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8月4日、オハイオ州MssillionのJosh Wise(66)は
タクシーで病院に行くと、ICUの一室に入り、
そこに入院中の妻Barbaraさん(65)を銃で撃った。

Barbaraさんは動脈瘤破裂で7月28日に入院していた。
撃たれた翌日に死亡。

Akronの陪審員は aggravated murder(第1級殺人)で起訴。

夫婦の友人知人は
夫の行為は愛情からやったことだと口をそろえ、

Wise夫妻が住む小さな町の周辺では
「生がもはや生きるに値しないものとなった時に、決める権利があるのは誰か」
when life is no longer worth living and who has the right to decide
をめぐる議論が起こっており、

これは「慈悲か、それとも殺人か」と
Independent紙が読者に意見を求めた、という。

病院はBarabaraさんの病状について明らかにしていないし
同士の弁護士もBarbaraさんのカルテをまだ見ていないというのだけど、
Wise氏は医師から予後はよくないと聞かされていたとその弁護士は言い、

カルテをまだ見ていない、その弁護士は、
「一番簡潔に言うとすれば、いつ死んでもおかしくないし、
長くいつまでとも知れず生き続けたかもしれない状態だったと言えるんでは」

「しかし、介護を必要としないところまで回復するというのはありえなかった」とも。

また、
「夫婦はどちらも(数年前にリビング・ウィルを書いており)
生命維持で生かされたくないということは明示していた」

また事件の前日に夫が息子と一緒に見舞った時に、
妻が涙を一筋流した、それで

「何も言ったわけではないけど、
始めて医師が通じた気がした、と言っていいんじゃないでしょうか。
それで彼は奥さんの苦しみ、絶望、苦悩を見たんです。
で、どうにかしてやらないといけない、と知ったんです」
(これも弁護士の弁)


ただし、夫が友人に語っていた妻の病状とは、

自力で呼吸ができ、目も開けることができたし
事件の3日前には医師に向かって「グッドモーニング」とも言った……というもの。


また、夫は友人に、
自分もすぐに後を追おうと思ったけど、銃轍が引っかかって果たせなかったと
語ったらしいのだけど、事件時に駆けつけてセキュリティに引き渡すまでそばにいた医師は
妻がまだ生きていると知って「そんなはずはない」といって
引っかかった銃を必死になっていじくりまわしていた、と証言。


Ohio Man’s Shooting of Ailing Wife Raises Questions About ‘Mercy Killings’
NYT, August 23, 2012


この記事を読んで私が特に引っかかりを覚えるのは2点で、

まず、
① NYTの記事の書き方からして、
自力呼吸もあり意識もあり、まだ急性期を脱したとも言えない病人のことについて
「もはや生が生きるに値しないものとなった時に」という表現を不用意に使っていたり、

地元紙の意見募集にしても、
事件の事実関係も明らかにならない内から「慈悲殺か殺人か」と問うのは
あまりにも軽率な問いの立て方だし、

弁護士がリヴィング・ウィルに言及しているのも
Barbaraさんは少なくとも人工呼吸器に繋がれていたわけでもないし、
7月末に倒れて8月4日ではリビング・ウィルが考慮・適用される段階とも思えないし、

第一リビング・ウィルは医師に対して医療に関する希望を明示するものであって、
家族が射殺する行為を正当化するどころか、持ち出すことそのものが筋違い(irrelevantってヤツ)。

なにやら世の中全体に、委細どうでもよく、
「大きな病気をやっちゃって不自由になったら、もう生きていたくないよね。
家族が殺してあげるのは思いやりというものだよね」という流れに
ただただ乗っかっていこうとしているだけのような……。
 

② 私がものすごく気になるのは以下のディテール。

Before she was suddenly hospitalized, she had been the healthier one in the couple and had cared for her husband for years as he battled bladder cancer and later diabetes and neuropathy, a nerve disease that left him barely able to walk or drive.

突然入院するまで、夫婦でどっちが元気かと言えば妻の方だったし、夫が膀胱がんになり、その後糖尿病になり、神経障害から歩くのも運転するのもかろうじてこなせる状態になったのを、何年間も介護してきた。


つまり、妻は夫の介護者だったわけです。
その介護者が突然倒れて、要介護者に転じてしまった。

これを弁護士が言っていた
「介護を必要としないところまで回復することはありえなかった」と合わせ読むと、
私はすごく複雑な気分になってしまう。

「慈悲殺」で説明して終われるほど
この事件は、単純な話ではないような気がする。



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(友人が使った言葉が『エクスタシー』で会話もそのままで続きましたが、
実際には「オーガズム」の意味だったと思います。
いま気付いたけど、これ書いたの、東北大震災の日の朝だ……)
2012.08.28 / Top↑
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