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去年は、こんな話まで出てくるほど ↓
「生徒に生体データ・ブレスレットつけさせ教師の技量を評価」研究に、ゲイツ財団から100万ドル(2012/6/19)

米国の教育改革は徹底した成果主義で、
生徒の成績アップ率など、教師を評価するシステムを作って
ダメ教師を排除するということのみが、
どんどん目的化してきた印象があったのですが、

ニューヨーク市で、
「ダメ教師を何%クビにするべきか」を巡って
知事、市長、教育局と教員組合とが火花を散らしている。

なんでも州知事からは
成果出す(effective)教師と成果出せない(ineffective)教師を
ちゃんと判別できるだけの教師評価システムを1月17日までに作れなかったら、
州からNY市への教育助成の4%増はお預け、という話があったのだけれど、
両者の反目でデッドラインを外してしまったらしい。
(それで割を食うのが子どもたちというのも何とも)

Bloomberg市長のスタンスは当初から明確で、

成果出す教師と成果出せない教師を判別して、常にダメ教師でしかない連中はクビ。
代わりに、優秀教師を雇えば子どもたちの成績は上がるし、
新採用の教師の給料が前任者よりも安ければ、さらに良し。

教員組合の方もスタンスは明確で、

教師を評価するシステムは教師の力量を正確に反映した公正なものであること。
また満足な成果を上げていないと評価された場合には、改善のチャンスが与えられること。
不当にダメ教師の烙印を押されてクビになることがないようセーフガードを作ること。

しかし、どんなに公正かつ正確な評価を心がけたところで、
一体どれほどの教師をクビにするのかによっては
いくらでも恣意的にできてしまう。

例えば、Bloomberg市長は1年ほど前に、
できることならNY市の教員の半数をクビにして、
残った優秀教師で、給料もクラス規模も2倍にしたい、と発言。

以前にNY市が評価システムのパイロット・スタディをやった際には
18%の教師がダメ教師と判定されたことを思うと、半数とは思い切った発言。

一方、類似のシステムを既に先駆的に採用しているワシントンDCでは
「ダメ ineffective」教師と判定されるのは2%で、
その他に14%が「ほとんどダメ minimally ineffective」と判定される。
で、2回続けて「ほとんどダメ」と判定された教師はクビになる、というシステムなんだとか。

How many ineffective teachers are actually out there?
WP, February 19, 2013


ちなみに、私は11年段階で、以下の2つのエントリーを書いた際に、
次のように書いたのだけれど、その最後の1行が
まさかこんなに早く現実になるとは思っていなかった……。

オンラインの教材で学習し、そこでの生徒のパフォーマンスはリアルタイムで自動登録・管理され、
またはオンラインで統一テストを行い、そのパフォーマンスも自動登録・管理され、
担当する生徒たちのパフォーマンスのCommon Core達成率と向上率がはじき出されて、
それがそのまま各教師のパフォーマンスということにされていく……んでしょうね。

まるで、チェーン展開している外食産業で各店舗の営業状況がPCで一括中央管理され、
毎月どころか毎日、毎時の成績がはじき出されて数値化され可視化され、
逐次それに対して誰かが責任を問われ、尻を叩かれ、首を切られるように、

きっとPCが逐次はじき出す数値がそれぞれの教師の能力と同意となり、
その数値に対して責任を問われ、数値を上げよと尻を叩かれ、
数値を上げることができなかったり、数値に踊らされることを拒めば
ただシンプルに「無能」の烙印を押されて首を切られていくのでしょう。

ゲイツ財団の米国公教育コントロール 1(2011/5/2)
ゲイツ財団の米国公教育コントロール 2(2011/5/2)


そういえば、こんなのも08年段階で提案されていた ↓
従業員をパソコンで監視・管理する世界へ(2008/2/12)


なんだか、悲しくなるなぁ……。

私たちが子どものころを振り返って「あの先生、いい先生だったよなぁ……」と
しみじみ懐かしく思い出すような先生って、たいてい、
優秀だったりeffective だったりする先生とは違う気がする。

ていうか、教師を effective かどうかで評価するというのが
そもそも感覚としてなじまない。

教師は子どものテストの点数を上げるための機械じゃないんだし、
そもそも教育ってテストの点数を上げることでもないし。

「成果主義」というよりも、むしろガチガチの「因果主義」とでも呼びたいような、
「○○すれば必ずこうなる」デジタル思考のコントロール・フリークたちが
本来ぜんぜんデジタルであってはならない領域を、お金と権力によって
がんがん独善的に仕切っていく、という気がするんだけど、

なんとなく、
07年にトランスヒューマニストの人間観にゲンナリして、
「持ち味」とか「芸」とか「えもいわれぬコク」とか
「円熟」とか「照り」とか「艶」とかについて書いたことを思い出した ↓

持ち味と芸、そして「かけがえのなさ」(2007/11/17)


人間は一人ひとりが、
「置き換え可能な機能・能力の総和に過ぎない存在」なんかじゃない。

アンタら、教育も文化も、そうやって殺すよ……。
2013.03.04 / Top↑
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