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英国のクリケット選手Chris Broad氏の妻Michelleさんは
09年5月にALSにかかり、7月6日に致死量の薬を飲んで自殺。

それ以前にも自殺の意図は家族に語っていたが、
具体的な方法については家族が幇助罪に問われることを恐れて
明かしていなかったという。

Michelleさん(60)は徐々に話すことや呼吸が困難となり始めており、
胃ろう依存だったとのこと。

先週、検視官によって
“負担”になることを恐れての自殺と断定された。

夫はテレビのインタビューで
「身体がどんどん思うようにならなくなっていました。
頭はまだちゃんと働いているのに、身体がいうことをいかなくなっていたんです。
決定的だったのは、そのことでした。

必死でメールを書いたり、キーボードで文章を打っていました。
それが最後のところだったんだと思います。
いわばジグソーの最後のピースだったんですよ。
歩くのも大変だったし、話すのも食べるのも大変でした。
食べるのはチューブでしたし。

もしメールやキーボードで意思疎通ができなくなったら
それは彼女の生が失われるということだったのです。
そういう時が近づいていると自分で分かるところに来てしまって、
だから、そろそろ家族のもとを去るべき時がきたと考えたのでしょう。

18ヶ月間、ずっとみんなで(夫婦で?)このことは話しあってきました。
ハッピー・エンディングにはならないと分かっていましたからね。

もちろん、ショックだし、とても苦しいです。
ただ、これはミッチが望んだことだし、
彼女が自分の生を楽しめていなかったのは確かですから
妻は自分の望んだことを果たしたのだという事実は大きな慰めではあります」

氏の悔いは、妻が一人で死ぬことを余儀なくされたこと(forced to die alone)
死ぬ時に妻のそばにいてやれなかったこと。

氏はターミナルな病気の人たちは死を選ぶことを許されるべきだ、と言う。

「妻の立場に共感するから、
もしその場にいたとしても止めようとは思わなかった。
ただ、そばにいてやりたかった。
手を握ってやりたかった。
でも、それは可能ではなかった。

妻のそばにいてやれなかったから自分の人生が壊されたと言うつもりはありません。
ただ、ミッチが自分の望み通りの死に方で、苦しまずに死んだのであってほしい。
私にはそれが一番大事なこと。妻が苦しまなかったということが。

もしも健全な精神状態にある人がはっきりした頭で考えたことなら
なぜ自分が選んだ時に生を終わらせたいという望みが許されてはならないのか分からない」

Former England cricketer criticizes assisted suicide laws that forced wife to die alone
The Telegraph, September 24, 2010


もう、ずうううううっと前から英国のメディアは
自殺幇助合法化議論で、ターミナルな状態でも何でもないのに
重症障害のある状態をあたかもターミナルであるかのように
わざと混同してグズグズに書く、微妙な言葉の操作を繰り返しています。

ここでもターミナルな人の「死の自己決定権」が議論されているように書かれていますが
この女性は決してターミナルな状態だったわけではありません。

夫の言葉だけ(上記2つのカギ括弧部分)を読む限り、
意思疎通の手段がなくなることへの不安が女性の自殺の動機であり、

検視官の判断によると
家族への負担となることへの懸念が自殺の理由。
(そう判断された理由が分かりませんが遺書でもあったのでしょうか)

そして、よくよく読むと、
夫自身の言葉の中にも、ターミナルという言葉は出ていないのです。

ターミナルな人の死の自己決定権を認めろと
夫が主張しているように書かれている部分だけは間接話法になっており、

むしろ彼が直接話法の最後のところで言っているのは、ターミナルでなくとも
精神状態と知的機能に問題がなければ自己決定権を認めろと主張しているように思えます。



その他、この記事をざっと読んで頭に浮かんだ単純な疑問として

・いったい、この女性はどうやって致死薬を手に入れたのか。
 女性が致死薬を手にする過程には違法行為が関わっているはずなのに
 なぜ、そこが捜査されないのだろう。

・日本ではALSの患者さんの意思疎通に文字盤が使われたり、
パソコン操作のスイッチが工夫されたりして
患者さんや家族の間にノウハウが蓄積されているように思うのだけれど、
米国では、そうした支援は進んでいないだろうか。

・もしかしたら、そうしたノウハウの蓄積があるところにはあるのだけれど、
ALSの治療をする医療職にその情報がちゃんとシェアされていなかったり、
医療現場に「こんな状態で生きるよりは呼吸器もつけずに死んだ方が」という
偏った“常識”があるために、患者さんに選択肢が十分に説明されていないのだろうか。
(日本でも患者さんたちがそうやって事実上の安楽死を選ばされているという話も)

・なぜ、この夫は「家族の負担にならないために」という動機を前に
「本人が死にたいと望んだとおりに死んだことは大きな慰め」と言えるのだろう。
家族の負担になってはいけないと感じさせてしまったことに対する悔いはないのだろうか。

5月にこちらのエントリーで書いた女性ジャーナリストの
「家族の負担になるより死にたい」という女性のパートナーたちは
どうして、そういう話を前にニコニコしていられるのか、
理解できない、不思議だ、という指摘を思い出した。

・妻が“一人で死ぬことを強いられた”のは
(ここも間接話法部分なので実際に使われた表現かどうか曖昧ですが)
自殺幇助が合法化されていないせいなのか、それとも
ALSの介護支援や技術・情報が十分でなく、また
家族の負担になってはならないとプレッシャーをかける社会のせいなのか。

合法化されれば、本当はもっと家族のそばで生きていたい人にも
家族の負担にならないために死ぬことを選ばなければならないプレッシャーが
余計にかかるだけではないのか。

などなど。
2010.09.25 / Top↑
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