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The New England Journal of Medicineの10月号に認知症終末期ケア関連論文が2本。
そのうちの1について。

Death By Dementia
The Medical News Today, October 15, 2009


近年、認知症で死亡する成人が増えているにもかかわらず、
認知症患者の終末期ケアはもう何十年と変わっていない。

政治家、保険会社も巻き込んで、
自分で症状を訴えることが出来なくなった高齢者の医療全体を底上げするべく
支援と資金を検討すべきだ、と、Indiana大学の一般内科と老年医学教授Dr. Sachs。

“Since individuals with advanced dementia cannot report their symptoms, these symptoms often are untreated, leaving them vulnerable to pain, difficulty breathing and various other conditions. We shouldn't allow these people to suffer. We should be providing palliative care to make them more comfortable in the time they have left,”………….

While it is not easy, caregivers and medical personnel should attempt to pick up on nonverbal clues of pain, such as the individual holding the body in a certain way to avoid a painful posture, or exhibiting swollen, tender joints, he said. These observations, reported by a caregiver or found on medical examination, may help the physician make the patient more comfortable, and help identify underlying conditions.

ここで主張されていることは、
先日、当ブログで紹介したカナダ、アルベルタ大学のOT、
Cary Brown準教授のワークショップの理念と全く同じ。

理念だけでなく、アルベルタ大学作業療法学科のプログラムでは
具体的な痛みの発見方法や対応も提唱されている。

一方、この論説で Sachs教授が対応すべき症状として挙げているのは痛みだけでなく
浅い呼吸、だるさ、吐き気、食欲低下、不眠など。

Sachs教授もまた、
患者の行動をきちんと観察することによって
こうした症状に気づき、対応することが出来ることを認識すべきだ、と。


自分で症状を訴えることができない人では、
その症状があっても、ないものと決め付けられたり、
最初から考慮の外におかれたりしてきたけれど、

(ここにある「どうせ何も分からないんだから」という意識が
Ashleyケースの正当化の根っこにあるものと同じであることを指摘しておきたい)

認知機能・能力の低さとされているものの多くが
実は表出能力の低さであったり、それどころか
受け止める側の感度の低さに過ぎないことだって大いにあるはずなのだから、

やっと、こうした声が上がってきたことがとても嬉しい。

こうして認知症患者さんたちから気づき始めてもらって、次には
自分で表現する手段を持たない知的障害者や重症障害者にも目を向けて欲しい。

そして、それが、
自分で表現できない人へのケアの必要性が認識されることにつながり
自己表現や自己決定の能力の低い人の生や存在も尊重されるべきだとの共通認識となって、

自己表現能力を持たない人の非人格化と命の切り捨て正当化論が
じわじわと狭めてくる包囲網が完成しないうちに
ちゃんと間に合いますように──。

心から、そう祈っている。



2009.10.19 / Top↑
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