障害児・者への“アシュリー療法”、強制不妊、治療の一方的停止と差し控えを中心に
医療における障害者の人権侵害を批判して
米国の障害者人権擁護ネットワークNDRNが5月に出した報告書については、
これまで以下の3つのエントリーを書いてきました。
障害者人権擁護ネットから報告書「“A療法”・強制不妊・生命維持停止は人権侵害(2012/6/20)
障害者の人権を侵害する医療への痛烈な批判: NDRNの報告書「まえがき」(2012/6/22)
障害者への医療の切り捨て実態 7例(米)(2012/6/26)
その後、この報告書に言及し、KittayやAschらの批判へも反論しながら
Ashley療法を擁護する論考も出てきました ⇒http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/65280886.html
そこで、改めてNDRNの報告書の内容を
少しずつ取りまとめていこうと思います。
―――――――
まず全体の内容構成をspitzibaraの独断で整理すると
① 米国における障害者の人権概念と法整備の歴史
② アシュリー事件のケース・スタディ
(A事件を中心に、強制不妊の歴史と生命維持の差し控えの現状も一緒に検討される)
③ アシュリー事件を巡ってNDRNが立ちあげた当事者委員会の内容
(いわば、子ども病院が立ちあげた成長抑制WGのカウンターパートとして?)
④ 医療決定は最善の利益論ではなく法的デュープロセスを保障すべき、との主張の展開。
⑤ 提言
ここでは、①について簡単に。
米国の障害者の人権擁護がたどってきた歴史が振り返られますが、
その冒頭で触れられているのは医学モデルの差別性。
その象徴として挙げられているのは施設収容と強制不妊施策。
特筆しておきたいデータとして、施設で暮らす障害者は
1990年の171900人から、2009年には92300人へと現象。
医学モデルから社会モデルへの米国政府の最初の包括的な転換点として
1990年の米国障害者法ADAと、その2008年の改正法。
また2008年の国連障害者人権条約(CRPS)。
これらにより、障害の種類や重症度を問わず、
社会が障害者をaccommodateすることが求められているにもかかわらず、
医療現場では障害を理由に人権侵害が行われている、として、
Wisconsinの大学病院(Norman FostはWI大学病院所属……)での
障害を理由にした“無益な治療”判断の事例が2つ紹介されています。(p.17)
その内容はまたいずれ。
このパートの最後の辺りで印象的だったのは以下の下り。
The purpose of this report is to add a critical, but missing, piece of the discussion regarding medical decision making and individuals with disabilities.……(中略)……The presence of a disability has been used to deny access to due process protections in regards to medical decision making in general and in situations where there is a potential or actual conflict of interest between individuals with disabilities and their parents or caregivers.
本報告書の目的は、医学的意思決定と障害者を巡って、決定的に重要でありながら欠落している議論を補うことにある。……(中略)…… 医学的意思決定一般において、障害者と親や介護者との間に利益の相克やその可能性がある状況においてすら、障害があるということが、デュー・プロセスによる保護から外す正当化に使われてきた。
まさしく、アシュリー事件の大きな問題点の1つ――。
医療における障害者の人権侵害を批判して
米国の障害者人権擁護ネットワークNDRNが5月に出した報告書については、
これまで以下の3つのエントリーを書いてきました。
障害者人権擁護ネットから報告書「“A療法”・強制不妊・生命維持停止は人権侵害(2012/6/20)
障害者の人権を侵害する医療への痛烈な批判: NDRNの報告書「まえがき」(2012/6/22)
障害者への医療の切り捨て実態 7例(米)(2012/6/26)
その後、この報告書に言及し、KittayやAschらの批判へも反論しながら
Ashley療法を擁護する論考も出てきました ⇒http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/65280886.html
そこで、改めてNDRNの報告書の内容を
少しずつ取りまとめていこうと思います。
―――――――
まず全体の内容構成をspitzibaraの独断で整理すると
① 米国における障害者の人権概念と法整備の歴史
② アシュリー事件のケース・スタディ
(A事件を中心に、強制不妊の歴史と生命維持の差し控えの現状も一緒に検討される)
③ アシュリー事件を巡ってNDRNが立ちあげた当事者委員会の内容
(いわば、子ども病院が立ちあげた成長抑制WGのカウンターパートとして?)
④ 医療決定は最善の利益論ではなく法的デュープロセスを保障すべき、との主張の展開。
⑤ 提言
ここでは、①について簡単に。
米国の障害者の人権擁護がたどってきた歴史が振り返られますが、
その冒頭で触れられているのは医学モデルの差別性。
その象徴として挙げられているのは施設収容と強制不妊施策。
特筆しておきたいデータとして、施設で暮らす障害者は
1990年の171900人から、2009年には92300人へと現象。
医学モデルから社会モデルへの米国政府の最初の包括的な転換点として
1990年の米国障害者法ADAと、その2008年の改正法。
また2008年の国連障害者人権条約(CRPS)。
これらにより、障害の種類や重症度を問わず、
社会が障害者をaccommodateすることが求められているにもかかわらず、
医療現場では障害を理由に人権侵害が行われている、として、
Wisconsinの大学病院(Norman FostはWI大学病院所属……)での
障害を理由にした“無益な治療”判断の事例が2つ紹介されています。(p.17)
その内容はまたいずれ。
このパートの最後の辺りで印象的だったのは以下の下り。
The purpose of this report is to add a critical, but missing, piece of the discussion regarding medical decision making and individuals with disabilities.……(中略)……The presence of a disability has been used to deny access to due process protections in regards to medical decision making in general and in situations where there is a potential or actual conflict of interest between individuals with disabilities and their parents or caregivers.
本報告書の目的は、医学的意思決定と障害者を巡って、決定的に重要でありながら欠落している議論を補うことにある。……(中略)…… 医学的意思決定一般において、障害者と親や介護者との間に利益の相克やその可能性がある状況においてすら、障害があるということが、デュー・プロセスによる保護から外す正当化に使われてきた。
まさしく、アシュリー事件の大きな問題点の1つ――。
2012.07.05 / Top↑
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