk/world/2010/may/26/cia-saddam-hussein-gay-sex-smear-plot
2010.05.27 / Top↑
私自身は何もできなくて、みなさん、ごめんなさい。
明日、がんばってください。


緊 急 抗 議 声 明
(障害者自立支援法等の一部を改正する法律案関連)

 このたび、自民党・公明党提案にかかる障害者自立支援法の一部改訂案につき
政権与党が、ほぼ同内容の法案を厚生労働委員会委員長提案として、今国会に提
案することが確実視されていると報道されています。

 これまで、障害者団体は、障害者の声を反映させるよう求めてきましたが、こ
こにきて、障害者の声が聞かれることなく、障害者自立支援法等の一部を改正す
る法律案の提出が予定されていること自体、強く懸念を表します。

 政策プロセスにおいて障害者団体の声を無視した場合、障害者の権利に関する
条約第四条第三項に違反します。これでは、批准はありえません。

また、障害者自立支援法等の一部を改正する法律案には、障がい者制度改革推進
会議総合福祉法部会の意見書を待たずして国会に出されるものであり、民主党マ
ニフェストにある、障がい者制度改革推進法(案)や障害者自立支援法違憲訴訟
との基本合意文書にも背くものになります。

さらに、障害者団体からだされた意見の殆どが反映されておらず、「遅くとも平
成25年8月までに障害者自立支援法は廃止される」ことも「施行の終期が平成25
年8月までである時限立法である」ことも、一切明記されておりません。

1.精神科救急医療の整備(精神保健及び精神障害者福祉に関する法律の一部改
正)条項については、精神障害者団体とのヒアリングを重ねるべきところを、精
神障害者団体からの主張に基づかずに強行しようとするものです。我が国には、
強制入院及び社会的入院が深刻あり、安易に法制化することは絶対に避けなけれ
ばなりません。

この時期に、こうした法案が出されること自体、許されるものではありません。

よって、直ちに今国会における与党合意に基づく厚労委員会委員長提案を撤回
し、自・公提案の一部改訂案については、廃案とするよう強く求めるものです。

2010年5月27日
全国「精神病」者集団

2010.05.27 / Top↑
なんだ、この恥知らずの大ウソツキは――。

強い怒りと驚きを共有しつつ、
行けないので、せめて情報だけでも転載。

     ------ 


10.30 全国大フォーラム実行委員会

明日、国会前集会!

  1030実行委員会と勝利を目指す会で国会前集会を行いますので
5月28日(金)午前8:40に衆議院議面に集合して下さい!

障害者自立支援法「改正」案の廃案を求める緊急アピール

さよなら!障害者自立支援法 つくろう!私たちの新法を!
10.30全国大フォーラム実行委員会

障害者自立支援法の一部を「改正」した法案が、今国会に提出される動きがあることに私たちは強い怒りと驚きを禁じえない。私たちは障害当事者の声を聞くことなく作成された同法「改正」案の廃案を強く求める。

私たちは、障害者の地域生活を阻害する障害者自立支援法の廃止を求めて運動してきた。昨年9月に成立した新政権はその声を真摯に受け止め、障害者自立支援法の廃止を約束した。長妻昭厚生労働大臣は、昨年の就任時に「応益負担を基本とする障害者自立支援法を廃止し、任期中に制度の谷間をつくらない新しい法律を当事者の意見を十分に聞いてつくる」と明言し、さらに、昨年10月30日(金)、日比谷野外音楽堂で行われた10.30全国大フォーラムにおいて、参加者一万人の前で「一期4年の間に自立支援法を廃止し、みなさま(障害者)や家族、広く利用されるみなさまの意見に謙虚に耳を傾けながら、新しい制度をつくりたい」と述べた。そして、新政権の公約によって設置された「障がい者制度改革推進会議」のもとに「総合福祉部会」が作られ、現在、新法(障害者総合福祉法(仮称))制定までの「当面の課題」について議論の真っ最中という状況である。

また、障害者自立支援法違憲訴訟に関連して、「障害者自立支援法違憲訴訟原告団」は国の提案を受け入れ、基本合意を交わした。その中で、障害者制度全般の改革のため、障害者を中心とした推進本部で総合的福祉制度を策定し、障害者の参画の下に十分な議論を行う、とし、これらの実施状況を検証していくために、国・厚労省は「訴訟団」との定期協議を行うことを約束した。

このような経緯にも拘らず、今回、「改正」案が提出されようとしている。看過出来ないのは、まず、法案の作成から提出に至るまでの当事者参画などの手続きの問題である。これまで、この件に関して、与党と障害当事者や関係団体との話し合いが全く行われていない。5月12日に日本障害フォーラム(JDF)とのヒアリングの際にも与党からは全く示されず、5月21日の新聞報道等を通して、5月末の衆議院での採択の動きがあることを初めて知った次第である。

次に、内容の問題である。昨年3月、旧政権下で政府提案として提出した法案とほぼ同じ内容である。谷間の障害者の問題の解決が先送りされ、移動支援や手話通訳・コミュニケーション支援事業など、地域生活支援事業の市町村間格差問題は何も解決されていない。また、障害者の自己決定を尊重しないサービス利用計画拡大の問題や、自立支援医療の応益負担の廃止が盛り込まれていない等、基本合意の水準を下回っている部分もある。

こうした当事者抜きの拙速な決定は決して許されるものではない。障がい者制度改革推進会議および総合福祉部会の議論を優先させるべきである。私たち 10.30フォーラムは、粘り強く同法案廃止を求め、運動を展開する。

「私たち抜きに私たちのことを決めてはならない」。



1、国会は、今国会提出の障害者自立支援法一部「改正」案を廃案とし、新しい総合福祉法(仮称)のあり方とそれに向けた当面の課題等、障がい者制度改革推進会議のとりまとめと同総合福祉部会の議論を踏まえ、今後の対応を行うこと

以上



5月26日赤旗

民主が自立支援法“延命”へ
障害者との合意裏切る
28日にも衆院委で採決狙う 自民と結託




 民主党が廃止を公約していた障害者自立支援法の“延命”につながる法案を、28日の衆院厚生労働委員会で採決しようとする重大な動きが起きています。25日の同委員会理事懇談会で民主党が提案しました。日本共産党の高橋ちづ子議員は抗議しましたが、自民・民主は28日の同委員会に委員長提案として緊急に付託することを合意しています。この動きに障害者団体などから厳しい批判が起きています。同法案は、自公政権が2009年の通常国会に提案し、障害者団体などの反対で廃案になったものとほぼ同じです。

 障害が重いほど負担が重くなる「応益負担」を押し付ける障害者自立支援法について、民主党政権は廃止を公約。障害者らが提訴していた同法の違憲訴訟でも、当事者の声を十分に聞いた新しい総合的福祉法制を、遅くとも13年8月までにつくるとの合意を原告・弁護団と結んでいます。

 現在、内閣府におかれた「障がい者制度改革推進会議」では当事者参加のもとで、同法に代わる新しい法律づくりや、新法制定までの当面の課題などの論議がすすめられています。

 ところが、そうした動きをまったく無視し、自公両党が議員立法で今国会に提案した障害者自立支援法一部改定案に民主党が乗る形で法案内容をすりあわせしています。

 法案は、もっとも批判の強い「応益負担」を「応能負担」にするといいながら、自立支援医療についても介護保険同様の「応益負担」とするなど仕組みは残ります。障害者の範囲に難病を含むことも抜けています。民主党は、新法ができるまでの「つなぎ」法案だとしていますが、すりあわせた法案には時限立法であることや13年8月までの自立支援法の廃止は明記されません。

関係団体抗議
 「障害者自立支援法訴訟の基本合意の完全実現をめざす会」と「障害者自立支援法違憲訴訟弁護団」は24日、与党が同法改悪案を今国会に提案しようとしていることに対し、断固反対の抗議声明を発表しました。

 同訴訟終結に際して訴訟団と政府が交わした基本合意文書は、同法を廃止し、当事者参加で2013年8月までに新法をつくることを明記しました。

 声明は、改悪案について、遅くとも13年8月までの同法廃止を明記しておらず、「基本合意により廃止が決まっている悪法の延命を図るものと批判されて然(しか)るべきもの」だと指摘。内容面でも「基本合意文書の水準を大きく下回るもの」だとして、改悪案の提出を撤回するよう求めています。

2010.05.27 / Top↑

緊 急 抗 議 声 明
与党による「障害者自立支援法一部改正案」提案に断固反対!

2010年5月24日
障害者自立支援法訴訟の基本合意の完全実現をめざす会
障害者自立支援法違憲訴訟弁護団


このたび、自民党・公明党提案にかかる障害者自立支援法の一部改訂案につき、政
権与党が、ほぼ同内容の法案を厚生労働委員会委員長提案として今国会に提案する
ことが確実視されていると報道されています。

これが事実だとすれば,昨年の政権交代以来、政府・与党として首相及び厚労大臣
が一貫して表明し、当訴訟団との基本合意文書において確認された「障害者自立支
援法を廃止し、平成25年8月までに制度の谷間をつくらない新しい法律を当事者の意
見を十分に聞いてつくる」とした国及び与党の姿勢に真っ向から反するものであ
り、看過できない重大な事態です。

政府・与党は、障害者自立支援法に代わる新たな総合的福祉法制については、与党
がかねてより提案していた「障がい者制度改革推進本部」を内閣府に設置し、その
下の「障がい者制度改革推進会議」において、障害のある当事者中心の検討に基づ
き構築するとの閣議決定の下、精力的な議論がなされ、本年4月27日からは「総合福
祉部会」が発足し、新法制定までの当面の課題について意見集約をしているまっ只
中にあります。

にもかかわらず、そこにおける議論を一切踏まえず、自・公提案の一部改訂案に与
党議員が同調することによって提案しようとする今回の態度は、推進本部の存在意
義を自ら否定し、推進会議と部会を侮り、さらに障害者問題を国会の政争の具とす
るという、政権与党のこれまでの政策・姿勢にも当訴訟団との基本合意文書にも背
くものであり、「私たちのことは私たち抜きに決めないで」という障害当事者の人
としての尊厳を踏みにじるものと強く非難せざるをえません。障害のある人にとっ
て何が最善かは、当事者参加による十分な検討によってこそ初めてわかる、という
ことを、政府与党が理解し、障害者自立支援法制定時の愚行を反省したからこ
そ、基本合意文書が締結され、障がい者制度改革推進会議が設置されたはずです。

推進会議と訴訟団を無視した今回の法案には「遅くとも平成25年8月までに障害者自
立支援法は廃止される」ことも「施行の終期が平成25年8月までである時限立法であ
る」ことも明記されておらず、障害者自立支援法違憲訴訟に基づく基本合意により
廃止が決まっている悪法の延命を図るためのものと批判されて然るべきもので
す。また、内容面でも今般の改正法案は、私たちが願う『改正』とはほど遠く、基
本合意文書の水準を大きく下回るものです。そればかりではなく現在進められてい
る検証会議や推進会議・総合福祉部会の存在を軽んじる以外の何物でもなく、ここ
での論議の幅を狭めかねません。



よって、直ちに今国会における与党合意に基づく厚労委員会委員長提案を撤回
し、自・公提案の一部改訂案については、廃案とするよう強く求めるものです。

以 上

2010.05.27 / Top↑
カナダ、ケベック州の議会委員会が、州を廻って州民から自殺幇助に関する意見聴取を始めるとのこと。カナダの国会は、4月に合法化法案を否決したのだけれど、ケベック州は医師会がおかしな動きを見せていて、どうも独自にやろうとしている感じ。
http://www.montrealgazette.com/news/Quebecers+asked+views+euthanasia+assisted+suicide/3070225/story.html
http://www.cbc.ca/canada/montreal/story/2010/05/26/quebec-euthanasia-hearings.html

小さな子どもには泥んこ遊びをさせた方がいいですよ。皮膚の免疫力がつきます。:ってか、こういうことまで、いちいち科学的なエビデンスを出してもらわないと気が済まないかね。だいたい、泥んこ遊びって、皮膚に免疫力つけるためにやらせるもんじゃないし。親はもっと、こう、自分の中にあるものをどっしり信じて、自分と子どもの間で行き来しているものを、自分でしっかり感じとりましょうよ。バイ菌が少々どっちを向いていようが、そっちの方がよっぽど大事。親になった時に、そういう親としての自分の感性と判断力を信頼できるような人生を、親になるまでに送っておくことを考えましょうよ。そういう大人になれるように、子どもを育てましょうよ。権威あるように見える誰かの言葉や、いつ覆るか分からない“エビデンス”なんかに、いちいち振り回されるのではなくて。
http://www.guardian.co.uk/society/2009/nov/23/grubby-children-scientists-immune-system

麻疹の流行がぶり返している問題でWHOが警告。ワクチンで予防できるのに、と。:Diekema医師がまた何か言うかな。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/189780.php

5月24日にLancetのオンラインで公開されたIHMEの、周産期の胎児・新生児死亡率のインフォ・サイト。
http://www.healthmetricsandevaluation.org/resources/datasets/2010/mortality/results/child/child.html

英国の高齢出産、この20年で3倍に。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/8705374.stm

エルトン・ジョンが、ゲイは出すなというイスラム教徒からの抗議の中、モロッコのコンサートに出演へ。雑誌インタビューでキリストもゲイだったと発言したことからエジプトでのコンサート予定が中止に追い込まれたばかり。:記事を探すのが面倒だからパスするけど、先週マラウィで14年の懲役刑を言い渡されたゲイの夫婦について、人権問題だと非難の声が上がる中、ナイジェリアの前大統領が「胸糞が悪い」などの暴言を吐いたとか。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/world/africa/10161040.stm

日本のTOTOが未来型トイレで、世界のトイレ文化を変えると意気込んでいる。:何年か前、”アメリカのお母さん”が来た時に、何より気に入ったのがウォシュレット便座だった。お店でいろいろ調べさせて、メーカーにまで問い合わせをさせるので、本気で買うつもりなのかと思った。さすがに買いはしなかったけど、帰国してすぐにインターネットで調べたらアメリカでもちゃんと売っていて、それを買ったみたいだった。記事でもWashletがそのまま使われている。TOTOさん、がんばれ。
http://www.guardian.co.uk/technology/2010/may/25/toto-toilets-launch

泥棒が侵入するために入り口だけをぶっ飛ばすつもりの爆薬の量を計算し間違えて、ドイツの銀行がこっぱみじん。付近のビルやら止めてあった車も被害に。金庫と人は無傷だったけど、盗人さんたちは何も盗れずに逃げたらしい。:おっかし~。キモ冷やしただろうなぁ。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/world/europe/10161486.stm
2010.05.27 / Top↑
21日と24 日のエントリーで取り上げた「いのちの選択」の中には、
事故で脳死状態になった家族の臓器提供に同意した体験を持つ方の語りという
滅多に知ることのできない貴重な内容が含まれている。(P.49-59)

仮名で、聞き手は市野川容孝氏。
結論としては「今はむしろ強く後悔しています」と言い、

制度があるから、その制度の中でやったことは一応間違っていないことになるけれど、
自分自身の中の割り切れなさを正面から見つめていると、
制度自体が間違っていると感じるようになった、という思いを
率直に語っておられます。

いくつか、特に印象的だった内容について。

臓器提供について、「いいじゃん、どうせ死んでしまう人なんだから。臓器提供して救われる人がいて、生きられた人たちがこんなに楽しそうにしているんだから、誰が損をするの?」という人がいるかもしれません。でも、それには私は「損得ではない」と言いたい。これは経済的な話ではないし、まして誰かの利益ということで考えていい話ではないのだと。生きることは損得や利益ではなく、それ自体が別の価値なわけですから、損得の話で納得したり、正当化したりしてはいけないと思います。



(「やってもいい」を前提した「利益対リスクまたは害」検討も
これと全く同じ損得勘定なのではないか、と思う。
その検討以前に「できるとしてもやってはならない」という別の価値があることから
わざと目を逸らせて話が始まるのは、技術の適用を前提にした合理化のマヤカシ)


・本人が脳死からの臓器提供に同意するドナーカードを持っていたから
家族として自分も同意したが、果たして摘出時点で本人が本当に
摘出されていいと考えていたかどうかは分からない、ということを
ずっと考え、引きずっている。

・結局聞くことができるのは「受け取ってよかった」という話だけで、
摘出された人、移植を受けたけど亡くなった人の(声なき)2者が忘れられている。

・この家族の脳死と同時期に、別の家族のガン死を看取った。
 ガン死の家族の時は顔の表情の変化などスローな死のプロセスを見届けた感じがあるが、
 脳死の場合は、「何が途中でブチッと切られた感じ」で看取ったという感じがない。
 最後の死の瞬間に居合わせていないことが、ブチッと切れた感じに繋がっているのかも。
 
・救急医が、脳死が人の死だとは決して言わず
最後まで治療する姿勢でいてくれたことがありがたかった。
それに対して移植医には臓器が必要なだけなんだなと感じた。

・家族は希望すれば脳死判定だけでなく摘出手術も見れることになっているのに
誰もそのことを積極的に教えてくれず、むしろ見せたくないようだった。
移植医もこちらとの接触を避けようとしていて、罪悪感があるならやらなければいいのに、と思った。

・家族が整理できない気持ちを抱えて
こうして悩まなければならないこと自体が不自然なこと。

・同意することで自分が最終的に殺したのかとの自問がある。
元気な時に提供したいと聞かされていても、
いざその時の本人の気持ちは誰にもわからない。
家族で話し合ってドナーカードを書けと言われるが、
実際に体験しない限り、そんな話し合いは無理。

身体は自分のものだし、自己決定、自己責任であげるんだから、いいじゃん、と考える人がいるかもしれないけど、責任をとるというのは、元に戻せるということなんだよ、元に戻せなかったら、責任はとれないんだよ、と私は言いたい。身体とか、生きるとか死ぬとかは、そもそも自分で責任を取りきれることではないし、とらなくていい。変に責任を取ろうとして、逆に窮屈になっている気がする。責任をとれないんだから、許したり、あきらめたりということにすればいいのに。

……そもそも身体は、やりとりできるようなものではないんだから。

 あきらめなくてはいけないことが最後にはあると思うんです。誰かのものだと思ったらほしくなるけど、誰のものでもないなら、もらうこともできないのではないか。所有を主張していいものでは、身体はないということだけは、確かじゃないかと思います。




この人は、二度と家族の臓器提供には同意できないけど、
自分自身は臓器提供したいと考えている。
同意したことを罪だと感じていて、それを償うためには
自分自身の臓器を移植に使ってもらう以外にないと考えているから。

しかし、それは傲慢なことで、愛する人たちをまた罪に陥れることだとしたら、
いったい私はどうしたらよいのか。


もちろん、この人と同じ立場でも、全然、後悔していない人もいる。

この人の語りの中にも、
むしろ積極的に臓器移植を推進しようとする家族の会の人の姿が出てくる。

そこのところで、
そんなふうに後悔していない人や、後悔しないために活動に向かう人の声は
私たちにも聞こえる機会はあるのだろうけれど、
市野川氏が聞き取りしているこの人のように後悔している人は
本当はあまり語りたくないだろうから、こういう声は、
やっぱり私たちの耳には届きにくい……ということを考えながら読んでいたら、

ふと思い出したドキュメンタリー番組の一場面があった。

複数の臓器の移植を必要としてドナーが現れるのを待っている幼い子どもを抱いたお母さんが、
病院の廊下で、腕の中の子どもに「移植、受けるでしょ」と聞く。
子どもは困ったような顔になって答えなかった。

「受けるんでしょ」お母さんが、ちょっと強い口調になる。
「受けないと死んでしまうんだよ」

子どもは泣きそうな顔になり、小さな声で聞いた。
「でも、僕がもらったら、その子が死んじゃうんでしょ」

ここで、お母さんがどういう説明をしたのか具体的な言葉までは覚えていないのだけど、
命の贈り物として説明したと思う。その流れで最後に「だから、移植、受けるよね」
たたみかけられて、子どもは黙ったまま小さくうなずいた。


それを思い出して、
「子どもに移植を受けさせたけど亡くなって、
受けさせなかった方が良かったんじゃないかと後悔している親」の声もまた、
私たちには、まず聞こえてこないのだろう……ということを思った。

それから、幼い子供であったとしても「いやだ」という一言を言わせてもらえる機会を
本当の意味で、親の誘導から自由になれる状況で、保障される権利……ということは
考えなくてもいいのだろうか……みたいなことと。
2010.05.27 / Top↑
2000年にヒトゲノム読解を巡ってCraig Ventorとしのぎを削った英国の科学者John Sulstonが、世界で初の人造生命体に特許なんか認めたら、作った人間に遺伝子工学の分野における独占権を与えるようなものだ、と警告。:まぁ、言ってくれないよりはいいけど、でも、それは、ヒトゲノムで既に先鞭がつけられてしまったことなんでは? これよりずっと地味だけど、乳がんの遺伝子変異を巡って特許を出せ、出すなの争いは、こちらのエントリーで拾った。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/science_and_environment/10150685.stm

ゲイツ財団の私設WHOとも言われるワシントン大学のIHMEが、各国の妊産婦・新生児・乳幼児の死亡率を調査し、報告書を出した。全体に 1970年代からすると6割も減。
http://www.mothercares.net/10234/childhood-deaths-down-60-percent-since-1970-study-afp/

さらに報告書には、Dr. Murrayがいうところの「各国の成績表」もあって、各国が自国の「成績」を巡って大騒ぎしている。関連ニュース各国から目白押し。ちなみにグローバルヘルスの「成績表」は去年の7月に出ている。これからも、次々に成績表を出して行くんだろう。G財団の興味の優先順位に応じて。そして、世界各国が己の成績を意識させられていく。数値で出るということは、その数値に踊らされるということでもある。結局、数値を出すものが笛を吹くことになる。
http://www.csmonitor.com/World/Global-News/2010/0524 /Top-10-countries-with-most-improved-child-mortality-rates(改善率トップ10)。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8696690.stm(英国は後れをとって悔しそう)。
http://www.straitstimes.com/BreakingNews/TechandScience/Story/STIStory_530548.html
http://news.smh.com.au/breaking-news-world/world-childhood-deaths-down-60-per-cent-20100524-w4p6.html
http://health.usnews.com/health-news/family-health/childrens-health/articles/2010/05/24/global-death-rate-for-children-lower-than-thought.html

Murray医師の長年のパートナー、Queensland大学のLopez医師もご機嫌でご登場。
http://www.uq.edu.au/news/?article=21203

早産にも遺伝子決定説。:死産、早産についての研究は、ワクチン研究と同様、雨後のタケノコ。ゲイツ財団のゼニが雨。研究はタケノコ。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8701628.stm

人類は長生きになった。世界中の国がトップを走る日本の後を追いかけて高齢化する。でも、悪いことばかりじゃない。人類世界もまた成熟しよう。後に続く世代に地球環境を残すために、ブーマー世代がちょっとペースを落として、成熟した世の中を作れば。:いやぁ、成熟とは逆方向に向かっているんでは? なんか、こう、頭がいいだけの未成熟な単細胞バカがどんどん増えているような気がする。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/05/24/AR2010052402607.html?wpisrc=nl_cuzhead

米国の老老介護。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/05/24/AR2010052402603.html?wpisrc=nl_cuzhead

英国新政権のソーシャルケア大臣は、認知症介護に詳しい人みたい。アルツハイマー病協会から歓迎の意。:英国には介護に関係した大臣が副大臣も含めて、なにやら各種いるので、イマイチわかりきらない。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/189660.php

カナダの癌協会が政府に対して、家族介護者戦略を立てるよう求めているらしい。その他、終末期医療についても。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/189664.php

10歳と11歳とが8歳をレイプした英国の裁判で、男の子2人に有罪判決。英国史上最年少。
http://www.guardian.co.uk/uk/2010/may/24/boys-found-guilty-attempted-rape

その裁判で子どもたちに配慮がなさすぎるという怒りの声が上がっている。:いや、その声、上がるのが遅すぎ。一般から声が上がる前に、関係者がそういう意識を欠いていたということが信じられない。13日、14日の補遺で拾ったけど、女の子への質問ビデオをそのまま流したり、次の日には別室での質問の映像をリアルタイムで流したり、男の子たちを普通に被告席に座らせたり、いくら後ろ姿にせよスケッチが新聞に出たり。英国の大人たち、感覚がおかしいよ。
http://business.timesonline.co.uk/tol/business/law/article7135585.ece

9.11のテロのストレスが影響して、男児の流産が増えている可能性。:なんで男児なんだろう。気になりつつ、リードしか読んでいないので分からない。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8701145.stm

ワクチン=自閉症犯人説のきっかけになった論文をLancetに書いた医師、英国での医師登録抹消へ。dishonestyと、患者である子どもたちの最善の利益に反する行動の2点について、30もの罪状。 :ふ~ん……。じゃぁ、Biederman医師は?
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8695267.stm
http://www.guardian.co.uk/society/2010/may/24/andrew-wakefield-struck-off-gmc
http://www.nytimes.com/2010/05/25/health/policy/25autism.html?th&emc=th
2010.05.25 / Top↑
去年11月に以下のエントリーで取り上げた事件で、きわめて重大な続報。

妻の自殺幇助で逮捕されたITコンサル男性が「英国にもDignitasを」

去年の秋、妻Margaetさんのヘリウム自殺を幇助した夫Michael Bateman氏に対して、
英国公訴局は不起訴の判断を下しました。

CPS(英国検察局)の特別犯罪決定部門の弁護士が決定し、
自殺幇助の起訴について最終的な承認権限を持つ公訴局長(DPP)が認めたもの。

前者の弁護士 Bryan Boulter氏が起訴が公益にならないと判断した理由としては、

・頭にかぶった袋のひもを締めたのもガスのスイッチを入れたのも妻自身
・何年も慢性的な痛みに苦しんできた妻に自殺したいとの希望があったのは明らか
・夫の動機が完全に共感・おもいやりからのものであることは非常に明らか
・妻を深く愛し、何年も日々のケアを担ってきた
・警察の捜査にも協力し、自殺を手伝ったことを認めている
・経済的な動機からしたことだと思わせるものは何もない

このケースの不起訴判断により、英国は法改正をすることなしに、
世界のどの国にも先駆けて、事実上、身近な者による自殺幇助を合法化したのでは――?

           ――――――――

このケースについて、
私がものすごく気になっているのは、
何年も寝たきりだった妻のMargaretさんの障害が
医師によって診断されていないこと。

それは、適切な医療介入や支援が入ることで、もしかしたら
状態が改善する可能性があったということかもしれないのに、

そこのところの支援の可能性を言う人がどこにもいないまま、
ただ本人の長年の苦しみと夫の献身だけが言われ、
夫が愛からしたことだから死なせても罪に問わないというのは
ちょうどGilderdale事件の構図とそっくりだ。

夫婦も親子も、家族の関係は密室の中にある。
これについては冒頭リンクの11月のエントリーにも書いたけれど、
介護する人と介護される人との関係だって、それほど単純じゃない。

Margaretさんの自殺幇助も密室で起こったことだ。
頭にかぶった袋のひもを締め、ガスのスイッチを入れたのが本人だというのは
夫の証言以外にありえないと思うのだけど、

それが事実だということは、一体どうやって証明できるというのだろう。

仮に本当に本人だったとしても、
家族のような濃密な関係性の中で、人は互いに操作・コントロールしあうものだ。
家族に操作・コントロールされて、本当は望んでもいないことを
あたかも自ら望んでいるかのように演じつつ、やらされている人は、
子どもにはもちろん、大人にだって、いないわけではない。

もしも、介護する人される人の間に、そういう関係性が潜んでいたら、
介護されている人に「死にたい」と言わせるくらい、たぶん簡単なことだ。

そうじゃなくても、介護される立場で全く罪悪感を感じずにいることなど難しいのだから。

そもそも人の愛というもの自体が、愛があれば100%単色の愛だけ、というようなものじゃない。
愛と憎とは合わせ鏡だし、人の気持ちは常に揺れ動いて定まらず、決して単色ではない。

愛のステレオタイプほど、人の心の複雑さを見えにくくしてしまうものはない。
それだけに、愛が口実に使われる時、そこには警戒しなければならないものが匂ってくる。


介護を巡っては、
家族に愛情さえあれば、どんなに過酷な介護だって担えるはずだという神話によって
巧妙に介護を家族に押しこめる仕掛けが社会にあると
私はずっとこのブログで書いてきたのだけれど、

そうした家族の愛情神話が温存されたまま、それが、くるっと陰画に反転されて、
ここで自殺幇助の正当化に利用され始めているような気がしてならない。

愛があれば介護は担えるはずなのだから、愛がなければ介護は担えないわけで、
介護している事実は、すなわち愛情の証明になる。
だから逆に介護さえしていれば、死なせたって、それは愛の行為であり、
DPPのガイドラインに沿っていると解釈することに矛盾はない。

それなら、介護者による自殺幇助は不起訴がデフォルトということだ。

それは、つまるところ、
愛情の証明として介護を担うことと引き換えに、
夫婦や親子の間にある微妙な関係性の綾とか闇には目をつぶって、
殺しても免罪してあげますよ、表向きの帳尻を合わせてくれさえすれば……
……という社会と介護者の間の暗黙の取引にはならないのか――?

それは、煎じつめれば、
家族で介護しきれなくなった障害者は
愛情を証明できる期間の介護を経たら、それなりの表向きを取り繕って
殺してもらって構わない、というメッセージにはならないのか――?




【DPP自殺幇助起訴判断ガイドライン関連】
DPPの自殺幇助に関する起訴判断のガイドラインを読む 1(2010/3/8)
DPPの自殺幇助に関する起訴判断のガイドラインを読む 2(2010/3/8)

【Gilderdale事件関連エントリー】
Gilderdale事件:「慈悲殺」を「自殺幇助」希望の代理決定として正当化する論理(2008/4/18)
慢性疲労症候群の娘を看護師の母親がモルヒネで殺したGilderdale事件(2010/1/19)
Gilderdale事件から、自殺幇助議論の落とし穴について(2010/1/22)
Gilderdale事件で母親に執行猶予(2010/1/26)
Gilderdale事件:こんな「無私で献身的な」母親は訴追すべきではなかった、と判事(2010/1/26)
『Gilderdale事件はダブル・スタンダードの1例』とME患者(2010/1/29)
2010.05.25 / Top↑
21日のエントリーで触れた「いのちの選択」の中に、
当ブログでも考えてきた科学とテクノと法、倫理との関係について考察した部分があって、
とても興味深かった。

この部分を執筆しているのは田中智彦氏。

田中氏が書いておられることを、簡単に私自身の言葉でまとめてみると、

科学技術の領域は「できる/できない」という論理で動き、
「できない」ことを減らして「できる」ことを増やそうとする。
「できる」ことが増えるのが科学技術の進歩なのであり、したがって
「できるとしても、してよいのか」という問いへの答えは
この領域からは出てこない。

例えば、この領域が答えられるのは「原子爆弾は作れるか」という問いにであって
原子爆弾を「使ってよいか」という問いに応えることはできない。
つまり、科学技術の領域は「してはいけない」と判断するブレーキを欠いたまま
「できない」よりも「できる」ことへと向かうものなので、

そこで、そのブレーキとして必要となるのが法律。
こちらは「合法/違法」という論理で動いている。
「したら罰せられる」という方法で「ブレーキをかける」ことができるが、
問題が2つあって、

① 法律を守る人でなし
例えば他人をさげすみ自分の利益のために利用するなど、
違法でない範囲での不道徳な行為に対しては無効であり、
法律はブレーキとしては存外に効きが甘い。

② 多数決の専制
多数者の賛同によって法律となってしまえば
合法的な人権侵害も行われてしまう。
民主主義には民主主義そのものの暴走へのブレーキは付いていない。

したがって、科学技術によって「できる」ことが
法律によって「違法ではない」ことにしたとしても、
それで倫理問題が解決されたことにはならない。

「違法でない」とても「してはならない」こと
法律的には定めがないとしても倫理的には「しなければならない」ことがある。

「善い/悪い」「義務/禁止」という論理で動いている
倫理の意義と役割がここに出てくる。


この本は、脳死・臓器移植改正法に異議申し立てをするべく書かれたものであり、
同改正法を念頭に読むと、「多数決で違法ではないとされたからといって、
倫理的であることにはならない」という主張の意味するところは分かりやすい。

(ちなみに、昨日、別ソースから知ったところでは、
去年の夏にA案に賛成票を投じた自民党議員140名がその後、落選したとか)


ところで、
2007年論争当初には見逃していた、
Kansas大学の障害者の権利擁護と支援センターBeach Centerの専門家による
“Ashley療法”批判を数日前に見つけて、大変面白く読んだのだけれど、
そこで展開されている批判が、上記の指摘と重なっていて興味深かった。

KU experts examine issues in surgery to halt girl’s growth
LJWorld.com, January 14, 2007

この論考は、Ashleyに行われたことがAshley自身の基本的人権を侵していること、
中でも「然るべきプロセス」が保障されるべき権利を侵していることを重視し、
それこそが、歴史において専門家が障害者に繰り返してきた傲慢なのだと警告する。

そして、おおむね、次のような指摘をしている。

ケース・バイ・ケースの意思決定とか
利益とリスクの比較検討による最善の利益判断、さらに
正当化に持ち出されるQOLという概念は、ことごとく曖昧であるにもかかわらず、
それらが巧妙に使いまわされることによって

そのアプローチは、
基本的には倫理や理論、施策に関する問題を科学の問題にしてしまう。

歴史は我々に、
問題の偽装には気をつけよと告げている。





私にはこの問題は最近、領域の大きさの問題としてイメージされていて、
科学とテクノロジーという領域は、社会や文化の一部であって、本来
社会や文化という大きな円の中に、科学とテクノの小さな円が内容されているのだけれど、

その急速な発展によって科学とテクノの領域が急速にクローズアップされてきたことで、
もともと「できる/できない」の論理で動いている科学とテクノの領域の人たちが、
そこの大小をカン違いして、

「できることは全て正しい」という自分たちの狭い専門領域の論理が
もっと広く世の中全体の論理として通用して当たり前だと考え始めているのでは?

もちろん、それは、そう簡単にまかり通ることではないから
そこで正当化・合理化の理論武装を担う学問がひねり出されて、
英語圏の生命倫理では「利益対リスク」だの「QOL」だの
「パーソン論」だの「自己決定権」だのが持ち出されてきた。

でも、そのマヤカシは多くの人が既に指摘していて、
当ブログでもA療法論争の最初から「最善の利益」論については
倫理的検討という第一段階を飛ばした前提
コンフリクトなければ(ケースバイケース原則で)不問などを指摘しているし、

科学とテクノの御用学問としての生命倫理という学問のいかがわしさについても、
治外法権的な聖域なき議論の土壌づくり法の束縛からの解放などを
役割として担っているらしいことを考えてきた。

そういう、一見もっともらしく、一見とても高尚に見える、
でも詳細に検討すれば論理の手品みたいなマヤカシだらけの理屈づけと並行して

科学とテクノの領域が、
「あれもできるようになる、これももうすぐ可能!」という先取り誇大広告によって
次々に華々しい夢の未来予測を提示しては一般人の期待を掻き立てつつ
人間についての諸々は個体自体によって決定づけられて不変で
環境や社会や、なにしろ科学以外の領域によっては変えられないかのように言いなすために、

我々一般人の頭の中でも、科学とテクノのと、社会や文化の大きさとが
いつのまにか逆転してイメージされて、あたかも科学とテクノという大きな円の中に、
社会や文化という小さな円が内包されているかのように
勘違いさせられているんじゃないのだろうか。

そして、どんどん「問題の偽装」に気付きにくいように、されているんじゃないだろうか。
2010.05.24 / Top↑
米国小児科学会が女性器切除をiある程度許容するガイドラインを出したことで、批判を浴びている。当該委員会の委員長はDiekema 医師。現場の医師としては、親に言ってこられた際に断固はねつけたのでは信頼関係が作れない、もともとそういう文化の母親たちなのだから断ったら、却って少女たちは海外へ連れて行かれて不衛生な手術や、もっと侵襲度の高い手術を受けさせることになる、最近の切除は形だけのものが多くなっている、男児の割礼と同じく衛生上のメリットが全然ないわけでもない・・・・・・などなど。:それで、人権意識は、どこに?
http://www.smh.com.au/world/support-for-female-circumcision-stirs-controversy-in-us-20100521-w1uz.html
http://edition.cnn.com/2010/HEALTH/05/21/america.female.genital.cutting/

もともとそういうリスクのある遺伝子変異のある子どもでは、ワクチンによってDravet症候群という癲癇発作が誘発される可能性が言われていて、その関連性を調べたところ、どうも、その可能性はあるらしいのだけれども、だからといって、ワクチンが症候群のアウトカムそのものに影響しているというエビデンスはないのだから、変異のある子どもへのワクチン接種はやめるべきではない。:これ、例の化学物質に関する「有害だというエビデンスがないのだから安全」と同じ論理では? それに、遺伝子変異があるということは「リスクがある」ということであって、必ず症候群になるということではないのでは?と思うのだけど、この論文のサマリーでは「症候群になると運命付けられている」とされていて、そのために「ワクチンは症候群を誘発するのではなく、起こる時期を早めるだけ」と解釈されているのも、ちょっと、そこのところにはデータの読み方として非科学的な論理の飛躍があるのでは???
http://www.thelancet.com/journals/laneur/article/PIIS1474-4422%2810%2970107-1/abstract?&elsca1=TLN-190510&elsca2=email&elsca3=segment

ビタミンDがMSの予防に有効。:ビタミンDサプリについては、この病気にも、あの障害にも効く・・・・・・という話が次々と出ている。ちょっと前には、スタチンがこんなふうに万能みたいに言われたんじゃなかったっけか?
http://www.thelancet.com/journals/laneur/article/PIIS1474-4422%2810%2970086-7/abstract?&elsca1=TLN-190510&elsca2=email&elsca3=segment
http://www.thelancet.com/journals/laneur/article/PIIS1474-4422%2810%2970121-6/fulltext?&elsca1=TLN-190510&elsca2=email&elsca3=segment

進行したパーキンソン病の治療として、脳深部刺激(DBS)が既に定着しているらしい。でも、もうちょっと侵襲度の低い治療と、リスクと利益をちゃんと比較検討しましょう、という声も。
http://www.thelancet.com/journals/laneur/article/PIIS1474-4422%2810%2970093-4/abstract?&elsca1=TLN-190510&elsca2=email&elsca3=segment
http://www.thelancet.com/journals/laneur/article/PIIS1474-4422%2810%2970108-3/fulltext?&elsca1=TLN-190510&elsca2=email&elsca3=segment

イタリアのナーシングホーム入所高齢者の自殺率は、在宅で暮らしている高齢者よりも高い。
http://www.mcknights.com/suicide-rates-for-seniors-climb-in-italian-nursing-homes-assisted-living/article/170648/
2010.05.24 / Top↑
ケンタッキー州で共和党の候補者に対抗して立候補を表明したティパーティ(オバマ批判の保守派運動)のRand Paul氏が、1964年の市民権法について妙な発言をしている。差別をなくそうという市民権法の理念には賛成だけれど、それは公的部門でいいのではないか、民間企業には黒人を客にしたくないという自由があってもいいのではないか・・・・・・みたいなことを。:世の中のあらゆる差別がじわじわと復活しつつあって、その動きが徐々に加速しつつあるとは感じていたけど、ついに公然とこんなことを言う人が出てきた。人類が多くの過ちを犯しながらも、その反省に立ってものすごい時間をかけて営々と積み上げてきた良識と知恵とが、ものすごい速度で破壊されていく。米国社会が、この人にどう対処するのか、注目しておきたい。
http://www.nytimes.com/2010/05/21/us/politics/21paul.html?th&emc=th

米国NIHが連邦政府の研究助成金の対象条件を厳格化。製薬会社と研究者の癒着スキャンダルが相次いだため、利益の衝突を避けるため。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/05/20/AR2010052003038.html?wpisrc=nl_cuzhead

65年前、広島に人類初の原子爆弾を投下したエノラ・ゲイの乗組員11人のうち、ナビゲーターだったVan Kirkさん以外は亡くなって、Kirkさんが最後の生き残りとなった。そのKirkさんのGardianによるインタビュー。罪悪感で眠れなかったことは一度もない。あれで戦争が早く終わったのだから、もう一度同じことをやれといわれたら喜んでやる。石に焼け付いた人型? 別に。訓練でそういうことが起こるというのは聞いていたからね。人を殺さずにできる戦争なんかない。・・・・・・インタビューしたEd Pilkinton氏が「どこか前もって用意してあった感じの受け答え」と最後に感想を述べているのが印象的。:もちろんトルーマン大統領が言ったように、命じたのは大統領であり、乗組員に個人的な責任があるわけではないといえばそうだろう。だから、こういうインタビューの対象にされて、それを受けるということだけでも身構えざるを得ないというのは分からないでもないけど、「原爆も従来の爆弾も違いはない。違うのは影響する範囲の大きさだけ」という言葉は、強烈に記憶に残りそうだ。
http://www.guardian.co.uk/world/2010/may/20/hiroshima-enola-gay-last-crew-member

Craig Venterがバクテリアのゲノムを使って、100%人為的に組み込んだDNAによる、人類初の人造細胞を作った。この人は前から「もうじき出来る、出来る」と騒いでいた。07年にVenterが人造生命体を作ったとして流れたフライング記事はこちらのエントリーで拾っている。:また一つ、倫理的な検討を待たずに科学とテクノの先走り既成事実が作られてしまった。
http://www.guardian.co.uk/science/2010/may/20/craig-venter-synthetic-life-form
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/05/20/AR2010052002938.html?wpisrc=nl_cuzhead
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/05/20/AR2010052003336.html?wpisrc=nl_cuzhead
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/science/biology_evolution/article7132299.ece
2010.05.24 / Top↑
以下の本を読んだ。

「いのちの選択 ― 今、考えたい脳死・臓器移植」
小松美彦、市野川容孝、田中智彦編 岩波ブックレット

いろいろ考えさせられた中でも、特に心に強く響いた個所を以下に。

児童虐待の犠牲者は、一人たりともドナーにしてはならないでしょう。
「一人たりとも」です。

それはもちろん、虐待された子どもたちが
「二度殺される」ことなどあってはならないからですが、
しかしそれだけではありません。

私たち自身とその社会の「品位」を、
取り返しのつかない仕方で損なうことにもなるからです。

脳死状態になった子どもたちの中に、児童虐待の犠牲者がいるかもしれないことに
気付きながら、それでもその子どもたちから臓器を摘出するとしたら、
私たちに臓器売買を批判する資格はないはずです。

その意味ではまた、
「脳死状態となった子どもが児童虐待の犠牲者であるかどうかを見抜くことの難しさ」を
率直に認め、小児の脳死・臓器移植をためらう医師たちのたたずまいを、
そしてその彼らによって支えられている日本の医療を、
私たちはもっと評価すべきだといえるでしょう。
(p/37)


児童虐待の犠牲者が2度殺されることがあってはならないという個々のケースの問題だけでなく、
その可能性があることを知りながら、そこに目をつぶって臓器摘出を認めることは
われわれ社会の「品位」を取り返しがつかない仕方で損なうから
人間社会全体のモラルの問題としていけない、というのは

Ashley事件に対してAmy Tanが
「医師の道徳的な義務とは自らに対して負うもの」と批判したことに通じていくような気がする。

誰も見ていなければ犬を虐待してもいいことにならないのと同じく、
どんな患者に対してもどんな状況においても道徳的にふるまうことは
医師が自分自身に対して負っている人間としての義務なのだ、

なぜならば、そこを踏み外すことは
人として道徳的にふるまう自分自身の能力を損なうことだから。

……というところがカントを引いてTanが書いていることなのだけど、

私は上記リンクのエントリーで、さらに、それは、
人類がヒューマニティを失わず、総体として道徳的な agent であり続けるべく
人類総体として、またその一員たる個人として、我々には人類自身に対して負っている義務がある、
ということなんじゃないかと敷衍してみました。

そういう意味では、ここに書かれている「私たち自身と社会の品位」とは
フランシス・フクヤマが言ったthe sum of our human unity and continuityに通じていくのでは?


“Ashley療法”を擁護し普及させようとする人たちの発言を読み聞きするたびに、
その行間から立ち上ってくるのは「どうせ」という言葉の不快な響き――。

その「どうせ」は成長抑制の議論だけじゃなく、
ネオ優生思想でも自殺幇助でも臓器移植でも議論の行間から響いてくる。

どうせ自分では何もできない、何も分からない重症児なのだから。
どうせ生まれてきたって障害児になるのだから。
どうせ誰からも望まれない子どもなのだから。
どうせこんなに重い障害を負ってしまったのだから。
どうせ間もなく死ぬ人なのだから。
どうせ、もう死んだも同然なのだから。

こうして「どうせ」が世の中にどんどん広く共有されていくことの不気味――。

そうして社会全体が弱いものの痛みに対して不感症になっていき、
社会全体が品位を失い、人間社会としての尊厳を自ら擲っていくことの不気味――。


【関連エントリー】
Quellette論文:Aケース倫理委検討の検証と批判(2010/1/15) :フランシス・フクヤマに言及
Dr.Qの提言とspitzibaraの所感(2010/1/15) :「どうせ」について



2010.05.21 / Top↑
英国の空港近くのホテルで自閉症の息子を殺した母親の事件についてエントリーを書いたばかりなのだけど、'''スペインのリゾートホテルでも子ども2人(1歳と5歳)を連れてチェックインした英国人の母親が、部屋で2人を殺した'''として逮捕されている。母親の方に精神的な問題か?:記事タイトルを見た時には、英国で起きた事件のことかと思った。スペインでの事件の詳細はまだ不明。
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/world/europe/article7129818.ece
http://www.guardian.co.uk/uk/2010/may/18/mother-arrested-over-childrens-deaths

Lancetと米国ワシントン大学のIHMEが共催で、5月24日に、途上国における周産期の母子死亡率に関するシンポを開く。:Lancetはゲイツ財団の提携誌。
http://maternalmortalitydaily.wordpress.com/2010/05/18/the-lancet-and-the-institute-for-health-metrics-and-evaluation-ihme-invite-you-to-a-symposium-on-measuring-the-progress-on-maternal-and-child-mortality/

[http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/59957952.html リッチな英国人女性のDignitas死]で、息子が求めている母親の死に関する情報提供をDignitasが拒んでいる。
http://www.express.co.uk/posts/view/175388/Son-s-fury-as-assisted-suicide-group-refuses-to-release-file

初めて父親になったばかりの男性も産後ウツを経験している。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8687189.stm
2010.05.19 / Top↑
アイルランドの火山噴火の影響でごった返す英国Cardiff国際空港近くのホテルで
48歳の母親Yvonne Freaneyさんが11歳の息子Glen君を殺害。

16日日曜日に逮捕、翌日起訴された。

Glen君は重度の自閉症だった。
心配した家族からの連絡を受け、捜索していた警察が日曜日に発見した際、
母親はホテルの部屋で死んだ息子の手を握っていたという。

母子は2人でチェックインしており、
Glen君は先週木曜日から日曜日までの間に殺害されたものとみられる。

夫はもと英国空軍の職員。

Mother charged with murdering autistic boy, 11, at airport hotel
The Times, May 18, 2010

動機や殺害方法については書かれていません。

他の記事もあるのでしょうが、ちょっと気が進まないので、
とりあえず、この記事のみで。

どうも、Glen君が車いす使用だったとか、コミュニケーションエイドを使っていたとか
当初は、そういう情報が流れたようですが、警察が否定しています。


英国といえば、
先頃のGilderdale判決を巡る情緒的かつ煽情的なメディアの論調が
自殺幇助の議論をあっという間に慈悲殺容認論へと変質させていくのを目撃したばかり。

その後、DPPの自殺幇助起訴ガイドラインは
慈悲殺と自殺幇助を明確に区別しましたが、

どのように扱われていくのか、非常に気がかりな事件です。



【Gilderdale事件】

Gilderdale事件:「慈悲殺」を「自殺幇助」希望の代理決定として正当化する論理(2008/4/18)
慢性疲労症候群の娘を看護師の母親がモルヒネで殺したGilderdale事件(2010/1/19)
Gilderdale事件から、自殺幇助議論の落とし穴について(2010/1/22)
Gilderdale事件で母親に執行猶予(2010/1/26)
Gilderdale事件:こんな「無私で献身的な」母親は訴追すべきではなかった、と判事(2010/1/26)
『Gilderdale事件はダブル・スタンダードの1例』とME患者(2010/1/29)

【Gosling氏の慈悲殺告白】

BBCの司会者が番組で“慈悲殺”を告白(2010/2/16)
番組で恋人の“慈悲殺”を告白したBBCのキャスター、逮捕される(2010/2/17)
TVで“慈悲殺”告白のGosling氏、続報(2010/2/18)
2010.05.19 / Top↑
ベルギーの人口の6割が住むフランダースで07年に行われた
尊厳死・自殺幇助の実態調査の結果については去年9月に
以下のエントリーでもニュース記事を紹介していますが、

幇助自殺死が急増し全死者数の2%にも(ベルギー)

様々な国で自殺幇助合法化の議論が進んでいることから
この調査についての詳細な報告がカナダ医師会ジャーナルに掲載されました。

以下から全文が読めます。
詳細なデータが表に整理されています。

Physician-assisted deaths under the euthanasia law in Belgium: a population-based survey
Kenneth Chambaere PhD. et.al.
CMAJ, May 17, 2010


「考察」部分のみ、ざっと以下に。

安楽死が合法となって5年目に当たる2007年の
6月から11月までの間に、ベルギーのフランダースで
安楽死、自殺幇助、患者の明確な要望なしに致死薬が使用されたケースについて
医師にアンケート調査を行ったところ、

208件が報告され、
安楽死と自殺幇助は調査期間のフランダースでの死亡件数全体の2%だった。

その大半は80歳未満で、在宅死のがん患者。
使用薬物はバルビツレートまたは筋弛緩剤の単剤、またはその組み合わせ。

最も多い理由として挙げられたのは、
痛みやその他の症状がひどいこと、改善の見込みがないこと、患者の希望。

患者からの明確な要望なしに致死薬が使われたケースは
調査期間中のフランダースの死亡件数のうち、1.8%で、
ほとんどは80歳以上の患者で、病院での死亡。
また大半のケースで昏睡や認知症のため患者は決定に関与していない。
医師が決断した理由としては、親族への配慮と不必要な延命。

患者からの明確な要望がない自殺幇助のケースでは
その他のケースよりもターミナルな病気の治療期間が短く、
最後の一週間に治癒を目的に治療したケースが多く、
延命中止で死が早められたと思われる期間が短く、
また、オピオイド(モルヒネ用の麻薬)だけが使われていたケースが多かった。

安楽死と自殺幇助は比較的若い患者の自宅死であるという結果は
これまでの研究の結果と一致している。

本人の明確な希望なしに致死薬が使われたケースの多くが
80歳以上で昏睡や認知症のある高齢者の病院での死だという結果は、
本人の明確な希望なしに致死薬が使われる危険のある「弱者」とされる患者像と重なっている。
したがって、このような患者を保護するための配慮が必要である。

しかし、これらの結果からは
安楽死と自殺幇助のケースでは死が予測し得る癌患者で、
診断から時間をかけて死を決意するケースが多いのに対して、

本人の明確な希望なしに致死薬が使われたケースでは
慢性病として推移してきたものが何らかの要因で急変して意思疎通ができなくなり、
治療の甲斐なく、予想外の終末期に至ったために
家族との間で医師が決断することになった場合が多いと思われる。

その決断には結果的に利益の衝突があった可能性もある。
そうした可能性を避けるためには、意思疎通が不能になった場合を想定して、
あらかじめ家族と本人も含めてケアプランを立てておく必要がある。

また、オピオイドなどの使い方から、
本人の明確な要望なしに致死薬が使われたケースとは、実際には
緩和ケアとして使われたもので、特に死を早めたわけではないが、
結果的に死を早めたと捉えられている可能性もある。
この点は、介護者に対する情報提供が見直されるべきである。

本人の明確な要望なしに致死薬が使われる割合はフランダースの方が
尊厳死を合法化している他の国よりも高いが、

その一方、98年には3.2%だったことからすれば、07年の1.8%とは、
ベルギーで尊厳死合法化後に減少したことを示している。

オランダでは合法化を挟んでも、0.7%から0.4%の変化なので
ベルギーのフランダースの方がオランダよりも減少幅が大きい。

尊厳死合法化によって減少したとはいえ、
本人の明確な希望なしに致死薬が用いられるケースを減らすべく、
より努力が必要である。




読んで、とりあえず思ったこと。

① 「患者本人から明確な要望がない死の幇助」という表現はおかしい、と思う。
本人からの明確な要望がないなら、それは「幇助」じゃないのでは?

② うっかりすると、見落としそうな個所ですが、
本人の明確な要望なしに医師が決断した理由が
「親族への配慮」と「不必要な延命」。

「考察」は、かなり後の方で
「結果的に利益の衝突のある決定になった」という表現で
さらっと触れているだけで、深入りしていませんが、

「親族への配慮」と「不必要な延命」とは、
それぞれに全く無関係な2つの別々の理由なのか、
それとも、どちらかがどちらかに影響する可能性があるのか、
また「不必要」とはどういうものか、また誰が決めるのか、など、
ここには、もっとネチネチと考えてみるべきことがあるはずだという気がする。

③ その他、上に整理した以外の「結果」の個所で、

本人の明確な希望なしに致死薬が使われたケースで
医師が本人と相談することなしに決めた理由として
「本人の最善の利益だから」というものが17%もあることが目を引いた。

また、家族と相談した割合は安楽死・自殺幇助のケースと変らないが
介護者と相談したという割合は低くなっている。

ここのところからも、
誰がどういう基準で決めるか分からない「不必要な延命」と
「利益の衝突」をはらんだ「親族への配慮」というのが匂い立ってくる感じ。

④私はベルギーの法律の内容を知らないので、モヤモヤしているだけなのだけど、
この調査が安楽死を合法化した法律の下での尊厳死・自殺幇助の実態調査であり、
その法律がOregonやWashingtonの尊厳死法のように「死の自己決定権」に基づいているのだとしたら、

本人の明確な要望がなくて医師が決定する致死薬の使用がなぜ assisted deathとして合法なのか、
いまいち、そこのところの理屈がわかりません。

「さらに減らすように努力が必要」と結論付ける以前の問題として、
それは当該法律の元では違法とされるべき行為ではないのか、と不思議なのですが、
別の法律やガイドライン等によって免罪されているということなのでしょうか。
2010.05.19 / Top↑
13日の補遺で拾った話題、Pathway Genomics社が売り出し予定だった「ネットでオーダー、唾液採集キットでカンタン遺伝子診断」に、FDAから「認可していない」とストップがかかった。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/188830.php

植物状態の人と脳スキャンでコミュニケーションが可能となったとの研究報告に対して、研究の実施手法や内容については評価しつつも、解釈には注意が必要、希望を持つにはまだ早い、と警戒する態の論文。HCR。
http://www.thehastingscenter.org/Publications/HCR/Detail.aspx?id=4659

そうかと思うと、同じ研究報告に対して、「この技術を使って、植物状態や最少意識状態の患者から安楽死への同意を取り付ける方向に向かうのでは」と、また別方向からの警戒の声。同じくHCR。:その懸念は、当初のニュースを読んだ時に上記リンクで私も書いた。研究者の意図はその反対なんだけど、そういう利用が目論まれるんだろうな、と私はあの時は思ったのだけど。
http://www.thehastingscenter.org/Publications/HCR/Detail.aspx?id=4660

アルツハイマー病に関連した遺伝子の変異は2つ見つかっているが、だからといって、予防には役立たない。:4 月30日の補遺でも拾ったけど、アルツハイマー病は何を持ってしても現在の段階では進行を遅らせることも予防もできない、と。それでもテレビや新聞雑誌には「アルツハイマーをこうして予防!」という情報が躍る。
http://www.medicalnhttp://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/60251508.html

尿路感染に抗生物質が効かなくなっている。:尿路感染も今後5年間にワクチンができる病気に含まれていなかったっけ。あんまり多すぎて、はっきり思い出せないや。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8687512.stm

天然痘のワクチンが実はHIVにも効いていたのに、天然痘が撲滅されてワクチンを使わなくなったから、HIVが広がっているんだ、という説。:新しく開発されるワクチンだけでなく、既存のワクチンを復活させたり接種回数を増やそうという動きも最近、目に付いてきた。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8686750.stm
2010.05.18 / Top↑
ついに日本にも、介護者の権利アドボケイトが誕生します。

私は非力で、このブログで思いを書くくらいのことしかできなかったけど、
ずっとこういう日が来るのを夢に見ていました。

本当に、嬉しい――。
ありがとうございます。

日本の社会は、少子高齢化、人口構造の変化等により、安定的なセーフティネットとしての社会保障制度の基盤がゆるぎ、再構築が急がれています。とりわけ介護問題の中でも、今なお「介護する側」が抱える長期間にわたる身体的・精神的・経済的な過酷な負担という課題については、国による正確な実態把握も遅れ、有効な支援施策も欠いたまま、長い間放置されてきました。
人はみな「人として尊厳を保ちながら、健康で文化的な生活をおくることができる」権利や、幸せを追求する権利をもっています。しかし、介護者自身のそうした権利は、「(介護は)家族がやってあたりまえ」という無言の圧力のもとに覆い隠されてきました。
さらに私たちは、この社会が介護者という当事者たちの「声なき声」と真摯に向き合うことなく、社会問題として顕在化させてこなかったという事実にも目を向けなければなりません。
今ここに、病気や障害、そして地域を超え、「介護者」をキーワードとして横につなぐ運動を展開するためのケアラーズ連盟を立ち上げる運びとなりました。この運動は、介護者の権利擁護をめざし、具体的な支援施策や、根拠となる「支援法」の確立をも盛り込んだ幅広い国民的な運動です。
現在、正式な発足に向けて準備をすすめていますが、志を同じくするみなさまの積極的な参画をいただき、社会に向け大きくアピールをしていきたいと考えます。この趣旨に賛同し、ぜひよびかけ人に名を連ねていただきますよう切にお願いいたします。
2010 年(平成22 年)4 月吉日
ケアラーズ連盟を実現する市民の会



「ケアラーズ連盟を実現する市民の会」では、よびかけ人を募っています。詳細はこちら。


これを機に、これまで書いてきた介護者支援関連のエントリーを以下にまとめてみました。

【英国の介護者支援について書いたエントリー】
フレックス勤務を求める権利という子育て支援(2008/6/12)
英国の介護者週間から介護についてあれこれ(2008/6/12)
英国の新しい介護者戦略(2008/6/12)
「介護者としての私を支えて」キャンペーン(2008/7/4)
英国の介護者支援について思うこと(2008/7/4)
英国の介護者支援について(2009/3/10)

【その他の国の介護者支援について】
「介護者の権利章典」訳を改定しました(2008/12/12/)
今日から豪介護者週間……because I care(2008/10/19)
You are only human: 介護者だって生身の人間なのだから(2008/10/30)
介護者も自分を大切にしましょう(2008/10/31)
自分の気持ちを理解して受け入れる(介護者のために)(2008/10/31)
自己主張をしましょう(介護者のために)(2008/11/1)

【障害のある子どもの子育てや介護一般について考えたこと】
重症児ケアの負担と親の意識について(2008/1/6)
重症児ケアの負担と親の意識について 2(2008/1/6)
「障害児の母親」というステレオタイプも(2008/3/4)
「総体として人間を信頼できるか」という問い(2008/8/29)
子どものケア、何歳から「子育て」ではなく「介護」?(2008/10/18)
障害のある子の子育ては潜在的な家族の問題を顕在化させる(2008/10/20)
介護を巡るダブルスタンダード・美意識(2008/10/27)

【こうあってほしい支援の在り方について考えてみたこと】
“溜め”から家族介護を考えてみる(2008/6/5)
支援サイドから「迎えに行く支援」(2008/9/5)
上手に「小さなギブアップ」ができる支援 1(2008/10/1)
上手に「小さなギブアップ」ができる支援 2(2008/10/1)
子育て支援=母親支援・・・という国?(2008/6/12)
「大人なら誰でも基本的な家事・育児・介護ができる社会」というコスト削減策(2009/5/25)
「介護療養病床と新型老健で一人当たりの医療費の差が8万円」からボヤいてみる(2009/6/17)

【障害のある子どもの親のナラティブ(語り)として書いたこと】
親の知らない娘の知り合い(2008/8/6)
天保山のマジックアワーに(2008/8/29)
「私だけが鬼みたいな母なのだとばかり……」(2008/12/12)
ポニョ(2009/7/23)

【私が考えさせられた他の親・介護者のナラティブについて書いたこと】
介護を語るのは難しい(2008/4/14)
「自閉症の息子ケア、もうこれ以上耐えられないと思った日」(2008/4/30)
Cameron党首「これ以上話したくない……」(2009/2/26)
「どうぞ安心して先に行ってください(2009/3/17)

【Ashley事件との関連で介護について考えたこと】
Caplanの「希望」について 1(2007/7/21)
Caplanの「希望」について 2(2007/7/21)
Katie事件に見る「障害児の母親」のステレオタイプ(2008/3/4)
「介護者であるより母でありたい」と言い続けていたAlison Thorpe(2008/4/30)
もしもAshley父が「親の負担軽減」を言ってたら?(2008/3/9)
“A療法”には「親が抱え込め」とのメッセージ(2008/10/3)
親にはしてやれないこと(2008/4/28)
成長抑制を巡って障害学や障害者運動の人たちに問うてみたいこと(2009/1/28)
親の立場から、障害学や障害者運の人たちにお願いしてみたいこと(2010/3/12)
2010.05.18 / Top↑
知的障害・貧困を理由にした強制的不妊手術は過去の話ではないのエントリーの
②のところで、ちょっとだけ紹介した映画「忘れてほしゅうない - 隠されてきた強制不妊手術」の続編
「ここにおるんじゃけぇ」の上映会に行ってきました。

主人公の佐々木千津子さん(62)は広島在住の脳性まひの女性。

20歳の頃にコバルト照射による強制不妊手術を受けさせられた体験を、
実名を明かし、顔を晒して、語り続けておられます。

私は前作を見ていないのだけど、この続編では、
24時間介護を受けながらの佐々木さんの自立生活が主に描かれていて、

金色やらピンクやら緑やらに染め分けたショートカットの頭で
日々、寒かろうが暑かろうが断固、外出するのだ、
自分が生きていここにいることを世の中に知らせるために……と言い、

買い物の際に店員に言葉が通じなくても
介護者に代弁してもらうのではなく、あくまで自分が何度も繰り返し、
「もっと近くに来て聞いてください」と迫る姿には、息をのんだ。

身体の拘縮に加齢もあって(コバルトの後遺症もあるのかもしれない)身体はもうボロボロだとのこと。
あちこちに痛みが出ていて、売るんかい? というほど大量の薬を飲みながら、
それでも自分らしい暮らしを守り、強制的不妊手術の被害者としての体験を語り続ける。

そんな日常が描かれる中に、
前作の一部や現在の佐々木さんへのインタビューが挿入されて
強制不妊手術を受けさせられた体験が語られていく。

映画の記憶と、上映会でもらった資料から、その概要を以下に。

初潮は15歳の時。
生理の手当ては母親がしてくれたが、そのたびに
「こんなものはなければいいのに」「手術をしなければ」と言われて憂鬱になった。
その手術がどういうものか分からないまま「痛いことは嫌だ」とだけ思っていた。

その後、姉の婚約が自分の障害を理由に解消されたことを知る。
姉は気にしなくていいと言ってくれたが家に居づらくなり
施設に入ることを決意。

今度は施設側が生理の手当てが自分でできなければ受け入れないと言っていると聞かされ、
当惑しているところに母親から「痛くも痒くもない手術がある」と勧められて承諾する。

それでも、最後の日は「さみしかった」。

一週間に渡って卵巣へのコバルト照射。

施設に入所後、体が動かなくなるなどの後遺症に見舞われる。
青い芝の会との出会いを機に、施設を出て自立生活を始める。

はじめは介護者が思うように見つからず、
食事もできず空腹のあまり冷蔵庫に頭を突っ込んでリンゴにかじりついたことも。

自立生活を送り、障害者運動と関わることを通じて、
自分が受けさせられた不妊手術が当時の優生保護法にすら違反するものであったことを知り
声を上げ始める。

佐々木さんは、結婚したいと考えるようになった男性に
子宮摘出のことを打ち明けて、子どもがほしいからそれなら結婚できないと拒否され、
声が出なくなるほど、打ちのめされた体験を持つ。

何も知らされず、承諾させられてしまったが、
子どもが産めなくなるのなら承諾などしなかった、と語る。

2003年から、当時の手術を行った広島市民病院に対して、支援者らと事実解明を求める。

佐々木さんの訴えについては、謝罪はあったものの、
調査しても記録が見つからない、当時の職員にも記憶がないというのみで、
それ以上の進展は今に至るまで、ない。



会場で配布された資料の中に、
99年5月に「世界」に発表された市野川容孝氏の
「福祉国家の優生学 - スウェーデンの強制不妊手術と日本」という文章があって、

それによると、
日本の優生保護法が1949年に制定され、96年に母体保護法に改訂されるまでの間に
実施された優生手術は公式記録にカウントされているだけでも16520件。
しかも、極めて露骨な強制によって実施された疑いが強いとのこと。

1998年には国連の人権委員会から日本政府に対して
被害者の補償を法的措置によって保障するよう勧告が行われているにもかかわらず、
未だになされていない。

          ―――――――

佐々木さんのお母さんの言葉

「こんなものはなければいいのに」

「あんたには生理があってもしょうがないんだから
手術をして止めないといけない」

Ashley事件からKatie Thorpe事件、そしてAngela事件と、
ここ数年、英語圏で続く重症児への子宮摘出(成長抑制)関連事件の中で繰り返されているのも
これと全く同じ言葉だ――。

「どうせ自分から望んで妊娠することなど生涯ないんだから」
「介護者の負担軽減は、本人の利益にも重なる」

そして、さらに

「生理のケアを人にしてもらわなければならないことには尊厳がない」
「知的障害児・者は生理を理解できなくて非常に苦しむから、ない方が本人のため」
「生理痛の不快や苦痛を取り除き、万が一レイプされた時の最悪の事態も避けられる」
「子宮がんなど病気予防にもなる」

こうして、かつては露骨に言われていた「介護負担」が
「本人のQOL」と「本人の最善の利益」という一見もっともらしいゴタクで覆い隠され、
「そこまですることもいとわない美しい親の愛」の甘ったるいコーティングで仕上げされた、

「重症児のQOL向上のための子宮摘出と成長抑制」が
今、ゴリ押しに広げられようとしている――。
2010.05.18 / Top↑
前のエントリーを書いた時に、たまたま見つけた仰天ニュースで、
Bihar州、Khagaria地区のGulariaという村を
Gates 財団が養子にするという話が。

タイトルを見た時には、
前のエントリーのBihar州との覚書に関連した動きを
記事が「養子にする」と表現しているだけなんだろうと思ったのだけど、
全然そうじゃなくて、本気で養子にするつもりという話みたいだから驚く。

どうやら水道も電気も学校も医療施設もない、
少数民族が住んでいる貧しい村の現状を見かねて……ということらしいのだけど

1つの民間財団が1つの村を本気で「養子にする」と言われても、
それが一体どういうことなのか、私にはさっぱり想像もできない。

Gates Foundation to adopt Bihar village
NDTV, May 11, 2010


仮に比喩なんだとしても、
そんな比喩を平気で使ってしまう神経も分からないし、
また堂々と使わせておく村の方も、それをそのまま伝えるメディアの神経も分からない。

でも、グローバリゼーションで、貧困が進む一方の国や地域では
この善意の夫婦の養子になれるのなら、なりたい、してください……と
上がる手も、これから増えていくのかもしれない。

この善意の夫婦もまた、こんなことを言うくらいなのだから
これからも村や町を丸ごと養子にしてやることに、やぶさかではないのだろう。

善意のヴォルデモ―トさんは、
いよいよ人類みんなの、文字通り、親方・親分さまになっていく……。
2010.05.17 / Top↑
インドのビハール州政府は5月12日、

母子・小児保健医療の改善促進のため、
革新的な解決策の開発と実施に向けて協力することとして
ゲイツ財団との間で協力覚書(MoC)に署名した。

MoCは
ゴール、プログラム地域、そして
双方に期待される役割と責任を明記。

Bill Gates氏によると、その目的は、
「栄養、ワクチン接種を含めて
優先課題として良質な家族保健サービスと介入を増やし、
革新的解決方法を開発、実施することによって
妊産婦と新生児、子どもの死亡率を下げること。

また結核、肺炎、下痢についても、
政府と民間セクターが共同して医療の届く範囲を広げ、質を高めることによって
タイムリーな診断と適切なケアを届けるべく、改善を行う」

Gates Foundation, Bihar govt sign MoC in child health
Press Trust of India, May 17, 2010


思い返されるのは、ゲイツ財団が、中国で
官僚が無能だからと「エイズ検査でゼニあげるよ」キャンペーンを仕切っていること。

それから、

人類は2040年に滅亡、でもグローバル福祉国家は通産相兼務の厚生相がご活躍だから大丈夫?とか。

善意のヴォルデモ―トさん――。

いくら善意でも、度が過ぎると、
「善意」よりも「ヴォルデモ―ト」の方をゴチックにしたくなってくる。

それに、他の記事もざざっと眺めてみたけど、
BiharとのMoCで、ワクチンが強調されているのはもちろんのこと
母子保健、家族保健、それから「革新的な解決策」というのが強調されている。
「革新的」という個所が一体どういうことなのか、おおいに気になるところ。

一方で、
早産・死産撲滅に、シアトルこども病院がゲイツ財団、ユニセフ、WHOと乗り出すかと思うと、
G8で途上国の母子保健対策として中絶や家族計画の導入が検討されていたり、
ゲイツ財団資金で超音波による男性の避妊法を開発、途上国向け?
……なんて話もあるものだから。

よもや、そういうのを指して「革新的」だなんてことは?

2010.05.17 / Top↑
Ashley療法、成長抑制を批判し続けている
重症児の母親Clair Royさんが12日のエントリーで、
A療法の正当化は不確かな将来予測に基づいていると指摘している。

例えば、
Ashleyの認知能力は、この先もずっと変わらない、とか
まだ始まってもいない生理が必ずや痛みを伴うものになる、とか
乳房が将来、必ずや大きくなって本人が邪魔くさいに決まっている、とか
大人になった時の身長と体重はこのくらいになる、とか。

そして、
自分の娘が最初は「脳死」だと言われ
(この時、なんと臓器提供を求められています)
その後には「植物状態」だと言われたはずなのに、
今では読み書きもでき、数も数えられるし、周りの出来事も理解している、として

大人になった時にはこうなるはず、という不確実な予測に基づいて
成長抑制を正当化するのは、あまりにも非科学的なのでは、と批判しています。

Predicting Ashley
No More Ashley X’s: Say NO to Growth Attenuation, May 12, 2010


Royさんが書いている批判そのものは、これまでにも
当ブログを含めて、すでに多くの人が指摘している点ではあるのですが、

読みながら、思ったのは、

これと全く同じことが、
昨日「中絶か重症障害か……選ぶのは親のあなた」(英)で取り上げた
障害胎児の中絶や、重症新生児の安楽死にも言えるし、

中途障害者の絶望や重病の人の先取り不安から起きている自殺幇助の要望に、
認めてあげよう、死なせてあげよう、と応じることにも
実は通じているんじゃないのかなぁ……と。
2010.05.17 / Top↑
Gates財団、「ワクチンの10年」に100億ドルの提供を約束。他の政府、民間機関も後に続け、というLancetの論文も。:ちなみにLancetはゲイツ財団の提携誌。
http://www.gatesfoundation.org/press-releases/Pages/decade-of-vaccines-wec-announcement-100129.aspx
http://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736%2810%2960735-0/fulltext?&elsca1=TL-150510&elsca2=email&elsca3=segment

FENの前身Hemlock Societyの創設者 Derek Humphryが自殺の仕方を解説した書、Final Exitの2010年改訂版を出したらしい。第3版。
http://assistedsuicide.org/blog/2010/05/14/final-exit-book-updated-for-2010/

人為的心臓死後臓器提供(DCD)のプロトコルには、臓器はなるべく早く、患者の死を確認するためにはなるべく遅く、という相容れない2つの制約があるとして、DCDドナーは死んでいるとは確認されていない、とする論文。HCRに。
http://www.thehastingscenter.org/Publications/HCR/Detail.aspx?id=4662

80年代から途上国で妊産婦の死亡を防ぐ目的でビタミンAのサプリが普及していたらしい。低コスト、使いやすい、などが利点だったとされる。その安全性に関するLancet論文。短いアブストラクトからは結論が見えない。:掲載誌とテーマからすると、安全性を疑問視する声に対して、反論する内容なんじゃないかと思うんだけど。ここ数年、ビタミンDサプリが言われてるなぁ、とは思っていたんだけど、それ以前にビタミンAサプリが既に広がっていたというのは知らなかった。
http://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736%2810%2960443-6/fulltext?&elsca1=TL-150510&elsca2=email&elsca3=segment

米国各州で進む児童虐待被害者に保障を求める権利を保障する州法制定の動きに、カトリック教会と関連団体が強力なロビー活動でつぶしをかけているらしい。:えげつないなぁ。
http://www.nytimes.com/2010/05/16/opinion/16sun2.html?th&emc=th
2010.05.16 / Top↑
現在、英国で生まれる年間65万人の新生児のうち
約8万人が37週未満の未熟児で、
そのうち半数が集中ケアを受ける。

先週、1キロ未満の超未熟児が増えているというニュースがあり、
プロライフのアドボケイトからは中絶リミットを24週から20週に
引き上げるべきだとの声が起こっているところ。

一方、Newnastle's Royal Victoria Infirmaryの新生児医療専門医の新たな研究結果では
24週未満で生まれた新生児の生存率は15年前と変わらない。

しかも、医療の発展で、その80%が
集中的で、無益な、人によっては“実験的な”と表現する医療を受けてから死んでいく。
生き延びたとしても、重い障害を負うことが多い。

さらに、もう1つ、ごく最近明らかになった調査結果では
未熟児で生まれた子どもは新生児期に激しい痛みを治療で経験するので
それが脳に影響を及ぼし、長じてから
痛みに対して普通の子どもよりも敏感になる、とも言われる。

そこで、医学的にそれが可能だからといって、
病気や障害だらけで生まれた子どもを
何が何でも救命しなければならないとするのは如何なものか、という声が出ている。

……として、
子どもが生まれた時に医師から救命治療について判断を求められて
迷いつつも救命を選び、現在、障害を持つ子どもを育てている3組の夫婦を
取材し、紹介しつつ、

最後に新生児医療の専門家の
「救命した結果、本人に苦痛をもたらすほどの障害を負うケースは、ごくわずか。
大半は、他の子どもたちよりも障害があるという点で異なっているけど、
学校で他の子どもよりも支援があれば、よい生を生きることができる子どもたち。

救命のために力を尽くすべきではないというのは
全く障害が残らない可能性や、十分に対応可能な障害の可能性があるという程度の
ボーダーラインの子どもたちまで切り捨てることになる」
との発言を紹介。

冒頭に紹介されているMeganちゃんのケースで
妊娠中期に流産しそうになった時の医師の発言が、
おそろしく形式的かつ誘導的で、

You can have a termination or I can try to turn a non-surviving fetus into a severely disabled child, by holding off your labour until he baby has a chance of survival. The choice is yours.

中絶もできます。

あるいは、生きる望みが出てくる時期まで陣痛を抑えれば、
ほんらい助からない胎児を救って重症障害を負わせようと試みることはできます。

決めるのはあなた方です。



Two new pieces of research raise a profoundly troubling question: Is it something wrong to keep premature babies alive?
The Daily Mail, May 13, 2010


去年、
早産・死産撲滅に、シアトルこども病院がゲイツ財団、ユニセフ、WHOと乗り出すというニュースを見て、
その「撲滅」の方法に、そこはかとない疑念を感じていたら、

その辺りから、
未熟児を産ませず、生まれても救命しないための科学的エビデンス作りが進んでいると感じられるような
情報がやたらと、あちこちで目に付くようになってきて、
(リンク以外にも、そういうエビデンス作りの研究情報を拾った補遺は多数)

で、この動きは結局、こういう方向のものなんだろうな……と推測していたのだけど、
やっぱり、大当たりだった?

「障害のある生は苦しいばかりで生きるに値しないから死なせてあげよう」と、
出口のところで進む自殺幇助の議論と、いかにもパラレルな議論が
生の入口のところでも進んでいる……ということになるのか。

パラレルだとしたら、
「死の自己決定権」の後ろから「無益な治療」論が追いかけてきていて、
自ら死を選ぶのでないなら病院側が治療を拒否できる仕組みが出来つつあるのと同じように、
今はとりあえず「親の選択」だとして救命を選択できる余地も
そのうち「無益な治療」論によって徐々に狭められていくのかもしれない。

それに、

The choice is yours. 選択するのはあなたです。
……というのは、まぎれもなく「自己選択・責任」を親に負わせる言葉。

障害があるのを承知で生んで、承知で救命したのだから
あとは親の自己選択、自己責任で生涯、面倒をみるんでしょうね、
社会に助けなんざ、期待するんじゃありませんよ。
アンタが好きで生んで、好きで救命したんだからね――。

もはや社会支援の必要はなくなる……?
2010.05.16 / Top↑
Hastings Center Reportの論文。
アブストラクトのみですが、

1961年の自殺法以降、去年のDPPのガイドラインに至るまでの
英国の自殺幇助を巡る議論の流れをまとめ、

その50年間に法律が変わったわけではなく、
去年の議論でも議会は動かず、
ガイドラインも自殺幇助は違法であると明言しているにもかかわらず、

去年の「司法の錬金術(judicial alchemy)」は
無条件に罰せられるべき犯罪を尊重すべき権利に変えたのでは、と。

Assisted Suicide in the UK: From Crime to Right?
Aidan O’Neill,
The Hastings Center Report 40, NO3 (2010)


うん。まったく、その通りだと思う。

しかも、今の英国世論は、この論文の問題提起に対して、
「それを“錬金術”と呼ぶなら、法改正によって合法化し、その“偽善”をこそ正すべき」と
反論する方向に、もんどりうってなだれ込んでいっている……と思う。


去年の英国の自殺幇助議論流れについては、こちらにまとめてあります。

ただ、Purdyさんの裁判から議論が一気に具体化していったのは
それ以前からのことです。

Purdyさんの裁判以降の英国の議論の流れについても
一度エントリーを振り返りながら、まとめておきたいと思いつつ、まだできていませんが、

当ブログの「尊厳死」の書庫の半数以上が英国の自殺幇助議論を追いかけてきたものですから、
興味ある方は、そちらでPurdy, DPP, ガイドライン、英国などのキーワードで検索してみてください。
記事末尾に関連エントリーへのリンク一覧をつけている記事もありますが、
基本的には、そのエントリーよりも以前の情報のみとなります。

また、残念ながらYahooブログの検索は一語、タイトル検索が基本らしいので
いったん「尊厳死」の書庫をクリックしたうえで、
記事一覧の上部に出てくる検索機能を使って内容検索を選択してください。
2010.05.15 / Top↑