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イリノイ州で知的障害女性に対する不妊手術の要望が却下された件で出した意見書において、
裁判所は意思決定を行うことのできない人の基本的人権を守るために慎重な判断を求めており
不妊手術の検討にはセーフガードを充分に実施する責任と義務が裁判所にあると
繰り返し書いています。

しかし、この意見書のことを考えていて非常に気になり始めたのですが、
このような司法の機能と権威は果たしてどのように保全されるのでしょうか。

たとえばAshley事件では
子宮摘出に関して司法の判断を仰がなかったことの違法性を病院側が公式に認めていますが
それによって誰も責任を問われることもなく、処罰された人もいません。

去年7月のシアトル子ども病院の生命倫理カンファにおいて
Norman Fost医師は「裁判所の命令など無視したところで医師が罪に問われた例はない」と述べ、
強い口調で医師らに「裁判所には行くな」と説いているのですが、
Ashley事件の違法性がなんらの懲罰行為に至らなかったことを考えれば、
実際にFostの言うとおりの現実があるわけです。

これでは、いくら裁判所がセーフガードの必要性を説いたところで、
そこに実体が伴わなくても不思議ではないような……。

弁護士費用が本人負担となることの矛盾も、
セーフガードを保障するという点ではマイナス要因として働くし、

以前のエントリーでも指摘しましたが、
そもそも意見の対立さえなければ裁判の場に医療での意思決定が持ち込まれることもなく
家族と医療者の合意によって違法行為が行われてしまう可能性はあるでしょう。

(この点、日本の小児の呼吸器外しもその一例でしょうが、
暗黙の了解によって社会もそれに加担していますね。)

もちろんイリノイの上訴裁判所の意見は自分で意思決定できない人の不妊手術に関するものであり、
その他の問題にそのまま繋げることはできませんが、それでもなお、
裁判所がセーフガードとして機能するかどうかが医療職の良識にかかっているという現実には
問題があるのではないでしょうか。

Norman Fostの上記シアトル子ども病院の生命倫理カンファでの発言からは
障害児・者に今後さらに適用されていきそうな「無益な治療」論の手続きにおいて、
現在の裁判所のセーフガードとしての機能を
病院内倫理委員会に移してしまおうとする意図すら感じられます。

しかも会場から「本人の利益は誰が代弁するのか」と問われたFostは
「倫理委に地域の代表を1人か2人入れておけばいいだろう」と答えているのです。

まだまだ統一の基準もなく、整備状況も活動内容もバラバラだという
病院内生命倫理委員会が司法の判断の代用になっていくとしたら、
「病院の倫理委が充分の検討のうえで承認したことだから」と
医師らの恣意的な判断を正当化するアリバイに利用されかねないのではないでしょうか。

ちょうどAshley事件でそうだったように。



2008.05.08 / Top↑
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