既に当ブログにも掲載している「介護者の権利章典」と同時に書いた文章です。
障害のある子どもを殺す母親たち
このところ、母親が障害のある子どもを殺す事件が気にかかっている。今年に入って記憶にあるニュースを振り返ってみると、2月にカナダで母親が17歳の 脳性まひの娘を殺す事件があった。複数の子どもを抱える46歳のシングルマザーだった(Global and Mail, 2月27日他)。米国では、2006年4月に障害のある34歳の娘を包丁で刺して殺害したシカゴの母親(59)が今年3月に懲役20年を言い渡されてい る。娘は2歳の時に脳性まひと発達障害を診断され、母親の方は事故の数年前から抑うつ状態だったとのこと。黒人母子家庭らしいが、単親で娘をケアし続けた 32年間とはどんな年月だったのだろう……と考えさせられる事件だった。(Cbs2chicago.com、3月14日他)。
英国でJoanne Hillという35歳の女性が4歳の娘Naomiをバスタブに沈めて殺す、という衝撃的な事件が起きたのは去年の11月のこと。脳性まひの娘を恥じていた のが殺害動機だとか、娘の苦痛を見かねての行為だったとのニュアンスの報道もあったが、Naomiの障害はさほど重度ではなかったという。9月の末、 Hillに終身刑が言い渡された。それを機に改めて事件の詳細をたどってみると、「母親が障害のある娘を殺した」と見えるこの事件、実は「障害のある母親 が娘を殺した」事件なのでは、と思えてくる。Hillは10代の頃に精神障害を診断されている。事件当時も夫婦間に問題を抱えてアルコール依存、鬱病に苦 しみ、自殺未遂を繰り返していた。弁護側は心神耗弱を訴えたが、裁判官は「いかなる言い訳もありえない」と、最低でも15年という条件付きで終身刑を言い 渡した。
親なら、たとえ血反吐を吐いてでも……
Hillに終身刑というニュースが舞い込んだのは、福岡で発達障害のある富石弘毅くん(6歳)が繊維筋痛症と鬱病を患う母親に殺害された痛ましい事件の 直後だった。事件の衝撃は大きく、ネットには「それでも親か」と非難の声が渦巻いていた。中には「親なら、たとえ血反吐を吐いてでも……」という“熱い” コメントもあった。もちろん殺害行為には「いかなる言い訳もありえない」。しかし各国の一連の事件の背景をたどりながらネットでの議論を読んでいると、考 えこんでしまった。障害児の親には、自らも障害や病気や様々な事情を抱えて支援を必要とする“ただの人”であることは、許されないのだろうか──。
読み人知らず「介護者の権利章典」
米国の退職者団体AARPが1985年に出版した“CAREGIVING: Helping An Aging Loved One(介護:愛する人の老いを支える)”という本がある。著者はJo Horne。家族介護者向けのこの実践マニュアルを、Horneは一貫して「介護者には『できません』と言う権利がある」との理念で書いたという。その彼 が最後のページで紹介するのは「介護者の権利章典」だ。「私には次の権利があります」と始まり、「自分を大切にすること」「他の人に助けを求めること」な ど9項目が続く。多くの介護関連団体によって長年の間に作られてきた、いわば“読み人知らず”のようである。Horneは最後に白紙の項目を作り、介護者 それぞれが自由に書き込むよう勧めている。
当欄ではこれまで数回にわたって英国や米国の介護者支援について紹介してきたが、いずれの国でも支援の対象となる「介護者」には障害児・者の親が含まれ ている。私たちもそろそろ、障害児の親をただ「親」とだけ捉えるのではなく「介護者」としても捉えるべきではないだろうか。そして、障害児の親も含めた介 護者には、自分の心身の健康を守り、人間らしい生活を送る正当な権利があるのだという共通認識を、介護者の間にも、医療職や福祉職の間にも、広げていくべ きではないだろうか。
福岡の事件のあと、ネット上では、“世間”からの非難に混じって、自分にもあの母親になる可能性はあるのだと戸惑いながら自らの心の内をのぞきこむ障害 児の親たちや、母親がそこまで追い詰められた経緯を冷静に分析しようとする療育関係者らの声もあった。そういう人たちに届くことを願い、巻末に「介護者の 権利章典」を訳してみた。活用いただければ幸いである。
10月19日から25日はオーストラリアの介護者週間だった。政府の福祉部局と共催した介護者支援団体Carers Australiaのサイトを覗いてみたら、介護者に向けて、こんな言葉が書かれていた。You are only human. あなただって、ただの人。そう──。介護者だって生身の人間なのだから──。
「介護者の権利章典」についてはこちらに。