シアトルこども病院Truman KatzセンターのDiekemaの同僚で
論争当初から、ちょろちょろしているWilfond医師の書いたものだけに、
ずっと読みたかったものです。
もちろん読んだからといって、予想通りの「身内の援護射撃」でしかないのですが、
ただ、1つ、見逃せない発言があるので、エントリーに。
The Ashley case: the public response and policy implications
Hastings Center Report, the Sept-Oct, 2007 by Benjamin S. Wilfond
基本的には、
治療上の必要がなくても、社会的理由で医療介入が用いられるのは
ADHDの子どもに薬を飲ませたり行動療法を行うことや
口蓋裂の手術、頭の形を整えるためのヘルメットなど、既に行われており、
Ashleyに行われたことも、それと変わらない、との主張。
ただ、非常に興味深いのは、以下の一節で、
……those not directly involved in a case can have difficulty fully appreciating the thought processes of the parents, clinicians, and ethics committee. There is certainly value in reevaluating their choices, but we must appreciate that those looking in from outside may have limited insight into the particulars and nuance of the decision. Further, even those involved in the case may struggle to fully describe their thinking at the time. The medical journal article and the parents' description were published almost three years later. They may be based on fading memories and after-the-fact analysis. These observations point to the need for careful consideration in reaction to public disclosures about difficult cases.
外部の人間が、当時者の気持ちや考えについて云々したところで、
それは所詮、想像の域を出ることはないのだし、
主治医論文にしても親のブログにしても
3年も前の出来事を振り返って、薄れゆく記憶に基づいて書いているのだから
情報公開された困難ケースを批判する際には、そういうことも念頭に置いておけ……
……って、米国医師会雑誌に掲載されるような医学論文てな
「ずっと前の困難事例を、もはや曖昧な記憶に基づいて書き、
あくまでも事後に振り返って分析しているだけなんっすけど」という程度のものなのか?
仮にも、れっきとした医師の、こんな寝言論文を
HCRが、また、なんで、しゃらりんと掲載してるのか?
JAMAにもHCRにも、査読者ってものは、いないのか?
まさか、特定の論文には査読者がいない……とか……?
んっとに、呆れてしまうのだけど、結局のところ、
Wilfondは医師らの論文がマヤカシ・穴ぼこ・矛盾だらけだということも
論文の内容と親のブログの内容とが齟齬をきたしていることも
十分に承知していた……ということでしょう。
この下り、
病院内でGuntherにプレゼンさせた際にも、
冒頭に出てきたWilfondが「当該ケースそのものをretrospectivelyに扱うのではない」と
わざわざ念押しをしていたことと、ぴったりと符合します。
そういえば、今に至ってもなお、DiekemaもAJOBの論文で、
倫理委の検討プロセスに対するQuelletteらの鋭い批判に対して
「でも、その場にいなかった人たちの想像に過ぎないでしょ」と
幼稚な反論をしていましたね。
結局、そういうお粗末な言い訳しかできないほど、
この点については、自分たちの正当化が破たんしているという自覚が
Diekema本人にはもちろん、Wilfondにも07年の初めからあったということなのでしょう。
それこそ、彼らが互いに手を組み、
たくらみを巡らせて一般化の動きを急ぎ作ることによって
Ashley事件の真実から目をそらせ、隠ぺいを図ったことの証拠――。