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ALD(副腎白質ジストロフィー)の息子Lorenzoを治すために
文献をあたり治療薬となるオイルの発見をした両親の壮絶な努力を描いた映画
「ロレンツォのオイル」(1992年)のモデルとなったLorenzo Odone 氏が
30歳の誕生日の翌日に亡くなったとのこと。
死因は誤嚥性の肺炎。

He Defied The Doctors Until Death Defied Him
The Washington Post, September 23, 2008

映画ではスーザン・サランドンが演じていた母親は2000年に亡くなって、
それ以後は父親が面倒を見てきたとのこと。

もっとも、映画でもそうだった記憶があるのですが
その後もずっと24時間ケアの看護師が雇われていたようです。

オイルを発見する前後の専門家の対応から医学に対する不信が根強い父親は
誕生日の数日前に息子の変調に気付きながら救急車を呼ばず、
好きな物語を読んでやったり音楽をかけてやったりして過ごしていたので
息子の死後、すぐに救急車を呼べばよかったと自分を責めていたとのこと。

しかし、映画ではわずかな反応で意思表示できるという場面があったのですが、
この記事によると経管栄養で20年間一言もしゃべらず、
ぱっと見た目には全く無反応に見えたといいます。

救急車で運ばれていたとしても、
今の米国の医療では「無益」だとされれば
治療を受けられなかった可能性もあるのかも……。


       ――――――――

この映画をビデオで見た当時、私たち夫婦は
重い障害のために3日と元気な日が続かない幼く病弱な娘のケアに
ボロボロになりながら奮闘しているところだったので、

プロの看護師に全面的に子どものケアを託して
夫婦で図書館に詰めて文献研究をする親の姿に、
熱意は認めても、そういう親としてのあり方には疑問を感じたものでした。

あなたたちが今、重い障害を負った子どものためにしてあげられることは
全精力をつぎ込み、それほどの時間を費やして治療法を見つけることよりも
親として子どものそばにいてやることなのでは……?
という気がしたし、

治療法を見つけることに賭けるあれほどの熱意も
むしろ親自身の自己証明の必要が摩り替えられているようにも思えて、
こういう話が美談に仕立てられることに抵抗を覚えました。

私たち夫婦にとっては
それ以後、障害児の親の愛を巡る美談ものに手を出さなくなった
トドメのような映画になりましたが

私は今だに
メディアが障害のある子どもに献身する「美しい親の愛」を描く時、
それは一面だけの真実でしかない……という描き方が多いような気がしていけないし、

一面だけを捉えて描くからこそ美しい誰かの姿をもって、
「障害児の親はかくあるべし」という理想像にされてしまったのでは
一面だけで生きているわけじゃない生身の親としては堪ったもんじゃないよ……と
閉口してしまう。
2008.09.30 / Top↑
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