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(前のエントリーの続きです)

「考察」の冒頭、
Oulletteがまず整理するのは、

子どもの医療における親の決定権そのものは
障害者コミュニティも生命倫理学も同じく認めており、両者の見解が異なるのは
「親の決定権を制約すべきか」「制約するとしたらいつ、どのようにして」の点であること。

この2点について両者がコンセンサスに達するためには
親の判断力が信頼される必要があり、障害児の親に対する情報提供や教育も必要となるが、
コンセンサス以前に和解がなければならず、和解するためにはまず信頼が必要。

In my view, trust can be achieved only if all concerned acknowledge and understand the alliances, fears, and values at play in conflict. When it comes to acknowledging their own alliances, fears, and values with respect to disability issues in children, it seems to me that bioethics experts have some work to do.

信頼は、争議で問題になっている関係者すべての身内意識(?)、不安、価値観が認識・尊重された後にしか得られない。子どもにおける障害の問題でそのために努力すべきは、生命倫理学者の方だと私には思われる。
(p.184)


なぜならば、
Larson事件でもAshley事件でも、問題となっているのは、
障害者コミュニティが長年訴え続けてきた医療への不安と不信なのだから。

障害者は技術そのものを悪いと言っているわけではない。

技術を利用する意思決定が倫理的に間違っているから
その議論に障害者問題の専門家を含めることによって
障害のある子ども達のニーズについて親の理解を深めていこう、と主張しているのだ。

一方、生命倫理学者はもはや医療のインサイダーとなり、
医療の主流となっている価値意識を問うという本来の役割を果たすのではなく
むしろ医療判断を医療の専門家に委任する権威づけの役割を担っている。

そのため、人工内耳でもアシュリー療法でも、
子どもを「医療技術で簡単に修正する fixing」利益が
介入の医学的リスクを明らかに上回っているというのに、それを容認してしまう。

Concerns that the use of the intervention would be deemed abusive but for the disabled status of the child are dismissed with a medical justification: In medicine, physical difference justifies differential treatment. No ethical issues here.

当該介入の利用は虐待・濫用になるのでは、との懸念はあっても、障害があるということをもって正当化されてしまう。すなわち、医療においては、身体上の差異がその人への扱いの差異を正当化するのだ、したがって、ここには倫理問題は存在しない。というふうに。
(p.187)


そして、こうした正当化論が、成長抑制をめぐる議論で見られたように
法と法律家の存在を医療の専門性(integrity)への脅威とみなす一部の風潮とも繋がって、
(その司法忌避の代表は、当ブログがしつこく書き続けているように、かのNorman Fost)

In my view, the deference given the medical perspective in bioethics leaves gaps in bioethical analysis.

生命倫理学が医療の視点を偏重している限り、生命倫理分析には欠落した部分があり続けるだろう。

(中略)

So long as bioethicists continue to see disabilities as medical problems, “the medical remedy will likely make most sense.” The trouble is that medical remedies don not always make sense.

生命倫理が障害を医療で解決すべき問題と捉えている限り、「医療による解決策が最も理にかなったものと見えるだろう」。問題は、医療による解決策が必ずしも理にかなっていないことだ。
(p. 188 )

引用はSara Goering, 2010.
Goeringは07年5月の成長抑制シンポにも参加。

この章の最後には
人工内耳に関する聾者の組織からのポジション・ステートメントが追記されています。

ウ―レットさんに、spitzibaraから大きな大きな拍手喝采を――。
2011.12.22 / Top↑
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