東大をはじめいくつかの国立大学の物理学の研究者たちから、福島原発の放射能事故に関連して流布している情報について理解しかねて疑心暗鬼に陥りがちな一般国民に向け、専門知識で解説するカリフォルニア大学のモンリオール氏の講演スライド「福島原発の放射能を理解する」を翻訳することによって、正確な理解の一助になろうとの努力。:ほとんどが寄りつく気にもなれないくらい専門的な内容だけど、最後の数枚のチェルノブイリとの比較、特に「福島での不幸中の幸い」はreassuring。19日の補遺で拾った、ProPublicaの記事と同じような内容では、と思われますが?
http://ribf.riken.jp/~koji/jishin/zhen_zai.html
フォトジャーナリストの國森康弘氏、地震当日夜から現地に向かい1週間弱、被災地で写真を撮り続けたとのこと。
http://www.kunimorifoto.net/
被災地の重度障害者の在宅医療の問題。人工呼吸器など。
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/03/20110317t73008.htm
一日中テレビから流れてくる説教臭いメッセージと、子宮頸がん・乳がん・脳卒中予防CMに、もういい加減ウンザリで、企業CM自粛の影響だろうとは想像しつつも検索してみたら、ACからお詫びメッセージが出されていた。それにしても前から思うけど、うさんくさい団体だこと。
http://www.ad-c.or.jp.nyud.net:8090/information.html
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昨日の朝日新聞に角田光代の「八日目の蝉」の書評があった。気分が悪くてならない。佐々木敦によれば、描かれているのは「母性と呼ばれるものの矛盾に満ちた本質」なんだそうな。な~んにも読めてないのね。これに比べれば、文庫の解説を書いている池澤夏樹の方がいくらかはマシ。「これは相当に過激なフェミニズムの小説」と見抜いただけは。
角田光代という作家はAC的な生きづらさを抱えた人間の生きはぐれ方を書かせると右に出る者がいないほどうまいと思う。だからこそ、その生きづらさを生じさせている側にいる人間は、突きつけられた問題を否認し問題をすり替える……という、いかにも虐待的な親のような反応を示すのではないか。
池澤氏も「母性に促された、いわば生理の犯罪」だの「聖母子」だの「母と子が一緒にいることはそれだけで祝福であるから」だのと、男にとって都合のよい「美しい母の愛」解釈ばかり展開している。「この話には頼りになる男は一人も登場しない」とかろうじて見抜いているところだけ、佐々木氏に比べれば池澤氏に分がある。この小説を読む男性には、ここに描かれている女を理解しようなどと、そんな無謀なことはしなくてもいいから、この物語に出てくる男たちから目をそらさずに読んでほしい。描かれているのは「母性」ではなく、女にとってこの世界がどのような場所であるか、ということではないか、というのが私の印象だった。
池澤氏も佐々木氏も、育児と介護を美化して語り母性賛美で母や介護者に悲鳴の口封じをしておきながら、いざ子どもや要介護者が殺される事態に至ってもなお母性や愛を云々して自分と問題を切り離しておこうとする社会の意識にそっくりだ。
そのそっくりさ加減は、信田さよ子が言っている「つまり権力とは『状況の定義権』のことである」ということに繋がってもいくような……↓
ACからEva Kittayそして「障害児の介護者でもある親」における問題の連関(2010/12/1)
それから、たぶん、こういうことにも ↓
女のエクスタシーと自殺幇助の関係性(2011/3/11)
【追記】
去年12月1日の「ACから……」のエントリーを読み返していて、ふっと思ったのだけど、
ACという概念のもつ告発性とでもいったものが指差しているところは
障害者運動がかつて言った「親が一番の敵」とか「愛と正義の否定」の告発性と
すごく近いところにあるんじゃないか……って。
今日のところは、ふっと頭に浮かんだだけで、
ぜんぜん深く考えちゃいないんですけど。
ダメージヘアがサラツヤ美髪へ
www.lasana.co.jp
ラサーナ美髪5日間セット。今なら2310円相当が1050円で♪
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昨日の朝日新聞に角田光代の「八日目の蝉」の書評があった。気分が悪くてならない。佐々木敦によれば、描かれているのは「母性と呼ばれるものの矛盾に満ちた本質」なんだそうな。な~んにも読めてないのね。これに比べれば、文庫の解説を書いている池澤夏樹の方がいくらかはマシ。「これは相当に過激なフェミニズムの小説」と見抜いただけは。
角田光代という作家はAC的な生きづらさを抱えた人間の生きはぐれ方を書かせると右に出る者がいないほどうまいと思う。だからこそ、その生きづらさを生じさせている側にいる人間は、突きつけられた問題を否認し問題をすり替える……という、いかにも虐待的な親のような反応を示すのではないか。
池澤氏も「母性に促された、いわば生理の犯罪」だの「聖母子」だの「母と子が一緒にいることはそれだけで祝福であるから」だのと、男にとって都合のよい「美しい母の愛」解釈ばかり展開している。「この話には頼りになる男は一人も登場しない」とかろうじて見抜いているところだけ、佐々木氏に比べれば池澤氏に分がある。この小説を読む男性には、ここに描かれている女を理解しようなどと、そんな無謀なことはしなくてもいいから、この物語に出てくる男たちから目をそらさずに読んでほしい。描かれているのは「母性」ではなく、女にとってこの世界がどのような場所であるか、ということではないか、というのが私の印象だった。
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去年12月1日の「ACから……」のエントリーを読み返していて、ふっと思ったのだけど、
ACという概念のもつ告発性とでもいったものが指差しているところは
障害者運動がかつて言った「親が一番の敵」とか「愛と正義の否定」の告発性と
すごく近いところにあるんじゃないか……って。
今日のところは、ふっと頭に浮かんだだけで、
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2011.03.23 / Top↑
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