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以前、こちらのエントリーで紹介した映画「私の中のあなた」がいよいよ封切り間近で、
テレビでも予告編が流れるようになりました。

メディアでも取り上げられているようで、
某MLで、以下の中国新聞の天風録を教えてもらいました。

私の中のあなた
中国新聞、2009年9月10日

なんだかなぁ……。
やっぱり「身体の自由を奪っていく病気」に、家族が「支え合う」美しい話という
捉え方になるのかなぁ……。

それに、病気の子どもへの臓器提供を目的に
着床前遺伝子診断と体外受精によって
臓器のドナーとして適合する妹弟を生むことの倫理性には
この天風録がまったく触れていないというのは、どういうことだろう。

日本でのメディアの捉え方がとても気になってきた。
また、そのMLでのコメントを見ていると、

臓器目的で子どもを作るという行為が日本人の倫理観からあまりに遠いために、
この物語の内容は、日本では多くの人にとって「映画の上の空想」とか「映画ならではの誇張」とか
「未来の可能性のお話」としか考えられないのかもしれない……。

初めて、そう気づいて、一人でジタバタするほど焦った。

「それは違うよ。これ、英米では現実に起こっていることなんだよぉぉぉぉぉ!!!」と
みんなに大きな声で触れ歩きたい気持ちになったので、

以下、この映画の主人公アナのように、
兄姉への臓器ドナーとして遺伝子診断で生まれる子どもたちを巡って
このブログで把握している範囲の事実関係を整理してみます。

         -------

親が病気の子どもを救うために臓器目的で遺伝子診断技術を用いて生む子どものことは
英語で savior sibling と称されています。

以前の検索では「救済者兄弟」というのが一般的な日本語訳のようでしたが、
ほかの訳語もあるかもしれません。

救済者兄弟は米国では無規制。

正式に認めた世界で初めての国は英国とのこと。
2001年とされている報道と2004年とされている報道があり、
私はそこは確認していません。

子どもに命に関わる重大な病気があって
救済者兄弟を生んで臓器移植を行う以外に救う手段がない場合のみ
ヒト受精・胚機構HFEAで認めていたということで、
実際に生まれた救済者兄弟はわずかだったらしいのですが、

去年、議会でのヒト受精・胚法改正議論の中で法的にも承認され、
今後は、もっと軽症の病気でも認められるようになる可能性があります。
(改正法の施行はまだこれから)

なぜ救済者兄弟にされる子どもの人権侵害がもっと言われないのか、私はずっと疑問なのですが、
おおむね生命倫理お得意の「利益」対「害」の差し引き計算の論理で正当化されていて、
通常の生体間臓器提供では「ドナーの利益」が正当化の根拠とされてきたところ、
救済者兄弟の正当化には「家族全体の利益は子どもの利益でもある」との論理が持ち出されています。

米国でも英国でも、
生まれてくる子どもが自分の生い立ちから心理的な害をこうむる可能性は指摘されており、
この点は小説「わたしのなかのあなた」でも描かれています。

主人公アナは、自分は姉の臓器庫であると感じ、自己肯定感を持てずに苦しんでいます。

しかし、英国の去年のヒト受精・胚法改正議論の際に英国医師会から出てきた見解では、
救済者兄弟が兄や姉ほど愛されていないと感じる心理的な不全感を「仮想的な害」とし、
病気の兄弟が苦しんだり死ぬことを「リアルな害」として対置して
臓器目的での救済者兄弟を正当化していました。

また、米国のAshley事件の議論から見えてきたところでは、
子どもの医療に関する決定においては、よほど極端に子どもの利益に反しない限り
基本的には親の決定権がプライバシー権として尊重されていて、
その境界年齢が mature minor といわれる13歳前後。

その辺りの年齢から、本人の意思を重要視するべきだとされているようです。

「わたしのなかのあなた」の主人公アナが、
ちょうどこの、mature minor に設定されているところが興味深いところでもあり、

この作品が巧妙に問題の核心を避けてお茶を濁しているところでしょう。

その辺りが小説の限界なのかもしれませんが、
核心を突かなくても済む、ちょっと周辺的なところに設定された人物像というのは
ピコーのロングフルバースを扱った最新刊でも同じでした。

ネタバレになるので明かせませんが、
「わたしのなかのあなた」の作品の落としどころを考えてみても、
臓器目的で子どもを作ることそのものの倫理性は作品の中で実は問われていません。

救済者兄弟は微妙に肯定しつつ、それを前提に子どもの人権は……という
問題の収め方となっています。

読めば、それなりの納得もするかもしれないものの、
そこで終わっていいのか……という感じがする作品ではありますが、

それでも、やはり、ピコーの「わたしのなかのあなた」は
そうした行為が無規制で野放しになっている米国の実態に疑問を投げかけた作品で、
英米でこの映画を見る人たちには、こうした背景がある程度認識されているわけですが、
日本でこの映画を見る人たちは、まったくこういう背景を知らずに見るのだとすると、
それは全く見方を誤る可能性があり、ちょっと怖いなぁ……と思います。

先の臓器移植法議論でも、
英米の移植医療で何が起こっているかという実情など全く知らされないまま
「国際水準の移植医療を」としきりに言われましたが、

今回の映画も、こんなことが既に現実になっている英米の実態が知らされないまま、
映画の中だけの空想や未来の話だと受け取られて、
それを前提に日本のメディアに論じられ、
日本の世論がそれに誘導されるとしたら、

そのことの怖さは、たかが映画であっても、やはり気になる。

拙ブログで把握している範囲では
スウェーデンでも2006年に救済者兄弟を認める法律ができ、
翌2007年から実際に適用されているとのこと。

また、今日そのMLで教えてもらったのですが、
2008年10月にスペインでも初の救済者兄弟としてJavior君が生まれたという報道がありました。



このように、
「病気の子どもを救うために臓器ドナーとなるデザイナーベビーを作る」という行為は
決して映画的空想でも誇張でもなく、未来の話でもなくて、
今、世界中にじわじわと広がりつつある現実なのです。

世界で初めて救済者兄弟を認めた英国には、
日本からも問い合わせがあったという報道もあります。

一人でも多くの人が
科学とテクノロジーが世界中にどんな現実を作り出しているかを知った上で
この小説を読み、映画を見てくださるように祈ります。


【16日追記】
日本臓器移植ネットワークがこの映画とタイアップしていることについて、
その後こちらのエントリーを書きました。


【原作関連エントリー】
「わたしのなかのあなた」から
「わたしのなかのあなた」から 2
「わたしのなかのあなた」から 3
ネタバレを含みます。物語を知らずに映画を見ようと思われる方にはお勧めしません)



2009.09.15 / Top↑
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