以下のエントリーで追いかけてきたベルギーの「安楽死後臓器提供」に関連して、
ベルギーで2年前にロックトインの女性、「安楽死後臓器提供」(2010/5/9)
ベルギーの医師らが「安楽死後臓器提供」を学会発表、既にプロトコルまで(2011/1/26)
2009年にTransplantation Proceedings というジャーナルに発表された論文を
見つけて送ってくださる方があり、読んでみました。
Organ Procurement After Euthanasia: Belgian Experience
D. Ysebaert, et.al.
Transplantation Proceedings, 41, 585-586 (2009)
事実関係だけをまず簡単に確認しておくと、
2005年から2007年にかけて
4人の患者が、安楽死希望が認められた後で臓器提供の意思を表明した。
4人は43歳から50歳。
いずれも脳血管疾患または多発性硬化症による重症の神経障害があった。
1人からは肝臓、腎臓2つを摘出。
1人からは肝臓、腎臓2つと膵島を摘出。
その他の2人からは、肝臓、腎臓2つと肺を摘出。
いくつか、読んでいて、気になった点を挙げておくと、
① 心停止後臓器提供(DCD)について、
心肺基準での死亡宣告によって脳死基準を満たさない脳損傷患者からも
臓器摘出が可能となると説明した後で、「unsuccessful reanimationのケースでも同様」と。
unsuccessful resuscitation なら「蘇生を試みるもかなわなかったケース」として、
これまでも何度も目にしてきた表現ですが
unsuccessful reanimation ……。
私は初めて見ました。私が知らないだけなのかもしれないけど、
なんか、や~な感じの表現。
この「unsuccessful reanimation も同様」とは、まさか、心停止していなくても、
意識が戻らなければ、もしくは意識はあるかもしれないけれども
「生き生きと活気に満ちているQOLの高い状態」に戻らなければ
心停止と同じ扱いで臓器を摘出してもいい……の意……?
もっとも現在でも人為的に心停止を起こさせて臓器を摘出するDCDのプロトコルは
ピッツバーグ方式とかいって、存在するわけですが、
それじゃぁ、unsuccessful reanimation とは、ピッツバーグ方式のことを意味しているのか?
もしかして、今後は reanimation という文言が概念化され
これまでの脳死基準やDCDプロトコルに代わって
生きている人間から臓器をとるための新基準を作っていく……なんてことは?
② ここで解説されているベルギーの安楽死法で、
外圧を受けない自発的な要望を複数回行って安楽死が認められる患者とは
「重症で不治の病気や障害によって、医学的に無益な状態にあり、
耐え難く軽減不能な肉体的または精神的苦痛を常時感じている」人。
その人がターミナルな状態でない場合には、安楽死を行う2人の医師は、
精神科医またはその人の病気の専門医である、もう一人の医師に相談しなければならない。
書面で要望が出されてから実施までは少なくとも1カ月あけること。
すべての「慈悲殺(なぜかこの個所だけ、この表現となっている)」は
監督機関である連邦委員会に報告すること。
つまり、必ずしもターミナルな状態でなくても
「医学的に無益な状態」にあれば対象に含まれる、ということですね。
その「医学的に無益」というのは、
米国の「無益な治療」論のように量的無益だけでなく質的無益も含むのかしら?
米国の無益な治療論における質的無益とは、
治療の無益論ではなく、QOLに基づく「患者の無益」論なんだけど?
③世界医師会は2002年に
いずれも医の倫理に反するとして
安楽死と自殺幇助を非難する声明を出し、
それぞれの国内法で認められたとしても
それらの行為に加わらないよう医師に呼びかけている。
原文はこちら。
④この論文は世界医師会の声明について触れた後で、
「しかし、患者が提供意思を強く表明した場合に、
安楽死後臓器提供の要望を拒否することができるだろうか?」と問うている。
そこで気になるのは、冒頭の4人の患者のケースを紹介した個所の表現。
4人は「安楽死の要望が認められた後で
臓器提供の意思を表わした(expressed their will )」と書かれているけれど、
それは結果に過ぎないのでは?
誘導された結果「提供します」と言わされたのだとしても
最終的に「します」と言えば express their will したことになってしまう。
そもそも、この論文を書いている医師らの意図が
安楽死を望む神経障害のある患者を「良質な臓器」の「臓器プール」と捉え、
彼らからの提供を一般化することにあるのは間違いないのだから、
そういう医師が現に存在する以上、4人への誘導がなかったとは言い切れないのでは?
それなのに「患者が強く要望した場合には拒否できるものか?」などと
患者の要望の強さに医師はかなわないと言わんばかりのおためごかしには、
重症障害があるために救命よりも臓器摘出を優先されたNavvaroさんのことを
「呼吸器を外されても臓器保存処置をされても死ねなかったために
あたら提供できたはずの臓器を提供しそこねた不運な人」扱いをして
そういう不運な人を出さないために臓器提供安楽死を提唱するSavulescuと同じ、
「よく言うよ」的な厚かましい詭弁を感じる。
去年Savulescuが生きたまま臓器を摘出する安楽死を提案する論文を書いた時、
私は臓器提供は安楽死の次には“無益な治療”論と繋がるという懸念について書きましたが、
このベルギーの医師らの論文の文言には
「医学的に無益な状態」が安楽死の条件であるとか、
DCDのプロトコルはunsuccessful reanimationのケースでも同様だとか、
彼らが「安楽死後臓器提供」の対象を「治療はこれ以上無益」とされる患者へと
いずれ広げていこうとすることの必然がチラついているのでは……?
【追記】
その後、unsuccessful reanimationで検索してみたところ、
オランダの臓器不足解消に向けて書かれた上記と似たような趣旨と思われる論文で
心停止ドナーの国際的分類「マーストリヒト分類」の第2、「救急で蘇生できなかった患者」について
unsuccessful reanimation という表現が使われていました。
なお、マーストリヒト分類は、こちらの論文から引っ張ってくると、以下の4カテゴリー。
�1. 病院搬送時にすでに心停止状態のドナー。心停止から30 分以内に適切な措置が施
されたのでないなら、この種のドナーからの臓器摘出はできない。
�2. 心臓マッサージや人工呼吸器による処置を施せる環境で救急隊がすぐに蘇生にあ
たったにもかかわらず、血行力学的回復に至らなかった場合。
�3. 予後不良のため延命治療の停止が決断されるに至った場合。
�4. 脳死判定を受けて死亡宣告がなされた後、スタッフが移植準備している間に不可
逆的な心停止状態に至った場合。
私は上のベルギーの論文を読んだ時には
unsuccessful reanimation をカテゴリー3との連想で読んだのだけど、
これがカテゴリー2の説明だとなると、それは resuscitation (蘇生) の言い替えに過ぎないのでは?
それなら、わざわざ、これら2本の論文が別の文言で言い換える、その意図は――?
【Savulescu「臓器提供安楽死」関連エントリー】
「生きた状態で臓器摘出する安楽死を」とSavulescuがBioethics誌で(2010/5/8)
Savulescuの「臓器提供安楽死」を読んでみた(2010/7/5)
「腎臓ペア交換」と「臓器提供安楽死」について書きました(2010/10/19)
このSavulescu論文も、手に入れてくださる方があって
かなり前に読んでいるのですが、けっこう密度の濃いものだったりもして、
なかなかまとめる時間がとれずにいます。
【Navarro事件 関連エントリー】
臓器ほしくて障害者の死、早める?
Navarro事件で検察が移植医の有罪を主張(2008/2/28)
臓器移植で「死亡者提供ルール」廃止せよと(2008/3/11)
Navarro事件の移植医に無罪:いよいよ「死亡提供ルール」撤廃へ? (2008/12/19)
ベルギーで2年前にロックトインの女性、「安楽死後臓器提供」(2010/5/9)
ベルギーの医師らが「安楽死後臓器提供」を学会発表、既にプロトコルまで(2011/1/26)
2009年にTransplantation Proceedings というジャーナルに発表された論文を
見つけて送ってくださる方があり、読んでみました。
Organ Procurement After Euthanasia: Belgian Experience
D. Ysebaert, et.al.
Transplantation Proceedings, 41, 585-586 (2009)
事実関係だけをまず簡単に確認しておくと、
2005年から2007年にかけて
4人の患者が、安楽死希望が認められた後で臓器提供の意思を表明した。
4人は43歳から50歳。
いずれも脳血管疾患または多発性硬化症による重症の神経障害があった。
1人からは肝臓、腎臓2つを摘出。
1人からは肝臓、腎臓2つと膵島を摘出。
その他の2人からは、肝臓、腎臓2つと肺を摘出。
いくつか、読んでいて、気になった点を挙げておくと、
① 心停止後臓器提供(DCD)について、
心肺基準での死亡宣告によって脳死基準を満たさない脳損傷患者からも
臓器摘出が可能となると説明した後で、「unsuccessful reanimationのケースでも同様」と。
unsuccessful resuscitation なら「蘇生を試みるもかなわなかったケース」として、
これまでも何度も目にしてきた表現ですが
unsuccessful reanimation ……。
私は初めて見ました。私が知らないだけなのかもしれないけど、
なんか、や~な感じの表現。
この「unsuccessful reanimation も同様」とは、まさか、心停止していなくても、
意識が戻らなければ、もしくは意識はあるかもしれないけれども
「生き生きと活気に満ちているQOLの高い状態」に戻らなければ
心停止と同じ扱いで臓器を摘出してもいい……の意……?
もっとも現在でも人為的に心停止を起こさせて臓器を摘出するDCDのプロトコルは
ピッツバーグ方式とかいって、存在するわけですが、
それじゃぁ、unsuccessful reanimation とは、ピッツバーグ方式のことを意味しているのか?
もしかして、今後は reanimation という文言が概念化され
これまでの脳死基準やDCDプロトコルに代わって
生きている人間から臓器をとるための新基準を作っていく……なんてことは?
② ここで解説されているベルギーの安楽死法で、
外圧を受けない自発的な要望を複数回行って安楽死が認められる患者とは
「重症で不治の病気や障害によって、医学的に無益な状態にあり、
耐え難く軽減不能な肉体的または精神的苦痛を常時感じている」人。
その人がターミナルな状態でない場合には、安楽死を行う2人の医師は、
精神科医またはその人の病気の専門医である、もう一人の医師に相談しなければならない。
書面で要望が出されてから実施までは少なくとも1カ月あけること。
すべての「慈悲殺(なぜかこの個所だけ、この表現となっている)」は
監督機関である連邦委員会に報告すること。
つまり、必ずしもターミナルな状態でなくても
「医学的に無益な状態」にあれば対象に含まれる、ということですね。
その「医学的に無益」というのは、
米国の「無益な治療」論のように量的無益だけでなく質的無益も含むのかしら?
米国の無益な治療論における質的無益とは、
治療の無益論ではなく、QOLに基づく「患者の無益」論なんだけど?
③世界医師会は2002年に
いずれも医の倫理に反するとして
安楽死と自殺幇助を非難する声明を出し、
それぞれの国内法で認められたとしても
それらの行為に加わらないよう医師に呼びかけている。
原文はこちら。
④この論文は世界医師会の声明について触れた後で、
「しかし、患者が提供意思を強く表明した場合に、
安楽死後臓器提供の要望を拒否することができるだろうか?」と問うている。
そこで気になるのは、冒頭の4人の患者のケースを紹介した個所の表現。
4人は「安楽死の要望が認められた後で
臓器提供の意思を表わした(expressed their will )」と書かれているけれど、
それは結果に過ぎないのでは?
誘導された結果「提供します」と言わされたのだとしても
最終的に「します」と言えば express their will したことになってしまう。
そもそも、この論文を書いている医師らの意図が
安楽死を望む神経障害のある患者を「良質な臓器」の「臓器プール」と捉え、
彼らからの提供を一般化することにあるのは間違いないのだから、
そういう医師が現に存在する以上、4人への誘導がなかったとは言い切れないのでは?
それなのに「患者が強く要望した場合には拒否できるものか?」などと
患者の要望の強さに医師はかなわないと言わんばかりのおためごかしには、
重症障害があるために救命よりも臓器摘出を優先されたNavvaroさんのことを
「呼吸器を外されても臓器保存処置をされても死ねなかったために
あたら提供できたはずの臓器を提供しそこねた不運な人」扱いをして
そういう不運な人を出さないために臓器提供安楽死を提唱するSavulescuと同じ、
「よく言うよ」的な厚かましい詭弁を感じる。
去年Savulescuが生きたまま臓器を摘出する安楽死を提案する論文を書いた時、
私は臓器提供は安楽死の次には“無益な治療”論と繋がるという懸念について書きましたが、
このベルギーの医師らの論文の文言には
「医学的に無益な状態」が安楽死の条件であるとか、
DCDのプロトコルはunsuccessful reanimationのケースでも同様だとか、
彼らが「安楽死後臓器提供」の対象を「治療はこれ以上無益」とされる患者へと
いずれ広げていこうとすることの必然がチラついているのでは……?
【追記】
その後、unsuccessful reanimationで検索してみたところ、
オランダの臓器不足解消に向けて書かれた上記と似たような趣旨と思われる論文で
心停止ドナーの国際的分類「マーストリヒト分類」の第2、「救急で蘇生できなかった患者」について
unsuccessful reanimation という表現が使われていました。
なお、マーストリヒト分類は、こちらの論文から引っ張ってくると、以下の4カテゴリー。
�1. 病院搬送時にすでに心停止状態のドナー。心停止から30 分以内に適切な措置が施
されたのでないなら、この種のドナーからの臓器摘出はできない。
�2. 心臓マッサージや人工呼吸器による処置を施せる環境で救急隊がすぐに蘇生にあ
たったにもかかわらず、血行力学的回復に至らなかった場合。
�3. 予後不良のため延命治療の停止が決断されるに至った場合。
�4. 脳死判定を受けて死亡宣告がなされた後、スタッフが移植準備している間に不可
逆的な心停止状態に至った場合。
私は上のベルギーの論文を読んだ時には
unsuccessful reanimation をカテゴリー3との連想で読んだのだけど、
これがカテゴリー2の説明だとなると、それは resuscitation (蘇生) の言い替えに過ぎないのでは?
それなら、わざわざ、これら2本の論文が別の文言で言い換える、その意図は――?
【Savulescu「臓器提供安楽死」関連エントリー】
「生きた状態で臓器摘出する安楽死を」とSavulescuがBioethics誌で(2010/5/8)
Savulescuの「臓器提供安楽死」を読んでみた(2010/7/5)
「腎臓ペア交換」と「臓器提供安楽死」について書きました(2010/10/19)
このSavulescu論文も、手に入れてくださる方があって
かなり前に読んでいるのですが、けっこう密度の濃いものだったりもして、
なかなかまとめる時間がとれずにいます。
【Navarro事件 関連エントリー】
臓器ほしくて障害者の死、早める?
Navarro事件で検察が移植医の有罪を主張(2008/2/28)
臓器移植で「死亡者提供ルール」廃止せよと(2008/3/11)
Navarro事件の移植医に無罪:いよいよ「死亡提供ルール」撤廃へ? (2008/12/19)
2011.02.07 / Top↑
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