Thomas Inglisさん(22歳)は2007年7月に酒の上の喧嘩で怪我をし、
病院に運ばれる途中に救急車から飛び降りて(落ちて?)脳に損傷を負い、
生命維持装置と24時間の介護が必要な身となった。
病院に運ばれる途中に救急車から飛び降りて(落ちて?)脳に損傷を負い、
生命維持装置と24時間の介護が必要な身となった。
脳圧を下げる手術の後で改善傾向も見られていたし
医師も回復すると説明したのだけれど、
母親の Frances Anne Inglis(57歳)は信じようとせず、
インターネットで息子の状態について調べたのち、
悲観的な考えに取りつかれてしまった。
医師も回復すると説明したのだけれど、
母親の Frances Anne Inglis(57歳)は信じようとせず、
インターネットで息子の状態について調べたのち、
悲観的な考えに取りつかれてしまった。
そして事故の10日後には
近所の人に「悲惨な状態を終わらせてやるために」
息子を殺すので純度の高いヘロインがほしい、と話したという。
(本人は、かっとして、つい口走っただけだと主張)
近所の人に「悲惨な状態を終わらせてやるために」
息子を殺すので純度の高いヘロインがほしい、と話したという。
(本人は、かっとして、つい口走っただけだと主張)
その後、Thomasの症状は改善し、目を開けたり手足を動かせるようになったが
9月、彼の入所先のナーシングホームを訪れた母親は
職員が目を離した隙にヘロインを打ったとみられ、
Thomasは急変し呼吸が停止した。
9月、彼の入所先のナーシングホームを訪れた母親は
職員が目を離した隙にヘロインを打ったとみられ、
Thomasは急変し呼吸が停止した。
ナースが気づいて蘇生は成功したが、
その4日後に母親は「あの人たち、どうかしているんじゃない?
なんで、あのまま死なせてやらないのよ?」と言ったとのこと。
その4日後に母親は「あの人たち、どうかしているんじゃない?
なんで、あのまま死なせてやらないのよ?」と言ったとのこと。
またインターネットでも議論に参加して
「私の息子を生きさせておくことの倫理性」について云々し
「想像を絶する苦しみから息子を解放してやるために
オーバードースになる量のヘロインを与えました」と語ったともいわれる。
「私の息子を生きさせておくことの倫理性」について云々し
「想像を絶する苦しみから息子を解放してやるために
オーバードースになる量のヘロインを与えました」と語ったともいわれる。
裁判で有罪を認めることを前提に保釈となり、判決を待っていた08年11月、
Thomasが移された別のナーシング・ホームでは
スタッフに顔写真を配って母親への警戒を徹底していたが、
Thomasが移された別のナーシング・ホームでは
スタッフに顔写真を配って母親への警戒を徹底していたが、
叔母になりすまして入り込んだ母親は、
ヘロインを注射して息子を殺した。
ヘロインを注射して息子を殺した。
気付いたナースが部屋に入ろうとすると酸素ボンベでドアを封鎖。
ついにスタッフが押し入ると、
「そのままにしといてよ、バカ。
私がせっかく殺したんだから、生き返らせないで。
この子は、やっと楽になったんだから」と叫んだ。
ついにスタッフが押し入ると、
「そのままにしといてよ、バカ。
私がせっかく殺したんだから、生き返らせないで。
この子は、やっと楽になったんだから」と叫んだ。
Thomasの遺体からは致死量のヘロインが検出された。
母親は殺人も、殺人未遂も否定している。
母親は殺人も、殺人未遂も否定している。
Mother ‘injected brain-damaged son with fatal dose of heroin to end misery’
The Daily Telegraph, January 5, 2010
The Daily Telegraph, January 5, 2010
障害のある娘を殺した父親が「慈悲殺」を主張し続けている
カナダのLatimer事件を思わせる英国の事件として
Wesley Smith が自分のブログで取り上げています。
カナダのLatimer事件を思わせる英国の事件として
Wesley Smith が自分のブログで取り上げています。
この母親は明らかに常軌を逸しているのだけど、そういうことよりも何よりも、
どうして誰も、このニュースに驚かないのだ?
どうして誰も、このニュースに驚かないのだ?
……というのが、Smith のエントリーの趣旨――。
――そう。
Ashley事件の翌年、
英国でKatie Thorpeの母親が「うちの子にも」と子宮摘出を望んだ時
もはや誰も衝撃を受けないことに、私は大きな衝撃を受けた。
(詳細は「英国のKatieのケース」の書庫に)
英国でKatie Thorpeの母親が「うちの子にも」と子宮摘出を望んだ時
もはや誰も衝撃を受けないことに、私は大きな衝撃を受けた。
(詳細は「英国のKatieのケース」の書庫に)
Smithが書いているのは、つまりは、そういうことですね。
実際の議論の内容や行方よりも、
議論があることそのものによって、人々は
「死の自己決定権」、「治療は無益」といった概念や(「成長抑制」も?)
「障害を負うくらいなら死んだ方がまし」「障害のある生は苦しすぎて生きるに値しない」
などの考え方に、少しずつ馴染み、違和感を薄れさせていく――。
議論があることそのものによって、人々は
「死の自己決定権」、「治療は無益」といった概念や(「成長抑制」も?)
「障害を負うくらいなら死んだ方がまし」「障害のある生は苦しすぎて生きるに値しない」
などの考え方に、少しずつ馴染み、違和感を薄れさせていく――。
【Latimer事件関連エントリー】
母親による障害児殺し起訴同日かつての障害児殺しの父親Latimer釈放(2008/3/7)
Latimer事件についてHendersonが批判(2008/3/10)
重症児の娘殺したLatimer「裁判所は正直に」と(2008/3/29)
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2010.01.18 / Top↑
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