年明け早々のニュースから、この件の事実関係にこだわって、主に当事者の発言を1つ1つ突き合わせては確認するという作業を続けてきました。資料をつき合わせて細部を検証してみたら、多くの人が議論の前提として疑いもなく受け入れている事実関係そのものが、案外まったく違う様相をしているのでは……と思えてきました。
この問題には、まだ表に出ていない実相があるのではないか、と私は考えています。いわゆる“アシュリー療法”の背景について私見を述べながら、「何故こんなことが許されてしまったのか」という不思議を考えていきたいと思っています。
この問題について考えたり議論している多くの人が疑いもなく受け入れている議論の前提の1つに、「この症例は去年の秋に担当医によって論文発表されている」というものがあります。確かに去年の秋にAttenuating Growth in Children With Profound Developmental Disability : A New Approach to an Old Dilemma (Daniel F Gunther,MD,MA; Doughlas S. Diekema, MD, MPH, Archives of Pediatrics & Adolescent Medicine、Vol.160 NO.10, Oct.2006)という論文が発表されています。しかし、本当にこの論文は「アシュリーの症例について、きちんと報告している」と言えるかどうか。
注意してよくよく読むと、この論文には不可思議な点がいくつもあります。明らかにおかしい以下の5点について、まず考えてみたいと思います。
①「成長抑制」のみについての論文らしい。
②アシュリーに何が行われたのかという事実が整理、総括、提示されていない。
③乳房芽の切除については、一切触れられていない。
④ホルモン療法の副作用軽減のために子宮摘出が必要だったような書き方がされている。
⑤アシュリーの件を検討した倫理委のメンバーについては触れていないのに、ちゃんと報告していると思わせる巧妙な誘導が仕組まれている。
①「成長抑制」のみについての論文らしい。
論文のタイトルは「重症発達障害児における成長抑制」です。多くの人が考えているように「アシュリーに行われた一連の医療的処置についての論文」ではなく、「アシュリーに行われた成長抑制療法のみについての論文」として提示されているということになります。
アブストラクトの内容も「ホルモン療法を早期に行うことで成長は永久的に抑制される。それにより将来の介護負担を軽減し在宅ケアが可能となる。それは本人にも介護者である親にとっても利益である。親の希望があった場合には適切なスクリーニングとインフォームドコンセントを前提に、治療の選択肢に加えるよう提唱する」というもの。
しかし、タイトルとアブストラクトが規定するように「成長抑制療法」を治療のオプションとして提唱する趣旨の論文であるにしては、奇妙なことに「成長抑制療法」そのものが1度も明確に定義されていません。
このケースを巡る論争では、メディアの報道でも多くの人の議論においても、「成長抑制」という言葉がホルモン大量投与による身長抑制のことのみを指すのか、それとも子宮と乳房芽の摘出まで「女性としての成長抑制」という意味で含めているのか、使い方に混乱が見られます。これはやはり、論文がこの用語をきちんと定義していないことからくる混乱ではないでしょうか。
②アシュリーに何が行われたのかという事実が整理、総括、提示されていない。
「症例報告」という項目においてすら、「何が行われたのか」という事実整理も総括も一切行われていません。アシュリーの症例報告でありながら、「アシュリーに何が行われたのか」という、通常であれば最初に提示されなければならない基本的な事実がないままに、ここでも①で指摘したのと同様に、なし崩し的に話が進められています。
どういう症例に基づいて、何について書くのか、という基礎的事実をいずれも確立しないまま、なし崩し的に書く。これは、まるで土台がないところに建てられた家のような論文なのです。
しかし、もちろん執筆者らがうっかりしていたわけではないでしょう。むしろ、①の成長抑制の定義の不在、②アシュリーに行われたことの事実整理の不在は、次に述べる③「乳房芽の切除について触れていない」という不思議にさらに繋がっているように思えます。
③以降については、次回に。