学校の教室で、運動場で、食堂で、通学バスの中で、子どもというものは、
ふざける、ケンカする、先生にしょーもない反抗もする。大声でさわぐ。
タバコは持ちこむ。別れる別れないで牛乳ぶっかけあう。
授業中に紙飛行機も飛ばす。ヘ―ンな恰好で来るヤツもいる。
遅刻なんかザラのはず。
でも、これみんな、
この記事に書いてあった「逮捕」の対象となった行為――。
米国テキサス州などの子どもたちが、こうした学校や学校の敷地周辺での
子どもなら当たり前にやるだろう行為を「授業妨害」などの“罪”に問われ
逮捕されている、という。
逮捕するのは、銃とスタンガンを携行し学校に常駐している警察官。
テキサス州やその他多くの州で
何百もの学校が“スクール・ポリス”を常駐させ、
警察には“スクール・ポリス”の部署がある。
任務は keep order。秩序を守ること。
ここ20年くらいで急増したという。
誰が呼んだか「学校―刑務所パイプライン」。
「クラスC軽犯罪」は立派に犯罪なので
その切符を切られた子どもたちは裁判所に出頭しなければならない。
そこで罰金や地域での奉仕活動を科せられたり、収監される場合もある。
もちろん記録にも残り、後々の進学や就職にも影響する。
時には500ドルにも上ることがある罰金は、貧困層の親には払えない。
だから払わずに放っておくことが多いけれど、すると
子どもが17歳になった時に召喚状が届く。
なにしろ立派に犯罪なのだから。
米国の軒並み学費がバカ高い大学に行くために
みんながそうするように奨学金を申請すると
そんなささやかな逮捕歴が見つかって却下される。
テキサス州で2010年にこの切符を切られて上記の処罰を受けた子どもは
のべ30万人に迫り、中には6歳の子も。こんなもんじゃないという説も。
約30%はドラッグまたは飲酒がらみのチケットだというが
「武器の使用」理由が20%というスクール・ディストリクトもある。
その多くで「武器」とは「げんこつ」の意。
それに何より、一度逮捕されると、「問題児」として目をつけられ、
その影響から、昔なら教師が叱ったり親に電話すれば終わっていた程度のことが
将来監獄で過ごす人生へと子どもを方向づけてしまうこともある。
記事によると、1980年代にドラッグ絡みの犯罪が急増し、
その対策として「ゼロ・トラレンス」が言われるようになった。
90年代に入って青少年の犯罪の急増が社会問題化したところに
例のコロンバイン高校の乱射事件が起き、学校の安全を求める声の高まりなどで
ドラッグ取り締まりの「ゼロ・トラレンス」姿勢が学校に広がっていった、という背景。
しかし、切符を切られた子ども達と日々向かい合う判事その人まで
「こんなのは大人がやったら違反にもならない行為なのに、問題視され始めている。
学校が少しずつ構内のことで警察やセキュリティに頼り始めている感じはしていたけれど、
それがいきなり過剰になって、警察によって子どもの日常行動をコントロールさせている」。
こうした法律のあり方を懸念する声はもちろんあって、
連邦政府も、やめるべきだと言っている。
10歳から犯罪責任があるテキサス州では去年、
10歳と11歳には教室内での行為によって切符を切らないよう条例を改正した。
それ以上の改正を望んだ議員らもあったが、抵抗に会って実現しなかった。
教師の中にも、スクール・ポリスの存在を歓迎する声は意外に多い。
昔の学校とは違って、ふてぶてしく、やりたい放題の子どもばかり。
親にも子どもがコントロールできない。授業中だって学ぶ気はなく妨害したいだけ。
そういう子どもの管理にエネルギーを使わせられて教えることに集中できないから
教えることに集中できるようにポリスがいる。
いかつい生徒が反抗的な態度で迫ってきたら教師だって身の危険を感じる。
実際、教室で撃たれて死んだ教師もいる。
身の心配をせずに教師が授業に集中できるにもポリスは必要。
そりゃ、やり過ぎの面もあるから、
警官にはもうちょっと常識的に、と望みたいところはあるけど、
警官はそういうのが仕事だからね。ある程度はやむを得ないというか……などなど。
ここまで、全部、現役または引退後の教師の声だから驚く。
さらに警察のスクール・ポリス部局の責任者の言うことがすごくて、
「逮捕の基準は、まぁ、それぞれの警官次第。
人のすることだから、たまには間違いも起こる
裁判官だって5人が同じ事件を審判すれば5通りの判決を出す。
医者だって一人の患者を5人が診断すれば5通りになる」
(判決も診断も5通りあるようじゃいかんと思うんですけど)
一番気になるのは、知的障害・発達障害のある子ども達も
同じゼロ・トラレンス姿勢で逮捕されているのでは、との懸念。
具体的な事件を記事から拾ってみると、
Sara Bustamantsさん(12)
ADHDと双極性障害を診断されており、肥満を気にしている。
「私って変だから、みんなに嫌われている」。
みんなに酷いことを言われ苛められるから自分の身体に香水をかけてみた。
すると臭いと言って周りが騒いだため、教師がポリスを呼び、逮捕。
その後、障害者団体の支援で訴訟を起こし、起訴は取り下げられたが
まず自分で叱ろうとせずポリスを呼んで逮捕させた教師に、母親は
教師が子どもたちへの指導責任を放棄していると憤っている。
匿名の18歳の青年。
ADHDと診断されている。
12歳の時に授業中にかっとなり机をひっくり返した。
攻撃的行為で有罪となり、若年者の監獄に送られる。
出るためには一定の教育目標と行動目標をクリアしなければならず、
障害のために彼にとっては、それは無理。
こんなふうに障害のある子どもたちの多くが
ムショ送りにされ、そのまま出てくることができなくなっている。
IQが70を下回る匿名の少年。事件当時16歳。
廊下で警官の言うことを理解しなかったため、催涙ガスをかけられた。
目の痛みのために振り回した腕が警官に当たり、公務執行妨害で逮捕され、
裁判がこれから行われることになっている。懲役刑の可能性も。
障害とは無関係ながら、フロリダ州の学校では
ジョン・ケリー上院議員に失礼な質問をし、制止されても止めなかった生徒が
ポリスにスタンガンを使われている。
The US schools with their own police
The Guardian, January 9, 2012
絶句したけれど、考えてみれば、
警察権力による子どものコントロールよりも以前に
薬による子どものコントロールは始まっていた。
「年齢相応の子どもの行動が病気扱いされている」との指摘と関連エントリーのリンク一覧こちら ↓
「製薬会社に踊らされて子どもの問題行動に薬飲ませ過ぎ」と英国の教育心理学者(2011/1/18)
テキサスにはそういうことが起きやすい文化的な土壌もあるような気も。真っ先に思い出したのが、これ ↓
米国には体罰を禁止していない州が20もある(2009/8/11)
次に頭に浮かんだのが、テキサスといえば米国で最もラディカルな“無益な治療”法 ↓
生命維持の中止まで免罪する「無益な治療法」はTXのみ(2011/1/21)
その最も有名な訴訟がゴンザレス事件 ↓
テキサスの“無益なケア”法 Emilio Gonzales事件(2007/8/28)
ゴンザレス事件の裏話
生命倫理カンファレンス(Fost講演2)
TruogのGonzales事件批判
こういう現象の根っこにあるものに関して考がえてみたエントリーは、これ ↓
「子どもがひとりで遊べない国、アメリカ」から「メディカル・コントロールの世界」へ(2011/12/20)
「子どもがひとりで遊べない」世界から、人が「能力」と「機能」の集合体でしかない未来へ?(2011/12/21)
それから「子どもがひとりで遊べない」の著者の谷口さんと
10日の補遺のコメント欄でやりとりしたことも関係があると思われ、↓
2012年1月10日の補遺(2
ふざける、ケンカする、先生にしょーもない反抗もする。大声でさわぐ。
タバコは持ちこむ。別れる別れないで牛乳ぶっかけあう。
授業中に紙飛行機も飛ばす。ヘ―ンな恰好で来るヤツもいる。
遅刻なんかザラのはず。
でも、これみんな、
この記事に書いてあった「逮捕」の対象となった行為――。
米国テキサス州などの子どもたちが、こうした学校や学校の敷地周辺での
子どもなら当たり前にやるだろう行為を「授業妨害」などの“罪”に問われ
逮捕されている、という。
逮捕するのは、銃とスタンガンを携行し学校に常駐している警察官。
テキサス州やその他多くの州で
何百もの学校が“スクール・ポリス”を常駐させ、
警察には“スクール・ポリス”の部署がある。
任務は keep order。秩序を守ること。
ここ20年くらいで急増したという。
誰が呼んだか「学校―刑務所パイプライン」。
「クラスC軽犯罪」は立派に犯罪なので
その切符を切られた子どもたちは裁判所に出頭しなければならない。
そこで罰金や地域での奉仕活動を科せられたり、収監される場合もある。
もちろん記録にも残り、後々の進学や就職にも影響する。
時には500ドルにも上ることがある罰金は、貧困層の親には払えない。
だから払わずに放っておくことが多いけれど、すると
子どもが17歳になった時に召喚状が届く。
なにしろ立派に犯罪なのだから。
米国の軒並み学費がバカ高い大学に行くために
みんながそうするように奨学金を申請すると
そんなささやかな逮捕歴が見つかって却下される。
テキサス州で2010年にこの切符を切られて上記の処罰を受けた子どもは
のべ30万人に迫り、中には6歳の子も。こんなもんじゃないという説も。
約30%はドラッグまたは飲酒がらみのチケットだというが
「武器の使用」理由が20%というスクール・ディストリクトもある。
その多くで「武器」とは「げんこつ」の意。
それに何より、一度逮捕されると、「問題児」として目をつけられ、
その影響から、昔なら教師が叱ったり親に電話すれば終わっていた程度のことが
将来監獄で過ごす人生へと子どもを方向づけてしまうこともある。
記事によると、1980年代にドラッグ絡みの犯罪が急増し、
その対策として「ゼロ・トラレンス」が言われるようになった。
90年代に入って青少年の犯罪の急増が社会問題化したところに
例のコロンバイン高校の乱射事件が起き、学校の安全を求める声の高まりなどで
ドラッグ取り締まりの「ゼロ・トラレンス」姿勢が学校に広がっていった、という背景。
しかし、切符を切られた子ども達と日々向かい合う判事その人まで
「こんなのは大人がやったら違反にもならない行為なのに、問題視され始めている。
学校が少しずつ構内のことで警察やセキュリティに頼り始めている感じはしていたけれど、
それがいきなり過剰になって、警察によって子どもの日常行動をコントロールさせている」。
こうした法律のあり方を懸念する声はもちろんあって、
連邦政府も、やめるべきだと言っている。
10歳から犯罪責任があるテキサス州では去年、
10歳と11歳には教室内での行為によって切符を切らないよう条例を改正した。
それ以上の改正を望んだ議員らもあったが、抵抗に会って実現しなかった。
教師の中にも、スクール・ポリスの存在を歓迎する声は意外に多い。
昔の学校とは違って、ふてぶてしく、やりたい放題の子どもばかり。
親にも子どもがコントロールできない。授業中だって学ぶ気はなく妨害したいだけ。
そういう子どもの管理にエネルギーを使わせられて教えることに集中できないから
教えることに集中できるようにポリスがいる。
いかつい生徒が反抗的な態度で迫ってきたら教師だって身の危険を感じる。
実際、教室で撃たれて死んだ教師もいる。
身の心配をせずに教師が授業に集中できるにもポリスは必要。
そりゃ、やり過ぎの面もあるから、
警官にはもうちょっと常識的に、と望みたいところはあるけど、
警官はそういうのが仕事だからね。ある程度はやむを得ないというか……などなど。
ここまで、全部、現役または引退後の教師の声だから驚く。
さらに警察のスクール・ポリス部局の責任者の言うことがすごくて、
「逮捕の基準は、まぁ、それぞれの警官次第。
人のすることだから、たまには間違いも起こる
裁判官だって5人が同じ事件を審判すれば5通りの判決を出す。
医者だって一人の患者を5人が診断すれば5通りになる」
(判決も診断も5通りあるようじゃいかんと思うんですけど)
一番気になるのは、知的障害・発達障害のある子ども達も
同じゼロ・トラレンス姿勢で逮捕されているのでは、との懸念。
具体的な事件を記事から拾ってみると、
Sara Bustamantsさん(12)
ADHDと双極性障害を診断されており、肥満を気にしている。
「私って変だから、みんなに嫌われている」。
みんなに酷いことを言われ苛められるから自分の身体に香水をかけてみた。
すると臭いと言って周りが騒いだため、教師がポリスを呼び、逮捕。
その後、障害者団体の支援で訴訟を起こし、起訴は取り下げられたが
まず自分で叱ろうとせずポリスを呼んで逮捕させた教師に、母親は
教師が子どもたちへの指導責任を放棄していると憤っている。
匿名の18歳の青年。
ADHDと診断されている。
12歳の時に授業中にかっとなり机をひっくり返した。
攻撃的行為で有罪となり、若年者の監獄に送られる。
出るためには一定の教育目標と行動目標をクリアしなければならず、
障害のために彼にとっては、それは無理。
こんなふうに障害のある子どもたちの多くが
ムショ送りにされ、そのまま出てくることができなくなっている。
IQが70を下回る匿名の少年。事件当時16歳。
廊下で警官の言うことを理解しなかったため、催涙ガスをかけられた。
目の痛みのために振り回した腕が警官に当たり、公務執行妨害で逮捕され、
裁判がこれから行われることになっている。懲役刑の可能性も。
障害とは無関係ながら、フロリダ州の学校では
ジョン・ケリー上院議員に失礼な質問をし、制止されても止めなかった生徒が
ポリスにスタンガンを使われている。
The US schools with their own police
The Guardian, January 9, 2012
絶句したけれど、考えてみれば、
警察権力による子どものコントロールよりも以前に
薬による子どものコントロールは始まっていた。
「年齢相応の子どもの行動が病気扱いされている」との指摘と関連エントリーのリンク一覧こちら ↓
「製薬会社に踊らされて子どもの問題行動に薬飲ませ過ぎ」と英国の教育心理学者(2011/1/18)
テキサスにはそういうことが起きやすい文化的な土壌もあるような気も。真っ先に思い出したのが、これ ↓
米国には体罰を禁止していない州が20もある(2009/8/11)
次に頭に浮かんだのが、テキサスといえば米国で最もラディカルな“無益な治療”法 ↓
生命維持の中止まで免罪する「無益な治療法」はTXのみ(2011/1/21)
その最も有名な訴訟がゴンザレス事件 ↓
テキサスの“無益なケア”法 Emilio Gonzales事件(2007/8/28)
ゴンザレス事件の裏話
生命倫理カンファレンス(Fost講演2)
TruogのGonzales事件批判
こういう現象の根っこにあるものに関して考がえてみたエントリーは、これ ↓
「子どもがひとりで遊べない国、アメリカ」から「メディカル・コントロールの世界」へ(2011/12/20)
「子どもがひとりで遊べない」世界から、人が「能力」と「機能」の集合体でしかない未来へ?(2011/12/21)
それから「子どもがひとりで遊べない」の著者の谷口さんと
10日の補遺のコメント欄でやりとりしたことも関係があると思われ、↓
2012年1月10日の補遺(2
2012.01.13 / Top↑
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