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昨日、殺人未遂(07年9月の事件)と殺人罪(11月の事件)で
終身刑(最低でも9年間)が言い渡されました。

上記リンクの記事にはなかった情報として、

・息子のThomasさんは自力呼吸ができ、栄養補給を停止する条件を満たしていなかったが
 母親は死なせてやるべきだという意見だった。

・ただし、前のパートナーも2人の弟たちも母親の意見には反対だった。

法廷で主張したのは
心に悪意を持って命を奪うのが殺人の定義。
心に愛を持ってしたことなのだから、私はこれを殺人だとは思わない」。

それに対してBrian Barker QC判事(the Common Serjeant of London)は

法は社会において我々すべてを保護するために作られています。
特に弱者を保護するために。

はっきりされておかなければならないのは、
法には慈悲殺という概念は存在しないということです。

その意図がいかに親切であったとしても、
それは、まだ殺人です。

陪審員の評決が読み上げられると、
傍聴席から「恥を知れ」という叫び声が何度か上がったとのこと。
それが被告に向けられたものなのか、判事に向けられたものなのかは不明。

‘Mercy killing ‘ mum guilty of murder
Barking & Dagenham Recorder 24, January 20, 2010


法には慈悲殺という概念は存在しない――。

よくぞ、明確に言い切ってくださいました。
ちょっと、「まだ殺人です」の「まだ」が気にはかかりますが、

この判事の言葉、公訴局長はよくよく聞いてほしい。

そして、意図さえ善意であって個人的な利得さえなければ、
家族や友人知人の自殺幇助を認めるようなガイドライン
春の最終決定までに、もう一度、慎重に考え直してもらいたい。


【22日追記】
たぶん出てくるとは思っていましたが、
この判決は厳しすぎる、母親は、息子のためを思って愛と共感でしたことなのに、
判事には慈悲というものがない、という声を以下に。


タイトルは「Francis Inglisは冷酷な殺人者か、それとも愛に満ちた母親か?」。

Daniel James事件を引き合いに出して、
息子をDignitasで死なせた両親を訴追することには公益にならないとDPPが判断したというのに
この母親を殺人罪にして、社会に何のメリットがあるというのか、と。

この記事に反論したいことはいっぱいあるのでエントリー立てようかと思ったのですが、
例によって何もかもいっしょくたで「なんて素晴らしい母の愛」のグズグズ議論で、
まともに読んでいると胸が悪くなりそうだし、英国世論がまたこういうので踊るのかと思うと
こっちが生きていく気力をなくしてしまいそうなので、当面、パス。

【同日の更なる追記】
やっぱり、1つだけ、どうにも、これだけは言わにゃ、おられん……。
自殺幇助と慈悲殺の境目とが、こんなふうにグズグズになるのだとしたら、
自殺幇助合法化議論における「自己決定権」は既に看板倒れ……露呈しましたね。
2010.01.21 / Top↑
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