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10月は、オーストラリアの介護者週間。

いつからだったか記憶にないほど幼い頃から
精神障害のある母親の介護を担ってきたヤングケアラーの語りが紹介されている。

Shayley Willsonさん。

年齢が記事には明記されていないけれど、
内容から推測すると、現在19歳……?

Shayleyさんの語り部分を以下に。

「(母の介護は)ずっと意識することもなくやっていました」

「別にどこかで、やらなくちゃと思って介護を始めたというんじゃなくて、
自然に成長とともに介護するようになったんです」

学校から帰った瞬間から夜寝るまでフルタイムで母親の介護をしている自分と同じことを、
子どもはみんなやっているのだとばかり、長い間、思っていた、という。

「気がついたのは小学校の2年生の頃だったかな」

「お昼から友達が遊びに来た時に、
『なんでお母さんのこと何もかもしてあげてるの?』って」

「それで、あぁ、みんなやってるわけじゃないんだ、って分かったんです」

母親の症状が悪化したために
高校2年生で中退せざるをえなくなり、
その後、夜間学校で2年かけて3年生を終えた。

次の目標は、母親と祖母を病院や買い物に連れていくために
運転免許をとること。

「免許が取れたら、いいなぁ、
そしたら、夢がみんなかないます。

母さんは車を持っているから、それを運転すればいいし。
あとは免許だけなんです」

Shaylene Willson: Life as a Full-time Carer
612 ABC Brisbane, October 18, 2012


【2008年の豪介護者週間より】
今日から豪介護者週間……because I care(2008/10/19)
You are only human: 介護者だって生身の人間なのだから(2008/10/30)
介護者も自分を大切にしましょう(2008/10/31)
自分の気持ちを理解して受け入れる(介護者のために)(2008/10/31)
自己主張をしましょう(介護者のために)(2008/11/1)


【その他の関連エントリー】
17歳のヤング・ケアラー、ロンドン5輪の聖火ランナーに(2011/12/9)
統合失調症の母親を持つ子供の回復過程(夏苅郁子論文)(2012/8/9)
英「全国介護者戦略」モデル事業の総括報告書 リーズ大から 1(2011/12/28)
英「全国介護者戦略」モデル事業の総括報告書 リーズ大から 2(2011/12/28)

英国介護者週間
「介護保険情報」2007年8月号 連載「世界の介護と医療の情報を読む」
英国BBCが若年介護者特集
「介護保険情報」2011年1月号 連載「世界の介護と医療の情報を読む」
2012.10.21 / Top↑
アイルランドの研究で
アルツハイマー病の人をフルタイムで介護する家族介護者を調査したところ、

ストレス、神経障害やパニック発作に苦しむ人が5分の1、
3分の1以上の人が、身体が疲れきっていると感じていた。

また3分の2以上が
他の人に介護を分担してもらうことは難しいと回答。

ほぼ常時フラストレーションを感じているというケアラーが41%。

75%近くが、
近親者がアルツハイマー病になったことが家族の経済的安定に打撃となったと答え、
3分の2以上の人が施設に入れようかと考える理由にそれを挙げた。

あるGPは
「もしあなたがアルツハイマー病の人を介護しているケアラーなら、
あなた自身の健康をまず第一にすることが最重要」

「身体的な健康に加えて、
気持ちの上でいい状態を整えることが大切。

そのためには、
アルツハイマー病について自分で学び、
病気の進行に伴って将来どうなるかということと
自分にできる介護の範囲について現実的に考えること」


Stress of Alzheimer’s for families
The Belfast Telegraph, August 27, 2012
2012.08.28 / Top↑
いただきもので、
以下の論文を読みました。

「人が回復する」ということについて
――著者と中村ユキさんのレジリエンスの獲得を通しての検討――
夏苅郁子 精神神経学雑誌 第113巻第9号(2011) 845-852頁

アブストラクトは

 統合失調症の家族支援は、服薬管理、症状への対応など患者に主体を置いたものが多かったが、患者の家族の心理状態を主体に論じたものは少ない。さらに、統合失調症者を母親に持つ子共達への支援は本邦ではほとんどない。地域の家族会も、患者が子ども、親が家族の場合がほとんどである。精神疾患をわずらう人を親に持つ子供達は、実際は重大なストレスを抱えているにもかかわらずどこへも相談できない状況下にある。
 著者の母親は統合失調症であった。またマンガ「わが家の母はビョーキです」の著者で漫画家の中村ユキさんの母も、統合失調症であった。共に子供時代に母親の発症を経験した。その影響は深刻で、実際に著者は慢性的な希死念慮を抱え、ユキさんは性への執着を持たない青年期を過ごした。
本論文は著者とユキさんの数十年をかけて回復した過程を記述し、過酷な状況下にある人がレジリエンス(回復力)を獲得することを論じたものである。さらには現在も「患者の家族」として生育途上にある多くの子供達や、患者の社会復帰を支援する人達への回復のための何らかの示唆ができないかを論じたものである。
また、著者と中村ユキさんが実名で発表することは、「精神病」という世間の先入観の是正になるのではないかと考える。本発表が、今後この分野での啓蒙・活動に寄与することを期待したい。
なお本論文の発表に当たっては、当事者・関係者の同意を得ていることを付記する。


印象的だったのは、
著者とユキさんの回復の過程にあった共通点で、

① 幼児期(母親の発症以前)の愛着体験。
② それで生活していけるだけの資質や才能があったこと。
③ 罪悪感や葛藤を抱えながらも、人生の大事な時期には母親ではなく自分自身を優先することができた。
④ 人との出会い。


私自身が娘の幼児期に陥ったうつ状態からの回復過程を振り返っても、
親との間に抱えていた問題からの回復過程を振り返っても、
(もちろん両者は切り離せないほど密接に繋がっているのだけれど)
ある程度、共通したところがあるような感じを受けるし、

もちろん私には「生活していけるだけの資質や才能」などないのだけど、この点は
「生活そのものは成り立っており、自分なりにやりたいことがあった」と
置きかえられてもよいような気もする。

個人的には、③と④が大きいのだけど、
それぞれから、さらにいろいろなことが考えられそうでもある。

介護者支援にとっても大きな参考になるのでは、と思う。


私自身、ずっと前にヤング・ケアラーの権利や支援を口にした際に、
障害者の権利擁護の立場から反射的な強い反発を受けた経験があり、

その時に感じたのは、
「自分たちは障害者の権利を求めてこんなに尽力してきたのに、
今ここでそれを言われると困る」というニュアンスの抵抗だった。

ここ最近、介護者支援についてものを言おうとして
やはり反射的に向けられてきたのも「でも介護者は加害者だったじゃないか」という抵抗だった。

精神障害者の家族が暴力を受けているというデータを紹介した時にも
反射的に向けられたのは「でも家族の方がより加害者だったじゃないか」という反発だった。

家族の方がより加害者だったという事実を私は否定するつもりはないけれど、
家族の方がより加害者であったことが歴史的事実だからといって、
暴力を受けている家族があるという今ここにある事実が事実でなくなるわけではないし、
そちらの事実には目を向けてはならない、ということにもならないと思う。

現に暴力を受けているのは個々の人であり、
そこで支援を必要としているのも個々の人だ。

その個々の人に向かって「あなたは加害者側の一人だから
あなたは自分が暴力を受ける痛みを語ってはならない」ということにも
「だからあなたが支援を求めてはならない」ということにも、ならないはずだと思う。

抑圧されてきた誰かの権利を主張するために、
他の誰かが権利を求める声を封じることもまた抑圧だろう、と思う。

まだうまく言えないけれど、最近ずっと考えていることの一つは、
介護者支援に限らず、支援というのは個々に対して行われるものだ、ということ。

介護者の抑圧性も介護され介護する関係に潜む支配―被支配の関係の危うさも
私は否定するつもりはないけれど、

その抑圧性や支配性の責が全面的に個々の介護者に負わされてしまうことは
やはり間違いではないのか、ということ。

この論文著者の夏苅さんや漫画家の中村さんが、その子ども時代に、
世の中の精神障害者を自身で直接的に抑圧したり加害したわけではないはずだ。

「ケアの社会学」の
介護者のニーズは二次的なニーズだとの主張は、
その介護者の中に生育過程の子どもも含まれていることを、どう考えるのだろう。
2012.08.17 / Top↑
前のエントリーからの続きです。

著者はずっと母親の「主観的な経験」を重要視していながら
参考文献を見ると、この人、学者が「(母)親について」書いたものばかり読んでいる。

なんだか、
障害や病気についての知識は身につけているけど、
障害や病気そのものを生きている患者の体験にはまったく興味がなくて、
彼らから直接学ぼうとはしない医療職を思ってしまう。

この本の参考文献の中で、
親自身が書いたものは(たぶん)「ダウン症の子をもって」だけ。

確かに名著だけど、ついでに言えば有名な大学教授の書いた本でもあるけど、
でも、これって「父親」が書いたものなんですけど?

著者にとって最大の興味の中心であり、最重要事って
「母親」の「全体の人間としての」「主観的な体験」だったはずなのに……?

それから、以下のようなくだりが「あとがき」にあるのだけれど、

……女性として生まれてきて、恋愛をし、結婚をして……。テーブルには、レースのクロスをかけて、子どもの1歳のお誕生日にはケーキを焼いて、ハッピーバースデイソングを歌いながら一緒にろうそくを吹き消す笑顔と周囲からの拍手。七五三での晴れ着、家族でのハワイへの海外旅行など。
(p.207)


もしこれが、著者が想像する「障害児の母親」の内面なのだとしたら、
まずもって著者自身が母親を一人の「全体としての人間」としてではなく
ステレオタイプな「母」「女性」限定の枠内でしか見ていないんでは?


この本の中に引用されている障害児の親の研究で
書籍になっているものは私も何冊か読んでいる。

誰であれ、こういう研究をしてくれる研究者の方には、
いつも、まず素直に「ありがとう」と思う。

こうもボロカスに書いていたら信じがたいことかもしれないけど、
でも、それは本当に素直に、そう思うのです。

ああ、こうして、分かろう、理解しようとしてくれている人たちがいるんだ、と
いつも、本当に嬉しい。心から、ありがとう、と思う。

ただ、正直、この本に限らず、
読んでいると、いつも、どこかから気持ちがねじくれてくる部分がある。

いつのまにか「あなたに何が分かるというの?」と呟きたくなっている。

それは、たぶん、こういう研究に関する本を読むたびに経験する、
研究の対象や素材としてまなざされることへの違和感。

著者自身があとがきの最後に書いている。

……研究においても、実践レベルにおいても、支援の対象という視点が強まることによって失われるものに目を向ける必要があります。
(p.209)


これは重要な指摘だと思う。

だからこそ、著者自身が障害のある子どもの母親を
研究の対象や素材としてまなざしていることの限界に気づいてもらえたらなぁ、と思う。

気づいてもらえれば、
「一人の全体としての人」として分析するはずの「対象」を、
まず著者自身が「障害児の母親」と限定的にしか捉えていないことにも、
気づいてもらえそうな気がするのだけどなぁ。

例えば、
姑と「分かち合い」ができずに「傷つき」、「逃避パターンの母親」だと分類された人の、
暮らしの場に行って、そこで嫁として女として語られる言葉を聞いてみる気はないですか。

子どものために仕事をやめたらと言われて傷つき悩んでいるという人が
子どものこととはまったく別に職業人として存在している時間や空間で、その人と会い、
その仕事で何をしてきたのか、仕事にどういう思いを持っているのか、
それを聞いてみる気はないですか。

その人が親になる前に、何をしてどういう人生を生きてきたか、
親になる前のその人が、どういう人だったのかに、興味はないですか。

親としての傷つきや夢ではなく、
その人がその人自身の人生で負った傷や心に大切に描いてきた夢に、興味はないですか。

支援の対象や分析の対象として向かい合った「障害児の母親」の言葉ではなく、
同じ時代と社会を生きる人間同士として向かい合ったその人から、
そういうふうにこぼれ出る言葉を浴びて、初めて、
「全体としての人」としての障害児の母親について
何がしかのことが語れるんじゃないかと、

私は思うのだけれど。
2012.08.02 / Top↑
前のエントリーからの続きです。


その「あとがき」にあった結論とは、

一つは、
早期療育の家族支援の中心は「自己のポジショニング」中心に、という点。

もう一つは、以下の3行で、
私にとっては、この本で最重要なのはここだった。

子どもの発達支援という目的をいったん脇に置き、安全な構造で、障害のある子どもを持つ親が、子どもとの関係に限定せずに自分自身の内面を語ることのできる機能が、すべての療育システムに組み込まれることが必要です。
(p.208)

これ、本当によく書いてくださった……と思う。

「子どもの発達支援という目的をいったん脇に置き」
「子どもとの関係に限定せずに」「安全な構造で」というのは、

障害のある子どもを持つ母親であっても、
「障害のある子どもの母親でしかない存在」としてではなく
「私」として「私」のことを語っても、それを否定されないで、ということですね。

そして、まさに、このことを
障害のある子どもを持つ母親はずっと許されてこなかった、と私は思っているし、

それこそが、私が10年以上前に書いた2冊の手記で訴えたかったことであり、
今で言えば、それこそが私の介護者支援のメッセージの一つ。

いわゆる「専門家」と「世間サマ」に向けて、
「障害児の親でしかない」のではなく「障害児の親でもある私」なのだと
拙いなりに自分にできる表現で語ろうとしてきたような気がする。

だから、もうそろそろ「一人の人間である私」について語らせてください、と。

だから、私たち母親も、
もうそろそろ「こんなにしんどいけど、こんなに可愛い」と
世間サマに求められる順番でものを言うのをやめて、

勇気を出して、
「こんなに可愛いけど、こんなにしんどい」という順番で
自分の痛みを語り始めてみようよ、と。

それから10年経って、介護者支援と出会った時、
やっと日本でも「介護者でもある私」について語ることを許される場が
少しずつできてきたのだなぁ……と感慨があった。

でも、その頃、私は期せずして、何の予備知識も心構えもないままに、
障害学や障害者運動の周辺の人や情報に、急加速的に接近してもいて、

そして気づいたのは、
それまで私が言いたいことのある相手として意識してきた「専門家」でも「世間サマ」でもなく、
思いがけない別のところでも、親が「私」について語ろうとすることは
今なお非常に難しい、ということだった。

4月にツイッターをやめたきっかけとなったのも、
その新たな発見と、それを発見したことの衝撃と痛みだったんじゃないか、と
今は整理し始めている。(少なくとも私の主観的には)

そこで「敵でしかない」かのように言われている親だからこそ、
「親は加害者」「親はこういうもの」という抽象的な存在ではなく
それぞれに固有の人生を生きてきて今ここにこういう生を生きている「親でもある私」、
「介護者としての私」のことを語らないでいられない思いが切迫してきて、

だから時に勇気を振り絞って、
それを少しずつおずおずと書いてみようとするのだけれど、

「重症重複障害のある子を持つ親」の文脈で発言したことは
自立生活を切り開いてきた「身障者である本人」の文脈に引き戻されて受け止められる。

でも私は「身障者」や「自立」や「障害者運動」の話をしていたわけじゃない、
私は「重症障害」の文脈で「親である私」の話をしていたのに、と思う。

または、「そこには本人がいない」と返される。

でも私は「私」の話をしているのであって本人の話をしているわけじゃないのだから、
そこに本人がいないのは当たり前のことなのに、と思う。

逆に、なぜ親は自分のこと(だけ)を語ってはいけないの? と思う。

そして「介護者支援」を語ろうとすると
「でも介護者は加害者じゃないか」と返される。

かつて世間サマの勝手な美意識や母性信仰によって悲鳴を上げる声を封じられたのと同じように
今度は、加害者じゃないか、子どもの自立を邪魔してきたじゃないかと言って
「親や介護者は自分のことを語るな」と言われているような気分になった。


著者は1999年の発達援助と家族支援の対応カリキュラムについて
以下の批判をしている。

…子どもの障害への知識、対応方法が中心であり、母親のひとりの人間としての揺らぎや情緒的サポートという視点に注目しないのは不十分である。
(p.161)

また著者は165ページで中川(2003:5)からの引用として書いている

母親の感覚は専門職から療育最優先の圧力を認知し、これらに対して拘束観や負担感を感じている


なぜ、子どもに障害があるというだけで親は
周囲が(専門家が、世間が、支援者が)「こうあるべき」と押し付けてくる規範の中で生きることを
求められてしまうのだろう。

子どもが小さい頃には専門家が認める「優秀な療育者」であり、
その後もずっと世間が認める「愛と自己犠牲で献身する美しい介護者」であり、
子どもが長じてからは「子どもの自立のために尽力する正しい支援者」であれと、

なぜ、子どもに障害があるというだけで、誰かの物差しを勝手に当てられ、
一方的な評価の眼差しを向けられなければならないのだろう。

障害児の親であろうとなかろうと、
私たちは誰だってみんな、固有の環境に生まれ、固有の人生をこれまで生きてきて
それをみんな引きずって「今ここ」に、固有の歴史や事情やいきさつに絡みつかれ生きている。

だから、個々の人間にとっては、
「今ここ」からしか、どこへも足を踏み出せるはずもないのに、

どうして、そこに外から
誰かがてんでに信じる「こうあるべき」カタチの物差しを当てられて、

別の誰かには行けたのだから誰でも「そこ」へ行けるはずだし行くべきだと言わんばかりに、
評価され断罪されなければならないのだろう。

そういう人たちにとって、
なぜ、障害のある子どもを持つ人は「親」でしかないのだろう。

なぜ、障害のある子どもを持つ女は
「子どものために生きる母」以外であることを認められないのだろう。

なぜ母親は、子どものことを抜きに、
一人の人である「私」のこと(だけ)を語ることを許されないのだろう。

そんな、ミュウが生まれて以来ずっと抱えてきた問いが、
気づかない内に、また私の中で急速に膨らんでいたのだと思う。

その問いをその問いのままに受け取ってくれる人がいないことが私にはずっともどかしくて、
抱え続ける問いがだんだんと膨らんでいたのだと思う。

そして、ある時ささいな出来事を機に、パンパンの風船が破裂してしまった。

それがたぶん、あの自爆テロみたいな
「ツイッターをやめました」だったんじゃないだろうか。

(あの時たまたま私のそばを通りかかられたために爆風を浴びてしまった方々に、改めてお詫びします)

だから、私はあのエントリーを、
正しさの暴力で黙らされた昔の体験場面で書き始めたかったんだ、という気がする。

この本を読んで、
あぁ、なるほど、怒鳴りつけられた、あの時の体験のように
私は、この問題を巡って何度も「拒否」を受け「傷つき」を経験し
私の中にはこの本の著者が言う「傷つきの累積」があったのだなぁ……と改めて気付いた。

それだけでも、この本を読んだ甲斐があったと思うくらいに、
私には目からウロコの発見だった。


そうして気づいて、改めて思うから、
やっぱり私は書いてしまうのだけど、

ミュウが生まれた時からずっと、
「障害児の親になったら、なんで『障害児の親』でしかないの?」
「母親だって一人の人間……で、なんでいけないの?」
という問いをずっと抱えてきた私からみると、

申し訳ないけど、
この著者が母親に向ける目線にも、私はちょっと不満です。

次のエントリーに続きます。
2012.08.02 / Top↑