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Alicia Ouelletteの”Bioethics and Disability” 第5章「生殖年齢」の
冒頭で取り上げられている話題がこれ。

まったく知らなかったので検索してみたら、
日本語でもいろいろ出てきた。

マーク・クインと言えば、1997年の「センセーション展」で、自ら採血した冷凍血液で自分の頭像を作るというグロテスクな作品で、一躍その名が知られる所となったアーティストである。
今回マーク・クインが制作したのは、彼の友人であるひとりの障害者をモデルにした巨大な彫刻。高さが3.6mもある、ぬめりとした表面を持つ大理石でできた人物像。
その人物像を巡って、今ロンドン中が大騒ぎになっている。理由は、その巨大な人物像には腕がなく、足は極端に短く、妊娠8ヶ月の女性の裸体だからである。先天的な障害を持つ彼の友人の名が、作品タイトルになっており、「Alison Lapper Pregnant(妊娠8ヶ月のアリソン・ラッパー)」という。
(中略)
ある評論家は「非常に力強く、女性の、生命の、真の美しさを秘めている」と絶賛し、あるジャーナリストは「公然に醜いものを設置した」と酷評した。
そして当のアーティスト本人は「今まで歴史の中で、障害者は常にアートにおいて不当な扱いを受けてきた。アリソンの像は、女性の強さを表す、新しいタイプのアートなのだ」とコメントしている。
この彫刻、2007年ドイツの彫刻家トーマス・シュッテの「鳥のためのホテル」という抽象建築彫刻にとって変わるまでの間、観光客だけでなく、ディベート好きなロンドナーにとっても格好の議論のネタとして君臨するのであろう。
またやってくれたぜ、マーク・クイン!
ROUTINE Diary of Manya Kato, 2005年9月20日(在英の方がBBCの記事を元に紹介)

ラッパー氏は1965年、腕と足が奇形的に短い「アザラシ肢症」という障害を持って生まれた。生後6週で親に捨てられ、保護施設で育つなど、不遇な幼年時代を過ごした。
ラッパー氏は17歳のとき、正常人たちと一緒に英国のバンステド大学で美術の勉強を始めた。22歳のときに結婚して幸せな新婚生活を送りもしたが、夫の暴力に苦しみ、2年間の短い結婚生活を終えた。
1999年姙娠したラッパー氏は、周囲の人々が「子供も母親のような障害を持って生まれるかもしれないし、たとえ子供を生んだとしても、どのように育てるのか」と言って出産を止めさせようとしたが、子供を生むことを決心し、元気な男の子を生んだ。
ラッパー氏は遅まきながら自分の夢を実現するために美術の勉強を再度始めた。
ヘドルリ美術学校とブライトン大学を卒業したラッパー氏は、手がなくて口で絵を描く画家兼写真作家の道を歩き始めた。
ラッパー氏は写真機で光と影を利用し、自分の裸身をモデルとし、彫刻のような映像を作って高い評価を受けている。
腕のない「ミロのヴィーナス」をもじって、自らを「現代のヴィーナス」と呼ぶラッパー氏は、身体の欠陷を乗り越えて肯定的な自分の発展を遂げ、世界の人々から尊敬を受けた。
ラッパー氏は昨年、英国の彫刻家マーク・クィーン氏が臨月のラッパー氏をモデルにした5mの彫刻作品を、ロンドンのトラファルガー広場に展示し、「モデル」としても有名になった。
「人生に挫折はない、夢と希望があるのみ」…口足画家のラッパー氏
美術市場、2006年4月26日 (ラッパーさん韓国訪問ニュースを紹介するブログ記事)


ウ―レットは、
この像に対して起きたリアクションについて
「障害のある女性が性的な存在となり子育てをする」ということへの驚き、困惑、反発であり、

その背景にあるのは「障害のある女性は性的な存在ではなく、
子どものように無能で依存的、受動的、ジェンダー外の存在であり、従って
養育とか生殖といった役割にはふさわしくない」との思い込みがある、

そして、それらが偏見となって
かつての優生思想に基づく知的・精神障害者への強制不妊手術に繋がったのだ、と述べる。

ここで引用されている Barbara Faye Waxmanの言葉が、ずん、と来る。

The message for disabled kids is that their sexuality will be realized through their sexual victimization……I don’t see an idea that good things can happen, like pleasure, intimacy, like a greater understanding of ourselves, a love of our bodies.

障害のある子どもには、あなたのセクシュアリティから起こるのは性的な被害だけ、とのメッセージばかりが送られて……たとえば悦びとか親密さとか自分のことがより理解できるようになるとか、自分の身体を愛しむとか、いいことだって起こる可能性については誰も考えない。


セクシュアリティと育児にまつわる偏見から、
特に知的障害・精神障害のある女性は自動的に子育てに不適切とされて
生まれた子供の親権を与えられなかったり、
自己決定能力のある障害者でも強制不妊や隔離の対象とされたり、
本人のためだとして性的な関係から遠ざけられてしまう。

またウ―レットは、医療の現場にある障害者に対する偏見も指摘する。

例えば、女性障害者が婦人科の検診を受けようとすると、ADAから10年も経った現在でも
診察台に上がるための介助者を自分で調達して来いと求められるし、

そのために女性障害者では癌の発見が遅れている事実もある。

さらに、
当ブログでもお馴染みのBill Peaceが
怪我をした息子を救急病院へ連れて行った時に、
医療職が息子に向かって「親はどこか」などと問い、
そばにいる車いすの成人男性は自動的に患者とみなされて
それが親だとは誰も思いもしなかったエピソードを上げ、

次のように指摘する。

ピースの体験は典型的で深刻なものだ。彼の体験は、障害のある人は患者であって人ではないという偏見がいかに医療職に根深いかを物語っている。
(p.200)


ウ―レットの「生命倫理と障害」に関するエントリーの一覧はこちらの末尾に ↓
http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/64541160.html
2012.01.19 / Top↑
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