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2007年の10月、
Fiona Pilkingtonさん(38)は障害のある18歳の娘と車に乗り込み、
10リットルのガソリンをまいて火をつけた。

DNA診断でなければ身元確認が出来ないほどの
焼け方だったという。

この心中事件の背景が今になって明らかになった。

Fionaさんはシングルマザーで、
障害名の診断は付いていないものの排泄介護が必要なほどの知的遅れのある娘Franceccaさんと
重度の失読症のある息子の3人暮らしだった。

Franceccaさんの介護で働いていなかった。

そんな一家が、町の子どもたちのギャングの標的になった。
その一帯を跋扈する16人ほどの“ストリート・キッズ”の中には
10歳程度の少年少女も含まれているという。

(ストリート・キッズというのは、家出をして仲間でたむろしていたりする子どもたちのこと?
 それとも、ここ数年、社会問題になっている街で粗暴なギャング化した若者グループのこと?
 この親子が住んでいたのはvillageとなっているので、どちらかというと田舎のようなのですが。)

少なくとも6軒がターゲットになっていたが
母親と障害のある子ども2人の一家を
彼らはほとんど軟禁状態にして嫌がらせを尽くした。

息子は学校でナイフで脅されて小屋に閉じ込められたり、
殺してやると脅されていた。

その期間、なんと、10年間。

7年間の間に20回以上もFionaさんは警察に電話をかけ
殺してやると脅迫されていると助けを求めたが、
警察はそのたびに「カーテンを引いて、無視しなさい」と相手にしなかった。

一家がギャングに監禁状態にされていると、
近所の住民が緊急通報したこともあったが、動かなかった。

Fionaさんは地方自治体にも相談していた。
地元の国会議員に手紙を書いて、
子どもたちを守ってやることが出来ない、
ストレスで髪の毛が抜け始めた、と訴えて、やっと、
警察が重い腰を上げたが、

すでにFionaさんはギャングの襲撃のストレスから、うつ病にかかっていた。

気力が尽きてギブアップしてしまったのだろう、と
親子を助けるために途中から同居するようになったFionaさんの母親。

子どもたちの虐めが酷くなるハロウィーンやガイ・フォークス・ナイトを特に恐れていた。

ハロウィーンは10月30日。
ガイ・フォークス・ナイトは11月5日。

2007年10月の夜、娘と家族のペットのウサギを車に乗せ、
人目につかない場所でとめると、車の中にガソリンをまいて火をつけた。

Fionaさんの母親はいう
「あの子たちは、ただ、娘たちがそこにいるのが気に入らないといって、
3人をいじめたんです。他の人たちと違っているから」

今に至るまで、ギャングの子どもたちは誰一人逮捕されていない。



衝撃的な内容だけに、
この記事に寄せられたコメントがけっこうあって、

親が親としての責任を果たしていないのがいけない、
50年代、60年代に戻って、悪いことをしたらバシッと躾ければいいんだ、
いや法律が子どもに甘いのがいけない、
英国の身分階層社会に根っこがある……などなど。

でも、私は、そういう問題じゃないと思う。

前にも“すべり坂”は複合的に起こっているのではという話を
書いたばかりだけど、

生命倫理学者さんたちが繋がりに気づかないのか、敢えて目をつぶっているだけで
これこそが“科学とテクノでイケイケ”の能力至上価値観の”すべり坂“なのでは、と思う。

英国で特に先鋭的な“科学とテクノ万歳”文化の能力・知能至上主義や、
そんな価値観を基盤に置いて毎日繰り返されている「死の自己決定権」議論は
せっせと子どもたちにメッセージを送り続けている。

能力、特に知能の低い人には価値がない──。
だから尊重しなくてもいい──。


その同じ息の下から「障害児だからといって苛めるなんて……」と呆れ返るなら、
ダブルスタンダードもいいところだ。

それに、子ども自身も“科学とテクノの簡単解決”の世の中で
親の都合や好みに合わせて自由に選別され作られる、
親が望む能力を持っていることだけが価値であるような、
一定の条件を満たさなければ愛される資格のない存在にされていく。

世界中で大人の欲望のはけ口や、金儲けの道具にされていく。

大人に踏みつけにされる子どもたちが自分たちのはけ口を求める先が
大人たちから「生きるに値しない、価値の低い生を生きている人たち」
「あの人たちが社会の重荷」と名指しされている存在であることは
なんら不思議なことではないでしょう。

そして、それら全てが本当は、
大人の世界そのものが、
ごくわずかの強いものだけの都合で
大人も子どもも弱いものはみんな踏みつけられ、
使い捨てられ、見殺しにされていく世の中へと
この世界が急速に作りかえられていることの1つの現れでしかないんじゃないだろうか。

英語圏の“科学とテクノ”とその御用学問の専横の“すべり坂”は
決して“科学とテクノ”の直接の応用範囲や自殺幇助合法化の問題に限定して起こっているわけじゃない。

こんなふうに複合的に、
世の中の多くの人々の心に力だけの論理をジワジワと浸透させ、その心を蝕んでいく形で

人類はとっくに“すべり坂”を転げ始めている……という気がする。
2009.09.18 / Top↑
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