The National Family Caregivers Association (NFCA全国家族介護者協会)と
Forest Laboratories, Inc.とがGfK Roper Public Affairs & Corporate Communications に委託して
今年3月28日から4月25日の間にアルツハイマー病の人の介護者674人に調査を実施。
その結果、
家族介護者が最も大きな不安(ほとんど恐怖といってもいいほどの)を感じているのは
本人とコミュニケーションが取れなくなること。
それに次いで介護者にとって大きな不安は
本人の健康状態が衰えていくことだった。
ちゃんとしたコミュニケーションが「まったく取れない」「あまりうまく取れない」と
答えた家族介護者は半数以上。
そのため双方向のコミュニケーションを諦めてしまったという人が多いが、
コミュニケーションが介護ストレスになっていると答えた人が71%に上る一方で、
新たなコミュニケーションの方法を模索し見つける人も多く、
76%の人が前よりもコミュニケーションがうまくなったと回答している。
代替コミュニケーションの工夫としては
84%が顔の表情を見る、
79&がボディ・ランゲージ、
66%は絵や写真を使う、と答えた。
介護者の性別による違いはほとんどないが、
アフリカ系の方が白人よりも介護に費やす時間が長く、
代替えコミュニケーションを使っている割合も
ヒスパニック系で80%、アフリカ系で81%が使っているのに対して
白人は69%にとどまっていた。
またほとんどの介護者が何らかの支援を受けており、
自分だけで介護を担っているという人は12%だった。
その他、この調査が指摘しているのは
家族介護者はアルツハイマー病の人の変化を目の当たりにしているので
家族介護者の観察を記録して、医師に伝えることが重要。
それらの情報が生かされるためにも、介護者と医師の信頼関係が大事。
アルツハイマー病の家族介護者は
自分自身のリスクについても不安に感じていることが多く、
10人中9人が少しでも兆候を感じたらすぐに受診する、と答えた。
Alzheimer’s Disease Impact On Caregivers, New Survey
MNT, October 28, 2011
ちょっと記事の本筋とはズレるのですが、
私が外国語の教師を長いことしてきたからか、
言葉というコミュニケーションの手段を持たない重症障害のある娘の親だからか、
私にとっては
音声、顔や目の表情、ジェスチャーやボディ・ランゲージ……などなどは
「コミュニケーション」の一部として、その中に当たり前に含まれているものだと
ずっと自然にそう捉えてきたので、
そういうものを「コミュニケーション」の外に置いて、
それとは別の「代替コミュニケーション」だのこの調査と記事の捉え方には、
かなり違和感がありました。
米国の生命倫理の周辺の情報を読みかじっていると、
「言葉によるコミュニケーションが取れないなら意思疎通そのものが不能」
という短絡的な考えや、さらにそこから大きく飛躍して、
「言葉でコミュニケーションが取れないなら、その人は何も分かっていない」
という恐ろしい決めつけまでがじわじわと広がりつつあるのではないかと
懸念は漠然とあったけど……。
でも、この調査が意味するところも、
言葉で意思や気持ちを表現することができなくても
働きかける側の姿勢や工夫次第でコミュニケーションはとれる、という可能性であり希望だと思う。
認知症や高齢・障害のために言葉を持たない人の痛みに気付くノウハウについては、
以下のエントリーに ↓
「認知症の人の痛みに気付く」ワークショップ(2009/9/9)
高齢者入所施設における痛みマネジメント戦略(2009/9/9)
「認知症患者の緩和ケア向上させ、痛みと不快に対応を」と老年医学専門医(2009/10/9)
また、言葉を持たない障害者への医療サイドの無理解が患者の死を招いたことを
医療オンブズマンが認定した英国のケースについてはこちらに。
オンブズマンは家族介護者の観察や情報を医療職が尊重することの大切さを訴えました ↓
Markのケース:知的障害者への偏見による医療過失(2009/4/1)
Martinのケース:知的障害者への偏見による医療過失(2009/4/1)
娘と私自身の体験は上のMark, Martinのエントリーにも書いていますが、
その他、障害児・者のコミュニケーションについては多数のエントリーを書いており、その一部がこちら ↓
「意思疎通できない」という医療基準のコワさ(2009/2/9)
「コミュニケーションの廃用性」について(2009/9/10)
重症障害児・者のコミュニケーションについて・整理すべきだと思うこと(2010/11/21)
Forest Laboratories, Inc.とがGfK Roper Public Affairs & Corporate Communications に委託して
今年3月28日から4月25日の間にアルツハイマー病の人の介護者674人に調査を実施。
その結果、
家族介護者が最も大きな不安(ほとんど恐怖といってもいいほどの)を感じているのは
本人とコミュニケーションが取れなくなること。
それに次いで介護者にとって大きな不安は
本人の健康状態が衰えていくことだった。
ちゃんとしたコミュニケーションが「まったく取れない」「あまりうまく取れない」と
答えた家族介護者は半数以上。
そのため双方向のコミュニケーションを諦めてしまったという人が多いが、
コミュニケーションが介護ストレスになっていると答えた人が71%に上る一方で、
新たなコミュニケーションの方法を模索し見つける人も多く、
76%の人が前よりもコミュニケーションがうまくなったと回答している。
代替コミュニケーションの工夫としては
84%が顔の表情を見る、
79&がボディ・ランゲージ、
66%は絵や写真を使う、と答えた。
介護者の性別による違いはほとんどないが、
アフリカ系の方が白人よりも介護に費やす時間が長く、
代替えコミュニケーションを使っている割合も
ヒスパニック系で80%、アフリカ系で81%が使っているのに対して
白人は69%にとどまっていた。
またほとんどの介護者が何らかの支援を受けており、
自分だけで介護を担っているという人は12%だった。
その他、この調査が指摘しているのは
家族介護者はアルツハイマー病の人の変化を目の当たりにしているので
家族介護者の観察を記録して、医師に伝えることが重要。
それらの情報が生かされるためにも、介護者と医師の信頼関係が大事。
アルツハイマー病の家族介護者は
自分自身のリスクについても不安に感じていることが多く、
10人中9人が少しでも兆候を感じたらすぐに受診する、と答えた。
Alzheimer’s Disease Impact On Caregivers, New Survey
MNT, October 28, 2011
ちょっと記事の本筋とはズレるのですが、
私が外国語の教師を長いことしてきたからか、
言葉というコミュニケーションの手段を持たない重症障害のある娘の親だからか、
私にとっては
音声、顔や目の表情、ジェスチャーやボディ・ランゲージ……などなどは
「コミュニケーション」の一部として、その中に当たり前に含まれているものだと
ずっと自然にそう捉えてきたので、
そういうものを「コミュニケーション」の外に置いて、
それとは別の「代替コミュニケーション」だのこの調査と記事の捉え方には、
かなり違和感がありました。
米国の生命倫理の周辺の情報を読みかじっていると、
「言葉によるコミュニケーションが取れないなら意思疎通そのものが不能」
という短絡的な考えや、さらにそこから大きく飛躍して、
「言葉でコミュニケーションが取れないなら、その人は何も分かっていない」
という恐ろしい決めつけまでがじわじわと広がりつつあるのではないかと
懸念は漠然とあったけど……。
でも、この調査が意味するところも、
言葉で意思や気持ちを表現することができなくても
働きかける側の姿勢や工夫次第でコミュニケーションはとれる、という可能性であり希望だと思う。
認知症や高齢・障害のために言葉を持たない人の痛みに気付くノウハウについては、
以下のエントリーに ↓
「認知症の人の痛みに気付く」ワークショップ(2009/9/9)
高齢者入所施設における痛みマネジメント戦略(2009/9/9)
「認知症患者の緩和ケア向上させ、痛みと不快に対応を」と老年医学専門医(2009/10/9)
また、言葉を持たない障害者への医療サイドの無理解が患者の死を招いたことを
医療オンブズマンが認定した英国のケースについてはこちらに。
オンブズマンは家族介護者の観察や情報を医療職が尊重することの大切さを訴えました ↓
Markのケース:知的障害者への偏見による医療過失(2009/4/1)
Martinのケース:知的障害者への偏見による医療過失(2009/4/1)
娘と私自身の体験は上のMark, Martinのエントリーにも書いていますが、
その他、障害児・者のコミュニケーションについては多数のエントリーを書いており、その一部がこちら ↓
「意思疎通できない」という医療基準のコワさ(2009/2/9)
「コミュニケーションの廃用性」について(2009/9/10)
重症障害児・者のコミュニケーションについて・整理すべきだと思うこと(2010/11/21)
2011.10.31 / Top↑
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