前半はAshley事件の概要をまとめたものですが、後半、
“A療法”は障害児の身体の統合性に対する権利を侵害するものであり、
親には利益の対立があるので、国家が介入して
親の決定権の範疇から無条件にはずすべきであると主張。
“A療法”は障害児の身体の統合性に対する権利を侵害するものであり、
親には利益の対立があるので、国家が介入して
親の決定権の範疇から無条件にはずすべきであると主張。
後半部分を以下に全訳してみます。
米国最高裁の判例によると、合衆国憲法修正第14条により、身体の統合性に対する権利は憲法で保護された基本的人権である、とされる。ただし、それは絶対的な権利ではなく、公共の健康と福祉を守る国家の利益と秤にかけられなければならない。自らその権利を行使することのできないとしても、この身体の統合性に対する権利は重症障害児にも当てはめられる。すなわち、障害児はこの権利によって不必要な身体への侵襲撃殻保護されているのである。
非治療的成長抑制療法は、医療に関する親の決定権の無条件の例外とされるべきである。なぜならば、その療法は非治療的であり、親には利益の対立があるので子どもの身体の統合性に対する権利を大きく侵害することになるからである。一般に子どもは自ら医療に同意する法的能力を持たない。
親は子どもに代わって医療に関する意思決定を行う権限を通常は持っている。裁判所も、親は子どもの最善の利益によって行動するものだと前提しているので、通常は親の決定は国家の介入を受けないものとされる。しかし、Ashley療法のリスクはその療法の利益よりも大きく、子どもの身体の統合性に対する権利を保護するべく、国家が介入すべきである。
非治療的成長抑制療法は、医療に関する親の決定権の無条件の例外とされるべきである。なぜならば、その療法は非治療的であり、親には利益の対立があるので子どもの身体の統合性に対する権利を大きく侵害することになるからである。一般に子どもは自ら医療に同意する法的能力を持たない。
親は子どもに代わって医療に関する意思決定を行う権限を通常は持っている。裁判所も、親は子どもの最善の利益によって行動するものだと前提しているので、通常は親の決定は国家の介入を受けないものとされる。しかし、Ashley療法のリスクはその療法の利益よりも大きく、子どもの身体の統合性に対する権利を保護するべく、国家が介入すべきである。
これまでに出たAshley療法に対する法律的な解釈としては、
細かいところで様々な追加点や解釈の差異はあるにせよ、
基本路線はほぼこの辺りであることは、この3年間で確認されてきたように思います。
細かいところで様々な追加点や解釈の差異はあるにせよ、
基本路線はほぼこの辺りであることは、この3年間で確認されてきたように思います。
侵襲度が高い。
不可逆である。
本人の健康上の必要から行われるものではない。
身体の統合性に対する権利の侵害。
不可逆である。
本人の健康上の必要から行われるものではない。
身体の統合性に対する権利の侵害。
―――――
ついでながら、この記事には
前半の事件の概要の部分で一箇所、重大な事実誤認があります。
前半の事件の概要の部分で一箇所、重大な事実誤認があります。
「Ashley療法を医師らが思いつき、それを親が承認した」と捉えられているのですが、
これは、ちょっと今さら呆れるほどの誤認で、
これは、ちょっと今さら呆れるほどの誤認で、
思いついたのは親の方です。親が自分で考案したAshley療法をやってほしいと要望し、
それを病院の”特別”倫理委員会が承認した、という話です。
それを病院の”特別”倫理委員会が承認した、という話です。
表向きは。
実際は、政治的に(たぶん個人のキャラとしても)パワフルな(ついでに高圧的な)父親に
押し切られる格好で、立場の弱い病院と医師らが承認させられてしまった・・・・・・のが、たぶん事実。
押し切られる格好で、立場の弱い病院と医師らが承認させられてしまった・・・・・・のが、たぶん事実。
しかし、なにはともあれ、
今のこの段階になっても、まだ、こうして批判し、
一般化を食い止める努力をする必要があると感じている人がここにもいる……。
今のこの段階になっても、まだ、こうして批判し、
一般化を食い止める努力をする必要があると感じている人がここにもいる……。
とりあえず、それが、なんといっても嬉しい。
2010.04.02 / Top↑
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