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当ブログでも紹介しましたが、
3月10日にBBCの番組で聾のアーティストTomato Lichy氏が
「着床前診断で聾の子どもを持ちたい。聾は障害ではない」と主張し
番組ホストとの間で論争となりました。
それを受けてBBCの障害関連サイトOUCH!に
聾(いくらかは聞こえるようです)のジャーナリストが
「聾は障害か?」という記事を書いています。

Is deafness a disability?
By Rebecca Atkinson,
OUCH!, March 18, 2008

聾は障害ではないとの主張は
他の障害者を貶める可能性がある点で論議を呼ぶと指摘しながら、
聾が障害ではないと主張する聾コミュニティの側も、
障害だと決め付ける世間のメインストリームの側も
共に正しいとはいえないとの立場に立つ
Atkinsonの論点をいくつかまとめてみると、

・一般の人がイメージする「耳が聞こえない」状態は
それを体験した事のない人の勝手な想像に基づいており、
現実の聾者の体験とは違っている。
聾者の多くは生まれ付いての聾なので
音が聞こえるという体験が初めからないために、
聞こえないことに不自由を感じていない。

・一方、聾者の方も障害者手当ては受け取っておきながら
自分たちは障害者ではないと名乗るのはいかがなものか。

・耳が聞こえないという身体の状態そのものは障害ではなく
みんなが聞こえないのであれば音のない世界に誰も不自由はないはずだと考えるので、個人的には、障害を生むのは社会のありかたによるとする「社会モデル」に立つ。

・その一方、社会から完全にバリアが消えることはない以上
「社会モデル」で言う意味で自分は障害者だと考えるし、
自分の耳が多くの人と同じようには機能しないことも事実だという点でも、
自分のことを障害者だと捉えている。

そして以下のように結論付けています。

「自分は障害者ではない。聾者である」という主張は慎重に。

そう口にする人は、
障害をそれほどおぞましいものだと見なしていると見えるから。

私としては「障害」という言葉は
低い地位や欠陥や望ましくないものと同意になるのではなく、
プライドと連隊の象徴となるべきだと思う。

障害は人が生きるということの一部:
そういうスタンスに、聾者も含めてみんなが立つべきである。
2008.03.28 / Top↑
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