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モンタナ州の最高裁の審問が始まったみたいで

地元のテレビ局がサイトで「これから2時間、刻々と展開をお知らせします」と
記事を書いている。



ちゃんとサイトに行って検索すれば間も見つかるのかもしれないけど、
今日のところは、ま、いいか……。

ここ2日くらいのメディアの騒ぎ方だと、今日にも結論が出るみたいだったけど、
今日は双方の弁論と、判事の質問で終わったようです。

州の弁護士の弁論での主張は、

自殺幇助が憲法で保障された権利ということになると
ターミナルな病気の人に留まらなくなる。

また、たとえば直接その患者を知らない医師が
治療可能な患者に毒物を渡すことも起こりうる。

判事からの質問は、

意思決定能力のある人が銃を買いにいって、
「これは自殺に使うんだ」と言った場合に(売ったら)殺人になるか?

州の弁護士は
それは殺人です。

また、Baxter側の弁護士への判事の質問は

州の憲法の理念が生きる権利を守ることにあるとしたら
そのバランスはどのようにとられるのか?

Baxter側の弁護士は

医師が苦痛軽減のための薬物投与を認められているなら
さらに死ぬための薬物を投与していけない理由はない。

患者が死にかけているのであれば、
(毒物を投与する行為は)命を奪うことにはならない。


――うげっ。

どうせ死にかけているだから、殺したっていいじゃん。
どうせ薬で朦朧とさせるんだから、ついでに殺したっていいじゃん。

こんな程度の弁論で
Baxter側の主張が認められるとしたら、ちょっと……。



【9月4日追記】
ふっと思ったのだけど、

「どうせ死に掛けている人なら、医療的に死なせても命を奪うことにはならない」という論理って
いわゆる”慢性的な臓器不足”を解消したい人たちにとっては、たまらなく魅力的なのでは?

ターミナルな病状の人本人さえ了承していれば、
生きた人から臓器を提供してもらって、その結果死ぬとしても、命を奪うことにはならないのだから。

実は、この理屈、あの Norman Fostらの
「死亡者提供ルールを廃止せよ」との主張そのものです。

去年、WA州での住民投票の際、合法化ロビーには州外からも法外な資金が流入していました。
C&Cは米国以外でも組織され、活発に活動しています。資金が潤沢な証拠でしょう。

そのことの意味は、もちろん、ないわけでは、ない……?
2009.09.03 / Top↑
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