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(前のエントリーからの続きです)


②制度や医療サイドの都合によって安易につくられる胃ろうへの批判

「……病院には平均在院日数の問題があります。…(略)…早く次の施設へ転院していただくために、胃ろうを付けることになります。……」
(I, p.33)

 医者が老衰末期における医療の限界を認識し、一例一例違う状況を踏まえて責任ある判断をして、家族やケアをする人々を支えられれば“胃ろう難民”は生まれるはずはないのです。
(I p.36)

(日本赤十字看護大学の川島みどり名誉教授の言葉を引いて)
「本当の看護とは何か? 本当のケアは何か? これほどまでにあっさり胃ろうが作られる社会状況は、本当のケアがなされていないからではないでしょうか」
 これは看護だけでなく、介護の世界にも言えることです。そして医療の世界についてはもっと言えることです。……
(I P.68)


包括払いシステムで「中心静脈栄養をしないで済めばその方が経営的に有利」である半面、
「胃ろうの経管栄養剤は材料費として請求できます」(I, p. 87)


……医療技術の発達により、口から食べられないと、人口栄養を早めに勧められる傾向にあります。
 特に病院に入院すると、誤嚥性肺炎で入院が長期化する可能性があるので、どうしても胃ろうや高カロリー輸液を勧められます。誤嚥性肺炎が命取りになったときの責任を問われることを避ける意味もあります。
「ゆっくり時間をかけて食事を口に運べばなんとか食べられるのだが…」というような患者さんの場合でも、介護の手間を理由に胃ろう栄養が進められます。
(N, p.82)


③ 医療の過不足、医師の知識・認識不足への批判


「老衰」の身体に、健常体と同じように点滴で入れるからです。(I, p.78)

「こうしなければならない」「最低これだけは入れなければならない」という思い込み(I, p. 83)


病院の先生は、口から食べることに関する患者さんやご家族の思いをあまり知らないように感じる時もあります。皆さん、どんなに口から食べたいと思っていることか!
しかし多くの医師は「口から食べると誤嚥性肺炎を起こす可能性が高い→胃ろうないし高カロリー輸液にしなければならない」という呪縛から抜け出すことができないように思えます。そりゃ、そうです。「患者さんに何とか食べさせてあげたい。食べる喜びを奪いたくない」という発想がない限り、それにトライすることは絶対にないわけですから。
(p.85)
 ……(中略)……
……「がん性腹膜炎であっても、最期まで食べられる」と講演ではお話ししています。しかし肝心のお医者さんになかなか信じていただけないのが辛いところです。
(N, p. 87)

……最近は使いやすい麻薬が次々と登場し、痛みの治療は一昔前に比べて格段に進歩しています。…(略)…
病院から自宅に戻られた患者さんを最初に訪問した時、「どうして?」と驚いたことが何度もありました。病院で使われていた麻薬の量が余りにも少なかったのです。この量では患者さんの痛みに全く対応できていない。
(N, p.65)

今の私には、病院は患者さんが病気を治してもらう代わりに我慢して入る牢獄のようにも見えてしまいます。
(N, p.69)

……病院では死を目前にしても不要な点滴をするので、不要な苦痛が増えて、セデーションが必要になるのではないか。私はそのように感じています。
(N, p. 99)

……「24時間以内に診察していなければ、死亡診断書を発行できない。つまり、警察に届けなければならない」と誤解している医療者の多いこと!
(N, p.131)

「病院は病気を治す修理工場であり、死ぬところではない」というのが私の考えです。
(N, p.175)


(次のエントリーに続きます)
2013.02.12 / Top↑
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