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7月号の米国小児科学会誌に
Ashley事件でお馴染みJohn Lantos医師らが論文を発表し、

1999年から2008年の10年間に
NICUで死亡した新生児について
① 32週以内の超未熟児
② 先天性の異常がある児
③ その他
別に調べたところ、

地域の診療機関からの紹介を受けるNICUにおいて
10年間での414人の新生児の死亡のうち、
61.6%で医療が中止されており
20.8%で医療が差し控えられており、
17.6%で心肺蘇生を受けていた。

治療の差し控えの後で死亡した割合は毎年1%増加しており、
増加分は超未熟児グループで治療の差し控えが行われたことを反映するもの。

10年間でこのNICUで主要な死の様態は生命維持装置の中止によるもので、
死が差し迫っていて医療が無益だと考えられる場合には
中止によって制御された環境で安らかな死を迎えられるものとされている。

治療中止が大きく増えていることは
それだけ医療的無益性が認識され、
穏やかな死を提供しようとの考えが広がっていることを示すものである、と
論文は結論付けている。

How Infants Die in the Neonatal Intensive Care Unit
Trends From 1999 Through 20008
Julie Weiner, DO; Jotishna Sharma, MD; John Lantos, MD; Howard Kilbride, MD
Arch Pediatr Adolesc Med. 2011; 165(7):630-634. Diu:10.1001/archpediatrics.2011.102


この論文を受け、Wesley Smithが
無益な治療論で問題なのは医療職が一方的に患者や家族の医師を無視して
治療を停止することであり、

この論文の結論として
多くの家族が強制されたのではなく、十分な情報を得て、
治療の続行を望まない選択をしていることは喜ばしいことだ、と書いている。

きちんと正しい知識を与えられれば
多くの人は「何が何でも出来る限りのことを」などとは望まないものだ、と
自分は以前から主張しており、この研究結果によってそれが実証された、とも。

Neo Natal Deaths Show Education, Not Coercion, Works in Terminal Cases
Secondhand Smoke, July 7, 2011


それを受けて、
Medical Futility BlogのThaddeus Mason Pose が
Smithの言う「強要」の内容が問題だと問題提起している。

例えば、人工呼吸器の続行が選択肢の中に含まれていなかったり、
現実的な選択肢として提示されていなかったりといった
倫理的には正当化され得る「説得」や「操作」もありうるのでは。

言い換えると、
医療職や倫理委が代理決定権者の反対を押し切ってまで
治療を無理やりに行うということは滅多にないのだから、
意見の対立さえなければコンセンサスができたことになってしまう。

いったん起こった無益な治療を巡る対立が解決されてコンセンサスに至ることと
最初から無益性を巡る対立を避けることにエネルギーを集中することとは
全く別の話であり、

それによって代理決定権者が最初から選択を奪われているということもありうる、と。

Medical Futility ― Conflict and Illusory Consensus
Medical Futility Blog、July 9, 2011



なんでだろう?
私も今回はWesley Smithは妙に「らしく」ないことを言っている印象を受けた。

Popeの意見に賛成。
2011.07.12 / Top↑
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