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(前)で紹介したように
Diekema医師は考察3で「最善の利益」基準を否定するのですが、

それに続く考察4において、

医療における意思決定では
「最善の利益」よりも「害境界」や「害原則」を用いる方がよいと提案します。

「いかに利益になるか」という点から考えるのではなく
「いかに害を避けるか」という観点から考えようということですね。

そして、この「害原則」の例として、以下の
「医師がやるべきだと考える医療のために
州の介入が正当化される条件」
を示します。

・親の行為が子どもに重大な害を及ぼす。
・そのために介入が必要である。
・他にもっと穏やかな選択肢が存在しない。
・一般化できるかどうか。
・公開できるかどうか。

一般化できるかどうかをチェックしろというのは、
同じ状況であれば誰にでも同じ決定を行う」のでなければならない、ということ。

公開できるかどうかをチェックしろというのは、
他の人に知らせても良いと思える意思決定かどうか、
メディアに公開できるだけ、その決定に自信があるかどうか
医師が自分の決定をチェックしてみろというのですね。


このプレゼンを聞いていると、
「ったく、よく言うよ……」と、
その厚顔にあちこちで呆れてしまうのですが、

この患者については正当化できるものの将来の患者では……」(論文)などと
一般化できない判断を行い、

実施から2年も口をつぐんで
乳房芽切除についてはその後も隠蔽を試みるなど、
明らかに公開したくなかった決定を敢えてしたのは一体どこのどなたでしたっけ──?


Ashley事件を考えつつ聞くと、
この後に出てくる考察ポイント6が、いかにも皮肉。

「親の“理不尽な”要求は慎重に検討し、
 敬意を持って扱わなければならないが、
 しかし、常に応じなければならないというものではない」

この下りでDiekema医師は
子どもにも周囲にも大した害がなくて、
まだ検証はされていなくてもメリットの可能性があるなら、
親の言うとおりにしてあげてもいいのではないか」と述べるのですが、

そこには「ただし」と条件がつきます。
「ただし、あくまでスタンダードな医療の範囲でのみ」。

ここでもまた、
Ashley事件における彼の行動が
倫理学者としての彼自身の信条を逸脱していたことは明らかでしょう。


ちなみにこの講演の結論とは、

相違を理解するためには、
まず他者の視点に立って
他者が見ているものを理解することから。

最初にそれをしなければ、
どんな倫理問題も解決しない。

すばらしぃ……思わず拍手してしまいそうですが、

じゃぁ、
どうして“Ashley本人の視点”に立てなかったの?
どうして“障害当事者たちの視点”に立てないの?
どうして“Ashley父の視点”にしか立てなかったの?

所得格差や医療格差を子どもたちのために憤ってみせる資格が
本当にあなたに、あるの?


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2007.12.29 / Top↑
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