この議論はDebby Purdyというたった一人のMS女性の声だけで進んでいて
まるで進行性で不治の病気の患者はみんな家でなすすべもなく横たわっていて
スイスに行って死ぬことだけを望んでいるかのような印象を与えてしまっているが
実際には生きがいを持って日々を暮らしているMS患者もたくさんいる。
まるで進行性で不治の病気の患者はみんな家でなすすべもなく横たわっていて
スイスに行って死ぬことだけを望んでいるかのような印象を与えてしまっているが
実際には生きがいを持って日々を暮らしているMS患者もたくさんいる。
MS患者は死んでもいいのだということになれば、
MS治療法の研究のための資金が集まらなくなってしまうではないか。
MS治療法の研究のための資金が集まらなくなってしまうではないか。
ガイドラインなどなくても法律は明確なのだし、
とりあえず現実にこれまで罪に問われた人はいないのだから、
Purdyさんの夫が罪に問われるリスクを引き受ければいいだけのことだろう。
とりあえず現実にこれまで罪に問われた人はいないのだから、
Purdyさんの夫が罪に問われるリスクを引き受ければいいだけのことだろう。
今こそ、ポジティブな姿勢が必要。
死ぬことではなく生きることについて議論しなければならない、と。
死ぬことではなく生きることについて議論しなければならない、と。
また、治療法の研究を進めるのか、それとも死にたいのかの2者択一と捉えている点では
Peter Singerが障害者全般に突きつけている「どちらかを選べ」という論理に
乗せられてしまっているような危うさもあると思うのだけど、
Peter Singerが障害者全般に突きつけている「どちらかを選べ」という論理に
乗せられてしまっているような危うさもあると思うのだけど、
この2つの点については頭の中がガチャついているので、
もうちょっと考えてから。
もうちょっと考えてから。
ところで、Pillinger氏から名指しされているPratchett氏も、
早速BBCのインタビューを受けている。
早速BBCのインタビューを受けている。
ビデオを見る限り、インタビュアーは予見に満ちて
いわゆる「回答を相手の口に入れてやる」ような質問をしては
むしろPratchett氏の方が慎重に言葉を選んでいるのが印象的。
いわゆる「回答を相手の口に入れてやる」ような質問をしては
むしろPratchett氏の方が慎重に言葉を選んでいるのが印象的。
Pratchett氏の発言の要点は、だいたい以下。
アルツハイマー病の研究にはもっと資金もつぎ込んで力を入れなければならないが、
我々は自然にプログラムされた以上に生きようとするようになり、
80歳でも満足せず95まで生きなければ嫌だと言い始めている。
そういうのは、どんなものか。
我々は自然にプログラムされた以上に生きようとするようになり、
80歳でも満足せず95まで生きなければ嫌だと言い始めている。
そういうのは、どんなものか。
今の自分はアルツハイマー病であっても、それなりに満足して暮らしているが、
病気が進行して、状態が悪くなれば、GPに薬を処方してもらい、
家でブランデーを片手に死んでいきたい。
それは自殺ではなく、自分の人生から少し早く立ち去るだけのこと。
病気が進行して、状態が悪くなれば、GPに薬を処方してもらい、
家でブランデーを片手に死んでいきたい。
それは自殺ではなく、自分の人生から少し早く立ち去るだけのこと。
政府は自分で自分のことを決めることができない人の面倒を見ればよい。
自分で自分のことを決められる人は自分で面倒を見ればよいのだ。
自分で自分のことを決められる人は自分で面倒を見ればよいのだ。
印象的なのは、
インタビュアーがしきりに「あなたは自分がコントロールしたいんですよね」などと
コントロールという言葉を使わせようと誘導していること。
インタビュアーがしきりに「あなたは自分がコントロールしたいんですよね」などと
コントロールという言葉を使わせようと誘導していること。
私は逆に、
「80歳でも不満で、95歳まで生きなければダメ」などと
なんでも科学とテクノでコントロールできると信じる文化こそが能力至上の価値観を背景に隠し持って、
「80歳でも不満で、95歳まで生きなければダメ」などと
なんでも科学とテクノでコントロールできると信じる文化こそが能力至上の価値観を背景に隠し持って、
「能力を失ったら生きている価値がない」というメッセージを世の中に広めているのだと思うのだけどな。
2009.09.23 / Top↑
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