医師らは、倫理委員会での議論では「リスクとメリットを秤にかけてメリットの方が大きいと判断した」と説明しています。しかし、よく考えてみれば、「メリットがこんなにある。それに対してリスクはこんなに少ない。だから(アシュリーへの利益は論理的に考えれば自明の理であり)難しい判断ではない」というのは、両親のブログの論理であり、それはそのまま、とりわけ乳房芽の切除に気が進まない倫理委員会を説得すべく両親がプレゼンで力説した主張ではなかったでしょうか。
なぜ、倫理委の議論が、もともとの親の主張と全く同じなのでしょうか。
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1月4日のBBCのインタビューでのDiekema医師の発言には、またも彼らしい巧妙な摩り替えが見られます。How do you argue that it would benefit her quality of life?
あなたは、どのように、それが彼女のQOLを利すると論じられるわけですか?
Well, I think the primary argument for that from the parents was that ……..
そうですね、両親が主に論じたのは……ということだったと思います。
あなたは、どのように、それが彼女のQOLを利すると論じられるわけですか?
Well, I think the primary argument for that from the parents was that ……..
そうですね、両親が主に論じたのは……ということだったと思います。
インタビューアーは医師の論拠を聞いているのですが、Diekema医師は自分自身の論拠は述べず、親の考えはこういうものだったと主体を摩り替えて応えています。そして、この療法が具体的にどのように彼女のQOLを利すると自分たちが議論したかについては、説明せずにはぐらかしているのです。
この後、インタビューは以下のように続きます
それにしても、行われた介入は極めて激しく侵襲性の高いものですが?
アシュリーは普通に大人と呼ぶ意味での大人には決してならない、人と意味のある関わりなど持てないのだから、体が小さい方がむしろふさわしい(という趣旨の発言)
しかし同じ人間として、我々にはそのように決め付ける(that sort of judgment)資格があるのでしょうか?
Well…(つい失笑して、もしくは瞬時たじろいで?)……人間はそういう判断をしなければならないと思いますよ。もちろんたやすい判断ではないし、非常に例外的な状況でなければ私だって下したい判断ではないですけどね。
アシュリーは普通に大人と呼ぶ意味での大人には決してならない、人と意味のある関わりなど持てないのだから、体が小さい方がむしろふさわしい(という趣旨の発言)
しかし同じ人間として、我々にはそのように決め付ける(that sort of judgment)資格があるのでしょうか?
Well…(つい失笑して、もしくは瞬時たじろいで?)……人間はそういう判断をしなければならないと思いますよ。もちろんたやすい判断ではないし、非常に例外的な状況でなければ私だって下したい判断ではないですけどね。
ここでは、両親の主張するメリットは行われた処置の侵襲度を正当化しないのではないかとの疑問が投じられているのですが、Dikema医師はまたも両親の別の主張を持ち出して、侵襲度の問題をアシュリーの知的レベルの問題に摩り替えてはぐらかし、求められた回答を出していません。
もしかしたら、彼らは自分たちの議論というものを持たないために、親の主張のいくつもの論点を操ってはぐらかすしかないのではないでしょうか。1月以降、医師らがやっているのは実はこのインタビューと同じことなのではないでしょうか。
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これまで医師らと親の発言が食い違っている点をいくつも指摘してきましたが、それらは去年の秋に医師らが書いた論文と両親のブログとの食い違いであることに注目してください。つまり医師らが事実を隠蔽したり誤魔化していることに起因する食い違いなのです。それに対して1月以後、両者の言うことは、むしろぴったりと重なります。それは隠蔽に失敗した医師らが、ブログ以降は親の言うことをなぞるようになったからではないでしょうか。
たとえば、論文ではホルモン療法の副作用軽減が目的だったかのように書いていた子宮摘出について、1月以降は医師らも知的障害のある人は生理を理解できなくてトラウマになるとか、生理痛に耐えられないだろうなどと言い始めます。乳房芽の切除についても、論文で隠蔽したことなど忘れたかのごとく、病気予防になるとか病気の家系だったと親と同じことを言い始めます。リフトで吊られるよりも直接親に抱いて移動させてもらう方が尊厳があるというのも、親がブログに書いていたこと。中身が乳児なのだから、体が小さい方がふさわしいというのも、親のブログのままです。医療はもともと自然への介入であり、自然への冒涜だの神を演じていると批判するなら、がん治療も抗生剤すらもありえないというのも、親のブログに書かれている通りなのです。
BBCのインタビューのように、それらを医師としてどのように具体的に議論したか説明を求められたり、別の角度から突っ込まれた場合に、正面から答えず親のさらに別の論点を持ち出してはぐらかすしかできないのは、実は自分たちの議論というものの持ち合わせがなく、親の言うことをオウム返しにしているに過ぎないから、ではないでしょうか。
倫理委員会を開いて議論したはずの彼らに、なぜ自分たち自身の言葉で語る、親の論理とは別の筋道の議論というものがないのでしょうか。
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注:アシュリーの知的レベルについては、1月に入ってからも「生後3ヶ月相当」と「生後6ヶ月相当」と食い違っていましたが、1月12日にはDiekema医師もなぜか「3ヶ月相当」と言うことを変え、5月8日の記者会見で病院から出されたプレス・リリースでも「生後3ヶ月相当」となっています。どうやら病院サイドはアシュリーの知的レベルについても両親がブログで書いている「生後3ヶ月」説を採用することに“方針転換”したようです。2007.06.30 / Top↑
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