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2月17日に放送された
Calvin大学の番組Inner CampusでのDiekema医師のインタビュー
以下のサイトからMedia Player で聞けるようになりました。


聴き取り能力があやふやな上に音声が小さいことも手伝って
細部までは自信がないので、
以下に引用するDiekema発言は
文字通りというよりも発言の趣旨だと考えてもらいたいのですが、

このまま言い逃れられるとタカをくくって余裕が出てきたのでしょうか。

時間経過と共に細部までウソを固めつつあるのか、
これまでにはなかった内容も多く、
なかでも「よー言うわ、ったく……」と呆れてしまったのは、
例えば、

「子宮摘出部分についてはこれまでも行われてきたことであり、
小児科学会など複数のガイドラインがあるので
倫理委員会の検討はやりやすかった」と。

(それなのにどうして
知的障害者からの子宮摘出には裁判所の命令が必要だと明記してある
ワシントン大学のインフォームド・コンセント・マニュアルは無視されたんでしょう?)

他の選択肢はなかったのかという指摘に対して
「他の選択肢のいずれをとってみてもリスクはある。
 それぞれのリスクを検討すると同時に、
 それらの選択肢のメリットについて
 倫理委員会は細かく検討したのだ」と。

子どもの知的レベルについて、どこで線を引くのかという疑問に対しては
「その問題を議論してもらいたいというのこそ論文発表の目的だった。
 明確な基準が必要だということを論文では訴えたかったのだ」と。

(ほう? そんなこと論文に書いてありましたっけ?)

親の便宜のためにやったことだという批判に対しては
「親の便宜のためだという部分があるとしても、
 自分たちはそれとは無関係に子ども本人の利益だけを考えたのだ」という彼に、

インタビューアーが
「そうですよね。あなた方は子ども本人のアドボケイトだったわけですね」と媚びると、
「その通りです。我々は子どもの立場から検討したのです」と。

(本人の利益を代弁する存在が倫理委にいなかったことが指摘・批判されているのですが、
 いつのまにやら倫理委そのものが代弁者であったという話に摩り替わったようですね。)

さらに言うに事欠いて
「障害者のアドボカシー・グループの中には話したくもないと
 議論を拒否する態度をとるものもあるが、
 この問題には充分にオープンな議論が必要だと思う」のだそうで。

しかし、なんとも噴飯モノなのは、
「両親や病院を非難するのではなく、
 この事件をこそ、
 こうした処置が不要となる社会の必要を
 訴える機会にすべきだ」との発言。

この期に及んで、なんとも微妙な発言ですこと。
彼の良心が、どこかでチクチクしているということでしょうか???


 
2008.02.26 / Top↑
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