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ALD(副腎白質ジストロフィー)の息子Lorenzoを治すために
文献をあたり治療薬となるオイルの発見をした両親の壮絶な努力を描いた映画
「ロレンツォのオイル」(1992年)のモデルとなったLorenzo Odone 氏が
30歳の誕生日の翌日に亡くなったとのこと。
死因は誤嚥性の肺炎。

He Defied The Doctors Until Death Defied Him
The Washington Post, September 23, 2008

映画ではスーザン・サランドンが演じていた母親は2000年に亡くなって、
それ以後は父親が面倒を見てきたとのこと。

もっとも、映画でもそうだった記憶があるのですが
その後もずっと24時間ケアの看護師が雇われていたようです。

オイルを発見する前後の専門家の対応から医学に対する不信が根強い父親は
誕生日の数日前に息子の変調に気付きながら救急車を呼ばず、
好きな物語を読んでやったり音楽をかけてやったりして過ごしていたので
息子の死後、すぐに救急車を呼べばよかったと自分を責めていたとのこと。

しかし、映画ではわずかな反応で意思表示できるという場面があったのですが、
この記事によると経管栄養で20年間一言もしゃべらず、
ぱっと見た目には全く無反応に見えたといいます。

救急車で運ばれていたとしても、
今の米国の医療では「無益」だとされれば
治療を受けられなかった可能性もあるのかも……。


       ――――――――

この映画をビデオで見た当時、私たち夫婦は
重い障害のために3日と元気な日が続かない幼く病弱な娘のケアに
ボロボロになりながら奮闘しているところだったので、

プロの看護師に全面的に子どものケアを託して
夫婦で図書館に詰めて文献研究をする親の姿に、
熱意は認めても、そういう親としてのあり方には疑問を感じたものでした。

あなたたちが今、重い障害を負った子どものためにしてあげられることは
全精力をつぎ込み、それほどの時間を費やして治療法を見つけることよりも
親として子どものそばにいてやることなのでは……?
という気がしたし、

治療法を見つけることに賭けるあれほどの熱意も
むしろ親自身の自己証明の必要が摩り替えられているようにも思えて、
こういう話が美談に仕立てられることに抵抗を覚えました。

私たち夫婦にとっては
それ以後、障害児の親の愛を巡る美談ものに手を出さなくなった
トドメのような映画になりましたが

私は今だに
メディアが障害のある子どもに献身する「美しい親の愛」を描く時、
それは一面だけの真実でしかない……という描き方が多いような気がしていけないし、

一面だけを捉えて描くからこそ美しい誰かの姿をもって、
「障害児の親はかくあるべし」という理想像にされてしまったのでは
一面だけで生きているわけじゃない生身の親としては堪ったもんじゃないよ……と
閉口してしまう。
2008.09.30 / Top↑
9月25日、NYの国連本部で開かれたサミットにおいて
マラリア撲滅に世界中から30億ドルの資金が確約されました。

国連は2015年までに世界の貧困を削減するという目標
the Millennium Development Goalsを策定しているものの
達成は無理だとの批判を浴びており、
それをかわすために特にマラリア撲滅に打って出たとの見方も。

30億ドルの内訳は、
世界銀行から11億ドル
Global Fund to Fight Aids, Tuberculosis and Malaria から16億ドルで、
残りは英政府と、Gates財団を始めとする慈善事業家から提供されます。

サミットでBrown英国首相と並んで登壇したGates氏は
Gates財団が次世代のマラリア・ワクチンを研究するMalaria Vaccine Initiativeに対して
1億6800万ドルを提供することを明言し
会場から大きな拍手を浴びました。
(上記記事にビデオ)

「我々に必要なのはイノベーション、新たな医薬品、そして
我々が必要とする最もドラマチックなものはワクチン」とGates氏。

「最もドラマチック」という表現には、
改めて氏のワクチンに対する思い入れの強さを感じさせられます。

それにしても、
Gates財団のこの存在感――。

一国の政府なみ。

Malaria battle given $3bn boost
BBC, September 26, 2008
2008.09.30 / Top↑
来年から製薬会社2社が医師への支払い内容について一部公開すると決めたことを受けて
NY Times が社説を書いています。

Whose Best Interest?
The New York Times, September 28, 2008


医師の処方が純粋に医学上の理由によるもので
製薬会社との利益関係に影響されたものではないことを
患者が知る必要があるので、
それを考えれば一歩前進ではあるものの、

製薬会社の自発的な判断での断片的な公開では不十分として、
上院に提出されている the Physician Payments Sunshine Act の成立によって
株式や利益分配、その他便宜供与まで広範に公開を義務付けることが必要、としています。

法案にはEli Lilly、Merckその他の製薬会社も賛同しているとのこと。

社説のむすびは
「患者には自分以外に医師に金を払っているのは誰か、それはなぜかを知る権利がある」。


最近の製薬会社がらみのニュースを読めば確かに不信感が募るから
そういう情報を知らせてもらうことは患者の権利なのだろうとは思う。

だけど、患者が医者へ行って薬を出してもらうたびに
「薬屋からゼニもらってるから出しているんじゃないだろうな」と
公開情報を探ってみなければならないというのも、なんだか悲しい。

患者としては、もっと素朴に医師の良心というものを信頼していたいのだけど。


2008.09.30 / Top↑
Mary Helen Warnockという英国の著名哲学者が
2冊の雑誌のインタビューと寄稿記事とで
認知症患者には家族や社会の負担になることを避けるために死ぬ義務がある」と主張し、
物議を醸しています。




以上の記事の中からWarnock氏の発言を抜き出してみると、

あなたが認知症であるなら、あなたは人々の人生を浪費しているのです。
あなたの家族の人生を浪費しNHSの資源を浪費しているのです。

自分のためにも他者のためにも、そう(自殺)しなければならないと考えることは
ちっとも間違っていません。

苦痛が耐え難いのであれば死ぬ手助けを受けるべきだという議論に
私はまったく完全に同意します。
しかし私としては、その議論をさらに拡げて
家族または国家の重荷になっているから死にたいと
確信を持って心から願う人もまた死ぬことを許されるべきだと思います。

もし、あなたに事前意思(の文書)があって
意思決定能力がなくなった時に代理となってくれる人を任命していれば
その代理があなたはこんな状態で生き続けたくないから死なせてくださいと発言してくれるかもしれません。
そういうことが行われていかなければならないと思うのです。
ちょっと酷い言い方をすれば、他者を死なせる権限を人々に与えようということです。

よく読んでみると結局
Warnock氏自身が「死ぬ義務」という言葉を使ったのではなく、その言葉自体は
氏の発言意図をメディアや批判する人たちが解釈して使った表現のようでもありますが、

Warnock氏は2004年にも同様の発言をしており、

UK’s “Philosopher Queen,” Warnock Says Elderly and Ill have Obligation to Suicide
“I am not ashamed to say some lives are more worth living than others.”
LiveSiteNews.com, December 14, 2004

そこで対象となっているのは高齢者と病者(特に重症児と思われます)で、

文脈が違えば、家族のための自己犠牲は良いことだとされるのだから
大きな負担になっていくことを避けようとする動機が
それほど悪いものだとは私には思えません。

ある人の命は他の人の命ほど生きるに値しないと発言することを
私は恥ずかしいとは感じません。

(医師のアドバイスに反して病気の子どもを生かして欲しいと望む親は
 自分でその費用を支払うべきだと述べて)
つまり、こういうことです。
「わかりました。生かしてあげましょう。
でもその費用は家族が支払わなければなりませんよ」


このたびの発言は
英国上院では安楽死法制化をめぐって議論が行われているタイミングとあって、
法制化に向かって世論を大きく傾ける影響力が懸念され、
アルツハイマー協会を始め関係各所から非難の声が巻き起こっています。

また以下のABCなど米国でも批判の声が起こっていて

“Ashley療法”論争で御馴染みの倫理学者Arthur Caplanが
「死ぬ義務のある人など誰もいない。
 他者への負担となるからといって社会が誰かに死ぬことを“期待”するという考えは
 ただただ倫理的におぞましい」

またアルツハイマー協会への助言団体の関係者 Dr. Sam Gandyは
アルツハイマー患者には病識がないことも多く、自己決定できない場合には、
家族は、自分が自殺を幇助するか、または死なせてくれる医師を探すかの
2者択一を迫られることになる、と批判。
Warnock提案が米国でもてはやされるようになる前に
安楽死の線引きをきっちり議論しなければならない、と。

またCase Western Reserve大学法学部の Maxwell Mehlman氏は
「医療費の増大を制御する方法が模索されている反面、
機能の高い人、少なくともメンタル機能の高い人への高額な医療アクセスが優先されている」

Ohio大学の外科医で倫理学者のDr. Jonathan Gronerは
こういう施策は滑り坂であると批判し、
「社会へのコストという点では、喫煙者のコストの方が大きいと思う。
アルコールの濫用もかなり高価についている。
そういう中でなぜ認知症の高齢者をいじめなければならないのか」


【追記】
その後、もう一度記事をよく読み返してみたら、
Warnock氏自身がノルウェイの雑誌に書いた記事に「死ぬ義務?」というタイトルをつけていました。

           ――――――

個人的に、ちょっと気になったのは
The Mental Capacity Act(MCA)が触れられていて、
それが延命を拒むための代理人任命ツールと捉えられているらしいこと。

英国の新しい後見法であるMCAについては
重症児Katie Thorpeの子宮摘出ケースを追いかける過程でちょっとだけ齧っただけですが

MCA策定の意図は自分で意思決定することが難しい人に対して
最大限の自己決定権を尊重・保障して代理決定を行うための手続きを明確にすることだと理解していたし

とはいえ、どこかでこれは弱者切り捨ての手続き上のアリバイとしても使われるのでは
との懸念はKatieケースでMCAに触れた当時、感じていたので、
ああ、やっぱりこういう捉え方が出てきたか……と。

BBC(9月19日)の記事が
三宅貴夫先生の「認知症なんでもサイト」に日本語で紹介されており
そこでもMCAに言及されています。

もっともこれらの記事を読む限り、
Warnock氏が直接Mental Capacity Act を持ち出しているのか
それともメディアの方で氏の「事前意思と代理」云々をMCAに当てはめたのか
ちょっと判然としないところもあるのですが。


いずれにせよ、認知症に限らず重度の障害者・不治の重病患者を
社会に無駄なコストをかける厄介者として排除しようとする動きは欧米各国で
じわじわと広がっていて、その広がりの速度は思いのほかに速く、

そうした動きは制度化されたり法制化されないまでも、
議論そのものが治療や支援を求めにくい空気を広げていくと思われ

(この点は日本でも表立った議論がないまま、空気だけは広がっているのでは?)

しかし、その一方で、
恩恵を被るのは一部の特権的な人たちのみであることが明らかな
不老不死や人類改造のテクノロジー開発に投入されている膨大な資金については
あまり問題にされることがないのはMehlmen氏が指摘している通りだと思う。


自殺幇助についての関連エントリーは、前の回にまとめました。

また、米国における同様の議論については
「無益な治療」の書庫に。
2008.09.29 / Top↑
Wisconsin州でリンパ腫を患う63歳の男性が自殺。
遺言状には自殺を手助けした妻と娘に財産を相続させると書かれており、
その有効性を問題にして前妻の子どもたちが訴えていた裁判で、

同州の法律では
意図的に殺した人間が被害者の財産を相続することは禁じているものの
「自分の意思で意図的に自らの命を断つ人の手助けをする者が
他者の命を奪っていないことは明白である」として、
男性の妻と娘に遺言状どおりの財産相続を認めた、とのこと。

Court: Relatives who assist in suicide can inherit
AP (The Chicago Tribune), September 28, 2008


妻と娘は男性を病院から連れ出して男性所有の山小屋へ連れて行き、
自殺念慮があることを知りながら弾が入った銃を手渡して立ち去った…
…というのが、訴えた前妻の子どもたちの主張。

それに対して裁判所は
弾の入った銃を提供したことが男性の命を奪ったわけではなく
男性はその銃を使って自分を撃つことによって自らの命を断ったのである、と。

ただし、Wisconsinの法律では自殺幇助そのものが認められておらず、
他者の自殺を手伝う者には重罪として最高6年の懲役の可能性があります。

妻と娘が山小屋に運んだことは認めても自殺幇助の事実まで認めていないのは
恐らくそちらの法律を意識したものと思われますが、
この裁判は遺言状の有効性を問うもので、
自殺幇助を違法とする法律は該当しないようです。


しかし、文末の関連エントリーをみていただくと
ここ暫くの間に当ブログが拾っただけでも、
世界で自殺幇助を巡る動きがどれほど大きいかが一目瞭然と思いますが、

Oregon州では自殺幇助が認められているし、
Washington州にも同様の法律を求める運動が行われているところ。
米国以外でもオランダを始め、いくつかの国が合法化しています。
外国人に自殺幇助を行っているスイスのDignitas クリニックには、
合法化されていない国の自殺希望者が次々に訪れています。

闇で自殺幇助を請け負うプロも現われてきています。

こうした状況の中で自殺幇助をした人にも財産相続権が認められるということになると
自殺したい人が財産と引き換えに幇助を依頼することも起こってくるだろうし、
財産目的の親族に自殺を装って殺される人だって出てくるのでは?



2008.09.29 / Top↑
前回のエントリーにKazu’SさんからTBをいただきました。
どうやら前のエントリーがJoanne Hillの娘の殺害行為を擁護しているように読めるようなので、
無用な誤解を招かないよう、いくつか補足を。

記事を書くときに無意識にこれまでの一連の流れの中で書いてしまって、
読んでくださる方にとっては1本ごとなのだということを
つい失念してしまうのがいけないのだろうと思うのですが、

このブログはAshley事件を契機に
欧米で生命倫理が危うい方向に向かっているのではないかという疑問を感じ、
何も知らないところから興味の赴くままの読みかじりをアップしているものです。

読みかじりとはいえ、それなりに続けていると見えてくるものはあって、

英米カナダで障害のある子どもを親が殺す事件が相次いでおり、
メディアと世論に、その行為を擁護するトーンが感じられることがあります。
中には殺した親自身が「殺されることが娘の利益だった」と主張するようなケースもあります。
(詳細は「切り捨てられていく障害児・者」の書庫に。)

また、その一方に、障害児が産まれないようにしようとする新しい優生思想の動きや
重い知的・認知障害を負った人には治療・栄養を拒んで死なせようとする動きもあります。
(「新・優生思想」、「無益な治療」、「尊厳死」の書庫に。)

そうした欧米の動向を懸念しつつニュースを追いかけて来た者として、
私はHillに対する終身刑の判決そのものは、とりあえず歓迎したいと感じました。

重症障害を負った人に治療を拒む「無益な治療」論においても、
Ashleyのような知的障害者への不妊手術においても
医療の現場で作られていく既成事実に
からくも歯止めとなっているのが唯一司法である現状を思えば、
親の障害にも「言い訳はありえない」とした判決理由にも
そうした背景への司法からの意思表示という意味合いもあるのかもしれない、とも考えました。

しかしAshley事件を始め多くの事件報道がそうであるように
細かい事実関係を丁寧に抑えてみたら
事件の思いがけない実相が見えてくることがあります。

このHillの事件でも、
「子どもに障害があったから殺した」という単純な理解では事件の本質を見落とすのではないか、
この事件には、また別の角度から丁寧に考えなければならないことがあるのではないか、
むしろ、これは障害のある親の子育て支援の問題なのではないか、ということを、
なによりも事件のまとめとしては書きたいと考えました。

その上で、いくつか気になる点に触れました。

障害のある子どもの命や身体の軽視を最近の欧米の事件に感じますが、
その際に子どもの状態が障害ではなく重病であるとの誤解が目に付きます。
障害それ自体が苦痛を伴っているような誤解を招く表現や
実際よりも悲惨な状態にあるかのように表現されてしまうと、
障害のある子どもを巡る事件では本質が捻じ曲げられてしまうので
父親が指摘しているsuffer fromという表現は当たらないという点には同意であること。

しかし、その一方で、夫婦関係が上手くいっていなかったと思われる父親が描く
「愛情のない母親が残虐な殺し方をした」という図もまた
事実とは言いきれないのではないか、と思うこと。

事件について考えるためには、
そうしたことの一つ一つを丁寧に考えていかなければ
大事なものを見落としたまま分かったつもりになってしまうのではないかと思うからです。

そこまでがHill事件の簡単なまとめとして書いた部分。
それ以上の興味がおありの方はリンクから直接記事を当たってくださると思うので。

Hillの事件のニュースを読めば当然のこととして福岡の事件との連想が働きますが、
福岡の事件については、事実関係がまだ断片的にしか出てきていないし
どう考えたらいいのか私自身は未だに整理しきれていません。
だから直接そちらの事件に触れることはしませんでした。

ただ福岡の事件を知った時に、すぐに頭に浮かんだのは
「知的障害者の施設はある、身体障害者の施設もある、重心施設もある、
だけど発達障害の子どもの親のレスパイトには、どういう受け皿があるのだろう?」
ということでした。
不勉強で答えは分からないのですが、今のところ調べていません。
地域による違いもあると思いますが、おそらく十分整備されていないだろうと、
この事件で初めて自分の直接体験ではない発達障害の子どもの親御さんたちの状況に
具体的な想像が及んだということです。

そこから考えは、日ごろ考えている介護者(育児)支援の問題に繋がりました。

「なぜ母親がSOSの声を挙げるのはこんなに難しいのか」
「具体的にどういう支援があれば、親が本当に支援されるのか」

Hillの事件を考えたときに、
健康な母親でも自ら支援を求める声は上げにくいのだから、
障害のある母親であれば、もっと挙げにくいだろう、と思う。

本当に支援を必要としている人が「助けてほしい」と声を出せるためには、
何よりも、まず母性信仰で母親を追い詰めるのを止めてもらえないものか。

そして支援をする側の人には、そういう母親の複雑な心理を理解してもらいたいし、
できれば支援する側から迎えに行く支援も、仕事のひとつのあり方として考えてもらえないだろうか。

……というのは、日ごろから考えていることですが、
それをこの事件にかこつけて書かせてもらいました。
2008.09.26 / Top↑
英国で去年11月に脳性まひの4歳の娘Naomiをフロで溺死させた母親Joanne Hill(32)に
終身刑(最低15年)が言い渡されました。

以下の2つの記事には
殺害動機は装具を使って歩く脳性まひの娘を恥じたためだとされているのですが、

事件の詳細を読んでみると、
むしろ母親自身の障害が大きな要因であった事件のように思われてきます。

Jaonne Hill jailed for murder after drowning her four-year-old daughter
The Times, September 24, 2008
(Naomiの写真あり)

Mother murdered disabled daughter
BBC, September 23, 2008
(母親の写真と父親の会見ビデオあり)


母親のJoanneは広告代理店の役員ですが
記事からはアルコール依存があった模様で、
結婚生活にも問題を抱えていたようです。

もともと17歳の時に不安と反復思考を訴えて児童精神科の診察を受けており、
2000年には2回の自殺未遂、
Naomiの出産後には重症のうつ病にも。

上記BBCの写真を見ても、
表情すら失ったような絶望的な暗さは痛ましい。

(弁護側は判断能力の喪失を訴えたようですが、
 判事の判決理由は「どんな言い訳もありえない」というもので
 この辺りには、ちょっと政治的な解釈もありうるのかも?)

一方、Naomiちゃんの脳性まひそのものはそれほど重度のものではなく、
父親の会見によると、時間がかかるだけで4歳児にできることは何でもできたといいます。
病気として捉えると Naomi suffered from cerebral palsy(脳性まひを患う、脳性まひに苦しんでいる)
という表現が使われますが、裁判で使われたこの表現について父親は
「事実ではない。Naomiは苦しんでなどいなかった」と否定しており、

私もこの点には共感を覚えます。
それが本人にとっての常態である幼い脳性まひ児にとっては
自分が不自由であることの認識そのものが少なくともまだないし、
(知的障害がなければ、4歳ならあるかもしれないけど)
障害があるというだけでその子どもが苦しんでいるとか不幸だと決め付ける表現には
事実を捻じ曲げる危険性があると思います。

(こうした表現はAshley事件でも多用され、
Ashleyの状態が過剰に悲劇的なものとイメージされることに繋がりました)

事件の直前にJoanneが会社の同僚と不倫を重ねていることや
父親の会見の内容やトーンからも夫婦関係はすでに冷めていたのだろうと推測されますが
彼によれば水が怖くて泳げないJoanneにとって
水の中に沈められることが最大の恐怖だったとのこと。

「私のプリンセスに彼女がしたことは邪悪だ」と非難した父親は
そのエピソードを邪悪さの裏づけとして語ったのだろうけれど、
それは娘にそれほどの憎しみを抱いていたとか、
最も酷い殺し方を敢えて選んだということよりも、むしろ、
彼女をずっと苦しめてきた自分や自分の人生に対する不安や恐怖の象徴として
水の中に沈められるという具体的な恐怖がリアルに存在し続けていたということではないんだろうか。

結婚生活の破綻やアルコール依存、子育てと恐らくは仕事との両立にも苦しみつつ、
彼女は自分にはもっと酷いことが起こるという恐怖にさいなまれていたと思うし、
自棄的にアルコールと情事に溺れれば溺れるほど
「水の中に沈められる自分」という破滅のイメージに
実は自分自身が追い詰められていたんじゃないんだろうか。

「娘の脳性まひを恥じたから」母親が殺した事件として
メディアも世間も単純に捉えてしまいそうですが、
もちろん子どもの障害が追加のストレスになった面はあるにしても。
この事件の本質は子どもの障害ではなく、むしろ母親の障害のほうであり、
仮にNaomiが健常な子どもであっても、この人は殺したのかもしれないという気がする。

脳性まひの支援団体Scopeの関係者が次のように言っています。

どれほど多くの障害のある親が
子育てをする時に必要な支援を得ることができていないか、
いかに社会が障害に否定的な目を向け、恥じる気持ちとスティグマを作り出しているか。
この事件が提示しているのは、そうした、もっと広い問題です。

悲しいことに、このケースでは、それが証明されて
こうした要因の組み合わせが死を招いてしまいました。

さまざまな要因の組み合わせ──。
この言葉がとても印象に残った。


親は、特に母親は
世間から母性信仰をインプットされて、程度の差こそあれ、それを内在化させてしまっているので
子育てが自分にとって苦しくなればなるほど
自分が子育てに苦しんでいることを自分で認めることが難しくなる、
まして自分から助けを求めることが出来ず、
むしろ「苦しい、逃げ出したい」と感じる自分を責める気持ちから
逆に明るく強い母をさらに自分に強いて、頑張り続けていたりもする。

健康な母親であっても、そうなのだから、
もともと精神的に、肉体的に弱いところのある母親にとっては
そこに子どもへの罪悪感や自分への否定的な目線が追加されて、
自分から支援を求めて声を上げることなど、ほとんど不可能なはず。

いかに愛情があっても、子育ては時に苦しい、限界を超えて苦しいこともある。
どんなに深い愛情があっても、生身の人間である親に耐えられることには限界がある。

それを個々の親の愛情や努力とは無関係な当たり前の事実として受け止めて、
そういう世の中の共通認識を作っていくべきなんじゃないだろうか。

子どもの障害を親の「献身」や「美しい親の愛」とセットで語ることも、
もう止めてもらえないだろうか。

そして、心の奥深いところに悲鳴を押し殺したまま
頑張り続けるしかないところに追い詰められてしまった親たちを
支援する側が見つけ出して、迎えにいってあげてもらえないだろうか。

よくここまで頑張ってきたね、
もう、これからは1人で背負って頑張らなくてもいいんだよ、と。

もちろん、その時には本当に1人でがんばり続けなくてもいいだけの
本当の「支援」を用意しておいてほしい。

名前だけ「支援」のフリをした「相談」でも「指導」でも「教育」でもなくて。


【関連エントリー】

重症障害を持つ娘の子育てを振り返って
支援について考えてみたエントリーです。

2008.09.25 / Top↑
米国科学財団と商務省が共催したNBIC4分野の技術統合を巡るワークショップについて
その長大なレポートの一部をつまみ読みしているところなのですが、
(これまで読んだ部分は「米政府NBICレポート」の書庫に)

主要テーマのひとつ「人間の認知とコミュニケーションの拡大」の項目に、
「脳を完全に理解すると何が起こるか」というタイトルの論文があります。

NBICの1つInfoの専門家は実は脳を理解するよりも、
いっそコンピューターそのものになってしまいたいのか……と思わせられる内容。

書いたのはWarren Robinettという
ヴァーチャル・リアリティ、グラフィック・ソフトウエアのデザイナーで
NASAの軍事研究にも参加している人物。


記憶のメカニズムは?
学習、認識のメカニズムは?
知識とは、言語とは、情緒とは、思考とは──?

Robinettによると、このような疑問には
いずれ脳の機能が完全に解明されるにつれて完全な答えが出される、
その時には以下のようなことが可能になるのだとか。

ヴァーチャルな存在
電話で遠くの人と話が出来るのと同じことが視覚的にも触覚的にも可能になる。
遠隔会議、危険な場所や物体の遠隔操作、顕微鏡を使った環境操作(人体の内部など)。

ベターな感覚
現在のめがねや補聴器のような侵襲度の低い手段でなく、
外科的に眼球に修正を施し、いや、いっそ眼球そのものを取り替えてしまおう。
脳が解明され、視神経と人口の眼球が繋がれれば
これまでの人間には見ることのできなかったものを見ることも可能になる。
(例えば放射線とか)

ベターな記憶
この項目が何より不気味なのは、
この人にとって人間の脳はコンピューターと変わらないんだなと感じられる部分で
例えば、

人間の記憶の保存メカニズムは? その機構は?
人間の記憶のデータ構造は? バイトはどこにあるのか? 
人間の記憶システムの総和はギガバイトで言うと(またはぺタバイトか)?

こうした問いに答えさえ得られれば、
人間の記憶の機構に応じた追加メモリーをデザインすることができる。

記憶のメカニズムと、ビットの保存場所、そのつながりががわかれば、
PCと同じように脳のマイクロ外科手術で追加メモリーのインストールが可能だ。

出荷時(誕生時)には20ぺタバイトでも、200ぺタバイトになれたら、その方がベターだろう?

さらに人工の眼球に高性能のビデオ装置を取り付けておけば、
一生の間に見たものが正確に記憶され、
そのデータを1時間テープに取り出して棚に時系列に並べておくことも可能だ。
ナノテクによって、非常に小さな単位のデータ保存も可能になり、
一生分の記憶をあせることない完全な形で残すことが出来る。

ベターな想像力
将来起こりうることを予測して対処法を考えることが
脳の機能を強化することによって、はるかに正確にできるようになる。


でも実はこの論文の真骨頂はここからで
Robinett自身「本当にクレージーなもの」と銘打っていますが、

自分自身を新たなハードウエアにインストール
脳が完全に解明されれば、人の知識、パーソナリティ、性格、習慣が完全に解明されるので
それらをデータ化すれば一人の人間のマインドをそっくり別のハードに移すことも可能だ。
自分のバックアップを取っておけば死ぬこともない。
とろくさいニューロンしかない肉体とはおさらばして、
ナノ・スピードで機能するハードに乗り換えよう。
宇宙適応のハードに乗り換えれば、もはや地球環境なんて必要ない。

インスタント学習
本や学校で学ぶ古臭いやり方も楽しいかもしれないけど、
知識なんて一瞬にしてファイルごと得ることができる。
数学の博士号なんてワン・クリックでOK。

ミツバチの巣マインド
さらなるハイ・バンドのコミュニケーションによって
知は常に更新されていく。しかも個人の知と集団の知の境目はなくなって
ミツバチの巣のように人間の知は統合されて1つの大きな知の総合体を形作るのだ。

光スピードの移動
人のマインドそのものがデータ化されれば人の移動もデータの移動に過ぎない。
火星なんて1時間で行ける距離になる。

お好みの方向に進化
人間のマインドがプログラムとデータとなるので、
ハードもソフトも開発は思いのままだ。
出来ないことだらけのマシーン(つまり肉体)なんて棄てて
苦痛や空腹、肉欲やプライドから解放された人間は
次なる進化をどういう方向に求めるだろうか?


つまり、脳が全面的に解明された暁には
人間はコンピューターと一体化する、というか、
コンピューターそのものになるという趣旨なのですね。

何度も繰り返すようですが、
このワークショップも報告書も、
米国政府筋の様々な機関から代表者が集まって行われたもので、
決して、そこらへんのトランスヒューマニストらが集まって
好きなようにヨタ話を繰り広げているという話ではありません。
2008.09.24 / Top↑
Fay, Guistav, Hanna, そして Ikeという4つの大型ハリケーンに
相次いで見舞われたハイチの被災状況のニュースを読んでいたら、
restaveks という見覚えのある現地語に出くわした。

この言葉に初めて出会ったのは数ヶ月前。
途中まで読んでそのままになっている本なのだけど、
Crime So Monstrous by E. Benjamin Skinner  の中でのことだった。

奴隷というと過去の話だと思っている人が多いけれど、
ILOの試算によると、現在、世界中で少なく見積もっても1230万人の奴隷がいて、
実は、史上、最も奴隷の数が多い時代に我々は生きているのだと
この本が最初に詳細に描いて見せるのが
ニューヨークからほんの数時間で行けるハイチの首都Part-au-Princeでの
子どもの売買の実態。

国そのものが貧しくて、さらに国内で格差が広がる一方のハイチで
子どもを学校へ行かせてやるどころか満足に食べさせることもできない
最も貧しい階層の親たちが口減らしのためと教育を受けさせてもらえるという期待から
ブローカーを通じて子どもたちを、いわば「奉公に出す」のだけれど、
実際には学校へ行かせてやるという約束が守られることは稀で、
子どもたちは富裕層の家庭で奴隷労働に従事させられている。

その家庭に同年齢の子どもたちがいれば、
その子どもたちの専属の世話係にされて、
身の回り一切の世話をさせられ、
自分が行くことのできない学校へ送り迎えをし、
彼らの残飯を食事に与えられ、虐待されている。

そうした家庭内の奴隷として拘束されている子どもの名前が restavek。

その数は1992年には10万人程度だったのが
98年には30万人に増え(これはハイチの子供10人に1人の割合)
2002年には40万人に達したとのこと。

以下のNY Times の記事は
ハリケーンで雇い主に見捨てられて行き場を失ったまま、
援助物資の配給からもはじき出されて、
配給の際にこぼれた食糧を拾い集めている
もとrestavekだった子どもたちの姿を描いています。

Children in Servitude, the Poorest of Haiti’s Poor
The New York Times, September 14, 2008


強いものの欲望を満たすために弱いものの弱さに付け込んで
経済を通じて、医療を通じて、科学と技術を通じて、
強いものにだけ都合のよい世界が急速に作られていく。

世界中で最も声の弱い、最も立場の弱い者から踏みにじられていく。
これも、その1つの形。
2008.09.24 / Top↑
京都大学の山中伸弥教授が世界に先駆けて作成に成功したiPS細胞について、
どうしても「作る」という言葉から捉えてしまっていたのですが、

先日、「iPS細胞が出来た!」という本で
山中伸也教授と同じく京大の畑中正一名誉教授の対談を読んでいたら、
畑中教授が「細胞の初期化に成功した」という捉え方でiPS細胞を語る下りがあって、
その表現がすぱっと腑に落ちた。

それまで「万能細胞を作る」という漠然としたイメージだったのだけれど、
「皮膚の細胞に遺伝子を4つ入れてみたら、細胞が初期化された」と考えると
文系頭にもクリアに分かりやすい。

もしかしたら、この理解では間違っているのかもしれないけど、
素人なんだから、いいや。当分はこの理解で行こう。

ところで、
ずっと調べてみようと思いながらサボっていたけど、
iPS細胞とは induced pluripotent stem cell (人口多能性幹細胞)なんだそうな。

その他、面白かったところ。

切っても生えてくるトカゲの尻尾には実は骨がないけど、
イモリの尻尾は切ったら骨から再生して生えてくる。
現在「再生医療」というと
「移植でとってつける」とか「作ってつける」ものということになっているけど、
本来はそうじゃなくて、イモリのように骨から再生するのが再生のはずだとして
山中氏がイモリやプラナリアの研究が大事だと言っていること。

それから、
この本の場合、副題が「ひろがる人類の夢」であり、
出版社の企画の意図そのものがそこにあるわけだから
編集部の意を受けた畑中教授は奮闘しきりで、
iPS細胞の成功がすぐにも具体的な病気の治療に結びつくかのように
次々に夢を描いてみせては挑発するのだけれど、
山中教授は慎重で、乗っていかない。

臨床で役に立つ可能性のある研究ができたことを喜びつつ
臨床応用が可能になるまでには
まだまだやらなければならないことが沢山あると繰り返し語って、
性急に患者の期待や希望をかきたてることには加担しない。

例えば、
現在はシャーレの中で行う細胞を培養して組織を作る二次元培養だけれど
すでに三次元培養が始まっているから今に臓器の再生も可能になるだろうと、
畑中氏ににけしかけられた山中氏は

「あの、やっぱりだいぶ難しい話だと思うんですけど」
「いま僕らが持っている知識だと、ちょっとなかなか三次元的なものは……」

その、はったりのない誠実さが好もしかった。

そういえば立花隆氏なんか、もう何年も前に
臓器再生が間もなく可能になる!みたいなトーンで語っていなかったっけ?

無責任な先走りで今にも可能になるかのように万能の夢を描いてみせる人がいるから
その夢に浮き足立った世の中の価値観がおかしくなっていく。

はるか先の見果てぬ夢に心を奪われて、
足元の現実を生きていくことの大切さが忘れられていく。

そして、そんなふうに浮き足立った人々に
グローバリズムとネオリベラリズムが付けこんで
強い者がさらに力を得るのに都合のよい世の中が急速に作り上げられていく。

弱い者へのリスクなどお構いなしに、なりふり構わぬ競争を繰り広げては
いっそジャマだと一番弱い者から切り捨てることまで目論みながら。
2008.09.21 / Top↑
1ヶ月前にCanberraのナーシング・ホームで
アルコール性認知症の患者が他の入所者を殴り殺すという事件があり、
高等裁判所が犯人の男性には罪状認否の能力がないと判断。

この事件を受けて、
地域への危険となるが犯罪を起こしたとしても責任を問えない人たちには予防拘禁が必要だとの
声が上がっている。

Patient unfit to plead: coroner
The Canberra Times, September 18, 2008


Ashley事件射水市民病院の呼吸器外し事件のように、
事件のディテールに目を向けると意外な側面が見えてきて、
それによって事件の意味がまるきり異なってくることがありますが、

この殺人事件にも興味深いディテールがあります。

日ごろかっとなっては他の入所者(特に女性)を殴ったり
粗暴な言動でスタッフにも怖がられていたのは今回殺された被害者の方で、
加害者はむしろ穏やかで誰からも好かれていたということ。

事件前日には被害者が加害者につきまとって強引に部屋に入ろうとするなど、
トラブルがあったとか、
また事件発生当時、被害者はいつものように暴れたので薬で沈静されていたとか。

「認知症患者が同じ入所者を撲殺」という単純な事件の捉え方をすると
「認知症で人格のすさんだ患者がその症状ゆえに起こした殺人事件」だと受け止めがちですが、
事実関係からは、そうばかり言えないかも。

認知症患者を巡るステレオタイプや排除意識が短絡的にこういう事件と繋がると、
予防拘禁という発想になるのかもしれないけど、

じゃぁ翻って、
予防拘禁の対象者をどうやって線引きするのだろう……と考えたら、
やっぱりそこには滑り坂が潜んでいるのでは、と思う。


ちなみに日本では池田小学校事件を機に医療観察法を制定・施行。

医療観察法の行方
伊藤哲寛(精神科医)
医療観察法.NET,  2007年10月
2008.09.20 / Top↑
食糧、医薬品、医療資材として遺伝子組み換え動物が開発されており
そのビジネス・ポテンシャルに期待が集まっていますが、
FDAがやっと遺伝子組み換え(GE)動物に関する規制のガイドラインを発表。

Rules on Bioengineered Animals
The Washington Post , September 18, 2008

現在開発されているのは鮭、豚、牛、ヤギで
主要な目的は2つ。

病気になりにくく発育が早くて栄養価の高い食物としての動物を作ることと
動物の臓器や体液を使ってホルモンや抗生物質など医療に使える物質を生成すること。

FDAのガイドラインは
動物に対する遺伝子組み換えの全てのステップの詳細を届け出るように求めており、
またGE動物の追跡、通常の動物と混じらない用心、死後の確実な廃棄についても
届け出るように求めています。

ガイドラインに強制力はありませんが、
GE動物の商業化には薬と同じ認可が必要。

FDAのスタンスとしては、
動物に組み込まれるDNAを薬品と見なすため、
そのDNAと動物とが分離できない以上、
動物を規制することによって薬品であるDNAをコントロールする、というもの。

しかしGE動物から加工した食品には表示の義務があるわけではないことや
(栄養成分を変える場合は添加物と見なされるので表示が義務付けられる)
詳細な情報が届け出られたとしても、
企業間の公平な競争のためにそのデータをFDAが公開することはできないこと、
何らかのアクシデントでGE動物が通常の動物の中に交わり出てしまうなど、

リスクを懸念する声も。

そういえば、動物に先駆けて実用化・商業化されているGE植物では、
花粉の飛散を防ぎきれずに他の自然の植物と交わってしまい、
すでに遺伝子の環境汚染が起こっているというニュースを読んだ記憶が……。

こういうことの長期的な影響がどういう形で現われてくるのか、
本当は誰にも予測できないのでは?
2008.09.20 / Top↑
今朝書いたエントリー遺伝子診断、無用のストレスが身体に悪いだけ
髣髴とさせるような記事が出てきました。

Googleの創設者の1人で現在も技術部門の社長を務める Sergey Brin氏が
自分の遺伝子を調べてもらったところ、
パーキンソン病になりやすい遺伝子の変異が見つかった、と
自らのブログで告白。

同じ遺伝子変異のあるBrin氏の母親は現在パーキンソン病にかかっている。

生涯のうちにパーキンソン病にかかる確率は20~80%だと氏自身は書いているが、
専門家の話では「この変異があっても発病しない人もいる」とのこと。

発病する人の多くは50代、60代での発病。
氏自身は現在35歳。

運動がパーキンソン病の予防に良いといわれているなど
これから病気についての情報を収集し、
今後の生活を通じて予防の努力をする、とのこと。

また米国で13番目のお金持ちだと言われるBrin氏は
今後パーキンソン病の研究に資金を提供していく、とも。


20%~80%の確率。
発病しない可能性だって、ある。

それでも35歳にして知ってしまったら、
ものすごい時間とエネルギーを費やしてパーキンソン病について
ありとあらゆることを調べ尽くそうとするだろうし、

他に何か予防のために出来ることはないか、
常に気にかかって強迫観念のようになりそうな気がする。

それは、まだ病気になってもいないのに、
自分の健康なはずの日常を病気に早くも蝕まれてしまうようなものじゃないだろうか。

そして、日々が恐怖との戦いになるのでは?

Brin氏の発言内容そのものが
人は知ったら対策を立てずにいられない、
したがって苦しまずにいられないことを物語っている。

もしも同じ変異があっても知らないままに50歳で発病するとしたら、
少なくとも、まだ15年間はこれまでどおりに安穏と暮らせただろうに。

この人はこれから、何でもない体のだるさや、ちょっとしたぴくつきなどにも
いちいち「ついに来たか」とビクビクして暮らすことになるんじゃないだろうか。

知ってもどうにもならないことなら、
知らないでいた方がいいことも人生には結構あるような気がする。
2008.09.19 / Top↑
またか……という気のするニュースですが、

販売戦略によって超ヒット商品になっている Zyprexa と Risperdal。
実はそれまでの、はるかに安い薬と効果が変わらないばかりか独自の副作用があることが
成人だけでなく、このたび子どもでの実験でも確認されたとのこと。

それで、NY Times の社説が

それまでの安価な薬との比較検証が行われるより前に
製薬会社の激しい売り込みによって広く使われるようになる。
大人にこれだけ使われるのだから信頼性があるとばかりに医師が子どもにも処方する。

パワフルな販促キャンペーンで爆発的に売れるようになる前に、
最初の段階で新薬とそれまでの薬とを比較検証すべき。

Two More Blockbusters Fall Short
The New York Times, September 18, 2008


2005年に米国精神衛生研究所(NIMH)が行った大規模な研究で
新しく開発された抗精神病薬の効果はそれまでのはるかに安い薬と変わらない
という結果が出ていましたが、それは成人の話。

このたび、同じNIMHによる小規模な研究は8歳から19歳を対象にしたもので
結果は同じで効果は安い他の薬と変わらない。

ただしZyprexa(Eli Lilly) と Risperdal (Janssen)にはそれまでの商品になかった
肥満が起きる、コレステロールとインシュリン値に影響するなどの副作用がある。

It is another disturbing example of how aggressive marketing can propel drugs to blockbuster sales even though they are no more effective, and possibly more risky, than older versions.

どこにも「製薬会社が」とも「政府が」とも実は書いていないのですが、
でもこの社説が疑問視しているのは「とにかく売らんかな」の製薬会社の姿勢であり、
儲けるべき人たちが然るべく儲けた後になって研究が行われるという辺りに見え隠れする
(社説には一言もそんなことは出てこないけど)
官との癒着の構図なのではないでしょうか。

読んでいたら、全く無関係な事件ではあるのだけれど、
日本で問題になっている事故米の転売問題と重なってしまった。
2008.09.19 / Top↑
NBICレポート第一章の8つの論文のうち、
NSF(米国科学財団)のMihail C. Roco 氏の講演の中で目に付いた
興味深い箇所について。

RocoはNSFの中でも米国科学技術会議のナノ関連サブ委員会の委員長、
財団と商務省が主催した2001年のNBICワークショップの中心人物でもあります。

NBICテクノロジーの統合によって
人類のパフォーマンスが劇的に強化・改善され、
現在は不可能な夢のようなことが可能となるのだという、
このワークショップが夢を描く未来に対して、

逆にそうしたテクノロジーのリスクを指摘する声もあるとして、
Roco氏が挙げているのがBill JoyというITの企業家。

Bill Joy はワークショップの前年の2000年に
Why the future doesn’t need us. という論文を発表し、
それだけ強力なテクノロジーには、またそれだけ大きな事故と濫用のリスクがある、
特にKurtzweilが提唱しているような、
人間をコンピューターと繋いで意思を持ち思考するロボットを作る技術のリスクは原爆をはるかに超える、
人間がそうしたロボットをコントロールし続けられる保証などない、
と警告しました。

Rocoはナノ科学と工学のポテンシャルについて語った講演の後半で
こうしたテクノロジーに伴うリスクについても
「長期的な利益と落とし穴の可能性を総合的に評価しなければならない」と述べ、
次いで「ナノ科学と工学は新たな生命体を生み、その生命体が人類を滅ぼす」との
Bill Joyの説を紹介しています。

ところが「リスクも検討しなければ」と自分で言った先から
Rocoは即座に「しかし、我々が思うに……」とJoyの指摘を却下するのです。

その理由がふるっていて、
Joyの描くシナリオのいくつかは単なる推測であり、
立証されていない仮説に過ぎない、というもの。

いや、しかし、それをいうなら、
あなた方の描く「身体も頭も思い通りになるバラ色の未来」こそ、
単なる推測と立証されていない仮説と、
見たいものだけを見て見たくないものに目をつぶることによって
成り立っているシナリオなのでは──?


          ―――――――

もう1つ、ついでに、
トランスヒューマニズムの元祖のような人物
Oxford大学のNick Bostrumが2001年に
Existential Risks(実存的リスク?)という論文(2002年に改定)で
これら新興テクノロジーに伴う人類滅亡リスクのシナリオを
Bill Joyよりもはるかに詳細に分析しています。

このNBICワークショップと同じ年ですが、
RocoがBill Joyにしか触れていないことを考えると
Bostrumの論文の方が後だったのかもしれません。

この論文はAshley事件を追いかけ始めた頃に見つけたのですが、
当時はこの論文の持つ意味がよく分かりませんでした。
その後、トランスヒューマニストらの考えについて少し分かってくるにつれて、
一度まともに読みたいと思いながら、まだ手がついていません。

最初の辺りにざっと目を通した感じでは、
地球温暖化や経済システムの破綻、人心の荒廃など、
現在すでに起こっている現象が想定されていたようでもあり
それだけにリアリティのあるシナリオが並んでいるのが不気味です。
2008.09.19 / Top↑
あなたが糖尿病、心臓病、癌にかかる可能性を遺伝子診断で調べてあげましょう…
…というビジネスが欧米で繁盛していますが、

Leicester大学のAmani教授がこうした検査の臨床上の有用性に
疑問を投げかけています。


確かに、こうしたよくある病気の遺伝子上のマーカーは
ある程度解明されてはきたけれども、
だからといって、そのマーカーがあるから必ずその病気を発症するというものでもないし、
発症するとしてもいつのことになるのか、
また生活習慣によってその可能性が防げるものかどうか
わからないことも多い。

むしろ可能性があると告げられて無用なストレスを抱え込んだり、
可能性は低いと言われて検診を受けなくなるなど、
現時点では弊害の方が多い。

特に現在のようにインターネットで無責任な診断が横行したり、
充分な医師のカウンセリングもなしに結果を知らされたり……
というビジネスには問題がある。

一方、同教授は
個々の発症のリスクを云々することにはメリットは少ないが、
ゲノム読解のテクノロジーは予防医学の対象となるグループを割り出すのには役に立つ、と。
(例えば心臓病予防でスタチンを飲んだほうがよい人たちを特定するなど)
2008.09.19 / Top↑
この回、前のエントリーの続きです。

NBICレポート第一章にあった8本の講演内容から
いくつか特に目に付いた点を挙げると、


米国科学財団のGingrich氏の講演で

テクノロジー革命のスピードは、当初の基盤づくりの平坦な時期があった後に
急速に発展して伸び、革命が成熟すると再び平坦になるというS字カーブを描く。

現在はコンピューター・コミュニケーション革命がまさに急速な発展期に入るところ。
今後は少し遅れてバイオとナノテクの発展期が始まって
前者のピーク時に後者の成熟期の始まりが重なるのだと
2つのS字カーブがちょっとズレて重なる図が描かれています。

2つの成熟期が重なるところが、
Kurtzweilの言うsingularity (特異点)なのですね、きっと。

Gingrich氏は
この大きなパラダイム・シフトに向かう今後数十年間を「移行の時代」と呼びますが
その変化に適応できる人にとっては大きなチャンスである反面
人々の生活はより複雑となり、その結果ついていけない人が出るので、
そういう人にうまく適応させるには政治のリーダーシップが必要であり、

それに失敗すると人々は政治に興味を失い、
日々の生活で生き残ること以外に関心を持たなくなるだろう、と述べています。

8本全ての論文が、ほぼ明るい未来の夢を描くことに終始している中、
わずかに悲観的な予測をしている部分ですが、
私には、この部分のリアリティが他のどの部分より重い気がする。

またGingrich氏が上記の部分に続いて細かく描いてみせる
変容後の社会の特徴を読んでいくと、

それはコストパフォーマンスが大きく向上し、
さらなる競争原理によって突き動かされていく過酷な社会としか思えず、
振り返って直前の予測は「人々が日々を生き延びることで精一杯になる」とも読める。

2001年のその予測は、2008年の現在、すでに現実となっているじゃないか、とも思う。
バラ色の未来予測はいずれもまだ実現していないにもかかわらず。



NASAからの3人の講演では、

NASAというのは宇宙開発をやっているところだと思っていたら
もっと幅広く、気象、地球、生物学、物理学の研究を行っていると学びました。
なにしろ文系頭なので、認識不足でした。

これからは、そのいずれにおいてもナノテクが鍵なのだ、という話。



国立衛生研究所のJohn Watson氏の講演では、さすがに
人類の能力強化だけではなく健康の増強も忘れてはならない、と。

ただし、そのためには現在の医学上の問題解決だけを念頭においた研究ではなく
いかに荒唐無稽に見えても将来の可能性を展望した果敢な研究が不可欠で、

(ここでアンギオグラフィと心臓ペースメーカーの開発の過程と成果の詳細なデータを挙げます)

政治が明確な長期目標を設定することによってのみ
国民の支持が得られて研究が可能になる、と。



Institute for Global Future創設者のJames Canton氏は

NBIC統合を実現するために
統合テクノロジーの政策知識ネットワークを提言しているのですが、

国際競争力を維持・向上するためとはいえ、
国内での競争も激化する中で、そう理想どおりに
研究成果やデータ・情報の共有が出来るものなのかな?

またCanton氏は、
こうしたテクノ改革は将来の経済を形作るので、
新たな経済インフラに適応・対処して世界の覇者であり続けるために
行政と研究者、ビジネス界のトップとが長期戦略で一致しなければならないと説く中で、
彼らが直面する困難な問いの例を挙げています。

ベビーブーマーの寿命を延ばすのか? 

統合知を持った労働者という新世代を育てるのか?

統合テクノロジー発展に向け民間ベンチャーの資金はどこから?

パフォーマンス強化が「医療製品」となった医療とは?

我々社会の誰の能力を強化するのかという倫理・社会問題は?


――私も答えを聞いてみたい。
2008.09.18 / Top↑
米国科学財団と商務省が2001年に行った
ナノ、バイオ、インフォ、コグノの4テクノロジーの統合がテーマのワークショップ。
翌年刊行された、そのレポートについて。

第一章に当たる Motivation and Outlook(モチベーションと展望)に掲載の
8本の論文を読んでみました。

いわばNBIC統合の概論的な章なので
8本が様々な立場から主張するところをざっとまとめてみると

今後の人間社会にテクノロジーによる大規模な変容が起こることは間違いがなく、
特に重要なNBICの4領域が重なるエリアにこそ大きなポテンシャルがある。

テクノロジーが急速に変えていく世界に
旧態依然とした政治は追いついていないが、

NBIC統合のポテンシャルと方向性をしっかりと見据え、
米国が将来的にも国際競争力を維持して世界の覇者であり続けられるように
充分な戦略と予算の元で産官学の協働が必要である。

この章でたぶん重要なのは講演の内容というよりも、
スピーカーの顔ぶれかもしれません。

それぞれ、どういう機関または企業の代表がしゃべっているかというと、

米国政府からは

The Office of Science and Technology Policy(OSTP:科学技術計画局)
The Department of Commerce(商務省)
The National Aeronautics and Space Administration(NASA:航空宇宙局)
The National Institute of Health(NIH:国立衛生研究所)
The National Science Foundation(NSF:国立科学財団)

民間セクターからは

The American Enterprise Institute (政策研究のシンクタンク)
Hewlett Packard (HP)
The Institute for Global Futures (90年創設のシンクタンク)


こういう人たちが2001年に集まって、
トランスヒューマニストたちが云々しているのと同じことを
真面目に論じ合っていたというわけです。

その内容については、次のエントリーに。

【追記】
そういえば、国防省は入っていないなぁ。
国防省に流れる研究予算を、少しこっちにも回せというアピールのワークショップだったから?
2008.09.18 / Top↑
自閉症は女児よりも男児の方で4倍も発症率が高いとされていますが、
実際には男女間で表れ方に違いがあり、女児の場合は
通常自閉症の特徴とされる行動の繰り返しよりも
人間関係のこだわりとして現われることが多いために
内気だとか消極的だといった女の子らしい性格や個性として親に受け入れられて
受診につながっていないのではないか、と。


ロンドン、Great Ormond Street Hospital の
the Social and Communication Disorders Clinic の調査。

こうした症状は現在の診断に使われる質問では発見できないため、
自閉症スペクトラムの現われかたの男女間の違いについて
もっと分析が必要、と。

Cambridge大のSimon Baron-Cohen教授も
「男女で自閉症やアスペルガーが同じように見えると思い込んでかかってはいけない。
 案外多くのファクターによって女児が診断されずにいたり
誤診されたり、男児ほど受診していないのかもしれない」と。

また自閉症協会のJudith Gouldさんは、

女性が成人してから後に診断されるという話は多い。
性差を巡る誤った認識やステレオタイプのために
女児・女性は診断を受けておらず、統計から漏れているのかもしれない、
それだけ支援を受けていない女性や家族が多いということだ、

女の子の場合、引っ込み思案だとか人間関係に過敏だとか
自閉症特有の行動も女の子らしい性格と受け止められてしまうが
同じことが男の子に見られると心配になるということでは、と。
2008.09.17 / Top↑
友人が入院した総合病院の病棟詰め所の壁に
「社会の常識を病院の常識に」という額がかかっている。

数年前に他の友人を見舞った他の病棟にも
同じ額がかかっていたのを思い出してコメントしたところ、
私の口調に滲んでいた反発と揶揄を敏感に感じ取った友人が
自分は病院の常識が社会の常識と違っていたっていいと思う、と言う。

いや、よくない。

少なくとも、社会の常識と違っていることの自覚くらいは
持っておいてもらわないと困る、と私。

けど、これもまた、
その人の医療との距離や関係によって捉え方の違う問題なのだろうな、と、
いつか「医療の理解度のギャップ」のエントリーで考えたようなことを、また考える。

ほとんど医療との接点などないまま生きてきて、
ある日ひょっこり大きな病気をしたから
日常の生活を取り戻すために医療の力を借りるべく
期間限定で医療と付き合おうというスタンスの人と、

慢性病や重い障害を抱えて、
ずっと医療との密接な関係の中で長い年月を生きてきた人
今現在も、きっとこの先も医療とつきあいながら日々の生活を送るしかない人にとっては、
自分の人生や生活における医療の位置や影響力(時に支配力ともなる?)がまるで違うのだ。

前者の人にとっては
病院は臨時に身を置いているところであり非日常の世界に過ぎないだろうし、
医療の単発ユーザーとしてのスタンスで臨む限りにおいては
医療職の常識がどれほど社会の常識と隔たっていても、
妙な人たちだ、ヘンな世界だと割り切って期間限定で付き合えば済むことだろう。

最終的に治してくれさえすれば
病院や医療職の非常識にしばし目だってつぶれるだろうし、
医師や看護師との間に信頼関係ができなくたって大して困らないかもしれない。

しかし日常の中で医療と付き合っていかざるをえない後者の人にとって、コトはそう単純ではない。

白衣を着たとたんに社会の常識をすっぽり脱ぎ捨てられたのでは
医療職の人の言動に、病気や障害以上に傷つけられることがあるのはもちろん、

社会の常識によって営まれるこちらの生活を医療に侵食されまいと、
患者には、医療の常識と必死で闘うしかないこともあるのだよ……

大きな病気が分かったばかりで
入院第1日目の友人に、こんなことを言っても分からないとは思うし、

誰しも我が身で経験しない限り
こんなことは分かりようがないのだけどね。
2008.09.17 / Top↑
去年の暮れくらいからだったような気がするのですが
いつからかロンドンで若者が銃やナイフで殺される事件が相次いで
なにやら社会問題化しているようだな、と思っていたら、

この週末にまた19歳の男の子が殺されて、
ロンドンで今年殺されたティーンエジャーとしては26人目。
9月半ばにして、早くも昨年一年間に殺された人数と並んでしまった、と。



こちらには、それぞれの事件の概要リストがあり、

London’s teenage victims of violence
The Times, September 15, 2008

普通に暮らしていたのに、
いきなり理不尽に襲われて刺し殺された子どももいれば、

ギャング化したティーンエジャーのグループ間の抗争で
刺し殺されたり銃で撃たれたりした子どもも。

都会の若者の間でギャングに加わってナイフを所持することにあこがれる文化が
広がりつつあることが懸念されています。

移民がもたらす異文化のせいだと言う人もあれば
家庭の教育力の低下だと言う人、
学校の責任を言う人、
警察の無能を言う人、
政府の無策を責める人、
様々な意見が飛び交っていますが、

英国でまた若者が殺されたというニュースを見るたびに、

これは、もしかしたら、
文化の違いから表象としては異なっているけれども
日本で相次いでいる通り魔事件の背景にある衝動や心の力動と同じものなのでは……?

と考えてしまう。

去年の暮れだったか、英国ではティーンエジャーの自殺が
まるで連鎖のように相次いだ記憶もあって、

本当は
自分を愛することが出来ずに自分をこそ殺したい若者たちが増えている、
自殺したい衝動に突き上げられながら、どうしても自殺できない若者が
その暗い衝動をやむを得ず他者に向けていくのではないか……という気がして。
2008.09.17 / Top↑
1990年の障害者法(ADA)の施行以来、
米国で身体障害者向けのプログラムを展開してきた旅行会社やリゾートが
少しずつ自閉症などの発達障害にもプログラムを拡げつつある、という話題。

Bypassing the Roadblocks of Autism
By Jane Margolies
The New York Times, September 14, 2008


具体的に紹介されているのは

自閉症児と家族のためにアレンジされたクルーズ・プラン

HPを覗いてみると、
スタッフが対応について研修を受けている他、
優先的な上下船、デッキの一般客と別に小さな会議室での人員確認、
食事の際の服装規定の免除などの配慮があるようです。
記事によると同プランはこの2年間で予約が3倍になったとのこと。

Alumni Cruises の Autism Cruises サイトはこちら

障害児・者のための治療的キャンプ・プログラム

こちらは86年に脳性まひ児の親とPTとが始めた身障者向けキャンプ。
需要の高まりと共に自閉症児向けのプランを導入。

Adam’s Campのサイトはこちら

冬山のリゾート地の障害児・者向けプラン

元は身障児・者に福祉用具を使ったスキーのサポート・指導プランで、
最近スタッフに自閉症への対応を研修したというもの。

自閉症の子どもの場合、年齢によるグループ分けではなく、
発達段階に応じたグループで対応する。
必要であれば1対1の対応も可

Smugglers’ Notch Resort in Vermont のサイトはこちら
障害者向け対応についてはこちら

米国障害者スポーツセンターの夏冬プログラム

様々にルールや装具をアレンジした障害者スポーツを
季節ごとに指導してくれるプログラム。

The National Sports Center for the Disabled の夏冬プログラムはこちら


当ブログでも6月に
自閉症親子、飛行機から降ろされる(米)(2008/6/27)のエントリーで紹介しましたが、
自閉症児と母親が飛行機を降ろされた事件の際に
Chicago Tribuneの記事に寄せられたコメントは当初の1日で221、
そのうち家族に同情するものは航空会社を支持するものの半分だったとのこと。

この記事では自閉症関連団体や親を取材して
自閉症児を連れて飛行機を使って旅行する際の工夫をいくつか挙げていますが、

・子どもに魅力のある行き先を選ぶ
・乗り降りのシミュレーションを家で繰り返して練習しておく
・旅行中の日程表を作り、絵を交えたりして
いつどういうことが起こるか、それがいつ終わるかを子どもに予め理解させておく
・優先搭乗を求める医師からの症状説明を手に入れておく(ディズニーなどでも使える)
・馴染みのオモチャ、映画とDVDプレーヤー、食べ物を沢山持参。

その他にこの記事に登場する話としては
海辺に一週間家を借りたとか、
いつものベビーシッターまたは学校の先生の付き添いつきで旅行するとか、
ファースト・クラスで飛んだら子どもが泣いた時に客から苦情が出たので
最近はエコノミーにしているとか

体験談を取材されているのは富裕な家族ばかりというところが、ちょっと気になります。

まぁ、これまでは、こういうものすらなかったことを思えば、
一応、身障ばかりではなく発達障害にも旅行会社やリゾートが目を向け始めました……
という話として読めないわけではないものの。

        ―――     ―――     ―――

実は私も最近、飛鳥Ⅱのクルーズに行ってきたという人から
「車椅子の人も沢山いて、確かにあの船なら不自由などなさそうだった、
娘さんといってみてはどうか」
という情報をいただいたばかり。

日本にそんな豪華客船があることすら知らなかった私は目を剥いたのだけれど、
ほんの3日程度のクルーズ1人分で、
親子3人での2泊旅行が優にまかなえる計算だった。

ちょうどその話を聞いた数日後に
飛鳥Ⅱの世界一周クルーズの全面広告が新聞に出た。

見れば、3ヶ月ちょっとの旅(食事込み)とはいえ、
1人数百万円、部屋によっては1人1千万を超える旅行代金だというのに”好評発売中”だそうな。

市場主義・競争原理って、つまり、こういうことよね――。
2008.09.16 / Top↑
抗がん剤治療のために入院した友人から聞いた話──。

入院時に身元引受人や連帯保証人を書き込む用紙が出てきたのにも
時代の厳しさを感じたけど、

「あなたは尊厳死に賛成しますか、賛成しませんか」という用紙まで出てきたのには
度肝を抜かれた、と。

もしかしたら、いわゆる「事前指示書」のことではないかと考えたので、

それは「万一ターミナルな状態になった時に延命治療を望みますか」という
意思表示を求める問いではなかったのかと確認してみたのだけれど、

いや、確かに「尊厳死」という言葉で
賛成するか否かだけのシンプルな問いだった、

「尊厳死」がどういうことを意味するのか具体的な説明もなしに
そんな問いを突きつけられることに不快を覚えたのだ、と。

自分としては今の段階でそんなことは考えられないし、
その時になってみないと自分が何を感じ、どう考えるかなんて分からない、
だいたい自分としては、どんなに苦しくても生きられる限り生きていたいのだ、と

いかにも腹立たしげに癌を抱えた友人が言い切ったのは
実にすがすがしかったのだけれども、

一体なんなのだ、その「あなたは尊厳死に賛成ですか?」という文書とは??????

もちろん、私自身がその文書を見たわけではないので
これは未確認情報です。

しかし、まさか抗がん剤の治療で入院する患者に向かって
病院が無邪気に尊厳死に関する意識調査のアンケートをするとも思えず、

友人がまるきり思い違いをしていることもなさそうで、
薄気味の悪い話だった。

尊厳死の法制化はまだ議論の段階で
法制化されたわけでもないのに、
なんで、病院でそういう文書が出てくるのだろう?

しかも、その「尊厳死に賛成ですか」という問いの曖昧さは──?

この問いに「はい」と答えた患者は
一体なにを自己選択したことにされるというのか──???


2008.09.16 / Top↑
米国Wayne 州立大の研究が
Cancer Researchというジャーナルに発表され、

HER2と呼ばれるたんばく質の過剰で引き起こされるタイプの乳がんをターゲットにした
新たなワクチンが開発されたとのこと。

Herceptinなどが効かない腫瘍も治るという触れ込みですが、
まだマウスで腫瘍が消えたという段階で、
英国の研究者からは人間で効くかどうかは不透明との指摘も。

Breast cancer vaccine hope raised
BBC, September 15, 2008


しかし、鳥インフルエンザだのマラリアだ麻疹だのはともかく、
癌など「伝染病」でないものまでワクチンで病気予防をしようという話になってくると、
いくつもの種類のワクチンを一人の人間が接種されることになるのだけど、
大丈夫なんだろうか……というのが素人の率直な不安。

開発途上での副作用に関する実験って、
そのワクチン単独での副作用については調べられても、

そもそも今のように次々に新しい薬やワクチンが開発されていれば、
将来、新たに登場してきて摂取される可能性のある薬物との飲みあわせというのか、
そういう場合の組み合わせによる副作用の可能性なんて、どう考えても未知のまま残ると思うし、

予防可能とされる病気がこれから増えていくことを思えば、
あれもこれも病気予防で身体に取り込む薬物が増えるばかりで、
そういうのこそ、いかにも身体に悪そうなんだけど……。


それにしても、
今、英米で少女たちに義務付けられて問題になっている子宮がん予防のワクチンにしろ
ここで話題になっている乳がんのワクチンにしろ、
ターゲットは女性の病気ばかり。

男性優位の科学の世界で、
それもまた、えらくご親切なことで。
2008.09.15 / Top↑
英国で「永続的植物状態」と診断されたケースの5例に2例は誤診ではないかという話が
Cambridge大学の神経学者Dr. Adrian Owenらの研究チームから出ています。

神経外科医、麻酔科、実験心理学の専門家から成る「損傷意識研究グループ」が
植物状態や最少意識状態と診断された人の脳の活動状態を
聴覚刺激、視覚刺激を与えながらスキャナーによって調べる技術を開発。

例えば「テニスをしていることを想像してください」という指示に、
上体の運動をつかさどる脳の部位が活発な活動を示す、
または無意味な写真を見せた時には起こらなかった活動が
両親の写真を見せた時に起こる、など。

それによって、
これまで植物状態や最少意識状態とされて
積極的なリハビリの対象となっていなかった人にも
実は脳の機能や意識が残っており、
リハビリによって意識が戻る可能性があることが判明。

チームは今後スキャナーと脳波検査とを併用して、
検査結果の精度を上げたい、と。

The Undead
By John Cornwell,
The Times, September 9, 2008

Kate Bainbridgさん(37歳)は
10年前に脳炎から深昏睡に陥って数週間人工呼吸機に繋がれた。
その後4ヶ月経っても意識が戻らないため、永続的植物状態と診断された。

ところが、意識がないとされていた間も
本人は喉の渇きや苦痛を訴える声を上げていたのだという。
しかし周りのスタッフはその声を生理的な反応としか受け止めてくれなかった。

その後、Dr. Owenらのチームによって
Kateさんの脳の活動は残っていることが確認され、
臨床心理士との一対一のリハビリを経て
現在のKateさんは自宅に戻り車椅子生活。
文字盤を使って会話をし、Eメールを送受信したり
テレビを見たり、音楽を聴いたり、時に映画館へ出かけたり
という生活を送っている。

この記事を読んで唖然とするとするのは以下の部分。

The biggest, most tragic clinical myth about brain injury today is the PVS can be reliably diagnosed by bedside observation alone.

脳損傷に関する現在の最も大きな、最も悲劇的な臨床の神話とは
永続的植物状態はベッドサイドの観察だけで確かな診断ができると考えられていることだ。

これはAshley事件に関して当ブログが一貫して指摘してきたことと同じですが、
医師が「この人には意識がない」、「この人は何もわからない」と言うだけで
それが”科学的な事実”と見なされてしまうのは、
とんでもなく危険なことだと思う。

そんな科学的な根拠を欠いた診断に基づいて、
英国でも1992年のTony Blandを皮切りに
現在までに20人もが栄養の供給を停止させられたとのこと。

Dr. Owen によれば、
人は例えば「貝は?」という言葉を聞くと頭に貝をイメージするものの、
次に「銃から発射された」という言葉を聞くと
自分のそれまでの理解を変更しようとするものだとか。
最少意識状態と診断された人の脳でも同じことが行われていることが
MRIスキャナーによってわかる、と。

こうして意識が働いていることを確認することが出来れば
少なくとも本当は意識がある人を誤って餓死させることは避けられるじゃないか、
それだけは手を尽くして避けるべきだろう、と私は考えるのですが、

しかし、この記事によると、
何年もそういう状態の患者を見守ってきて、
そろそろケリをつけて自分の人生を仕切りなおしたいと考えている家族としては、
こんな検査が行われて意識があるということになれば
栄養停止で死なせるという選択肢がなくなって、その精神的負担が大きいとか、

臓器不足の解消のためにも
植物状態の人には栄養の供給を停止して死なせようとのプレッシャーが
医療現場にかかっているのも事実だとも。

こういう声が平然と聞こえてくること自体、
全く恐ろしい時代だと痛感させられます。

記事のタイトルが象徴的で
the undead とは、「死んでいない者」。
つまり植物状態や最少意識状態の人が現在そう考えられつつあるように
「まだ死んでいないというだけで、生きているわけではない者」というわけですね。

しかし、意識があるかどうかを科学的に確かめる方法があるのに
家族の都合がどうだ、臓器不足がどうだというのは
「よけいなことせずに殺させろよ」って言ってるのと同じでしょう。

NBICのレポートやトランスヒューマニストらの発言には
脳とコンピューターを接続して人間の脳の働きが解明される可能性が
しきりに謳われているのですが、

もっぱら強い者の能力の強化のための研究開発であって
弱者を誤って殺さないためのセーフガードとしては
その技術は使われない、ということでしょうか。
2008.09.15 / Top↑
米国科学財団と商務省のNBICレポート

Overviewの「精神保健医療」の項目では、

まず冒頭で
「多くの点で、人間の能力の改善において我々が直面する最も難しい課題は
おそらく精神病の理解と治療であろう」と述べ、

過去200年間の精神医学が楽観と悲観を繰り返しつつ
はかばかしい成果を挙げていない現状をかんがみて、
NBICの統合によって遂に長期の治癒が可能になるのでは、と書かれています。

しかし、
ナノテクによって薬を脳の特定の部位に届けることが出来るので
他の神経系への副作用が防げる、というのが唯一の具体例で、

その他には
NBICの統合によって医学理論の厳密な考証が可能となって治療が厳選されるとか
認知や情緒の機能不全を補う人造装置や支援装置が可能になるといった
つかみどころのない話で

むしろ、精神保健医療をNBIC統合のターゲット分野に含められることそのものが
なんだか底恐ろしいような……。

   -----        -----

ここまでExecutive Summary と Overviewを読んで最も強く感じるのは
「修正する」「強化する」「代用する」という発想しか、ここには存在しない、
「支える」という視点が存在しない、ということ。

それから、NBICの統合によって現実に可能になることがあるとしても
だから「不老不死が実現する」とか
「脳の働きが完全に解明できる」とか
「人間の体と心が思いのままにコントロールできる」ようになる
ということでは決してないはずなのだけれど、

わずかにできるようになるかもしれないことを並べて
あたかもそれが何でも思い通りに出来ることの証左であるかのように言いなして、
起こりもしない万能の未来世界に早々と視点を据え、そこから振り返るようにして
現在の価値観が先走って変容されていくことの危うさ。

例えば、こうした研究の可能性が先走って喧伝されることによって
成果を早く出すことばかりが重視されて
その研究過程でのリスクを検証しながら、
被験者の安全を最大限に保障する慎重さがなおざりにされるとか、

(テクノロジーで完全に代用されるなら将来的には「障害」ではなくなるので、
 その将来の”利益”によって、当該の障害がある人の現在のリスクは相殺されてしまうかのように?
または将来「障害」でなくなるのだから「支援」がもはや重要ではないかのように?)

または不老不死がすぐにも実現されるかのように言いなされることによって、
老いて病んだり不自由になった人たちの医療やケアについて丁寧に考えていくといった
地味で威勢が良くもないけれど大切な仕事が
たいして大事ではない仕事のように感じられるようになったり、

不老不死の研究にお金をつぎ込むことばかりが重視されて、
高齢者や障害者、「どうせ治らない」病人を日々支えるために使われるお金は
ただの無駄のように思われるようになる……ということが
現実にもう起こり始めているのではないんだろうか。

2008.09.14 / Top↑

Overview (概観)の
「人間のライフサイクルにおける肉体と精神」という項目。

NBIC(ナノ、バイオ、インフォ、コグノ)のテクノロジー統合によって可能になるとこととして
ここで言及されているのは

視覚・聴覚障害者の視力・聴力を人工的に補うインプラント
脳とコンピューターを繋ぐインターフェイス
細胞レベル、特定の組織、臓器、または全身レベルでのメタボリズムの制御
個々人にオーダーメイドで薬を作るためのリアルタイム遺伝子診断
ホルモン量をモニターして調節する人口膵臓

リバースエンジニアリングや人造脳による脳機能の更なる解明
人間の意識の一部をコンピューター上に移すことの可能性

(ここで引用されているのはトランスヒューマニストのKurtzweilだというのが
 ちょっと驚き。彼自身は科学者ではないのですが。)

また死ぬまで肉体的精神的な能力を若い頃のまま維持できる可能性
100歳を超えて活動的で尊厳のある生活を続けられる可能性
老化を防ぐ遺伝子療法

これらが可能にすることの1つとして「睡眠不足に対する抵抗力の向上」というのが
挙げられていて

そんなのが一体なんの役に立つというんだろう、
一体こんな明らかに身体に悪いことを誰が望むんだろう……と考えると、

トランスヒューマニストらが「24時間戦い続けられる兵士」とか
「休みなく長時間働くことのできる看護師」を云々して
未来社会の生産効率が上がると説いていることを思い出した。

もしかして、
このレポートに謳われている一見「個の利益」のように見せかけられているものは
所詮は「マスの利益」のカムフラージュに過ぎないのでは?

また、こうした文脈で
「100歳を超えて活動的で尊厳のある生活が続けられる」と書く、
その「尊厳」は、いったいどういう内容の「尊厳」なのか……、
こんなところに忽然とモラルの価値観が登場していること自体、なんだか不気味。
2008.09.14 / Top↑
超未熟児で生まれた子どもは他の子どもよりも
後に情緒の問題や行動障害を起こす可能性が4倍も高い、という調査結果が
the University of Warwick と Warwick Medical Schoolの
心理学部主導の研究によって出た、とのこと。

男児と女児の差も顕著で、
超未熟児の男児にはADHDなどの行動の問題が出ることが多く、
女児の場合は不安やウツといった内在化された障害が出ることが多かった。


2008.09.13 / Top↑
現在、最初の Executive Summary とOverview を読んだところで
その中から印象的な部分を拾ってみると、

まずNBICの4分野がどのように統合・協働できるかというイメージは

認知(Cogno)の科学者が考えたことを
ナノ(Nano)の専門家が作り、
生物学(Bio)の専門家がそれを実行に移して
IT(Info)の専門家がモニターしコントロールする。

私はこれを読んだ時に、
現在では、モニターどころか、
このどの段階であれIT技術を抜きには何も出来ないという事実を考ると、
ゲイツ財団の慈善資本主義と、その独善的な価値観、強引な介入姿勢を思い、
改めて「コントロールする」という言葉に背筋が冷える思いがしました。

(ゲイツ財団云々についての詳細は「ゲイツ財団とUW・IHME」の書庫に)


レポートの50を超える論文によって描かれているのは
上記のようにNBICのテクノロジーを統合して
人類の能力を強化していこうとする壮大な構想なわけで、

その「主要テーマ」として挙げられているのは

・技術統合の全体的な可能性
・人間の認知とコミュニケーションの拡大
・人間の健康と肉体的能力の改善
・集団と社会のアウトカムの強化
・国家安全保障
・科学と教育の統合

20年後には現在のハイテクの領域を超えて、
NBIC技術の統合が非常に大きなインパクトを与えると予想されているのは具体的には

・労働効率
・人間のライフサイクルにおける肉体と精神
・コミュニケーションと教育
・精神保健医療
・航空学・宇宙飛行
・食物と農業
・維持可能でインテリジェントな環境
・自己表象とファッション
・文明の変容

これら一つ一つは漠然と抽象的な領域名のように思われますが、
それぞれの領域で具体的にどういうことを起こそうとしているのかを考えながら読むと、暗澹とする。

例えば「労働効率」という項目に書かれていることは
NBICの統合によって更なるコスト・パフォーマンスの向上を追及できる可能性であり、
アメリカ企業が国際的に生き残っていくためにそれは光明なのだというトーンが
そこに如何に明るく漂っているとしても、

グローバリズムが今現在でも引き起こしている深刻な格差と
人間を使い捨ての労働消費材としか見なさない企業の姿勢の蔓延を考えると
NBICの統合によって更なるコストパフォーマンスを追及すれば
それらの問題は解決されるよりもむしろ悪化するだろうとしか思えない。
2008.09.12 / Top↑
7月1日のエントリー「UW周辺の動きと米政府のNBICレポート」その他で触れたものですが、

米国科学財団と商務省が2002年にまとめた
「人類の能力強化に向けたテクノロジーの統合」という400ページ近いレポートがあります。

2001年12月3,4日の両日、
米国科学財団と商務省とがワークショップを行い、産官学の専門家を集めて、
ナノ、バイオ、インフォ、コグノの4領域(NBIC)のテクノロジーを統合して、
人類のパフォーマンスを向上させる未来を模索しました。

その成果をまとめて翌年6月に発表されたのが、この大部のレポートです。

CONVERGING TECHNOLOGIES FOR IMPROVING HUMAN PERFORMANCE
The National Science Foundation
The Department of Commerce
June 2002

レポートそのものは、もうかなり古いものとなって
それぞれの分野の研究も既にもっと進んでいるものと思われますが、
米国政府が2001年の段階で既にトランスヒューマニストらと同じ夢を見ていたことを物語る
貴重な資料だと私は考えているので
全部を読み通すことは無理にしても、
興味のある部分のつまみ食いくらいはしてみたいと
ずっと考えていました。

上記エントリーで夏休みに入ったら読むという目標を立ててしまったので、
少しずつ読んでいこうかと「NBICレポート」という書庫を作ってみました。


2008.09.12 / Top↑